はてなキーワード: 枯葉とは
終わったこと
弁当作り2
洗濯2干すまで。乾かなかった
トイレ掃除1 もう一箇所は出来なかった。
車の洗車、拭き取りのみ 車内清掃は出来なかった。
夕飯作り 子供は野菜スープを食べられず。でもご飯は多めに食べられた。果物かヨーグルトをあげると良かったし、薬も飲ませ忘れ。
粗大ゴミは寝具、外の物、棚、絨毯を出した。棚の運び出しにあたり棚に入っていたものの処理は出来ず。掃除も出来ず。オムツのゴミ箱は取っておくことにした。
子供の送り迎え 皿洗い 風呂掃除。風呂は湯船から悪臭がして二回洗った。
ドラッグストアで洗剤や食品を買った。トイレ用芳香剤を久しぶりに買った。アース製薬のトイレのスッキーリ !というのがいい匂いでユーカリとか入ったのを掃除できた方に投入。
風呂に子供を入れられず。制服のまま寝てしまったのを寝たまま着替えさす。良くない。自分は入って髪も洗えた。生き返った。
[出来なかったこと]
居間の掃除 おもちゃ片付け 服片付け 掃除機かけ クイックルで拭く →土曜朝皆が起きる前に終わらせる
古着屋に服を持っていく→ 一先ず保留
車内の掃除 →土曜朝皆が起きる前に終わらせる
ゴミ箱を洗って干せなかった →日曜にする
草むしり残り →月曜朝までにする
元の棚があった場所に別の棚を設置し、中身を設置、片付け
朝10時に出発
[できると嬉しいこと]
フロアマット洗い 食品の床下収納の掃除、在庫のチェック チェックを元にドラッグストアとスーパーに買い出し 子供のタイツかレギンスを買う 靴洗い2 {庭のプランター、重い鉢の移動、枯葉集めて捨てる}→月曜朝までにする
冷凍庫の物で夕食のメインの物を作る
ご存知の通り、2019年7月1日から施行された「改正健康増進法」では、第一種施設(病院・学校・行政機関)では敷地内全面禁煙となった。
例外として「屋外で受動喫煙を防止するために必要な措置がとられた場所に、喫煙場所を設置することができる。」※1 ということで、施設によっては敷地内に喫煙室を用意し愛煙家の方々に配慮をしているところもある。
オリンピックを迎える2020年の4月1日には、全面禁煙対象となる施設がさらに増え、屋内は原則禁煙となる。
この増田では、改正健康増進法の施行から3ヶ月経過した現状を、とある大学を例に挙げ報告したいと思う。
ここに挙げる事例を、2020年4月1日の「屋内原則禁煙」に向けての反省材料として、広く活かしてもらえればと思う。
東京X大学。最近はメディアの露出も増えてきたことで、以前は間違われがちだった他大学と混同されることが少なくなってきた。これを読んでいるあなたも、恐らく名前くらいは聞いたことがある程度の知名度の大学だ。
しかし悲しいことに、都心に位置しつつも、お国からの運営交付金は国立大学の中でも下から数えた方が早いレベル。都内の大学に限っていえば、下から数えるのに五指も必要ない。
そしてこの社会情勢である。「生産性がない」「社会にすぐに還元できる研究がされていない」「論文数が少なすぎる」「運営交付金の無駄だから早く潰したい」とすら考える政治家・役人もいるだろう。
さて、そんな東京X大学にも改正健康増進法の波が押し寄せてきた。
先に書いておくと、もともとこの大学の学生の喫煙率は高い。入試の倍率が高く、成人済みで入学してくる学生が多いのも理由の一つだろう。
数十年前と比較したら少なくなったのだとは思うが、それでも喫煙者は教職員・学生の5%前後はいると思われる。
普段からタバコを燻らせている学生をよく見かけたし、喫煙所には常に人がいた。タバコ臭い研究室でゼミを行うなんてこともザラだった。
心配を横目に、その日は近づきつつあった。
学内のいたるところには「7月1日からは学内禁煙」となる旨を周知するポスターが貼られ、喫煙所であった場所からは灰皿が全て撤去された。
一部(法改正を理解していない)学生の反対運動があったりもしたが、準備は万端かと思われた。
「やればできるじゃないか」
敷地内禁煙のために奔走した事務職員は安堵したことだろう。
改正健康増進法施行後しばらくは、学内で喫煙をする者を見ることはなかった。
「受動喫煙を防止するために必要な措置がとられた喫煙場所」のお陰かとお考えのあなた。
甘い。
運営交付金下位の貧乏大学である東京X大学に、「必要な措置が取られた喫煙場所」を設置する金銭的な余裕はない。
