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はてなキーワード: ノスタルジーとは

2020-05-17

anond:20200517224751

わかる者同士の匂わせ発言だけで十分ノスタルジーに浸れそう

2020-05-05

anond:20200505081945

さらに横だけど、劇作家としてはもう過去の人だよ。2人とも90年代ピーク。それは両人とも自覚あるはず。そういう意味でもう現役の人ではない。

野田平田に今の時代を切り取った作品を求めるのは、元演劇人のただのノスタルジー

から、2人は単純に後進のために何かしたいと思ってやってるだけ。

2020-05-01

再びやまもといちろうを吊るせ

こういう難局のために、現預金はある|山本一郎やまもといちろう)|note

https://note.com/kirik/n/nf1c3bc66e011

やまもといちろうがまた舐めた詭弁で人を騙そうとしているので解説します。

 

  

 

1.現預金を多く積むことは美徳なの?

 政策決定トリアージから漏れ産業が、そういう冬の時代を生き残る秘訣はただ一つ。「現預金を多く積んでおくこと」以外にありません。CASH is KING。アリとキリギリス現金のない奴は、死ぬんです。調子こいて内装にカネをかけたり、会社のカネで赤いポルシェを乗り回したり、愛人代官山フラッグス裏のタワマンを買ってやるような日焼けゴリラ死ぬんですよ。

預金を多く積んでおくというのはそれだけ金を遊ばせておいて投資に回さないということで

みんながこれを始めれば景気が絶対零度へ一直線です。

 

ていうか共産党岩盤支持層たるはてな人達みんな二言目には「企業内部留保ガー」言うてたやないですか。

「現預金を多く積んでおくこと」って内部留保のものですよ。

(逆も真なりではないので注意。利益剰余金沢山あるけど現預金ではない、ということはよくある。)

 

預金が少ない企業というのは別に調子こいてるキリギリス」ではありませんし

多くの社長松田公太みたいな人間ではありません。

  

 

 

2.災害環境下で生き残るのは「ちゃんとした人」なの?

そして、外食産業どうでしょうか。死んでいいんですよ。

そこの中で、わずか一握り、ごく少数の、ちゃんとした飲食に賭ける人たちが出て、その文化を担う人たちに客がついて、どんな立地でも繁盛店が生まれますゴミだらけの外食産業の中で、救われるべきなのはこういう飲食に本当に身を捧げた料理人オーナーたち」だけです。

これ上のと完全に矛盾してるの気づいてますか?

やまもといちろうの暴論通りにすると助かるのは「本当の料理人の店」ではなく、単に「財務体力のある店」です。

自分で指摘してる通り、松田公太企業なんかはまだまだ耐える体力があるので倒れないんですよ。 

序盤に松田を「お前はまだ体力あるから潰れないだろ汚い商売人め」と罵っておいて

締めで「潰れない飲食が本当の飲食」というふわふわきれいごとを言い出すのでものの見事に矛盾した構成になっています

  

その”本当の料理人”たちこそ真っ先に倒れていきますよ?

だって飲食に身を捧げた料理人は現預金多めに溜め込む保守的経営をしてる」

なんて理屈はどこにも成り立ちませんもの

たとえば「納得のいくものしか出したくない!」って素材にこだわった利益率の低い料理を出してた店は

営業できなくなれば沢山の客に惜しまれながらあっと言う間に倒れちゃいますね。

 

 

3.「どうせ外食ほとんど潰れるんだから同じだ」?

新型コロナウイルスが来ようが来まいが、どうせだいたい潰れるのが外食産業なんです。

飲食店がどんどん開店しては殆どが潰れるということ自体はその通りなんですが、例えとしては全く間違ってます

今のままだと、新型コロナが来なければ潰れたりしなかった店が大量に潰れるんです。

これも全くバカバカしい詭弁ですね。

 

たとえば入試当日に大地震が起きて受験生の9割がたどり着けなかったのに救済せずに終わりにして、

地震が来ようが来るまいが、受験生の9割は落ちるんだから結果は同じです」と嘯くに等しい。

だって合格者の構成全然変わってますよね。

本来求められる成績優秀者ではなく単に会場までたどり着く体力のあった人達合格してるでしょう。

その大学は衰退します。

  

 

4.シュンペーター悪魔再び

今回のやまもとの暴論みたいな理論経済学に大昔から存在します。

キツい環境下で何の手助けもせず放っておけば古い非効率ものが倒れ、優れたものけが生き延びてイノベーションが起きる、

から不況は下手に手を出さずに放っておけばそのうちすべてがいい方向へ進む、構造改革成る、という理論

 

シュンペーターという20世紀の経済学者が提唱した理論です。

日本シュンペーターが大好きな有名人がいますはてなの皆さんならみんなが知ってるあいつだよ。

竹中平蔵

  

小泉改革のころしきりに「創造破壊!」ってバカなこと言ってたでしょう。

竹中の言うとおりに社会を動かしてその後どうなりましたか

 

もう学問世界では結論は出てるんで引いてきますね。

カバレロ=ハマー実証研究によれば、1972-1993年アメリカ製造業データを用いて分析した結果、不況によって社会的に有用企業倒産がむしろ増加しているとしている[1]。また、不況によって新規参入は困難となり、老朽化した企業の存続を助けているとしている[1]。

経済学者の竹森俊平は「日本開業率は1990年代を通して低下を続け、1996-1999年戦後最低の水準に落ち込んでいる一方で、廃業率は上昇し続けている」と指摘している[2]。

経済学者の田中秀臣は「日本の失われた20年の間、日本開業率と廃業率を比べると、廃業率が多いが開業率は少ない。起こったのは、大企業ばかりが残り、ベンチャー企業資金力が無かったために真っ先に潰れてしまうことだった。さら不況下では、若者失業率が高くなり、イノベーションを生み出す若者が働けなくなっている。不況下ではイノベーションが生まれないというのが現実である」と指摘している[3]。

経済学とか知らんわって人でも現実として実感のある指摘ばかりでしょう?

