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はてなキーワード: クラス替えとは

2020-09-08

社交辞令かわいい

かわいいと思ってた、とよく言われる。

中・高・大、入学式だったりクラス替えだったり節目のタイミングで必ず言われてきた。しかしながら自分は俗に言うかわいい顔にカテゴライズされる顔ではなく、かわいいと言わせる雰囲気を持った人間であることに生きづらさを感じている。

かわいいと言われることは素直に嬉しい。スキンケアも化粧もヘアセットも好きで、ニキビ毛穴の手入れはもちろんコンプレックスを隠すための化粧の研究PC診断骨格診断など自分をよく見せるための労力とお金は人並み以上に費やしている思う。何が言いたいかというとかわいいと言われてもいいでしょう?って開き直れる程度には日頃から頑張っているつもりなのである

その頑張りは実ってかわいいと言われているわけだが実のところ顔はかわいくないのである新垣結衣、twiceのナヨン、aiko結構な頻度で言われる芸能人だがもう信憑性がない。この3人だけで顔が全然異なる。個人的にはaikoに似てると思うけどaikoに似てる一般女はかわいくない。aikoかわいい、歌も割と聴く

愛嬌と素直さと計算高い性格がうまく融合し、人に害を与えないよう努め、そこそこ自由に振る舞いながらも適当ぶりっ子していればかわいい称号はもらえる。

問題かわいいと言ってくる人間への対応だ。かわいいと言ってくる人間にもパターンがある。

シンプルに私の顔が好み。

メイクが好きな女の子

社交辞令

④下心

①と②はいい、すごく嬉しい。話しかけてくれる時に目がキラキラしてる気がする。優しくしてくれるから私も極力優しく接したい。④は論外だけど分かりやすいし対処やすいか別にいい。③が難しすぎる。

場を繋いだり盛り上げるための社交辞令シンプルでいい。向けられたかわいいに対して否定しようが肯定しようが取り留めのない会話として流れていく。

最悪なのはマジでミリも思ってなさそうな卑屈そうな人間が言ってくる社交辞令としてのかわいいだ。肯定しても地獄否定しても地獄、なんて答えりゃいいのよこれ。もう私も嫌になってきたか暴言混じりに愚痴を吐くんだけれど、大抵肌荒れもある眉毛も整ってない化粧が下手くそで後ろに一本、いい値段のマイナーブランドで全身固めた勝気な女ばかりだ。もうめっちゃダルいかわいいと言いながらジロジロ品定めしてすごい形相でマウントを取っていく。一本!一本やるから黙ってくれもう。何が書きたかたかも分からなくなってきたしなんかすっきりしてきたのでここでもう終わることにする。飽きた。とにかく努力してる分かわいいって評価されるのは妥当だと思うしうるさい女はどこにでもいるけど大概ブスだから問題なしっていうことよ。

2020-08-29

から告白ってキモくねえ?

4回告白されてると、思う。

全く気持ち悪いと思わないって人は読んでほしい。

まず、名前がわからない。

ラブレター名前が書いてないとかそうゆうんじゃなくて。背後で好きな人名前連呼するわけだ。高校教室で。

「私は(名前)がすき」

きもかった。これを1年ほどやられる。クラス替えの度に3回。

「私、あきらちゃおっかなーーーー。全然しかけてくれないんだもん」と言われて寒気がした。なぜ、好きでもない女のために頑張らなければいけないのか。それなら、自分名前いいましょうね。

つぎ、体をさわってくる

着替えを覗いてきた子だ。ことあるごとに体をすり寄せてきた女の子だ。彼女偏差値の高い大学にいった。同窓会であうと、私の体をさわってきた。「幼稚園生の頃を思い出すな。」聞いて。卒業アルバムの寄せ書きに書かれていた。その時の文章と全く同じ。底知れない恐怖を感じた。私は彼女に寄せ書きを頼んでいない。それから同窓会が終わる一時間半見つめ続けられた。

それは告白じゃないのでは?

私のカウント的には0回である

しかし、別々の女性から4回。気持ちの悪いアプローチをされた。だから女性にとってはこれが告白になるんだろう。

気持ち悪くない告白は、まず名前を知る。やたら体を触ってこない。その状態世間話をして、何となく仲良くなって交際を申し込む。この当たり前を私に押し付けから嫌われる。

2020-08-21

私がこのブログで書く内容を簡潔にまとめると、高校の頃の担任に言われた呪い言葉についてだ。

彼は簡単に放った言葉だったと信じたいけれど、これから先の人生の中で何度も何度も私を引き止める言葉たちだから、どうせならここに全て置いていきたい。

どうかこのブログ担任アカウントまで届きますように。決して高校の目には止まりませんように。担任の鍵垢、知らないけど。

本題に入る前に私と高校、そして担任について説明をする。

私は去年まで高校生だった。3年間クラス替えが無いクラスで、結果的担任も変わらなかった。

まず最初に伝えたいのは、全国の女子高生がみんなJKブランドを持っていたら大間違いだということ。JKブランドを持てるJKは限られていて、少なくとも私の高校にはJKと呼べそうな子はいなかった。

当たり前だ。制服が泣きたくなるほど地味な偏差値60前後自称進学校なんてそんなものだ。みんなJKブランドなんか知りませんという顔をして、晴れの日は暑い、雨の日は重くなる膝下スカートを履いて登校する女子高生だった。たまに都心に出る時はスカートを引っ張るんだけどすぐに落ちていくし、ウエスト部分がゴムじゃないから巻くとお腹の部分が膨らんでいた。

校則も厳しかった。メイクをすることも髪を下ろすことを禁止していたため、中学校ほとんど変わらなかった。「ここを望んだのだからここのルールに従いなさい」こんなことを集会で言われた記憶がある。

こんな高校生活だったから早くに女子高生を諦めた私(周りはどうか知らないけれど)は大学では自由になりたいと願った。だから1年生の夏休みの宿題だったオープンキャンパス巡りで都内女子大を中心に巡った。

オープンキャンパス巡りは夏休み明けの個人面談活用する媒体だった。担任になりたい職業や行きたい学部を絞っていく。1年生の秋だったから、みんななんとなくの個人面談だった。

私は今のところの第1志望担任に伝えた。すると困った顔をされてこう言ったのだ。

「そこの大学に通う子と○○(私の苗字)は会話が合わないよ?うちと偏差値が5〜10違う高校の子が通うんだけど、わかりやすく言うと中学校の頃みたいな感じかな。その子たちと一緒に勉強してもいいの?」

ます志望校を変えろとでも言いたいのか。さもその女子大に通ったことがあるかのように担任は話していた。私は「会話が合わない」という言葉が何よりも悲しかった。16年間生きてきた中で会話が合わなかったことは無かったし、偏差値で人を測る担任が素直に怖かった。今の私だったらてめえの物差し勝手にはかるんじゃねえ、くらいのことは言う。

これが1つ目の呪いになった。

2つ目の呪いは2年生の修学旅行前に起きた(起こした)。前述した通り、私のクラスは3年間クラス替えがない。その中で1年半一緒にいた友人がいた。運動会文化祭もその子たちと回っていたし、修学旅行の班も

2020-08-13

おっさん35歳、派遣社員として一流企業様の下働きをしている、時給2600円

年収に直すと500万を超えるので悪くないレベルまで引き上げられたと自己評価している

なお自分大卒がないのでここの正社員になりたくて転職サイト検索してもでてこない、架空人物作って大卒にしたら出てくるのにな!!!

さて、そんな派遣なのにリモートOKという無茶苦茶ホワイト企業様でのんべんだらりと仕事したら

正社員から「○○さんって知ってます?」とSlackで聞かれた

よく知ってる、小学校の頃の悪友だ、頭が良く学区で一番上の高校にいった

顔がベビーフェイスで女によくもて大学の頃は家庭教師バイトしながらJKつまみ食いし、催事隠し撮りし、俺に写真を見せつけ「やんっ先生制服しわなっちゃうって言われるのまじやば」とか自慢してくるような男だった、いわゆる「強者男性である

今は自分で作った会社を育てて社員が300名くらいになったらしい、今度その会社転職するんすよ−と正社員様は言ってた。

また別の日、違う人から「✗✗さん知ってます?」と聞かれた

よく知っている、また別の悪友である、友だちになったその日、意気投合して遊びに行ったら「あ、財布無いわ、金貸して」と言ってきた猛者である、仕方ないかトイチで貸した、この頃の俺は漫画知識トイチは高利だと思っていたけど3000円程度では大した事はないと知らなかったアホである

技術力がだいぶイカれており、他の学友はどんぐりの背比べだったがそいつだけは特異なレベルだった

今は業界で割と有名らしく論文投稿やら学会やらで世界を飛び回っているらしい

小中高と 延べ400人ほどクラスメイトがいたはずだが、仕事上で名前が聞こえてきたのはこの二人だけだ

やはり学生時代から頭角を表していたやつは、人生ステージが変わって縁が切れていても消息も聞こえてくる

早速正社員様経由でどちらもからリモワ飲みしようぜ!」と誘われた

だが顔を出すのが怖くてまだ返事を先延ばしにしている

あの頃はどんだけ家庭環境技術レベルが違ってもまだ何者にもなってない学生だったが、今の俺は派遣社員で彼らは業界有名人

今会っても話が合う気しない、話が合わないことを思い知るのが怖い

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0825追記

b:id:gorokumigorokumi 小中高のべ400人は少なすぎでは?(年寄

9回クラス替えx45人 でそんなもんだと思うけど、昔さらに多かったの・・・?どんだけ過密だよ。

b:id:ikanosuke 自分同級生、会っても大喜利推し語りしかしないから、社会の断絶とか気にしなくて済む。オタクさいこう!

毛も生えないうちからオタクだったわけじゃ無いんだ・・・

b:id:knosaknosa リモワ飲みってなんやねん、働きながら飲むのか?

せせせせせやで!!!仕事しながら飲む酒うまいわー!、うそすまん、間違えただけですリモートのみですね

b:id:sjack その同級生本人から誘われるならいいけど、なんで社員経由なんだろうな。

筆不精で連絡つかんからだと思う、学生時代から電話メアドも変わっとる、Facebookは数年に一度しか開かないので誕生日おめコメントすら返事しない。TwiiterのDMJanetter無料版だからくれても見れない。ついでにアプリの通知はSNSでもすべてオフにしてる。

この記事にもらった反応への返事が10日も遅れてる所で、凡そ察して下さい,,,

b:id: RRD つーか、そいつらはお前のことを覚えてるんだよ。普通なら忘れてるわ。忘れられない存在なんだよ。だからお互いに大変だ。怖がってることを知ったら、大笑いするだろうな。

b:id:aienstein 試しに参加してみりゃいいんじゃない増田にとって「・・・あぁ」ってなっても、現実的には別に失うものないし、楽しかったら儲けもんじゃん。いろんな話きけるかもよ。

b:id:fujitaweekend 誘ってくる友人なら立場は気にしてない、本当に顔が見たいと思っている。気にしてるのは自分だけだったりするよ

優しい...

b:id:LethalDose “なお自分大卒がないのでここの正社員になりたくて転職サイト検索してもでてこない、架空人物作って大卒にしたら出てくるのにな!!!!”どういう意味

君が転職サイト高卒のフリして登録してから検索するとわかるかもしれんよ!

b:id:kts56 なんで一流企業正社員派遣社員小学校友達のことを質問するの? 有名な小学校なの? それとも偶然? そんな偶然が二回も重なる?

