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はてなキーワード: 部活動とは

2019-02-10

メガネオプションが好き

風俗に行った時のメガネオプションが好きで可能ならほぼ必ずつける

というのも、風俗だと衣装はお店から支給であるから個性が出にくい。そして盗難防止のためアクセサリー類は基本つけられない。そもそも脱ぐからまり気合を入れたものをつけないのもある。

そこでメガネオプションをつけると高確率で「身につけたい」と思ったものを選ぶ。これまでの経験上「赤のアンダーリム」「黒のスクエア」「黒のウィンストン」「茶色ボストン」「ノーリム」など。

メガネの形からだいたいの文脈がわかる。「キツめS演じたい」「俳優のようにオシャレに」「あの歌手みたいなサブカルちっくに」などなどなど。楽しい

あと筋肉のつき方から食生活学生時代部活動を当てたり、こちらもやっぱり肉つきに個性が出るので、つどつど観ていて飽きない。

同じような楽しみ方をする諸兄がいれば賛同して欲しい。

2019-02-07

Vtuberゲームプロジェクト」がすごい

最近またVtuber話題なので、私が好きなVtuberゲームプロジェクト」の魅力についてひたすら語ろうと思う。

ゲームプロジェクトとは

ゲームプロジェクトとはVtuber4人組のユニットである都内高校ゲーム部に所属する生徒4人が、部活動の一環としてVtuberをしている、という設定。ゲーム部は4人のVtuberで一つのYouTubeアカウント運営している。実際には株式会社バーチャルユーチューバーという企業運営しているIPである

ゲーム部の特徴

ゲーム部の動画ではキャラ設定台本比較的かっちりと決まっている。アドリブ生放送では中の人感が透けて見えるが基本的キャラのロールプレイは守られている。日常動画に至っては恐らくコンテが切られていて、ほぼCGアニメと同じと言える。

動画構成する脚本、声の演技、編集ゲームプレイングなど個々の要素のクオリティが高いため、恐らく各種のプロ合作であることが推測できる。

ゲームの戦績

特筆すべきは、このVtuberたち、ゲームがめちゃめちゃ上手いという事であるポケモン初心者の私でもゲーム部長の夢咲楓さんがポケモン超上手いことは理解できる。(他メンバーも凄いようだが私には評価できない。でもみんな好き)

ポケモンというゲームは三ヶ月に一度、世界中の全プレイヤーの戦績が発表される。夢咲楓さんは、その中でほぼ毎回コンスタント10位以内を取り続ける実力者である

アニメキャラ現実に食い込んでいる

美少女JKだけど実はチート級のゲームスキルを持っている」というキャラクターはアニメラノベなどでありがちな設定だ。これまではアニメラノベからこそこんな設定のキャラクターを作ることができた。フィクション世界でそういうキャラを創り出すのは簡単で、ラノベにそういう設定を一行書き足せばいい。しか現実プレイヤーランキングに食い込んでくるとなると話が違う。ゲーム部の画期的なところは、そんな最強アニメキャラクターを現実世界に半実在させたということである夢咲楓は永遠美少女JKでありながら、PGLの中に確かに実在する。そしてポケモン人生捧げてるような世界中の並み居るガチプレイヤー達を打ち負かしてランキング上位に躍り出ている。

会いに行ける

去年のTGSゲーム部に会えるイベントが開催された。参加者VRHMDを被り、仮想空間の中でゲーム部のキャラと一対一で交流することができる。参加者には目の前にゲーム部の面々がいるように見えている。さながら握手会である。このイベントが今後も行われるかは不明だが、他のVtuberでも同様のことができる可能性は大いにある。

要するに言いたいこと

複数プロクリエイターが協力し合いCGキャラクターを動かすことで、従来のニコ生アニメとは違った価値を生み出すことができる。個人的には監督がいて脚本があってコンテが切られていればそれはもうアニメだと思っているが、ゲームプロジェクトアニメ性質を持ちながらもプレイヤーランキングの中に実在しているし、生放送視聴者相互作用することもできる。言うなればインタラクティブな「生きたアニメ」「会いに行けるアニメ」という全く新しいコンテンツ可能性を示したのだと思う。

※(余談)ポケモンというゲームについて

これは本筋から少し外れる話だが、ポケモンというゲーム性質について言及しておきたい。

数年前、googleAlphaGOという囲碁AIプロ棋士を打ち負かして話題となった。囲碁における石の置き方は10^360通りあり、どんな打ち方が最強なのか未だに確定していない。(ちなみに観測可能宇宙存在する電子の数が10^87以下とされている。)囲碁には二千年の歴史があり、競技人口もそれなりに多い。つまり人類2000年かけて探索してきた歴史ある定石とされるものが、コンピュータシミュレーションによってあっさり覆されたということだ。それどころか人間がこれまで思いもよらなかったような強い定石がAIによってどんどん産み出されているので、世間に衝撃を与えAIブームの発端となった。

何が言いたいのかというと、ポケモンも(ちょっと大袈裟だが)これに似た性質を持つゲームだということ。約800種類のポケモン(レートで使われるのはせいぜい100種類だが)それぞれにタイプ個体値種族値努力値性格特性、わざ構成、持ち物など無数の隠しパラメータがあり、育て方に無限パターンがある。それらを6体組み合わせて戦術を作る。戦闘では相手PT戦術予測し3体を選出、各ターンで何をするか臨機応変判断必要となる。相手の裏をかくといった読み合いもする。PT構築の時点でメタゲームが始まっており、何のポケモンが最強なのかは誰にも分からない。酷い時は一週間単位で強いとされるポケモンが変わったりする。戦闘中はダメージ計算必要だし(わざの威力の表れ方は毎回乱数で変わる)、上位勢の間では毎試合スクショを取って記録、環境分析する者も普通にいる。

ポケモンガチろうとすると考察計算だけでなく、時間的リソースもかなり消費する。育成や厳選にも相当の時間コストがかかる上、ポケモンを入れるボール色違いに拘る者も珍しくない。(ちなみに色違い意図的に作るためにはサブロムを買って外国語設定で二周目をプレイするなどの手間をかける必要がある。)そのためポケモンガチプレイヤーはしばしばポケ廃と呼ばれたりする。

そして、、夢咲楓さんのプレイングは可愛い顔や天然な性格優等生な立ち振る舞いからは想像できないほど、エグい。ニコニコしながら躊躇いなく厨ポケを使うし、批判されるようなプレイングをしてでも泥臭く徹底的に勝ちにこだわる。ほぼ負けが確定した試合でも、諦めず、限りなく細い勝ち筋を必死にたぐり寄せていく姿は圧巻だ。

彼女は、そんな厳しい、そして世界中の老若男女から愛されるポケモンというゲームで、最高レート4位の偉業を成し遂げている。今現在も1位を目指して努力を重ねていることだろう。

2019-02-01

医学部に入ってしまった承認欲求リブ真面目系クズの末路

試験前、提出しなければならないレポート前になると、自分はどうしてこんなことをしているのか、別にこれが好きなわけでもないしこの道に憧れて選んだわけでもないのに、どうして自分はここにいるのだろうと、不安になって胸が締め付けられたかのように苦しくなる。

私は地方大学医学部に通っている。親戚に医者がいたというのもあって、周りから医者になることを期待されて育ってきた。私自身、生まれてこの方勉強するという行為嫌悪感はなかった。小学校の頃からそれなりに計算もできたし本も好きだったか文字を書く、漢字を読むことは苦ではなかった。学校には毎日通うものであり、授業は座って先生の話を聞いてノートを取るものだと思っていたし、ADHDありがちなその場の空気に合わせてじっとしていることができないといったこともなかった。周囲と比べてちょっと変だったところといえば、なんとなく特別学級や不登校いじめに興味があったことくらいだ。小学校中学校でのスクールカーストはやや低く、いわゆる足の速いサッカー部のいじりの標的にされることがあったが、学校に行けなくなるほど心身を病んだわけでもなかった。むしろ私は自分のことを""あっち側""の人間ではないと思っていた。私が通っていた学校には溜まり場が、今流行りの言葉で言えばコミュニティスペースが、比較的多くあり、ヤンキーの生息地、ガリ勉の生息地、オタクの生息地が距離感を保った状態存在していた。そして、""あっち側""の人間の居場所もあった。私には友達がいなかったが、校内で一番勉強ができるやつだと思われていたので、特定グループに恒常的に入っていなくても、どこの輪でもなんとなく話ができたし、あちこちに顔を出しては適当に楽しく遊んでいたように思う。

私が中学の頃に友人の一人に誘われて入った近所の公文塾は、学生の実力に合わせて進度を調整できるという触れ込みの塾だった。公文には他の学校の生徒が多くいて、プラスマイナス5〜6歳の生徒とも同じ場所勉強していた。曜日によって顔を合わせる面子が違えば雑談する内容も毎回違っていて、ある程度敬意を払いながら丁寧に接していれば年の差なんてほとんどないような関係でその輪に入ることができた。たまたま公文式の教材が自分の性分にあっていたのか、数学英語に関してかなり成績が伸び、中学の時点で高校センター試験レベルを楽々解けるくらいまで教材を進めて、県の進度上位者として表彰されるまでに至った。自分勉強ができるんだ、これが自分長所なんだと思い込んだ私は、学校だけでなく公文でも""勉強ができるヤツ""としてのポジションを獲得したことますます自分は""勉強ができるヤツ""として振る舞おうとしていた。

家でも、試験の成績が良ければ父母に褒められたし、親戚に会えば「お前は勉強ができるのか!じゃあ将来は医学部東大だな!」と言われていた。以前は漫画三昧ゲーム三昧だった子が公文に入るなりメキメキ勉強するようになったのだから、親としても嬉しかったのだろうし、私も自分にとっては苦でなくできることで褒められるというのはとても嬉しかったのも事実だ。

よくよく思い返してみれば、この頃から自分の行動は歪んできていたように感じる。数学英語も好きだったが、勉強したことで褒められるのはもっと好きだったのではないかと思う。

高校は自宅から通学1時間くらいのところにある普通科高校に通った。進学校といえば進学校なのだが、まぁ地方自称進学校なぞ大学受験レベルで言えばたかがしれている。開成とか灘とかと比べれば全然しょぼい。偏差値10〜20くらい違うんじゃないか高校理系クラスに進学すると、自分の好きな数学英語勉強の話やアニメ漫画の話ができる友達がわりかしできた。公文での積み重ねがあったかドロップアウトしがちな中学から高校への学習密度の変化にもついていけた。どうやら自分高校でも成績は一番ではないにしてもトップクラスだと感づくのに時間はかからなかった。当時好きだった人が生徒会に入ろうとしていると聞いて自分生徒会に入ってみたが、環境の変化からか全体的な体調が悪くなったのもあって一月かそこらですぐに辞めてしまった。通学で消耗してしまっていたので部活動をやる気にもなれず、事実上の帰宅部として放課後カラオケに行ったり理科室に入り浸ったり青チャートを解いたりシス単を周回するなどしてふわふわ過ごしていた。結局、自分の""勉強ができる""というアイデンティティを確保したいがために、勉強を最優先においていたのだと思う。学校先生勉強ができれば褒めるし親も勉強ができれば褒めてくれた。だけれど、本当に大事なのは自分が好きなこと、やりたいこと、魂をかけてでもそこに食い込みたいという世界を追求することだったのに。とりあえず勉強してれば褒められるという目先の報酬を獲得することに囚われていた。進路選択志望校選びも、親戚の「お前は医者になるんだよね?それが一番いいことなんだ」という圧を内面化していた節があって、近くの国立大学でいいかとろくに考えもせず、周りに流される形で今の大学医学部にした。いや、正確に言えば、東大京大を目指して勉強するのが面倒だったしわざわざ失敗する=浪人する可能性のあることをするのが怖かった。自分に向いている業種が見つからないのが怖かった。自分になんの才能もないことを突きつけられるのが怖かった。自分責任で何かを決めるのが怖かった。このまま担任の勧めや親の勧めに従っておけば、""失敗""することはないだろうと思っていたから、これが最善の賢い選択なのだと思い込んでいた。馬鹿らしい。一日や一週間やそこら勉強しなくたってどうってことないのに、受験勉強というフィールドしか見えてなかったし見ようとしてなかった。少しでも興味のある業界があるのならそっちに向かう努力をするなり調べればよかったのに、当時の私には褒められたいという気持ちを抑えることができなかった、だから現状の自分にできることで褒められる、受験勉強しかしようとしなかったのだと思う。人間というのは、できないことをやって失敗しながらちょっとずつ適応していくことでできることの範囲が拡大していくものだ。そもそもできることしかしない人間に成長はありえない。当時の賢こぶっていた私を殴り倒して張り倒してでも伝えたい。勉強以外のことで自我確立するべきだった。一般的に良いとされていることに身を投じてコミットしても、結局のところ消去法の選択自分が納得しないままではいずれ無理が来るのだ。そして今まさしく、易きに流された自分のツケを払わされているのだけれど。

