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はてなキーワード: クラス替えとは

2019-10-23

いじめの(長期的な)影響について

小学5年生の頃、いじめにあっていた。

最初は、クラスの全員から無視される、掃除時間にぞうきんを取られて取り返そうとすると投げ合って返してくれないなど。そこからさらエスカレートして、私の椅子や机、文具などに触ると〇〇菌が移ると言って避けられるようになった。いわずもがな、私の身体クラスメイトに触るととても嫌な顔をされた。身体的なものはなかった。ただただ精神的にきつい仕打ちが繰り返された。

それが半年〜1年くらい続いたと思う。先生特に助けてくれなかったけど、翌年度のクラス替えで主犯格は全員別のクラスになったから気づいてはいたんどと思う。

今、30代半ば、それなりの大学を出て、何度か転職をしたけど、それなりの会社で働いている。

いまだに同僚や上司といった私的な付き合いのない人間が信頼しきれない。信頼というと大袈裟だけど、対人関係に常にうっすらとした不安感があるというか。

周りの様子を見ていると、ふつうは信頼するとかしないとか、そんなこと考えるまでもなく、人付き合いをしているみたいに見える。

不安感がずっと強くて、近頃生きているのがいよいよ辛くなってきていて、なんでだろうって考えたときに、とても古い出来事なのにいじめのことが思い起こされて、ここに吐き出している。

子どもの頃いじめに遭った方に聞いてみたい。

その後何年か、何十年か経って、まだ何か影響ってありますか?

影響があるなら、どうやって克服してきましたか?あるいは克服なんてしきれないものなんでしょうか?

2019-10-21

いじめはなくならないと思う。

いじめはなくならないと思う。

子どもはもちろんのこと、大人だって人間関係を苦にして自殺うつ病を患ったりしている。

大人場合いじめとは表現されないことが多いと思う。パワハラとかセクハラとかも同じカテゴリに入るかな。

いじめと同等のことは、学生卒業しても社会人生活の中で、起こっているということだ。

であるならば、いじめは避けられないと考えて行動すべきだと思う。

いじめを受けずに人生を終えることができたなら、それは幸運というくらいの受け止め方で。

じゃあ、どうするか。

まずは、加担する側に回らないこと。これはまぁ前提。

でも気がつかない内にそうなってることがあるかも知れない。

無自覚にしてしまっていることほど恐ろしいものはない。

自分がされて嫌なことを相手にしてはいけない。そして、自分がされて嬉しいことが相手も嬉しいとは限らない。」というような旨の言葉Twitterか何かで見たけど、結構真理だと思う。

前半のことを親から言われて育つ人は多いかも知れないけど、後半のことまで言われて育つ人は少ないんじゃなかろうか。そして後半のことを自分で気づける人も。

しかしたら、親も後半のことを気づけていないかも知れない。

よくある善意押し付けとかね。

あとは、正しいと思って加担している例で、

何か過ちを犯した人をネットで袋叩きにする行為一種いじめにあたるんじゃないだろうか。

ただ語弊のないように言っておくけど、今まで声の小さかった人たちの声を拾い上げられたり、今まで隠れていた犯罪が浮き彫りになって公的機関が動いてくれるという良い働きをする場合ネットにはあるとは思う。

けど、例えば警察がもう動きだしてくれたのに、正しさを武器無関係な人たちが制裁加えるのはどうかなと。

気が付いたら加担していたということになりかねないので、これは気を付けたい。

次に、複数コミュニティ所属すること。かつそのコミュニティ独立していてつながっていないこと。

これは大人大事だと思うけど、思春期の子どもとかがいじめにあったとき精神衛生良いと思う。

子ども世界が狭くなりがちで学校での居場所がすべてみたいに思ってしまう傾向があると思う。

つのコミュニティで上手くいかなくても、他のコミュニティで楽しくやれていれば、学校けが自分の居場所じゃないとわかる。

それに自分のことを客観的判断できるんじゃないだろうか、というのも学校だけのコミュニティいじめにあったとしたら、

判断基準がそこだけなので、なぜいじめられるのか、自分の何がいけなかったのかと内に内に考えてふさぎ込んでしまうんじゃないだろうか。

特定コミュニティだけでいじめられるのであれば、それは自分とそのコミュニティが合わないだけと折り合いをつけられる。

全部のコミュニティいじめられるのであれば、自分を省みて改める必要があるかも知れない。

かくいう僕も小学生ときに、ちょっとしたいじめにあった。

昨今、話題になっているような壮絶なものに比べればかわいいものだが。

ターゲットになった人が仲良しグループからある日突然無視されるというやつだ。

ただ小学生ながらとてつもない恐怖を味わったのを覚えている。全く心当たりがない上に、この先もっとひどいことが起こるのか、もうなにがどうしてしまったのか頭の中は大混乱だった。

ただ人間は慣れる生き物で、落ち着いてくると無視しているのが仲良しだった者たちだけで、その他の人は違うと状況把握できるとしばらくやり過ごすことができた。

僕が幸いだったのは、その無視してきた者たちが僕のあることないことや悪口を言って仲間を増やすことをしなかったことだ。

彼らの目的排除ではなく、ある日突然、想定外の状況に置かれた人間の反応や自分たちが優位に立っている状況を堪能することだったからだ。

そして、順番が交代する。僕は何事もなかったかのように元の仲間に引き入れられた。

次にターゲットが決まると、また彼らは同じことをしようとした。僕にもそうするようにと。

ただ、僕はこの流れを断ち切ったら終わるんじゃないかと思って僕はそのターゲット無視することはしなかった。

ターゲットの子最初こそ悲しそうな顔をしていたが、僕が無視しないとわかると嬉しそうに毎日しかけてきた。

これで無視ゲームは終わりだなと思ったんだけど、そうじゃなかった。

また僕がターゲットになった。まぁ、当然と言えば当然だ。面白くない行動をするグループ内の反乱分子なのだから

でもそのとき僕は、今回の無視ゲームも失敗するだろうと思っていた。

というのも、前回ターゲットの子が同じ境遇を味わった仲間で、かつ僕は体制に逆らって無視をしなかった。

から彼はきっと僕の味方になってくれると思ってた。

でも現実は違って、前回ターゲットだった彼は仲間に無視されなくなった途端、以前と同様に楽しそうに僕を無視しだしたのだ。

不毛だ。

小学生ながらやってられないとあきれていた。おいおいうそだろ。そんなことある?って笑

不思議絶望感はなくて、はーめんどくさ。もういいや。って感じの感情だった。

そこからクラス替えする前に仲の良かった子たちのところへ昼休みに行き、勇気を出して正直に事情を話して仲間に入れてほしいと言った。

そしたら「いまみんなでノート迷路を描いてるから一緒に描こう。」と快く仲間に入れてくれた。

クラス替え以降、疎遠になっていたが笑顔で迎え入れてくれて本当に嬉しかった。

無事にいじめから脱出して僕は、小学校生活を終えることができたわけだけど。

無視ゲームをしていた彼らは卒業するまで似たようなことを繰り返していた。

ただ、実はいじめをする心理はなんとなくわかってしまったりする。

からまり恨んではいない。だけど肯定はできないし、してはいけないと思う。

今振り返ると、もういいやって切り替えられたのは、僕が学校とは別のコミュニティにも所属していたからだと思う。

当時、僕はスポーツクラブサッカーチーム、隣町のスイミングスクール、別の学区の生徒もいる学習塾に通っていた。

幸いなことにそれぞれのコミュニティでつながりはなく、共通友達もいなかった。完全にそれぞれ独立してた。

から、遊び相手がいなくてもサッカースイミング友達がいるし、学校宿題や授業がわからなくて学校の仲間に聞けなくなっても、塾で教えてもらえばいいやと。そう思えた。

からいじめから“逃げられた”んだと思う。

この逃げるのが苦手な人が、世間話題になるような可哀想な目に遭っているように思う。

から逃げ道として色んなコミュニティ所属することが大切だと思う。

これは社会人にも当てはまると思う。

ただ社会人会社いじめに遭うと結構大変かも知れない。

生活に直結しているか会社はそう簡単に辞められないし、転職するにも精神力や体力が必要だ。

いじめ精神疲弊してくると正常な判断力を失ってしまうのかも知れない。

思えば小学生いじめにあったとき、親に相談を一切しなかった。普通なら一番に相談して助けを求めても良いはずだ。

今となってはなんでかわからないけど、精神的に健全状態ではなかったことは確かだ。

でも仕事けが人生の全てではない。生きるために働いているのに、命を削ってどうするんだ。

逃げろ。

なんだかまとまりのない文章なっちゃったけど、世間いじめ関連のニュースを見て思うところがあったので書きなぐりました。

2019-10-08

20年間発達障害者として生きてきた私の話2

はじめに

はてな匿名ダイアリーにおいてパート2というのはアリなのでしょうか…? 文化が分かりません。もし痛々しいようでございましたら申し訳ございません。

以前投稿した記事https://anond.hatelabo.jp/20190926105149)にて私見を交え自分の持つ症状について解説いたしました。が、「タイトルイメージが違う」とのご指摘がありそういえば元々は自分人生について書いてみようとしたのだということを思い出しました。前振りだけでいい具合にまとまったのでそれで良しとしてしまっていました。

というわけで本題の発達障害者である私の自分語りをさせていただきます自閉症多動症を持って生まれた私がいかように生活してきたのか、振り返って書き連ねていきます。詳しい症状につきましては省略いたしますので、不明点がございましたら上述の記事を参考にしながらお読みください。

幼少期 -既に変な特徴はあった-

出生の頃から追って話しましょう。さすがに私の記憶は流石に薄れていますが、当時から私が育てるコツのいる子であることは母には察しがついていたようです。

目を合わせて話さない。集団行動ができない。特定のモノに極めてこだわる。このような特徴が見られたようです。もちろんこれらは赤ん坊であるならば持っていても変ではない特徴も含まれますが、私の場合幼稚園年長くらいまで続いていたらしく「他の子とは明らかに違っていた」と言います

集団行動の苦手さを表す具体例としては、前回の記事にも書きました幼稚園から脱走していたことが主だったモノとしてあげられます。とにかく放っておくといなくなる。あまりにいなくなるものから、見失わないように私だけ違う色の帽子を被せられていたり園長先生が抱っこして確保していたり特別措置が取られていました。「差別的ではないか」と保護者会で話題になったとか。まぁ当の両親は正しい判断である先生にいたく感謝をしていたようですが。

まぁ幼い子であれば”ひょうきん”だとか”手のかかる子”という表現だけで済むのです。迷惑はかけましたが面倒な問題にはなりませんでした。

ここであげておきたいことが”目を合わせて話さない”という点とそれに対する母の対策です。

子供は成長しながらコミュニケーション能力を身に着け、その一環で「目を合わせて話す」ということの重要さを学ぶものです。大人の真似をし、後々意義を理解するというのが発達の基本ですからコミュニケーション能力もそうやって身に着けるのでしょう。

ただ私はとにかく誰かが話しかけてもそちらの方を見ないし、私が誰かにしかけるときこちらを見ない。私には会話中に相手の顔を見るという発想がなかったらしいのです。おそらくですが、やる意味は分からなかったのでしょう。「そういうものからそうする」とか「みんなそうしてるから」といった発想は私には薄いのです。ゆえに真似をせず、発達が遅れる。この性分が字のごとく発達への障害になっています

今思えばこちらを見ずに話しかけるサマというのは、やや気味の悪いように見えたことは想像に難くありません。

この悪癖を放っておいたらいけない、と母が実践したことが「とにかく自分から顔を見て話す」ということ。

子は親を見て育つ、それで覚えないならもっと見せていくしかないという発想のようです。とにかくちょっとした会話でもしゃがみ込んで目線を合わせる。呼びかけられたら自分から私と目が合う位置に移動する。意図が分かりやすいよう、たまに口でも「目を合わせて話してね」と言う。母の行動は徹底していました。

