はてなキーワード: 自由行動とは
六
https://anond.hatelabo.jp/20241001172740
ベルが鳴って、講師は教室から出ていった。三四郎はインキの着いたペンを振って、ノートを伏せようとした。すると隣にいた与次郎が声をかけた。
「おいちょっと借せ。書き落としたところがある」
与次郎は三四郎のノートを引き寄せて上からのぞきこんだ。stray sheep という字がむやみに書いてある。
「なんだこれは」
「講義を筆記するのがいやになったから、いたずらを書いていた」
「そう不勉強ではいかん。カントの超絶唯心論がバークレーの超絶実在論にどうだとか言ったな」
「どうだとか言った」
「聞いていなかったのか」
「いいや」
与次郎は自分のノートをかかえて立ち上がった。机の前を離れながら、三四郎に、
「おいちょっと来い」と言う。三四郎は与次郎について教室を出た。梯子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人はその下にすわった。
ここは夏の初めになると苜蓿が一面にはえる。与次郎が入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人が一人に向かって、口答試験を都々逸で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。三四郎はその歴史を与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎は俗謡で pity's love を訳すはずだと思った。きょうはしかし与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中から、文芸時評という雑誌を出してあけたままの一ページを逆に三四郎の方へ向けた。
「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使っている。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二、三度聞かされたものである。しかし零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。向こうに立っていた一人の学生が、この様子を見てにやにや笑い出した。それに気がついた与次郎はようやく指を鼻から放した。
「おれが書いたんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟った。
「ぼくらが菊細工を見にゆく時書いていたのは、これか」
「いや、ありゃ、たった二、三日まえじゃないか。そうはやく活版になってたまるものか。あれは来月出る。これは、ずっと前に書いたものだ。何を書いたものか標題でわかるだろう」
「うん。こうして輿論を喚起しておいてね。そうして、先生が大学へはいれる下地を作る……」
「いや無勢力だから、じつは困る」と与次郎は答えた。三四郎は微笑わざるをえなかった。
「何部ぐらい売れるのか」
与次郎は何部売れるとも言わない。
「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解している。
だんだん聞いてみると、与次郎は従来からこの雑誌に関係があって、ひまさえあればほとんど毎号筆を執っているが、その代り雅名も毎号変えるから、二、三の同人のほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎は今はじめて与次郎と文壇との交渉を聞いたくらいのものである。しかし与次郎がなんのために、遊戯に等しい匿名を用いて、彼のいわゆる大論文をひそかに公けにしつつあるか、そこが三四郎にはわからなかった。
いくぶんか小遣い取りのつもりで、やっている仕事かと不遠慮に尋ねた時、与次郎は目を丸くした。
「君は九州のいなかから出たばかりだから、中央文壇の趨勢を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日の文権はまったく我々青年の手にあるんだから、一言でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか。文壇は急転直下の勢いでめざましい革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生そのものの大反射だ。文学の新気運は日本全社会の活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」
三四郎は黙って聞いていた。少しほらのような気がする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に吹いている。すくなくとも当人だけは至極まじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。
「そういう精神でやっているのか。では君は原稿料なんか、どうでもかまわんのだったな」
「いや、原稿料は取るよ。取れるだけ取る。しかし雑誌が売れないからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないといけない。何かいい趣向はないだろうか」と今度は三四郎に相談をかけた。話が急に実際問題に落ちてしまった。三四郎は妙な心持ちがする。与次郎は平気である。ベルが激しく鳴りだした。
「ともかくこの雑誌を一部君にやるから読んでみてくれ。偉大なる暗闇という題がおもしろいだろう。この題なら人が驚くにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」
二人は玄関を上がって、教室へはいって、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートのそばに文芸時評をあけたまま、筆記のあいまあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己の講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎の文章が一句だけはっきり頭にはいった。
「自然は宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこの宝石が採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間には stray sheep という字を一つも書かずにすんだ。
「どうだ」と聞いた。じつはまだよく読まないと答えると、時間の経済を知らない男だといって非難した。ぜひ読めという。三四郎は家へ帰ってぜひ読むと約束した。やがて昼になった。二人は連れ立って門を出た。
「今晩出席するだろうな」と与次郎が西片町へはいる横町の角で立ち留まった。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れていた。ようやく思い出して、行くつもりだと答えると、与次郎は、
「出るまえにちょっと誘ってくれ。君に話す事がある」と言う。耳のうしろへペン軸をはさんでいる。なんとなく得意である。三四郎は承知した。
下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名が振ってある。表は三四郎の宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである。三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあんに自分に見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep の意味がこれでようやくはっきりした。
与次郎に約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽趣味がある。無邪気にもみえる。洒落でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。
手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。
しばらくしてから、三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページくると、次第に釣り込まれるように気が乗ってきて、知らず知らずのまに、五ページ六ページと進んで、ついに二十七ページの長論文を苦もなく片づけた。最後の一句を読了した時、はじめてこれでしまいだなと気がついた。目を雑誌から離して、ああ読んだなと思った。
しかし次の瞬間に、何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにかつ盛んに読んだ気がする。三四郎は与次郎の技倆に感服した。
論文は現今の文学者の攻撃に始まって、広田先生の賛辞に終っている。ことに文学文科の西洋人を手痛く罵倒している。はやく適当の日本人を招聘して、大学相当の講義を開かなくっては、学問の最高府たる大学も昔の寺子屋同然のありさまになって、煉瓦石のミイラと選ぶところがないようになる。もっとも人がなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生は十年一日のごとく高等学校に教鞭を執って薄給と無名に甘んじている。しかし真正の学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会と交渉のある教授を担任すべき人物である。――せんじ詰めるとこれだけであるが、そのこれだけが、非常にもっともらしい口吻と燦爛たる警句とによって前後二十七ページに延長している。
その中には「禿を自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波から生まれたが、活眼の士は大学から生まれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月を田子の浦の名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのは、広田先生を偉大なる暗闇にたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈に比較して、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎないなどと、自分が広田から言われたとおりを書いている。そうして、丸行燈だの雁首などはすべて旧時代の遺物で我々青年にはまったく無用であると、このあいだのとおりわざわざ断わってある。
よく考えてみると、与次郎の論文には活気がある。いかにも自分一人で新日本を代表しているようであるから、読んでいるうちは、ついその気になる。けれどもまったく実がない。根拠地のない戦争のようなものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかもしれない書き方である。いなか者の三四郎にはてっきりそこと気取ることはできなかったが、ただ読んだあとで、自分の心を探ってみてどこかに不満足があるように覚えた。また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがきに匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。
