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2023-04-27

娘が「いじめ加害者」になったけど、マジで納得いってない

うちの娘がクラスメイトいじめたとのことで担任教師から呼び出された。

親の自分としては、マジで納得していないし、娘はいじめなどしていないと本気で思っている。

先方の言い分は、娘がクラスメイト女の子1名に対して仲間はずれや物を盗むなどをした、とのこと。

担任教師から一方的説明を受け、こちらが意見する場もなく、反論余地すら与えられず、今後の注意と指導を受け、謝罪させられた。そして、どうして私が怒られるのと泣く娘をなだめつつ帰宅した。

うちと同様に「いじめ加害者」とされた子どもクラスの半数近くいた。ほとんどの女子加害者とされていたらしかった。

いじめ被害者」の女の子は今年の1月に転入してきたばかりで、最初の頃は娘や他の子たちも仲良くしようとしていたが、色々あって(後述)すぐにクラスメイトたちから距離を置かれるようになった。そして本人はいじめられているのだと傷つき、担任教師相談したようだった。

いじめ被害者の子が言う「仲間はずれにされた」というのは、今まで仲良くしていた子たちから遊びに誘われなくなったことなどを指していた。

今年の2月頃、「いじめ被害者」の女の子とその他数名がうちに一度遊びに来たことがある。

その日「いじめ被害者」の女の子は、家に入るなり「なんか変なにおいがするね。お父さんの靴のにおい?水虫なんじゃない?」と言い放ち、冷蔵庫勝手に開け作り置きの料理を見て「こんなの食べてるの!?」と爆笑し、パントリーに保管してあったお菓子を無断で食べて「あんま美味しくないね」とゴミ箱に捨て、目を離した隙に他の部屋(夫婦の寝室と長男の部屋)に入って漫画を持っていき、何度言っても帰らず夜8時まで居座った。

ようやく帰らせた後、娘にはもう二度と連れてくるなと言いその子出禁にした。

その夜は娘がとんでもねえクソガキと友達になってしまった…と憂いていたが、後日、その子とは距離を置くようになったと娘から聞いて随分と安心したのを覚えている。

の子の家に行ったときにも同じようなことをしたり、学校でも非常識デリカシーのない行動を続けたためにどんどん人が離れていったそうだ。それを本人は仲間はずれにされていると感じるようになったのだろう。

正直、こちらとしては「仲間はずれ」というよりももはや「正当防衛」だと認識しているのだが、担任教師からしてみればそのような経緯は関係ないのか全て「いじめ」に見えるようだった。

また、いじめ認定されたもうひとつ行為の「物を盗む」というのも濡れ衣で、むしろこちらが被害者だと思っている。

いじめ被害者」のその子は気に入った他人の物を「それかわいい!ちょうだい!」と奪い、返してくれと言っても聞かないらしい。

少し前に娘もお気に入りの下敷きとボールペンを奪われ、家で泣いていたことがある。

私が、奪い返せ!とアドバイスした通り、娘は本人がいないうちにコッソリと取り戻したようだったが、その時のことを担任教師から「盗んだ」と表現された。しんどすぎる。盗んだのはどっちだよ。

マジで担任教師は何を見て、何を聞いて、何をもって判断しているんだろう。

いじめ毅然とした対応をする学校」を自称しているけど、毅然とした対応でもなんでもなくて、ただ被害者の言い分全部鵜呑みにしてるだけなんだが。まじでクソ。

親でも教師でもいいから、あのクソガキを躾けてくれよ。あんなのと仲良くするなんて、菩薩でもない限り無理でしょ。娘とクラスの他の女の子たちがかわいそうで仕方がない。

こんなんで「いじめ加害者」にされたらたまったもんじゃないよ。どうすりゃいいのさ……。


追記

こんなとこに愚痴書いた自分が一番悪いけど憶測適当なこと言われててなんだかなという感じ……。娘のケアも、学校への連絡も、ちゃん対応するよ。

その場で即抗議できなかったのは情けないけど、娘は泣いてて何も言わないし、担任はなんか圧が凄いし、自分も頭の回転早くないからとっさの対応は難しかった。

あと上には書かなかったけど、娘も陰口とか悪口とかは言ってたんだよね。。こちらとしてはそりゃあんなクソガキ悪口言われてもしゃーないやろという感じなんだけどそういうわけにもいかないよなぁ。

まだ4月なのに、先が思いやられるスタートしんどい。これから1年、クラス替えまでなんとかうまくやっていけるといいんだけど……。

子育てって難しいわ、ほんと。


追記

念のため書いとくけど「いじめられる側に原因がある」の論はこの件とは関係ないと思っているので。


追記ブコメに返信

id:tateru 参考までに、何年生での出来事なのかを書いてほしい。。

子どもは小3。家で無茶苦茶されたのは学年上がる前なので小2の頃。

警察がどうとか法的にどうこうとか言ってるブコメあるけど、1桁年齢の子どもに対してそこまでできないだろ〜と文句言いたくなる……。

2023-03-03

元カレ浮気相手は、女子高生だった。

 あるよく晴れた、暑すぎる夏の日だった。

 高校3年間と半年ほどを共にした恋人から、別れの電話を受け取った。本気の声だったけど、嘘を言っているのがわかった。たぶん、別れたい本質的理由はそこじゃないのだろうと思ったが、どうせ別れる相手だと思って何も言わなかったし、言えなかった。何となく最近の振る舞い方から別れを切り出されるのはそう遠くないと思っていたし、辛かったが現実として受け止めるにはそう時間もかからなかった。幸せになってね、と一言だけ伝えて電話を切った。

 それから1年が経ち、また暑すぎる夏がやってきた。共通の友人だったひとから聞いたのは思いもよらぬ衝撃的な事実だった。

 「元カレ浮気してたらしいよ。」

 え、あ。

 へえ〜。

 はあ、そっか。

 言葉が出てこなかった。普段感情言語化するのが得意な私だったが、この時ばかりは空気みたいな言葉しか出なかった。

 友人は面白がってるのか、私が嫌な思いをするだろうとか考えもしなかったのだろう。笑いながら、「そんな人どうせ幸せにならないって!」と言う。そうか、そんなもんか。まあそんなもんかと思うしかないよななんて自分が傷付かないために、心にある色々なブレーキを精一杯かけた。まあ高校3年間は楽しかったし。あの人のおかげで成長できた部分もあったし。何度も言うけど楽しかったし。正直、悪を正当化させるのに事実なんていらなかった。ただ「そう思いたい」という気持ちのみが、間違いではなかったと言い聞かせる材料になるのだ。

 そんな衝撃的“事実”を聞いてからまた少し経ち、春が来ようとしていた。新しい恋人も出来て、私も私で幸せに生きていた。もちろん浮気をされていたということが色々な気持ち弊害になっているのは確かだったけど、何とか新しい恋人を信じ切ることもできるようになっていた。順風満帆に見える人生だったが、不幸は突然やってくる。

 元カレと、新しい彼女……浮気相手だったという子のプリクラを、本当にたまたま見てしまった。SNSアカウントも、何なら新しい彼女がどんな子かも知らなかった。なのになぜか嫌なものは回ってきてしまう。

 

 女の子は、私と彼の出身高校制服を着ていたのだった。

 あの日卒業式で一緒につけた青い花のブローチをつけて。

 それを見て、それが何かをきちんと理解した瞬間、私の心のブレーキは一気に効かなくなった。突然、何もかもが見えなくなるような気持ちになった。

 こんな簡単言葉にしたくはないけれど、辛かった。本当に辛かった。私は浮気相手になってしまった子と同じ高校に一瞬でも通ってしまっていた。私と一緒に作った思い出は、浮気相手と話を盛り上げる手段になってしまった。私が彼と過ごした数年間で彼を作ったものが、浮気相手しか女子高生と恋に落ちるための序章になってしまった。

 

 きっと彼女とは卒業旅行に行くだろう。私とは感染症予防で行けなかったディズニーに行くだろう。そして私と行った3泊4日の金沢旅行なんて忘れてしまうだろう。他にも、一緒に過ごしたあの高校での思い出も、彼女と言う存在に塗り替えられて、私と出会った場所ではなく、彼女とを繋ぐ場所になったのだろう。

 もう彼のことは好きじゃない。それでも、許せなかった。これはもう浮気をされたひとにしか絶対にわからない。本当に許せなかった。年上がタイプで甘えられる人が好きなんて言っておきながら、年下で自分に甘えそうな、鼻の低い一重の女に乗り移ったのか。

 浮気相手のことも許せなかった。女がいるかどうかくらい、わかってくれ。何より、年上ってことを利用するような男なんかに、本気にならないでくれよ。てか女子高生から見た成人男性なんてカッコイイに決まってるだろ。そいつじゃなくたって良いだろう。

 何より貴女が恋に落ちたそのひとは、私のものだったんだよ!!

