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2018-08-19

これからどう過ごすかじゃないのか?

https://anond.hatelabo.jp/20180819110324

読んでいて現在42歳の自分の事かと思ったくらいダブって放っておけない気持ちになった。

私も君と同じように自分絶望していた。絶望の度合いは君よりも深かっただろう。

中学生の時にいじめをうけて不登校になり、そのまま高校にも通わず、気づいたら20を超えていた。

ダラダラと日々をすごしていた間、虐められた自分を可哀そうだと思って

両親や教師たちの同情の言葉にかえって怒りを感じながら、意固地になって引きこもりを加速させて

ひたすら、いじめた連中を恨んで10年近く過ごしていた事には心底絶望していたし

近所の楽しそうに遊ぶ子供たちにすら劣る自分という粗大ごみを一刻も早く処分したい気持ち

死ぬことが怖くて踏み切れない情けなさで、心を埋め尽くしていた様に思う


ここから自分が辿る道は通り魔か、いじめっ子全員への復讐しかなかったと思う。

そうならなかったのは、ある日F1特集を見たからだ。

佐藤琢磨の生い立ちとか生き様を見て憧れて、F1に関わるエンジニアになりたいなぁと思った。

どうせ死ぬんだという思いで大検資格勉強を始めて、地元国立大学合格したのは26の時だった。

大学院まで行くつもりでいたので卒業は32になる事は分かってたし

その年でF1に関わる可能性のある大手自動車メーカー就職するには余程の能力がいる事も理解していた

から必死勉強した。

死んだ気になって頑張ったけど、幸いにして勉強プログラミングも楽しくて、自分に合っていたのか余り苦にはならなかった。

自動車部所属して機械いじりをするのも、とても楽しかった。

一歩踏み出す事に恥ずかしさを感じた時にいつも考えていたのは、どうせ既に私は死んだ人間だって事だけだった。



現在の私はF1に関わる事は出来ていないけど、念願かなって自動車制御プログラムを作っている。

今でもいつか会社F1に参入する日が来たら、私に声がかかる事を夢に見ている。


君は私が22歳だった時よりも、よっぽど恵まれ人生を歩んできていると思う。

自分を育てるのは、これからだって遅くないぞ、と中卒引きこもりで22歳を迎えた私から言いたい


追記

コメントを沢山いただいてありがとうございます

カッコいいとか・・・そんな大した話でもないですよ。

私に本当に力があれば、HRD SakuraPUに関わる仕事をしていたのだと思います

でも、それが果たせてないという時点で、力量のほどはお察しいただきたいという感じです。

どん底から社会復帰できたけれど夢は実現できてない、そんなオジサンしかありません。

何もカッコよくなんてありませんよ

2018-07-18

https://anond.hatelabo.jp/20180717173436

ハロワプログラミング講習うけて、PythonとRが少々使えたらOJT大学とかで時給1000円以上、トイレ好きな時に行ってOKバイトとかありそうですが。

あとは、高卒認定試験(旧大検)くらいとれないもんかね?

それと病状をよく知らないので失礼ながら、大腸がんだった知り合いの経験からオムツ人工肛門のほうが楽だったりすることはないでしょうか?

2018-06-26

anond:20180626190333

大学については詳細は伏せるけど正直自分も同じくらいなのと(トラバのどっかに書いたと思うが大検で入った)、他で言及したけど自分なんかよりずっと高学歴人間ほどアカデミア沼に嵌った無敵の人予備軍が多いことから、あまり驚いていない。ついでに精神ねじくれた奴も多い。これは自分がそういう人間からそういう知り合いが増えるというだけかもしれないが、いずれにしても学歴が高いからといって、というより、むしろ世間的にいわゆる高学歴に分類されるからこそ彼はあそこまでやれたのだと思う。また、これは後で知ったことだけど、低能先生氏はなんだかんだできちんと言い負かされると負けてしまう事がよくあったと言っているエントリを見たし、それは元エントリにも似て彼なりの最低限のプライドだったのではないかと思っている。

anond:20180626112704

一つ大きく思えるのは単に当時自分が若かったからで生徒生活学生生活に支障をきたしていたからと、居場所が出来てしまたからだ。でも低能先生氏にも年齢を考えれば多分ゼロ年代インターネットにいたはずだし居場所の一つくらいはあったんじゃないかと思う。じゃあ更生できたかどうかの違いはなんなのか。それは多分、彼がいわゆる無敵の人生活に支障をきたすもクソもないから止まれなかったからとかそういう事には無いと思う。

単純に脳が破裂しそうで物理的に辛かった。そして鬱病で死にそうだった。だからやめた。自分は今でも顔の見える煽りが怖い。本当に怖い。そこでラップみたいとか言及してる有象無象はどうでも良いんだが今でも顔の見える人間(顔ってユーザーidかのことな)に煽られるのが本当に怖い。未だに復讐心で壊れそうになる。マジで勘弁してほしい。怒りで頭が破裂しそうになるのが本当に辛いんだよ。煽られた瞬間の条件反射で何週間も引きずるから辛くてそういうサイト使用するのを徹底的に避けてた時期もあった。やっぱり鬱病が一番大きいと思う。鬱病じゃなくてもなんでも良いけど、死を感じるくらいの大病。

あの時のことを今でも覚えてる。大学何年生かの時に(大検で入ったよ)、酷く理不尽理由教授に怒鳴られた。それだけで2週間が一瞬で過ぎた。2週間、頭の中はずっとその教授をどうやって殺害するかという事でいっぱいだった。[ここにどうやれば無罪で殺せるかの当時の妄想が垂れ流されていたのだけど流石に恥ずかしいので消してから送信することにする]。たった一回怒鳴られただけで頭がずっとぐーるぐるぐーるぐる。2週間ずっと。辛いんだよ。何が辛いって実行に移すほどの能力も無いチキンから辛いんだよ。だからずっと怒りで頭が煮え滾って壊れそうになる。解放されるにはたった1回怒鳴られただけで2週間耐えるか、相手を刺し殺すかしかない。それでもうこういうの無理だなって思ってインターネット積極的に人と関わるのをやめた。当時既に鬱病がかなり進行していただけで、別に更生したんじゃなくて単に体が保たないから続けられなくなっただけだった。それに自分は運良く当時の2chという場所的にも年代的にもどう足掻いても相手の素性が知れない本当のanonymousの中にいてそこでいじめられっ子としての刑期を終えていた。だけど今でも激情的な性格は残ってしまっている。自分がもし低能先生氏と同じことを続けていたらいつか自分も刺してたと思う。自分は運が良かっただけ。

人生の何処かで重い鬱病になって頭マジで壊れそうになってたら死が怖すぎて脳がそれ以上壊れそうな事は低能先生もしなくなっていたかもしれない。何か疾患を抱えている人なら分かってくれるかもしれないけど、体の内側から忍び寄る死って本当に怖いんだよ。言葉になんか出来ねえよ。刑務所死刑なんかよりずっと怖いよ。小さい頃からずっとやってた事や、復讐なんてどうでもよくなるくらい、自分過去なんて全部どうでもよくなるくらい、もうあと1時間生きてられたらどうでもいいって思えるくらい、この苦しみから解放されるならもう何を捨てても良いってくらい、脳がそれ以上壊れるのが怖かった。病気は頭と心臓に近ければ近いほど怖い(他の疾患を抱えている人がご不快に思われたら申し訳ない)。単に激情的なだけだったら自分もやめてなかったと思う。

 

結論をこの行に書いてしまうと自分みたいな人間が更生する方法は頭か心臓病気になって自分激情的な性格物理的に耐えられなくなる以外に自分は知らない。

2018-06-21

底辺発達障害者の半生とは

新幹線ナタ事件前後、時期的なものもあって秋葉原事件も注目されるようになり、加害者発達障害が疑われて親の責任の有無だとか、事件の背景にあった加害者の養育環境等について語る人をちょくちょく見掛けるようになった。

どちらも他人を加害する時点で庇いようが無いのだけれど、「他人迷惑考えろ」なんて今まで社会(他人)からリターンを受けていない人間には全く響かないよなあと割と近しいポジションにいるつもりの私は思います

セーフティネットに引っ掛からなかった発達障害者は悲惨です。うちはみんな自覚がないけれど恐らく母親兄弟みな発達障害でした。

ひとつ底辺底辺逸話として幼い頃からの私の生い立ちを書くと、

・兄と父に性的虐待を受けていた上エロ本普通に転がっている家だったので奇矯発言が目立ち保育園小学校で仲間はずれ

・兄が万引きお小遣い貯金箱お年玉を隠していても探し出して盗み、母も「バレるところに置いておくから悪い」と咎めない。母に預けると生活費に消えて戻ってこない

・父は家に寄り付かず母は夜の仕事で不在。年の離れた姉と兄に世話を丸投げされていたが、二人が放棄したため小学校に上がったあたりから朝食抜きで学校で倒れ、先生から家庭に連絡

・髪はぼさぼさ、汚い身嗜み、ランドセルは空で家庭に連絡

・結果恥をかいた!と私が叱られグーで殴られ一晩フローリング正座

常識を知らないため発言がずれている&空気を読めないので保育園から全てのコミュニティ孤立小学校高学年からはいじめられる

中学校でもいじめられる。弁当を作って持っていけと言われるが冷蔵庫は空

・昼食を食べないので家に連絡→殴られて昼飯時は隠れるようになる

この頃から上の兄弟は自立したため夕食頃は一人に。冷蔵庫に何もないことを母自身自覚しておらず怒鳴られるため毎食卵と白米。学校はいじめられているので遅刻するようになり、家に連絡が入って母に殴られるの繰り返しが高校まで続く