袴を着けて、与次郎を誘いに、西片町へ行く。勝手口からはいると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控えて、晩食を食っていた。そばに与次郎がかしこまってお給仕をしている。
「先生どうですか」と聞いている。
先生は何か堅いものをほおばったらしい。食卓の上を見ると、袂時計ほどな大きさの、赤くって黒くって、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでいる。
「おい君も一つ食ってみろ」と与次郎が箸で皿のものをつまんで出した。掌へ載せてみると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである。
「妙なものを食うな」と聞くと、
「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる」
「どこから」
三四郎はおかしくなった。こういうところになると、さっきの論文の調子とは少し違う。
「先生、どうです」
「堅いね」
「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむと味が出る」
「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてしまう。なんでこんな古風なものを買ってきたものかな」
「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見の美禰子さんならいいだろう」
「なぜ」と三四郎が聞いた。
「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」
「イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。もっとも乱暴といっても、普通の乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね」
三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それからが第一不思議であった。
「ちょっと行ってまいります」と言う。先生は黙って茶を飲んでいる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二、三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。
「うん。先生はかってな事をいう人だから、時と場合によるとなんでも言う。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」
「先生はそれでいいとして、君は先生の説に賛成したじゃないか」
「うん乱暴だと言った。なぜ」
「どういうところを乱暴というのか」
「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代の女性はみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」
「言った」
「イブセンのだれに似ているつもりなのか」
「だれって……似ているよ」
三四郎はむろん納得しない。しかし追窮もしない。黙って一間ばかり歩いた。すると突然与次郎がこう言った。
「イブセンの人物に似ているのは里見のお嬢さんばかりじゃない。今の一般の女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」
「いないとみずから欺いているのだ。――どんな社会だって陥欠のない社会はあるまい」
「それはないだろう」
「ないとすれば、そのなかに生息している動物はどこかに不足を感じるわけだ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる」
「君はそう思うか」
「ぼくばかりじゃない。具眼の士はみんなそう思っている」
「君の家の先生もそんな考えか」
「だって、さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」
「なるほど。――先生は偉いところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」
と与次郎は急に広田先生をほめだした。三四郎は美禰子の性格についてもう少し議論の歩を進めたかったのだが、与次郎のこの一言でまったくはぐらかされてしまった。すると与次郎が言った。
「じつはきょう君に用があると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んでおかないとぼくの用事が頭へはいりにくい」
「きょうあれから家へ帰って読んだ」
「どうだ」
「先生はなんと言った」
「そうさな。おもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだね」
「それでたくさんだ。読んで景気がつきさえすればいい。だから匿名にしてある。どうせ今は準備時代だ。こうしておいて、ちょうどいい時分に、本名を名乗って出る。――それはそれとして、さっきの用事を話しておこう」
この人の過去作を見ていくと、ものすごい典型的な昭和的な価値観を持っていたことがわかる。
今やっちゃいけない表現をすべてやっている。
とくに男女のあれそれについては、本当に「不適切にもほどがある」レベル。
まじっく快斗を見てから映画を見るほうがいいが、主人公がまあセクハラ野郎なので現代っこはドン引きするかもしれない。
ただこうやって名探偵コナンが受け入れられているのは一定レベルまで時代とともにアップデートできた人だからだと思う。
勿論、青山剛昌の価値観は今では古いものだと言わざるを得ない。
でも、小五郎はずっと駄目な大人として描かれているからなんとかなっている。
新一が修学旅行で風呂を覗きたい話に賛同しそうになったときも結構叩かれたけど、でもまぁ高校生男子にそのような欲があること自体は否定できない部分だし、元々新一って聖人君子なキャラでもないのでとくに好感度が爆下がりすることもない。
そういえば新一と蘭の両親はびっくりするほど自由人だ。平成初期だと(いや令和でもだめか)虐待と言われても仕方ないレベルだが子供がハイスペなのでなんとかなっている設定である。
まじっく快斗の親レベルになるともう好き勝手しすぎて犯罪だ(泥棒だ!)快斗普通に可哀想な子だろ。最新話で出てきた青子の母親も仕事が人生のようだった。(読者は死んだと思ってた)
家庭を大切にしなかったり暴力的だったり人を殺したりする。
家庭にとらわれず好きなことをする大人たちと、自由行動ができる子どもたち。
全体的に大人も子供も好きに生きろ感があるのが今も生き残れている理由かもしれない。
好きに生きればいいけど人は殺すなよって感じかな。
あと青山は子供向けに描いてはないと言っているけど、それが結局少年誌らしからぬ描写となって、まあコナンだから良いかと青年誌的な扱いを受けた感じもする。(たまに少年誌なのに!と怒られてるけど)
もう一つ言うと青山の女性趣味が「自立した女性」だったのもあるかもしれない。
青山は強気な女が好きだ。見た目が弱々しくても中身はツンとした女ばかり描いている。芋女キャラでも浮気した男にムカついて惨殺するくらいには強気だ。
おそらく青山の中で女性はそういうものという想いがあるのだろうし、長年、毎クール恋愛ドラマを見まくってるせいで変な女がインプットされ続けているのかもしれない。
そしてサザエさん方式の作品だが時代設定だけは現代だ。必然と今の日本を描くことになるからアンテナは張っていないといけない。結果的に青山の価値観は現代の最先端ではないが大衆の中では「あるある」レベルを維持できているのだろう。
コナンが生き残れたのは青山の価値観だけではなく、多分いろいろと偶然が重なっているのだろう。どうやったら第二のコナンのような作品が生まれるのか、さっぱり分からない。
こういうつるし上げをしてもらうことでまた昭和を過去のものにできる
この手の最低最悪の事件としてはどっかの市議会の「東南アジアレイプツアー」だったと思った
「令和5年女性局フランス研修 研修ノート」と題された冊子には、出発(7月24日)から帰国(28日)まで3泊5日の日程が記載されているのだが、純粋な研修に充てられていたのは、たったの6時間。
ガイドツアーや、在仏日本大使らとの食事会を含めても、10時間にしかならないのだ。ここからは詳細にスケジュールを見ていこう。
初日は、入国手続を終えてホテルでの結団式となっているが、食事にうるさいセンセイ方のためだろうか、そこにはわざわざ「肉料理」と記されている。
2日めは朝食の後、10時からは国民教育・青少年省の担当者からブリーフィング(簡潔な説明)を1時間。なんと、午前中の予定はこれで終了だった。昼食として一行は、「魚料理」を堪能している。
「1949年創業の老舗レストランです。ランチは30ユーロ(約4700円)からコースが食べられます」(現地駐在員)
午後にはフランスの国会議員2組と1時間ずつ面会が設定されているが、“お仕事” はここまで。リュクサンブール宮殿(国会議事堂)をガイドツアーで見学し、「10分程度」とされるエッフェル塔での観光には、旅程表では30分が割かれていた。
そして夜こそが、この日の目玉だったのかもしれない。2時間の自由行動の後、20時半からセーヌ川で、2時間半の優雅なディナークルーズが組まれていた。
3日めは、さらに観光色が強い。国会議員らには午前中に1時間の保育園視察があるものの、他の参加者は14時40分まで研修はない。国会議員らも早々に合流し、シャンゼリゼ通りでの自由行動が2時間以上。旅程表には「ショッピング等をお楽しみください」とわざわざ書かれ、はしゃぎっぷりが伝わってくる。
元自民党職員で政治アナリストの伊藤惇夫氏は、この「実働6時間」の旅程表を見て、「“観光旅行” と受け止められても仕方がない」と思ったという。伊藤氏が続ける。
「これだけ自由時間がある視察を見たことがありません。この日程を決めた人物は、視察の目的がこれで果たせると、なぜ考えたのか。団長の松川さんは、党費を使ったことは認めているので、党員に説明する責任があります」
そして、この「研修ノート」には、さらなる問題が隠されていた。視察の参加メンバーが掲載された「団員名簿」では、同行していた松川議員の次女が、38人の派遣団員に含まれているのである。
《38名の参加者は、全国の女性局所属の地方議員及び民間人で女性局幹部となっている方々》
自民党に入党できるのは、満18歳以上だ。松川議員の次女は小学4年生で、当然その資格はないはずだが――。
自民党関係者によれば、今回のフランス視察で、国会議員以外の派遣団員の自己負担額は20万円だったという。もちろんこの金額で渡仏できるわけもなく、つまり次女の渡航費にも、党費が使われた可能性があるのだ。
「党本部は、報道で初めて松川氏の次女が視察に同行していることを把握したようです。松川氏は次女の渡航費について帰国後、党に実費を追加で支払うことになったといいます」(自民党関係者)
さらに松川議員は、初日の結団式で乾杯の音頭を取って以降、旅程表にその名前が登場していない。
「自分が知る限り、視察中の食事会で乾杯の音頭を取るのは、常に責任者である団長でした。松川さんが別行動を取り、研修を欠席していた可能性があります」(伊藤氏)
レベル:だいたい260~ぐらい。というかこの辺になると推奨レベルがさっぱり分からん
サポーター:330~ぐらい。手軽にレベル下げられる方法ないんか・・・?
