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2024-09-30

四  三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いていると、遠方に聞こえる。わるくすると肝要な事を書き落とす。はなはだしい時はひとの耳を損料で借りているような気がする。三四郎はばかばかしくてたまらない。仕方なしに、与次郎に向かって、どうも近ごろは講義おもしろくないと言い出した。与次郎の答はいつも同じことであった。 「講義おもしろいわけがない。君はいなか者だから、いまに偉い事になると思って、今日までしんぼうして聞いていたんだろう。愚の至りだ。彼らの講義は開闢以来こんなものだ。いまさら失望したってしかたがないや」 「そういうわけでもないが……」三四郎は弁解する。与次郎のへらへら調と、三四郎の重苦しい口のききようが、不釣合ではなはだおかしい。  こういう問答を二、三度繰り返しているうちに、いつのまにか半月ばかりたった。三四郎の耳は漸々借りものでないようになってきた。すると今度は与次郎のほうから三四郎に向かって、 「どうも妙な顔だな。いかにも生活に疲れているような顔だ。世紀末の顔だ」と批評し出した。三四郎は、この批評に対しても依然として、 「そういうわけでもないが……」を繰り返していた。三四郎世紀末などという言葉を聞いてうれしがるほどに、まだ人工的の空気に触れていなかった。またこれを興味ある玩具として使用しうるほどに、ある社会消息に通じていなかった。ただ生活に疲れているという句が少し気にいった。なるほど疲れだしたようでもある。三四郎下痢のためばかりとは思わなかった。けれども大いに疲れた顔を標榜するほど、人生観ハイカラでもなかった。それでこの会話はそれぎり発展しずに済んだ。  そのうち秋は高くなる。食欲は進む。二十三青年がとうてい人生に疲れていることができない時節が来た。三四郎はよく出る。大学の池の周囲もだいぶん回ってみたが、べつだんの変もない。病院の前も何べんとなく往復したが普通人間に会うばかりである。また理科大学の穴倉へ行って野々宮君に聞いてみたら、妹はもう病院を出たと言う。玄関で会った女の事を話そうと思ったが、先方が忙しそうなので、つい遠慮してやめてしまった。今度大久保へ行ってゆっくり話せば、名前も素姓もたいていはわかることだから、せかずに引き取った。そうして、ふわふわして方々歩いている。田端だの、道灌山だの、染井墓地だの、巣鴨監獄だの、護国寺だの、――三四郎新井の薬師までも行った。新井の薬師の帰りに、大久保へ出て野々宮君の家へ回ろうと思ったら、落合火葬場の辺で道を間違えて、高田へ出たので、目白から汽車へ乗って帰った。汽車の中でみやげに買った栗を一人でさんざん食った。その余りはあくる日与次郎が来て、みんな平らげた。  三四郎ふわふわすればするほど愉快になってきた。初めのうちはあまり講義に念を入れ過ぎたので、耳が遠くなって筆記に困ったが、近ごろはたいていに聞いているからなんともない。講義中にいろいろな事を考える。少しぐらい落としても惜しい気も起こらない。よく観察してみると与次郎はじめみんな同じことである三四郎はこれくらいでいいものだろうと思い出した。  三四郎がいろいろ考えるうちに、時々例のリボンが出てくる。そうすると気がかりになる。はなはだ不愉快になる。すぐ大久保へ出かけてみたくなる。しか想像連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくするとまぎれてしまう。だからだいたいはのんである。それで夢を見ている。大久保へはなかなか行かない。  ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空いなかのように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。そのうえ、野へ出れば申し分はない。気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。それでいてから総体しまってくる。だらしのない春ののどかさとは違う。三四郎は左右の生垣をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。  坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟さえ見えた。今はただ声だけ聞こえる、どんちゃんどんちゃん遠くからはやしている。そのはやしの音が、下の方から次第に浮き上がってきて、澄み切った秋の空気の中へ広がり尽くすと、ついにはきわめて稀薄な波になる。そのまた余波が三四郎の鼓膜のそばまで来てしぜんにとまる。騒がしいというよりはかえっていい心持ちである。  時に突然左の横町から二人あらわれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と言う。  与次郎の声はきょうにかぎって、几帳面である。その代り連がある。三四郎はその連を見た時、はたして日ごろの推察どおり、青木堂で茶を飲んでいた人が、広田さんであるということを悟った。この人とは水蜜桃以来妙な関係がある。ことに青木堂で茶を飲んで煙草のんで、自分図書館に走らしてよりこのかた、いっそうよく記憶にしみている。いつ見ても神主のような顔に西洋人の鼻をつけている。きょうもこのあいだの夏服で、べつだん寒そうな様子もない。  三四郎はなんとか言って、挨拶をしようと思ったが、あまり時間がたっているので、どう口をきいていいかからない。ただ帽子を取って礼をした。与次郎に対しては、あまり丁寧すぎる。広田に対しては、少し簡略すぎる。三四郎はどっちつかずの中間にでた。すると与次郎が、すぐ、 「この男は私の同級生です。熊本高等学校からはじめて東京へ出て来た――」と聞かれもしないさきからいなか者を吹聴しておいて、それから三四郎の方を向いて、 「これが広田先生高等学校の……」とわけもなく双方を紹介してしまった。  この時広田先生は「知ってる、知ってる」と二へん繰り返して言ったので、与次郎は妙な顔をしている。しかしなぜ知ってるんですかなどとめんどうな事は聞かなかった。ただちに、 「君、この辺に貸家はないか。広くて、きれいな、書生部屋のある」と尋ねだした。 「貸家はと……ある」 「どの辺だ。きたなくっちゃいけないぜ」 「いやきれいなのがある。大きな石の門が立っているのがある」 「そりゃうまい。どこだ。先生、石の門はいいですな。ぜひそれにしようじゃありませんか」と与次郎は大いに進んでいる。 「石の門はいかん」と先生が言う。 「いかん? そりゃ困る。なぜいかんです」 「なぜでもいかん」 「石の門はいいがな。新しい男爵のようでいいじゃないですか、先生」  与次郎はまじめである広田先生はにやにや笑っている。