はてなキーワード: ディストーションとは
三角関数はゲームプログラミングとか信号処理とかには必須だからな
スポーツの成績は精神によっても左右されるので、精神論は必要だけど、数値化して科学的論理的に思考するのが成績アップのコツ
そこは受験勉強とかと同じなんだよな
そういえば、ギタリストに学校の勉強はいるのか?三角関数はいるのか?みたいなのYouTubeで観たけど、
ギターのリペアに幾何学が必要なのもあるけど、エレキギターの回路とか、PAとしての最低限の知識、インピーダンスとかマッチングとか、
学校の勉強まったく必要ないって言ってる奴出てたけど、どう思ってるんだろうな
なんでケーブルがペアになってるか、とか、どうしてノイズが相殺されるのか、とか、
ギターアンプというより、単なるトランジスタの増幅器さえ組めないレベルだと話にならない気がするし、
深夜アニメ見てたらよく分かんない歌詞が出てきて調べたら「猫背のまま 虎になりたい」と書いてあった。
エンディングが「ディストーション」なんだしそういう所から気づけたね。
耳と脳がダメだね。
ファズは置いといて「虎になりたい」がよく分からなかったので何か音楽バンドでそういう元ネタがあるのかなと思って調べた。
でも違って本当は「山月記」らしい。
あー知っとるわ―読んだこと無いけど―。
中国人が虎になるんやろ?
カフカの変身みたいな感じで。
でも虎って強いからいいよね。
と思いながら調べてたら「プライドの高さから社会性を喪失していき怪物になって後悔してる人」のメタファーだったらしい。
(承認欲求モンスターことギターヒーローさんじゃん!(その深夜アニメの主人公))
先に知ってないと分からないじゃん。
今回は本当偶然でしかなかったと思う。
いつか無かったことにされる。
その前に、「硝子ドールだけは人類史に残すべき」と伝えるために俺はここにやってきた。
俺は音楽のことはあまりわからないのでメタルだとかディストーションだとかの話は誰かがやってくれると信じてひたすら歌詞の解説をする。
硝子ドールは、鏡に映した自分に問いかけるようにして紡がれる詩である。
その本質は「変革を望む気持ちと拒む気持ち、変革への確信と普遍への確信の矛盾、自己憐憫と自己批判、そんな自分を客観的に見ているつもりで、自分の思い込みに縛られる様子。モラトリアムの中で戸惑いながら、終わらない日常を願いながら、昨日までと違う明日も同時に願う少女の姿」である。
アイカツは対象年齢を幼児向けとしながらも、音楽やテーマは若干背伸びさせてジュブナイルに仕上げているが、その中で最も痛烈に「青臭さゆえの痛々しさ」を描き出しながらも、それを「永遠の時間を生きる設定の吸血鬼美少女」に重ねることで「耽美的」とも言える絶妙な痛快感に仕立て上げているのがこの硝子ドールである。
幼少期の知りうる世界の狭さをもってしか生み出すことの出来ない1人セカイ系とも言える感覚の原体験がここに詰まっている。
紛れもない名歌である。
鏡越しに見ている人とは誰か。自分で鏡の前に立ってみると分かる。自分である。ではなぜ眼差しが乱反射するのだろうか?それは自分が自分に対して焦点を合わせることを躊躇っているからである。人は元来、自分の姿に気恥ずかしさを感じるものだ。自分を鏡に写したとき、自分を直視するのは難しい。まして、自分に自信がなければ。
ビロードと聞いて最初に浮かぶのは「手触りのイメージ」。これによって聞くものは空に手を触れる感覚を持つ。手を触れられるほどに低い空は陰鬱なイメージを。それと同時に、もっと強く手を伸ばせば突き破れるほどの低さを感じさせる。心の中に浮かぶ自分だけの夜の世界。ガラスの天井は突き破ろうとすればいつでも破れる。その空の低さが「なぜここにいつまでも留まるのか?」を問いかける。もちろん、自分の心に広がるセカイの狭さも。
今日こそは変化が起きる。モラトリアムに揺れ動いた日々、いつもどこかでそう思っていた。それは夜になるほどに強くなり、「今、もしも布団に潜らなければ、今日こそはセカイは変わるのに」と強く思い込みながらも、社会に迎合することを選んで眠りについた日が誰にでもあるだろう。
誰かが連れ出してくれると信じている。自分が踏み出すのを助けてくれる誰かを待っている。自分だけでは不可能だと。ここは自分だけの世界。それならば本当に待っているのは、自分を助けることが出来る強さを持った自分自身。今ココにいる自分では駄目だと感じ。それでも、どこかに強い自分がいてきっと自分を助けられると信じたい。
鍵が壊れているからそっと押すだけで開くのか。壊れた鍵が噛み込んでもう開くことは出来ないのか。重ね合わった2つの可能性。果たして実際に試したのか。それとも、ただ心のなかで思うだけで扉に触れてもいないのか。
