はてなキーワード: 太地町とは
ワイの中での基準になるけど。
「水族館の人気者」イルカが迎える恐ろしい結末 太地町のイルカ猟を毎日記録してわかったこと | 外交・国際政治 - 東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/504783 #東洋経済オンライン @Toyokeizaiから
たしかにイルカかわいそうだけど、人間は牛や豚にひどいことしてるじゃん
ひよこミキサーにかけられるオスひよこだってかわいそうだけど、人間がたまごをおいしく食べるためにもくにんされてるよ
イルカが殺されてもその肉が人間に食べられてるならいーじゃんって思う。
人間っておかしい生き物なんよ。自分で勝手にこの生き物は大切にするけど、この生き物は人間に害悪だから猟銃で殺しますよーって結局人間都合でしか考えてないんだよ
https://anond.hatelabo.jp/20211215104205 の続き
半年の間を置き、2021年3月9日、駅メモ!の新たなイベント「駅メモ!で巡ろう!観光大使温泉むすめの温泉街」がスタートする。アプリは死んでも温泉むすめは死なない。
小野川温泉、松島温泉、飯坂温泉、鳥羽温泉郷、南紀勝浦温泉、湯村温泉を巡るミッション。しかも今度は温泉地の最寄り駅だけでなく、温泉街まで足を運んでいくつかのポイントを踏破しなければならない。手に入るユニットは小野川小町、松島名月、飯坂真尋、鳥羽亜矢海、南紀勝浦樹紀、湯村千代。さらに8月6日、三朝温泉の三朝歌蓮、玉造温泉の玉造彗が追加になった。
この新イベントの温泉むすめは全員が温泉地の公認キャラになっており、温泉地では駅メモ!とのコラボキーホルダーも販売されている。こちらから探しにいかなくてもパネルもグッズも待っていてくれているのだ。前回の駅メモ!コラボ開催時は、有馬、道後、尖石(台湾)しかなかった温泉地公認を一年で6か所増やし、さらに次の一年で層雲峡、湯原、湯郷、奥津、三朝、塩原、玉造、松江しんじ湖と8か所増やしている。運営の機動力がやっぱりすごい。
だいたい騒動中に巷間で出回っていた「5年以上続くプロジェクト」「多くの温泉地から公認」「観光庁の後援」などのフレーズは相当な過大広告で、半数くらいの温泉むすめはここ一年くらいの間に温泉地に突如出現したキャラでしかない。
むしろ、世間に浸透していくのはこの先のことだろう。公認はまだまだ増える。
温泉むすめ巡りを続ける。まずは新温泉町の湯村温泉へ。温泉観光協会で湯村千代のパネルを撮影し、キーホルダーとタオルを購入。パネルには「湯村温泉観光大使」のたすきがかかっている。流石は公認キャラ、貫録を感じる。湯煙でけぶっている街を歩き足湯に浸かる。ここは吉永小百合の「夢千代日記」で有名な温泉地なので吉永小百合の銅像の写真も撮り、ドラマ資料館である夢千代館を見学。ドラマの風景を再現した展示場で、湯村が胎内被曝者である夢千代の街として新温泉町と広島市との友好の橋渡しとなり、吉永小百合の平和活動の大きなバックボーンとなっていることを学ぶ。最後に薬師湯で温泉を使い帰路につく。
次は南紀勝浦温泉。南紀勝浦樹紀のパネルは、レンタサイクルの並ぶウッドパネルのオシャレな観光案内所ではなく、古ぼけた温泉旅館組合の事務所内に設置されている。この温泉むすめにも「観光大使」のたすきがかかっている。パネルの横には驚くほど多種の南紀勝浦樹紀グッズが並んでいる。つい最近コラボが始まったばかりのはずだが本当に機動力がすごい。勝浦は冬のまぐろ祭りや太地町の落合記念館で落合専用ガンダムエクシアを見学するなど何度も訪れているので観光はあっさり済ませる。勝浦漁港のカフェでまぐろバーガーを食べて、年期の入った建物の天然温泉公衆浴場はまゆで温泉を楽しんで帰る。
鳥羽温泉の鳥羽亜矢海は、鳥羽駅そばのショッピングモール鳥羽一番街にいた。キーホルダーは隣接するレストラン兼農産物水産物の直売所である鳥羽マルシェで購入できた。一緒に伊勢茶と伊勢米とアジの干物とカキとサザエも買う。鳥羽の温泉にはあまりいい思い出がないので代わりに松阪で温泉に入って帰った。
鳥羽亜矢海のデザインはみんな大好きメリーちゃんの牛木義隆さんで、肌色成分多めなのにスポーティさが支配する健康的なデザイン、リボンやスカートの裾に入れた和柄紋、ダイビング由来の手の込んだ小物、結い上げた長い髪を下ろせば大きく印象を変えられそうな変身の余地も作って、本当に最高の仕事だった。海の街のご当地キャラデザインとして傑出した完成度がある。鳥羽はあまり好きな街ではないが鳥羽亜矢海だけは推せる。
松島温泉には車で訪問した。松島観光協会でタクシードライバー姿の松島名月のパネルを見て、福浦橋から福浦島に渡り松島の風景を楽しんだ。温泉は日帰りで利用できる芭蕉の湯という施設を選んだが、松島名月のパネルは主に海沿いの旅館に設置されていたようで結局出会えたのはタクシードライバーバージョンだけだった。
去年「凪待ち」の舞台探訪で石巻に行ったけど、松島の温泉はスルーして作並へ行っていた。松島名月のおかげで松島にも温泉があることを知られてよかった。
小野川温泉には米沢駅からバスで向かった。小野川温泉も以前は存在を知らなかったので、訪れる機会をくれた駅メモ!と温泉むすめには感謝しきりだ。この街は有馬温泉以来の街ぐるみで温泉むすめを活用している場所だった。至る所にポスターやポップがある。訪問スポットに指定されていた甲子大黒天には小野川小町の絵馬もあった。共同浴場滝の湯でクソ熱い湯に浸かり、キーホルダーを販売している名湯の宿 吾妻荘を訪れるとここにも当然小野川小町パネルが設置されている。もう嬉しくなってしまった。
いくつかの施設の人と話してみても、みな小野川小町に好感を持ってくれており、また温泉むすめが目的で訪れた私に対してもとても親切に対応してくれた。ただ、小野川小町よりもつい最近小野川温泉で大々的なロケを行った江頭2:50の方が遥かに街の人々に愛されているとも感じた。まあ、美少女もいいけど江頭と比べられたらやっぱり負けちゃうよな。