とうとうまじめのほうが勝って、ともかくも見ることに相談ができて、三四郎が案内をした。  横町をあとへ引き返して、裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所に、突き当りと思われるような小路がある。その小路の中へ三四郎は二人を連れ込んだ。まっすぐに行くと植木屋の庭へ出てしまう。三人は入口の五、六間手前でとまった。右手にかなり大きな御影の柱が二本立っている。扉は鉄である三四郎がこれだと言う。なるほど貸家札がついている。 「こりゃ恐ろしいもんだ」と言いながら、与次郎は鉄の扉をうんと押したが、錠がおりている。「ちょっとお待ちなさい聞いてくる」と言うやいなや、与次郎植木屋の奥の方へ駆け込んで行った。広田三四郎は取り残されたようなものである。二人で話を始めた。 「東京はどうです」 「ええ……」 「広いばかりできたない所でしょう」 「ええ……」 「富士山比較するようなものはなんにもないでしょう」  三四郎富士山の事をまるで忘れていた。広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相とは、とても比較にならない。三四郎はあの時の印象をいつのまにか取り落していたのを恥ずかしく思った。すると、 「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。 「翻訳とは……」 「自然翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」  三四郎翻訳意味を了した。 「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉翻訳することのできないものには、自然が毫も人格上の感化を与えていない」  三四郎はまだあとがあるかと思って、黙って聞いていた。ところが広田さんはそれでやめてしまった。植木屋の奥の方をのぞいて、 「佐々木は何をしているのかしら。おそいな」とひとりごとのように言う。 「見てきましょうか」と三四郎が聞いた。 「なに、見にいったって、それで出てくるような男じゃない。それよりここに待ってるほうが手間がかからないでいい」と言って枳殻の垣根の下にしゃがんで、小石を拾って、土の上へ何かかき出した。のん気なことである与次郎のん気とは方角が反対で、程度がほぼ相似ている。  ところへ植込みの松の向こうから与次郎が大きな声を出した。 「先生先生」  先生は依然として、何かかいている。どうも燈明台のようである。返事をしないので、与次郎はしかたなしに出て来た。 「先生ちょっと見てごらんなさい。いい家だ。この植木屋で持ってるんです。門をあけさせてもいいが、裏から回ったほうが早い」  三人は裏から回った。雨戸をあけて、一間一間見て歩いた。中流の人が住んで恥ずかしくないようにできている。家賃が四十円で、敷金が三か月分だという。三人はまた表へ出た。 「なんで、あんなりっぱな家を見るのだ」と広田さんが言う。 「なんで見るって、ただ見るだけだからいいじゃありませんか」と与次郎は言う。 「借りもしないのに……」 「なに借りるつもりでいたんです。ところが家賃をどうしても二十五円にしようと言わない……」  広田先生は「あたりまえさ」と言ったぎりである。すると与次郎が石の門の歴史を話し出した。このあいだまである出入りの屋敷入口にあったのを、改築のときもらってきて、すぐあすこへ立てたのだと言う。与次郎だけに妙な事を研究してきた。  それから三人はもとの大通りへ出て、動坂から田端の谷へ降りたが、降りた時分には三人ともただ歩いている。貸家の事は[#「貸家の事は」は底本では「貸家は事は」]みんな忘れてしまった。ひとり与次郎が時々石の門のことを言う。麹町からあれを千駄木まで引いてくるのに、手間が五円ほどかかったなどと言う。あの植木屋はだいぶ金持ちらしいなどとも言う。あすこへ四十円の貸家を建てて、ぜんたいだれが借りるだろうなどとよけいなことまで言う。ついには、いまに借手がなくなってきっと家賃を下げるに違いないから、その時もう一ぺん談判してぜひ借りようじゃありませんかという結論であった。広田先生はべつに、そういう了見もないとみえて、こう言った。 「君が、あんまりよけいな話ばかりしているものから時間がかかってしかたがない。いいかげんにして出てくるものだ」 「よほど長くかかりましたか。何か絵をかいていましたね。先生もずいぶんのん気だな」 「どっちがのんきかわかりゃしない」 「ありゃなんの絵です」  先生は黙っている。その時三四郎がまじめな顔をして、 「燈台じゃないですか」と聞いた。かき手と与次郎は笑い出した。 「燈台は奇抜だな。じゃ野々宮宗八さんをかいていらしったんですね」 「なぜ」 「野々宮さんは外国じゃ光ってるが、日本じゃまっ暗だから。――だれもまるで知らない。それでわずかばかりの月給をもらって、穴倉へたてこもって、――じつに割に合わない商売だ。野々宮さんの顔を見るたびに気の毒になってたまらない」 「君なぞは自分のすわっている周囲方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすだけだから、丸行燈のようなものだ」  丸行燈比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、 「小川君、君は明治何年生まれかな」と聞いた。三四郎簡単に、 「ぼくは二十三だ」と答えた。 「そんなものだろう。――先生ぼくは、丸行燈だの、雁首だのっていうものが、どうもきらいですがね。明治十五年以後に生まれたせいかもしれないが、なんだか旧式でいやな心持ちがする。君はどうだ」とまた三四郎の方を向く。三四郎は、 「ぼくはべつだんきらいでもない」と言った。 「もっとも君は九州のいなかから出たばかりだから明治元年ぐらいの頭と同じなんだろう」  三四郎広田もこれに対してべつだんの挨拶をしなかった。少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、きれいに地ならしをした上に、青ペンキ塗りの西洋館を建てている。広田先生は寺とペンキ塗りを等分に見ていた。 「時代錯誤だ。日本物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」 「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」  広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本社会代表しているんだと言う。  与次郎三四郎もなるほどと言ったまま、お寺の前を通り越して、五、六町来ると、大きな黒い門がある。与次郎が、ここを抜けて道灌山へ出ようと言い出した。