昨日と同じ明日が永遠と繰り返されているような感覚。無限大の過去を遡ってもずっとそうだったような気がする。無限大の未来を見ても、ずっと変わることはない気さえする。長いのではなく、永い。命が尽きるまで終わることがないのなら、我が身が吸血鬼ならばそれは永遠を意味している。
誰かに尋ねても貴方はもう自由だと返ってくる。それでも自分はここから動けない。自分を縛っているものが確かにある。他人にはそれがわからない。もしもこれが自分の心にしか無いのなら、自分はずっと夢の中にいるのと変わらない。夢の外にたどり着くことその日が来るまで、自分で生み出した鎖からは逃げられない。
硝子=鏡。硝子の瞳=硝子に映った自分の瞳。自分自身が自分に対していい加減に終わりにすることを望んでいる。夢から醒めることを待っている。終わりのないこの夢に退屈している。それでも辞めることが出来ない。鏡を覗けば自分でさえも呆れ果ているのは明白なのに。
そうしてもまたモラトリアムは繰り返される。
現実は容赦なくやってくる。心は夢に閉じ込められたままでも、体は現実を生きなければならない。自分の夢にだけ引きこもれる夜が終われば、夢と現実が重なりあった時間が始まる。
ゆっくりと時間をかけて現実へとチャンネルをあわせていく。夢の世界が閉じていく。今日もまた夢の中の自分は鳥籠から出れないままに、現実の自分を布団からゆっくりと起き上がらせていく。醒めない夢は、心の奥でまだ続いている。それでも現実に向けて歩みだしていかなければいけない。
誰かが扉を開けている。終わらないはずの夜が外の世界の向こうへと誰かがそっと抜け出ていく。扉を開けているのは自分自身。扉を締めてまた暗闇の世界に戻っているのもまた自分。自分の中でとっくに夢を抜け出ている自分がいる。夜の世界に居続けることを選んでいる自分はそれを見送っている。本当は今ここで鎖に繋がれている自分も抜け出せるのだろうか。
こうして私が夢の中に閉じこもり続けることを選び続けることを世界もまた望んでいる。同時に夢の外に出て生きることもまた望まれている。重なり合って矛盾にまみれている。だけどその矛盾の重なり合いに身を委ねるなら、どちらでもないままで居続けることが許されている。それに苦しみながらも、それに助けられながら、それを恨みながら、それを望んでいる。
終わることのない矛盾を終わらせることを投げ出してただこのまま全てを終わりにしたい。変わることを願いたいと思う自分に満足したまま、変わらないで居続けられるままで。永遠にただ今のままであれば、選択する必要もなく、選択しようとしたことだけを残し、何者でもありえるままにいられる。
それでも、いつか変わる日が来るのだろう。変わろうと思わずとも変わることになる。きっといつかその日が来る。でもそれは今日じゃない。明日かも知れないけど今日ではない。確信だけがそこにある。まだ何も始まらないままに、何かがいつか起きることだけを知っている。鏡の中の私は硝子の瞳でそれを待ちわびている。待ちわびたままでじっと動かない。硝子で作られた動くことのないお人形。硝子ドール。
メタルとかのディストーション音だったらフルピッキングしないで誤魔化したりできるけど、
いわゆるハンマリング・オン、プリング・オフで弾いたりするわけだけど、
メタルでも尋常でないフルピッキングとか、自分には無理なんだよなぁ
まあ、アコギのシャッフル・ストロークと同じで、とにかく機械的にやる、というのがキモだと思うんだけど
意識しない、考えないところまで昇華するのがキモだと思うのだけど
左手は考えるとしても、右手はまったく考えないで空振らない躓かないようにする
楽器のこういうところは完全に体育会系というか鍛錬の賜物だよね
なんか時間が空いてたり気分転換したくなったら、なんとなくギターを持って、
耳コピとか速弾き練習してたら夕方も暮れていたみたいなことがときどきあるんだけど、
なんとなく練習する、頭にフレーズが浮かんだり思い出したとき、
すぐにそれってどうやって弾けばいいのかな?みたいに思って、
フランクというか、気張らないというか、
なんとなく腕立て10回やってみるか、やってみたけど何か違うな、こうかな、こうかな、
みたいにやって回数増やしてるうちに、
なんかできないと思ってたことがいつの間にかできるようになってる気がするんだけど、
バカでも繰り返して、なんとか原曲に近付きたいとか、想い続けてるからなんだろうけど
練習の30%も実力が出なくなってしまうの、未だに治らないしなんとかしたい…
そうなると緻密な楽曲を弾こうと思うよりも、まずはペンタトニックとかで、
音数も少なく、シンプルにいい感じにブルースっぽいフレーズを弾くとか、
技巧的でないけどカッコいいみたいなのを目指す方が先なのかなぁ、とも思う今日この頃
ファーストアルバムだってこと以外の背景は全然知らねえ!でもすげえ好き!
