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2024-07-17

anond:20240717125540

https://newsphere.jp/culture/yasuke_african_samurai/

 弥助の出自については詳細な記録がないものの、アフリカ南部現在モザンビーク、または北東部コートジボワール出身とする説が有力だ。

少年時代におそらくは奴隷として、アラブ周辺およびインドに移された。インドでは少年兵として使役し、後にイエズス会宣教師師事している。

その後1579年、宣教団の護衛役として日本に渡ることになる。

からだの小さな少年ならともかく、身長182センチの大男が奴隷で居続けるほうが不自然だよね。

2024-06-16

コロンブス映画のこと

コロンブスアメリカ大陸500周年を記念した映画1992年当時、すくなくとも2本公開されている。

どちらも大作指向作品だ。

1本は、元増田が書いてるリドリー・スコット監督の『1492 コロンブス』。(原題 “1492: Conquest of Paradise)”)

もう1本はジョン・グレン監督の『コロンブス』(原題Christopher Columbus: The Discovery”)。

ジョン・グレン監督というのは馴染みのない名前かもしれないが、1980年代から90年代007シリーズを手掛けている人。

実はこの2本の映画、少なから因縁がある。

自分は見たのは前者(以下『1492』と略記)だけだが、後者(以下『コロンブス』)についてもいろいろ悪い意味話題になってたよなあと思い出したので、wikipedia英語版その他を手がかりに書いていく。正確性は必ずしも保証しない。

元増田は『1492』を“盛大にコケた”と評してたが、もっと目も当てられないコケ方というか、製作時点からトラブル続きだったのは後者の方。興行成績も『1492』のほうがよほどマシだったはず。

コロンブス』は米・英・スペイン合作の、アメリカ大陸到達500周年記念大作として、スーパーマンシリーズでも有名なサルキンド親子のプロデュースで動き出した企画だった。

実はリドスコ、こっちの監督としてオファーされていたのだが蹴ったあげく、ライバル作品である『1942』を監督を受けてしまう。

こっちのプロデューサーは当時は若手のフランス人で、脚本はその人の奥さんが書いてるのだが、たしか脚本に惚れ込んだとかいう話だった記憶が、うっすらあるような、ないような。

これが訴訟沙汰になってリドスコは訴えられてしまい『コロンブス』サイドによればリドスコ側が脚本アイデアを盗んだとかなんとか。

脚本は似てないってことで損害賠償は認められなかったようだが、リドスコ版の原題が“Conquest of Paradise”となっていてコロンブスのコの字もないのは、そういう大人の事情が働いていたようだ。

コロンブス』は大作にふさわしく、原案脚本マリオ・プーゾ(あのゴッド・ファーザーの)、キャストにはマーロン・ブランドも名を連ね、リドスコに蹴られた監督オファーをまず受けたのは、イタリア出身ギリシャ人監督ジョージ・P・コスマトス

っていわれても知らねえよってのが普通の反応だが、『カサンドラ・クロス』『ランボー怒りの脱出』『コブラ』等々の作品は知ってる人もそこそこいるか

ところがこの人も、「創作上の相違」を理由降板した上、製作サイドに訴訟を起こしており、あとを続くようにティモシー・ダルトン(4代目ジェームズ・ボンド)やイザベラ・ロッセリーニ(あのロッセリーニイングリット・バーグマンの娘)も降板

マーロン・ブランド異端審問官役だったらしい)はクレジットの削除を要求したらしい。

詳細は不明だが、勝手に推測するに、“とにかく500周年に合せてデッカイ映画を!”が先走って、いろいろグチャグチャだったことがうかがえる。

映画自体は観てないから内容は知らないが、あらすじをみる限り、こちらはあくまで“アメリカ大陸到達まで”を描く娯楽大作だったようだ。

ということはコロンブス像はわりと“英雄”のまま?