児童相談所学校の勧めで通うようになるが、母が「うちの子障害者じゃありません」と行かなくなる

高校中退引きこもる

大検を取ったので進学したかったが、働こうにも人間関係での成功体験がないため働きたくないのではなく人間が怖くて働けずに引きこもる

ちょっとバイトするけれど緊張で頭が真っ白になってうざがられてまた引きこもる

・五年引きこもった末に家を追い出され遠方の祖母の家に預けられる

アルバイトで失敗しながら社会を学んで正社員になろうとしたが、ネックだったコミュニケーション改善された(黙っていること、差し支えない程度に人と関わらないようにすることができるようになった)のは二十代半ば、それ以降は注意欠陥の細かいケアレスミスで大問題を起こして終了

自分が追い詰められてくると他人の話やざわめきが全て自分悪口に聞こえるようになり逃げるように退職

・一週間続けてでさえまともに出勤できなくなる

・躁鬱の波に勝てない

生活出来ずに借金がある

・三十で転職十回、もう派遣でさえ紹介してもらえるところがない

沢山の方にここまでご迷惑をおかけしている自覚はありますが、働かなければ生きていけずどんどん深みにはまった気がします。私だって成人式振袖を着たり祝ってくれる親が欲しかった(上の姉は振袖を買って貰ってました)し、恋愛結婚普通にしてれば余程の事がない限りできるという書き込みを見て本当に胸が痛い。結婚とか子供なんて機会があっても怖くて無理です。私が殺しそう。

メンヘラ系の女の子職場いたことがあり、私に色々と打ち明けてくれたのですが人に言える不幸と言えない不幸があるよね。私のこれははずかしくて言えない不幸。

社会お金で助けてくださいと言わないので安楽死させて欲しいです。

2018-06-16

anond:20180616220502

あなたの3~4倍生きてるおじさんおばさんは人生に取り返しがつかなくなっている人も多いけど、あなたの年齢ならまだいくらでもどうとでもなるよ。

通えるなら通い続けるもよし、大検とって大学行くもよし。

2018-03-22

2018年アニメ宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その1

 1~12話まで観たけど、とても刺さった。私なりの観測範囲でよく話題に上がっていた作品なので、便乗して感想を書く。まだ観てない人向けにネタバレなしレビューも書いたので、リアルタイムで13話を観るキッカケにでもなれば。

 あと私はあまりリアルタイムアニメを見るのが得意ではない方の人のだけれど、コレはコレで楽しいな、と思った。制作者のインタビュー探しやすいし、それに対するファンの反応見れたり、各話ごとに視聴者の反応をリアルタイムで知ることも出来てより深く作品を知る機会に恵まれてる。何より楽しい。この感想もそういう色んな人達の発信した悲喜こもごものお陰で書くことが出来たので、日々感謝するばかりだ。ありがとう

 2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その2

 2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その3

全体的なレビュー(まだ観てない人向け)

初めて1,2話を見たとき感想

 ノゲノラスタッフによる作品というキャッチコピーだが、内容的にはいしづかあつこ作品ハナヤマタ」に近いものを感じる。ハナヤマタ中学生たちの優しい世界とするなら、こっちはもう少し、冒険をするときのワクワク感がある作品。両作とも「ギャグテンポが良い」「1話毎に話がまとまってる」「女の子がみんなかわいい」「すごく救いがある」と言う共通点がある。特に1話毎の完成度が非常に高く、好きな話を何度も見返したくなる作品だなぁ、と感じた。メインキャスト4人のメンツで既にざわざわしていたのだけれど、なんてことはない、高レベル喜劇を演じられる実力者揃えたからっていう。

12話まで観た感想
リアリティ

 協力:文部科学省国立極地研究所海上自衛隊、SHIRASE5002(一財)、WNI気象文化創造センターとあるように、すっごい詳しく取材した上で作られているアニメ。「JK南極を目指す」という触れ込みは軽くSFチックなんだけど、現実に即した物語と美麗な背景美術で描かれる世界はとてもリアリティがあって、それ目当てだけでも観ていて楽しい小ネタも満載で、「昭和基地施設内にある厨房の戸棚に書かれている落書き」まで再現していたりする。そういう世界の中で描かれるキャラクターたちは、監督メインキャスト4人の演技を「それぞれのキャラクターが本当に生きている」と評したように(公式ラジオ11回より、水瀬いのり談)すごく活き活きしていて、本当に生きた人間の成長過程を見ているようであるキャラデザも緻密に作られていて、鼻の形にまでちゃん意味が込められているんじゃないかと思わせるくらいのクオリティに仕上がっている。バカみたいに表情豊かなので、同じ話を何度観ていても飽きない。そんな彼女たちの心の機微徹頭徹尾とても丁寧に描かれている作品なので、非常に感情移入ハードルが低い。また絶妙音楽による演出はより作品への没入感を加速させるので、そのうち彼女たちが何気ないことでヘラヘラ笑ってるシーンでさえつられて笑ってしまうくらいシンクロ率が高くなる。もはや音楽に心を委ねているだけで自然と、面白いシーンで笑い、悲しいシーンで泣き、嬉しいシーンで泣けるようになるので、そこら辺に意識を向けながら観てほしい。ただハマりすぎると「むせび泣きながら大爆笑する」という稀有体験をすることになるけれど。

何回も見返したくなる

 この作品を観ていて強く感じたのは「何度も見返したい」という点。一つ一つのシナリオが高いクオリティで完結している、というのもあるのだけれど、加えて本作では「4人の成長」が大テーマになっていて、各話には彼女たちの成長を如実に感じられるよう伏線をたくさん張り巡らせてあるので、話が進めば進むほど彼女たちの行動一つ一つに宿る物語を思い出しては強く感動する…という構成になっている。なので、「このシーンでこの子がこういう行動を取ったのって…」と気づく度に過去回を見返したくなるような、非常に完成度の高いエンターテインメント作品だと思う。

宇宙よりも遠い場所

 (物理)という意味もある。物理的に行くのが困難な場所を目指す物語としてすごく完成された作品だし、「リアリティがあって、かつほんとに行けるか分からいくらハードルが高くてワクワクするような目的地」というつくり手の戦略はすごくハマってると思う。

 一方で心因性の「宇宙よりも遠い場所」ってあるよね、というもう一つの意味も丁寧に描かれている。例えばそれは誰かにとって「メッチャ高い目標」、あるいは「何も変えられない自分から、何かを変えられる自分への転身」、「誰かに依存し続ける自分との決別」、「まだ見ぬ友達のすぐ隣」なのだけれど、大切なのは勇気を持って最初の1歩を踏み出すことだよね、ということを描く物語がこの「宇宙よりも遠い場所」というタイトルに込められていると感じた。私が1~12話全部が好きな理由は、すべての話が「最初の1歩を踏み出す物語」になっているから。ED曲「ここから、ここから」もそれを象徴している。ちなみにEDタイトルは、作曲者が近所の散歩中に[ここから~]という道路標識を見つけたことが由来らしい(本人ツイッターより: https://twitter.com/higedriver/status/968006184413249536 )。

イッキ見非推奨

 とにかく笑って泣ける作品なので、イッキ見をすると顔中が痛くなる。普段表情筋を使っていない私のような人は体調に気をつけて観たほうが良いかも。

13話の放送情報

<<放送情報>>

AT-X・・・3/27 20:30~

TOKYO-MX・・・3/27 23:00

BS11・・・3/27 23:30~

MBS・・・3/27 27:00~

<<配信情報(最速のみ)>>

d'アニメストア・・・3/27 20:30~

AbemaTV・・・3/27 20:30~

本作を観る順番のオススメ

 上記の通り何回も見返したくなる作品なので、私なりに観る順番を決めてみた(数字は話数、その右にある()内は注目するポイント)。少しでも楽しむネタになれば。

1-2-3-

4-1(キマリの想い)-2(報瀬、日向観測隊の想い)-3(ゆづの想い)-

5-[1-2-3-4(キマリ一家)](めぐっちゃんの表情)-5-

6-3(報瀬と日向関係)-4(報瀬の想い)-

7-1(キマリの想い)-3(ゆづの想い)-4(報瀬と隊長)-5(冒頭撮影シーンのつながり)-

8-1(キマリ)-4(4人)-5(4人)-7(4人)-

9-[1-2-3-4(報瀬と隊長)-5-7(報瀬と隊長)](ほんとに南極行けるの?だって南極だよ?)-9-

10-1(報瀬にとっての友達)-3(ゆづにとっての友達)-4(4人の仲)-5(4人の仲、めぐっちゃん)-6(4人の仲、報瀬と日向)-8(4人の仲)-10-

11-2(日向)-3(日向)-4(日向)-5(日向)-6(日向)-7(日向)-8(日向)-9(日向)-10日向)-11-

12-1(報瀬)-2(報瀬)-3(報瀬)-4(報瀬)-5(報瀬)-6(報瀬)-7(報瀬、隊長)-8(報瀬)-9(報瀬、隊長)-10(報瀬)-11(報瀬)-12-

13

オススメの順番で見た場合の話数は合計67話になった。

各話ごとのレビューネタバレあり)

1話

「じゃあ、いっしょに行く?」が刺さりすぎた件

 私事になるのだけれど、ほぼおんなじことを言われた経験がある。何年か前に高校同窓会に行ったのだけれど、その中に青年海外協力隊に参加した経験者がいた。元々興味があったのでかなり前のめりに話を聞いていたのだけれど、そんな私を見た彼が「じゃあ、行く?知り合いに話してあげるよ」と言ってくれた。けど私は行かなかった。その場であれやこれやと行けない理由を話した覚えはあるけれど、要はそういうことなんだろう。だからこうして一歩踏み出そうとして出来なかったり、そのくせ踏み出そうとしてる友達応援してみたり、そんな自分が嫌いなったりしているキマリの姿を丁寧に描く1話は私に刺さりすぎた。

