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2017-10-17

ニコニコ動画で先月からにわかに増えつつある「ジャガーマンシリーズ」を今更見ている

かつてのドラサイトを思い出してノスタルジーに浸りながら涙流すほど笑ってる

2017-10-15

ゲイネタの笑いどころとは

ツイッターで聞くとカドが立つのでここで質問

淫夢ネタというか、黒塗りの高級車とか野獣先輩コラって単純に面白くなくね?

その手のbotの似たようなセリフやオッサンのコラを何度もRTしてくる知人が何人かいるが、もはや面白くないものを無理に面白いと感じるために義務でやってるように見える。誰も反応してないのにずっとやってる。多分その人たちもそういうネタを心から楽しんでない気がする。

つうか、ゲイネタにこだわり続ける人というのはネットには一定数いて、同じことをずーっと言ってることにふと気づいた。

何年もいつまでもこだわり続けてる人が不思議で仕方ないんだが、あれは何?

俺は性的マイノリティ権利が云々とか言うタイプでもない。けど、ああいうのは単純に面白くないし、語弊があるかも知れないが、ゲイじゃない身としては性的画像RTされてもセクハラされた気分つうか、見たくないもの見せられてモヤモヤする。以前飲み屋でオネエキャラの人に乳首の色はなにー?と、セクハラ受けたことがあるが、その時の嫌悪感に似ている。

あのとんねるずのやつも同じ。あれについてはセクハラされたとは感じなかったが、単につまらんよね。そのキャラ活躍した頃を知らんからノスタルジーもないし、何も面白くないし。

あとアッー!かいうのも何にも面白くない。そう書いとくのはここ笑いどころですよ、笑ってねということを示した記号しか見えない。

ゲイネタってなんなんだ。いや、ゲイネタで盛り上がってるフリをしてる人って何?それとも、本当に盛り上がってる人もいるんかね。

追記

こんな短期間にレスつきまくって驚いた。専門用語に混乱。あと煽り認定されてる気がする。

詳しくないのは当たり前で、ネットに詳しい方でもないから触れてこなかったし、自分から見ようとも思わないし、その手のを見るよりはポルノ羽生女の子見るわな。

本当に盛り上がってる人もいるんですね。

2017-10-12

2017 台湾旅行第一部分

台湾に行って来た。

一人での海外旅行は初めてだ。

台湾であった事、感じた事つらつらと書く事にする。

長いし、起こった順に書いていて、特に脈絡もないので、ドラマは期待しないで欲しい。

取り留めない旅行記だ。

もし文書の中で一文でも、行ってない人の興味を唆れたり、行った事のある人に「あ〜、あるある」って思ってもらえたら嬉しい。




出発前


そもそもなぜ台湾に行こうと思ったかというと、少し前にちょっと凹むを事があり、いつまでも気に病んでも仕方ないし、何か面白い自分の興味を引かれる事がないかなぁなんて考えてたところ、「そういえば、台湾料理で気になってるものがあるんだけど、実物を食べた事がないんだよなぁ」と思い出し、休暇の予定も決まってなかった事もあって、「じゃあせっかくだから行ってみよう」となった訳である

初めてなので、ツアーを予約して、飛行機ホテルの世話だけをして貰うつもりだった。


いざ行くと決まれば、何より問題なのは言葉で、元々日本でもコミュ障気味なのに、別の言葉が話されている国で過ごすのは甚だ不安だった。


でも出発当日が来て、フライトをまつ夜の羽田空港国際線ターミナルで、簡単中国語を暗記していてた時にふと気付いた。

そうだ、俺、イラスト描けるじゃん。

普段から言葉より絵の方が伝わる事があるのは分かってる。

言葉の通じない国に行くんだ、使えるスキルは何でも使わないと。



格安ツアーの出発は変な時間だ。

午前4:50、タイガーエアに乗り込んだ。

台湾のLCCとはいえ、機内はほとんど台湾人

ツアーなので、自分の他にも出発する日本人いるかと思ったが、日本人は少数派のようだった。

ちょっと不思議に思ったのは、機内の台湾人男性はほぼメガネ

なんでどいつもこいつも目が悪いんだ。

から更に不思議だったのは、台北の地に着くと男子メガネ率がむしろ低いのだ。

台湾人飛行機に乗る時だけメガネをかける決まりでもあるのか?






1


1日目 午前


LCCの狭いシートで変な姿勢に耐えながら3時間フライトを終え、朝の桃園空港に降り立った。

空港でキョロキョロしてると、いきなり兄ちゃんに現地の言葉で話しかけられた。

バス?とか言ってたので、行き先に迷ったと思われたらしい。

一瞬どう答えていいか迷ったけど、オレンジベストを着てゲートのすぐそばに立っている女性を指差し、「大丈夫」と言うふうに手を振ったら、彼は「なんだ」という顔をした。

あ、言わなきゃ。

「謝謝」


ベスト彼女自分の到着を待って立つツアーガイドだった。


実はツアーガイドはすぐに見つけていたのだけど、他のツアー参加者が集まってから声をかけようと思っていた。

しかし、誰も集まる気配がない。

どうやらこのツアーの申し込み者は自分一人らしい。

機内に日本人が少ない筈だよ。

「すいません」と日本語で言うと、ちょっと訛った日本語で「どこにいたの?すぐに声かけてよ〜」と笑顔で言われた。


ツアーガイドは黄さんと名乗ったが、「エリと呼んでね」。

台湾の人は英語の二つ名を持っている人が多いという。

より覚えやすくする為に、勝手に「エリーさん」と呼ぶ事にした。ちょっと伸ばしただけだから大きく違わないだろう。



ホテルに向かうミニバンエリーさんに「何かみたいものある?」と聞かれたので、「九份に行きたい」というと、「どう行くか調べてますか?」

「ざっくり」と答えると、「ざっくりじゃダメよ!」とひどく呆れられた。

エリーさん曰く、九份は凄く人気、今は祝日台湾人も行くから人でごった返している、行くなら早くいけ、と。

さらにはついでに十分も行くべきで、こんなこんなこんなツアーがあって・・・説明が止まらない。


「実は蚵仔煎と肉圓を食べに来た。あとお茶も買う予定」と言いうと、彼女は「それだけ?」とまたもや呆れ顔で言った。

「それだけじゃ量が少ないよ!」

さらっと書いているが、この会話の中で、エリーさんは料理名前を何度も聞き返している。

曰く、「発音メチャクチャから何言ってるのかわかんないよ!」

日本人とは随分テイストの違う接客なので思わず笑ってしまった。


夜市にも詳しいエリーさんによると、蚵仔煎の様な夜市料理行列の店で食べるべきで、それは味の問題というより、回転の早い店の方が素材が新鮮なので、当たる事が少ないかであるとの事だった。

