はてなキーワード: 続柄とは
顔と名前も続柄も一致してない親戚に「何で子供作らんの?」と聞かれた時、「お金ないんですよねー!」って答えたんだけど、
隣りにいた実親に「この子のお金ないはウソウソ、共働きで稼いだお金ぜーんぶ旅行に使っちゃう旅行オタクなのよ!子育てに回す金がないだけ!」って突っ込まれて、
子育てには1円も金を使いたくない。
そんな金があったら自分が遊ぶ金に回したいだけなんや。すまんな。じゃあ週末はまた飛行機乗ってでかけてくるわ。
これ言ったら親否定することになって可哀想すぎるから言わんけど。
ま、一人っ子だし孫いなくてもしゃーないよね。どーしても孫欲しかったなら二人は生まなきゃ。
言うて、私が先天的に病気もあったからふたりめなんてむりだったのはわかるんだけどさ。
子ガチャ失敗した末路が私の親なんだろうな。
ニートのすねかじりとか犯罪者よりはマシだけど、別に親にプラスは与えてないし、与える気もない子を引いてしまった親。うーん、子ガチャ失敗。
うちは事実婚にしました。住民票の続柄に未届配偶者記載をしてます。
双方の兄弟姉妹構成やら結婚=夫姓への疑問やらもあり、夫婦別姓で籍入れるのが第一希望でしたが何年様子見ても法律変わらんし、妻(私)姓結婚か事実婚かで考えてました。(夫姓結婚を"当然"とする対する風潮に対する疑問で、望んで夫姓で結婚する夫婦を非難する意図は全く無いです)
妻側両親:二人の考えを尊重する
夫側両親:息子の姓が変わるのは他人になるようで嫌だ、普通に結婚して(籍入れて)嫁に来て欲しい
という増田氏と似た状況でしたが、もともと別姓希望だったし夫側両親に「息子をとられた」と思わせてまで籍入れたくなかったので事実婚にしました。生きてるうちに選択的夫婦別姓が導入されたらいいなと思いながら生活してます。夫両親は当初こそ納得は出来ないというスタンスでしたが、現在は籍入れて夫姓になって云々は一切言わずに接して下さってます。結婚5年ちょいで時間がどうにかしてくれた部分はあると思います。本音は勿論分かりませんが。
この手の話だと夫側両親が反対するパターンが多い気がしますが、上の世代だと女の子の親はオギャーと産まれた瞬間から嫁に出す覚悟で20年30年育ててるわけで、現状受け止め方に差が出るのも仕方ないとは思います。
ただこの環境をそのまま次世代に引き継がないよう「女が改姓しない結婚」も結婚の形だという事例を積み重ねる為にも、周囲に色々言われても今自分達が頑張らねばなーとは思ってます。
もちろん事実婚も手放しでお勧めはできないです。夫婦二人で健康なんで今は特に困ってませんが、子供産まれても親権片方しか持てないし大病しても手術の同意書にサイン出来るかわからんし法定相続人になれないし重課金して公正証書遺言やら後見人やら手続きしとかないと後々絶対困るわけで。
これ、高齢者の代理の家族が嘘ついて登録した場合、大丈夫なの?「思想」「犯罪歴」とかさ…
1氏名、2生年月日、3年齢、4性別、5住所、6出生地、7本籍、8国籍、9続柄、10親族関係、11婚姻歴・離婚歴、12後見・保佐・補助、13養子縁組、14電話番号、15メールアドレス、16思想、17信条、18主義・主張、19世界観、20人生観、21支持政党、22政治活動経歴、23宗教、24宗派、25信仰、26学歴、27職業・職歴、28犯罪歴、29資格・免許、30指導記録、31健康状態、32容姿・体型、33心身障がいの程度、34傷病歴、35傷病の所見、36治療内容、37検査内容、38家族構成、39扶養関係、40居住状況、41暮らし向き、42公的扶助、43保険・年金・手当、44趣味、45嗜好、46不動産・動産の種類、47債権・債務、48貯金額、49口座番号、50収入・所得、51課税額、52納税額、53滞納額、54相談・苦情・要望
8時始業で、目が覚めたら7時42分だった。
間に合わないと分かっているが、とりあえず家を出て、駅まで走る。
その間に言い訳を考える。
体調不良?無理だ。連絡が遅すぎる。
素直に寝坊というか?それも無理だ。なぜなら少し前に寝坊で遅刻したばかりだから。
その時は目が覚めたのがもう少し早かったから、素直に寝坊だと言った。
ひとり暮らしなので起こしてくれる人はいない。全く起きられなかった。
走り出して5分して、もう忌引きしかないと思って込んでしまった。最悪である。
始業まであと5分。よく調べもせずその場で上司に電話した。叔父が事故で死んだことにした。
上司は優しく「今日はもういいから帰れ」と言って俺を慮ってくれた。