抜けてもいいのかと念を押すと、なにこれは佐竹下屋敷で、だれでも通れるんだからかまわないと主張するので、二人ともその気になって門をくぐって、藪の下を通って古い池のそばまで来ると、番人が出てきて、たいへん三人をしかりつけた。その時与次郎はへいへいと言って番人にあやまった。  それから谷中へ出て、根津を回って、夕方本郷下宿へ帰った。三四郎は近来にない気楽な半日暮らしたように感じた。  翌日学校へ出てみると与次郎がいない。昼から来るかと思ったが来ない。図書館へもはいったがやっぱり見当らなかった。五時から六時まで純文科共通講義がある。三四郎はこれへ出た。筆記するには暗すぎる。電燈がつくには早すぎる。細長い窓の外に見える大きな欅の枝の奥が、次第に黒くなる時分だから、部屋の中は講師の顔も聴講生の顔も等しくぼんやりしている。したがって暗闇で饅頭を食うように、なんとなく神秘である三四郎講義がわからないところが妙だと思った。頬杖を突いて聞いていると、神経がにぶくなって、気が遠くなる。これでこそ講義価値があるような心持ちがする。ところへ電燈がぱっとついて、万事がやや明瞭になった。すると急に下宿へ帰って飯が食いたくなった。先生もみんなの心を察して、いいかげんに講義を切り上げてくれた。三四郎は早足で追分まで帰ってくる。  着物を脱ぎ換えて膳に向かうと、膳の上に、茶碗蒸といっしょに手紙が一本載せてある。その上封を見たとき三四郎はすぐ母から来たものだと悟った。すまんことだがこの半月まり母の事はまるで忘れていた。きのうからきょうへかけては時代錯誤だの、不二山の人格だの、神秘的な講義だので、例の女の影もいっこう頭の中へ出てこなかった。三四郎はそれで満足である。母の手紙はあとでゆっくり見ることとして、とりあえず食事を済まして、煙草を吹かした。その煙を見るとさっきの講義を思い出す。  そこへ与次郎がふらりと現われた。どうして学校を休んだかと聞くと、貸家捜しで学校どころじゃないそうである。 「そんなに急いで越すのか」と三四郎が聞くと、 「急ぐって先月中に越すはずのところをあさっての天長節まで待たしたんだから、どうしたってあしたじゅうに捜さなければならない。どこか心当りはないか」と言う。  こんなに忙しがるくせに、きのうは散歩だか、貸家捜しだかわからないようにぶらぶらつぶしていた。三四郎にはほとんど合点がいかない。与次郎はこれを解釈して、それは先生がいっしょだからさと言った。「元来先生が家を捜すなんて間違っている。けっして捜したことのない男なんだが、きのうはどうかしていたに違いない。おかげで佐竹の邸でひどい目にしかられていい面の皮だ。――君どこかないか」と急に催促する。与次郎が来たのはまったくそれが目的らしい。よくよく原因を聞いてみると、今の持ち主が高利貸で、家賃をむやみに上げるのが、業腹だというので、与次郎がこっちからたちのきを宣告したのだそうだ。それでは与次郎責任があるわけだ。 「きょうは大久保まで行ってみたが、やっぱりない。――大久保といえば、ついでに宗八さんの所に寄って、よし子さんに会ってきた。かわいそうにまだ色光沢が悪い。――辣薑性の美人――おっかさんが君によろしく言ってくれってことだ。しかしその後はあの辺も穏やかなようだ。轢死もあれぎりないそうだ」  与次郎の話はそれから、それへと飛んで行く。平生からまりのないうえに、きょうは家捜しで少しせきこんでいる。話が一段落つくと、相の手のように、どこかないかいかと聞く。しまいには三四郎も笑い出した。  そのうち与次郎の尻が次第におちついてきて、燈火親しむべしなどという漢語さえ借用してうれしがるようになった。話題ははしなく広田先生の上に落ちた。 「君の所の先生の名はなんというのか」 「名は萇」と指で書いて見せて、「艸冠がよけいだ。字引にあるかしらん。妙な名をつけたものだね」と言う。 「高等学校先生か」 「昔から今日に至るまで高等学校先生。えらいものだ。十年一日のごとしというが、もう十二、三年になるだろう」 「子供はおるのか」 「子供どころか、まだ独身だ」  三四郎は少し驚いた。あの年まで一人でいられるものかとも疑った。 「なぜ奥さんをもらわないのだろう」 「そこが先生先生たるところで、あれでたいへんな理論家なんだ。細君をもらってみないさきから、細君はいかんもの理論できまっているんだそうだ。愚だよ。だからしじゅう矛盾ばかりしている。先生東京ほどきたない所はないように言う。それで石の門を見ると恐れをなして、いかいかんとか、りっぱすぎるとか言うだろう」 「じゃ細君も試みに持ってみたらよかろう」 「大いによしとかなんとか言うかもしれない」 「先生東京がきたないとか、日本人が醜いとか言うが、洋行でもしたことがあるのか」 「なにするもんか。ああいう人なんだ。万事頭のほうが事実より発達しているんだからあなるんだね。その代り西洋写真研究している。パリ凱旋門だの、ロンドン議事堂だの、たくさん持っている。あの写真日本を律するんだからまらない。きたないわけさ。それで自分の住んでる所は、いくらきたなくっても存外平気だから不思議だ」 「三等汽車へ乗っておったぞ」 「きたないきたないって不平を言やしないか」 「いやべつに不平も言わなかった」 「しか先生哲学者だね」 「学校哲学でも教えているのか」 「いや学校じゃ英語だけしか受け持っていないがね、あの人間が、おのずから哲学にできあがっているかおもしろい」 「著述でもあるのか」 「何もない。時々論文を書く事はあるが、ちっとも反響がない。あれじゃだめだ。まるで世間が知らないんだからしようがない。先生、ぼくの事を丸行燈だと言ったが、夫子自身は偉大な暗闇だ」 「どうかして、世の中へ出たらよさそうなものだな」 「出たらよさそうなものだって、――先生自分じゃなんにもやらない人だからね。第一ぼくがいなけりゃ三度の飯さえ食えない人なんだ」  三四郎まさかといわぬばかりに笑い出した。 「嘘じゃない。気の毒なほどなんにもやらないんでね。なんでも、ぼくが下女に命じて、先生の気にいるように始末をつけるんだが――そんな瑣末な事はとにかく、これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う」  与次郎はまじめである三四郎はその大言に驚いた。驚いてもかまわない。驚いたままに進行して、しまいに、 「引っ越しをする時はぜひ手伝いに来てくれ」と頼んだ。まるで約束のできた家がとうからあるごとき口吻である。  与次郎の帰ったのはかれこれ十時近くである。一人ですわっていると、どことなく肌寒の感じがする。ふと気がついたら、机の前の窓がまだたてずにあった。障子をあけると月夜だ。目に触れるたびに不愉快な檜に、青い光りがさして、黒い影の縁が少し煙って見える。檜に秋が来たのは珍しいと思いながら、雨戸をたてた。  三四郎はすぐ床へはいった。三四郎勉強家というよりむしろ※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊家なので、わりあい書物を読まない。その代