絶対無敵シルバイオー:おおむね3ターンごとの使用。多分計4回攻撃した後だと使用してくるっぽい
純粋な光:絶対無敵シルバイオーの使用が後半戦になるとこれに代わる
リーダー:魔神降ろしを受けて嵐の叫び。というか血塗られた聖印強すぎて未だに使用中
番犬:警備隊長。このころになると蘇生がアイテムできつくなるのでいろいろ助かる。即死耐性つけるだけで昇天の光対策ができる
魔導の巨〇:後半戦の純粋な光対策係。純粋な光のターンに残り3人自由行動は助かる
マッスル:シルバイオーは勿論、純粋な光にもノーガードで耐えてくれた最高の牛。ゼラチナスシールドでぎりぎりだけど。
後出し蘇生もやっていたが、なぜかたまに先制する。シルバイオーの素早さが分からない
ハピ:低命中が多かったので回避優先主義でベルくんに代わるアイテム係。それでも結構落とされてた
ヒナヒナ:後方回復係なのは勿論、体力の高さから前線でノーガードでも割と耐えてくれる。即死はやめてください
レナ:ミザリーと迷ったが、素早さと回避的にこちらをとった。再行動チャンスもあるし。なので決してドロップの為ではありません
クウェウリ:同上
福ちゃん:遅さが致命的すぎる。ゴッドレイズの補正2000ぐらい欲しい
ウズシオーネ:水中での無双はうれしいが結局ノーガードで耐えてくれなかった
あまつかみの櫛:またお世話になりました
俺も中学生の頃、修学旅行の班に弱者男性が侵入してきてキモかったから自由行動になった瞬間に他のメンバーと一緒にダッシュで逃げたことがあった
こう言うこと書いてる輩、これを真に受けた人が、このアドレスをポケットに入れて自殺でもしたらどうするんだろうね。
かなりの高確率で自殺教唆で検挙、さらに今のご時世だから実名報道されて本人の人生が終了するのはもちろん、家族や一族郎党路等に迷う可能性高いんだが、何を考えて行動しているんだろう。
それも、Internet Archiveが高頻度でクロールし、ログがキッチリ残されている増田で。
出所と同時に改名の手続きをとってネットの情報から逃れたとしても、それをやると学歴から何から全部リセットされるから、ろくな職業にも就けない。
続き↓
この日だけは生理にならないで欲しいと念じ、部活に励んでカロリーを消費しまくった時に限って、予定でもなかったのに生理になる。それがぼくのあるある事象で、修学旅行でも、ぼくは三日前から生理になった。荷物の半分が生理用品になる。トイレにやたら時間がかかり、ただでさえ移動中に立ち寄るトイレはとても混雑するのに、ぼくはそわそわとして落ち着けない。レイジとは同じ班になったが、レイジは相変わらず女としての煩い事には無関係の人だから、どこへ行っても楽しそうだ。
自由行動の日、レイジはぼくがトイレに行ったきり中々戻って来ない間、もっぱら寺社の境内で鳩とたわむれて時間を潰していた。ぼくが貧血と歩きすぎとでふらふらの状態でトイレを出ると、レイジの周りをうろうろしていた鳩達が一斉に飛び立つ。背の高いセーラー服の少女と鳩という、ミラクルな光景をレイジがつくりだしている。眩しくて目眩がした。観覧した寺社の事なんかろくに覚えていやしないが、その景色だけは今でもよく覚えている。
夜、泊まった宿では大浴場が貸し切りで使えたが、生理の生徒は部屋の内風呂を使ってよいとされていた。ぼくは当然内風呂に入ることになったが、大浴場を使える女子達はひとの気も知らずに一緒に入ろうよと誘って来る。ぼくはうっすらと屈辱を感じつつ断る。相部屋にも何人か内風呂を使う人はいたが、ぼくは「先に入る?」という気遣いを全部断って一番最後に入った。
せっかく広いお風呂に入れるはずが、見たことのないほど狭い風呂で我慢しなければならないのは惨めだが、レイジの裸を見ないで済んだのは良かった。小学5年生で行った臨海学校の風呂を思い出した。あれがぼくが集団で大浴場に入った最後の機会だったが、当時既に同級生には女らしい体型の女子が何人もいて、あれはかなり気まずかった。どこを見ても生々しい女体が視界に入るのが嫌でずっと俯いていたし、落ち着いて湯船に浸かっていられなかった。あの頃は成人女性のような体つきの女子もほとんどは薄手の子供用の肌着を着て、その上に体操着を着ていたのだから、思えば気持ち悪くクレイジーな文化を生きていた。それを許していた大人達の気が知れない。
修学旅行の夜は恋ばなで盛り上がるのは定番だが、同室に奇跡的にオタクばかり集結してしまったので、ぼく達は漫画とアニメの話ばかりをしていた。だがみんなそれぞれ好きなものが違うので、話が全く噛み合わない。なのに何故か会話は成立しているように見えた。
23時を回る頃には話のネタも尽き、昼間の疲れも出てきて、皆口数が減ってきた。ついにここにはいない他人の恋ばなくらいしか話す事がなくなってきた時、レイジがぼくに言った。
「なあ、お前は男同士って、どう思うの?」
誰にも聴こえるような大声でいうから、同室の極めてお喋りな女子が、
と盛り上げてくる。レイジのご指名はぼくだったから、全員が興味津々でぼくの答えを待っている。
「うーん、」
そういえばレイジって「やおい」が好きなんだったなと思いつつ、ぼくは答えた。
「男同士も、ぼくはいいと思う。ただし、美しいのに限る」
皆はぼくの答えにキャーキャーと黄色い声をあげた。ぼくは半ばレイジに当て付けて言った。いつもぼくを驚かせてばかりいるんだから、たまには君もぼくの言うことにびっくりしろと思った。レイジにはぼくの意図が伝わったらしく、
「ああそうかよ、つまんねーな」
といい、さっさと布団を被って寝てしまった。
同室の女子達はカマトトぶっていたが皆「やおい」が大好きだった。学校までエロ同人誌を持って来て回し読みをしている連中(そういう奴らに限って本当はオタクではない)は他の部屋だったにしろ、みんな男同士の禁断の関係性に興味があった。禁断だからこそいいという価値観の共有されているところへぼくが堂々と「いいと思う」と言ったのはかなりウケた。隠すべきとされているものを隠さなくていいと言ってのけるのは、その時はまだ新しすぎる考えだったのだ。
実はレイジは「やおい」の愛好者で、そうとうの数のやおい同人誌を持っているらしかった。一年生の頃、ぼくの家にレイジが遊びに来たことがあるのだが、その時レイジが同人誌を何冊か持って来た。二人で格ゲーで遊ぶのに飽きた頃に、レイジが鞄からそれらを取り出して見せてくれた。それは幽遊白書の同人誌で、レイジが開いて見せてくれたページには、いやにリアルな筆致で描かれた幽助と蔵馬があられもない姿でぼくには理解不能なことを行っていた。ぼくは気持ち悪くて無理だと言った。ついでにいうとぼくの一番好きなキャラクターは軀だから、軀が出てこない時点でかなりがっかりだとも言った。するとレイジは
「まだ子供のお前には早かったな」
と言って本を仕舞い、代わりにもっぱらギャグ漫画ばかり載っている同人誌を出して、ぼくに貸してくれた。たぶん、レイジは「やおい」というものの中でもぼくが「気持ち悪い」と切って捨てた部分こそが好きだったのだと思う。