忌引きの手続きに必要なことを教えてほしいと言うメールだった。
考えずとも当たり前と言えば当たり前なのだが、本当に焦って手が震えた。
そこまで頭が回っていないなかった。
ごまかせないと思った。かと言って今更嘘をついたとも言えない。
叔父の住んでいる地域の近くの葬儀場の名前を書こうと思ったが、そもそも葬儀にどの程度時間がかかるのかわからない。
葬儀の日程は、火葬場の空きによって左右される。今だと最短で3日後だと言われた。
人事部から送られてきたテンプレートにそれらを記入して返信したが、まさか葬儀場に連絡するということはないよな……とヒヤヒヤしている。もし香典やら弔電やらのために確認を取られたらバレる。
末端社員の叔父の不幸事に会社が弔電を送るとは思えないが、香典としての手当は福利厚生にあったような気がする。
「家族葬です」とメールに追記して、やんわりと香典はいらないと伝わればいいと思いながら返信した。
少しして、続柄が叔父だと忌引きになるのは1日だから、はみ出た2日は有給扱いになると連絡がきた。
正直全部有給にしてほしいところが、そんなことを言えば不審がられるので「わかりました」とだけ返し、それとなく必要な書類がないかを聞いた。
調べていたら、忌引き手続きに会葬礼状が必要な場合もあると出てきたからだ。
もし会葬礼状か、死亡診断書などが必要だと言われたら本当に終わりだ。
8時始業で、目が覚めたら7時42分だった。
間に合わないと分かっているが、とりあえず家を出て、駅まで走る。
その間に言い訳を考える。
体調不良?無理だ。連絡が遅すぎる。
素直に寝坊というか?それも無理だ。なぜなら少し前に寝坊で遅刻したばかりだから。
その時は目が覚めたのがもう少し早かったから、素直に寝坊だと言った。
ひとり暮らしなので起こしてくれる人はいない。全く起きられなかった。
走り出して5分して、もう忌引きしかないと思って込んでしまった。最悪である。
始業まであと5分。よく調べもせずその場で上司に電話した。叔父が事故で死んだことにした。
上司は優しく「今日はもういいから帰れ」と言って俺を慮ってくれた。
忌引きの手続きに必要なことを教えてほしいと言うメールだった。
考えずとも当たり前と言えば当たり前なのだが、本当に焦って手が震えた。
そこまで頭が回っていないなかった。
ごまかせないと思った。かと言って今更嘘をついたとも言えない。
叔父の住んでいる地域の近くの葬儀場の名前を書こうと思ったが、そもそも葬儀にどの程度時間がかかるのかわからない。
葬儀の日程は、火葬場の空きによって左右される。今だと最短で3日後だと言われた。
人事部から送られてきたテンプレートにそれらを記入して返信したが、まさか葬儀場に連絡するということはないよな……とヒヤヒヤしている。もし香典やら弔電やらのために確認を取られたらバレる。
末端社員の叔父の不幸事に会社が弔電を送るとは思えないが、香典としての手当は福利厚生にあったような気がする。
「家族葬です」とメールに追記して、やんわりと香典はいらないと伝わればいいと思いながら返信した。
少しして、続柄が叔父だと忌引きになるのは1日だから、はみ出た2日は有給扱いになると連絡がきた。
正直全部有給にしてほしいところが、そんなことを言えば不審がられるので「わかりました」とだけ返し、それとなく必要な書類がないかを聞いた。
調べていたら、忌引き手続きに会葬礼状が必要な場合もあると出てきたからだ。
もし会葬礼状か、死亡診断書などが必要だと言われたら本当に終わりだ。
・死因をまとめた書類を提出
裁判員制度と同じように国民からランダムで選ばれ、死亡者の蘇生について客観的に審査をしてもらい、
④蘇生にあたって
蘇生を行う前に、家族や親族に蘇生方法の説明、必要書類への記入してもらう。
また蘇生後の死亡者に対するケアの方法や、死亡者が学生の場合学校、社会人の場合は会社の代表者にも説明を受けてもらい、
⑤蘇生
※1病気で死亡した場合や、反社会的勢力は蘇生対象外。基本的に殺人、交通事故等自分の意志とは無関係に死亡した人が対象
※2無差別に死者を蘇生できるようになってしまうと、快楽殺人が増える可能性がある為。また、蘇生前提の快楽殺人は通常の殺人より罪が重く、
年齢関係なく死刑が宣告される。ただし快楽殺人の被害者は無条件で蘇生される
※3蘇生には多額の税金が投入される。また蘇生の受理、不受理によって生じる不平不満からケースによっては蘇生者が差別を受けることも。