 そう、私のものだったんだよ。

 高校1年生の春、初めて出会った部室。お前、すげえ無愛想だったよな。なんて呼べば良い?って聞いたらすっごい空いて、中学の時のあだ名を教えてくれたよな。本名とか知らなかったよ。でも名前漢字がすごく美しくて、由来が両親の好きなゲームだったんだっけ。もう両親は不仲で家では何も話してないって、よく不満そうに言っていたよな。

 高校1年生の夏、みんなで頑張った部活練習暑かったよな、冷えピタとか貼ってバカみたいな顔してた。練習が終わっても夕方の冷えた風が吹くまで一緒に喋ってたよな。あの頃はまだ一緒に帰っていなかった。お前の家と私の家、そういえば逆方向だったし。

 高校1年生の秋、初めて勇気を出して誘った放課後喫茶店。お前はキャラメルカフェオレを飲んでいた。飲むスピードがびっくりするくらい早くて笑ったよ。そういえば食べるのはすごく遅かったのに、何であんな飲むのだけ早かったんだろう?確か、そこにものがあったら飲んじゃうって言ってたよな。それ病気らしいよ気をつけてね。

 高校1年生の冬、勇気を出して渡したバレンタイン本命って気づいてくれるかななんて思って渡したけど、私があまりにも無愛想に渡すもんだから義理チョコと思われてたんだっけ。馬鹿野郎義理チョコあんな丁寧な手紙同封するわけないだろう。それから1ヶ月して告白して付き合って、その日は初めて手を繋いで、顔が痛くなるまで笑った。人に好かれるのって、それを伝え合えるって幸せだねってよく話してた。

 高校2年生の春、クラス替え一緒にならなくて悲しかったよな。一緒のクラスになったらダンス一緒に踊れるはずだったのに。結局お互い誰と組んだんだっけ?覚えてないなあ、私、お前の衣装姿が可愛くてかっこよくて、今でもなんか思い出せるよ。私は紫で、多分お前は青だったよね。似合ってた。体育祭、3年生の頃はなかったかあの日のことすごい鮮明に覚えてるわ。

 高校2年生の夏、一度別れた。何で別れたんだっけ。なんかショックすぎて覚えてないな。返しそびれたCDを返したいとか言って久々に会ったよね。あの時普通に楽しく話せて、また戻れるんじゃないかなあって思ったよ。あの日の緊張、今もどんなだったかわかるよ。

 高校2年生の秋、もう部活もしなくなって本当は会えるわけないのに、私が前みたいに色々なところ無理やり誘って一緒に遊びに行ったよね。なんか映画とか見た気がする。お前最初から最後まで興味なさそうだったけど、今思えば何で着いてきてくれたの?友達いなかったのかな。その後パンケーキ食べたよね。甘くて食べきれなくて、気持ち悪かったよ。その日たまたま月が綺麗で、夏目漱石気持ちを強くわかったな。

 高校2年生の冬、クリスマスイブの日にカラオケでまた付き合った。イコラブの制服クリスマス歌って、「大人になって今日この日を、僕は思い出すだろう」って、なんかなぞる気持ちだったよ。あの日久しぶりにキスをして、嬉しくて泣いた。カラオケに入るまでは友達、出た後は恋人って、雑魚スカイツリー広告だよね。多分広告なんて興味ないだろうから、何言ってるか分かんないだろうけど。

 高校3年生の春、コロナ流行って学校に行けなくなって、会えなくなった。でもお互いの家のちょうど間くらいの場所公園があって、なぜか誰もいなくてよくそこでマスクしながら会ったよね。たまにデカい犬の散歩してる爺さんが来てた。そこから見えるいつもいっぱいの駐車場には一台も車がなくて、ふざけて「コロナでみんな死んだ後の世界だね、二人きりだね」なんて笑った。私、正直それが本当になったら幸せだなあって思ってたよ。

 高校3年生の夏、コロナの影響で全然夏休みとかなくて、しか受験勉強でなんか全然記憶ないな。でも二人が一緒に高校で過ごせる最後の夏だって思うと、妙にワクワクした。これから一緒にずっと過ごせても、高校生の夏は一生来ない。お互いどうしようかって思ってたけど、私は美大に、君は文学部に行くって決めたね。国語読書が大好きな君が、大学で何をするのかすごいワクワクしてたよ。

 高校3年生の秋、私はひと足先に進学先が決まって、そこからずっと君の受験応援した。確か塾に行き始めて、金銭的に英語の授業しか取れないって言ってたけど、君は記憶力も悪くないし国語は得意だし、それさえ伸ばせればきっと良い大学に進めるんだろうなって思ってたよ。私の方が英語得意だったのにいつの間にか私に教えてるくらい成績よくなってたよね。すごいよ。ほんとに。

 高校3年生の冬、2月ごろ確かお互いようやく進学先が決まって、もう残すは卒業式だけだった。高校生活最後の日、サイゼリヤでどれだけ食べられるかって隣駅のサイゼリヤまで行った。途中から吐きそうなくらいしんどかったような気がする。間違い探し全部見つけた時の達成感、めっちゃ面白かったなあ。卒業式の日は一緒にプリクラ撮って、観覧車乗って、キスして、本当に3年間ありがとうって泣いた。本当に大好きだよって言った。ずっと一緒にいようねって、言った。

 

 でも、お前浮気してたんだな。バイト先の女子高生と。妹と同じ年齢の女の子に。私に言った全ての言葉を嘘にして、彼女と手を繋いだんだね。

 選ばれなかったという事実が、貴方と過ごした日々は全て無かったことになってしまったということが、もう一生戻れないということが、私は辛いよ。苦しいよ。

 

 また二人にしか通じない言葉で笑おうよ。子どもが生まれたらなんて話す時につまらないキラキラネームを言って本気にならない会話をしようよ。公園で一緒にハンバーガーを食べながら桜を見ようよ。興味のない映画に着いてきてよ。顔の大きさが全然違うプリクラ爆笑しようよ。私はピアノを弾くからその優しい声で楽しそうに歌ってよ。将来私が作る晩御飯リクエストしてよ。私の飼い犬を可愛いなあって笑いながら撫でてよ。その黒い髪を私の手で梳かさせてよ。カラオケで一緒にaikoを歌おうよ。ハグで全部分かった気になろうよ。

 

 もう一度好きになってよ。

2023-01-17

学校職場をすぐ休んで逃げれば良いって無責任に言う奴がほんと嫌い

最初に、学校職場は無理してでも行くもんだ……とかいう話を私はしたいわけじゃないです。

けど、例えば学校にしたって、何も考えずに逃げたあと、勉強もせず、昼夜逆転し、社会から断絶されて積んでしま人間が星の数ほどいるわけです。。私もそうでした。

学校行きたくないって話があったとき、何が原因なのか、結局どうしたいのか、ちゃん理解もせず雰囲気で休め、逃げろ、だけを言う人は本当に無責任です。

例えば、学校行きたくないって人の理由も、その人に合った対処法も様々だと思います


いじめだって同様。いじめで辛いって話の場合も、いじめられっ子が悪いという話に与する気は全然ないですが、環境を変えてもいじめられる/いじめられやすい子はいるわけです。いじめっ子が悪い、犯罪者は悪い、それは当たり前で、そうした人間から被害を受けないような対処必要で、単に逃げて休むのは悪手ですよ。

もちろん、ただ逃げるだけ、休むだけ、という時期が必要場合もあるけど、それだって大抵、そこまで気力体力が減退しているなら精神科医心療内科医の協力が必要ですし、そもそも精神科医相談したって、上で書いたような現実的処方箋検討相談全然してくれないし、そこまで考えずにただ逃げろ、休め、精神科医に行けって言うのは本当に無責任です。

安易に逃げろとか言う人は、部屋に閉じこもって昼夜逆転して不潔で、でも床ドンして親から食事を出してもらえる養ってもらうような状況に逃げ込んで、親が年老いて、いつまでこの状況が続くかもわからなくなってて、でもそこから抜け出せない人の責任、取ってほしい。取ってください。

2023-01-06

anond:20230106012749

逆に人の名前ってそんなに覚えられないもん?

出欠とる授業ならすぐ名前も顔も一致するし、自社内は接触頻度で自然と覚えるし、他社は名刺交換すれば覚えない?

中高生ときクラスメイト名前を覚えるのに1年掛かってた気がする(やっと覚えたと思ったらクラス替えリセットされるので永久に覚えられなかった)。

高校クラスメイト名前苗字ね。名前は無理)で今思い出せるのは10人くらいな気がする。

自社内で関わりの深い人はさすがに覚えるけど、関わりが途切れると忘れるね。

名刺交換しただけの人は全く覚えられない。人の顔を記憶認識する能力全然ダメなので、名刺ほとんど意味をなしてない。

髪型似てる人が同時に2人いると区別つかなくなって間違えて会話して恥かくとか普通にある。

2022-11-14

三十路女の恋愛遍歴

「女の恋は上書き保存」などと言われるが、私はこれまで好きになった人たちの誕生日すら忘れていない。

30年間で12人。片思い失恋ほとんどだが全て良い思い出だ。

今更誰かに話せるようなものでもないが、自分の中だけに留めておくのも勿体無いのでここに放流しておく。

1人目 K.D.くん

幼稚園年中〜年長のころ

幼稚園で同じ組の子

一人称が「オレ」なのがかっこよくて好きだった。

小学校に上がる際、親の転勤でどこかへ行ってしまい、好きと伝えることはなかった。

2人目 K.Y.くん①

小学校1年生〜4年生のころ

同じクラスの子

顔がかっこよくてスポーツ万能で、いわゆるカースト上位の男の子だった。

小学校2年生の頃に仲良しの女の子に彼のことが好きだと内緒の恋バナをしたところ、翌日には本人にバラされてしまいとても嫌だった思い出がある。

そのときは「もう好きじゃない」などと言って誤魔化したが、結局クラス替えで離れるまでずっと好きだった

3人目 K.Y.くん②

小学校5年生のころ

同じクラスの子

小柄で顔立ちが整っている、可愛い男の子だった。

クラスで1番可愛い女の子も彼のことが好きで、どうやら両思いのようだったのでそのまま好きでいることがつらかった。

このころ、自作ホームページに彼をキャラクター化した絵を載せていた黒歴史がある。

4人目 I.M.くん

小学校6年生のころ

同じクラスの子

ガキ大将タイプで少し粗暴な、学内カーストトップ男の子だった。

小学生なのに「女子」ではなく「女の子」と言うところが好きだった。

このクラスではくじ引き席替えをしていたのだが、先生のくじの作り方のクセを見抜き毎回必ず隣の席か同じ班になるようにしていた。しかしそれで仲が深まるということは特になかった。