やおいというもの自体はわりと好きだとぼくは思った。でもぼくはそれを男同士というよりは人と人同士だと思って読んだ。女でなければ無性別。性別が無いというのは人として完璧なのではないかと、あの頃のぼくは思っていた。今となって思えば、そんな考えは母親譲りの潔癖症的な考え方であまり良いとは言えないのかもしれない。
修学旅行から帰った後、ぼくはレイジとは違う高校に進学しようと決めた。レイジは市内にある名門女子高を受けるといっていたので、ぼくは電車で何駅もある遠くの共学を受けることにした。レイジの行きたい女子高はぼくの母親の母校だったから、そこを目指すのは母親の思うつぼにはまったようで嫌だったのもある。
レイジと二人でつるむのは楽しいが、いつまでもそしているとぼくの世界は広がらないのではないかと思った。ぼくは一人で新天地を目指したい。だがそれは大きな間違いだと知ったのはそれから何年も先のことだ。現実には、一人でいるとずっと独りぼっちになりやすい。二人で楽しそうにしていると、それを見て何人もの人が集まってくる。友達が増えれば世界が広がる。独りきりで見える世界は、とても狭苦しくて窮屈だ。
だが、誤った道を選んだおかげでぼくの今の暮らしがあると思えば、それはそれで良かったのかもしれない。
レイジとは別々の高校に進学して以降は二度くらいしか会っていない。いつだったか、一緒にどこか遊びに行こうと約束して待ち合わせたら、レイジはまるでデキる女の休日ファッションみたいなスタイリッシュな服装に薄化粧までして現れた。ぼくはといえば、男ものの服を着れば男の子のようになれると信じた結果、ただの引きこもりみたいなダサい格好をしていた。どっちに合わせても相手が浮くし、そもそもお互いに学チャリで来て一体どこに行けるのかということで、近場の公園のベンチに座り、レイジがわざわざぼくに食べさせようと作ってくれた焼き菓子を食べながら雑談をした。
最後に会ったときはぼくはもう結婚していて、久しぶりに実家に帰省した際にレイジの家に遊びに行った。中学時代にレイジがぼくの家に遊びに来たことは何度かあったが、ぼくがレイジの家に行ったのはそれが最初で最後だ。
レイジの部屋はすっきりと片付いていた。オタクらしいのは座卓の上を立派なデスクトップパソコンとその周辺機器が占拠している事くらいだったが、それだって配線がごみごみと見えないよう置き方が工夫されていた。オタクの部屋というよりは仕事でよくパソコンを使う人の部屋といった感じだ。
「漫画と同人誌をいっぱい持ってるって昔言ってたけど、もう全部捨てたのか?」
ぼくが問うと、レイジは「いや、」と言い立ち上がって部屋の奥の襖を開けた。
「さあ見れ!」
その時ぼくは初めて、筋金入りのオタクは押し入れを改造して大量の蔵書を隠し持つのだと知った。
「だが、お前の読むようなものは何もないけどな」
レイジはお子ちゃまはそんなもんよりもこれでも見てろと言い、パソコンを起動させて秘蔵の面白動画を見せてくれた。ぼくらは中学時代のようにくっついてそれを見て、腹がよじれるほど笑い、床を転がった。
と、レイジは言った。
ぼくはそう言い返した。
「そうかもな」
「でもぼくはもう結婚した。だからけっこう変わったと思う。ところで、レイジはぼくが結婚なんかするなんて変だと思わないの?」
ぼくはレイジに聞いてみた。ぼくの家族、特に母親はぼくの結婚をついに人生に敗北したと言って馬鹿にするし、昔の同級生達からも祝われるよりも先に引かれがちだった。
「変だとは思わねーな。だいたいお前、中学の時だってなんだかんだ好きな男いただろ。案外普通の女子なんだなと思ってたよ俺は。ずっとふらふらしてるより早々に結婚しちゃう方が良かったんだろ、実際」
「確かに……。ぼくはかなりモテないから、夫と結婚しなかったら永遠に独身だという自信がある。けど、ぼくだってぼくなりに頑張って、何人かと付き合ってはみたんだが、まあ色々と、無理だったかもしれない」
「色々っちゃなんだよ」
「言っても引かない?」
「別に引かない。俺は自分に話す事が何もないぶん聴き手に回り易いから、ダチの恋ばなを聞き慣れてるんでね。だから今さら何が飛び出しても驚かないぜ」
「じゃあいうけど、夜のあれがつまらなくて……別に苦手な訳ではないのだが……」
「あはははははははは!」
「笑うな! 何が飛び出しても驚かないって言ったじゃないか」
「いやいや驚きゃあしないって。むしろお前らしくて笑うわ。お前、本当にいつまで経ってもお子ちゃまなー」
「うー、うるさい。でも、否定は出来ない……。ぼくはもっとこう、セックスとは楽しいものかと思ったけど、全然そうならないんだ。しかも十中八九、ぼくのせいで盛り下がっているという、自覚がある」
「なぁ、膝出してみ?」
「膝? はい」
いぶかしみつつもぼくは素直に片膝を立てた。そこへレイジが指をさわさわと這わせた。
「それだからお前はなー。じゃ、今度は俺に真似してやってみ?」
ぼくはレイジの膝を擽った。だがレイジはぞくぞくするどころか擽ったさも感じないと言う。
「まぁまぁ。毎日部活に出て稽古に励んでも全然強くならなかったほど、運動神経のないぶきっちょさんのお前さんがさ、セックスの時だけ上手い事やれるなんて、その方がおかしいだろ? 女だからやれて当然じゃないんだ。才能のないもんはどうしようもない。諦めろ」
「そういうもんかな」
「おー。そういうもんだと俺は思うぜ。でもまあ結婚はしたんだからよかったじゃん。婚姻届出しゃあもう、お前のエロさが足りないなんて理由で簡単に別れる事なんか出来ないんだぞ」
「だといいけど」
「浮気されたら愚痴でもなんでも聴いてやらぁ。そういうの聴かされるのは慣れてるからよ」
「ははは。それより、子供が出来たらちゃんと連絡くれよ。そしたらお祝い包んでやるからさ」
「単に俺がそうしたいだけなの。うちは兄貴も結婚しそうにないし俺はこんなだから、がきんちょにお小遣いくれてやる機会があまりなくてな。ダチの子供にお年玉やると、俺も大人になったなーって思えるし、気分がいいんだ」
そんな事をレイジは言った。
確かに、子供のためにお金を遣うと大人になったという感じがする。一度に三万円は痛いが、それで子供達が喜んでくれたのだから、大した事のない出費に思える。しかしぼくは今やただの大人じゃなくて親だから、子供にしてやらなきゃいけないことは、他にも沢山あるけれど。
ワイの班は6人で組んだあと現地で1:5に分かれて自由行動したで
身長159の自称弱者男性が話題になってるけどさ、親が高学歴金持ちで小学校から大学までの一貫でしかも中高は男子校って限られた学校行けてる時点で世の中が想定する「弱者」ではないと思う。彼の生きづらさは恋愛によるものだと思うけど、じゃあ身長168、骨太、顔が能面に似て横顔はオランウータンの私に優しくされたら彼は私にアプローチしてくるんだろうか。歳も多分同じくらいなんだけど、してこないよね。
