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2024-06-23

就職氷河期世代

Wikipediaでは「1993年から2005年学校卒業就職活動していた年代」と定義されている。

以下は、ちょうどそのど真ん中で新卒カードをきった者の独り言

■ 女、四大文系、成績普通、親元を離れて暮らしながらの就職活動。自宅通いの友人たちが春先には内々定を決めた中、夏の終わりまで苦戦した。50社ほど履歴書を提出したうち、面接まで漕ぎ着けたのは6社だった。

■ 両親、特に専業主婦の母は、自分の知らない会社を娘が就職先としたことに不満を漏らした。人事担当者は、不況のお蔭で優秀な女子採用できて助かると笑っていた。

正社員採用だったが、会社から消耗品扱いされ同期もたくさん退職した。退職した同僚の中には、なかなか転職先が決まらマルチ商法に手を出した者もいた。

■ 次の年度、さらに次の年度と時間がたつにつれ正社員採用の数が減り、代わりに契約社員率が上がっていった。正社員のような福利厚生提供しないくせに正社員同様のプロフェッショナリズム要求する上司が滑稽に見えた。

■ その後、派遣社員率も上がったので、2008年派遣切りも決して無関係ではなかった。非正規雇用クールな働き方と喧伝していた者たちは、自己責任論者と化して何もしなかった。

家賃固定費としてのしかかり昇給率も低かったので、入社から何年たっても己ひとりを食わせるので精一杯だった。経済格差勝ち組・負け組と名付けて面白おかし流行らせた者たちのおかげで、必要以上に卑屈になった。

■ 何とか転職して待遇改善されたが、年若い同僚がその待遇をはじめから屈託なく享受していることに複雑な思いを抱いた。

金銭面で何となく親になる条件をクリアできた気がした頃には、肉体面で親になれる時期を逸していた。

元々焼け石に水だった厚生労働省支援プログラムは、COVID-19と少子化対策で完全に忘れ去られた。ここ数年、メディア就職氷河期世代問題が取り上げられる頻度は極めて低い。我々の生殖適齢期が過ぎ、いよいよ加速する棄民か。

[]ハルノ晴「私がひとりで生きてくなんで」

あなたがしてくれなくてもの作者の新作

専業主婦がいきなり離婚っていわれてあたふたするけど実は夫が浮気してましたーこの機会に自立してやる!みたいなアホ展開

あっちに比べるとこっちは女がアホすぎてテンプレ女向けマンガって感じで読んでられない

途中で読むのやめた

こんなアホ実録マンガみたいなのいらんからあなたがしてくれなくてもをさっさと完結させてほしいわ


このご時世、専業主婦小梨で6年もだらだらできるようなひとなんて限られてると思うけど

まあそういう境遇の人だと頭もお花畑からこういうのがうけんのかな

今はみんな共働きがおおいのにね

あっちに比べると夫側のキャラも都合よく悪者にされてるだけで深みもなんもないし

夫とわかれても都合よく助けてくれるイケメンクール高収入税理士もいるし

典型的なアホ女が夢見るだけのハーレクインなんだよなあこっちは

anond:20240623175633

そうだよな…こんな状態少子化は女が子供を産まないかだって責められてもな。

だって子育て仕事の両立とかそんな器用なこと難しいし、可能だったら専業主婦やりたかったわ。

経済的共働きじゃないとやってけないからやむを得なく働いてるのにな。

なんか世間勝手なことばっか言ってるよな…

anond:20240623103053

実際に養ってる女数人を見た感じ、養われてる男の共通項って「メンタルが安定してて欲がない」んだわ

メンタルが安定してて欲がないってのは、普通サラリーマン結婚して専業主婦幸せにやってる女と同じ

見た目はまちまち 年齢はだいたい同等から男が下。年上の男を養ってる年下妻は知り合いにいない

あと、容姿端麗とかマッチョとかってのはいない

バリクソ稼いでる女社長ヒモとかならそういうのもいるのかもしれないけど、普通企業で働いてるバリキャリ女が容姿端麗男を養ってるのは見たことない

やっぱり欲があるからそういう外見になってるので、よっぽど経済的メリットがない限りは黙って養われてくれないよ

結局浮気するし、変な事業で一山当てようとして失敗する。

やたら美人専業主婦旦那に対して不満タラタラなのと一緒。

男が女がではなく、欲があるほうが稼いで金を獲得する、欲がないほうが家を守るというのが良いんだと思う

養われるのも一種の才能だね

欲がある人間から欲をなくすのは無理だから

専業主婦を望んでいる人も大変そうだな

専業主婦を目指して結婚相談所登録しているという人に会った。

お茶しながら4時間くらい話を聞いていたけど、社会適応が難しいんだろなと感じた。

彼女の言い分をネットに流したら瞬く間にオモチャにされそうな内容だが、その人の能力では現状が精一杯なんだろうなと流し聞きをしていた。

女性男性孤立してしまうと変な思考に傾いていく。

自分精神を維持するために自身正当化したり、安易な救い流される。

友人、知人がいれば周りの様子を見て、なんとなく調整していけるのだが。

しかし、周りも同じような思考価値感ばかりだと先鋭化する)

友人、知人が多いことが良いこととは言わないが、少し無理してでも社交を維持しておくことをオススメする。

帰り際、結婚したら犬を飼いたいんだよねと言っていた彼女に何かを言おうとしたが、余計なお世話かと思い、言葉を飲み込んだ。

2024-06-22

anond:20240622154413

おんなじような属性が集まる街、って?