飯坂温泉では“最高の温泉むすめ”飯坂真尋に出会う。福島駅から飯坂線に乗ると列車が既に温泉のれんをかけた車両でテンション上がる。飯坂温泉には5年ぶりくらいの訪問になるが、駅を降りた瞬間から飯坂真尋の吊看板、観光案内所にも当然飯坂真尋。街中の旅館もロビーではなく玄関先に飯坂真尋のパネルを設置している。自販機には福島県の温泉むすめのラッピング。数えきれないほどのポップ。10を超えてからは数えるのを止めた。街が一変している。
飯坂真尋ほど地域の愛を一身に受ける温泉むすめを他に知らない。飯坂真尋は他の温泉むすめと比べて特徴的なルックスではないが、その分アレンジが利かせやすくどんな衣装でも着こなせてしまう。その特性を最大限に活かして、飯坂温泉の数えきれないほどのスポットに様々なコスプレをさせた飯坂真尋ポップが溢れている。
飯坂温泉は町出身のオリンピック選手か紅白歌手かのように飯坂真尋を訪問客に誇らしげに紹介している。アニメの聖地などではあまり見られない現象だが、飯坂真尋に限っては東京のオタクよりも飯坂温泉の住人の方が遥かに飯坂真尋を愛している。二年ほど前に借りてきただけのキャラのはずなのにどうしてこんなことが起きるのか。
宇奈月温泉がももクロに染まるのは理解できる。ももクロの熱には魅了されて当然。でも、同じくらいのテンションで飯坂真尋に熱狂する飯坂温泉はちょっと理解の外にある。
自分の好きなアニメキャラを普段アニメを見なさそうな人たちが同じように好きになってくれる様子を見るのが聖地巡礼の楽しみのひとつでもあるが、今日初めてその姿を見る飯坂真尋が多くの人に愛されていることを知って、同じように嬉しく思う。こんな経験は初めてだった。
芭蕉も浸かったという鯖湖湯の隣の鯖湖神社には飯坂真尋のイラスト絵馬がたくさんかかっている。小野川町の甲子大黒天を思い出す。超愛されてる飯坂真尋。でも、よく見るとイラスト絵馬の半分は塩原温泉観光協会プロジェクト88メンバーよりとか書かれてる。互助会だった。塩原温泉グリル三笠軒オーナーは飯坂真尋でなく自分の似顔絵を絵馬に描くナルシスト。鬼怒川温泉が近いせいで塩原温泉は行ったことなかったけど、近いうちに那須塩原の温泉むすめにも会いに行こうと思うよ。グリル三笠軒にも寄ろうと思うよ。
愛宕山の温泉神社前から飯坂温泉の街を眺め、旧堀切邸を見学、八幡神社を参拝、鯖湖湯のクソ熱い温泉に浸かってすぐまた波来湯のクソ熱い温泉をはしごし、ラヂウム最中とラヂウム玉子をお土産に買いこんで、地酒「摺上川」の4号瓶を購入して水郡線で水戸に着くまでに全部開けた。ここ飯坂温泉にはまた必ず来るだろう。
8月に三朝歌蓮、玉造彗が駅メモ!に実装されるとまた早速出かける。前日は皆生温泉で温泉を使い境港で海鮮丼を食べて松江のビジネスホテルに投宿。翌朝玉造温泉に向かい観光案内所で玉造彗のパネルを撮影、キーホルダーを購入する。駅メモ!勢が訪れる以前からも玉造彗ファンは相当数足を運んでいたようで、案内所の人も慣れた様子だ。その後、玉造温泉ゆ~ゆという洋式便器のような形状の施設で温泉を楽しみ、三朝温泉に向かう。
途中、琴浦町の道の駅で「琴浦さん」グッズが復活していないことを確認して、青山剛昌ふるさと館を見学、倉吉でお土産の梨を買ってから三朝温泉を少し通り過ぎて三佛寺投入堂を参拝、一人では崖の上のお堂まで行けない決まりなので行き会わせた年配のご婦人二人とチームで崖を登る。取って戻して三朝温泉、街には射的のある娯楽場、向かいには右翼の事務所、橋の方に向かうと大綱引資料館などという建物もある。小さな銭湯たまわりの湯で温泉に浸かり、観光案内所ほっとプラ座で「みささ温泉観光大使」のたすきをかけた声優サイン入り三朝歌蓮のパネルの写真を撮ってキーホルダーを購入する。
三朝歌蓮は儚げな美少女キャラで可愛いのだけれど、その隣に立つ「宇崎ちゃんは鳥取で遊びたい!×三朝温泉」の宇崎花と赤羽根健治のパネルの方が観光案内所の雰囲気にはマッチしていた。今更だけどやっぱり温泉に制服姿は似合わないわ。
しかし、観光案内所で最も強いインパクトを残したのは、三朝歌蓮でも宇崎花でもなく、三朝温泉マスコットキャラクター湯けむり怪獣ミササラドンだった。有袋類の怪獣らしくお腹のポケットに赤ちゃん怪獣も入っている。こいつが三朝温泉の温泉むすめでも良かったのに。ミササラドングッズはタオルとストラップとシールを買う。
ほっとプラ座には他の温泉地の温泉むすめの缶バッチも売られていて、ご婦人方が入れ替わり立ち代わり缶バッチを熱心に見ていた。本当はご当地キティを探していたのかもしれない。
その後、鳥取市のビジネスホテルに泊まり、翌朝すなば珈琲に寄って砂丘に寄って岩美町で「Free!」の聖地巡礼をして余部鉄橋見て帰路についた。
その後も、駅メモ!と関係なく修善寺透子、高山匠美、白浜帆南美、十津川飛香と出会ったり、別府や奥飛騨では温泉むすめパネルの存在は知っていたけれど設置場所まで足を伸ばすのが面倒でスルーしたりした。それが今年10月までの話だ。
つづく
https://togetter.com/li/1605085
のコメント欄より
また誤字脱字が明らかな場合はそれを補った
箱のなかの海 @kawa_machi
”他者の権利を侵害すべきでない”という一般的な道徳観を動物まで広げるなら、ヴィーガンのような主張になるのは自然なことではある。
人と動物は違うと言うなら、その線引きをどこに置くかの明示は必要だけど、論理的に妥当な基準を出すのはかなり難しいよ。
自分はリバタリアニズムの消極的自由から肉食を正当化できるか悩んだことがある。
今のところ子供(→契約の主体になりえない存在)に対する パターナリズム的対応を援用して考えてるけど、お肉を食べたいがために無理してないと聞かれたらちょっと困る部分も無いとは言えない。
お肉美味しいから食べるけど。
