はてなキーワード: 武道館とは
今日は大学の入学式だった.国内の大学に通う増田と同様に,私もまた東大生である.
そこに,新入生として出席してきたのだ.
入学式は例年日本武道館を貸しきって執り行われる.(昨年は余震を警戒し,大幅な縮小があったが)
入場前,武道館へと向かう道,式終了後,武道館から地下鉄の駅へ進む道,いずれもLECや新聞社などが東大新入生の勧誘を行なっていた.
勧誘だけでなく,テレビや新聞の取材も多い.実際にテレビやインターネットニュースなどのメディアでも今日の記事が大きく取り上げられていた
私は取材に備え,前日晩からしっかりとネタを考えこんできたのだ.
ただ,取材されなかった.
確かに私は画面映しない顔である.
ボランティアに行きたい気持ちはあるが,勇気も出ないし根性もないので,増田や2ちゃんで偽善偽善と叩くのみの日々を過ごしてきた.
部活は中学の途中でやめたし.勉強についてほめられることがあっても人格についてほめられることは一度もない.
基本的に街中を歩くときは勿論右の人も左の人も内心見下しながら歩いている.
単位をとって遊ぶだけの生活.
AKBに、それほど興味がないのだが、このじゃんけん大会のニュースを受け、
いろいろと情報を見てると、このじゃんけん大会っていうものが、おそろしいほどよくできたビジネスだと感心した。
知らない人のために一応補足しておくと、
やってることは、ほんとうに、ただのじゃんけん。じゃんけんでシングルを歌う人とそのセンターを決める大会。
で何が優れているかというと?
何曲か歌も披露するらしいが、基本はじゃんけんのみで武道館が満員。しかも、チケットは3000円。
武道館はコンサートによって収容人数が違うらしいので正確には、わからないけど、1万人きていたら、
それだけで、売上は3000万円か。
オリコンの本のランキングによると1000円の公式ガイドブックが約5万7千冊売れてる。
これで、売上は5700万円か。
http://www.oricon.co.jp/rank/ob/w/2011-09-19/
約100箇所の映画館でライブ中継されたらしいです。これはSONYが力を入れている「ライブスパイア」っていう奴だけど
それの公式サイトをみると、チケットが売り切れの会場もあるみたい。売上はわからないが利益にはなっているだろう。
http://livespire.jp/news/2011.html#20110916190715
このじゃんけん大会中、各AKBメンバーに密着取材して、それをDVDにして売っている。
直販のみらしいので売上はわからないけど、これも利益になっているだろう。
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20110112-00004874-r25
そして、最後に一番すごいのは、このじゃんけん大会っていうのが、
ぶっちゃけていえば、今後、発売するシングルのプロモーションだってこと。
今回は、最後まで勝ち抜いた篠田麻里子がセンターをやるらしく、ニュースもかなり出ているのを見ると
このじゃんけん大会は、プロモーションで金を稼いだあげく、プロモーションも成功させている。
これは新しいビジネスモデルだわ。
平沢唯ちゃんが誕生日を迎えて、ネット上ではたくさんの人が改めて「けいおんとはどういう物語なのか?」を語っている。
美少女所有願望を充たす為の物語であったり疑似青春体験装置であったり自己投影の対象であったり。恋人の代わり、娘の代わり、友達の代わり、現実よりも愛されている自分、元々手にしてない幸せの代わり。そんな話。
じゃあ私にとってけいおんがどういう物語なのか?っていうと、友達の代わりってのは確かにあると思う。私には律っちゃんに似た友達とムギちゃんに似た友達がいるので、けいおんを観ているとあるあるwってネタが多くて楽しい。
でも、でも、それ以上に私にとっては「終わらない日常を生きていくんだ」って事を理解する為の教材みたいな作品だったと思う。
バンド始めたからって武道館でライブできるわけじゃないし、劇的な何かが起きて人生観がすっかり変わるような事もないけど