そうしているうちに、私は目を合わせて話すようになったんだとか。

つまるところ、覚えが悪い子もちゃんと教え込めば理解できるようになるのです。特に口で言うことは大事です。「こっち見てくれないと誰に言っているのか分からいから」など理由もつけましょう。意義が理解できればやるようになります。言い過ぎると逆効果という例もありますから、難しいところではありますが…。

こういったことが母の育児論です。

また今更なのですが、ハッキリ言って私は親に恵まれています。「うつ病ブログ見てたら”恋人が助けてくれて~”とか書いてあった」とか「食費節約記事見てたら”米は実家から送ってもらって~”とか書いてあった」などに近い事案かもしれません。ご了承ください。うつ病患者にとっての恋人とか、米を送ってくれる実家みたいな存在自分がなるんだという気持ち知識をつけることにこの記事が役立ってくれるなら幸いです。

小学校入学 -いじめ先生の劣等生認定-

問題が徐々に起き始めるのはこの頃からです。先生から露骨に出来ない子という扱いを受け、いじめを受けたりいたします。もう”ひょうきん”で済む年齢は終わってしまったのです。

実際私は色々なことができませんでした。運動は大の苦手で、漢字テストは毎回落第し、常識はずれな行動も多く、そして正直に色々言い過ぎます。私としては何がなんだか分からないまま先生に怒られ続ける日々でした。本当に何がいけなかったのか分からないので、具体的な問題の例を挙げられません。ただ先生から見たらよほど出来の悪い子だったのでしょう。そんな私がクラスメイトに標的にされるのは自然なことでした。

いじめトドメになったのは噛み癖があったことです。どうも私は触覚に安らぎを覚えるようで、自分のモノは噛みたくなるし顔にこすりつけたがります鉛筆他色んな所有物をよくかじっていました。正直言って、これに関してはいじめられる側の原因と言えます

私に触れることはアウト、私の触ったモノはアウト、しっかり拭けばセーフになる。他の生徒からはそのような扱いを受けていました。

さてまぁ壮絶な過去に見えますが、我ながらこの時期はずいぶん気丈に過ごしています

まず絶対親にこのことを言いませんでした。というのも、大事な人が傷つくのは嫌だったのです。偉いとか優しいとかではなく、それが破ってはいけないこだわりの一つだったのです。

学校いかように過ごしていたかと言えば、とにかくクラスメイトに話しかけました。嫌な顔をされたりするのは当然ですし、拒絶された記憶もいくつかあります

なぜそんなことをしたかと言えば、話していい人と悪い人を判断するためです。クラスメイトが全員いじめに参加していましたが、それが全員の本心というわけでもないのです。心底私が嫌いな人、みんながやっているかいじめに参加している人、実はほぼ嫌悪感を持っていない人など色々います。なんというか、これが分かっていないと学校生活で困るのです。分からないことや授業中など、学校生活では会話は必ず必要になります。ですからこの人は話しかけていい、この人は絶対ダメという判別をする必要があったわけです。給食の配膳なども私が配るものを受け取る人受け取らない人がいるので、それも覚えていた方がスムーズでした。

それで大丈夫だったのかなんて思う人がいるかもしれませんが”私に触ることはアウト”なので殴る蹴るは絶対にされないわけで、だから私もこのような行動をとっていました。ちなみに話しかけていい人にも必ず距離を置いて話していました。これらのおかげで嫌悪感をぶつけられることも減りましたし、触らなきゃ話せる相手もできたので大成功だったと言えるでしょう。

今思うと自分でもやや呆れる行動ですが、このような割り切った行動ができるのは発達障害者の強みだと理解しています

ちなみにダメージが無かったかと言えばまったくそんなことはなく、ストレスが振り切れて”触ったらアウト”をということを使って逆襲したりもしました。本気で泣かれたことがよりショックで私も泣きました。発達障害者も人なのです。無関心でいられるのはよかろうとも嫌悪精神的に来ます

はてさてそんなのが一年ほど続いて、私の噛み癖も抑えられた上にクラス替えいじめウヤムヤになった頃の話です(子供いじめなんてそんなものです)。

いじめが無くなったとはいえ、私が色んな事が出来ない状況は変わりありません。未だ先生心証は良くなかったようで、三者面談では母が怒りかけるほど小言を言われたそうです。

これではいけないと判断した母は育児について調べ初め、発達障害について知るやいなや私を児童精神科に連れていき、正式に診断を受けることになりました。診断結果を話した結果、先生対応は一変。連絡帳を通してたくさんの配慮をしてくれるようになったそうです。

診断を受けるということは自分が症状を理解することはもちろん、相手配慮を求めることにも役立つのです。

私の母などもそうですが、先生の態度について色々思うことがある人もいるかと思います。ただ実際にいじめを目の当たりにしてできることはあまりにも少ないですし、しつけのなっていない子が存在するのも事実です。ですからやはり自分自覚して問題を起こさないためにも、ただ出来ない子と思われないためにも診断は大事ことなのです。診断には強い説得力があります。少なくとも小学校教師になれるほどの英才の方であれば、医師判断の重大さは分かるはずです。

中学時代 -自分を見つめまくる日々-

さて通院や教師配慮を通して自分が他の子とは違うことを十分に理解し、列から抜け出さないとか家に勝手に帰らないだとか当たり前のことは覚えながら成長していました。大人の方はみなそうですが、私の問題を挙げても存在否定はいしませんでした。今自分のことが大好きなのはこのおかげであると考えております

中学生になった頃には自閉症的な特徴がプラスな要素になることも多くなっていました。他人に無関心という点などは特に強かったですね。

なにせ中学校はけっこう面倒な社会です。どこのグループにいて、誰と誰が喧嘩して、あいつはどこに受験して、あの先輩はあんなことしてて…などなど。面倒です。そして誰もが面倒と思っているのに、多くの人はこの面倒な風評を気にしてしまます。ただ自閉症患者としてはこれは本当にどうでもいいことなんですよね。立ち位置とか気にするの面倒なのです。知らんわ。

そういうわけで私は特定グループにいることはなく、基本的面白い人なら誰だろうと話しかけていました。それのおかげか誰とでも平等に話すなどと評価されることが多かったです。よく気軽に話せるなどと言われました。あとは趣味偏見がなかったのも大きいでしょうか。バント小説アニメスポーツ、変わったところではジャニーズなどの話を聞いていました。自分が知っているわけではないものも多くありましたが、楽しく話せる分には何でも歓迎でした。しがらみがない人間というのは中学校においてはとても貴重な人材だったのでしょう。ゆえに”他人に無関心”はお気に入りなのです。健常者に自閉症マウンティング取れますね。

また他人からしてみれば強烈に個性的に見えるようでけっこう人気がありました。良くも悪くも目立つ人だったのでしょう。

さてかなり上手いこと発達障害個性にできたと書けば見栄えは良いようですが、決して楽なだけではありません。

とにもかくにも自己分析を続ける日でした。「お前は客観視ができない」と両親からひたすら言われ、客観視とはなにかからまり自分がどういう特徴があるのかズラズラ考え続けていたものです。あるモノにどういう特徴があるか知る時の基本は、他のモノと比較することです。障害の本もいくつか読みましたが、自分は平気でやるが他人がやろうとしないことを色々見て知ることが一番客観視につながったのだと今では思います。まぁおそらくそんなことは小学生の頃にやっておくのが一般的なのでしょうが…。

意義が分からない限りやらないのが私でございます自分理解しないと人に迷惑をかけることになると知って、ようやくこういったことを始めたのです。

まず自分が失礼なことをたくさん言う人である理解いたしました。ウケ狙いとかではなく、何とも思わず指摘するのだからタチが悪い。特に女性容姿については言うべきではないと学びましたね。

それに自分は集中すると周りが見えなくなるし、やると決まったことは徹底的にやるし、陰口は言いたがらないし、ツッコミで強く手を出しやすい方だし、婉曲な言い方が理解できない。こういうことをとにかくたくさん知りました。この記事を書くこと自体客観視の一環ですね。

しっかり向き合ってみれば結構分かるものです。ただまぁ前回の記事の通り「~~という特徴であるらしい」とか上手く自覚の出来ない特徴も多くありますが。ただ、これを知るだけでも行動は変わるものです。怒られたり驚愕されることはずいぶん減りました。

月並みではありますが、大事なのはとにかく障害に向き合うことです。なんでも知っておけば「あっこれやったらダメかも」と分かるモノです。「これはしちゃダメ!あれはしちゃダメ!これはしろ!」といったようにルールを決めるのではなく、特徴を知ってその都度対応しましょう。ルール決めが必要な時があったとしても、第一優先はそこではありません。

ここまで書いて気付きましたが、中学校でのエピソードに欠けていますね。強いて挙げるなら友人がバカにされてハチャメチャに怒ったことでしょうか。

やけに他人を見下す阿呆がいまして、彼奴が私の友人を散々に罵倒したと聞いて教室に殴りこんだことがあります。結局ロクな解決にもなりませんでしたが、他人に無関心というのは「他人がどうでもいい」のではなく「自分が好いている人以外がどうでもいい」のだと知ったキッカケです。友人は他人に入らないらしく、むしろ思い入れが強いのかもしれません。

前回の記事発達障害者ストーカーになったなどと反応がありましたが、なるほどと少し納得いたしました。

おわりに

高校時代についても書こうと考えましたが、エピソード不足でありますし少し疲れたのでここで筆をおきます

さて前回にて「アスペで友人がいるなど詐欺だ」などという反応がございましたが、実のところ私も不思議に思っていた時期がございます。おそらくはとにかく正直で、フラットで、好きな人にはそれなりの接し方をしていたからではないか結論付けています20年生きてきて分かりましたが、正直は美徳と言うわりにそういった人は案外少ないものです。外面を固めるのが上手い友人が私の前では豹変したようにドサドサとキツイ言葉を吐くサマは中々愉快でございます。私が楽しいから友人といるのと同じく、彼らも私といて楽しいからいてくれるのでしょう。友人への敬意と多少のユーモアがあれば、あとは個性として楽しまれるのではないでしょうか。

記事の中では母についてはいくつか触れましたが、父の出番はありませんでしたね。というのも父は私のことを本当に放っておいたのです。好きなことをしていればそれでいい、とそれだけは言っていましたが強く干渉することはありませんでした。実際に父も自分の好きなことをたくさんしていました。食事が大好きで今ではメタボなほどですが、誰の忠告無視してまだ食べ歩きを続けています。子は親を見て育ちます。私が自分に正直に、好きなように生きているのは父が影響しているのでしょう。結局両親ともども私のために色々してくれたのです。

ご参考になれば幸いです。

追記:どうも前回記事とのツリーになってしまますね。治し方が分かりません。

2019-09-23

いじめ加害者だったので当時の事を書く

内容はタイトルの通りです。



まず現状として、私は現在高校受験を控えた中3で、小5〜現在まで不登校ではあるがテストだけ行っているという状態です。

 




ここから本題です。

私がいじめをやっていたのは小2〜小3の頃で、主なターゲットは2人でクラスが同じRと幼馴染のKでした。

Rは常にアンモニア臭いがしていてクラスの3/4からいじめられていました。主に覚えているのは「R菌が伝染る〜w」と掃除時間に言っていました。もしかしたら蹴っているかもしれないですが覚えていません。

