はてなキーワード: つかことは
あるいみ、学校でもそうだろうけど、競技プログラミングで上位とかなってくると
シラバスにないことを教えようとするラジオ体操おじさんは増えるから
あるいみ、あたまたたいて、手首切って、あたまをおかしくしてでも、教わらないようにするのが大変
だけど、でもなんでもいいから
わずかでも
おはようでも
教えたいというひとはいるし
ちょっとぐらい さきっちょぐらいいいじゃない
という人はいるし
いつかあいてが喜ぶはずだと信じて教える人は多い
って人生で3回くらい言われたことあるけど、私は出産マシーンなのか??と思ってしまう。
この人とは考えが違うんだな〜で終わらせればいい話だし、相手を責めたいとかいう話では決してないんだけど。
子ども産む産まないは体が健康かどうかだけの話ではないと思うし、タイトルの発言はなんだかこちらの意思を無視している、寄り添いや思いやりがないように感じる。
付随して出産に対しての気持ち(怖いとかちょっと気持ち悪いとか)を話そうとすると、俺男だからわかんないわ。と返される。私も産んだことねーからわかんねぇわ。自分の腹がデカくなる想像くらいはできるじゃんと思ってしまう。
男の人には自分のお腹の中に別の生命体が芽吹いてだんだん大きくなる想像ができないのかな。それが想像できること自体が出産感覚を標準装備してるってことなのかな。
周りの同性の話聞いてるとみんな出産をすんなり受け入れてる感じがする。みんな子供が割と好きだから踏み込んでは聞きにくい。
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(追記)
仕事終わって見たら思ったよりみんな見てくれたみたいでビビった。
補足とか自分の考え方を追加するね。(元記事より長くなっちゃった)
まずタイトルの発言をしてきたのは全員男性です。当時付き合ってた人に言われてからずっとモヤモヤして生きてて、最近2連続くらい男友達が言ってるの聞いて、皆こう思っとるんか...?と思って書きました。恋人だと「他人は関係ねえ〜!」とは言えないこともあるんだよね。難しい。
ただこの発言をする人、大抵デリカシーなし男なので産みたい派であっても避けた方がいいよと余計なこと思っちゃう。
次に「働けるなら働いときなさい」と同列では?ということに関しては、色んな考え方があるし答えはないと思うけど、私はリスクが労働の方が小さいと思ってしまうので、同列には扱えません。
例えが悪いけど、宝くじで1袋買うと300円貰えるのが「労働」で闇賭博が「出産」に思える。(宝くじも闇賭博もあんまり詳しくないのでイメージですまん)
でも闇賭博に挑戦したい人もいると思うので、やっぱり人生観の違いなんだろうね。
これはよく思い出したら同性にも「そこまで考えたことないわw」と言われたことが多々あるので、女性みんな想像できるみたいなクソデカ主語にしてごめん。私が考えすぎ、想像しすぎです。
「他人が自分の体を間借りしている」感じ、自分が食べたものを横取りして体の中で大きくなってくって、めちゃくちゃ本当にサイテーな言い方だけど、ちょっと寄生生物っぽいなとホラー映画とかを想像しちゃう。そのうち私を内側から食いつぶしてくるんじゃないのか、みたいな恐怖。
そういう感覚でいるので男性にも想像できると思ってしまった次第。(さすがに子ども欲しい人たちにこんな発言はできない)
いつかこの人の子どもなら私を食いつぶしてきてもいいやって思えるのかもしれないし、結局思えないまま死ぬかもしれないけど、その時々でよく考えて自分の道だと思った方を選ぼうと思う。
まずはじめに、これは夢の話で
普段ならTwitterに書いて終わりなんだけど今回あまりにもな内容で、けれどどこかに書き記しておきたくてとりあえずここに書いておこうかとおもって
夢らしくいろんなことがごちゃごちゃなんだけど
