2024-11-16

痴漢セクハラを嫌だと思ったことのない私の居場所はあるか

痴漢セクハラを嫌だと思ったことのない私の居場所はあるか

私は決して、痴漢セクハラ被害にあった方を非難したり、被害を過少にとらえることを推奨しているわけではない。

ただ、こういう女もいるのだということを、リベラルな人たちに知ってほしかっただけだ。

セクハラは、女性にとって本当に嫌なものだろうか?ということは疑問に思っている。

人間個体差があり、いやだと思う人もいればそうでないと思う人もいそうな気がする。

今の、「みんなが嫌だと思っているはずだ」という言説は信じがたい。

私は女性社会で長いこと生きていて、その中で女性セクハラを道具に同じ女性マウントするという場面をいくつも見てきている。

私自セクハラ痴漢を受けたこともあるが、受けた感想としては、「なんとも思わなかった」。

正直、触ったり性的なことを言ってくる相手のことが全く好きではない。

好きではない相手に何を言われようが、何とも思わないというのが事実だ。

接客業をしていたときには、年寄りの爺さんから手をもまれたりしたことがあるが、別に何とも思わなかった。

そのほかにもいくつかセクハラ痴漢経験があるが、いずれも何とも思わなかった。

それよりも、女性同士のマウント悪口合戦のほうが心に来た。

そんな私はフェミニストの人からすれば名誉男性で、女性ミソジニストなのかもしれない。

性というのは本来であれば「気持ちのいいこと」であるはずなので、そんなに嫌な気持ちはしないのが、生物本来なのではないかと思ったりもする。

もし、今の社会のように「性にまつわるもの」「好きな異性に好意を抱くこと」が非常に嫌悪されるのが人間本来特性であったなら、こんなに人類は増えていないような気がする。

チンパンジー人間ほとんど遺伝子が変わらない類人猿であるボノボはホカホカをして、相手との緊張を緩和し、メス同士で政治をする。

ポリネシアかどこか忘れたが、南の国の先住民女児性器母親が吸って大きくし、大人になって性行為をした時の快感を増大させる手助けをするという。

日本人もこれを真似しろというわけではない。

ただ、今の、ナンパをしているのを見かけたら警察通報したり、配達員美容師女性客に電話番号を書いた紙を渡したらSNS晒して罵る社会はどこか間違っていると思う。

こんな衆人環視のチクリ社会を許容してしまったら、もし日本が「1984」のような完璧社会主義になったときの地固めというか基盤を作ってしまうように思えて仕方がない。

考えすぎかもしれないが、たかナンパ警察通報する社会は、とても怖いと私は思う。

そんな相互監視社会で生きるのなら、セクハラが横行する社会のほうがマシだと思うのは、言い過ぎだろうか。

会社研修コンプライアンスについて学ばされるのも苦痛しょうがない。

なぜなら私はセクハラいいとも嫌だとも思っていないのにもかかわらず、無理やり「対セクハラ陣営に巻き込まれて「戦おう」と言われ、強制される。

こっちのほうがよっぽど人権侵害である

みんな、もう一度よく考えてみてほしい。

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