台湾人がよく行列するのは、そういう理由もあったのか。なるほど。


エリーさんの勢いに呑まれかかってたけど、会話が少し止まって、ふと窓の外から街を見れば、台北市建物が密集しているのに気付く。

その中にセブンイレブン

漢字コンビニも人の背格好も一緒なのに、行き交う人は全然別の言葉を話している。

それは不思議な感じだ、と言おうかと思ったけど、それを言うとエリーさんが凄いエネルギーで何かの説明をしそうなので言わないでおいた。


ホテルに着いたらチェックインの15:00まで、荷物を預けて自由観光

エリーさんは、台湾での見所と注意をまくしたてたあと「わからないことがあったらLineで連絡して!」と事細かに連絡方法を教えてくれた。

「あと折りたたみ傘を持って行って!今の台湾は天気が変わりやすい!」

どうやら手が届く限りは面倒を見ないと気が済まないらしい。

台湾人親日とよく聞くが、接した感じでは、どうもナショナリズム問題ではなく、何か人間が親切というか、お節介焼きであるように感じた。



エリーさんと別れてしばらく歩くと、南国の陽射しの下、台湾国旗がはためいている。

明日がちょうど建国記念日国慶節からだろうか。

そういやエリーさんに「暑いな、さすが南国」と言うと「ここは南国に入らないよ!台南の方が亜熱帯!」って言ってたっけ。

急に冷え込んだ東京から来たら、十分暑いエリーさん。


すぐに暑さに耐えかねて、冷房の効いてそうな店に飛び込んだ。台湾で食べたかったものの一つ、豆花を食べていると、店内ラジオからはB'zが流れて来た。

日本アーティストなのに、なぜかより台湾を感じさせる。

かい注文が出来ないので、かき氷ピーナッツの甘煮だけをトッピングしてもらった豆花はとてもアッサリしていた。



台湾はとにかくスクーター乗りが多い。

大通り信号が青に変わるたび、びっくりするくらいのライダーが駆け抜けて行く。

この台湾光景を収めようと交差点歩道カメラを構えたら、後ろから「前方!」という様な声をかけられた。

振り向くと、自転車にのったおじさん。

「前危ないよ」とでも言われたのだろうか?ひょっとしたらもっと荒っぽい表現なのかもしれない。

台湾人は親切だけど直接的でもある。




1日目 午後


ホテルチェックインの15:00にはまだ間があったが、台北は午後になって更に気温が上がって来た。

エリーさんが言ってた事には、日中は36℃になると言う。

当て所なく歩き回るにはキツい時間だ、せめて目的が欲しい。

本来は2日目の午前にこなす予定だった、台湾茶の買い出しを前倒す事にした。


エリーさん曰く、祝日台湾人は勤勉では無いらしく昼頃にようやく起き出すとの事だったので、一抹の不安を抱えてはいたが、しばらく歩くと、お茶のいい香りが漂って来た。

通りに面した倉庫の様な店。

林華泰茶行。

上質なお茶が卸値で買えるとの事で、予め来ると決めていた店だった。

実際に来て見ると、その倉庫の様な空間に微かに漂う不思議で素敵な香りに心が踊る。


ただ、少し計算が狂ったのは、店が思った以上に小ぢんまりとしているし、本来問屋なので、店員もぶっきら棒。

タンクトップから腹を放り出したオッさんが茶葉のチェックなどしていて、ゆっくり見るのは場違いだった。

そこでは吟味しながら4種類買う予定だったけど、実は到着直後の免税店で、エリーさんの勢いに押されてすでに高山茶を1つ買っていたので、3種類にした。


金萱

東方美人

蜜香紅茶


20代とおぼしきにいちゃんに、それぞれ「1/4斤」とメモして伝えると、「150?1300元」とぶっきら棒に返して来る。


台湾店員さんは人がよく、自分言葉が変でも何とか必死コミニュケーションを取ろうとしてくれていて、それが返って不甲斐なく、少し凹んでもいたのだけど、さすが問屋のにいちゃんにそんな忖度は無い。


今が出す時だ、と思い、空港で描いたメモを見せた。

一杯の茶のイラスト

「喜歓的香味(とても好きな薫りです)」

「謝謝。」にいちゃんは微笑んで言った。

初めてエリーさん以外の台湾人とちゃんとコミニュケーションが取れたと思った。



昨日から大して寝ずに動き回ってるので、良い加減疲れて来たけど、ホテルチェックインにはそれでもまだ時間がある。

台北101に向かう事にした。


地下鉄にのっていたら、博愛席(日本でいうところの優先席)に座ってたばあさまが、乳幼児を抱いている母親に気付いて、手招きして席を譲っていた。

台湾人はほんとうに人が良い。

うっかり降りる駅を間違えて、次の電車を待っていたら、地下鉄ホームロードバイクを押す人がいた。

台湾輪行ダイナミックだ。


ブルータス台湾特集の表紙が台湾人には不評だったらしい。

曰く、あんな古くさい台湾ではなく、もっと近代的な今の台湾を見てくれ。

でも、実際歩いてみると、やはり台北の街は自分イメージするアジアエネルギーノスタルジーに溢れている。


そうかと思えば、台北101東京で言うところの押上ソラマチの様に、周囲から浮いて急に出現した近代モールだった。

台北という街は混沌の中での変化の真っ最中なのかもしれない。



さて台北101の地下はデパ地下であり、フードコートだ。

このデパ地下も、旅の目的の一つだった。

その地にはその地の食い物が有る。

よくわからない果物料理ディスプレイされてるのは最高だ。

乾麺のコーナーで、刀削麺と同じ棚に讃岐うどんが並んでるのには何だか笑った。

うどん台湾では烏龍麺と書く。


大して腹も減ってなかったけど、疲れを癒す意味で、ここのフードコートガソリン補給をする事にした。

加油、俺。

頼んだのは排骨魯肉飯のセットで排骨には八角の強い風味が有る。

これが中華な味だ。

魯肉飯をかっ込んでふと顔を上げると、半袖シャツを着た対面のにいちゃんの袖から綺麗な花柄が覗いていた。

そういえば林華泰茶行に行きすがら、通りかかった裏路地でも、書き描けの紋紋を背負ったおっちゃんが上半身裸で何かを食っていた。

台北では割とカジュアルに紋紋にでくわす。


デパ地下と紋紋に満足したので、人でごった返した展望台には登らなかった。

良い加減、ホテルチェックインしてシャワーを浴びたい。




1日目 夕方〜夜


やっとホテルチェックインできて、シャワーも浴びてさっぱりできた。

一休みしたら晩飯だ。

どこで何を食うかは決まっている。

寧夏夜市で蚵仔煎を食べるのだ。


実はエリーさんに、この暑くて食品が傷みやすい時期に牡蠣を食べるのは勧めないと止められていた。

私たち台湾人間は胃が大概のものに慣れている。でもあなたたちは違うでしょ」と。

一理あるんだろう。

でもこの旅行重要目的の一つが本物の蚵仔煎を食べて、どういうものか知る事だったのだ。これはマストなのだ

から、せめてエリーさんの忠告を一つ守ることにする。

屋台料理行列の店で食え」

日が落ちて、明かりが灯った台北の街。

地下鉄を乗り継ぎ、寧夏夜市の行列の店を目指した。



道中驚いたのは、街中に野良犬がいた事。

少し遠巻きにしてる人もいたが、同時に野良犬を気にするふうでも無く、すぐ脇で座ってなんか食ってるおっちゃんもいて、日本ではもうない風景日常なんだなぁと驚いたりもした。



