はてなキーワード: 書き言葉とは
私も胸の大きさが強調されるのはいかがなものかと思っている男性なのだが、それはそれとして、この増田が実は女性だというのは下記記事の説を支持する。
そして女性なのに男性だと偽って発信して説得力を持たせようとしたのはズルいやり方だと思うし、そのくせ全然尻尾を隠せていないのは愚かだと思う。
男性がある物を批判をする時はその「ある物」を主語として瑕疵や不具合を述べ立てますが、女性が何か批判する時は「自分の気持ち」を主語として被害の発生を申し立てるのです。
この「キャラにイタコのように乗り移り、自分はあくまでキャラの代弁者や庇護者として作者への不満や批判を述べる」という語り方は、極めて文化的な所作・女性オタクの奇習なんですよね。
もし私なら以下のようなことを書いているだろう。
男性が書くような理由というのはこのようにあっさりしている。確かに「押しつけがましさを感じる」とか、「目障りに感じる」というのは主観的な感情も含んでいるが、ちゃんと感情に理由をつけている。
あと「悪いけど」とか「ごめんなさい」みたいな無駄な枕詞、エクスキューズは書き言葉では使いたがらない。言っても無駄だからだ。特にこのような何かを論評するような文章においてはノイズとなる表現は排してなるべく簡潔に書こうとする。
「オエッてなる」みたいな大げさでそのくせ大した説明がない主観的表現や、勝手にキャラの心情を代弁してしまうイタコ表現は使わない。男性ならそういった表現は何となく気持ち悪さを感じるからだ。
前者は、強い表現、大げさな表現を使えば絶対に共感してくれて、共感さえさせれば絶対分かってくれる環境にいる人間の発想である。
男性はもともと共感能力に乏しいうえ、発達段階で何かしらの自分のことをわかってもらえない、寄り添ってもらえないという絶望を何度か経験するものなので共感してもらうことに対する諦観があり、何かを訴えかけるときには共感とは別のアプローチをとるものである。
そして実際のところ、嫌なことの是正を訴える文章では共感力ゼロの人間にもわかってもらえるように書くべきなのだ。
そして後者のイタコ表現については男性は使うと罪悪感を感じるから使おうとしない。勝手に人の気持ちを推定・代弁することは失礼にあたる・おこがましいと感じるのと、基本的に他人の気持ちはわからないという地平に立ったうえで話をするのがフェアだと考えるからだ。
(受身の助動詞「られる」ではなく)受身の助動詞「れる」に接続してるだけなので、文法的には問題無い。
ただ、最近は受身・可能・尊敬の助動詞「られる」について可能/尊敬を区別させるために、可能の場合は「れる」に変形する「ら抜き言葉」が普及しているので、「れる」の可能のニュアンスが強くなってるかもしれない。
それと、「れる」は「られる」より口語的ではある。
「られる」と意味・用法は同じであるが,未然形がア段となる動詞には「れる」が付き,それ以外の場合は「られる」が付くというように,接続のしかたに分担がある。サ変動詞に接続する場合,「出席される」のように,未然形のうち「さ」に「れる」が付くのが普通であるが,書き言葉でのやや改まった言い方では,「出席せられる」のように,未然形のうち「せ」に「られる」が付くこともある。の可能の意では,現代語では普通「行ける」「登れる」などのように,可能動詞で表すことが多い
何を言ってるんだと思うかもしれないが、実際に外資であっちのネイティブ(米国人、英国人など)と働いてみると彼が驚くほど国語(=英語)能力が低いことに気づく。
もちろん、口語はあっちの方が完璧だ。どう足掻いても日本人や英語が第二言語の人たちでは敵わない。でも、書き言葉になるとネイティブの言語能力は驚くほど低い。
なぜか? 考えてみれば実は理由は簡単だ。我々日本人や他の非ネイティブの人たちは、その会社で働いているということはそこで働けるだけのスキルがある上に、第二言語としての英語を修得して働いている人たちなのだ。
一方で、英米企業のネイティブ採用は単にその仕事のスキルがあるから採用されているだけで、語学力はほとんど担保されていないのだ。
日本企業に置き換えて考えてみるといい。日本企業でも、仕事のスキルは十分だけど日本語がものすごく舌足らず、みたいな人間はいくらでも思い浮かぶはずだ。
要はそれと同じで、外資系企業の英語ネイティブは言語能力についてはほとんど大卒以上のことは担保されていないので、結果的に致命的なくらいに言語能力の低いやつにゴロゴロ出くわすのだ。
非ネイティブにとっては、英語を使って外資で働ける、という時点で一定以上の言語能力が担保されている。
この辺は、とくにIT系など技術一本でいくらでもいい仕事が得られる業界で特に顕著だと思う。今まで何人の言語能力に致命的な欠陥のある英米人に仕事で出くわしてきたことか…
少なくともその「アクセントも緩急もなく平板にしゃべる人」の文章での表現が誤解されてないなら、話す場合であってもその文章で行う表現をそのまま使うだけなので、平板で緩急なくても伝わるだろうから、「わかりづらいからイントネーションちゃんとしろよ」みたいに圧力かけられる機会はないのでは?