「倫理判断は普遍化可能である」「遺伝的差異自体は差別をする理由にはならない」「動物も人間と同じように苦しむ」「認知能力や契約能力等、動物と人間を区別する道徳的に重要な違いとされている違いは人間同士の間にも存在する(すなわち、限界事例の人たちが存在する)」「限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならない」、これらの組み合わせから容易に「動物にも「人権」があり、危害を加えてはならない」という結論が導ける。 (Wikipedia 動物の権利)
他者を食べることを倫理的に正当化するには、これらの前提のどれかを弱める必要がある。
ヴィーガンの多くは「植物も動物や人間と同じように苦しむ」を弱めて、植物を食べているように思うし、 自分は「限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならない」を弱めて肉を食べている。
kusorip @kusorip2
人権は人の作った道具に過ぎないので、人が快適に過ごすために如何様にも定義変更可能なんだが 勝手に都合よく定義を狭めて理論ぽく仕立ててるだけでガキの屁理屈止まりなんだよなぁ
箱のなかの海 @kawa_machi
人が作った道具であり、適宜変更ができると言うのはそのとおりなんだけど、その快適に過ごすべき”人”って何なのかという話。
人と動物の違いは何を基準にどこで線引きすべきか? 遺伝情報? 認知判断能力? 苦痛を感じる能力? YHWHがそう定めた?
他者に危害を加えることを正当化するのってちゃんと考えるとホント難しいよ。
誤: 人と動物の違いは
スリーS @Super_S_Shoborn
箱のなかの海 @kawa_machi
危険性を保証し合うと言うのは、法律(してはいけないこと)の概念をを持つという理解で良いですか?
そうなると、ある種の知的障害者や1, 2歳までの子供は人間ではないので殺していいことになりますがそれで良いですか?
逆に、ルールの概念を持てる動物(例えば、ある程度以上の哺乳類はそうでしょう)は”人間”なので殺してはいけないことになりますね。
スリーS @Super_S_Shoborn
知的障害者だろうが幼児だろうが、その家族が報復しうるし、その境遇に陥るかもしれない人間が次は我が身次は我が子と考えて排除しうるので、危険性は保障されてますので問題ありません
危険性が保障されてるから、危険だからやってはいけないという簡単なロジックです
大ざっぱに言ってしまいますと、全ての人間は任意の人間から危険性を保障されているので、その危険性が保障された人間を安全に取り扱う為に人権に沿う必要があります。言い換えれば、人権は人間を安全に取り扱う規範だと言っています
箱のなかの海 @kawa_machi
なるほど。しかし、「危険だからやってはいけない」は「危険でないならやってもいい」に繫がりますよね。
例えば、家族がいないまたは家族が報復しないことを約束して譲る場合はどうでしょうか。悲しいことですが、親から虐待を受けている子供や障害者など、可能性は十分考えられると思いますが。
食用の豚は殺されていますが、だからといってペットとして豚を飼っている飼い主(保護者)が「次は自分の豚が殺されるかも」とは考えないでしょう。
親が自分の子供を殺す(故意または未必の故意)場合も報復の危険は無いので問題なくなりますね。
パチンコ中に車の中に放置されて亡くなった子供がいたとして、その親が近くに暮らしていたとしても、「自分や自分の家族が殺されるかも」とは思わないでしょうし。
危険性を保障されているという言葉の定義がよくわかりませんので、もう少し詳しく説明ください。
周囲の人が次は自分と思って排除してくる危険→そう思わないような場合は?
また、 「人権は人間を取扱うためのものである。人間とは人権で取り扱われるものであ(動物はそうではない)」 はトートロジーです。何を基準に人権で取り扱われる”人間”を決めるのか?と問うています。
スリーS @Super_S_Shoborn
家族が居ない、または見捨てられた等の天涯孤独者は天涯孤独者同士危険性を保障し合っています。では天涯孤独の乳児はどうか。普通の子供でも親が死ぬ等で天涯孤独になります。親の危険性の保障から外れえる子供を守るために「危険でないならやってもいい」という人間を排除するでしょう。
親からも見捨てられ誰も報復せず次は我が身我が子だと考えて誰も排除してくれない子供はどうか。子供にそういう危険性がないことを調べる必要がありますが、それを調べることもまた危険であるのでやってはいけまん(続く)
『家族が報復する危険→報復しない、できない場合は? 周囲の人が次は自分と思って排除してくる危険→そう思わないような場合は?』
確かに必ずしも家族や同じ境遇の人が報復や排除をしてくれる訳ではありません。そのような危険性が保障されない人間が潜在しています。彼らは自身に危険性が無いと判断されることは死刑宣告にも等しい。従って危険性を判断するような人間を排除するでしょう。つまり危険性がないことを調べる事自体、危険でやってはいけないことなのです
さながら、危険性が保障されない人間が危険性を保障された人間に擬態するように。山に生えるキノコが可食か毒か見分けがつかず、見分けることも危険であるならば、山に生えるキノコは全て毒と判断して食べてはいけないと判断するように
箱のなかの海 @kawa_machi
なるほど。 ある程度以上の知能を持つ動物も、自分や自分の家族、群れを傷つける他者を排除しようとしますが、それらの動物は危険性を保障しあっていないのでしょうか。
人間がそれらの動物を傷つけた時に報復の危険性を感じないのは単に人間がそれらの動物より強いからですが。
動物の(勝手な?)代弁者である動物愛護団体などからの報復の危険性を感じないうちは動物には”権利”がなく、彼らが強大な力を有した段階で”権利”が生じるとなりそうです。
それは、過去に王侯貴族が下々の者の人権を決めていた時代と何が違うのでしょうか?
