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はてなキーワード: 心療内科とは

2021-05-07

anond:20210507151902

増田が辛いのはわかるが、その辛さを分かち合うにはかなりのコミュニケーション能力必要だと思うぞ。特にこういう匿名の場では。

何かトゲトゲした言葉を見つけたら「生きるか死ぬか」と極端な感情論牽制するしか手段を持てないってのは理解できる。

お勧めは、やはり心療内科だ。可能ならばこの増田のやり取りをコピーして自分発言内容をわかりやす提示してみては?別にコミュニケーション能力を高めろとは言わないが、少なくとも心の平穏は処方薬や何らかのプログラム改善するだろう。

anond:20210507151733

さっきから「いやいや」しか言わないのね。早く心療内科新興宗教の門をくぐろう

anond:20210507115856

みんなそこそこ健康だけど

もったいないから病院行くんだぞ

かったりーなと思って心療内科に行って運良ければ鬱認定貰って手帳や障がい年金

肌かさつくなと思ったら皮膚科で保湿剤

快楽目的肛門科にけつの穴ほじりに行って

歯医者で歯くそとってもらう

お前損してるぞ

弱者女性精神障害者男性サンドバッグにしてきたことについて

anond:20210506234730を読んで、書いておこうと思った。

弱者女性を名乗る人々が精神障害持ち男を「でも理解のある彼女さんが」と、積極的に叩いて来たことは忘れないし、いくら弱者女性が辛そうにしていても「所詮弱者女性自分の不幸を理由に人の不幸(精神障害)を軽んじ、嘲笑する人間性からな」と思い続けるだろう。

そして今現在の心境としては、弱者女性いくら辛そうにしていても絶対に手を差し伸べたくないと思っている。

思っている、というよりは

思ってしまうようになった、というのがより適当だ。

わたし普段生活において、「人に親切にしよう、人に気を配ろう、(いくらかの定型発達の人々が無自覚にするような)人を追い込むような真似はやめよう」と積極的に気をつけて生きているつもりだ。別に、不幸な人々を負け組嘲笑し生きるような人柄ではない。しかし、弱者女性を名乗る人々の言動を見るうちに、「弱者女性は、こんな言動をしていたんじゃ差し伸べられる手も差し伸べられないだろうな」という感情が「誰が手を差し伸べるか」という気持ちに変化していた。

正直なところ、わたしは手を差し伸べられると、差し伸べるほどの余裕や能力があるとは言い切れない。だからわたしがどう思おうと関係のない話かもしれない。

 

弱者女性には弱者女性なりの辛さがあるのだろう。それは、男性であるわたしには男性なりの辛さがあって、発達障害であるわたしには発達障害なりのつらさがあるのと同じだろう。わたしの辛さが弱者女性に完全に理解できるものだとは思わないし、わたしもまた弱者女性の辛さは理解できない。

弱者男性たるわたしと、弱者女性どちらが辛いかはわからない。測り、比べられるものだとも思えない。

しかし、弱者女性たるあなたがが辛いのだと主張すれば、辛いのだろうなと思うことぐらいはできる。「そうなんですね」程度の相槌は打てるだろう(それがわたしコミュニケーショ能力限界だ)。

これがわたしの線引きだ。これ以上はもう手を差し伸べたくない。

 

わたしが男だからか、は知らぬが「理解のある彼女さん」を作ろうと思えば作れるだけの性的価値とやらはあったかもしれない。

だがアセクシャル、アロマンテイックの自分にとって、理解のある彼女さんは不要だった。欲しいと思えなかった。

高校時代に鬱で心療内科にかかり、(ずっと怖くて診断を避けていた)発達障害の診断を受け、障害を受容し、社会で人並み程度に働けるようになるまでには多大な苦しみと努力があった。

わたし普通には働けないのではないか障害者雇用を選ぶべきではないかそもそも社会に出るべきではないのではないか、周囲が言うようにわたし女性に養われるべきなのか、そのために好きになれない異性相手理解し難い恋愛感情偽装結婚するべきなのだろうか……

からすれば大したことのない悩みかもしれないが、わたしにとっては生涯を通して付き纏うだろう悩みだ。

結婚という逃げの選択肢があるだけマシ」と言われるかもしれないが、その選択肢を負わねばならない人間にもそれなりの辛さがある。

結婚したくもないのに、結婚しなければ嘲笑される。養われたくもないのに、養われれば良い、養われるべきだ、養われないなんて、選べるのにこれを選ばないなんてバカだ、選べたのに選ばなかったなんて大バカだ、と謗られる。その風当たりは歳を取れば取るほどきつくなるのかもしれない。

辛いことだ。

弱者女性の「でも男は理解のある彼女さんが」は、大変不愉快で腹立たしく、そして不安気持ちにさせるものだった。誰に対して言ったわけでもない、自嘲混じりの嘆きだったのかもしれないが、実在個人に当たる弾だったのだ。

 

わたしは、許さない。

 

わたしのようにアセクシャルでない障害男性にとっても、失礼な言葉だと思う。

女性から恋愛対象に該当するような男性になることは、フリをすることは努力必要だ。金も服装も、正しい話題選びも、普通男性らしいふるまいをすることも、普通男性らしいコミュニケーション能力を身につけることも、とても困難な男性はいる。普通男性に、普通に価値がある」男性に、擬態する努力は何も異性から好かれるためではない。人並みに扱われるために不可欠な努力だ。「理解のある彼女さん」も「性的価値」も男ならば必ず初めから手に入るものではない。努力あってのものだ。

 

理解のある彼女さん、に好かれ、関係を維持している障害持ち男性は、自分努力を語るにも周囲への感謝を欠かさない素晴らしい人だろう。

(正直な話、わたしだってアセクシャルとして、恋愛脳の異性愛者は結局「彼女さん」か、とうんざりしていたし、理解のある彼女さんに頼る甘えたバカ男のせいで自分の辛さが矮小化されるわけで恨みしかないわけだが、)理解のある彼女さん持ちの障害者男にとっても「お前らは理解のある彼女さんがいるからいいよな」は不快言葉だったろう。

 

さまざまな精神障害認知され、発達障害を持っていても療育によって働ける男性は増えていくだろう。異性に頼らずに生きる障害だって、この世にいるのだ。

 