途中何度も同じ場面があって
問題はそこなんだけど
三浦春馬くんがいるんだよ
まるでスキージャンプの途中みたいなあの姿勢で下りエスカレーターにいるの
びくともしない、後ろに伸びた腕に触ってもなんとも言わない
とにかく腕や体全体が冷たくて、触るの躊躇するくらいだったんだけど
いま思い出したけど、あれ生きてない人の体温なんだわ
真剣な思い詰めたような表情で真っ直ぐ前を向いて、スキージャンプの途中みたいな体勢で下りエスカレーターで降っていく
止まらないんだよ
最後の段になってもぴくりともせず、下に転がってた
そんな場面が3回夢の中で繰り返されてた
そしたら信じられないニュースでさ
あ、そういう番宣かな?て思ったの
でもなんか違うみたいで
どうやら本当に起きたことみたいで
え、この名前で一番に思いつく彼のことなの?て混乱して身体が震えてきちゃってさ
なんで?て言いながら泣いてしまった
でもそのなんで?すらも彼や周りを責めてしまう言葉のように思えて
だけどいまでもなんで?って思うよ
けれど、歳が近くて、演技がうまくて、努力家で優しい雰囲気で、好青年で、頭うまくて、踊りもうまくて、チャレンジ精神があって
まだまだミュージカルも上手くなるぞ、できるだけ早くキンキーブーツ観に行くぞ
とにかく観たいな、でも遅くなってもそれだけ上手くなったローラを魅せてくれるだろう
そう思ってたんだ。
つらいなあ
特別ファンじゃなかったけれど、きっとこの先も良い演技をしてくれるって思ってた
若い父親役だけじゃなくて、若手社員役じゃなくて、新米教師役でもなくて
20歳くらいの子どもがいる役とか、ベテラン社員とか、教頭先生役とかさ
勝手にそういう役がくる日を楽しみにしてた
あの三浦春馬がもうそんな役やる歳になったかー!まあ自分もこんな歳だしな
て言う日が当たり前にくると思ってた
こなかったなあ
もうせめて生きててくれないかなって
でも苦しかったんだもんな
生きてるのが
しんどかったんだもんな
そしたら生きていて欲しかった、て言えなくなるんだよな……
そんなことをもうずっとぐるぐるぐるぐる考えてるよ
まさか夢に出てくるとは思わなかったけれど
しかもこんなどうにもできないような形で
まだね、竹内結子さんのことは受け止めきれてないんだ
ちょっともうわかんなくて
でもいつかこうして夢に見るのかな
やだなあ
わかりたくないな
こんな早朝にさ
泣きながらこんな文章打ってんだよ
何やってんだろな ほんと
つらいな
もう一度寝るけど
つらいなあ。
一つの理想や人物に燃え上がって、どんどん没頭してそれと一体化して依存したいという気持ちがある。
理想とか恋とか友情とかを失くす前に、全てを持ったまま死ぬのを理想としている。
誰にもその気持ちを汚されないまま尊く終わりたい。
そもそも希死念慮がある。強くなったり弱くなったりするが、希死念慮と人生を共にしてきた。
全員で一緒に死ねたら誰も悲しまないし、誰もこれ以上悲しみを重ねないのに、と小さい頃からずっと思っていた。
それらを深く考えないようにし、しんどい時は酒で曖昧になり、うまく交わしながらなんとか生き延びていた。梅田のカラオケで大声を出し、大人数でドンチャン騒ぎをしている間はそんなことを考えなかった。
8時から8時まで猛烈に働くことで、何かを考える隙を自分に与えなかった。
しかし、半年くらい前に上であげた感情を全て共有する人間と出会ってしまった。最初は壊れた脳味噌を抱えながらもなんとか辛い人生を生き抜く同志だった。時が進むにつれてお互いの絆がどんどん深まる。何人かで遊ぶ関係だったが、いつしか2人で遊ぶようになり、お互いの家を行き来する仲になり。
どんどん2人だけの世界が大きくなっていく。どんどんお互いの存在が大きくなり、お互いのことを考える時間が増えていく。
でも。だけど。