https://anond.hatelabo.jp/20200825165209

あと二人目は小学校同級生じゃない

b:id:and_hyphenしろ凄い人脈だなと思った(おれそういえば同級生芸人さんだけど、過去の縁をひたすらぶった切っているので多分そういう展開がない)

過去の縁をひたすらぶった切っているので多分そういう展開がない

俺もある時を境にこれになったので、それでも名前が聞こえてくるから、すげぇやつらだなーって思ったって話しなんや

ピラミッドの上の方は世界が狭いんだと思う。

b:id:hiromi163 不思議なことに、昔の同級生をググってみると、「良いやつ」ではなく「悪いやつ」ばかりが出てくる。ビジネス頭角を表すやつは、模範的な生徒ではなく、クラス嫌われ者である場合が多い気がする

どれどれ?とぐぐってみようとしたが、良いやつも悪いやつも名前全然覚えてないからぐぐれなかった。

b:id:mouseion 能力があれば中卒でも起業できる時代。何ならその悪友たちのように起業して一国一城の主になるのも手だと思う。コネありそうだしね。

中卒どころか中学生起業してるしねー、とはいえ自分根性いから無理

2020-08-12

友達と長続きしない

中1のときにできたイツメンクラス替えをしたらほとんど関わらなくなってしまったし、2年のイツメンは私以外の2人は同じ部活なので、放課後も昼休みも土日も切磋琢磨してるその友情には勝てず放課後の遊びもほとんど誘われなかった。一緒にいれる学校行事とかでは二人と間を感じた。

中学3年生でできた趣味が合って本当に仲良くなれたと思った友達卒業後も連絡を取り合う程仲良くなれたと思ったが、私から連絡をしなければ何もないことに気づいた。

高校はあまり気の合う子がいなくてとりあえず学校生活送る上での友達はできたけど、もちろん放課後に遊ぶとかはなかった

一度でいいから私といえば〇〇ちゃん、〇〇ちゃんと言えば私、と周りから言われるような、何かあれば1番に私を誘ってくれるような、本当の友達が1人くらいはほしかったなぁ

2020-07-29

給食マスクで思い出すこと

給食マスクと聞くと、小学生だった時の担任のM先生を思い出す。

M先生は30歳前後女性で、2年間自分担任だった。小学生ながらに「この先生ちょっとヤバイ」と思っていたので、M先生について思い出せたエピソード客観的に書いてみる。別に変じゃないエピソードもあるかもしれない。もう自分では何が普通で何が異常なのかよくわからなくなっている。

給食当番は、家からマスクを持ってこないといけないルールだった。M先生は、マスクを忘れた生徒を怒り、黒の油性マジックで顔にマスクを書いた。口の周りに大きな四角を、それから耳まで紐の部分を書いた。さすがに四角を黒で塗りつぶすことはしなかったが、四角の中に大きくバッテンを書いていた気がする。そしてそのまま生徒を下校させた。

授業参観の前日、M先生は「明日授業参観なので、みんなで1本ずつバラの花を持ち寄りましょう!教室が華やかになりますよ」と言った。「反対の人は手を挙げて」と言うので手を挙げた。手を挙げたのは自分だけだったので理由を聞かれた。「今月のお小遣いがもう残っていないので買えません」というと、「自分で買えなんて言ってないわよ、みんな親御さんに買ってもらいなさい」と笑った。帰宅し、母親バラを買いに行った。田舎だったので町に花屋さんは1つしかなく、バラはもう売り切れていて買えなかった。

M先生結婚した。相手は他校の教師らしい。結婚式準備や新婚旅行で何日か学校を休んだ後、生徒の家にハガキが送られてきた。二人が肩を組んでいる幸せそうな写真入りで、「私たち結婚しました」と書いてあった。母親が苦笑していた。

ある日、M先生の発案で、授業間の10分の休み時間がおしゃべり禁止になった。最初の何回かはみんな守らず、ひそひそとおしゃべりをしていたが、M先生がついに本気で怒った。その次の休み時間、本当に誰一人声を発しない、静まり返った教室となった。するとM先生は「なんか誰もしゃべらないのって気持ち悪いわねぇ!やめましょやめましょ!!」と笑い、そのルールは一日でなくなった。

やんちゃ男子3人組がいた。何か物が壊れていたりすると「あの3人がやったに違いない!!!」と騒ぎ、3人を呼びつけ怒っていた。3人は反論せず呆気に取られていた。

やんちゃ男子3人組のひとりが何か悪いことをしたらしく、M先生に怒られていた。M先生は、「先生の言うことは絶対なんです!先生が死になさいと言ったら死ななくてはならないんです!今すぐあのベランダから飛び降りなさい!」と言っていた。※ちなみにその男子は先生の話を全く聞いておらず、いつものようにケロっとしていた。その後落ち込んだりとかはしていなかったと思う。

M先生親族が亡くなった次のお正月父親が「M先生喪中から年賀状ではなく寒中見舞いを出しなさい」と言ったので、その通りにした。学校が始まると、M先生年賀状を出してしまった生徒が集められ、「あなたたちはとても失礼なことをしたのよ」という旨のことを怒られた。寒中見舞いを出した自分も一緒に怒られた。親に報告すると、母親が「だから寒中見舞いも出す必要なかったのよ、余計なことはしなくていいのよ!」と父親喧嘩していた。

2年間、平日は毎日顔を合わせていたから、他にもたくさんあるはずだけど、これしか思い出せなかった。もう20年くらい前の話なので、印象に残ったこしか覚えていないし、詳細も確かではない。ただ、もうすぐクラス替えというタイミングで、「来年先生担任がいい人~?」と自ら生徒に聞き、誰も手を挙げなかったときのことは、今でも鮮明に思い出せる。

2020-07-22

うつ病休職して1ヶ月経つんうつになったきっかけとか書く①

6月頃に一回自殺未遂したけど死ねなかった女の話です。

したことは書いてないけど「へーこういう女もいるんだな」って思ってください。

休職中ずっと増田読み漁って色々な考えに触れたので、この記事も誰かの役に立てばいいな、と思います

クソ長い自語り、家庭環境諸々から書いてみる。ちょっとフェイク入れてるし人名は全部仮名です。


私について

北海道から上京してきた20代前半、上京してきて多分4年。学歴は専門卒、高校工業出身。今年始めて彼氏が出来た陰キャ

きしょいオタク文章書くのは割と好き。漫画アニメソシャゲ全部好き。乙女コンテンツに入り浸る典型的な女ヲタ

母(7人兄弟の次女:中卒)、弟2人の母子家庭。弟は今21(医療系の大学)、20(専門学校)。父親は小5の時に離婚した。

記憶にないけど死んだ妹がいる(私の1つ下だと思う、親に未だに聞けてない)

両親も親戚もみんなオタク父親ラムちゃんアイマスプロレス母親最近イケメンシリーズ、ボイフレ、アンジェと遥か、アトラスゲー。

弟2人はFPSとかモンハン兄弟二人ともゲーマーガチ世界ランク上位に入るレベル。一番下は格ゲーボドゲに目覚めた。

実家は村に近い山奥のドドドドド田舎同級生農家酪農やってる子がいっぱいいる。


小さい時

育ての親は母親の妹(3女:以下さっちゃん)。母親は働きに出てた。多分パートだったのかな?分からん

保育園に入ったのが5歳くらいだったんでそれまでは母方の祖母の家に預けられて育った。

イマジナリーフレンドが4人いた(らしい)、よく見えないお友達と遊んで親戚をビビらせた。ごめん。

ちなみにお婆ちゃんは私の見えないお友達存在しているもの扱いしてたらしい。とんでもねえばあちゃんだ……


物心ついたときには父方の祖母と両親、弟2人と一軒家に引っ越してた。

保育園に入った時にはもう住んでた。この頃から父方のおばあちゃん長男の弟かわいいで私に対して興味なかった。つーか嫌いだったのかも。

母親は土日関係ないサービス業なので、土日の食事祖母。弟たちの分はあっても私の分は無いとかザラだった。今思えば普通に虐待

ただご飯が無くてもゲームと本があれば全然平気だったのでお母さんは私がご飯を食べてないのを知らなかった。

後に私がさっちゃんに「お母さん(これは父方の祖母を指す、実母はママ)がごはんくれない」と遊びに来た時に漏らしたらしい。

当然ながら怒り狂う母とさっちゃん。父方の祖母は「お腹へったって言わないからいらないと思った」としれっとした顔で言ったのを見て目眩がしたらしい。そらそう……。

あとはさっちゃんが当時、父方の祖母の作ったご飯を食べてあまりの味の薄さに「これを毎日食べてて、ごはんも用意してもらえない日がある、食べた気しないんじゃ……」って思ったら私が不憫すぎて車で泣いたと聞いた。

かに味は薄かった。天ぷらだけはめちゃくちゃ美味しかったな。今狂ったように辛いものとしょっぱいものを食べてるのはその時も反動かもしれない。



小学生時代

全学年2クラス、2年ごとにクラス替えだった。2クラスしかないんで全員顔見知り状態

入学してからは超絶人見知りを発揮。保育園の頃に仲良くしてくれた子たちとだけ交流してた。毎日連絡帳に口数が少ないとか書かれてた。

家が近所のゆみちゃんと一緒に登下校してた。お互い何も言わなくても一緒に帰る仲だった。今は看護師やってるらしい。

教室でずっと本読んでた。徐々に色んな子と喋れるようになる。ぼっちに話しかけてくれたみほちゃんありがとう……

あとは算数が出来なくて宿題解けない……って泣いた記憶がある。ちなみに時計が読めなかった。


3年生ぐらいか普通に社交的になったと思う。クラス委員長とか誰もやらないなら…でやり始める。この時ちゃお読んでた。

この頃、休み時間教室以外にも図書室で本を読む女になってた。

同時期ぐらいに父親仕事をクビになってニート引きこもりになった。今で言うFXかな?やってたらしい。けど、あんま才能無かったのかも。

ただ、父親なりに色々と私も含めてかわいがってくれてたと思う。漫画とか全部父親が買ってくれてた。


高学年に上がってからは弟2人も一緒に学校に行くようになってたので、周りの親から評価めっちゃ高かった。

勉強ができて、運動もできて(足が速いだけ)、面倒見もいい女の子

実際、3年からは毎回クラス委員長だったし、同じクラスになったことない子も下の兄弟同級生同士で仲良し~とかあった。

ちなみにこの頃はちゃお少年Aジャンプ、母方の祖母の家でガンガンGファンタジー読んでた。


ただ両親がしょっちゅう家で喧嘩してた。祖母の部屋は1階、私達の部屋は2階。

多分祖母は病んでたのか、深夜に父親の部屋の前で名前を呼んでいるのを見た。めちゃくちゃ怖くて夜中トイレ行けなくなった。

祖母の私と弟への差別は益々酷くなっていて、私の家で友達と遊んでる時に「ごはんの準備しろ」「洗濯干してこい」とか言うようになる。

弟がなにか手伝おうものなら「あんたは長男からしなくていい」って言ったの聞いてなんで?と思ったけど、弟に手伝わせるのも可哀想だなと思って大丈夫って言ってた。


小5の夏、庭で土いじりしてる祖母に「倉庫からスコップ持ってきて(でかいやつ)」と言われてめんどくさいな~って思いながら取りに行った。

祖母に渡すために後ろに立った時、(あ、これ今殴れるな……殺してもいいんじゃない?)って思った。今思えばこの時には既に私ももう心を病んでいたのかもしれん。

その後、親が離婚して一軒家から団地引っ越した。離婚父親には一度も会ったことない。ただ、車で事故って半身不随になったのは聞いた。


これは高校に入ってから母親に聞いたけど、あの頃の祖母は枕の下に包丁を入れて寝てたらしい。こえーよ。病むっていうかキチだと思う。

母親はい祖母に殺されるか分からなくて毎日不眠の状態仕事に行ってたらしい。それでも授業参観運動会も学芸会絶対全部来てくれた。



中学生時代

田舎あるある小学校から生徒が全員持ち上がりなので知らない子はいない。お母さんがパソコン買ってくれたのもこの時じゃなかろうか。

半年間は平和だった。でも、中1の秋頃から毎日登下校をともにした仲良しのゆみちゃんいじめを受け始める。

ゆみちゃん堀北真希に似てる超絶美少女で、当時仲の良い男の子に数合わせでいいから、という理由野球部所属していた。私はゆみちゃんに「1人じゃ不安から……」と頼まれ野球部に入った。