実際のところ、権利は力の獲得とともに増えてきたという歴史はそのとおりではあるものの、
少なくとも理念上は、
力の有無や数の大小ではなく、一人ひとりが等しい人権を有しているというのが現代では概ね合意であるはずです。
動物には力がないから人間にとって危険性がなく、だから動物を傷つけても良いという”危険性の論理”はこの合意に反しますし、弱者やマイノリティへの攻撃に容易に繋がりかねないのではないでしょうか?
スリーS @Super_S_Shoborn
医療食料問わず動物資源は人間の生命線であるので、その使用禁止は生存手段の放棄であり自殺行為です。また、人間から動物資源という生存手段の剥奪はその人間から排除対象となるので、これもまた自殺行為。二重の意味で危険な行為なので動物に権利を与えてはいけません。
全ての人間は任意の人間から危険性を保障されている(自分はそう主張している)ので、弱者やマイノリティへの攻撃に容易に繋がりません。
動物も報復しますが、人間にとって大した危険ではなく、それ一頭を銃等の動物では認識出来ない武器で殺せば再報復されません。人間が危険なのは動物と異なり火や毒、自動車銃火器等の過剰な攻撃力を持っているからです。毒を使う動物はいますが、それを報復には使いません。『過剰な攻撃力』を持ち、かつそれを『報復等に使用する』生物はただ一種、ヒトのみです。故に人間にとって人間が特別です。他に該当する動物が居るのでしょうか?
箱のなかの海 @kawa_machi
2点教えてください。
1. 過激な動物保護団体は多く居て、その中には銃火器などで武装しているものも有りますよね。 単に危険性の大小なら、下手な人間のマイノリティよりもよほどある種の動物のほうが危険性を保障されている(報復の可能性が高い)と思いますがいかがでしょう。
2. 本当にすべての人間同士で危険性を保障しあっているのでしょうか。 例えば、ウイグルの人々が中国共産党の上層部に報復できるとは思えないのですが。 仮に米国を動かして、米中戦争が起きたとして中国が勝った場合は?
端的に言うと、 「どうしていじめはダメなの」という問に対して、 「先生に怒られるから」と答えられてるような感覚があります。
スリーS @Super_S_Shoborn
1. 危険性の保障を代行・専門化・強化した警察・司法という組織の方が基本的に有能です。
2.国家という組織は人間が運用すれども人間そのものではありません。人権は『人間が』人間を安全に取り扱う規範ですので、国家対個人では基本的に機能しません。中国みたいに強い国家にとって人間は脅威ではないので、中国は人権を守る必要がありません。では何故人権を守る国家があるかというと、国家が比較的弱いか国民が運用している国民主権国家だからですね
箱のなかの海 @kawa_machi
1. 確かに、警察、司法のほうが優秀です。しかし、危険性で問題になるのはどちらが大きな力を持っているかではなく、ある閾値以上の力を持っているかでしょう。
戦車や戦闘機よりマシンガンの方が弱いですが、普通の人にとってはどちらも脅威です。
2. 人権とは、単に人間であるということに基づく普遍的権利。「対国家権力」または「革命権」から由来している。ブルジョア革命(資本主義革命)によって確立された権利であり、「近代憲法の不可欠の原理」とされる。 人権は人が生まれつき持ち、国家権力によっても侵されない基本的な諸権利であり(略) Wikipedia 人権
えっと、その人権の定義は少なくとも一般的に受け入れられている定義ではないですよ。 対国家、つまり自分より強い相手に対するものです。
箱のなかの海 @kawa_machi
人と動物との違いはなにか?という問いに対して、
1. 傷つけた時に報復される危険があるのが”人”で危険がないのが”動物”
2. この危険とは殴る、噛むなどではなく、銃火器などの過剰な武力を指す
3. 報復するのは傷つけられた本人ではなく、それを見た他人でも良い
という基準が出されました。
それに対して、
1.例えばクジラを傷つけた相手に銃火器を用いて報復すると宣言する愛護団体が存在したら、クジラは”人”の基準を満足しますよね?
2.銃火器などを苦にしない強い個人や団体(国家)は、弱い立場のホモ・サピエンスを傷つけても倫理的に問題ないとなりませんか?
スリーS @Super_S_Shoborn
警察・司法の方が基本優秀なので、過激な動物保護団体はテロリスト認定して取り締まってその保障を無効化してますね。
銃火器などを苦にしない強い個人(超科学異星人だろうがスーパーマンだろうが)や団体(国家)が弱い立場のホモ・サピエンスを傷つけても、その個人や団体(国家)にとっては問題ありません。同じように強い力である台風が我々の人権を慮ってくれるんです?
箱のなかの海 @kawa_machi
なるほど。そこまで力を信奉し、強者は何をやってもいいとお考えならそれはそれで筋が通っていると思います。
願わくば、その考えが弱い立場に向かないように、また貴方が強者に蹂躙されませんように。 どちらにしても、中国には住まないほうがいいと思いますよ。
攻め方と守り方は非対称で、普通は攻め方が大幅有利です。本当に取り締まりが完璧にできるなら、アメリカは911を受けずにすみました。
スリーS @Super_S_Shoborn
自分はスーパーマンでも独裁者でもないことを知ってますし、立場が弱かろうが強かろうが人間にちょっかい掛けて好き好んで危険を被ろうだなんて思ってないのでご心配なく。
それに『安全』というのはリスクゼロという完璧を表す言葉ではありません。人間を対象に限らず、危険性を小さくする為に安全な取り扱いを行っていますが、自動車を安全運転してたって事故は起きます。警察を信用しないのは自由ですが、警察という抑止力がなければもっと被害を受けていたのは想像に難くないでしょう
箱のなかの海 @kawa_machi
警察がなければもっと被害を受けていた と 警察があっても被害を受ける危険がある は矛盾しませんよ。
報復される危険があるなら(実際に日本では太地町が有名ですし、海外ではもっと大きなテロも起きています)、あなたの基準ではそれは”人”であり、傷つけるべきではないのでは?
