はてなキーワード: マルキストとは
村上隆氏と左派論客の斎藤幸平氏がReHacQ(高橋弘樹氏が運営するチャンネル)で対談している動画が4連続で上がっていてすべて見た。
※以下敬称略
結論から言うとこの動画で村上隆が何をやろうとしているのかよくわかったので彼への嫌悪感はすべて消えた。
1動画40分近くあるので見るのは大変だと思うが興味深く見れたので余裕がある人は見てほしい。
一応言っておくとこれはあくまで私の個人的見解なのでその点には注意してほしい。
ざっくり動画の流れを説明すると斎藤幸平が布施英利と対談した際に村上隆が嫌いと悪口を言ったので、村上隆がYoutube?にコメントを書きそれを見てチャンネル運営者の高橋弘樹が対談に誘ったという流れのようだ。
※斎藤幸平氏はマルキストなので拝金的に見える村上氏の行為があまり好きではない
現在京都で開催中のもののけ展の展示内容を村上隆が斎藤・高橋、両氏に説明しつつ最後に対談という流れになっている。
そこで現代美術とは何か、芸術とはなにか、現代美術のマーケットがどのようになっているのかという基礎的な内容を質疑応答形式で確認していく中で村上隆がどのようなことをやってきたのか、目指しているのかという事も語られていく。
村上隆の顧客はforbes上位に入るような超大金持ちであるだとか、日本人の想像もできないような西洋のお金持ちの間でアートはある種のコミュニケーションツールとして機能しているだとか。斎藤氏や高橋氏のアート素人の目線からの質問として、アートは大衆に開かれるべきなのでそれほどの高額でアートがやり取りされるのがどうなのかという質問などもあった。
ただ、結局動画の内容を見た上で私が理解した村上隆がやっている事というのは以下のようだ。
「西洋を中心とした世界の信じられないようなハイソサエティの間で流通している概念上のアートの文脈に日本のアニメや漫画といったオタクカルチャーのスタイルもアートであると認知させるため芸術活動をしている」ということだ。
それゆえに、彼のアートは"芸術の枠を拡張する"という典型的な現代美術ということになる。
これは別の動画(漫画家の山田玲司のチャンネル)で言及されていたが、村上隆はもともとは典型的な第一世代のオタクで宇宙戦艦ヤマトのファンであった。そこでアニメ業界に憧れはあったが庵野秀明の作品が続けざまに放映されるのを見て業界を諦めたらしい。その結果彼はアニメ以外に興味のある分野として日本画を専攻することになる。
つまり根本的な動機としてアニメは素晴らしいものなので世間に認められるべきだというものがあり、それがスーパーフラットという概念「アニメも漫画も日本画も同じような手法を使っており、同じようなシステム体系であり、アートである」という主張に繋がることになる。
だから、オタクカルチャーを世界に認めてもらう手段として、西洋のハイソサエティのコミュニティを顧客とし、自分の作品をその人たちに売るという行為につながる。
彼はしばしば「高額で売ることが重要なのではない」と言うがこのロジックを理解すると容易に彼のアートや発言の意図がわかるようになる。つまり西洋のアート文脈を支配しているハイソサエティにオタク系の作品をアートであると認知してもらうには彼らのマーケットに入り込みそれらの作品を売り込む以外に方法がないのだ。だから値段は顧客が勝手に決めることになるし、高く売ることが重要ではないという事になる。目的を達成するための単なる手段に過ぎないわけだ。
またそれが彼の作品がオタクカルチャーの作品をパクったかのような作品群が混じる理由でもある。動画のなかでドラえもんとソニックを混ぜて作った作品がある(ルックとしてはミッキーマウスに似ていたためにディズニーに買われたらしいが)
これはつまりドラえもんとソニックを混ぜて作った作品が美術マーケットで売れたということは大本であるドラえもんとソニックもアートである。という論拠になる。むしろ元ネタがある作品をあえて作ることで"漫画やゲーム作品もアートである"という事になる。
"世界のアートとはいったい何なのかという概念を決めているのは西洋を中心とした大金持ちの上位層である"という彼の視座から見ると、日本人は資本主義に組み込まれてすらいないとか、敗戦国の悲哀等という発言の意図も理解できる。
アートとはいったい何なのかというルールを決める場に日本人は存在しない。
だからその世界に入り込みその概念そのものを拡大して自分の好きなオタクカルチャーをアートであると概念を変容させる。
アニメやゲームの制作者や漫画家がエンタメとして世界に売り込むことで楽しんでもらい大衆という社会階層の下からオタクを世界に拡散している。一方で村上隆がやっていることは世界の上位層に対してオタクカルチャーを広めオタクを拡散することだ。
1990年代以降実際にオタクカルチャーは全世界に拡散し人気を得てきた。私もアニメや漫画を楽しむ人が世界中に増えることは純粋にうれしい。直近でもご当地初音ミクに感動した人もいたはずだ。
だから私は村上隆がやろうとしている事に反対しないし、もう嫌いではなくなった。
※追記
幸いいくつかブコメが付いたので補足する
昔からこの趣旨の発言はしてて、それをオタク文化の収奪と見る界隈から批判されてた。ドラえもんとソニックを混ぜた作品をアート領域で認めさせてくれたからオタクの味方!というのはむしろ議論が後退してる気が
はっきり言うが、村上隆が文化盗用だと批判されたのはオタクの部族主義(トライバリズム)が原因だと思うので"村上隆がオタク第一世代である"という部分が広まれば相当数その批判は収まると思う。もともと知っていた人はいると思うが、今回かなりのコメントで"村上隆のオタクのとしての過去の部分をここまで詳しく初めて知った"という意見が目についたので。
これもクリティカルな部分で、では集団製作のアニメはアートではないのか?アシスタントを使っている漫画はアートではないのか?