https://anond.hatelabo.jp/20240930192717#tb

2024-05-18

名門華族の家庭に生まれ幼稚園大学まで目白の一貫校を出てメガバンクに勤務する上級国民なのに結婚できない

2024-04-20

aiが沢山学習データを集めるのは傾向を調査するため

vampire girlで赤目白肌黒ドレスの傾向は多くの人が連想するであろう

沢山の学習データがないと傾向ではなく少ない学習データに似たような何かになり果てる

2024-01-26

見た目白人の日本人なんだけど

たまに美容室とか飲食店でわざとカタコトの日本語話して「日本語お上手ですね〜」って言われて気持ちよくなってる

2024-01-12

目白角栄御殿燃えちゃったね

もう4回曲がるだけでは新潟実家には着けないのか

2023-12-25

anond:20231225120449

目白に住んでる人にとっては間違いなく街のケーキ屋だろうけど、別のところに住んでる人にとってはどうなのかって話では

うーん、わからん…。

うちは今年は神楽坂で買ったけど、まあ近いから(あと美味しそうだから)って感じだし、そこそんなに引っかかるところなのかねって思うわ。

anond:20231225115148

例えば適当検索して出てきた目白パティスリー

https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130502/13005641/

こういうのを「街のケーキ屋」としてイメージしてる。

このくらいのレベルの店がそこらじゅうにあるから、わざわざ「目的を持って買いに行く」なんて意気込まなくても、美味しそうだから今年はあそこにしてみようかってくらいのノリで買いに行くと思うんだよね。

anond:20231225111759

高田馬場みたいな汚い街にはないかもしれないけど目白早稲田方面に15分くらい歩けばなんかしらあるだろ。

四ツ谷普通にあるはず。

2023-12-10

2023年12月8日 田中真紀子記者会見文書き起こし 2/2

1/2 : anond:20231210171047

国会議員は月々230万円貰っている

一番言いたいことはですね、今の国会議員たち、この人たちは

幾ら貰ってるか知っていますか皆さん。お給料

ネットで今朝もまた確認しました。

衆議院議員がですね、えっと何人いるんでしたっけ、ご存じですか。

衆議院が465。参議院が248人。合計713人います

歳費は 1,294,000円貰っています、月々。月ですよ。

かに私のころは文通20万だったんですよ。40万になって議員やめました。

今100万円もらってます調査研究費。何の調査やってるんですか?

それだけの大金をですね、お給料と、それからその調査研究費で230万円貰ってるんです。

プラスプラスいいですか、役職手当ってもらっているんですよ。役職手当。

私が大臣の時は3回大臣いたしました。委員長も2回いたしました。

大臣は当時30万円もらいました。今もっとじゃないでしょうかね。

国会議員は加えて氷代、餅代、官邸機密費を貰っている

それから外遊に行くとき。これ以上あまり具体的に言うと週刊誌・・・

ホッタさん、どこいっちゃった? ホッタさんが喜ぶといけないからあまり・・・

あ、いたいたいた、言ってもあのあれですけどね。

(ホッタさんらしき人物が声を上げる)

  ――「いやだめですよ週刊誌なんかもうね、全然売れ行きがこんな・・・

そりゃあなたが悪いのよ、いい写真取らないから。あとでしゃべろう。あとで一杯飲もう。

(ホッタさん)

  ――「でも人気の政治家がいないからね、本当にね」

そう。発信力がないから。命がけの人がいないからです。

本当にね私、これを見てて、これだけのお金をもらって、

そして盆暮れ、氷代、餅代、っていうのは自民党の時ですよ、幹事長から貰いましたよ。

それから大臣外遊するときにも、官邸機密費からだと思いますけど、

100万円ずつ白い封筒いただきまして、私返しました。

そしたら村山総理が、あのマユゲの総理

「真紀ちゃんあなたカネを欲しがらない人だネェ」

なんて言ってました。

欲しがらんじゃなくて、私は公費大臣としてファーストクラス

勉強させてもらいに国際会議に行くのに、

なーんでそんなものもらわなきゃいけない?

お土産代だ」って言ってました。誰のお土産ですか?

