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はてなキーワード: 話し言葉とは

2019-03-30

どんどん鬱病悪化している

薬で動かないはずの身体を誤魔化しながら動かすのが当たり前になってきた

ひたすらだるいのにソワソワと落ち着かなくて、自分では落ち着いていると思っていたのに突然人を怒鳴りつけたり、涙が止まらなくなったり、本当に、こわい

文章を書くのはまだいい

話し言葉吃音がひどくなる一方で、自分でも気づくほど支離滅裂で、何かを言うたびに腫れ物のような扱いをされるか、嘲笑を受ける

それでも何か言わないと批判され、非難され、責め立てられる

仕事では無知を罪だというのになにも教えてはくれないし、それを私のためだという

できることをやっているつもりでも何のレスポンスもなく、なじられて疎まれ罵倒される

家でも気づけば愚痴ばかりで、家族からも疎まれはじめた

自傷行為がやめられなくて、気づけばあざと切り傷、引っかき傷が身体中にできていて、とてもではないけどまともとは言えない

頭の中に浮かぶのは天井に吊るされたロープ、輪っかに首をかけて、あとは一息に

考えてはいけない、自殺も、自傷も、罪で、人に知られてもいけないし、私より辛い人はたくさんいるらしい

私はどうなるんだろう

こわい、人間出なくなるようだと思う、助けてほしいけど、誰になにを求めたらいいんだろうか

普通に普通になりたい、人間に戻りたい

2019-02-17

増田文体メモ

●基本



●その他雑感

語尾だけ見ると「言い切るタイプ」「疑問っぽくするタイプ」のどちらかに偏っているやつが多い。

話し言葉といえば、なんか吹き替え映画セリフみたいな文章多くない?

から年齢や性別イメージできるやつもあるね。ようするに匿名になりきれていないってわけだ。

他には字下げするやつとか句読点理系バージョンのやつとかもある。

増田に、限ったことじゃないが、インターネットでは、「、」を、たくさん使うやつが、敵視される。

ネットユーザーは「、」の使い方に、厳しい。

改行のタイミングとかは縦長のモバイル環境で書いているか横長のデスクトップ環境で書いているかでも別れそう。

文字数は大体400~1200文字くらいがベターか?

それ以下だと物足りない感があるし、それ以上になると読むのが苦痛

2019-02-03

anond:20190202201220

時間あたりの情報圧縮率が段違い

  

PCとある程度意味が通るように文を考えないといけないが、手書きだと文章脳内イメージに置き換えて記述することができる

日本語で数文字記述しなければいけないところを1~2個の記号記述できる。

しかも、話し言葉で順序が逆になろうがツールキーボード、またはペンから手を離すことなく瞬時にその場所に戻ることができる。

マウスに持ち替えたり、カーソルキーを連打することもない。

  

そして最大の利点は別作業を並行して行っても効率が落ちにくいこと。

例を挙げるならテキストエディタへの切り替え不要PC作業メモを同時進行できることだ。(左手キーボードマウス操作右手手書きメモを取る)

2019-01-16

anond:20190116081955

言語は先に話し言葉があって、それを解析して理論論理といったもの説明していると、俺は思っている。

ただ学問として研究するのは理論であって、それはつまりセンス理論に落とし込む作業だと思う。

逆にその理論センス感覚で使えるようにするのが勉強というものである

古典必要かと言われると、別に必要ないと俺は答えるし、自分が読んだ本はみんな読むべきとのたまう老害には消滅して欲しいと願っている。

2019-01-12

音声言語尊いって言うのやめろ

尊いって萌え用語は以前から使われていたが、最近になって急にアニメキャラ尊い連呼するようになった。

自分はあれを聞くたびに寒気に襲われる。皆はあれを見て何か思い出さないか自分はこの寒気を、昔萌えという言葉バラエティやらニュースやらで、2ch用語連呼されまくってる時に起こる寒気と同じ現象なのだと思う。