やがて、台北B級グルメ天国寧夏夜市が見えて来た。

日本で伝え聞く喧噪はちょっと盛ってるんじゃないかなんて疑っていたが、実際に行くと日本縁日以上の人、人、人。

屋台が軒を連ねる通りは真っ直ぐ歩くのも難しいくらい。

食習慣が全然違うのを肌で感じる。


夜市を一回りすると、一番行列のできてる店がわかった。

ここに決めた。

朝にエリーさんに酷評された付け焼き刃の台湾語は捨てて、筆談だ。

蚵仔煎を描いたメモを見せて注文する。

やがて店内に通されて、目当ての品が運ばれて来た。

おお、これが蚵仔煎か。

まず写真を一枚。

そして口に運ぶ。

プルプルしている!台湾風にいうとQQだ。

牡蠣オムレツと言いながら、片栗粉ような生地の方が主で、それに卵が絡み、その中に青菜と小粒の牡蠣が旨味を添えていた。

かかっているタレは甘酢か。テーブルに置いてある辛味噌を添えると更に風味が増す。

エリーさんの忠告は忘れてないが、ひょっとしたらヤバいものを食べているのかも知れないというスリルもまたスパイスのようなものだった。

「很好吃!」メモを見せると、店員のお姉さんはサムズアップした。



>>2日目



2017-10-03

anond:20171003173728

笑いは、モラルを壊す行為でもある。

新しい、鋭い、当世的である、軽やかである、刺激的である、など

モラル(=PC)を破壊することができる力(=面白さや新しさ)があれば、

それは笑いの形を取った批評としてPC以上の社会的価値を産みだすこともできるけど。

ノスタルジーと焼き直しからは、だっせえわ古いは空気読めやという感想しか返ってこなくて当然だと思うんだ

みなさんのおかげですって、人気があった20年以上前でも、

すでに十分差別的というかいじめっ子目線で嫌いな人は嫌いだったし

PTA的なモノからは頻繁に非難されていたよね。

炎上したのは、時代演者時間を経て変化しているのに、ノスタルジーと焼き直ししか無かったからだろう。

もっとシンプルに言えば、単に面白くなかったからだ。

もしくは『制作者およびバブル世代ノスタルジー喚起のため、オリジナルのまま焼き直しいたします』とでも

キャプションを入れておけばよかった

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171003-00531068-shincho-ent&p=1

2017-10-01

anond:20171001141600

差別ノスタルジーとして扱われても困る

文芸作品のそれはテレビという影響力の大きいメディアもない時代だし、主題でもないし笑いとして書いてたわけでもない

あれが偏見助長すると言うより、偏見が未だに消えていないか問題なんだ

淫夢かめちゃくちゃ子供に影響与えてる

大人だって未だに「同性愛生物学的に……」とか言ってる

2017-09-29

昭和増田憧れる禮雅Core出す真庭うょし(回文

昭和郷愁ただようノスタルジーな感じに憧れちゃうわ、

三丁目の夕日的な。

とみせかけて、

実際どうだったのかしらね

昭和時代って。

あの色褪せた感、

古き良き懐かしいところばかりがクローズアップされて

美化されてるんだと思うわ。

だって

携帯電話だってなかったんでしょ?

インターネットだってなかったんでしょ?

マイコンもなかったんでしょ?

それなりに不便だったこともあるはずよ。

いまでこそ、

いろいろなことが機械化されてるけど、

伝票印刷だって手書きって考えると恐ろしいわ。

あと、

昔はバーコードもなくてレジってどうやってたのよ?って感じ。

でも昔からスーパーマーケッツはあるわけだし。

駅の自動改札じゃなかった頃はどうしてたのよ?

駅員さんちゃんとあれ切符見てるのいちいち?