また極左は陰謀論、極右は選民思想を盾にしてSNSで毎日議論を繰り広げている
※4蘇生者が目覚めた時、担当者がかける言葉。「おめでとうございます」と発言し炎上した経緯があり、「おかえりなさい」で統一された
申請から実際蘇生されるまで1年かかりそう。それによって生まれる時間差が同級生や、同僚、友人、恋人との溝を深めることもある。
という妄想。
私が30歳の時に両親が離婚した。
その10年後、夫の後妻から連絡がきた。脳出血で倒れ、高次脳機能障害と静脈瘤を患い、あなたに会いたいと言っているから来てくれないか。
両親は長いこと仲が悪かった。あとから振り返れば「仲が悪かった」の一言で済むが、私が10歳の時から30歳になるまで、子供の前ではまともに口をきいていなかった。年金や借家の更新手続きなどはすべて娘を介してやりとりが行われた。娘の立場としては別れて当然だと思っていたが、よくある「妻が働くことをよしとしない夫」と「専業主婦を望まれて家庭に入り、まともに職歴のない妻」の組み合わせが崩壊すると、子供を養ってはいけなかったのだろう。
そして父には恋人がいた。愛人と称するべきなのだろうが、どうもなじまないので恋人とさせていただく。母によれば、口を利かなくなる前に、離婚歴があり一人で子供を養っていて立派だと、よく話していたそうだ。となると私が10歳の頃くらいには関係があったのだろう。私の前ではその人の話はしなかったから。
私が大学に入ると、恋人の子供の家庭教師というアルバイトの口があてがわれた。子供は親同士の関係を知ってか知らずか、どの教科を教えても手応えはなく、頭がいいのか悪いのかもわからなかった。家庭教師として恋人の自宅にお邪魔すると、その両親が出迎えてくれる。おやつと飲み物と軽い雑談、成立しない家庭教師役、私はうっすらと事情を察した。恋人の両親はよく父を褒めていた。頭が良くて、気が回って、本当に立派な人だ。どこの世界の人だろう、と思った。家では無口で、たまに自分を連れてファミリーレストランに行って。もっと小さい頃の思い出はたくさんあるが、10歳以降の思い出は数えるほどしかない。思えば自宅で風呂に入らないのが不思議だった。そうか、この家で風呂に入っているのか、と考えた。もちろんラブホテルの時もあっただろう。私は当時、まるで子供だった。母はアルバイトに対していい顔をしなかったし、その家で食事を勧められることをいやがっていた。今考えれば当然だと思うが、私は両親の中が悪いことは知ってはいても、両親の心境にはとんと疎かった。考えるのをシャットアウトしていたのではないかと今なら思えるが、何を考えているのかわからなかった、不可解だったというのが正直なところだ。
大人同士の機微を読むのが面倒になって、勉強が忙しいからという理由でアルバイトを辞めた。
就職し、家にお金を入れ始めるようになった頃、父親が月に1回手渡してくる生活費の額ががくんと減った。バブル期でも不景気な時でもあまり額の変動はないようだったが、バブル期にはかなり儲かっていたらしく、自分の親戚にみかんを送る箱の数を間違えて発注し、4箱のはずが14箱届いたという電話を受けたことがある。父は子供に話すわけにもいかず、ましてや母に話せるわけもなく、一人でぷりぷり怒っていた。かなり面白かった。そんな状態だったから、額が増えても減っても母と私にはどうすることもできなかった。生活費がない月もあった。その頃から、父は何を思ったか、子供がいない時に外から家によく電話をかけていたという。私は母の証言しか聞いていないが、母に働けと言ったり、お前が浮気をしているのは知っているんだと怒鳴ったり、大変そうではあった。母は事態をかいつまんで話してはくれたが、父は何も言わなかった。ますます、何を考えているかわからない両親だなとしか思えなかった。母が浮気をしていたかどうかは私にはわからないが、一度ぶっちゃけどうなの、と聞いた時には、本当に父親一人しか知らない、他の人に好意を抱いたことはあったが子供が生まれる前だった、と言っていた。真偽はどうでもよかった。なぜか父の恋人が家を訪ねてきて「あなたも働いたらどうですか」と母に説教してきたそうだ。私から見れば、母の化粧や外出、外で働くことの検討を嫌がっていたのは父の方だった。私にとってはすべてが藪の中だった。ただ、このままの両親が年を重ねていくのなら、私がずっと生活の面倒を見るんだろうという覚悟だけがあった。