毎日楽しく笑って、友達とおしゃべりして、ときどき喧嘩もして、小さな事で失敗して、反省して、友達に慰められて、努力ももちろんして、それで少しずつ成長していって、高校三年間が終わる頃には目を見張るような成長があって
この友達とはずっと友達なんだろうなぁってなんとなくだけど確信してて、そんな信頼があるから勇気が出て、新しい一歩を踏み出していける。
そんな、友達を大切にして、毎日を楽しく過ごす為に努力する事を良しとする人生観を、私はけいおんから学んだ。
と、昨日サウスパークを観ていて考えた。
サウスパークs11e14「The List」という話の中で(以下ネタバレ)、
カイルという少年がクラスのイケメンランキングで最下位にされて、人生に希望が見出せなくなって落ち込んでいると、夢の中にリンカーンが現れてこんな話をするんだ。
「クラスで一番のイケメンに選ばれた子は浮かれて女の子とのデートにばかり夢中になりなんの努力もしなくなり、40を過ぎた頃には美貌も衰えなんの価値もなくなる。でも不細工はそのぶん努力するから大人になった頃には立場が逆転してるよ」
と、ピアノの練習をしている不細工を見せながら言うんだ。
なんか、、、違くない?違うよね?絶対違うよね!不細工がピアノ練習してもあんま意味なくない?ピアノでプロになれる確率なんて天文学的な数字でしょ。プロになれるような才能あれば不細工だろうがイケメンだろうが関係なく練習するよ。
不細工だからとか、好かれないから、そういう負のエネルギーで頑張っても、大人になる頃には挫折するんじゃない?コミュニケーション能力がどうとかいってさ。
コミュニケーション能力ってなんだよ。周りの人間みんな嫌いだったら、嫌われてると思ったら、まともなコミュニケーションなんてとれるわけないじゃん。
だから、さ、不細工で、嫌われてる子供がするべき事は、大人になった時に役に立ちそうな勉強とか特殊技能の習得よりも先に
今、好かれる為の努力をして、友達を作って、人を好きになって、遠い将来に夢を託すのではなく、今の生活を楽しめるように最大限の努力をすること、なんじゃないのかな。
今の生活の延長が将来で、楽しいを作るためには努力が必要。そして、楽しむ事は悪い事じゃない。
こういう事を言ってくれる物語は少ないけど
2008年夏にストライクウィッチーズが起こした奇跡はまだ記憶に新しい。
ヤマトからガンダムそしてエヴァへと続いたSFアニメ、エヴァ以降に生まれ席巻した萌えアニメ、その両方を奇跡的なバランスで兼ね備えた名作である。
00年代末期にして生まれた00年代の代表作である事は誰もが疑わない事であろう。そのDVD第一巻の売上は推定累計15000本の大ヒット。
だが後の「けいおん!」の50000本、「化物語」の80000本と比べると見劣りしてしまう。
この2作品は実に特殊である。化物語の特徴的な演出は普遍性があるとは言いがたいし、けいおん!に至っては本放送当時、多数の同業者が首を傾げた事実がある。
そんな言わば傷物の作品が何故これほどまでの売上を誇る事が出来たのであろうか。
結論から言ってしまうと「女性アニメオタクにも配慮した結果」である。
化物語も個性あふれる多種多様なヒロインが登場する作品であるが、原作からして女性ファンが多く、アニメも人気男性声優を起用する事で
否応なしに女性を惹きつける事に成功している。
けいおん!は劇中に女性キャラしか登場させず、ヒロイン達も非常に媚びた言動をするキャラクターであり、一見男性向けのように感じるが
その実、女性の嫌がる性的要素を徹底的に排除してあり、加えて、京都アニメーションの高い演出力によるリアルな描写に反した
いかにもアニメ的な言動をするキャラの“ちぐはぐさ”が、逆に「これはフィクションなんだ」と無意識に訴えかけ、女性に抵抗を感じさせない。
そして決定的なのがキャラクターデザイン。いわゆる「萌え絵」と言うものが浸透した現代において明らかに異質な絵柄。何と言うか、非常に“ブサイク”
まるで平安美人のようである。この絵柄は近年の京都アニメーション作品の中に蔓延し「涼宮ハルヒの憂鬱」第二期の中にも見え隠れしている。
