はてなキーワード: 専業主婦とは
いやこれは説明が大きく足りなかった。
現状の新卒採用制度では、偏差値の高い大学の方が有利になる傾向がある。その条件を持った上で実際に大企業に入社している。
そして、一般的に大企業の方が職場環境は良好である可能性が高い。
つまり上記から、私と彼は日本の全労働者の中で比較的マシな環境で勤務していると推測できる。(この「比較的マシ」を上位1/3程度と見積もった)
それでもこんなに一人暮らしでは生活が回らないのなら、ほとんどの労働者には一人で正社員勤務と生活を回すことの両立は難しいことで、そういう風に社会は作られていないので、世話する人(専業主婦)を冷遇するのはどうかと思うと言いたかった。
・ちゃんとしっかりキャリアを築いてから子供を産んで正規で共働きする高学歴女性だけが子供を産むのを推奨したい
・そもそも沢山生命保険かけられないような貧乏家庭が子供を産むのを阻止したい
が本音なんだと思うよ
つかずっとそうじゃね?共働き推進するのにばかり金を使って専業主婦は露骨に冷遇し続けてるし
専業主婦じゃないと子供産めない層は要らない、その層が子供産むくらいなら少子化でいい、んだと思うよ
その癖に産めよ増やせよお国の為に、かつ介護も家族がやれ、ってのが矛盾してるんだが
このニュースね
どんな影響があるか説明しておこうと思う。
タイトルでは「子なし現役世代」とミスリードしているけど、いちばん影響が大きいのは若くして子供を産んだ女性。
なぜなら、子供がいても18歳以上だと「5年間の有期給付」になってしまうから。例えば、次のようなケースがいちばん影響が大きい。
この場合、子供が4人いても全員18歳以上なので、遺族年金は5年間しか支給されないことになる。子供をたくさん育てた結果としての専業主婦・非正規労働で年収が低くなってしまうにも関わらず。まだ大学生の子供もいて学費もかかるだろうから、本当に生活が詰む可能性が高い。
となるので少子化促進になるね!
そもそも、遺族年金の原資って、配偶者が働いて納めた年金だし、その配偶者は早死にした結果年金を受け取れないんだから、払ってやればいいじゃん、って思うよ。
・田舎はクソなので滅んで欲しい
・障害者や低IQの人が子供を作ってもサポートしきれないから「無理しないで」欲しいな
・金がない奴が借金までして大学行くとかそのために税金使うとかアホらしいわ。でもウチの会社は高卒は取らないから(POINT:「ウチの会社は取らないが、世間は学歴重視を辞めるべきだ」の両天秤にかけているよ!)
・女性もドンドン社会進出すべきであり専業主婦強制とか時代錯誤。でも産休した奴の待遇はどうしても低くなるよね。
・移民に生活保護やめろ。なんで日本人の金で外国人を養うの?利権?
ぜ~~~んぶお前たちが自分で望んだことです。
あ~あ。
『アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』と言い出したのは氏が初ではないかも知れないが、
氏が大手ニュースメディアのCNNで語っていた、『信長は弥助を神だと思っていた』『日本で最も有名な外国生まれの武士となった』
『ヤスケの仕事は一族の権力を守ることでした』(信長の首を守護し息子に届ける) の根拠はそれぞれそれなりに気になる
日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味があるよ
African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal Japan |CNN
When feudal Japan’s most powerful warlord Nobunaga Oda met Yasuke, a black slave-turned-retainer, in 1581, he believed the man was a god.
Oda had never seen an African before. And like the locals in Japan’s then-capital of Kyoto, he was awed by Yasuke’s height, build and skin tone, according to Thomas Lockley, the author of “African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan.”
“When Yasuke got to Kyoto (with Jesuit missionaries), there was a massive riot. People wanted to see him and be in his presence,” says Lockley, who spent nine years researching and writing the book, which was published last month.
Oda believed Yasuke to be either a guardian demon or “Daikokuten,” a god of prosperity usually represented by black statues in temples. He tried to rub the pigment from Yasuke’s skin, believing it was black ink. Once convinced Yasuke was real, he immediately threw a feast in his honor, says Lockley.