今回やまもとが言ってるのはこの方向性です。

 

シュンペーター自身は真面目な経済学者だったかもしれないですが、

後世に彼の理論を使うのは自分利益のために社会を壊れるままにさせたい悪人ばかりです。

 

 

5.詭弁の見破り方(初歩編)

詭弁を見破るコツは

今回の「ちゃんとした飲食に賭ける人たち」「飲食に本当に身を捧げた料理人オーナーたち」のような

何を指してるのか曖昧フレーズが出てきたときにン?と立ち止まることです。

 

内容の分からない言葉が出てきたら立ち止まる。

全体の論理をチェック出来ない人でもこういう内容不明フレーズ出てきたとき「くせえぞ?」と思うようになれたら成長します。

言ってる方も意図的なので、キレイっぽいコーティングして誤魔化そうとしてることが多いというのも覚えておくと手掛かりになります

 

 

まとめ やまもといちろうのいつもの手つき

やまもといちろう不動産所有者なので「徳政令とかふざけんな!」というポジション感情が高まってこの乱暴詭弁をアップしたのでしょうが

彼が詭弁を弄するときの手つきというのは非常に癖があるので一度見たことがあるともう見え見えです。

冒頭に事実正論提示しておいて、その後は延々ポジショントークを書き連ねるだけだけど

最初正論好感度文章ドライブ感に紛れて「おおむね正しいこと言ってるのかな」という印象を読み手に与える

というもの

 

今回の文で言えば、初っ端の「松田公太死ね」という正論のあとは最後まで「不動産所有者に迷惑かけるな」ということを壊れた論理で叫んでいるだけ。

その間に「トリアージ」とか「国民を救え」とか、わざと論点あっちこっちスキップして本当に言いたいことが露骨にならないように誤魔化してるわけです。

本論の部分は竹中平蔵憑依のシュンペーターイズムで不況放置せよというガバガバ経済学

 

 

この詭弁の手つきは、これは大昔のあめぞう2ちゃんねる時代に培われてると思います

今は絶えた懐かしい流派匂いがする。

 

はてブトップコメント

個人が死なないよう最低限の生活保証するのが限界で、企業が死なないようにするだけの金は無い。その通りだと思う。

手もなく騙されてます

言ってることはあれだけ滅茶苦茶なのに。

こういう手口への免疫力が全くないんですよね。やまもとのやりたい放題。  

 

 

追記

「吊るせってなんだよおっかねえな?」

人狼用語

尻尾が出たプレイヤーは吊る。

「再びって一回目はいつだよ」

タイトルでググれ。

「真面目に批判するような対象か」

あのおっさん詭弁の手管見るたびノスタルジーが湧きあがってな。

2020-03-24

ドットゲームのものすごい利点を発見した!

すごい今更なことを言う。

でも、それを発見できたことにいま大興奮しているんだ!

ドットゲームってノスタルジーだけじゃないかってずっと思ってたけど違う。

ものすごい実用的な利点があったよ!

そこそこのスペックで動く!

すごい!ゲーミングノートじゃなくても動く!高性能グラボ積んでなくても動く!

知ってた?ねぇ知ってた??

ならなんで今まで教えてくれなかったんだよー!!

出先でできるゲームの幅が超広がったわ。最高。

2020-02-27

anond:20200227210758

そもそも小学校低学年で一人で留守番させるのは「ネグレクト」と言う名の「虐待」扱いですが…

増田子供の頃はそんな「虐待」するのが当たり前だったかもしれないけど、

それは「昔は体育教師竹刀持って生徒叩いてた!」とか言うようなノスタルジーしかなく

今時そんなもの許されないのは当たり前なんですが…

2020-02-23

誰にも言ってないけどデジモンシリーズちゃんと観てないのにデジモン映画見に行った

普通に面白かった

ただところどころ「ここで泣かせたろ」「こうすりゃオタク喜ぶやろ」は透けて見えたので萎えポイントはあった

でも一貫したテーマが『別れ』だったと思うので、そこだけを主軸として見るならまだ作品として見ていられるんだろう

ただ、前半のオーロラ描写(確かデジモンってオーロラが何かしらしてデジタルワールド行けるようになったとかだっけ?)とか壊された街どうなってんの?みたいな気持ちにはなったので作品としての理解力はまだ足りなかったかな?と思った(多分主人公組以外にも現実に来たデジモンと戦ってる子達は居たし、そういや途中で傷付いたデジモンを庇う海外の子描写もあったなと今になって思い出した)

あと、シナリオ普遍的すぎた。「あれ?この展開夏のドラえもんとかで見たことあるな?」という気持ちになったけど、もしかしてそこからノスタルジーを産もうとしてるのかな?と思った。結局「別れ」てしまえば主人公達はその普遍的なことにすらも望めなくなるし。