というところにロジックがバックボーンとしてある。まぁ要するに高畑勲みたいに絵を描けなくて指示して作らせても別にアートだろということ
トラバにも書いたけど、もともと王侯貴族のものだった芸術をフランス革命でルーブル美術館の門戸を開いて大衆に開いたという文脈がある。つまり展覧会とか美術館で公開するのはあくまて大衆にアートを広めるのが目的であってハイソサエティのアートを変容させるという事にはならない。日本人から見るとルーブル美術館は権威だというように見えるかもしれないが、あれは権威が"大衆"に啓蒙するという文脈がある。
コミックとかを芸術にするのってロイ・リキテンスタインがすでにやってて、その土壌がすでにあるうえでヲタク文化を単にスライドで持ってっただけに見えるから嫌われてるんでは?
コミックは西洋のものであって、日本のものではない。村上が広めたいのはあくまで漫画とかアニメといった和物(より狭義に言えばオタクカルチャー)。そして西洋人がアートを決めてるんだから西洋のものがアートとみなされるというのは当たり前だと思う。
ただ、村上隆の発言を見て分かったけど、彼の思想は明確にナショナリズム(日本)やエスニシティー(アジア人)を強調してる。これは日本のものである漫画やアニメを広めたいという思考で直線的に結びついている。今回の動画で弥助問題に言及したのは非常にわかりやすい。つまりはてなのリベラル左派と相性多分悪い。
人間が文明的進化をめざす以上、テストステロンは必要なんだけど、使いどころを間違えると、独裁になったり今回の戦争になったりする
真に人権主義者は女性が多いことから、やはり民主主義の達成には女性の力が必要になってくると思う
2022-10-13
マルキストが思想を改変して日本に導入しようとしている、という側面もゼロではないんだろうけど
社会ダーウィニズムの根本にある「優勝劣敗」「弱肉強食」的な考えはみんな大好きで、
マルキストが思想を改変して日本に導入しようとしている、という側面もゼロではないんだろうけど
基本は「闘争」「反体制」「暴力主義」ってことでいいと思いますよ。
沖縄の米軍基地で何やら暴力をふるったとか振るわなかったとか話題になっている。
沖縄の米軍基地だとか、今のフェミニストだとか、その辺でリーダーシップをとっている人たちを調べるとおそらくだが、直接に果敢説にかは知らないがマルキシズムの影響を受けていると思う。
フェミニズムでいうところの上野千鶴子はWiki見れば一発でわかる。
マルキシズムを雑に言うならばこんな感じだ。
世界は労働者(プロレタリアート)が資本家(ブルジョワジー)から搾取され抑圧されている
プロレタリアートはそんなブルジョワジーに対して不満を蓄積し続けている
プロレタリアートたちの不満が一定レベルを超えると世界中で労働者による暴力革命が起きる
世界はそんな簡単な構図じゃないし、労働者ならだれもが不満を持っているかといえばそうでもないし、そもそも不満が一定レベルを超えたら革命を起こす前に転職を考えるという点でこの思想はあまりにも現実を無視しているものになるのだが、「お前もそうだろ!?なぁ!?違う!?じゃぁ死刑な!」ってなった国がかつてあったことも記憶に新しい。
とはいえいまだにマルキシズムそのものをダイレクトに信じている人はいるとはいえ表舞台からは姿を消して今もどこかで人知れずぐつぐつと煮えこまれているんだが、このマルキシズムの流れを汲んだ、もしくはその思想の影響下にある思想というのはたくさんあり、そのどれもが以下のような特徴を備えている。
抑圧された被害者としての自分たちと犯人であるほか全部という雑なグルーピング
自分たちを守るため・敵を攻撃するためならどんなめちゃくちゃな論理でも立ててくる
問題提起から解決までに期待される時間が異常に短いか何ならマイナスになるくらいに急進的
フェミニズムというのは本来的に言えばマルキシズムとは全く合わない思想だ。なぜなら、弱い女性を守る名目とはいえ社会から排除されてきた女性が男性と手を取り合って一緒に仲良く協力して社会を作ろう、というものだからだ。敵対関係でもないし、暴力革命も起こらない。
だが、マルキストたちのフィルターを通過したことでフェミニズムは日本では異様な変質を遂げている。
私はこういった変質そのものについては歓迎されるものとも考えている。なぜなら新たな視点や論点を持ち込むチャンスでもあるからだ。
だが、それはオリジナルも等しく持ち込まれており比較できれば、という条件が付く。
マルキストたちは情報統制でもしているのかはわからないが、諸外国は「自分たちのフェミニズムが達成された楽園」であり、日本は「いまだに男が女を抑圧し続けている地獄のような世界」という筋機でしかものを見ない。
暴力革命をそのコンセプトに置いているマルキシズムは、結局「革命を達成するためなら何でもあり」というように考えている。そりゃそうだ、何なら資本家を皆殺しにする勢いの思想名だし、それは労働者の楽園を作るために必要な「正義の行動」だからその行動に制約を貸す必要もないしブレーキをかける必要もない、ひたすらアクセルを下手踏みにして何の問題もない。正義だからな。
私はマルキストたちはこうやっていろいろな思想を改変しては日本に導入して次の飯の種をせっせと育てていると思っているのはこういう理由だからだ。
