はてなキーワード: 本末転倒とは
自分なりのお洒落で装って、百貨店やファッションビルのお店や路面店で担当してくれる販売員さんに会いに行く(あるいは気の合うスタッフさんを見つけに行く)スタンスのほうがやっぱたのしい気がするね。お店に行った自分の装いに合わせたり、あえて外した提案をしてくれるし、共通の話題も生まれるよ
自分がお店のスタッフからどんな客か見積もられるのが嫌なのに、わざと場違いな格好でお店に行ってスタッフの対応度を見積もろうとするのはどうなのかって感じるね。
あと、場違いな装いをすると、結果的に良いサービスを受ける機会に恵まれなくなるんじゃないかと思う。ひとを試した結果、自分が良いサービスを受けられなくなるのはちょっと本末転倒感があるような気がするよ。
お店を開けてるだけで売れまくってて忙しいブランドのスタッフには、一見の客として訪れると、塩な対応をされるメゾンもあるよね。
ただ、それで拗らせた行動を自分がとるのは前述の理由から勿体無い気がする。拗らせるではなく、お店では挨拶をする、コミュニケーションを嫌がらない、買う時はバチっと買う、と普通に行動するほうが良いサービスに巡り合える気がするよ
不利の何がいけないのか分からない,ということを言うと,ほぼ理解されない上にとてもバッシングを受けることくらいは分かっているので公には言わないけど…
相手を好きになるのに,相手が自分を好きであることが条件になっている人が多いのだろうか.
私が,相手から好かれなくても別にいいじゃん,と思ってしまうのが特殊なのかも知れない.
でも他人の心って変えられないじゃん.
自分が相手を好きなら,それでいいと思うんだけど,世の皆様はそうは思わないらしく,何なら他人の不倫にも首をつっこんできてバッシングし始める.
本当に不思議だ…
10~20代は7割が斎藤氏を支持 兵庫知事選、投票者ネット調査
https://mainichi.jp/articles/20241117/k00/00m/010/222000c
「こうした斎藤を支持するガイジを引き入れないと負け続ける!」「どうすればこうしたガイジを取り込めるか考えるべき!」
とかいう途方もなくアホな意見をほざいているゴミが湧いてて呆れた
今回の選挙で陰謀論と工作活動に騙されて斎藤に投票してしまった脳足りんのガイジは1,113,911匹居て
確かにこいつらが一番多かったので民主主義のルール上では斎藤が勝利したわけだが
2位の稲村に投票した健常者は976,637人居るわけで圧倒的な差が開いているわけじゃないし
寧ろ3位の清水に投票した健常者の258,388人を含めれば斎藤に投票したガイジの数を上回るわけで
これは少なくとも斎藤やその工作活動に騙されず斎藤のやり方にNOを突きつけた健常者の数はガイジの数よりも多い事を示している
民主主義は数だけで勝敗を決めるからガイジでも数が増えれば勝てる事もあるってだけ
だからガイジを取り込む為に今回斎藤がやった様なモラルの欠片もない工作活動を、目には目をの精神で健常者もやれみたいな意見は
そうした多数の健常者達を無視する事になるわけでそれじゃ本末転倒
大前提として健常者は陰謀論やデマを信じ込む様なガイジに配慮する必要はないし、譲歩もしてはいけない
政治に限らず物事ってのはデマを信じず正しい情報を持つ健常者によって行われるからこそ正しい結果が得られる
重力を否定するガイジが自分は飛べるとほざいて崖からダイブしても地面に叩きつけられるだけ
どれだけガイジが事実を否定しようが、そしてデマを信じるガイジがどれだけ増えようが”それでも地球は回っている”って事
だから間違っていない健常者が反省する事など何もないし変わる必要もない
健常者は目先の結果に焦らずそのまま正しくあり続ける事こそが一番大事
何故なら地面に叩きつけられたガイジ共が
「私が愚かで間違っていました!誰か助けてください!」と痛みと苦痛で泣き喚いてる時
ガイジに合わせて健常者までガイジになって全員崖から落ちたら、もうそこには絶望しか残らない
ガイジは間違っているが故に必ず失敗するのだから、健常者は変わらず健常者のままで居続けて然るべき時に対処すれば良いだけ
ナチスの時も大日本帝国の時も健常者達は過去何度もガイジ共に対してそうしてきた
今各地で暴れているのもその同類
ガイジがポピュリズムでガイジに支持され権力を持ち、当然大惨事が起き、健常者が後始末をする
また繰り返すだけ
戦闘中HP1になればプレイヤーの記憶に、「この戦闘は苦戦した」という記憶は残るので、
例えばGetting Over It with Bennett Foddy、壺おじですね。ゲーム内に死の概念はありませんが、成立していませんか?