スリーS @Super_S_Shoborn
報復や排除による危険性を無制限に正当化するのもまた危険です。極端なことを言ってしまえば『貴方の周りの空気を保護する。吸えば貴方に対して報復する』ということも殺人の正当化に悪用されてしまいますね。従って人間への危険性が最小になるように線引きする必要があります。今の所設定されているベターな線引きはヒト及びヒトに所有される(動物含む)物ですね。
その線引きに動物まで含めてしまうと、動物資源によって生存している人間及び今後そうなるかもしれない人間(つまり万人)は生存手段を奪われた形になります。鯨も飢饉時は立派な食料です。狩猟には継続的な経験が必要ですので、飢饉時だけは鯨を殺していいと言われても狩猟出来ずに餓死ですPermalink | 記事への反応(1) | 10:35
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/071500/iruka/index.html
5.日本は経済大国であり、鯨やイルカを食べなくても生きていけるはずではないか
奥深い山村では、鯨やイルカ肉、その保存食が貴重なタンパク源とされてきました。
今なお、鯨やイルカの肉が伝統食の重要な一部となっている地域が全国に散在し、
また、その地域の出身者や小学校の給食で食べた思い出のある人々はその味を楽しみ、買い求めています。
このようなことを、他の食べ物があるからという理由だけで、「やめるべき」と言えるのでしょうか。
大量に流通、販売されているものではありませんが、現に今でも需要はあります。
6.イルカ漁は、日本のイメージを下げ、国益を損なうのではないか
各国の食文化や食習慣は、その地域の気候、地理的条件、歴史や宗教など、数々の要因により形成されるものであり、
相互尊重の精神が必要とされています。例えば、宗教の中には、厳しい戒律により禁止されている食べものがあります。
7.イルカは知的で親しみある動物なのに、どうして日本では食べるのか
人は皆、生きるために生き物の命を奪っています。
西洋の国々では牧畜が盛んであり、大切にかわいがって育てた家畜をと殺して、食料としています。
日本では、食事をするときに、自分たちが生きるために捧げられた命に対して、
感謝の心を表すために『いただきます』と言って手を合わせます。イルカだけでなく、牛や豚などの家畜にも感情や知性があり、
しかし、肉を食べるために、我々はこれらの動物を殺さなければなりません。
この5,6,7が一番ひっかかる。
先に言っておくけど俺はこういった問題に詳しいわけじゃない。
動物園と水族館について、どう捉えていくか。考える上で必要そうな要素をピックしてみたので興味があればどうぞ。
この記事があがったのが3日前。
「野生イルカ入手で資格停止「いじめだ」 和歌山知事批判:朝日新聞デジタル」
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASH5F3JH7H5FPXLB005.html
追い込み漁によるイルカ入手をめぐって世界動物園水族館協会(WAZA、本部・スイス)が日本動物園水族館協会(JAZA、東京都)の会員資格を停止した問題
国内の水族館が和歌山県太地町の追い込み漁で捕獲された野生イルカを入手していることが問題視された。
漁場がある同県の仁坂吉伸知事は13日の定例会見で、「いじめだと思う。」とWAZAの判断を批判した。「考える能力のない組織かもしれない」などと発言。情報を収集し、JAZAの今後の交渉を後押しするよう国などに働きかける考えを示した。
「本当の水族館とは」
http://anond.hatelabo.jp/20150515230312
前略
我々は、水族館の使命を果たすために、今後も野生のイルカを買い続けなければなりません。
とある水族館の館長による、今朝の朝礼でのありがたいお言葉です。
真偽はともかく、JAZAに所属する水族館の館長であればJAZAの理念に従って言動を考えてほしいし、和歌山の町長も国を通じてJAZAに働きかけるつもりなのにJAZAの理念を知らないのはちょっとオツムが足りないように思う。
日本の法律では、(公立の)動物園と水族館は「博物館」の扱いになる。
(「公立博物館の設置及び運営に関する基準」http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19731130001/k19731130001.html )
JAZAの基本理念は「野生動物の保護、教育、調査研究、レクリエーション」。
(「JAZA公式HP」http://www.jaza.jp/index.html )
と、簡単に挙げておく。
それから、動物園と水族館に関連する、今までに起きた対照的なふたつの問題について述べる。
愛護の中には一定数、可哀想ということを発端に、動物園や水族館についての法律、またJAZAの基本理念等を理由に、イルカやアシカショーに反対する層がいる。その是非や主張内容の真偽についてはここでは関係ないので言及しないが、詳細はググってもらうとして、結果的に京都水族館では今イルカショーが開催されているという結論だけ述べておく。
(ただ、愛護の主張の中には、動物の寿命など信憑性に疑問のあるデータがあるのもまた事実だと添えておく)
http://www.asahi.com/showbiz/tv_radio/TKY200906240091.html
服を着て、犬を散歩させたり、写真を撮影したりする芸が人気となったが、日本動物園水族館協会の倫理委員会は05年に「服を着せ芸をさせる擬人化は野生動物本来の個性や形態を誤解させ、繁殖活動にも支障が出る」とカドリー・ドミニオンに改善を勧告。しかし、改善がみられないとして、協会は08年11月、退会を勧告していた。
こちらは、逆に、生体展示をする動物園として、基本理念にあまりに反してるとして、JAZAを退会することになった阿蘇カドリー・ドミニオンの例。
こういった問題はあまり公に出ず、テレビ出演も続いたが、結果的にパンくんが人間の女性に怪我をさせたことでテレビ出演が終わる、という結果になった。
ここまで、日本における動物園と水族館の法律上の扱い、日本水族館動物園協会(JAZA)の設置理念。また、法律上の扱い
や動物園の理念をどう捉えるかから生じた2つの問題について述べた。
公立と私立という違いもあるが、国家が国連から脱退することがどう思われるか、というように、「所属することはまっとうであることを示し、だからこそ特例的な措置を受けられる(ワシントン条約の適用を、保護という理由で場合によっては免除される)組織」を、主張に合わないから抜ければいい、と言うようなことはあまりに安易である。