高校生の頃、風の噂で彼が薬物か何かで少年鑑別所に入ったことを知り、少し切ない気持ちになった。

5人目 M.T.くん

中学1年生〜2年生のころ

隣のクラスの子

背が高く文武両道で人気者の男の子だった。

ある日廊下あくびをしている姿を見かけた時にキュンと来て好きになった。人生で唯一の一目惚れだった。

とにかく人望があり良い話ばかりを耳にするので、その度にどんどん好きになっていったが、ほとんど会話をすることもできないまま「憧れの人」で終わった。

6人目 T.N.先生

高校1年生〜3年生のころ

担任先生

同級生とは違う大人の落ち着きや優しさに惹かれて好きになった。

先生に気に入られたい一心毎日勉強をして、定期テスト模試は常に学年トップだった。

勿論この恋が成就することはなかったが、たいして進学校でもないのに難関大学合格することができたので、人生を変えてくれた恩人だと思っている。

7人目 F.T.くん

大学1年生〜4年生のころ

サークルの同期。

とにかく話が面白く、顔が筋肉痛になるほどずっと笑わせてくれる人だった。

趣味も合いとても仲が良かったが、友達以上になる方法が分からず、彼氏がいる期間を除いてぼんやりとずっと片思いをしていた。

大学4年生の頃、クリスマスバレンタインを二人で過ごせたにも関わらず何もすることが出来ずに終わり、ようやく諦めがついた。

8人目 H.S.くん

大学2年生のころ

ネットで知り合った8つ上の社会人

はじめてできた彼氏だった。

付き合って4回目のデートTシャツから胸毛と背毛がはみ出ているのを見て、さーっと冷めてしまい別れた。

当時は「未成年女子大生を狙う社会人男なんて気持ち悪いし別れてよかったよね!」などと思い体毛ごときで冷めた自分正当化していたものの、4回デートしてもキスすらしなかったのでそれなりに誠実な人だったんだろうなと今となっては思う。

9人目 T.J.くん

大学2年生〜3年生のころ

ネットで知り合った1つ下の大学生。

この人には私がいないとダメだ、と思わせるようなところが好きだった。

1年間付き合ったものの、色々なことがうまく噛み合わずお互いに疲れてしまい別れることになった。

納得して別れたつもりだったが、かなり引きずった。食事ほとんど喉を通らず、風呂も入らず、歯も磨かず、毎日泣いていた記憶がある。半年ほどで落ち着いたが、未だにほんのり未練がある。

今ならもう少し上手く付き合えただろうなあなどと思ってしまう日がたまにある。

10人目 H.K.くん

社会人1年目のころ

会社の同僚。

かなり変わった人だったので告白をされてから少し悩んだものの、見た目が良かったのと猛アタックしてくれるのが嬉しくて付き合った。

愛情表現をたくさんしてくれるので私も出来る限り尽くしていたものの、日々重くなる愛に辟易し1年と経たずに別れた。

その後少ししてからメンタルを病んでしまったらしく、長期休職後に退職していた。私も原因のひとつだったのかもしれないと思いやや責任を感じている。

11人目 M.U.くん

社会人1年目〜3年目のころ

会社の同僚。

頭が良く明るいので会話が楽しく、一緒にいて居心地が良かったので好きになった。

付き合ってから徐々に相手気持ちが離れていくのを感じ、それを繋ぎ止めるのに必死だった。

結局1年ちょっとで振られたものの諦めがつかず、その後も1年ほどセフレの座に甘んじていた。

本気で婚活をしようと思い立ったタイミングでようやく断つことができた。

12人目 夫

社会人4年目〜今

婚活パーティーで知り合った。今の夫。

婚活を始めてからは「恋愛」よりも「結婚のための条件」に重きを置いて出会いを求めていたが、結局好きになってしまったのでふつう恋愛をした。

同棲するとなったときにお互いの個人情報を共有したところ、仮に「結婚のための条件」だけで相手を選んだ場合でもきっと夫を選んでいただろうと思うくらいの人だと分かった。大好きな人オマケで好条件までついてきて、私は大変運が良かったと思う。

夫との恋愛最後にすると誓ったので私の恋は12人で終わり。

ここからもう増えることはないと思う。

2022-10-15

anond:20221015183535

シングルマザー家庭の部屋中にカビが生える

仕事で忙しい母親の代わりにカビを毎日除去して回る苦労人であり家事マニア三白眼男子高校生爆誕

クラス替えで気になるあの娘と同じクラスに、浮かれた三白眼男子は前方不注意、小柄なツンデレ極振り女子廊下でぶつかる

運命出会い、圧倒的ラブコメの予感

2022-08-26

中学の時にハブられてた話を成仏させたい

中学生の時に、いわゆる「ハブ」にされていた。

原因は自分にあったとは思う。とても自己中心的だったし、調子こいていたから。

ハブの子は順番に回ってきていた。

クラス女子は元気なグループ(ここに所属していた)、おとなしいグループオタクグループとざっくりわかれていて、

元気なグループハブられると、オタクグループに受け入れてもらう流れができていた。

今思えば本当にバカバカしい。

元気なグループで最も声が大きい(物理)のがA。面白い子だが、ハブをするのに一番積極的だった。

ハブにされると、元気なグループの子たちは必要最低限しか話してくれなくなる。

休み時間グループに寄ろうとすると「なんか要らない人がいるんですけどー」。

判分けをするときに「これで人数ぴったりだね!」と壁を作られて入れてもらえない、とか。

学校に来るとわたし椅子だけ机の上にのっていたり、首の取れた人形が置かれていたりもした。

教科書を隠されたこともあるけど、元気なグループの中で良識のある子に相談するとこっそり取り返してくれた。

いじめられている…と誰かに相談することができなかった。

親や先生に助けを求めるのは恥ずかしかったし、暴力をふるわれるとか害を被ったわけではないし

「私は傷ついてませんけど?」とできる限り涼しい顔でやり過ごすのに精いっぱいだった。

大人になった今なら、教室でひとりで過ごしたり、グループに執着せずにほかの子と居ればいいだけのことだけど

当時は教室の中がすべての世界で、どうすることもできなかった。

私と話したり一緒にいる子がいると、Aがその子を連れていったり、

私と一緒にハブられるかもしれないから、みんな私を遠巻きにしていた。

クラス女子の中で圧倒的弱者となり、虫けらのように扱われ、

おとなしいグループの子オタクグループの子も、私へのあたりはきつくなっていった。

しかけようとしたら睨まれたり、「わたしたち●人組で最高だよね!」と肩を組んでブロックされたりしたwひどいなー

一番覚えているのは文化祭

クラスの出し物は、準備も当日の運営先生に怒られない程度に最低限手伝いをした。

当日、たまたまクラス女の子が一人で居たから、「一緒に回ろう?」と声をかけたらダッシュで逃げられた。

わずメートル走って追いかけてしまったw

文化祭を一人で歩いている」というのを他のクラスの子や学年の人に思われるのが嫌で(誰も思わないのにね)、

演奏ステージをしている体育館の隅の隅で座り込んで文化祭が終わるのを待った。

人生で最も屈辱的で悲しい瞬間だった。

そのハブも翌年のクラス替えでAと離れて、無事終了する。

私をハブっていたAをはじめとする元気なグループのみんなとは、ほぼ全員別のクラスになった。

しかしたら先生も私を取り巻く環境をわかっていたんじゃないかと思う。

その後Aは、元気なグループからおとなしいグループ属性チェンジする。

ネルギッシュでギャーギャー言っていた彼女が、急激にしおらしくなっていった。

なるべくAには関わらないようにしていたし、関わりたくなかったのだが、必要なことがあればAも私と話すようになった。

心の中では「どの面下げてしかけてんだよ」と思う一方で、完全にトラウマとなりAを怖いと思う側面もあった。

ハブられた半年間で私は傷ついたけど、残りの学校生活は優しい友人たちと楽しく過ごした。

卒業してから十ウン年たつが、中学友達とまだ会っている。

先日ふとAの話になり、友達が「Aって途中でカツラになったよね」と言った。

私は知らなくて驚いた。

どうやら病気なのか、体質の関係かで髪の毛が抜け落ちてしまったらしい。

へぇー」でその話は終わったのだが、その日寝る前、私はベッドの中で色々考えた。

女の子思春期の多感な時期に髪の毛が抜けてしまうのはつらかっただろう」と良いヤツな私は思った。

ざまぁwwwwwwwww私の呪いじゃwwwww」と悪いヤツな私は思った。

因果応報ってあるんだなと、初めて思った。

いじめハブなど、人格否定する行いは絶対に許されない。

いまでも夜中にフラッシュバックで涙が出てきたり、ハブられていたときの癖で食事早食いが直らない(早く食べないとみんなが私を置いてどこかにいく)。

ふとAを思い出して、憎んで、何とか復讐できないものかとGoogleTwitter彼女名前検索することもあったw

あと、なんとなく友達他人100%心を開くことができなくなった。

クラス孤立しているとき心臓がスーッと地面に落ちるような、体の中が冷たくなるような感覚は忘れられない。

いまいじめをしている人がいるなら、くだらないからやめろと言いたい。

ネガティブ感情に動かされて執着するより、好きなことややりたいことに時間を割いた方いい。

一緒にいるのが嫌な人がいるなら、無理に仲良くする必要はないが、周りを巻き込んだり人格否定してはいけない。

そして他人にした嫌なことは絶対自分に返ってくるぞ!

学校ハブいじめにあっている人、卒業たらみんな疎遠になるし(なれるし)、

今はつらいかもしれないが、長い目でみれば学生生活なんて一瞬だ。

クラスけが世界じゃない。学校外にも習い事サークルアルバイトなどいくらでもコミュニティはある。

クラスでひとりでも堂々としていればいい。

あ、暴力とか暴言とかカツアゲとか晒しとかガッツリいじめられているなら

今すぐまわりの大人相談して。親や先生に言えなかったらホットラインとかあるし。

証拠集めて弁護士に依頼してギッタンギッタンにやっちゃってください。

わたし証拠さえあればAを社会的ボコボコにしたかったけどなー録音とかしておけばよかった。

職場や別のところでいじめられている人は…ちょっとからないけど

とにかくそコミュニティから離れるのが一番。そこにいなければいけない理由ってあるの?