『1492』の方も見るには見たのだが記憶曖昧だ。元増田同様、長くてつまんなかったというのは良く覚えてるけど。

ネットでいくつか感想や評のようなものを見かけたが、わりと人によって違う印象で、これはつまり、ダラダラ長い割に焦点の定まらない映画だったということかも。

ネット情報を参考にしつつ自分記憶とあわせて再構成してみると、

  • インド(と、本人は思ってる)に到達。そこは楽園みたいなところで、住んでる人も文明は発展してないけどいい人たちで、根が悪人というわけでもないコロさん仲良くなる。
  • でも思ったほど金とか銀とか見つからない。とりあえず拠点をつくるため、何十人か部下をそこに残してコロさん本人は一旦帰国
  • 帰国しても信じる人もいれば“デマ野郎”というやつもいる。とにかく航海は儲かると言った以上、成果を出さなきゃいけない。また出港。
  • 現地に残してきた部下は全滅してる。“現地人にやられたに違いないか復讐を!”となるのをコロさんは抑えようとするのだが、そうもいかず“異教徒は許さん!”の宣教師や“非文明人は搾取して殺してナンボ”な人たちが主導権にぎって、あとは地獄絵図。

みたいな感じか。

で、当時たしか“なんだかコロさんがどういう人なのかも、監督がなにを言いたいのかよく分からん”と思った記憶がある。

山師なのか夢見がちなロマンチストなのか。結局は儲けたくて航海やってんのか。

いやまあ色んな面を持ってるのが人間だよねーで納得できる感じでもなかったと思う。

で、最後になんか取ってつけたように“人生にはロマン必要だよね”みたいなこと言い出して、いや、これそういう映画だったっけ?みたいな。

コロンブスがきたせいで南米大変なことになっちゃったねー、それまで楽園みたいだったのに、ってのはかろうじて伝わったが。

しかしたら当時、コロンブス像の転換というのが行われている最中で、それを反映していろいろ多面的な捉え方をしようとした脚本だったのかもしれないが、それが作品には投影されてなかったのだろう。多分。

まあ配信もされないってことは、もう歴史の闇に葬り去られていく映画なんだろうけど、あの年にコロンブス映画が失敗したことで、その後のエンタメテーマとしてはとりあげにくくなったのかなぁ?という気はするな。

結論 コロンブス鬼門なので安意にエンタメで扱わないほうが良い。

え?違う?

https://anond.hatelabo.jp/20240615222935

2024-05-20

anond:20240520131027

キリスト宣教師はい、わかりましたね、皆さん。この通り、おかしなことだらけ!他の宗教は偽りです。」

ユダヤ宣教師 「お前らが正しい理由にはなっとらんけどな」

キリスト宣教師うるさい黙れ軍隊ドバァー

民      「アーメン!」

やっぱ神とは即ち力のことだったわ。

anond:20240520125231

これは前っからすごく思う。

宣教師アラー奉仕ジハードすればあの世処女抱き放題!今がお得です!」

民  「え、sexした時点で非処女ですよね?」

宣教師「それがなんと!処女再生機能付き!お勉強させていただきました!そんな永遠処女を72人もつけちゃいます!!」

民  「アラーアクバル!!」

……そうはならんやろ

2024-05-17

anond:20240517151417

猿や猿人類で既にオスメスで関節の柔らかさが異なりますが、いずれも後背位による交尾であることを考えると、

正常位の方が後から発見された可能性が高いと考えられます

また、正常位については、一部で「宣教師体位」と言う名で呼ばれていることから分かる様に、比較近代になってから普及した体位であるとも終われています

2024-05-16

anond:20240516130016

家忠日記』の天正104月19日15825月11日)付けの記述には「上様[注釈 4]御ふち候、大うす(デウス)進上申候、くろ男御つれ候、身ハすみノコトク、タケハ六尺二分、名ハ弥助ト云(信長様が、扶持を与えたという、宣教師から進呈されたという、黒人を連れておられた。身は墨のようで、身長は約1.82メートル、名は弥助と云うそうだ)」とその容貌記述されている[13]。これは弥助も従軍していた甲州征伐からの帰還途上に、信長徳川領を通った時に家康の家臣である松平家忠が目撃したものであるが、日記記述に弥助は下人や年季奉公人のような隷民ではなく扶持もちの士分であったとはっきり書かれている。

2024-04-05

宣教師ってどっかから給料出てたのかな

ザビエルとか出張で来てたわけじゃん?