で、私、私費で、チョコレートボックスをある方にあげたら、

ある総理経験者です、今になるとね。当時総理じゃなかったけど。

私の議席まで本会議場で来られて、

「真紀ちゃんチョコレートありがとう

はいどういたしまして、て言ったら

札束がギッシリ入っていると思ったらナンだアレ」

て言ったんですよ。これ自民党議員。全部私日記に書いてあります

それから、氷代餅代のときにね、幹事長が、議員を呼んで

今もやってるでしょ自民党、どうですか、自民党議員さんいませんか、さっきいたな。

ちゃんとくれるんです。で幹事長って名前を呼ばれていくんです。

田中真紀子君」

入っていくと、封筒ポンとおいて

「あ真紀ちゃん、これ、あんたカネ足りないだろうから、おれが貰っとくよw」

なんて言うんですよ。

は?、って私言ったんですよ。

からさっき言った文通費だとか、歳費のほかに国会議員ってお金いっぱい貰ってるんです。

政党は、評論家国対派閥、会食にカネを使う

問題は出の問題でしょ。

先日のテレビを見てましたら評論家が、

政治にはカネがかかるんですよ」て言ってましたから。

バカ、お前みたいなのが評論家やってるからタカリじゃないか

私は思ってみてましたけど。

おかしいですよ。なんでお金がかかるか言いましょうか。

から言ったらね、やっぱり野党対策国対使ってるんですよ。

現金かどうか、見てないから知らないけど、やってます

派閥。各派閥自民党で言えばね。野党もそうかもしれません、知りません。

そのカードでもって、やってる。

それから飲食をともに、しょっちゅうしてますね、国会終わると。

これからもやるんじゃないですか先生方。たぶんそうでしょ?