特に「らき☆すたin武道館」におけるこなた達を見れば、いかに“けいおん顔”がブサイクであるかは誰でも容易に一目瞭然である。
だがしかしこのブサイクさが重要なのである。「家庭教師ヒットマンREBORN!」におけるヒロインへの女性からのバッシングを代表するように
女性オタクは非常に嫉妬深い。アニメキャラクターへも容赦なく負の感情をぶつけてくる。
けいおん!はあえてキャラクターの外見をブサイクにする事でそれを回避する事に成功しているのである。
そういった様々な配慮により、女性の目にも耐えうる作品になっているのである。
こう言った要素の片鱗は08年秋から始まった「とある魔術の禁書目録」に感じられ、翌年の「とある科学の超電磁砲」に引き継がれる。
09年「けいおん!」から始まり「化物語」「とある科学の超電磁砲」と女性配慮アニメが台頭する中にあっては
男性主観の象徴である百合アニメ、そのブームの延長線である「咲-saki-」が失敗し、「大正野球娘。」が不発に終わったのも時代の必然だったのである。
時代。そう、ストライクウィッチーズ誕生の奇跡によってアニメは一つの限界を向かえ、新たな時代へと進まざるを得なかったのである。
そして10年代に突入した現在、女性配慮の意思を受け継いでるアニメがある。それが「WORKING!!」「Angel Beats!」である。
WORKING!!も「けいおん顔」のようなブサイクさを踏襲し、化物語のように男性キャラクターを兼ね備えている。EDで男性キャラクターを立たせているのは
「バカとテストと召還獣」でも見られた手法だ。そして「種島ぽぷら」のような扇情的な造形をし、女性の逆鱗に触れるようなキャラクターは不自然なまでに隅に追いやっている。
こういった細かい「配慮」で非常に少ない放送局でありながらDVD売上30000本に届こうかという勢いを叩き出している最中である。
そして「Angel Beats!」だ。このアニメも近年のアニメとしては男性キャラクターが多く、直井というキャラに緒方恵美を起用するなど女性に配慮しているアニメである。
しかしこの作品の真価は非常に特殊な設定で、00年代に流行った要素を意図的に詰め込んでる感があるのは誰もが思うところだろう。
真っ先に思いつくのが涼宮ハルヒ以外何者でもないヒロインのデザインと、SOS団を思い起こさせる「死んだ世界戦線」略して「SSS」だ。
意図せずにこうまで類似した設定を作るものだろうか? あえてやっているとしか思えないのである。
では何故そんな、ともすればバッシングの的になる事をあえてやるのか?
一つ思う。
00年代の要素すべてを一途に消費させ、新たな10年代のアニメを始まらせるためではないか。
そんな「架け橋」になろうとしているAngel Beats!が、「女性配慮」という00年代末期に「けいおん!」「化物語」が起こしたばかりの新時代の要素をも
内包している事に驚きを隠せない。……これは偶然だろうか?
古き時代と新しき時代を繋いだAngel Beats!、その終了によってアニメはようやく10年代のスタートを切る事が出来るのだろうか。
7月からは待望のストライクウィッチーズ第二期が開始される。
他にも「みつどもえ」や「侵略!イカ娘」「神のみぞ知るセカイ」そして「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」のアニメ化が決定
話題作が目白押しだ。
それらの中から「10年代のストライクウィッチーズ」が現れる事を、ただひたすら祈ることしきりである。
ロリコン(萌え)漫画の始祖である吾妻ひでお先生が、けいおんのことを批判した発言が物議を醸し出しています。
ただ、吾妻氏が「気味が悪い」とまで酷評したのは、あくまでもアニメ版。原作版はまあまあと一応それなりとはいえ、評価していますが、登場人物のフィギュアを話題にしているので、キャラクターや原作自体はまんざらでもない様子です。
だったら、いったい何が吾妻先生のしゃくに障ってしまったのでしょうか?