あなたがたは、ーーーあなたではないかもしれないが例えそうだとしても、弱者女性の名で、精神障害持ちの男性にたいして発してきた言動は、無かったことにはできない。

弱者女性の辛さを、弱い立場男性を叩く正当化材料したこと自分の辛さを人への加害の理由にする、品位の無さ。

弱者女性論を歪めてきたのは誰か、よく考えて欲しい。

弱者女性は、弱者女性を名乗る幾人かの言う通り、ごく一部の自称弱者女性がそうした言葉を発しているだけなのかもしれない。

弱者女性に寄り添う顔をして、(※フェミの反対の概念がない)叩き男叩きに興じる悪がいるだけなのかもしれない。

しか弱者女性が、はっきりと、それを否定批判しているは見たことがない。

 

例えたった1人でも、過去の(あなたもしくは弱者女性を名乗る他人の)発言批判するならばわたしも考えを変える努力をしようと思う。

 

それでもやはり、あれらの発言絶対に許さない。

2021-05-06

追記しました。弱者男性精神障害者女性サンドバッグにしてきたことについて

anond:20210509075626追記を書きしました。

 

anond:20210506123407を読んで、書いておこうと思った。

弱者男性を名乗る人々が精神障害持ち女を「でも理解のある彼氏くんが」と、積極的に叩いて来たことは忘れないし、いくら弱者男性が辛そうにしていても「所詮弱者男性自分の不幸を理由に人の不幸(精神障害)を軽んじ、嘲笑する人間性からな」と思い続けるだろう。

そして今現在の心境としては、弱者男性いくら辛そうにしていても絶対に手を差し伸べたくないと思っている。

思っている、というよりは

思ってしまうようになった、というのがより適当だ。

わたし普段生活において、「人に親切にしよう、人に気を配ろう、(いくらかの定型発達の人々が無自覚にするような)人を追い込むような真似はやめよう」と積極的に気をつけて生きているつもりだ。別に、不幸な人々を負け組嘲笑し生きるような人柄ではない。しかし、弱者男性を名乗る人々の言動を見るうちに、「弱者男性は、こんな言動をしていたんじゃ差し伸べられる手も差し伸べられないだろうな」という感情が「誰が手を差し伸べるか」という気持ちに変化していた。

正直なところ、わたしは手を差し伸べられると、差し伸べるほどの余裕や能力があるとは言い切れない。だからわたしがどう思おうと関係のない話かもしれない。

 

弱者男性には弱者男性なりの辛さがあるのだろう。それは、女性であるわたしには女性なりの辛さがあって、発達障害であるわたしには発達障害なりのつらさがあるのと同じだろう。わたしの辛さが弱者男性に完全に理解できるものだとは思わないし、わたしもまた弱者男性の辛さは理解できない。

弱者女性たるわたしと、弱者男性どちらが辛いかはわからない。測り、比べられるものだとも思えない。

しかし、弱者男性たるあなたがが辛いのだと主張すれば、辛いのだろうなと思うことぐらいはできる。「そうなんですね」程度の相槌は打てるだろう(それがわたしコミュニケーショ能力限界だ)。

これがわたしの線引きだ。これ以上はもう手を差し伸べたくない。

 

わたしが女だからか、は知らぬが「理解のある彼くん」を作ろうと思えば作れるだけの性的価値とやらはあったかもしれない。

だがアセクシャル、アロマンテイックの自分にとって、理解のある彼くんは不要だった。欲しいと思えなかった。

高校時代に鬱で心療内科にかかり、(ずっと怖くて診断を避けていた)発達障害の診断を受け、障害を受容し、社会で人並み程度に働けるようになるまでには多大な苦しみと努力があった。

わたし普通には働けないのではないか障害者雇用を選ぶべきではないかそもそも社会に出るべきではないのではないか、周囲が言うようにわたし男性に養われるべきなのか、そのために好きになれない異性相手理解し難い恋愛感情偽装結婚するべきなのだろうか……

からすれば大したことのない悩みかもしれないが、わたしにとっては生涯を通して付き纏うだろう悩みだ。

結婚という逃げの選択肢があるだけマシ」と言われるかもしれないが、その選択肢を負わねばならない人間にもそれなりの辛さがある。

結婚したくもないのに、結婚しなければ嘲笑される。養われたくもないのに、養われれば良い、養われるべきだ、養われないなんて、選べるのにこれを選ばないなんてバカだ、選べたのに選ばなかったなんて大バカだ、と謗られる。その風当たりは歳を取れば取るほどきつくなるのかもしれない。

辛いことだ。

弱者男性の「でも女は理解のある彼氏くんが」は、大変不愉快で腹立たしく、そして不安気持ちにさせるものだった。誰に対して言ったわけでもない、自嘲混じりの嘆きだったのかもしれないが、実在個人に当たる弾だったのだ。

 

わたしは、許さない。

 

わたしのようにアセクシャルでない障害女性にとっても、失礼な言葉だと思う。

男性から恋愛対象に該当するような女性になることは、フリをすることは努力必要だ。メイクも、服装も、正しい話題選びも、普通女性らしいふるまいをすることも、普通女性らしいコミュニケーション能力を身につけることも、とても困難な女性はいる。普通女性に、普通に価値がある」女性に、擬態する努力は何も異性から好かれるためではない。人並みに扱われるために不可欠な努力だ。「理解のある彼くん」も「性的価値」も女ならば必ず初めから手に入るものではない。努力あってのものだ。

 

理解のある彼くん、に好かれ、関係を維持している障害持ち女性は、自分努力を語るにも周囲への感謝を欠かさない素晴らしい人だろう。

(正直な話、わたしだってアセクシャルとして、恋愛脳の異性愛者は結局「彼くん」か、とうんざりしていたし、理解のある彼くんに頼る甘えたバカ女のせいで自分の辛さが矮小化されるわけで恨みしかないわけだが、)理解のある彼くん持ちの障害者女にとっても「お前らは理解のある彼くんがいるからいいよな」は不快言葉だったろう。

 

さまざまな精神障害認知され、発達障害を持っていても療育によって働ける女性は増えていくだろう。異性に頼らずに生きる障害だって、この世にいるのだ。

 