Kとは幼稚園入園からの付き合いで、おとなしく優しい子でした。Kには休み時間に臀部に蹴りをいれていました。





これらは一般的に言われる「いじめ」です。

しかし、これが「いじめ」だと気づいたのは今年に入ってからでした。



当時の私はいじめもなくいい学校だと思っていました。いじめも嫌っていました。自分加害者だとも知らずに。

[そんな私がなぜ自らがいじめ加害者だと気づかなかったのか]

それは加害者から見ると抵抗しているように見えないのです。不思議な話ですよね。性暴力事件でも加害者が同じことを言っています

合意があると思っていた。」

いじめ加害者であったと気づくまでは意味のわからない犯罪者思考だと思っていました。しかし、思い返してみると私も冗談で「やめてよ」と言っていると思っていました。なので、クラス替えが行われない限りいじめは続きました。


そして現在Rとの交流は無いですが、Kとはテスト前にプリントをもらったり互いにお土産を渡したりと交流が続いています

しかし、あくまでこれは親同士の交流です。Kは私以上に受験勉強が忙しく、K本人とは数年会っていません。






みなさんはここまで読んで私のことを「クズだなあ」と思ったことでしょう。

正解です










犯罪者戯言に付き合っていただきありがとうございました。

2019-09-11

私が某漫画作品を嫌いになった理由

作品のものに罪は無いため名前は伏せますが、私は昔、ある漫画作品が好きだった時期がありました。なぜ嫌いになったのか……その作品が好きだという人達嫌がらせされたためです。

私は生まれつき発達障害を持っていて、まだそれが分かっていなかった幼稚園小学校低学年の頃はよく周囲とトラブルを起こしていました。障害が発覚して中学から特別支援学級に入りましたが、知的障害身体障害以外の障害認知度が低い時代で、「わがままなだけなのに特別扱いされている」と周囲には思われて嫌がらせされていました。そして田舎の小さな小学校故に学年が上がってクラス替えが行われたとて標的が移ることも起こらず、中学に上がってから小学校の頃のことを知っている人達面白半分で言いふらしたことにより嫌がらせが沈静化することはありませんでした。教員対応もクソとしか言えない杜撰ものでした。

そうした学校生活を送っていた私は友達がいない、というよりも友達というものファンタジー存在だと当然のように思っていました。でもそれでも、幼稚園の頃から11年ずっと無害な存在だったある人だけは、少なくともコイツ自分を害することはないだろう、という程度には信用してはいました。なのにソイツは裏切って、周りが嫌がらせしてきたところに一緒になって嫌がらせしてきやがりました。この時は相手の方が悪いことをしたというのが教員から見ても明らかな状況だったため、一応後になって注意が入り、謝罪はされました。でも、その数日後にまるで何事も無かったかのように平然と話しかけてきました。その連中の中には一定の信用を置いていたやつもいましたが、そいつも纏めて拒絶しました。そうしたらそいつらは「コイツしつこい」みたいなこと言って去り、孤立しました。拷問されろ。その後も数年は年賀状そいつから送り付けられてきました。全部ゴミ箱。楽に死ぬな。

高校は「不登校経験者が多く来る場所」とオープンスクールで言っていたところを選びました。痛みを知る人達なら、少なくとも危害を加えてくることは無いだろうという判断でした。建前死ね

かに半分は不登校経験者でした。話しかけてきてくれた人もいました。数ヶ月後のもうグループができてしまった時期に、姉に似ていてコンプレックスが刺激されるから無理と拒絶されました。その姉とは関係ねーこっちからすれば「は?」としか言いようがなかったけども、いざ再び独りになってみると楽なこと楽なこと。移動教室も昼休みも一々誰かに合わせて行動するのが窮屈で、一人の方が気楽だってことを自覚しました。グループに入ることができなくなるタイミングだったことも気にならなかった。

生徒達の半分の一団、その高校しか入るとこがない成績のDQN共に目え付けられましたよえぇ。ただ、そいつらはウザったいけど大して問題はありませんでした。ちょっと髪がカラフルなだけのニヤニヤしながら通せんぼするぐらいしかできねえ小心者共なんざ、中学の頃嫌がらせしてくるやつの主犯と拳で語って殺意が生まれる(友情じゃない) ような関係だった私からすりゃ自分じゃ何もできないくせに囃し立てるだけの野次馬連中と同程度。目にかける価値もない。

問題はある二人の女生徒でした。そいつらは最初普通にしかけてきていて、害が無かったか普通に返事してました。某漫画作品好きかと問われれば好きだと答え、どのキャラが好きかと聞かれればあのキャラが好きと答えました。なんてことないただの会話で、互いの好きなキャラ同士に特に接点もなかったこともあり、特にその作品ファン同士として盛り上がることもありませんでした。

それが一転して嫌がらせをされたのは、体育の授業中のこと。バドミントンの2vs2の授業で相手はその話しかけてきていた2人で、私は組む友達がいないか先生と組んでいました。先生バドミントンに慣れているのはまあ仕方ないでしょうが、そうは言っても私も運動神経はまあ普通よりは少しいい方で、小さい頃お母さんに教わった戦法を駆使して勝ちました。視線を向ける方向とは反対の位置に打ち込んだり、思いっきり振りかぶっておいて前に落としたり。試合形式なんだから当然です。

それをあろうことはあの二人は、先生と組んでるからそっちはその時点で反則だだなんて言い出して。その上悪口を言いまくった後反論すれば「それは先生に言ったんだ」「自意識過剰挙句の果てには「せっかく話しかけてあげたのに」

最後一言が何よりも許せなかった。私は独りでいることが気に入っていたのに勝手に独りだから可哀想と決め付けて、恩を売っているつもりになって気に入らなければこちらのせい。

人間不信人間嫌いになった決定的瞬間で、同時に某作品を嫌いになった瞬間でもありました。

アイツらと同じ作品が好きなのが嫌で、僅かでもアイツらと同類な点を持つ自分気持ち悪くて、それで嫌いになりました。

からどうしろとは私は言いませんし、誰かにこうしてほしいなんて望みももっていません。誰かの好きを消さないためにも嫌がらせなんてしないであげてーなんて言うお綺麗な心なんざ小学生の頃にドブに捨てました。嫌がらせ? 私にしないなら勝手にすれば? 自分みたいに不幸な人間が他にいないとか気分悪いし。ただし私を巻き込むな。

2019-09-07

女子校時代に出来なかった片思いの恋バナを5年経った今だから

私は中高が一貫の女子校で、その間ずっと恋する乙女だった。恋した相手の数は4人。すべて片想いだった。それでも楽しかった。しかし女でありながら女の人を好きだと言うのを周囲にバレるわけもいかず、恋バナなんてしたことがなかった。高校卒業してから何年も経ち、多くの友人は共学の大学に通うようになったり、バイト先や職場で新しい出会いがあるらしく、日々好きな異性のことを沢山話してくれるようになった。聞いていて楽しいけれど、自分も中高の頃隠さずにこんな風に片想いの話を彼女達と共有できていたらさぞかし楽しかっただろうなと思うので覚えている思い出を放出する。前置きが長くなってしまって申し訳ない。とても長い内容のうえに素人文章なのでご注意

中学の時に好きになったのは、同じ陸上部の三個上のA先輩だった。一年生でまだまだガキだった私はそれが恋とは知らなかったけれど、校内で見かけるたびにドキドキしてしまうのでうまく挨拶ができなくて先輩方に叱られた。一年として学年全体で怒られた後に、私に「うちらも怒りたくて怒ってるわけじゃないよ。悲しまないでね。現状を良くしたいだけなの」とフォローしてくれた。一年は居残り時間が30分短く、先輩よりは下校時間が早くて一緒に変えることはできなかった。何かと理由をつけて部活後も校内に残って待ち伏せしたけど話しかけることはできなかった。きもいな。恋だとはわからないままでも自分はすごく乙女だった。部活の汗の匂いが気になって近寄って欲しいけど近寄れなかったり、少しでも可愛くなりたくてスキンケア用品もお小遣い貯めて買ってみたりした。(とはいっても洗顔料化粧水だけ)。部活中は一つ結びしか許されていなかったから、無礼講の部内クリスマスパーティでは髪型を少し変えて気づいてもらえるか試したりした。気づいてはもらえなかった。

中2の時に好きになったのは当時仲が良かった友達Bちゃん体育祭の時に疲れた愚痴ると膝枕をしてくれた。その子自身は体育の男性教員が好きだったからいつも胸がモヤモヤしていた。夏休み家族ハワイ旅行に行った時に友達用にお土産を大量買いしたけれど、彼女にはちょっと特別ものを他の子にバレないようにあげた。その時の笑顔が忘れられないほど綺麗だった。でも恋だとは自覚しないまま終わった。

高一の時に好きになったのは同じクラスのcさんだった。すごく仲がいいわけでもなく、勝手に好きになっていた。席替えで隣の席になれた時にすごく嬉しくて、夏休みに入る目前、恋だと自覚した。自覚してしまうといろいろ早くて(思春期なのもあって)キスしたい、ハグしたい、裸で触れ合いたいとか思うことが増えたけど、そんなことは顔に出すわけにはいかない。夜1人で妄想して、朝になったら忘れて何事もなかったかのように隣の席に座った。挙動不審にならないようにわざと冷たく当たってみたりもした。それでも彼女は優しくて、廊下とかですれ違っても「よっ!」と肩を叩いたりしてくれた。久しぶりに私からしかけると、「やっと話しかけてくれた…無視されて辛かった」と言ってくれたけれど、彼女のそれが恋愛感情からくるものじゃないのは明らかだった。誰にでも優しくて、他人に注意を払うのがとてもうまかった。夕暮れで視界が悪いのに下校途中で私に気づいて手を振ってくれるのはすごく嬉しかった。

高3になってもcのことが好きだった。毎年クラス替えがあったけれど、また同じクラスになった。すごくすごく辛かった。クラスの中心的なその子と話す機会は減った。でもまた奇跡的に隣の席になれた。天にも昇る心地だった。脳内お花畑だったからこれはもう運命では?とさえ思った。調理実習で作ったクッキーを食べて欲しかったけど、スムーズに渡せなくて、席が近隣の子達におすそ分けって苦しい名目で周りに配ったら別の子Dに全部食べられてしまってCの手に渡ることはなかった。Dには怒りが湧いたけれど「美味しかったご馳走さま」と言ってくれたので許した。

しばらくして漫画みたいな出来事が起こった。Dが同じ町内にひっこしてきた。歩いて五分くらいの距離に。私の高校私立で、近所に同じ学校の人がいるという感覚がこれまでなかったので純粋に嬉しかった。これによって謝恩会の準備や話し合いが放課後に近所でできるようになって純粋に楽だった。実は、もともとDの印象はすこぶる悪かった。Dは中3のとき、離れ離れのクラスになったBが新しいクラスで仲良くしていた子だったから。当時Bが好きだった私は勝手にBを取られたような気でどうしてもDを好きになれなかった。

高3になるとみんな受験で忙しくて、委員会なんてする人はいなくなった。でもクラスに必ず数人いなくてはならない卒業式後の謝恩会委員というポジションがあった。これがなかなか決まらないため、ホームルームが終わらない。Dが一緒にやろうと言ってきた。お前は受験はいいのか、と思いながらほかに立候補者もいないし、なんとなくすることにした。私のクラス私たち2人だけだった。謝恩会委員はやることが意外に多くて、Dの受験純粋心配になった。私はAO推薦でほぼ確定だったので積極的作業していた…と思う。ある日、Dの分である作業をなんとなく勝手に進めているととても感謝されて腰のあたりに抱きつかれた。cの前だったから恥ずかしくて腕を振りほどいた。CとDは髪型がとてもよく似ていた。うちの高校キリスト教だったので、全員強制参加の式典が年に何度かあった。秋のある日の式典で、私はどうしても暇でCを目で追ってしまった。それに偶然気づいたDが小さく手を振ってきた。お前じゃない、と思いながらも実はちょっときゅんとした。