まあよくある、男の集団に女がいるの気に入らないムキーッみたいなのが原因だったんだと思う。いじめてたのは女バスと女バドの5、6人。

私はゆみちゃんいじめを受けてるのも知ってた上で普通に仲良くしてた。ゆみちゃんの家も母子家庭で、当時は母親が家に彼氏を連れ込んで家に居にくいからってよく私の家で過ごしてた。

彼女の凄いところは毎日学校に行ってたところだと思う。私に泣きながら「リスカが止まらない」と相談してくれたこと、リスカ跡は今でも忘れない。


結局、ゆみちゃんは2年に上がるタイミングで転校した。その結果どうなったか

私がいじめを受け始める。いやなんでだよ。私は当時160cm80kgのデブだぞ。何が気に食わねえんだよ。と思ったけどいじめ相手が居なくなったから仲良かった私になった。

ただ、いじめられてることに気付いたのがゆみちゃんが転校してから2ヶ月後くらいだった。私は超鈍かった。周りは気付いてるけど自分だけ気付いてなかった。

なんでか自分ノートがないとか、教科書がないとか、下駄箱の上靴がないとか。そういう事が起こってから気付いた。

当時から仲良かった子に「あの頃めっちゃ陰口言われてたし、あんたと話したら次お前をいじめるとか言われたことあるで」って言われた。

そういえば当時はいじめを題材にしたドラマ流行ってたし、あれはいじめのお手本になってたなと思う。本当によくない。


中2の夏ぐらいだったかな。衣替えするかしないか、とかだった気もするから9月ぐらいかも。半年くらい我慢して学校に通ってた。

私は学校に行くのやめた。というか、行けなくなった、のほうが正しいかもしれない。制服を見ると気持ち悪くなって泣きそうになった。

休みたかったけど、母親は私が生理痛で辛い、と言えば痛み止め飲んででも学校に行け、サボるなと言う人だった。休むことはサボりだと言う人だった。

それでも母親には迷惑かけたくない、という一心で吐きそうになりながら学校に行くフリをしながらおばあちゃんの家に行った。

おばあちゃんは何も言わなかったし、おばあちゃんちの犬と遊ぶのが好きだった。おばあちゃんの膝が悪いから代わりに散歩に行ったのも覚えてる。

ただ、学校担任から「1週間ほど無断欠席が続いてるが大丈夫か」という連絡が家に入りバレてめちゃくちゃ怒られる。怒られた時に初めていじめられてると言えた。

母親はその日のうちに学校電話をして、学校側もいじめを知ってたけど本人が言わないから、とかそういう理由で何もしてなかったらしい。

後日、私は学校に行っていじめてきた女たちから「形だけのごめんなさい」を受ける。クソ無意味。謝られたからと言って事実は消えないわけだし。

どのみち私は学校に行っても教室に入れなかったし、教室に入れないなら授業も受けられない。だったら行く意味が無いな、と思って家に引きこもるようになる。

家に引きこもってる間も勉強は出来た。そう、みんな大好きTwitterです。当時高校生だったり大学生だったフォロワーたちが勉強を教えてくれた。スカイプ使って。


ネットが私の居場所だった。勉強ってどこでも出来るんだ、って思った。


そのフォロワーたちもいじめ経験した人たちで、私の学校に行けない、けど勉強はしたい、という気持ちに寄り添ってくれて教えてくれた。本当に頭が上がらない。

なので、テストがある日だけ学校に行った。テストは出席番号順で座るし、いじめっ子たちと真逆の席なのでその時だけは制服着て教室に入った。

クラスメイトたちは「久しぶり!」とか「テスト範囲大丈夫?」とか声かけてくれる子も結構居た。あの子達の勇気は今思うと凄い。

修学旅行は行ってない。何されるかわからないし。代わりに学校先生マンツーマン勉強した。凄い有意義時間の使い方だったなと思う。

卒業までテスト期間だけ登校する生徒をやった。家の近い子がテスト範囲プリントを持ってきてくれたし、フォロワーたちが勉強を教えてくれる日々が続いた。

高校は女で嫌な思いをしたので男子比率が高いし、比較的家から近い方(といってもバスで1時間)の工業を選んだ。仮に落ちたら通信制高校へ行く気でいた。

卒業式も出ていない。式が終わった次の日が高校合格発表で、無事に工業に受かったという報告と卒業証書アルバムをそこでもらった。アルバムはその日のうちに捨てたけどな。



高校時代

ぶっちゃけ担任がクソゴミだった。生徒の机を蹴って見せしめみたいに怒鳴り散らすタイプ体罰普通にあったし、クラスメイトの男子教室内でデカデカ万引を自慢するようなクラスだった。

担任はそれに対してもっとバレないようにやれとか、スリのほうが良いとか、教育者としてありえんことを言ってるのにドン引きして学校に行く気が失せた。

ラッキーなことに全日制の単位制だったので単位さえあれば進級できた。単位計算をして、単位分だけ出席した。常にギリギリ単位の女で普通科先生に「お前は出席点が足りない」と言われまくった。

後々、クラス男子に教科の単位を聞かれた。私と同じように単位しか出席しない人が増えたらしい。毎日の出席率は最悪だったと思う。まあ工業だしな。

担任露骨わたしを毛嫌いしてたし、私も嫌いだったのでお互い様だろと思ってた。高校ちゃんと授業に出たのは専門科目だけ。これだけは教科書読んでもどうにもならん。あとは実習。

他は中学の時と同じようにフォロワーを頼ったり、ネット検索したら大体答えの出し方があったので家で勉強してた。親は私が家に居ても何も言わなくなった。

学祭とか体育祭は出たことがない。強いて言うなら修学旅行東京だったので行った。お世話になったフォロワーたちに会いに行くという理由で。クラス女子は私含め7人で、うち1人は中学が一緒。

の子と出席番号が前後だったジャニヲタまなみちゃんと仲が良かった。ちなみにまなみちゃんまなみね、山田涼介くんのお嫁さんになるの!」と平然と教室でも言ってた強い女であるマジで強い。

ここまで書いてて思うけど本当に協調性のきの字もない女だな……。ちなみに進路相談も凄い適当で、適当AOで専門行くわ、と一方的に言って終わり。AO入試なんて軽い面談書類審査のみ。私は高3の夏休み中に進路が決まった。

この頃にハマってたのは黒子のバスケで私はほぼ毎日夢小説を書いて過ごしてた。あと支部BLも書いてた。当時黄黒を読んでた人はもしかしたら私の黄黒も読んだかもしれない。読んでくれた人が居たらありがとう

適当単位取って適当卒業した。これが私の高校時代の思い出である


専門学校は今までと比べたら楽しかった。ここでいろんな資格も取ったし、クラスメイトも普通に接してくれてた。唯一毎日学校に行けた時期だったと思う。ただ行事だけはゴミ

ここで就活頑張っとけばよかったんだよな~~~と思う。就活サボって適当に警備会社入社した。そしてこの後、地獄を見る。



2年間の社畜時代

前置きすると私より辛い人もいるとかそういうのはどうでもいい。私は私の辛いを話してるので。

上京してから半年横浜警備員をやってた。この半年はまだ良かった。残りの1年半は川崎地獄を見る。

警備は万年人手不足で月の休みは多くて4日、私が限界を迎える頃は3日だった。勤務時間は朝6時半~16時半の早番と13時半~23時半の遅番。あとは9時~22時までの中番。

入社時の条件は月8休みと言われてたのにマジで騙されたと思ってる。入社して半年は確かに8日間の休みがあった。でもその後から毎月3、4日の休み

休みの前日は絶対に夜間警備が入るため、帰宅は朝5時。当然、遅番か中番が終わった後に続勤。休みは実質半日しかない。寝て起きたら仕事に行く。

休めるわけねーだろバーーーーーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

そりゃあ毎日寝ても寝ても眠いし、突然気分が落ち込むし、情緒があまりにも不安定にもなる。思えばもうこの時にはうつだったんじゃなかろうか。

心がしんどい……となり始めた頃、母親に「しごとつらい」といえば「社会なんてそんなもんだよ笑」と返ってきた。そして根拠のない「大丈夫!」「なんとかなるよ!」という返事。

私もそうだよね、なんとかなるよね、頑張るね、って返してた。これは絶対に良くなかったと思う。

そしてある日、体のほうが出社を拒否した。会社に行こうと思うのに涙が止まらない。手が震える。こりゃ今日出勤出来ねーわ、と思って職場電話を掛ければ「いや来てもらわなきゃ困る」。あっはい……。

無理に決まってんだろ、そう思いながら電話を切って母親電話した。泣きながら電話した母は、「偉い人に電話しなさい」と教えてくれて、私は本社に連絡を入れた。

元々寮で暮らしたこともあり、総務のとよく話をする事があったのでまずは総務に事情説明、そのまま直で警務部長から「休んで下さい」と言われた。

私は初めて、会社を休んだ。そしてそのまま退職した。

その時に初めてメンタル系の医者に行ったけど、まるで私がメンタル系にかかるの常習みたいな態度を取られるしいか自分が凄い医者なのかを言われた。あのクソジジイ一生許さねえ。



文字数制限引っかかったので適当に続き別の記事にでも書きます

2020-07-04

Dオタに刺される覚悟ができたのでディズニー嫌いだった理由を話す

私はかれこれ小学生くらいからずっとディズニーが嫌いだった。関東圏に住みながら中高6年間ディズニーに行かなかったし、ディズニーのグッズもほぼ持っていなかった。

最近になって結構知り合いかディズニー行こうと誘われることが多くなったのでディズニー嫌いの呪縛から解き放たれるためにここに吐き出されてもらう。

幼稚園から小学校5年生まで、私はディズニーが嫌いということは無かった。むしろどちらかといえば好きだった。ディズニーランドにも年1くらいで行ったしトイストーリーとか好きだったし、平均的にディズニー摂取する家庭だったと思う。

それが嫌いに変わったのは小学校6年生の時、一人の女のせいで私はディズニーが嫌いになった。

私が通っていた小学校では2年に一回クラス替えがあり、その女とは5年生の時に同じクラスになった。そいつディズニーの年パスを持っていて、持ち物全てがディズニーグッズという完全なDガチ勢だった。(このレベルじゃ全然ガチ勢じゃないかもしれないけど、当時の私はD界隈は良く知らないのでガチ勢だと感じた。)仮にそいつ名前をMとする。

Mはとにかくいけ好かない女だった。心が通っていて真っ直ぐで、真面目だった。悪くいえば頑固者で融通が聞かないタイプだった。今Mのような人が身近にいたらかっこいいなあと思うが、やんちゃを極めた小学生の私はMのことが苦手だった。