ワザってるわよね。

とかとか

そういうところが謎過ぎるわ。

昭和謎だらけ物語よ。


今日朝ご飯

タマサンドよ。

違うお店のと食べ比べ、

いつも買うところがコクがあるのにキレがあるわ。

子どもの頃、

味でコクとかキレとかよく分からなかったけどね。

今分かってるって訳じゃないけど。

それ言っとけばいい的な意味での最大公約数ワードよ。

デトックスウォーター

最近帰りが遅いから仕込む時間がないわ

それにお茶っ葉だって買いに行けやしない。

でも、

水出しもそろそろ終わりなき説かしら。

ホッツ白湯ウォーラー梅干し落とし。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-09-26

やっぱダイの大冒険面白い

俺がガキの頃からある漫画なのに今読んでも普通に面白い

絵も全然古臭くないし

ドラクエ的世界観ファンタジーから時代背景の違いとかで違和感もない

キャラクターも立ってるから感情移入やす

自分場合はポップに自分を重ね合わせて読んでたような気がする

当然エロエロい

当時小学生だったけど完全にこれで性に目覚めた感があって思い入れもあるんだろうか

とにかくこれが何十年も前の漫画だとは思えないくらいしっかりしてる

今、無料で何巻か読めるから暇なやつは読み返してみろよ

ノスタルジーを感じつつ楽しめるぞ

2017-09-23

だいたい少子化を語る口がさして子供産んでないやつらばかりなのだから説得力が無い

多産時代ノスタルジーは遠慮して頂きたい

2017-09-18

始めてヤフコメコメントした

今までヤフコメに常駐する人間気持ちが分からなかった。

空き時間に手っ取り早くたくさんのニュースが見れるポータルサイト特にヤフーニュースを見るのは分かる。それは俺もやる。

さらにそのニュースに対して一言申したくなる気持ち分からんでもない。

ただ目的手段が反転したような、コメントをするためにヤフーニュースを開く人種だけは理解できなかった。

単にニュースに対して一言申してたのが蓄積されてるだけなのかもしれんけど。

ある日、とあるニュースを見てふとスクロールを下げたら

「あの時代は良かった。今は…」という、記事とはなんら関係のないコメントがズラズラと並んでいた。

ちなみに同じようなニュースと同じようなコメントに遭遇するのは3回目で。

さすがにお前ら自分語りじゃなくて記事に即したコメントしろよとツッコミたくなって、

ツッコミも含めた記事感想コメントした。

すると青丸のマイナス票も入ったけど赤丸の数字が伸びていく。

この俺の腹立ちを分かってくれる人もいるのかと嬉しくなった。

その時悟った。

あーこれいわゆる承認欲求の類かと。

今まで「ヤフコメ ひどい」とかで検索すると

書いてるのは暇人だとか中年だとか右だ左だとかそういう部分がフォーカスされて評価の部分に言及は少なかった。

いやこれ評価かいわ。

多くの新聞社雑誌提携してるサイトだけあって俺のような人間も集まる。するとコメントを見て多くの人が評価する。

評価スルーされるコメントマイナス票こそ入れど赤丸の数字が伸びるのに快感を得る。これですよ。

根は以前有吉ラジオで言ってた通り「ニュースしか話し相手がいない人間」なんだろうけど、

そこからさら同意集めに精を出した結果あんなことになってるんだろうなって結論が出たことによって

常駐してる得体の知れない人達の正体が(違ってたとしても)少し分かったのは良かった。

まあ明らかに主婦夜勤なんだろうなーこの〇〇アンチしてるの△△ファンなんだなーみたいのはあるけど。

あと住んでる地方や県もコメント遡ると結構バレまっせ。

ただトゥギャッターとかニコニュースツイッターコメントつけたがる層はまた分からん

あれはふぁぼやRT集めとはまた違ったものだろうしコメント欄自分意見が載るのが嬉しいタイプとかなんだろうか。

そこまで考えるとキリがないからいいや。

ちなみに俺のアカウントはそのノスタルジーにひたる老人達一言申せたんでもう消しました。

2017-08-30

ヒロミリフォーム

本銚子駅24時間TVリフォームしたのか。

で、それに鉄オタがクレーム入れてるらしい。デザインがクソだとかなんとか。

あのな、本銚子駅のボロさ危なさを知ってから言えや。ノスタルジーとかじゃねえんだよ。

クソボロくて崩れる手前であぶねーのに改修するカネもない、朽ちていく駅を偽善TVリフォーム

しただけでもありがたい話だろ。鉄オタ氏ね

俺は学生の頃ずっと使ってた。文句しかいわねえ行動力もないクズ鉄オタは消えろ。

2017-08-29

Call Me By Your Name@miffレビュー

8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。

なにせ太ももがすごいらしいのである

俳優アーミー・ハマーの太ももである

サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイート散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。

Call Me By Your Name1983年北イタリアとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年あいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。

http://m.imdb.com/title/tt5726616/

この映画2016年5月世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である

そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。

冒頭のシーンからして心憎いのである

まりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。

ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。

しかネタバレ見ると死ぬタイプオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである

笑ってほしい。

かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間から長蛇の列である

席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。

2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。

それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。

そんなことより映画だ。ここからネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。

さて、本編はピアノ音楽によって始まる。

劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲ギターオリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック家族が耳を傾けるラジオレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。

そしてオリバーが現れる。イタリア太陽である。明るい陽光主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。

エリオを演じる当時弱冠20歳ティモシー・シャラメは終始少年健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。

アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリア太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。

この対照関係意識されたものだと思う。

エリオオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。

野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。

そしてくだんの、アーミー・ハマーの太ももである

ももに殺されたひとびとのツイートがいまならよくわかる。

しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。

短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリットももがあることだろう。

マイフェイバリットももとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分多数派である自信はない。これについてはまたあとで。

オリバー原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。

原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバー大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである

(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。

アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作エリオ言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)

そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーオリバー原作を読みながら夢想していたオリバーほとんど完璧に一致していた。

この結論にはアーミーハマーのじつに感情たかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライドトルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。

もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分エリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。

目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。

ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオ面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)

だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画から小説通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。

まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。

さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。

トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。

かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。

ただ、エリオ食卓でのとあるシーンについては国内映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオオリバー官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)

こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。

ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要役割果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。

10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。

そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。

一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。

じつは原作を読んだ時から自分は最適な読者じゃないと思っていた。

小説として心から好んではいものの、「この物語自分物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。

この映画現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。

キャロル』がそうであったように、相手性別特別なのではなく、ただその相手特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。

そして、『ムーンライト』があまりにも普通恋愛映画であるという事実特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通青少年悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。

自分はこの映画クィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。

10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。

現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。

何かが起こったこと、そして何が起こったかから目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。

からこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。

キャストきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優物語ファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。

ちょうどこのレビューを書いている最中8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#

もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。

アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。

お願いします。

邦訳本もどうぞよしなに。

2017-08-27

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の正しい見方

酷評されていますね!「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。

これだけの製作陣が集まって、何よりあの伝説映画アニメ化ということで、どこをどうするとこんなに酷いレビューになるのかと興味を持って観に行きました。

この記事スタンスとしては、この映画は誰にでも勧められるわけではないけど、ここまで酷評されていると「観に行くべき人」が行かなくなるのは可哀想だなあ、、という曖昧な感じで書いています

8/28 10:00 少しブックマークが増えたので、わかりにくいところを書き換えました。
8/28 11:05 横田守氏と細田守氏の書き違えがありましたので修正しました。同級生の絵柄もすごく好きですが、、、
8/28 11:55 横田守氏は河原崎家、野々村、遺作でしたね大変申し訳ないっす。なんか同級生系の何かも書いてた記憶があって、、、
8/28 12:45 後半に「なんでこんな脚本になった?の考察」を追加しました。

観る前と観た後の率直な感想

観る前「どうせ脚本大根仁氏がわかりやすく書きすぎて、薄っぺら映画になったに違いない」

↓ ↓ ↓

観た後「なんだこれは、、、微妙なところ付いてきたな。。。」

でした。

他の人はどう感じたんだ?と思い、映画レビューを漁りました。

そんなわけで「レビューレビュー」をしてみたのです。

(ちなみに、それらを踏まえた上での「正しい見方」は後半にあります。)

顔出しレビュアーの皆様

映画レビューサイトなどは匿名ということもあり責任が無いため極端なレビュー部分的レビューが多い感じがしました。

そこでYoutuberの皆様による参考レビューを見てみたところ、年代レビュアーの特徴も出ていて面白かったので、まとめました。

映画の良し悪しに関わらず、どういう種類の人が、どういうことを言っているのか、というのは参考になりました!