ある日の放課後雑談をしながら謝恩会作業中、何気もなしに部活の後輩が好きだったことがあると言ってきた。とてもびっくりした。自分女子校内で片恋ばっかしている人間だったけれど、それを他人に話すということが異文化すぎた。気が動転してそれからしばらくはDのことを避けてしまった。

冬になってまた別の校内式典があった。それは義務ではなくて、行きたい人が行くものだった。99.9%の人が大学進学を希望するのでクラスの中では本番の迫る受験のために欠席する人、気休めと文字通り神頼みのために参加する人の二分だった。CもDもとても頭が良かったから参加するかどうかなんとなく気になった。Cは来ないというのを教室内の会話で知ってがっかりしたが、Dは来ると言っていた。なぜかとても嬉しかった。もしかたらこれが終わって三学期になれば自由登校で友達に会えなくなるからかもしれないと勝手に納得した。

それからしばらくしてDに放課後に呼び出された。理由は私が避けすぎたためだったらしい。Dは私が最近は目も合わせてくれないと言って泣いた。とても驚いた。避けている自覚はあったけれど目を合わせていないなんて自覚はなかった。だから今度は目を見て話を聞こうと思った。でも出来なかった。そこで初めて私はDが好きなんだと自覚した。目を合わせられないのはあの有名な歌詞通り、見つめ合うと素直におしゃべりできないからだった。急に恥ずかしくなって帰りたくなった。でも帰ったら一緒にいられないと思うとどうすれば良いのかわからなくなって、とりあえず適当に謝ってから家が近所なこともあって一緒に帰った。

謝ったと言ってもそれでまたDとおしゃべりなんてできるようになるわけがなく、言いたいことは全部紙に書いて伝えるようになった。本当に恥ずかしくて会話ができない。でもDと交流したい。Dは手紙にして返事をくれたりした。とても嬉しかった。それから冬休みに入って、三学期になって学校に行くことがなくなっても手紙のやり取りは双方にとって近所の公園に貼り付けるという約束になって続いた。

バレンタインになった。何か渡したいけれども渡す時間を取らせるのも申し訳ない。公園手紙と一緒に食べ物を置くのも憚られる。代わりに手作り学業成就のお守りを使って置いておいた(重い上にキモい)。お世辞だろうとも喜んでくれた旨が手紙に書かれていた。嬉しくて家でニヤニヤしていたら家族キモいと叱られた。

その後、彼女第一志望の受験前日は3つも神社をお参りしてクジを引いたら大吉だった。うれしくなって、おみくじのことと、明日受験頑張れと書いた手紙を貼った。結果発表の日が過ぎてもDから連絡は来なかった。催促するのもよろしくないのでそれから次の登校日まで待った。

合格者発表から日経った次の登校日、学校に行くとほぼ全員受験ストレスから解放されていた。教室ではDが他の子達となんと恋バナをしていた。他のクラスメートたちが、受験期中に同じ塾の男の子相手に密かに恋をしていたこととかを話していた。D自身はどうなんだろうか、不安になった。聞きたいけど怖くて聞きたくないので「いいなぁ楽しそう。もっといろいろ聞かせて?」と他の子に聞いた。するとDが「じゃあ〇〇も恋バナすればいいじゃん。好きな人いないの?」と聞いてきた。胸がとても痛かった。その日のうちにD本人から、実は第一志望に合格していたと聞いた。嬉しかったけれど、どうしてすぐに伝えてくれなかったんだろう。そんなこと話す間柄とすら思ってもらえてないのかと、また胸が痛くなった。

卒業式の帰り、謝恩会も無事終わり、クラス打ち上げ解散に近づいた頃、Dに、今日は一緒に帰ろうと言ってもらえた。とても嬉しかった。私の大学地方だったから多分これがDに理由もなく会える最後だと思うと泣きたくなった。帰り道は何も話さなかった。誤差の範囲だけれどDの家に先についた。お別れの時だ、と思ったら、Dがマンションの共有スペースまで上げてくれた。一緒にケーキを食べた。告白するべきかしないべきか、すごく悩んでケーキを食べ終わってもずっと無言で泣いてしまった。Dは私が何かいうのを待っているようだった。その時、母親からもう帰って来いと電話が来たので仕方なくさよならを言った。Dは地方でも頑張ってと応援してくれた。私は泣きながら短い距離を帰った。

本当のところはわからないけれど、おそらくDは私がDを好きだと気付いていたんだと思う。でもわたしには告白する勇気もなければ、このあと地方自分は行くのに、Dが大学彼氏を作るのを見ているのは辛くて無理だった。大学に入ってしばらくして、私は、自身では記憶にないが飲み会で盛大に酔っ払ったらしく、ライン電話でDに泣きながら告白していたらしい、というのは飲み会に参加していた別の友人に聞いた。Dのリアクションはわからない。電話口だったので私にしか聞こえていなかったし、私本人が酔って忘れてしまった。そのうち、私が1回目の帰省をする頃には風の噂でDに年上の彼氏ができたことを聞いた。私は泣いた。多分もうDとも関わることなんて、同窓会以外ないだろう。私はいつまであの時に囚われているのかわからないけれど、あれ以来人を好きになったことがない。もう22だけれど、中高で経験した以上の恋愛ができる気がしない。それでもいいと思っている。後悔もない。充実した青春だったし。これが私が学生時代、仲の良かった友人としてみたくても出来なかった恋バナの内容。

2019-09-01

命を軽く扱おうとしていた

中学生の頃、とある地方都市に住んでいた俺は、毎日電車通学をしていた。

ある日、学校からの帰り道、駅のホーム電車を待っていた。いつも一緒に帰る友人達とは別行動で、一人ベンチに座って本を読んでいた。遠くの方で同学年の女子達が何やら騒いでいる。どうやらその内の一人が名札を線路に落としてしまったらしい。

本当なら駅員を呼んで拾ってもらうのが正しい行為だろう。だがその時の俺はそうしなかった。ホームから線路に勢いよく飛び降りて、名札を拾い上げた。

あの時の俺は漠然とした不安の中にあった。クラス替えで仲の良い友達達と離れて、反対に気に食わない奴等が集うクラスに放り込まれて磨耗していた。好きだった子に振られた。父が単身赴任で家に不在がち、その代わり母とぶつかった。進学校自称するくせにやけに厳しい校則が煩わしかった。在学している中高一貫校を抜け出して、別の中高一貫校への進学を考えていた。

今になって思えば、どれも瑣末なことでしかない。でもあの時の俺はその一つ一つが重なり合って、漠然とした不安の中にいた。ふと自分の命が消えてしまってもいい。そんな感覚だった。

あの日、名札が線路に落ちているのを見かけて、死ぬ理由を見つけられた気がした。線路飛び降りて、名札を拾おうとして、轢かれて死ぬ。あっけない最期

でも現実はそう上手くいかなくて、地方路線から電車が来るまでには時間があった。難なく名札を拾い上げた俺はホームの上までよじ登ると、別のクラスほとんど話したことがなかったテニス部女子に名札を渡した。一連の動きを見ていた彼女は驚いた表情で、ありがとうと言った。

田舎学校の最寄り駅だからか、ホームには人もまばら。一般客、ましてや駅員さえも俺の行為に気づいていなかった。端から見れば格好つけた中学生の危なげな善行は、誰にも咎められることはなかった。

あれから10年以上。しょうもない希死念慮が湧き上がってきた時、あの日のように死ぬ理由こじつけられないかと考えてみる。物事はそう上手くいかないもので、理由はどこにも転がっていない。死ぬ理由に遭遇することはなく、かと言って積極的に命を絶つほどの勇気は持てず、そのままだらだらと生き長らえていく。

2019-08-30

anond:20190830105127

2019-08-27

■”聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

***********

今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された自分も同

2019-08-27

anond:20190827144510

人をいじっていた側がいじられる側に転落したり、いじられていた側がクラス替えしたとたんにいじる側になっていたり、というのを度々見てきた。

いじられるのは生まれつきの固定的な宿命であり、一生どうにもならないから、生まれおすしかないみたいな言い方にはピンとこないなというのが自分感覚

優位性って意外と流動的なものなのでは。

元増田も、自分ポンコツ度が弱まるような強みを生かせる場を探したり、逆に自分より程度のひどいポンコツが多い場所に移動したら、多分いじる権利は得られる。

本当にいじる側がうらやましければだけど。

聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

***********

今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2019-08-24

夏休み終わる前に死にたい人〜〜

増田学生がいるわけねえかって感じで自分に酔った文章書くね ごめんね

わたしは今年で22歳になる。こんな歳まで生きるつもりじゃなかった。そもそも大学生になるまでに生きているイメージがつかなかったのに、来年から新社会人なんてもっと想像できない。

小学生とき中学生とき高校生とき、死のうと思ったことは何度もあったのに、できないまま生き続けている。早く死ななければいけないと思いながらも生き続けている。

死にたいきみの参考にならないかもしれないけど読んでほしいな。

はじめに死のうとしたきっかけは小学生の時のいじめだった。

わたし学校は30人6クラスと人数が多く、毎年クラス替えをするごとにほぼクラスメイトが入れ替わった。だがわたしクラス替えをするたびにいじめターゲットになった。男女問わず首謀者やその取り巻きは変わっているにも関わらず、である

いじめられる方にも問題がある」というのはよく聞くが、わたしいじめられた原因はなんだったのだろう。

片親だから?ブスだから?一人で本を読んでたから?絵で褒められることが多かったから?

いじめっ子たちから聞いた理由はこんなとこだが、まあとにかくわたしはいじめられた。

ゴミを頭からぶっかけられたり、複数人に体を押さえつけられて殴られたり蹴られたり、お金をせびられたり、ピンポンダッシュされたり、プール時間で溺れさせられたり、防具なしの野球キャッチャーという的にもされた。

毎年バリエーションかにいじめられたものである

わたしはふと気付いた。

わたしはもうだめなんじゃないか?」

もうわたしはいじめられる前の自分ではない。

「オドオドして気持ち悪い」今のわたしはいじめられても仕方ないのではないかわたしはもう一生この卑屈な精神と向き合って生きていかなければいけないのか?