喫煙場所を作らずに7月1日を迎えたのだ。これにはタバコを吸う・吸わないに関わらず、色々な立場の人から異論が出たと思う。
他の大学同様、この大学も7月末には前期が終わり8月からは夏休みが始まる。
タバコを見ないまま夏休みを迎え、そして後期になるのだろう。敷地内原則禁煙は成功したのだ…。
そう楽観視できたのは、7月に入って最初の1週間だけだったように思う。
7月の第2週にはすでに学内のあちこちでタバコの吸い殻を見かけるようになり、第3週には喫煙者をも見かけるようになった。
施行後1ヶ月経たずして、東京X大学では改正健康増進法は形骸化した。
改正法施行前は学内の数カ所に喫煙所があり、灰皿が置いてあった。
喫煙所はなるべく講義室などから遠い場所に設定され、喫煙所に通じる扉は「開放厳禁」とされ、不完全ながらも一定の分煙がなされていた。
非喫煙者からすれば、たまにタバコの匂いがする場所がありつつも、そこに近づかなければ我慢はできるというレベルだった。
一部の喫煙者は喫煙所の掃除こそしなかったものの、灰皿に溜まった吸い殻は進んで捨て、燃えさしの処理もしていた。
しかし喫煙所が廃止された今、モラルは完全に崩壊し状況は悪化しつつある。
もともと喫煙所だった場所は「人目につく」という理由で、一部の隠れニコチタン達から避けられるようになった。
かわりに非常階段や、木々が茂り枯葉でいっぱいの緑地などがヤミ喫煙所として選ばれた。
よく訓練された喫煙者は未だ「元」喫煙所で喫煙を続け、灰皿がないので、その場に吸い殻を捨てている。
さすがに教授・事務職員レベルの教職員は禁煙ルールに従っているようだが、元喫煙所やヤミ喫煙所では、学生のみならず助手や講師と思しき人々の顔を見かける。
敷地内禁煙を訴える張り紙には、居直ったような趣旨の芸術的なラクガキがされている。
喫煙者が開け放った非常階段は煙の吸気口となり、屋内では改正法施行以前よりも濃くタバコの臭いが充満している箇所さえある。もちろん、階段のあちこちに吸い殻が落ちている。
また燃えやすい木材などの陰、枯葉の近くに無造作に捨ててある吸い殻を見かけることもあり、空気が乾燥する時期には失火の可能性もある。
学内のあちこちで狼煙が立ち昇るようすからは、もはや圧政に弾圧されし悲しき殉教者たちより、反体制を胸に秘めたゲリラが想起させられる。
伝聞ではあるが大学としても禁煙問題には頭を抱えていて、たびたび会議の議題にも上がるらしい。
しかし話を聞く限りでは「吸い殻」の方が問題視されているように思える。
「吸い殻が無い = 敷地内禁煙は成功している」ということなのか、いかにも日本的な論理だ。
学内喫煙をたしなめられた喫煙者が「いや、吸い殻は捨ててないですよ!」と慌てて反論しているのを見かけたこともある。
そういう問題じゃないぞ。
実際に国から違反を指摘され罰金を払う、もしくはタバコが原因の火災などの事故が発生するまで、この大学では状況は変わらないだろう。
これは別に組織を批判しているわけではない。何故ならば下で述べるように、問題は大学に止まらないからだ。
施行後3ヶ月が経過し、第一種施設(病院・学校・行政機関)である東京X大学に頻繁に出入りし、改正健康増進法を調べるなかで以下の問題点を感じた。
以下に、詳細を書く。
補助がないと喫煙場所が設置できない懐事情の組織が、実際にある。ここで述べたように、結果として改正法施行前より状況が悪化する可能性がある。
またもう少し積極的に禁煙を推進するような施策を実施しないと、改正健康増進法自体の意味・意義が薄いと感じる。
この法律について、国は要するに「ルールだけ作って、あとは施設の管理者に全てを丸投げ」しているようにか思えない。
厚生労働省などは、この法律の施行にあたりHPに特設ページを設けている※3。施設の管理者に向け改正法をことこまかに解説していて、相談窓口もある。
非常にわかりやすいし必要な情報は一通りまとまっている。一市民として、法律は常にこのように分かりやすくまとめられるべきだと思う。
しかし同時に、施設の利用者向けの情報がほとんどない点も気になった。例えば喫煙場所に不備がある病院を見つけた場合はどうすればいいのだろう?この増田のように、違反者だらけの第一種施設についてはどこに報告すればいいのか?
罰則規定があるにも関わらず、違反者がいた場合の有効な対処方法を考えてないのではないだろうか?