最後に。

学生の時にスマホがなくてよかったー!と心から思う。想像しただけで怖い。

2022-08-07

anond:20220807000644

高校入学したとき一番がっかりしたのは、クラス可愛い子が一人もいなくて

2年生になってクラス替えをしたらむしろ状況は悪化して。

うちのクラス、ブスばっかだな。。とクラス男子同意見だった。

ブスだなと男子同士ではいっていても、クラス女の子と気軽に口を聞く習慣も勇気もなかった。

共学なのに、ただ一緒にいるだけ。

でも性への関心だけは異常なくらいあったので、好きなアイドル写真をみては

こんな子、うちの学校におらんかな、いたら告白するのになー、と嘆いていた。

そして3年生の修了式前、最後の授業が終わったときのこと。チャイムが鳴って

やった、これで卒業だと解放感で自然笑顔になった。

ふと、隣の席をみると、隣の女の子も満面の笑顔で、自然に目があった。

終わったね! 終わっちゃったね。高校生活。

の子が話しかけてきた。

ばんざーいって感じだよ、と

返事をした。

あっという間だったね。高校。なんか終わっちゃうとさみしいね

の子が続けた。

んーそうなんだ。

と返したあたりで、ふと気が付いた。


初めて隣の子としゃべったということを。

そして、しゃべって初めて、その子の表情、瞳の輝き、目じりの、口元の動き、そして言葉が、

すべて一体となって形作る笑顔のさわやかさに気が付いた。

学校かわいいはいないと思っていたけど、

学校最後の日に、みつけたのは、

の子可愛いということだった。

背が低くて、太目で汗っかきで、鼻がまるまっちくて、ボブっぽい髪型女の子だった。

2022-08-05

夏は昔の恋を思い出す

誰にも明かしたことはないけれど、恋多き人生を送ってきた。10代の頃はそれはそれは惚れっぽく、けれどお付き合いの具体的なイメージが沸かないから、すべての恋を胸に埋めて大人になった。大人になると途端に恋は人間関係と結びつき、恋人になるなり、失恋するなり、別れたり復縁したりと暮らしに影響を及ぼすようになった。

けれど、ただ胸の中にアルバムをこしらえて、目が奪われ体に火がついたような一瞬を大切にスクラップし、眠れない夜や開放的な歌を耳にしたときついページをめくってしまうような、眩しく淡い恋はあの頃で終わっている。そして夏が私にそれを思い出させる。

入学したときぽっちゃりした坊ちゃんみたいだった佐野くん。実はピアノが上手くてプログラミングにも長けていて、卒業する頃には背まで伸びて花より男子に出てきそうだったのに、おっとりと優しく人を立てる性格がずっと変わらなかった。

クラス替え自己紹介で将来の夢を聞かれて、低い声でぶっきらぼうに「DJ」って答えた佐伯くん。全く意味がわからなくて、大人っぽすぎてドキドキした。家に帰って辞書で調べて、ラジオディスクジョッキーのことと理解して、その夜はラジオから佐伯くんの声が流れ出るのを想像した。

ずっと一匹狼だった小山くん。いじめスレスレのいじりが起こるとすっと話題を変えていた。先生含め全方位につれない対応だったのに、裏表のない態度が一目置かれる存在だった。同じ小学校から進学してきたユカちゃんと話すとき笑顔けが特別だった。

ロッカーが隣で、ふっと中を覗かせてもらったら、ぴしっと教科書が整列していた坂上くん。ゲラゲラ笑う大胆な人なのに几帳面なんだ!と驚いて、自分ロッカーを見られないようにあわてて閉めたら目があってニヤッとされた。扉の裏にコピーした時間割がまっすぐ留めてあった。

くるくる天然パーマキュートだった加藤くん。ずっと冴ちゃん片思いしていて、冴ちゃんが誰と付き合ってても視線の熱が変わらなかった。一度男女混ぜこぜで鎌倉花火大会に行ったとき、一番はしゃいで盛り上げてくれたことを思い出す。あのときちゃん彼氏の呼び出しで早く帰ってしまい、それでも続く明るいトークには抱きしめたくなるほど痺れた。

その花火大会の日に家に寄せてくれた吉住くん。浮いた噂一つない柔和なカタブツで、誰にも平等に接するフェアなところを尊敬してた。ご両親とのやりとりも穏やかでユーモラスで、その後何度もみんなで家に通わせてもらった。高校柔道部に入ってあれよあれよと体が分厚くなり、人懐っこい熊のようだった。

眉毛一生懸命整えていた竹内くん。今思えばきっとノンバイナリーな人だった。男子グループに上手く馴染めていなかったけど、料理部に入って人は人自分自分って感じに対処していた。ミステリアスで目が奪われた。

バスケ部永田くん。学校ではまるで話したことなんてなかったけど、偶然電車で会ったとき、家のことや好きな本の話など、横浜藤沢まで楽しくおしゃべりできた。クラスメイトの陰口など一切言わなかった。鞄の角がすり切れていて、でも持ち手はきれいにしてあって、ものを大切に使うんだなと感心した。

テニス部藤本くん。華やかな容姿で人目を引いたのに、結局誰とも付き合わず、いつも友達とふざけているか本を読んでいた。一度バスの中で何を読んでいるか聞いたら水滸伝だった。読書するとお小遣いもらえるんだよねと言っていたけど、きっと本当に本が好きだったんだな。

藤本くんの親友で、ある日突然私に現国を教えてと持ちかけて水木くん。勉強なんてしてこなかったけれど、医学部に行くって決めたからと言っていた。弟の病気を直せる医者になりたいってそんな漫画みたいな‥と思ったけど、全力で学ぼうとする姿勢にはむしろ教わることばかりだった。卒業生総代になって、答辞添削を任せてもらえたときは胸が詰まった。

サッカー部で副キャプテンをしていたのに、引退試合の直前で怪我をしてしまい、試合には出れずコートから大声で指示を出していた榎木くん。試合終了が近づくともう何も声を出すことなく、ただ制服の白シャツがはためいていた。

回転ドアの向こうに、自転車の後ろ姿に、夏の朝夕、暑さが残る淡く眩しい光のなかに男子学生を見かけると思い出す。みんな素敵だった。私恋ばかりしていたけど、それは当たり前だった。

2022-07-05

性欲抜きで好きといえないとダメ

その点おれは小学生のころから性欲ありで好きだった

高校クラス替え一目惚れした子は笑顔がすきというきっかけだったがのちにおっぱいがでかいことをしってから性欲もまじってしまった

ぜーーーーーーーーーーーーーーーーんぶきたない

人間滅びろしね消えろゴミクズども

2022-06-10

河田くんの思い出

引っ越し断捨離してたら、河田くん(仮名)のことを思い出した。

ただ、なんだったんだろうと言うだけの話だけど、寝る前に書こうと思う。


小学校同級生だった河田くんは、背が小さくて痩せていて、少し外斜視の目がエキゾチック男の子だった。

ちびまる子ちゃん野口さんみたいな雰囲気で、無表情かニヤッと笑っているかの2つしかたことがなかった。

河田くんは女の子が苦手で、かといって男の子友達も多くなく、よくひとりでいた。

私は彼のことが気になってよくちょっかいをかけていたし、私の母と彼の母がPTAで親しかたこともそれに拍車をかけていた。

川沿いにある薬局の2階にあるお家にも行ったことがあった。

河田くんは4人兄弟長男で、狭い和室にぎゅうぎゅうに置かれた2つの2段ベッドの右下1段が彼の唯一パーソナルスペースのようだった。

枕元に派手な色のカエルぬいぐるみ星新一小説が置かれていた。

カエルの首を掴んで「こいつかわいいだろ」と言っていたのを覚えてる、その小さなベッドの上は河田くんのお城に思えた。

なんだか私だけは特別存在だと全く誰も羨んでいないのに優越感を感じた。


でも、河田くんと私はそれからたいした友達にもならずにクラス替えやら成長期を挟み疎遠になったまま小学校卒業した。

河田くんは女の子が苦手だから男子校に進むんだとお母さんに聞いた。

川沿いの薬局は駅を挟んで反対方向で、わざわざ見に行くこともなかった。

話に登ることも思い出すことも滅多になかった。

次に聞いた河田くんの近況は、亡くなったというお知らせだった。


それは母から聞いた。

亡くなった理由は分からなかった。

葬儀は2人で行くことになった。

葬儀場には同級生らしい学ランの子たちが沢山いて、並んでいる間チラホラ小学校同級生も見かけたけど、どれも河田くんじゃなくて河田くんのお母さんと付き合いのあったような顔だった。

棺の中の河田くんの傍にはあのぬいぐるみカエルが寄り添っていて、一度だけ行ったお家のことを思い出して、なんだか目の焦点がうまく合わなくなった。


お葬式のあと、お食事をしていって下さいと言われて、嫌だったけど母が「こういうのは礼儀から」っていうから案内された席に着いた。

油っぽくて味のしない天ぷらを食べてると、隣で河田くんの高校同級生と思われる男の子が何人かで話していた。

「どうする?明日

告別式?は12時に終わるんでしょ?さすがに一旦帰るよ」

思い出話じゃなかった…と思って意識天ぷらに戻そうとした瞬間、信じられない言葉が聞こえた。

今日こんなキツいのに、明日はサカタの通夜とかキツすぎるわ」


え?と声に出てしまったと思う。

箸を持ったまま彼らの話を聞き入ってたけど、私の知りたかったようなことは、もうとっくに話し尽くしたみたいだった。

明日彼らはもう1人同級生を見送ること。

彼らはサカタくんとほとんど話したことがないこと。

結局、河田くんは自殺だったということ。

わかったことはそれだけだった。

声をかけようかとも思ったけど、そんな野次馬みたいなこと亡くなった2人に失礼なんじゃないかと思って声が出なかった。盗み聞きしてるくせに。

それに、訃報を聞いたようにいつかお母さんが誰かから真相を聞いて、私に教えてくれるかもしれないとも思った。

結局すこしの天ぷらだけ食べて、最後河田くんのお顔をみて家に帰った。

なんで河田くんはあんなに弟思いだったのに、とか、誰にも相談できなかったのかな、とか、河田くんとサカタくんは友達だったのかな、とか、答えの出ないことをぐるぐる考えてうまく眠れなかった。