原作では、
主人公の唯がギターを買う→15万円→登場人物の父親経営の店だった→親族特権で5万に値引きだったのが、
アニメでは、
ギター購入→なぜか25万円にアップ→みんなバイトして買おう→私は自分で買える範囲のギターにするよ→やっぱり欲しい→登場人物の父親経営の店だった→親族特権で5万に値引き
という展開になっています。そりゃ、「ハァ?バイトの意味ないだろ」とカチンときてもおかしくはないでしょう。しかも、後で原作通り「こんな重たくてネックの太いギターじゃ演奏できない」(大意)と愚痴をこぼすシーンまでご丁寧にありますから、ますます「ハァ?」と思われても仕方がないです。
アニメ版は、原作の骨格しかない話を膨らませるのは良いとして、不評を買った登場人物のけんかに代表されるように、膨らませた展開が前後や原作との整合性があまり考えられていない節があるような気がします。
原作では、軽音部として、大きな挫折を経験します。それは、2年生の学園祭で失敗することなのですけど、アニメでは成功してしまうのですね。しかも、思いっきり感動的な演出をして。最終回だから割り引かなければならない点はあるんですけど、挫折させなかったというのは「何でこいつら成功しかしてないの?」という疑問を抱かせてもしかたないと思います。特に人生挫折しっぱなしの吾妻氏であれば特に。
後番組の「大正野球娘。」も敗北ENDなんだし、別に演奏失敗ENDでも最終回的な展開にいくらでも持って行けるでしょうし、けいおんという作品の最終的なゴールはおそらくメンバーの卒業であって、あくまでもアニメで最終回として描かれた学園祭は単なる通過点に過ぎないんだし、主人公が「私たちの武道館はこの講堂です」とまで言い切って、完全燃焼という感じの展開には少し違和感すらありました。成功成功成功の連続じゃ「空虚だ。ストーリーらしきものも何もない。」とため息をつかれても仕方がないでしょう。
(追記)挫折といえば、主人公も、妹が完璧超人で、「良いところを吸い取られた」と作中で評される「劣った姉」という設定なのですが、一夜漬けしたらすぐ100点取れ、絶対音感を持ち、食べても太らず、作詞の才能もあるなどなにげに妹ばりの天才肌だったりします。(ちなみに原作から)これが「ひだまりスケッチ」や「GA」であれば、主人公が凡人、トラブルメーカーのキャラが天才肌という設定で、その対比で主人公が悩むシーンがチラッと(本当にチラッと)描かれることがありますが、「けいおん」の場合はほぼ皆無でした。4コマであればそれでいいのかもしれないけど、ストーリーものに改変するときには天才肌の主人公って不向きな気がしますし、そこが挫折しない話となってしまった一因なのかもしれません。
あのくらいの文章量じゃ結局何に不満を抱いているのかが全く理解できません。単に馬が合わなかった程度の話かもしれませんし。そもそも吾妻氏は来年還暦で、吾妻氏の子供や、下手したら孫の世代がみるようなアニメですし、そもそも理解できないとなっても仕方がないのかもしれません。
とナタリーのusersを観て思った。ナタリーのusersには偏りがあるにしても。ナタリーで韓国系のミュージシャンのニュースとか全然観ないにしてもさ。
http://natalie.mu/search/search?query=BIGBANG
4users
46users
武道館でライブする人が4usersとかどんな層がファンなんだろう?とか思った次第。
http://natalie.mu/artist/list/order_by/fans
まあ人気のあるところとの差異を見ると格段に差があるよなあ。3桁すらないんだもんなあ。でもCD売れてるようだしなあ。
謎だな。
靖国に代わる国立追悼施設建設へ 民主政権発足後に有識者懇を設置
http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090813/elc0908132359017-n1.htm
なぜ「追悼施設」というものが必要なのか?
と感じる私は別に「靖国神社があるからそこに参拝するべき」だなんてことをいいたいわけではない。どうして追悼するために新しい「追悼施設」というものが必要なのか、ということに疑問を感じるのだ。
そもそも「追悼施設」とはなんのための施設なのか。
「国家として死者の霊を祭祀する」ための施設だとすれば、そのような「国家的祭祀」が現代において必要だとは思われない。「死者の祭祀」ではなくて「追悼のための儀式祭典」を行なうためならば、千鳥が淵だっていいし、あるいは武道館みたいな別の広い施設でもいい。既存の施設を儀式祭典ごとに使えばいい話で、専用の施設を作る必要性はあまりない。
靖国神社のように個人が集って参拝するような施設を作るのならば、そのような施設を国家が用意する意味が分らない。個人としての「追悼」をするのならば、神社でも教会でも心の中ででも、個々人の好きなところで好きな形で追悼すればいいわけだから。
そうだとすれば、どうして特別な「追悼施設」というものが必要なのだろう。
新しい追悼施設の話がいつも出てくるけれども、私にはどうしてそれが必要なのかよく分らない。
靖国神社だっていまでは国営でもない一宗教法人にすぎない。どうして国家がいまさら国立の特別の追悼施設を作る必要があるのだろう?