喫煙場所の設置には排煙設備・敷地などが必要だ。組織の規模によっては大きな負担となりうる。施設の管理者側に立てば「滞在中くらいはタバコを我慢できるだろう」と考えたくなるのはよくわかる。
しかし喫煙者のニコチンに対するリビドーを甘くみてはいけない。外を歩いているときに下を向いてほしい。道端に捨てられているゴミのほとんどがタバコの吸い殻だということに気づくだろう。
施設の管理者は「喫煙者のために喫煙場所を用意せねば、必ず環境が悪化する」という認識でいる必要がある。
目先の負担を気にしてばかりいると、長期的には環境維持コストがそれを上回る可能性もある。施設や組織によってはブランドイメージの毀損にも繋がると認識した方が良い(もしブランド力があれば、の話だが)。
もしあなたが東京X大学の学生であり学内喫煙者であるならば、改正健康増進法には罰則規定があること、違反した場合には施設管理者に50万円、違反した喫煙者に30万円の過料が課せられる※4ことを覚えておいてほしい。
学生が払った学費は、いずれ改正健康増進法の過料として支払われることとなるかもしれない。
貧乏大学の学びの環境の悪さを憂う前に、襟を正してみてはどうだろうか。
そしてもしあなたが教職員なのであれば、もう少しちゃんとこの問題に取り組んでほしい。
※1 https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000489407.pdf
※2 中小事業者向けの補助・控除はある。第一種施設については記述を見つけられなかった
※3 https://jyudokitsuen.mhlw.go.jp/
※4 https://www.mhlw.go.jp/houdou_kouhou/kouhou_shuppan/magazine/2018/11_01.html
少し前に大胆に要約すると「ありとあらゆることに対してやる気がないので、こうすればもっと良いとかは重々承知の上で結局やらない。」という内容を投稿した増田だが、やる気がない影響でやってない化粧についてちょっと思うことがあったのでだらだら書きたい。
私は面倒なので化粧をしていない。興味も無い、ちなみにファッションにもまるで興味が無く、楽な服を着ていたい。冬じゃない限り家では服を着ることすら面倒になっているが、流石に醜いので(あと犯罪なので)外に出るときはちゃんと服を着ます。そんなレベル。
当然化粧というものは、一生懸命勉強して何度も繰り返して努力を重ねていけば、デブスがブスに、ブスが普通に、美人は何しようが美人に、なれるものなんだろう。そういう意味では生まれながらにブスである私の為にあるようなものなのかもしれないが、いかんせん興味がない。どれだけ面倒でも興味があればいいのだが、本当に興味がない。のでやらない、やりたくない、やり方も知らない。
けれども化粧は今の日本ではマナーらしい、マナー違反だ、女を捨ててる、頭がおかしい、そんな言説で溢れている。現状もそういった意見を封殺して化粧をしていないので、なにがあっても私は化粧をしないと思うけれど。
化粧はマナーだ、という主張の一例として「男性のネクタイとか髭を剃るみたいなもの、制服の一部。」「やりたくなくてもやらないといけないもの」というものをそこそこ見かける。私は自分を飾り立てることに興味がないが、同じくらい他人にも興味がない。それゆえに、別に男性がネクタイしなくても、髭剃らなくても全然気にならない。他人へ迷惑がかからなければ好きにしてくれればよくないか?と思う。
誤解されたくないがマナー軽視という訳ではないのだ、行列を作るとか、公共の場を汚さないとか、そういうものは大切だと思う。そもそもマナーやルールというものは、より効率的にトラブル無く日常が進むように自然と発生するものもある、前述だと列を作るという行為がそれにあたるだろう。または同じ場所を共有する群として、他人に著しく不利益をもたらす行為、公共の場を汚すだとか、他人の邪魔をする、暴力をふるう、化粧や服飾で言えばどれだけ面倒だと捨てている私でも匂いや汚れは気にする、他人を攻撃したい訳ではないからだ。どんなに面倒でも、嫌いでも、それが他人に著しく不利益を強いるものであるならば、きちんとやる、それくらいの社会性はあるのだ、逆に言えばそれだけしかないのだが。
そういった最低限のマナーに化粧とかネクタイとか髭とかをいれるべきなのかなぁ?とつい考えてしまうのだ。わざわざ身銭を切って面倒だなぁと思いながらも守るべきマナーなのだろうか?と。でも別にここで声高に「だから化粧をやめるべきだ!マナーだと我々の自由を侵害する化粧に鉄槌を!!」などと主張したい訳じゃない。そんな面倒なことは絶対にしない。やりたい人はやればいいし、でもやりたくない人にもやるべきだと強く言うべきことなのかなぁ~と、秋風にささやかに音を鳴らして飛ばされ行く枯葉のようなカサついた疑問だ。