「なんで傷をつけられた側が人よりも努力してコンプレックスを克服して『まともな人間』にならなければいけないのだろう」と思った。なろうと思って頑張ってもまた笑われるのに。

もう疲れた。死のう。

と思い立ち9階のベランダの柵をまたいだ。

腕だけで支えている状態で下を見下ろすと、マンション看板が遠くにあった。このまま落ちるとあの辺りでぶつかった身体が真っ二つになったりするんだろうか。楽になれる。もう頑張ることなんてしなくてもいい。死のう。死んで楽になるのだ。

そう思ったが母の顔が出てきた。

いつもわたしの話を聞き、時には先生電話もしてくれた母。わたしを抱きしめて泣いてくれた母。

今は死ねないと思った。

しかしまた「死にたい発作」がでるたびに、わたしベランダの柵を乗り越えた。

その度に母を思って踏みとどまった。

死ぬこともできない出来損ないだと思って悲しかった。

中学生になった。

ここでも小さな嫌がらせいじめがあった。

だがあまり覚えていない。この頃からカウンセリング病院で薬をもらっていたからだ。

一度先生が「我慢できない時に飲みなさい」といった薬を5回分一気に飲んで1日寝続けていたこともあった。なんだかすべて薄ぼんやりとしている。

この頃から全身をあざができるまで殴るようになった。昔からささくれを深くめくって地の肉?がみえたり、壁に頭をぶつけることはあったのだが、リストカットは親にバレるからしなかった。これ以上悲しませたくはなかった。

どうにかしないといけないとは思いつつ、部活の先輩に相談すると「普通リスカじゃない?大したことないよ」といわれた

殴りつけたりかきむしったりするのは自傷行為じゃないとのお墨付きいただきそれからは腕にできた皮膚炎を2年以上血が出るまでかきむしって5cm×5cmのかさぶたを作ったりしていた。辛い時に、それが全部血になって痛くてヒリヒリするまでやるとスッキリするからだ。

死にたい発作」もあったが母を思いやめていた。

三年生のときは楽しかったのでよく覚えている。

高校は離れた場所に一人で行くことにした。

高校はとても楽しかった。

だがまたわたしがひとりのけものにされる出来事があった。またここでもわたしはこうなのかと思った。やっぱりわたし問題があるからいけないのだと再確認し、首を吊ろうとおもった。

家族旅行が控えていたため、旅行に行ってから死のうと思った。

旅館で寝る時に幸せすぎて少し泣いた。

さて、家では一般的首吊りができる場所がないため、非定型とよばれる高さがなくてもできる首吊りをしようとした。だがなかなか失神にはいたらず、二時間ほどトライしたが諦めた。

この時初めて親に死のうとしたことがバレた。

信じられないと殴られたし怒鳴られた。泣きながら抱きしめられた。

母がわたしに怒鳴ったり手をあげる時はわたしが死のうとしたり自分を傷つけた時だけなのだ

アルバイトをはじめてやはりわたしはどこに行っても一定わたしを嫌う人がいることを知った。

それでもわたしかばってくれる人もたくさんいることを知った。

学校ではたくさんの友達ができた。

わたし幸せだった。

20歳までには死ぬ漠然と思っていたからだ。

なぜかは分からないが、死ぬと思っていた。

いずれわたし自殺成功するだろうと楽観視していたし、生きている自分が何より想像できなかった。

から大学進学に伴い奨学金申請をするときは渋った。死ぬつもりなのに、母や姉が保証人なら死ねないではないかと思った。

そうして大学へ進学した。

大学では特に嫌な思い出はない。

足を殴ってあざを作るのもよほどのことがない限りだったし、このころから親は「下の階に響くからやめなさい」というだけだった。それに対してわたしが泣くと「何を言ってもやめないからそういうしかない」だそうだ。母はもうわたしを慰めず、わたしの暗い話は聞きたくないようだった。

就職活動が始まってわたしは頻繁に非定型で首を吊ろうとしてすぐ諦めるということをしていた。

ハイパーベンチレーションで失神する練習もしたが上手くできず、「死ぬ練習」をがんばっているわたしがとても滑稽に思えて爆笑してしまたこともあった。

なので失神という経験がないわたしはどうすれば失神できるのかわからず、ただ苦しい思いをするためだけに首を吊ろうとしていた。

耳が遠くなって目がボーーッとする感覚になると「危ない危ない」と輪っかから首を外すのだ。

お金を返さねばならないという漠然とした目標があるからである

家をでたいというわたしを親は反対した。不安なのだろう。わたしだって不安だ。友達にも「いつか死んでそう」といわれたのである

いつ死ぬかはわからないが何かを誤って死ねたらいいのになあとは思っているからだ。

就活では様々な出版社エントリーした。大体エントリーシートは通るものの、筆記や面接で落とされた。最終面接まで残れたのは一社だけ。そこも落とされた。

もうわたしは破れかぶれになっていて、もうほんとうに死ぬしかないと思った。ほんとうに価値がない人間なんだ。

それを聞いて母はずっと怒っていた。

「また次頑張るしかないでしょ!なに泣いてるの!」

このごろは自分を殴りつけても笑えるだけでなにもスッキリしない。「かまってちゃん」を演じているだけなんだとおもった。もうリストカットしよう。

部屋に戻ってリストカットをしようと刃を手首に押し当てた。鈍い痛みばかりで一向に切れない。ミミズ腫れみたいな線がいくつもできただけだった。

「ばかみたい」

と呟いた時母が部屋に入ってきた。

見られたのである

母は怒鳴り、殴り、また無気力になった。

「こんなもので血まみれになってお母さん置いて一人でいっちゃうの?」

嫌いになってくれたらいいのに、と思った。

母は後日話した際、「どうすれば助けてあげられるのか分からない」といった。わたしだってからない。

わたしは昔の面影が全くないほど明るいし、初対面の人とだって話せるようになったし、メイクも服も人並みになった。

ただ時々こうやって全部だめな気がして落ち込んで死にたくなってしまうだけなのだ

そんなときわたし就活相談に乗ってくれていた人から紹介したい会社があるといわれた。

そこでは今までの面接とは違った面接だった。

わたし人格フォーカスを当てたもので、いじめのことも話さないといけないほどだった。

「そんなにいじめられるって何か原因があるのかと思ったけど、本当に周りの人達が変だったんだね」

この言葉に泣きそうになってしまった。

そこの会社内定をもらった。

わたしの部屋のカッター没収されているため、ハサミの持ち手で腕や足を殴りつけている。いつかこの癖も治せるようになりたいし、自分もっと愛したい。わたしはまだ苦しさや死にたさを持ち続けているけど、少しずつマシになっているんだって分かってる。今のわたしの「死にたい発作」はお遊びみたいなもんなのだから

大人がよく「今辛くても大人なれば大丈夫」なんてよくいうけど、今どうしても辛いきみには残酷な話だよね。

わたし大人になってもまだ自分大人になったことを信じ切れてないよ。

から離れて本当に死んじゃうかもしれないけど、わたし一人暮らしをして働いてこれからも生きていくんだなあと思っているよ。死にたい癖にウケるよね。

こんなに死にたいと思ってても死ねないやつがいるのかと絶望するかもしれないけど、自殺する境界線てほんとにちょっとしたことだよ。

わたしはお母さんが強いブレーキになっただけで、もしかしたらきみもそういうブレーキがあるのかもしれないし、またないのかもしれない。

ただ、死のうとしてもなんとなく何故か生きてる大人もいるんだなって思ってくれたら嬉しいな。

別に無理して生きなくていいし、無理して死ななくてもいいと思うよ。

お互い生き延びれたらいいね

2019-07-16

授業をサボって保健室に行くのに憧れてた高校時代

もう何年も前の話。自称進学校にはちょっとカッコつけたやつらがいて、よく仮病で保健室に行き、保健室若いお姉さんと雑談するのがちょっとしたブームになってた。

俺もそこそこイケてる側の人間だった。

高2の5月クラス替えに伴って変化した人間関係も落ち着いたころ、俺は高校生活で初めて授業中に保健室に行く決心をした。

ちょっと次の英語保健室で寝てくるわー」休み時間友達にそう言い、英語先生が来たら体調不良を訴え保健室に行った。

いざ保健室の前に着くと、少し緊張した。

「失礼しまーす、体調悪いんで休ませてくださーい。」

そう言ったらまず体温を測られて、測られながら名前クラスを記入させられた。

当然、体温が高いわけではなかった。

もしかして〇〇くん、いじめられてる?」

今後の私の人格形成に関わる衝撃的な一言結構れい目な養護教諭先生から言われてしまった。

イケてる側だと思ってカッコつけて授業サボろうと赴いた保健室で、いじめられっ子扱いされて心配されてしまったのだ。しかも若くてきれいな女の人に。

私の心はズタズタに引き裂かれた。「いや、そんなことはないっすけど・・・」消え入る声で伝えてそれから10分くらい普段生活について聞かれた後教室に返された。

教室に帰るのはつらかったが、あまり覚えていない。英語先生には心配されたが、クラスメイトの「ん?ww」みたいな反応は空気で感じた。

つるんでた友達には出来事を洗いざらい話したらとてもウケたので、嬉しかった。笑ってくれてありがたかった。

そこから私は生き方を変えた。

2019-07-14

学校行事崩壊するのがとても怖かった

卒業式運動会組体操合唱大会老人ホーム訪問してお年寄りのために見せる演劇のような学校行事で、生徒が先生の言うことを聞かずに真面目に練習しないまま本番を迎えるような状況が怖くて仕方なかった。

ほとんどの場合は、先生が生徒の尻を叩いたりなだめすかしたり、途中で演目難易度を下げたりして、なんとか本番までに仕上げて切り抜けてたけど、行事練習と本番は毎回憂鬱で仕方なかった。

一度だけ、本当に本番で生徒がてんでバラバラになって行事放棄して中止になったことがあった。自分にとってまさに恐れていた悪夢の実現。

当然、外部の指導者の人は激怒したし、担任先生は「毎年この行事をしていますが、こんなクラスは初めてです!」と怒りながら泣き出すし、その日の夜は生まれて初めて悩んで眠れないという経験をした。

先生自分たちの担任をもうしないのではないか行事を失敗させた自分たちはずっと家族や他の先生地域の人たちから叱られ続けられるんじゃないかと思って。

もちろん、実際にそんなことは起こらず、担任はやや無気力になってクラス崩壊気味のまま1年が終わってクラス替えになり、次のクラスではそういうトラブルも無く小学校卒業した。

別に複雑な背景や心理があったわけじゃなくて、自分優等生だったので(勝手想像した)先生の辛い立場感情移入し過ぎてたってだけだと思う。

急に当時の嫌な気分を思い出したので、書いた。

2019-07-11

イケメンって凄くね?

同僚の女の子でもクラス女子でも出会女性とは誰とでも恋人にも夫婦にもなれるしセックスもできるってことだよね?

どんな女性でも彼女にできる選択肢があるってことは

今日クラス替えあったけど美人のA子ちゃんおっぱい大きいB子ちゃんどっちを彼女にしようかなー」

とかクラス替え初日トップ2のどっちを彼女にするかで口説けるのは大前提で悩んだりしてるんだよね?