あなたがたは、ーーーあなたではないかもしれないが例えそうだとしても、弱者男性の名で、精神障害持ちの女性にたいして発してきた言動は、無かったことにはできない。

弱者男性の辛さを、弱い立場女性を叩く正当化材料したこと自分の辛さを人への加害の理由にする、品位の無さ。

弱者男性論を歪めてきたのは誰か、よく考えて欲しい。

弱者男性は、弱者男性を名乗る幾人かの言う通り、ごく一部の自称弱者男性がそうした言葉を発しているだけなのかもしれない。

弱者男性に寄り添う顔をして、フェミ叩き女叩きに興じる悪がいるだけなのかもしれない。

しか弱者男性が、はっきりと、それを否定批判しているは見たことがない。

 

例えたった1人でも、過去の(あなたもしくは弱者男性を名乗る他人の)発言批判するならばわたしも考えを変える努力をしようと思う。

 

それでもやはり、あれらの発言絶対に許さない。

ある鬱の例

鬱にはいろいろな症状があるらしい。自分自分の症状しか知らない。

10年ほど前、文字どおり馬車馬のように働いていて、心が壊れた。

毎月の500時間労働で、ずっと会社で寝泊まりしていた。

スーツ下着は大量にロッカーストックして、3日に一度ほどカプセルホテルシャワーを浴びた。

毎日地獄だった。

システムトラブルから立て直せず、すでに数人が倒れている状況で、

とうとう上司が倒れたことで当時まだ若手だった自分サプライズ人事で突然チーフプロマネになった。

あとで思えば、クローズのための人身御供だったんだと思う。

たいして立て直せないままデスマーチは続き、半年ほどたって、

会社は巨額の損失を受け入れてプロジェクトクローズする判断をした。

自分担当する新プロジェクトリストラだった。

当然自分退職願を出したが、どうしても受け入れられず、

自分のチームから20人切ることになった。

すべて自分の元先輩社員だ。

地獄のような日々を一緒に過ごしてきた戦友なうえ、目上の人たち。

役員に「今やめるのがもっとも人として醜悪な逃げ方だ」と説得され、

お前が責任を取れと詰められ、

部下(かつての先輩)には怒鳴られ泣かれなじられ、

ただただ死にたい日々だった。

数人しか自主退社はしてくれなかった。

うまく書く言葉が見つからないので、なるべくシンプルに書く。

ここから半年記憶ほとんどない。

医師から聞いたのは、自分は突然真っ昼間の職場号泣し、

逃げ出してしまったそうだ。

たいして親しくもない大学時代の友人宅に転がり込んで、

日中携帯をいじっていたらしい。

まったく記憶がない。本当にないからどうしようない。

そのあと妻に連れ戻され、精神病院にいったようだが、

ある日突然、半年ほどでスッと鬱が抜けた。

妻は喜んでくれた。

退院したあと、すさまじい恐怖が襲ってきた。

自分に何もない恐怖に耐えられなかった。

仕事金もない。マンションのローンを返せるあてもない。

狂ってしまった自分が恥ずかしく、外に出られなくなった。

妻にあまりにも申し訳なく、妻の顔が見られなくなった。

空白の半年記憶もまったく戻らない。

妻に付き添われて心療内科にいき、カウンセリングをはじめたが、

治療を受けるのが急に怖くなってしまい、また逃亡してしまった。

重度の不眠症になり、どんどん飲む薬が強くなり、

妻のパート収入だけでは生活不可能だったので、妻とは離婚した。

実家寄生してそろそろ10年になる。

もう自分技術では就職はできないだろう。

だが死んでわびる勇気もない。ただただ母に申し訳がない。

せめて一円ももわず、炊事以外の家事はすべて自分がやっている。

父の遺産実家くらいしかない。築40年の田舎の戸建てに価値なんてない。

母の月10万ほどの年金で親子2人で暮らしている。

どうすればいいのか毎日考えているまま10年が過ぎてしまった。

自分はどうすればよかったんだろう。

2021-05-01

anond:20210501225016

異端審問がないから、人を騙して食い物にする宗教がのさばってるから

何らかの形で騙すやつを弾く枠組みが必要だ。そして今は心療内科だろう。宗教書物で読むのはいいが、まがい物宗教が増えすぎて抑えられない以上、宗教団体に頼る時代ではない。

2021-04-23

精神障害者の俺、手切れ金としての年金、この世界への感謝

世の中大変なことになってるなあと思いながらぼけーーーーっとネットやらテレビやら見て、好きな時にシコって飯食って寝て暮らしている。

俺は障害者だ。頭の方の。もともとアスペルガーだか自閉症だか知らないが、よくわかんねえけどとにかく一回就職して、働いて、しばらく耐えて、ぶっ壊れた。

そもそもまれときからおかしかったんだよ。だって生後3年間意味のある言葉ひとつもしゃべらなかったっていうんだから、そりゃおかしいよな。

親も医者相談するなりすりゃよかったのだが、自分の子供がそういう子だと認めたくなかったんだろう、心療内科の類への来院歴は全く残ってなかった。(これ障害年金請求するとき調査が入るらしいのよ。そういわれたってだけだからほんとかは知らんけど)

小学校に上がっても「変わってるね」「おかしいよ」「あい面白いぜ」なんつって珍獣扱いされてちょっかいかけられてたし、学校の窓を蹴って割ったりとか人を殴ったりとかで停学食らったりして、まあとにかく、ずっと前からおかしい人だったらしい。

こんな自分語りの場で自分のことをちゃん説明できないっておかしいだろって話なんだけど、俺も俺がどういう状態人間なのか説明できないんだよ。ほんとに。

怒りのスイッチが人より過敏で一回入ると止まらなくなるっていうのがあるらしい。前頭葉がどうのこうの言ってたけど、わかんねえな。忘れた。

それでも一回は「このままじゃだめだ、まともになろう、真人間になろう」って言って奮起した18の自分を本当に褒めてあげたい。会社入って働いて、それで一回イカれちゃって、体調はさらに悪くなったけど、

おかげで会社員やってた経歴が残って、障害年金障害厚生年金になったからな。この差は大きい。

これだけで、働かなくても、一人で生きてけてしまうんだ。

もうこうなっちゃったら世捨て人も同然、

霞食ってぼーっと生きてて週に一回医者に掛かって、もらった薬を飲んでれば、最低限飯食って便所でクソして寝るくらいはできるようになったんだ。

完全におかしくなってたときは外でクソ漏らすことがよく有って、マジで恥ずかしかったし、あれほど「俺はこの世界からしたら異物なんだ、いるだけで迷惑なんだ」と思ったことは無かったね。