化粧やネクタイや髭、それ以外にもある、接客の丁寧さとかだ。私は別にコンビニ店員さんが一ミリも笑わなくても嫌じゃない。いらっしゃいませもありがとうございましたもなく「レジお願いします」「…367円」「ウス」(出しましたの意)「ッスー」(受け取ったの意)程度でいい、全然困らない。一応言っておくが、商品が汚いとかおつりが出てこないとか正規じゃない金額をふっかけられてもいいという意味ではなく、最低限の「物と商品を決まった価格で購入する。」ことが出来れば、そんなにヘコヘコ丁寧に接客されなくても別に構わないという意味だ。
気になる人がいることに対しての怒りとかじゃない、気にする人もいれば、気にならない人もいるだろう、そのほうが楽なんだからお前の感情を殺してこっちにあわせろ!!と言いたい訳じゃない。でも接客とかでこちらに問題がないのに鬼の首を取ったように騒ぎ立てる人とか面倒くさいしそんなに気になるならもうちょっと金出していいとこ行けとも思わなくも無い。ちょっと本音が出た。でも別に気にする人、どちらかと言えばそちらの人の方が真人間なんだと思うが、その真人間の方を不快にしたい訳でもないのだ。そういう意味では服飾規定、ドレスコードはあってしかるべきだと思う。この場全体の雰囲気をキープするためにある程度のルールを守ってくれよと言われれば従う。いやまぁ化粧はマナー派は社会全体の雰囲気をキープしたいからそう言っているのか…と思わなくも無い。ごめんな化粧しなくてな。
まぁそういう訳で、めんどくさいレベルによって階層を分けてめんどくさいが集まるめんどくさいスラムがあればいいのになって。めんどくさいスラムだからといって物価が安い訳じゃなく、ただただ化粧をしなくても、お洒落をしなくても、店員が無愛想でも、自分も他人もどうでもいいスラム。
そこで何をするかって?決まっている、面倒で興味が無い化粧をせずとも後ろ指刺されず好きに出回るのだ。おや?今と変わらないな?あぁそうかやっと気付いたよ、あいつは駄目だと他人をけなし、好き勝手やるやつらも一定数いる、安価な値段でサービスを提供する店には罵声がひっきりなしに届く、現世はスラムみたいなものだったのか。(砂に埋もれた自由の女神が映る)
私は虫が怖い。
当然触りたくないし写真も見たくない。
芋虫毛虫に関しちゃこうしてタイピングするだけでぞわぞわするし、文字を見ただけでも心拍数が上がる。
虫遭遇率が低いというだけで東京に住んでいるし、虫を幻覚で見たくないからという理由で酒も薬も全く興味が沸かない。
理由なんて無い。とにかく怖い。姿を見ると正気を失う。死骸すら片付けられない。葉が生い茂ってる木の下は走って通り過ぎる。
学生時代は理科の教科書が怖くて仕方がなかった。小学生の頃は理科の虫のページを持って何人もの男子に追いかけられた。
好きな漫画に虫が出たら読むのをやめるしか無かったし、ポケモンだってキャタピーがおぞましくてプレイがしんどかった。
虫遭遇率を下げてくれるコンクリートジャングルと農薬は最高だ。無農薬野菜なんて恐ろしくて触れない。
こんなんでも小さい頃は田舎に住んでいた。その頃から虫が駄目だった。そこかしこに虫が溢れる外は恐怖の空間でしか無かった。
かと言って田舎なので室内でも安心出来なかった。遭遇する度にぎゃーぎゃー泣いてうるさかったと親は言う。
とにかく筋金入りなのだ。
種類なんて勿論関係無い。私は虫に対して平等だ。ゴキブリも蝉もカブトムシも蝶々も蛍も全て等しく恐ろしい。
えー?蝶々も?!じゃねぇよ。どこからどう見たって虫だろうが。むしろ大丈夫な要素ねぇよ。
どっちかって言うとゴキブリNGでカブトムシOKな方が意味解んねぇよ。言う程造形違うか?
第一これも?あれも?って妥協点探してどうするの?どれも怖い。とにかく全部嫌って言ってるでしょ。日本語通じないの?
虫の方が怖がってるよなんて事もよく言われる。だから?という感想しか浮かばない。
あっちがこっちを恐れているからどうした?それで何が改善する?
とって食うわけじゃないんだからともよく言われる。だから怖がるなと。
ジェットコースターだって安全基準はクリアしてるのに怖いだろ。恐怖は理屈じゃないんだよ。
田舎に行けば慣れるよって言うけどなんで慣れなきゃいけないの?
田舎育ちだって言ってんの聞こえなかった事にしてんじゃねぇよ。耳鼻科紹介してやろうか?
嫌な物は嫌。それを避けて生きていくじゃダメなの?
別に改善したくて言ってるんじゃねぇよ。伝える必要があると思ったから伝えただけだよ。
そのうち気にならなくなるからキャンプ行こうよじゃねぇよ。てめぇとは二度と関わらないからな。
子供が出来たらどうするの?それ私に聞いていいの夫だけじゃない?お前に関係無くない?
なんで親族でも友達でもないただ仕事で繋がりがあるだけのお前にそんな事言われなきゃなんないの?
ついでに言うとどうもしねぇよ。勉強嫌いな奴でも子供作るし料理嫌いな奴だって子供作るだろ。
虫が嫌いだから子供諦める?子宮から抗議の生理痛が来てもおかしくないほどアホすぎる結論だろ。
私もダメなの!!って言ってくるそこのバカ女。お前が一番の敵だ。
お前みたいに自己アピールのために虫嫌い装う奴のせいでこっちまで迷惑してんだよ。
たいしてダメでもないのにギャーギャーギャーギャー騒ぎやがって。
腹から声出してんじゃねぇよ。余裕あり過ぎだろ。こちとら腰抜かしそうで声なんか出ねぇよ。
でも悲鳴あげなかったら意外と平気じゃんってお前は眼科が必要か?