マルキストたちは一体いつになったら暴力を否定するのだろうか。
くちでは暴力はだめだよねと言いながら行動で暴力をふるい続けていることに気付いている人たちもいるだろうが、それは彼らにとっては自分たちの暴力はきれいな暴力だから許容されるべきという内部ルールで勝手に納得しているからあのようなことも矛盾を感じずにやることができる。
しかし暴力を肯定している限り味方は増えないだろうし、社会に受け入れられるかといえば受け入れられない。
本当に差別問題とか解決したいんだったら、暴力革命じゃダメだろうと俺は思うので、早く自分たちがマルキストであることを認めて、暴力革命を否定し、言動も行動も変革したほうがいい、今の資本主義者たちの様に。
何も分かってないな
暴力革命をすべきと言ってるんじゃなくて、必然的に暴力革命が起こるっていう客観的な分析を行ってるんだわ
歴史見れば明らかだろ
民主主義革命も暴力、明治維新も暴力、そうやって暴力による革命が起こって、新しい社会体制ができたってだけだ
資本主義が何故、そうなるかって、資本主義が今までの階級社会と本質は何も変わってなくて、労働者の搾取で成り立ってるからなんだわ
しかも、その構造が複雑で一見、搾取が起こってない平等な社会のように見えるんだわ
AIが完全に生産を担った時どうなるか?人の仕事は無くなるだろう
そうなった時に資本を独占してる企業や資本家が全ての生殺与奪権を手に入れる
そうなった時にもはや私有財産などとは言っていられないだろう
全ての人が生きるだけの資源が生み出せるのに、それを一部のものが私有財産権の元に独占する事に必要性がないわけだ
だからその資本を共有財産とするための革命が起こるとこう言ってるわけだ
それなのに、何を今の共産国家を作った奴らは勘違いしたのか、暴力革命を起こせばそのような社会が早く訪れると勘違いしたのか、はたまたその理屈を自分が権力を手に入れるために利用したのか
資本主義はその構造上、搾取が起こり、寡占独占が進むように出来てるんだわ
だから、その資本主義の構造を分析してるから資本論と言ってるわけで、そもそも資本主義と言われ出したのはマルクスがこのように今の社会を分析する上で理解すべきなのは資本だと名付けたからなわけで
こうやって、不満持ってる奴が変わるべきなんだから、お前らの自己責任なんだからってやるほど暴力的な革命に近づくんだわ
穏便に社会が変革するようにしたいなら、不満を解消すべきなんだわ
言ってる事が独裁者と同じなんだわ
自民党もどうせこんな考えなんだから、無敵の人は増え続けるやろな
貨幣ってのが資本主義の構造を隠す役割を担ってるわけで、金融の構造を見てると経済学で言われてる事と全然違うぞって、ウォーレン・モズラーが気づいたところから始まってるんだよな
政府に予算的な制約がないのなら、失業者は全員雇えるってところが重要なのに
実物的な制約はあるわけで、その実物の生産を担ってる労働者を保護しろってのを無視して、金刷って景気良くなればみんなハッピー理論だと勘違いしてるんだよな
日本だけの話かな…
アメリカなんかじゃフェミに限らずポリコレ活動全般が「沈黙は共犯」とか言って敵味方分かれて壮絶な源平合戦を展開してるが
すごい本場のマルキシズムを感じる
日本の沖縄左翼活動なんかも凄く親米的で、本場アメリカのポリコレ活動のロジックをよく理解して実践してる
マルキシズムは、当時はそもそもそんなものなかったから仕方がないが、労働者の権利が適切に守られないという状況を前提にしているので、労働者の権利を適切に守れるように日々改善を続ける今の社会には合わない、という欠点がある。
いまだにマルキシズムやってる人たちが永遠に労働者の権利を守れと大騒ぎする理由はよほどわけもわからず盲従しているんじゃなければ労働者の権利が適切に守られてしまったらマルキシズムは成立しなくなるということでもあるだろう。そして多くの人々は権利は適切に守られていると感じているから彼らの言うことがちっともわからないということでもある。
おそらくマルクスが看破したことの中で真理が一つあるなら「資本家はルールの中で最大限搾取をする」という事であり、裏を返せば「ルールがなければ無限に搾取する」ということでもある。
日本では企業有利な制度が敷かれているためほかの国よりもより搾取がしやすく、またそれを実行している社会でもある。企業は自分たちに有利な制度がある限りはそれを最大限活用し続けることからもマルクスの見抜いたであろうことは正しいと思っている。Youtube何かでは「経営者がいかに税金を払わないか教えます!」といって制度の活用方法を堂々と指南しているが、堂々と言えてしまうくらい「当然のこと」と認識しているのだろう。あれらの話が本当に適法かどうかはわからないし、みんながやりだしたらあっという間にふさがれるからいうメリットはないが、いうということは何かあると考えたほうがいい。
仮に制度ではお前が稼いだ金の80%まで搾り取っていいことになっているが、そんな搾取は嫌だから65%にします!なんていう商売人がいたら彼らの世界では失格の烙印を押されるだろう。株主の利益をわざわざ減らす行為でもあるから、多分速攻で解任されると思う。もしくはそのほうが搾取効率が上がるからやっているのかもしれない。
