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2019-10-13

現代美術をわかってない連中が批判してるよ」

現代美術とやらのルールとかしらんし外の人間には関係ない話だわな

2019-10-12

アートに関するよくある勘違い

表現不自由騒動きっかけなのか、最近アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。

とりあえずポリティカルなことや特定展覧会人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違い淡々と正してみる。

文章が読めない人向けに繰り返すが、別に表現不自由展」など特定展覧会作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート芸術」に対する先入観について語っている。


自費でやれ?

基本的に、人間芸術で食っていけないという前提がある。

前史時代から現代に至るまで、金銭作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれ芸術作品芸術はいない。

「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。

パトロン

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族王族庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品メディチ家庇護のもと、もしくは依頼で作られている。

モーツァルトのようにフリー音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。

現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。

政府

こちらは王政封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。

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政治思想とは一定距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位アーティストを雇い、パブリックアート制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である

因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動バンバン興った。

それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界アート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。

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一方、プロパガンダ芸術で有名なのはソ連ナチスなど。政府意向政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品政府思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。

上述した政治思想とは一定距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。

ただ、これらの政府体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。

あくま個人的見解だが、プロパガンダ芸術はその性質大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。

なお、これらの国では、現代アート前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストアメリカ渡り祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。


政治色をもつ作品芸術ではない ?

上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。

だが「20世紀代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。

現代であれば例えばバンクシーは思いっき政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。

文学音楽映画だって政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。

政治色をもつ作品アートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。


大衆に受け入れられないもの芸術ではない?

しろ現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族王族むけに作品を作っていた。そもそも一般大衆向けの芸術ではない。

時代大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎ケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術ほとんどは淘汰されている。

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現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキージョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったこだってある。

これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展花形だし、ストラヴィンスキーバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさん美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆感覚はあてにならなくなる。自分感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。

かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ

グリーンバーグ論文

この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドキッチュ」っていう論文が分かりやすい。

この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆感覚芸術作品価値乖離について論じている。要するに、「大衆迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。

80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。


不快作品公序良俗に反する作品芸術ではない?

作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話聖書出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。

実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実女性の裸を描くなんて、淫猥である不道徳まりない!下品メスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。

しかし、どちらの作品も今やマネ代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代芸術からオマージュ対象とされるような絵画として扱われている。

一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象枚挙に遑がない。


写真みたいに写実的に描けている作品は素晴らしい?

簡単にいえば、写真実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。

で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画からこそできる表現」というものが重視されていくようになった。

そして「じゃあ絵画価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート特に後者現代美術への影響は色濃い。

もちろん、写真のようにリアル作品価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアルであるかどうかとは別の土俵表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。


終わり

分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。

文章中でも少し触れたが、アメリカ中国欧州比較すると日本美術市場はかなりちっぽけだ。国内アートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在アメリカ立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。

アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。

2019-10-09

トリエンナーレチンポム放射能最高とか叫んでる作品が展示されて

炎上してるらしいが、

今の状況でそんな作品展示したら、皮肉だとか風刺でやってるんだとか言っても通じるわけがないことぐらい

小学生でもわかると思うが、なんで此の期に及んで火に油を注ぐような真似するかな

現代美術関係者ファンは、日本では風刺通用しなくなった、ひねった表現が通じない知的劣化だ。

と嘆いてみせているが、現代美術関係者ってバカなの?

2019-09-15

軽井沢、田崎美術館で、愛らしいお嬢様出会うことについて

 私はときおり家族軽井沢に行く。何度も行っているので、めぼしい観光地はほぼ巡ってしまたかもしれないが、まだ行っていないところもそれなりにあり、それを目当てに足を運んでいる。それ以外はおいしいものを食べたり、宿で温泉に浸かったり、一人でふらふら近場を歩き回ったりと、各々が好きなように過ごしている。

 別に家族の仲が悪いわけではない。ただ、趣味が違う相手に無理して付きあうこともないし、その方が互いにいい時間が過ごせると思っているのだ。興味がないものにつき合わせてしまうと、こっちとしても心苦しい。それだったら、昼間は好き勝手に過ごして、夕飯時に一日の感想を共有する方が楽しい

 そうしたわけで、私は一人でふらふらとバスを乗り継いで美術館巡りをしていた。朝のうちだったのでバスの遅延もなく、目的地のハルニレテラス近辺についた。グーグルで調べたところ、目指す田崎美術館はそこから歩いてそれほどかからない。だから私は、ふらふらと美術館まで足を運んだ。