出張費とか交通費とか転勤の引越し費用とかさ

そもそも単身赴任だし

現金仮払いで来たのか?

給与振り込みされて

ちゃんとおろせたのか?

両替するところ無さそうだし

為替レートとか大変そう

ザビエル

床屋も大変だったろうな

あん髪型

anond:20240404223153

求道者もいいが、宣教師もいいぞ。やり方を書け。

2024-01-20

anond:20240120065455

西洋人宣教師名前がない!女性差別されている!と言っただけ(今も言ってるやつもいる)だぞ。

実際には本名を隠してただけ。

日本もそう。日本に住んでるアホ西洋人もその説を信じてるからな。

2024-01-10

anond:20240110190232

結局都合が悪くなるとそうやって「当事者の苦しみは当事者しかからない」式論法に逃げ込むんだもんな

なら宣教師しぐさなんかやめて最初からそれで押し切りゃあいいのにって思っちゃう

2023-12-18

anond:20231218164950

応慶の乱

肥前国平戸には、室町幕府命令で、南蛮貿易の窓口として、ポルトガル人スペイン人宣教師たちが住んでいた。彼らは日本の文化言葉に興味を持ち、日本人交流を深めていた。中でも、応慶という名の若い僧侶は、彼らの信仰知識に魅了され、彼らからキリスト教西洋学問を学んでいた。

しかし、応慶の行動は、幕府寺院の目に留まり不快に思われるようになった。彼は、外国人の影響を受けて、日本の伝統仏教を軽視していると非難された。幕府は、応慶を捕らえて、尋問するように命じた。しかし、応慶は、宣教師たちの助けを借りて、平戸から逃げ出した。彼は、肥前国の各地に散らばっていた、キリスト教改宗した武士農民たちを集めて、反幕府勢力を築いた。彼は、自分名前にちなんで、その勢力を「応慶軍」と名付けた。

幕府は、応慶軍の存在を知り、室町幕府将軍足利義稙大内弘興を大将とする討伐軍を肥前国派遣した。永正5年(1508年)こうして、肥前国で、応慶の乱と呼ばれる戦いが始まった。応慶の乱は、数か月にわたって続き、肥前国火の海と化した。応慶は、大内軍の軍勢に対抗していたが、大内氏の軍勢は、数や装備で勝っており、応慶軍は次第に劣勢になっていった。永正6年(1509年)最後の決戦は、平戸山で行われた(平戸合戦)が、早々に大将である応慶が矢に倒れ討死することとなる。

大内軍は、応慶軍の残党を一掃しようとしたが、平戸宣教師たちが仲介に入った。彼らは、幕府と応慶軍の和睦を提案し、両者の寛容を求めた。当時、大内氏は京において細川氏畠山氏との権力闘争火種が残っていたため帰京を急いでおり、宣教師たちの説得に応じて、応慶軍の残党に恩赦を与えた。応慶軍の残党は、幕府支配に従うことを誓った。こうして、応慶の乱は、和睦によって終わった。

応慶の名前は、肥前国の人々にとって、平和幸運象徴となった。彼らは、応慶の名前を「おーけー」と発音し、物事がうまくいったときや、同意を示すときに使うようになった。この言葉は、平戸宣教師たちにも伝わり、彼らは、応慶の名前に敬意を表して、その言葉を使うようになった。

宣教師たちは、幕府追放を受けて、平戸を離れたが、その言葉を忘れなかった。彼らは、自分たちの母国に帰って、その言葉を広めた。彼らは、その言葉が、日本の文化歴史関係することを説明し、その言葉を使うことで、日本との友好を示すことができると言った。彼らは、その言葉を、手紙書物に書いたり、会話や挨拶に使ったりした。