気にしていないことはないけど、生活のための資格もとったし恋愛とか結婚は諦めてる。ただ今でも思い出すけど、高校の修学旅行の自由行動で仲良い幼馴染の子が初彼氏に引っ張られてって、申し訳無さそうな顔でこっちみながら「ごめんね。また後でね」って言われてどっか行っちゃった時はまじできつかったな。幼馴染とは幼稚園から高校まで一緒。高校の最初まで私もその子もクラスの角で「好きっていいなよ」とか「君に届け」読んでニヤニヤしてる、地味で彼氏とは無縁なタイプだった。それでも幼馴染はちっちゃくて小顔、顎も歯並びも横顔もきれいだったから、ちょっとダイエットしてメイク覚えてストパーかけたら一瞬で違う世界に旅立った。私も同じかそれ以上にやったし、なんなら幼馴染にメイクのアドバイスとかしてた。でも私の世界は変わらない。修学旅行では結局約束してた幼馴染ではなく、クラスの女友達と回ってそれなりに楽しかったし、幼馴染の彼氏が強引だったのもあったから喧嘩とかはしてない。あの後もそれなりに恋愛経験を重ねて優しい彼氏もいる幼馴染とは今でも仲良いよ。私は彼氏いないし処女だけどね。
まあ何が言いたいかって言うとさ、非モテ男性って男からはからかいの対象だったり、女とは憎しみ合ったり、それでいて改善の余地があったりさ、とにかく「存在してる」んだよね。この世界に。でも骨格レベルで非モテの女は存在すらしてない透明人間なんよ。まあどっちが辛いかは私にはわからない。
メールやLINEが普及してから、日常生活のなかで無言電話を受ける機会は格段に減ったと思う。それでもあの、電話の向こうで、誰かが息を潜めてじっとしているあの感じ、じっさいにそうしているかどうかは分からないのに、それでもやっぱり誰かいると思うあの、背筋がぞわずわする感じは、いまだに思い出す。
無言電話のあの気味悪さをわざわざ味わいたい人などまずいないだろうと思うが、母は無言電話を心待ちにしていた。毎年、いつ掛かってくるかわからない無言電話を受けられるようにするためだけに、家にいることが多かったと思う。
うちは姉と私の二人きょうだいで、姉は少し変わっていたと思う。今だったらいろいろな診断名がついたのかもしれないが、当時はそういうことを知っていた人が周りに誰もいなかった。家にいるときの姉はどこか天真爛漫なところがあって気前がよかったが、何か思い通りにならないことがあると癇癪を起こしたり、ふさぎ込んでしまうこともあった。大きな音が苦手で、近所で工事があって重機の音がしていると、両手で耳をふさいだままその場に倒れ込んでしまうことがあった。甘いものを切らせると具合が悪くなるので、いつもポケットに飴かクッキーの小袋を入れていた。
そういう姉が学校で周りの人とうまくやっていくのは難しかっただろうと思う。小学校低学年のとき、遠足で市立公園に行った。二個上の姉の学年も行き先が同じだった。自由行動のあいだは、友達同士のグループでレジャーシートを敷いて固まって、お弁当を食べたり、おやつを交換したりした。トイレに行くとき、姉の学年の人たちがいる原っぱの横を通りかかった。いくつものグループができて、みんな騒いでいたけれど、姉だけは少し離れたところで草むらに入り込んで、バッタかなにかを追っていた。よくわからないけれど、見てはいけないものを見てしまったような気がして、その日は一日じゅう暗い気持ちだったことを憶えている。
勉強ができた姉は、県内でも有数の進学校とされている高校に行った。毎日、自転車で帰宅して部屋に戻ると、それ以降どこかに出かけた姉を見た記憶がない。高校で「普通」の人付き合いができているかどうか、母は気にしていたらしく、姉の友人関係についてそれとなく尋ねたことがある。そのたびに姉はひどくいきり立って、よくわからないことを叫んで、部屋に籠もった。父は何もいわなかった。
受験生になって県外の旧帝大を受けた姉は落ちた。模試での判定はよかったらしく、私立を併願しても行く余裕はうちになかったので、他にどこも受験していなかった。姉よりランクの低い高校に行っていて、卒業後は就職するのだろうと思っていた私は、姉の身になにが起こっているのか、想像することもできなかった。
自宅で浪人をしていた姉は翌年も落ちた。どういう話し合いが両親との間であったのか、私には分からない。父のつてで紹介された地元のケーブルテレビ会社で姉は働き始めたが、半年ぐらいで行くのをやめた。おそらく人間関係が原因なのだろうと思ったが、家では誰ものその事を言い出さなかった。その頃から母と姉との言い争いが絶えなくなった。ちょっとしたきっかけですぐに激しい言葉のやりとりになって、姉が勢いよくドアを閉めて部屋に閉じこもるのが常だった。
姉が引きこもるようになってから少したった頃、私は地元の会社で働きはじめて、仕事を覚えることで頭がいっぱいだった。家に帰ると毎日疲れていた。姉とは話す機会がほとんどなかった。たまに、夜中の居間で出くわすことはあった。帰宅後、着替える気力もなくて、電気の消えた居間でソファーに沈み込んでTVをぼんやり眺めていたら、冷蔵庫へ麦茶を取りに来た姉もしばらく後ろに立っていて、流れている番組について他愛ない話をした。いま思うと、そういう話をすることで、私たちはお互いに何かを確認していたのかもしれない。
それから姉はいなくなった。珍しく私は早く帰ってきて部屋にいたら、母と姉が言い争う声がして、ドアが勢いよく閉まる音がした。またやってるのかと思ってそのときは気にとめずに寝たら、翌日に姉はもういなかった。捜索願、探偵、行方不明者情報サイトへの登録、なにをやっても戻ってくる気配はなかった。ネットで情報を見た人が、小倉のホームセンターの駐車場で姉らしい人を見かけたといって連絡してきたこともある。ジャージ姿で男の人と車に乗って去っていったらしいが、本人なのかどうか、確認する方法はなかった。
一年くらい経って、姉から電話があったと母が言った。夕方かかってきた電話を取ると、受話器の向こうで人が黙っている気配があったので、姉の名前を呼んでみたところ、ほどなくして切れたそうだ。それからさらに一週間ぐらいしてまた夕方にかかってきて、母がまた姉の名を呼ぶと、今度はかすかにすすり泣くような声が聞こえたという。
電話してきたのはほんとうに姉なのかどうか、そもそも電話はほんとうにかかってきているのかどうか。問いただすことは私にはできなかった。が、それ以来、母は家でじっとしていることが増えた。父と母は、姉の部屋をずっとそのままに、出て行った日のままにしていた。
私は私の地獄を生きるのに精一杯で、家のことを何とかしようとか、母を支えようとか、そういうことをちゃんと考えられなかったと思う。職場は一族経営の地元企業で、上司は会長の甥だった。就職してわりと間もない頃から距離を詰めてきた。この田舎でほかに移れるところはなかったから、断れなかった。僕はパイプカットしてるから子供はできんのやということを口癖のように言っていた。絶えられなくなってその上司の上司に相談したら、いつの間にか私の方が悪いことになっていた。その間、東京の会社へ転職活動し続けて、逃げるように上京したが、ある日突然、電車に乗れなくなった。適応障害だとかいわれて、部屋にこもって布団の上に転がっているだけで、生きているだけで苦しかった。手持ちの金はどんどんなくなっていった。