 軽井沢は大小さまざまな規模の美術館がある。それぞれは離れていてアクセスがやや不便だとはいえ、私のように緑の中でぼんやりと絵を観るのが好きな人にとっては、都心喧騒を忘れさせてくれる場所だ。小規模なところはすぐに観おわってしまうし、ほとんど同じ作品ばかり展示されているのだけれど、それでも久しぶりに同じ絵と対面するのは、旧友と再会するみたいな気持ちになる。

 ただし、田崎美術館を訪れるのは今回が初めてだった。というのも、開いている期間が短いからだ。軽井沢美術館は概して冬季は閉館していることが多い。ゴールデンウィークになってさえ、まだ閉まっているところが多いくらなのだ。ここはやはり避暑地なのだな、と思われる。冬になると鬼押し出し園と絵本美術館くらいしか空いていない。

 入るとそこは自然光が差し込むコンクリート空間だった。作品保護のため直射日光は直接当たらないが、中で歩き回るには十分に明るい。私は田崎廣助の描いた山岳の威容を眺めつつ、自分は山に関してはまったくの無知だな、とつくづく思い知らされた。もしも私が山に詳しかったら、峰の形や周囲の地形からどこが描かれているのか、題を読むことなく知ることができただろうに。そして、どれほどその土地雰囲気を伝えているかを感じ取れたはずだ。

 環境省かどこかの国立公園写真の小コーナーを見終わり、中庭を挟んだ向かい建物ぼんやりと眺めた。もしかしたら、向こうの建物にも展示の続きがあるかもしれない。そう思ったが、向こうの建物入り口らしきものが見当たらない。現に、中庭で困ったようにうろうろしている女性がいるではないか

すみません

 と私はその女性に声をかけた。彼女は首を傾げた。

「私も入り口がわからないので、ちょっと係の人に尋ねてみます

 彼女は驚いたようだが、すぐに会釈した。

ありがとうございます

 私はすぐにとって受付のベルを鳴らし、事情説明した。係の人は親切に、道なりに行けばいいと教えてくれた。歩いていくと、確かにドアらしいものがあった。入り口がわかりにくかったのは、そこにカーテンがかかっているからだった。つまり風呂場のカーテンのように磁石で留めるしくみになっていて、そこが扉だと遠目にはわからなかったのだ。珍しいタイプ入り口があるものだ。

私は女性を案内し終えると、ゆっくりと展示を眺めた。作品ばかりではなく、色紙や葉書もあった。中には欧州から出した手紙もあり、興味深かった。文体が私の祖父によく似ているのだ。田崎廣助は私の祖父よりも三十ほどは年上になるはずだが、戦前教育を受けた人に特有なのだろうか、きびきびとして気持ちの良い文章だった。

 そうして夢中になっていると、後ろから呼び止められた。振り返ると先ほどの女性である

「先ほどはご親切にありがとうございました」

 そう告げて一礼し、微笑んだ。

 私は驚いた。というか、恐縮した。ただ係の人に道を聞いて案内しただけのことだ。それなのに、ここまで丁寧に頭を下げられるとは。いえいえ、と慌てている私に、彼女は重ねて感謝言葉を伝える。女性にこんな笑顔を向けられたことなんて、ない。

 もしかしてこれはチャンスなのではないか、と頭の片隅で声がする。一緒にお茶ぐらい飲めるのではないか。片隅にティールームらしいところがあるが。もう一つの冷静な声がする。彼女は単に育ちが非常に良いお嬢様なだけだ。私のような人間に、そんなチャンスがあるはずがないだろう。さら皮肉な声がする。君は最近美術館で現れる迷惑男性の話をネットで読まなかったか女の子浅薄知識を自慢をしたり、つきまとったり、そんな人間だと思われてもいいのか。美術館ナンパスポットではない。そして、私の引っ込み思案な性質が頭をもたげた。知らない人と話すのはつらい。ひとりになりたい。

 そういうわけで、私は彼女と丁寧な会話の応酬をして、田崎美術館を立ち去り、セゾン現代美術館に向かった。徒歩だったが、想定していたよりも時間がかかった。歩きながらも、私は後悔していた。思い出してみれば、本当にきれい上品な人だった。私は、丁寧な日本語を使える女性に弱い。はっきり言って理想タイプだった。なのに、みすみす逃すとは。私はとんでもない馬鹿なのではないか。よく後輩の女の子が、旅行先でいつも親切な人にお茶をごちそうしてもらって嬉しい、って笑っていたではないか

 そんな思いも、セゾン現代美術館を一周し、テラスサーモンサラダを食べているうちに薄れてきた。自分はいつも、そういうちょっとした親切心を行為と取り違えてみっともない真似をしてきたではないか。気にすることはない。これはいい思い出になった。それに彼女はせいぜい女子大生、対して私は三十を超えてしまった。釣り合うはずがない。