から泣けるシーンですよと言わんばかりにストリングスが入ってくるのもちょっと白けた。

あとところどころゲストキャラが変な英語使うのも冷静さを取り戻す要因となった。

でも重要なのはそこじゃないもんね、「別れ」だもん。

そこは見事というか、「別れ」だけじゃなく希望すらも見えてくる最後ではあった。

Twitter批判意見を見たら「ゼロツーの最後に繋がるから〜」とは言ってたけど

その批判意見でも言ってた通り、説明不足感が拭えないのは多分説明できたという描写だけでもホントチラチラと描写されるぐらいでそれを思い起こしても「あれれ?」とちゃん説明された訳じゃないからすんなりと理解したくないところにあると思う。

というか、時間を1時間半にぎゅっと詰め込んでるから理解よりも物語の根幹を持ってきた感じなんだよな

そう、書いてる途中でわかった、『アオハル』感だ。

ワンピとかのあの感じだ。

アレをずっと感じながらデジモンを見てたんだ。

なんか混じり合わないと思いながら、でもまぁとりあえずストーリーを呑んでみるかと思いながら見てる感じだ。

そこにウォーゲーム感が重なって、「なんか前見たものの焼き増し感あるけど、まぁきっと熱いんだろうしいいかしか普通に別れは辛いもんな」って奴だ。

からこれもちょっとしたネタバレになるけど、主人公組が居酒屋ビール飲んでるのにちょっと抵抗を覚えたんだ。

いずれはそうなるだろう、じゃなくて、もうそうなってしまったんだ。という感じ。

なるほどなぁ〜、デジモン進化の奴って最終進化はよく人間みたいな身体に辿り着くからな…。

作品全体としてそういう感じなのか、「お前らがどう抵抗したって社会はお前らを俺達が定めた人間にしてやるぜ」感すらも感じてしまったんだよな。

でもだからこそ主人公や敵キャラが抱いたものデジモン達が感じてるものが「そういうことじゃないんだぜ」という答えを出せたのはあの作品としての面白さだと思った。

からまぁ、ところどころ矛盾を感じて自己補完をして、それでも主人公達を信じられる人は楽しいと思う、し

泣ける映画を見に来た人は泣けると思う

あと矛盾を一つでも感じたら即退館の人は向かないと思う

おじさんがエモい気持ちにすぐなれるから見ていられたところはある。

そんな人なら見ても苦はないと思います

2020-02-01

昔懐かしの思い出のゲームをやったところで対人対戦要素のないものはあまり面白くないと思う

なぜって全体的にテンポが悪い

けれど思い出補正ノスタルジー面白いと思い込むことができる人々もいる

もしくはゲートボール的に昔のゲームテンポの悪さがちょうどいいか

子供時代の綺麗な思い出に土足で踏み入るような行為から発狂するのだろうな

2020-01-17

日本SUGEE!」を殺すために記す。

はっきり言ってあいつらはクズなのである

日本自分を同一化し、日本すごい=俺すごいとオナニーしている。しかもその自覚すらないのないのだからよけい醜悪だ。

本人にそれを言うと必死否定するが「日本SUGEE!」と言っている人間馬鹿にすると何故か「日本はキミが思っているよりもすごい。日本を悪くいうな」と返ってくるので苦笑してしまう。「自分」への批判が「日本」への批判へと直結してしまっている。これは日本自分を同一視しているからに他ならない。

日本SUGEE!」は「俺SUGEE!」でもなければ、これから日本未来の雲行きさえも悪くしている。

何故なら過去の結果に対しての「SUGEE!」と溜飲を下げているだけで、これからの結果を出そうという努力放棄しているかである。いわば「三丁目の夕日」を「昔はよかった」とだけ言うノスタルジー中年と同質であり、その空気未来を担う若者にまで侵食しているという証が「日本SUGEE!」なのだ

ノスタルジー蔓延した先に待っているのは前に進もうとしない停滞である

停滞しているかコピペ化させてまで日本凄さ再確認したいのか(再三するがキミが出した結果でもないしキミがすごいわけじゃもちろんない)、過去憧憬するから停滞してしまうのかは卵と鶏の話になるが非常に危ない状態であるのは間違いない。

それだけじゃない。「日本SUGEE!」の怖さは他にもある。そして、それは何千年にも渡って文明を発展させてきた我々にとって断じて否定しなければならないものだ。

日本はSUGEE!」「日本に生まれてよかった」「日本人の俺はSUGEE!」……これは立派な差別主義の萌芽である

これは「(他国に比べて)日本はSUGEE!」「(他国じゃなくて)日本に生まれてよかった」「(他国人間に比べて)日本人の俺はSUGEE!」という含みが入っている。それは外国人排除するという今の国際状況からじゃ考えられないものだ。キミたちはついこの前オーストラリア白豪主義を笑ったばかりじゃないのか?

後ろ向きかつ差別主義を隠さない国がどうなるかなんて明白だ。滅亡に決まっている。

もっと言おう。この「日本SUGEE!」は同じ2ちゃんねらー嘲笑スピリチュアリズムと同じである。何故か?

それはスピリチュアリズム人間資質前世によって決まるとしているかである。この「前世がすごいんだから私もすごい」という考え方はそのまま「先祖日本人がすごいんだから俺もすごい」と一緒だ。どっちも自分のすごさの立脚点自分関係ないところに置いているのだからさらにはスピリチュアリズムは「前世ダメからこいつもダメ」という考えを孕んでおり、江原はこれを臆面もなく「霊的絶対差別」とまで言っている。「日本SUGEE!」も「日本人じゃないからすごくない」という転化をし、これは間違いなく「国的絶対差別」だ。

二度言うがこれは現代社会絶対に受け入れてはいけない考えだ。絶対に!