マルキシズムを勉強したっぽい人がレスをつけているが、この手のことを考えるためには、その時の社会情勢も併せて考えなくてはならない。
労働法制がきちんとできていないというか資本家が制度上野放しになっていた状況で資本家たちはいくら搾取しても違法にならなかったからいくらでも搾取をしたという大前提を抜きにして今の世の中でルサンチマンがとかアウフヘーベンがとか子揚がとか、暴力革命がとか言ったところで「今の時代には合わない」の一言で終わってしまう。なぜなら法制度によって資本家たちが無限に搾取できないようにしているからだ。
ただ、日本がかつて中国に工場を移転させたように、制度上問題ないなら自分たちの利益が最大化するように動くという性質は変わらないだろうが、それによって人々が被る不利益を労働者による搾取だと大騒ぎするならそれもまた見当違いだ。
だけどマルキシズムに夢を見た人たちはいまだにいつか起こる暴力革命を夢見て(というか今まさに自分たちがやっている気分になって)暴力をふるいまくっているという現実はどう考えても問題だし、そんな状態ではいくら言っても誰も納得しないし受け入れないだろう。
そしてマルキシズムの世界観を持つ上野千鶴子みたいな人がフェミニズムを魔改造して導入したせいでフェミニズムもおかしくなっているが、その裏にあるのはやはりマルキシズムがコンセプトにしている暴力や革命だと思っている。だからこういう暴力的なことを否定してきちんと自分たちの思想を再構築せよといった。
労働法制が出来上がり、人々が労働者の権利について発言しても何の問題もない社会なら暴力革命は起きない、というか起こすほどに不満をため込んだ労働者が少数になるから起こしようもない。
マルクスが言っていた社会というのは実は簡単に成立しない状態にできてしまうし、それを受け入れられない一部の狂信者たちが今日もそこいらじゅうに呪いをかけまくっているみっともない状態になるだけのものでしかなかった。
自分は40代だけど小学校の頃、担任に「友よ」を歌わされて「インターナショナル」を聞かされていた
小学生の頃は当然知りようもないけれど、今になって思うと当時は学生運動の蹉跌にもめげず、活動家から転身した教員がたくさんいたんだなと思う
最近の歴史関係の本には「ただしマルキストの解釈であることを踏まえるべき」みたいな事が平然と書かれているし、30年前は今よりもずっと特定のイデオロギーに基づいた行動が教育や研究の場で容認されていたのだろう
現在の教育なりアカデミーはイデオロギーに縛られていないかというと、それは違うと思うけど
だとしても、30年前は今と比べてイデオロギーを優先していたことは間違いない
それが40代のおっさん・おばさんにどれだけ影響しているのか自覚した方がいいと思うし、40代のおっさん・おばさんは無自覚にイデオロギーに染められていると考えた方がいい
そりゃ、コリアンが勉強して理系の領域だと「本来なら約束された利益」を台無しにして、文系領域だと「医療系以外の理系だと善戦した」という非対称性があるからだよ。
思い出してくれ、1998年を。あれだけコリアンが努力したのに、LTCM といったノーベル賞受賞者たちが馬鹿な「ロシア国債はデフォルトしない」という誤認から生じた経済学の失態を、自分たちで背負わずに ASEANとかに背負わすことに成功して、ついでに韓国が IMF に朝鮮半島の戦後の成功をボッシュートされたことは懐かしい。哀れな朝鮮人は、マルキストにも国を分断された上に、資本主義者にも玩具にされたのが 1998年でした。かわいそうに。
そんなときに、日本とかいう「戦争で負けて、国は分断されず、共産主義者の防波堤にもされず、ベトコンとも戦わず、自分たちの血で儲けて、ついでに加工貿易からも撤退でアジア危機の影響は薄く、のほほんとしている、財閥は日本資産に依存して暴利を貪る」国が隣りにあったら、チャレンジしたくなるだろ。あまつさえ「サノバビッチを英雄視することで、補償を求める国」が世界中に、大韓民国という先進国水準の『国家』が生まれたのでした。
もうちょっというと相対的なものであり、その相対値は客観的に決まっていない。
あらゆるものはあらゆるものを差別しているが、日本では差別は一方向のものである。
男性が女性を差別することは大問題だが、女性が男性を差別することはさして問題にならない(または差別として取り扱われない)。
高学歴が低学歴を差別することは大問題だが、低学歴が高学歴を差ベルすることはさして問題にならない(または差別として取り扱われない)。
日本に今もいる左翼筋の人々にとっては、差別は一方向のものでないとつじつまが合わない。要は社会的な強者が弱者を虐げていないと彼らの最終目的は達成できない。最終目的は要は世界同時革命なんだが、それが起きていないということは問題はまだあるはずだ、というふうにも理解しようとする。
そして、もう言いがかりとしか言えないような差別問題をどんどん生産していく。
今の一線で活躍しているフェミニストたちを見ればマルキストが多いことはすぐにわかる。
こういった基盤をもとに差別を論じるので、一方の差別ばかり拾い上げてもう一方の差別を無視する、とか、無いものにするとか、大したことがないものにしてしまう。もっと言うなら成り立たないガバガバな理屈を無理やり作り上げてしまうか、なにか言っているようで何も言っていない正論を飾り立てたことしか言えなくなる。