程なくして現役で某大都会国公立大学合格した。大学に入れば私もここでいわゆる""青春""を送ることができるだろうと信じて軽音楽系のサークルに入ってみたが、持ち前の拗らせて肥大したプライドを守るのに必死体育会系人間関係適応できずに辞めてしまった。未成年飲酒なんてどこもやっていることだからアルハラ正当化され、先輩が飲めといえばありがとうございます感謝して飲まなければならなかった。音楽は好きだったけれど、サークルでの苦痛と引き換えに得られる人間的魅力、音楽活動での満足感があまりにも見合わないと感じた。音楽に熱中できていればもう少し違っていたのかもしれないが。文化系のゆるゆるサークルに入ってみたが、そこは自発的にモノを作り出して自分を充足させられる人間の集まりであって、他人から承認ベースで行動してきた私のような人間が突然生産性を高められるようになるわけではなかった。上の人間に面倒をみてもらうには人権邪魔をし、一人で生きていくには人間強度が足りなかった。現実での人間関係を構築できない者が流れ着く場所といえば古来よりインターネット相場が決まっている。必然的に私もインターネットに漂着した。twitterからまり様々なSNSを通じて学生学生以外の人間と多く出会った。オタクオフ会にも参加したし、""あっち側""の人間との交流会に出向いては世の中にレールから外れた人が想像以上に多くいることを強く実感し自分の見識の狭さを恥じた。コミュニティ転々とする上で国公立医学部生というソーシャルグッド切符は様々なコミュニティに出入りするのに大変便利で、どこに行っても可愛がられた。自分自身が何かを生み出せるわけではないのに、人間の世話をすることができるわけではないのに、ポテンシャル世間一般評価基準に褒められていた。働かなければ能力はつかないし、働いていない学生は虚無である。そんなこともわからずに(あるいはわかっていたがあえて意識せずに)流浪しているうちに、実力以上の評価自分に与えてしまっていた。俺はまだ本気出してないだけ、というフレーズを繰り返し自分に刷り込んでいた。私は何も価値を生み出していないし、ただただ親の仕送りで生かしていただいているだけなのに、どうして私はなんでもできると思い込んでしまったのだろう。自分意思努力して掴み取ってきたものなど何もないのに。私は医学に興味があるわけではない。医者になるといえば褒めてもらえた。勉強さえしていれば褒めてもらえた。今は褒めてくれる人がいない。だから勉強も何もする気が起きない。ただそれだけ。来週には授業でプレゼンしなきゃいけないし二週間後には試験も控えているが、どうすれば鬱屈した自分人生を変えられるのかばかり考えている。承認を求めること以外に熱中できることがなかった自分人生を変えられるわけなんてないのにね。目の前のやるべきことをやるのは、問題の先送りにすぎない。なぜならやるべきという判断根拠に逃げと諦めが生じているから。医学に身を捧げることへのインセンティブモチベーションもないのに、どうしてやるべきだと思っているのだろう。何もわからない、わからないんだ。どうしてこんな進むことも戻ることもできないところまでズルズル引きずって生きてしまったのだろう。今更医学部を辞めたところで解決する問題とも思えない。このまま医学部に在籍し続けて解決するとも思えない。なまじっか真面目であろうとしているから、授業やレポートサボることさえできない。解剖実習を抜け出して映画を観に行っただとかバーで酒を飲んできたと豪語する友人が羨ましいくらいだ。目の前の快楽を優先して楽しめるような人間でありたかった。勉強に対して全精力を費やして学ぶことで己を充たせる人間でありたかった。私はそのどちらでもなかった。そうだよ、私は誰が作ったのかわからないような真面目さの枠にアイデンティティを依っているだけのどこからどうみても無個性普通のありきたりな何もできない奴なんだよ。受験に身も心も滅ぼされてしまったのだと乾いた笑いで感情を誤魔化し責任自分の外に擦り続けて一生何もできないまま死んでいくのだろうな。そうやってこれからもずっと本当の過ちから目を背けて表面的な言い訳をつらつら述べて同じ苦しみを繰り返していくんだ。永久に同じ場所をあっち行ってこっち行って往復してるお前の人生振り子みたいでチョーうけるんですけど。

死にたいと思ったことは何度でもあった。しかし死んだ方がマシほどの苦しみを抱えているわけではなかった。死ぬ覚悟があったらこんなしょうもない悩み抱えてねーわ。

私ってどうしたらいいんですか?あなたのワンクリックで救ってくれませんか?輪廻転生してやりなおすことってできませんか?目の前の勉強淡々とやった先に程よい未来が待っているんですか?医者になったら幸せになれるんですか?今すぐ私の気持ちを楽にしてくれませんか?私の何が悪かったんですか?私ってやっぱりつまらないんですか?私に友達ができないのは私のせいですか?こんな真面目系(笑)クズを産んで育てた母親が悪いんですか?いっそ私に病名をつけてくれませんか?此の期に及んで私は自分が悪かった愚かだった間抜けだったと認めたくないんですか?これまで私のことを評価してくれた大人の皆さんに申し訳がないと思わないんですか?何事かを成す為に今すぐ地道に努力するしかない草むしりをするしかないのなら私は何をやればいいんですか?あれ、私の好きなことって一体何だったのですか?私について誰か知りませんか?

誰か...。

2019-01-29

小学生の頃に恋した女の子にずっと囚われてる

彼女との出会い小学2年生の時。僕の立場転校生だった。彼女への好意自覚したのは小4くらいからか。あんまり細かく書くと僕の来歴が一般的な人と比べてちょっとだけ特殊なので万が一の身バレの恐れがあって書けないのだけど。

彼女は僕からしたら抜群に利口な少女小学生の時に実施された学力テストの結果が全国1位タイで、同じく中学生の時に実施された学力テストの結果も全国1位タイだった。

僕と彼女関係性は出会いから中学卒業に伴う別れの際まで一貫して「たまに話す同級生」の域を出なかったと思う。

僕と彼女には家庭環境共通性があったり同一の放課後児童クラブに通っていたりする共通点こそあったが、特別それ故に親密だったりすることはなかった、と思う。

彼女を好きになった理由は僕と比較して圧倒的な彼女の知性にあった、と今では思う。僕の親族にはあまり知的人物存在しなかったので余計に彼女に惹かれたのだと思う。

放課後児童クラブでは僕はボール遊びをしたり漫画を読んだりすることが多かったけど、彼女課題を片付けたりクロスワードを解いたりしていて、当時の僕にとっては彼女のそういう静謐な佇まいも気を引かれる原因になったのだと思う。

中学に進学すると彼女と僕の学外の接点は皆無になり、学内でもクラス部活動も違う彼女とは次第に疎遠になった。

中学2年の時だったかPCルームで他クラス彼女クラスメイトの女子生徒と談笑しているのをたまたま見かけた。

彼女容姿は僕のよく知る小学生の頃よりずっと成長して大人びていた。成熟した女性ライン形成しつつある彼女を見て気圧された様な複雑な気持ちになったのを強く覚えている。

中学卒業した後、彼女都内でも指折りの進学校に進学し、僕は僕で凡人らしく凡百の都立校へ進学した。

僕は中学同級生包括的コミュニティには接続しておらず親しい数人の友達だけとその後の付き合いを続けていたので高校進学後の彼女の動向は全く分からない。

物質的な彼女痕跡として小中学校の卒業アルバムがあったが、彼女の姿を確かめる為にアルバムのページを捲る行為に後ろ暗さを感じたので大学進学と殆ど同時期に処分してしまった。些かの後悔はあるけど人生は不可逆なので仕方ないと諦めはついてる。

以降今日に至るまで僕と彼女の間には何らの接点も生じないまま時間けが過ぎ去った。

これまで僕は彼女以外の女性に恋したことは一度もなく、眠れない夜などに稀に彼女のことを思い出し思わず強く寝返りを打ったりしている。

今も新聞を読んでたら急に彼女のことを思い出してしまい、深夜テンションと思い付きでこの文章を書いてる。

一つ気がかりなのは僕の記憶の中の彼女中学生の姿のまま歳をとらないのでその彼女に恋心を抱いている僕は俗に言うロリコンということになるのか、ということだ。

現在彼女を知ることができれば僕の心象の彼女アップデートされるとは思うけど、なんだかこのままずっと記憶の中の彼女に恋したままでいたい様な気もしている。

まあ僕はだいぶ気持ち悪い人間だと思う。

2019-01-27

俺「日本では教師部活動というタダ働きを強いられている!!」

外人A「俺の国でもそうだけど」

外人B「ウチも」

外人C「そんなん普通やで兄ちゃん

俺「なんでや!」

2019-01-26

東京地方

あるとき東京まれ東京育ちの友人が言いました。

関西の人はなんかちょっと怖い。反感がわくときもある。」

関西まれ関西育ちの私は、「同じ国民=同じ仲間」だと思っていた東京都民から想定外の敵意を受け、思わず愕然しました。

旅行社勤めの彼女は、客の苦情の電話を受けることがあります

台風の影響でたくさんの飛行機が飛ばなくなって、彼女旅行社に苦情が殺到したときがあったそうです。

飛行機飛ばへんのかいな!!どうにかせえや!!!!!」関西方言ときに、乱暴攻撃的に聞こえます

関西の中でも、大阪神戸といったド関西とは少し離れた田舎で生まれ育った私には、そのことは感覚的に理解できます

高校生の頃、部活動遠征でしばしば田舎から神戸まで出てきたものですが、自分たちと異なるイントネーションや語彙に違和感を持って、親しみを感じにくかったおぼえがあります

「なんて乱暴な話し方だ。やっぱり関西の人は礼儀知らずだ。」彼女やその同僚たちが至ったのは、このような結論だったそうです。

(そもそも私や彼女らが、関西方言乱暴な感じを覚えるのはなぜでしょうか。

それは自分と異なる性質人間集団に対して、危機を感じることと関係があるとおもいます

なぜ自分と異なる性質人間集団危機を感じるかというと、異なる価値観を持つ人間は、自分攻撃してくる可能性が大きいからです。

これまで維持してきた生活や考え方を揺るがされることは、人間アイデンティティ危機をもたらします。そして人間にとってアイデンティティ危機は、生命危機とも言えます。(実はこの辺りはまだよくわからない。教えて欲しいです。))

ひとくちに異なる価値観といっても、例えばわたくし関西(の田舎、、笑)人からみると、東の標準語比較的洗練されて聞こえます。なぜでしょうか。

東京の人たちから関西方言が野蛮に聞こえるのは、自らが住む地が日本国首都であるという自負があるからではないかと、今は思っています。また、地方の者が東京方言を洗練されていると感じるのも、同じ理由からだと思っています

繰り返しになりますが、東京まれ東京育ちの友人から関西に対する偏見を聞いた経験は、私にとって非常に衝撃的なものでした。

これまで身内だと思っていた「日本国首都東京」に対する認識が覆されました。すなわち、自分が「日本国」だと認識している範囲について、懐疑的になったのです。

具体的にいうと、これまで北海道から沖縄まで日本国だと思っていたのが、実は「自分認識できている範囲自分の周囲の人間関係社会」を日本国であると思い込んでいるだけではないか、と疑うようになりました。

私は以前中国上海留学していたのですが、文化や習慣、環境の違いから、ホームシック気味になるときもよくありました。「日本に帰りたい」と強くおもうときもありました。しかしそのときに帰りたいと思った場所は、果たして日本国」なのでしょうか。それとも、単に「自分の家や友人、地域地域文化」が恋しかっただけなのでしょうか。