あと、面倒くさがってるのはただの事実なのでそれをいまさら言われてもって感じ。
話し言葉での意味上のイントネーションの使い分けは学ぼうとしなくても母語話者なら勝手に身につきその意味を言おうとしたとき苦もなく無意識にそう言ってしまうもの。
同じ感覚で通用すると思ったら、書き言葉の場合イントネーションの情報が消失してるから伝わらないんだということは、こういう他人からの何言ってるかわからないいう指摘により初めてカルチャーショックとして経験する問題だと思う(もしくはなんでかまでは何度指摘されても一生気づかないままかも)。
発話の間で伝わる範囲であれば書き言葉においても読点で代用できるケースはある。
ただそれ以前の話として、そもそも「イントネーションを変える」も「一文で言わず二文以上に分ける」も内容が伝わるように表現を使い分ける行為では?
音声言語としては要求されない使い分けを文章表現では一律に求められると元増田は言うけれど、逆ではないだろうか。
音声言語では当然に(元増田が使い分けと思わないほどに!)行われている表現の使い分けを、文章表現では面倒くさがっているのが元増田ではないのか。
アクセントも緩急もなく平板にしゃべる人が、文章表現にはアクセントや緩急はないのに音声表現で一律に要求されるのはおかしいと主張するようなものでは
「い抜き」言葉、つまり「やっている」を「やってる」と言ったり書いたりする例は、文法的には間違いとされて(い)ますよね。こういうことは先に話すことのなかで起こるのでしょうか?
つまり、動詞の終止形を連体形と同じ形で書くのはもともと文法的には間違いだったわけですが、これが正しいとなる過程のなかでは、連体形と同じ形で表現することは、書くことにおいてではなく話すことにおいて先に始まったのでしょうか?
それで話しの中での使われ方に押されて、書くときにも使われるようになり、なし崩し的にそっちの方が文法的に正しいということになっていったということなのでしょうか?
い抜き言葉が話し言葉の中でいくら多数派になったとしても、それだけでは文法的に正しいということにはなりませんか?必ず書き言葉の世界でも圧倒的に多数派になる必要があるのですか?