最終的に今差別を受けていると言われている人々が暴力的な行動で異論を封じ込めるしかなくなるが、これすらも「自分たちを守るために仕方なく行われる防衛だ」ということにしてしまう。
フェミニストたちが言う男性社会というのがある。男性が有利らしい。だが、男性が有利な社会の延長線上に男性が一生懸命働いて家族を養うのがあることに誰も違和感を感じない事に驚きを禁じ得ない。
男が有利な社会の延長にある究極は、男は働かないで女性が一生懸命働いて家族を養う、体力的に限界がある女性たちなので一夫多妻だ。男性は用途ごとに女性を嫁にし、その用途を満たせなくなった女性はポイだが男性が罰されることはない。だけどすべての家庭や社会における権限は男性が持っている。ヒイヒイ言いながら身を粉にして働く女性を尻目に男性は趣味だのレジャーだのに興じていて「人々は時間をもっと有効活用して創造的なことをするべきだよ!」とか平気で言えてしまう社会ではない。
一方海外では、ベクトルではない。誰が言ったかやったかは全く関係がない。絶対値として差別が定義される。当然当人に戦う気概が求められるが。
だがこういうことをいえば「お前らは差別する側だからわからない!」とか言っちゃうんだが、だめだ怒り始めたのでここまでにする。
いや、なんか参加している人、言っている発言内容、とか見ていると、昔のマルキストの言っていることそのまんまで単語が入れ替わってるだけにしか見えない。
何十年も前に廃れた資本家と労働者の対立を男を女に置き換えただけにしか見えない。
歴史は資本家によって搾取された労働者たちがいつか革命を起こしてうんたら、が、歴史は男によって女が搾取されてきた、に変わっている。
資本家と労働者は入れ替わることがあるが、男と女は入れ替わることはない。ここにすでに解決不可能なポイントがあるのに、なんかみんな解決しようとか頑張ってるのが滑稽で滑稽で。
上野千鶴子なんかはマルキシズムの文脈でどうやらフェミニズムの本を書いたのが1990年位なわけだし、思想の源流にマルキシズムがあるのは間違いがない。
https://www.amazon.co.jp/ナチス・ヒトラーは何をしたのか?-ヒトラーは反共産党だった-真実ゆう子-ebook/dp/B00KYUNN3M
真実もクソも、ヒトラーは反共産党だったのなんか誰でも知ってるでしょ……と心の中でツッコミながらページ開いたら地獄のような内容紹介が。
内容紹介
この書は、先人の日本人が残してくださった書物から、歴史を紐解いた日本人必見の電子書籍です。
近頃、安倍晋三首相に対して、ヒトラーの合成写真を用いたりし、ファシストだのナチスだの言って批難している輩がいます。
また、報道などでは、ことあるごとにヒトラーの名前が出てくるようになりました。
ヒトラーと重ねて安倍氏を非難している奴らは、大抵、日本国に日本人に生まれられなかった、あの残念な在日韓国朝鮮人達でしょう。
密航で居座った犯罪者の子孫、日本名を使い日本人になりすまして悪さをしている韓国朝鮮人達です。
戦後生まれの日本人は、誰が本物の日本人かわからない状態の中、暮らしています。
大和系の日本人か、朝鮮系の帰化日本人か、日本名を使っている在日コリアンかわからないのは、とても危険なことなのですが、日本人は実に呑気です。
また、我々日本人が密航犯罪者の子孫である在日コリアンと、差別も区別もないのはおかしいのです。
国籍のある地で、半チョッパリと忌み嫌われ馬鹿にされ、棄民扱いされている奴らと、同等になってやる必要などなく「まず、同胞に差別するなと言いやがれ、同胞に認めてもらいやがれ、気持ち悪い」でいいのです。
戦後生まれの日本人は、誰が本物の日本人かわからない状態の中、暮らしています。
また、戦後、日本人は、政治に興味を持たないように教育されてきました。
ファシストとは何なのか?
これらを正確に語れる日本人は、少ないでしょう。
そこで今回は、「ファシストは、本当に悪いことなのか?」、「極悪非道と言われているヒトラーは、本当に酷い人だったのか?」「ヒトラーは、いったいどんな人物だったのか?」などを調べました。
そして、ヒトラーを知れば知るほど、私は、ヒトラーに惚れました。
ヒトラーが殺したのは、敵だけです。
彼は、ドイツ国の救世主で、ドイツ国民にとても愛されていたのです。
ドイツ国は、共産党、アカ、赤化(せっか)工作員達に退廃させられていたのです。
結局、日本の東條英機氏同様、終戦後、赤化工作員達によって、ヒトラーも極悪非道な人物に仕立てあげられてしまったようです。
共産主義は、アカ、マルクス・レーニン主義やマルキストと言われる思想です。
日本共産党は、国際共産党(コミンテルン)日本支部として誕生した政党で、日本人のための政党ではありません。
また、社会民主党(社会党・社民党・民主党)も共産主義者の集まりで、残念ながら日本人のための政党ではありません。
共産党の目的は、「残念な出自の貧乏な家庭に生まれた奴らが、ブルジョア層を憎み、その地位を奪うこと」なのです。
コミンテルンの組織団体は、フリーメイソンであり、奴らの目的は“世界各国の帝国破壊”である事は、「赤い工作員にご用心」と「左翼の正体」(共にキンドル電子書籍)で明らかにしました。