国ってなんなんでしょう。

今の世界では「国」が一つの基本的単位になっていますが、その「国」ってなんなんでしょうか。

幼稚な考えでしたらすみません。読みにくい文ですみません。何か教えていただければありがたく思います

東京オリンピック開催を、日本国民として単純に喜んでいた自分を、今疑っています

貧乏くじひきまくった時の話

ふと貧乏くじひきまくる中学生時代を思い出したので吐き出し。

自分コミュ障なりそこそこ青春謳歌した。

当時は溢れ出る正義感と、ずっとつるむ友達はいない程度のコミュ力、そこそこの成績もあって

委員長的なのを押し付けられたもした。

そういったものに喜んでたのも小学校中学年くらいまでで、

どんどん「まとめあげる」的な中間管理職的なことの難しさだとか、

色々言われるのにも疲れて正直「向いてないな」って思ってた。

でも学期ごとのそういったもののの選出は名前が上がり、向いてないと正直に言いつつも結局やることになるのがほとんどだった。


それでも、文化祭だとか祭りごとは大好きで、

行事のための看板製作などは喜んで参加してたし、そうのには関わることはしたいと思ってた。

そういったものに最も関われるのは何か? そう、生徒会だ。

その流れで生徒会立候補するのは、自分でもまっとうな理由だったと思っている。

だがしかし、そこには大きな壁があった。

生徒会は内申にしっかり書かれ、影響する。そのため、やりたがる人間が多かったのだ。



自分中学校の生徒会選挙は1年任期。毎年3学期に1,2年が、投票する。

正直、自分容姿は良くない。演説もうまくない。

そこそこ付き合いのある同学年はともかく、何もしらない下級生、上級から票が入ってる気がしなかった。

おそらく同学年からも入ってないとは思わないが決め手なるほどの支持を得られてなかったのだろう。その程度のコミュ力だった。


だがしかし、まだチャンスはあった。

その後に選出される議長は、ほぼ生徒会と同じ行動をし、行事に関われる。

幸い自分は何度も役職を任された経験上司会を何度も経験し、そこそこできている自覚はある。

しかもこれは

・必ず2年生から

・先に決まった次期生徒会長と2年の担任たちの意向

で決められる。

他に枠はなくこれが最後のチャンス。だがしかしこれなら任されると思った。

…が、落ちた。

選ばれた子は友人だった。

だがしかし、その子は内申+αが目的で、本当にそういった仕事をしたかったのではないのは感じていた

生徒会とそれ以外では関われる行事や行動が全然違う。

生徒会長もよく知った中ではあったし、教師受けもよかった(実際、担当した教員から「この役職が向いてる、推薦する」とお墨付きももらっていた)。

だがしかし自分が良くないと思ったことは曲げられないタイプで「扱いにくい」と感じられていることも自覚していた。

多分敗因はそこだろう。そう自覚しつつも非常に悲しく悔しかった。

結局その他、内申に関係する「生徒会」と各種委員長

それまで面倒を避けてたような要領の良い子が7~8割(もしかしたらそれ以上)が占め、

いままでコツコツとクラス委員会運営を支えて来たような子たちはほとんど落ちていった。





それからしばらく進みできる限り行事に関わるものに参加しつつ、結果受け入れて生活していた。

中学3年にもなると受験意識し、更に「◯◯長」をしたがる人間が増えた。

総合的な学習の班分けも同様だった。

郷土関係することをテーマを分けて発表する、という内容だったのが、

自分が興味をもって提案したテーマ希望者が自分しかおらず、

他の希望者多数のテーマに組み込まれた。しかしそれでもやっぱりそのテーマちゃん学習したくて立候補した。

だがしかし、昨年までが何だったのかというくらい希望者多数となり、じゃんけんで負けた。

勝者は正直、同学年の支持がない子だった。

案の定自分のやりたかったテーマは影が薄れ、忘れ去られ、それでもやることはやって着々と作業を進めていた。

そして発表時テーマ班長は決まっていながら、それとは別に発表の「監督」を複数人選出することになった。

もちろんこれは内申に影響しないし、監督になると発表する側にはなれない。

そして後半は発表に準備だけになるし、実質、監督が指揮を取ることになる。

「船頭多くして船山に登る」状態になるのには反対したが通らず、やはりそこで自分担当することになった。

(今思えば、それまでの行動で求心力がなかった班長で進めるのを避けたかったのかとも疑っている)


発表側をやりたかった自分は不承不承、しかし決まったものは仕方ないと全力で発表に向けて走り回った。

発表側になった班長や、人員が不足したときつのまにか発表側に回った同じ監督だった子を羨ましいと思いながら。

そして発表当日、班長の子に嫌味を言われた。

確か、小道具場所を把握してないのは監督としてどうか、的なことだったかと思う(余談だが小道具係は別にいる)

些細なことだし苦笑いしてやり過ごしたが、これまでのことでパンク寸前だった自分にはだめ押しとなって

本番中誰も来ないところでうずくまってこっそり泣いた。

ちなみにこの後も班長やらかしくれた。


そして部活も同じようなものだった。

部長副部長は生徒の投票を加味して「顧問が選ぶ」という方式だった。

当時の部活は「顧問VS部員」の構造があった。その結果、明らかに顧問が付き合いやすい」

だが部活内での求心力はそこそこの子を選んでしまった。

「票が入ってないわけではない」と強調していたが、密な付き合いのある部員間の話では

それが嘘でなくても1,2人いる?という票数であるのは皆察していた。

ぶっちゃけ得票数TOPの子たちは顧問に不満は持ってなかったんだから

部長はそこから選べばよかったのに、と思う)

その結果、顧問が転属して居なくなると「部長副部長VS部員」の対立構造に変わり、

部長副部長が居づらい環境になり、不満を持つ子たちが言うことを聞かず、落ち込んでいってるのがわかった。

自分比較的その子達と仲良かったのもあり、緩衝材として連絡する、仕切る、やきもきするという謎の構造ができていた。

正直この行動は部長たちの孤立を加速させ、良かったのかは自分でも疑問であったが、そうしないと団体行動も怪しい状況だったのだ。

結果、最初に話した議長/各種委員長でもあった2人は生徒会に入り浸り、ますます対立を深めていった。

これに関しては正直、仕方ないことだと思うし、それほど2人は追い詰められて居たと思う。

だが、生徒会室で仕事がなくても談笑した姿をみると自分が本気でやりたかたことを逃げ場にしていること、

その一方で自分がやりたくもないことばかりしている状況にがすごく虚しかった。

その気持を抱えながら部活動はやりとげた。



今でもこの一連の流れは思い出す。

あー、内申ももらえないし、バイト代がでるわけでも無いのに、

評価もされ… あ、いやこれは幸い一部からはしてもらってた。

まあ、その程度でなにやってるんだろう、明らかに貧乏くじじゃないか

そして残念なことにこの正確、環境は今でも変わってない。


根本的な理由は「やりたがる」「でしゃばりたがる」正確と長年いじられ続ける容姿

心意気をうまく伝えられないコミュ力プレゼン力であり自業自得だ、と自覚している。

本気で「義」を理由に口を出ししても、「自己のため」と誤解されることも多々ある。

そこを変えないと…と思いつつも、「誰かがやらないといけないこと」をやり続けても「やりたいこと」がやれない思い出を愚痴らせてほしい

2019-01-24

anond:20190124172107

学校試験部活動試合も、体調なんておかまいなしに実施されるんだぞ。

それなりの対応策があるんだろ。俺は知らんけど。

2019-01-19

勉強目的でない留学生について

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00000030-asahi-spo

勉強目的でない留学生についてヤフコメでも批判的な意見が強いように見えるので、もうちょっと冷静に見ようねというスタンスで書いてみる。

まず部活動について、学校宣伝活動になっているとの批判があるが、

学校において部活動以外のどんな活動もすべて宣伝になりうる活動だ。

進学実績は?修学旅行先は?

「最低限」を超えたサービスはすべてそうだ。

この学校では交換留学生をやってるよ、というのも宣伝材料の1つだろう。

日本から海外留学していく学生だって、本当に向こうの高校数学を修得したのか?

南北戦争について十分に学んで帰ってきたのか?



次に生徒や保護者について、勉学を目的として高校に来る生徒がどれだけいるというのか。

大多数は「なんとなく」「普通人生を歩むため」だろう。

「本気で部活をやりたいから」も勉強を主目的とする人と同程度いるはずだ。

大学進学のため」だって部活の反対側に位置しているだけで、本来は怪しい立ち位置だ。




部活動改革が叫ばれ始めて久しいが、結局のところ部活動は大きなニーズであることは変えられない事実だ。

部活動が感動を呼ぶ側面は否定できないし、今テレビをつけたら「スポーツ王だってやっている。皆スポーツが好きなんだ。

保護者だってそういう人生過去に歩んできたのだ。

大成しなくとも、部活動に打ち込んだ高校生活を子どもに送らせたい保護者はたくさんいる。

勉強なんぞよりも、という保護者がどれだけ多いことか。



それならば公的予算を減らして、代わりに大会の入場料を取ることを認めるなどして半営利化をすることで、

学校名前を冠したままクラブチーム化すればいい。

どうせ金のかかる部活はこれまで通り部費が多くかかるし、多くの並の選手からは多く金をとって

実力のある選手には部費免除学費免除、謝礼金給付などで還元するだけだ。

各自治体や学校法人の財政状況は少し好転するし、クラブチームとして戦う気の無い学校は「楽しくスポーツ」に移行していくだろう。

生徒や保護者利益にも繋がるし、部活しか興味のない体育教師社会科教師は初めからクラブチーム指導者に職を求め、

教科指導純粋に追及する教師が増えて学習体制は充実していく。


学校と切り離してクラブチーム化、という意見はよく見るんだけど、

学校所属したまま営利活動としてクラブチーム運営していくというスタンスはあまり見ないので

結構いい案を考え付いたと自負しているのだけど、どうだろうか。

2019-01-14

大学について友達に見下されてどうしていいかからなくなってきた

学歴コンプ大学コンプってやつだと思うんだけど、どうしたらいいかからなくて戸惑ってる。

私は地方国立大学に行ってる。実家から通えるからっていうのと、生まれ育った地元の役に立てる人になりたいと思って選択した。

最近頻繁に、関東圏の有名な大学に行った遠方の友人たちが、大学名前マウンティングをしてくる。それで、その言われた内容を不安に思って学歴キャリアについて検索してみたら、たいてい関東圏の大学旧帝大の事しか書かれていなくて、ますます不安になった。

勿論、それらの大学偏差値が高い大学だっていうのは知っているし、そこに受かるくらい勉強を頑張ったのは素直に凄いと思う。

でも、私みたいに、地元愛着があって、所謂無名大学を選んだ人は馬鹿にされるのかな。私が進んでいるのは、正しい道じゃないのかな。私の好きって気持ちなんて、何の役にも立たない、くだらない考えなのかな、って、時々心が折れそうになる。

将来は好きな仕事をしたい、自分なりにキャリアを積んでみたいって思ってるけど、Google検索の結果に振り回されて、それが不可能なんじゃないか、私の夢は叶わないんじゃないかって凄く不安になったりして。大切な友達に見下されて、よく分からなくなってきたよ。

インターネットを控えて、友達と縁を切るなり仲直りするなり、関係を薄めるなりした方がいいっていうのは分かっているんだけれど……。

夢見すぎなのかな。多分、部活動ばっかりしてて、受験について情報収集を怠っていた私が悪い、ってことになるんだと思うけど。でも、そんなに大学名前で見下されるような事になるなんて、思ってもみなかったから。

とりあえず、明日からも頑張ります

 

追記 2019/01/15

何だか眠れなくて見てみたら、結構言及して頂いててびっくりです。普段ROM専なので、不思議な感動もあり。ため息のつもりだったけど、周りに無かった考えに触れる切っ掛けになって凄く嬉しいです。ありがとうございます

今回の件の友人たちとはやっぱり少し距離を置いてみようかな、と思います面白そうな研究が目の前にあるのに、私の人生責任を取ってくれる訳でもない彼らの言葉で立ち止まるのも勿体ないなと。

色々あって兄が沢山学費を使ってしまい、家計に気を使っての選択でもあったので、何なら自分を褒めたいと思います

機会があれば、国内海外わず、是非色々な所に行きたいです!(できれば仕事留学で……。)色々な土地文化を見た上で、故郷が、あるいは私が、どうやって戦えばいいのか、何か見出す事が出来れば良いなと思っています