のめり込めばのめり込むほど、他のことがどうでも良くなっていって、お互いにお互いを思う気持ちを神聖視してしまって、それ以外の全てを取るに足らないものだと思ってしまう。そして実際に色々な人間関係や仕事が疎かになっていく。
他のものは失う一方だ。
でもこの関係には全てがある。今までバランスを保ってきたものは全て崩壊して、自分にはこの関係が全てになってしまった。
心中したい。
この人と一緒に、お互いがこの世の全てであるまま人生を終わらしたい。
いつかこの人の気持ちが離れてしまう前に。いつか自分の気持ちが離れてしまう前に。尊い関係のまま。全てを捧げたまま。お互いのために。死にたい。自分を終了したい。
お互いそういう気持ちを吐露し合い、涙をぼろぼろと流しながら、でもダメだよね、まだ耐えれるよねって言葉に出して確かめ合う。いつか耐えれなくなると確信しているから、あえて反対のことを口にしてその確信を必死に打ち消そうとする。
出会ってはいけなかった。こんな考えの欠陥人間が2人出会ったらこうなることは決まっていたじゃないか。2人が大阪に住んでいなかったら。違う国に生まれ育っていたら。寿命まで2人は生きれたんじゃないだろうか。
でも、抗えない。この関係がすごく気持ちいい。脳細胞を相手への気持ちと嫉妬とに全て使い果たす快感から逃れられない。薬中とかギャンブル中毒とかと一緒なんだと思う。自分は破滅とメリバの中毒なんだ。
耐える。いつまで耐えれるかわからないけれど。死なない。いや、死ぬとわかってるから死なないと断言せざるを得ない。
あんな奴から離れてしまえば元の生活に戻れる。でもそんなの無理だ。
殺される。願望に殺される。私は悪くない。彼も悪くない。この願望が悪い。このままだと感情に肉体が殺されてしまう。
でも。
だけど。
いつか、きっといつか、そう遠くないうちに、快感に身を委ねる。
俺のマンションの隣には某全国展開してる塾がある。それも8階建くらいの立派なビルだ。
マンションの裏は知らんが表だけでも10台以上が路駐している。
立派なビル建ててるくせに駐車場を作らないケチくさい塾にも腹が立つし、
目と鼻の先にコインパーキングがあるのに路駐する薄汚いモラルが欠如した保護者どもにも腹が立つ。
我が子に良い教育を受けさせて老後の面倒を見てもらおうという魂胆なんだろう。
どんなに良い教育受けさせてもてめーらが反面教師になっちゃってるぜ。
自分とこの子供が良ければ他人様の健康はどうでも良いってのかよ。
おまけに自販機やゴミ捨て場の目の前に路駐するもんだからマンションの住民が利用できやしねぇ。
そんなことも考えられない思考停止人間なのか分かっていながら路駐するゲス人間なのかは俺の知ったことじゃねぇ。
ある親は路駐の椅子取りゲームに破れてマンションの回りをぐるぐる3周くらいするバカ親。
ある親は空間把握能力に優れているのか一発で駐車を決めやがる。なかなか見ていて面白いぜ。
マンションのベランダから人間の醜い行動を見ていると心底嫌気がさすぜ。
元旦なのに嫌なもん見せられちまったぜ。
ああ、分かってるぜ。客観的に見て俺も相当きもいやつだってことはな。
5年目に書類の扱い方注意したらクソ舐めた態度取られて初めて「人を馬鹿にしすぎだ改めろ」と怒ったり
15年目に部下への書類の扱い方教育お願いしますと伝えたら「こっちもちゃんと覚えてないし間違ったこと教えたらどうするんだ、お前が責任もって教えるべき」となぜかこっちの責任に持って行かれ(お前ら全員込みでなら勉強会やってやるけどお前んとこの部下にだけというのは違うと思うと伝えたが根本伝わらないし勉強会もなぜかこちらが全員のスケ確認して時間合うところ探してやらないといけないらしくいやいやお前が「開いてくださいお願いします」と言ってくるべきだろ普通)