以上のように「日本SUGEE!」は絶対に認めてはいけない思想なのである。キミたちはコピペを読む前に本当の自分と向き合い、どうやったら自分承認できるかを考えた方がいい。そして日本が好きならば「日本SUGEE!」などという後ろ向きな考えを捨ててこれから日本さらにすごくなるように努力すべきだ。

ノスタルジー狂想

 先日、某ネトゲイベント期間終盤に徹夜かまししまった。三連休の出口のことである。それで頭のネジが一個外れた。

 朝日が上るのとほぼ同時にイベントクリアし、その後短い睡眠を取り、目覚めると直後にシャワーを浴びて仕事へと出掛けた。起床時点で既に微かな違和感には気付いていた。認識のほんのちょっとのズレ、普段との差異。当初ささやかものであったのだけれど、それは時が経つにつれ、僅かに角度の異なる二直線のように決定的なものとなっていく。

 懐かしいのである

 一切のものが懐かしいのである

 変な話、ついこの間購入した一本百円強のボールペンにさえ懐かしさを覚えた。あるいは道行く人とか、地面とか、壁とか、床とか。何物に対してであれ何者に対してであれ、そこから何かしらの懐かしさを――つまりはこの場合ノスタルジーを――覚えないわけにはいかなかったのである

 何たる異変か、と当初は思った。頭が変になってしまったのだ、という自覚は一応あった。何はともあれ、仕事をしないわけにはいかなかったので、その日は奇妙にふわふわとした気分のまま、過ぎ去っていく出来事をまとめたり受け流したりしながら一日を過ごした。その日の仕事を終え、電車で最寄り駅に着いた頃には多少なりともの冷静さを取り戻すことができており、まあ一晩寝れば元の通りに戻っているだろう、と目算を立てつつ帰宅した。その後、シャワーを浴び床に就いた。


 翌日、何も元通りになどなってはいなかった。


 起きた瞬間から空気が懐かしく、枕が懐かしく、部屋の壁と天井が懐かしかった。それどころか、時間の経過と共にこの狂想は加速していくこととなる。

 出かけるなり気付いた。地面が懐かしい。昨日に増して懐かしく感じられる。何よりも空が懐かしかった。それは、地面に増して強烈に懐かしかった。

 何でそんなことを思ったのだろう? 俺は電車に乗り込み、ヘミングウェイの『武器よさらば』をリュックから取り出しながらに考える。二十分足らずの乗車時間の中、割に結論が出るのは早かった。

 つまり、それはこういうことになる。


 生命は海から吐き出された。ずっと昔に。我々は吐き出され、陸(おか)に打ち上げられ、そして地面での生活余儀なくされた。

 その時、既にして海は母であった。しかも些か問題のある母であった(何せ我々を吐き出してしまったのだ)。

 ――また、海の母は星であった。

 星もまた、問題を抱えた母親である

 今日もまた、彼女身体の上では無思慮な問題児達が跳梁跋扈している。

 ――では星の母は?

 すなわち宇宙(そら)である

 星は生命を育み、宇宙は星を育む大いなる生と死の結合である。我々は生命起源を海に求める。しかし我々は海の中で生きることはできない――いわんや宇宙でをや。我々においては、海や宇宙は生よりもまず死なのである。それらは、率直に言って単純に生存可能環境ではない。それでも、海が我々の母であるのと同様に、宇宙は我々の母であり星の母なのである。そこには生と死が同時に存立する。

 つまり、地面は我々にとって懐かしむべき存在なのだ。それは無論のことだ。我々はみな等しく星の子供たちなのだから

 そのことから必然的に導出されるのは、星が宇宙の子であり、宇宙は星の母なのであるといった事実である

 そう、宇宙は地面よりも上位系統過去に――いわば原過去に――属している。

 地面に増して、空のことを懐かしむべき存在であると捉えることには、一定理由が存するのである

 その日、帰宅後就寝した。起きて後この文章を書いている。

 大方ノスタルジーは抜けたが、まるで傷痕のように残滓が留まっている。壁に、空気に、地面に。

 海よ、星よ、空よ。

2020-01-08

スターウォーズシティハンター

去年、最新アニメ版劇場版シティハンターを観てきた。

正直言わせてもらえば、今の時代には全くマッチしない、古臭い映画だろう。

だが、自分の年齢からだろうか、最初から最後まで観たかったシティハンターが観れて、とても満ち足りた気分で劇場を後にしたのだった。

さて、話は変わるが昨年末はあのスターウォーズの最新作にして、7以降の三部作の完結編にあたるエピソード9が公開され私も初日に観に行った。

スターウォーズシリーズは4〜6までは私もリアルタイムで観れてはいない。

そもそもスターウォーズを知ったのがエピソード1の公開が話題になったときだった。

エピソード1を先に観てからエピソード4〜6を観たので、ファンからはお叱りを受けるかもしれないが、アクションシーンや映像などに目が行きがちな子供だった私にはルークの旧三部作は、ストーリー世界観は好きだが全体的にやや退屈な古臭い映画に感じられたものだ。