どうにも「文法的に正しい」という表現自体が腑に落ちないのです。誰かなんの権限でもってなにを基準に正しいとか誤りとか断じられるのかと思ってしまうわけです。
文法=母語話者の表現のなかに見いだされる法則、なら、「い抜き」言葉はすでに法則と呼べるレベルに通用してると思うのですが。それを「いや、文法に即していない」といえる根拠ってなんなのでしょうか?たぶんその根拠に立つと、終止形を連体形で表すことだって「文法に即してない」ということになるように思えるのですが…。
https://anond.hatelabo.jp/20231014203526
増田は借りもんで書くことが好きやないということながよね。けんどあたしらあの喋るがをそのまま書いたちほとんどの人はわからんがよ。自分らあも書いたものを普段読まんき妙にほっこりせんしね。けんどこれは喋り言葉(口語)ながですという表現はしたいがよ。あたしらあには喋り言葉の文体は借りもんでできちゅうがよ。けんどよ、それはよその人もそうながやないがかえ。誰っちゃあ喋りゆうようには書きやあせんろ。伝わるように喋りそのものやのうて喋り言葉調の文体で書くろ。それは言葉を借りちゅういうことやないかえ。
実際は書くときだけやのうて喋り言葉でもメジャーな方言を借りることは「ようあるがよ」。ここで「ようあるんよ」と言うがよ。あたしらあの「がよ」はよその人に意味が分からん言葉に思われたりがいに思われたりするきね。田舎の言葉やきしょうがないけんどね。
話し言葉文体は書き下しじゃなかったらどうしても借り物を使うんよ。小説とか漫画とかで見る関東ベースの話し言葉を借りても一緒は一緒やけど、生活から遠すぎてどうしてもテレビとか漫画の喋り方で喋る子みたいに感じるところがあるんよ。結局借りてるのは一緒やしね。
以前は「関西弁」を借りる表現が多かったと思うけど、瀬戸内方言のメジャー化でより近いそっちに寄せている感じはあるね。
増田の文章も話し言葉の文体だけど、例えば「しては?」は実際の話し言葉では「してはどうですか?」か、「したら?」じゃない?それはどっから来たのって話なんよ。いやそういう表現をする地域があったらごめんやけど。文章を声に出して読んでみて、実際にそうやって話すか?を比べてみたらそうは言わんとこが出てくるんじゃない?話し言葉調文章の正しい表現というものはないから、みんな読んだもん聞いたもんを借りてきて書いてるんよ。
あと、増田の文章全体としてアホなど極度に話し言葉的な表現と言い切りなど書き言葉寄りの表現が入り混じっていて、どちらかに振れているところはなにか意図があってそうしているのかなと読んでしまう。なので増田の使用する「アホ」は我々の想起する「アホ」と何か違う意図があるのではないかと思い、それが読みとれないために不快感のコアである「アホではないか」が伝わりづらい。方言は借用されたり「いわゆる関西弁でのアホ」のようにノンネイティブ圏で特別にニュアンスがつくため、単なる方言の書き表現であるなら特に話し言葉に寄っていることがわかる、あるいはネイティブ性がありこの語でないと表現できないということがわかるような表現に統一した方がいいと思う。追記の関西に十年というネイティブではないような表現も何か意図あって語を選んだような印象を強めた。
まとめると、
・通じにくい方言のユーザーは話し言葉表現としてよりメジャーな方言を借りることがある。
・話し言葉調での文章には(当人の話し言葉から見て)借り物の語彙や表現が使用される。それは地域を問わず起こっていることで、借用すること、借用元が古くないことが非難されるべきだとは思わない。
僕の彼女は発達障害がある(ADHDとASD)けど、日本ではトップの学歴で、年収も同年代の中じゃトップで、英語も喋れるからぱっと見では普通の人と変わらないどころかむしろ優れている方だった。
話し言葉が書き言葉のよう(犬系彼女は、ぶりっ子を言葉にしたような語彙で喋る感じがする)
ぷるぷると不思議な動きをする
みたいな部分を見て、彼女みたいだなあと思った。
僕の彼女は、予定が変わったり、こだわりが達成されないと酷く不機嫌になる。つまり、普通の人がそれだけで?という部分ですごく傷ついたり不快になったりする。
不機嫌になるといっても、ただムッとするのではない。
真顔で少し固まった後、顔をぐしゃっとしながら泣くのを堪えるか泣く。そのあとは耳を塞いだり、同じ言葉を繰り返したりするが、そこまで行くと多動が現れるみたいで、漫画のような地団駄を踏んだりする。
こう言った行動、まさに犬系彼女と似てるなーと思っていて、普通の人から見るとまさにぶりっ子になってしまうのかなと思う(本人は障害のせいだからぶりっ子とは少し違うはず)。