25年目はちゃんと必要書類出さず毎回こちらから催促する度に「毎回面倒なんだけどどうにかならないのか」と愚痴られ(毎回催促するこちらの身にもなれよつか役職者ならお前自分で会社に楽な方法提案しろよ)、何かっつうと「面倒臭…お前の上司に相談するわ」と上司に告げ口され上司からの「あれ何どういうこと」に時間を取られ(毎回会社の仕組みなんだからほんとそっちで話つけてくれつかこっちから言われて初めて知ったみたいな態度やめてくれいい加減自覚持てよ)
35年目は提出された書類に不備があるから取引先へ連絡して確認取ってくれと言うと途端に不機嫌になり「また仕事が増えた」と愚痴り(お前の確認ミスの不備で仕事が増えるのはこちらも一緒だし何ならこっちは何のミスもしていないのに仕事が増えたうえにお前から文句を言われてるんだが)「それはそのまま通すことはできないの?何で?うちの会社だけのルールでしょ?そのために他社にわざわざ送りなおししてもらうとか迷惑かけたくないんだけど」としつこく絡まれ「いや国のルールです」と説明しても最後まで面倒臭がって聞かず「じゃあやればいいんだろやりますよはいはい」つって話を遮り(だからいつまでも理解せず同じ認識のままずっと理不尽だと思ってるから毎回繰り返す)遠くの席であるにもかかわらずこちらまで伝わるくらいの大きなため息やら独り言の愚痴やらをしばらく続けられ
ラーメンズが終わった。
「小林賢太郎、引退」というニュースの見出しが目に入ったとき、悲しいと思う一方で、妙に納得してしまう自分がいた。
お笑い好きの中で、ラーメンズの名前を知らない人はいないと思う。
「爆笑オンエアバトル」での活躍、独特のパントマイム、まるで演劇のような不思議なコント。
かくいう私もその一人で、昨年お笑いにはまってからというもの、YouTubeにアップされた彼らのコントを繰り返し再生しては、よく笑っていたのを覚えている。
最後の単独公演「TOWER」から、ラーメンズのコンビ活動はほとんど行われていない。
小林賢太郎は演出の仕事に携わるようになり、片桐仁は俳優として、あるいは「エレ片」として出演することが増えた。
いつかこの日がくることは分かっていたけれど、やはり受け入れられない自分がいる。
昨年からお笑いを見始めた私でさえ、言いようのない喪失感を抱えているのだから、熱心にラーメンズを応援し続けてきたファンの方々のショックは計り知れない。
コントとは何か、と思うことがある。
それぞれの芸人にはそれぞれの世界観があり、どれもこれも面白い。
キングオブコメディの軽快なやりとりが好きだし、ロングコートダディの唯一無二の世界観も好きだ。
あげれば本当にきりがない。
これだけコント師が増え、また多様なコントが生まれたのは、先人たちの活躍があったからだと思う。
そして、ラーメンズは間違いなく、一時代を築いた大コント師であると思う。
ネタバレを避けるため詳しいことは言えないが、コントを中心としたライブで、どのネタもすごく面白かった。
M-1を獲ってなお、お笑いに挑戦し続ける姿勢は、見ていて恐ろしさすら感じさせた。
彼らがキングオブコントに挑戦するかは分からないけれど、もし出場するとなれば、決勝、さらには優勝もありえるのではないか。
そう思わせる単独であった。
いつか燃えると思ってた。
何度も意見した。
ただ、上の人は真剣に受け止めてくれなかったので、仲間内で「会社が気持ち悪い」と愚痴をこぼすだけになった。なにが悪いのか、そもそも炎上とは何か、炎上するとどうなるのか、今の社会でそれがどれだけの影響を持つか、分からないのだ。組織の上にいる人というのは。SNSやインターネットがなんなのか分かってないのだから。
いろんな面から「この会社って変なんだろうな」と思っていた。やっぱり変だったことが証明されてスッキリしている。炎上にあたり寄せられたツイートにはもっとこう改善すべきだとか、こういった対策を取るべきなのに取らなかったせいでこうなったのではないか?という非常に的を射たものもあった。ただ、それを外から言っていただいたところでどうにもならないのだ。社内で力を持たない下っ端がどれだけ内部で意見してもどうにもならないのだ。いくら勉強して、世間の常識、他の会社などの事例を取り入れようとしてもどうにもならないのだ。周りが聞く耳を持たないのだから。