こういうの家族に言うとさ、「お天道様に申し訳ないと思わんのか」「働きもしないでよく外に出れるな」って言われるんだけどさ、

しょうがねえじゃん、俺に居場所なんかねえのよ。

バイトとかけっこう申し込んだりもしたよ?受かんないんだよ。ほんとに。

まだ障害者手帳貰う前の就活ときも苦労したよなあ、きちがいを見る目で面接官が俺を見てたよ。エントリーエントリーエントリーエントリー!お祈り!お祈り!お祈り!お祈り

親とはもう何年も会ってねえなあ。コロナのおかげで会わない言い訳が楽で助かるよ。

医者に聞いたんだよ、「僕の病気はいつか治るものなんでしょうか」って。そしたらお医者さん正直だね、「貴方障害は治るものではありません。投薬治療によって少しずつ波を収めて、生活可能範囲に症状を押しとどめることしかできません」って。

そら一生治らん宣言じゃねえか。まあでも中途半端に「頑張れば治ります!」とか言う医者よりは絶対誠実だね。俺はあのお医者さんのことは好きだよ。

まあ何が言いたいって、俺はもう世の中の仕組みから外れてしまったってことで。

ずっと普通じゃないおかしいって言われてきた、そういう中で公的制度から「君は障害者だ」って言われて、二か月に一回〇〇万円支払われる。で、この障害はなんかマジで治らないものらしいから、つまりは一生もらえるわな。国が年金制度やめます!って言うまで。

さすがにやめるとは言わねえだろ?超高齢者社会、老人のほうがエライ選挙の影響力的な意味で)国で。まあだから俺みたいな障害年金受給者は、老人様の威光にあやかるコバンザメだわな。

いいんだよ、それでなんも文句はない、了解したよ。

これつまり「手切れ金」だろ?

社会あなたとは違うスペック人間基準に作られています。そこに明らかに違う形のあなたが入ってこられると上手く回りません。

から、これだけ支払いますから私たち社会に入ってこないでください。邪魔なので。そういうことなんだと理解したよ。

まあそりゃそうだよな。みんながガンプラ組み立ててんのにひとりゾイド部品持ってきたら「居ないほうがマシなんだけど」ってなるよな。

何の不満もなくのんきに生きてるよ。週3日くらいは布団から出られないけど。

医者以外誰とも会わない。友達?いないいない。無理。彼女?3次じゃボッキしねーんだわ。いやこれはまじで風俗で試したんだけど、どうあがいても生身の人間で興奮できない。AVとかも無理だね。

障害者になってよかったのは美術館がタダなんだよな。ぼーっと見てられるわ。

映画館とかも割引で見れるのよ。「罪の声」よかったわ~。

こんだけ露悪的な文章書いてると「こいつクソだな」って思われてそうだし、「周りの人間皆嫌いなんだろうな」とか思われてそうなんだけど、実はそうでもないんだ。

俺に親切にしてくれるあの医者は好きだし、

良く行く飯屋のおっちゃんに顔覚えられちゃって、話しかけられたら「不景気ですねー」くらいの話はするし(俺景気のことなんかわかんねえけど)、

こんなコロナだかでその店がつぶれておっちゃんが悲しい思いしてほしくないって思うから結構頻繁に通ってる。

美術館で飾ってある美しいものを見ると「こんなすげえもんを今よりずっと不便な時代に作った人が居たんだなあ」って感動したりもするよ。

こないだ図書館で「容疑者Xの献身」を読んだんだけど、超面白かった。こんなすげーもん作れる人は超儲かっててほしいと思って調べたら、東野圭吾ってものすげえ大ヒット作家なのな。自分無知が恥ずかしいわ。

怒りのスイッチがどうのって最初書いたけどさ、なんか感動のスイッチも同じくらい簡単に入っちゃうみたいでさ、もう最近漫画とか映画とか小説とか音楽とか良いものに触れるとすぐ泣いちゃう

そのたびに「ああ、俺って生まれてきてラッキーだったんだな」って思うんだよ。

昔はちょっかいかけられたり会社で詰められたりして落ち込むたびに「しょうがねえじゃん、おれはなんでかしんないけど皆みたいにうまくできないんだよ」ってキレてたけどさ、

その「皆」が頑張って作った社会があるから、俺みたいな異形がのんきに生きてられるんだって思うようになってさ、じゃあまあ、いつまでも恨み言言いつづけることもないかなと思って。

からなんか、なんていうか。

みんな俺を殺さないでくれて、生かしていてくれてありがとう

俺は今、ようやく今になって、世の中には汚いものとおなじくらい沢山、美しくてきれいなものがあると知れたよ。

2021-04-21

酸素のない水

普通とは何なのだろうか。

普通でいることが善なのか、はたまた悪なのか。

よく「量産型」という言葉を耳にする。

個性的で、長いものに巻かれる。それは当たり障りない人生というテンプレートをなぞっていくような言葉にも感じられる。

しかし。

先天的発達障害(ASDADHD、DCDのトリプルコンボである)を抱えて生きてきたわたしには未だに今ひとつ普通」「没個性」というものがピンとこないのだ。没個性を目指してもなれない、普通を求めても手に入らない。最初約束と違ったことを言われたり、イレギュラー要求をされるとそれを「普通」にはこなせないし、0か100かしかないので50を求められても相手の思うように返せない。

その発達障害20歳になるまで見つけられることがなく、いわゆる定型発達の子どもたちと混ざって幼少期から常に「変な子」「面白い子」と揶揄されてきた。その度に普通でいることのハードルの高さを感じさせられた。

かに物心ついた頃から子ども特有の目のキラキラ感がなかったことも自覚はしているし、どこか冷めているというか物事純粋に楽しめなかった。その上父方の家庭が自分たち価値観の型にはめていく教育方針だったこからそれに当てはまれなかったわたしはそこでの居場所も失ったこともその後の成長過程に大きな影響を及ぼしていると思っている。幼稚園小学校に行っては大人にとっては「ちょっと変だけど元気で明るい子」を演じ続け、帰ったら帰ったで本ばかり読んでいた。そして当時月に2回ほど行っていた父方の祖母の家((今はもう6年ぐらい行っていないので祖母も叔母も元気にしているかどうかすら知らない))では、わたしを連れて行っていた父親含めほぼ誰にも話しかけられることはなかったのでずっと2階の広い部屋に引きこもってポケモンを捕まえ続けた。常にいい子でいなければ死ぬ、という感覚はこの頃からあるし、過干渉されると怒るくせに愛されたい願望が変に強いとにかくめんどくさい人間になった。