私は表に出して言わなかったもののMのことを敵対視していたし、いつか蹴落としてやろうと憎悪に似た執着を抱いていた。

Mのいけ好かないエピソードは沢山あるが、本題と逸れるので紹介は一つだけにしておく。

Mは結構趣味で、本を沢山読む女だった。私も本は読むほうだったがMとはジャンルが違った。私はらくだい魔女とか黒魔女さんとか小学生向けの娯楽本を読むのが好きだが、Mは純文学が好きだった。それだけなら方向性の違いってことで割り切れるのだが、Mは純文学以外の本のことを小馬鹿にしてきたのだ。「そんな本、なにが面白いのか分かんない。読むわけないじゃん」って具合に。さらに、私を含めそういった本を読む女子たちも同じように馬鹿にした。今思えばお互いクソほど幼稚だったな〜ってなるが、当時は(私はMより馬鹿じゃなかったのに)Mに馬鹿にされるのが嫌だったし読んでる本で人格を決めつけられるのが嫌だったのでMは人間のクズだと思っていた。(要するにお前の趣味こっちに押し付けるな、人の趣味バカにするなってこと)

まあ、そんなこんなで5年生で1年間接し6年生になる頃には完全なるMアンチbot私が完成していた。このまま卒業したらただのM大嫌い人間で終われたのだが、この後のMの行動ひとつで私はMアンチbotからディズニーアンチbot転向する。

私の通っていた小学校のある地区ではほとんどの生徒が中学受験をする。Mや私ももちろん受験する側だった(ちなみに私はMと校舎は違うが同じ塾だったので自分がMより頭がいいことを知っていた)。

私のクラスではクラス皆がほぼ受験するという暗黙の了解があったので、受験が終わるまで遊びに行った話はしない・遊びに誘わないというルールのようなもの存在した。それをMが破った。

きっかけはMのランドセルに入っていた去年までの年パスの亡骸(?)だった。

「わぁ〜、Mちゃん毎年ディズニーの年パス買ってるんだね〜」とMと仲のいい子。

「そうなの、今年も買ったんだけど受験からあんまり行けてなくて……。でも今度の日曜日、お父さんが連れて行ってくれるんだって!」

たぶんMにとっては他愛ない会話の一部だったんだろう。会話に参加してた子も「へえ、いいな〜」くらいで終わったし。

でもM嫌いの私にはMが自慢をしているようにしか聞こえなかった。あなた達は受験一生懸命だけれど私はディズニーに行く余裕もあるのよ、と言われているような気持ちだった。

すげぇ嫌だった。死ねばいいと思った。

だってディズニーに行きたかった。乗り物に乗りたかった。ファストパス取れるようなやつしか乗ったこと無かったかもっと他のも乗りたかった。ハニーハント乗りたかった。パレードだってずっと止まって見た事なかったから見たかった。ディズニーホテルまりたかった。ディズニーに行って沢山楽しみたかった。でも受験からって我慢してたのに。なんでお前だけ、ってお門違いな恨みぶつけて。

Mに対抗心を抱いた私はディズニーなんかなくても生きていけるしなんて馬鹿趣味を持った女なんだとMのことをバカにすることで嫉妬を抑えることに成功した。そしてディズニー嫌いになり、Mにこれ以上妬みを抱かないようにして生きることにした。

これが私がディズニーが嫌いになったいきさつだ。

振り返ってみると過去自分ぶん殴りてえ。だって心底軽蔑してたMの「趣味で人を判断する」って行いとほぼおなじ「人で趣味判断する」って行いをしてしまたから。

Mが嫌いをMが好きなディズニーが嫌いにすり替えて生きていたのだ。敵の味方は敵みたいな??

くそ、死にてぇ……。

この件について、Dオタの皆様には完全に言い逃れできないので思う存分刺してください……。反省してます

ちなみに今はもう吹っ切れたのでディズニー嫌いじゃないんですけど、吹っ切れたきっかけがMの年賀状だったんですよね。

Mとは卒業後も年賀状のやり取りだけ続いていて、前年度私が喪中で出せなかったのでことしは出しておくかあ(去年貰ったし)ってノリで出した。まあどうせMの年賀状自分ディズニー行ってきた自慢(ディズニーで撮った写真+ディズニー年賀状)なので特に期待せず待っていた。そしたら送られてきたのはディズニーじゃなかった。

自分で描いた絵だった。

しかも上手い。それでもう、どうでも良くなった。

2020-05-14

検察ニュースを見て思い出したこと

高校2年のときクラス替えがあって、最初の1ヶ月ほどなかなか馴染めずにいた。そんな中で教室を移動する授業の予定があり、日直だった自分が施錠をすることになっていた。

移動教室前日の体育の時間だったかと思う。同じように浮きがちのクラスメイトからちょっといい?」と呼び止められて、移動教室中にクラスメイトの鞄から財布を抜き取る計画があること、施錠を忘れたことにして移動して欲しいことを頼まれた。話ぶりからするに、他クラスにも協力者がいるようだった。

自分性格的に弱気な方なので、その場ではショックで何も言い返せなかった。できない、とモゴモゴと言っていた程度だったと思う。ただ、帰り道になんだか無性に腹が立ってきて、彼の連絡先を知っている1年時のクラスメイトに聞いて、その日の夜に思い切って電話をした。何考えてるんだと、お前なんか最悪だと、感情の赴くままに5分ほど話したと思う。

自分が協力しなかったことで、結局、盗難事件が起きる事はなかった。彼との間での気まずさは当然あったけれど、自分と同様にクラスに馴染んでいく彼を見ていると、ぞんざいに扱うことも、彼を陥れるために悪事を公にすることも悪い気がしてできなかった。高校3年から違うクラスになったので、その後に彼と関わることはほとんどなかった。

先日、高校の友人の結婚式にて、彼が今、司法試験を通って検察官仕事をしていることを聞いた。あの悪事を企てていた彼が検察官?と思わず顔を歪めそうになったけれど、墓場まで持っていくつもりの話なので友人には言えなかった。あのとき自分が彼に協力していたら、あるいは直後に彼の悪事を皆に公にしていたら、お互いどんなその後の人生があったのだろう。

誰にも話さずに今に至ってる俺って、めっちゃ偉くない?

2020-04-07

名古屋市民だけど

休校延長土壇場すぎ…

あと市立幼稚園はどうなるの?? 8日から始業式の予定だったけど… 今日入園式はやるのかな。

とりあえずクラス替えの結果と担任先生を知りたい。

先生たち本当に大変だろうなあ…

2020-04-01

anond:20200401125133

男でもクラス替え直後に元4組で現5組のメンツを「モトヨン」と呼んでなんとなく集まったりはしていた

2020-03-02

いつまで経っても直せない、人間関係リセット癖についての一考察

人間関係リセットする癖がある。

中学とき高校とき、仲が良かったはずの友達と、卒業後は、連絡がきても1度も返していない。というかLINEを全員ブロックした。同窓会にも欠席した。出席する選択肢がなかった。

高校3年間」というスパンで見ても、仲が良かったはずの友達クラス替えで別々になったら、連絡をとるのがものすごく面倒になった。流石にリセットはしないけど、面倒で連絡を全然さないでいたら、自然と疎遠になった。大学生である今も、割と似たようなことをしている。

このリセット癖が何に起因するものなのか、自分でも分からなかったんだけど、きょう、理由がわかった気がする。

今、めちゃくちゃユリーカ!!!って感じなのだが、唯一使っているSNSであるInstagram友達と繋がってるうえに文章を書くのは向いていないし、あまりに薄情な理由なので、日記を書いている個人ブログに書くのも人間性疑われそうで躊躇するので、ここに書く。はてなってありがたいねありがとうございます

結論から言うと、「友達はじめ、人間関係大事ものと思える価値感が欠落しているから」。ユリーカするまでもない、自明の理ですね。でも今まで気づかなかった。

私の話をさせてもらいたい。

大学に通ったことのある人ならわかると思うけど、大学に行けば、暇な時間は実にたくさん転がっている。

30分超えの暇な時間なら、読書なり、勉強なり、配信サービス映画を観るなりするけど、細々とした空き時間だと、することがない。ないけど、暇だ。ではどうする?

正解は、「人に話しかける」。

内容なんてなんでもいい。相手が誰でも別にいい。とりあえず近くにいる人(手っ取り早いから)や趣味の合う人(どうせなら楽しく暇を潰したいから)と話す。そうやっていると、大学入学して1ヶ月もすれば、「誰とでも話す明るいフランクな人」っていうパブリックイメージができあがる。なかでも頻繁に喋る相手とは、「よく一緒に行動する友人グループ」みたいになる。中学高校のころも、学年が上がる時も、バイト先でも、同じだった。

事実、喋ること自体は嫌いじゃない。バカ騒ぎは苦手だが、色々な人の色々な価値観やもの見方に触れるのはとても楽しい

私は最初に「休日にわざわざ」が嫌い、と書いたけど、学校終わりに一緒にどっか寄って帰る、程度なら大丈夫だったりする。「暇つぶし」の延長だから

「誰とでも話す明るいフランクな人」をやっていると、なにかの幹事になることを頼まれたりする。すげなく断ることでせっかく構築した「暇つぶしの話し相手」を失いたくないし、リーダーシップをとってイベントごとを仕切っていくのは得意なほうなので、よっぽど面倒な役回りじゃない限り、引き受ける。

だが、いったんバイバイを言って、家に帰ったり、1人で寄り道をはじめると、大学友達は、「暇つぶし相手」ではなくなる。少なくとも、「"手近な"暇つぶし相手」では。だって隣にいないのだから。だからLINEがきてもなかなか読まないし、返さない。ただLINEなどのレスポンスが遅い人は一定数いるので、ごめんごめんと言いつつ適当に返して適当無視していれば、「そういう人なのね」と向こうが勝手に納得してくれる。

土日に「遊ぼう」と言ってくれる友達がいるが、土日は大学がないので、彼ら彼女らは「手近な暇つぶし相手」ではない。

なので、その遊びの誘いは、ただただ「面倒くさい」ものとなる。

面倒くさいので、バイトがあるから、とか適当理由をつけて、半分は断る。半分は申し訳ないし暇な時の話し相手を失いたくないしで、遊びに行く。

これが「夏休み」「冬休み」になると、友達の「手近な暇つぶし相手度」は、さらに低くなる。四分の三は断る。それでも4回に1度は行く。

ちなみに「誘いに乗って遊びに行ったらどうなるか」というと、ヘトヘトに疲れ、MPを大幅消費して帰ってくることになる。あの、本当に分からないんだが、ディズニー旅行ならまだしも、ただの買い物やくだらないカラオケを誰かと一緒に行うことのなにが楽しいんだろうか。1人なら誰にも気兼ねしないし自分のペースで動けるし無駄時間がないし、カラオケにしても特に聴きたくもない友達の歌を聴くことに貴重?な規定時間を割くこともないのに。

話が逸れた。

さて、先程の「土日」が「夏休み」になり、さら「卒業」になったら、「友達」は、私にとってどうなるか。

もう答えを言う必要もないと思う。「まったくもって暇つぶしにならない」うえに、たまに連絡が来たりする、「面倒な存在」だ。LINEがきても邪魔なだけなので、ブロックする。

中学とき高校ときもそうだったし、多分大学卒業するときも、同じことをするだろう。

そもそもなんで友達暇つぶしの道具扱いしていると気付いたのかについてそろそろ書かなくてはならない。今日美容院に行ったのだが、美容師さんと趣味の話になり、映画鑑賞が好きだと伝えると、奇遇なことに美容師さんも映画が大好きだという。一通り最新映画の話をしたのち、美容師さんが

「そういえば、Twitterとかやってないんですか? Twitter映画好きの人、いっぱいいますよ。映画感想言い合ったり、映画友達作ったり。」

と言ったのだ。

「えー、いやー、やってないですね。SNS苦手なので。」

「やってみたいとか思わないんですか?私やってますけど、びっくりするぐらい趣味のあう友達できますよ。あ、シャンプーしますね」

いい香りシャンプーで髪を洗われながら、わたしの脳は急速に回転していた。「私、びっくりするぐらい趣味のあう友達別に欲しくない。」→「なんで友達欲しくないんだ? 大学友達と喋ったりは好きなのに。」→「いやでも私めちゃくちゃ友達関係リセットするな。」→「わかった、私あの子たちを友達と思っていないんだ。だから惜しげなくリセットできるんだ。」ユリーカ!!!!!