インターネットで書かれる言葉あくま書き言葉なのだ。それが急に話し言葉、つまり音声言語に変換されたとたん、それは非常に違和感のある言葉になる。

例えばTV文芸評論家やら理系専門家やらが専門用語を駆使しながら長々と語っているとき、(たとえその方面への知識があったとしても)何かその場違いさがなんだか、恥ずかしいような気分になったりしないだろうか。それと同じだ。

それらの専門用語はまだ時代を超えても成立するものからまだいい。尊いとかネット用語はいわば流行語のようなもの書き言葉から話し言葉への変換が定着し、自然言葉になる前に廃れて消えてしまうだろう。そうなるとただ聞いていて恥ずかしかったという感情けが残って、誰も得しない。例えば俺が得しない。現に今恥ずかしい。

作品自体もそういう時節の流行を取り上げたようなものは、10年後見たら冷める。時代から取り残される。作品は十年先になって見ても価値のあるようなものを作るべきだと思わんか。

そういうわけだからやめなさい。いいね

2018-12-25

anond:20181225111442

2009/12/816:38:12

言語障害をざっくり分けると…

聴覚障害

・構音障害

神経の障害言葉をうまく話せない。話し言葉が歪んだりして、聞き取りにくくなる。

失語症

脳の障害により、言語機能(話す/聞く/読む/書く)に障害が出る。

吃音

一般にいわれる「どもり」のこと

言語発達障害

何らかの理由により、小児期から言語発達に障害がある(自閉症なども含まれます)

上記は全て「口がきけない」と言えますが、聴覚障害の方以外は耳は聞こえます

2018-11-13

anond:20181113105435

ネタで言ってるんじゃないとすれば、

もう一度日本語勉強しなおしたほうが良い。

話し言葉からして「自分勝手です」アピールしすぎている。

2018-11-09

ネットのせいで長文が書けない

3行以上書けないわ。

長文増田ってたまにいるけど、よくそんなに書けるなって感心するわ。

そんなに長く書くと俺なら途中で文章破綻しそう。

これでも旧帝大出てんのに。

あと話し言葉しか文章書けない。

どうすんのこれ。

2018-10-28

安田さんの自己責任論に対する太田光発言面白かった

 短い時間で話すのは難しいと思うんですけど。安田さんと、こういう(自己責任論で批判する)人たちがすごく対立しているように見えるけど、実は根っこが一緒だなと僕は思うんですよね。日本人って「人様に迷惑をかけちゃいけません」とか思っている訳ですよ。

 それが日本人の良さでもあるから全面的にそれは否定できないけど、「人様」の先に「世間様」があって、その先に「国に迷惑をかけちゃいけない」っていう意識がある、それはたぶん安田さんの中にもあって、この批判の中にもあって。

 そうするとね、例えば高須さん(高須院長)たちが「生き恥だ」なんつって、生きて帰ってくるのは恥だって言う。まさに戦陣訓で「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」、捕虜になるくらいだったらいっそ死ね、って教えがあった。で、これは軍部が全部やったって言うけど俺はそうは思わなくて、日本人の中にみんなあったからすんなり受け入れた部分もあって。で、これは「美しい」から厄介なんです。

 「美しい」んだけど、これじゃあ戦争に勝てないんですよ。アメリカは「捕虜になったら生き続けろ」っつったんですよね、国際法捕虜大事に扱わないといけないから。生かしとかないといけないから。内部から日本軍食事やなんかを食べて弱体化させる意味もあって。これは何も「いのちを大切に」じゃなくて、もっと打算的に、戦略的に考えていたんですよアメリカは。日本人はそこに美学があって、勝ち負けよりも精神論が優先しちゃうんですよ、どうしても。今回こうなったのには、そういう日本じゃいられなくなってきたという時代の背景もあって、国際標準みたいなことを言いだしてきたわけですよね。

 安田さんのほうも言ってるわけです。日本人が、他の外国記者たちが紛争地域に行ってるじゃない、と。日本人自分の目で見て伝えるべきだと。

 で、政府のほうも、それこそ安倍さんPKO自衛隊海外派遣する。紛争地域じゃないって言ってるけど、いまテロリズム時代安全じゃない地帯なんて無いですよね。僕も昔石破さんとよく言い合ったけど、アメリカ人の若者だけに血を流させていいのか?っていう理屈なんですよ。日本人もやっぱりそこに参加しなきゃダメだろうという。