犬系彼女の本人はあえてやっているのか、差でやっているのか知らないしあれはあれで良いと思うので、本人の障害の有無はまったく関係ない。
ただ、犬系彼女に投げかけられる酷い言葉を見て、障害のせいで、それだけで?と言われてしまうような事柄にひどく動揺して不思議な行動をとってしまう人々も同じようにひどい言葉を言われてきたんだろうなと考えてしまった。
皆さんはどうですか。
ニンテンドースイッチのゲーム50本遊んで感想書いたのでまとめ(部門別ランキング)
・Half to Whole
AI2のED曲。めったふざけた笑える曲なんだけど、同時にめっちゃ悲しい泣ける曲。4分30秒の中で笑って泣いちゃうので感情が疲れる。
・散って、咲いて
2のリベリオンズ遊んでからきくと「私たちはお互いがパンドラの箱の中の希望で」という歌詞の意味が二乗に理解できてグッとくる。いやどう考えてもそれを見越して作詞してる訳ないんだけど、彰にとっても救いであって欲しいと願う。
作中で何度も使われるフレーズが入ってるため自然とこのゲームといえばこの曲の印象。
熱く激る燃え曲。
なんだけどこの歌詞の意味は最後の最後まで遊んで初めてわかるのが難い。
「想い合えるっていつか逢えるって」の二人が誰なのかを理解してから聞くと泣ける曲になる。
・天城小次郎
EVEの主人公。普段はお調子者で助平でダラシないけど、ピンチの時はめちゃくちゃ優秀ってキャラが大好きなんだ。(冴羽リョウの一言でまとめるのは乱暴)
・真下悟
死印の相棒キャラ。普段はツンケンな態度だが、要所でデレデレと甘えてくるベタなツンデレ中年男性。
主人公のためにかなり軽率に自分の命も投げ打つくせに、すぐお前のことなんか好きじゃないんだからねっする露骨な萌えキャラ、可愛い。
・ドスゴロ
敵役ポジションながら、彼もまたマルコのことを不器用に愛していた的な展開が感動した。
愛をまっすぐ伝えれない男の人好き。
・法条まりな
普段はお調子者で助平でダラシないけど、ピンチの時はめちゃくちゃ優秀ってキャラが大好きなんだ。
優秀なんだけど、どうにもならない後始末的な展開が多いせいで、毎回辛い結末なのが可哀想。(GEでは小次郎も大概だったけど)
最新作のGEのラストに、そのことで悲しみながらも、それでも誰かを助けようとすることを辞められないと自戒するところがあって、そこで彼女がハッピーエンドになるまでこのシリーズを追いかけようと誓った。
死神なので人間と異なる倫理観を持っていながらも、主人公のことを大切に思う気持ちが一貫している優しい子。
この主人公へに気持ちが少しづつ見えていくのが、ゲーム全体のことや、街の市井の人々のことを好きになりつつなのが、レインコード最高感を高めてくれる。
終わりが離れ離れなだけに、次回作などで二人が再開することを強く強く所望したい。
設定的には難しいかもだけど、ユーマと死に神ちゃん以外のコンビでレインコードを遊ぶのは考えられないよ!(DLCはまだ遊んでないです)
探偵撲滅に登場するお嬢様。能力的には劣るのだけど、精神がもっとも高潔で優れている立派な人。
探偵に最も相応しい能力を持ってると思うので自信を持って欲しい。
良い人というだけでキャラが立つ、探偵撲滅の面々の酷さも逆に好き。
・ねね子
お風呂に入らない、100点。
無駄毛を剃らない、100点。
排泄シーンがある、100点。
300点、優勝です!
点数付けないとか綺麗事言いましたが、このランキングだけはダントツで点数付けて書きます。
ねね子はエッチすぎる。
・JUNO
40代なのにお兄ちゃんのことが大好きなヤンデレさんな上に、大量の香水で体臭を誤魔化しているというお風呂嫌いキャラ。(※作中では香水のつけ過ぎだと言われているだけで体臭を誤魔化すだの、お風呂嫌いという設定はありません)
ハッキング技術がめっちゃくちゃすごくてリアルタイムに監視カメラとかを乗っ取るすごい人。
事象を見ると半分どころか完全に異能の領域なんだけど、特に特殊な能力はないらしいのが凄まじすぎる。
やたらと脱ぐシーンが多く、全裸を2回もスチル絵付きで披露してくれる。
その上、言及はないが、白衣を着た理系の二次元女性はお風呂に入らないことが多いという研究結果がある気がするため、彼女もお風呂に入っていない可能性が高い。
最も、彼女が登場するエピソードではガチのお風呂に入らないルンペン男性がいるため体臭が誤魔化されているという高度なトリックによってみんなは気づいていないのだ。
・リルゥ
人を馬鹿にするのも大概にしろよ! じゃあ風呂に入らないとかその辺はゲーム的都合でボカせよ!!!!
