2024-09-10

痴人の愛』以前に「なおみ」という女性はいたのか?

日本人女性名前「なおみ」は『痴人の愛』によって広まったという説がある。

たとえば以下の記事ではこのようにまとめられている。

英語の名前 “Naomi” はもともと日本語ではなく英語だった!? | 日刊英語ライフ

この記事では「日本のナオミが海外のNaomiとどう関係しているのかハッキリとわかる文献のようなものもありませんでした」と結論されている。

ところが近年では「日本のなおみは海外のNaomiに由来する」と断言している記事も出てきているようだ。

これらの言説は真実なのだろうか。

前述の記事でも引用されているが、『痴人の愛』には以下のような文章がある。

彼女はみんなから「直ちゃん」と呼ばれていましたけれど、或るとき私が聞いて見ると、本名奈緒美と云うのでした。この「奈緒美」という名前が、大変私の好奇心に投じました。「奈緒美」は素敵だ、NAOMI と書くとまるで西洋人のようだ、と、そう思ったのが始まりで、それから次第に彼女に注意し出したのです。不思議もの名前ハイカラだとなると、顔だちなども何処か西洋人臭く、そうして大そう悧巧そうに見え、「こんな所の女給にして置くのは惜しいもんだ」と考えるようになったのです。

「Naomi」と「なおみ」が似た発音であることを谷崎潤一郎意識していたのは確実である

問題は、「Naomi」から「なおみ」という名前を考えついてヒロイン名前にしたのか、それとも「なおみ」という名前を知って「Naomi」のようだと考えて作品に取り入れたのか、ということだ。

というわけで『痴人の愛』以前の女性名「なおみ」の例を探してみよう。

痴人の愛』は1924年大正13年から連載された作品なので、それ以前の人名録のようなものが欲しい。

また、名前だけでは男の「なおみ」である可能性もあるので、性別併記されているとよい。

そこで見つけたのが『日露戦史 軍国彰勲録』である

これは日露戦争に徴兵された人々の軍歴を記したもので、日本各地のバージョンがあるようだが、この版では長野県が中心のようだ。

出版明治44年なので確実に『痴人の愛』以前だし、「妻」「長女」など続柄が書かれているので男性なのか女性なのかも判断できる。

ここに記載されている「なおみ」を抜き出してみよう。

土屋正吉 父文右衛門 母亡ミワ 妻ナオミ 兄国助

金沢右中 父長四郎 母サダ 妻ミユキ 長女なをみ

武捨作蔵 妻ちさと 長女なをみ

とりあえず3名。

少なくとも『痴人の愛』以前から女性名としても使われていた、という証明はできた。

もちろん「名付けランキングの上位に入るようなポピュラー名前だった」というほどではないだろう。

しかし、特定地域からピックアップされたなかに三名もいるなら、ごくごく少数の珍名だという感じもしない。

なお古い例としてはフレデリックイーストレイク結婚した明治2年まれの「太田なをみ」がいる。

ただし、彼女キリスト教改宗しているので、そこで(Naomiにもとづいて)改名をした可能性もなくはない。

また、少し時代は下るが昭和初期の『人事興信録』でも、明治まれの「なおみ」を何人か確認できた。

ちなみに「なおみ」が「名付けランキングの上位に入るようなポピュラー名前」になってくるのは1967年ごろからである

こちらについては1967年デビューした佐良直美の影響が指摘される(「佐良直美自体芸名である)。

明治から昭和に至るまで「なおみ」という名の女性がそこそこ存在していたことはわかった。

だが『痴人の愛前後でどのくらい増えたかはわからない。

そもそも痴人の愛』を読んで、自分の子供に「なおみ」と付けたくなるだろうか?という疑問もある。

痴人の愛』の奈緒美は、主人公結婚しているにもかかわらず、若い男たちと遊び歩いているような女性である

そこから「ナオミズム」という言葉が生まれ新時代女性象徴となったというような話もあるが、当時の辞書には、

因習的な貞操観念なき変態性欲的恋愛をいう

などと書かれており、どう考えてもポジティブ意味ではない。

ふと思ったが、「〜み」「〜美」という命名は当時(『痴人の愛』以前)から一般的だったのだろうか。

「なおみ」だけがポンと出てきたなら、西洋の「Naomi」由来というのは説得力がある。

しかし、他にも「〜み」という名が多いなら、同じ要領で「なお+み」という名付けがされても不思議ではないだろう。

というわけで再び『日露戦史 軍国彰勲録』に出てくる名前を集計してみた(ただし「とみ」「なみ」などの二字名は除外)。

  • 「勝美」「カツミ」「かつみ11
  • 袈裟美」「ケサミ」「けさみ」3名
  • 「キヨミ」「きよみ」2名
  • 「睦美」2名
  • 「初美」1名
  • 「喜遊美」1名
  • 「たけみ」1名
  • ことみ」1名
  • 「アキミ」1名
  • カスミ」1名(霞?)
  • 「喜美」1名(よしみ?きみ?)
  • 「真美」1名(まさみ?まみ?)

「〜み」「〜美」型の名前は決して珍しくなかった、と言えそうである

とはいえ、これは「なお+み」という名付けが自然だったことの傍証しかならないだろう。

結論として、『痴人の愛』以前にも「なおみ」という女性がそれなりに存在した、とは言える。

痴人の愛』をきっかけに日本に「なおみ」という名が広まったかどうかは、データがないのでわからない。

「なおみがNaomi由来である」という言説は、否定する根拠も、肯定する根拠もないままである

  • とくに結論には影響ないが、1963年生まれのオレの同級生にもナオミという女の子は2人いた。小中学校の1学年100数十人だったので、とりわけ人気の名前でも珍名でもないなw

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