 これは実は安田さんが行く理屈と、政府自衛隊派遣する理屈と、共通点があってね、どちらも日本人が国際化するためにやろうとしていること。だからこそ安田さんや、安倍さんのやっている海外派遣、我々も含めてですけど、全否定しちゃダメなんだと思うのよね。何か考えないといけない、日本人に落とし込める部分を。

 逆に言うと、安倍さんはこれを国際貢献だと言っている、国益だと言っている訳ですよね、自衛隊尊敬されてますと。だとしたらこれは「両輪」だから自衛隊が行くなら報道も行かなきゃダメだと思うんです。そうすると安田さんの持ってきた情報も、これは国益だということになると俺は思う。

 だけど、お互いがその精神論の中で対立ちゃう日本人はずーっとそういうことを、右だ、左だ、でやってきた。本当は同じ美意識を持っているのに。安田さんは暗号で「自分のことはほったらかしにしてくれ」と言った。なんでそんなこと言うのだと。つまりそれは「生き恥」を晒したくないっていう、政府になんか厄介になりたくないっていうのは、実は帰ってきて「お前は生き恥だ」って言ってる人と同じ価値観なんですよ。

 だから精神論実益を超えちゃうんですよ。いっつも日本って。戦後ずーっとそれで対立してきてるから

 そんなのは捨てて、安田さんは情報政府提供すればいいと思うし、政府安田さんを貴重な情報源として迎え入れればいい。ここが手を結ばない限り戦後日本の今までの木阿弥、元の木阿弥通りになっちゃうから。これを超越できるかどうかがいま日本で一番国の在り方の核心になってるんじゃないかと思いますもっと両者が打算的になっていいと思うんだ。

2018-10-14

きらいになったひと。

「これからストーカーの拗らせアンチとして応援したいと思います


ある日私にフォロワーさんが言い放った言葉だ。

この主語には私が入る。つまり私のストーカーの拗らせアンチということだ。

私はこのツイートを見た時唖然言葉が出ず、しばらく反応すればいいのか悩んだ。私にリプライしたわけではなかったけれど、間違いなく私関連の、わたしへの、切っ先を向けた言葉だった。どういういきさつでこの発言をしたのか、もう覚えていないし思い出したいとも思わない。というか思い出したくない。ただ、この言葉のお陰で私はこの人が大嫌いになった。憎くなった。怖くなった。もう二度とツイートを見たいとは思えなくなった。会話すらしたく無いと思った。

そしてこの言葉が私の心の深く沈んだ所に刺さり、ふとしたときにちくちくと私を悩ませるのだ。だからここに書く。今日唐突にやってきた、この行き場のない痛みを痛いと言うために。

私はしがない絵を描くことが趣味の、ただそこらへんにいる、あるジャンルにいる、あるキャラファンだ。そして所謂マイナーと呼ばれ界隈が狭く何かしらの投稿サイトも大して更新が行われることのない界隈に住んでいるファンであり、あるキャラを猛烈に好きなあまり、にそれしか描かないそればかりな本ばかりをつくる(自分であまり言いたくはないが)そのキャラに関してはこの人だと思われても仕方がない、ファンである

そんな小さな界隈にもう5年長も生きていれば、大体投稿する人も「何だか知っている」ひとになるのだが、その「何だか知っている」ひとがその言葉を言い放った人だった。

現在時点でだと正しくは「何だか知って”いた”」人なのだが、それは私よりずっと前にそのジャンル活動をされており且つその方を認知しており、しかしながら交流も無ければ交流をしたいとも思っていなかったため「何だか知っている」という表現となってしまった。

この人とどう交流が始まったかといったことはもう覚えていないが、交流していくうちになんだか歯車が合わないなぁと思ったことがあることは覚えている。

いや、正直に言おう。好きじゃなかった。

私は、この方が私に親しみを持ってくるのは別にどうでも良かった。感想を言ってこられたのも別にありがたかったし、もっと言えば小規模である界隈に活動をしているだれかが居るのは少し安心感があった。