結局今日に至るまで、お母さんが「そういえば…」ってその話をしてくれるなんて都合のいいことは起きなかった。

何もわからないしわかることもないまま、高校卒業して就職もして今引っ越ししようとしてる。

私は河田くんのことを何も知らない。これから新しく知ることもないと思う。

あの部屋の小さな河田くんの世界の記憶けが鮮明で、お別れのこともフワッとしか思い出せない。

私が知っている12歳の河田くんは、5年間でどう変わっていったんだろう。

なんかまとまらなくなっちゃったけど、もっと河田くんと話してみたかった。

川沿いのお家も薬局今はもうない

2022-04-19

anond:20220419093532

ワイはホワイトデーのお返しのセンスが良いと言う噂が立ってしまい、中学の頃クラス女の子ほぼ全員からチョコを貰っとったで

クラス替えで別のクラスになった子からももらったし、なんなら男からももらってた

そんなんだからホワイトデーの出費がとんでもないことになってしまい、泣いて親に土下座しながら事情説明して毎年融資してもらってた

まぁ、そのせいで、そこそこのもの買えるようになってさらに「義理チョコあげるなら増田くん」運動拍車がかかってしまったのだが

2022-04-09

PTAをDXしようとして挫折した話 ※追記しました

去年から妻がPTA仕事をすることになり、仕事でDXをやってるんだったら手伝ってよ、ということで半年から手伝い始めた。

主な課題は2つ

両方ともエクセルを使って実施してるらしいのだがエクセルを使える人が居ないので困ってるとの話だった。

ちなみに妻もエクセルは使えない(編集ぐらいならできる)。

名簿更新作業

現状

PTAの名簿は「PTA名簿(学年).xlsx」というファイル管理されている。

6年生なら「PTA名簿(6年).xlsx」のファイルがあり、そこに各学年の児童名前保護者名前役割などが書かれている。

4月になると6年生のファイルは削除し、5年生のファイルを6年生にリネームする。

更に5年生のファイルに入っている各児童の学年・クラス・出席番号を変更する。

変更が終わればそれぞれの行を「切り取り」「挿入」することで出席番号順に並び替える。

これを全学年行う。1年生は新規ファイル作成する。

変更するときに参照するのは学校から紙で貰う児童名簿で、始業式当日までは厳秘なので絶対に貰えない。

始業式の翌週には役割分担を決めるくじ引きがあるのでだいたい2,3日で名簿を更新する必要がある。

これが凄い大変、ということだったし、もう10年近く同じ作業が行われてきたらしい。

提案

そもそも学校から名簿をファイルで貰えませんか、と聞いてみたがやはり無理だった。

印刷したものは渡しているか印刷前のエクセルファイルUSBメモリに入れてくれればいいですよ、と伝えたが

USBメモリ?」

という感じだったので諦めた。

次に、PTA側に対してエクセルファイルを一つにまとめましょう、という提案を行った。

ファイルは一つにして6年生、5年生のシート毎に分けましょう、という提案だ。これはすんなり受け入れられた。

そして6年生から1年生までを一つのシートにまとめましょう、という提案を行った。

学年の列を追加してそこに6とか5とかを入れておき、フィルターで6だけ選べば6年生だけ見れますよ、ということを提案した。

詳細は後にするがこれは却下された。

最後クラスと出席番号だけ入力して並び替えをすれば「切り取り」「挿入」という作業必要ないということを説明した。

実演もしたしデータが壊れないことも説明した。

だがこれも却下された。

原因

エクセルファイルのA列には「役割免除」「委員免除」などの文言が書かれていた。

例えば会長などの役員を1年務めた人は兄弟がいたとしても永久に何か役割を割り当てられることは無い。

そのため、児童の列の右側に書かれている「2018年 役員」などの情報を元に、当年度の役割免除かどうかを判断し、A列に役割免除記載を行う。

これだけなら簡単自動化できるが、役割免除判断方法は非常に複雑になっていた。

例えば役員をやっても〇〇委員だけは別で役員免除期間は3年となる。

また〇〇委員になった人は△△委員永久免除されるが、□□担当は当該児童に関してのみ免除され、兄弟に関しては免除されない。

こんな具合で複雑怪奇情報PTA規則という名のWordファイルビッチリ書かれている。

これらの情報を踏まえた上で一番左の列に「役割免除」の文言記載しなければいけなかった。

1ヶ月ほど妻と議論しながらそれを読み解き、エクセルファイル上で管理できるようにした。

当該児童2017年の列に「××担当」などと書いておけばいろいろと判断して「役割免除」と勝手に入るようにした。

(ちなみにこれは非常に大変な作業で、子供に紐付く役割情報と親に紐付く役割情報を分けて管理し、整合性を保てるようにVLOOKUPなどを作る必要があった)

さて、この過程で各学年毎のシートに分かれていると兄弟のいる親の管理が複雑になるため、1つのシートにまとめた。

入力場所管理方法も整理し、今後はこのシートを使ってはどうかと提案した。

が、結果しては却下された。

理由はいろいろあるが、「ルールが合っているかどうか分からない」からが主要因だった。

まりPTA規則は実は誰一人として理解しておらず、こちらで作ったエクセルが正しいかどうか分からない、とのことだった。

ちゃんルールに従っているので今後はこのエクセルで良いと伝えたが、そもそもPTA規則が正しいかどうか分からないと言い出した。

例えばクラス以外に各地域での役割があるのだが、それらがどのようなルールになっているか地域によって違うし、その場合役割免除も誰も分かっていなかった。

まりエクセルファイルにはただのメモ書きとして残しておくだけであって、判断は別途行う、という運用だった。

また、クラス替えときエクセル並べ替え機能を使ってはどうか、という提案却下された。

元のエクセルファイルは一部のセルが結合していて並べ替えができなかった。

よく見れば結合には意味が無く、解除すれば並べ替えできる、と伝えたが

「何か意味があるかもしれないから変えないでほしい」

とのことで並べ替えは出来なくなった。

くじ引きによる担当の決定

現状

各学年毎にPTA役割を決める必要があり、4月くじ引きが行われる。

くじ引き校長教頭立ち会いの下で役割を一つ一つくじ引きして決めていく。

この模様は録画されて証拠として残される。

くじは各学年・クラス毎に1ch × 30cmほどの紙が用意され、それを束ねてPTA会長が持ち、教頭先生が引いていく。

委員役割によって免除される人が違うため、同じクラスでも複数のくじが用意される。

黒板に各学年の役割を書き、くじを引いたらその人の紙を貼っていく。

このくじ引き作成が非常に面倒だと言うことだった。

A3用紙に先ほどの名簿を印刷し、裁断機で1cm毎にカットしていく。

これを6学年×3クラス×役割数だけ準備するのでとんでもないことになる。

ゴムで止めて付箋を貼って保管しておくらしいのだが、これをクラス替え発表の後に1週間以内で準備しなければならない。

ちなみに全部作った後に、不備がないか一つ一つ確認作業も行う。

「深夜まで作業していることがある」

と言っていた理由が分かった。

提案

そもそもくじ引きなどせずにエクセルランダムに選出できるということを伝えたが速攻で却下された。

そこで提案したのが割り箸くじだ。

といった提案だ。我ながら名案だと思った。DXは関係なくなったが。

当初はこの案で準備が進んでいたが、結果としては採用されなかった。

原因

まず根本的に勘違いしていたのだが、全ての役割くじ引きでは決まらないということだ。

前年の2学期が始まるときに各家庭に「来年役割希望について」というプリントが配られて各家庭で希望を募る。

そのときに「過去に行った役割」や「兄弟で行った役割」を記載してもらい、それを10月頃に受け取って保管しておく。

ちなみにその情報を元にしてエクセルファイル保全も行っていた。

「変な役割を押しつけられるぐらいなら希望を出そう」という人や、前任の人と仲が良くて引き継ごう、という人がいるので20%ぐらいは希望があった。

希望があった場合、先ほどの「役割免除」のところに「〇〇担当希望」という文字列が入る。

なんと、この文字列が入るとそのセルは赤くなるようになっているのだ。条件付き書式だ。素晴らしい。

そして、この赤いセル印刷したときにグレーになる。

1cm × 30cmのくじを作って束にすると、くじを引く側はエクセルでのA列になるのだが、そこがちょうどグレーのセルになるのだ。

くじを束ねても先端部分の色でグレーなのか白なのかを判別できる。

そのため、くじ引きをするとき教頭先生はグレーの紙を優先的に引くことができるのだ。

希望者が複数いる場合もあるのでくじ引き絶対にしなければならない)