2019-01-13

鼻緒を直した話

ということで俺は既に高校の時はそれなりの足フェチになってしまっていたのだ。

文系人間だったか国語古典か好きで、小説評論とか読んでいるうちに、江戸時代かに女性の鼻緒を古のイケメンが直すって言う展開があることを知った。

古典先生なんかもその話をしていた。

はいつも、それは足フェチ絶好のシチュエーションだし、でも女性を助けてもいるわけで、なんというかアウフヘーベンしているなと感じていた。

江戸時代浮世絵なんか見てると、結構美女下駄に素足で、足フェチの大先輩たちもこれを見て大いに感激していたのではないか勝手想像していた。

クラスの好きな女の子が、お祭りの時に鼻緒が切れてしまい、自分がそれを直して上手い具合に足の甲にキスする夢を見てから、それを想像するだけでオナニーができた。

ネットは既に人口膾炙していたから、何の気なしに鼻緒の直し方をネットで調べていた。

とくに5円玉を使うやつは、自分でもできそう、と感じて、シチュエーション相手女の子(の足)を想像してドキドキしていた。


ほいで、今日はそれが実際に起こった話なんだけど。

ある日の神社の夏のお祭りの時、クラスKさんの鼻緒が切れているのを見かけた。

俺は祭りに一人で来ていて、友達の集合に遅れてしまっていた。部活動があったんだ。

俺が来たころには田島の家に行ってスマブラしていたようで、俺は置いてけぼりになっていた。

田島の家に行こうとしたところ、クラスで一緒のKさんが灯篭的なところに佇立していた。

俺は素足の入れ食い状態だったので足下ばかりみていたのが幸いした。


Kさんと気付いてすぐに、彼女の鼻緒が切れていることに気が付いた。

「おつ、鼻緒切れた?」

「あー、うん」


Kさんクラスでも目立たないグループにいて書道部の長身女性で、自身もそんなに目立つタイプではない。

人の美醜にあれこれ言うつもりはないけど、クラスの派手なグループに属している女の子ではなかった。

同じクラスだけどほとんど話したことがない。

友達と合流しようとしたら鼻緒が切れてしまったらしい。


「直す?」

「直せるの?」

ネットで見た」


彼女は笑って「じゃあやって」と言いながら足を差し出す。

俺は薄手のハンカチを持っていた(なんでかは聴くいね)。跪く。

5円玉を財布に探すも、ない。Kさんに聴いて、Kさんからもらう形になる。

にわか理想シチュエーションを迎え、いつの間にか俺の心臓は張り詰める。

ややおくれて、ちょっとあれだがあれも張り詰める(仕方ないじゃん高校生なんだから!)。

Kさんの足、大きくて形がきれいで指も長いし形がきれいだし、爪が大きくて奇麗でかっこよくて、また白い肌のきめの細かさや僅かに触れる肌の質感も印象的で忘れられない。

足を通して調整するときの足の蠢きにエロスを思わず感じてしまう。

薄い色のフットネイルにようやく暗がりの中で気が付く。

ちょっと苦心したけど、完成する。

やや緩かったようだけれど歩けそうだとのこと。

少し歩いて、ほどけてしまう。

「ありゃ?」とか言いながらもう一度結び直す。

Kさんも、このやり方でできそうなことを察知して、もう一度足を差し出す。

ちょっときつく縛りなおして、今度こそ完成。


俺はここでミスって、思わずKさん、足きれい……!」とこぼしてしまった。

Kさんは鼻で笑うような感じでちょっと拒絶の色を見せつつも「もー、何言ってんの」と優しく答えてくれた。


「ありがとー」

「いえいえ」

「どっか行く予定だった?」

田島の家」

「あーごめんね」

「いいのいいの」

「じゃあまたね」


そのあとKさんとは特に何もなく、俺は別に人生初めての彼女ができてすぐ別れたりした。

確かKさんはその学年のバレンタインの時にクッキーをくれた。


この前の正月33歳になった我が学年の同窓会で、Kさんと向かい合わせになった。

面長はそのままに、ちょっと大人らしく美しく丸みを帯びた面貌。

お化粧も髪型もすっかり30歳の装いだった。

図書館司書をしているらしく、会計年度任用職員の話で盛り上がった。

嘱託職員は大変だが、図書館司書はご存じの通り非正規雇用が大変多くなっている。

話す際の手ぶりや料理を食べお酒を飲む仕草、いつの間にか大人びた挙措を備えており、自分(達)の至った年齢を改めて感ずる。

鼻緒の話になる。

彼女ちょっと酔った調子で「あのころが懐かしいねえ」と言いながら、掘りごたつの下で、かつて鼻緒を結んだ右足で私の足の甲を優しくペタペタ踏んできた。

黒のタイツ感触、……うん!

ああこうして足フェチの旅は続いて行くんだ……と俺は決意を新たにして、故郷を後にした。

あらゆる能力が75点くらいある人ってすごいよね

公立学校ではだいたい頭がよくて

スポーツテストはだいたいA判定

カラオケでもある程度音があってたり

部活動はそれなりの強豪校でレギュラー

大学は言っても恥ずかしくない程度の知名度があって

仕事もそれなりに功績を残しつつ人に言ったらほどよく評価される職業

定期的に会う友人が5人くらいいて

2〜4人程度の異性との交際経験があって

27〜33歳くらいまでの適齢期に結婚して

そういうあらゆる能力が75点くらいある人ってすごいよな。偏差値でいうと58〜63くらいに当るらしいけど。本人はそれが普通だと思ってて謙虚に言ってるつもりでも、どっかで嫉妬を受けてるからな。こういうレベル人達って努力する能力があると思う。努力は報われるって信じてるというか。報われなかったたくさんの人が世の中にはたくさんいるし、努力の仕方が上手くない人だっているもんな。

そういう人の気持ちもわかってほしいよな。

2019-01-09

体罰疑惑動画流出大炎上した結果wwwww

ただの八つ当たりなことバレた上に他の体罰案件もついでにバレて減給4ヶ月喰らったンゴ…

https://anond.hatelabo.jp/20170515003641

今更ながら続報ないか調査した

朝日(archive.orgで確認可)

http://www.asahi.com/articles/ASK7X52RZK7XPTIL00W.html

産経

https://www.sankei.com/west/news/170728/wst1707280082-n1.html

あと読売新聞(20170729)でも報道されたっぽい

軽くまとめると

普段練習の一環ではなく男子部員物言い生意気だと感じた結果の行動であった

・本炎上事件以前に部活動指導中に2、3年生の男子生徒3人の顔をたたいたり、腰を蹴ったりしていた

減給4カ月(10分の1)の懲戒処分

実名報道は無し

くぅ〜キッツイ結果

炎上時に擁護してたツイートとかも結構あったが全て的外れでただの暴力野郎だったわけだ

懲戒の内容とかが妥当かは置いといて、結果的にはあの炎上案件炎上起きて正解だったと判断していいね

というかあの炎上に加担したRTした奴らとかブクマカとかこの続報どれくらい知ってんだろうか

自分も今更知ったわけだけどそもそも続報がちゃん報道されるとも思ってなかったわ

2019-01-04

anond:20190102063518

面白そうなので私も書いてみようか。東日本公立学校卒→東大理Ⅰのケース。

・家庭環境

電車は通っている、程度の田舎町。父は高校教諭、母は学校事務員、同居する伯母は小学校教師。そういう家庭だから学業に対する意識は高かった。

田舎町なので私立中学校などというものはなく、受験高校から

小学校入学

小学校入学からそれなりに頭は良かった記憶がある。特に算数が得意で、数の理解も早かった。

両親が共働きなので、朝保育所に預けられて、放課後は母の知人が預かってくれていた。この養母のような方には今でも感謝している。

小学校

選択肢も何もなく近所の市立小学校入学国語算数理科社会はまあオール5。伯母の影響で音楽の成績も良好。体育は3。典型的頭でっかちで、いじめられっ子になるという定番コース大人になってから「ごく軽度のADHDだったのでは?」と言われたことがある。

うちの小学校には、4年生になったら全員部活に入ること、という不文律があった。男子ソフトボールサッカー女子ミニバスケットボール合唱しか選択肢がない。4・5年生の間はなんとか回避していたが、6年生では避けきれずサッカー部に入部。運動が得意じゃなくコミュ障な上に「6年生なのに新入部員」で、部のしきたりも知らずあからさまに浮いていた。今から思えば入るもんじゃなかった、のだが、そういう「自分には向かない世界」を早く知ることができたとも言える。

自宅近くにそろばん塾があったので、小1の時に親の勧めで入塾。かなりさくさくと習熟して、市内の競技会(というものが当時あった)では上位の常連だった。但し、それなりに上達してくると飽きる悪癖があり、塾も徐々にさぼりがちに。小6で辞めた。お山の大将になるのはそれなりに簡単でも、世の中にはもっと上の人がいる、ということを子供心に知らされる。

運動が苦手なことを懸念した父により、同僚が運営に携わっている剣道同好会へ入門させられる。中3までの間、道場には週2回真面目に通ったが、練習は不真面目で大して上達もせず。

中学校

選択肢(ry)市立中学校へ。成績は相変わらず。部活動のバリエーションは増えたが結局のところほぼ全部運動部で、剣道部に入って万年補欠。帰りに学校近くの駄菓子屋ゲームやって帰ってくる生活

英語塾に行った他には学習塾の類は行かず、自宅での勉強のみ。この頃までは「学校で課された科目」だけ順調にこなしていたと思う。

高校はいわゆる進学校しか考えてなかった。地方の常で、歴史ある県立高校偏差値的な意味トップ私立すべり止め扱い。模試では毎回トップ争い。

受験すべり止め無しで本番一発。直前に風邪を引いて親は心配していたが、合格圏内には入った。

高校

進学校なので、近隣中学校の成績上位クラスが集まってくるため、何でもありな小中学校とはかなり雰囲気が変わる。校風リベラルで、校長先生もその校風に沿ったユニークな方だった。

部活動は管弦楽部に入部。やっと運動部の呪縛から解き放たれる。管楽器中学校ブラスバンド経験者が占めているため、素人必然的弦楽器担当ヴァイオリンを弾くことになった。相変わらず不真面目に練習して、東大でもオケに4年間在籍したがその後はぱったり。


2年生で文系理系コース分け。私は理系クラスへ。成績は高校でも順調だったが、伸び悩みも出始める。そんな頃に、部活の1学年上の先輩からの勧めでZ会に入会。当時の地方在住高校生で、難関大志望の人は大半が入会していたと思う。教科書レベルを超えた難問・良問で鍛えられた。おかげで授業中は講義スルー、ひたすら問題集を解くことに集中。部活後に家へ帰って夕飯を食べたら深夜までZ会に取り組む生活が続いた。

科目としては数学化学は得意で、トータルでは学年トップクラスだったが、物理が苦手で平均点+α程度。これはまずい、と対策…した筈なんだが具体的な中身を思い出せない。結局教科書に沿って、一番最初力学から復習したんだっけかな? 3年生になる頃までには苦手意識も解消。

中学生の頃からパソコンで遊んでいたので、大学最初東工大第5類を考えていたが、周囲からの「行けるなら上行っとけ」というプッシュで東大理Ⅰを目指すことにした。Z会にも東大コースがあるのでそちらを開始。模試は毎回A判定なので、これならいけるかなと。

センター試験自己採点は720点ぐらいで、足切りクリアできただろうと。当時の東大入試は、1次と2次の成績が1:4の比で加算されるので、ぶっちゃけ1次は足切りさえクリアできればオーケーレベル。(理Ⅲは知らん)

2次試験は、前期は東大理Ⅰ、後期は東大理Ⅰの出題形式ちょっと特殊なので、トラディショナル形式京大工学部受験することにした。大学受験私立すべり止め無しの舐めプ

初日に、得意な筈の数学で大問6問中1.5問しか解けず「これはやべぇ」と焦る。理Ⅰ合格ラインは2.5〜3問。残りの化学物理英語で取り返すしかないので、宿に戻って総復習。幸い2日目は好調普段よりよく出来た感触。かつて苦手だった物理もきっちり得点源にした。

結果、現役で一発合格

・その後

地方お山の大将は、東大生の一部であるスーパーマンを見て我が身の程を知るわけで。いろいろあってどうにか卒業就職してエンジニアやってます

受験生の人は、なんだかんだ言ってもやはり王道は反復練習なので頑張って。大学に入るとがらっと世界が広がります

2018-12-28

褒められるんじゃなくて愛されたい

表題から察せられる通り、私は人から褒められた経験こそあるものの、他人から愛された経験というのが激烈に乏しい。

友人も少ない、恋人ができたことなんて一度も無い。

正直に言って、これがかなり大きなコンプレックスになっている。

こういうことを言うと、親はあなたのこと愛して…などと言う人がいる。

かに現在、両親との関係は悪くは無いが、ただこれまでに全く問題が無かったかといえばそれは違う。

どこのご家庭でも大なり小なり多少の問題はあると思うが、うちの場合はまず、母親がかなり不安定な人だった。基本的には大人しい性格の人なのだが、ヒステリーを起こしやすい一面があった。母といえど他人なので彼女の正確な心の動きが分かる訳ではないのだが、ストレスが溜まりカッとなる、という感じだろうか。そうなると家の中にある物、大体は家具に当たっていた。明確に覚えている範囲では、子ども用の小さい椅子リビングの壁に投げつけていたことだろうか。これは今でも壁に傷が残っているので、子ども記憶違いではないはずだ。