ネタバレなし】打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?【見た感想~酷評~】(じゅん じゅん)

https://www.youtube.com/watch?v=ImsZEy_5Q0U

レビュアーについて

・絵について

声優について

  • 声優も合って無い。年齢が合って無い。

・その他

総評

打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?ノーカット解説感想 ネタバレ無し(Leo Kurashiki)

https://www.youtube.com/watch?v=h_TvQse51E4

レビュアーについて

・絵について

声優について

ストーリーについて

ネタバレ注意】酷評話題の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』を実際に見てきた感想(しらふ(Cyruph))

https://www.youtube.com/watch?v=8L3zGz5O7-E

レビュアーについて

  • 論理的な感じ
  • 公平に語ろうとはしている
  • 若いと思われる

総評

・絵について

音楽について

ストーリーなど

声優について

正しい見方

さて、、、、

そんなわけで「正しい見方」、、、

少し長いです、、、

原作岩井俊二が好きじゃないと、そもそもナシ?

岩井俊二映画を観に行くときに、

を求めている人はいないわけです。

さて、原作とこのアニメ映画関係ですが、意外にも大根仁氏は原作ベースにしながら独自解釈で、魅力を増幅させようと脚本を書いたようです。

結果的に、

という作品となりました。

このアニメ作品でも映画の良さを残して、

大根仁氏が大人文化人部分を出してきてまして)

タイムリープの展開をより哲学的な形にまとめあげたりしています

そんなわけで、岩井俊二世界観理解できない、好きではない人にとっては、

単なる「よく分からない話」で終わるのかもしれません。

君の名は」と似たプロモーションによる失敗

プロモーションが「君の名は」を想像させたんでしょうねえ、、、

というわけで、デメリットが非常に出たという結果ですね!!!

ストーリー比較すれば、

という前向きに捉える人ももちろんいるでしょう。

それにしても大衆向けという意味では「打ち上げ花火〜」はちょっと難しすぎたのかもしれません。

そんなわけでプロモーションの失敗ということは確実に言えそうです。

ストーリーについて(ここネタバレです)

原作ではタイムリープは1回でした。あのとき違う行動をしていたら未来は変わっていた、という2つのストーリーを描いた映画です。

このアニメではタイムリープは何回も行われます(4回だったかな?)。タイムリープするための石という新たなアイテムも出てきます

原作好きにはちょっとアニメ的展開すぎ、という意見

石のアイテム効果で、現実感を薄くさせてしまって想像世界という感じがもちろん強くなりました。

そのため、原作好きな人にとってはちょっと不満はあるでしょう。

ただ、これによってアニメが好きな層にアプローチできると思って新たなストーリーを作ったのでしょう。

結果的にはそれでも良く分からなかったということで、アニメ好き層には響かなかったような感じがします。

タイムリープ意味について」

原作では、完全に2つの世界があって、それらは別々でした。ただ、観客はその2つの世界客観的に見ることによって、ノスタルジーや非現実感を感じて楽しむのが「打ち上げ花火〜」の醍醐味です。

アニメではそのタイムリープを全く別の意味で使っています

  • 行動を変えれば、運命は変えられる
  • 凝り固まった考え方では運命は変えられない。花火は平面の場合もあれば、丸い場合もある。

のような、能動的なメッセージを伝えようとしているあたりが違うところですね。

(この辺りが、若年層には全く伝わっていないっぽい、、、、)

声優について

詳しくないのでわかりません。

ただ、声優別に違和感は無いです(あまり期待していないというのもある)

絵について

詳しくないのでわかりません。

絵は確かにCGは浮いてると思います

あと「君の名は」もそうですし、横田守細田守氏、ジブリのものと比べても書き込まれていない部分が目立つのはその通りと思います

まとめ

レビューを見て感じたこと

キャラクター言動おかしい」というレビュー

 →岩井俊二氏が描きたかった人間全然理解できていないというか、世代の違いなんでしょうか、、、

  人って素直になれない時は変なこと言っちゃうっていう、そいいうことが理解されない時代になったんでしょうか、、、

ストーリー意味からない」というレビュー

 →ある程度、知見を持った人が映画作ってるわけなんで、理解しようという視点必要なんじゃないかなんて老婆心的に思います、、、

恋愛ストーリーなのに結果がよく分からん」というレビュー

 →この映画恋愛は真ん中に置いてあるけど主題では無くて、子供の頃の気持ちとかノスタルジー主題なんだと思うんですが、、、

結局観るべきなん?

色々な情報総合すると、こんな感じに落ち着くかと思います

原作好きな人が、原作をすっぽり忘れて観に行くと、爽やかな夏の午後のような気持ちになれる」

(どっちやねん!)

なんでこんな脚本になった?の考察

大衆的ヒットが得意な大根仁氏を擁立しながら、なぜこうなった、という話について少し言及を。

これを語るためには、2つのソース引用したいのですが、

ゴロウ・デラックス 岩井俊二 3月24日 160324

https://www.youtube.com/watch?v=4TeLnGkyCL0

この中で、原作脚本監督を一貫して行う理由を聞かれた岩井俊二氏は、こんなことを語っています

2017年発売 小説少年たちは花火を横から見たかった (角川文庫)」

https://www.amazon.co.jp/dp/4041056039

この本のあとがきで、岩井俊二自身がこんなことを書いています

こういうことを踏まえると、大根仁氏は依頼が来た時に単純なリメイク大衆受けする脚本ではなく、

そこに新しい世界を作りつつ原作を超える、新しい作品となるような脚本を作ること目指したのではないかと思われます

(完全な推測)

基本情報

あらすじ

小学生の典道と祐介は仲の良い友達だが、実は2人とも同級生のなずなの事が好きだった。しかしなずなの両親が離婚し、彼女母親に引き取られて2学期から転校することになっているとは、2人には知るよしもなかった。親に反発したなずなは、プール競争する典道と祐介を見て、勝った方と駆け落ちしようとひそかに賭けをする。勝ったのは祐介か? 典道か? 勝負のあとから、異なる2つの物語が展開する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/打ち上げ花火、下から見るか%3F_横から見るか%3F