その間も実家から電話はときどきかかってきたが、ほんとうのことを言うことはできなかった。あるいは、母も何かを察していたのかもしれないが、直接言ってくることはなかった。姉からまた無言の電話があった、という話を聞いても、そうなのかと思って軽く受け流すことしかできなかった。電話を切った後、日暮れ時の実家の居間で、じっと電話を待っていたであろう母の姿を思うこともあったが、その頃は、自分自身がその瞬間に生きていることすら重たすぎて、何かを深く考えることができなかった。
結局、休職期間中の給付が切れる前に、少し無理矢理気味にだけれど職場復帰して、私はぎりぎりでその時は生き残ったと思う。それ以来、地元のことを思い出すと吐いてしまうので、できるかぎり、頭の中から地元の存在を消し去って生きてきた。もちろん実家にもほとんど帰った記憶はない。消し去った地元のうちには姉の存在も含まれていた。
実家はもうない。姉はどうしているのだろうと思うことはある。生きているのかどうかも分からない。いまも実家に電話をかけようとしているのだろうか。もうつながらないと知ったとき、何かを思っただろうか。もちろん私にはなにもわからない。ただ、もう存在しない薄暗い居間で、電気もつけずに母が、おそらく電話をそれとなく待ちながら片づけなどしている姿を、いまでもそうあるものとして、ふっと思い出してしまうことがある。
20代前半から婚活サービスを利用し始め、途中彼女が出来たり別れたり、婚活市場を出たり入ったりと紆余曲折がありながらも、この度結婚に至ったため、振り返りがてら利用してきたサービスの感想を書いてみようと思う。
相席居酒屋、お見合いパーティー、街コン、結婚相談所、マッチングアプリと思いつく婚活サービスは一通り利用したことがある。
順番に感想を書いてみる。
正直言っておすすめしない。婚活でなく友達探しとしても効率悪すぎると思う。
女性は無料で飲み食いできるので、感覚として8割くらいが時間つぶしで来ている。
そういう場所だと割り切って安いキャバクラ代わりとして使うには良いんじゃないかな。イケメンやコミュ力高い人は楽しめると思う。
たまにぶっとんだ女性もいて、楽しいこともあるが、婚活として使うのはハードル高い。
お見合いパーティーにも種類があって、大きく分けて回転寿司型、合コン型、イベント型に分けられる。
・回転寿司型
メリット:開催頻度が高く、都内だと毎週末十数回は開催されてると思う
参加者の年齢層が指定されていたり、旅行好き、ゲーム好きなどテーマが指定されているため、ある程度ターゲットを絞り込むことは可能
男性は割高
まず回転寿司型だが、一般的にお見合いパーティーと聞いて想像されるのはこのパターンかな。
1人あたり5分程度の時間を区切って、順番に違う女性と話をするタイプのもの。時間になると男性が移動して、一つ隣の女性の席へ移るため、回転寿司タイプとはうまいこと言ったもんだ。
このシステムを体験するためだけに一度参加してみるのも面白いかもしれない。
基本的には事前に用意したプロフィールカードを見ながら会話するのだが、長くても1人10分程度しか会話できないため、自己紹介程度で時間切れになることが多い。
多くのパーティーで最後にカップリング発表があり、お互いにもう一度会いたいという意思が合致した場合、連絡先が交換できるシステムになっている。
逆にカップリングできないと連絡先も交換できないので非常に効率が悪い。何回かカップリング成立し、再度デートする機会もあったが、俺はその後発展することはなかった。
やっぱりもう少し会話する時間が欲しい。
・合コン型
メリット:回転寿司型と同様に年齢層やテーマが指定されているため、ある程度ターゲットを絞り込むことは可能
デメリット:グループを仕切れる位コミュ力がないと、好みの女性と会話をすることが難しい
次に合コン型
飲食店に集まる合コンのような形式。これも時間を区切って席替えがあるが、回転寿司型ほど短時間でもないし、同時に複数人の女性と会話が出来るので、回転寿司型よりしっかり相手を見ることが出来る。
但し男性側も複数人がグループになってまとめて席替えになるので、コミュ力が低いと気になる女性に話しかけられずに終わるパターンもあり、ある程度のコミュ力が求められる。
ダントツ可愛い子がいるとコミュ力高い男が独占することがままあって、最後まで話できない人がいる場合もある。
店を貸し切って行うタイプだと良いのだが、通常営業中の店舗を間借りしているタイプでは周囲の視線が結構恥ずかしい。
・イベント型
メリット:イベントによっては、趣味嗜好が近い異性と出会える可能性は高い
デメリット:拘束時間が長いため、参加者がイマイチな場合、時間が経つのが遅い
途中から自由行動になることが多く、リーダーシップ取れる人がグループに居ないと、グダグダになりがち
これは色んな種類があって、一緒にスポーツや謎解きを楽しむものから、バスツアー型のものもある。
趣味色の強いイベントだと、趣味が合う女性と出会いやすいと思う。
俺がお見合いパーティーで彼女が出来たのは全てイベント型だったので、成功率から言ってもわりとおススメできるタイプ。
合コン型とイベント型は連絡先交換自由なので、回転寿司よりも2回目以降につながる可能性が高いが、途中で主催者が居なくなることが多く、たまに暴走する男性が居たりする。
飲みすぎで腹を出して寝だす奴とか、寒いでしょう?と言いながら自分のコートを女性に押し付けようとする奴とか。嫌気がさした女性がイベント途中で帰ってしまうのも複数回見たことがある。
割とカオスだが、反面教師としては有効。絡まれてる女性を助け、その後デートにつながったこともあるので、スマートな振る舞いは身を助けることを思い知った。
お見合いパーティーは大手どころのIBJかエクシオ主催のパーティーに参加することが多かったけど、IBJの方がタブレットを使ったり、回転寿司会場も半個室になってたり、洗練された感じがして良かったな。
ただ、申込時に「女性満席です!」って書いてあったからワクワクして参加したら、実際は女性3人しか居なかったり、お前定員何人で設定してんだ?って問い詰めたくなるようなパーティーも複数回経験してる。
参加費用も女性は500円程度~に対して、男性側は5000円~と高額に設定されてるし、婚活男子舐めてるんだろうなと思う。ただ集客力のある代替イベントがあるわけでもなく、仕方なく参加させて頂いてた。
そこんとこ、ほんと何とかしてください。
実際行ってみないとどんな女性が参加してるか分からないのが最大の弱点かな。
イベント型や合コン型はとりあえず楽しんで帰ろうと思えるんだけど、ターゲットとしてる層の女性がそもそも参加してないと、特に回転寿司型は時間を無駄にしたって思いながら帰ったことも。。。
男性目線ではあまりデメリットと感じなかったが、参加条件に「年収●●万円以上~」「大卒以上~」と書かれているパーティーであっても、給与明細や卒業証明書などの提示は必要なく、自己申請のみでOKだった。
身分証明も免許証を提示すればOKだったので、既婚者が紛れ込んでても分からないだろうなと思った。
ある日、1日に2回お見合いパーティーに参加し、1回目で出会った女性と2回目で再会したことがあり、かなり気まずかったが今となれば笑い話だな。