私が30歳になる頃、父母の電話での言い争いは激しくなったそうだ。どこまでも伝聞だ。母は不毛な言い争いに疲れ、離婚届を準備していた。証人欄ふたつのうちひとつには私がサインした。特に感想はなかったが、これで父が恋人と再婚すれば、将来の面倒を見るのは母一人でいいのか、助かった、と思った。
父は離婚届にサインして、いくつかのアルバムだけ持って家を去った。私への連絡はなかった。携帯の電話版号も、メールアドレスも知っていたのに、特に娘に伝えたいことはなかったのかと、不思議だった。不思議ではあったが、謎の両親の電話――本当にそういうやりとりがあったのか、私は知らない――で二人で決めたのなら、私は意見も文句も言うまい、夫と妻の間の話だ、と思っていた。
それから10年間、父からの連絡はなかった。戸籍謄本から辿れば現住所が分かることは知っていたが、特に話したいことはなかったし、非常時にはいくらなんでも連絡くらい来るだろうとたかをくくっていた。結婚した時も報告しなかった。子供ができていたら連絡しただろうか?幸か不幸か、子供はできなかった。「仲の良い夫婦とその子供」というサンプルを知らない私には子供を持つのは厳しいだろうと思っていたが、ごく自然にできないままだった。
10年経って、父が脳出血で倒れたという連絡をよこしてきたのは、一度だけ親族の葬儀で顔を合わせた父方のいとこと、父の恋人の兄だった。Facebookで探し当て、メッセージを送ってきたそうだが、Facebookのメッセージを受け取る範囲を絞っていたので、気づいたのは倒れてから約半年後だった。死んでいればさすがに親族から母に連絡があってもよさそうなものだったが、そういう話は聞いていなかったので、母には何も言わずにメッセージに返信した。手間をかけてすまない、父の具合はどうか、非常時にはこの電話番号とメールアドレスに連絡をくれ、いざとなったら先方に伝えてもらっても構わない。それくらいの簡単なものだった。
ところが、携帯電話にかけてきたのは父の恋人だった。私は瞬時に、失敗を悟った。留守番電話に残されていた最初のメッセージは「連帯保証人になってくれ」だった。SMSには再婚したこと、病状、娘に会いたいと言っていることなどが断片的に送られてきていた。どう出ればいいか迷い、しばらく自分からコンタクトを取るのは控えておこうと思った。
次の日、会社の始業時間から終業時間まで、というのは単なる偶然だったのだが、1時間おきに着信があった。これを書くのは本当に恥ずかしいが、狼狽した私は電話と留守番電話の通知が恐ろしくなり、不安障害を発症して心療内科に通うようになった。簡単に連絡先を教える自分がばかだったし、想定できたはずだったのだ。1日考えて、父の後妻(結婚したことがわかったのでこう書く)の番号を着信拒否にした。着信拒否にすることで逆上されかねないとも考えたが、このままでは自分の生活が壊れると思った。夫には全部ひとりで決着をつけたいと言った。
次は父の携帯電話から着信と留守番電話があった。さすがに1時間おきではなかった。留守番電話を聞くのに心の準備が必要だった。何を言われるんだろう、何をふっかけられるんだろう、本当に怖かった。父よりも後妻の方が怖かった。留守番電話は2件あり、1件目は「ほら、◯◯ちゃんよ」という後妻の声の後に父が「◯◯◯◯(父のフルネーム)です、こんにちは、どなたですか」と言った後に電話が切れた。2件目は直接父が発言したようで、「◯◯、元気か。会いたいな。子供はいますか、元気ですか。連絡くれるとうれしいです」という、私の主観では「何かを読み上げた」ような内容だった。
2件目を聞いた時に、高次脳機能障害というのはこういうことなのかと腑に落ちた。私のことがわからない父も、私に会いたいという父も両方混じっている。人前でしか出さない、機嫌のよい時の父の声で「どなたですか」と言われたこと。この10年一度も親から子への連絡をしなかった父が、私の10年を何も知らずに「子供はいますか」と無邪気に尋ねること。一瞬気が遠くなった気がした。そして私のことをきちんと認識している父はもういない。いなくて当たり前だ、10年かけて私の中でゆっくり父の不在から父の死へ変化していったのだから。私の中で既に父は死んでいた。正確には「死んでいたということがわかった」。私はもう父の家族に、といっても後妻しかいないけれど、一切関わるまい。そういう決心をしながら、そういえば私が家庭教師をしたあの子供はどうしたんだろう、という思いがちらりとよぎった。