やがて、その言葉は、ポルトガルスペインだけでなく、他のヨーロッパの国々にも伝わった。その言葉は、様々な言語翻訳されたり、略されたり、変化したりしたが、その意味は、元の応慶の名前と同じだった。それは、物事がうまくいったときや、同意を示すときに使う言葉だった。その言葉は、世界中に知られるようになった。それが、「OK」という言葉起源である

応慶の乱

肥前国平戸には、勢力を伸ばし大名となっていた松浦隆信の庇護によって、ポルトガル人スペイン人宣教師たちが住んでいた。彼らは南蛮貿易を通じて日本キリスト教を伝えるとともに、日本の銀や刀などの商品中国ヨーロッパに運んで交易を行っていた。また彼らは日本の文化や言葉に興味を持ち、日本人と交流を深めていた。中でも、応慶という名の若い僧侶は、彼らの信仰知識に魅了され、彼らからキリスト教西洋学問を学んでいた。

しかし、応慶の行動は寺院の目に留まり不快に思われるようになった。彼は、外国人の影響を受けて、日本の伝統や仏教を軽視していると非難された。当時、一向宗帰依していた土着の武士たちは応慶を捕らえて、尋問するように命じた。しかし、応慶は、宣教師たちの助けを借りて、平戸から逃げ出した。彼は、肥前国の各地に散らばっていた、キリスト教改宗した武士農民たちを集めて、反幕府勢力を築いた。その勢力は応慶の名を取り「応慶軍」と呼ばれた。

幕府は、応慶軍の存在を知り、室町幕府将軍足利義稙大内弘興を総大将とする討伐軍を肥前国派遣した。永正5年(1508年)、こうして肥前国で応慶の乱と呼ばれる戦いが始まった。松浦氏は応慶に僅かながら援助していたが、松浦氏は当時、大内氏の配下でもあったため表立って応慶への支援は行えなかった。応慶の軍は、当初は大内軍の軍勢拮抗していたが、大内氏の軍勢は数や装備で勝っており、次第に劣勢になっていった。永正6年(1509年)、最後の決戦は、平戸城の南西に位置する川内峠で行われた(川内合戦)。しかし、早々に大将である応慶が矢に倒れ討死することとなり、合戦は数時間で決した。

大内弘興は平戸に残る応慶軍の残党を一掃しようとしたが、平戸松浦氏と縁戚関係のあった宇久氏が仲介に入った。宇久家当主であった宇久盛定は幕府と応慶軍の和睦を提案。当時、大内氏は京において細川氏畠山氏との権力闘争火種が残っていたため帰京を急いでおり、宇久盛定の説得に応じて、応慶軍の残党に恩赦を与えた。こうして、応慶の乱は、和睦によって終わった。

応慶の名前は、肥前国の人々にとって、平和幸運象徴となった。応慶の名前を「おーけー」と発音し、物事がうまくいったときや、同意を示すときに使うようになった。この言葉は、平戸宣教師たちにも伝わり、応慶の名前に敬意を表して、その言葉を使うようになった。

その後、宣教師たちは平戸を離れたが、その言葉を忘れなかった。宣教師たちは自分たち母国に帰って、その言葉を広めた。その言葉日本の文化や歴史関係することを説明し、その言葉を使うことで日本との友好を示すことができると言った。彼らは、その言葉手紙書物に書いたり、会話や挨拶に使ったりした。

やがて、その言葉は、ポルトガルスペインだけでなく、他のヨーロッパの国々にも伝わった。その言葉は、様々な言語翻訳されたり、略されたり、変化したりしたが、その本来意味は変わらなかった。それは、物事がうまくいったときや、同意を示すときに使う言葉だった。その言葉は、世界中に知られるようになった。それが、「OK」という言葉語源である

2023-12-16

救いの前に彼らを迷わせなければならない

バイオ大学での福音学での恩師、カーティスミッチェル博士はよく言っていた。「救いの前に彼らを迷わせなければならない」と。もし人々が自分たち生活に何か深刻に満たされていないものを感じていなければ、新たな信仰を受け入れるとは考えにくいし、まして神や救いを求めようとするはずもない。