希望者がいる場合はその人達だけでまずは割り箸くじ引きをする、などを提案したが、逆に準備や運用時間がかかることが分かり、元のやり方に戻された。

また、ファイルに分かれていたのもその紙の印刷をやりやすくするためであり、全てが紐付いていた。

A列には手書き免除文字が書かれることもあり、それを引いた場合はもう一度引く、といった具合だ。

非常に複雑怪奇になっていたので完全に手を引くことにした。

ルールの明文化

最後に、これらのルールが明文化されていないのが大きな課題から文化したらどうか、という提案をしたが却下された。

PTA総会での議題決議になり、まぁ想像しなくても大変そうだろうなぁと思った。

そんな決議を取るぐらいならいっそのことPTA解散するという決議の方がいいかもしれませんね、という話をしたら会長は苦い顔をしていた。

ITに対する不信感

この数ヶ月にわたってPTA教職員達と触れ合ってきたが、普段相手にしているそれなりの企業人達と違ってITに対する不信感が大変に大きかった。

一部、中小企業ワンマン社長などが似たような感じではあるがその比では無かった。

エクセル自動計算してくれるということを説明しても計算結果を信用しないだけでなく

「そんないい加減なやり方だとダメ」「怠けるのは良くない」

といった反応が多く、日本テレビドラマでたまに見かける

ITで楽してた人が非常時に役に立たず、経験と勘に頼った人がヒーローになる」

というのを目指している感じだった。あの手のドラマが売れる理由がよく分かった。

もちろん、ネットでは見聞きしたことはあったのだが、2022年の現代で、しかも同世代人達でも同じような感覚の人が多いというのは衝撃だった。

また、例えば同姓同名保護者がいて、それぞれに兄弟がいた場合は今のシステム破綻するので各保護者エクセル上で番号を振ってはどうか、という提案をした。

想像の通り、個人番号のように管理するのは如何なものか、というお手本通り拒絶反応を示された。

思えばあの辺りから不信感が大きくなったようにも思う。

最後

これは皮肉ではなく、この半年ほどだったがPTAのDX化(?)に関われて本当に良かったと思う。

資料やそこに書かれた数字として、ITリテラシの低さや地方自治体でのIT化の遅れなどを知ってはいたが、実は分かっていなかったのだ。

ITリテラシエクセルの使い方などの前に、そもそも「楽をして生きよう」という人が少数派なのだと思い知った。

そして民主主義を貫く限り、多数派意見に勝つことは無いのだ。

政治家が時にはバカ政策を立ち上げて、全く効率的で無いことがバカにされるが、実はあれは正しかったのだと思う。

企業活動は「楽をして生きよう」の精神があるにも関わらず、大企業になるほど非効率になるのは同じところに原因があるように思う。

自分自身がこのような視点を持てたことは大きく成長できた部分であり、感謝している。

追記

たぶんこの手の話をみんな大好きだろうから伸びるだろうなぁと思ったらやっぱり伸びた。いろんな人に知って貰えて素直に嬉しい。

いくつかコメントに返信しておきたい。

二重投稿になってたので修正しました。

ネタ扱いしている方へ

もちろん完全に本当の話ではなく身バレを防ぐ為にフェイクを混ぜているが9割は真実だし「本当に?」って思うところは真実だ。

例えば紙のクジは真実なんだ。残念ながら。

USBメモリ?」

の反応はちょっと端折りすぎたかもしれない。実際には

USBメモリ、ああ、USB、ね。ハイ。そうですね。でも、多分使えないんじゃないですかね?容量とか。そういうのが」

という感じだった。

その後もいろいろ話したが、結果的には印刷物をスマホ撮影してExcelに取り込む方法を使ったので業務はかなり楽になっている。

ちなみにUSBメモリセキュリティ観点結構から多くの企業禁止されていることもあって、意外とこういう反応は多い。

会社若い人に「USBメモリ持ってる?」と聞いてみるといい。恐らく持ってないし、使ったことも無い。

エクセルでワンクリック品を納品されても困る

別にやろうと思えばAWS上にReactでWebシステム作って納品してやっても良かったんだが、

仕事でもこういう問題は多々あるので自走できるように配慮する、というのはかなり気を使ってやった。

そもそもエクセルを使って解決しようとしたのもそれがあるからだし、割り箸くじも同じだ。

加えて、例えばExcelも一つのセルに式を押し込むのではなく、複雑怪奇ルールをそれぞれの列に分割したりした。

最低限VLOOKUPは理解して貰う必要があるが、それ以上に高度なことはしていない。マクロVBAなんてもってのほかだ。

PTAから逆に「結果だけ出して欲しい」と言われたが、そうすると引き継ぎ時やルール変更時に困るから、という理由でそこは死守した。

それでいて、入力するところはこの部分、というのをメモ付きで残すなどの配慮はしたのだが、結果は書いた通りだ。

密室会議不正方法で決めたいのではないか

途中でこのような不信感が募ったのだが、正直密室会議で決めるほどの権力名誉も無い役割なので違うと思う。

ただ単に新しいルールを取り入れることへの恐怖のようなものが背景にはあると思っていて

誰かがやり始めたのでそのまま続けるしかなくなっているのが現状だと思った。

許可を得ないで勝手にやる

これは恐らく真実で、自分会長立候補して「変えます」と宣言していたらやっていたと思うし、役員だったとしてもやっていたと思う。

PTAをやっているのは妻で、その手伝いという微妙立場だったのでこんなやり方になってしまった。

規約にも書いてないか勝手にやってしまえば良かったかもしれないが、そもそも動機

「妻が土日にいないと困る」

ぐらいだったのでそこまでやる気は無かった。

子供達の作業が1mmもない

これはその通りでPTA役員会の仕事の9割はPTA維持のための仕事である

ただ勘違いしないで欲しいのはPTAのもの業務というのはいろいろあって、それなりに必要とされている。

まぁ、必要とされているかどうか怪しい仕事もあって、例えばベルマーク集めとか校庭周辺の草むしりなどである

ベルマークは未だに集めているし、なんなら今はWebベルマークなんていうのもある。詳しくは調べて欲しい。

その辺りの業務お金解決できる、という話は度々上がるらしいが、実施されることはない。

名簿作りやくじ引きを見直せ

これはもちろんそう思ったのだが、受け入れ可能な形での提案をするのも大事だとは思っている。

思惑としては割り箸くじをまずは導入してもらい、効率化という意識を高めてもらってから根本的な改革、という流れが良いかな、とは思った。

一般的企業とは違って劇薬は思わぬ副作用を生むのだ。恐らくだが。

また、根本的な話をするとPTAの是非を問うことになるし、実際に会長には伝えたし、来年度以降にそれをやってもいいとは思った。

周りの学区でもPTA廃止されているところは増えてきているし、2,3年後にはうちも無くなりそうだとは思った。

とはいえ教師負担が大きくなった結果の悪影響は未知数だし、ボランティアベースでの活動にも限界があるだろうから何かしらの強制力必要なのではないか、とも思う。

2022-02-25

男子ってあいさつしないよなanond:20220225123346

クラス替えでも入学式でも女子挨拶するのに。


近所の奥さんやオバちゃん挨拶するのに。

2021-12-30

ネットブート概要と端末を一元管理するメリット

ビジネス教育現場において、ときには1000台以上のパソコン端末を管理しなくてはならないケースがあります。この際、各端末を一元管理するために用いられるのが「ネットワークブート(=ネットブート)」です。

今回は、大学専門学校などの教育現場にも採用されることが多い一元管理システムネットワークブート」の概要と導入するメリットについて紹介します。

ネットワークブートNetwork Boot)とは

通常、コンピューター使用するためにはWindowsmacOSなどのオペレーティングシステムOS)を各端末に導入する必要があります。これに対して、情報処理ほとんどをサーバーで行い、ユーザー操作する端末自体の処理を必要最小限にする運用方法を「シンクライアント」といいます。「ネットワークブート」はシンクライアント方式の1種であり、構築したネットワークを通じて、サーバーからOSなどの情報を取得して起動するシステムのことです。原則ログイン情報を打ち込むだけでネットワーク内のどの端末からでも、アプリファイルなどの環境再現できるため、パソコン教室に設置するデスクトップパソコンなど不特定多数が使う環境に適しており、教育機関採用されやす理由の1つです。

ネットブートNet Boot)

ネットワークブートと同じ意味で使われることが多い「ネットブートNet Boot)」ですが、厳密にはネットブートmacOS機能の1つで、macOS Serverからの指示によって構築したネットワーク上のMacを起動・操作するシステムのことです。

この機能によって遠隔からソフトウェアインストールなども行えます

デスクトップ仮想化(VDI)型

ネットワークブート型と比較されることが多いシンクライアント方式の1つです。仮想環境作成したデスクトップ環境ネットワーク環境下の各端末に転送して操作する方法で、ネットワークブート型よりもカスタマイズ性が高いことが特長です。また、ネットワークブート型よりも少ないリソース運用可能である一方、サーバー上で処理しなければならないのでサーバーの負荷やライセンス料が増大する傾向があります

教育機関での利用においては、基本的に生徒は全員同じ環境で授業を受けたり、作業したりする可能性が高いため、VDI型の高いカスタマイズ性は必要ないケースが多く、ネットワークブート型が採用されることが多いです。

ネットワークブートメリット

シンクライアントソリューションであるネットワークブート」は、データなどをサーバー側で一元管理できるので、活用することでセキュリティ面や管理効率化などに大きなメリットを得られます

パフォーマンスが高い

端末側のCPUメモリで実行するので、導入したiMacなどの性能を十分に活用できますネットワーク環境PC台数が増えても、高速ブート可能なので高いパフォーマンスが期待できます

アプリケーションや周辺機器制限がない

インストールするアプリケーションや端末側で利用する周辺機器に、原則制限がなく使い勝手が良いのもネットワークブートメリットです。「ローカルディスクがないPC」という感覚で利用できます

管理が容易

詳細は導入先やシステムによって異なりますが、ネットワークブート運用管理システムを組み合わせて一元管理することで、各端末の状態簡単に把握できるほか、ログ採取サーバー設定・更新自動反映などが可能になります。これにより、少数の担当者でも運用管理が容易になるでしょう。

セキュリティの向上

近年、ネットブートが注目されている理由の1つが、セキュリティ性が高いことが挙げられます。各端末のデータサーバー管理するため、ユーザーが利用する端末にはデータは残りません。このため、データ流出などを未然に防ぐことができます

これらのメリットに加えて、教育現場ではクラス替えなどがあって従来とは違う端末を生徒が使うケースでも問題なく、同じ環境で利用することができるほか、必要台数分の有料アプリケーションなどを購入すれば良いので、全生徒分のライセンス料などを払わなくて良いといった特長もあります

ネットブート環境の構築は信頼性の高い業者

ネットブート環境を構築するためには、導入先の独自システムとの連携や構築方法をしっかりと把握して仕様書にまとめる必要があります。規模によっては検討から運用供給まで1~2年かかるケースもあるので、ネットブート環境の構築の豊富な実績と経験がある業者選びが重要になります三谷商事は1000台以上の大規模ネットブートを構築するなど、教育機関への導入実績を長年にわたって積み重ねています大学高等専門学校への導入事例をまとめているので興味のある方は確認してください。