凄すぎだろ リアルエロゲじゃん

俺もこんな世界で産まれたかったわ

2019-07-10

母が出産するみたい

母が陣痛病院に運ばれた

普通なら喜ぶはずなのに全く持って喜べない

母には、立ち会って欲しいと言われたけど学校単位に関わるテストがあるからと断った

最悪な娘だと思う

17歳の時に私を妊娠

2年後には妹が生まれ

父親のことはよく覚えていないけど、暴力を振るってたことは微かに記憶がある

5歳の時に離婚した

そこから、ずっと私や妹の事を頑張って育ててくれた

去年の冬、「お母さん好きな人がいてね結婚したいの」といきなりクリスマスに紹介して来た

私は父親のせいで、父親って存在が嫌いだ

でも、母が幸せに笑ってるならと思って我慢した

でも、次に妊娠をしてることを告げられた

増田に新しい妹が出来たのよ」って

口では「おめでとう」って言ったけど、心の底では嬉しくなかった

義父は、39歳の医者だった

何であんな条件が悪い母と結婚しようと思ったんだろう

私が医者ならしない

義父には両親がいない

正確には若い頃に亡くなった

母の親、つまり祖母は泣いて喜んでた

「こんなに、良い人はいない。増田たちの良いお父さんにもなれる。」って

私は喜べなかった

義父は、結婚して以来、あれやこれや服とかを買ってくれる

母は、「お父さんってちゃんと呼びなさい。あなた大学学費も全額払ってくれるのよ。」って、言う

かに大学には行きたいと言った

でも、母の稼ぎだと行けないの分かってたから言うのは止めてたのに

再婚して父親面するなんて白々しい

母を思うと、死んでも言えないけど

義父と母は、母が夜に働いてるバー出会ったと聞いた(週に3日働いてる)

義父はそこの客らしい

子供が出来るってことは、義父とセックスしたってことでしょ

いくらなんでもこの歳になれば分かる

去年から何度か仕事以外で祖母の家に夜に預けられることが多かった

あぁきっと、あの時にセックスしたんだろうな

じゃなきゃ今頃産まれないし

義父は甲斐甲斐しく母の事を病院に連れてったよ

そりゃ医者だもんね

素人よりも妊娠には詳しいわ

妊娠して以来、母はニコニコしてる

嬉しいよね

そうだよね

何で私は素直に喜べないんだろう

妹は、病院に行ったよ

酷い姉でごめんね

何よりも母に罪悪感を感じてる

多分今日まれるのかな

私は産まれた妹を見て、喜べるのかな

まれ

本当は学校に行こうと思った

でも、自分の罪悪感に苛まれて、気付いたら学校じゃなくて病院にいた

今日確認テストの日だったけど、学校電話して別の日に受ける事にしてもらった

義父と少しだけ二人きりで話した

大学には行くべきだって言われた

義父は、大学に通ってる時に少しお金がなかったから、夏休み工事現場の夜間のバイトをしてたと苦労話をしてくれた

少しだけ、義父にこんな態度をしてる自分に心が傷んだ

大学には本当に学びたい物や目標を決めてから行くと話をした

それまでは保留にするって話た

一応納得してくれた

今までの気持ち何となく大学生になりたい

ただそれだけだったか

まれた妹は、私と同じで目元が母親に似ていた

本当に妹なんだと感じた

母は、「この子には、幸せになって欲しい。やれなかった事を沢山やらせたい。ピアノとか習わせたい。」って、言ってきた

また、感情がぐちゃぐちゃしてきた

私の人生は、母親からしたら幸せなんかじゃなかったんだって

かに離婚してるしあまり裕福じゃなかったから、苦しかったけど

私は全然母親と生きてきて不幸だったなんて思ってないのに

愛情をかけてもらえて幸せだったのに

あぁ……きっと産まれたばかりのこの子愛情たっぷりの両親に沢山お金をかけてもらって育てられて幸せなんだろうな

そう思ったら、トイレで泣いてた

通りがかりの看護師さんに「大丈夫?」って、声を掛けられた

「新しい命に感動して泣いてしまいました」って言っておいた

嘘だけど

本当のこと言えるわけないし

世間だと小○圭を批判するけど今なら気持ちが分かる

勝手にやってきて、勝手に金出して、母親を奪って、父親面して、挙句の果てに結婚できなかったから金返せ

婚約者は、酷いやつだと思う

こっちからしたら感謝なんてない

私が小○圭なら、「出してくれなんてこっちは頼んでません!そっちが勝手にやったのに何を今更騒ぐんですか」って、そう思うよ

そりゃ出してくれなきゃ大学に行けなかっただろうけど、私はそれでも小○圭の立場なら微塵も感謝はしない

そんな善意押し売りをされたって嬉しくない

でもそんなこと、私は母親には言えないし、そういう小○圭みたいな態度をとることはクズだと思うから、出して貰えたら感謝はする事にした

一生この思いは消えないと思う

ここに書いた理由

本当はTwitterとかで沢山書きたかった

学校友達にもこの気持ちを知ってもらいたかった

でも、私のTwitterやインスタの友人の多くは所謂マイルドヤンキー

みんなに聞いて欲しくても、絶対に分かって貰えなくて苦しい

再婚して、環境が変わってからみんなの見る目が変わった

義父のことは何も言ってないけど、どこから医者だって事が知られてしまった

最近でも「増田は頑張ってバイトしなくていいじゃん。新しいお父さんにおねだりしたら。」って、心無い事を言ってくる

この前は、義父が買ってくれたサマンサタバサの財布について言われた

本当は使いたくなかった

見せびらかすみたいだし

でも、母親が使わないで蓋をしてるのを見たら説教してきたか申し訳なくて使った

「羨ましい」って、言われた

次の日からその財布は閉まった

使うのをやめた

また、部屋の奥に蓋をしてしまった

こういう事を言ってくるのは、他意は無いんだろうけど

中には円交してる人もいる

おじさんに数万貰ってるらしい

お小遣い代わりに

そんな事をしてる人に私の気持ちなんて言ったって、「セックスしなくたって、お金貰えて羨ましい」の一言で片付けられて聞いてもくれないだろう

学校に行っても何も話せないし、学校Twitter上のコミュニティでも何も言えない

イツメンにすらも話すことができない

苦しくて仕方ない

妹みたいに素直に受け入れて、お金を出してもらえて幸せアピールを出来たらどんなに楽だろうかと思う

※円交って書いた理由

友達Twitterの裏垢を見たら、#円 #地名 募集してますって呟いてたか

から、おじさんとセックスしてお金もらってるって聞いてたから、このツイートを見て、この事なんだなって納得した

そんな人達に私の気持ちなんて言ったって、微塵も理解してくれないと思う

増田は、金ある新しいお父さん出来ていいよね」って、面と向かってお昼ご飯の時に言われるぐらしいだし

祖母と夕飯

今日は義父と妹は一緒に夕飯を食べるらしい

私は、小テストがあるからと断った(これも嘘)

祖母と夕飯を食べた

わず祖母の前で泣いてしまった

辛いって

そしたら、「馬鹿な事言ってんじゃないよ。あんたなんかよりも今までのお母さんの境遇の方がもっと辛い。どんなにあんた達姉妹を抱えて苦労したのか分かってない。泣くなんて親不孝者だ。やっとお母さんは、幸せになれるのよ!あんたが笑ってれば、みんなが幸せ。お母さんだって幸せなの。妹みたいに物を買って貰って、幸せだって言いなさい。お願いだから、お義父さんを怒らせるようなことは辞めて。」と怒られた(要約)

もっと言われたけど忘れた

実父に暴力振るわれてたりしたのは、私がおねしょを繰り返したかららしい

から、嫌われるような事をするなって

あぁ……やっぱり私がいて不幸だったんだね

そっか……ゴメンね

そう言う意味じゃないと分かっても、私が邪魔者だった事にしか聞こえなくて布団で泣いた

祖母も私に笑えって言う

今、幸せでしょって

妹すらも笑顔(本心は知らないけど)

何となく文字に書いたらスッキリした

何年か後に読み返して、自分なりにその時には受け入れることが出来るようになりたい

明日からは頑張って学校に行きます

ありがとうございました

※断っても義父は物を買い与える

これが自分に出来る最低限の親の務めだって、悲しい目で言われたか

担任に言われたこ

本当にこれで書くのは最後にしようと思う

寝ようと思ったら、5月担任に言われたことを思い出して、また泣いた

私は地方に住んでいる

基本クラス替えはなく担任も3年間据え置き

担任は、5人子供がいて、奥さん専業主婦

それなのに6人目が4月に産まれたらしい

担任お小遣いは3000円だって話だった

子供を養うためにお金が足りないか

6人目を堕ろすかどうかも迷ったらしい

でも、担任キリスト教

イエスに誓って堕ろすのは辞めたんです」って美談みたいに話してた

担任は、保健の先生

その話をした時は性についての授業だった

先生お小遣いが俺らより少ないのにこれからどうするんですか?」って、クラス男子が笑いながら質問した

そしたら、「長女が看護師になって4月からお金を入れてくれてるんだよ!」って、嬉しそうに話していた

複雑な気持ちになった

私は、そんなことしろなんて言われもしないし恵まれてるなって

そして、その日は個人面談の日でもあった

担任放課後面談をした

去年の流れなら、「学校はどうか」、「成績の話」、「進路」とか普通の話をするのに

開口一番に担任に言われたこ

増田の新しいお義父さんって医者なの?あ!今日増田の進路とかそんな話は軽くでいいから!お義父さんの事聞かせてよ!医者って年収高いんでしょ?俺みたいに3000円のお小遣いなわけないよね〜wwwいくらか教えてよ!興味あるから

お前が好きでセックスして産んで3000円のお小遣いなのを自虐ネタにするのが心底腹が立った

単純にこの閉鎖的な地方では「医者」と言う職業に興味津々なのだろう

情報の授業でもそうだった

パソコンを触っていたら先生に「増田さんのお義父さんってお医者さんなんだって??こんなパソコンたくさん買ってもらえるんでしょ!!このにあるの全部買ってもらえたりしてwww」って、みんなの前で言われた

晒しものにされた気分だった

本当にこんなこと言う人達だって信じたくないし、嘘だって言いたかった

でも現実に言われた言葉

私の義父が医者だと言うことはもう変えられもしない事実だし、それを避けては通れないことが分かってしまった

それ以来学校でも居づらくて仕方ない

学校の事も書いたらまたスッキリした

これで眠れると思う

明日学校頑張ろうと思う

2019-07-03

下着を売っていたJKのブスが前向きになった話

私の家で友達お菓子を作った。2月13日バレンタイン前日のことである

もう夏だって?うるせえ書き溜めてたメモ発見たからいま投稿すんだよ。

私を入れて4人、その中の2人は数ヶ月前に彼氏ができたばかりだった。一人をAとしよう。

クリスマスイブ告白され、なんやかんやで後日付き合い、バレンタイン当日に彼氏の家に泊まりに行くというAとその彼氏を「イベントに乗っかりすぎじゃね?」とからかった。

私たちグループはとても下品で、よく下ネタを話していた。ちなみに全員処女である。Aに彼氏ができてからはよく彼氏下半身の話をよくした。まあ、有り体にいうとち◯このことだ。

わたし「一人で致す時でさえ指二本も入らんのに、ちんこなんか入るのか?」

A「いやほんまにそれすぎる……しかあいつ(彼氏)のブツはかなりでかいっぽいしどうしたらいい?」

わたし普段でそれだと臨戦体勢になったらどうなるんや……」

身もふたもない

普段からこんな会話ばかりなので、お菓子を作り終わる頃には「避妊に気をつけよう」という結論を出して解散となった。

そして、後日。

Aから貫通式を終えたというLINEがきた。

快感が3、痛さが7。でも、まあ、なんとかなるもんだ」

という非常に力強いメッセージだった。

こいつに一生ついていこう…という頼もしさを抱きつつ祝福をした。

「おめでとう!」とバイト終わりの電車の中でラインを送った。

そのあと。

ふと、「自分はこうならないんだろうなあ」という漠然とした予感が頭をよぎった。

自分は愛されない。資格そもそもない。ステージに上がれない。確信めいた予感である

小学校の時からあるこの予感は、幽霊のように私に付きまとっている。

ここから急転直下に暗い話になる。下着売りのJKエロい話を期待していたなら申し訳ない。

話は戻るがAとは高校からの付き合いである。しか彼女中学の頃から何度か彼氏いたことがある「女の子である

私はというと、街中を歩けば容姿を見ず知らずの人に貶められる体験を何度もしたことがあるブスだ。ナンパをしようとしたやつが「よく見るとブスじゃねーか!」と叫ぶ、というものだ。ブスは「女の子」ではない。男女という枠から追放されたバケモノなのだ。私がそう実感するようになったのは小学校からである

ブスと馬鹿にされ、毎年クラス替えの度に違う男子からいじめられていた。そうして自信を無くしたブスはカースト上位の女からいじめられた。いじめの内容はテンプレすぎるのでつまらないと思う。まあ一つ例をあげるなら、プール自由時間複数人に足を掴まれ背中に乗られたりして軽く溺れたりした。ちなみにこれをやった女子で、今看護師を目指しているやつがいる。怖すぎる。