ダニエル・L・エヴェレット(著), 屋代通子(翻訳)(2012年)『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化世界観』(みすず書房pp.369

 キリスト教宣教師によって世界各地に伝播していく仕組みはこれだったのか。ローマエルサレムとははるか遠くに離れたアジア南米にまでキリスト教が広まっているのが不思議だったけれども。キリスト教には原罪というすべての人類に押しつけがましく罪悪感を植え付ける思想があって、個人的には気に食わなかったけど、宣教にはうってつけの手法だったのか。

 著者のエヴェレット博士は、SILという米国キリスト教宣教師組織の一員として聖書ピダハン語に翻訳して宣教するために、ブラジルアマゾン少数民族ピダハン集落へと妻子と共に赴いた。著書によると、聖書翻訳してピダハン理解させることはできたが、キリスト教信仰を受け入れさせることはできなかった。

 ピダハン特別宗教信仰しておらず、実際に見聞きした物事しか信用しない。あえて何らかの信仰があるとすればアニミズム信仰であり、あらゆる物に精霊が宿っていると考えている。さらには自らが精霊になったりもする。故人に変装して土葬されたとき気持ちトランス状態で語ったり、精霊の名のもとに自らの雄弁さや教訓を語ったりといった具合にだ。日本で言うところのイタコ芸かと私は思った。ピダハンにとって精霊は、実際に見聞きできるものなのだ

 ピダハンにとってイエス・キリストは実際に見聞きをすることのできない存在なので信仰対象たり得なかったのだ。翻訳された聖書の音声レコードを聞いて文化の違いに笑ったりもするが、聖書エンタメしか理解されなかったようだ。洗礼者ヨハネが首をはねられる場面を楽しみながら何度も聞いたという具合にだ。エヴェレット博士宣教師だが、同時に言語学者として大学での研究も並行していた。実証されたこしか信じないピダハンの態度を目の当たりにして、エヴェレット博士科学者としての自らの論理的思考の結果から信仰に疑問を持って無神論者になったという。

 聖書アニミズム信仰者に理解させることができなかったことは、キリスト教宣教師が自らの信仰喪失させるほどのことだったのだろうか。だとしたら、過去世界中にキリスト教宣教できたのはなぜだろうか。やはり、金や暴力といった強制力を働かせなければ宣教は難しいのだろうか。日本に対するキリスト教宣教師がそうだったように。冒頭で引用したように、強制力をもってして迷わせることが、キリスト教宣教による救いを与えるのに必要な前提なのだろう。ジャングルという恵まれ自然に満足して常に笑顔を絶やさなピダハンには、迷う必要そもそもなかったから、キリスト不要だったのだ。

 科学技術の発展にともなう人々の論理力の向上と、金や暴力による強制力忌避する社会的な風潮によって、宗教の力は今後ますます縮小していくことだろう。日本において神道仏教などの宗教の力が人々から薄れていくのと同様の運命を、キリスト教など他の世界的な宗教でも同様にたどっていくことだろう。

2023-11-09

anond:20231109211402

さまざまな言語的および文化的理由により、日本語西洋人にとって習得が困難でした。 16世紀ヨーロッパ宣教師は、日本語微妙さにイライラした最初外国人の一人であったが、決して最後外国人の一人ではなく、日本語を「悪魔言語」と呼んだ。 それ以来、多くのヨーロッパ人やアメリカ人が彼の意見同意するようになりました。

https://www.nsa.gov/History/Cryptologic-History/Historical-Events/Article-View/Article/2740656/linguists/

2023-11-03

正常位の英語がミッショナリーって

宣教師はそれを原始民族のための、いわゆる適当位置と考えた。

うーんうそくさい

2023-09-26

テレビが大きな洗脳装置としてしか機能していない

みんな見てみないふりしてるけど、ジャニーズの一件で、最も切り込まなきゃいけないのはここだと思うよ。

ジャニーズがここまで大きく成長できたのは、ジャニー氏の手腕だけじゃなくて、テレビ洗脳装置として成立するためにテレビ従順アイドルという存在必要不可欠だったということにあるということ。