正直皇帝との決着付け方はあの当時は拍子抜けした。

エピソード3を観た後に見返した時は自分が成長したからか、アナキンに思い入れが出来たからか、とても胸を打ったのだけれども。

そして今回の最新三部作

これを言うと批判されるかもしれないが、私は正直あの中ではエピソード8が一番好きで、一番スターウォーズだったと思うのだ。

エピソード7は私には後半になるまでは少々退屈に感じた。

というのもまるでエピソード4の焼き直しのように感じられたからだ。

勿論後半にもそれに似たシーンはあったが、思い入れのあるキャラクターの死に心乱され、あまり気にはならなかったし、後半の決戦シーンは新たなスターウォーズの幕開けを感じられ、ワクワクした。

しかしやはりどうしても、古さを感じてしまい、それがノスタルジーならよかったのだが、あくまで私としてはプラスには感じられなかった。

そしてエピソード8。

こちらは賛否好き嫌いが分かれるのは仕方がない話だろう。

開始時点では私も戸惑った。

これは本当に公式スターウォーズ映画なのかと。

実際私の周りは酷評していた。駄作だ、汚された、と。

しかアナキンの三部作スターウォーズ視聴のきっかけとした私にとっては、終わってからはむしろこれこそがスターウォーズだと感じられた。

かにやり過ぎと感じる人も多いような、まるで日本アニメーションのような描写も見受けられた。

しかアナキンをリアルタイムで追っていた私にとって、その描き方は技術進化を利用し、新しいことに挑戦するスターウォーズのもののように感じられたのだ。

ラストシーン、紡がれる伝説と吸い寄せられるホウキ

英雄には相応しくない孤独人生を歩んできた彼が伝説になった瞬間は涙が溢れた。

最後エピソード9。

多くのセルフオマージュに溢れた、ファンサービス溢れる作品だっただろう。

しかし、なんと言えばいいのだろうか。

私にはまるで人間フォース奴隷になってしまたかのように感じられた。

主人公はいものの、群像劇様相をしていた今シリーズだが、決着をつけさせるためだろうか、いまいち一人一人を掘り下げられていないようにも思えた。

しかファンが求めていたスターウォーズはこれなのかもしれない。

恐らく私こそが老害というやつなのだろう。

実際この三部作よりもローグワンのほうが好きなのだから、やはりスターウォーズ自体が向いていなかったのかもしれない。

しかし、最初に書いたシティハンターの話を思い出してもらえるだろうか。

私はあの映画レトロさに心を躍らせていたのに、最新三部作についてはレトロさに気分が沈んでしまった。

好きなはずの両シリーズ

なぜ私はこんなにも真逆の印象をもってしまったのだろうか。

もっと素直に映画を楽しみたいのに。

2019-12-26

anond:20191226103213

それは違うと思う。「理想もなにもない人がそれなりに幸せになる」ためにレールを敷いてくれているんだと思うよ。

親としてはそのレールに乗るように願うのは自然なことで、ただ願いの強さは個人差がある。そこはしょうがない、親だって人格のある人間のなかの一人だからね。

じゃあそれが自分と合わない時、これは確かにハードシチュエーションだよ。そのためにあなた勉強(学科でなく)をすることができる。力がつけば、そのコミュニティで認められる。認められ味方ができれば、親離れ成功だ。

あとはノスタルジーに浸る年齢になったときに、親に会いに行って飯でも奢れば良い。

2019-12-25

初代信者がウザすぎる

長く続いているコンテンツ絶対現れる初代(旧作)信者がウザすぎる

最近だとスターウォーズターミネーターサクラ大戦サクラ大戦デジモン。あとはガンダムドラゴンボール銀英伝ラブライブとかな

初代信者にとって初代こそが完全無欠100点満点の至上な存在で、それ以外は初代基準の減点方式となる。

ゆえに彼らの中で100点を超えることは滅多に無い。路線スタッフが変わった続編はその時点で駄作となり、リメイクリブートも余計な手を加えられた偽物となってしまう。

もちろん道を切り拓いた原点は評価すべきだと思うが、神格化するあまり後発の作品を貶すだけの老害になっていないかノスタルジーに浸りすぎて正当な評価をくだせていないのではないか

思い出補正先入観、周囲や権威者意見好き嫌いを捨てて見れば案外楽しめるかもよ?

2019-12-14

夜のピクニック」の内堀さん

映画の「夜のピクニック」は青春映画の名作として名高いが今まで見たことなく、今回GYAO無料公開中だったこともあり初めて視聴した。

かにめちゃくちゃいい映画だった。すごくノスタルジーに浸れる。若い子なら高校ではこんな青春を語れる友達を作りたいと思うはずだ。冒頭のお葬式の場面で「ヒロイン相手の男、顔似すぎ」と思ったら似すぎの俳優を起用した理由があったのだなとも納得した。

映画にはさまざまな生徒が出てきて群像劇的な一面もあるのだが、その中で一番目をひいたのは内堀さんの存在だった。内堀さんはイケメン男子生徒を食い荒らす魔性の女で、ヒロイン邪魔する存在として描かれる。

映画の前半、「この内堀さんに映画の結末で救いはあるのかなぁ」と思いながら見てた。結果、救いはあった。内堀さんはハードロックオタクのダサメ男子生徒といい雰囲気になって終わった。