壊れた組織をどうにかしようとすることは、九九が言えない高校生が東大理Ⅲを目指すことに似ている。
九九が言えない高校生が何か大きな志を抱いて東大理Ⅲを目指すとする。
九九を真剣に覚えようとして暗唱でもしようものなら、「九九なんて言えなくてもここでは生きていける!まさかお前は周りの奴を馬鹿にしてるのか?みんな言えなくても立派に生きてるんだからやめろ!失礼だ!」という人間が出てくる。
どうにか塾に通えないか親に交渉しようものなら「うちにそんなお金はないし、どうせあなたは大学には行けないのだから時間の無駄よ。みんなと同じように暮らしなさい」と言われる。
そんな感じだ。
僕は勤め先ガチャに大失敗した。
九九を言えない人間の村でもう何年も勤めてしまったので、僕自身も世間一般の社会人から感覚もスキルも相当ズレてしまっているだろう。もうこの村以外では生きていけない、次はないと思っている。運が悪かった。いつかこの村は廃村になると思う。僕も墓に入れればまだいい方だ。村の道端で野垂れ死ぬかもしれない。
誰かが同じ轍を踏まないように何らかのアドバイスを残したいが、うまいことが言えない。言えるとしたら、入った会社が変だと思ったらすぐ逃げろということだ。僕はもうだめだ。
自分は鬼滅の刃アンチでもファンでもないものである。が、鬼滅にクソデカ感情ポエムをしたためる者である。
にわかファンでいられなくなった者として、アンチにだけはなりたくないものとしてポエムを書いて去ろうと思う。
黙って去れよと自分でも思うが、なんか大げさなテンションでお別れを世界に発信しないとずるずるひきずってタチの悪いアンチになりそうなのでクソデカ感情の供養として誰かがみてくれるんじゃないかという期待と誰も見ないから大丈夫という慢心のバランスが最高なはてなに投稿させてもらう。
まず初めに、作品及び制作陣、宣伝も含め関わる全ての人におめでとうございますを述べる。正直ここまでのコンテンツになるとは思っていなかったので、凄いとしかいいようがない。おめでとうございます。
次に、鬼滅の刃に初めて触れたのは去年くらいで、その後もファンだったかといわれると怪しいし、ファンが闇堕ちしてアンチになろうとしているというある種同情できる立場でもない、本当になんだお前という立ち位置の者でしかない。我ながら苦しんでいること自体が意味不明だ・
私にとって、鬼滅の刃は動物園で大事にされているうつくしく高級なうさぎのような作品でした。一見同じようなうさぎはいるけれど、一線を画す上等な毛並みで手入れも一級品。柄も独特で動きもダイナミック。動物園まで見に来るにふさわしい素敵なうさぎでした。新聞の一面を飾ってもおかしくない、どこに出しても恥ずかしくない立派なアニマルだったのだ。私は特別うさぎが好きではなく、詳しくもなかったけれど素人目にもその評価はゆるぎなかった。でも、世界で数頭しかいない絶滅危惧種とかではなかった・。
アニメも一挙で見て漫画も借りて読んだけど満足感と共にブラウザを閉じて、Twitterを空けてキーワードを打ち込んだり連続ツイートをしたりすることはなかった。
いい作品だと思う。でもどうしても、ワンピースやBLEACHやジョジョと同じカテゴリには入れられない。
それらの作品の持つ、本当に世界がもう一つあるような、悪魔の実やスタンドや斬魄刀といった架空物が実在の遠い国の首相の名前と同じように一般名詞として存在感のあるものと感じられる気分にはなれなかった。面白いとか面白くないとかそういう問題じゃなくて、コンテンツとしての質量の大きさが違うのだ。現実の世界観を侵食してしまうような、作中世界の物理法則や法律や人種差別問題が好き嫌い以前に自然に頭に入ってしまうような、そんな性質の作品だと思えないのだ。もっと素朴で、たまに頷くような、そんな作品だった・