とにかく虫嫌いは受け入れられない。驚くほど受け入れられない。
いくら主張しても信じられない。皆駄目だからと言われ、聞かなかった事にされる。
それならまだいい方で、何故か改善させようとお節介を焼かれる事も多い。
アレルギーを好き嫌いと勘違いし食べさせようとして来るお節介ババアのごとく出没する。
聞いてもいないのにあぁしたら治るこうしたら治ると主張してくる。
それを受け入れなければ出来てもいない子供を引き合いに出されて糾弾される。
虫はどこにでも出没する。
家の中でも外でも関係無い。出る時は出る。
東京には虫が居ないと言うが、蝶々もハエもカブトムシもゴキブリも居るし、なんなら蛍だって居る。
私はその陰に日々怯えている。道端を転がる枯葉を虫と見間違えて心臓が止まりそうになるなんて事は日常茶飯事だ。
そういう時私の体は全身の筋肉が硬直して、他の音が聞こえなくなるほど自分の鼓動が大きく聞こえるようになる。
当然呼吸も乱れる。元の状態に戻るのに3~5分はかかる。全身に力が入るせいかどっと疲れる。
勘違いしないで欲しいが私は虫に滅んでほしいとか皆殺しにしたいなどと言う気持ちは抱いていない。
私だって義務教育を受けているのだから彼等が生態系に必要な事は解っている。
どちらかというと滅ぶべきは私だ。
ただ、出来る事ならば生息スペースを完全に分断したい。勿論できない事は解っているから口には出さない。
もしもこれを読んでくれる人が居たならば、他人が怖いと言った事を安易に克服させようとしたりしないでほしい。
恐怖は理屈では解決できない。本人にも理解できない圧倒的な恐怖が体を支配するのだ。
世の中の恐怖症は高所や閉所だけではない。
ひょっとして、ミノムシを見た事が無い人も多いのだろうか。ミノムシとは蛾の幼虫で、枯葉や枯れ木を身にまとって蓑を作り、枝や壁にくっつく虫の事である。僕が子供の頃はそこらじゅうに居た記憶があるが、言われてみれば十年以上見ていない気がする。ミノムシの蓑を解体して、中に居る幼虫を取り出して、細かく千切った折り紙と一緒に箱に入れて、カラフルな蓑を作らせるなんて遊びもあった。中に居る幼虫の見た目が気持ち悪いけど、蓑の状態だと何だか可愛くて、僕は結構好きだった。
そう言えば、ひっつき虫も見なくなったなぁと思っていたら、こっちも絶滅危惧種に指定されていた。ひっつき虫とはオナモミという植物の種で、硬い殻の周りにトゲトゲが付いていて、それが衣服にひっつくのでひっつき虫と言われていた。これも僕が子供の頃はそこらじゅうに居て、友達に投げて遊んだり、ポケット一杯にしまったら取り出せなくなって親に怒られたりした記憶があるが、やはり十年以上見ていない気がする。しかしこれは「オナモミ」の他に「オオオナモミ」という似たような外来種があって、オオオナモミはたくさんいるようだ。僕が子供の頃に見たのがオナモミなのかオオオナモミなのか分からない。見なくなったのも、単に僕が原っぱに行くことが無くなったからかもしれない。
これらは外来種の増加による環境の変化が原因らしいけど、たかだか20年くらいで絶滅危惧種になってしまうほどに減少している事は問題だと思う。それに僕の娘が大きくなってもひっつき虫やミノムシで遊ぶことが出来ないのは何だか寂しい。
このように、今あたりまえのように居るモノ、見ているモノが、将来絶滅に瀕する事は、これからも起こり続けるのだろう。それは何も動植物に限った話ではない。例えば僕が小学生の時は女子の体操着はブルマーだったが、今では消滅した。また、僕が中高生の時はルーズソックスが女子生徒の間でスタンダードだったけど、今ではほとんど見る事が無い(近年復活の兆しがあるらしいけど)。AV方面の話についてはあまり明るくないけど、近年は黒ギャルモノが衰退しつつあるらしく、また女子高生モノも僕が高校・大学性の頃に比べれば、その数を減らしていると感じている。
こう考えてみると、例えば今はたくさんいるAKB48やエグザエルも、いずれ絶滅の危機に瀕する可能性があるのだろうかと考える。48グループ(国内AKB、SKE、NMB、HKT、乃木坂)は現在研究生を含めたら363人いるらしい。って363人もいるのかよ。これには素直に驚いた。ちょっとした限界集落より多いだろ。そしてエグザエルは現在19人。しかし2006年当時5人だったエグザエルが9年間で約4倍にその数を増やした。このままのペースで増え続ければ2022年には72人、2030年には274人に増える試算もある。エグザエルの繁栄がいつまで続くのかは分からないが、栄枯盛衰などと言われるように、何事もいつかは必ず衰退する。往々にして発生⇒繁栄⇒最盛⇒複雑化⇒簡素化⇒衰退を繰り返すものである。AKBだっていずれ解体・簡素化のいずれかは起こるだろうし、エグザエルもその数を減らすだろう。
そうなってくるとAKBもエグザエルも絶滅危惧種に指定、レッドリストの仲間入りする未来も、そう遠くはないだろう。貴重種になったAKBとエグザエルは、その価値が高騰。金持ちの道楽として高値で売買されるのは時間の問題である。必然としてAKBハンター、エグザエル狩りが出現、乱獲が国際問題へと発展する。もちろん何もしない日本政府では無い。AKB・エグザエル絶滅対策保護団体が発足。政府介入のもと、保護と繁殖を行う。しかし詳しい生態の解明されていないAKB及びエグザエルの繁殖は難しく、同種間での繁殖にはついぞ成功する事が無かった。AKB×エグザエルによる繁殖には成功したものの、そのハイブリットに対する批判が殺到。曰く「そうじゃない」「政府はなにもわかってない」「鬼畜の所業」「どうせ前から繋がってる」「処女膜から声が出ていない」といった声が世論から飛び交った。世論からの批判に押される形で政府は支援を打ち切り。こうしてAKBもエグザエルも淘汰を待つだけの種となってしまった。
時は21XX年。AKBもエグザエルも絶滅が確認された世の中。平凡な男子高校生の主人公はひょんなことからAKBの生き残りを託される。時を同じくして平凡な女子高生であるヒロインがエグザエルの生き残りを託される。襲い来るAKBハンター及びエグザエル狩りとの攻防、そして政府と保護団体の癒着が明らかになる中、ついに両者ともに囚われの身となる。つれていかれた先は地下闘技場。「AKBとエグザエルで殺しあえ。生き残った方に特赦を与えよう。それこそが最高の娯楽だ」と狂気をはらんだ目で宣言するのはなんと内閣総理大臣だ。こんな腐った世の中で生きる意味はあるのだろうか。狂った世界で生きるのならばいっそ死んだ方が。。。絶望する主人公とヒロイン。しかし、いつしか強い絆で結ばれたAKB及びエグザエルは「君を助けるために私は戦う」と闘技場へ歩き出す。悲しき殺し合い。果たして両者に未来はあるのか。全国が興奮の渦に。日本映画の最終兵器。世界よ、これが日本のトップアーティストだ。『最後のAKB48 VS ラストエグザエル』 カミングすーん!