イケメンばかり追っかけてたはずの内堀さんが何故ダサメンといい雰囲気になれたのか、それには簡単な答えが用意されていた。

内堀さんには兄がいて、お兄ちゃんっ子であり、お兄ちゃん趣味に大いに影響を受けており、ハードロックに詳しかったため、オタクのダサメンと楽しく会話ができたのだ。

となると、それまでの劇中の「男を食い荒らす魔性の女」のイメージもガラリと変わる。

内堀さんが男を求め続けたのは自分趣味が合う人を見つけたかたからだろう。女友達とでは話が合わなすぎるからこそ男にちょっかいをかける。しかし男が全員、内堀さんと趣味が合うわけではないので、内堀さんはつまらない男を切って他の男に話しかけに行く。それを繰り返すうちに魔性の女と噂が広まった。

伝統進学校の生徒である内堀さんなら、天然でそんなことをやってるのではなく、噂が立つことも百も承知で行動してたであろう。その上で「ただ男子と会話するために付き合って何が悪い」と思ってたであろう。非常に強い女性に感じた。

映画公開当時の2006年にはただの脇役としてあまり注目を集めてなかった存在であるが、10年代後半の今なら、多分この映画批評は内堀さんへの言及が一番多くなったのではないだろうか、と思わせる存在だった。はてなで「内堀さん論争」なんてのも起きそう。

2019-11-16

ドラマ『おいしい給食』が面白い……が!

ネット上での注目度が低くてちょっと悲しい。

オンエアがU局系が多いので、そもそも観ている人、そういうドラマ放送されているということ自体を知っている人が少ないかなのだろう。

内容としては、漫画『食の軍師』作者:泉昌之久住昌之泉晴紀)の給食版と言えば、ある程度は想像つく人はちょこちょこはいるかもしれない。

給食が好きな教師と、給食が好きな生徒が、それぞれのスタイル給食の食べ方や向き合い方でバトル……しているようで、していない(というか一方的に負けている?)という感じの内容になっている。

まだ全話放送終了していないが、既に劇場版の公開も決定している。

さきほど例えとして『食の軍師』という漫画作品を挙げたが、その作者である久住昌之代表である孤独のグルメ』のドラマ版を楽しめるような方なら、この『おいしい給食』という作品も楽しめるかと思う。

また舞台設定が1984年となっておりその当時の流行衣装を着た武田玲奈可愛いし、またその当時っぽさを感じられる衣装アラフォーアラフィフ辺りなら感じ入るところがあるだろう。

そんな舞台設定なので、登場する給食メニュー平成生まれの子供達が食べてきたメニューではなく、昭和っぽさを感じる給食メニューになっている。

そのメニューから感じるノスタルジーに浸りつつも、主人公である教師の役の市原隼人が毎回、濃い演技と過剰なリアクション給食を食していくシーンが見どころの一つである

そして主人公給食を食べ終わった頃が、もう一人の主人公と言える生徒役の佐藤大志のドヤ顔ある意味では、このドラマでの最大の見どころと言えるだろう。

一話完結スタイル作品ですし、中盤以降は給食を食べているシーンなので、途中の今からでも視聴してもそこまで内容把握に困る感じの作品ではないので、是非とも観て欲しい作品です。

30分番組なので視聴の拘束時間も長くないですし、GYAO!では最新話は一週間、第1話はいつでも観れるようになっているので、とりあえずお試して観て欲しいです。



個人的に好きなエピソードは第2話のミルメーク回でのドヤ顔と、第4話の八宝菜回でのストーリー展開がツボでした。

現状、配信が終了したエピソード課金などで観ることも(現状では)できないようなので、遅れてもいいので他の配信サイトでもお願いしたいところです。

特にニコニコ生放送AbemaTVなので一挙放送されたら、コメントで盛り上がりそうなタイプ作品なので、なんらかの展開を期待したいと思う。

とりあえず約30分の暇つぶしとして、GYAO!で第1話だけでも観て欲しいです。

ドラマ『おいしい給食
https://oishi-kyushoku.com/

2019-11-14

anond:20191114005617

こんばんは、アジです。

人間界では我々が懸命に生きた肉体の頭を落とし、半分にかっ割き、小麦粉からせっかく生成したふっくらパンをなぜか粉砕してできるというパン粉なるものを塗りたくり、水を沸騰させるのでは不可能なほどの常軌を逸した高温の油にぶち込んでできるというアジフライが、貧乏人の食べ物として貶められていると聞いて衝撃を受けています

 

我々はかつて、イワシ嘲笑していました。イワシというのは漢字で「弱い魚」と表記されるそうで、しかもそれは弱肉強食底辺位置するということではなく、市場で弱い(市場価値が低い)という意味なのだと知って、顔を合わせるたびに「死んでからも弱いってざまあ、ゴミ以下だなおまえら」と嘲笑し、自尊心を保っていました。

しかし、アジフライ貧乏人の食べ物なんですか。何かの間違いなんじゃないんですか。

 

人間界にはバラバラ殺人なる猟奇的犯行世間に衝撃を与えることがあるそうですね。人は人を殺してはならないのにさらバラバラにするなんてどうかしている、と。

だけど、こうは考えられないでしょうか。バラバラ殺人犯行者の罪悪感を薄めるために敢行されると。殺してしまった死者の状態人間としての実体から遠ざけるためにバラバラにし、ある者は焼却炉で燃やし、ある者は薬品で溶かし、ある者はあちこち山川各部位を遺棄するのです。