魔法…… 許せねえ……
お風呂に入らないのにそのことを示唆する描写がないならお風呂に入らせろよ!!!! お風呂に入らないことをゲーム的な都合で誤魔化すのは逃げだぞ!!!!
お風呂に入らないまま何日も激しい運動をしたらどうなるのかを描写するために目の前のキーボードがあり、テキストを入力するプログラムがあるんじゃないんですかねえ?
お風呂に入らないならそのことを描写する、誰でもできる当たり前から逃げるな!!!!
・曲
お風呂に入らずに徹夜で映像の中にある手がかりを探るシーンがあるが、そういうことを揶揄っていい雰囲気じゃないので、お風呂に入らない女性をエッチな目で見てはいけないなと反省した。
ごめんなさい。
・美ノ神みなとの正体
ベタといえばベタ(今回遊んだ50作の中ですらトリック被ってるのあるしね)なんだけど、全く気付かなかった上に演出が決まりすぎてる。
小説じゃなくてADVで魅せるトリックになっていて大好き、ADV元々好きだけどこれでまた堕ちた感がある。
度々思い出してはニヤニヤしてる。
・バラバラ殺人のかけた部位が数年越しに新鮮な状態で見つかるトリック
AI2のあまりにもなトリックだし、この作者コレ好きすぎない? という愛すべきマンネリがありつつも、僕も好きだから仕方ないね。
これだけ奇想な導入なのに本筋はハウダニットではなくホワッツダニットなのも好き。
・幽霊の正体を誤認させるくだり
自身を女性だと断定された時、咄嗟にその嘘を本当かのように振る舞う演技をする。
これはミスリードでありつつ、そのように咄嗟に女性を演じるということがそのまま犯人特定の手がかりに転換されるのは良いトリックだと思った。
ぶっちゃけ幽霊が誰かはかなり早い段階でわかってたんだけど、こういう特定のための手がかりをコメディパートに仕込むの好き。
・王美脚
双子の妹王美腕に重たい感情を向けられながらも男遊びをやめようとしない。
濃い! ただの技術者キャラなのにキャラがやたらと濃く、彼女達だけで十分スピンオフが作れそう。
双子百合だけど片方は男遊び大好きって成年漫画でも通用する設定だよ。
・Bさん
設定上、主人公とヒロイン以外の存在感は希薄なゲームなんだけど、ヒロインの幼女であるクロを教祖のように崇める成人女性というやたらと印象に残るキャラ。
流行りの言葉でいうと、ロリおねとか、おねロリな人なのかもしれない。
上記の印象的なトリックでのミスリード要員でもあるため、出番もそれなりにある。(Bさん本人ではないけど)
神田アリスも推理スル屈指の迷展開、生徒を呼び出す手紙に演劇の専門用語を書いて困惑させるキャラ。
「バラす」を専門用語と思わず使い、乱暴な暴言を吐かれたと勘違いしたことが謎の主題なのだけど、
話し言葉ならまだしも、書き言葉でそんなわけないだろ、と割とどんなトリックも心広く受け入れる派の僕もツッコミを入れてしまった。
それ以外に出番はないためどのようなキャラなのかはさっぱりわからないが、この挙動に説得力を持たせようとすると、中々にシンドそうな人になりそう。
⚫︎好きなスチル絵ベスト3
・まりながタネさんから貰ったアクセサリを真弥子に渡して膝枕されるシーン
この3人全員が経緯を全て知っているわけではないため、読者だけがここに意味を見い出せる構図の妙がたまらない。
真弥子がメインになるエピソードは設定的に難しそうだけど、もし次があるなら、このアクセサリの件に少しでも触れていただけると、それだけでもう泣いてしまいそう。
泣き言を言いながらも法条まりなであり続けることを誓うシーンでもあり、さかき傘EVEとして末長くシリーズ展開してほしい、お願い第三弾ください。
・タコリタとイナの抱擁シーン
短い作品なんだけどこのシーンが印象的すぎてすごく好きな作品になった。
女の子同士とかそういう点にはほとんど触れずに、頑張り屋さん同士という共通点だけを掘り下げるのも素晴らしい。
・いつもの三人が揃うシーン
時計仕掛けのレイラインで、いつもの三人が再び揃ってまた捜査に乗り出すところ。
紆余曲折、本当に色々あった3部作だったけど、こうして3人がまた揃ったのを見られて本当に良かったとしみじみ思った。
ネバーエンディングなこれからも続いていくエンドを象徴する大好きな一枚絵。
Ever17のこめっちょ以来、延々と作品の濃度を薄めボリュームを傘増しするために注がれるギャグシーン。