私は、友人がほしいと、あまり思っていないらしい。というか、人間関係にあまり頓着していないらしい。そう考えると、予備校通いをしていたとき弁当を1人で食べていたら、同じ学校の子に異様に心配されてむちゃくちゃ困惑したこととか、高校でよく「交友関係広いよねー」と言われていたにもかかわらず(実際クラスほとんどと日常的に話しをしていた)、いわゆるスクールカーストみたいなパワーバランス全然読み取れていなくて、友達に言われてはじめて「え、あの子とあの子仲悪いの?!?!」とびっくりしたこととか、二十年以上生きてきて今まで恋愛という意味で誰かを好きになったことが1度もないこととか、他にもその他もろもろ、腑に落ちる。

居るなら居るで適当に付き合うし、居ないなら居ないで、べつに不自由しない。あるならあるでいいし、ないならないでいい。

今日気付いたばかりなので、さら考察を深めていけばまた違う事実が顔を出すかもしれないけれど、今の時点では、自分をこう分析している。人間に興味が薄いのに、映画文学演劇など、「人間が創るもの」が大好きな理由は、まだ分析できていない。

自分の悪癖に暫定的理由けができたのでなんとなくほっとしているが、多分結婚もせず、暇な老後を慰め合う友もおらず、孤独な老人になって死んでいくんだろうなと思うと、ちょっと残念ではある。それはそれで愉快な老後だと思いこそすれ……

2020-02-22

もうクラス替えがないという事実

新学年になって、春の空気とともに初登校して、張り出されたクラス表みて自分教室行って席確かめて座って、知り合いに声かけつつ大部分の知らない人を見渡すあの感じ

アレもうないんだよなあ 仕事部署替えとかあったってどうせオッサンとオバサンばっかりだし(まあ俺もそうなんだけど)、あの若さから来るワクワク感みたいなものはもうない

始業式終わって昼間に帰りながら新しいクラスに想いを馳せる体験 もうできないのかと思うとかなしい

2019-11-15

anond:20191115020956

付き合ってる彼氏クラス替え後も同じ組になれて喜んでた子が、いつのまにか同級女子全員から消極的仲間外れにされてた様を思い出した。

2019-10-23

いじめの(長期的な)影響について

小学5年生の頃、いじめにあっていた。

最初は、クラスの全員から無視される、掃除時間にぞうきんを取られて取り返そうとすると投げ合って返してくれないなど。そこからさらエスカレートして、私の椅子や机、文具などに触ると〇〇菌が移ると言って避けられるようになった。いわずもがな、私の身体クラスメイトに触るととても嫌な顔をされた。身体的なものはなかった。ただただ精神的にきつい仕打ちが繰り返された。

それが半年〜1年くらい続いたと思う。先生特に助けてくれなかったけど、翌年度のクラス替えで主犯格は全員別のクラスになったから気づいてはいたんどと思う。

今、30代半ば、それなりの大学を出て、何度か転職をしたけど、それなりの会社で働いている。

いまだに同僚や上司といった私的な付き合いのない人間が信頼しきれない。信頼というと大袈裟だけど、対人関係に常にうっすらとした不安感があるというか。

周りの様子を見ていると、ふつうは信頼するとかしないとか、そんなこと考えるまでもなく、人付き合いをしているみたいに見える。

不安感がずっと強くて、近頃生きているのがいよいよ辛くなってきていて、なんでだろうって考えたときに、とても古い出来事なのにいじめのことが思い起こされて、ここに吐き出している。

子どもの頃いじめに遭った方に聞いてみたい。

その後何年か、何十年か経って、まだ何か影響ってありますか?

影響があるなら、どうやって克服してきましたか?あるいは克服なんてしきれないものなんでしょうか?

2019-10-21

いじめはなくならないと思う。

いじめはなくならないと思う。

子どもはもちろんのこと、大人だって人間関係を苦にして自殺うつ病を患ったりしている。

大人場合いじめとは表現されないことが多いと思う。パワハラとかセクハラとかも同じカテゴリに入るかな。

いじめと同等のことは、学生卒業しても社会人生活の中で、起こっているということだ。

であるならば、いじめは避けられないと考えて行動すべきだと思う。

いじめを受けずに人生を終えることができたなら、それは幸運というくらいの受け止め方で。

じゃあ、どうするか。

まずは、加担する側に回らないこと。これはまぁ前提。

でも気がつかない内にそうなってることがあるかも知れない。

無自覚にしてしまっていることほど恐ろしいものはない。

自分がされて嫌なことを相手にしてはいけない。そして、自分がされて嬉しいことが相手も嬉しいとは限らない。」というような旨の言葉Twitterか何かで見たけど、結構真理だと思う。

前半のことを親から言われて育つ人は多いかも知れないけど、後半のことまで言われて育つ人は少ないんじゃなかろうか。そして後半のことを自分で気づける人も。

しかしたら、親も後半のことを気づけていないかも知れない。

よくある善意押し付けとかね。

あとは、正しいと思って加担している例で、

何か過ちを犯した人をネットで袋叩きにする行為一種いじめにあたるんじゃないだろうか。

ただ語弊のないように言っておくけど、今まで声の小さかった人たちの声を拾い上げられたり、今まで隠れていた犯罪が浮き彫りになって公的機関が動いてくれるという良い働きをする場合ネットにはあるとは思う。

けど、例えば警察がもう動きだしてくれたのに、正しさを武器無関係な人たちが制裁加えるのはどうかなと。

気が付いたら加担していたということになりかねないので、これは気を付けたい。

次に、複数コミュニティ所属すること。かつそのコミュニティ独立していてつながっていないこと。

これは大人大事だと思うけど、思春期の子どもとかがいじめにあったとき精神衛生良いと思う。

子ども世界が狭くなりがちで学校での居場所がすべてみたいに思ってしまう傾向があると思う。

つのコミュニティで上手くいかなくても、他のコミュニティで楽しくやれていれば、学校けが自分の居場所じゃないとわかる。

それに自分のことを客観的判断できるんじゃないだろうか、というのも学校だけのコミュニティいじめにあったとしたら、

判断基準がそこだけなので、なぜいじめられるのか、自分の何がいけなかったのかと内に内に考えてふさぎ込んでしまうんじゃないだろうか。

特定コミュニティだけでいじめられるのであれば、それは自分とそのコミュニティが合わないだけと折り合いをつけられる。

全部のコミュニティいじめられるのであれば、自分を省みて改める必要があるかも知れない。

かくいう僕も小学生ときに、ちょっとしたいじめにあった。

昨今、話題になっているような壮絶なものに比べればかわいいものだが。

ターゲットになった人が仲良しグループからある日突然無視されるというやつだ。

ただ小学生ながらとてつもない恐怖を味わったのを覚えている。全く心当たりがない上に、この先もっとひどいことが起こるのか、もうなにがどうしてしまったのか頭の中は大混乱だった。

ただ人間は慣れる生き物で、落ち着いてくると無視しているのが仲良しだった者たちだけで、その他の人は違うと状況把握できるとしばらくやり過ごすことができた。

僕が幸いだったのは、その無視してきた者たちが僕のあることないことや悪口を言って仲間を増やすことをしなかったことだ。

彼らの目的排除ではなく、ある日突然、想定外の状況に置かれた人間の反応や自分たちが優位に立っている状況を堪能することだったからだ。

そして、順番が交代する。僕は何事もなかったかのように元の仲間に引き入れられた。

次にターゲットが決まると、また彼らは同じことをしようとした。僕にもそうするようにと。

ただ、僕はこの流れを断ち切ったら終わるんじゃないかと思って僕はそのターゲット無視することはしなかった。

ターゲットの子最初こそ悲しそうな顔をしていたが、僕が無視しないとわかると嬉しそうに毎日しかけてきた。

これで無視ゲームは終わりだなと思ったんだけど、そうじゃなかった。

また僕がターゲットになった。まぁ、当然と言えば当然だ。面白くない行動をするグループ内の反乱分子なのだから

でもそのとき僕は、今回の無視ゲームも失敗するだろうと思っていた。

というのも、前回ターゲットの子が同じ境遇を味わった仲間で、かつ僕は体制に逆らって無視をしなかった。

から彼はきっと僕の味方になってくれると思ってた。

でも現実は違って、前回ターゲットだった彼は仲間に無視されなくなった途端、以前と同様に楽しそうに僕を無視しだしたのだ。

不毛だ。

小学生ながらやってられないとあきれていた。おいおいうそだろ。そんなことある?って笑

不思議絶望感はなくて、はーめんどくさ。もういいや。って感じの感情だった。

そこからクラス替えする前に仲の良かった子たちのところへ昼休みに行き、勇気を出して正直に事情を話して仲間に入れてほしいと言った。

そしたら「いまみんなでノート迷路を描いてるから一緒に描こう。」と快く仲間に入れてくれた。

クラス替え以降、疎遠になっていたが笑顔で迎え入れてくれて本当に嬉しかった。

無事にいじめから脱出して僕は、小学校生活を終えることができたわけだけど。

無視ゲームをしていた彼らは卒業するまで似たようなことを繰り返していた。

ただ、実はいじめをする心理はなんとなくわかってしまったりする。

からまり恨んではいない。だけど肯定はできないし、してはいけないと思う。

今振り返ると、もういいやって切り替えられたのは、僕が学校とは別のコミュニティにも所属していたからだと思う。

当時、僕はスポーツクラブサッカーチーム、隣町のスイミングスクール、別の学区の生徒もいる学習塾に通っていた。

幸いなことにそれぞれのコミュニティでつながりはなく、共通友達もいなかった。完全にそれぞれ独立してた。

から、遊び相手がいなくてもサッカースイミング友達がいるし、学校宿題や授業がわからなくて学校の仲間に聞けなくなっても、塾で教えてもらえばいいやと。そう思えた。

からいじめから“逃げられた”んだと思う。

この逃げるのが苦手な人が、世間話題になるような可哀想な目に遭っているように思う。

から逃げ道として色んなコミュニティ所属することが大切だと思う。

これは社会人にも当てはまると思う。

ただ社会人会社いじめに遭うと結構大変かも知れない。

生活に直結しているか会社はそう簡単に辞められないし、転職するにも精神力や体力が必要だ。

いじめ精神疲弊してくると正常な判断力を失ってしまうのかも知れない。

思えば小学生いじめにあったとき、親に相談を一切しなかった。普通なら一番に相談して助けを求めても良いはずだ。

今となってはなんでかわからないけど、精神的に健全状態ではなかったことは確かだ。

でも仕事けが人生の全てではない。生きるために働いているのに、命を削ってどうするんだ。

逃げろ。

なんだかまとまりのない文章なっちゃったけど、世間いじめ関連のニュースを見て思うところがあったので書きなぐりました。

2019-10-08

20年間発達障害者として生きてきた私の話2

はじめに

はてな匿名ダイアリーにおいてパート2というのはアリなのでしょうか…? 文化が分かりません。もし痛々しいようでございましたら申し訳ございません。

以前投稿した記事https://anond.hatelabo.jp/20190926105149)にて私見を交え自分の持つ症状について解説いたしました。が、「タイトルイメージが違う」とのご指摘がありそういえば元々は自分人生について書いてみようとしたのだということを思い出しました。前振りだけでいい具合にまとまったのでそれで良しとしてしまっていました。