でもどうしても好きにはなれなかった。それはその文章からにじみ出る性格だった。

Twitterは、投稿サイトでは分からない膨大な文章がその人を形作る。私はそのぽつぽつと呟かれる文章にいつも合わなさを感じていた。文章の書き方もだったし、記号の書き込まれ方や絵文字話し言葉だけで構成されたひっちゃかめっちゃかな読みづらい言葉たちも好きではなかった。書かれる言葉に納得できないこともあった。何かの発言で私への返信が来た時に、少し行き過ぎた指摘に首を傾げることもあった。でもそれは好きじゃないだけで、別に今の様にはっきりと「嫌いだ」と言えるような不快感は無かった。

冒頭の一文に戻ろう。

この文でとうとう「好きではない」から「大嫌い」になったわけだが、この文から後の自分感情はよく覚えていて、わけがからなくなったあととても気分が落ち込んでしまったのだ。嫌いなの?好きなの?なんでアンチ?追いかけるの?応援してくれてるの?様々な感情が私の中をぐるぐると渦巻いて吐きそうになった。そしてその方は続けざまに「本人はどう困るとか、もういっそ自分の考えに振り切って、アンチから嫌がらせもするしストーカーからいかます」と言い放ったのだ。

私はどういうことかもっとからず、何故こんな本人が見ると分かるであろうときにわざわざこの文章を書いたのか必死に考えたし全然今も分からない。振り向いてほしいのか、嫉妬心を燃やしているのか。そういえば私の作品が魅力的だとよく言っていたな、だなんて脳裏を過ったがそんなものはかき消える。

ただ、私はその人に初めて今迄持っていなかった「不快感」と「嫌悪感」を覚えた。それだけであった。

呆然と反応もしないうちにどうなったかといえば、先に私の別のフォロワーさんが食って掛かったため、戸惑いながらも対応するうちに発した本人から私へ謝罪DMが送られてくるという、さながら焼け石に水といったところである。そのDMの内容というのも今思えば滑稽なのだが、長々と言うのも面倒なので要約すると「自分がほれ込みすぎてアンチになったのだが気を悪くしたのであれば謝りたい」とのことだった。

じゃあ何故言ったんだよ!いくら呟きだからといっても訂正がきかない独り言だってあるんだよ!!

本当はもう大嫌いになったので金輪際関わらないで下さいといっても良かった。DMで言ってくるのも癪に障った。ツイート発言したのなら同じツイートで見て不快になった可能性のある方全員に謝ってほしかった。でも私はそこをぐっとこらえて、波風を立てないように優しく、気を付けてほしいと諫めた。

今思えばあのときすっぱりとブロックでもすれば良かったのかもしれないと思う。

私は優柔不断で、もしかしたら明日起きたら嫌いになってないかもしれない、忘れてまた楽しくおしゃべりできるかもしれない、そんな文章だけで人を判断して嫌いになるなんて、ただの呟きひとつでと自分に言い聞かせていた。ブロックでまたもめるのもめんどくさいとも考えた。いまもそうである。おかげでミュートにしてそっと距離を置く程度しかできない。

刺さった言葉はあれからずっと、ふとした瞬間に心を痛ませる存在となり自分作品に自信が持てないときや意欲がわかないときやつらいとき言葉を過らせる。そしてその人のことを無理にでも思い出される。あの不快感嫌悪感と共に、思い出したくない感情と共に。それがまた苦しくなり、もっと嫌になる。負の連鎖が続く。

そういう訳できらいになった。

あなたのことが、あの人のことが、大嫌いになった。

関係を戻りたいと言われたあの楽観さやすべてに苛立ち、大嫌いになった。

わたしはずるいので、直接は言いません。あなたが遠まわしに私を困らせ、苦しませたので同じようにずっと遠まわしに言いましょう。

そうして同じようにDMにて謝罪しましょう。とびっきりの長文で、あなたを好まなかった文章の形も言いましょう。


そうしたら、この苦しい感情や嫌な感情とお別れできるのだろうか。

その方の手から生み出された私の大好きなキャラ作品を愛することができるようになるのだろうか。

2018-10-11

anond:20181011113132

そら方言はたいてい話し言葉やろうけど、別に方言で書けないわけやないやろ?