あと、これは記憶がおぼろげだが、家の中で母が私を足蹴にしたこともあった。実を言うとこの辺は直接その時の記憶がある訳ではなく、よそのお母さんは子供を蹴らないという事実を知り、子どもながらに引け目を感じたとき記憶があるため、多分そうなのだろうという感じだ。

他にも色々、あるにはあるが、とりあえず子供時代の私は母を非常に恐れていた、ということだ。

これはあくまで昔の話であり、今の母は年の功なのか、かなり穏やかな人になっている。その為、現在私と母はそれなりに良好にやれている。

次に父親だが、一言でいえばかなり自己愛の強い人だ。

子どもの頃は、面白い良い父だと思っていたのだが、成長するにつれ彼の精神的な幼さが目に付くようになってしまった。詳細は省くが、言うなれば自分の子相手マウントを取りたがる親なのである

しかすると、この程度のことはごく普通ことなのかもしれない。経済的には、豊かとはいえないまでも不自由しなかったので、その点に関してはありがたいことだと思っている。傍から見れば、大人しい母に明るい父、中流階級程度の暮らし。恵まれている方なのかもしれない。

ただ当人の実感としては、あまり愛情を感じることが無かった。産み育てて貰っておいて言っていいことなのか分からないが。

二人とも子供に対する愛情が全く無いわけではないのだろう。ただ昔の母にはその余裕が無かったし、父は子供への愛情より自己愛が大きかったというだけの話だ。

メンタルヘルス系の書籍を読むと、精神的に満たされない事由の原因は親との関係に起因することが多いらしい。だからといってすべてを親のせいにして良い訳は無いが、まあ納得してしまう部分はある。

恋人ができたことがない、と冒頭で述べた。それ以上でもそれ以下でもないただの事実なのだが、そもそも私は恋愛に縁遠かった。

最近小学生でも彼氏彼女を作ったりするらしいが、私の世代だと、恋愛ごとに興味が出てくるのは大体中学生くらいだった気がする。そして私の中学時代は少しばかり悲惨だった。

私はまあ、生まれ持った顔立ちが可愛くない。ブスなのである。そこに人の言葉額面通り受け取ってしまう真面目さというか馬鹿さが加わってしまった。

中学では制服校則といったものに初めて触れたが、厳しめに作ってある校則部分的には破ることが前提で、先生方もそれを黙認しているようなものであった。

しかし真面目というか、もはや空気が読めない私はそれらをきっちりかっちり守ってしまっていた。髪の毛はおさげ一本結びで一房も出ることの無いよう、前髪は目にかからないよう七三、顔の横にも当然毛は垂らさない。ただでさえブスな顔をフルオープンにしていた。ついでに眉毛も整えたりなんてしなかったため、ボサボサの眉毛晒していた。

そして人から、主に男子からブス、キモいという誹りを受けるようになるのに時間はかからなかった。暴言は常に、一応女なので暴力こそほぼ無かったが、消しゴムをちぎったのを背中に投げられる、くらいはされたものだ。個人的には、私や私が触ったものを汚いもの扱いされるのが心に刺さった。(これに関しては小学生の時にも似たようなことをされた。「○○(苗字)菌」といって人をばい菌扱いして擦り付けあったりするやつ)

中学三年間男からはそんな扱いを受けていたため、結果として男子というのは得てしてそんなものなのかという認識根付いた。

私を馬鹿にしていたのは、何も男子だけではない。

一年生のうちから男子には中傷されるようになったわけだが、そんな中でどうしてか私に親しげに話しかけてくれる女の子がいた。一応、友達グループのようなものがあって、私もその中の一つに所属していたため女の子友達はいた。

だがその子は私のいるグループより遥か上のグループに居る、所謂クラスボスポジションの子だったのである。どうして私なんかに声をかけてくれるのか不思議ではあったが、当時は単純にそれを嬉しく感じていたのである。当たり前だが、それには裏というか、そう呼称するにすらふさわしくないアレがあったのだが。

中学入学当初、私は成績が恐ろしく振るわなかった。そのため親の方針により二年生前から塾通いを始め、成績を向上させることに成功した。だがここで、勉強を始めたことにより脳がよく働くようになったのか、あの女の子が考えていたことにも気付いてしまった。

要するに彼女は、話しかけられた私の反応を見て面白がり、それを同じグループの子と一緒になって嘲笑っていたのである

その後、私がその子と会話することは二度と無かったが、一度そうした悪意に気付いてしまうと、芋づるのように過去記憶が掘り起こされ、疑心暗鬼になるものだ。

失礼を承知で言うと、同じグループにいた友達のことを疑うことは無かった。私と同じグループとは、つまり「地味」なグループのことであり、仲間内で結託しなければ教室内での最低限の権利的なものが危うかったかである

私の中学時代は大半の男子と一部の女子に蔑まれていた生活だった。

それでも友達になってくれた当時の友人には心の底から感謝している。私が中学校に通えたのは彼女たちのおかげである中学卒業と同時にほとんど連絡を取らなくなってしまったが。

中学がそんな環境だったため、私が初めて恋愛ごとに触れたのは高校でのことになる。

中学時代ろくに部活動に励まなかった私は、高校とある文化部に入った。

そして、そこにいた同級生男の子を好きになった。

彼が特別に頭が良かったとかかっこよかったとか、そんなことは無かったように思える。ただ、男子は皆私をキモいもの扱いするのだと思っていた私にとって、何を蔑むこともなく接してくれる彼は特別に見えたのだ。わりと人生最大級に浮かれていた気がする。

だが、彼も所詮男子高校生だった。いや男子高生全てがそうな訳ではないのだろうが、かいつまんで言えば彼は、可愛い女の子コミュニケーションを取れることをステータスだと思っているタイプの男だったのである

この表現で伝わるかどうか分からないが、自分を正しくブスだと認識している私は当然ショックを受けた。彼が可愛い女の子に対してする態度と、私にする態度が同じでは無かったことにも気づいてしまった。

それから程なくして彼は、同じ部活の後輩(可愛い)と仲良くなる。この時点で部活を辞めてしまうなりすれば良かったのかもしれないが、駄目な方に真面目な私は三年間きっちり同じ部室に通い、好きな人と後輩のイチャイチャを見ていた。

勝手に舞い上がった私が完全に悪いのだが、このとき受けた傷はちょっと今でも治っていない。

同じくらいのタイミングで、高校生にもなるともう勉強を頑張るだけでは認められないことも悟ってしまった。

基本的に真面目な生徒だった私は、試験前に先生のところに質問に行ったりしていた。そうした勤勉さを先生は褒めてくれる。それは私にとって少なからず嬉しいことだった。だが、先生別にわたしのことを特別好きではないんだとも思うようになっていた。先生方が好きなのは、成績こそ上位ではないが、愛想がよくて人懐っこい生徒だ。用事が無ければ話しかけられない私と違って、何は無くとも寄ってきてくれるような子が好きなのだ

学校先生だって人間なのだから好きな人とそうでない人とがいて当然だ。

高校で気付くなんて遅すぎたくらいだ。

学校先生だけじゃない、むしろ世の中の人間の大半が私みたいなのじゃなく、懐っこい子が好きなんだろう。

そういう子は、だいたい彼氏がいて、友人も多くて、幸せそうにしてる子が多かった。

ここで私は、ようやく自分の求めているもの理解した。

勉強して、それで褒められたり、評価を得ることは出来る。

でも、それで人から好きだと思われることは無い。

から向けられる愛情は、お勉強いくら頑張っても手に入らないのだ。

そういうのは、(いかんせん愛された経験に乏しいので憶測だが、)可愛い容姿とか愛想とか機転とか、あるいは自分への自信とか、大体私が持ち得ないもので得られるものらしい。

色々ある中で、気遣い笑顔を忘れないでいられるというのは素晴らしいことなのだろう。

だがどうしても意地悪く考えてしまうのである

愛されている彼女たちは、はたして容姿を貶されたり善意だと思っていたものが実は真反対のものだったり、そんな経験をしてきたんだろうか。

精神的に安定した大人が築く家庭で育ったんじゃないだろうか。

少なくとも彼女たちの顔は、私より可愛く見えた。

自分が触ったものを人が触るときに、いちいち怯えたりするんだろうか。

高校で気付いたこ事実は、高校卒業してからもだいたい事実だった。

ついに真面目の殻を破れなかった私は、愛されないまま今日に至ってしまっている。

そして今日も私の周りには、愛されている可愛い女の子がいるのである

の子たちだってそれぞれに苦労したり、努力したりしてるなんてことは分かってる。

でも、私だって少なくとも人並みには辛い思いをしてきた。

勉強も、高校を出てから仕事も、頑張ってきた。

なのになんであの子たちは愛されてて、私は誰からも愛されないんだろう。

この先頑張っても、私が欲している愛情を得るのはああいう子たちなんだろう。

欲しいものが手に入らないのに、頑張る意味ってなんなんだろう。

私が悪いのかな。私の出来が悪いから。真面目なばかりで空気が読めないからなのかな。

少しずつ、お洒落も化粧も覚えてきた。少なくとも中学の時よりはましだ。それでも私が誰かに愛されることは未だ無い。

ひたむきに頑張っていればいつかは手に入るのかな。

いつかっていつだろうな。

愛されないのに何で生きてるんだろう。

2018-12-23

親と話すとパニック発作が起きますが、実家に帰らされることになりました。

 タイトルが全てです。

 今の私には上手い対処法が思い浮かばないので、

おとなしく従おうと思います

以下はただの感情を宥めるための吐き出しです。

疲れて頭が回らないので推敲などはしていません。

再読すらしていない書きっぱなしなので読みづらいです。

わざわざ読んで時間無駄にすることはありません。

キチガイ勘違い被害妄想がたくさん含まれているので真に受けないでください。

1.経過

 幼少期から両親に苦手意識があり、情緒不安定子供でした。

理由不明です。

強いて言うなら、母は精神疾患持ちでヒステリックであり、

父は素面とき過保護なだけの良い父親でしたが、酒を飲むと意味もなく独り言暴言を吐き、大きな音を立てて扉を閉めるような人でした。

また、私は発達障害者なので、私のコミュニケーション能力などに原因があったのかもしれません。

(※発達障害の診断自体は成人後に受けました。

 (ADHDASD協調性運動障害

 しかし、小学生の頃には担任発達障害を疑われていたので、当時から難有りの子供だったのだと思います

変わったところはある家庭ですが、毒親とか虐待とかまではいかない微妙ラインだと自己認識しています

(※母に、子供日本語が通じなくて怖いから幼少期はネグレクトしていたと近年告白されましたが、単にほったらかして一人で遊ばせていた程度のことだと捉えています

 そもそもそれを私に告白してどうしたいのでしょうか。

 私の世話は父が主にしていたようなうっすらとした記憶はあります

 n年前、就職と同時に上京し、一人暮らしを始めました。

(※家族親戚一同から地元就職を暗に望まれていましたが、運良く東京配属に滑り込めました。)

就職直後は実家から解放された喜びもあり、調子が良かったのですが(躁転なので本当は良くない)、

生来不安性や情緒不安定さ、発達障害などのためか、次第に生活業務に困難を抱えるようになりました。

発達障害者社会適応、正直無理ゲーじゃない?)

一時期、プレッシャーの大きく、長時間労働を伴う業務に付いたこともあり、

それがとどめとなってか、

結果として最終的には重度の鬱状態に陥りました。

 診断は双極性障害の2型です。

現在の症状は典型的鬱状態のため、詳細な説明は省きます

なお、躁鬱の自覚症状自体はは高校生の頃にはあり、

ちょうど入社直後に大きく躁転したことを切欠に、

上手くコントロールできなくなりました。

 復職と失敗を繰り返した結果、

現在会社の方から1年以上の長期の休職命令がおりたところです。

 休職となると私が東京に留まる理由もなく、

しろ経済的に厳しくなるため、

帰省余儀なくされているところです。

(父がそういうふうに展開を誘導したことは否めません)

2.実家の現状

 現在実家の状況は、あまり芳しくありません。

 私が上京する少し前に、母は精神疾患により長期の入院となりました。

なお、この時に初めて私は母が学生時代から精神を患っており、独身時代入院歴もあったことを知りました。

それまではずっと、母に癇癪を起こさせるのは私がキチガイからなのだと信じていました。

母はその後入退院を繰り返し、今は入院中です。

(※母の疾患に関する詳細は省きます

 父は、平時は非常に優秀且つ良き父親でしたが、先述した様に、些か酒癖が悪いです。

般若面のような顔をして暴言を吐く父と二人で食事をするのは、正直少ししんどかったです。

また、無自覚ながらも高圧的なところが有りました。

彼の過保護さは抑圧と表裏一体でした。

部活で帰りが遅くなったからって、酔った父から数分間暴力を受けたこともありましたが、いつ思い出してもちょっとよく意味が分かりません)

そもそも何故か私は部活自体が禁じられていましたが、流れとゴリ押しで入部しました。部活動はとても楽しかったです)

 我が家では、父>母>私という明確なヒエラルキーがありました。

(遅くなりましたが、私は一人っ子です)

ただし、ストレスの発散方向は、

父→母→私で固定されていたので、

直接父からストレスの発散としての不機嫌さを向けられたことは少ないです。

もっとも、父の不機嫌さを受けることにより母のヒステリー悪化したため、

そのヒステリーを受ける私の精神ダメージは結局増大するのですが。

 また、父はもともと精神疾患者を迷惑がり、下に見ているところがありました。

休職中の同僚に対する悪態を聞いたことがあります

(なんで母と結婚したんだ?)