敗北して戦闘前まで戻されるという普通のゲームの仕様は思っている以上に重いペナルティなんですよ。
上手でないプレイヤーは、どうしても戦闘も時間がかかってしまいます。
装備の更新を怠ったり、強い技を理解していなかったりなどですね。
上手い人が20分かからないボス戦闘で、1時間かかって勝てていない人、たくさんいます。
イージーなモードを選ぶプレイヤーにとっては、時間がかかった戦闘/イベントをもう一度やり直さなきゃいけないというのは、
ゲームを途中で諦めて二度と起動しないことと天秤にかけられるくらいに重いペナルティなんです。
強めのゲーマーではない友人とゲームの話をしたときに、〇〇が強すぎてやめちゃったみたいなタイプ、結構多いですよ。
他にゲームの調整として、モードによって被ダメージ余ダメージに倍率をかけるものもありますが、
調整がうまくいかず、被ダメージが下がりすぎてあなたのおっしゃる、「死なない」に近くなっているもの、
余ダメージが上がりすぎて、ゲーム内で苦戦することがなくなっているもの、などが良く見受けられます。
場合によっては、余ダメージが高すぎて戦闘中の一定ダメージによる会話イベントが飛ばされてしまうパターンもあったりします。
せっかくゲーム内のロールプレイを中心に楽しむためにゆるい難易度に手を付けたのに、ロールプレイを楽しむためのイベントが飛ばされていては本末転倒ですね。
これは、ノーマルを基準に調整した結果、イージーの調整が万全でなかったのでしょう。
HP1で残るだけが違いなのであれば、ノーマルで苦戦するものはイージーでも苦戦し、ノーマルでしっかり調整すればイージーもそれに従うので、調整しやすいのだと思います。
目標設定ってもっとざっくりしていて、「今年は売り上げアップ!」とか「新規プロジェクト頑張る!」くらいのノリでいいんじゃないかと思う。
でも、うちではそんな甘い考えは通用しない。
何が「売り上げアップ」だ、具体的にいくら増やすんだ? どのプロジェクトで、どのクライアントをどう攻めるんだ?
「頑張る」ってのは何時間かけてどんなアクションをすることなんだ? そう詰められて、気づけば目標設定のために一週間くらいかける羽目になる。
最初に草案を出すと、たいてい上司から「具体性が足りない」と返ってくる。
次に具体的な数字を入れてみると、「それだと達成可能性が低いから現実的に見直せ」と言われる。
ようやく数字を直して提出すると、今度は「この目標だと君の成長が見えにくいから、もっとチャレンジングな内容にしてほしい」と返される。
このやりとりを何度も繰り返していると、だんだん何のために目標を立てているのか分からなくなってくる。
しかも、目標設定のフォーマットがまた厄介だ。詳細なプロセスを書き込む欄があれば、達成可能な理由を書く欄もあるし、
途中で起こりうるリスクとその対策まで求められる。まるで戦略会議かのような書類を一個人がひとりで作るわけだ。
「このフォーマット、本当に必要なんですか?」と聞いてみたことがあるけど、
「社員一人ひとりが戦略を考えられるようになることが重要だ」とかいう、なんとも納得しがたい答えが返ってきた。
いや、それを考える時間で普通に仕事したほうが会社のためになると思うんですけど。。
しかもこれ、全社員がやらされるのだから、会社全体でどれだけの工数が目標設定に割かれているのかと考えると、
恐ろしくなる。会議室で「この目標のここの部分が曖昧だからもう少し具体的にしてくれ」と言い合っている間に、
もっと生産的なことができるだろうに。目標設定が業務の最優先事項と化している今の状態、明らかに本末転倒だと思う。
結局、目標設定が終わるころには燃え尽きたような感覚になって、実際の仕事に取り掛かるころには
「あれ、これ何のためにやってたんだっけ?」となる。これで年末には「目標にどれだけ近づけましたか?」と尋ねられるわけだから笑えない。
まず言っておきたいのは、コメントってやっぱり大切だってこと。
コードを書いた人の意図を後から見た人が理解できるようにするためのものだし、未来の自分が「あれ、これ何書いたっけ?」と迷うのを防ぐためにも、コメントは欠かせない。
でもうちの会社にいる“バリバリできる人”、仮にSさんとしておきましょう。