父の番号を着信拒否してから、1年に1回ほど、後妻からメールが届いた。「賢くて頼りになるお父さんのことを思い出します」。頼りになる? あなたにはそうだったんだろう、私にとっては違ったけれど。いとこからもメールがきた。「今度静脈瘤の手術をするので連絡してあげてください。私の母が死んだ時にお世話になったから、恩返しをしたい」。つまり私にとってのおばがこの10年の間に死んでいて、私に連絡がこなかったのだから、親族扱いされていなかったのは私の方では? 誰も彼も何を言っているんだろうと思った。怒りはなく、ただ不可解さだけがあった。両親がなぜか電話で意思疎通(といっても口げんかだったそうだけど、私は聞いていないからよくわからないままだ)していたこと。すべてにおいて排除されていたのは私ではなかったのか。そして父が死にそうな時にだけ連絡が来る。不可解だった。どのメールにも返事をしなかった。
最初のコンタクトがあってから4年後、おそらく戸籍の附票からたどったと思われる封書が後妻から届いた。ざっくり言えばもうそろそろ死にそうだから、面会に来てほしい。相談したいこともあるから連絡してほしい。会っていなかった10年を埋めることもなく、ただ死にそうだという連絡だけが来る、それがなんだかおかしかった。
そのさらに1ヶ月後、今度はいとこから、父が死んだこと、告別式の日時と場所の連絡があった。私は即座に相続放棄の手続きを開始した。お金について計画性があったとは思えないので、相続手続きをしたところでたかが知れている。相続手続きには相続人全員の承諾が要る――つまり後妻と私は何らかのコンタクトを取る必要性があるだろう。弁護士を挟むにしても。私は一切後妻と連絡を取りたくなかった。分かり合える何かがあるとも思えなかった。年を取ってからの再婚なんだからそういうこともあるだろうに、なぜ死んだからといって関係性が生まれるのか。丁寧に必要な書類を集めて回り、家庭裁判所の相談員の人と会話をして、「よくご存じですね」と言われた。そのことだけが、この一連の騒動の中で、本当に感情を動かされた。つまり、うれしかった。誰も彼もが私を都合良く(といってもきっと善意なんだろうけど。地獄への道は善意で舗装されているのだった)使おうとする中で、事務手続きを挟んだ人だけが、私のことを褒めてくれた。
父の名に大きく×がつけられた、後妻の名前も入っている住民票を見て考える。父にとって私はなんだったのか。かわいがってもらった記憶も、愛情をかけてもらった記憶もあるにはあるけど、空白の10年間、私が気を遣って父にコンタクトを取るべきだったのだろうか。いやそんなことはないはずだ。父は父の意思で私を家族から外したのだと思いたい。私が一連の話の中で一番ショックだったのは、面識があったはずのおばの葬式に呼ばれなかったことだったのだから。
父と母と私の欄に「除籍」と書かれ、後妻の名前が連なっている戸籍謄本を見て考える。一番コンタクトを取りたくない相手の名前が、同じ書類の中におさまっている。後妻の生まれた日も、両親の名前も、続柄も、再婚した日も書かれている。そういえば再婚したという報告すら父からはこなかった、それは当たり前だろうと思う。別の誰かとの再婚ならともかく、母との婚姻の継続中に家族の中に割って入った人。割って入ったことすら気づくのが遅れた人。
家庭裁判所から送られてきた「相続放棄申述受理通知書」と「相続放棄申述受理証明書」だけが、私にとっての宝物だ。家庭裁判所の人はやさしかった。見知らぬ私のために、書類についてあれこれ教えてくれて、印紙が売られている一番近いコンビニエンスストアまで紹介してくれた。人のやさしさってあるんだなと思えた。
長くなりました。読んでくださってありがとうございます。
最近立て続けに社員の親とか祖父母つまり高齢者がバタバタ死んでる
昔の弔事連絡書には死因を書かせる欄があったけど今はそんなのないから分からない
急に暑くなったからなのか緊急事態解除で市中感染の煽りを食ってしまったのか
あと喪主の欄「逝去者との続柄」って書いてるのに理解できてない奴多すぎ
【祖父が亡くなって祖母が喪主】なのに【逝去者との続柄:祖母】とか
90近い爺ちゃんの祖母が喪主とかすげえな120歳くらいで喪主できるくらい健在なのかよバラエティ番組で取材してもらえよ
それから手続き上は会社からの弔電とか花とか全部不要にしてもらえると助かる
名前出したからって威張れるような会社じゃないし何より手配がめんどくさい
頭のおかしい社員だと親族が足りないから総務が通夜の受付やってくれとか誰か参列しろとか言ってくる
知らねえよお前がやれ