 せいぜい、きれいな思い出としていつまでも覚えていて、どこかでまた会えたらいいな、と妄想するくらいにしておけば十分なのだテラスナボコフを読みながら、そんなことを考えていた。

2019-08-11

anond:20190811092324

ほとんどの人が嫌だと感じるもの税金が使われてたら無くなるべきだと主張するのは(通るかどうかは別として)ある程度妥当なんじゃないか

たとえば俺の鼻かんだティッシュ現代美術として展示して税金から使用料100万貰ってたらほとんどの人は嫌だから無くせってなるだろ

2019-08-10

日本人美術鑑賞が出来ない

あいちトリエンナーレの件で思うのは、まず美術鑑賞の基本が身に付いていないこと。

そのため展示についての疑問ではなく作品に対しての疑問が多く出ていると考えています

優れた美術芸術は無条件に美しいと感じさせる、感動させる力がある、みたいな方が多いと思いますが、それは美術鑑賞としては基本的に間違いです。

美術鑑賞は美術史の文脈とその中での役割をもとにするものです(現代美術作品の方が文脈を重視しますが、文脈から切り離して「アート無罪かよ!」みたいは批判は全くの的外れと言えます)。

価値観は人それぞれです。同じ作品に対してだれもが一様に美しいと感じることはありません。

それを無視して「感動させる力を持っている」という独善的基準作品を並べるのは、あまりにも不寛容な(さらに言えば強要を伴う)展示と言えます

美術館へ行くと鑑賞の手引きとなるようなキャプションや音声ガイドがありますが、美しい!感動した!みたいな鑑賞を求めていないことから理解が出来ると思います

なので、独善的な展示にならないよう美術館などは専門のキュレーターにより展示を構成しています

今回の問題の一つに、キュレーターの軽視があると考えています

イラストレーターにただで絵を描いてもらおうとしたら叩かれるように、美術展の展示構成専門家であるキュレーターを軽視すれば同じように叩かれるべきだと思います

色々出てきた情報から推察すると、あいちトリエンナーレキュレーターを軽視しているのは明らかでしょう。

横浜トリエンナーレ、妻有トリエンナーレ以降でしょうか、日本各地で様々な芸術祭が増えましたが、美術ではなく単なる客寄せイベントとしての性質が強いように感じます

作家は展示機会が増えていいかもしれませんが、キュレーター歯がゆい思いをしたものも多くあるように思えます

2019-08-03

anond:20190803135409

ググったがその人作曲家じゃん。

現代美術有名人にはマジで右翼思想家いないんだよ…
作家だと三島由紀夫とか石原慎太郎みたいな右翼過激派もいるが、美術だと浮かばないでしょ?

anond:20190803133915

そんなことない。
東大出身者とかは右寄りもかなりいる。
そもそも安倍総理とかは除き、政治家自体基本インテリばかりだし。

だが、美術界隈は圧倒的に左翼思想家が多い。
右寄り作品なんてあるの?ってぐらいのレベルにない。
作ってる人も中にはいるんだろうけど、右翼だと現代美術界隈では出世できないんだと思うわ…

2019-06-07

anond:20190607012354

現代美術とか芸術世界なんて何が正しいか誰も分からんよ。

写真みたいな模写が素晴らしいとか文化力もない。

anond:20190607012244

それならとりあえず現代美術海外追放してもいいな。

2019-06-05

意味がありそうでないものが好き

わたし音楽好きなので音楽の例が多いけどMV映像かに多く見られるような

例えばこんなような

Oneohtrix Point Never - Problem Areas

https://www.youtube.com/watch?v=uvDzaQOSZ3E

いろいろ映るけど理解を求めてない、意味はないかもしれない

Visible Cloaks, Yoshio Ojima & Satsuki Shibano - Stratum

https://www.youtube.com/watch?v=JRxDysnjlzs

アートって感じなんだろうけど、まあ理解あん必要としてない感じ。

POPなのはこんなのとか

https://www.youtube.com/watch?v=Y5bk3VmBpIs

group_inou / JUDGE

昔、モヤモヤさまぁ~ずのデーマになってていいなと思ったけどMVめっちゃシュールだよね。

シュールって単語シュールレアリスムって言葉を思い出したけど、リアリズムって感じは特に感じないんだよね。でも無意識からまれるって近いかもしれない。でも最近感じるこれらは明らかにシュールレアリスムとは違う気がする。