このSさん、そもそもプログラムのスキルが超ハイレベルで、コードをめちゃくちゃ書ける人。
みんなが「あれどう書くんだっけ?」ってなるような複雑なロジックをサクサク書けるし、妙なバグも即座に見抜く。もう尊敬しかない。
で、Sさんのコードは、当然コメントもバッチリ入っているわけですよ。ただね…これが実に困った問題なんだけど、そのコメント…意味がわからない。
だって、Sさんの説明って、どこか抽象的だったり、ちょっと暗喩(暗号?)染みてるんです。
言葉としては正しいし、ちゃんと書いてくれてるんだけど、どうも頭に入ってこない。
たとえば「このループは不変量を維持するための役割を果たす」とか、やたらと専門用語が並ぶ感じ。
で、読んだ結果「何をどうしてるんだっけ?」と逆に混乱してしまう。
それで、しまいには「Sさんのコメントの意味がわからないから、誰かもう少しわかりやすい説明を足してくれませんか?」っていうリクエストが社内で上がるようになった。
この“コメントに対するコメント”という新しい文化が生まれつつある。
Sさんが「ここは変数の定義です」と書くと、誰かが「この変数の定義がなぜ必要かについて補足します」とか、「ここでの不変量とは何か解説します」とか言い出すわけですよ。
Sさんが「このアーキテクチャがスケーラビリティを保つためのものである」と書けば、「スケーラビリティの具体的な定義についてもここにメモしておきます」とか。まるで辞書の注釈がついていくみたいに、コメントがどんどん増えていく。
こうなると、なんというか「天才の思考の跡をたどる」って感じになってきて、普通のエンジニアとしては大変なんよ。
Sさんとしては、きっとわかりやすく書いてるつもりなんでしょうが、僕たちからするとSさんのコメントを読み解くためにさらに別のコメントをつけていく状況。
こうして、コメントの数だけが増え、肝心のコードがどんどん見づらくなっていく。
なんだか本末転倒な気もするけど、仕方ない…。
コメントがないとわからないし、でもコメントがあってもわからない。
いやー、天才ってすごい。
金というか資産に働いてもらうにも、それを持ってなきゃ何も始まらない。
無い金は増やせないし、無い土地も貸せないし、無い株からは何も得られない。
生まれついてのボンボンではないから、それを手にするには働いて金貯めるか、でなきゃ借りるしかない。
投資というか投機的な運用でさえ、元手が知れてりゃ増える額も同じことだし。
そこでレバレッジですよ!
というほどの度胸もない。
借金して、別にやりたくもないし儲かる保証もない事業を無理やり始めた所で、楽に金を集めるために苦労するなら実に本末転倒だ。
寿命や若さや欲望が永遠なら、金を享楽に回さずコツコツ貯めるのもやぶさかではないけど。
この身の時間を使って何かしらスキルを得て高給の職を得ようってのも本質的には同じことだよな。
過去は言葉でしかなくて、未来なんて存在すらしなくて、ただ現在の連続だけがある。その今まさに感じている欲求をほっぽってやるべきことなんてあんのかな。
まあ漠然と生き急ごうとする気持ちも薄れてきて「今」への執着とかもなくなってきたら、先の満足のために今を犠牲にするのも悪かないかな。とか思うようになんのかな。
でもそんな風にすっかり欲望を去勢されて安定を得た先には実にディフェンシブな満足感しか残ってない、なんて事にはならねえかな。そこに燃えるような喜びの実感ってあるんかな。
まあ消費と貯蓄なんて程度というかバランス感の問題だよな、とか、そういう保守的な心を安全な生き方と自己弁護していきながら生きていくしかねえのかな。
なんて、色んな楽しさを知りたい気持ちに嘘をついて、いつかそれが本当になってしまうんかな。
ほどほどな無欲さに至って、悩みがほどほどなら喜びもほどほどにしかない人生になってしまわねえか、それだけがどうしようもなく恐ろしいぜ。
日本の民主主義ってこう、一般の人々の声を聞いてまとめる代議士がそれぞれの地方や地域にいて、その代議士たちが集まって議論する感じじゃん。
そういう人の集まりに行くのも、なんか既存の知り合いの人たちの輪ができてる感じがして近寄りがたいし、そもそもそういうのがあるのかすら知らない。