さら洗脳装置として有能だから大手企業スポンサーとして資金提供していたわけだし、結局のところこうした洗脳装置を維持することでそれぞれの利権を手放したくないという欲とエゴを利用してジャニー氏は少年たちを食い物にしていたということになる。

挙げ句には政治さえも利用していたわけだし。

まぁ、なのでジャニーズを使っていたテレビ局は当然共犯だし、そのテレビスポンサーしてた企業だって共犯ということにならなくてはおかしいはず。

そんな中で、スポンサー企業側がテレビ業界批判してるのを見るとちょっと待てと思うよね。

大きな問題の一つは、正しい形でのジャーナリズム日本では息をしていないということ。

民放時価総額ばっかり気にして、ジャーナリズムを捨ててワイドショーだらけになった。

ニュースという形を取っておきながら、やれどこそこの商品が、どこそこの飲食が、どこそこの観光地がなんぞばっかりで、報道の形をした情報番組に成り下がっている。

そりゃ誰も見向きもしない用なつまらない真実報道より、めし、旅、子ども視聴率稼いだほうが金になるでしょうね。

一度テレビで流れれば漫画みたいに人であふれるんだからテレビ自分たちの力を見誤ってもおかしくないと思うよ。

とりあえず、地上波の1チャンネルくらいはジャーナリズム専門チャンネルとかあってもいいんじゃないかと思う。

それでお互いを監視しあってバチバチやるくらいじゃないと緊張感が維持できないでしょ。

それでもスポンサーかに忖度なく、真実粛々と追い求めてくれるメディアがあったら受信料払うって人は少なくともNHKより多いと思うよ。

本来NHKにその役割を期待したかったところだけど、受信料問題とかで視聴者に媚びなきゃいけない隙をつかれてジャニーズが紛れ込むのを許してしまったという感じじゃないかな。

詳しく知っているわけではないけど、素人目に見ても民法ディレクターが大量に採用されてなりふり構わず視聴率をあげようともがいてた時期くらいかおかしくなったという印象。

そういう意味で、最後の砦であるNHKジャニーズに屈してしまたことで、日本テレビから報道公平性は失われてしまったと言っていいのだろうね。

YoutubeとかSNSかにそういう機能を期待していないわけではないのだけど、根底に「日本正常性バイアス強すぎ」問題があって、なかなかうまく行かなかった。

この「自分たちが信じたい形で世界を信じていたい」という根本的なバイアステレビによって育てられているうちは、解決が難しいのがこの問題だと思ってる。

誰がこのやばい世界を救ってくれるのだろうね。

テレビ局はジャニーズアイドル宣教師として使えなくなった以上、次の宣教師を探し始めてる。

といっても、吉本芸人が穴を埋めていくしかないことはわかりきってるけどね。

ジャニーズ問題を語るとき、この辺の問題もセットで考えることができないと、いつまでたってもメディアに踊らされるだけだということは気がついていたほうが良いかと思います

当然吉本政治ともずぶずぶなので、今の世の中、三権分立じゃ相互監視が足りなくなっているというのがそもそも問題根底にあるということだけ言っておきたいと思います

2023-09-23

満州の)同仁会は欧米文化事業に対する日本の対抗策だった

欧米宣教師拮抗すると見るべき仕事があった

宣教師ってピッタリの言葉だな

ウェブ言論人が日本人向け宣教師だったりするカルト文化だし(医師弁護士芸能人含む)

2023-08-04

anond:20230804160841

アサクリ世界におけるカトリックおよびイエズス会ってどんな位置づけなんだっけ?

テンプル騎士団が敵だからイエズス会も敵?