ストーリーの種類

タイムリープ1回のストーリー

タイムリープ複数回ストーリー

岩井俊二書き下ろし

 タイムリープ無しのストーリー

https://www.amazon.co.jp/dp/4041056039

大根仁書き下ろし

 (未確認

https://www.amazon.co.jp/dp/4041054885/

2017-08-14

トライアドプリムスニュージェネレーションズを混ぜないで欲しい

こんにちは、とうとうSSAも終わり、5thツアーの幕も降りましたね。

全体的には大満足のツアーだと思ったのですが、どうしても一つだけ許せないことがあったのでこの記事を書きました。

それは何か、

ニュージェネレーションズによるトライアドプリムス曲「Trancing Palse」のカバーです。

会場では大いに湧いたという見解ほとんどのようですが、もちろんそうじゃない人々もいたと思います

トライアドプリムスモバマス時代からプロデュースしてきた人たちです。

この辺はアニメデレステから参加してきた人と決して相容れないことなのかもしれませんが、

そもそもトライアドプリムスはニュージェネーションズの子分でもないですし、

モバマス時代かなり最古から存在する「独自の」ユニットです。

モバマスユニットの多彩さが売りですが、一人が複数ユニットを重ねても決して他のユニット言及することはなく、

渋谷凛が「ニュージェネーションズ」と「トライアドプリムス」という人気のあるユニット兼任していても大きな波紋が起きることはありませんでした。

まりニュージェネーションズとしてデビューした渋谷凛も、トライアドプリムスとしてデビューした渋谷凛も、両方の世界線が許されていたということです。

アニメトライアドプリムスだけ出てきて優遇されているという声も当時から聞きましたが、

その頃からトライアドプリムスPにとって「ニュージェネーションズ」の「後輩」という扱い方の時点で決して喜ばれてはいませんでした。

モバマス時代からトライアドプリムスPは、どちらかといえば黒歴史扱いして触れていない方が多数派のように感じます

アニメ版唯一の喜びとして、

トライアドプリムスとして曲が貰えたことでしたが、それも今回の訳の分からないカバーで消えました。

専用MVもあるP.C.S、ポジパの方がずっと羨ましい。サンセットノスタルジーは。。。辛いよね

奈緒!加蓮!わたしたちの思い届いてるよね!」

真顔にしかなりませんでした。

もういっそP.C.Sもポジパもニュージェネーションズとまとめられて後輩扱いされ○○○5thとか訳の分からないユニットつけられてしまえば

この気持ちが分かってもらえるのではとか呪詛じみた考えばかり浮かんできて辛いです

https://anond.hatelabo.jp/20170813014010

この方とは少し違いますユニットPとしても辛いことはたくさんあるよ。ということで。

というかぶっちゃけデレステから追加された要素で満足したことがありません。

出会い方とかも変わってるし、中途半端アニメ準拠だし。最近モバも侵食され始めてるし。

モバPには辛い時代だと思うのですが、もう黙って滅びるしかないのでしょうか。

8/20 追記

TBブクマありがとうございました。

書き方が悪かったですね。トランシングパルスニュージェネレーションズが歌ったことよりも、

凛がTPニュージェネレーションズで歌うことで「奈緒!加蓮!わたしたちの思い届いてるよね!」と返したことが辛かったんです。

彼女誕生日ケーキ買って家に帰ったら彼女が別の男の上で腰振りながら「でも気持ちは◯◯君のものから」って言われたような衝撃でした。

ドラゴンボール超悟空進化がいちいち期待を空回りさせてくれる

まりアニメは見ないのですが、ドラゴンボールについては過去ノスタルジーおよび純粋面白いことから欠かさず見ています

・・・が、件名の通り悟空進化については骨がのどに突っかかったような違和感ばかりで製作者サイドの行き当たりばったり具合

がひどいのですこし愚痴りたくなった、以下箇条書き


最初パワーアップ形態超サイヤ人ゴッド」は姿形が素体悟空に近いのに「超サイヤ人ゴッド」と命名される。

単純に「サイヤ人ゴッド」でよいのではないか

しかもこの形態で完結するならまだしも、そのパワーアップ版として超サイヤ人モード的なものが登場し「スーパーサイヤ人ゴッドスーパーサイヤ人

とかよくわからん名称になった(あまり意味不明なんで、のちにスーパーサイヤ人ブルーと呼ばれる苦肉の策


そもそも、厳密には超サイヤ人ブルー超サイヤ人ゴッドの上位互換ではない、超サイヤ人ゴッドは「サイヤ人の神」で

超サイヤ人ブルーは「神の力をもったサイヤ人スーパーサイヤ人である

まり前者が神であるなら、後者は神の力を持った超人なので、厳密にどちらが強いか判断が難しい

そこに差別化面白さがあると思ったら普通に超サイヤ人神の上位互換超サイヤ人ブルーみたいいな描写になりつつある

漫画ではゴッドが完全にブルー下位互換描写されたようだ)


超サイヤ人ブルー存在意義がこれっぽっちもない、実際超サイヤ人ゴッドと比べて強さの差別化にまったく失敗しているので

超サイヤ人ブルー活躍する場面をすべて超サイヤ人ゴッドが代用しても話になんら支障がない。

そのくせ、ブルー活躍があまりかばかしくないので相対的超サイヤ人ゴッドの株まで大暴落し、もうなんかヤバイ感じなので

更なるパワーアップ形態が登場する気配

いや、もういいんですけどね・・・

2017-08-10

https://anond.hatelabo.jp/20170810124938

こころ」は高校だよ。

エントリーを書いたのは自分なんだけど、高校小学校国語の教材はよかった。

中学けがまらない。

小学校児童文学っぽいやつで縛ってるからさ、気負わず楽しめる。

高校はちゃんとした文学から、読み物として面白い

問題中学

文学にはまだ早いっていう配慮なのか、文学要素半分、そこにプラスアルファの味付け。

味付けが戦後昭和ノスタルジーとかで、かえってつまらない。

北の国から」のシナリオとか、あんもの集団就職上京した世代しか楽しめないと思うんだけど。

あんもの中学生が読んだら、

まだ東京で消耗してるの?

って感じの別の解釈ちゃうと思うわけで。

父さん。

ケインコスギよ、永遠なれ。

ネスカフェの「違いの分かる男」も、

リポビタンDの「ファイト一発」も、

つの間にかやらなくなってる。

しかするとこういう風に親父ギャグって出来上がっていくのかもしれない。

長年これらのCMに親しんだ我々は

これからもお馴染みのネタとして会話の要所に差し込んでいくのだろう。

もはやそれは癖だ。

しか2000年以降に産まれ世代はそんなCMなど存じないと感じる者も多いはずだろう。

2010年前後の産まれになれば完全に通じないネタだと思っていい。

するとこれから我々は若者たち

「わけのわからない言葉を発する得体の知れないおっさん

とみなされ遠巻きに見られるわけだ。

我々も若い頃に、なんだかよくわからない決まり文句ではしゃぐおじさん集団を見たことがあるだろう。

そんなおじさんに冷ややかな目を向けこうはなりたくないとも思っていただろう。

おじさんたちはギャグセンスに乏しいわけでも若者生活に無関心だったわけでもないのだ。

おじさんたちにとって変わらないはずだったものがあっけなく消えてしまったのだ。

おじさんたちは幼い頃から親しんできた故に、

それがなくなることなんて思いもよらず、

消えゆくことにすら気がついていなかったのだ。

社会から影も形もなくなってもおじさんの心の中だけで光彩を放ち続ける。

そんなノスタルジーこそが親父ギャグ本質なのかも知れない。

2017-07-23

実家に帰った話

用事があって少し前に実家に帰った。

就職してからは年に1回しか帰省していなかったけれど、今年は色々用事が重なって3回目の帰省になった。

もう蝉が鳴いていて驚いた。実家に居たのはたった3日だったけれど、3日間ともよく晴れて暑かった。でも時々風が吹いて、あけっ放しの玄関から廊下に、部屋にと涼しい風が心地よかった。