【人生の勝ち組・ありむー万歳。ありむー万歳。ありむー万歳。】
もちろん、はてなーとしての才能は折り紙付だ。若くしてはてなスターのエキスパート。
OFF会神のまなめやその他大勢のはてなーたち全てから絶対的な忠誠を集めている。
抜群のマーケティングセンスでツイッター『y_arim』を1716人にフォロワーされ
大成功を収めたことは既に伝説となっている。
『らめぇ』では日本のオタク文化の背景にあるニコニコ動画とありむーの溺愛関係を
世界へと発信し熱い視線を集めている。
2009年にはゼロアカ優勝。師東浩紀の後を継ぐべく絵に描いた餅のような
二世フリーライダーの成功ロードをひた走る。
新月お茶の会門下でも出版界のために無駄なものを切り捨てる策士。
初音ミクプロデューサーとして一万部デビューの研ぎ澄まされたデビュー感覚。
初音ミク武道館ライブ:プロデューサーありむー自らがついに降臨す!?
初音ミクをこよなく愛する日本一のIT企業のブロガーに愛されるプリンス。
ねえ、我らが大将石原慎太郎は粋で勝気な江戸っ子で、破綻都市大阪のアホ面橋下知事なんかとは格が違うんだってことを証明するために、都庁のてっぺんから靖国神社抜けて武道館の脇のお堀に降りる巨大な滑り台増設して、日本男児なら絶対引けない状況にして慎太郎決死のウォータースライド祭りやろうぜ。
マ儿コ marco11 | いや、それウォータースライドやったら江戸っ子ですよ。間違いない |
マ儿コ marco11 | やんなかったら江戸っ子でもなんでもないっていうか、男でもないでしょ。女でもないけど。天皇家の顔に泥を塗ったオカマの淫売だろ、そこで滑らない奴は。 |
マ儿コ marco11 | 一応ちゃんと死なないように作るんですよもちろん。テストもちゃんとやりますしね。都知事のライフワークであるホームレス問題をコペルニクス的運用でテストし放題ですよ。涙橋のほうにきつめに落とす簡易滑り台も作っちゃったりしてねw。 |
マ儿コ marco11 | 新宿渋谷界隈のホームレス 100 体滑らせて 68 対は無事着水。 27 名重軽傷。 5 名死亡ですが、都知事、いかがいたしますか、愛子様がお呼びですので速やかにご決断ください、ってところから中継開始するの。ガチで。花火は死ぬほど用意しとくの。 |
マ儿コ marco11 | 早く滑らないと、内田裕也が滑ってしまいますが都知事、ご決断を。 |
マ儿コ marco11 | 都知事の脳内は美しき弟との日々のセピア色のフィルムがダイジェストで流れるの。っていう感じの演出にするの。一応しまらない絵になっちゃこまるからバストショット固定か、事前にオムツはかせとかないとね。 |
マ儿コ marco11 | 裕次郎こんな映画もやってたんですね。 : 紅の翼 予告篇‐ニコニコ動画(SP1) http://www.nicovideo.jp/watch/sm2907458 |
マ儿コ marco11 | まさか都知事、ここで得意の「 NO 」は無しですよ、って一応逃げ道もふさいどくのw。 |
マ儿コ marco11 | そこまで用意したらすべるだろきっと慎太郎。んで殉職するだろ。殉教かもしれないけど。いや、そりゃ死ぬって。都庁って何メートルあると思ってんだよ。絶対死ぬって。テストとか捏造に決まってんじゃん馬鹿だな日本人ならそのへん KY だろw。 くらい不謹慎な企画やれってテレビ屋はって思うね。 |
マ儿コ marco11 | 別にそんなんはどうでもいいんだよ、それより滑ったー!落ちたー!どかーん!っていう最後の花火をいかに綺麗に咲かせるかだろ大事なのは。それが芸術だろ。花火職人忙しくなりますよ。七月だもん。もう夏ですよ。 |
http://anond.hatelabo.jp/20080701123713
Perfume の FIRST TOUR -GAME- が無事に終了した。
http://natalie.mu/news/show/id/7465
ツアーの余韻を iTunes/iPod で楽しむためのプレイリストを考えてみたのでまとめてみる。
iTunes 7.3 for Windows + iPod 4G(どちらも古い!)で試したものなので、
最新版の iTunes + iPod では動作が違うかもしれない。
もうすでに同じようなことを考えている人がたくさんいそうだし、
もっといい方法や簡単な方法もあるかもしれないので、その場合は指摘していただきたい。
自分が観た公演のプレイリストを作るのは簡単だが、できればルーレットのドキドキ感も再現したい。
「iTunes/iPod にはスマートプレイリストがあるから簡単にできるんじゃないか?」と思ったのだが、
試してみると以下の理由で意外と簡単には出来なかった…。
そんな中、なんとか試行錯誤して出来たのが以下の方法である。
今のところ、2 種類の方法を考えた。どちらも現時点では期待通り動作する。
普通のプレイリスト。以下のように上述セットリストの「固定部1」を含むようにする。