良い意味でも悪い意味でも小学生レベルのギャグで、本当に毒にも薬にもならない水のようなシーン。
パンチラインを頂点に、近作のAIシリーズでは大分抑え目になっていると思う。
ただインターネットの評判を見るとこれでも多いと感じる人が沢山いるようだ。
時計仕掛けのレイラインでかなりねっとりとホームズ役の主人公と、ワトスン役の男友達との友情が描かれていて、美少女ゲームなのに攻めてるなあと感心した。
クリア後にWikipediaを見るとこの人の名前がライターの欄にあり、非常に納得した。
この辺は好き好き分かれるんだろうけど、僕は大好物なのでもっと遊びたい。
テーマって物語を読んだ読者が感じ入るものだと普通は思うのだけど、竜騎士07さんは割と剥き出しでテーマを語るパートを作ってくれる。
ひぐらしの仲間の大切さ、うみねこの真実よりも大切なこと、幻想牢獄のカレイドスコープの女性の生きづらさ。
Twitterや、はてなブックマーク並みに男女論を一刀両断している。
・さかき傘EVE
アドベンチャーゲームにハマったきっかけなので。
第三弾だけじゃなく、四、五と末長く続いて欲しい。
大好き。
特に最早恒例となった、最後の最後にあるアレは、もう絶対やって欲しい、メドレーとかどうです?
3部作で完結が綺麗なんだろうけど、気を抜いて遊べるおちゃらけスピンオフファンディスクも遊びたい。
・死印
いや、あるから。
増田はどうかわからないけど、こうした主張は保守や右派と呼ばれるような人が論じてくることが多い。
しかし私が思うには、こうした日本や日本語を大切に思う勢力こそ、日本語の柔軟さや強かさに気づけていないのではないか。
なぜ彼らは、カタカナ語やカタカナ表記もまた日本語の範疇と考えられないのだろうか。
漢字という表意文字があり、ひらがなとカタカナという役割を分けうる表音文字がある。
アラビア数字もアルファベットにも馴染むし、縦書きでも横書きでも表記しうる。
こんな強い書き言葉は滅多にないだろう。
日本という国が(保守派だったら日本という美しい国が、と書いてもいいところなのかもしれない)、
長い時間をかけて色々な文化を吸収し、それでも、たとえば匈奴や烏丸のように歴史の中で無くなってしまわず、国際社会の中で存在している。
長い時代をかけて日本語表記は例えばセルや魔人ブウみたいにいろんなものを吸収して強かに生き残ってきた。
これに自覚できず、そしてこれを誇りに思えないで、どうして保守を名乗れようか。
辞書とかじゃ「ベッド」「バッグ」が標準で、日本語の書き言葉としては濁音で表記するのが正解とされていると思う
でも実際の英単語としての発音で考えたらどれが一番近いんだろうっていう疑問?興味?もあるし、個人的にはどれかの表記を「これが絶対的な正解!」と言い切るほど強めの思想はない
文章読んでて「ベット」「バック」って出てきたら、一瞬気になるとは思うけどまあ目くじら立てるほどじゃないか…って感じ
どちらかというとその「ベット」「バック」の表記を使っている人が「red」を「レッド」と書くことには何の疑問も感じていないのだろうか、という点が気になる
https://anond.hatelabo.jp/20230423111053
①敵の話が全て俺の予想の通りだった。
俺は自分の仕事のどこにミスがあるかなんて全てわかっているし、上司が怒りの表情で俺に話しかけてきたら、そのミスのどれか指摘してきているに決まっている。
また、相手の趣味嗜好、時事ネタの何を好むかも大体わかっているので、相手の機嫌次第で何の話をしてくるかは大体わかる。
世の中は、俺の予想通りの行動をしてくるやつらしかいないことを再確認し、話を最後まで聞くのは時間の無駄だなということがわかっただけだった。
俺はちゃんと、他人のPCモニタに何が映ってるか監視しているし、他人の日常会話に聞き耳を立てているし、
朝誰もいない時に机も漁っている。同僚のスマホやPCの解除パスも、6割くらいは覚えている。
そういう努力をしていない人間だけが、敵の話を予想できないのだなと思った。
『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』という言葉を贈りたい。
まずは誰もいない時に机を漁り、他人の書類を読み込んでおくことだ。
②話を聞かない能力が失われる
例えば貴方は創価学会やマルウェイ、統一教会等やものみの塔などの話をちゃんと聞く必要があるだろうか?