という内容でアクション映画を作りませんか、東映さんあたりで、昔のデタラメなやくざ映画を彷彿とさせる内容で、思うに今の邦画にはこういう胡散臭さが足りないよ、昔のようなギラついた日本映画界に回帰するのだ! そしたら絶対見に行くよ! チミィ!
はてなんの話だったんだろうか。
※追記
エグザエルでは無くエグザイルだということをいま知りました。
なにかの毒の入った餌を喰ったか、もしくは殺鼠剤や枯葉剤のかけられた雑草を喰ったか。
三ヶ月ごとに一匹死んだ。
二日ほど姿がみえないと思ったら、体中にゴミや枯葉をつけて、口から涎をダラダラ流して戻ってきた。
小屋の中の寝床に寝せておいたが、もう今日で死ぬかと思ったあたりになると、力を振り絞って畑の上の茂みの方に這っていって藪の中で隠れるようにして息耐えた。
三匹目の猫は、毛玉取りの雑草を餌を喰ったすぐあとに喰い、せっかく与えた餌をゲーゲー吐く吐き癖がついていたせいか、他の猫よりも数日持ったが逆に言えば苦しみが長引いただけだ。
許せん。
許せない。
怒りに震えて血圧が上がりすぎて気分が悪くなり寝込むことも初めて経験した。
誰だ。
ちょっと家の前の道路で車に乗って60キロ出せと言われたとする。半分寝てても楽勝。終わったら二度寝する
ちょっと家の前の道路で自力で走って60キロ出せと言われたとする。一生かかってもムリ。もう確定的にムリ
俺としてはどちらも嘘偽り無い心の底からの返答であり、馬鹿じゃねーのというレベルの常識だ
しかしよく考えてほしい。つまるところ眠い目をこすりながら60キロ出してる時点でもう人類最速ウサイン・ボルトより速いのだ。ボルトが車道を走ってたらクラクションを鳴らされまくるのだ
スピードが出しやすい場所だと「ありゃどうみても130キロぐらいでてんなー」という車を一般道で見ることすらある
この辺になるとリージュとかボブスレーとかでの最高速度だ。世界トップクラスの人間が安全に配慮された専用のコースを専用の機材を使ってそれでもなお死人が出る。金と時間でだれでも取れる資格しか持ってない一般人が、ちょいとアクセルを踏み込むだけでそういう世界に踏み込んでいるのだ
車とソリとでは制動力とか諸々違うのはわかってる。人間が対処できる速度の話をしている。過去数百万年に渡って死ぬほどがんばっても時速40キロも出せなかった生き物がハナクソほじりながら150キロ出せることの話をしているのだ
獣道ですらない山中の斜面を駆け下りたことがあるだろうか。俺はある
前を向くと障害物しかない。枯葉に隠れて地形すらわからない。地面に穴が開いているかもしれない。足元の岩が体重を乗せた拍子に崩れ落ちるかもしれない。地面を踏んだ拍子に倒木がが跳ね上がってくるかもしれない。そんな状況にありながら自分の脳ミソはどうやって減速するかという算段で精一杯。それ以上は考えるより先に視界から消える
自分が悶絶も骨折もしなかったのは確認もせずに踏み抜いた枯葉の下の地面が、たいした根拠のない楽観的な予測どおり自分が対処できる範囲内の形状だったという理由に過ぎない。30キロも出てなかっただろうに
車でも同じことである
俺が事故で死なないのは俺の運転技術が優れているからではなくて、事故らないようにインフラが整備されているからである
バイクなり原付なり乗ってれば、一度や二度くらい「やべえ今スピード出してたら転んでたわー」と感じる瞬間を経験しているだろう。その原因は全国津々浦々どこにでもある舗装のヒビであったり、濡れた路面だったり、暗くて見えない凹凸であったり。だからなんだよ、というレベルのものに過ぎない
何度でも言うが俺は交通インフラで生かされている。俺の運転技術ではない
しかし街に出るとその有難い交通インフラ様様、速度規制なり信号なり交通標識なりをいとも容易く無視する人間が溢れている
彼らはアクション映画のごとくニトロタクシーで車体に傷ひとつつけずに路地裏のバケツをかっ飛ばせるのだろうか。立体駐車場の屋上からバイクで高速道路に飛び乗ってそのままカーチェイスできるのだろうか
神聖なる交通インフラ様を侵し、自分や他人の命を危険にさらすのと引き換えに何を得ているのか。目覚まし時計に急かされてベッドの中でもぞもぞする数秒以上のものを得ている人間がどれだけいるのか
ほとんどの人間は自分よりはるかに大きな質量を、自分に出せる速度よりはるかに速い速度で動かしながら、それが自分の力であると錯覚する傲慢さを認識すらしない
人を殺しかねない危険な行為を、社会的な免罪符さえあればクソみたいな報酬でためらいなくやるクズがこんなにたくさんいるのがほんとに悲しい