いしづかあつこスカート

 アニメを含むコンテンツに触れているとよく、「スカート体育座り」というシチュエーションを見る。…けど、私は「そそそそのスカートで座ったらパンツ見えちゃう!?」ってなってしまって結構苦手である最近アニメ作品では絶対パンツが見えないような工夫がされていることが多いけど、その多くは「神様視点では見えない(脚でパンツ隠すやつとか)」あるいは「重力無視したスカート」のどちらかである。どちらの手法でも非常にもやもやしてしまうので、「どうやってスカート履いてる女の子が座る姿を自然に描くか」という表現技法にずっと興味があった。

 そこで1話 14:05頃を見て欲しいのだけれど、キマリスカートの下に手を回してる座り方がすごいかわいい。自然仕草かつ可愛いだけでなく、キャラクター自身が見られないよう意識している事がわかり、それも含めて可愛い。とてもよく出来ているシーン。

 この手法は、監督いしづかあつこ絵コンテ担当した作品ハナヤマタ」(2014年)の1話 13:40頃でも見られることから監督のこだわりなのだろう。些細な事だけど、私が監督を好きな理由の一つである(余談だけど、同氏が絵コンテ担当したノゲノラ1話ではワンピースを着た”白”が自室でベターっと座ってパンモロしていて、彼女のだらしなさを簡潔に表現している。座り方一つでキャラクター性格を描くという点では一貫していてすごく好き)。

放課後学校の音

 色んなアニメで登場する「放課後学校の音」を比較するのが好きなんだけど、よりもい1話放課後の音がとても好きなのでぜひ聴いてほしい。男子生徒の会話する声、吹奏楽の音、陸上部あたりのホイッスル等、非常に音が豊か。

マリかわいい

15:05頃 「宇宙よりも遠い場所」を読むキマリかわいい

2話

「嫌になったのなら嫌になったって、そう言えばいいじゃない!」→即和解

 めぐっちゃんの「南極に聞いた?」を見た報瀬がムッとした表情になり、キマリ心配に対してつっけんどんに拒絶してしまうという流れから、今まで散々「南極」とからかわれたり、あるいは仲の良い人から諦めるよう説得されてきて、その度に彼女はどんどん強情になっていった報瀬の過去を思わせる。それでもすぐに和解できたこからいかに二人が1~2話の間に信頼関係を築けたかが分かる。また、二人が言い合った場所が敢えて交差点であることも強い印象を残していて(作品を通して交差点が登場するのはこの時のみ)、非常に好きなシーン。

歌舞伎町潜入→失敗→逃亡→捕まるくだりの作画がすごい

 目まぐるしく変わるシーンの背景がいちいちハイクオリティ。その中を複数キャラが、文字通り縦横無尽に走り回る本作で最も激しいアクションシーン。コマ送りで見ると楽しいアニメ作品において、キャラが奥→手前のように奥行きのある移動をする際、作画が安定してるって結構すごいことだと思う。

奥→手前

右→左

奥→右と左に分かれる

奥→手前

右→左

手前→奥

奥→手前

手前→奥

右→左

奥→手前→右

右→左 …みたいな。3人が歌舞伎町に来るまでは夜道=街灯もない真っ暗な道という描写だったけれど、このシーンでは対照的に明るい歩道きらびやかネオン、往来する人なんかが強調されてて、キマリ心象風景可視化されてるみたいで好き。

 加えて疾走感の演出がすごく良い。キマリ最初、すっげー速い隊員と日向に比べてヘナチョコ走りなんだけど、挿入歌の盛り上がりに合わせてどんどんフォームが良くなっていく。たった一人だけ笑顔で走ってるキマリの高揚感がすごく伝わってきて、胸がいっぱいになる。

1話と2話で変わる、100万円の意味

 1話100万円…報瀬の並々ならぬ覚悟象徴する舞台装置、またそれに応えるキマリ覚悟の大きさ

 2話の100万円…スポンサー料として提示した金額。ハッキリ言ってゼロが足りない。その申し出を断ったかなえからは、大人組が報瀬の「絶対南極へ行くという想い」を超えるくらい強い意志を感じさせる。

 だからこそ、追い返された帰りの電車内で報瀬がちっとも折れずに「こいつ、ポジティブちゃん・・・」ってなるやりとりが非常に効果的な演出になっていて好き。

 これ以降も重要舞台装置になっていて、ただの札束をここまで丁寧に描く作品ってすごいと思う。

マリかわいい

17:40頃 「私の青春、動いてる気がする!」のキマリかわいい

3話

リアリティ

 特に2~3話は「さもありなん」と思わせるシナリオになっていて、非常に面白い。この作品リアリティを感じた人はよりもい公式ページの「南極チャレンジ」や、観測隊の日記等を見て幸せになってほしい。

報瀬の家におけるやりとりから察する、ターゲット年齢の高さ

 報瀬家ではリーダーを解任された報瀬が不満を漏らすのだけれど、お茶を出しているところを見て「お茶くみに格下げか」と気づいた人はどれくらいいるだろうか。また、後ろにそっとおいてある南極観測船「宗谷」にも気づいた人って最低でも30代だと思うのだけれど、そこらへんがこの作品ターゲットなのかもしれない、と思った。私もアラサーだし。

報瀬(CV.花澤香菜)でよかったと思った

 同じく報瀬家でのやりとりにおける報瀬(CV.花澤香菜)の演技が抜きん出て面白い。本当に素晴らしいキャスティングディレクション&演技だと思う。

少ないセリフで描く心の機微

17:20

「変な夢…」→夢と違い、殆ど開かない窓→スマホを見て目を細める結月→バッジのないSNSアプリ(前日送ったチャットの返信がない)→退出しましたx2→後ろ姿→\コンコン/→一瞬窓を見る→\コンコン/→「おはよー!」

 この間セリフがないのに、それでも結月の心の浮き沈みが痛いほどわかる演出がすごい。本作の特徴である、丁寧な心理描写伏線の貼り方を象徴しているシーン。

マリかわいい

07:20頃 こんな事もあろうかと用意しておいた”二人羽織”(書・キマリ)の、”二人羽”に比べて小さい”織”

4話

高校ネタとして鉄板の「学力テスト回」がない理由

 高校生が主人公アニメ漫画では学力テーマにした回が定番だけれど、この作品ではキマリ家での悲劇が描かれるのみ。なぜかといえば、4人のうちちゃん学校に通っているのが2人だけだから。加えてゆづは通っている学校と学年も違うので、学力テストテーマにしにくい。てかそもそも女子高生を描くアニメ学校に通っていない子をメインにするという発想に惚れた。でも4人のスペックについてはうまく描かれていて、

マリ…部屋の片付けが苦手、一つでも赤点取ったら南極に行けない、コンパサー→基本はできない子

報瀬…キマリ説教する日向同意する、慎重に測量の訓練をする→できる子?

ひなた…高認(x大検)も取ってるし、合格判定もA→できる子

ゆづき…学校に行けない分ファミレス自習数学ノート(図形の作画が非常に丁寧、字が綺麗)→できる子

 南極での作業フェーズではそれぞれがいろんな作業をするので、できる子なのかできない子なのか分かるっていうのはそれなりに意味があるんだけど、それを「勉強の出来不出来を数字で表す」という無意味評価軸に頼らない演出にしてて好き。

マリが好きになった話

 「ここじゃないどこかへ」というモチベーションでここまで報瀬に付いてきたキマリ。それだけでもすごいのに、そのうえ報瀬の想いや大人組の想いを知った上で「みんなで行きたい!」と言ったキマリの鋼メンタルが描かれている。報瀬たちと同等の覚悟がないとこんなこと言えないはずで、物語の縦軸を担う報瀬ではなくキマリ主人公であることを再認識した大好きなシーン。

マリかわいい

16:35頃

マリうるかにしてください(キリッ)」

ひなた「いいからやめろキマリwww

マリうぇへへ…www」←かわいい

2018-01-22

anond:20180122121733

自分同胞兄弟姉妹のことを医学分野では同胞と呼ぶ)の病名を知らないってどういうことだ。

無関心ってレベルじゃねえぞ。

あくま予測だけど

「軽度知的障害

「軽度知的障害を伴う広汎性発達障害」(自閉症アスペルガー症候群などは広汎性発達障害の下位分類です)

「軽度知的障害を伴うADHD(不注意優勢型)」

あたりでは?

父親の「現代の贅沢病」発言からすると、そこに二次的な併存障害として「適応障害」あたりもあるのかもしれんな。

もしも発達障害であれば父方から遺伝が疑わしいし、そうなればキミが産む子供にも関係してくる問題なんだけど、分かってんのか?

……ていうか、「大検」は約13年も前に「高認」に変わっただろ。

妹と最後に話したのいつだよ。13年以上前の話なんか?

2018-01-19

anond:20180115013925

昼間定時制高校はどう?