帰省の間はずっと家にいた。親が作ってくれたごはんを食べて、洗濯物を干して、ゴロゴロして、昼を作って食べて、昼寝して、親が作ってくれたごはんを食べて、お風呂に入って、テレビを見たり家族と話したりして、眠くなったら寝た。何度か電気をつけっぱなしで寝てしまって、お母さんが消してくれていた。

夏に帰ってくるのは、就職してからは初めてだった。大学生の頃は、春夏冬と休みの度に帰省した。だからか、蝉の声を聴きながら家にいると自分は今大学生なんじゃないかと思った。

わたしはまだ大学生で、夏休みはまだまだたっぷり残っている。なにも心配することはない、まだ将来のことなんてなにも考えなくていい。大丈夫大丈夫

そうやって妄想に浸る反面、休み明けの仕事のことが気になった。家族に話すのは仕事愚痴ばかりだった。



あっという間に3日間の帰省は終わって、電車にゆらり揺られてアパートに戻ってきてしまった。戻ってきたくなかった。仕事行きたくない。ずっと実家で寝て起きてゴロゴロしていたかった。ずっと永遠に蝉の声がうるさい、暑くてでも風が涼しい夏でよかった。

こうやっていくら戻ってきたくなかった、仕事行きたくないってぐだぐだ言ってても、夏の気にあてられてノスタルジーに浸っていても、仕事を中心とした雑事が常に頭の隅にあって、それがそのうちどんどん膨らんでいってまたいつもみたいにアパート職場を行き来する生活に戻っていくんだろうなと思う。

2017-07-18

ポケモン新作映画が伝えたいものとは

泣かせにきやがって。泣かせやがって。

初期脚本家で今回一部脚本クレジットされた首藤剛志はこう言っている。

 おそらくサトシにとって、『ポケモン』の空想冒険世界に旅立ったのは、少年期のほんの一瞬なのかもしれない。

 子供が最も冒険心に満ち溢れていた一瞬だ。

 その世界では、ロケット団以外の大人も、子供から見た大人しか出てこない。

 登場する大人は、協力者か、ロケット団以外の悪役は類型的な子どもの考える悪役である

 子供が憧れるような大人は、ほとんど出てこない。

 アニメ世界警官はいつでもジュンサーという名前で登場するし、ポケモンセンター女医ジョーイという名前しか登場しない。

 この人たちは登場するたびに、その土地土地で違う人間のはずなのだが、名前も変わらず年齢も違わない。

 様々な人がアニメに登場するが、誰も歳を取らない。

 ただし、ポケモンけが進化という名で成長していく。

 『ポケモン』の世界では、ポケモンだけ時間が経っていくのである

 アニメ版ポケモン』の視聴者は、歳を取る。

 しかし、アニメ版ポケモン』の世界は歳を取らない。

 つまり僕は、『ポケモン』の世界を、サトシ(ひいては視聴者)の少年時代へのノスタルジーにしたかったのである

 『ポケモン』の世界には、ポケモンしか出てこない。

 サトシの中の空想の『ポケモン世界なのだから、当然である

第143回 『ポケモン』第1、2話放映

http://www.style.fm/as/05_column/shudo143.shtml


今回アップデートされたポケモンは、完全に初期再現ではないものの、こういう意図が組み込まれている。

ポケモン20年で大きく変化した。ポケモンは151匹どころではなくなった。そのままやるなら、当時の物を見ればいい話だ。

しか20年というと長い年月だ。最初の5年を見ていない人でも懐古があるだろう。

からこその新解釈であり、新ストーリーなのだ。当時のサトシが、同じ場所からスタートを始めたらどうなっていただろう?パラレル構想である

子ども純粋に楽しめるし

「歳をとった視聴者」は、その中からあの頃のポケモンに想いを馳せることができる。

きっとキャラ1話のままだったら、この状況は不可能だった。カスミシリーズから完全撤退して10年以上経つのだ。

初期シリーズと言わず、開始から今までに一度でもポケモンをゲットしたかった人たちに向けた映画なのだ

ポケモンはいだって空想だ。その空想20もの間多くの世代が共有してきた。

サトシピカチュウと共にだ。

藤氏によると、サトシピカチュウロケット団が居ればポケモン最終回は完成するらしい。このメインキャラ最初から今まで消えたことは無い。

有名な話だが、ポケモンは長期化する予定は無かった。だからこそ封印されてしまったポケモンの初期構想。

それを味わうことができる新作映画ポッチャマが何故いるとか気にせずに、怖いもの見たさでいいから見に行ってほしい。

ちなみにポッチャマがなんとなく加入した件だが、多分歴代ポケモンピカチュウと一番仲が良かったのがポッチャマからだと思う。

サトシピカチュウ歴史あり。

2017-07-09

ノスタルジーを刺激される側になったという絶望

ポケモンが20周年記念で初代ポケモンテーマにした劇場版やることになったわけです。

サトシピカチュウ出会いテーマ映画ですって。

の子は興味あるんですかね。

PV公式サイト相棒ピカチュウホウオウに会いに行くと言われて、リアルタイム世代からしたら「うわーオニスズメと戦った後のあの伏線かー懐かしーああーサトシピカチュウそういや最初仲悪かったなーミュウツーの逆襲の頃には完全にパートナーになってたから忘れてたわー…あれ……目からきずぐすりが……」となっちゃうわけですけど、子供からしたら「ホウオウ?ああうん沢山いる伝説ポケモンの1体ね」としかならんのじゃねーかなと。