というわけで本題の発達障害者である私の自分語りをさせていただきます自閉症多動症を持って生まれた私がいかように生活してきたのか、振り返って書き連ねていきます。詳しい症状につきましては省略いたしますので、不明点がございましたら上述の記事を参考にしながらお読みください。

幼少期 -既に変な特徴はあった-

出生の頃から追って話しましょう。さすがに私の記憶は流石に薄れていますが、当時から私が育てるコツのいる子であることは母には察しがついていたようです。

目を合わせて話さない。集団行動ができない。特定のモノに極めてこだわる。このような特徴が見られたようです。もちろんこれらは赤ん坊であるならば持っていても変ではない特徴も含まれますが、私の場合幼稚園年長くらいまで続いていたらしく「他の子とは明らかに違っていた」と言います

集団行動の苦手さを表す具体例としては、前回の記事にも書きました幼稚園から脱走していたことが主だったモノとしてあげられます。とにかく放っておくといなくなる。あまりにいなくなるものから、見失わないように私だけ違う色の帽子を被せられていたり園長先生が抱っこして確保していたり特別措置が取られていました。「差別的ではないか」と保護者会で話題になったとか。まぁ当の両親は正しい判断である先生にいたく感謝をしていたようですが。

まぁ幼い子であれば”ひょうきん”だとか”手のかかる子”という表現だけで済むのです。迷惑はかけましたが面倒な問題にはなりませんでした。

ここであげておきたいことが”目を合わせて話さない”という点とそれに対する母の対策です。

子供は成長しながらコミュニケーション能力を身に着け、その一環で「目を合わせて話す」ということの重要さを学ぶものです。大人の真似をし、後々意義を理解するというのが発達の基本ですからコミュニケーション能力もそうやって身に着けるのでしょう。

ただ私はとにかく誰かが話しかけてもそちらの方を見ないし、私が誰かにしかけるときこちらを見ない。私には会話中に相手の顔を見るという発想がなかったらしいのです。おそらくですが、やる意味は分からなかったのでしょう。「そういうものからそうする」とか「みんなそうしてるから」といった発想は私には薄いのです。ゆえに真似をせず、発達が遅れる。この性分が字のごとく発達への障害になっています

今思えばこちらを見ずに話しかけるサマというのは、やや気味の悪いように見えたことは想像に難くありません。

この悪癖を放っておいたらいけない、と母が実践したことが「とにかく自分から顔を見て話す」ということ。

子は親を見て育つ、それで覚えないならもっと見せていくしかないという発想のようです。とにかくちょっとした会話でもしゃがみ込んで目線を合わせる。呼びかけられたら自分から私と目が合う位置に移動する。意図が分かりやすいよう、たまに口でも「目を合わせて話してね」と言う。母の行動は徹底していました。

そうしているうちに、私は目を合わせて話すようになったんだとか。

つまるところ、覚えが悪い子もちゃんと教え込めば理解できるようになるのです。特に口で言うことは大事です。「こっち見てくれないと誰に言っているのか分からいから」など理由もつけましょう。意義が理解できればやるようになります。言い過ぎると逆効果という例もありますから、難しいところではありますが…。

こういったことが母の育児論です。

また今更なのですが、ハッキリ言って私は親に恵まれています。「うつ病ブログ見てたら”恋人が助けてくれて~”とか書いてあった」とか「食費節約記事見てたら”米は実家から送ってもらって~”とか書いてあった」などに近い事案かもしれません。ご了承ください。うつ病患者にとっての恋人とか、米を送ってくれる実家みたいな存在自分がなるんだという気持ち知識をつけることにこの記事が役立ってくれるなら幸いです。

小学校入学 -いじめ先生の劣等生認定-

問題が徐々に起き始めるのはこの頃からです。先生から露骨に出来ない子という扱いを受け、いじめを受けたりいたします。もう”ひょうきん”で済む年齢は終わってしまったのです。

実際私は色々なことができませんでした。運動は大の苦手で、漢字テストは毎回落第し、常識はずれな行動も多く、そして正直に色々言い過ぎます。私としては何がなんだか分からないまま先生に怒られ続ける日々でした。本当に何がいけなかったのか分からないので、具体的な問題の例を挙げられません。ただ先生から見たらよほど出来の悪い子だったのでしょう。そんな私がクラスメイトに標的にされるのは自然なことでした。

いじめトドメになったのは噛み癖があったことです。どうも私は触覚に安らぎを覚えるようで、自分のモノは噛みたくなるし顔にこすりつけたがります鉛筆他色んな所有物をよくかじっていました。正直言って、これに関してはいじめられる側の原因と言えます

私に触れることはアウト、私の触ったモノはアウト、しっかり拭けばセーフになる。他の生徒からはそのような扱いを受けていました。

さてまぁ壮絶な過去に見えますが、我ながらこの時期はずいぶん気丈に過ごしています

まず絶対親にこのことを言いませんでした。というのも、大事な人が傷つくのは嫌だったのです。偉いとか優しいとかではなく、それが破ってはいけないこだわりの一つだったのです。

学校いかように過ごしていたかと言えば、とにかくクラスメイトに話しかけました。嫌な顔をされたりするのは当然ですし、拒絶された記憶もいくつかあります

なぜそんなことをしたかと言えば、話していい人と悪い人を判断するためです。クラスメイトが全員いじめに参加していましたが、それが全員の本心というわけでもないのです。心底私が嫌いな人、みんながやっているかいじめに参加している人、実はほぼ嫌悪感を持っていない人など色々います。なんというか、これが分かっていないと学校生活で困るのです。分からないことや授業中など、学校生活では会話は必ず必要になります。ですからこの人は話しかけていい、この人は絶対ダメという判別をする必要があったわけです。給食の配膳なども私が配るものを受け取る人受け取らない人がいるので、それも覚えていた方がスムーズでした。

それで大丈夫だったのかなんて思う人がいるかもしれませんが”私に触ることはアウト”なので殴る蹴るは絶対にされないわけで、だから私もこのような行動をとっていました。ちなみに話しかけていい人にも必ず距離を置いて話していました。これらのおかげで嫌悪感をぶつけられることも減りましたし、触らなきゃ話せる相手もできたので大成功だったと言えるでしょう。

今思うと自分でもやや呆れる行動ですが、このような割り切った行動ができるのは発達障害者の強みだと理解しています

ちなみにダメージが無かったかと言えばまったくそんなことはなく、ストレスが振り切れて”触ったらアウト”をということを使って逆襲したりもしました。本気で泣かれたことがよりショックで私も泣きました。発達障害者も人なのです。無関心でいられるのはよかろうとも嫌悪精神的に来ます

はてさてそんなのが一年ほど続いて、私の噛み癖も抑えられた上にクラス替えいじめウヤムヤになった頃の話です(子供いじめなんてそんなものです)。

いじめが無くなったとはいえ、私が色んな事が出来ない状況は変わりありません。未だ先生心証は良くなかったようで、三者面談では母が怒りかけるほど小言を言われたそうです。

これではいけないと判断した母は育児について調べ初め、発達障害について知るやいなや私を児童精神科に連れていき、正式に診断を受けることになりました。診断結果を話した結果、先生対応は一変。連絡帳を通してたくさんの配慮をしてくれるようになったそうです。

診断を受けるということは自分が症状を理解することはもちろん、相手配慮を求めることにも役立つのです。

私の母などもそうですが、先生の態度について色々思うことがある人もいるかと思います。ただ実際にいじめを目の当たりにしてできることはあまりにも少ないですし、しつけのなっていない子が存在するのも事実です。ですからやはり自分自覚して問題を起こさないためにも、ただ出来ない子と思われないためにも診断は大事ことなのです。診断には強い説得力があります。少なくとも小学校教師になれるほどの英才の方であれば、医師判断の重大さは分かるはずです。

中学時代 -自分を見つめまくる日々-

さて通院や教師配慮を通して自分が他の子とは違うことを十分に理解し、列から抜け出さないとか家に勝手に帰らないだとか当たり前のことは覚えながら成長していました。大人の方はみなそうですが、私の問題を挙げても存在否定はいしませんでした。今自分のことが大好きなのはこのおかげであると考えております

中学生になった頃には自閉症的な特徴がプラスな要素になることも多くなっていました。他人に無関心という点などは特に強かったですね。

なにせ中学校はけっこう面倒な社会です。どこのグループにいて、誰と誰が喧嘩して、あいつはどこに受験して、あの先輩はあんなことしてて…などなど。面倒です。そして誰もが面倒と思っているのに、多くの人はこの面倒な風評を気にしてしまます。ただ自閉症患者としてはこれは本当にどうでもいいことなんですよね。立ち位置とか気にするの面倒なのです。知らんわ。

そういうわけで私は特定グループにいることはなく、基本的面白い人なら誰だろうと話しかけていました。それのおかげか誰とでも平等に話すなどと評価されることが多かったです。よく気軽に話せるなどと言われました。あとは趣味偏見がなかったのも大きいでしょうか。バント小説アニメスポーツ、変わったところではジャニーズなどの話を聞いていました。自分が知っているわけではないものも多くありましたが、楽しく話せる分には何でも歓迎でした。しがらみがない人間というのは中学校においてはとても貴重な人材だったのでしょう。ゆえに”他人に無関心”はお気に入りなのです。健常者に自閉症マウンティング取れますね。

また他人からしてみれば強烈に個性的に見えるようでけっこう人気がありました。良くも悪くも目立つ人だったのでしょう。

さてかなり上手いこと発達障害個性にできたと書けば見栄えは良いようですが、決して楽なだけではありません。

とにもかくにも自己分析を続ける日でした。「お前は客観視ができない」と両親からひたすら言われ、客観視とはなにかからまり自分がどういう特徴があるのかズラズラ考え続けていたものです。あるモノにどういう特徴があるか知る時の基本は、他のモノと比較することです。障害の本もいくつか読みましたが、自分は平気でやるが他人がやろうとしないことを色々見て知ることが一番客観視につながったのだと今では思います。まぁおそらくそんなことは小学生の頃にやっておくのが一般的なのでしょうが…。

意義が分からない限りやらないのが私でございます自分理解しないと人に迷惑をかけることになると知って、ようやくこういったことを始めたのです。

まず自分が失礼なことをたくさん言う人である理解いたしました。ウケ狙いとかではなく、何とも思わず指摘するのだからタチが悪い。特に女性容姿については言うべきではないと学びましたね。

それに自分は集中すると周りが見えなくなるし、やると決まったことは徹底的にやるし、陰口は言いたがらないし、ツッコミで強く手を出しやすい方だし、婉曲な言い方が理解できない。こういうことをとにかくたくさん知りました。この記事を書くこと自体客観視の一環ですね。

しっかり向き合ってみれば結構分かるものです。ただまぁ前回の記事の通り「~~という特徴であるらしい」とか上手く自覚の出来ない特徴も多くありますが。ただ、これを知るだけでも行動は変わるものです。怒られたり驚愕されることはずいぶん減りました。

月並みではありますが、大事なのはとにかく障害に向き合うことです。なんでも知っておけば「あっこれやったらダメかも」と分かるモノです。「これはしちゃダメ!あれはしちゃダメ!これはしろ!」といったようにルールを決めるのではなく、特徴を知ってその都度対応しましょう。ルール決めが必要な時があったとしても、第一優先はそこではありません。