映画で言うと

トム・フォードノクターナル・アニマルズ。これは美術家セレブの奥様に突然元彼から小説が届いて読み進めていくんだけど、それはとても胸糞の悪い話で...というような話なんだけど、ここの出来事小説の内容には全然一貫性一見なくて、かと思ったら少しつながっているような...最後までよくわからなかった映画なんだけど、なんか良いなって。

アーティストマシュー・バーニーDVDをいくつか持ってるんだけど、これもなにか意味がありそうでない感じ。もしくは深い意味があるが、見る側は理解しなくても良いと言われている感じ。口に布を縫い付けられた白い衣服を着た男が白い建物の中の吹き抜けになった階層をよじ登っていくと、様々なシュール出来事が起こるやつ。わたしはなにをいってるんだ。

現代美術といわれるジャンルコンテキストが複雑だから最悪わからなくても良いもの、みたいなのはある気がするんだけど、最近の世の表現物(わたしの見える範囲)はなにかこういう「意味がありそうで無いもの」みたいなものテーマにしたものが増えてきた気がするんだ。あとわたしはこれらのどのジャンル専門家でもないよ。好きなだけ。

結構こういうのって刹那的感覚だったり大分後に思い出されたりしてまとめるのが大変なんだけどいまパッと浮かんだのはこれぐらい。

みんなの「そういうもの」あれば教えてほしい。

2019-02-01

anond:20190201230816

こちらは誰が適正価格を決めるべきかなんて話はしていないので勝手意味不明なことを言わないで欲しい

価格相対的ものであるというのは当然こちらも踏まえた上で言っている

その上であらゆる商品について転売を無制限に許した場合社会にもたらされる害は一度書いたので繰り返さな

あと現代美術については本当に誰も実体価値があると思ってなくても投機のために金が払われているという可能性は普通にある

こういうと君は金が払われているということは価値があると思われているじゃないかと思うのかもしれないが

まあ価格が変動することで美術本体物理的に変質するかどうかみたいなことを常識で考えてくれれば何が言いたいかわかるんじゃないだろうか

anond:20190201214027

まず現代美術真摯に興味を持ってる人間というのは実際のところかなり少ないのだが

価格が高いから興味を持っている人間が多いに違いないし、だからアレは適正価格だという君の論はただの根拠のないこじつけ

アイドルコンサートチケットを買われない値段にまで釣り上げる意味がないというのはその通りだが

それはアイドルコンサートという局所的な商材の話でしかなくて

転売をしても何も問題無しという論を一般論として肯定する根拠としてそもそも不適切なのでどうでもいい

anond:20190201203550

そうだよ俺が言ってるのはそういうこと

まだ買う人がいるのかいないのかはわからない

現代美術みたいにいくら釣り上げられても資産として扱われるのかもしれないし

吊り上がった値段を見て誰も興味を示さなくなるのかもしれない

条件がわからなくて意味があったりなかったりするっていうならそれは一般的と言えるような現象ではないということ

2019-01-30

anond:20190130150059

美術館に行って、美術を見て心に衝撃を受けるなんて嘘や。そんなんハチミツとクローバーの読み過ぎや。

美術館を楽しむには、どうやって美術を見るか?の基本が必要や。大体は2パターンや。

1つめは、その美術品に付随するストーリー(作者・作られた理由・作られた時代)を勉強して、どういう文脈の中でその美術存在するのかを楽しむんや。

この楽しみ方は博物館共通するものがある。博物館古典美術建築美術現代美術って分類は色々あるやろ。多分いまでもどれが何となく自分にあってるって感覚があるはずや。

そしてそれはおそらく知識量によってるはずや。

2つめは、美術美術として楽しむ方法や。この方法はつかれるで。1時間に1枚の美術作品を見れたらいい方や。

絵と向き合って、絵の中で象徴となる記号を探して、その記号意味を考えるんや。

何言ってるかわからんと思うなら美術を見る前に美術とはどうやって鑑賞するべきものなのかを勉強しろ。難しいゲームゲームする前に説明書読むやろ。常識やぞ。


わしは専門家うから3パターン目があるかもしらん。なんかおもろい楽しみ方みつけたら教えてくれ。

2019-01-12

anond:20190110103127

絵だけみたいな視覚だけの芸術なら別にしゃべろうがしゃべらなかろうが価値毀損されるわけじゃ無いんだから好きにすれば良い。

音を含めた現代美術系の芸術作品だとしゃべるなってのはあるかも。

そのおばさんにとってその絵かもしくは美術館という場所が「神殿」になってて喋る行為によって神聖さが毀損されたんでしょうね。

精神的な部分の問題

2018-12-23

anond:20181223034659

ピカソは商才あったみたいだ

ダリ自己プロデュース上手かった


現代美術日本で一番売れてるのは村上隆だが彼も欧米アート市場で受けるものが何か分かっていて作っている。

かなりの戦略家。

2018-11-20

[]【9】2018 晩秋広島博多別府

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anond:20181120113627





5日目



ほんとにひと玉でよかと?