1581年、戦国時代日本の最も強力な戦国大名である織田信長が、奴隷から家臣となった黒人のヤスケに出会った時、信長はヤスケを神だと信じました。
「アフリカン・サムライ:戦国時代日本の伝説的黒人武士ヤスケの真実の物語」の著者トーマス・ロックリーによると、信長はそれまでアフリカ人を見たことがありませんでした。そして、当時の都であった京都の地元民と同様に、ヤスケの身長、体格、肌の色に畏敬の念を抱いたそうです。
「ヤスケが(イエズス会宣教師とともに)京都に到着した時、大規模な騒動が起きました。人々はヤスケを見たがり、彼の存在を身近に感じたがりました」と、9年の歳月をかけて研究し執筆した先月出版されたこの本について、ロックリーは語ります。
信長はヤスケを守護の鬼か、通常寺院で黒い像で表される繁栄の神「大黒天」のどちらかだと信じていました。信長はヤスケの肌の色素を擦り取ろうとし、それが黒インクだと考えていました。ヤスケが本物だと確信すると、すぐに彼の名誉を称える宴を開いたとロックリーは述べています。
https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html
氏が出演したNHKの番組でも下記のように"侍"と書いてるので根拠はあるのだと思う
Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助 |NHK BS
織田信長に仕えた黒人侍、弥助(やすけ)。イエズス会の宣教師に同行していた弥助を信長が気に入り、家臣に取り立てたのだという。2人の主従関係は「本能寺の変」によりわずか1年3か月で終わったが、その前後の弥助の足取りはこれまでなぞに包まれてきた。しかし近年の研究により、アフリカからアジア、日本へ到る弥助の人生が次第に明らかに。ハリウッドで映画化も進むなど、今世界中から注目を集める、弥助の生きざまに迫る。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009051309_00000
なお、『アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』という主張の根拠は、
京都国際観光大使で政府の成長戦略会議の委員も勤め、『中小企業であること自体が特権化している』
『子どもがいない専業主婦は脱税と同じ・社会インフラにただ乗りでモラルハザード』などなど
数々のありがたいお言葉を下さる、デービッド・アトキンソン氏によると、(アフリカ人奴隷の流行は)『資料にかなりあるけど』らしいです
日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味がある
https://x.com/sessyun5021/status/1815008190398148816?s=61
ちなみ 群馬県立文書館 のレファレンス事例紹介コーナーによると『くろほう』について下記の回答があるね
問12 群馬県立文書館所蔵の古文書に、黒人と思われる「くろほう」という記述があるとききました。それは事実でしょうか。
栗間家文書(P00101)のNo1「年未詳加藤清正書状」(下川又左衛門ほか宛)には、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関連する記述の中で「くろほう」という言葉が出てきます。そして2021年3月30日にNHK BS4Kで放送された「Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助」の中で、日本大学准教授のロックリー・トーマス氏がこの文書に出てくる「くろほう」こそ、織田信長に仕えた黒人武将弥助の後身ではないかと、述べられています。まず文書館内では、この「くろほう」をこれまで全く黒人として認識しておらず、トーマス氏のご指摘に驚いています。実は、この「くろほう」が弥助かどうかはともかく、黒人と推定する見解は以前からありました(中島楽章氏「16世紀九州末ー東南アジア貿易」『史学雑誌』118-8号ほか)。 ただし現時点では、この文書の1カ所にしか出てこないため、断定は難しいと思われます。例えば、『源氏物語』にも「くろほう」という言葉が出てきますが、これは「黒芳」(練り香)の意味で、日本の古典で頻出しているようです。また、当館文書を読むと、人間ではなく、物を指す記述と見た方が自然ではないか、という意見も係内で出ています。以上より、現時点では「くろほう」を直ちに黒人と即断するのは難しいのではないか、というのが当館古文書係の見解です。
『日本で黒人奴隷が流行していた』からの『流行していたから連れてこられた』ってことにしたい一派が、
ちなみに、SNSでのきゃっきゃに参戦している人に、日本の要職についてたり、竹中平蔵氏と共著を書いたり、
著書の中で『子どもがいない専業主婦は脱税と同じ・社会インフラにただ乗りでモラルハザード』だと語ったり、
近々の京都での炎上事件の件で、日本人アカウントに『恥を知れ』って言ってた人もいたりする
一例:
X民:トーマス・リーの本に『日本で黒人奴隷が流行った』って本当に書いてある。酷い嘘だ
↓
『恥を知れ』って言ってた人 :それが嘘だって言うエビデンスは?