いわゆる「普通の子」との疎外感からわたしは気がついたら常に死にたいと思うようになっていた。記憶の限りではおそらく小学校に入る少し前ごろからだっただろうか。でも大人にそれを言うとまた色眼鏡で見られることや世間体を気にされることは子どもながらに理解していたので、誰かにそんなことは言えないでいた。何なら今の今でも誰かに言ったことはないので、ここで初めて誰かに気持ちをぶつけている。

死にたいという感情を悟られるまいと思い必死にその時その時に全力で自分の生きる意味を探した。特にこれといった特技もなく、決して健康子どもでもなかったのでその度に壁にぶち当たったし器用に生きられなかった。し、今でも器用に生きられないでいる。

そして小学校高学年からだんだん学校に行かなくなった。気がついたら中学入学後、完全な不登校になって1週間寝つくことがないまま夜を過ごしたりその間に考えるべきでないことばかりを考えるなどした。その頃から心療内科カウンセリングを受けるようになり、良くも悪くもならないままこの前気がついたら干支が1周していた((むしろここ半年仕事などの過労から抗鬱剤を飲む生活を送っているので正直悪化している、けれど新しい病院開拓するにも腰が重い))

高校受験の時だって、「普通の子」になりたくて偏差値部活の活発さも平均的なそれこそ「普通」の高校を選んだのに周りからは「もったいない」((無駄論理力だけがずば抜けていて他が壊滅的なIQであるために、自分で言う話でもないが中途半端に成績だけは良かったので同級生保護者たちからはあまりまれ子どもではなかった))「もっと上の学校に行けばいいのに」と批判された。この時ほどにわたしの追い求めていた普通否定された経験は後にも先にもないように思う。

その後その高校入学し、不登校経験した上での高校生活での目標に「皆にとっての当たり前の日常」を掲げた。しか高校2年生の頃に病気が見つかり、当たり前の日常はおろか出席日数もギリギリクラスでは孤立しながら廊下からすぐのいちばん後ろの席で生活した。こんなはずじゃなかったのに、と何度も思ったけれど、どこか仕方ないと思って諦観している自分もいた。

大学でも2年生修了時に高校時代からの持病が悪化し中途退学。自分人生の中で比較的イケていた時期だと思っているが、学校生活「すべて」を謳歌したことは一度もない。その結果通信制大学編入し、単位まったりまったりと取りながらズルズルとマイペース学生という身分を続けてしまっている。

20代も半ばとなった今でも時に日常会話で「普通に」とか「常識的に」と自分の中で繕った普通をぶった切られることもある。最初は何とも思わないが、それを同じ相手から何度も何度も言われることで自分の中での普通はまだ全然普通ではなくて、むしろまだまだ程遠いところにいると感じてしまう。そして「普通」という名の相手感情の押しつけに嫌悪感を抱くし、「あなたが言う普通だってあなた個人価値観だよね」と言ってしまうので感情的にカッとされることも少なくはない。((カッと、ということで余談だがリストカットなどの自傷行為に走ったことはほぼない。その時間無駄だと思ってしまうしもっと具体的でもっと苦しいものを選びたくなるしいつもそれを考えているうちに過呼吸になっている))

この普通適応できない息苦しさはいつまで続くのだろうかと思うと過去記憶フラッシュバックしてくることも頻繁にあるし、それで過呼吸を起こすことだってある。結果身近な人が迷惑を被ることになる。いつまで経っても身近な人の立場からしたらわたしは最高にめんどくさくて、普通には到底なれなくて、どこまでもまっすぐに生きていけないとても厄介な存在なのだ

からこそ交友関係もどんどん希薄になっていくことには慣れているし、距離を置かれていくことを察するようにもなった。自分から誰かと接するということも積極的にできないし、むしろ入られたくないゾーンに入られたら精神の平静を保つべく全力で拒むようになってしまった。自分友達だと思っている相手からしたらわたしという存在は知り合いないしは顔見知り程度なんだろうなと斜に構えてしまう。iPhoneアドレス帳なんて家族含め3人しか登録されていない始末だ。でも別に特別広い交友関係を持っていてもメリットもないし、むしろ自分に相応しくないように思えてきてしまうしそれを悩む時間無駄だなと思う。

結局ひとりぼっちでいることしかできないし、結局誰かに頼る強さを得ることもできない。いつまで経っても弱くて、いつまで経っても自分自身のことを好きになることができない。常にコンプレックスに直面している。

アポンプのない酸素の薄い水がたっぷりと入った広い広い水槽で、必死に呼吸をする魚のような感覚だ。

いつかひょんなことからこの文章を見つけた未来わたしが、少しでも笑ってこれを見られますように。

そして、今よりも生きることを楽しんでいる「普通の人」に近づけていますように。

2021-04-19

anond:20210419095843

元増田です。

既に一度ストレスで体を壊した経歴つきで心療内科通院がいまだに続いてます

コロナ禍で狙ってたところがクローズになってて恨めしいのですが、社内での改善は期待しても裏切られて精神的に苦痛が増すだけなので諦めて(さらに心のメンテナンス云々も今の環境では無理筋なので)転職活動に打ってでています

このままくすぶってるのもバカらしいのでね。

anond:20210419094839

会社は人事の仕事として産業医を雇ってるんだから会社のために動くのは仕方ないところがあります

勤務地や部署希望が通りにくいのは、厳しい解雇規制と引き換えだから、これも現状では妥協するしかありません

自分自身メンテナンス自分でするしかいから、時間を作って相性の合う心療内科カウンセラーを見つけることをお勧めしま

産業医は愛想のない年寄りも多いけど、民間開業してる人はイケメン多いよ

2021-04-12

anond:20210412160157

ダイエットしてないので違うかもしれないけど、自分も忙しくて長時間食事取らなかったときかに似たようなメンタルになってる。

それが続いてるのあんまり良い状況じゃないと思うし、一旦なんか無理にでも食べないといけないのかな。

それすら無理だったら心療内科とか行ってみてもいいかもという気がする。

2021-04-09

解離性障害とかの話

普段文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。

 

タイトル解離性障害については興味があれば調べてほしい。

解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。

今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。

かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢独りよがり子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。

 

 