anond:20181011113011

三重県出身だけどイラッとしたわ。このわざとらしい三重弁。

三重弁は話し言葉であって書き言葉じゃねーよっていいたい。

2018-09-15

anond:20180915211627

“文才がある”っていうのは“喋りが上手い”の言い換えに過ぎない

書いてあることの意味がわからない。言文一致のあたりから、よりわからない。

たぶんあなた言文一致が何なのかを理解していない。

話し言葉書き言葉が分離していくとは何だろうか。

最後まで読むと、話し相手いるかいないか、が分離をうながす要因、と読める気もする(忖度)ので、

そうであればなかなか興味深い指摘である

文章を書くことは、大まかにつの行程に分けられる。

1、どのようにして書く材料を見つけるか。

2、頭の中にストックした材料いかにうまく言語化するか、いかうまいタイミング言語化構成)するのか。

書き言葉は1→2だが、

話し相手がいる場合は、1→2であったり2→1だったり、1→1→2だったり流動的であると言うのならば、

わりと話し言葉書き言葉の違いについて面白いことを言ってると思うが、

……全部わたし忖度じゃないか……!

“文才”の正体

「この人は文才がある」は「私はこの人の言っている事が良く分かる」の究極の言い換えに過ぎない。だから評価されたいのなら)大多数の大衆理解できないような難解な文章を書いても意味が無いのだ。少し具体的に言うと、文才文才持て囃される増田は全て「難しい言葉が一つも使われていない」っていう共通点があったりする。これは俺が見てきた限り100%そうだった。そりゃそうでしょ、最初に出した大前提の為には「言葉意味が分からない」なんて一番ダメからね。

あともう一つ。「文才がある」と言われる人は大抵「喋りが上手い」ってこと。例は古いけど松本人志とか永井先生とかがそうだった。だから“文才がある”っていうのは“喋りが上手い”の言い換えに過ぎないのでは?とも思っている。話し言葉書き言葉は分離していく性質があり(だから言文一致運動なんてもの必要になる)、「文才がある」だなんてその書き言葉の技巧を褒めているように見せかけて、実は話し言葉としての技巧の方しか褒めてない…というのは面白いな、なんて思う。

まあ、喋りが上手い(口頭での説明が上手い)奴って大抵、相手の頭の中に今どんな絵ができてるか正確に把握できてて、次に自分がこの一言を発するとその形がこう変わる…、というのを理解する想像力に長けているので、その能力の有無こそが問題なのかも知れないが。

2018-09-12

最近マンガセリフで「そういう」を「そうゆう」って書いてるのをよく見る

話し言葉からあえてそうしてると好意的解釈をしたいけどやっぱどうしても違和感あるからなおしてほしいわ・・・

よつばとのよつばは「こんにちわ!」で、他のキャラちゃんと「こんにちは」って書き分けされてるとかならまだしもさあ

2018-09-06

anond:20180906090140

君の膵臓を~の原作テキストが無いので(電書は今日買った)盾の勇者比較になってしまうけれども、そこはゴメン。

例えばこのセリフ

「こっちの意思をどれだけ汲み取ってくれるんだ? 話に寄っちゃ俺達が世界の敵に

回るかもしれないか覚悟して置けよ」

「こっちの意志」ってのが話し言葉としては変。

なんでかっていうと、発音が「こっちのいし」であり、異世界にコッチ・ノイシという人がいたらその人を指す固有名詞かと勘違いしてしまうし、「いし」はEC(エレクトロコマース。電子商取引の略)なのか「医師」なのか「石」なのかがはっきりしない。

実際にこのセリフを音で受け取ったときに「え、いしって何のこと?」と聞き返される可能性はかなり高いだろう。

これが地の文にあるならおかしくは無いが、リアルコミュニケーションでいきなり相手意味確認が取れてないワードを使い出したら<あっ、これはダメなやつだ>って思うだろ。

こういうディスコミ気味なセリフがなろうの持ち味だってのは理解しないでもないけど、

流石に「こういう語で話す集団がいる」は想定としてはキツいよ。こじらせた陰キャじゃんか。

anond:20180906000426

いいや。ハルヒ読み直してみな。キャラセリフで不自然話し言葉としておかしいような語句選択はされてないから。

(かわりにキョン脳内ボイスが春樹っぽくてウザいのではあるが)