子育て家族が多い街だとしてもそれ以外の属性バラバラなわけだし、人口多い都会でないと「子育て家族が多い街」も成立しないし

都会に行くほど「他人プライベートに口出しするのはマナー違反」という大前提があってそういうの口に出さなくない?

「街」じゃなくてもっとごくごく狭いコミュニティならあり得るけども。

例えば両親揃ってて妻は専業主婦で当然別姓なんかあり得ない、そうでないと入園できない保守的な名門お受験幼稚園とかだったらありかもしれないが、

それこそ範囲が狭すぎるし、そもそもそういう園を選んで入ったのに「園のルール」に敢えて逆らう家庭が面倒なおうち扱いされるのはしょうがないんでない?

&どうせ小学校行ったら別だろうしどうでもよくね?と思う

2024-06-21

ジジイ納税して専業主婦納税してないだろ

区民はジジイにおもんぱかる

専業主婦子育て終わったらどう過ごしてるの

2024-06-20

anond:20240620145018

下方婚増田は、なんもできない弱者男性と、稼いで家事もできて子供も産める女性結婚して女性男性をお世話することで初めて下方婚って定義だよね

メンヘラ専業主婦×理解ある旦那くんみたいなカップルの男女逆転したやつ

最近増えてる、同等婚だけど女性バリキャリ男性のほうが若干収入低めで家事育児担当多め、みたいな女性上位パワーカップル下方婚に含めてなさそう

2024-06-19

anond:20240101133207

世間の荒波を乗り越えていくときに、背中を預けられるパートナーがいることが生存率を上げる。ツーマンセルの優位は、軍でも警察でもビジネスでも実証されている。

日本の女は配偶者を支える気などさらさらなく隙あらば専業主婦になろうとするクズばかりだからやっぱり結婚しないほうがいいね

2024-06-18

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

ちょっと前(5年ぐらい?)まで男性結婚したら女性専業主婦にし

ちょっと前(5年ぐらい?)まで男性結婚したら女性専業主婦にしたかったわけで

それに対して、価値観が古いだの昭和だのアップデートだの、妻は家政婦奴隷下座封建制江戸時代

100万回ぐらい聞きましたよね。

それが、今の婚活前線では専業主婦をのぞむ男性ほとんどいないそうです。

色んな理由があれど、とにかく女性にとって理想的な世の中になったのであれば、本当におめでてえことだなと思って

なんかもっとみんなでお祝いしましょうぜ!ここはユートピアでござあい!!なんでみんな騒がずにいられるんでい!ワッショイワッショイ!!

自分も女だけど本当に他人の稼ぎに任せて生きられないか専業主婦できる人間ってすごいと思う

結婚しても相手の稼ぎに依存するのが怖い。何より金を使うのに他人に気を使うのがすごく嫌で、なぜ自分の欲しいものを買うのに他人の機嫌なんかとらなきゃいけないんだよと思う

本当にその一点がすごく不愉快なので仕事絶対やめたくないし投資もしてるから専業主婦になれる人って本当に他人を信頼できるんだなと思ってそういうメンタル面が羨ましいことはある

信頼してないんだよね。いつ相手が心変わりしても重い病気になっても気が狂っても最悪死んでも、何も自分生活を変えなくていいように、好きなように生きたいか仕事やめられない

たまにせっかく結婚したのにお仕事辞めないの、と既婚の女性に聞かれることがあるけど、辞められるわけない。手元に常に自由に使えるお金がない生活ができないんだよね

そういうふうに聞いてくる人とというのはある程度不満などあれどもその生活が受け入れられる人で、そうやって生命線を預けても良いと思えるのは本当にすごいことだなと思うことがある

anond:20240617233409

そもそもあんたが毒親って決めつけたんだろ。なんでそんな母親毒親にしたがるのよ。

誰と勘違いしとんの?

仕事に集中できたのは家事育児を誰かがやってくれるからだろ。子供が熱出すたびら仕事抜けてたら稼げるもんも稼げない

離婚したって書いてあんだろ

後この文だと増田母親離婚無職とはわからないぞ。稼ぎながら仕事もしてたら父親よりいい親だな。

専業主婦って書いてあるじゃん

四桁万円もらって働く意味もねえ

やっぱ増田のお母さんは普通に立派な人だと思うよ。

いやどう読んでもそうはならんやろw

ただの専業主婦やん

増田が裕福なのはほぼ親父のおかげだろ

この関係で無理矢理母を上げるために「渡された金をちゃん子供に使ったから立派な親」っていうお前の寝言についてしか言ってねーぞ俺は

2024-06-17

結局、女性専業主婦の何が嫌だったの?