忍者アサシン教団に繋がりを持たせたいけど宣教師は敵勢力から適当ということな

そこで「実はアサシン教団の一員である黒人奴隷・弥助」を登場させるのには必然性があるんちゃう

知らんけど

2023-08-01

anond:20230801092820

遠藤周作原作映画化、「沈黙-サイレンス」が存在するぞ。

キリスト教が厳しい弾圧を受ける江戸時代初期の日本。その惨状を聞いた2人の宣教師が、海を越え長崎に潜入するが、隠れキリシタンたちとの対話幕府からの暴圧の中、2人は生や信念について自問することとなる…

ハード弾圧描写があるが、忘れてはいけないのは欧米ではキリシタンマジョリティなので、弾圧されるキリシタン側に感情移入可能被害者感情で見られる)点だわな

オッペンハイマーカウンターパートとして

誰か長崎隠れキリシタン映画作ってくれよ。弾圧されて長く耐え忍んだ後に、数百年ぶりに宣教師奇跡的に出会う。と思いきや、キリスト教国の不必要だった原爆投下で全て破壊されてENDみたいな。絶対、良いテーマになると思うんだけどな。

2023-07-28

洗脳には必ず裸踊り儀式がある

中古車販売店の恫喝LINEなんかを見ると、またこパターンだなと思う。

あらゆる洗脳によって身近な人間が何人も姿を消していった増田なりに考えた洗脳についての話です。

洗脳と聞くと誰か特定ターゲットに行うものと思われがちだけど、実はそうでもなかったりする。

例えばカルト宗教を思い浮かべてもらえるとわかりやすいのだけど、来た人間全員を洗脳しようとは思ってはおらず、間口は広くしておいて洗脳に引っかかった人間けが残るような仕組みになっている場合の方が多い。

まり、「Aを洗脳しよう!」ではなくて、「A、B、C、D、E、Fにそれぞれ洗脳を試してみて、B、Eが洗脳に引っかかったから次はより強い洗脳を試そう。」といって絞り込んでいくような感じだ。

なので、洗脳というのは割りと結果論的な側面が強いパターンが多いよというか、むしろほとんどですよということをまず知ってもらいたい。

言い換えれば、誰にでも効果が期待できる洗脳を追い求めるよりも、洗脳にかかりやすい人を探したほうが早いよということ。

中古車販売となんの関係があるの?と思うかもしれないけど、恫喝典型的洗脳手段だと思ってください。

洗脳とは、簡単に言えば相手自分の意のままに言うことを聞くようにすること。

逆を返すと、どのような状況であれ自分の意のままに言うことを聞くようになっていれば、それは洗脳成功しているとも言える。

この違いは何かというと、そこに本人の納得は必要ないという点。

宗教のように心から相手を信頼してしまパターンもあれば、自分は納得していないけど大きな借金があるから言うことを聞かざるを得ない状況というのも、等しく洗脳されている状況といえてしまうのだ。

手段関係性はどうであれ言うことを聞く状況になってさえいれば、それは洗脳において成功と考えてなんの差支えもない。

恫喝というのは世間一般で考えればどう見ても間違ってる行動だ。

なのにあえて大勢社員の前で恫喝をしてみるとどうなるか。

それによって離れる人間もいれば、自分が悪かったと受け入れる人間が出てくる。

さらに言えば、恫喝された他の人間の反応を見て自分恫喝する側に回れば支配する側に回れると考える人だっている。

一度くらいなら自分が悪かったと思ってこらえる人間いるかも知れないが、それが当たり前に何度も続けば結局は残った人間恫喝を受け入れた人間だけということになる。

まりこの状況は、恫喝という非常識的な行為を繰り返すことによって、それでも言うことを聞く人間だけに絞り込めた状況と考えて差し支えがない。

そこに言うことを聞くようになった理由必要ない。言うことを聞くという事実こそが重要なのだ

洗脳する側にしてみれば言うことを聞く人間だけ残ればいいのだから、まともな判断力を持った人間はむしろ不要で、恫喝を受け入れた人間だけでなくそれを理解した上で利用する側に立った人間だって必要人間だと言える。