会社にかかってくる、不動産投資営業や、保険営業の話を、理解する必要があるだろうか?
そういうことだ。
世の中は、「聞かない方が良い話」や「理解しない方が良い話」に溢れている。
それらの詐欺的カルト的な話など、しっかりと耳を傾ければ、ある程度の合理性は見出せるのだ。
「あなたは幸せになれる」などという甘言なのだから、論理的に理解すればするほど、ハマっていくものなのだ。
オウムに高学歴の人間達がドはまりしていたのも同じで、彼らは話を聞く能力や読解力があったからこそ、カルトにハマってしまったのだ。
仕事もそうだ。
何故ならば、仕事上のコミュニケーションの行きつく先というのは「人生を食いつぶし会社や俺のために奉仕しろ」という言葉に他ならない。
何故、そんな言葉を理解する必要がある?胸に手をあてて考えろ。
他人の言葉を自己流に都合よく解釈し、ああお客様の役に立つことなんだな、とか、自分の成長にも繋がることなんだな、と思い込むことによって社会は成り立っている。
上司の指示や話をしっかり理解しろなど、残酷な言葉に耳を傾ける必要はない。
俺が会話をする時は他人を利用するためか、他人を陥れる時だ。それ以外の会話をしたことがない。
そんな俺の話を聞く必要があるか?ないだろう?つまりそういうことだ。だが、俺は善人だ。なにせ、自分が悪意を持っていることを知っている。
そして本当に他人を利用する悪人なら、自分の悪意を晒したりしない。デメリットしかないからな。
真の悪人とは、つまり自分の行為が社会善や共通善に則っていると思い込んでいるやつらのことである。
わかるだろう。
他人に無償でアドバイスをするような人間の言う事は聞く必要がない。俺のような善人の言葉を除いて。
我々に人の話を全て聞く時間があるだろうか?
いや、ない。
国語の物語文や論説文を解く時、まさか主題となる文章を頭から読んでいたのではないだろうか。それは誤りだ。
国語の長文読解は、①問題文で使用されているのと、同じ単語の連なりを全体視で見つける。②問題文と関わりのある文章の段落のみから、情報を引用し解答する。
これだけでいい。短時間で解答することができる。しかも間違えない。そもそも、文章全体を捉え、理解することなど、時間の有り余っている暇人だけやっていればいい。
俺の経験が確かなら、駿台だとか河合塾だとかでも、同じように教わるはずだ。というか教えていた。
受験勉強が得意なことと社会生活が得意なことは=ではないが、この能力は必須だ。
マニュアル、社則、資料、全てを読み込んでいる人間はまさかいないだろう?