全く関係ない作品だけど、ちょっと前に終わったサンデーのムシブギョーとかと同じ立ち位置だった。大きなヒットはしなかったけど、メジャー少年誌に載るにふさわしい面白さで、派手じゃないけどグッとくるシーンがあって、キャラのことを穏やかに愛していられた。
でも、今の鬼滅の現状を見ると視界がぐるぐるしてとてもとてもいたたまれない気分になる。
高級ですばらしい兎を、そろそろ種の存続が怪しいホワイトタイガーとして売り出しているような違和感。
そんなに無理をしなくても立派な価値があるのに、これこそ当世イチのスーパーアニマルでござい、と売り出しているようなちぐはぐさ。
そういう売り出し方やマスコミを批判するつもりにもとてもなれない。不景気きわまる昨今、ここで売らなきゃどうするのかとすら思う。迷惑だとかしつこいとかいう記事を見るたびに、難民船のSOSに文句をいう様なものではないかみたいな感想が出る。理性がたしかにそう叫んでいるのだ。
でも、それでもジブリを越えるかもといわれると宇宙を背景にした猫のような顔になってしまう。
そんなことを考えている自分も嫌だ。好きか嫌いかならいいものの、それとは別に「作品としての格」みたいな厳然とした基準を勝手にもっていたことを痛感する。
スラムダンクと黒子のバスケが比較された時、どちらも素晴らしいといったのはきれいごとだったのだと、今は思う。
自分は黒子のバスケが大好きだ。初めて単行本を買い、はじめて二次創作を書き、コラボ商品を欲しがり、劇場へと足を運んだ。今でも心の大事な部分を占めている作品である。しかし、もしも黒子のバスケがニュースで「スラムダンクを越える」と言われていたら、きっと同じような気持ちになっただろう。個人的に思い入れがあるぶん、もっと苦しかったかもしれない。ファンの誰かが「スラムダンクよりすごい」というたびに「それは作品の為にならないからやめてくれ」と思ったのは、謙虚さへの希求ではなく比べられたら困るというある種の逃げだったのだと思う。
私はこのところおかしい。もはやニュースから紅蓮花が聴こえれば耳を塞ぎたくなり、緑と黒の市松模様が目に入ればブラジャーファンアートだとしても笑顔にはなれない。
バラエティにゲスト出演する花江さんの笑顔すら、もう穏やかな気持ちでは見れない。
土曜プレミアムの特別編は二週ともフルで見た。いい作品だった。一緒に見ていた初見の家族の質問にも逐一答えて、CMに入れば解説をした。最後まで楽しめた。どうだ私はファンなのだと胸を張れるんじゃないかという気分になった。でも、翌朝のニュースで鬼滅を見ると、やっぱりくるしかった。
自分にはもうこの熱狂の内側に入ることはできないのだと実感して、さびしさが半端ない。妬ましさと惨めさで、ファンの泣けたという素朴な感想まで胸が痛くなる。
進撃の巨人も、鬼滅と同じようなキャンペーンの経緯で見た。ハマったか、好きだったか、と言われるととても楽しませてもらったけどファンといえるほどのめりこみはしなかったと思う。でも「とんでもないぞ」と思った。好き嫌いじゃなく、えらい生き物が発見されてしまったと思った。世界が変わってしまうのも仕方ないと納得せざるを得ないような、そんな理不尽なエネルギーを持つ作品だった。
鬼滅にはそれはなかった。何度見ても、高級で毛並みがよくてすてきなうさぎだった。それから何度も鬼滅の話題のニュースを見て、うさぎの毛並みすら褪せてみえるようになってしまった。
グッバイ鬼滅。自分の知らないところで幸せになって、というとおかしいのでみんなを幸せにしてください。いつかこんなめんどくさい気持ちが死に絶えたら何らかの形で気持ちよくお金を落とします。
いまホームいてさ、目の前を新幹線が通過してったんだけど、チョー速いなさすがに!