↓
X民:どうやって黒人奴隷を連れてくるんだよ?
↓
『恥を知れ』って言ってた人:無知な指摘。シルクロードも知らないのか?
↓
X民:【新説】オスマン帝国は存在せず、シルクロードは16世紀でも使われていた!大航海時代は無かった!
X民:シルクロードで日本に黒人奴隷を送った‥?いやいや過酷ですし、コストがヤバいですよ?
↓
『恥を知れ』って言ってた人:
大丈夫ですか、みなさん?
ることに対して、私が、極東であって
も、シルクロードでもあった様に、大昔
した。
るから。
増田も豊臣秀吉(キリシタン大名と日本人人身売買)の件は学校で習ったでしょ?
あと、彼が登り詰める前も、日本の識字率は昔から低くないですし。侍の階級なら尚更ね
なんで流行してたなら資料に残ってないの?ってなるで?日本人が奴隷として連れてかれた記述は残ってるのに
そもそも欧米やアメリカ大陸に売るよりも日本の方がコスパいいってどういう理屈ですか?って話よ
大航海時代に続く三角貿易も無い世界線・・・・・・歴史改竄しすぎでは?感
このような状況を憂慮し、秀吉はキリスト教宣教師の追放を命じた。高山右近も、キリスト教信仰のために領地を没収された
追放されるキリスト教宣教師たちへの配慮として、帰国の費用として米1万俵が与えられた
https://khirin-ld.rekihaku.ac.jp/rdf/nmjh_kaken_medInterNationalExcange/E14585
世間では10歳程度の年の差婚はもはや特別なことではなく、普通のことになっているような気がする。例えば、同僚が男性38歳、女性28歳で結婚するという話があっても別段驚かない。が、本人達が年の差婚の大変さについて理解しているとは言い難く、もっと一般認識として広まるべきだと思う。
年の差婚のメリットは、年上側が高い年収やステータス、貯金などを持っていることだ。例えば、38歳の男性は28歳の女性が持っていないものを持っている可能性が高い。比較的高い年収があり、職場でも要職についていたり、女性の数倍の貯金があったりする。こうした点が魅力的に映るのだろう。妻にとっては、結婚当初は生活水準が一気に上がり、満たされた生活を送ることができるだろう。
しかし、夫の退職が近づく年代になると問題が出てくる。このケースでいえば、夫が60歳の時、妻はまだ50歳だ。現代の50歳はまだ若く、抵抗なく質素な年金生活に入ることができる人は少ないだろう。年金が増えるからお得だみたいなことを言うがたまに人もいるが、加給年金は年間20数万円程度。ないよりはましだが、あったとて、ていう金額である。子供ができる時期にもよるが、子供が大学生の頃に夫が退職する場合、まだ金が必要で。年金だけでは生活を維持することはできず、妻がいわゆる大黒柱になる必要がある。長い間専業主婦をしてきた人がこの役割を果たすのは無理があるだろう。よって妻ができるだけ早期にフルタイムの職に復帰しておく必要があるが、これもまた低くない難易度の話である。
当然だがこの問題は定年退職時だけではない。現代では50歳を超えると早期退職を迫られることも多い。ひとつの会社で会社一筋で働いてきた男性だったりすると、転職先を見つけることは困難だろう。退職金もそう多くない時代だし、新興企業とかだとゼロという企業も多く、頼りにできない。妻は年老いて体力や収入が減少した夫とともに、家族を養う必要がある。その後は介護の問題などもあるが、長くなるのでここでは割愛する。
こうした問題について、結婚を決めた若い二人が理解するのは難しい。周囲の人がアドバイスしても、数十年先のことは遠い未来のことのように感じられ、二人には届かないだろう。小さいうちに教育しておくことが重要だと思う。特に娘を持つ親は、早いうちから教えておくべきだ。何も教えずにそのときがきてしまったら、止められないだろう。