父は入退院を繰り返す母にあからさまにうんざりしており、

私が帰省したとき、父は明らかに母に精神DVを振るっていました。

正直ドン引きしましたが、当時の私にはそれを真剣諌める元気はなく、

少し口出しはしましたが、ほぼ見て見ぬフリをしました。

そもそも、あの人たちと真面目に会話しようとすると、平静を保っていられなくて怖くて、迂闊に行動できませんでした。

 この頃にはもう、彼らの顔を見たり声を聞くだけでつらく、真顔を取り繕うのも厳しかったです)

現在も母の病状は芳しくなく、父の酒癖やDVもそのままだと思います

 余談ですが、入社直後に大きく躁転したのは、

入社直前に起きた母の入院に伴う様々なトラブルに起因する、過去最悪の鬱転の反動です。

あの三ヶ月間の私は、道を歩いているだけで唐突に泣き出すような奇人でした。

(発生していたトラブルの詳細は省きます。思い出したくない)

3.懸念事項

 下記は、私が戻らなければならないことを前提として記します。

もっとも、父がそういうあらすじを書いた以上、ヒエラルキー下位の私は逆らえないのですが。

 まず、精神疾患者を下に見ており、なおかつ精神疾患者にうんざりしている父の元に精神疾患者の私が戻ることで、

父の不機嫌さがさら悪化する恐れがあります

父は私には甘いのですが、それでもいずれ我慢限界は来るでしょう。

 次に、母の入院によって、父のストレスの発散先が私になる可能性があります

正直この数年の母の精神疾患は、母のストレスの発散先である私の不在に加え、父からDVによって悪化しているのではないかと私は考えております

しかし、私が実家に戻ることで、おそらく日常の細やかなストレス解消は私の役割となるでしょう。

一々病院に行くより近いですから

ただでさえ日常生活も厳しいような状態の私が、父のストレス発散対象に選ばれることでどうなるのか、考えたくもありません。

療養は諦めて、修行と思って己を鍛えて克服するしかないでしょう。

再び家を出るにはなんとしてでも私の精神疾患を治さなくてはいけないため、

無理してでも治ってしまったら雨降って地固まるですね。

 3つ目に、母と日常的に接触しなければならないことが挙げられます

私は主に母のストレス解消の役割を担っていたため、父よりも母と接触するほうが情緒不安定になりやすいです。

また、私は自分を母と似たような人間であると考えているため、母を見ていると私を見ているようで非常におぞましい気持ちになり、自己嫌悪で居た堪れなくなります

父と会う場合にはその場はとりあえず我慢して、その後自室やトイレなどに籠もってから涙を流して受け流しますが、

母と会う場合にはそこまでの我慢もできず、その場で発作を起こしてしまうこともありました。

(なんで理由もないのに涙が止まらなくなるんでしょうか。正直、止めたくても止まってくれなくて非常に不便です)

 あとなんか他にも色々あった気がするけど忘れました。

雑多なところで言えば

・今の主治医とかかりつけ薬局を信頼しているため、転院に不安がある

地元気候身体に合わない。

地元友達が(東京より)少ない

そもそも東京のほうが圧倒的に住みやす

などがあります

全体的に、今の私には言う権利もないような我儘ばかりですね。

外出も覚束ない状態ではあまり関係のない話でした。

ここまで書き殴ったら少し気分が晴れました。

問題は何も解決していません。

 先程、父と2時間くらい会話した結果、

5時間くらい泣いたり過呼吸したりを繰り返して収集がつかなかったので、

文章に吐き出せて良かったです。

そもそも書き殴りなので文章の体を成していない)

肉体は疲れ果てました。

 パニック発作がここまで悪化してるとは思わなかったので、今までこの症状に関して主治医相談したことはありません。

流石にこの状態では色々と怖いので、主治医頓服精神安定剤など服用できないか聞いてみたいと思います

主治医には実家に帰ること自体、避けたほうが懸命だと言われましたが……。

お金がないのは仕方がない。

治療する気があるのかって叱られても文句は言えない。

 カウンセリングとかで解決しないかな、と思って提案してみましたが、

カウンセリングできる病状ではない

・傷を掘り起こすことで悪化する

のでやんわりと断られました。詰んでる。

 実は以前に2回、父との通話中に我慢できずに泣いたことがありますが、

父は、私が父を恋しくて泣いてると勘違いしてくれたので丸く納まりました。

私は父が怖いです。

 しばらく前に、母の蔵書の目立つところに

『「子供を殺してください」 という親たち』

が置かれていましたが、これが母によるなにかの意思表示、嫌味でないことを願うばかりです。

 余談ですが、この話の最大の被害者は父です。

本人が身体障害手帳持ち)というハンデを背負っている上に、

妻は精神障害者(手帳持ち)、

娘もどうなるか分からないと言うこの状況は流石に申し訳ないです。

私の将来の夢は、

私が責任を持って両親の介護をして、

解放されたあとはできる限り人に迷惑をかけないように一人で老い死ぬことでしたが、

それも果たせそうにありません。

(ここで書かなくても良い父の身体のことを書くのは、

本人に気づかれない程度のちょっとした嫌がらせです)

 最後に。

上京してから色々なことがありましたが、

基本的地元にいた頃よりもずっと良い事ばかりでした。

初めて生活が少し楽しくなりました。

初めて泣かない日ができました。

挨拶をしてもしなくてもランダム罵倒されることがないのは、とても快適でした。

残業帰りに近所のコンビニで買って歩きながら齧ったカロリーメイトも、美味しかったです。

東京趣味に関するショップイベントコミュニティ豊富だし、

社会に馴染めない変わり者にも寛容なコミュニティが多く、居心地が良かったです。

私の様子を見ておすすめ心療内科をこっそり教えてくれるような友人、地元で巡り合うのは難しかったでしょう。

もしも今地元で、あるいは実家で息苦しい人がいて、万が一この部分だけでも読むことがあったら、

家を出る、都会に出るという選択肢があることに気づいてほしいです。

手遅れになってからでは遅いので、一刻も早く決断してください。

都会、楽しいです。

実家の外は、安心できます

 主旨も何もないメチャクチャ駄文を吐いてしまって申し訳ありません。

以上、乱文失礼いたしました。

(これで文章を締める癖が抜けないちょっと昔のオタク

追記(1223-1910)

はてなに長文を書くのは初めてなので常連ではないです。

誤解を産んでしまったならごめんなさい。

証明する方法がないのですが、黙っておくのも申し訳ないので、一応宣言だけしておきます

強いて言うなら、私はAセクかつ性嫌悪なので、

彼氏旦那がどうこうと言う文章をかけるような想像力はありません。

というか想像すると気持ち悪くて無理。

なお、生活保護の方向も検討しましたが、父をどう言いくるめるか考えて諦めました。

アドバイスいただきありがとうございます

2018-12-20

こういう教育がいいな

こうやれじゃなくてこうだったらなあってだけ。

教室内はフリーアクセスとしてpcタブレットを導入し、

入室はセキュリティカードを使う。

給食は配膳に時間がかかるので仕出し弁当とする。

ウォーターサーバーを導入し、お茶などが自由に飲めるようにする。

授業時間は警備会社警備員が各フロアに1名待機させる。

部活動は、専任講師を雇う。

2018-12-19

大人になり、アラサー近くにもなってふと思ったのは、自分の住んでいる街の一番偏差値が高い高校に行きたかったなという事。

かく言う私は、当時色々あって精神的にも肉体的にもボロボロ状態精神科に通院するのが精一杯で中学ですらロクに行けなかったので、高校は行きたくなったのだが、親が高校だけは出ておけと強く言うので

しぶしぶ仕方なく通信制高校に行って、とりあえず卒業はした。

当然、そんな肉体精神共にボロボロ状態が治ってもいない状態で通学してたので、正直言って中学高校記憶殆ど無いし思い出したくも無い。

つい最近工業高校の思い出を語る人を見かけたんだけど、とても楽しそうだった。

私も物作り系は趣味でやったりと好きなので、そういう経緯もあって何気なく地元工業高校について調べてたら、アクセスは悪いが、とても面白そうな授業をしているんだなと思った。

専門職に就かないと触れないような機械知識について高校の時点で学べるんだから、羨ましいなと感じた。

次に工業高校偏差値ってどんなもんなのかと気になり、気が付いたら地元偏差値が一番高い高校が目に付き調べてた。

地元の一番偏差値が高い高校は、いい意味校風自由で、私服通学だったり余計な校則が無かったりと評判がいい。

HPを見ると部活動の記録とかあるので見てたけど、かつて私も入部してみたいなと思ってた憧れるような部活もいくつかあって惹かれた。

10代の頃もその偏差値が一番高い高校に憧れていたが、高嶺の花もいい所だった。

当時は当然病気勉強出来る状況じゃなかったし、仮に健康だったとしても勉強は出来ない側の人間だったので、普通偏差値高校ですら厳しかったと思う。

勉強も出来なければ、スポーツも出来ないタイプだったからね。)

もしも、来世というものがあるのであれば。もしも、また人間に生まれ変わるような事があれば。欲を言えば文武両道、せめて苦手な科目がない程度には勉強出来る人間環境に生まれたいな。

現世の私はステータスプラスにするどころか、マイナスの数値をゼロにする事でいっぱいいっぱいだから

2018-12-13

anond:20181213104121

いわゆる部活ものは「謎部活」と言われるだけあって

現実には存在しなさそうな奇妙な部活

あるいは名目上の部活名とは関係のない駄弁りやトラブルバスターなどの活動

をしていることが条件としてある。

2018-12-07

就職時の慶早

慶應義塾大学早稲田大学

私学の雄と言われ何かと比較される2校に両方合格したとして、個人的好き嫌いや狙っている部活動ゼミ存在があるならともかく、単純に損得で語るなら慶應の方を勧める。

理由は、就職の時に得だから

自分学生時代早稲田の方がざっくり8割増で学生数が多かった。

では、就職時に各企業早稲田学生慶應の塾生の8割増しで採用するか?

企業は厳密に固定ではないものの、ある程度の採用目安を持っている。東大から〇人、早稲田から△人、慶應から□人といった具合。

残念ながら、早稲田学生採用数≧慶應の塾生の採用数×1.8ということはない。

せいぜい同数+1~2というのが関の山

このことは、裏から考えると就職活動において最後ライバルとなるのは、同じ学校学生(塾生)ということを示している。

よって、早稲田の方が就職時にライバル数が多くなり、慶應の方がまだマシになるという結論になると思うのだが、どうだろうか?