このゴミのような情報が溢れた社会で、俺達は幸福に生きなければならない。
必要な情報を必要なだけ読み取るのが国語力だ。断じて、頭からケツまで理解する能力が国語力ではない。
全てを書き取り、相手の意図を読み取れ、というのは問題を錯誤させようとしている詐欺だ。
目的は明らかだ。この世は限られた幸福の総量を奪い合うゲームだ。
能力とは、つまり相対的なものだ。絶対評価ではなく、相対評価が世の常だ。
他人が時間を浪費し、無駄なことに時間を使うことによって、相対的価値を高めようとする人間の欺瞞である。
時は金なり、いや、金より重い。
他人の話を全て聞き取る、書きとる、こんな無駄な行為に時間を使ってはいけない。
何度も言うが、俺はまず自分が悪人であることを示した真の善人なので、本当の善意から言っていることはわかってくれたと思う。
ではどうしたらいいのか?対案はある。最初に述べたように、まず予測能力を高めることだ。
人生のパターンは貧弱だ。国語の問題文などその実、パターンが数種しかないのと同じことだ。世の中の人間は、そんな大したバリエーションや複層性を持っていない。
つまり、敵である人間達の情報を常日頃から収集しておくこと、これは文章①で述べた。
文章②で、世界は聞く必要のない話、聞いてはいけない話が多い事を述べた。
その前に、俺は善人なので少し捕捉する。
日本語は実は言文一致(話し言葉と書き言葉が同じ)をしていない。
その前提を理解していない人間、理解しているのにも関わらず、文章を書き写せなどと言ってくる、相手の無知を利用したコミュをするやつは、くたばってしまえと言う話だ。
会話、『話し言葉』においては簡単だ。語気が強まる瞬間、あるいは話の最後の瞬間だけ聞き取ればいい。どうせ中間は天気の話とか大谷の話しかしていない。
1から10まで聞くのではなく、音が強まった瞬間だけ、耳を傾ければいい。
大体、専門用語や略語、社内オリジナル用語や業界用語など、文語なら通じるが口語では通じない音でこの世は溢れている。
文字に起こせと言われても、「こいつ何言ってんだ?」という部分で引っかかりが生じるのは当然のことだ。
「つまり」だとか、でかでかと書かれている部分だけ読みとればいいし。テキストが100行あれば、人生において必要な行は2行か3行がせいぜいなのだ。
そこをCtrlFで検索するのでもいい。自分に必要なテクストだけ摂取すればいいのだ。
この点で『つまり会話を文章に直すのは有効では?』という語り掛けがあるかもしれない。詐欺である。なぜならば、その有効性とは効率のためにあり、
そもそも『口語を文語に訳す』という手間、時間が、そもそも『非効率的』である以上、その論法は成り立たない。
「人が口から発した言葉をテキストにしろ」という言動が、貴方をハメようとしている悪意に満ち溢れたものであることはわかって貰えたと思う。
「相手の話を全て聞き、それを文章に書き写し、理解する」ためにあるのではない。
そもそも、『話が理解できない』などというのは、『単語やローカルルールが理解できない』ことに原因があるのは明らかなのに、元増田はそれをあえて無視している。
組織の使う備品の名前、その目的、取引先や他部署の人間の名前、そのあだ名。
そう言った知識の非対称性が、『話が理解できない』に繋がっているのは明らかなのに、1から10まで話を聞けば、理解できるかのように語る元増田は詐欺師だ。
人間の会話は、知らないワードが3つ出てくると理解できないのだ。
それを、元増田は分かった上で無視している。種別は違うが、理解できない会話を放り投げてくる奴と同じだ。
知識の非対称性を利用している。そういう人間は総じてカスである。
バットを持っていない人間にホームランを打てと語り、サッカーのルールを知らない人間に試合に勝てと言っているのが元増田だ。
俺はそんなことはしない。どんな無知な人間でもわかることしか言わないし、やれることしかアドバイスしない。
敵を知り己を知り、要点だけを聞ける能力を磨け。
わざと変なことを言ってすまなかったな。
つまり、話し手と同じくらいの、前提知識を得ようぜ、そうすると要約できるって話だ。
理屈とか抜きで使い分けれて使いこなしてる単語があるものだけどその理屈を、どういうニュアンスで使い分けてるの言語化と言われると難しいだろう。特に方言。
逆に初めて知ったのが書き言葉からだと、たとえば絵本程度であっても、その言葉のニュアンスを真に理解してる自信がないみたいなことある。
たとえば「それはたいそう美しい人で」の「それは」みたいなやつ。絵本とかで死ぬこと聞いてるので自分がなんか物語書くときでも構文して使い所はわかってしまうわけだけど、強調の意味なのだとそれっぽい説明もできそうだが、真のニュアンスってのはわからない。わからないままにみんなの使い方を真似てる感じ、という意味では発達障害がよくいう擬態に通じるものもある。
絵本で知るんじゃなくて絵本で使うような言葉も家庭で積極的に乳児期から話しかけに取り入れてられてれば結果は違ったかもしれない