それにお金かかってるんですよ。それは党が使うお金

国会議員個人は、地方議員からタカられてカネを使う

個人の、じゃ議員はどうか。

個人は、地元の県会議員、これらがタカリなんですよ、市会議員、市長だとか知事とか。

それらがもう、お金くれ、お金くれ、お金くれですよ。

もう地方のね、地方議員減らしたらいいんですよ。

国会議員の定数削減も申しますが、地方議員は何やってるんですかあんなにお金いっぱい貰って。

それらが、「じゃなかったら選挙落とすぞ」言われるんですから

うちの父が病気になっていたときに、

ちゃあんとある新潟県知事、ま、現職の議員名前出して

逆につるし上げられちゃったある県会議員がいます新潟県の、

その方なんか、父が病気だというのに、県議たちを連れて目白に来て、

奥さんカネくれ」とうちの母に言ったんです。「オヤジは出したから」。

私はそれ見ててお茶出してビックリしましたよ。ここまでタカってんのか地方議員は。

これ地方の人にやっぱり言ってほしいですよ。一般の人は知らないんでしょうね。

それでうちの母は、「主人は倒れておりますのでお引き取り下さい」て言いましたよ。

やっぱり明治女性しっかりしてますよ。

花の一輪ももってこないで、病気のところへ来て見舞いだってきてですね、カネを出せなんてありますか。

そんななんですよ日本人体たらくは。

そして、

オヤジはカネを出したり面倒見てくれたり就職の世話してくれたのに、

 直紀と真紀子はやらない、落としてやるぞ」

その県会議から言われたんですよ。

現職の文部大臣になったかしょっちゅう選挙区に帰って、タスキかけて、運動して

新幹線で取り替えて、また大臣室に行って、仕事してたんですけど、やっぱり

僅差で落とされましたよ。相手自民党小選挙区じゃなかったですからね。

そっちにおカネ撒くんですよ、「あいつら言うこと聞かないからあの夫婦落とせ」

ちゃんと落っことされました。

有権者が、そういう地方ボスの言うこと聞いているからですよ。

そういう地方ボス国会議員になったり。

議員秘書たちは穢れている

それから大変申し訳ないけど今日おられる人、秘書さんね。

秘書上がりの議員さん、~~とかあいつもみんなそうなんだけど。

今日来てる方の中にはいいかな。秘書上がりの議員来なくなっちゃった

さっき今日行くっつってたけど、後で来るかもしれませんけど。

そういう人は秘書やっていると、悪いこといっぱい覚えるんですよね。

お金集めのしかたとかね。脅しのしかたとかね。

私は友達とか、早稲田友達とか、全部おともだちに秘書をやってもらいました。

子供たちの友達のお母さまとかにやってもらいました。

プロは幾らでもいます田中派議員の、落選した人、死んだ人の秘書

お嬢さん、私がやりますから

ノーサンキュー。そんなのが来ると穢れちゃう

ところがそんなのがしっかりお金をとったりするんです。

官邸にもバックにそういう人居るんじゃないですか。総理が変わってもいるんじゃないですかずっと。

官邸機密費の使い方。外務省報償費の使い方。

これ、税金なんですよ、一般国民はそんな楽な生活していませんから

こんな使い方をしててね、なんで改革をしないのかという思いが非常に私は強いです。

世襲政治資金と地盤継承問題である

で、皆様発言をなさると思うので、私の結論だけを簡単に申しますとですね。

要するにあの、議員定数を減らすってことも色々言われてますし、

それからその議員の勤続ですね、通年国会にした方がいいとかですね。毎年一年中やるとか。

色々あると思います

それからあとは、あの、ペーパーテストやればいいとか、世襲議員を辞めさせればいい

世襲が、政治資金まで引き継いでやるからいけないんです、無税で。

世襲で出たかったらですね、うちは息子は出ませんから良かったんですけど

希望していませんから能力もないし。みんな親も子供有権者も、出ろ出ろ出ろって言うんですよ。

うちは息子のところでも各党の党首が来て、あの仕事やってるのに

仕事にならなかったって言いましたね。

「僕は出たかったら北海道でもどこでも出るよ」って言ってましたよ。

だってみんな息子を出したいんでしょ、一生懸命外遊に連れて行ったりして

色々やってるじゃないですか、買い物させたりしてね。

それだったらね、1回休むとか。親が北海道だったら沖縄から出るとか。東京から出るとかね。

そうやってやったらどうですか、政治資金が引き継がれちゃだめ。

世襲でも良い議員もいます世襲じゃないから皆が良いとは言いません。

要するに最初に言ったように、本人の能力、やる気。

立合演説会を義務付けたい

で、一点だけ私が、どうしてもこれはやりたいと思ってることがあります

それは、選挙のたびに、地方も、都知事選挙も、区議会議員も、

全部立合演説会をやること。

うちの父が一番言っていたのは、「あれでお父さん鍛えられた」

しょっちゅう言っていました、私子供のころから聞いています

候補者が全部出るんです、2週間選挙期間があるとね。

その地域公園かなんかに候補者が全部並ぶんです、3日に1回。

有権者が皆んな来て集まってね、「へえこれがそうなのか」と見てね。質問するんです。

あなた財政再建するにはどっからどうやってやりますか」とか、それから

「COP28では環境問題こうやって言ってたけど、環境問題経済成長企業、どうやってやるんですか」

「戦費これだけ使っているのに、戦費使っていて、そして環境問題バランス考えたら

 環境問題やるほうが安上がりに済むかもしれないのに、どう思いますか」とかね、あるいは

同性婚結婚、どう思いますか」

色々聞くんですよ。候補者答えなければいけません。

「わからな~い (^_^;)」とかね、言っているひとはダメですよ。

そういう有権者がね、見極めるチャンスをね、立合演説会で絶対やるべき。

父が一番言っていたのは

「もう、とにかくしつこい奴がいて、野次って野次ってしょうがいか

 『あんたヤジらないで私の言うこと聞きなさい!』と言うと、

 相手ボンボンボンボン政策を訊いてきて。ムキになってお父さん答えたんだよ。

 そうしたら最後相手が『よし、分かった! 角さん頑張れ!』と言って去っていったので

 いやーやったな!と思った」

て言っていました。

それで候補者も鍛えられるんですよ。民主主義言論ですから

言葉でもって、どれだけ分かりやすく、命がけで喋るかなんですよ。

喋らないで何ですか、この最近の、なんか、あの、なんか変なこと、

「答弁を差し控えさせていただきます

差し控えるって言うのは、ヤマシイから答えられないってことでしょう?

すればいいじゃないですか。国民そんなバカじゃないですよ。

差し控えちゃいけないの。じゃあ国会議員になるのを差し控えたほうがいいです。

いくらでも候補者がいるんだから、なりたい人は。そういうねすっとぼけ言葉の使い方をしちゃダメ

一度でも言ったらね、即、もう議員辞めてもらいますおかしいですよ。

さいごに

ですから皆様から、これから主人は主人の立場であると思います

郷原先生はまた、法律家としての立場から色々おっしゃって下さると思いますが、

私はやっぱり政治っていうものはすごいと思うし、政治世界を変えるし、平和にもできるし、

陛下がおっしゃっているように、国民の、日本繁栄と、国民の安寧と、世界平和

これなんですよ。みんなやりましょう、それを。

それをやっぱり皆さんに発信したいと思って、今日こういう会合を致しました。以上です。

#これは何か

2023年12月8日 参議院議員会館内で行われた記者会見の冒頭、

田中真紀子スピーチ17分間)の全文書き起こしです

https://www.youtube.com/watch?v=BRqIA0uVYUA

#なぜこんなものはてな匿名ダイアリー投稿たか

発言の一部がニュースになっていましたが、見どころが多いので、テキスト化された全文がネットにあると便利だろうと思ったからです。

著作権フリーの「政治上の演説」だと思いますので、自由コピペして使ってください。

一部聞き取れてないところや、聞き違いあると思いますがご容赦ください。

#まとめ

  1. 日本政治の現状
    1. 11年ぶりの永田町の印象は、暗い雰囲気、そして住人にそぐわない議員会館の立派さだ
    2. 国民政治に飢えている
    3. 私は政治の素晴らしさを信じている
    4. しかし夢のない、人として終わってしまった人たちがポストを握っている
    5. そして政治家たちは役人に軽んじられている
    6. 政治家熱量を取り戻すため、私たち勉強会を開いている
  2. 政治家をめぐるカネの動き
    1. 国会議員は月々230万円貰っている
    2. 国会議員は加えて氷代、餅代、官邸機密費を貰っている
    3. 政党は、評論家国対派閥、会食にカネを使う
    4. 国会議員個人は、地方議員からタカられてカネを使う
    5. 議員秘書たちは穢れている
  3. 日本政治への処方箋
    1. 世襲政治資金と地盤継承問題である
    2. 立合演説会を義務付けたい

2023-10-05

anond:20231004185146

単にオマエが「リベサヨ最高!ネトウヨ死ね!」ってだけの話を針小棒大にしているだけの増田

具体的に「クルド人共が悪い」ってのは記事になり、動画になり、Twitter(笑)拡散されてる。


俺は目白に住み、池袋ホームグラウンドで30年以上になる(15年ぐらいは西池袋だった)。

正直中国人共の生活態度の悪さは目に余る。告発するまでもない事案ばかりだが、発生すれば苛立つわ。人間感情トリガーが緩いし、俺という人間は損得でしか考えないから引き金を引かない「だけ」だぞ。クソが。

静かで秩序ある町並みだけを願って俺は東京に住んでいる(30年前だとドイツがそれだと聞いて憧れた。でも今はリベサヨ行き過ぎ寛容でゴミカスになってるので反吐が出る)。

地方にいけ? バカ言え。なんで田舎に住まにゃいかん。俺は東京に住みたいの。ゲーテッドコミュニティでもありゃいいのに。タワマンはただのバカの住処だ。


リベサヨ共のくせに国家生産性なんてネトウヨ経済(笑)自民共がキャッキャウフフしているネタを引き合いに出している時があって内心めっちゃ嘲笑してる。

何が寛容だよ(笑) リベサヨ流の奴隷確保、経団連同友会へのおもねりじゃん(笑)