実は、世界中で、大正時代から脈々と赤化工作が行われているのです。
コミンテルンは表向き解散したようですが、赤化工作はしぶとく続いています。
アジアでは、「ユダヤとシナーとニダヤの大革命」が行われています。
日本人の敵は日本人だという人がいますが、「日本人の敵は、アカとチョン」という言い方にすれば、もっと多くの日本人が目覚め、選挙の投票率があがり政治に感心を持つでしょう。
日本には、日本国籍でも心はあの気持ち悪い朝鮮半島にあるというチョンがわんさかいるのです。
我々日本人は、反日と戦ったりユダヤの陰謀と戦うなんて疲れることをする必要はありません。
ただひたすら、ユダヤとシナーの手先である、ニダヤを見下し罵り笑い者にしながら、徹底排除するだけでいいのです。
先人の書を紐解けば、ファシスト、ナチス、ヒトラーの真実がわかります。
敵に対しては、情け容赦なく、「生まれの不幸を呪うがよい」とでも思いながら、手加減する事なく極限まで心を追い詰めるなりして対処しましょうよ。
先人の日本人は、アカとチョンらに「南京大虐殺問題」「慰安婦問題」「靖国問題」など捏造の歴史を作られ、我々日本人は日本鬼子と罵られ嫌われているのです。
せっかくですので、奴らのお望み通り、敵に対しては、日本鬼子になって陰湿に罵り馬鹿にして気持ち悪がり、あからさまに排斥、排除してやればいいのです。
日本人は、ファシストになって、害人に対しては、容赦なく軽く駆除した方がよいと思います。
スパイ、侵略者の命と心は、ぞんざいに扱って駆除すればいいのです。
土人の暮らしを楽しみ残飯と糞尿で命を繋いでいた奴らに文明を与え、日韓併合をしてやった先人の日本人は間違いだったのです。
一瞬の同情が、命取りです。
とはいえ、今現在、我々日本人に出来るのは、日本国憲法二十一条、表現の自由を最大限に活用する事くらいです。
日本国において、奴らが気にする蔑称を言っても書いても法律上、なんら問題ありません。
チョン達のように人を恨むのではなく、敵に対しては、見下し、罵り、徹底的に笑い者にしていけばいいのです。
敵を近づけないようにするのは簡単。罵るだけの簡単な作業なのです。
日本人同士が結束を固め、敵のあら探しをするなどして悪口を思う存分楽しみ、楽しく意地悪に排除していけばいいのです。
とにかく、我々日本人は、本当のナチス・ヒトラーを知りましょう。
是非、読んでください。
いやいやいやいやいやいやいやいややいyいあやいやいやいやいyいあyいあいやyいあいやいあやいやいややいあいあいあいあいあいあ
なんじゃこいつwww
「日本のリベラル、左翼はダメダメ。なぜ日本には海外のようなまともなリベラル派、左翼がいないのか」ってやつ。
では海外のリベラル派、左翼が日本にいたら評価されるんでしょうかね。
今年の夏の英国選挙で、「なぜ日本にジェレミー・コービンはいないのか」とか言ってる人がいましたけど、
大企業と富裕層に課税して福祉を拡充して教育無償化してJRを再び国鉄にします。
なんて政治家が日本にいたら「経済音痴のマルキスト、時代遅れのお花畑左翼」で終わりでしょ。
なぜ、日本にスティーブン・コルベアのようなコメディアンはいないのか
行政府の長、日本でいえば阿部首相を徹底的にこき下ろして笑いを取るコメディアン、司会者が
子役上がりの女の子が女性の権利向上について声高に訴えたらどうなりますか?
「おねえ系」として道化扱いされてるタレントを除き、役者とか歌手とかスポーツ選手がゲイを公言したらどうなりますか?
実際ゲイ向けのAVに出てたスポーツ選手がネットでどんな扱いを受けてるか見ればわかるでしょう。
有名人に限らず市民団体とか労働組合とかでも同じです。「日本の労組は御用組合だ、話にならん」
じゃあストをやるような組合が日本にあったら支持されるんでしょうか?
数年前に相模鉄道がストやりましたが、世論は「利用者に迷惑かけるな」でしたよね。
最賃1500円にあげろデモとかの反応も「そんなことしてる暇があったら働け」でした。
例を挙げようと思えばいくらでもあげれるんですが、要は海外の「まともなリベラル左派」の人が
日本にいても実のところ支持されないだろうということです。
べつに日本のリベラル左翼が特別ダメダメなんじゃない。単に日本人の多くはリベラル左翼的な価値観が嫌いなだけです。
アラバマとかテキサスは圧倒的に共和党支持者が多くて民主党嫌いなのと同じこと。
クリスチャンになると自然と自然科学に興味が湧く(ダジャレ事故)。
光文社からたまたま出てたダーウィン『種の起源』が分かりやすく面白かったため、自然科学の古典を読んでいきたい。
あと社会科学系の本ばっかり読み過ぎて飽きてきたのもある。
『星界の報告』の新訳。望遠鏡で観た星空の様を感動と共に書いた本、らしい。あと地動説が論じられてるとか。
ニュートンの『プリンキピア』を中学高校レベルの数学で平易に解説した本、らしい。別にこの本じゃなくてもいいんだけど、要するに『プリンキピア』に何が書いてあんのかをざっくり知りたい。
チャンドラセカール『「プリンキピア」講義』なる本も定評があるらしいが、難解らしいので警戒している。
図書館で解説だけ読んだら、あの難解な宮沢賢治の内容がものすごく分かりやすく解説されていて驚いた。本作はその解説(読み方)に従って作品を配列した全集。