以下の条件で作成する。
iTunes だけで聴くのであれば、普通のプレイリストで構わないのだが、
なぜか手持ちの iPod ではうまく動かなかったので、回避策としてスマートプレイリストにした。
なお、あらかじめ wonder2 が含まれる複数の CD (エレクトロワールドと Complete Best)を
インポートしておく必要がある。
このプレイリストが実際に選択して再生するプレイリストとなる。
以下の条件で作成。
これだけでは「GAME TOUR」を選択しても、曲順はでたらめになってしまう。
したがって、一曲ずつコメント属性にソートのための文字列を入れる。
全楽曲のコメント属性にソート順を入力したら、「GAME TOUR」を選択して、
「表示」メニューの「表示オプション」で「コメント」を表示するように設定、
楽曲一覧の「コメント」列をクリックしてコメント属性でソートされるようにする。
これで「GAME TOUR」を再生するたびにルーレット曲が変わるはず。
ただし、スマートプレイリスト「GAME02」の条件で指定したように、
昨日再生した曲は再生されないけれどもそれはまあご愛嬌ということで…。
実現方法その 1(コメント属性を使う方法)の(将来的な)問題点は
ツアーごとにソートに使う属性が足りなくなってしまうことである。
だから、ツアーごとに楽曲そのものをコピーしてしまえば解決する。
エクスプローラや Finder で「Album GAME TOUR」のようなフォルダを作成して、
ツアーの楽曲ファイルを全てそこにコピーし、iTunes からライブラリに追加。
そうすると、すでに存在するアルバムの楽曲とだぶって登録されてしまうので、
先ほど追加した楽曲を選択して、アルバム名を「Album GAME TOUR」に変更する。
さらにこの時点でセットリストの曲順をトラック番号属性に設定しておく。
※ルーレット候補曲はもちろん全て同じ「18」に設定しておく。
あとはアルバム「Album GAME TOUR」から曲をえらんで、実現方法その 1と同じ要領でプレイリストを作成。
ただし、スマートプレイリスト「GAME TOUR」のソート順はコメント属性ではなくトラック番号にしておく。
どちらの方法でも GAME ツアー再現気分は味わえるのだが、
どちらにしても問題点があり、いささかバッドノウハウ的である。
今のところコメント属性を何も使っていないのであれば前者の方がお手軽だろう。
今後もルーレットをやるかどうかは分からないし。
ここまで来るともっと再現度を高めたくなるかもしれない。
その場合はこんなのはいかがだろう?
開演前に流れていた曲を入れて、わざと焦らされるのもいいかもしれない。
私の場合:何曲も入れると待ちきれないので、一曲だけ入れてある。
ライブにしかないもの、iTunes/iPod で一番足りないのは、もちろん「MC」。
こればっかりはどうしようもないのだけれど、どうしてもがんばるなら…。
これは試してないので誰か試したら感想を聞かせていただきたい。
セットリストや客入れの楽曲は Perfume スレとまとめサイトを参考にさせていただきました。
説明下手で読みにくいエントリですが、打たれ弱いので dis らないでください…。
間違いや要追記事項は指摘していただけたら更新いたします。
前に東名高速を東京に向かう高速バスに乗ったことがあって、そのとき思ったことからつらつらと考えたこと。
その車内には面白いようにバンギャとオタクしかいなくて、まあ、それなんて論座? っていう状況だったんだけど、そのときの彼ら(オタクのほうね)の話を聞いていると、やっぱり、地方の子から見ると秋葉原って「楽園」なんだなあ、と思ったのね。夢と憧れと、可愛らしい武勇伝(自称「アキバの達人」が、アキバ初心者に語ってるんだよ。笑っちゃうけどそれが地方の実状なんだって)に溢れてて。なんというか、地方のバンギャの子にとっての武道館なり何なりってのが、地方のオタクの子にとってのアキバなのかなあ、って。あるいは、(地方の女の子の読む)ケータイ小説におけるシブヤってのが、地方のオタクの子にとってのアキバにあたるのかなあ、って。実際にそこに行く機会は少ないし、行ったことのない子もクラスにはいるんだけど、漠然とした憧れと夢の対象として機能してる街って感じ。前に報道特集番組で、地方からアキバのメイドさんに憧れて上京してきた女の子のルポとかやってたんだけど、それ見たときも同じ印象を抱いた。ドラマで言うと『アキハバラ@DEEP』的な秋葉原像かなあ。
だから、秋葉原って、その夢に乗れない人たちからすると、十分に僻みの対象になるくらいに、いまや楽園なんだなあと思うんだよ。特に地方の子たちにとってはね。
>d:id:gotanda6 ケータイ小説にはシブヤは出て来ないぞ
『Deep Love』の舞台って渋谷じゃなかったっけ? それとも『Deep Love』はd:id:gotanda6さんの定義ではケータイ小説に含まれないのかな?