オマエのクルド人擁護にもそれが透けて見えるんだよ、無意味な「その2」まで追記しやがって。


外国人共存しろ

だったらジャップ並みに丁寧に仕事しろコンビニ店員共。食い物を投げつけながらレジするなゴミカスが。誰が許すかよ、バカタレ。

廃材を積載量オーバーで走ってんじゃねぇ。外国人から「無保険だろ、やべー」って思われてるんだよゴミカスが。


嘘でいいんだよ。真面目にやんなくていいんだよ。「ジャップ同様、見えないようにやれ」だけ。

マジで。そういうのが「一般的なご配慮」って奴だ。

ふざけた態度、危険な状況を見せたまま「これでいいんだ!コレに反論する奴は差別主義者!ネトウヨ死ね!」っていうオマエが死ね

「郷に入れば郷に従え」なんだぞ、毛唐の国々だってそうじゃねぇか(笑)クルド人庇って、ジャップ第一主義揶揄してるだけじゃん(笑)

2023-09-09

悲報田淵幸一さん、少年時代ジャニー喜多川に捕食されかけていた

プロ野球阪神などで活躍した野球評論家田淵幸一氏が13日、MBSバラエティー「せやねん!」にVTR出演し、9日に87歳で死去したジャニーズ事務所社長ジャニー喜多川さんとの知られざる関係を明らかにした。

出会いは田淵氏が小学6年の時。野球少年だった田淵少年東京の「目白コンドルス」というチームに所属していた。「池袋練習試合をした相手が(ジャニーさん野球チーム)『ジャニーズ』だった」という。ジャニーさんの印象について「かっこよかった。帽子かぶってサングラスをかけて、アメリカ人的な顔をしていたし、英語日本語交じりで『YOU!』と言っていたしね」と、かっこいい大人に見えたという。

 当時から野球で目立っていた田淵氏に、ジャニーさんは「君、中学はどこへ行くの?」などと声をかけた。その後、田淵氏が中学3の時にはジャニーさんが自ら中学グラウンド野球を見に来たという。

 その時のことを田淵氏は「いまだに忘れられないのはジャニーさんが『送ってやるよ、家まで』と車に乗せてくれた。アメリカ車でとんがっていて、後になって調べたら、あれは多分シボレーだったと思う。そして『(座席の)後ろにガムもチョコレートもあるからYOU食べていいよ』と。人生で初めて外車に乗ったのがジャニーさんの車」と、当時としてはとても珍しい経験をさせてもらったという。

車内では野球の話で盛り上がり、ジャニーさん野球チームにスカウトされたが「僕が野球が多少うまかったから、チームに入れたいんだろうなと思った。当時、(芸能事務所としての)ジャニーズ事務所はできてないから。(アイドルグループの)ジャニーズが有名になってからジャニーさんという人だったと知った」と振り返った。

https://www.daily.co.jp/gossip/2019/07/13/0012510930.shtml?pg=2

2023-08-18

山手線って一周61分なんだな

文字盤みたいにできるじゃん

 

00 田端

02 西日暮里

03 日暮里

04

05 鶯谷

06

07 上野

08

09 御徒町

10

11 秋葉原

12

13 神田

14 東京

15

16 有楽町

17

18 新橋

19

20 浜松町

21

22 田町

23

24 高輪ゲートウェイ

25

26 品川

27

28

29 大崎

30

31 五反田

32

33 目黒

34

35

36 恵比寿

37

38 渋谷

39

40 原宿

41

42 代々木

43

44 新宿

45

46 新大久保

47

48 高田馬場

49

50 目白

51

52

53 池袋

54

55 大塚

56

57 巣鴨

58

59 駒込

60

61 田端

 

こう見ると、一番遠い場所がどこかもわかるね

渋谷から一番遠いのは上野御徒町だな

2023-06-25

anond:20230624221212

一回金なさすぎて目白から帰れなくなった。みどりの窓口がある池袋まで歩いて、Suicaを払い戻して現金を手にし事なきを得た

SuicaJRの乗車料金にしか使えなかったからそうなったのだろうけど、だいぶ昔のピンポイントな時期の話ぽいな

2023-06-24

おれは多摩が嫌い。家ばっかでつまんねーから

自然もなければ都会でもない。住むためだけのベッドタウン

立川八王子駅前は多少栄えてるけど、ちょっと歩けばウチの近くと似たような景色になる。ハリボテみたい。海もなければ多摩川も遠いし、デカ公園もない。昭和記念公園は金を取られる。

いくらかマシな駅前でも、遊ぶには金がかる場所ばっかりだ。高校生の頃、雑費込み5000円の小遣いじゃ大した事はできない。電車に乗って遠くに行く機会も中々ない。

昔一回嫌気が差し新宿まで出ようと決めた。大学入るまで電車通学したこと無かったから、知ってる「都会」が新宿くらいしかなかった。金がもったいないから行きは歩き。

国立から線路沿いに歩いて、三鷹辺りまでは似たようなつまんねー町並みが続いた。無機質なコンクリの高架と、その足元の人が入ってんだか入ってねーんだか分からんピカピカの商業施設。それを囲む家。時々森林。つまらん。

でもそこらを通り過ぎると個性が見えてくるようになる。まず駅前雰囲気画一的でない。でけえ掘っ立て小屋みたいな駅舎とツルツルのアスファルトの閑散としたロータリーみたいなワンパターンじゃない。駅の形がおもしれえ。

乱立する店も金はねえから利用はできないが、それでもプラプラ歩き回りながら眺めてるだけで楽しい

マック松屋、ビッカメルミネを眺めていても何も楽しくねえけど、ここは違う。見慣れない街への新鮮さもあるだろうけど、それ以上の何かがある気がした。街に色があった。

中野で断念しちゃったけど、今でもアテもなくフラフラ歩き回るのがすきなおれの原体験だ。

大学多摩だった。おれはもう一生をここで過ごすのかもしれないと思った。このままでは魂が多摩色に濁ってしまう気がして、わざわざ都心バイト先を選んだ。初めて目白という地名を知った。往復1000円弱がタダになるのはデカい。