私の通っていた昼間定時制はこんな感じでした。

・通ってる人は、不登校だった人、高校をやめた人、スポーツ選手になろうとして高校に行かなかったが怪我等でリタイアした人。

・年齢層は15歳~22歳くらいが多かった。

単位制だった。好きな授業を大学のように自分で決めて学習できる。

時間割自由に組めたため、週4で通い、週3でフルタイムバイトすることができた。

文化祭運動会はなかった。修学旅行任意で参加率10%程度。

定時制なので大学入学資格検定(今はなく高等学校卒業程度認定試験に変わっている)を受験することが出来た。

大検合格科目を高校単位に読み替えできたし、高校単位大検免除科目とすることも出来た。

・昼間通えるので、夜時給の高い仕事ができた。

・男女比率とんとん結構可愛い子も多かったし、イケメンも多かった。もちろんアキバ系も。

運動部は1,2勝すれば全国大会へ行ける世界

・私から見てもバカが多かった。英語アルファベット26文字書く授業から。なお、書けない人もいる・・・

・それでも、数学3Cとか、保育とか、商業工業プログラミングなどなど、特化したければ難易度の高い授業も取れるし、その授業に来る生徒はガチで頭いい。

・3年間で卒業できる(大体の定時制は4年)

願書は余裕で間に合うよ。

でも、君、高校卒業してるんだよね。

はっきり言って大学のほうが楽しいぞw

俺は22歳で入学したし、大学2回目という人も同期にいた。

年齢隠してなかったけど、年齢を知ると、ストレート大学へ来てる人たちは急に敬語になるし、

先輩ですら、敬語になったりするものから必要なければ言わないようになった。

合コンしまくったし、いろんなイベントサークルに顔出したし。

そんでもって、高校時代とは違って、みんな頭いいんだよな。

高校と違って、今から大学受験とか、手遅れ感あるし、

いい大学狙えなさそうだから、1年予備校いくとか。

私は2回目の高校休学して、1年予備校通って、大検使って大学進んだけど、

1年で中高6年分の勉強は大変だったけど、予備校前と大学入学後の学力は段違い。

21歳も22歳も変わらないし、一度真面目に学力上げて、できるだけ上の大学狙ってみるのもいいと思うよ。

正直、大卒ってだけで、日本じゃ大分楽になれるからどこでもいいっちゃいいのかもしれないけど、

つのラベリング効果受けるから偏差値高い大学のほうが気分も待遇大分違うはず。

人生、やりなおすのに遅すぎるということは絶対ないんで、

本当に高校行きたいと思ってるなら、迷わず行くべし。

先のこと考えて生きてる人間なんて1割もいないんじゃないかと。

もちろん、考えて生きてる人たちは、ほとんど成功してる人たちだけど。

少なくとも、匿名掲示板でぼやいて、匿名で煽る人たちのネタになって、嫌な思いしてるよりは、

かに有意義だと思うよw

高校受験してみて、失敗したらそれはそれ。

2回目の高校に無事通うことになって、やっぱり気が変わったとしてもそれはそれ。

やって後悔するほうが遥かに有意義

もちろん、やってよかったと思えたら、大勝利

とらわれていることがあると人は成長が止まる気がしてる。

まずは、君の視界を晴らそう。

高校受験するんだ。そして、通うんだ。

予備校はいつでも受け入れてくれるよ。営利目的でやってる会社なのだから

大学行きたくなったら、高校辞めて予備校行けばいい。

21歳で生きてる意味・・・とか早すぎない?

とりあえず、10人恋人作ってから考え直してw

2017-12-27

人生物語は要らない

 先日ホッテントリに上がっていた単著持ち増田のエントリを読んで、そういえば自分も増田が原因で本を書いたんだったと思い出した。


 数年前、初めて増田に文章を投稿したら2000ブクマ付いた。「文才がある」「物書きとして食っていける」とか言われたので、24万字の文章を書いてKindleで出版した。ぜんぜん売れなかった。人の言うことを安易に信じてはいけないと思った。

 そのあとまたホームレスになったので(2年ぶり3回目)しばらく福島で除染作業員として働いた。除染と言うと何か特別なことをしているように聞こえるけど、実はただの土木工事である肉体労働は久しぶりだったけど、小難しいことを考えず黙々と目の前の作業に打ち込んでいると、頭の中の不純物が取り除かれていく感じがした。

 そうだ、僕は物書きになりたいなんて思っていたわけじゃない。そんなものは誰かから押し付けられた「物語」でしかない。いままでも「元ホームレス成功者になる」みたいなステレオタイプな物語を押し付けられたことは何度もあったけど、いつも心の中で蹴り飛ばしてきた。なぜ今回に限って勘違いしてしまったのか。


 福島では相馬市松川浦という観光地にある旅館に住んでいた。国からの補助があるので宿泊費はかからなかった。旅館だけあって飯がめちゃくちゃうまかった。直前までわりと本気で食うや食わずの生活をしていて、就業前の健康診断で「就労可能です」のハンコの横に「貧血症――経過観察お願いします」とか書かれるレベルだったけど、1か月で元の体重に戻れた。

 そしてこういう現場に集まる人間というのは基本的ろくでなしばかりである。入ったばかりの給料を数日で飲み代やパチスロに使ってしまい、すぐに前払い制度を利用するはめになるような、そんな人間ばかりだ。同じろくでなしとして、とても居心地がよかった。やはり自分はこちら側の人間だと思った。

 そんなわけでしばらくここに居着こうと思ったけど、東北の夏は意外と暑かった。僕はそれまで日本の東側に来たことがなく、東北の夏なんて京都盆地の夏に比べたら余裕だろとか思ってたけど、ぜんぜん余裕ではなかった。しかも仕事中は半袖作業服禁止で、手袋は三重、さらに安全長靴にヘルメット、高性能防塵マスクというフル装備で、炎天下の中、延々と作業するのだ。このままでは干物になってしまうと思い、涼を求めて北海道へ行くことにした。


 割のいい仕事をしたおかげで金はそこそこあったので、JRの青春18きっぷを使って道内をしばらく旅した。

 旅の途中、いろんな人に出会った。日本一周中のライダーチャリダー、本州でこういう人に出会う機会は少ないけど、北海道ではさほど珍しくない。彼らには独自の文化があるようだった。こういった旅人向けに格安で宿を提供するライダーハウスの存在も教えてもらった。ライダー専用のところもあれば、旅人なら誰でもウェルカムみたいなところもあるようだ。

 美瑛にある「蜂の宿」というライダーハウスはめちゃくちゃ居心地がよくて、しばらく沈没してしまった。同じように沈没中の旅人が多く、宿を出るときは少しバツが悪くて、朝早い時間、夜逃げのように出発した。稚内の飲み屋では一人旅の女性客に「函館に住んでるから着いたら連絡してね」と電話番号を渡された。でもいざ函館に着いて連絡しようとしたらだんだん死にたくなってきたので忘れてたことにして函館を後にした。小樽のライダーハウスではなぜかオーナーに気に入られて「上の階の空き部屋に住んでいいよ」と言われたけど、結局置き手紙だけ残して去ってしまった。

 そんないつも通りのあれこれがありつつ、最終的に札幌でクソボロいマンスリーマンションを借りて住み始めた。


 札幌では2年ほど暮らした。つまり冬を2回越した。

 石狩平野ドカ雪が多い地域で、昨日まで普通だった街の景色が、朝起きたら突然、一面の銀世界になっていることも珍しくない。人の背丈より高く積み上げられた道路脇の雪。凍った路面をすいすいと歩いていく人たち。数センチの積雪で大騒ぎになるような地域に住んでいた僕には、すべてが新鮮だった。海外を旅したときも自分がいかに世間知らずかを思い知らされたけど、同じ日本でも住む土地が違えばこんなに空気も文化も違うのかと思う。

 そうだ、僕はあまりにも世界を知らなさすぎる。ホームレス経験があるからなんだというのだ。「なんでも知ってるゲンさん」みたいなステレオタイプキャラクターはどこにも存在しないということがわかっただけじゃないか。インド東南アジアを旅したからなんだというのだ。日本の近所をちょろっと見てまわっただけじゃないか。アメリカにもアフリカにもヨーロッパにも行ったことがない。政治も経済も科学も宗教も、本当に何も知らない。

 もっと世界を知りたいと思う。いままで自分ひとりで知識や経験を積み重ねてきたけど、もう限界だと思った。独学には「体系的に学べない」という決定的な限界がある。だから大学へ行こうと思った。もっと世界を知るために、僕には高等教育が必要なのだ


 しかし僕は中卒なので大学へ行こうにも受験資格がない。まずは高認(旧大検)を受ける必要があった。とりあえず過去問ざっと目を通してみると、文系科目は特に対策しなくても合格点を取れそうだったけど、理系科目は壊滅的だった。数学なんて問題文の意味さえわからない。やべえよ。

 コールセンターWindowsテクニカルサポートの仕事をしつつ、参考書と格闘する日々が始まった。途中で何度も心が折れそうになったけど、数学が扱うのは実体のある数(かず)ではなく、数(すう)という概念なのだということがわかってから、唐突に理解できるようになった。数を感覚的に扱えるようになり、数式の手ざわりがわかるようになった。

 勉強時間の半分くらいを数学に費やしたおかげもあってか、本番の試験では90点を取れた。分数の足し算すらあやしかった状態からここまで持ってこれたのだから、まずまずの結果だろう。国語は無勉強で満点取れたので、読解力は普通にあるようだ。他人の評価は主観が混じるので話半分に聞くけど、こういう機械的な評価は信用できる。英語も無勉強で満点取れるかと思ったけど、2問ほど間違えた。どちらも穴埋め問題だ。自分でも文法力が足りてないことは自覚していたけど、やはりその通りだったようだ。他の教科もなんとか70点以上をマークし、無事、高認に一発合格した。