以上のような考えから個人的には、結婚は5歳差までくらいにすべきだと思う。もし男が年の差婚を望むのであれば、圧倒的な資産かそれを生み出せる才能をもっていること、もしくは60を超えても稼いでいくことができる行動力とスキルが必要、ということになるのではないか。
金は大きな要因だけど、時間もある。
例えば妻が扶養の範囲内でパートの拘束時間が週4日6時間(移動込み)、睡眠7時間、食事と入浴合わせて2時間とした場合、それらを除く平日の可処分時間が51時間。
夫は週5日フルタイム勤務、通勤と残業で拘束時間が13時間とした場合、睡眠食事入浴を除いた平日の可処分時間が10時間。
夫婦の合計可処分時間は平日61時間、ここから家事育児などの時間を捻出する。
上記の夫のフルタイムと同じ条件×2とすると、夫婦の可処分時間は20時間。
一日に直すと、夫婦二人合わせて一日12時間程度、家事育児の時間があったのが、現代では4時間。
そりゃ苦しいに決まってる。これっぽっちの余力で育児なんて大変すぎるだろう。
それでいて物価だけ上がって、給料も生活レベルも上がらないから、金で解決もできない。
労働のために家庭の時間を安い金で搾り取られて、実質的にどんどん貧しくなったのがここ数十年というわけだ。
昔に戻れと言いたいわけじゃない。
働かせる側は家庭(あるいは個人)の時間を確保しろ。安い金で13時間働かせるのをやめろ。それは家庭に一馬力で十分な金を払う前提の労働時間だ。
夫が6.5時間、妻が6.5時間、これでまともに生活できるくらいの世帯としての可処分時間が手に入る。子どもも自然に増える。
世の中でやれ晩婚だ少子化だと騒がれていようが、ふつうのJTCでは、結婚せず育児休職もとらず名誉独身男性や名誉専業主婦の妻あり男性と同じ動きをする女はどちらかといえばマイノリティだ。実際に少数派かどうかは別として、発言権がない。DE&Iの当事者といえば、LGBTQの人であり、心身に何らかの障害を抱える人であり、育児もしたいけど仕事もしたい父や母であって、妻にならず母にならない名誉独身男性ではない。いや、そんなことはない、DE&IのIは包摂であるからして独身男女も当然含まれるなどという詭弁はいらない。というか語の定義としてそれが正論であるとは理解している。健康な独身男女と同じような無理はきかない人たちにも公平な機会ややりがいを求める権利が認められるべきで、DE&Iを冠する動きは是正活動にあたるのだから、強いとされていた者が何かを失うように見えるのは適切だと、頭では理解する。
ある日急に来なくなる人に起きたことを祝い、籍は埋まったまま開いた仕事の穴を埋める人は他に来ないから埋めて、なんとか収めてる間にも休んだ人たちはなぜか休職期間に評価される機会を失い昇進が遅いのはおかしいとか騒いでいたりして、何だそれと呆然としていたら「休職期間を勤続期間とみなすことで文句を言うような人は心が狭いだけ」とか言いだすご立派な人も現れたりして、実際に制度がそうなってきたりとかもしていて、えー怠いなあと思うだけだ。
だるいなあと言う権利もない。我々は強者らしいから。家庭も大事で仕事だって独身時代と同じようにできていることにしたい、いつまでも弱者面した欲求に素直で全てを手に入れたい人たちに、弱者になれない我々はもう返す言葉をもたない。
全部欲しいなんてずるいよ。働かないことで何かを不当に失ったって騒ぐ人たち、逆の立場なら絶対働かないのに評価されるなんてずるいって騒いでた人たちなくせにね。
もういいよ!ありがとうございました!