これまで貨物列車みて感動してたんだけど速さのレベルがちょっと違う感じしたわ
腹にくるものがある
千里川土手でヒコーキみたときとわりと近い感覚だったかもしれない
デッカイ金属の塊がアホみたいな速さで眼前を通っていく時に感じるアレ
でもそんなに後ろ向きの感情ではない気もする
エネルギーへの讃頌かもしれん
ファンタジーによく出てくる「エネルギーの奔流」とか「マナ・ストリーム」みたいなのって結構新幹線に近いかもしれないな
新幹線が始終通り過ぎ続けてる場所あったらそりゃすごいエネルギー感じるし生き物も狂うわ
とか言ってたらもう一本きた
ヤベーよこれ ヤバすぎる
俺は福祉関連の仕事なんだけど、週が明けたらアル中で緊急搬送された奴のゴミ屋敷を掃除しなきゃならなくてマジ憂鬱。
ちょっとだけ見たけど、ゴミ屋敷で物が多くてやゴミ散乱は覚悟してたけど、
生ごみ放置⇒ハエ、ゴキブリ発生、糞尿放置の悪臭発生、多頭飼育崩壊での悪臭、糞尿猫毛山積みオプションまでついてた。
記録を読むともともと、ゴミ屋敷ではあって親はもともと精神疾患で現在は一人は自殺、一人は精神病院。
一回児相に入られたりしてまー家庭環境は良くなかったんだよね。
「あれにはまともに子供を育てられないし、子供が育つ環境じゃないから施設に入れろ」
⇒別に親は子供を殴ったりしてるわけじゃないし、御飯もお金は与えててコンビニとかで菓子パン買ったりして飢えてるわけじゃないから緊急性はないから施設までは無理。
「金もないのに猫を拾ってきて買いだした。避妊手術をしてないようでこっちが話をしても聞かない。避妊手術をするように説得してくれ。あのままじゃ多頭崩壊する。」
⇒いや軽く手術したほうがいいですよ~程度は話はできるけど、本人がするって決めて行動するもんでこっちは何もできねーよ。
「最近、胡散臭いやつと付き合って、金をたかられたり騙し取られたりしてるようだ。付き合いをやめるように言ったが聞かない。縁を切るように言ってくれ」
⇒いや民事不介入っすw 本人が任意で金を渡してるじゃどうしようもないっすwww
「就職や収入を得るためにまずは運転免許の取得や働くためのことを話してるが聞く耳をもたない。」
⇒大変っすねwでももう18歳すぎて、子供じゃないんでウチラの管轄外っすw
とまあ、要するに親戚も元々、ニートの親とも関係が悪いうえに、話が通じないし、話あえる関係じゃないし、
ニートも話しかけても返事をしたりしなかったりで聞いてるのか聞いてないのか分かんない状態だったり、連絡を無視したりする
(ニートは発達障害かなんかあるんじゃないかってもっぱらの噂にはなってたらしい。まあこっちが軽く話して本人や親が何もしようとしなきゃこっちは何もできませーん)
話が通じないし、話を聞かないから何とかしてほしいって話も何回かされたけど、
ってかあんたらが話通じないようにこっちが話しかけても話通じてないし、話聞いてんだかなんだか分かんねー状態だから。同じだ。同じ。
いやさ、田舎で近所や周りからいろいろ言われるのは分かるけど、こっちに言われてもってことよく言ってきた。
で、ここ数年は諦めたのか何もなく静かだったんだけど、
来ましたよ。
で、しょうがねーから家庭訪問したら上記のゴミ屋敷でほぼ立てずに床にウンコこすり付けながらゴミと酒瓶の間をうめきながら這いずり回ってるニートでした…。
あれは見た瞬間、地獄から這いずり出した悪魔かモンスターみたいに感じたよ。
しょうがねーから親族に連絡したら、いやー前はなんとかしてあげたいとは思ってマシタガ、私ももう年で…。
入院先の連絡先ぐらいにはなれますが、それ以上のことは…。とかほざくの。
そうなるとこっちで、病院まで繋いで、大量の猫の保護とかの手続きして、退院後のこと病院と協議して、
一応、こっちとしては週明けにも近所からの苦情や退院後の生活のために家の片付け掃除して、
断酒会とか勧めたけど、車の免許ないから足がないとかほざいてて、まあ多分行かなくて、
そのうち金が尽きて、生活保護になって、つーか、もうすでに結構預金残高少ないみたいで、
で、多分、こいつはまた再飲酒してスリップして、ゴミ屋敷にして…。
これをこいつがアルコール依存症の平均寿命の50近くまであと30年間行政が続けるのか…。
マジふざけんなよー。あー。鬱。
でさ、ムカつくのが近所に住む以前、うるさかった親戚。
相談してた当時ならなにかお手伝いできたかもしれませんが、今はもう年で…じゃねーよっ!