 これで大学受験の資格は得た。学力はまだぜんぜん足りてないけど、土台部分は構築できたはずだ。これからさらに何年かかけてこの上に知識を積み重ねていくとして、次に考えるべきは資金の問題だろう。無給で4年間大学に通うなら最低でも800万、できれば1000万は貯金しておきたいところだ。しかしこの額はさすがに札幌の労働単価では厳しい。やはり稼げるところに行くべきだと思い、住んでいた部屋を引き払ってまたホームレスになり(2年ぶり4回目)今度は東京へ向かった。

 ちなみに僕には家族も友達もいないので、こういうときバックパックに入りきらない荷物はウェブ管理可能なトランクルームに預けるようにしている。ダンボール1個分の荷物を月数百円で預かってくれて、いつでもウェブから出庫できるので、こういう生活スタイルにはとても便利な存在だ。


 いままであちこちを転々としてきたけど、東京に来るのは初めてだった。西成で暮らしていたときに山谷の話は聞いたことがあったので、まずはドヤで当面の寝床を確保する。西成みたいに1泊1000円前後で泊まれればしばらくそこで暮らそうかと思ってたけど、2000円前後が相場のようだったのでドヤ街からは早々に引き上げ、少し北上して南千住駅近くにあるシェアハウスの一室を借りて住み始めた。

 次は仕事だ。自分の持つスキルの中で最も金になるのは、やはりプログラミングだろう。上京する前にリハビリとして最新技術はひととおりさらっておいたし、その経緯を文章にまとめてQiitaに投稿しておいた。なぜかその記事は「文学作品」という評価を受けたけど。技術記事なのに……なんでや……。しかし職探しのときにその記事をポートフォリオとして使ったらめちゃくちゃウケがよかった。東京エンジニアが不足しているとは聞いていたけど、これほどとは。仕事も多ければ単価も高い。いままで自分が住んだことのある都市と比べると、京都・札幌の倍以上、大阪の1.5倍以上の単価だと思う。

 そんな感じで生まれて初めて金に困らなくなった(!)ので、まずは渋谷に引っ越した。JR渋谷駅ホームまで徒歩5分のマンションなので、主なオフィス街は自宅から30分以内で行けるし、渋谷にある会社ならもちろん徒歩圏内だ。ジュンク堂(東急)まで徒歩10分くらいで行けるのもすばらしい。近くに庶民派スーパーがないことだけが難点だけど、西友のネットスーパーに助けられている。いつも配送ありがとうございます

 次にPCを買い換える。生活スタイルの問題もあってここ数年はずっとノートPCを使ってきたけど、東京には腰を据えて何年か住む予定なので、ハイエンドデスクトップPCを買うことにした。WindowsLinuxどちらも使いたかったので、これまで通りデュアルブートにしようかと思ったけど、切り替えが面倒なのでWindows上の仮想マシンとしてLinuxを動かすことにした。開発は基本的にその中ですべて完結させるので、仮想マシンの中でさらに仮想マシンを動かす場面も出てくる。こういう使い方だとそれなりにスペックが必要だろうと思い、CPUはi7-7700K、メモリは64G積んだ。どうせハイスペックにするならいっそVR Readyにしようと思い、グラボは1080Tiにした。そんな感じでいろいろぶっこんでいったら最終的にPC本体だけで40万かかった。さらにDELLの34インチ曲面モニタ東プレの変荷重キーボード、HTC Viveとデラックスオーディオストラップ、等々、もろもろ合わせて最終的に総額60万以上かかった。半年かけて海外を貧乏旅行したときの旅費を軽く超えててさすがに草生えた。


 2017年末になってもVR市場は未だ揺籃期の様相を呈している。キラーコンテンツとなりそうなゲームはちらほら出始めているものの、起動直後の「おお! VRすごい!」からその後が続かないものが多い。

 そんな中で僕がハマったのはQuiVrという弓ゲーだった。ゲーム中で何度も繰り返す矢を放つ感触がとにかく素晴らしく、現時点で250時間プレイしている。まだアーリーアクセスだけど、毎週コンスタントアップデートが続けられていて、次々と新しい要素が追加されていくのも飽きない理由だと思う。でもその分バグが多く、プレイしていてだんだん腹が立ってきたので、Discordに乗り込んでバグ報告しまくっていたら、いつまにかベータテストに参加するようになっていて、いまではランキング上位プレイヤーのひとりになっている。

 Rec Roomもおすすめしておきたい。ユーザーコミュニティがとても活発なソーシャル系VRゲームで、RedditDiscordを覗くと、運営とユーザーが一丸となって、いいゲームにしていこう、いい場にしていこうと努力している様子がうかがえる。そのおかげか、マナーの悪いプレイヤーが非常に少ない。ハラスメント行為等はほぼ皆無と言ってよく、Fワードを使っている人さえあまり見かけないほどだ。ゲーム自体も、チーム戦のペインボールレーザータグ、協力プレイアクションRPGゲーム等、無料とは思えないほどのクオリティの高さなので、VR機器を持っている人はぜひやってみて欲しい。

 そしてそのRec Roomよりさらにコミュニティが活発なのがVRChatだ。もはや活発という次元を超えてカオスと言っていい。半年前に初めてログインしたときは10~20人くらいのユーザーがHub(ログイン直後のワールド)で適当にダベっていて、他のワールドにはまったく人がいない、みたいな閑散とした状況だったのだけど、今月初旬に同時ログイン数が1000人を超え、Discordオンラインメンバー数は2000人を超えた。現在は同時ログイン数3000人を超し、Discordオンラインメンバー数は4000人を超すような状況だ。どうも有名なYoutuberや、Twitchの有名生主といったインフルエンサーが最近こぞってVRChatを取り上げているようで、この爆発的なコミュニティ拡大はまだ収まる気配がない。デスクトップモードがあるので参加するだけならVR機器が不要だというのも大きいか。

 Rec Roomとは違いVRChatはコミュニケーション主体のソーシャル系VRゲームだ。ミニゲームは前者に比べて見劣りするものの、ユーザーカスタムアバターワールドが自作・公開可能で、これが海外のオタクたちの創作意欲を刺激したのか、黎明期ニコ動を彷彿させる盛り上がりを見せている。こういった事情によるためか、もしくは別の何かが彼らをひきつけたのか、実際のところはわからないが、VRChatのユーザーはほとんどが日本のアニメフリーク・漫画フリークだ。ユーザーカスタムアバターはそれらに影響を受けたものが多く、美少女キャラロボットモンスターが目の前を行き交う様は、まるで攻殻機動隊電脳空間のようだ。とはいえ現状では4chan的な文脈そのままの著作権ガン無視状態なので、前述の爆発的なコミュニティ拡大にともなって近いうちに問題になることが予想される。なんとかソフトランディングして欲しい。

 しかしこの未来感すさまじい仮想現実の世界にいると、なぜか昔のインターネットを思い出す。特にテレホーダイ時代の2ちゃんねるのことを。夜の11時を過ぎると一気に人が集まり、どこの誰とも知らない人たちと一晩中バカ騒ぎをして、朝になるとネット全体が静まり返っていた、あの懐かしきオールインターネット。VRChatをやっているとあの頃の記憶が蘇ってくる。ドイツ人ドイツ語を教えてもらったり、サウジアラビア人にアラビア語を教えてもらったり、台湾人に3Dマーカーペンで中国語を書いてもらって「おおー、漢字の意味なんとなくわかるー!」とか感動したり。そんな多種多様国籍・人種の人たちとアニメについて語り合ったり、アニソンをみんなで大合唱したり。MMDナイトクラブというワールドでMMDモデルダンスが見られるのだけど、ステージ上で踊る初音ミクを囲んで、みんなで一晩中踊り明かしたりもした。マジでなんなんだこのカオスな空間は。しかしこれだ。これがインターネットなのだ夜明け前の静けさと、どこか熱に浮かされたような興奮。それらが齟齬なく同居する、この奇妙な感覚。久しく忘れていたこの感覚を、強烈に思い出す。

 でもいちばん印象深かったのはラノベ朗読会だ。ある日、いつものように適当に外国人たちとダベっていると「いまからショーが始まるから来ない?」と誘われた。開かれた転送ゲートをくぐってみると、その先は100人以上収容できる劇場のワールドで、さまざまなアバターの人たちが観客席に座っていた。舞台上の主催者とおぼしき人は「みなさんお好きな席にご着席ください。いまから『転生したらスライムだった件』の朗読を行います」とか言っている。え、どういうこと? と思う間もなくショーが始まる。やたら渋い声で、VRならではの身振り手振りも混じえて、感情表現豊かに読み上げられていく、まだアニメ化すらされていない日本のラノベ(正確にはウェブ連載版の英訳版)。ああ本当に世界は広いんだと思った。自分の知らないことなんて星の数ほどあって、そのすべてを知ることは絶対にできないんだと、少し胸が苦しくなった。


 と、最近はVRの世界にどっぷりだったのだけど、遊んでばかりいたわけではなく勉強もしていた。特に英語だ。いままでリーディングリスニングについてはそれなりにできていたのだけど、文法力がないのでライティングスピーキングに関しては壊滅的だった。しかしVRを始めてから英語圏コミュニティ英文を書いたり、VRゲーム内で英語を話したりする場面が増えてきたので、文法を基礎からじっくりとやり直した。二十代の頃に文法をみっちりやったときは死にそうになるくらいしんどかったけど、今回はそうでもなかった。やはり目的があると吸収力が段違いだ。そのおかげか、ライティングに関しては文法間違いがかなり減ったように思われる。スピーキングはいまでもだいぶあやしいけど。客観的かつ機械的な判断が欲しいので、来月久しぶりにTOEICを受ける予定だ。10年前に受けたときのスコアは680だったけど、今回の目標は800に設定している。2年後くらいには900を目指したい。ここまで英語力を上げておけば、大学受験の際にかなりのアドバンテージになるはずである