土曜日、ベッドで寝つつ君を遊びにでも誘おうかと思うけど、まあ断られるだろうな…という内容を繰り返すだけの歌!気だるい感じの内容とボーカルなのに伴奏は元気な感じなのがまたいいんだよなあ
サビのme dirás que noの繰り返し、2回目の下がり方がイイ
トルメンタ・ロハっていう響きがもう素敵
これもわりと元気系の曲で、なんつってもサビの高音が印象的!Son para mi↑ってね…いいよね…
歌詞の内容は正直よくわからん(だいたいどの曲も分からないが…)
比較的ゆったりした感じというか、ちょっと落ち着きのあるナンバー
歌い出しの歌詞、うろ覚えでNuestra vida se termina(僕たちの人生は終わる)って歌ってたらNuestro día no termina(僕たちの一日は終わらない)で、わりと真逆みたいな感じあった
サビがただひたすら「僕たちの夏アア僕たちの夏」なのがエエ感じ
これめちゃくちゃ好きで、アルバム内一、二を争う
ディストーションをガンガンかけたギターが荒れ狂う中、アンニュイな歌い方でで「エレベーターから僕の部屋まで向かう途中、君はまた彼のことを考える」的なことを言っており、こう片思いというかNTRというか、そういうアレなんすよね
Otra vez(もう一回)を繰り返して終わるのもいい 彼女と今一緒にいるのは自分だが、彼女が考えてるのは彼のこと、あっまた考えてるぞ!っていうotra vezなんだよな
曲名が謎なんだよな
死の女医というよりはドクターデスって感じな気がする つかメンバーにドクトーラムエルテさんがいるっぽいし曲名は適当くさい?
これはわりとコミックソング感あって、パッパーラパパッパッーラパラパーっていうコーラスが印象的な楽しい
でもDespertándote ya me voy, esta noche me voy(君を起こして今夜僕は去る)を早口で繰り返すところは素直にいい Ey nena(ヘイ、ベイビー)ってのもセクシー yaがシャなのもエエわあ
「部屋で過ごす休みといえば、僕の目を醒ましてくれたスペース・ロックだった」なんて歌い出しで、ちょっと実体験ベースっぽい雰囲気がある?これまでの曲と比べて歌詞に意味がある感じが強い
「僕たちが地下室に降りると、君は集めている色とりどりの古着を見せてくれる」ってところなんて、よくわかんねえけどすげーエモい ropa vieja de color que coleccionásって部分かなり頻繁に口ずさんでしまう
サビもいい Destruye todo lo que hay(あるもの全てぶち壊せ)なんてパンクなフレーズが突然サラッと出てくるのがイイんですね そんなノリで言う?っていう……
これなんとなくインストだと思ってたけど歌詞もあるな…… なんつってるんだろ
箸休めという感じが強く、正直あんまり印象がない でもボーカルの感じがスーパーカーっぽくていいと思う
この歌「この娘は今日眠っている ダイアモンド」を繰り返すだけで終わるからマジで渋い
つか、Esta niña se duerme hoy(≒This child(女) sleeps today)ってどう訳したらいいんだ?こういう背景が全然わからん現在形の文が一番厄介な気がする
同じフレーズを繰り返し、ギターが相槌を打つ、エルマトさんお得意のパターンな感じはする 好き!