のだと思う。
自分のところも共働きで、学童に預けてるし放課後友達を呼んだり遊びに行ったりはできない状態だ。
昭和はよかったよな。おかんが家にいるから安心して友達の家に遊びに行けたし、連れてこられた。
楽しかったよな
寂しいね
私の両親は6歳のころに離婚した。
ある日突然、父が私と姉を実家に連れて行った。
父は離婚したくて、両親に相談したところ連れて来いと言われたそうだ。
ところが、祖父母は「私ちゃんは育てられない」と言ったらしい。
父は祖父の会社で働いていたし、両親の手がないと子供を育てられない、自分だけでは育てられないから、両親の言うことを聞くしかなかったらしい。
祖父(父の)は祖母(母の)に電話をして、「その家を三日以内に出ていけ、お前の娘(母)は大阪に連れて帰れ」といったそうだ。
母は私と姉を父の実家に迎えに来た。私はその時のことを覚えている。
祖父母と母親の言い争う声、母の泣き声、今なら母が不憫で仕方ない。
母は当時28歳とかで、父は37歳とか、実家は遠方で誰も頼れず、誰にも気が付かれず、頭のおかしい義両親にいじめられていたのだ。
母の実家がサラリーマン家庭であることを馬鹿にし、週に何度も小言を言いに訪問し、二人の娘のうち、一人だけをかわいがり、母は参っていたんだと思う。
そんな状況の中で子どもを拉致られ、取り返しに来たら罵倒され、姉の方は絶対に返さないけど、妹の方なら連れて帰れと母は言われたのだ。
祖母が実際にそういったらしいが、隣にいた私の父は一言の反論もしなかったそうだ。
母と私はこうして二人で暮らすことになった。
別居状態で姉の親権を一年ほど争っていたけど、父からの婚姻費用も貰えす、離婚は成立していないので母子家庭状態かつ収入もほぼないのに児童扶養手当も貰えない状況で、母は離婚に応じるしかなかったらしい。
父は私に毎週会いに来た。父は私のことが大好きで、一緒に暮らしたいとしきりに言っていたし、なんでも買ってくれて何でも食べさせてくれた。
私は父が大好きだった。
母との暮らしは極貧だったうえに、母は病んでしまってアル中、家はゴミ屋敷だった。
家の中にコバエが死ぬほど飛んでいたし、シンクはカビだらけ、家中めちゃくちゃだった。
怖いもので、私はそんな家の中でまともな感覚を失い、その状態に完全に慣れていた。細かいエピソードは割愛させてもらうが、私も母もまともじゃなかった。
そんな中、母に彼氏ができた。(離婚後、男遊びはまあまあしていたみたいだけど、さすがに育児放棄はしてませんでした。毎日帰ってくるし、男を連れ込んだりもしてません。そんな中一人の男が彼氏になりました。)
これを読んでくださっている人の中には、ヤバイ!って思った人がいるかもしれないけど、そうです、やばいです。
この彼氏、DV男でした。すぐ不機嫌になるし、すぐキレるし、機嫌を取ってあげないといけないタイプでした。なんでや!!!!