何が言いたいかというと、これら2つの問題からもわかるように、水族館や動物園は、「100%教育や研究のための、楽しめる要素を排した施設」でなければならないかというとそういう訳ではなく、レクリエーションも目的としている。しかし、「動物の野生を殺して見世物一辺倒にしたような施設」は動物園や水族館としては認められない、ということなのだ。
当たり前のようだが、WAZAとJAZAの関係についてはこの前提を踏まえないと語れないのである。
また、イルカ漁関連の問題については、他国の文化への介入の是非、という視点で語られることが多いが、WAZAからJAZAへの退会勧告については、水族館はそもそもどうあるべきか、という視点でも考える必要がある。
俺自身は、イルカ漁の妨害してる環境テロリスト集団があんまり好きじゃないし、そのへんを擁護容認、手先のように使ってるオセアニア諸国は「善(という思い込み)のためには実力行使も厭わない」というのに対しては、きちんと抗議すべきだし、アメリカでの第二次大戦時に日系人が強制収容所に入れられた時みたいに国として「間違っている(いた)」って認めるべき問題だと考えてる。
しかし、水族館問題に関しては、WAZAっていう「水族館かくあるべし」っていうルールをそもそも決めてる組織が勧告してることだから、問題があるなら改善しなきゃならない、それにWAZAから外されると各国間の希少動物の融通が受けられなくなるので、「どうでもいい」って無関係で無責任な人が言うのは簡単だけど、国内の動物園や水族館はかなり大きな損失を受けることになるので、イルカ漁由来のイルカは展示しないべきだという考え。仮にその勧告が間違っていたとしても。また、そこを改善することは主張を折ったことにはならない、という立場。
アメリカで生活していて、クジラやイルカ漁について「The Cove見たよ!」などと時々聞かれることがあるのですが、
大学で受講している統計の授業の教科書(http://www.amazon.com/dp/1478217200 )
の例題 (p.226) で、太地町のイルカ漁についてやや唐突に取り上げられているのを見つけてしまい、
いろいろ疑問がでてきてしまったので備忘録代わりにメモしておきたいと思います。
* イルカは食物連鎖の頂点にいるので、水銀などの濃縮現象がおきます。
* 特にこれは、ときに学校給食でイルカを提供している日本で問題になります。
* 19のハナクジラの筋肉サンプルに含まれる水銀量を調査したところ、ハナクジラには、
95%のconfidence intervalにおいて平均3.29-5.51µg/wg (wet gram)の水銀が含まれている、
という結果になりました。
ということが書いてあって、これってアメリカ人から見たら、日本が①イルカを食べているだけでなく、
②水銀含有量の多いイルカを給食に出している、③規制をしているにも関わらずそれに反する
イルカを給食に出している、というおかしなことになってしまう?と思いちょっと調べてみたのですが、
どうやら、
* 太地町では給食でイルカ肉が提供されていたこともあるが、現在は行われていない
* 追い込み漁が行われている太地町の人口は日本の人口の0.0024%であり (3000/127,000,000)、
日本全国で漁や給食での提供が行われている(た)かのような記述は誤り
* 日本人は約10000年前からイルカ漁をおこなってきた。捕鯨(イルカ含む)は日本古来からの文化である
* 太地町で主にとられているのはスジイルカである(例題で扱われているのはハナクジラの統計)
ということは言えそうな感じがするのですが、調べているうちにちょっとよくわからなくなってきました。
まず、0.4g という例題にあった”政府の基準”なのですが、どうやらこちらの魚介類の
暫定的規制値(昭和48年厚生省(当時)環境衛生局長通達)←かなり古い
(http://www.maff.go.jp/j/syouan/tikusui/gyokai/g_kenko/busitu/02g_kanri_soti.html )
を意味しているようで、そこには、総水銀の暫定規制値として0.4µg/gが記載されており
(例外としてクロマグロ等の記載はあるものの、クジラ、イルカについての文言はない)、
また「暫定規制値を超える魚を流通させないよう効果的に運用」という文言がありました
(疑問1:この通達がまだ活きているかは不明。pdf: http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shokuhin/hyouka/files/report12.pdf )、
一方、愛知県のHP によれば、バンドウイルカやゴンドウイルカについて、
厚生労働省の水銀に関する基準の0.4µg/g をかなりオーバーする20.8 やら7.1やらという数字が並んでいて、
* イルカ等の水銀含有量(http://www.pref.aichi.jp/eiseiken/3f/gyo_hg2.html )
水銀に関する健康基準について言えば、WHOの基準で 1.6 µg/kg体重/ weekということのようなので
(http://jccu.coop/food-safety/qa/qa02_02.html )、体重50kgの人でざっくり 330 µg/month
ということになるところ、 愛知県の先の統計によれば、1ヶ月あたりざっくりバンドウイルカ16.5gまで、
教科書にあるハナゴンドウであれば 60gまではok、という計算になりそうです。
(16.5g/月って、ほぼダメなんじゃ、、)
気になるのが、水銀含有量 0.4µg/g までという当時の厚生省の暫定基準が活きているとすれば、
たとえばバンドウイルカは20.8µg/g という高めの数字が出ているところ、
市場に回っているとすれば(疑問2:実際にイルカは市場にどれくらい出回っているのか)
それは規制との関係でどういうタテツケになっているのか(疑問3)ということ。
そんなことを思っていたら、日本生協連のページにて、クジラやイルカについては、
表示があまりちゃんとされていないので心配です、みたいなことが書いてあって、
数字を見るに結構な割合でちゃんと表示がされてないようなのですが
(どうやって調べているのか分かりませんが、イルカの種類によっては100%不適正な鯨種表示だったりします)、
そんな感じで大丈夫なんでしょうか(疑問4)という更なる疑問がうまれてきてしまいました。
* 不正表示の比率について(http://jccu.coop/food-safety/qa/qa02_02.html)
漁については日本の政府見解のとおり(http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b186038.htm)
だと思いますし、食用にすることについても授業で扱わなければ正直調べてみることもなかったと思うのですが、
ひさしぶりの増田!