 あとはやはり数学だ。英語の勉強が一段落したら、数Iの復習から始めて、数IIへ進む。僕が受験しようとしているのは文系(経済学部)なので必要ないかもしれないけど、余裕があれば数IIIに関してもどんなものかくらいは頭に入れておきたい。前回の勉強のときに、数学は小さな理解と小さな納得を積み重ねていくしかないということが身にしみてわかったので、この科目に関してはじっくり腰を据え、時間をかけて少しずつ勉強していくつもりだ。

 国語に関しては受験前に赤本で少し対策すればいけそうなので、あまり心配はしていない。その他の科目は最悪捨ててもいいけど、時間があれば知識を少しずつ補填していこうと思う。

 こんなやり方で本当に大学に行けるのかはわからない。すべてが手探りだ。たとえ行けたとしてもその先のことはわからない。この歳で「大学を目指している」なんて言うと、先のキャリアを見据えてのことなんだろうと勘違いされることが多いけど、僕の場合、本当に何も考えていない。大学で政治や経済を学んで自分が何をしたいのかなんてまったくわからないし、それが金になるとも思えない。卒業したあと食い扶持が稼げなくて野垂れ死ぬかもしれない。その可能性は決して低くない。以前と比べれば多少はマシになったように思えても、やっぱり基本的に僕はバカなんだと思う。

 でも同時に、それでいいとも思う。行動に理由なんていらないのだ、と。行動の理由なんて事前にいくら用意したところで、たいていの場合、それは建前やこじつけでしかなく、本当のところは後になってからしかわからない。ミネルバフクロウなのだ。後になってからしかわからないなら、後になってから知ればいい。いまは行動するだけでいい。そう思う。


 先日、久しぶりにKindleのストアページを見てみたら、あの24万字の本へのレビューが1件増えていた。

 やっぱり僕はこれでいい。こうして増田で誰に宛てるでもなく近況報告をしたり、Steamに長文レビューを投稿したり。誰が読んでいるかもわからなくて、でもたまに反応があったりして、それが少しくすぐったくて。

 特別なことなんて何も起きなくていい。夢も希望もなくていい。

 人生に物語は要らない。

2017-11-15

中学校中退後の軌道修正

卓球平野美宇選手が通ってる高校通信制高校大原学園高等学校)でした。

平日は卓球の特訓をして、土曜日かにスクーリング学校に登校するんだったかな?

学校に通わなくても、卒業資格が取れる高校もあるし、大検を受ければ大学受験もできる。

中学校ドロップアウトでもまだワンアウト。高校大学をいろんなコースを迂回しながら攻略する方法はあるよ。

 

あとその子の親にある程度経済力があるなら、日本学校じゃなくて、インターナショナルスクールに通わせてあげた方がいいと思う。

日本国内にあるインターナショナルスクール外国人の子弟が通う学校)に、日本人も入れる場合がある。

インターナショナルスクールの方が、日本人のような姑息イジメがなくて、オープン環境でのびのびと過ごせると思うよ。

 

同じ理由で、大学もできれば海外留学した方がいいと思う。

お金がなかったり、外国語ができない場合は、日本国内大学でも仕方ないけど、今時できる日本人海外大学に行くからね。

大学世界ランキングでも、東大京大など日本トップ校はレベルが低い。

 

俺なら、とりあえず姪には外国語を学ばせて、将来の選択肢を増やしてあげるのを手伝うと思う。

英語だけじゃなくて、ドイツ語とか、複数外国語をやったらいい。

学校は行かない代わりに、個人事業起業)できるように、何か一芸に秀でていれば大丈夫だと思います

姪は何か特技はないの?(絵がうまいとか、音楽でできるとか)

2017-10-25

anond:20171024205956

大検みたいな感じで資格試験設けて、通わなくても自学出来る人はそれで済むようにすればいいんじゃね

直接指導必要な人もいるからそれはそれであっていいし

2017-09-25

anond:20170925131918

学習塾とか。

学校と比べていじめとか虐待少なそうじゃん。

科目によって違う建物に通ったりするようになれば、あるいは宿題をメインにして現場では質問主体にすれば、今学校で起きている問題のいくつかは解決できるんじゃなかろうか。

部活強制的に入れられることもないしな。

通信制高校とか放送大学とかがあるんだから、校舎に通わない小中学校があってもよくない?

大検みたいに義務教育終了検定みたいなの作って学力を維持するとか。

2017-09-04

あの時逃げてよかった

高校一年生の4月半ばにして私は学校へ通えなくなった。

いじめられていたわけでもハブられていたわけでもない。

家庭が不安定で、父は何か気に触ることがあると、声を荒げ、物に当たり散らす人だった。

食卓をひっくり返されることは日常茶飯事だった。

母は子どもたちを守っては白い肌にアザを作っていた。

そんな家庭で育った私は妙に達観した子供で、大人におもねるのがうまく、空気を読むのが得意だった。

家庭では自然自分が調整役を担い、何でもない風に明るく振る舞うようになった。

中学校では同年代の子との付き合いに苦手意識がありつつも、部活部長も任されたし、友達とはなんとなく合わせてうまく付き合ってきた。

同級生女子の好む話題に乗れないのと、女子のねっちょりした付き合いが苦痛だった。)

そうやって家でも学校でもいい子の仮面を付けてうまくやってきていたのに、次第に身体の方が拒否し始めた。

大きな物音や男の先生の大きな声を聞くと、震えが止まらなくなった。

次第に朝、息が詰まって動けなくなり、無理やり足を一歩踏み出すたびに涙が出た。

もう無理だった。

当時、たった1年間だけスクールカウンセラーを配置しようという試みが私を救った。

カウンセラー先生は「とりあえず休もうか」と休学を提案してくれた。

行きたくなったらもう一回1年生したらいいんだよ、フリースクールだってあるし、大検受けたら大学にも行けるよ、と。

「このままだとこの子は死にますよ」と母を説得してくれ、私は1年間の休養を与えてもらった。

そして、母もまた父を説得してくれたのだと思う。

1週間に1回、カウンセラーが来る水曜日には登校して面談する以外は、ひたすら寝て、ひたすら本やマンガを読みまくった。

働く母に代わって家事をしたり、一日本屋や図書館で過ごしたりもした。

どう見られているかはあまり気にしないようにした。

誰も何も言わなかった。そっとしておいてくれたことに感謝している。

あるとき学校に行ってみようかな、行けるんじゃないかなってふと思い、次の春から二回目の1年生に挑戦した。

精神的に不安定になることも多かったが、たくさんの先生の助けや、理解ある友人を得て、休みがちながらも卒業することができた。

大学でもカウンセリングを利用して、自分を噛み砕いて受け入れコントロールする術を身に着けていった。

なんやかんやで、就職もしたし、今では結婚して子供もできた。

今では死にたくなることも、精神的に揺らぐこともない。

大人になれないと思い込んでいた、あの頃には信じられない。

一度止まってしまったらなかなか戻れないのが日本学校制度であり、高校ドロップアウトした者が休学留年してまで、やり直すケースはあまりないと思う。

希死念慮自覚していなかったが、ここで止まってしまったらもう将来は無いのだから自分は死なないといけないなと漠然と思っていた。

当時は大人になって社会人になる自分なんて全く描けなかった。

カウンセラー先生はその絶望をすくい取って「ちょっと休んで、力をためて、それから次に進んだらいいんだよ」って言ってくれた。

この逃げは、将来のことを何も考えていない、その場限りの無責任な勧めだとあなたは言えますか?