ここまで書いて気付きましたが、中学校でのエピソードに欠けていますね。強いて挙げるなら友人がバカにされてハチャメチャに怒ったことでしょうか。

やけに他人を見下す阿呆がいまして、彼奴が私の友人を散々に罵倒したと聞いて教室に殴りこんだことがあります。結局ロクな解決にもなりませんでしたが、他人に無関心というのは「他人がどうでもいい」のではなく「自分が好いている人以外がどうでもいい」のだと知ったキッカケです。友人は他人に入らないらしく、むしろ思い入れが強いのかもしれません。

前回の記事発達障害者ストーカーになったなどと反応がありましたが、なるほどと少し納得いたしました。

おわりに

高校時代についても書こうと考えましたが、エピソード不足でありますし少し疲れたのでここで筆をおきます

さて前回にて「アスペで友人がいるなど詐欺だ」などという反応がございましたが、実のところ私も不思議に思っていた時期がございます。おそらくはとにかく正直で、フラットで、好きな人にはそれなりの接し方をしていたからではないか結論付けています20年生きてきて分かりましたが、正直は美徳と言うわりにそういった人は案外少ないものです。外面を固めるのが上手い友人が私の前では豹変したようにドサドサとキツイ言葉を吐くサマは中々愉快でございます。私が楽しいから友人といるのと同じく、彼らも私といて楽しいからいてくれるのでしょう。友人への敬意と多少のユーモアがあれば、あとは個性として楽しまれるのではないでしょうか。

記事の中では母についてはいくつか触れましたが、父の出番はありませんでしたね。というのも父は私のことを本当に放っておいたのです。好きなことをしていればそれでいい、とそれだけは言っていましたが強く干渉することはありませんでした。実際に父も自分の好きなことをたくさんしていました。食事が大好きで今ではメタボなほどですが、誰の忠告無視してまだ食べ歩きを続けています。子は親を見て育ちます。私が自分に正直に、好きなように生きているのは父が影響しているのでしょう。結局両親ともども私のために色々してくれたのです。

ご参考になれば幸いです。

追記:どうも前回記事とのツリーになってしまますね。治し方が分かりません。

2019-09-23

いじめ加害者だったので当時の事を書く

内容はタイトルの通りです。



まず現状として、私は現在高校受験を控えた中3で、小5〜現在まで不登校ではあるがテストだけ行っているという状態です。

 




ここから本題です。

私がいじめをやっていたのは小2〜小3の頃で、主なターゲットは2人でクラスが同じRと幼馴染のKでした。

Rは常にアンモニア臭いがしていてクラスの3/4からいじめられていました。主に覚えているのは「R菌が伝染る〜w」と掃除時間に言っていました。もしかしたら蹴っているかもしれないですが覚えていません。

Kとは幼稚園入園からの付き合いで、おとなしく優しい子でした。Kには休み時間に臀部に蹴りをいれていました。





これらは一般的に言われる「いじめ」です。

しかし、これが「いじめ」だと気づいたのは今年に入ってからでした。



当時の私はいじめもなくいい学校だと思っていました。いじめも嫌っていました。自分加害者だとも知らずに。

[そんな私がなぜ自らがいじめ加害者だと気づかなかったのか]

それは加害者から見ると抵抗しているように見えないのです。不思議な話ですよね。性暴力事件でも加害者が同じことを言っています

合意があると思っていた。」

いじめ加害者であったと気づくまでは意味のわからない犯罪者思考だと思っていました。しかし、思い返してみると私も冗談で「やめてよ」と言っていると思っていました。なので、クラス替えが行われない限りいじめは続きました。


そして現在Rとの交流は無いですが、Kとはテスト前にプリントをもらったり互いにお土産を渡したりと交流が続いています

しかし、あくまでこれは親同士の交流です。Kは私以上に受験勉強が忙しく、K本人とは数年会っていません。






みなさんはここまで読んで私のことを「クズだなあ」と思ったことでしょう。

正解です










犯罪者戯言に付き合っていただきありがとうございました。

2019-09-11

私が某漫画作品を嫌いになった理由

作品のものに罪は無いため名前は伏せますが、私は昔、ある漫画作品が好きだった時期がありました。なぜ嫌いになったのか……その作品が好きだという人達嫌がらせされたためです。

私は生まれつき発達障害を持っていて、まだそれが分かっていなかった幼稚園小学校低学年の頃はよく周囲とトラブルを起こしていました。障害が発覚して中学から特別支援学級に入りましたが、知的障害身体障害以外の障害認知度が低い時代で、「わがままなだけなのに特別扱いされている」と周囲には思われて嫌がらせされていました。そして田舎の小さな小学校故に学年が上がってクラス替えが行われたとて標的が移ることも起こらず、中学に上がってから小学校の頃のことを知っている人達面白半分で言いふらしたことにより嫌がらせが沈静化することはありませんでした。教員対応もクソとしか言えない杜撰ものでした。

そうした学校生活を送っていた私は友達がいない、というよりも友達というものファンタジー存在だと当然のように思っていました。でもそれでも、幼稚園の頃から11年ずっと無害な存在だったある人だけは、少なくともコイツ自分を害することはないだろう、という程度には信用してはいました。なのにソイツは裏切って、周りが嫌がらせしてきたところに一緒になって嫌がらせしてきやがりました。この時は相手の方が悪いことをしたというのが教員から見ても明らかな状況だったため、一応後になって注意が入り、謝罪はされました。でも、その数日後にまるで何事も無かったかのように平然と話しかけてきました。その連中の中には一定の信用を置いていたやつもいましたが、そいつも纏めて拒絶しました。そうしたらそいつらは「コイツしつこい」みたいなこと言って去り、孤立しました。拷問されろ。その後も数年は年賀状そいつから送り付けられてきました。全部ゴミ箱。楽に死ぬな。

高校は「不登校経験者が多く来る場所」とオープンスクールで言っていたところを選びました。痛みを知る人達なら、少なくとも危害を加えてくることは無いだろうという判断でした。建前死ね

かに半分は不登校経験者でした。話しかけてきてくれた人もいました。数ヶ月後のもうグループができてしまった時期に、姉に似ていてコンプレックスが刺激されるから無理と拒絶されました。その姉とは関係ねーこっちからすれば「は?」としか言いようがなかったけども、いざ再び独りになってみると楽なこと楽なこと。移動教室も昼休みも一々誰かに合わせて行動するのが窮屈で、一人の方が気楽だってことを自覚しました。グループに入ることができなくなるタイミングだったことも気にならなかった。

生徒達の半分の一団、その高校しか入るとこがない成績のDQN共に目え付けられましたよえぇ。ただ、そいつらはウザったいけど大して問題はありませんでした。ちょっと髪がカラフルなだけのニヤニヤしながら通せんぼするぐらいしかできねえ小心者共なんざ、中学の頃嫌がらせしてくるやつの主犯と拳で語って殺意が生まれる(友情じゃない) ような関係だった私からすりゃ自分じゃ何もできないくせに囃し立てるだけの野次馬連中と同程度。目にかける価値もない。

問題はある二人の女生徒でした。そいつらは最初普通にしかけてきていて、害が無かったか普通に返事してました。某漫画作品好きかと問われれば好きだと答え、どのキャラが好きかと聞かれればあのキャラが好きと答えました。なんてことないただの会話で、互いの好きなキャラ同士に特に接点もなかったこともあり、特にその作品ファン同士として盛り上がることもありませんでした。

それが一転して嫌がらせをされたのは、体育の授業中のこと。バドミントンの2vs2の授業で相手はその話しかけてきていた2人で、私は組む友達がいないか先生と組んでいました。先生バドミントンに慣れているのはまあ仕方ないでしょうが、そうは言っても私も運動神経はまあ普通よりは少しいい方で、小さい頃お母さんに教わった戦法を駆使して勝ちました。視線を向ける方向とは反対の位置に打ち込んだり、思いっきり振りかぶっておいて前に落としたり。試合形式なんだから当然です。

それをあろうことはあの二人は、先生と組んでるからそっちはその時点で反則だだなんて言い出して。その上悪口を言いまくった後反論すれば「それは先生に言ったんだ」「自意識過剰挙句の果てには「せっかく話しかけてあげたのに」

最後一言が何よりも許せなかった。私は独りでいることが気に入っていたのに勝手に独りだから可哀想と決め付けて、恩を売っているつもりになって気に入らなければこちらのせい。

人間不信人間嫌いになった決定的瞬間で、同時に某作品を嫌いになった瞬間でもありました。

アイツらと同じ作品が好きなのが嫌で、僅かでもアイツらと同類な点を持つ自分気持ち悪くて、それで嫌いになりました。

からどうしろとは私は言いませんし、誰かにこうしてほしいなんて望みももっていません。誰かの好きを消さないためにも嫌がらせなんてしないであげてーなんて言うお綺麗な心なんざ小学生の頃にドブに捨てました。嫌がらせ? 私にしないなら勝手にすれば? 自分みたいに不幸な人間が他にいないとか気分悪いし。ただし私を巻き込むな。

2019-09-07

女子校時代に出来なかった片思いの恋バナを5年経った今だから

私は中高が一貫の女子校で、その間ずっと恋する乙女だった。恋した相手の数は4人。すべて片想いだった。それでも楽しかった。しかし女でありながら女の人を好きだと言うのを周囲にバレるわけもいかず、恋バナなんてしたことがなかった。高校卒業してから何年も経ち、多くの友人は共学の大学に通うようになったり、バイト先や職場で新しい出会いがあるらしく、日々好きな異性のことを沢山話してくれるようになった。聞いていて楽しいけれど、自分も中高の頃隠さずにこんな風に片想いの話を彼女達と共有できていたらさぞかし楽しかっただろうなと思うので覚えている思い出を放出する。前置きが長くなってしまって申し訳ない。とても長い内容のうえに素人文章なのでご注意

中学の時に好きになったのは、同じ陸上部の三個上のA先輩だった。一年生でまだまだガキだった私はそれが恋とは知らなかったけれど、校内で見かけるたびにドキドキしてしまうのでうまく挨拶ができなくて先輩方に叱られた。一年として学年全体で怒られた後に、私に「うちらも怒りたくて怒ってるわけじゃないよ。悲しまないでね。現状を良くしたいだけなの」とフォローしてくれた。一年は居残り時間が30分短く、先輩よりは下校時間が早くて一緒に変えることはできなかった。何かと理由をつけて部活後も校内に残って待ち伏せしたけど話しかけることはできなかった。きもいな。恋だとはわからないままでも自分はすごく乙女だった。部活の汗の匂いが気になって近寄って欲しいけど近寄れなかったり、少しでも可愛くなりたくてスキンケア用品もお小遣い貯めて買ってみたりした。(とはいっても洗顔料化粧水だけ)。部活中は一つ結びしか許されていなかったから、無礼講の部内クリスマスパーティでは髪型を少し変えて気づいてもらえるか試したりした。気づいてはもらえなかった。

中2の時に好きになったのは当時仲が良かった友達Bちゃん体育祭の時に疲れた愚痴ると膝枕をしてくれた。その子自身は体育の男性教員が好きだったからいつも胸がモヤモヤしていた。夏休み家族ハワイ旅行に行った時に友達用にお土産を大量買いしたけれど、彼女にはちょっと特別ものを他の子にバレないようにあげた。その時の笑顔が忘れられないほど綺麗だった。でも恋だとは自覚しないまま終わった。