少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。

・少し裕福な家庭で育った

きょうだいの一番上

なんやかんやあって中学不登校高校不登校再発→退学

・その後、高卒認定を取り、浪人生活を経て大学進学

大学在学中に体調を崩して就活を諦める

・数年フリーター生活ののち、現在会社員

 

冒頭の10年前の時期は、この中の浪人生活辺りの話である

なお、家族名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。

家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである

ここについては語るとキリがないので割愛

 

中学高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。

学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。

朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康まりない毎日を過ごしていた。

出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。

あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問先生と友人には本当に感謝している。

同級生引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。

この時期、何度か心療内科カウンセリングに通っていた。親がドクターカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。

心療内科ドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。

 

当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校部活顧問先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。

教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。

高卒資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。

その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験合格する……といった算段だったのだが、志望校センター試験できわどいライン

二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。

予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。

予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。

人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。

 

 

最初の症状は、予備校休みで、家に居た時のことである

中学生の頃から身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。

朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。

意識ははっきりしている。右手携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。

痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。

起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。

呆れた顔をされたが、微妙理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。

 

それから一週間ほど後、今度は予備校自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来直行した。

身体症状が出ていたので、最初外科検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査時間がかかった)、最終的に精神科となった。

どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり

入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。

退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。

入院中に、精神科先生からさいころの話を尋ねられた。心療内科カウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。

それをふまえて、「一度別の病院心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害テストじゃない。

精神科先生曰く、「まだ脳の病気可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。

ここで診察をしてもらった精神科先生が、その後7,8年の間お世話になる人である

 

 

心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。

この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。

結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃からからの風当たりが更に強くなった気がする。

 

心理テスト小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。

空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。

結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)

 

色々と話が逸れた。

アスペルガー症候群

うつ病

解離性障害

脳の検査心理テストカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。

発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。

解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。

とりあえず受験第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。

 

 

それから数年、志望校とは違うが大学生活を送っている頃。

無理が祟ってうつ悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。

教育実習を控えた直前のことだったので、担当教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。

余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事ことなんだけどね。

いかんせんマイナーな例なので、免許センター警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。

 

解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。

高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。

よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。

結局、診察中に先生の前で出たことはなかったのだ。

診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。

遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。

過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)

過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたこなのだろうなぁ。

 

 

うつ寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。

ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。

また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。

では、これにて。

2021-04-08

過去記憶が薄い人

別件で心療内科カウンセリング受けている時に気がついたんだけど俺過去記憶が薄いんだなって。

過去の思い出とかも何かキーワードを誰かが出してくれてピンポイントに焦点を当ててくれればなんとか思い出せるんだけど。

みんなそんなもんだと思ってた。

あと心理士記憶が薄いってだけですぐ解離性記憶障害を疑うのをやめろ

「生きるのが向いてない」を再確認をした日記

ダラダラと書き連ねますのでお時間があり且つ読み終えてからクレームなどはお控えくださると幸いです。


「生きるのが向いてない」という言葉が浮かび検索をする。これは小学生時代高校2年とかそんな時期にも浮かんできたワード。再来している現状。

20代後半の社会不適合者でバイトを続けていた女がようやっと正社員になって1年目を迎える手前で鬱になりました。理由はある程度分かっていて冬場の繁忙期による激務に加えて本社の今やる必要ないですよね?案件、定時に帰れるのが少ない日々、などなど。そしてデカかったのはそれらのタイミング休職者が出たことだった。新卒女の子。私の仕事モチベーションであった。

「そりゃそうなる」って気持ちと「他のみんなは頑張ってるのに私がこんな1人で苦しんでるなんておかしい。私の頑張りが足りないからだ」という気持ちでぐちゃぐちゃになっているにも関わらず、まだ耐えられるしもう親に迷惑かけたくないと思いながら仕事してたらいつのまにか仕事に出れない日が何日もできたり、仕事トイレから出られなくなったりした。

そして見かねた優しい上司から休もう!と声をかけてくれて1ヶ月という名の本社不手際かはよくわからないが伸びに伸びて2ヶ月の休職をする流れとなり今は短時間の勤務で復職して書き出しの文章へと至る。

まり時間勤務であれまともな復職が叶ってない。家から出られずご迷惑をおかけしてる自覚を持ちながら今現在自宅のトイレ下痢と胃の熱さに苦しめられながら奏でられる腹鳴と共にこの文章を書いている。もう2時間ぐらい真っ暗闇のトイレの中、スマホで書いてる。汚いとか言わないでください。もう切実だしちゃんスマホアルコール消毒します。

話が少し逸れるが私の仕事へのモチベーションが保てていたのは職場関係比較的良好なのも勿論だが一番は同期と新卒ちゃんにあった。

ほわほわとしている年上の同期、控えめでおどおどしながらも頑張る可愛い年下の新卒ちゃん。この2人のおかげで慣れない仕事も辛いことも比較ニコニコしながら業務できていた。しかし同期は勤務開始後すぐに人手不足場所に異動。そして復職した現在休職していた新卒は辞めていた。

話は戻り、最初に書いた文章を覚えていればわかるかと思うんですが鬱はもう何度も落ち着いては再発経験しているわけで「ええ歳こいてお前はなんやねん」っていう気持ちから逃げられない理由経験した人ならばよくわかると思います。わかって欲しい。

心療内科現在通院し「調子はどうですか?」と聞かれたら今は「食事をする気力がない」「風呂にまともに入れない」としか言えない。なんならここ数週間ゴミ捨てにも行けてない。

先日に簡単比較栄養も取れるであろう食事確立したので食事についてはまぁなんとかなったがそれでも面倒になる時だってある。昨日はなんとかなってたが今がそれ。毎日ちゃんと1日2食とか3食を食べれる人は普通に凄いし偉い。あれだけ好きだった食事が今や「人間はなんで食事がいるんだよアホンダラ」である。人は変わりますね。風呂についてはもう小学生時代からの恐らく鬱であった時期からよくあることで再び再発しているので目も当てられない。風呂が一番ネック。

掻い摘んでお話ししたこれらを聞いて先生も頭を抱えてらした。そりゃそうだ。復職してすぐこれで良いわけあるかいって気持ちだろう。客観視し、他人事のように心中お察ししながらも本社からは「1ヶ月で復職不可能であれば自然退職」と勧告されていた訳で戻らない理由がない。戻りたくないけど転職する気力すら無いのだから