はてなキーワードの症例にあるような「洋楽を聞き始める」、「社会の勉強をある程度して歴史に詳しくなると「アメリカって汚いよな」と急に言い出す」、「ゴー宣を読んで突然思想家ぶる」っていうのは、発達心理学的にはよくあることなんだろうな。
邪気眼とかはむしろいつまでもゲームやアニメから卒業できないって意味では幼稚で、もともとの中二病とは正反対の症例に見える。
一般的な中二病がギターとかやりはじめて「自分は特別な人間なんだ」ってアイデンティティを深めていくところ、邪気眼はなぜかSFやオカルト的な意味で「自分は特別な人間なんだ」ってアイデンティティを深めていくんだろうな。
ギターやってる奴も「武道館で単独コンサートやってる自分」とか部屋の中で演じたりすると(「今日は来てくれてありがとう、次のナンバーは…」とか言いながら)邪気眼と変わらんけどな。
最近初音ミクが人気だ。これはすごいというようなことをいえば賞賛され、少しでも否定的なことを書いただけで全力で批判される気がする。しかしこの人気は「本物」なんだろうか?初音ミクに人気があること自体は否定しない。ニコニコ動画という枠の中でだが、確実に人気があるといえる。問題はその理由である。TBS騒動で初音ミクの魅力は人と同じようなことができるから人気があると主張されている。その主張に疑問を感じる。
正直なところ初音ミクは絵のほうで人気がでただけだろうと思う。初音ミクの原動力は言うまでもなくニコニコ動画である。そのニコニコ動画で人気があるのはどちらかといえば初音ミクを書くほうだ。ニコニコ動画で初音ミクを検索すると5000件以上ある。ほとんどが「歌わせた」ものだが、再生数は少ない。一方書いたほうは数が少ない「初音ミク 描」で検索しても300件ぐらいしかヒットしない。仮に初音ミク動画が5000あり、そのなかで描く動画が300個でそれ以外が歌わせる動画であるとすれば、その数は4700個。もちろんいいかげんな計算だが、それでもかなり歌わせる動画が描く動画に比べて多いことは間違いない。しかし描いた動画のほうが人気が高いものの比率が高い。再生回数が多い順で並び替えた一ページ目に描いた動画は4つでてくる。
歌わせたほうはもっとある。人によってなにを歌わせた動画に入れるのか判断が分かれるかもしれないが、数は16個くらいだろう。絶対数自体は歌わせたほうがあるが、歌わせたものが描いたものよりも母数が多いことを考えれば比率としては描いた動画の方が高いだろう。また再生回数の小さい方で見ても描いたものが人気があるといえる。「初音ミク 描」で検索して再生回数の少ない順で並び替えれば、再生数が小さいものが出てくる。しかしそれでも最低300回ぐらいの再生回数がある。検索結果の2P目がだいたい500から800回ぐらいで、3P目が800から1200回の再生回数を誇っている。一方歌わせたほうはどうだろうか?単純に「初音ミク」で検索して再生回数の少ない順で並び替えてみると100回前後の動画がたくさんヒットする。2P目もほとんど変わらない。再生回数の小さいもので比べても歌わせるほうは描くほうに比べて人気がないといえる。確かに歌わせた動画で人気のある動画はある。しかし歌わせたもの全体からみるとその比率は少ないし、人気のないものの再生回数も低く全体的に基盤が低いといえる。しかし描いたほうは基盤が高く300以下の動画数だが、それなりに初音ミク動画の上位をキープし、再生回数が最低の動画でも再生回数が歌わせたものよりはある。ニコニコ動画では歌ではなく絵に人気があるといえるだろう。さらに初音ミクのエロに対する需要もあることを考えればこのことは明白である。描いたもので人気があるのはそれ系統のものだ。またエロを前面に出している釣り動画もあるし、その動画は人気?がある。こういうことを考えれば、やはり絵で売れたと考えていいだろう。
ではなぜ初音ミクの魅力として人間に近いことができるからということになったのだろうか?その理由は多分そういうことをいっている人間が「部外者」、つまりTBS騒動時点では興味がなかった人間であるからだろう。グーグルで初音ミクを検索してTBS批判をしているところを探したら、次の二つが見つかった。