ちょっと海外の展開をみていたら非常によろしくない流れができつつある。本当にあぶないね。
http://anond.hatelabo.jp/20140119001755
反論に文章は弱すぎるので3分ぐらいの動画をつくれたらとおもう。
・問題解決のために
追加論点ある?
海を血に染まる光景は心をざわつかせ何かしなければという気持ちにさせる。
しかしその煽られた恐怖はレディ・メイドで、これはプロパガンダだ。
愛くるしいイルカはなぜ殺されなければならなかったのか。
イルカの追い込み漁は石器時代からおこなわれてきた原始的な漁である。
近代にもなっていまだに残忍な原始的な漁が行われるなんて文明国家とはいえない!
非難は受け止めるべきであろう。
しかし、人は動物や植物などの命をいただかずには生きることはできない。
あなたが奪った他の生き物の時間や未来を食べて生きていることは忘れてはならない。
今回、殺されたイルカの数。
原始的なイルカ漁とは違い、屠殺された家畜の血があたりを染めるセンセーショナルな映像を見ることはないだろう。
同じ場所でおこなわれるイルカ漁とは違い、殺人はどこいつおきるかもわからないだろう。
飛行機と電車で安全にいける日本と違い、戦場の撮影は撮影者にとって安全ではないだろう。
決まった時期に決まった場所にいけば暖かいコーヒーを片手に簡単にあなたたちの心をざわつかせる素材を手にいれることができる。小さな町の漁民相手だ。あとは映像をみせて声高に叫べばいい。
血が流れる写真や映像は人々をどんな気持ちにさせるかわかりきっている。
わかっていてその映像が撮影され、配布され、今何をできるか、行動をおこせと扇動されている。
さっきまでどのような感情を抱き、何をしようとしていたか思い出してほしい
そうさせることが目的だ。
昨年食べられずに捨てられた食料の量。
あなたは今煽られている。
本当に大切なことはなにかを思い出して欲しい。
まずあなたのまわりで興奮している人を落ち着かせることだ。
しかし、よりよい未来を考えるならば情報は多角的なものでなくてはいけない。
情報が偏っていたら判断は誤る。
日本からみると、あなたたちは攻めやすいところを攻めるためだけの用意された素材に踊らされている。
(だいたい日本語も喋れないのに駐日大使になって、で何つぶやくかと思えば、他の人権侵害でもなくて「米国政府としてイルカ漁に反対します」だぜ)
で、なぜ今このタイミングでということに関しては
今、CNN、ABCを含む欧米メディアは太地町でのイルカ漁をばんばん報道しているからだ。
英語圏のインターネット上でもかなり話題になっている。「250頭の赤ちゃんを含むイルカたちが日本人に今現在残虐に殺されている」と。
そして、Redditを軽くのぞけば、「Just go fuck yourself Japan.」ってコメントが最評価になっている訳。
http://matome.naver.jp/odai/2139005390270784901
別にdailymailだろうがyahooだろうがどこの掲示板やらコメントやらツイッターみても、この件に関しては英語圏の反応は一緒。
intellectualなイルカをなぜ殺すのか。残虐な日本人。もう日本製買わないわ。記事読んでて吐きそうになったわ。漁師に弾丸ぶちこめよ。
そのくらいの反応だ。ほとんど人間の虐殺行為に対する反応と同じくらい。
「イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」非人道性だよ。英語の方では「inhumaneness」だよ。そんなことするのは人間じゃないって言ってるのよ。
こういった反応があることを日本人はもっと知らないといけない。
というか、一週間くらい前にニュージーランド沖で日本船が捕鯨活動をしているのをシーシェパ―ドが追っかけて
それもまた英語圏では相当な話題になっていたのだが、それに関してほとんど日本語圏では報道はなかった。
日本のメディアは捕鯨に対して、欧米の反応を伝えたくないからだろう(シーシェパードって実は結構支持されてるよとか)
俺は捕鯨反対派ではないし、ベジタリアンでもないのに偉そうに捕鯨反対を叫ぶ奴が嫌いだ。そんなに言うなら、かわいい「知的」で「感情」を持つ豚を食うなと思う。
それでも、日本がやってるイルカ漁や捕鯨が持つ国際的なインパクトの強さを、日本人は甘く見てるのではないかと思う。
アニメが日本に与えた肯定的イメージと同じくらい、捕鯨が持つ日本への否定的イメージはでかい。嘘じゃない。それぐらいに見ていいと思う。
その現状をまずは知っておくべきだと思う。この圧倒的で埋められない価値観の乖離を知ることだ。
駐日大使がわざわざイルカ漁についてこのタイミングでツイッターでつぶやいたことに対する日本人が持つ違和感。
それがそのまま欧米と日本の捕鯨に対する圧倒的価値観の乖離、あるいは情報源の乖離を意味している。
そんな現状も知らず、うまくやらないとまた「国際連盟脱退!我が代表堂々退場!」となりかねないから
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<追記>
たくさんの反応ありがとうございます。
一点だけ言っておけば、反捕鯨は白人or欧米中心主義的価値観ではあるがキリスト教とは関係ないと思う。(もちろん欧米的価値観の基礎にはキリスト教がある訳だが)
「昔は油絞るだけ絞ってアメリカもやってだろ」という批判をよく考えれば、あの時代のガチガチキリスト教だったアメリカが捕鯨をやっていた訳です。
あとRedditはかつてはデフォルトカテゴリーにatheismがあったように、どちらかというと反キリスト教的(反ティーパーティー)ですが、この反捕鯨な反応な訳です。
どちらかというと、「欧米人としての常識」的価値観にリベラルor環境保護orスローフードorニューエイジ的なものな価値観も加味されての捕鯨への強い反応といった感じとして個人的には受け止めている。
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↓4年前”The Cove"が公開されたときの記事のようですが、まさに僕が言いたかったのはこういうことです。4年経って状況はかなりまずい方向に来てると思います。
消費させるために豚を生み出して殺しているからなおさら許せなかったのよ。
たとえばシーシェパードに攻撃されている和歌山の太地町のイルカ猟は、