趣味のために働がなければならないのもそうであり、仕事を辞められないのもある。趣味はあります。「趣味だけはできる」と言うあれです。かと言いつつもできる日できない日はあるので「趣味だけはできる」に当てはまってるのか?みたいなところはある。でもやれば胃の不快感も食べたくないご飯も忘れられるしずっとやり続けるので恐らくこれだけが本当の趣味だけはできるであり、唯一の逃避なんだろなって思いますオンラインゲームソシャゲなのでこれからお金はいるし働かないとな…と思いつつも戻れないのだからいつか趣味も消えて無くなりそう。過去にもそれがあり趣味が全て消えた時期があったのでなんとなく予感がする。

実家の話をします。実家との仲は比較的良好、他の家から見れば完璧なのではないかと。実際、休職中は実家生活していました。

なので別に帰れない訳ではないのだがなんせ私が長女であり、兄弟たちもまた社会に生きることに向いてない子たち。

実家田舎、私は軽度発達の診断を受けたことも原因にあるからなのかはわからないが車の運転路上に変わった瞬間地獄に早変わりし、それらの出来事への職員からの態度や発言に対して鬱になりやめたので田舎生活で1人になった時にまともな生活を送ることが叶わなく、そして親にこれ以上の迷惑かけたくない上に父親と娘の間には仲の良さはあるが少しばかりのズレがある。どちらかと言うと父親とのその少しのズレに酷く問題に感じている。

父親はいわゆるアスペルガーという診断を過去に受けたそうだ。まぁなんとなくわかるし「娘の私もそういうとこあるのかね」ってぼんやりと思っていた時期があった。でも蓋を開けると私はむしろHSPの傾向があって「そりゃアスペルガーHSPの2人は高確率で分かり合えないのでは!?」と答えを比較最近たどり着いてしまったわけです。少し調べたらマジでそういうわかりあえない部分はあるようですね。心配されつつも無自覚で何かを言われて落ち込むのが目に見えて帰れない。気を揉んでいる。

立ち直って立ち直ってを繰り返してるのに今立ち直り方がわからない。いい歳した女が何いうとんねんである。本当にそう。けれども軽度だからとか相手アスペルガーからと人のせいにする前に出来る部分を我が身を振り直せである。治し方どころか押さえ方も20年近く生きて何もわからないのに?どうしたらいいんだろうか。

見合いでもする?」と心配冗談まじりにも親に言われたこともある。他者へ頼れたり仲良くなれたらこんな気持ちも抑えられるのかなとも思うのは小学生の頃から続いていて、思うけど人を不快にする言葉父親のようにするっと吐いてる気がして長年付き合ってくれてる親友しか関係性を続けられない。しかも弱音はあまり見せたくないし「みんな頑張ってるから」と静かにしている。ツイッターなんかは結構吐いているので本末転倒すぎて今誰もいないところで書くようにしているが。

こんなんで見合い結婚して子供なんて産めばそれこそ私も子供自殺まっしぐらだろなって思った。それはとてもとても悲しい。そもそも特定他人と生き続けるとかセックスだとか何やら全部が怖いし煩わしいので前提から無理です。許して欲しい。

やはり生きるのを辞めたい。やめられないものを抱えているつもりで実の所抱えてないのではないのかという気持ちがあったけど「でも死んだらテレビに出ちゃう要因が割とあるし急な話で友達にショック与えたくないなぁ…」「親に電話入った時どんな反応されるんだろな」みたいなことになるのでちゃんと抱えてるんだなと噛み締めたのでなんとか耐えてる。かといってこないだ久々にタオルで首を力を込めて泣きながら締め上げて気持ちを落ち着かせたのでもうどうしようも無い。

全てが楽にならなくてもいいけどせめて忙しさに息苦しくて呼吸できなくて倒れそうだとか腹鳴だとか胃が熱いだとかキリキリ痛むだとか下痢だとかそういうのがなくなって欲しい。薬を試してもこのぐらいなら許容できるレベルに症状が抑えられずにもいる。好きなものもかなぐり捨てても辛くならずに他者や身内にも迷惑をかけずに世間が考える健全な終わりが早く来ないものかと今か今かと待ち続けている。


ここまでダラダラと書いた頑張って推敲しつつもヘタクソな文章を読んでくださった方、ありがとうございました。同じ気持ちで生きてらっしゃる方にはここに同じ人間もいると安心してもらえたら幸いです。また「私よりもマシだし救いがあるじゃないか!」と思われた方にはその幸せが備わっていたとしても苦しんでる人間存在してしまうと心の内に留めていただければと思います

それぐらいしか意味も持たぬ独り言のような日記です。終わり。

2021-04-06

anond:20210406135514

とりわけ何か新しく始めないといけないことが見当たらない

弱者」としての存在認知

弱者の内容によるけど、障害者介護退職する人とかはちゃん認知されてるよね

伴侶のいない人へのハラスメント、「伴侶を作るべき」「強くあるべき」というような性別に基づく社会的圧力の抑止

→もう男性の1/4が生涯独身時代なんだから、いつか圧力もいつか消える

経済的困窮者を(余裕を持って独居可能〜家庭を持てる水準レベルに)引き上げる為の金銭補助、減税、福祉といった経済的再分配

生活保護じゃダメなのか?あとは労組組んで賃上げやるとか。あと障害者手帳があったら自動車税無かったり減税はあるよね。

長時間労働規制労働基準法の厳格遵守)

→かなり厳しくなってきてると思うし、通報すればいいのでは?ネットとかで通報すれば足もつかないでしょ。てか弱者強者関係ない。

困窮内容に対する男女格差是正DV/モラハラ/犯罪被害者自殺企図者の認知保護等)

→よくわからなかったのでパス

精神的な充足を得られる何らかの趣味嗜好への補助

年収700万だけど俺もこれ欲しい(弱者だけの問題じゃない)

趣味宗教といった何らかのコミュニティによる包括

→今もあるよね

アクセスが容易で社会的抵抗感の少ないカウンセリングコミュニケーショントレーニング

抵抗感を感じているのは貴方だけです。今やみんな心療内科に通う時代アクセスが容易なところは俺も欲しい。

衣食住〜介護問題まで含めた生活不安の解消

年収700万だけど俺も欲しい(弱者だけの問題じゃない)

独居困難者に対する住み込み式の衣食住の保障

生活保護ダメなんだっけ?