まあそれもムカつくんだけどさ、なんか近所の人に聞いたらたまに酒を届けてたっていうじゃねーかよ!
しかも今は、「やっと行政に繋がってくれて…。いやもうこれで公務員に就職したようなもんだから」とかって言ってたとか耳に挟んでさ。
つかこのままだと自分の子供にまでご近所からのニートへの苦情が行くから、このニートわざとアル中にして苦情が行政に行くようにしたんじゃねーのかよ!
あー、鬱鬱鬱鬱!!!
さっさとこの部署、異動になんねーかな!
今日みたいな終わりかけの夏を感じる晴れた日はどこかしんみりとした気持ちになってしまう。
女子校あるあるなのだが、みんな「好きな先輩」がいて靴箱経由でお手紙交換したり、バレンタインには気合を入れてお菓子を渡したりしていた。
上下関係が厳しく、上級生の廊下、ましてや教室まで行くのはタブーとされており、階段や廊下で同じ部活の先輩に会ったら通り過ぎるまでお辞儀をし続ける、そんな「伝統」のある女子校だった。
私はハンドボール部の日焼けした肌と切れ長一重のショートカットの先輩が好きだった。
運動神経抜群な先輩の体育の授業をひと目見ようと休み時間ギリギリまで粘って校庭を眺めたり、先輩が生徒会に入るという噂を聞けば立候補したりした。(結局ただの噂で先輩は生徒会に入らなかった)
今では先輩のプロフィールなんてほとんど覚えていないが、長めの前髪から覗く目と視線が合ったときのドキドキは今思い返しただけでも心がキュルンとする。
2年ぐらい片思いを続けた私が中3、先輩が高2のときのバレンタインには張り切ってブラウニーを作り、かわいいラッピングをして先輩の移動教室のルートを把握した上で、待ち伏せして渡した。
すると1ヶ月後のホワイトデーにお返しとしてプーさんのマグカップをもらったのだ。
中学生の身分からすると千円以上するものを買うなんてすごい買い物だったし、先輩から形の残る、しっかりとしたプレゼントをもらった私はクラスのみんなから羨ましがられ、だいぶ誇らしい気持ちになった。
このマグカップは家宝にしようと強く心に誓い、大切にしすぎて実際に箱から出して使ったのは自分が大学生になってからだった。
その後、私は高校を卒業する前に転校してしまい、先輩とはそれっきりになってしまったのだが実家に帰ってプーさんのマグカップを見るたびにふわふわと心がくすぐられるような気持ちに浸っている。
いつかこのマグカップが割れてしまったら私の中のこの小さな思い出も消えてしまいそうで、考えただけで涙が出そうになる。
先輩への好きという気持ちは未だにあるけれど、思い出の中の先輩が好きだから今会ってもきっと何も話せず、もやっとした気持ちになるのがわかっているからFacebookも検索したことがない。
あのボーイッシュな先輩が髪を伸ばして母親などしてたらきっとそれはもう私の知っている先輩じゃないだろうなぁと思いつつ、元気にしているのかなぁと淡い気持ちを思い出している。
先輩が悲しい気持ちになっているときがあれば、どこかで私のような人がいつもあなたの幸せを願っていることが通じるといいなぁと思って晩夏の空を眺めてる。