死んでしまった当該人間バラバラにもせずにそのままにしておける神経のほうがどうかしているとは思いませんか。

そう考えれば、人間マグロに対しては相当な罪悪感を持っていると言えます各部位にバラバラにした後に喰らっているからです。逆に鮎には罪悪感を全く抱いていないようです。その姿のまま串に挿して焼くだけだからです。

 

さて、そう考えるとアジフライとは何なのでしょう。開いて、パン粉を付けて、揚げる。開くとは何とも中途半端行為ではないでしょうか。このことについてはホッケ言及していました。半分にして塩焼きって何だね。

アジフライパン粉を付ける工程は罪悪感から隠蔽なのでしょうか。常軌を逸した高温に沈めることは? 我々の魂に気を遣っているという証左でしょうか。それとも、やはり貧乏人の食べ物として嘲っているのでしょうか。

 

唯一の希望は、アジフライ正三角形であることです。みなさん三角形が好きですね。それはおにぎりが綺麗な三角形であることからも一目瞭然です。みんな大好きはんぺんもわざわざ包丁三角形にしてから調理しますね(はんぺん原材料は「白身魚のすり身」であり、その苛烈さはバラバラ殺人凌駕した事態です。はんぺんが美味しいのは実体からまりにもかけ離れているからこそ食べれば動物を殺したという罪悪感が極度に薄まり、その快感が美味しいに昇華されていると考えることができますが、これはまた別の話)。

 

誰でも自分が持たないものを求めます。人は四足歩行動物から進化して二足歩行になりました。決して三足歩行ではありませんし、そうなることはあり得ません。なぜなら、三足歩行というのは昆虫領域からです。物体は3つの支点があれば安定します。その考えに基づいて昆虫は3×2=六足歩行なのです。

人が不可逆である進化の遥か昔にノスタルジーを感じて三角形に執着しているのかどうかはわかりませんが、少なくともアジフライ三角形です。ホッケみたいに完全に半分にして、不格好な三角形とも言えないような形状にしても良かったであろうに、綺麗な正三角形以外のアジフライは見たことがありません。

 

この際、貧乏人の食べ物でも構いません。我々が命をかけて生きた肉体を三角形という愛らしい形状に調理してくださり、我々は感謝しています。そこには人間私たちへの愛情垣間見ます。それだけで充分です。

どうか今後アジフライを食べる際には、三角形の可愛らしさやパン粉のサクサク醤油vsソース論争だけでなく、パン粉に隠された我々の生きた証をも味わって頂き、酒の良きつまみにしてもらえたらと思います