2021-04-04

anond:20210404024633

でもこれどう終わらせても

明日「俺何やってるんだろ」って思う案件で可愛そう

思わないやつだとしたら「心療内科行け」だし

2021-04-03

人の気持ちが分かるということ

先日成人の発達障害を取り扱う心療内科を予約した。自分はやはりASD又はアスペルガー傾向があるのではないかと感じたからだ。

自分共感力が低い人間だと思う。人の言葉額面通りに受け取ってしまい、人から指摘されて「そういう意味だったのか」と気付くなんてことはザラだ。

女性に多い共感ベースコミニュケーションなんて本当に苦手だ。

なぜこれ程までに建設的ではない話を延々とするんだろう、本気で離婚したければ離婚後の生活基盤を作ることを考えるべきだし、痩せたいのなら今飲んでいるフラペチーノブラックコーヒーにでも変えたらいいのにとか考えてしまう。

流石に口には出さないけれど気付かぬ間に言葉の端々にそのニュアンスが出ているかもしれない。これは間違ったコミュニケーションだということは頭では重々理解している。

ちなみに「ご飯に行こう」という誘いは「飯を食べたい」のではなく、往々にしてその相手にに会いたい、もしくは会話をしたいという意味であると言うことを最近知った。

マジか嘘だろなんて周りくどいんだよと泣きたくなった。と同時に「人と会って喜びを感じる」いう感情があまり理解できない自分にとって大変な驚きだったし、人間ってなんて健気なんだろうと謎の感動を覚えた。そしてこれまでの自分の振る舞いを大変申し訳なく思った。

そんな具合でとことん人として欠落した人間なのだけれど、自分は人の行動パターン本質的欲求は案外分かるのではないか最近思う。

自分はそこそこ副業で儲けている。これはいざやってみて感じたのだけれど他者目線、つまり『人の気持ち』が分からなければ売上を出すことは難しい。

とんでもないアートの才能を待った天才ならともかく、自分の営む小売りは人の考えが予想・理解できなければ利益を出すことも客に良いサービスを届けることもできない。自分で言うのも何だけどこの点に関してはめちゃくちゃ才能があると思う。

人の気持ちを察することが壊滅的に不得意な自分他者目線商売を行いそこそこ成功している。矛盾しかない、不思議なのだ

これは人の気持ち理解できるという事なんじゃないのか?とも思うけれど、恐らく『自然理解できない』からこそ頭で理解しようと努力した副産物なのかなとも思う。実際人間心理に関する本はよく読む。

ただやはり頭で理解できても、人の合理的ではない面や感情機微情緒を汲み取る力が自分には圧倒的に欠落している。いくら理屈を学んでも流動的なコミュニケーションは難しい。

英語文法完璧でも実際の会話はまるで出来ないみたいなもんなのかなと。

「人の気持ちを頭で理解する人」と「自然に人の気持ちがわかる人」は違う。後者が前者を後天的に学ぶことは多分出来るが、恐らく自分のようなタイプ人間後者インストールすることは難しい、もしくは不可能なのかも知れない。


「人の気持ちが分かる」って何だろうなと思った話。

anond:20210402183101

辛い中よくがんばったね。

医者はだいたい変人から情緒的なやりとりは期待しない方がいいかもしれないね

もちろん増田がショックを受けたり不信感を持ったのは当然のことだと思うよ。

カウンセラー気持ちに寄り添うプロから不安とかはそっちに聞いてもらった方が楽になるかも。医者にも症状とかは話さないとだけど、薬出す人と割り切った方が楽。

受付での体験も、そのまま気持ちを伝えたらいいと思うよ。言いづらかったら手紙とか。

精神科はたくさんあるから相性合わないと思ったら変えればいいし。

ここで切り捨てられたらどうしようって不安になるかもしれないけど、大丈夫だよ。

当たり引くまでは時間かかるかもしれないけど、精神科とか心療内科ってこんなもんかと思って気長に探してみて。

増田自分らしく生きられますように。

2021-04-02

ニート歴9年を迎えた

現在30歳を越えたぐらい。165センチ、85キロ前科持ち。

こんな人も日本はいるヨ、と思ってくれたら幸い。

田舎で生まれ田舎で育って、都会に1ヶ月だけ住んで田舎に戻った。そして9年が経った。

今は障害年金をもらって田舎に住んでいる。

保育~小学時代はいじられっ子。笑ってごまかすタイプだった。

中学時代はいじめられっ子。田舎なので保育園時代から同じ面子だが、エスカレートしてしまった。

1年の5月まで通学し、残りは不登校。これが一つ目の挫折か。

卒業式には出ていない。

高校時代普通不登校児ながらも田舎なので私立高校に通うことが出来た(両親に感謝)。

学力比較的低い高校だったため、1年3学期から3年3学期まで常にクラス1位の成績を収めることが出来た。

大学時代特になし。就職メインの高校で進学を選択したことは間違いだったか。学んだことは「お金リスク承知で借りなければならない」ぐらい。

成人式は出席しないつもりだったが、田舎祖母が悲しみそうだったので出席した。中学時代同級生あの頃のままだった。

この時期に弟と仲が悪くなる。

社会人時代は思いだしたくもない。社会人期間は僅か1ヶ月。

田舎から上京したのが悪かったのか、自身キャパティ不足が原因だったのか。おそらく全部。

会社を辞める際に上司からかけてもらった言葉は優しかった。

病院に行った方がいい、と。

ここからニート生活スタート

田舎に帰って心療内科に月2回通院。

カウンセラー先生女性だったため惚れてしまい、その方目的で6年ぐらい通い続けたが、2019年退職されてしまいそのまま通院も辞めた(現在は別の病院意味もなく通院)。

体重ニート2年目に80キロ到達。そこから現状維持

2017年頃に就労移行に1年間通うも、変化は無し。

その後はB型作業所に通ったが、そこで問題を起こしてしまい1ヶ月近く警察勾留

留置所生活はとにもかくにも暇だったが、選任された弁護士さんから懲役2年になる可能性がある」と言われたときは流石に泣いた。

そして云十万円の罰金刑となった(母に感謝)。

出所後、頑張ろうという気持ちが沸いたためB型作業所に通ったが1ヶ月で辞めてしまった。

そして弟が自×した。結婚もしてたのに。

初めて亡骸と対面した時の母親の姿が脳裏に焼き付いてしまった。そして私は、意味もなく生きている。

明日ニートだが死ぬまで生きる予定。

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