追記

確かに最後の一文は余計だった。実に創作っぽく見える。

安易に逃げろなんて言うな」って流れにちょっと意見したくて書いてしまった。

家庭環境や復学以降の流れは冗長なので省略した。

もちろん、復学は容易ではなかったし、たった一年で容易に自分が変えられたわけではない。

復学初日自己紹介で「留年して二回目の一年生です」ってさっさとカミングアウトしたら、周りに無駄に人が寄ってこなくて楽だったのは作戦勝ち。

クラス替え初日、仲良く慣れそうな人を見極めババっと磁石がくっつくみたいに、グループ作る流れが苦手だったので。

女子は初めての昼休みに誰とお弁当食べるかがその先を決定するんだよね。

1年の休学という区切りがあったのも良かったと思う。

母も先生たちも一年休学したところで、そのままドロップアウトして引きこもりコースかなって思ってたと思う。

何よりも自分が一番状況を打開しないと、という焦りがあったけど、区切りがなかったら外に出るのが怖くなって惰性で引きこもっていただろう。

逃げる、休む、戦略的撤退でもなんでも、それは一時的もので、元に戻る道、別の道を選んでいかないといけないことには変わらない。

少しずつでも挑戦して、自信をつけていくことが大事で、あまりに長い休養はかえって毒になると思っている。

とにかく私は周りの人に恵まれていたのだけは確か。

でも、自分でも心の許せる人を周りに集めて、自分の居心地の良い環境を作るのが大事だと思う。

優しい言葉をかけてくれる人ではなくて、ときに叱ったり発破をかけてくれる人。

ちなみに父自身も癇癪を抑えられない自分が嫌だったのか、少しずつコントロールできるようになり、力も衰えた今ではすっかりおとなしくなった。

私も父を客観的に見れるようになって、距離を保ってうまく付き合えるようになった。

昔のことは許せないけど、父を受け入れることは私の成長の一部となったと思う。

2017-08-31

不登校でもいいよって風潮が気持ち悪い

夏休み明けは自殺が多いって話題からね。

いや、自殺するくらいなら不登校でいいんだけど。

本当それは頭ではわかってる。

自分には下に兄弟がいて、中学から高校まで行ってない、ガチ不登校だった。

はっきり言って親の愛情というか関わりは99%そっちに行っていたので

8年経った今、親との関係は最悪。

不登校兄弟は、高認大検?受けて進学して一人暮らしして学生してる。

そいつが、何か新生活不安で親に電話してるの聞いて、なんだかなーって思った。

自分一人暮らし始めた時は、親に電話の一本もかかってくることはなかった。

たまに実家に帰っても、不登校兄弟話題のみ。

こちらもいい歳になって、このもやもやは親の愛情受けたかっただけなんだなーっ、

ももう期待する答えは帰ってこないってわかってるから

距離を置いている。

から不登校でもいいよ、っていう風潮から

勝手にその兄弟を見てしまって、気持ちが悪くなる。

2017-08-27

兄は高校中退して飲食店で働いてた。

20代中盤で独立して店長にならないかと持ちかけられ、

親や親戚からはその道を勧められたけど、

自分の目指す職業につくため、大検をとって専門学校に通うことを選んだ。

その時に兄が、

「どちらを選んでも安定なんてないし失敗するかもしれない。

ももしうまくいかなかった時、自分が選んだことなら誰のせいにもできないけど、

親に勧められたって理由で選んだらきっと親のせいにしてしまう。

から自分のしたい方を選ぶ」

と言った。

当時高校生だった私はそれを聞いて、他人のせいにしないで済む、自分が選んだといえる人生を歩もうって思って今まで生きている。

増田が甥っ子に伝えたかったことは、完璧には伝わらなくても彼なりに考えるきっかけにはなるんじゃないかな。

https://anond.hatelabo.jp/20170825220828

2017-07-31

https://anond.hatelabo.jp/20170731181149

普通高校通信制高校就職か、

普通高校通信制高校大検大卒就職

色々考えちゃいますが、

雇用がよくなって来て昔と今の通信制高校就職状況がよくわからないのでなんとも。

2017-06-11

婚活しまくってた10代の私

私は都内の中堅私立大学に在籍していた時、婚活をしていた。期間は途中の休止も挟んで3年くらい。

以下に当時の活動を列挙して行く。

婚活サイト

これを中心に婚活していた。大手ではyoubrid、Yahooお見合いブライダルネットあたりに入会していたと思う。あといくつか小さなところにも登録していたけどよく覚えていない。

どこのサイトもそうだが、何万人もいる会員のプロフィールを全て見ることはできないので、フィルターをかけて検索することになる。

私がかけていたフィルターは、

・25歳〜40歳

年収350万円以上

大卒以上

関東在中

とかだったと思う。

サイト意識していたことは、

・とにかくプロフィールを充実させ、話の取っ掛かりをつくる

マメ日記更新する

・フォトスジオで撮ったきちんとした写真をのせる

・1人の人とメッセージをやり取りするのは一日一往復まで。かわりに内容を濃くする

ハンドルネームをあるSF小説タイトルをもじったものにし、相手が気がついたらその話題で盛り上がり、気がつかなくても「ハンドルネーム意味はこれなんですよ〜」と言って話のネタにしたりした

検索していいなと思った相手にはメッセージを送り、何度かやり取りした後に会っていた。サイトはどこも一長一短で、合うか合わないかは人によると思う。私は街コンとか他の婚活方法よりも、メールである程度やり取りしてから相手に会える婚活サイトが一番性に合っていた。

街コン

合計10回くらい行ったかな。オタク向けのやつだと積極的男性割合が低く感じたし、そういった括りがないものの方が積極的な(暗に性的な接触を望む人含む)人が多かったと思う。

結婚相談所

サンマリエに一度相談に行ったら、ドン引きするくらいの勧誘を受けて怖くなって入会しなかった。お金なかったし。住所と電話番号を書いちゃったかDM電話死ぬほどかかってきて困った。

活動場所はこんな感じ。一番活動してた時は同時並行で10人くらいの人とやりとして、朝1人会って夕方もう1人に会うみたいなスケジュールをこなしてた。勉強してバイトして婚活するのは結構消耗した。

会った相手に必ずきかれたのが、「どうしてその年で婚活しているの?」という質問

相手によって答えを変えていたけど、端的に言うと私は、1人で生きて行く自信がなかったのです。

精神的に弱くて、実家がわりかし貧乏で、不器用で、人とも上手に関われなくて、高校中退して大検大学行って。

そんな私が、1人で生きて行くなんて到底不可能だと、それがわかっていたから、誰かに一緒に生きて欲しかったし、誰かに私と一緒に生きていきたいと思って欲しかった。

その誰かを見つけるために、より多くの選択肢がある場所で、「若い」というアビリティがある内に早く活動をしておきたかったんです。

ただ誤算は、婚活サイト出会う真面目な人はすぐ結婚したいと思っているし、私はすぐ結婚できないということだ。私は学校卒業就職というプロセス踏まないといけない。私がよく会っていた30代半ばの男性達がそんなもん待ってられんというのは当然の話であるわけだ。

(ちなみになんで大学で探さなかったのかというと、大学という「市場」で自分に優位性はないと考えたため。)

そんな中、私は婚活とは全く関係のないオフ会出会った男の人と友達になり、その人の友達とも仲良くなってよく数人で遊ぶようになった。

そのうちの1人が、今の夫だ。

夫は物静かで喜怒哀楽に乏しく、口数も少ないのでどちらかといえば苦手なタイプの人だった。ただ、なんとなーくグループで遊ぶ内に、なんとなーく2人で遊びに行くことになり、なんとなーく交際し始めた。結婚の話なんてしたことなくて、緩やかな付き合いが続いた。

就職して2年目。私は仕事である失敗をし、リカバリーするために朝から夜までぶっ通しで働き、食事を取れなくなって眠れなくなって死にたくなって救急車で運ばれた。

それでも休職はしたくなかった。一度止まってしまうと、もう働くことはできない気がしたから。

病院に毎週通いながら会社に行くのは大層しんどく、トドメADDだとか学習障害だとか診断されて、つらくてつらくて、夫(その時は結婚していない)当たり散らしてた。

夫は私が何を言っても一言も言い返したことはなかった。(あの時どんな気持ちでいたか数年後聞くと、「君が辛そうなのが本当に悲しくて、僕に何か言うことで、少しでも君が楽になれたらいいと思ってた」そうだ)

当時、狂ったように泣き叫ぶ私に夫は言った。

「つらいなら、病院に行かなくてもいい。会社に行かなくてもいい。病気でも障害があってもいい。僕は、君が生きていて、君が君であるだけでそれでいいんです」と。

夫は私の通院についてくるようになった。雨の日でも、待合室で二時間以上またされても、黙ってそばにいてくれた。

それは結婚した今でも続いている。

相変わらず生きづらいけど、しんどいけど、仕事続けながらなんとか夫と生きている。

今でもふと思う。

婚活サイトフィルターかけていたら、歳が離れていて大卒ではない夫に出会うことはなかったんだなあと。

以下の増田出会ったきっかけは?という質問があったため、馴れ初めを書いてみた。

http://anond.hatelabo.jp/20170126204733

2017-04-17

独学で高校受験した(昔話)

もう何十年も前の話だけど、私は対人恐怖症こじらせて中学は1年しか行ってない。

なんせ対人恐怖症なんで塾にも行けず。

しょうがないので自分勉強して当時偏差値65の私立高校合格したんだけど、私ってすごくね?って今になっておもった。w

英語は満点、総合で二位の点数だったから内申悪くても合格したと後に担任から聞いた。

まあその高校も続かずやはり独学で当時の大検を取ったけど、やっぱ私ってすごくね?w

2017-04-04

理由はわからないけど、どうしても、学校行きたくない人」へ

これは http://anond.hatelabo.jp/20170402141024 の関連エントリです。

関連エントリよりもシビアというか、具体的な内容になっているかもしれません。

理由はわからないけど、どうしても、学校行きたくない」そういう場合はどうすればいいのか考えてみました。

まず、「どうしても、学校行きたくない」という結論がはっきり出ている場合

はっきりと結論が出ているなら、理由はどうあれ、学校をやめる方向で考えを進めるのが良いと思います

学校をやめたあと、どうするのか、できるだけ具体的に計画を立てるのが良いと思います

学校をやめてどうするんだ! そんなので生きていけると思っているのか!」

あなたにそう言う人も身近に出てくると思います

やめた後の計画がないと、自分不安になってくると思います

学校をやめた後の計画は、自分しか立てられません。

「誰か自分以外の人に、自分人生を決めてほしい」

そう思ったとしても、どの人に人生をきめてもらうかは、あなたが選ばなくてはなりません。

「誰に人生を決めてもらうかを、誰かに決めてもらいたい」

今度はそう思うかもしれません。

これは理論永遠に続きます

いつかは自分で決めなくてはならないのです。

まず、自分がどんな生活をしたいのかイメージを固めてはどうでしょう

自分楽しい幸せだと感じるのはどんなときでしょうか?