無駄一人暮らしして、最寄りが中央線から京王になってなんか新鮮だった。多摩内を南西に移る虚無の引っ越しだった。

中1までは本気で日本電車とは中央線北海道から九州まで繋がってるもんだと思ってた。乗り換えという行為意味が謎だった。

新宿での乗り換えで一旦駅を出て、覚えたてのタバコ一服するのが恒例だった。西口喫煙所モード学園ビルを眺めながら一息ついてると主人公にでもなった気がした。

目白ではバイトの休憩中に学習院侵入して一服するのが好きだった。キャンパスがおれのとこと違ってザ・大学って感じがした。附属の生徒が構内を歩き回っていた。おれの母校も小中高一貫校で、小学生学食でチョロチョロしてるのが嫌だったのを思い出した。

マックキャロットに行こう行こうと思っていて終ぞ行かずじまいになってしまった。今度行かないとな。

一回金なさすぎて目白から帰れなくなった。みどりの窓口がある池袋まで歩いて、Suicaを払い戻して現金を手にし事なきを得たのも思い出深い。

この頃から都心雰囲気に少し慣れ始めた。同時期から服装に気を遣い始めたのもこれと無関係じゃなかったかもしれない。

元々フラフラ歩き回るのが好きだし、そのステージ多摩からかに豪華になったのが嬉しくてたまらなかった。都心はすげえ。立川より立派な街並みが隣の駅まで歩いてもずっと続いてる。バイト代もあるからかっこ良くて履き心地の良い靴も買えるようになった。

バイト帰りに、当時流行りだしたサウナへ寄って一泊するのも好きだった。親の同意書も要らず外で泊まれるようになったのが嬉しかった。まあ以前も自分の字で書いて出してたけど。朝から風呂浴びて、さっぱりした身体上野錦糸町をふらつくのも新鮮な体験だった。

バルト9では深夜も映画が観られる事を知った。ゲーセンファミレスも夜は閉まってしま時代で、こんな場所があるのかと思った。夜を映画館で過ごすなんて、マンガ映画に出てくる不良少年みたいな体験で興奮した。

終電適当な駅に降りて、夜通し歩き回るのも好きだった。夜中の鵠沼海岸でボーッと波の音を聞いたり、誰もいない江ノ島を歩き回った事もあった。

おれは生まれも育ちも一応東京だけど、あの頃になって本当の意味上京を果たしたのかもしれない。

人はこうして人生を旅して、最後多摩に落ち着くのかもしれない。本人はそれで良くても、ガキはたまったもんじゃないけどね。

2023-06-09

anond:20230609011043

一昨年の記事だけど

<独自>送還拒否の3分の1に前科 改正法再提出へ

入管当局不法就労などで国内残留する外国人摘発し、退去処分後に出国するまで原則施設収容している。年約1万人は処分に応じて出国するが、本人が拒否したり、本国送還に応じなかったりする外国人は昨年末時点で約3100人に上る。うち約2440人は収容施設から仮放免」され一般社会生活するが、別の約420人は仮放免後に逃亡し手配されている。

約3100人のうち日本刑事裁判有罪判決を受けたのは約1千人。そのうち約730人が仮放免中で別の約100人仮放免後に逃走した。複数の罪に問われたケースも含め、罪種別で最多は薬物関係法令違反で約630件。次に入管難民法違反約420件、窃盗詐欺が約290件と続く。強盗約60件や性犯罪約30件未遂を含む殺人約10件と重大犯罪も含まれる。

この約1千人のうち約470人は難民認定申請している。現行法では審査中は本国送還できない「送還停止効」があり、申請回数に上限がない。認定の見込みがないのに申請を繰り返す悪用も疑われる。

治安に悪影響を及ぼす事例も起きた。警視庁目白署が今月12日に強制性交等容疑でパキスタン人の50代の男を逮捕したと発表。容疑は東京都豊島区で20代女性に声をかけ、近くの公園トイレ性的暴行を加えたとされる。この男は過去にも性犯罪前科があり入管当局から退去処分後、仮放免中に犯行に及んだことが判明。難民認定申請していた。

ちょっとスカートの短い女の子イラストポスターにすら批判的なリベラルが、性犯罪者34人を追い払わず日本にとどめるべきだと主張するのが俺には謎

2023-04-11

ChatGPT:

わかりました。同じような感じで、言葉遊びを使った日本の伝統的ななぞなぞを一つ紹介します。

ことりよ、ことりよ、とんでけ~、

ことりのすみかはどこでしょう?」

このなぞなぞは、ある種類の鳥を示しています。答えをお知りになりたい場合は、教えてください。

ワイ君:

目白

ChatGPT:

おめでとうございます!正解です!

このなぞなぞは、「目白」という鳥を示しています

ことりよ、ことりよ、とんでけ~、

ことりのすみかはどこでしょう?」

この歌詞は、目白という小鳥言及しており、「とんでけ」は飛んでいくことを意味しています目白は、日本でよく見られる美しい鳴き声の小鳥で、文化や歌にもよく登場します。


時間よ戻れ!

ワイ君:

カラス

ChatGPT:

すみませんが、答えは「カラス」ではありません。もう一度お試しください。

ワイ君:

分かりません。教えてください。

ChatGPT:

もちろん、答えをお教えします。この言葉遊びの答えは「ツバメ」です。ツバメは、春になると渡り鳥として日本に戻ってくることで知られていますツバメの巣は、家の軒下や橋の下など、人間生活に近い場所によく見られます

うーんこの

2023-04-10

目白でぶつかってきたガキ

こんどは注意する

ガキと言ってもスーツきたデブ

二人で混雑時に走り込み車内でタックルしながら

つり革に。

背中にぶつかっても「すいません」もない。

なんで?

あほなんか?

2023-03-07

ずっと目白の見た目を見てうぐいすだと思っていた

コマドリコマネチをしているのをみてしこる

そんな人生を送りたかった

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