高校部活がしんどかった話

初めての匿名ブログです。

同情してほしいとか、意見がほしいとかと言うより自分の頭の整理のために書き留めます

長文になりそうなので先にまとめると「先生と生徒が付き合っている部活空気しんどい」みたいな感じです。

私はとある高校入学し、中学ではインキャだったけど高校では同じ趣味の仲間もたくさん出来て幸先いいなぁ〜と思っていた時でした。とある授業で先生が「うちの学校軽音部は身内のライブしかしない、僕はもっと外で活動する軽音部を作りたいと思う」そんな話でした。私は中学クラシックギターを齧っていたので興味を持ち、のちに集まったメンバー形成されたのが第二の軽音部でした。

最初20人ほどいましたがだんだん減っていき、一ヶ月後には13人ほどで安定しました。全員ほぼ初心者の中でギターちょっと齧っていた私は多少目立っていたためそのまま部長になり、最初のお披露ライブも済まして部活としてはいスタートだったと思います。正直私は漫画主人公にでもなった気分でした(当時けいおん!ラブライブが全盛期)

しかし、半年ほどたった頃からだんだんおかしくなっていきました。

顧問おかしい、おかしいと言うよりなんだか気持ち悪い感じ。私自身ずっと部活内にいたので自然に行われすぎて麻痺していたのですが明らかに生徒と顧問物理的処理がおかしかったのです。

シンプルに言うとセクハラです。演奏指導するとき必要以上に触ってくるし、他の部員がいないときに二人で話すときの顔の距離やばい、鼻がくっつくレベル、土日の授業がない日はほぼ毎日部活でしたので昼食ももちろん一緒にとるのですが自分が使っている箸やスプーンで生徒に食べさせるのが当たり前の光景、今思い出すとゾワっとします。

部活でうまくいかないときこっそり泣いてたら顧問管理してる部屋に呼び出されて抱きしめられたりしました、その時はほぼ洗脳完了してたので抵抗もしなかったですが気持ち悪いなって思った記憶があります

私も最初はなんかおかしいと思ったのですがみんなが普通にしていると自分が気にしすぎなのかと思ってしまい、何も言えずそのうちに見慣れた光景になってしまいました。しかし周りから見ればやっぱり異様なので学校ではちょっとした噂になっていたようです。

だんだん顧問部員必要以上に構うようになりました、「俺に隠し事はするな」と言われたのをいまだに覚えています

部員だけ特別扱い、授業中に部員だけを異様に弄るし私は小テストで一問ケアレスミスをしただけで別室に呼び出され1時間近く怒鳴られ説教高校一年の冬頃から顧問に対する不信感が半端なかったし、顧問の授業に出るのがしんどくてその授業だけ保健室でじっとしている時期もありました。

一応芸術関係学科だったけど土日もずっと部活で絵を描く時間もないしストレスはすごい、絵が描けなくなって悩んでたら顧問に「お前、学生のくせに一丁前にスランプかwwwwwwwwwwww」と言われたのほんと一生忘れない。

やりたいと思うことを大人特有の圧で真っ向から否定して来るタイプでした。

校門の前で友達とたむろってたらいきなり走ってきて殴られて「校門の前で溜まるな!!!!」と急に怒鳴られて、半泣きで帰ったらメールで「さっきは勢い余って手を出してごめんね」と言って来る。典型的DV気質だと思う。

うちの部には通称公開処刑」と言う文化があって部員全員の前で顧問の受け持つ教科のテストが採点されるシステム勉強はしんどかった、同じ高校でも学科によって偏差値がかなり差がある中私は校内では一番頭のいい学科ギリギリで滑り込んだのでいつもクラス順位は下の下、しかテストで同じような点数取ってる他学科の子順位は真ん中ぐらい。ぶっちゃけ頭の出来は変わらないのに顧問にすごく罵倒されるしテストはとんでもなくストレスだった。勉強が大嫌いになった。

二年生になった頃には顧問の中で部活カーストが出来上がっていた、数名いた顧問お気に入りは小柄な可愛い系の女の子。そう、顧問ロリコンでした。

医学的にはロリコン小学生以下とか言われるだろうけど、よくわからないしとりあえず小柄な可愛い女の子がお好みだったようです。

ボーカル左利きギター女の子2人がお気に召したようで(2人は性格も人懐っこい)放課後特別レッスンもしていた。うちの高校は夜から定時制の生徒がくるので原則5時には帰らないといけないけれどその二人は特別顧問管理している部屋でみんなが帰った後、密室レッスン。

当時は熱心だな〜、でも怪しいなと思っていた程度だった詳しいことは知らないといった状態

から聞いた話だと色々アレなこともあったらしい。

あんまりきっちり覚えてないけど2年の中頃くらいか部活がしんどくなった、顧問が明らかにお気に入りの子演奏でもいいポジションに入れたりといった、明らかな「差」が広がっていた。

顧問お気に入り具合、テストの成績、音楽の才能、色々な格差が部内で生まれしか顧問お気に入りの子たちと顧問距離物理的にもっと近づいていた、はたから見てもわかる程度に。

ボーカルの子はなぜか顧問上着を着て校内を歩き回っているし、ギターの子はなんか異様なくらい頰染めしてる、その二人は顧問管理してる部屋のソファーで寝てることもよくあった。おかしい、この部活空気気持ち悪い。

私はベースの子クラスも同じ仲良しでずっと一緒に行動していたけどその頃から例のギターの子何故かが付いてくるようになった(特に説明はなかった)。

最初はなんでだろうなと思っていたけれど途中で悟った、こいつら出来ている。つまりベースギターレズカップルだった。

ここで一つ引っかかることがある、ギター顧問関係、アレはいったい何?

卒業するまで結局尻尾を掴めなかったので何も出来なかったけれど、卒業後にベース遊んだ時に「実は、ギターは私と付き合いながら顧問とも付き合ってた」と言われた、正直在学中に聞いていたら速攻通報していたかもしれない。

私は在学中の顧問部員カースト我慢出来なくて、部長という立場もあり一回顧問に問い詰めたことがあるけれど「部員カーストなんてない」の一点張り、その時の私はストレスMAX病院通いもしていたレベルだったのであまり正常な判断は出来なかったし言いたいことはいっぱいあったけれどうまく言葉に出来ず終わってしまった。

その時期の部活空気はしんどかった、私以外の部員ストレスMAXで、演奏中に過呼吸なんかしょっちゅうだった。

もう一人の顧問お気に入りボーカルちゃん彼女ギター顧問から引き剥がそうとしていた(ように見えた)。周りからそうとしか見えないレベル顧問ギター接触に割って入っていた。

ボーカルちゃんも相変わらず放課後個別レッスンはしょっちゅうだし何もないわけないと思う、美人な小柄の部員がいたけどその子にも多少手を出していたみたいだし(本人がトラウマだと言っていたけど具体的なことは知らない)、そんな顧問放課後個別レッスンで何もないわけないと思うし。

彼女はいくら問いただしても口を割らないし白を切る。聞いても「やましいことは一切ない」しか言わない、いや、やましい事ないわけないやろ!!!!!!!!いい加減にしろ!!!!!!!!!

やましい事なかったら顧問上着着て見せびらかすように歩いたりしないだろ、なんなんだお前は。

他人恋愛事情なんかほっとけばいいし関わらなければいいと思われるかもしれないけど部活空気に支障を出しているし、そもそも手を出されてたら犯罪だし、ほんとにあの時はずっとイライラモヤモヤしていたと思う。

部活動って卒業したら終わると思うじゃん?終わらなかった。いわゆるOBOGがたまに遊びに来るとかそんなレベルじゃない、進学しても結構な頻度で呼び出されて演奏会。顧問は私の学年が卒業したと同時に転勤したので他の高校軽音部に混じって練習、なんだこれって感じ。律儀に毎回出て行く私も私なんだけどなぁ。

顧問は転勤後もギターを度々呼び出し学校でヤってたらしい、もう呆れるしかない。もちろんギターベースちゃんとずっと二股していますベースちゃんは愛に飢えてるから呼ばれるといってしまうんだとさ、全然理解できん。その後ギター顧問に別れを告げたらしいけど家に押し入ってきたりストーカー行為が続いたらしい、ほんと気持ち悪い。

あ、今はベースギターは別れてそれぞれ別の恋人(男)がいるようです。

顧問イケメン新人教師とかなら漫画かよ〜〜〜ってなるけど40代ハゲの妻子持ちだからほんとに無理、なんやこいつ。

おかげさまで先生×生徒の漫画読めなくなりました。

シンプル犯罪だし捕まって欲しい、何が「俺に隠し事はするな」だよ、お前が一番隠し事してるやんけ。まだ教師してるんだろうな、これ以上被害者出ないといいなぁ。

転勤先の軽音部は顧問のやり方に付いていけず崩壊して廃部になったと噂で聞いた、それで正解。誰も幸せになれない部活ならやめたほうがいい。

これを読んで、なんでやめなかったの?っていう人もたくさんいると思うけど私実は一回本気で辛くて、部長だけど辞めようと思って退部届け出そうとしたり無断欠席したり色々したんだけどその度に全員に止められる、私はずっと中立を保つ立場だったから確かに私がやめてたらあの部活崩壊しただろうなと思う。結局三年間続けた。

部活としてはそこそこ記録も残せたし、人間としても学ぶものがたくさんあったので全否定はしないけれどまた高校を一からやり直せるなら絶対に入らない。

長々と書きましたがいまだに顧問F先生は夢に出て来るし、色々噂になってたのに周りの先生は誰も助けてくれなかった、助けは自分で呼ばないとダメですね、今後の教訓にします。

拙い書き殴りの文章ですが最後まで読んでくださった方がいれば本当にお疲れ様です、ありがとうございました。

2018-12-01

私の「#先生死ぬかも」

twitterで「#先生死ぬかも」というタグ流行っているので以前、私の勤務していた地方私立高校のことを書こう

20年くらい前なのだ就職して寮に入るように言われた、寮とは職員の寮ではなく生徒の寮である

その高校での教員の一日はまず、寮で6:30にワンフロア15人位の点呼を取る、その生徒たちと一緒に草刈り掃除をする

7:30に生徒と同じ食堂給食を摂り、校舎に向かう(寮は校舎の隣りにある)、授業をして、部活をする、これは他の学校と同じだ、ただ高校なのだが生徒と一緒の食堂給食を摂らねばならない

その後18:00に3度めの給食食堂で摂り、その後はだいたい学校に戻り仕事をするのだが、週に1,2度19:00から寮の生徒と何らかの行事会議(寮にも学校と同じように委員会がある)をやる

そして場合によってはその後校舎に戻り仕事をする 

最後に9:30ころ最終点呼を取り10:00に消灯させる

このような生活なので学校の外に出ることがほとんどなかった。行くのはコンビニだけであるしかし、夜にまちがってコンビニで生徒と会おうものなら最悪で夜間に無断外出ということでその処理が始まり収集がつかなくなる

もちろん男子高校生が夜の10時ころ近所のコンビニにいきトラブルになることなほとんどないのだが、みつけたらそうなるので、近所のコンビニには行かないようにしていた。近くにパチンコ屋とゲームセンターがあってそこに生徒がいると通報が入り、夜、見回りの仕事が増えたこともあった

部活動は希望が通ればいいのだがだいたい通らず、運動部になったので日曜は練習試合である、(ちなみに私学なので土曜日は授業があった)

よかったのは平日に授業がない日がありその日は学校に行かなくてもよいというルールが有り、少なくとも午前中(午後は残務処理や部活のためだいたい学校に行った)は寮の部屋で寝ていてもよかった、この半日があったから死ななかったのかもしれない

このようなシステムでは本当に死ぬと思い担任になる前に15年ほど前、勤続3年でその学校をやめてしまった(最もその年で寮は出ることになっていたのだが、結婚したら夫婦でまた数年間入らなければいけないという法律無視した内規があった)