楽しい幸せだと感じることを仕事にする必要はありません。

楽しい幸せだと感じていることも、仕事義務)になると楽しくなくなったりします。

例えば、アニメを見ることが好きなら、「どんな職業ならアニメを見る時間がたくさんとれるだろう?」と考えてみてください。

例えば、「アニメをたくさん見れる生活」の結論が「できるだけ家の近所の中堅企業に勤めたい」だったとします。

では、家の近所の中堅企業に勤めるにはどうしたらいいでしょうか。

学歴必要なら、通信制高校大学大検を考えた方がいいかもしれません。

学歴がなくても資格があれば、勤められる場合もあります

また、業種によって、忙しさの度合いが違うかもしれません。

自分の中に「接客業は嫌だ」などといった具体的な希望があるかもしれません。

もっとも、「実際やってみたら、案外向いていた」ということもあるでしょう。

希望の会社でなくても、似た業種でアルバイトをしてみるのもよいかもしれません。

就活のようだと思ったでしょうか。

実際、就活のものです。

学校に行っている人も学校卒業が迫れば、就職活動を始めます

学校に行っている人より早く就職活動を始めたのだと思ってください。

考え方や価値観時間とともに変わります

なので、考えや価値観が変わったら、目標も変わります

それは自然なことだと思います

でも、当面の目標を決めないと、自分も周囲も不安になりがちです。

前向きなアピールができる方が、周囲を説得しやすくなると思います

学校をやめたいということははっきりしているのですがら、やめる方向で前向きに人生検討していく方が良い気がします。

次に「学校をやめるかどうか迷っている」場合について考えてみましょう。

「なぜ学校行きたくないのか」「学校行きたくないのに、なぜ学校をやめたくないのか」それを整理してみてはどうでしょう

自分のことをよく観察するといいのではないでしょうか。

学校行きたくないと強く思う瞬間はいつでしょうか。

逆に学校を行ってもいいと思える瞬間はいつでしょうか。

学校をやめることで発生する不安はなんでしょうか。

具体的にノートなどに書き出していきましょう。

やめる方向に気持ちが決まれば、やめた後の計画を具体的に考えればいいかと思います

やめない方向に気持ちが決まっても、考えを整理したことで気分が楽になるかと思います

「なぜ学校行きたくないのか」「学校行きたくないのに、なぜ学校をやめたくないのか」、それは自分しかからないことだと思います

重要なのは自分が納得いくように行動することだと、私は思います

最後に余談です。

人間関係学校に行くかどうか迷っている人もいるかと思います

学校友達を作る場所ではない」と割り切ってしまうの一つの方法だと思います

会社に勤めている人で、「会社の人と友達になりたい」と思っている人は少ないんじゃないかと、私は思っています

会社に勤める理由で、「会社の人と友達になりたいから」「友達を増やしたいから」という理由は、私は聞いたことがありません。

学校は、なぜか学習の他に「友達を作る」ことが暗黙の目的のようになっていることがあるように、私は思います

でも、別に学校友達を作る必要はないと思います学校友達趣味や関心が合うとは限りません。

学校では嫌われない程度にそこそこの人付き合いをして、学校休みの時に趣味や関心の合う人と交流を深める。

そんな生活でもいいと私は思っています

2017-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20160929202754

元増田である

結論から話すと、自分を取り巻く環境は以前からまり変わっていない。

提示してくれたプランほとんどは実現できなかった。定時制には通っていないし、資格取得のための勉強もしていないし、相談できるような相手もおらず、労働プランも、自営業を営む両親を手伝って賃金をもらうことはあれど、自宅から飛び出し労働するのは今の自分には難しい。

しかし、少しづつ前に進み始めたこともある。

一つ目は、精神科に通い始めたこと。

社交不安障害との診断名を貰い、軽い抗うつ剤と、不安を鎮める薬を処方してもらった。この薬が良く効き、精神状態はるかに良くなり、他人との軽い会話くらいならできるようになった。

二つ目は、大検取得に向けて、投げ出していた高校勉強に再び取り組み始めたこと。

在学中に目指していた大学合格するというのは、今の自分にとってはとてつもなくハードルの高いものかもしれないが、それでも目指すことには大きな意義があるし、たとえ途中で諦めてしまったとしても、きっとそれは将来役に立つと思っている。

現在数学II・Bを学んでいるところだ。将来はエンジニアとして働きたいと思っているので、数学はきっと頼りになるだろう。

そして三つ目は、自分や世の中に対する考え方が変わり始めたこと。

以前は、正直、不登校の人を心底見下していた。ああい人間は、社会に適合できない人間で、将来性もなく、運悪く生まれしまった出来損ないの人間なのだと思っていた。

だが、そのうち自分不登校になった。他人に向けていた悪意が、すべて自分に跳ね返ってきた。自分価値がなく、出来損ないの人間なのだと思って、ずっと苦しんでいた。

でも、2年という長い時間と、薬と、なによりも他人からの励ましが、少しずつ心の傷を癒してくれた。

今なら、俺のような人間にも生きる場所はきっとあるのだと思えるし、将来もそれなりに上手くいくのではないかという気もしている。

上手く言えないけど、増田文章も何度も読み返して、何度も勇気づけられた。

書いてくれてありがとう

2016-10-23

あなたの家に悪者はいますか?

家族全員が悪口を言うような人がいますか?

それは家の中にいる人ですか?

家の外にいる人ですか?

私の家の中には、ひとりいました。

うちは三人兄弟で、真ん中の兄がそうでした。

学校から知能検査の結果がわざわざ知らせられる程IQは高かったらしい。

ふつう、結果知らないですよね。

ただ、幼い頃から神経質なところがあったらしく、いろいろと手が掛かったらしい。

まだ家の外のことをよく知らなかった頃は、次兄のことをそんなに変わってるとは思わなかった。

なんとなく他の人と比べて細かいことに気を遣わねばならぬ相手だなという感覚はあったが、

「気難しい」という言葉が当てはまる人が次兄だということまでは、わかっていなかった。

長じるにつれて、これは結構普通の人と違うのではないか―――と思うようになった。

一日同じ服を着続けられないとか、次兄のお気に入りの本は一切見せてもらえないとか、

待ち合わせの約束があるにもかかわらず、なぜだか家を出られないとか。

外ではひどく内気になってしまうらしく、友人は少なかったようだ。

しかし頭がいいのは確かだったようで、高校卒業できなかったが独学で大検に受かり、一時は大学にも通っていた。

私は家ではまるきり勉強できない性質だったので、このことは素直にすごいと思う。

目の前のことに夢中になると他のことに気が回らなくなってしまうようで、

これはかなり頻繁に家庭の和を乱した。

うちには独裁的な父がおり、日常的にキレて怒鳴り散らしていた。

もちろん家族は父がキレることのないよう、神経をとがらせて暮らしていたが、どれだけ気を遣ってもキレるものはキレる。

よくあったのが、これから家族外食しようというときに、出かける仕度をせず全然関係ないことに次兄が夢中になっている。

当然、父の怒号が響きわたる。

にわか外食に浮かれていた気持ちはしおしおとしぼみ、車内での重苦しい空気に耐える。

よくよく考えれば、なんでもかんでもすぐに怒鳴り散らす父が諸悪の根源のはずなのだが、家族の間には「またお前か……」という空気が流れる。

例え一言言葉には出さなくても。

どのくらい次兄がこの空気自覚していたかはわからないけれど。

いつからか、次兄はうちの中で「手のかかる面倒くさい子」という扱いになっていた。

次兄のいない席では、家族で次兄の悪口を言うのが、いつの間にか普通になっていた。

「敵がいると一致団結できる」なんていうけど、まさにそれだったと思う。

なんだか、悪口を言うのが楽しい、みたいな空気になっていた。

多分、家族の中で一番次兄と気が合ってたのは私だった。

他の家族が誰もわからない、次兄が不機嫌になる理由を私は理解できていたと思う。

からだろうか。

悪口を言って気が済んでしまうと、なんだか少し居心地が悪い。

家族は盛り上がっていて「楽しそう」なのに。

気づいて愕然とした。

こんな風に槍玉にあげられるのは、次兄だけなのだ

父が不在でも、こんな風には言われない。

つの間にか家族の中で「次兄はいくら悪しざまに言ってもいい」というような共通認識ができていたのだ。

父に対しては晴らすことのできないうっぷんを、次兄にぶつけていたのかもしれない。

当時はそこまで思いいたらなかったけれど。

家族間でメンバーの一人だけをそんな風に扱うのは、なにかおかしいと思った。

悪口って、複数で言い合ってると変に勢いがついてますます嫌いになったり、その相手を粗雑に扱ってもいい、みたいになるし。

その時はここまで言語化はできてなかったかな。

から一度だけ言ったことがある。

「うちは全部『次兄が悪い』ってことにして、次兄を悪者にしてなんでもかんでもすませすぎじゃない?」

全然理解してもらえなかった。

お前何言ってんの?ってノリだった。

私の言葉は異世界のもののようだった。

一語もわかってもらえなかった。

恐ろしかった。

「次兄のいない悪口大会」に違和感をもっていたのは私だけだったと気づいたことが。

だって次兄のことで悪口を言ってたし、次兄に八つ当たりされるのは日常だったから、不満はもちろんいろいろあった。

でも他の家族にはわかってもらいにくい、踏み込んだ洞察の話をよく理解してくれるのは次兄だった。

へそ曲げるとどうしようもないけれど、長兄より公平性があった。

こうやって、ちゃんと長所もあげることが私にはできたのに。

一度でくじけずに「悪口言うのやめよう」って、言い続けられればよかったんだろうか。

残念ながらわたしは意気地なしだった。

2016-09-12

anond:20160911233727

高校で一度完全にドロップアウトした。

大検取って大学受験した。

大学に入ってしまえば、

ほぼ完ぺきに学歴ロンダリングは出来る。

そこから普通にやってりゃ何とかなる。

就職して結婚し、その後に起業した。

いまは家もドイツ車も子供趣味もある。

一度の失敗で諦めてしまう奴は、

何をしたって理由をつけて結局諦める。

そういうやつはもったいないなと思う

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