母はこの男と付き合いだしてから、家にいるときはずっと電話していた。マジでずっと。
母はキッチンでずっと電話してて、私はリビングで一人でご飯を食べて一人でテレビを観て、母と会話なんてほぼしない生活になった。やば。
私が母と話したくて話しかけに行くと、あっち行ってて、って感じだった。なんかかわいそうになってきた笑
まあ当然私は不愉快極まりないわけで、最悪!!って感じでした。
その男と初めて会ったのはいつだったかな、忘れたけど、私と母でその男の住む地域に遊びに行った。
その時、その男は私と母をいろんなところに連れて行ってくれたけど、私は終止不機嫌。
なんせ父が大好きだったし、母が違う男に夢中になり、無理やり連れてこられ、何もうれしくないんだから。
その帰りの電車で母に叱られた。
私は何も反論できなくてぽろぽろ泣いた。なんか悲しくて悲しくて仕方なかった。
そのうち私と母の暮らすアパートに男は入りびたるようになった。最悪である。
母とその男の喧嘩は壮絶で、すごい怒鳴りあうし、母は携帯を折られるし殴られるしガチやばかった。
私は殴られたことないけど、なんで付き合ってるのかわからなかった。
夜、私に風呂に入ってこいって命令して、私が風呂に入っているときに子作りしていた。グロすぎ。ちょっと成長してからあの時のあれって...ってなった時吐きそうになったわ。
そのおかげで、私が小3のときに母に赤ちゃんができたので、母はその男と結婚すると言い出した。意味不明だった。
引っ越すから父や姉と会えなくなるし、転校することになって、今度は私が病み散らかした。
私と母は、その男が住んでいる県に引っ越した。毎週のように会っていた父とも会えなくなり、友達もいない、親戚もいない、来たこともない土地に連行された。
小4にして人生どん底、母しか頼れないのに、母は新しい夫の世話と赤ちゃんに追われ、私は人生でこのときが一番孤独だった。
私の反抗的な態度に腹を立てると、男はその文句を母にぶつけて喧嘩がはじまる。
喧嘩は私のせいだと母に怒られる。
(あと母のいないところで若干セクハラされたことある実は。忘れてた。)
私と母はこのころから毎日のように喧嘩していた。今思えば、私の反抗期(?)と母の余裕のなさがベストマッチだった。
私は母に殴られるし、物投げられるし、首絞められるし、髪をハサミで急に切られるし、児相案件では??って感じだった。
母も母で、めんどくさい男の機嫌を損ねるうっとうしい娘と生まれたての赤ちゃんを抱えた貧乏生活で、すっごい大変だったんだと思う。今ならわかるよ。
まあ自分で選んだんやろって昔は思っていたけど。
当時はマジで貧乏で、母は私に、「パパに電話してお金もらって」って言ってきてた。
正直これは本当にしんどくて、父は母にお金を渡したくないから、超板挟みだった。ちなみに母の再婚後に父は養育費を払うのをやめました。
母もわかっているから、私が欲しいものを買うお金をもらう体で頼めって言ってきた。あれが必要、これが必要、あれが欲しいこれが欲しいって言えみたいな。
私はその電話を本当にしたくなかったけど、母は絶対に譲らないから、電話するまで何時間でも迫ってきた。
小学生の私はそこで折れないほど強くなかったから、父に電話してた。
父にお金をせびるのは中学生くらいまで続いたかな、父には申し訳なかった。私もつらかったんだけどね。
私は本当に病んでて、小学生の頃は腕切ってた。笑
中学校に入ってからは人生楽しくなってきて、部活に勉強に忙しくしてて、私の中で家庭が占める割合が減ってきたから、そこまで病み散らすことがなくなった。
母と男と弟で普通の家族なのに、私邪魔じゃねって思っていたことぐらい。
でも母との仲は最悪で、喧嘩はヒートアップしてた。私も体力がついてきたので普通に殴り合いしてた笑
そういえば母はなぜか友達と遊びに行くことをよく思っていなかったのがすごく不思議。その喧嘩すごく多かった気がする。
高校受験の時はそれなりにもめた。私は県外の高校に行って親元を離れたかったけど母は猛反対。
私も頑張って説得しようとしたけど、結局無理で戦意喪失、勉強する気が失せて公立落ちて私立に進学することになった。
高校に入ったらもう無敵、親に何言われようが無視。なんでも強行突破できるくらいには私も強くなった。
バイトも早々に始めたけど、はじめの一年くらいは母管理だった。普通にお金取られてたけど、ほんと大したことない。小学生の頃のつらさに比べたら屁でもない。
あ、高校は自分のせいで私立になっちゃったので学費はバイト代で払うと申し出た。