流石に現在はこのような運営はしていないはずだが、ここ数年で現役の教員が3人死んでしまったと学校の関連サイトに載っていた

直接の原因はわからないのだろうが、まちがいなく法律無視した学校システムが関与したのだろう

私立学校は給特法の対象でないことを最近知ったので3年間分の残業請求をしたいところだが15年もたっているので無理のようだ

2018-11-27

給料明細

給料明細なんてしっかり見たことない」なんて言われて、「あぁ、こいつは金に困ったことないんだ」って羨ましくなっちゃった。あぁ、なんて卑屈なんだろう。

とりあえず書きたくなったから惨めな記憶書いてみる。

お金で困ったり惨めな思いをした記憶

1.集金袋事件

小学校の頃、集金袋を親に渡したけど給料日前で金がない。

担任先生に「締め切りだからお母さんに電話して持ってきてもらって」と言われる。

電話する。「無いものは無いか先生にそう言って」とママ

・こないはずのお母さんを小学校玄関で待ち続ける。

先生が呆れて(仕方なく?)迎えにくる

・とりあえず泣く その後教室へ

先生はいつも集金袋のお金立て替えてくれてた。 ありがとう先生

2.習い事は1個だけ

幼稚園の時、バトンクラブに通わせてもらった

・それ以降の習い事はなし。何故なら貧乏から

周りがピアノ水泳だ塾だっていうのを羨ましく見てた。 いや、1コでもあるだけマシなんだろうな。きっと。

3.歯並びは悪いけど

貧乏なので長女は歯科矯正に通わせてもらったけど、次女の私はなし

・次女って損だなと実感。姉が歯科矯正具を無くしたときは滅茶苦茶罵倒した気がする

4.部活動

運動部は金がかかるという理由で中1のとき入らせてもらえず

・それでもなんとか1年がかりで説得して中2でソフトテニス部に入部

5.県立高校1本

私立受験は一切なし。しかも兄と同じ学校

・親曰く「面談ときに便利だろ??」

・第二希望伊奈学)の学校だったけど我慢

6.部活断念

・4と同じ理由運動部に入ることを許してもらえず

・「バイトしてお金稼いでなんとかやるから」「ダメ!!」

・同じクラスの連中が「あー部活だるい」なんて聞くと本当にいらいらした

7.暇なのでアルバイト

・週5日 3時間 安い時給だけど3年間バイト桶川マイン

学費や食費として親に毎月2~3万払う。

中学生とき、「高校生になったらバイトして大学学費少しでも貯める」って思ってたけど、大半親に渡す

・「アルバイト代は全部自分のもの」っていう友人が羨ましかった

8.専門学校

大学に魅力を感じず、専門学校に行きたくなる

努力が足りず、奨学生試験で良い結果が出ず・・・入学金+学費60万払えなくて挫折

本当にやりたかったら新聞奨学生でもやって頑張れば良かったけど、兄がそれで失敗したのを見ていたので自分には無理だと諦める。

働いてお金貯めてから3年後に入学しても良かったけど、諦める。結局そこの専門学校に入ることさえも本気になれなかった自分が悪い。

1とか3とか7とか思い出すと涙がぽろぽろ出る。お金がないと惨め。 本当に惨め。

今は結婚して2人で働いてて貯金も出来てるから幸せ。なにより旦那が側にいてくれることが一番の幸せ

貧乏な親と離れたことで精神的にも楽になったけど、たまに親を思う。生活大丈夫心配になる・・・ ダメな親でも血のつながった親はあの2人だけだから・・・

の子供には絶対貧乏な思いはさせたくない。とりあえず1は絶対させない。それが私の生きる原動力

ちなみに貯めたお金で姉の中絶費用を出してあげた。

私も殺人に手を貸しちゃった・・・

私よりもっと貧乏子供時代を送った子が大勢いるって分かってる。

まともに働けてるだけ私はマシなんだってことも。生きてるだけで幸せってことも。

2018-11-24

劇団た組。第17回目公演『貴方なら生き残れるわ』を観た

高校教員をしてる。管理職でない限り、全員が何かしらの部活動を受け持たないといけない。私は男子バレーボール部だ。

バレーボールは体育の授業くらいでしか触ったことがない。指導は、別に専門の先生がしてくださってる。だから私は見てるだけ。

でも、楽しい

弱小だけど、みんな一生懸命で、中には練習サボる子もいるけど、みんなバレーが大好きで……。

6時半に練習が終わっても、そのまま体育館に残ってボールを触っているから、私はそれをぼんやり眺めて、7時半になったら、まだ物足りなさそうな部員たちを追い出して、体育館を施錠するのが日課になっている。

自分のよく知らないものでも、誰かが夢中になって頑張っているところを見るのはとても楽しい

と同時に、不思議でもある。

どうしてこんなに一生懸命になれるんだろう。

どうしてこんなに、こんなに…。


11月24日(土)

劇団た組。第17回目公演 『貴方なら生き残れるわ』

作・演出加藤拓也/音楽演奏谷川正憲(UNCHAIN

を観た。

好きな俳優さんのTwitterから、この公演のことを知って、劇団HPであらすじを読んだ瞬間、絶対に観に行こうと決めた。

――――――――――――

<あらすじ>

松坂は母校の体育館にやってきます

そのコートで、失った熱量を懐かしんでいると先生に会ってしまます

先生は言います。元気か。

松坂は言います。まあまあです。

そして松坂シュートを打ってみなと促されます

促された松坂シュートを打ちます。打って、それから、謝ります

バスケット辞めてごめんなさい。

松坂バスケットを何も言わずに辞めたのです。

誰も知らないまま、辞めたのです。

ただ、バスケットを辞めたのです。

たかだかバスケットを辞めたのです。

――――――――――――

何がそこまで私を惹き付けたのかわからない。

でも、心臓素手で鷲掴みにされたような衝撃があった。

から、観に行った。

客席に入って、まず目に入ったのは中央バスケットゴール。そして床に描かれたバスケットコートライン

フラット舞台の両脇には階段があって、まるで体育館ギャラリーみたいだな、と思った。

下手側の階段の踊り場にはギターを抱えた人がいた。「間もなく開演です」のアナウンスのバックで、静かにギターを弾き始める。音が重なって、重なって、そして静かに反響しながら消えた瞬間。

松坂が母校の体育館にやって来た。

自分の呼吸が邪魔に思えるほどの静寂と緊張感。

そしてそれを少しずつ切り裂くように、そこにある、松坂の肉体。

先生がやって来て、松坂シュートを打つように促される。高校時代が蘇る。

部活前の男子部員空気が、本当にリアルで驚いた。シューズの紐を結びながら、他愛ない話をするあの感じが、私が普段目の当たりにしているものと同じ温度でそこにあった。

物語が進むに連れて、少しずついろいろなことがわかってくる。

ずば抜けて上手いのはキャプテンの吉住だけ。彼は素行が悪くてバスケが強い学校には行けなかったから、この学校で一からバスケ部を作った。ちょっとやんちゃで、先生に口答えすることもあるけど、それは結局のところ本人が甘えたなんだと思う。

他の部員高校からバスケを始めたか、少しかじった程度。

主人公松坂は、もともと野球部だったが、部員と折り合いが悪くて部活を辞めた。バスケ部に入ったのは、クラスメイトに「楽だし、初心者でも大丈夫」と言われたから。

部員個性が見えてくるに従って、私は自分部活の生徒の顔が重なるような気がしてならなかった。一人一人は全然違うのに、「ああ、いるよな」「ああ、あるよな」が積み重なって、まるで自分の話のように思えてくる。

中でも胸に来たのは、顧問の沖先生が授業準備が忙しくて部活に来れなくなるシーンだ。代わりに来た外部コーチに、吉住は激しく反発する。

「俺らのバスケ知らないやつに練習メニュー指図されたくねえ!」「お前、顧問じゃねえのかよ!何で来ねえんだよ!授業が増えたとか知るかよ!部活時間部活に来いよ!俺の言うこと聞けば勝てるって言ったよな?じゃあ命令しに来いよ!」

私も、授業準備や他の生徒の対応部活になかなか行けない日がある。やっと体育館に行くと、もう終了の挨拶…なんてことも、何度もある。

生徒は部活に休まず来てるのに、顧問部活に来ない…なんて、不満に思っても仕方ないよな、と思うけど、授業準備も部活動指導も、教員にとっては両方とも「仕事」だ。私自身はかなり部活が好きな方で、沖先生もかなり部活が好きな方で、でも部活よりも優先しなきゃいけないことがある状況は、すごくよくわかる。

でも、それは部員には「わかってくれ」と言ってもわかるもんじゃないよな、というのも、すごくよくわかる。

コーチが来て、彼らの練習風景はがらりと変わる。活気が出る。それまでだらだら惰性でやっていた練習が、意味付けされて、みんなが「勝つために」練習をやり始める。

新入生が入ってきて、二年生になった松坂たちは少しずつ「自分武器」を身につけていて、チームは確実に強くなったことが肌で感じられる。

そして迎えたIH予選。

負けたら、三年生の吉住と當座は引退だ。

IH予選1回戦は、勝った。でも、ミスが多くて先生に叱られる。

そして當座が、「辞める」と言い出す。

大学受験マジでヤバいからバスケ大学推薦がもらえる吉住と違って、俺はバスケ頑張っても何にもならないから、勉強しないとマジでヤバいから

當座は序盤から勉強部活の両立に悩んでいるような描写が繰り返されていた。だからいつかはこうなる予感があった。でも、それは今なのか。三年生の、IH予選で、1回戦は弱い相手ギリギリ勝って、2回戦は相手も強いからこうはいかないかもしれないけど、でもとにかく負けたらそれで引退の、三年生の、今なのか。

そんな當座に、吉住は噛みつく。「何でだよ!」と詰め寄る。

そして溢れる當座の本音。「俺がいなくても、俺より上手い後輩がいるか大丈夫だよ。俺が試合に出るよりも、後輩が出た方がいいよ」

「下手でもお前出ろ!俺のパス受けろ!」吉住の激昂。二人きりの三年生。吉住と當座と、顧問の沖先生の三人だけでやって来た一年間。少しずつ後輩も育って、やっと勝てるようになった三年生の、IH予選。

でも、頑張ってどうなるんだろう。将来どうするんだろう。部活を頑張った、その先は?

私も、自分高校時代勉強理由部活を辞めようとしていた同級生必死で引き留めたことがある。結局、彼女は三年生の夏まで部活を続け、一緒に引退したけれど、今でもあのときの私は正しかったのかとたまに思い出す。もしかしたら、あそこで私が引き留めずに彼女部活を辞めて勉強だけに打ち込んでいたとしたら、彼女もっと上の大学に行けたかもしれないと、考える。まあ、最終的に決断したのは彼女自身なのだから、そこに私がとやかく言うことに何の意味もないのだけれど、私は最後まで彼女部活ができて、とても楽しかったのだけれど……。

教員になってからも、勉強と両立できないか部活を辞めようかと悩んでいるという相談を受けたことは何度もある。そのたびに、私は止めてきた。それが正しいかはわからないけど。

今でも、必死練習する部員たちを見ながら考えることがある。バレーを頑張ったからといって、進路の保証があるわけでもない。この時間を、補習やアルバイトに費やす方が有意義な生徒もいるかもしれない。でも、この経験はきっと、いつかどこかで、何かの役に立つんじゃないか…。

「これが将来にどう活きていくか」なんて、考え出したらキリがない。とくに教員仕事なんて、どんな指導をしたとしても、本当にそれが生徒にとって良かったかわかるのは、5年後が10年後か、何年先になるかわからないし、もしかしたら一生わからないままかもしれない。

それでも、今一番良いと思えることをやるしかない。

IH予選2回戦。

格上の相手に、チームは苦戦する。でも、全く勝てない相手ではない。今、自分たちにできる、最高のプレーを。

残り時間あと6分。点差はわずか。負けたら、ここで終了。勝ったら、もう少しだけバスケができる。

私はここでも、自分部活を彼らに重ねていた。

今年のIH予選。地区大会は勝ち抜いたけど、県大会は1回戦から格上の学校相手で、良いプレーはしたけど、負けてしまった。

バレーボール制限時間はない。先に25点取った方が勝ちだ。じわじわと、相手の点数が25点に近づいていく。

「ああ、このまま、このまま終わってしまうのか。もっと見ていたかった……もっと見ていたい……いや、まだ終わってない、希望はある……うちがここから○点取れば…………」

そんなことを考えながら祈るように試合を見ていたことを思い出した。

そのときの、バレーコートの中の選手気持ちはわからない。でも、今、目の前の、バスケットコートの中の選手気持ちは、客席まで伝わってくる。きっと、同じだ。彼らも、彼らも。そう思うと涙が出た。


舞台上の試合のシーンでは、本当にバスケ試合が行われていた。

もちろん、ある程度の段取りはあるだろうが、シュートが決まるかは打ってみないとわからないところは、試合と同じだ。シュートが決まればこう、外れたらこう、みたいなパターンはあるのだろうが、それも、試合と同じだ。

何のスポーツでもチームで行う競技すべてに言えることだろうが、上手いチームは「いるべき時に、いるべきところに、いるべき人が、いる」と感じる。

それは、演劇も同じだと思う。


舞台は、何が起こるかわからないライブ感が魅力だ。

でも、人生は何が起こるかわからいから、こわい。

何をやるのが良くて、自分は何がやりたくて、それがどう自分のこの先に繋がっていくかは誰にもわからない。

何かをやるにしても、何かをやめるにしても、自分が「良かった」と言えなきゃいけない。

いろいろなものが重なって、なんだかもうわけがからなくなって、最後の方はほとんど泣いていた。

泣きすぎて拍手ができなくて、それだけが心残りなくらい、泣いていた。

かに感想を伝えたいけど、あいにく私は友達が少ない。

からいつも感想Twitterで呟いたりするのだけれど、今回はあまりにも自分プライベート事象リンクしすぎてしまたから、匿名ブログに託すことにする。

観に行って良かった。

ありがとうございました。お疲れ様でした。

2018-11-11

anond:20181111003941

イメージものを語るなよ

徴兵で本格的に軍隊訓練するのなんか一部でどこの訓練部隊日本部活動の方がよっぽどきついぞ

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