ディアマーンテーって繰り返しが妙に耳に残るんだよな こういうのこそエエ曲なのかもしれん 意味はわからないが……
共産主義ギターっていうのは多分Guitarra roja(赤いギター)ってフレーズ的に赤いギターをアカいギターつってる的な話なんだろうな
Nadie la merece, ¡no! Ni yo que soy el mejor(誰も彼女には釣り合わないんだ、ダメだ!最高である僕ですら)って歌詞がガチで良すぎる キチガイのCreepなんだよな
この曲は歌詞もいいが(意味はわからん)、なんつってもメロディがいい 歌ってて気持ちいいし、聴いてても気持ちいい ギターとの絡みもかなり素敵 サビがいいよ本当に
ナーディエラメレーセーエ ノーオーォォー!ニーショケーソーイ エルメーホー…
わりと小さめの声でワンフレーズ歌うたび、ギャラギャラ鳴る高めのギターが合いの手を入れる構成の印象が強い 餅つきっぽい
最後にこういうなんとも言えん曲で締めるのがまたいい!
エルマト、メロディも声もよくてアルゼンチンのストロークスと言っていいと思うんだけど、日本での知名度が低くて悲しい
このエントリに検索でたどり着いた未来の同士スペイン語ロック愛好者おらんか?ええよなエル・マト・ア・ウン・ポリシア・モトリサード! ほんま好きやねん 君は一人じゃないぞ!
チャットモンチーが「完結」する一方で、マスドレが今日7月4日、8年ぶりにオリジナルアルバムを発売した。タイトルは「No New World」
マスドレことMASS OF THE FERMENTING DREGSは知る人ぞ知るガールズバンドだ。厳密に言えば元ガールズバンドだが。
もともと3人の女性で構成されていたこのバンドは、11年前にEMIミュージックジャパン主催のオーディションにて高評価を受けデビューアルバム発売の機会を得たことで注目された。ナンバーガールを見出した加茂啓太郎が関わったこのオーディションは、特典としてこれまたナンバーガールのプロデュースで知られたデイヴフリッドマンと共にレコーディングが出来るというもので、ロキノン系ファンの関心を引くものだったのだ。
今はどうだか知らないが概してロキノン系ファンというものは、流行りものが嫌いだが権威主義的である。Mステ常連のバンドはリア充に食わせて、自分は雑誌経由で知ったビクターのSpeedStarやEMIのGreatHuntingが激推ししているバンドで洒落込んだつもりでいる。
当時はサカナクションや相対性理論がニューカマーとして取り上げられていて、マスドレ含めそんなバンドたちの曲を僕は下校途中にMP3プレーヤーでリピート再生していたものだ。
マスドレはデビュー前にドラマーが脱退したためサポートメンバーを迎えて活動していたものの勢いは衰えることなく、くるりのトリビュートアルバムに参加したり2ndアルバムを発表したりしていよいよ2010年にメジャーデビューが決まった。同時にサポートメンバーであった吉野功が正式にバンドに加入し、いよいよこれからと思った矢先、同年12月にギターの石本知恵美が脱退した。
ディストーションとディレイできらきらした轟音を体から絞り出すようにかき鳴らしていたそのギタリストは持病の治療のために離脱してしまった。「ひきずるビート」という曲にて歌われる
足を止めずにどこへ行くのか
ここがどこかも分からないまま
加速していくだけのビートに
いま、消えそうだよ
という一節が疾走感のあるバンドの雰囲気と相まって悲痛な叫びのように聞こえた。
オリジナルメンバーがVo/Baの宮本菜津子だけになったマスドレはぱたりと話題にあがらなくなった。追い討ちをかけるように一年後に吉野功もバンドから離れた。事実上の解散である。
バンドの持ち味である、こだまする様に響くギターとベースの音、牧歌的にもシャウトしているようにも聞こえるボーカル、破滅的な歌詞。それら全てがこのバンドが燃え尽きてしまうことを暗示していたかのように聞こえて、長い間僕はマスドレを聴くことを避けるようになってしまった。
チャットと同じようにマスドレもメンバーの離脱で空いた穴に悩まされたバンドだ。
チャットモンチーは2011年の高橋久美子の脱退でそれまでの様な活動ができなくなりさまざまなスタイルに紆余曲折した。マスドレは宮本菜津子が砕け散ったピースを少しずつ再構築していた。2組のバンドにとって時代は2011年で一旦終わっていて、それから2018年までの7年間は次の時代のための模索期間だった。