あるいは政治家の人たちは地域のイベントとかに顔を出すって話も聞くけど、それも縁がない。
リアルな場が難しいならSNSと思ったけど、多分その線で調べてみるとアンチと信者ができてしまっていて直接声をかけにくいんじゃないかなとか。
増田に書き込んでる時点で本末転倒かもしれないけど、俺は俺という個人の声を聞いてくれる政治家に投票したい。
正直裏金疑惑があったとしても、綺麗事を言ってる人より頼りたくなるんじゃないかとすら思ってる。
政策で政党や政治家を選ぶっていうのも、この「声を聞いてもらう」の段階をすっ飛ばしてるように思えてしっくりこない。
投票にはずっと行ってるけど、「この人に入れたい」と思って投票したことは一度もない。
これは偏見かもしれないけど、自分より年長の人たちにはひいきの政治家を身近に感じる経験があって、若い世代には少なかったりするんじゃないかな。
“解答”ではなく、あくまで“回答”であるって前提を隅においやってる感。
それを踏まえた上で芸術点を競うものって趣旨は分かってるけど。
ただ、そのジャッジが権威ある人物の匙加減で最終的に決まっている感はある。
その人たちのいってることも一理あるけど100%納得できるかっていうと微妙。
「一理ある」のではなく、「一理あるだけ」なんだよな。
その説得力を、実績だとか権威といったバフ効果を上乗せして押さえつけてるようにみえる。
まあ、そもそも満点が存在しないんだから、100%納得できる回答なんてないんだけど。
ただ、『プレバト!!』みたいに「そういうジャッジをできる程度には権威ある人が一応いる」って状況は、まだマシな方だと思う。
それすらないと、「一理を作ってぶつけ合う雪玉合戦」か、「その一理ってどうなのって揚げ足を取り合う泥沼」になりやすいから。
最近、ヨッピーとその子育てライフハック、それに物申す増田やブコメを見たけれど、まさにそんな感じ。
“満点が存在しない課題”への回答を「満点じゃないから」って理由で添削してる。
そして、「なぜ満点じゃないのか」って理由をこじつけてる、そもそも満点なんて存在しないのに。
この間に入ってジャッジしてくれる「ま…まああんたほどの実力者がそういうのなら………」ってなるほどの存在がいればいいんだけどね。
いや、しょっぱいかどうかは観戦者の都合か。
でも、本人たちは真に為になるような議論をしたほうが有意義だと思うけどね。
(つづき)
> ブースターの再利用に成功した一方で,本体のスターシップが爆発してるのは本末転倒。人を乗せるのは爆発した方なのだが,スゴイスゴイ言ってる連中は分かっているのだろうか。
あのね、全体としてまだ設計が終わってないの。設計終わってないのに奴らは作って飛ばして実地の物理から学んでるの。そこがスゴイの。着水後の健全性はテストでは目指されていません。
前回テストを踏まえ今回のシップの方の課題は熱対策の改良でした。前回も着水まで行けたけど、フラップの可動部にプラズマが入り込んで、熱によるダメージでほとんど外れかけの状態まで壊れてしまっていました。 https://youtu.be/WvBXUlwLQ08?t=598
今回はタイルを改良したことで(全部剝がして改良版を貼りなおした https://www.youtube.com/watch?v=QCkgat6Rl-s&t=382s )概ね機体全体を保てたまま、最後の水平から垂直への姿勢変更の動きもしっかりして着水まで行けました。だから進歩の確認として成功なのです。海上で待ち受けていた側(たぶん観測ブイ)からの映像が撮れてるってことは、狙った場所に正確に制御して降りられた、機能が健全なまま降りられたって事の証明になっています。
映像見てケチをつけるなら「やっぱりなんか今回も可動部から噴き出してるじゃない」ってところだよ。でも、それももう対策をした次の設計(フラップ取付位置を突入時の後ろ側に変更してヒンジが晒されないようにする)の機体が製造されつつあります https://ringwatchers.com/article/v2-ship-june-2024 。前のモデルの試験結果が出切っていないのに改良版を設計製造して、ものすごい高速で開発サイクルを回して前進している。そこがスゴイの。