自己嫌悪の塊となり私はいしか精神を病んだ。朝、身体が動かない。何もないのにいきなり涙がでる。人が集まる場所に行くと馬鹿にされている気がして体が動かなくなり涙が出る。声を出して泣くと姉にうるさいと言われるので夜は声を出さずに泣けるようになった。リストカットは親にバレるので足や腕を殴ったり、見えない部分を引っ掻いて血を出していた。相談したスクールカウンセラー嘲笑し「かまってちゃん」といった。やはり手首を切らないと精神を病んでるとはいえないのでは?と思ったが心配した親に心療内科へ連れていかれた。親は泣いていた。

そして通院をし、カウンセリングを受け、薬を飲み、生活に支障をきたすほどの病状は高校に進学する頃にはほとんど治っていた。

だが根本的な問題が残ったままだった。圧倒的な自己肯定感の欠如だ。私には「根拠のない」自信がない。

私は顔はブスであるが、身体エロいスレンダーでもないがデブでもないし、なんといっても巨乳であるFカップである意味がわからない。発育の良かった私は小学校四年生からブラをしていたし、中学生ではDカップになっていた。私のようなタイプ基本的に男に軽んじて見られるのだ。

「こいつブスだから適当にヤれる」

そういうことだ。

被害には頻繁に合うのに、告白は一度しかされたことがない。しかしその告白理由も後から聞けば「胸がでかいから」だった。死ね

でも私は、異性からの「かわいい」がずっと欲しかった。女の子として見られたかった。「価値のある女の子」になりたかった。

そんな私が自分の裸をネットにアップし始めたのは高校の頃からだった。

リアルではないネット世界でなら、たとえ性欲の先にある「かわいい」でも受け止めることができたのだ。何も目の前でブスだと罵られたり暴力を振るわれる訳ではない、安全位置からの「かわいい」は単純に嬉しかった。私は自分身体自分で好きになることができなかったのだ。だからかにジャッジされないと価値がないと思い込んでいたのである。歪んでいるとは自覚していたが、「かわいい女の子」ではない私にはこの方法しか価値は与えられなかった。

ある日、テレビJKビジネスのうち「下着売りの少女達」といった特集をやっていた。

そんなものがあるとは知らなかった私は、早速検索して下着売買の掲示板を見つけた。

現役JKだと警察から「やめとけ」的なメールが送られてくるのを知った。

待ち合わせ場所近くのコンビニで脱いだ下着男性に渡して5000円貰った。つけられていないか確認の為ロフトトイレで身を隠していた。個室でボーっとしながら男性ポケットから出されたクシャクシャのお札を見て「汚いお金」とは思わない自分に驚いた。これが自分につけられた価値かと冷静になったのである

だが下着売りはそれ一回きりで辞めた。ちなみに私は小心者なので、これでもかというほど念には念を入れて個人情報につながらないようなやりとりをしており、辞めた理由としてその労力と対価が見合っているとはとても思えなかったというのもある。もう一つの理由として、いい意味でも悪い意味でも、なんだか自分自分ではないような感覚になったのは確かだったのだ。

帰りの電車その男からまたリピートしたいというメールが来ていたが、捨てアドを消して終わった。してはいけないことをしたという気が私にはなかった。これから男にブスと貶められても5000円で私のブラを買ってオナニーする男もいるのだな、と思うと笑ってしまう。なんだかいろんなものバカらしくなった。

人は見た目が100パーセント。それは真実であり、ブスに人権はない。世間がどう取り繕っても現実非情である。それでも自分の好きなように適当に生きようと思った。恋愛なんてできる気はしない。好きの気持ちの前に諦めがくるからだ。自分が嫌いな人間を好きになってくれる人なんてありえない。それに時々送られてくる異性のメッセージも、男友達がいない私からしてみれば「急に友達でもないのに連絡とったりなんかしてこいつも彼女(という名の穴)がほしいだけのやつか」という捻くれた物の見方しかできず相手する気すら起きない。相手にも失礼だし、この考えが間違っているのはなんとなくわかっている。若い頃の恋愛なんて、そんな真剣に考えずに「寂しい」という理由フィーリングで付き合うのが正しいのだ。

幼いころから肯定されてきた人間、または周りの環境に恵まれてきた人間の、「根拠のない自信」からくる落ち着きや振る舞い、言動にはどうあがいても勝てない。

言い訳なのは分かっている。

それでも一度精神を病んで薬を飲んでから、これでも大分マシになったのだ。時間はかかったが、昔より自分客観視できるようになった。努力をして人並みに容姿や外ヅラを誤魔化すことができるようになった。メイク洋服も好きなのを着れるようになった。スカートスキニーを履けるようになった。友達も増えた。

けれども。それでも。

私は「愛される人間」のステージに立てない。

それを悲観しているくせに、自分から目を背けているところもあるのだから手に負えない。

多分これは私の中の私と向き合わなければ解決しない根深意識だ。まだ血が流れてる傷を見なきゃいけないのかと思うとしんどい。それでも幸せ友達を見て、私は半ば諦めつつも幸せになる努力をしようと思った。

恋愛は諦めている。では自分自分幸せにするしかない。他人からの「かわいい」だとか他人から承認に頼るんじゃなくて、自分自身が「かわいい」とか認めてあげることが1番大事なんだってことに漸く気付いた。自分大事にすれば、いつか他人と向き合える日も来るかもしれない。

あのとき下着を売ったことを後悔したことはない。ブスという化け物が執着していた「かわいい」なんてクソほども価値もないことに気付くことができたからだ。愛されなくても自分自分のことを愛していたらそれでいい。

メモに書きためていた、数年前のバレンタインに思ったいろんなことをまとめてたら夏になってた。

今読み返してみて思うところはたくさんあるが、あの時だからこそ感じた決意などがはっきり書けていた為このまま記事にしようと思う。JKビジネスなどを推進する記事ではないということを明記しておく。

2019-06-13

クワガタ捕まえる為の罠仕掛けて翌日カナブンしかいなかった時の感じ

クラス替えでわくわくしてたら知らない人と距離感微妙な人しかクラスに居なかった感じ

2019-05-27

弄られすぎて病んだ

私は現在18歳のの女で身体醜形恐怖症と摂食障害と戦っています

発症した原因は弄りと称して容姿を貶められたからです。

私の通っている高校は少人数制でクラス替えが無く、男女も8対2位だったので必然的男性と仲良くなりました。その中でも特に仲良くなったのがA君でした。

A君と私はアニメと言う共通趣味がありとても話して楽しかったです。

ずっと一緒にいたので傍から見ればカップルのように見えていたと思います。私も彼に対して好意を抱いていました。

ある時からA君は私の事を弄ってくるようになりました。

始めは「お前って○○(アニメキャラ)にそっくりだよな。」とか些細な失敗を弄ってくる様になりました。

私はどちらかと言うといじられキャラで慣れていたので受け流していたのですがある時から「お前ってデブだよな」、豚のぬいぐるみを指して「うわ、そっくり!」、顔をじっと見て「ブスやん!笑」など容姿スタイル貶めるようないじり方をするようになりました。

しかも、それを毎日休み時間ごとに言ってくるのです。

それを言われるたびに否定してしたのですが心の片隅では「私ってそんなブスなんかな?」、「私って太ってるん?」と不安が募っていきました。

段々とその不安は私の中で確信へと変わっていきました。「私はデブでブスで救いようの内人間」、「女として無価値」だと思い込むようになり自分普通な顔だと確認する為の自撮りが止められなくなり、ダイエットの為にご飯が食べられなくなりました。

極端なダイエットと何時間も続く自撮り心配した母に連れてかれた精神科身体醜形障害摂食障害と診断されました。

ガリガリに痩せた私を心配したA君がどうしたの?聞いてきた時になにかが壊れ

こうなったのはお前のせいだ。ガリになったのも自撮りが止められなくなったのもお前が私を貶めたからじゃないか!と思いをぶつけました。

A君は目を見開き口をぽかんと開け驚いた顔をしてしました。

震えるA君の声からデブやブスなんて思った事ない可愛いと思う。弄ったのは俺の方を見て欲しかった本当は好きだった。」と告げられました。

ふざけるなよその稚拙独占欲でこっちはメンタルをやられたんだぞ。殺したい

男性特に学生さんへのお願いです。

女に対して容姿や体型を貶める様な発言を控えて頂けないでしょうか。

間内で言うのは構いません。ただ本人言うのだけは絶対に辞めてください、心に深い傷をつけることになりますのでどうかお願いします。

164cm52kgだった体重現在40キロまで落ち生ける骨格標本状態です。

死にたいです。

支離滅裂な文だと思いますがごめんなさい

2019-01-15

ちょっと高校つまんなさすぎんよ〜

明日の朝を迎えたくないか限界まで逃避してこんな時間まで起きてるのは健康的にも害しかないのでやめたいところ

ほんと高校って何のために存在してるのかね?高校数学以外はマジでやる意味ねえだろw死ねやw

中学の頃は受験勉強にしても普段の授業にしても生きる上で大事なことを勉強してる感が物凄く感じられたか勉強に対しては勿論学校行くことへのモチベもあったわけだが、所詮高校で習うことなんて、やはり俺が中学時代に予想していた通り、中学勉強の延長線上でしかないくだらねえ内容じゃねえかよw

まあまだ物理は履修してないので知らんが、少なくとも高校で全国平均くらいには勉強してきた身であるにもかかわらず意義があると感じられたのは数学だけだね、いや本当に。

特に英語なんてひでえよwこれが県内ナンバーワン高校がやる授業かてwやっぱり俺は日本高校に居るんだなぁって物凄く実感が湧いちゃう。アメドラ1話垂れ流したほうがマシなレベル。(ネイティブによる授業は除く)

そして嬉しいことに俺の学科?はクラス替えがありませーん^_^死ね

勉強=学習指導要領完璧にこなし、教員に対して従順に従う才能しか無い俺の1番嫌いな人間が97.4%(わざわざググって計算した)のクラスで3年間も居れるわけないんよね、マジで

はぁ、今月はもう3日も休んだから明日今日)も休むのは流石にアレなんよなぁ。無論こんなに休んでるのはクラスで俺だけだから周りからもクソみたいにつまらない稚拙レッテル貼られる訳よ。

どの高校に行くのが正解だったのかは考えないと分からないので今現在は知らんが、ただ1つ言えることは、俺がこの高校のこの科を選んだことは最大の失敗以外の何でもないのである。ほんとに大失敗だ。恐らく普通科に行ってても同じ思いしていたではあろうが多少はマシだっただろうねぇ。