2018-09-05

anond:20180905234710

盾の勇者原作読んでないけど漫画は読んだ。痛い描写はそこそこあるけどセリフ周りなどには特にそこそこおかしい点はない。

小説→他のメディアになる際にそこらへん調整されるんだってんなら、それは「君の膵臓を〜」もそうであるべき。

第一ドラマもやってるんだろ? ドラマキャスト上野樹里x松田龍平ならともかくそうじゃないなら明らかにあい台詞回しはアスペトークやぞ。

追記:今まさになろうの方で読んできた。完全に「痛い」のはこういうセリフ

「人の同意なしでいきなり呼んだ事に対する罪悪感をお前らは持ってんのか?」

 剣を持った男、パッと見だと高校生くらいの奴がローブを着た男に剣を向ける。

「仮に、世界平和になったらっポイっと元の世界に戻されてはタダ働きですしね」

 弓を持った奴も同意してローブの男達を睨みつける。

「こっちの意思をどれだけ汲み取ってくれるんだ? 話に寄っちゃ俺達が世界の敵に回るかもしれないか覚悟して置けよ」

 これは、アレだ。自分達の立場確認と後の報酬に対する権利の主張だ。

 どれだけたくましいんだコイツ等は、なんか負けた気がしてくる。

「ま、まずは王様と謁見して頂きたい。報奨の相談はその場でお願いします」

全般的セリフ部分の語彙が地の文と同じになっていて、「話し言葉」としてはありえない(痛い)セリフになっている。

単純に語句選択が下手なんだな。

ただ、こういうセリフは通常アニメ化などの際は調整ないし削られる。そりゃ変だから

漫画なんかもセリフを厳選しなきゃいけない中で、こういうのは徹底して削って行っているはず。

ところが、アニメ映画版「君の膵臓を〜」はこういう荒削りセリフリライトなしに突っ込んできてるからな。

違和感バリバリないわーって思うよ。こういうところでなろう感出さんでええ思うねん。

2018-08-05

今でも役人っていう?

うちは父が公務員で母が訪問看護師をしている。

少し前の話。母がある高齢者男性の家に訪問看護に行った時、その男性に「あなたの夫はなんの仕事をしているんだ」と聞かれたらしい。

公務員です」と母が答えるとその男性に「役人か!役人の妻がこんな仕事をしているのか!」と言われたという。

この方はまだ役人が偉かった時代に生きているのかな…

役人って話し言葉としては聞かないのでなんだか印象に残った。

2018-07-18

anond:20180717214249

トラバで「~かしら」がそもそも昔の言葉っていう主張もあるし、

もともと男女関係ないって主張もあるけど、

どっちも正しいんだけどさ、明治女学生の間で「~かしらん」が流行って、そこから女性語なわけだから、いまネイティブ男性で「~かしらん」という人は少なくて、むしろ文学作品等の逆輸入なわけです。

明治女学生にならうか、それ以前に倣うかは、個人の趣向の話だからなんとも言えない。

「~かしらん」が現代でも使われる事例はあるので、生きた言葉だよね。

もともと「~か知らぬ」が語源なので、公では男性がよく使う言葉でした。明治女学生ではやったというのは男女平等概念からでしょう。

まり日本話し言葉尊敬趣味趣向の現れなので、それを受け入れていけばいいのだ。

言語は生きているから。

2018-06-21

anond:20180621220003

話し言葉って言ったって、結局山の手言葉じゃんね

方言であって国語ではないよ

anond:20180621215825

言文一致運動が起こったってことは話し言葉日本語だったわけじゃん?

まあ言葉尻いじってるだけで意見自体には賛成なんでこのへんで

2018-05-26

anond:20180526144236

あんまり本とか読まない人なんだろうね

話し言葉をそのまま書いてるような感じ

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