漁業被害をもたらすイルカを駆除する「ついでに」食べてるよね。
イルカの喉切り刻んでる人とも付き合えないけど、まだただ人間に殺されて消費されるための豚を生み出して殺している人よりは許せたと思う。
それでも「必要な栄養素を摂取する」ことを目的としている以上はやむを得ないと思っている。
で、実際問題、動物を捕食することを前提とした生活スタイルを採るとなると、
殺すための施設と殺すための職人を備えて、動物を「殺すために繁殖させて育てる」システムを作らざる得ないと思うんだよね。
そのようなシステムを需要することに対しては罪悪感を感じるけど、
自己の生命を維持するのに必要だから需要していると思えば仕方ないと思える。
豚を食べなくても生きていけるけど、豚を食べたらそれが生命の源になる=自分に還元されるわけだから、
『和歌山県太地町のイルカ漁に抗議する。イルカを屠殺するのをやめて下さい。』――自称ツイッター活動家がフルボッコで涙目 #taiji #thecove #sushitaro
ここでも話題になった、イルカを魚類だと思い込んでいたツイッター活動家。突如ベジタリアン転向宣言をしたかと思うと、ウニやハンペンを食べ始める。本名バレの結果、自ら本名を明かす。などなどお笑い要素たっぷりの活動家である。次は2/26に行われる犬猫殺処分反対のデモ行進にイルカ漁反対の立場で割り込むそうだ。白いTシャツを赤い血糊で染めて行進すればインパクトがある、とフォロワーをけしかけるなど物騒な発言も目立つ。
そんなツイッター活動家の仲間が、官能小説家・安達瑶bである。ツイッターのアカウントは@adachib。
『安達遙b @adachib 氏の屠畜に対する発言『そういう光景に耐えられるように多くの人間の感覚はできていない。』について #Taiji』
ゴールのないイルカ漁反対論に溺れるなか、ついには食肉処理事業従事者への差別発言や同和利権による陰謀論まで飛び出し、八方塞がりになっている。
と言っても、本編は国内未上映なので、公式予告編を見ただけですが。そもそもこの手の過剰にエコを
主張した作品は好きじゃないので、わざわざ予告編も見ようとは思わなかったんですが、YouTubeで捕
鯨反対派の方たちと議論している過程でこのドキュメンタリーも話題に登ったので、ちょっと見てみよ
うかな、と。
予告編を見ただけでも、色々とツッコミどころはあったんですが、整理すると言いたいことは以下の2点
になるかな:
(1)普通は隠すもんでしょ?
(2)野蛮って何?
ということで、これらについて思うことをだらだらと書いてみます。
(1)普通は隠すもんでしょ?
予告編中でどっかのおっさんが
「They are hiding something.」
とか大見得きってます。
本編見ていないので、確かなことは言えないけど、おそらく「入り江(Cove」でのイルカの「虐殺」の
ことを隠していると言いたいのだと思う。
でも、隠すのは当たり前じゃないのかな?だって屠殺場なんだから。家畜の屠殺場だって普通はそんな
にオープンになっていないでしょうし。「虐殺だ!」と批判する人のうち、家畜の屠殺場に行ったこと
ある人はどれだけいるんでしょうか?予告編では趣味の悪いことに、おそらくイルカの屠殺シーンであ
ろう映像を街行く日本人に見せて、顔を背ける姿を撮り「日本人にも隠している!」とか主張している
場面もあるけど、多分、ウシやブタの屠殺シーン見せても同じ反応を示すと思います。
もちろん動物愛護団体からの抵抗も予想して、イルカ漁をする方たちも人目につかないような入り江に
誘導して殺しているんだろうけど、そもそもああいう形の入り江の方が追い込みし易いんじゃないのか?
という気もする。
命の恵みを理解する意味でも、屠殺するところは子供に是非見せるべきだと俺は思うけど、まあ、それは
また別の主張になるので置いておきます。
(2)野蛮って何?
このドキュメンタリーがアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した際に、どこかのテレビアナウンサー
が「日本人の残酷さを 明白に描いている映画」とかコメントしていたけど、アホなのか?と思う。捕鯨問題
にしてもそうだけど、主に西洋人(白人)から構成される反捕鯨派の方たちはすぐにこの手の屠殺を指して
「野蛮(barbaric」だと指摘する。日本人的な感覚なのかもしれないけど、何かを殺して命を奪うということ
では、家畜の屠殺も捕鯨も、植物採取さえにも違いはないと思うんですがね。よく動物愛護団体は、家畜は人
道的な方法で屠殺されているから問題ない!とか言うけど、結局殺していることには変わりがないと思うのです
が。多分、殺される側の動物も口がきけたとしても
"Thanks, mate! I appreciate you are going to kill me in a humane way!"
とか言わないと思う。
そもそも、自分たちと違う考えやり方をすべて「野蛮」と決めつけるのって、いかにも西洋的(キリスト教的と
言うと語弊があるかも)だよな、と思う。結局彼らは十字軍の遠征や大航海時代に異教徒に対して行ってきたこと
を何にも反省していないんだろうな。自己中心的な世界観を元にそれに沿わない相手を野蛮とののしり否定し、
文明化という美名の下に西洋的な価値観を広めていった歴史に。捕鯨問題とか死刑廃止問題とか西洋的価値と日
本的価値の激突が生じている問題もその一部を構成するものは同根なんじゃないかな、と。
だいたい、他人を野蛮人扱いして、まともに話を聞いてもらおうという、その上から目線でいられる神経が理解
できないよな、と直情径行的な反発を覚えるのも事実です。
YouTubeのコメント欄でも感じたけど、もう少し冷静な議論が出来ないものかな?と思う。お互い様に。まあ、か
くいう自分も、ちょっと腹が立ったので相手をracist呼ばわりしたら、案の定、お前こそracistだ!という不毛
な批判の応酬になったことがある。結局、この手の問題は感情論になりやすいので、論理的な討論なんて出来ない
おそらく日本で公開しても見に行くことはまずないと思うけど、このドキュメンタリーのせいで、メディアリテラ
シーのない一部の日本人が感化されて、太地町の人とかが不当に非難されないことだけを祈っています。特に予告
編でも顔が写っていた啖呵切っていた人なんか、おそらくひどい目にあうんじゃないかな、と思う。あれって肖像
権の問題はどうなっているんだろうか・・・