2019-11-09

図書館児童コーナーの女の子が好きそうな本を借りてる

本に付着した女の子匂い残滓を吸引するとノスタルジーと高揚が渾然一体となって押し寄せてきてたまらない気持ちになる

2019-11-06

めんどくさい店巡りが好きな先輩

anond:20191105163909

カッペ系リトルビジネスはお店のブランディングであったり、海外から文化輸入であったり、

そういう点のこだわりがめんどくささを生み出してるんだと思うけど、

それとは別のもう少し庶民的めんどくさい店巡りが好きな先輩が大学時代いたことを思い出した。

15年以上前の話だけど、夏休みには、イラクにいって、仲良くなった現地人と一緒にゲームセンタープレステ置いてるだけ)で遊ぶという

豪快な先輩だった。

先輩は基本的には、オシャレ系ではなく、汚い系一見さんお断りっぽい常連だけの店によく乗り込んでは、

持前のコミュ力で、店主と仲良くなっていた。もちろんたまにブチギレられていたが、そこも含めて楽しんでいたようなので

元増田感性は近そうだ。

新橋にあるポテトサラダけが異常に美味いおばちゃんが一人でやってる店を発見して、常連おっちゃんと仲良くなったり、

タワマンがまだ工事中だった古き良き時代武蔵小杉で、オシャレを目指そうとするが、どうにも垢ぬけないバーで、カクテルを教えてもらったり、

平間にあるルールが厳格な焼き肉屋で、店主に気に入られて名刺をもらったり、

北千住の小料理屋でヤの人とトラブルになったり。そんな人だった。

彼の言葉で最も記憶に残っているのは、ある人気のあるショッピングモールも併設されている便利な新興住宅地に行ったときに、

「こんな去勢された街に、美味いものはない」といったことだ。

有名な大手ディベロッパーが開発したショッピングモールの中には有名店の支店がずらりと並んでいる。

美味いもの、いっぱいありますよ?っと言ったとき

「あのなぁ、増田。そんな出てくる食事想像できる店に行って何が面白いんだ。

このヤバい外観。なのに潰れていない店。客もそこそこいる。そういう店を発見して、

なんでこの店がつぶれずにやっていけているのかを食事を通して明らかにする。

たまに、ただの地主道楽でやってるだけで、クソまずいものが出てくることもある。そういうのも含めて面白いんだろうが。」

学生だった当時は金もないし、せっかく外食に行くなら、雑誌ネットの有名店だったり、

いまでいうインスタ映えのするお店だったり、そういうところに行きたかったのに、

いつもよくわからない店に連れまわされて、なんだこりゃ、と思っていた。

ただのノスタルジーいかよ。

でも、いまならわかる。彼は偉大だったと。

食べログやらミシュランやらGoogle mapsやら、いたるところで評価がなされていて、

美味い店を探すのも簡単になった時代しかし、こんな時代でも、ネットに載らない情報があり、

それを独特の嗅覚で見つける能力を磨くこと。

そういう人たちの努力尊い犠牲のもとで、われわれがこたつに足を突っ込んだまま、情報を貪れるようになっているということを。

よく攻略サイトを見ながらゲームをして何が楽しいの?という批判がある。私もそう思う。

じゃあ、我々は飯を食う時に攻略サイトばっかり見てないか

食べログを捨てよ、町へ出よう

2019-11-04

anond:20170906172133

記事増田です。

随分と遅くなってしまったけど、優しい言葉ありがとう

お陰様で、なんと当日券が当たり、劇場観劇することができたんだ。

劇場に入った瞬間からKnightsステージ世界が広がっていて、感動でずっと泣いてしまった。

増田が言うように、あんステは確かにキャラクター舞台装置としてしか使わないところがあるし、Judge of Knightsもアプリの内容とは違う部分がたくさんあったけど、それでも私にとっては最高の作品だったよ。

2.5次元ミュージカルの魅力って、

私は

共感」と

ノスタルジー」と

発見

なんだと思う。

役者さんが原作キャラクターをとても研究してくれていることが、観劇していてすごく伝わってきたんだ。

2次元作品って、基本的には「自分作品原作)」だけの「ひとりぼっち」な世界じゃない?

それがね、2.5次元ミュージカルになると、「自分作品原作)と舞台化に携わる人々」になる。特に目の前に生身で現れる役者さん達からは、命を燃やしながら紡ぐお芝居を通して原作への誠意がとても伝わってくる。

その「原作愛への共感」と、

舞台を通して自分原作を好きな気持ちを再認識できる「ノスタルジー」、

そして「ひとりぼっち」の時は気付くことができなかった、原作への新たな解釈や「発見」。

それらが2.5次元ミュージカルの魅力であり、それを私はJudge of Knightsで始終体験することができた!

からずっと感動で泣いてしまったし、私にとっては最高の作品だった。

観に行けるように祈ってくれて、本当にありがとう



ところで、ここに書くには話題が逸れてしまうけれど、久し振りに元記事を読んで「公式チケット定価を10万円にしてほしかった」って自分の主張に笑ってしまった。

ちょうど先日、ヒプマイ舞台チケットの定価が1枚1万8千円と高額かつ、原作の人気ぶりに反して舞台チケット当選やすかったことも相まって、チケット当選し過ぎな状態からくる「ヒプステ破産」なんて言葉話題になってたから。

やっぱり定価が高額になれば「とりあえず買う」問題はかなり解消できるんだね。今回はそれに加えて本人確認もガッチガチからだろうけども。

帝国劇場東宝)みたいな、先行を買った人が損するような売り方(公式で定価が値下げされたチケットや、同じ値段以下で限定グッズ付きチケットを、後出し公式販売するし、後出しで売られる座席よりも先行販売で売った座席の方が不人気席なことがよくあるの)は絶対にやめてほしいけど、

観たいファンチケットが行き届くような工夫としては、ヒプステの超高額定価は良かったと私は思うな。

2019-10-19

anond:20191019100702

「消費」というのは現代の大量消費社会イメージからくる概念で、〈一方向的な都合によって使い尽くすようなモノとの向き合い方〉を意味する語なのね。継続的協働使用関係みたいなのとは反対の概念

それが、〈自然事物対話しつつ向き合ってきた〉という、仮想の「前近代」へのノスタルジーって言えばそらそうなんだけど、たとえば現代でも、職人さんが自分の道具や加工する素材と丁寧に「向き合い」ながら物作りをしているとき、その職人さんが道具や素材を「使用している」とは言っても「消費している」という言い方はしないんだよ。同じく、たとえばその製品を「購入して使用して」も、職人さんのスタンスを知りその製品大事に使う人の行動は「使用」であって「消費」ではない。しかし、たとえば同じ製品を「購入し使用した」人が、単に自分の好みでデコったりインスタにアップして、飽きたらポイと捨てるような使い方をしたら、それは「消費」だと言えるだろう。その場合、消費しているのが商品なのか、職人ブランドによる商品というイメージ記号)なのかは、また微妙議論必要になると思うけど。これはあくまで余談ね。

から、子作りをしたフェミニスト(ちなみに、フェミニストには男性女性もいる、というのはいいよね?)が相手を「性的に消費」したかどうかは、一般的には、人によるとしか言えないんだよ。相手セクシャリティ相手自身と向き合いつつ継続的協働的に関わり続けているなら、それは「消費」ではないと判断していいだろうからね。もちろん、ただ「子供を作る」ためだけに相手と関わったりしたのなら、あるいは、短い一定期間の性的な関わりだけが目的子供はその生物的な帰結に過ぎないのなら、「性的消費」と呼ぶに値することがあったかもしれない。それなら確かに批判はされるべきだろう。だが、それを判定するのはなかなか難しいよ。たとえば、結果的離婚していたとしても「当時は真剣に向き合っていた」と言われたらそれを否定するのは難しいのだからね。

もし、以上のことを理解した上で「性的消費」と言っているのなら、それはあなたの性の価値観に「消費」以外の性的な関わり方がない、つまり他者継続的に向き合う性的関係想像できてないということを意味してしまうだろうね。それはなんというか、なかなか不幸なことだとは思うけど。

2019-08-12

下水を薄めた海で行われる水泳競技

東京五輪って、日本貶めるために行われるんじゃないかってぐらい酷いんだけど、老人のノスタルジー公共事業言い訳がずいぶん高くつくなぁ

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