最近一人暮らしの人間に高い買い物をさせようとする記事をよくホッテントリに見かけるが、お前ら何もわかっちゃいない。一人暮らしに必要なのはドラム洗濯機でもジップロックでもない。それはベランダビオトープだ。
なにも最初から大掛かりな本格的ビオトープをやれというんじゃない。ベランダに発泡スチロールを置いて水をためて浮草を浮かべてメダカを泳がせればそれはもうビオトープだ。春の時期にもなるとメダカの産卵が拝めるし、ひと夏かけて稚魚の成長を見守れる。暑い夏も乗り切る。あまりに暑いときは、ビオの半分にすだれとかをかけといてやると優しいな。雪の積もる冬も屋外飼育が可能だ。夜間に水面が凍る程度なら問題ない。秋口に枯れた水草を毛布にして、あやつらは果敢にも越冬するのだ。そして春にもなると、冬の間緩慢な動きだったメダカ達が次第に旺盛に動き始める。枯れた水草から春の新芽が出たときなどは感動すら覚える。
うつ病対策にもなるぞ! 毎朝寝起きにバナナ食って窓を開けて深呼吸してメダカに餌やってる。忙しく動くメダカを見ていると心が洗われるようだ。現実生活がつらくても仕事がうまくいかなくても貯金が少なくても、元気なメダカときれいなビオトープ(ここでいうきれいというのはアートという意味ではない、野性味とか生き生きとしてるとかそんな意味だ)を見ていれば心が落ち着くし、そしてその状況を作り出しているという管理者たる自信に少しだけ心救われる。
日当たりのよいベランダがいいだろう。そこに大き目の発砲スチロールを置く。浮き草はホテイアオイがメジャーだな。ビオ内に土を入れて、水草を水上栽培するのもいい。土があると水質が安定する。大き目のプランダーに土を入れて発泡スチロールに沈めると管理がラクだ。ウォーターマッシュルームとかかわいいよな。慣れてきたら、ヒメタニシやミナミヌマエビを入れてみよう、捗るぞ!
唯一の欠点としては、これを始めるととかく他人にビオを勧めたくなるという点だ。なんでか知らんが多くの人は魚をそんなにカワイイと思わないのだそうだ。まったく解せない!……なーんてことを口に出すと友達が減るからほどほどに。ん?この記事をブーメランだと言ったか?
(追記)
>暑さでメダカちゃん死んだりしないの?
メダカは強い魚なのでかなり暑さに耐えるが、マジレスすると環境次第だ。例えば発泡スチロールでもうっかり色を黒なんか選ぶと当然暑くなりすぎる。水量が少なすぎるのも同様の理由で避けたほうが無難だ。水量が多いと水も汚れにくくなるしね。水草(特に浮き草)を勧めたのは暑さ対策という利点もあるからなんだ。夏は水温を下げ、冬は枯葉が天然の毛布になってくれるわけだよ。ただまあ、トラバでも書いたけど、実際に飼育する場合は自分の住んでるとこの気候と住宅環境を見ながら多少試行錯誤することになると思う。暑さが相当厳しい地方ならやや日陰気味な置き場所にしたほうがいいかもな。ちなみに増田は山陰地方の海辺在住です。今気付いたけど、うちが日当たりの良いベランダでうまくいってるのは山陰がもともと日照時間が少なめだからってのもあるのかな。
>経験者からアドバイスだ。ある日カラスがやってきてみんな食われるぞ。気を付けろよ。
こわい
ボウフラ沸いてもメダカが殲滅してくれるよ。もともと俺は室内アクアリウムの水草の余りを屋外で水上栽培しようと思ってビオを始めたんだけど、貯め水状態だからボウフラが沸く。なのでその対策にメダカを導入した、という流れなんだ。
(ぼくはきみと空を手にとるように)
偽りのない空を眺めては祈りつづけていた
きっと誰かにこの気持ちを伝えることができるだろうと信じて
手探りで何かおもしろいことを探しつづけている
変わったことをしようとひとり黙々と考えたりもする
誰かがぞくぞくすることを与えてくれるなんておもってはいない
自分で探さないかぎり見つからないのが少ない人生のなかで知ったこと
(ぼくは)
きみは何を求めて生きていますか
(予言 きみに届け)
虚言癖のある人
知りたかったこと
知ってしまったこと
教えてくれたこと
教えてくれなかったこと
白い椅子と白い壁
きみは退屈そうに窓に映る自分の姿を見ていた
垣根のなかに入ってしまったボールをぼくたちは見つけることができなかった
25mg と書かれたこの粒を飲んだら何かが変わるのだろうか
25mg でほんとうに幸せになれるのだろうか
誰かに言わせるとそれは毒薬らしいけど
こころの傷口から入った毒はどうやってとりのぞいたらよいのですか
消えてなくなるというのはどういう気持ちですか
おもう言葉は
あらわれては
消えていく
ひどく頭が痛むんだ
ふたつの銃弾は
(銃弾は)
ひとつはきみに
(ひとつはぼくに)
青い煙がとおり過ぎる
冬に枯葉が散っていくようにぼくらも何かから切り離されるときがくるのだろうか