ちなみにその女性は後日マッチングアプリでも見かけたので、最早運命じゃないかと思ったが、いずれもマッチングしなかった。
近隣の複数の居酒屋で同時に合コンをやっている感じ。合コンっていうよりも、どっちかというと立食パーティーに近いかな。
参加人数が多いイベントが多く、どうしても可愛い子と出会いたいという場合は確率的に悪くない選択肢だと思うが、参加人数が多すぎで訳わかんなくなることが多い。
あと、婚活パーティー型と違って指定席ではないので、可愛い子の周りには人だかりができてるが、そうでない子との差が激しすぎて、なんだかなぁ・・・と思うことも。
俺が参加したイベントがたまたまそういうタイプだったのかもしれないが、主催者はもうちょっと配慮してあげてほしい。
正直10年近く前に、2回しか参加したことないので、最近の事情はどうなってるか分からん。正直あまり詳しくない。すまん。
当時は街コンブームだったので、最近はいろいろ状況が変わってると思う。
メリット:プロフィールや写真である程度絞り込んでから出会えるので、効率は悪くない。
身元がしっかりしているので、ネットワークビジネスの勧誘やサクラに気を使わなくて良い
費用が他と比べてダントツに高いので、それなりにしっかりした女性が多いのかと思いきや、変な人、というか価値観の合わない人と出会う率は一番高かった。
ひたすら質問ばかりしてきてこちらの質問には全然答えてくれない人とか。どちらかと言うと受け身の女性が多い気がした。
最初から1対1で対面する時間が長いので、お互いの嫌なところも見えやすく、結果として価値観が合わないことが分かりやすかったのかな、とポジティブにも捉えらえると思う。
相談所婚活の流れとしては、プロフィールを見てお見合い申し込み⇒お見合い⇒仮交際⇒真剣交際⇒プロポーズ・成婚退会だが、俺の入っていた相談所は、仮交際までは何人と交際してもOKというルールになっていた。
お見合い後に仮交際が成立した場合、当日中に男性側から女性へ電話をかけるファーストコールというルールがあるんだが、これがまぁ繋がらない。
俺は退会するまでに5,6人と仮交際になったんだが、初日に電話が繋がったのは1人だけだった。酷い相手だと1週間音信不通のこともあった。
仮交際成立後も、LINEしても返事来るのが数日後、とかはざらにあった。
俺がたまたまそういう女性ばかり選んでしまってる見る目のない男なのかもしれないが、お互い社会人なんだから基本的なルールは守ろうぜ。
とはいえ、お見合いが成立した場合は、少なくとも1時間はじっくりと話す時間があるため、元ヤンから元アイドル、契約社員からバリキャリまで、普段出会えない色んな人の色んな話を聞けて面白かった。
相談所によっては親身にアドバイスをくれるところもあるらしいので、恋愛経験の少ない人には良いと思う。俺の入っていた相談所は質問に対して明後日な回答しか出てこなかったので、あまり頼らなかったが。
サポート重視の人は入会前に相談所をしっかり吟味した方が良い。
なんだかんだ退会前の肉体関係が禁止されてるのが地味につらい。俺は退会後いろいろあって結局婚約破棄になったのだが、体の相性の悪さも婚約解消の(一部だが)要因となったことは事実。
メリット:直接会う前にメッセージ交換が出来るので、ある程度人柄を推し量ることが出来る
費用は安い
デメリット:玉石混交。本気で出会いを求めている人も居れば、どう見ても情報商材屋だろうっていうプロフィールの人も居て、嘘を嘘と見抜けないとマッチングアプリは難しい。
なんだかんだで一番おすすめ。妻と出会ったのもマッチングアプリ。俺が婚活を始めた十数年前は、まだ出会い系のダークな印象が強かったけど、この5年ほどで一気に市民権を獲得して使いやすくなったのは大きい。
出会う前にアプリ上でメッセージをやりとりできるから、実際会ってみて「何こいつ?」ってなることは逆に相談所より少なかった(ゼロじゃないけど)。
マッチングしてうまくいくにはある程度コツは要る。俺自身はマッチングアプリも入退会繰り返してたけど結婚相談所辞めた後に再開したら思いの外うまくいった。相談所での経験が活きたんだと思う。
20代後半で初めてマッチングアプリに挑戦した時はなかなか好みの女性とマッチングできなかったが、30代中盤になって再挑戦したら意外と可愛い子とマッチングできる。(ただし相手も同年代な。若い子とのマッチングは無理)
たぶんライバルのイケメンたちが婚活市場から居なくなって、俺みたいなフツメン以下にも可愛い子が回ってきやすくなる年代なんだろう。
今モテなくて悶々としてる20代も、30中盤まで待てれば可愛い子と出会える確率は上がると思うよ。但し年齢分、外見の洗練と心の成長は必要だからな。待ってりゃ良いってもんでもないぞ。
結局結婚するまで8人の女性とお付き合いしたけど、実生活で出会ったのは2人だけで、あとは何らかのサービスを使ってた。
内訳は
相談所1人
アプリ1人
だった。特に30代になってからは身近な出会いが無くなったので重宝した。
振り返れば結婚に至るまでお見合いパーティーには40~50回は参加したし、マッチングアプリでも100人以上の女性にいいね!を送り続けた。
お見合いパーティーの自己紹介だけで終わった相手もカウントすれば、数百人の女性と出会い続けた十数年だった計算になる。
アプリやお見合いで数人出会っただけで上手くいかないと挫けている人がいたら、もっと断られ続けてた奴がいるぞと、励みになってもらえれば嬉しい。
出会いの数を増やすだけで上手くいくことはないし、トライ&エラーでファッションやトーク力も向上させる必要があるのは間違いない。
それでも諦めずに出会い続ければ、いつかは素敵な人と出会えると思う。
妻は同い年なので決して若くはないが、めちゃくちゃ可愛いし、精神的にも自立した素敵な女性だ(俺より学歴も年収も高い)。
婚活中はつらいことも一度や二度じゃなかったけど、こんな素敵な女性に出会えた自分は幸運だと思うし、諦めず出会い続けた自分を褒めてやりたい。
あくまで俺の経験則なので異論もあるだろうが、最後はノロケで終わらせてもらう。
・追記
思いの外伸びてるので驚いてる。
俺の表現が拙いせいで、相談所には変な人しかいないと誤解している人も居そうなので、少しだけ補足しておく。
俺個人としては相談所もマッチングアプリも、一定の割合で価値観の合わない人は居て、その上で、直接会う前にメッセージ交換できるのがアプリ最大のメリットだと思ってる。
例えばアプリのプロフィールに「旅行が好きです」と書いている人に対し、「今まで行った旅行先でどこが良かったですか?」とメッセージを送ると「沖縄です!」みたいな一言回答しか返信しない人、めちゃくちゃ多い。どうやってコミュニケーション取れっちゅうねん?あとは一発目のメッセージからタメ口で送ってくる人とか。
こういう人たちは申し訳ないが直ぐに切っていたので、直接会った人の3倍はメッセージだけで終わった人が居る。
相談所でのお見合い通過率も大体3分の1程度だったので、価値観が合わない人の割合はだいたい一緒じゃないかな。