僕が好きだったのは3人のチャットモンチーであり、石本知恵美のいるマスドレだった。でももう全て変わってしまった。
マスドレの「終わりのはじまり」という曲にはこんな一節がある。
歩いて行けば
ここから続いていく道は
君の思い描く色に染まっていくよ
繰り返しているんだ
君もぼくも同じ今日のもと
バンドの解散はメンバー同士の別れではあるが、各メンバーのこれまでの功績と今後の活動は同一線上にあって決して分断されない。別れや出会いで区切られているように見えるだけ。「No New World」"新世界ではない"というようにマスドレはメンバーが変わっても、かつてと地続きで繋がっている。
僕はチャットモンチーのメンバーがすっぱり別れていくのを見届けるため「誕生」をちゃんと聴き直したい。
そして戻ってきたマスドレを迎えるためにはやく「No New World」を聴きたい。
構成はHDDへHOME以下をバックアップした後にUbuntuを削除、Windowsをクリーンインストールさせた
当然UbuntuとWindowsの共存も考えたが、共存状態だと使い慣れたUbuntuへ逃げる可能性があったので、少々可哀想だったがUbuntuは削除した
良い機会だったので隣で図解をまじえて教えながら娘自身にインストール作業をさせた
「えっじゃあ他のプライマリパーティションにUbuntuも一緒にインストールできるってこと?」
「その認識で間違いないけど今回はWindowsの練習のためにしない」
Windowsを起動してデスクトップを表示し、娘がまずやったことはWindowsキー(Superキー)を押下だった
「学生は遊ぶだろうしね余計なの消してんだろw」
「あー確かにw」
学校のパソコンにはないであろうパネルを「ふーん」とクリックしながら、何かに納得したのか「じゃあそろそろクリスタ」と言われ、最大の目的であるクリスタをインストールした
クリスタのインストールが終わると、もう良いよと言わんばかりに「わからなくなったら呼ぶね」とアッチ行けされ初日を終えた
数日経つと「ターミナルがない」と言われたので「SuperキーからのC,M,DしてEnterで起動するはずだけどcmdはLinuxと使い方が全く違うから調べたほうが良いよ」とアドバイスした
娘が自室に行くと直ぐ戻ってきて「cdできたけどlsできないんだけど?」と言われ「使い方違うと言ったろ?cmdの場合ディレクトリ内容一覧はD,I,R」と言いつつ娘の自室へ向かう
「昨日から少し試してたんだけどWindowsのターミナルって全然違うよね?」
「うん違うし、今使ってもらってるのcmdって呼ばれたりコマンドプロンプトって呼ばれてるんだけど、もう一個パワーシェル(PowerShell)というのもある」
「こっちの方がLinuxに近いかもなぁ。lsはできる。だけどtouchはできないぞ。その辺はググれ」
「えっ?touchできないって意味わかんないんだけど」
「PowerShellの場合はN,E,W,-,I,T,E,Mでできる。cmdは作成できないわけでないけど、ファイル作成のためコマンドというものがそもそも存在しない」
「Vimも無かった。というかアプリの設定ファイルがどれなのかすら判らない」
「この辺りはLinuxじゃないと諦めて新規にツールを追加するしかない。Windowsの作法に慣れろ」
「うーん・・・慣れかぁ」
予想通りLinuxとWindowsの違いに戸惑っている様だけど、本当に慣れてもらうしかない
娘が「そういえばアプリってどうやってアンインストールするの?」と聞いてきた
「スタートメニューでアプリアイコンを右クリックしてアンインストール。別窓でプログラムと機能が起動したらそこからアンインストール」
そう教えると再びアッチ行けされてしまった。父ちゃん寂しい・・・
そして昨日いろいろと娘にWindowsの使い勝手を聞いてみた結果が下記の通り
良いところも悪いところもまだまだ色々と言っていたけれど忘れてしまった。女の子は喋り出すとアッチコッチに行って止まらない・・・
また何かしら変化があったら報告しようと思う
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追伸