ときどきおもいだしては消えてゆく
他人のふりをするのは
もうやめよう
これはきみとぼくの内緒にしておこうよ
神様って人なの
「曾祖母の納骨を親に”見せられた”小学校1年生の女の子が”PTSD”になってしまったかも」というエントリー。
半数以上の反応が「こんなんでPTSDになるなんて」「親も子供も軟弱」、と否定的で、さらにそれに対して元増田が
みんな、お骨を拾って何ヶ月も悪夢にさいなまれたり発作的に嘔吐したりしながら成長していったのか・・・。
と返している。
どっちも違うなあ、と思った。「ブタがいた教室」に対する是非論と同じ感想。
私は今年26だけど田舎の子だったので「死」は身近だった。
物心付く頃には家に犬がいて今実家で飼ってる犬共の親、祖母、曾祖母と3代を見送った。
1匹はフィラリアであっけなく死んだ。残りの2代は老衰だった。
だんだん弱っていく犬を寝ないで看病して最後を見届けた。死んだら庭に埋めた。
だから死んだら硬くなる事も、どんなに弱ってても生きている内はあった「あたたかみ」が
死んだ瞬間にすっと無くなる事も知っている。
ムクロとか、亡骸、という言葉がどういうものかを経験として知っている。
どんなに大事な人でも存在でも、死んでしまう、死んでいなくなる、のだと「知っている」。
そのハツカネズミを喰ってハラが膨れた蛇が籠から出られなくなって引っかかったまま縊死したり、
婆ちゃんが晩の鍋にする鶏を〆たりするのを見てきたし、
カマキリとか昆虫を枯葉かけて焼いたりもした(いや、超残酷なんですけど子供の頃って結構残酷なことを平気でやらなかった?)。
「いきもの」は「死ぬ」んだと。
それは「分かる」とか「分からない」とかじゃなくて、空気と同じぐらい当然に「そういうもの」だった。
だから幼稚園の時にひい婆ちゃんが死んだ時も、大好きだったから泣いて泣いて泣きまくって
でも「死んだ」事は分かってた。骨を見て墓に収める骨壷に触らせてもらってその無機質さに
「ああ、やっぱり」と受け入れた。
送るというのはそういう事だとわかってた。
でもさー、そういう経験が全くないままにいきなり人骨はつらいだろーよ?
段階を踏んでるからこそ近しい人の死に大泣きしてもすんなり受け入れることが出来るんだぞ。
人生初の「死」がひい婆ちゃんの骨だったらそりゃトラウマにもなるっつーの!
親も「命の大切さ~」とか「何事も経験~」とか頭でっかちに考えて
手順とか段階とかをすっとばしていきなり「ひい婆ちゃんの骨」じゃあ、そりゃ子供がかわいそうだ。
元増田も多分そのあたり感じ取って従姪さんのご両親に対して反感を覚えているんじゃないのかな。
みんな、お骨を拾って何ヶ月も悪夢にさいなまれたり発作的に嘔吐したりしながら成長していったのか・・・。
違うね。
場数を踏んでたの。それかご両親が場数を踏んでいてちゃんと子供に伝えてたの、子供の困惑を受け止めてたの。だから「何ヶ月も悪夢にさいなまれたり発作的に嘔吐したり」なんてしなかったの。。。だと思うよ。
起きてしまった事はしょうがないでしょ。
乗り越えられない事じゃ決してないんだから、いい機会だととらえて両親が子供に真正面から向き合えばいいじゃない。
や、まず最初に両親が「死ぬこと」に対して真摯に向き合う必要はあるけどね。
帰省中。家にあった「ドラえもん」をなんとなく読んでたのですが。
のび太たちが,地底世界で生きのびていた恐竜の末裔,地底人と会う話。
ロー(地底人の女性)とのび太たちが,地底の湖のほとりで話している。
地底世界には「日光ゴケ」がはえていて昼夜はあるけど,空もないし季節もない。
しずか
「地上ではもう秋で 赤や黄色の枯葉が風にまってるころだけど。」
ロー
「木の葉が赤や黄色になるの?」
「えっ,地底には紅葉がないの。
そりゃぜひみせてあげたいな 夕日にそまった紅葉の山の美しさを。」
「そうそう そこに雨上がりの虹でもかかればもう最高!!」
ロー
「雨? 虹?」
「なんだ雨もしらないの? 雨はね 雲の水滴が……,」
「だめだよ,まず雲からせつめいしなくちゃ。
雲ってのはね,地上の青い空にポッカリと……。」
「夜になると月がでて,星が空一面にピカピカキラキラ。」
ロー
「まるで夢の世界みたい…, いってみたいわ。」
(p.121-122)
ああ,ほんとうにそうだ。
思えばなんてメルヘンチックな世界にわれわれは生きているんだろう。
でもこんなこと,それこそ夢にも思ってなかった。
こういうふうにものを見られる人って,そういないよな。
さすが藤子・F・不二雄,というところだろうか。
「いらっしゃい ぼくがガイドしてあげる。
近くロールスロイスを買う予定だから…。」