家庭を守るのは旦那にまかせて、自分主夫管理する小遣いで稼ぐのに集中したい。こういう人もいたろうから選択肢が増えたのは良いと思うんだよね。

或いはパートに出て、諸費を家庭からさないようにするとかも全然良いと思うんだわ。

単純に必要支出が多いから働くってのも良いと思う。

相性や関係を含めた色んな事情で働きたいって人は働けば良いし、主婦として家庭を守ってるのにバカにするなってのも正しいと思うのよ。

でも普通に考えて働くの嫌だろ?

俺も嫁さんに養ってもらいつつ、嫁さんの稼ぎの中から月3万くらい渡して、たまに五千円増やすために嫁が俺ににへーこらする環境にしたいもんよ。

んで、旦那仲間と嫁さんの金で暇つぶしランチして、嫁のステータスカードバトルして、負けたら嫁のせいにして八つ当たりックスしたいわ。

家事労働って日に2時間弱くらいだから、余程の無能じゃなければ1日暇だし、ちょっとした資格試験とか受けて自尊心満たしても良いな。嫁さんの為になる資格ならなお良いし。

子供ができたら子供が一人の時間欲しがるまで手が空かないだろうけど、それも何十年も手が空かないわけじゃないし。

子供や家庭を完璧支配したいタイプだと無限時間いるだろうけど。

自分が選んだ人間と育てた人間以外と深く関わらないなら、すげぇ幸福度たかそうやん。

地域活動なんかも顔出し易いしさ。

何がそんなに嫌だったの?

2024-06-16

>同僚を飲み会の後に家に連れ帰るのは昭和ではあったが 今やるとたぶん妻の不平不満激怒投稿で溢れる

専業主婦かどうかにもよると思う。主人の機嫌を取らないと金銭援助して貰えない状況なら土下座してでも喜んで接待するんじゃない?

anond:20240616040625

同意

ポリコレジェンダーレス世界真逆の方向に向かっている。

結論ジェントルマンシップ性差別区別がついてない土人おじさん(どじおじ)が高齢層に多いのと、

優遇してくれるならいいわよ」という専業主婦マインド土人おばさん(どじおば)が多いんだろうな。

日本終わっててワロタ

2024-06-15

anond:20240615205559

男が女の何を知ってるんだか……

今は女は専業主婦であるべきだも、働くべきだもないから、どっちが勝ちとかもない。

ただ、専業主婦幸せなことばかりでは無いって事は理解してる人は増えてる。その上で専業主婦を選んだり働いたりしてる

2024-06-14

夫の定年退職日に離婚を言い渡す妻ポルノ

財産半分ガッポリせしめてゴミ夫の面倒も見なくていいセカンドライフ満喫や!

 

いや、離婚事由どうするのん

まぁ夫が不貞を働いてましたとか暴力夫でしたとかそういうストーリーなら簡単だよ。

でもそうじゃなかったら?

単に家事しないのが気に入らないとか

こいつと年中一緒にいるのは耐えられないとかそういう理由だったら?

 

夫側が「離婚しないよ」って言い出したら離婚できないよ?

離婚調停にもっていったとしても夫側がガンとして認めなかったら?

離婚裁判でも「悪意の遺棄」と「その他婚姻継続し難い重大な事由があるとき」以外は認められないよ?

家事してくれなかった!くらいじゃ全然通らないよ。

お金だって婚姻費用を夫側が払う必要あるから、毎月多少の額は受け取れるけど

定年退職後は夫も無収入状態になるから思ったより全然もらえないよ?

でもいったん始まったらもう元には戻れないよ?

どーすんの?専業主婦だけやって生きてきて、ここから働けるの?

 

マジでさ、設定にリアリティがないんだよね。

判を押した離婚届突き付けたところでそこから待ってるのは泥沼の争いだよ。

夫側がガックリ膝をついたところで妻が勝ち誇ったところで終わらないのが人生だよ?

 

うちの両親がそうだったから。

京大を出てて

「まあ、同世代よりは貯まってるかも、使うことないからさ!」と謙遜する20代後半男性

趣味無いんですねwと本気で笑っていた女が専業主婦希望婚活しているのを知って

もはや罪だなと思った

anond:20240613200534

こういうのって実話ならすぐ身バレすると思うんだが

地方なのに何で私立?とか地方私立東大入れるレベルの授業してるところなんかある?とか

震災被災したって事は東北海辺地域在住で確定なわけだがその地域にそんなレベル高い私立なんかあったっけ?

そもそも本当にそこまで成績良ければ塾も奨学生としてタダで入れそうだが)

理系だろうけどそれなら医学部行けばいいのに何で東大?とか

金なさそうなのに母親ずっと専業主婦だったの?普通共働きだろ?とか色々突っ込みが湧いたがまあいいや

何となーく都会の金ある家庭出身東大生の創作感あるけどな

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