この点も、信仰の強い信者だけでは宗教が広がっていかないのと同じで、同じような手段理解した上で行使できる宣教師必要だということと非常に近しい。

当然、ただ恫喝をするだけで人を洗脳できるわけではない。

なぜ恫喝を受け入れざるを得なかったのか、その部分を説得や集団心理などを利用して騙していくことを洗脳だと考えている人も多いだろう。

しかし、それが最初にいった洗脳に対する誤解が多い部分でもある。

そこを自分たちで説得するよりも、注文の多い料理店しかり、正常性バイアスで受け入れてしま人間を探したほうが早いと言うのが現実だ。

それならば、まずは相手がどのような考えを持っているかを知るよりもさっさと恫喝してしまったほうが結果は早いのだ。

中古車販売店で言えば、その点において用意したものと言えば高い報酬人間的成長くらいであろう。

ただし、人間的成長は逆説的に行なえない側を幼稚とするものだったと思われるが。

それでも納得しない人間たちを説得するよりは、ついてきた人間だけを選んでいったほうが遥かに効率がよいのだ。

今回はたまたまトリガーになったわかりやすい例が恫喝だったが、増田自身勝手にそれを裸踊り儀式と呼んでいる。

裸踊りは、普通人間なら人前ですることはない。

しかし、洗脳されている人間にしてみればありとあらゆる理由をもって裸踊りをする自分肯定できてしまう状況にある。

まり裸踊り儀式とは、洗脳手段ではなく洗脳度合いの効果測定を目的としている。

はじめから裸踊りをさせるわけではなく、最初もっとさなことから行われる。

人前で大声を出すとか、駅前掃除させるだとか、普通ならやらないようなことに何かと理由をつけてやらせてみるのだ。

それでもし言うことを聞くようであれば、次のステップへと進む。

離脱してしまえば仕方ないし、迷っているようであれば背中を押すような理由を用意する。

そうして少しずつ洗脳効果測定をしては、思い通りに動く人間を選別していくことが洗脳本質であると考えている。

そういう意味では、落ち葉掃除のために誰もが犯罪だとわかるような枯葉剤をまいてしまうという行動も、すっかり洗脳が浸透している状況だったとも言えよう。

裸踊りには、周囲から奇異の目を向けられることによる社会的孤立という副次効果もある。

洗脳したい側にしてみれば、邪魔もの良識ライバルだ。

社会的孤立によってその2つから遠ざけることができれば、より洗脳をしやすくなるのだから選ばない手はない。

まりは、ここが洗脳から助け出せる最後分水嶺だとも言える。

もし何か怪しい方向に進んでいる近しい人がいるならば、突然社会的孤立につながるような行動が増えたときは要注意だ。

距離をおいたが最後、助け出すことは不可能だろう。

おわかりかもしれないが、教育とは洗脳である

それが公序良俗に反していないだけであって、誰もが最初おかしいと思うようなことでも、いつかは望んでするようになるし人に勧めたりもするものだ。

一部の体育会系運動部が好んで行う人前での奇行なんかはまさにこれだ。

過去体育会系大学出身人材就職に好まれたのも、すでに洗脳されやすい土壌が学生生活の中で作られていたことが理由であろう。

そして何もこの話は対岸の火事ではない。

しろワンマン経営者中小企業に多いし大手学習塾でも当たり前のように見られる。

それ自体を悪だとは言わないが、仮にこの裸踊り儀式兆候が見られたときはそれより先に進むべきかどうかは必死で悩むべきだろう。

人間自分意志だけですべてを決定できるとは思っていないが、誰かの欲を満たすための道具にされることを望んでいる人なんていないはずだからだ。

洗脳を行った側をいくら責めても何も帰ってはこない。近寄らない、近寄らせないことが最も効果なのだ

2023-05-20

anond:20230519122751

散々幕府虐殺されながら隠れキリシタンとして何百年も耐え忍んできて、開国時にやっと宣教師と会って奇跡として喜んだりしてたのに、最後最後で同じキリスト教徒原爆で焼かれて皆殺しの虐殺にあうとか、不条理系の寓話味があってドラマチック

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