ちなみにブースター側の前回の問題は稼働していないエンジンがあったという点です。液体酸素の中に生じた氷がフィルターを詰まらせたのが原因ではないかと言われていて、今回は上昇時も帰還時も全てのエンジンが稼働したので、これも進捗の確認の意味で成功でした。この動画が詳しいです https://www.youtube.com/watch?v=LgZRyeNAa0A
> ようわからんけど着水後に爆発したらダメじゃね? >着水後に宇宙船が爆発した様子を海上のカメラで捉えた
裏が取れていない事ですが、着水後の爆発はコースを外れたときに自爆させる装置(FTS, Flight Termination System)を作動させた結果の可能性があります。自爆の火薬はタンクが上手く破れる位置に仕掛けられていて、海上の映像を見るとそれが作動した時のように、ざっくりタンクが切れているように見えます(ちらと見えた配管は、炎が少し出たのでヘッダータンクへの配管っぽい)。ぷかぷか浮いていたら(タンクが空になったロケットは水に浮きます)船舶の航行の安全的にまずいので沈めるようにしていたのでは、という意見も見ました。
> イーロンマスクはロケットのことはよく分からないのであまり口を出しておらず、車のことはよくわかるので口を出しているのかも。
インタビューなど見ると、彼はロケットの技術面を分かって自身の問題として考えているように思います。わたしは下世話なとこは興味が無く具体的には知らないですけど、めちゃめちゃ口出ししていたみたいですよ https://x.com/cucscspr/status/1845781849236472313
> マスクのロケットが成功するたび憂鬱になるんだが。あいつは火星植民の目途がついたらまず確実に地球環境を汚染しにかかるようなヤツでしょ。その方が火星の皇帝を目指すには「合理的」だから。
彼が目指しているのは人類が multiplanetry species(複数の惑星に生息する生物種)になることです。地球を滅ぼしたら multi じゃなくなっちゃうよ。
> イーロンより褒められるのはエンジニア。しかしトップがイーロンなのに組織持ってるのは凄いもんだ。誰orなんの仕組みが新しいことをする心理的安定性を担保してるのだろうか
イーロンが失敗することを良きものとして「物事が失敗しないのならば、十分に革新的な事をしていないってことだ」 "Failure is an option here. If things are not failing, you are not innovating enough" というように語っているらしいです。だから、新しい事に挑戦させ成果を生ませているのはイーロンなんじゃないかな。(まあ別の意味で心理的には安全じゃなさそうな職場だけど。気質があっていれば楽しそうだ。)
> やっぱりスペースXは普通にすごいね。その調子でイーロンとそのフォロワーの金を搾り取りながら宇宙開発技術の発展に貢献してくれ。
SpaceX は NASA や軍から契約を取ってます。しかも今のところ他の企業より安く確実にやってるようです。ちなみに今回の Starship のバリエーションが月着陸船として NASA に採用されました(こいつは地球には戻ってきません) https://en.wikipedia.org/wiki/Starship_HLS
あと Starlink のお金も重要っぽいです。日本のようにインフラ整備された国ではいまいち実感持てないけど、無改造のスマホが山奥の僻地だろうと、砂漠、海上、空の上だろうと圏外にならないようになる、ってすごくないです? https://www.starlink.com/business/direct-to-cell
今回の試験にあわせて SpaceX からゲームが提供されたよ! https://starshipthegame.spacex.com/
(おわり)
消防士とか海難救助とか山岳救助みたいな人の命を救うための活動をしてる人でさえ
なのになんで日本って国は可能な範囲を超えて死にかけてる老人を助けようとしてるの?