ターゲットが完全にこっちに向いてるんですよ。

ポケモン子供世代そっちのけで親世代に「この映画凄い懐かしいですよー面白いですよー」とアピールしてくる段階に入ったのかと。

完全におっさんコンテンツになったのかと。

その事自体はまあ良いんだけど、それにノスタルジーを刺激されている人間の1人に自分がなっていることが辛い。

具体的に言うと、それだけ年を取っておいて大して成長していない自分が辛い。

ポケモン楽しんでいた頃から換算したとしても物心ついて20年、それだけ時間をかけて自分果たして立派な大人になれたのかと考えるととても辛い。

男子三日会わざれば刮目して見よと言うけど、20年ともなればその2000倍以上、その間刮目して見ることが出来るほどの成長を遂げたのかと。

自分時間はいから止まっていたんだろうなあと。

20年経ったのにサトシコナンの年齢が止まっているとか言ってられないですよ。

そもそもいい年こいてアニメの話でこんだけ盛り上がっている事が何かおかしいです。

いや、自分楽しいと感じているもの、感じていたものを正しいと言えない自分おかしいです。

ちゃんと成長した人間だったら大人アニメマンガの話して悪いのかと言えるんだと思いますが、自分はそう言い切る勇気がありません。

まだ気持ち子供なんでしょうね。

子供時代の親や世間物差しにあわせてヘコヘコして薄ら笑いを浮かべていた状態時間が止まっているのでしょう。

再び歩みださなければ。

どうすればいいのかは分からないけど。

とりあえずこの映画でも見るか。

いやでもな、劇場で見てオッサンアニメ見て泣いたりしたら恥ずかしいな。

2017-06-23

なぜ、マンガドラマノベルゲーム高校生主人公物語が多いかというと、

そこにノスタルジーを感じて、心が落ち着くからなんだよね。

日常系との相性は抜群。

あだち充先生物語なんて、まさにそう。

2017-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20170614124445

2017-06-04

ドッジボールはいじめに繋がるか?−ネット微妙な異常さ

人口に対するネットユーザー比率ビックリするほど増えた割に

ネットメジャーになる思想の極端さもまたビックリするほど顕著である

 

これはネットメディア特性に過ぎないのか

はたまた時代による考え方の移り変わりなのか

自分の回りには自分とともに年を重ねた人間しかいないので今ひとつからない

 

とかくネット思想は極端である

中庸とはかけ離れたある種の怨讐じみた極論が支持を得がちである

 

個人的特にからないのが、運動音痴な連中による体育への怨嗟である

単に体育嫌いが分からないという話では、もちろんない

 

自分もいわゆる文化系であり体育は苦手な方だった

体育会系の「ノリ」も大嫌いで、徹底してそういう連中とは距離を取って来た

からないのは、これらの怨嗟がことに目の敵にする「ポイント」の微妙なズレである

 

例えば一時期やけに槍玉に挙げられた「ドッジボール

ネット「声」曰く、ドッジボールは「暴力的」で「特定個人集団でいたぶる」ことができ、「いじめに繋がる」そうなのだ

寡聞にしてドッジボールがそんな風に受け止められているところをこれらの人々の書き込み以外で見たことがない

 

ドッジボール標準的ルールに則れば「顔面セーフ」「一回当たったら外野」「敵は全員平等に倒さないと勝てない」はずなのだ

一体どういう風なローカルルールを作り上げれば「いじめられっこが集中的に狙われる」事態などが起こりうるのだろうか?

 

もちろん、ドッジボールいじめに「使われる」ことはあり得る

ドッジボールと「称して」ボールをぶつける暴力行為存在は容易に想像出来る

 

しかしそんな事を言い出したら「野球と称して」棒切れで叩くいじめもあれば

サッカーと称して」集団で足蹴にするいじめもあることも普通は知っているはずだ

なぜドッジボール「だけ」にこの何か特殊な怨讐は狙いを定めてしまったのか?

 

ドッジボールに対しては、自分の知る限りでは他の球技に比べより平等な楽しみ方ができる中庸ものという捉え方が多く見られる

「逃げ回ってれば良い/人に隠れてれば良い」から運動音痴でも楽しめたという声は数知れず

とあるノスタルジー系の漫画でも「女子男子が交じって遊べる」球技として言及されていたし、

アメリカではドッジボールは実際禁止のところもー」なんて怨嗟連は言うのだが、明らかにオタク系のアメリカ人

HxHのドッジボール編の感想で「ドッジボール好きなんだよねー」と漏らす始末

 

もちろんドッジボールにいやな思い出がある人間存在否定するものではないが

どう考えてもそういう経験、考え方の方が特殊事例であるように見えることは否めず

どうしてここまで「ひた隠しにされていた真実」といった感じの風を吹かせているのかただただ理解に苦しむ

 

ことがたかドッジボールから大げさに聞こえるかも知れないが、非現実性で言えば「ムー」ともタメを張っている

何のこととは言わないが「ネットの声」というものはおおむね他の事例もこのような極端さを持っている

 

面倒くさくなったので個人的結論をまとめると

こう言った中庸さの欠落には以下の三つの理由が考えられる

一、極端な思想は極端な声の大きさを持つ

 説明不要

二、中庸自体への反逆

 いわゆる反知性主義という奴か、ドッジボールのような「味方も多い」ものこそ噛み付きたいのかも知れない

三、お客様アンケートのズレた感じ

 コンビニなどで商品への要望を客に聞くと、必ず健康的な商品などが上げられるのだが、実際出しても売れないのだそうだ

 自分はこれを「アンケートに答えるような奴は賢しらにアドバイスがしたいだけで本当の要望なんて本人にも分かってない」からだと思っている

 有り体に言うと「言ってみただけ」

 とにかく何か槍玉に挙げてみたかたかマイナーな攻めどころを探しただけなのだ

 

ネットの声に騙されやすい人たちは「中庸こそ武器である」と知った方がよろしおす

2017-04-29

まるで僕らはエイリアン

キリンジのあの曲はこの社会に馴染めないはみ出し者をエイリアン、つまり外国人と呼び、その境地にいる二人が慰め合う様を歌ったものだと思っていた。

しかし「まるで僕らはエイリアンズ」といっていることからこのエイリアンというワードは、あたかもこの社会の者でないかのように、という意味比喩表現であって、よってこの曲にでてくる二人は実のところ社会適応しているとうかがいしれる。

まあ「月の裏を夢見て」というメルヘンチックなノスタルジーをちらつかせるあたり、エイリアンというのはシンプル宇宙人のことで、それは恋人たちの戯れのやりとりからまれたくだらないジョークなのかもしれない。

それはそうとLINE MOBILEで神妙な顔を画面越しに見せるのんマスコミ世界から存在をかき消されかけたにも関わらず、今もなお確かに私たちに向かってその凜とした顔を見せつけている。

危うく儚げな一面と、この地に確実に足を突き立てているであろうたくましい一面がない交ぜになり共存しているのんの摩訶不思議な魅力はエイリアンと呼ぶのが言い当て妙かもしれない。

彼女にはラストダンスを踊るような切ない思い出など必要ないけれども。

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