※関連ページ:導入事例

 https://www.mitani-edu.jp/case

ニコイチだった女の失恋について

今朝の電車で泣きながらをスマホを見つめる女を見た方。

最近はそんなにまじまじと他人の様子を伺う人なんて少ないとは思いますが、

もしも驚かしたり、心配させてしまっていたらごめんなさい。

大きな失恋したことにあの時初めて気づいたんです。

職場では、病欠明けの同僚に声をかけましたし、ベテランさんに年内の仕事の内容も報告できました。

いつもより多少饒舌だったかもしれませんが、普通に過ごせました。

ここから先はよくある失恋した人間独白になりますが、読みたい人はどうぞ読んでいってください。

高校の時、ずっと一緒にいる二人組っていませんでしたか

ひとつグループに入ってはいるけど、その中でも特別仲がいい二人組。

私、それの片割れだったんです。

で、今回の失恋相手っていうのがその相方なんですよ。

の子とは高校出会ってどういう経緯があったかはもうすっかり忘れてしまいましたけど、

間違いなくお互いにお互いが一番仲のいい友達になりました。

クラス替えで別々になってもどうやっていたのかずっと一緒にいた記憶があります

大学も同じところの同じ学科に行きました。

サークルも同じところに入って、私が一人でいると彼女休みなのかと必ず聞かれました。

就職はさすがに別の会社でしたけど、新入社員の頃には同じものにどハマりしていたので毎週のようにあっては一日中遊んでいました。

今はというと昔のようにしょっちゅう遊ぶことはなくなりましたが、近所でそれぞれ一人暮らしをしています

私の方が後に一人暮らしを始めたので、彼女引っ越し祝いのケーキを買ってきてくれました。

私のリクエストチョコケーキだったんですけど、箱を開けてみたら抹茶ケーキでした。

絶対に好きな味のはずだからこっちにした!絶対こっちが美味しいと思う!と熱弁されました。

かにものすごく好きな味でした。抹茶だけでなく黒ゴマペーストが入っていてラズベリーソースもいいアクセントで。

彼女からプレゼントは大抵私の思考を読んだかのように正確なんです。

……こうして書き出してみるとやっぱり普通よりは仲がいいですよね。

失恋とは書きましたが、彼女恋愛感情を抱いたことはないんです。

私はヘテロですし。

でも彼女恋人ができるとその度に静かにひどく嫉妬しています

彼女はどちらかといえば恋人を優先するタイプなんですよ。

少し前に「友達彼氏嫉妬するのは、ぽっと出の男が大事友達を奪っていくから」みたいなツイートを見ました。

ああこのしんどい気持ちってそういうことだったんだなと少し納得ができた気がしていました。

でね、昨日なんですけどその子が遊びにきたんです。

仕事終わりにどっちかの家にふらっと行ってだらだら喋るというのが最近の遊び方になっているんです。

昨日はその子が「お土産を渡したいから」と来てたんです。

クリスマス旅行に行ったんですって。

少し前に婚活出会って付き合い始めたと言っていた男性と。

私は彼女旅行なんでしばらく行ってないななんて考えながら話を聞いていました。

じきに話題は変わっていき私が最近卵焼き器を買った話から実際に作ってみようということになりました。

お互いの家にある賞味期限が危ない卵を持ち寄って、どうやって作るんだ油を入れすぎじゃないかちゃんと通ってるのかとかわいわい言いながら作りました

卵焼きは素材の味が生かされていて改善余地ありといったできでしたが、綺麗な層になっていて見た目は大成功でした。

年末に新しい思い出ができたわー」と笑いながら二人で食べました。

でも、彼女が帰った後猛烈なむなしさに襲われて、食器も洗わないまま寝ました。

今日の朝起きて少しはマシになっていましたが、釈然としないまま出勤しました。

ずっとずっと考えていたのは彼女結婚についてで、今付き合っている人と結婚するんだろうかとか結婚したらもっと遊べなくなるなとか。

でも彼女はそれで幸せになろうとしているのだから、それを止める権利はないし。

彼女は奪われるんじゃなくて、自らその道を選ぶんだよな。

じゃあなんでこんなに悲しい気分なんだろうなと思っていました。

ほとんどの人が昨日には仕事納めだったのか、ガラガラ電車椅子に座った時に

昨日の卵焼きが頭に浮かんだんです。

ただ小さいフライパンで小さい卵焼きを一個作っただけだったのに、心の底から楽しくて。

私は彼女とこういう幸せを一生かけて積み上げていきたかったんだなと気づいたんです。

もちろん友達でもそんなことこれからもたくさんできるとわかっているんです。

でも彼女結婚を望んでいるし、子どもが好きで欲しいと思っているとこも知っているんです。

他の既婚の友達を見ればわかります彼女の望みが叶えばどうなるかなんて。

叶わなければいいなんて、少し頭をかすめたけど本気では思いません。

幸せになって欲しいなとは本気で思います

これって失恋って言葉できっとあってますよね?

そんな訳で私は年の瀬電車でさめざめと泣いていたのです。

こうして文字にしてかなり頭がクリアになった気がします。

こんなバラバラ文章最後まで読んでくれた人がいたらありがとうございます

そういえば貰ったお土産オランジェットでした。

オレンジの皮をチョコレートで包んだお菓子

私これ嫌いなんですよね。

おわり

2021-11-28

スキップローファー読んで死にそう

Kindleで一巻無料だったら読んでみたんだけど、なんかもうこんな高校生活したかったっていうコンプ刺されまくりしんどい。つらい。

先に書いておくけど漫画内容自体はすごくいい。

自分高校入学時、カースト底辺のブスで、あんなふうに陽キャ隠キャまざって映画見たりカフェ行ったりカラオケ行ったりとかなかった。平日も土日も、同級生遊んだ記憶ほとんどない。部活動入ったあとかろうじて友人ができてなんとかなったけど、最初クラス内での人間関係構築は全然うまくできなくて、クラス替えまでの一年間非常にしんどかった。

漫画、生々しすぎてしんどいクラストップの美男美女はわりと分け隔てないんだよね、ブスや隠キャにも。そのすぐ下あたりの、顔は普通だけどおしゃれで気が強い子たち、あの層はあからさまに馬鹿にしたり無視してきたり。

漫画漫画から、隠キャ女子クラス一の美女友達になったり、芋女子がクラス一のイケメンに好かれたりするけどさ、現実はそうはならないじゃん。なんかあっったりまえのことなのに、久しぶりに漫画読んだのもあって妙にダメージを受けてしまった。

大人になった今の生活いくらよくなっても、思春期の頃のコンプレックスが忘れられない。

何度も書くが漫画めっちゃよかったです。続きも買うと思う。おすすめ

2021-11-22

自分人生の振り返り

から転勤族だった

幼稚園でも小学校でも周りと馴染めず馴染む前に引越しを繰り返した

先生相談したら泣きわめいて虐めてきた生徒に叱ってくれた

田舎生活が長かったせいか「訛りが酷くて何話してるかわからないww」と影で言われたのは覚えてる

中学に入っても虐められた

エイリアン」と酷いあだ名をつけられた

中学校はその県の公立の中ではかなり頭が良く進学校へ進む人が多かったせいか、成績が悪かったこともいじめの原因だったかもしれない

いつも陰口ばかり言われて、除け者扱いにされて本当に辛かった

虐めてきたやつの本名を書きたいぐらい

だが2年生になってクラス替えがあってから私と仲良くしてくれる友達(というのも失礼な話だが)が増えて、ようやく周りと馴染むことができた

中2、中3、高校大学全てが楽しかった

こうして楽しく過ごせたのは周りのおかげ

いじめられて引きこもりになる気持ちもわかるし、私と仲良かった小学生友達中学の時もっと酷いいじめを受けて精神科に今通ってる

心を酷いやつらに破壊される前に逃げるのは本当に大事

2021-11-07

知らない同級生行方不明になった

高校時代の友人から連絡があった。かつて自分と同じクラスだった同級生行方不明になっているらしい。

自分にはまったく心当たりが無かった。同級生所在についてではなく、そんな同級生自分クラスにいたという話に。通っていた高校は元女子校で、自分入学する少し前に共学化したのでクラスにいる男子生徒は自分も含め数人しかおらず、3年間クラス替えも無かった。だからどんなに印象が薄かったとしても忘れるはずがない。

教えられたその同級生名前Facebook検索したところ、それらしき人はいた。年齢が同じで学校学科も同じ。普通に毎日近況を更新していた。行方不明という感じでもない。

意味が分からない。

2021-09-24

辛いことがあったとき解決方法

「苦しいことを考えなくて済むように気分転換する」、みたいな「とりあえず忘れる」方式では全然解決しなくて、結局は原因がある人や環境強制的バイバイしないと解決できないんだよね…。

ということが経験でわかってきた。

嫌な原因の真っただ中にいる状態で「気の持ちようでどうにかなる」と言われても絶対無理

学校だったらクラス替え卒業、転校、会社だったら異動、転勤、転職みたいに今いるところから逃げないと解決しないから、逃げる決意を持つことが重要だと思う。

2021-07-23

小山田圭吾沢田君(仮)の間にあった感情

やはり「友情」が一番近いのではないか

…と、あえて釣り針を垂らすような書き出しで始めてみる。

 

此度の件の火種となった記事掲載されていた時に『クイック・ジャパン』誌の編集者を務めていたという、北尾修一氏のブログ(正確には北尾氏による注釈飛ばして、画像スキャン=当時の記事本文のみ)を読んだ。

http://live.millionyearsbookstore.com/dokoheittemo/ijime/2874/

以下の文を読む人も、まずはこちらで本文を読んでほしい。

 

自分は数年前から存在していた、あの記事を紹介したブログを今回の件以前から読んでいて、しか意見を固めることが(したがって、SNSや公の場で何かしらの主張をすることが)できなかった。

それは小山田氏のファンからとかではなく、知的障害者と呼ばれる人たちに「怖い」「近づきたくない」という意識を持っていた(正直にいえば、今も持っている)からだ。

 

そこに抜粋されている、蛮行と言ってよい行いの数々には、確かにひどいと思ったものの、

自分が「そういうこと」をしないのは、虫を潰したりするのも躊躇われるようなレベルしかなく、

暴力という形であれ、積極的にそうした人たちと関わりを持てるということに、

「この人は、自分には越えられない線を越えている」という意識を持ったのだ。

 

まり知的障害者の人たちを自分とは「違うもの」として意識から遠ざけ、関わりを決して持たないようにしている自分と、

暴力を伴った形であれ、積極的に関わりを持っていた小山田氏、どちらのほうがより「悪」なのか、ということが、わからなくなってしまったのだ。

 

このことはずっと自分の中で引っかかりとなっていたのだが(先述のように、いまだに自分からは「怖い」という感情が抜けない)、今回全文を読むことによって、新たに気づいたことがあった。

 

件の記事での小山田氏の語りには、「イジメていた」対象として複数同級生仮名で登場するが、そのそれぞれを「個人」としてみなしているのだ。

中でも端的にそれが表れているのが、「イジメていた人にもしまた会って対談できるなら?」と持ち掛けられたとき小山田氏が答えた、以下の部分。

 

――もし対談できてたら、何話してますか?(注:話の流れ的に「村田君」という同級生の話として小山田氏は受け取ったようだ)

別に、話す事ないッスけどねえ(笑)。でも分かんないけど、今とか会っても、絶対昔みたいに話しちゃうような気がするなあ。(略)」

――やっぱ、できることなら会わないで済ましたい?