これを言うと多分非人道的って言われるかと思うんだけど前提の通り助けようとする立場の人が命かけるのは本末転倒なのよ
例えば相手が自分の親や親戚であれば自分の思いで支援するのは全然いいんだけど
社会の仕組みとして現役世代や若年層が命や将来を削りなから高齢者を生かす社会って果たして正常なのか自分にはわからないんだよね
現代の価値観からすれば自分の言ってることは一般的に受け入れられないであろうことくらいは当然理解してるけど
その現代の価値観っていうのだって決して普遍的なものではないし
こういう意見を議論の余地なく潰すのはそれこそ与えられた価値観になんの疑問も持たず外れたものを潰す時代に迎合するだけの行動で
戦争期には戦争を後押ししてた奴らなんじゃないかと思っちゃうんだよね
ちょっと話はそれちゃったけど安楽死・尊厳死(自分はこれを制度化するなら医師の許可制にする必要はあると思うけど)に関する話をするだけで
特殊設定ミステリのトリックには必ず特殊設定が使われるんじゃないかという気分になっている
魔法がある世界の殺人で全く魔法が絡まない密室トリックは書かれないだろう
不死身の人間が存在する世界ならトリックに不死身の人間が絶対関わってくる
これもチェーホフの銃の変奏か
本当に?
それでこんな説を立てるなどおこがましい
『楽園とは探偵の不在なり』を読んだところ、面白かったのでこういう日記を書いているわけだが
『ジェリーフィッシュは凍らない』もよかったな
思えば『星を継ぐもの』でSFにはまった身としては特殊設定ミステリ側にも適性があったということか
特殊設定ミステリとは (トクシュセッテイミステリとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
このページにリストアップされているやつを片っ端から読んでいくか
戦争の暗いニュースを見ていたら気分が悪くなってきたのでフィクションに没入するか
没入する先が殺人現場というのは著しく不健全で本末転倒な気がするけれど
美容院の予約をすること
この増田 (https://anond.hatelabo.jp/20241003190546) 読んで、
『到着時刻は断崖絶壁』とか、
『一秒でも越えたら崖の下に落ちて死ぬ』とか、
「遅刻する/されるのが嫌なのはわかるけど、そんなにか?!」と不思議に思ったんだけど、
ブコメでも「相手の時間を奪ってる」と吹き上がってるコメントがスター集めてて、
どうやら少なくない数が遅刻に強い怒りを感じているらしい。
びっくりしたので、ちょっと色々考えてみた
「時間通りにつかなければ崖から落ちる (=死ぬ)」や「他人の時間を奪ってる」など、
言い換えると、遅刻は生命/人生を害する問題であり遅刻者はその罪を犯している、という認識。
こういう遅刻フォビアが下敷きにあるから、他人の遅刻が許せないし、自分の遅刻がありえない恥ずべきことだと思っているのだ。
確かに、仕事や飛行機など大事な用事では時間を守った余裕ある行動をすべきで、そういう場合は遅刻フォビアはポジティブに働く。
一方で、それ以外の時間にシビアでない待合せでも数分の遅れを許せず、機嫌が悪くなったりする場合、遅刻フォビアの害が表れてしまっているといえる。
たかが数分の遅刻にイライラしてしまう場合は、こうした遅刻フォビアを自覚して、多少の寛容さを持てると良いと思う。
分単位での遅刻が許せない考え方の一部は、電車移動を主とする生活に過適応した結果なのではないか。
日本の電車は、概ね分単位のズレなく到着し、その時間を一分でも過ぎると次の機会を待たねばならない。
そうすると、元増田の「断崖絶壁」の比喩のように、時間を「間に合う/間に合わない」のゼロイチのようにとらえる考え方が培われる。
電車以外、例えば車移動なら、数分出発が遅れることはその時間に応じた到着時刻や交通環境の変化を意味する連続的な坂のようなものであって、「断崖絶壁」ではない。
全てのスケジューリングに「断崖絶壁」を当てはめようとするから、シビアでない遅刻に対しても許せないほどの怒りを感じてしまうのではないか。
最後に、「今まで「『他者の遅刻が許せない』と思いすぎていたな」と感じる人にオススメしたいのが車での旅行である。
車移動主体で行動することで、数分の遅れは単に数分の遅れであって、間に合う/遅れるというゼロイチのものではないことが体験できる。
そうすれば、遅刻フォビアじみた大きな恐怖の考え方を変えることができるのではないか。
※注意点は「間に合わなければいけない予約をしない」こと。時間に間に合わなければ機会を逸してしまう予定を入れては本末転倒だ。
「もっと寛容になろうよ」ということです。