といってもどう見てもキリスト教に引っ張られた解釈(「完全な自然と不完全な人間の対比」)で、どこまで鵜呑みにしていいのか分からんけど。
ちなみに有名な『雨ニモマケズ』は、昔からキリスト教っぽい詩だなぁと思っていたのだが、モデルの男と目されている人物(斎藤宗次郎)がクリスチャンらしい。ホントかどうかは知らんが興味深い。
ブコメで勧められたのを検索してたら発見。人生をやり直したいという主人公に神が答えるシーンがものすごく良い。
ドストエフスキーのデビュー作。といっても彼が社会主義者で、ゴリゴリのクリスチャンになる前の作品。なぜか光文社から新訳が出た。
どうも金と愛の話らしい。
クリスチャンになる前はマルキストだったので、この本には昔から興味があった。
古い訳で分厚くでかい本しかなかったので敬遠していたのだが、このたび何故か新訳された。マルクスブーム万歳である。
ついでにヒルファディングの『金融資本論』も新訳してください。
とりあえずこんなところ。
兄はマルキストだ。まあ、それはよい。人には思想信条の自由があるのだから、兄が新左翼の学生団体に入ろうが、毎日デモに出かけようが、私が何か言うべき問題ではない。しかし、先日たまたま兄の大学の人と会う機会があって、兄がかなり性的に奔放な人間であることを知った。いつも資本主義の限界を主張しているのに、下半身だけは自由放任主義なのはいかがなものなのだろうか。
私はちょっとブラコンの気があるのかもしれない。でも私は、将来会社から剰余価値を搾取されることよりも、兄がいろんな女の子から精液を搾取されていることのほうが嫌なのだ。兄は、彼女を作らずに妹を守るという兄の本来のあり方から疎外されてしまっている。恋愛至上主義経済によって作られた、性経験を肯定するイデオロギーに染まってしまっているのだ。兄は社会的にも身体的にも下部構造によって規定されている。マルクスの歴史観は正しかったのかもしれない。
このような歪んだ社会構造を打開するためには、革命しかない。ブラコン革命だ。日本ブラコン党によるブラコン独裁しか道はないのだ。民主集中制に基づいて、計画的ブラコンを行うしかない。私は書記長になって、アンチブラコン主義者をシベリア送りにするのだ。
こんなことを考えていたら日が沈んでしまった。
はてなってワタミ以上に嫌われていると思うけど、なぜここまで嫌われるのか考えてみると、大まかに3つあることが分かった。
1. 社長が権欲・金に汚い
ご存じの通り株式会社はてなはネットでの抜群の知名度に関わらず2012年まで上場の意図すら見せていなかった。
これはひとえに社長である近藤淳也が株を自分の株を持ち影響力を保ちたいという守銭奴ならぬ守株奴的精神を持っていたからであろう。
一転して2012年には上場を狙っていることを発表したけど、おりしも現在はプチバブル期。ドリコムの内藤裕紀社長を超える20億以上の売り抜けを狙う様も見ていて痛々しい。
ま、それも近藤の趣味が自転車ってところで全て集約されていると思う。自転車と言えば、ランス・アームストロング。アームストロングと言えば…。もうね。
ただ、両社ともアメリカ人はだましきれないようであり、サンフランシスコでベンチャーキャピタルから金もらって豪遊プランは阻止されました。
2. 技術力・独創性が皆無
最近目を引いた新サービスがはてなブログの開設だったってところでお察し。ブログって笑。10年くらい遅れているんじゃないだろうかこの会社。
この十年で世間は、ブログに飽きて、mixiに飽きて、twitter、facebookに飽きかけているんですが、何を以てブログをし始めたのか謎にもほどが。
しかし、この企業、はてなブックマークを生み出したってことで技術力があると勘違いされている。残念、それ、deliciousのパクリですから(古い)。
ま、そこは割り引いたとしても、その技術は今は会社を去った元CTO・伊藤直也のおかげでしかないんだよね。
唯一独創的であったぽい人力検索事業はもはやそんなサービスあったことを思い出せる人すら少ないんじゃないかレベルであり、この会社、正直何もありません。
人気芸能人も使うアメブロとかと違って、はてなダイアリー・はてなブログの利用層で有名人なんかほぼ皆無。
ま、そこらへんでやばさがにじみ出てるんだけど、その皆無じゃない少数の有名人ってんのが小説家とかだから性質が悪いんだよね。
小説家っていえば、昔は太宰治(ヒロポン中毒者かつマルキスト)、今は村上春樹(ランナーズハイかつ金持ちなんて・みんな・糞くらえさでおなじみ)と
反社会的でサヨクと相場が決まっている。こうした少数の著名人に代表される属性は、はてなユーザー層に共通しているものと思われ、はてサなんて呼ばれてたりする。
ってことで、技術力がなく社長が権力・金に汚くて信者が臭そうとかそりゃ嫌われるのも納得ですね。
システム障害があまり起こらないのもワタミもびっくりなブラックさに支えられているのかもしれません。
「京都と東京それぞれのオフィスにあるTVの上に設置されているカメラが、365日24時間社内をモニタリングしています」とは、はてな公式HPにある語句。怖すぎます。