不運な男ですよ本当に。何で高専受検しなかったかなー。何でNZ辺りの日本人が経営してる高校のこともっと早く知れなかったのかなー。

こうして書いても明日はやって来るわけですよ。残念。

2019-01-12

anond:20190112062901

意図せずともクラス替え学校卒業職場異動や転職があれば自然にそうなるだろう

組織以外の繋がりはまた別枠

2018-11-12

理由いじめ差別はなぜしてはならないか

理由

昔々、もう遠い昔の出来事

中学生の頃、いじめられていた。

教科書を隠されたり取られたり、なんて日常茶飯事。

給食当番を無理やり代わりにやらされたり、ひどい暴言で罵られたり。

消しゴムを裂かれて、シャーペンの芯を手や肩に刺されたりしたこともあった。

もう本当にひどくて、つらかった。

よく”いじめられる側に原因がある”なんて言う人がいるけど。

自分いじめられた理由はたった一つだけ。

「お母さんがいないこと」

私がまだ小さいうちに両親は別居し、あれよあれよと言う間に離婚した。

父親一族は家の後継ぎ欲しさに、一人っ子だった私をろくに子育てもしないくせに強引に引き取った。

母親は泣く泣く私を手放したが、相当揉めたのだろう(この辺りの詳しい事情を私は知らない)。

月に数回、実父のもとを離れて、母と遊びに行く時間をもらうことができた。

から厳密に言えば、生き別れでも死に別れでもない。

決して「目の前にいない」わけではなかったのだ。

会いに行こうとすれば会える。

話ができる。

本当に幸せだった。

今考えれば、このあたりが気に食わなかったのかもしれない。

「お母さんいないんだよね」

そう言っていじめてきた女の子がいた。

両親が離婚したことは、その女の子には言っていなかったが、なぜか知っていた。

流行りの通信学習講座でもらったプレゼントがあれば、それを取り上げて隠し、勝手に使う。

お楽しみ会くじ引きがあれば、私が引く前だけわざと中身を見て、私に都合の悪いくじを引かせようとする。

1人がいじめ出すと、いじめられっ子と特に関わりのない子までいじめるようになるらしく、いじめクラス全体に広がってしまった。

男子女子も。四面楚歌とはこのことだろう。

先述のようないじめ毎日のように続いた。

何かあれば「お母さんがいないのをばらすぞ」と脅された。

いないわけではない。それなのに、そんなことを言われるのが悔しかった。

学校に行くのが嫌だったが、それとは比にならないほど、家庭環境(実父と祖母)が悪かったせいで、不登校にはならなかった。

その頃、母は再婚して、実父とは大違いの、優しい義父と3人で遊びに行くようになった。

しばらくして、義父と母のとの間に子どもが産まれた。

それからは、4人で遊びに行ったり、家で家族団欒したりするようになった。

家族っていいものだなって、久しぶりに思った。

こんなに幸せになっていいのなのだろうか。

多分これも、いじめてきた女の子にとっては気に食わないことだったのだと思う。

いや、あの女の子にこの辺りのこと一言も言ってないんだけどさ。

というか、このことは友達にも父方の親戚にもほとんど話してない。

何度も何度も、バラすぞと言われて脅された。

毎日毎日

仲の良い友達は他のクラスにたくさんいた。だけど、いじめは、友達のいないところで受けていた。

母親がいないせいで(もちろんいじめる側が悪いのだけれど)いじめられてるってバレたくなかった。

相談しても「お母さんがいないからだね」なんて言われるはずがないことぐらい分かっていた。

だけど、どうしてだか分からないけれど、誰にも相談できなかった。

ーーーーーーーーーー

私は知っていた。

いじめてきたその女の子の両親は離婚していて、その子にはお父さんがいないことを。

その女の子の妹は児童養護施設暮らしていることを。

全部全部、自分の母から聞いて知っていた。

私が母から聞いたように、きっと、あの女の子も誰かから人づてに、私の家庭環境について知ったのだろう。

不思議と、「相手の身の上をばらしてやろう」とは思わなかった。

結局、ばらすことはしなかった。

きっと、あの女の子は、私が何も知らないとでも思っていたのだろう。

あの時はそう思っていた。

離婚していても、離れ離れになっている親や兄弟と会うことのできている、私の環境がうらやましかったのだろうか?

そんな風に思ったのは、随分後になってからのことだった。

だけど

からと言って、いじめていい理由にはならないよね??

いじめられる側にも原因がある、という人たちへ。

家族構成が〇〇だから

容姿がひどいから。

声が汚いから。

いじめられる理由って、そんなことですよ?

それ、本人に責任ありますか??

本人がどうにか努力して、変えられることですか?

チョコレートが嫌いだから

病気から

足が遅いから。

もし百万歩譲って、本人に原因があるとしても、いじめていい理由にはなりませんよね?

いじめていい理由って何かありますか?

伝わりましたか

もう、一種差別ですよね。

いじめって。

それでもまだ、いじめられる側に原因があるっておっしゃいますか??

それでは、見方を変えてみましょうか?

どうしていじめはいけないか

なぜ差別はいけないかってお話になります

そういうの、身を滅ぼしますよ?

例えましょう。

「〇〇って部署のアイツ、男のくせに男と付き合ってるらしいぜ。俺、先週見たんだよ。男と2人で手繋いでデパートに入っていくの。アイツと同じ部署になりたくねーわ。気持ちわりーww」

あなたがそれを笑いながら話している相手同性愛者かもしれないって考えたことありますか?

その会話を黙って聞いている、遠くのデスクあなた上司同性愛者だったらどうしますか?

え?結婚してるから違うって?

両性愛者かもしれませんよ??

友達家族いるかもしれませんよ?

あなたの印象悪くなりませんか?

?????

公私混同だって???

ちょっと待って。

だってそれ、取引先の会社の人と飲み会したりしてるときに、酒に酔ってポロっと口走っちゃうかもしれませんよ?

取引先の人、同性と付き合ってるかもしれませんよ???

言っていいことと悪いことが分からない人だと思われるかもしれませんよ?

そんな人に大事仕事を任せたい??

働いている時はダメ

プライベートな付き合いだったらいい?

からね。友達当事者かもしれないでしょう?

あ、絶対違うって?

その友達彼氏彼女家族が、両性愛者かもしれないよ?

気づきでしょうか?

あなた恋人も、両性愛であることをあなたに言えないまま、あなたと付き合っているのかもしれないですよ。

それでもまだ、同じこと言えます???

いい加減、差別する人間の方がマイノリティな世の中になりつつあるって気づけよ?

※セクシュアルマジョリティいじめっ子&差別主義者の読者が前提みたいな書き方をしてしまって申し訳ないです。読者の大部分の方々は、私がこんなに熱弁せずとも、お分りいただけると思っています(これも一種偏見なのかもしれませんが)。もうこんなにひどい差別はなくなって欲しいです。

話が逸れました。熱くなりすぎましたね。続けます

ーーーーーーーーーー

中学2年の時、クラス替えでその女の子とは別のクラスになった。

でも、周りがいじめ出していたせいで、いじめは続いた。

中学3年になった。

クラスメイトの男の子いじめられていて、クラス中で大問題になった。

聞いた話だと、わざわざ見張り要員まで用意した上で、ターゲットにされたクラスメイトに対して暴力をふるったそうだ。

この件にあの女の子無関係だけど、いじめをより一層のトラウマにした。

もう絶対いじめられるのなんかゴメンだ。

そう思った私は、合格圏内だった地区番手進学校いじめてた女の子はそこに進学した)を受験するのをやめ、いじめっ子全員とは別の高校に進学した。

やっと自由になれた。そう思った。実際、その通りだった。

いじめられっ子は中学を以て卒業した。

高校生活は本当に楽しかった。

好きなことを好きなだけ勉強できた。

たくさんの友達にも恵まれた。

毎日が楽しかった。

幸せだった。

旧帝とか早慶上理とかではないけれど、行きたかった大学にも合格できた。

そのまま、私は県外の大学に進学し、地元を離れた。

ーーーーーーーーーー

後日談として。

ここから先はほとんど独り言愚痴みたいなものですので、読みたくない方は読まなくても結構です。

ちなみに、先にお断りしておきますが、お互いに謝って仲直りの握手をしてハッピーエンド!!めでたく仲直り!!みたいな展開は一欠片もございません。

そもそも、直す仲もございませんし。







あの女の子は、実は高校に進学してからも時々見かけてはいた。

まあ、高校が離れていたけれど、相変わらず同じ地区に住んでいたし、買い物したりしてると遭遇してしまうんですよね。

しかも私がよく行く店でアルバイトを始めたから、嫌でも会ってしまうことに。

途中で辞めたんだかシフトを減らしたのか知らないけど、そういやいつの間にか見かけなくなった。

それと、私が勉強部活に忙しくなって、あんまり学校以外の場所に出没しなくなったせいだと思うけど、街でも会うことはなくなった。

次に再会してしまったのは、高校3年生の暮れにあった、大学入試センター試験の模擬テストときだった。

大学キャンパスとか、センター試験が実際に行われる会場を借りて行われるテストで、休憩時間?に遭遇してしまった。

私の名前を呼び、話しかけてきたが、挨拶をしたぐらいでほとんど話さなかった(気がする)。

遭遇したことは覚えているが、多分この頃には、記憶に残すのも勿体無いほど、どうでもいい存在になっていたんだと思う。

これを最後に、今に至るまで会ってはいないのだが。

ここまでの記憶で終わっていれば、ああ、そんな控えめに言っても人間の風上にも置けない最低な人いたなーぐらいの存在の枠に収まっていたかもしれない(じゅうぶんすぎるほどのインパクトはあるし、自分でもひどいことを言っているとは思うが)。

唖然としたのは、大学に入った後。

うん、来たんですよ。SNS友達申請が。


控えめに言う。

お前、どのツラ下げて友達名乗ろうとしてんの?

勘違いも甚だしいよね。


しかも付随して来たメッセージに音符(♪だったかな?)ついてたし。

友達だと思われるからやめてくんないかな。

いや、他の人からはそのメッセージ見えないけどさ。

メッセージ読んだだけで、申請却下もせず受理もせず放置

半年ぐらい経って、忘れた頃にようやくブロックしてみました。

そしたら、何年か経った後で、また別のSNS友達申請が来ました。

このSNSメッセージつけられないから、友達リクエストが届きましたって通知が来ただけだけど。

あんなにひどいことをしておいて、

あんなに散々いじめておいて、

自覚ないんだね。

遺憾です。もちろん今回は即ブロ。

その後、公立幼稚園先生になったって聞きました。

しか常勤の。

市役所が出してる広報に載ってたね。

かぶったコメントも載ってたね。

友達のお父さんが「みんな預けたくないって言ってる」って言ってたよ。

みんなって誰だか知らないけど。

今、友達のお父さんって言ったけど、実は私も同じこと思ってるよ。

そうこう言ってるうちに、幼稚園お辞めになられたそうですね。

かぶっている猫が足りなくなったんですかね。

知らないけど。

多分、私も相当ひどいこと言ってるね。



一言だけ。

しないと思うけど、もし、この歳になっても、また前と同じことをするのなら、その時はもう容赦しないよ。

君にだって、失うものがあることを忘れるな。

2018-10-10

anond:20181010132142

理解してないけど、それは日常生活で何か気にしないといけない話?

たことあるけど覚えてないも初めて見た気がするもあるけど、話してたら「あー」ってなるから、それほど困ってはいない。

嫁はクラス替えして1週間もするとクラスメイトとその親の顔と名前ほとんど知っててスゲーってなるけど。

2018-09-14

anond:20180913232828

うーん。そうしてみると、実はいじめって、物語になりにくいところがあるよな。

もし完全にリアルいじめを描くなら、

いじめられました、何とか我慢して学校に行っていました、たまにはいじめてこない友達もいました。最終的にクラス替えがあったので絡みがなくなりました」

とか。

起承転結の、転 が起こせない。

許すにしろ殺すにしろ何か劇的なことが起きている時点で、こうはならんやろ、感が出てしまったりするところがあるのかもしれないな。

2018-08-11

誤解してた。

小3から田舎引っ越して、中学卒業までクラス替えもできないような学校に行ってた。

いじめられるとかはなかったんだけど「受け入れられてない」感はあった。

自分以外クラス全員仲良いんだと。

仕方ないなとぼっちやってた。幸い苦じゃなかった。本読んでればハッピーだった。

それが気にくわないと嫌がらせされてたらしいけど、気づいてなくて後で指摘されてすごく驚いた。

それがさ、中学卒業して何十年経って、個別に話してみると「仲のいいグループがいくつもある」だけだってわかった。

クラスグループLINEは和やかっぽく見えるけど、発言しないだけでめっちゃ文句言ってるし。

教師に「もっと友だちと仲良くしろ」とか怒られて悩んだのがバカみたいだ。

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