しかしこれらの二つはTBS騒動以前に初音ミクを取り上げていない。一方TBSを批判しているところを探す過程で見つけた
ではTBS騒動まえに初音ミクを取り上げたり描いたりしているけど、TBSになんの批判もしていない。もっと踏み込んで初音ミクを描いていたサイトやブログを探してみた。「初音ミク 絵」検索して次のところが見つかった。
みればわかるようにこれらのサイトorブログではTBSを批判していないのだ。だからといってTBS報道に前から興味をもっていた人が不快感を覚えなかったということを主張するつもりは毛頭ない。またTBS騒動前から興味を持っていた人全員がTBSを批判していないと主張するつもりもない。いいたいのは今初音ミクがリアルに近くてすごいと主張し、かつTBSや「一般人なるもの」を批判している人はTBS騒動後に興味を持った人たちが多いではないのかということだ。そうだとすれば事実の観察に基づく人気の理由といま主張されている魅力がずれてしまっていることが説明できる。
もちろんなんだかんだいって歌わせることにも魅力があるのだろう。しかし初音ミクの人気の源泉はやはり「人間に近いことができること」ではなくかわいい絵なんだろう。だから「人間に近いことができる」という主張に人気がある現状には疑問を感じる。
はじめの事件が、故意に流されたものなのか、漏れたものなのか、それすらもう定かではない。そもそもどれがはじまりだった?
かねてより勝手気ままに動くメンバーたちの情報管理に疲れきっていたつんく♂は、はじめの事件が報道された時点でこう言った。
「もうええか。これからはこういう方向で行きましょ。次もあるし。もうええやろ。」
彼の興味は既にモーニング娘。には無かった。その後さも最近明らかになったかのように続々と報じられるスキャンダル。
『こういう方向』だ。しかし、こんなワイドショーに媚びるような路線で生き残れるはずがない。終末に向かう方向転換。
つんく♂は、既に有望なメンバーを集めて新グループを作るいつもの方法で着々と事を進めていた。
もはや誰の目にも明らかだった。モーニング娘。といういれものは、もうすぐ放棄されるのだ。
「モーニング娘。が、好きだったんです。」
とは、そのメンバーの弁である。それが、引き金になった。散り散りになっていたメンバーを、引き戻す引き金。
新たなグループに組み込まれるはずの者も、芸能界を辞めるはずの者も、既にスキャンダルで消えた者や、卒業していった者まで、
最後に、最後に一度だけ、イベントをやろう。誰からともなく発せられた言葉は、全ての娘。を集めるのにさほどの時間を要しなかった。
しかし、時既に遅く、最後のイベントに対するファンの風当たりは、開催前からひどく強いものだった。
スキャンダルで一時は消えた者に対して、モーニング娘を「捨てた」と揶揄されるものに対して、ネット上で怒号が飛び交った。
ファンは、世間は既にモーニング娘。を必要としていない。その空気を素早く読み取ったつんく♂は、イベントの中止を断行した。
何とかゲリラ的にでもイベントを実行しよう。そういう流れも、つんく♂に、事務所に見放された後は細々としたものになった。
一度は集まったメンバーたちも再びバラバラになり、最後のイベントは、夢と消えるかと思われた。しかし、
「あたし、やるよ。」
彼女は、そう言った。最後の一人になっても、イベントを成功させる。そして、イベント当日。
会場は武道館ではない。既に事務所は金を出してくれない。イベント会場は、小さなライブハウス。
メンバーは全員ではない。既に全員が散り散りに、いや今の居場所へ帰っていった。イベントを行うのは、たった一人。
それでも彼女はこの最後のイベントに固執した。思い出にすがった。当時の衣装は少しきつくなっていた。新しい衣装の予算などない。
会場からは、まばらなコールと野次。誰も期待してなどいない。それでも彼女は行かなくてはならなかった。