高一の時に好きになったのは同じクラスのcさんだった。すごく仲がいいわけでもなく、勝手に好きになっていた。席替えで隣の席になれた時にすごく嬉しくて、夏休みに入る目前、恋だと自覚した。自覚してしまうといろいろ早くて(思春期なのもあって)キスしたい、ハグしたい、裸で触れ合いたいとか思うことが増えたけど、そんなことは顔に出すわけにはいかない。夜1人で妄想して、朝になったら忘れて何事もなかったかのように隣の席に座った。挙動不審にならないようにわざと冷たく当たってみたりもした。それでも彼女は優しくて、廊下とかですれ違っても「よっ!」と肩を叩いたりしてくれた。久しぶりに私からしかけると、「やっと話しかけてくれた…無視されて辛かった」と言ってくれたけれど、彼女のそれが恋愛感情からくるものじゃないのは明らかだった。誰にでも優しくて、他人に注意を払うのがとてもうまかった。夕暮れで視界が悪いのに下校途中で私に気づいて手を振ってくれるのはすごく嬉しかった。

高3になってもcのことが好きだった。毎年クラス替えがあったけれど、また同じクラスになった。すごくすごく辛かった。クラスの中心的なその子と話す機会は減った。でもまた奇跡的に隣の席になれた。天にも昇る心地だった。脳内お花畑だったからこれはもう運命では?とさえ思った。調理実習で作ったクッキーを食べて欲しかったけど、スムーズに渡せなくて、席が近隣の子達におすそ分けって苦しい名目で周りに配ったら別の子Dに全部食べられてしまってCの手に渡ることはなかった。Dには怒りが湧いたけれど「美味しかったご馳走さま」と言ってくれたので許した。

しばらくして漫画みたいな出来事が起こった。Dが同じ町内にひっこしてきた。歩いて五分くらいの距離に。私の高校私立で、近所に同じ学校の人がいるという感覚がこれまでなかったので純粋に嬉しかった。これによって謝恩会の準備や話し合いが放課後に近所でできるようになって純粋に楽だった。実は、もともとDの印象はすこぶる悪かった。Dは中3のとき、離れ離れのクラスになったBが新しいクラスで仲良くしていた子だったから。当時Bが好きだった私は勝手にBを取られたような気でどうしてもDを好きになれなかった。

高3になるとみんな受験で忙しくて、委員会なんてする人はいなくなった。でもクラスに必ず数人いなくてはならない卒業式後の謝恩会委員というポジションがあった。これがなかなか決まらないため、ホームルームが終わらない。Dが一緒にやろうと言ってきた。お前は受験はいいのか、と思いながらほかに立候補者もいないし、なんとなくすることにした。私のクラス私たち2人だけだった。謝恩会委員はやることが意外に多くて、Dの受験純粋心配になった。私はAO推薦でほぼ確定だったので積極的作業していた…と思う。ある日、Dの分である作業をなんとなく勝手に進めているととても感謝されて腰のあたりに抱きつかれた。cの前だったから恥ずかしくて腕を振りほどいた。CとDは髪型がとてもよく似ていた。うちの高校キリスト教だったので、全員強制参加の式典が年に何度かあった。秋のある日の式典で、私はどうしても暇でCを目で追ってしまった。それに偶然気づいたDが小さく手を振ってきた。お前じゃない、と思いながらも実はちょっときゅんとした。

ある日の放課後雑談をしながら謝恩会作業中、何気もなしに部活の後輩が好きだったことがあると言ってきた。とてもびっくりした。自分女子校内で片恋ばっかしている人間だったけれど、それを他人に話すということが異文化すぎた。気が動転してそれからしばらくはDのことを避けてしまった。

冬になってまた別の校内式典があった。それは義務ではなくて、行きたい人が行くものだった。99.9%の人が大学進学を希望するのでクラスの中では本番の迫る受験のために欠席する人、気休めと文字通り神頼みのために参加する人の二分だった。CもDもとても頭が良かったから参加するかどうかなんとなく気になった。Cは来ないというのを教室内の会話で知ってがっかりしたが、Dは来ると言っていた。なぜかとても嬉しかった。もしかたらこれが終わって三学期になれば自由登校で友達に会えなくなるからかもしれないと勝手に納得した。

それからしばらくしてDに放課後に呼び出された。理由は私が避けすぎたためだったらしい。Dは私が最近は目も合わせてくれないと言って泣いた。とても驚いた。避けている自覚はあったけれど目を合わせていないなんて自覚はなかった。だから今度は目を見て話を聞こうと思った。でも出来なかった。そこで初めて私はDが好きなんだと自覚した。目を合わせられないのはあの有名な歌詞通り、見つめ合うと素直におしゃべりできないからだった。急に恥ずかしくなって帰りたくなった。でも帰ったら一緒にいられないと思うとどうすれば良いのかわからなくなって、とりあえず適当に謝ってから家が近所なこともあって一緒に帰った。

謝ったと言ってもそれでまたDとおしゃべりなんてできるようになるわけがなく、言いたいことは全部紙に書いて伝えるようになった。本当に恥ずかしくて会話ができない。でもDと交流したい。Dは手紙にして返事をくれたりした。とても嬉しかった。それから冬休みに入って、三学期になって学校に行くことがなくなっても手紙のやり取りは双方にとって近所の公園に貼り付けるという約束になって続いた。

バレンタインになった。何か渡したいけれども渡す時間を取らせるのも申し訳ない。公園手紙と一緒に食べ物を置くのも憚られる。代わりに手作り学業成就のお守りを使って置いておいた(重い上にキモい)。お世辞だろうとも喜んでくれた旨が手紙に書かれていた。嬉しくて家でニヤニヤしていたら家族キモいと叱られた。

その後、彼女第一志望の受験前日は3つも神社をお参りしてクジを引いたら大吉だった。うれしくなって、おみくじのことと、明日受験頑張れと書いた手紙を貼った。結果発表の日が過ぎてもDから連絡は来なかった。催促するのもよろしくないのでそれから次の登校日まで待った。

合格者発表から日経った次の登校日、学校に行くとほぼ全員受験ストレスから解放されていた。教室ではDが他の子達となんと恋バナをしていた。他のクラスメートたちが、受験期中に同じ塾の男の子相手に密かに恋をしていたこととかを話していた。D自身はどうなんだろうか、不安になった。聞きたいけど怖くて聞きたくないので「いいなぁ楽しそう。もっといろいろ聞かせて?」と他の子に聞いた。するとDが「じゃあ〇〇も恋バナすればいいじゃん。好きな人いないの?」と聞いてきた。胸がとても痛かった。その日のうちにD本人から、実は第一志望に合格していたと聞いた。嬉しかったけれど、どうしてすぐに伝えてくれなかったんだろう。そんなこと話す間柄とすら思ってもらえてないのかと、また胸が痛くなった。

卒業式の帰り、謝恩会も無事終わり、クラス打ち上げ解散に近づいた頃、Dに、今日は一緒に帰ろうと言ってもらえた。とても嬉しかった。私の大学地方だったから多分これがDに理由もなく会える最後だと思うと泣きたくなった。帰り道は何も話さなかった。誤差の範囲だけれどDの家に先についた。お別れの時だ、と思ったら、Dがマンションの共有スペースまで上げてくれた。一緒にケーキを食べた。告白するべきかしないべきか、すごく悩んでケーキを食べ終わってもずっと無言で泣いてしまった。Dは私が何かいうのを待っているようだった。その時、母親からもう帰って来いと電話が来たので仕方なくさよならを言った。Dは地方でも頑張ってと応援してくれた。私は泣きながら短い距離を帰った。

本当のところはわからないけれど、おそらくDは私がDを好きだと気付いていたんだと思う。でもわたしには告白する勇気もなければ、このあと地方自分は行くのに、Dが大学彼氏を作るのを見ているのは辛くて無理だった。大学に入ってしばらくして、私は、自身では記憶にないが飲み会で盛大に酔っ払ったらしく、ライン電話でDに泣きながら告白していたらしい、というのは飲み会に参加していた別の友人に聞いた。Dのリアクションはわからない。電話口だったので私にしか聞こえていなかったし、私本人が酔って忘れてしまった。そのうち、私が1回目の帰省をする頃には風の噂でDに年上の彼氏ができたことを聞いた。私は泣いた。多分もうDとも関わることなんて、同窓会以外ないだろう。私はいつまであの時に囚われているのかわからないけれど、あれ以来人を好きになったことがない。もう22だけれど、中高で経験した以上の恋愛ができる気がしない。それでもいいと思っている。後悔もない。充実した青春だったし。これが私が学生時代、仲の良かった友人としてみたくても出来なかった恋バナの内容。

2019-09-01

命を軽く扱おうとしていた

中学生の頃、とある地方都市に住んでいた俺は、毎日電車通学をしていた。

ある日、学校からの帰り道、駅のホーム電車を待っていた。いつも一緒に帰る友人達とは別行動で、一人ベンチに座って本を読んでいた。遠くの方で同学年の女子達が何やら騒いでいる。どうやらその内の一人が名札を線路に落としてしまったらしい。

本当なら駅員を呼んで拾ってもらうのが正しい行為だろう。だがその時の俺はそうしなかった。ホームから線路に勢いよく飛び降りて、名札を拾い上げた。

あの時の俺は漠然とした不安の中にあった。クラス替えで仲の良い友達達と離れて、反対に気に食わない奴等が集うクラスに放り込まれて磨耗していた。好きだった子に振られた。父が単身赴任で家に不在がち、その代わり母とぶつかった。進学校自称するくせにやけに厳しい校則が煩わしかった。在学している中高一貫校を抜け出して、別の中高一貫校への進学を考えていた。

今になって思えば、どれも瑣末なことでしかない。でもあの時の俺はその一つ一つが重なり合って、漠然とした不安の中にいた。ふと自分の命が消えてしまってもいい。そんな感覚だった。

あの日、名札が線路に落ちているのを見かけて、死ぬ理由を見つけられた気がした。線路飛び降りて、名札を拾おうとして、轢かれて死ぬ。あっけない最期

でも現実はそう上手くいかなくて、地方路線から電車が来るまでには時間があった。難なく名札を拾い上げた俺はホームの上までよじ登ると、別のクラスほとんど話したことがなかったテニス部女子に名札を渡した。一連の動きを見ていた彼女は驚いた表情で、ありがとうと言った。

田舎学校の最寄り駅だからか、ホームには人もまばら。一般客、ましてや駅員さえも俺の行為に気づいていなかった。端から見れば格好つけた中学生の危なげな善行は、誰にも咎められることはなかった。

あれから10年以上。しょうもない希死念慮が湧き上がってきた時、あの日のように死ぬ理由こじつけられないかと考えてみる。物事はそう上手くいかないもので、理由はどこにも転がっていない。死ぬ理由に遭遇することはなく、かと言って積極的に命を絶つほどの勇気は持てず、そのままだらだらと生き長らえていく。

2019-08-30

anond:20190830105127

2019-08-27

■”聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

***********

今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された自分も同

2019-08-27

anond:20190827144510

人をいじっていた側がいじられる側に転落したり、いじられていた側がクラス替えしたとたんにいじる側になっていたり、というのを度々見てきた。

いじられるのは生まれつきの固定的な宿命であり、一生どうにもならないから、生まれおすしかないみたいな言い方にはピンとこないなというのが自分感覚

優位性って意外と流動的なものなのでは。

元増田も、自分ポンコツ度が弱まるような強みを生かせる場を探したり、逆に自分より程度のひどいポンコツが多い場所に移動したら、多分いじる権利は得られる。

本当にいじる側がうらやましければだけど。

聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

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今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41

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