3か月に一度13万くらいの引き落としがあって、私は月3万母に手渡し。
補助金は後から振り込まれるので、いったん払う必要があり、私はバイト代を渡していた。
私立助成が月3万ちょいあるから、絶対黒字だったけど、私そんなに払わなくてよかったけど払ってた。自分が私立選んだんだし、母はいるって言い張ってたし。
あと携帯代も1万円渡してたから、毎月母に4万円手渡ししていた。
だからいっぱいバイトしてた。友達出来てすごい楽しかったから、別に苦じゃなかった。
さあ大学受験!私は絶対に実家を出るという強い意志があったので、都内の大学に進学することを決めた。
父の出番が来ました。父です。私の父は先述の通り私大好きなので、私が上京するよと言ったら大喜び、生活費を出してくれることになりました。
さすがに一緒には住まなかったけど、生活費(家賃、光熱費、食費)を毎月定額で支援してくれた。
わたしってスーパーラッキーガールだと確信しました。なんて恵まれてるんや。
ちなみに学費は全額借金です。これは仕方ないし文句もない、私の責任において私がしっかり返済する。
大学行けただけで大感謝。ほんと素晴らしい人生。ラッキー人生。
大学に入学し、一人暮らしがはじまると、お金に余裕は全然ないながらも、めっちゃ楽しい生活。
ただ定期的に母から金貸してって言われることがだるいくらい。消費者金融とかに借金してほしくないから貸してたけど返ってこないのであげたことにする。
母と距離を置くようになったらめっちゃ仲良しになった。最高。マジ友達。
私と母は一緒にいろいろ乗り越えてきた戦友で、家事育児(弟)も完全ツーオペで、離婚も再婚も貧乏もDVも全部一緒に一生懸命乗り越えてきた戦友。
母の苦労を一番わかっているのは私で、私のことを一番よく知っているのももちろん母。
母は立派な親じゃないし、立派な人間っていうわけでもない。
親なのに、母なのに、大人なのに、って私はずっと理想の母と比べていたけど、母は母でしかないことにようやく気が付いた。
母は母なりに一生懸命やったし、母もどうすればいいかわからなかったし、申し訳ないとか本当はこうしたいとか、いろいろ考えてたはず。
だから今恨んだりしない。文句は全然言うけど母を断罪できるほど私は偉くないし。
ちなみにDV男はDVこそしなくなったけど、(何回か警察沙汰になってる笑)いまだにわがままくそ自己中男です。
でも昔に比べたらほんと丸くなった。ちなみに私のこと大好き。マジで。帰省するの超楽しみにしてるっぽい笑
父は私を溺愛しているから、私と一緒に住みたいとか、将来は一緒に住もうとか、私と暮らすのが人生の目標だったとかいろいろ言ってきます。
皆さんどう思いますか。
どういった経緯で離婚に至ったのか思い出してください。
私はちょっと複雑なんです。
私と母をある日突然捨てておいてって思っちゃう。姉と突然引き離して。
離婚はどっちが悪いとかじゃないとはいえ。手段は悪かったんちゃいますの。
父がいなければ大学に行けてないし生活もできてないから感謝はもちろんしているけど、私と母がどんだけ苦労したと思ってますの???
ついでに姉も大変病み散らかして大変こじらせていて、ヲタクの高校中退のフリーター。
姉が父の実家でどんな思いで暮らしてきたと思っているの。ある日突然母親を奪って。
私は母に申し訳なくて父と一緒に住むことはとてもできない。でもはっきりそう言えない。今は父に生かされてるから。
これはコンプレックスの話なんですけど、いとこの存在が私の家庭環境コンプを刺激するんです。
それぞれ大変なこともあると思うけど、私の目には普通で幸せな家庭に写る。
いとこたちは両親がそろった家で、食べるものにも住むところにも困らず、お金の苦労も知らず、本当に大切に育てられている。
誰かを恨んでいるわけじゃないけど、自分が惨めで仕方ない。
私が欲しくて欲しくて仕方なくてどんなに努力しても頑張っても望んでも絶対に手に入らないものを生まれながらに持っているじゃん。
普段は接点ないから感じないけどたまに関わると自分が惨めになってて。
そんなどうしようもないこと考えるなよって思うけど、ほんとに誰にも言えなくて、誰かに聞いてもらったらすっきりするかなと思ってこれ書くことにした。
長すぎて誰も読まないかもしれないけど、私の誰にも言えない話を読んでくれたら本当にうれしいしこの気持ちが晴れる気がする。
読んでくれて本当にありがとう。読んでくれる人がいたらまた思い出話させて。