相談所も事前にメッセージ交換できる機能を付ければ悲しいお見合いの数も減って良いと思うんだけど、お見合い料で稼いでるところもあるから難しいんだろうな。
アプリでは少なくとも見た目なりプロフィールなりに興味を持ってもらえた上でメッセージ交換をしているはずなので、いつもメッセージのやりとりばかりで直接会えないっていう人は、「いい人は会ってくれない」と嘆くより、自分の送ったメッセージを見返して改善できないか考える方が建設的だと思う。
(中にはいいね稼ぎ目的の男性もいるらしいから、あまり根を詰めると精神衛生上よくないと思うので、ほどほどに)
アプリが合う人、相談所が合う人、それぞれだと思うし、俺個人として相談所はあまり合わなかったという話でしかないです。相談所をディスってる訳ではないので、念のため。
あと、妻の年齢についてのブコメが伸びてるみたいだけど、トップブコメの人が言いたいことを補足して頂いてました。ありがとうございます。
一点追加すると、相談所のブログなどで聞きかじった知識では婚活男性の中には年下女性至上主義の人が結構居るらしくて、その人たちにも対して、同年代に目を向けても素敵な女性は居るよ、っていうメッセージを伝えたかったのです。それ以上の他意はありません。
・追記2
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210115/k10012816591000.html
感染症対策のため人の移動や経済活動の制限など個人の自由を制限
コロナ陽性者が公共の場に出回ることが、その他の人の公共の場での自由行動を制限するのである。
感染症に対しては、個人に制約をかけるのではなく、平時における「公共の領域を縮小」する、のが正しい対策だろう。
具体的には、各交通機関(県境や高速道路含む)を制限する、各商業地域での条件を制限する、ことである。
これは基本的人権が保証されている西欧でも行っていることであるが、日本の感染率ではこのレベルで2ヶ月ほど続ければ十分効果があるだろう。
Rival Peakとはなんぞや、というと、たぶん昔やっていたTV番組の「サバイバー」が近いと思う。
https://automaton-media.com/articles/newsjp/20201202-144738/
https://www.facebook.com/RivalPeak
特徴を箇条書きにすると
・視聴者はAIを応援してクラフト速度を上げたり行動を選択できる?
・期間は3か月
ということらしい。
だってほら、サバイバーとかそういうリアリティショー系のサバイバル番組って、いくら番組のバックアップがあるとはいえ多少は危険があるわけじゃないですか。
でもAIなら最悪死んでも見ている人がちょっと嫌な気がするだけで、倫理的な問題はないでしょう?
森とか無人島とか言わずに、もっと過酷な雪山とかに放り込んだっていいわけで、なるほどそれなら面白そうだなと。
という感じで期待を煽ったところで実態です。
Facebook上のライブ配信は「動画」から行われており(FacebookLive)、「Home」といって複数視点を定期的に切り替えながら放送されています。
個別視点は分かりづらいのですが「ゲーム」からRival Peakをプレイして、各AIキャラクターのアイコンを選択する必要があります。
で開始から見守っていたんですが。
ぼんやりと立ち尽くすおばさん。並んで木の実を食べてる二人のおじさん。何を相談するわけでもなく勝手に石を採取したり木を採取したりテントを建てようとしてたりする人たち。
なにこれ。
いや、まあ、わかるんですよ。確かにAIがサバイバルゲームしてるんでしょうね。
でも何も相談せずに作業始めるのおかしくない……? 裏でボイチャでもしてるの? っていうか君たちは今何を目標にどう行動してるの?
UIがですね、貧弱すぎるんです。今何が起きているのか、何に向かって行動しているのか、何も分からない。
マジで森の中でAIキャラクターが自由奔放に動き回っている。これだけ。
会話らしきものは1時間ぐらいチラチラ見ていてようやく、何か話している……ようなものが見えましたが、基本勝手に自由行動しているので分からない。
たぶん頭の上に何か内容についてのアイコンが出てた。でもおしゃれなアイコンが一つしか出てないので、内容は分からない。
……と書いているうちにようやく焚火のもとに人が集まってきて話始めたようで、アイコンも見えましたが……これで人間関係を察しろというのはかなり厳しい。どれだけ注視していればいいんだ。
AIに人間関係ゲームをやらせる場合のダメなことのてんこ盛りみたいな例になってきました。
地味に個別画面(ゲームから見れる方)には音がついていないこともつらい。
がんばってスタッフさんが配信でコメントしてますが、ゲームじゃなくて新しいジャンル、「a massive, interactive live event (MILE)」だと主張していますが……はあ、そうですかという感じです。
ちなみにライブ配信直後の視聴者が150人。1時間半後80人ぐらいです。個別画面も1キャラあたり数人しか見てないので、存在に気づかれてないレベル。
あとAutomatonが解説していたようなゲームへの干渉は今のところ全くできないです。
個別画面からVoteできるぞ、と案内されましたが……コメントっぽいところは押しても何も反応しないし……
せめて
・今、AIは何をしているのか
・目標は何か、進捗率はどうか
・AIは誰に何を思っているのか
今は本当にただ(古臭いデザインの)キャラクターが何かしてるな……ってことしか分からないので(黄色い鞄の上で手を上下させてることから一体何を分かれと言うのか?)。
あえて「ふんわり」させるというデザインかもしれませんが、ふんわりがすぎる。
っていうかAIのレベルも「リアリティ」には程遠いんですよ。さっき飲んでた池の水に足突っ込んで移動したり(汚い)。立ち止まって行動を選択してる時間も長いし(3分ぐらい突っ立ってたぞ)。
開発費1000万ドルだそうですが、ずいぶんお高い勉強代じゃないかなと思います。これならガンパレードマーチを実況解説してたほうが視聴者が付く。
リニアが直線的行動=ストーリー、オープンが自由行動みたいな概念らしい。
前も言ったけど、何度プレイしても小さな箱庭型を延々と小出しにできるゲームが一番面白いなと思う。
行ける幅が狭すぎるのは論外だし、だだっ広いだけでポツポツイベントと集落があるのも退屈だ。
フラグに応じて世界が徐々に拡大するリニアなゲームはやはり遊びやすい。
すべてオープンに開かれているなら、各箇所で起こるイベントはそれぞれのめり込めるシナリオラインが必要だと思う。
お使いゲーであってはいけない。当然イベント分岐も各箇所で最低2分岐するなどの作り込みが必要になる。
要するにオープンワールドあるいはフリーシナリオという概念にはもともと無理がある。
自由という概念はドラマティックではない。決闘前なのに他のサブシナリオをこなすことも平気でできる。
一本道の物語と相性が悪い。