本書は評者からみると不思議な本である。実に面白い、同時に反米的な歴史記述とCIA陰謀論に挟まって中国重視論の独特の言い回し、つまり三つの部分が混載されている。ひょっとしてチョコレートでくるんだ毒入り饅頭かも。
題名だけをみると保守派の多くは反発を抱くだろう。しかし誤解を恐れずにアイ・キャッチを狙うあたりは著者ではなくて版元の商業主義的魂胆かも知れない。
冒頭から脱線で恐縮だが、この光文社ペーパーバックスのシリーズは、本書が135冊目。執筆陣は浜田和幸、松本道弘、藤井厳喜、野間健、徳本栄一郎の各氏らと何故か知り合いも多い。とくに浜田、藤井両氏は、このシリーズから数冊上梓されていて、執筆陣も左右混交である。
新世代が読むだろうと思う。というのも、横組みで英語がばんばん入るからだ。逆に小生のように日本語の書物は縦書きでないと親しめない世代にとって、最初はこのシリーズを読むのに骨が折れた。仄聞するところでは、横書きシリーズ、伸び悩みがあって間もなく終巻らしい。閑話休題。
さて近藤大介氏、期待の新作である。近藤氏は『週刊現代』前副編集長。元北京大学留学組。平壌にも小泉訪朝に随行、スクープが多い。日本が米国を捨てて中国と同盟し、韓国も仲間に入れようか、という提言は日本の外交現実を無視しているが、さすがに中国語と韓国語が流暢な著者だけに、情報には格段のおもしろみがある。しかし結語の三国同盟は納得しかねる。
サロン・マルキストという比喩は、革命をワインを飲みながらサロンで語る知識人。典型はサルトルなど。本書を通読した最初の印象はそれである。サロンにおける理想主義。日本共産党は歌を忘れたカナリア、飽きたらず暴力路線に走った反ニッキョウ系は、三派四派五派と分裂し、中核派はと革マル派は互いに殺し合った。
本書に何が欠けているか。暴力革命で政権を取った中国共産党は十三億人の無辜の民を壟断し、支配し、反革命勢力、すなわち民主主義者、独立運動家を「テロリスト」と名付け、逮捕し拷問し処刑する。敵は殲滅するのがかれらの掟である。
中華民族というスローガンは他民族を漢族へ「同化」することであり、これは五族協和の日本の理想とはほど遠く、孫文のそれは「漢族」が「満蒙回蔵」を強制同化し、支配することを意味する。
ウィグル絶滅のためにはロブノール近辺から楼蘭にかけて、46回の核実験。おそらく数十万人が被爆して死んだ。7・5ウルムチ暴動では平和なデモ隊に軍が出動して水平撃ち。おそらく二千から三千のウィグルの無辜の民が虐殺されただろう。
中国の本質は暴力支配、特権階級は富を独占し、その体制を可能な限り長く持続しえるそのためには外交も利用する。本書は、こうした事実をあえて論じない。だから不思議な本である。
では面白い部分はどこか?日本では親中派政治家はみんなCIAの謀略で失脚したそうである。田中角栄、カナマル某ほか。小沢がニシマツでやられかけたのもCIAだそうな。まだある。金正日がある日、北京から帰国のおりに列車爆破。流川とかいう駅だったが、あれを仕掛けたのもCIA。金正日のコックだった藤本某にはCIAから接触があり、毒殺依頼があった由。こうなると007の世界だ。盧泰愚、陳水扁の失脚は反米姿勢だったから?
真相にちかいことは、陳水扁は国民党の戦術=「野党を貶める生け贄」であり、台湾では司法は独立しておらず、もし陳水扁の汚職をいうのなら馬英九も宋楚楡も似たようなスキャンダルを抱えていながらなぜ司法の追求が突如止んだか。だから台湾における司法は中国共産党と同様に司法権の独立が曖昧で、国民党の顔色を窺う裁判官が多いからである。CIAとは関係がないのではないか。盧泰愚の「自殺」は身から出た錆、でなければ謀殺の可能性も否定出来ない。
というわけで田中の失脚はロッキード証言だが、日米の司法取引の差であって、米国の陰謀ではなかった(徳本栄一郎氏が田原総一郎の陰謀説を批判した。田中ブレーンだった小長氏自身が『そういう線で裁判やマスコミ対策を処理しようと提案したら田中総理は「おう」と言った』と証言している)。
本書を読んで考えさせられる箇所も多い。評者が本書を読みながら、どうしても孫崎享氏の書いた『日米同盟の正体』(講談社現代新書)を連想せずにはおられなかった。
外交官出身の孫崎享氏はイラク、イランでミサイルの雨の中、外交を展開してきた人で三月まで防衛大学で教鞭を執った。(そうそう、これもどうでも良いことだが、バグダッドの在イラク日本大使館で宮崎は、孫崎(当時は公使)と会ったことがある。88年だったと記憶する)。
その外交官がイラク戦争突入はアメリカ人の「旋風のような愛国心」の結果であり、リーカーンの南北戦争、真珠湾攻撃と似ているとする。反戦ムードを一気に好戦へもっていく謀略は政治に付きものであり、その点は近藤氏や孫崎氏の分析に同意するが、なぜか孫崎本には外交的結論がない、つまり日本の自立外交を模索してもいなければ対米追随が悪とも言っておらず、最後の最後はアメリカの核の傘は機能しないだろうと言いながら、日本の核武装は反対という。
つまり本書の著者と孫崎防衛大学前教授のスタンスは徹底して政治のリアリティ、外交の合理主義である。
外交は道徳が入ると機能せず、倫理を持ち込むと、外交の基本が成立しない。打算と国益の追求。しかし戦争の回避。軍事力の背景がない日本は、だからといって「ふつうの国」のように外交独自路線を採用することが不可能である。