「僕が? 村田とは別にあんま会いたいとは思わないけど。会ったら会ったでおもしろいかなとは思う。沢田に会いたいな、僕」

(中略)

最後に、小山田さんが対談するなら一番会いたいと言っていた、沢田さんのことを伝えた。沢田さんは、学校当時よりさらに人としゃべらなくなっている。

「重いわ。ショック」

 

詳しくは全文を読んでいただきたいが、小山田氏は一様に悪辣言葉でかつての同級生について語りながらも、「沢田君」については何かしらの魅力を感じ、「ある意味ファンになっていた」という旨のことを語っている。

小学生時代には(当初拡散された記事抜粋されていたように)暴力を加えていたが、学年が上がるとクラス替えなどを契機に自分友達が少なくなっていって、それでもたまたまクラスが同じであり続けた「沢田君」という個人に、興味を持つようになったのだという。

そして、興味を持つようになってからは、イジメ現場を見ても、「ちょっと引くようになっていた」と。

 

ちょっと引くようになっていた」と言っても、本当にそれだけで、止めるどころか笑って見ていたというし、そこに情状酌量余地はない。

しかし……「村田君」と「沢田君」を個人として区別していた、ということが、「知的障害者」という枠に入れて、ひと塊にして遠ざけている自分にとっては衝撃だった。

 

「個」として認識することで、本当に少しだけだが、小山田氏の「沢田君」に対する態度は変わった。

沢田君」も(小山田氏曰く)小山田氏だけには、毎年年賀状を送っていたのだという(小山田氏はそれに対して返信を出すなどはしなかったようだが)。

 

これをもってして「友情」とは言えないだろうが、その萌芽のようなものはあったのではないか

少なくとも、「障害者」とか「外国人」とか「男性女性」とか「金持ち貧乏人」とか、ある人を大きな枠組みで捉えていたら、そこに「友情」は発生することはないということは、一般論として言えるだろう。

 

同じ空間で長い時間を過ごしていれば、そのように「個」として認識することもできるのだろうか。

人を「個」として認識する機会をできるだけ多く作るということが、あらゆる問題解決する上で前提となるべきことな気がする。

 

自分には何ができるだろうか。

2021-07-19

anond:20210719234210

そういうとこもあるんやろな

俺の場合地元公立中学地元公立高校進学コース(3年間クラス替えなし)だったが、中学ではイジメ普通にあったが高校では全くなかったな、不思議

クラスヒエラルキートップムードメイカー自分を下げて笑い取る奴だったからかもしれんな

2021-07-16

初恋が終わった話

好きだと気づいたのはクラス替えの後だった。

小学5年生でクラス替えをした時、アヤトくんとクラスが離れ離れになってひどく落ち込んだ。

そこでわたしはアヤトくんのことが好きだったんだと自覚した。

特にかかわりのないまま夏を迎え、校外学習に行く準備が始まった。もう10年以上も前のことなので記憶曖昧だが、なぜかご飯時間に私の班だけがアヤトくんのクラスと合同でグループを組むことになって、たまたまアヤトくんと同じグループになれた。

一緒にカレーを作ってる写真卒アルに載っているので卒業後もたまに見返したりしてた。

放課後に通っていた書道教室が一緒だったので、たまに書道教室で会うことが密かな楽しみだった。

5年生の時はそれくらいしか思い出はなく、ひっそりと思いを抱えたまま6年生になった。

6年生になると、またアヤトくんと同じクラスになれた。毎日楽しくて、勉強なんか身に入らずアヤトくんだけをみていたし、2日間会えなくなるから金曜日が大嫌いだった。

告白も何も出来ないまま時間けが過ぎていった。

そもそも、付き合うことの意味も分かっていなかったわたしは、気持ちをどこに向ければいいのかもよく分かっていなかった。

それでもアヤトくんの優しさに触れる度に好きでどうしようもなくなっていた。

私は漢字ドリル計算ドリルを進めるのが好きだったのでみんなより早く1周して、勝手に2周目を進めていた。そんな時、アヤトくんも同じく2周目に進んでいることが分かって、なんとなく、どっちが先に2周目終わるか勝負ね!なんて言って幼いながらも接点を増やしていった。

ほとんど同じくらいのペースで2周目がおわって、私たちドリル3周目を迎えた。もはやドリルへの執着ではなくアヤトくんへの執着だった。

3周目がおわるころに、担任が私とアヤトくんの異常なスピードに気づいて、クラスメイトの前で褒めてくれた。どっちが先に3週目終わるかな?と先生が言ってくれて、先に終わったら金ピカのシールをくれると言った。金ピカのシールなんて別に興味がなかったけど私とアヤトくんだけの特別勝負が公になって嬉し恥ずかしの気分だった。

もうすぐ3周目がおわるころ、アヤトくんはなぜかスピードを落としてしまった。そして私は先に3周目を終えて金ピカのシールをもらった。

何も言ってなかったけどアヤトくんはわざと負けてくれたんだと思う。その優しさでまた心がぎゅっとなった。

アヤトくんはこんなに優しいから、結構人気な男の子だった。クラスメイトの中には他にもアヤトくんのことを好きな子がいた。

の子は、3年生の時に理科でアヤトくんが作ったモーターカーを間違えて踏んで壊してしまったらしい。小学生にとって、自分作品を壊されたら阿鼻叫喚してもおかしくないが、彼は笑って許してくれたらしい。それで好きになってしまったと話を聞いた時、私もまた好きが大きくなってしまった。

そうこうして卒業の時期を迎えた。中学も同じなので特別寂しさはなかったが、アヤトくんと1番近くで話せたのはこの時期が最後だった。

3月11日卒業式が間近に迫った寒い日だった。

帰る準備をしてる頃、視界が揺れた。

人生で初めて経験した大地震だった。

花瓶も、窓ガラスもわれ、ガタガタと物音が落ちる音とみんなの叫び声が響いてこわくてこわくて仕方なかった。

揺れが落ち着いてグラウンド避難する時、怖くて立ち上がれなかった私に、アヤトくんは手を差し伸べてくれて一緒に歩いてくれた。

この日がアヤトくんの一番近くに居れた日だった。

卒業して、中学生になった。

サッカー少年だったアヤトくんはなぜか帰宅部になっていた。帰宅部の怖そうな友達とつるむようになったアヤトくんをみてなぜか寂しくなった。

ほんとはアヤトくんめちゃくちゃサッカー上手いのに、なんでってずっと思ってたけど聞く勇気はなかった。

クラスも遠くて接点もなかった。しばらくして放課後にアヤトくんのクラスに用があって行ったら、アヤトくんは髪を伸ばしてチャラくなっていた。そしてリュックにはピンクのよく分からないキャラクターキーホルダーを着けていた。その隣に全く同じキーホルダーを着けている女の子がいて心臓がばくばくした。

一瞬で彼女だと悟った。

中学から一緒になった、出会ってそんなに時間もたってない子にいとも簡単に取られてしまうことを初めて学んだ。思いの長さは強さじゃないんだと知ってどん底に落ちた。

この彼女は私とアヤトくんがドリル競争を繰り広げてたことなんてなんも知らないのに、もう彼女になれてるんだ、ってよく分からない嫉妬をした。

結局アヤトくんへの気持ちを諦められないまま中2になった。アヤトくんは彼女と別れたらしい。

それでも自分から告白する勇気はなかった。

ずっと好きだと思いながら何も言えず、冬になった。

バレンタインを渡そうとして渡せなくてゴミ箱に捨てたのも確か中2の冬だった気がする。

同じ頃、修学旅行で隣の部屋で恋バナしてるからおいでと言われてるんるんで向かうと、ギャル女の子がベッドの上で楽しそうに話をしていた。

「それでー、ちゅープリ撮ったの!」

そう言ってギャルは顔を赤くしていた。

キスなんてしたことない私は、ギャル大人に見えて仕方なかった。その後まもなくしてちゅープリを見せてもらうとアヤトくんが映っていた。

その後の記憶はほぼない。帰りのバスは心が虚無だった。もうあの頃のアヤトくんはいないんだとわかって、それなのに自分はあの頃で止まっているのが悲しかった。

中3になると塾が忙しくなって、次第にアヤトくんのことを考える時間はほぼ無くなっていった。

アヤトくんの志望校すらも知らなかった。

でも、6年生の時にあれだけドリル一生懸命やってたんだから勉強は嫌いじゃないだろうしそれなりの高校に行くんだろうなあと思っていた。

卒業間近に、アヤトくんが市内のバカ高に進むと知って、ああそうか、と思った。

もう何もかも変わってしまったんだと思った。

高校に入って、私は別の人を好きになった。

アヤトくんのことはもう頭の片隅にもなかった。

時は経って、

18歳になるころ、アヤトくんはデキ婚した。

大学には行かず、就職して養っていくらしい。

もうずっと別の世界人間になっていた。

アヤトくんがパパか。そう思ったものの羨ましいの感情特になかった。

私は都内大学に通い、それなりに自分生活を楽しんでいた。成人式でアヤトくんに再会すると「俺の事覚えてないよね〜?」と声をかけられた。いや、覚えてるよ!と話して、今私は大学に行ってるよ、と話したら別の世界にいる人を見るような目で「すげ〜な!しっかりしてるんだな」と言われた。

それからまた時が経った。

アヤトくんは離婚したらしい。

ふーんくらいにしか思っていなかったが、意外なところでまた再開する。

出会いがなくマッチングアプリインストールして適当スワイプしていると、アヤトくんがいた。

同い年なはずなのにすっかりおじさんになったアヤトくんの姿があった。

子供もいるし結婚歴もあるのに、結婚歴も子供がいることも隠したプロフィールになっていて心底引いた。

わたしはこんなおじさんが好きだったんだと思うとどうしようも無い気持ちにおいやられた。

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