リラックスできる」と「グッスリ眠れる」の間にはまだ少し超えなければいけない壁がある様で、4泊目の夜の睡眠は途切れ途切れだった。

携行している睡眠導入剤を使えばよく眠れるのだろうが、あまり連用はしたくない。

7時頃には完全に目が覚めてしまったので、洗濯をすることにした。

旅行では日を重ねるごとに使用済み下着や2回袖を通す服などが増えてくるし、なんとなく薄汚れてくる気がするので、気軽に洗濯ができるのは本当に有難い。

うっかり肌着も全て洗濯機に突っ込んでしまったが、素肌にシャツでも問題ないだろう、本来シャツとはそう着るように作られているものだ。


一先ず最寄り駅前モスバーガーで朝食をとった後、宿に戻って身支度を整える。

今日の行き先は太宰府天満宮

朝のワイドショーによると、今日福岡は時よりにわか雨が降るらしい。

折り畳み傘を持って宿を出た。


宿から天神の駅を経由し、博多まで歩くことにすると、行きすがら美術館発見した。

福岡アジア美術館

常設展は200円なので入ってみることにした。


タイ芸術家、キエン・イムスィリ作「音楽のリズム」など、普段触れることの少ない東・東南アジアの近現代美術は興味深い。

広島瀬戸内海洋交通要衝ではあったのだが、福岡場合は港が東シナ海に面しており、南に降れば上海台湾フィリピン、西を見れば壱岐対馬を挟んで韓国が目と鼻の先。

歴史的アジア諸国との繋がりは深いようだ。

そういえば博多の街では他の国の人より有意に多くの韓国人をよく見る。


美術館を出て博多の駅に着き、太宰府までの経路をチェックする。

行きすがら途中下車して、名物博多うどんで腹ごしらえをする事にした。

そう、博多ラーメンだけではないのだ。

竹下の駅を下車してやや歩くと、博多うどんの名店と紹介される「春月庵」が見えてきた。


河川敷脇の道路沿いに建つ店舗は外から見るとポツンとしているが、中に入ると30席ほどありそうな店内は満席に近い状態、みな賑やかにうどんを啜っていた。

博多うどん定番トッピングと言えばゴボ天らしい。

店員さんを呼んで、ゴボ天うどんとかしわおむすびを注文する。

と、「うどんのお代わりは自由です。ひと玉でよろしいですか?」と店員さんが念を押してくる。

いや、おむすびも食うんで、ひと玉で充分ですよ。

やがてそのおむすびに続いて、顔どころか頭蓋骨が丸ごと隠れそうな大椀に浮かんだ浮かんだうどんがやって来た。

食べてみた博多うどんは、麺の食感に特徴があり、程よいコシと柔らかな食感。強いコシと弾力信条讃岐うどんとは別モノだ。

ゴボ天も肉厚に切られているのに柔らかい

優しい美味しさで、讃岐うどんばかり溢れる東京にもこのうどんがあれば良いのにと思える味だった。

と、啜っていると、さっきとは別の店員さんが勘定伝票をめくって

「ご注文揃いました?うどんはひと玉で大丈夫ですか?」と再び念を押してくる。

いやいや、大丈夫、美味しいですし、満足してます

でも聞いてくる理由はすぐ分かった。

カウンターお客様、3玉でーす。」

耳を疑うような注文内容が何度も聞こえてくるのだ。

そう言えば広島ではスリムな人が多かったが、博多の街ではふくよかな人やがっしりした人をよく見みた。

福岡の人は本当によく食う。

こんだけ食えば、そりゃ大きくもなる筈だよ。


【10】2018 晩秋、広島・博多・別府 5日目|太宰府天満宮とアジアの玄関 へ >>

2018-11-19

現代美術に詳しい人がいたら教えてほしい

バンクシーかいるじゃん。最近話題になったけど。

あいうのって過去美術作品とどういう風につながってるの?

現代美術って作品のものの美しさより文脈のほうが(文脈しか?)重要視されてるじゃん。

なんか一番うまいこと言ったやつが勝ちみたいな大喜利合戦に見える。

それが悪いとは思わないけど、なんでああいものが「美術」というジャンルにくくられてるのかがいまいちからない。

過去美術作品とつながってるように思えないんだよね。

美しい構図や色彩を追及するのはある程度極めつくししまたからそういう方向に進化したとかそういうこと?

美術の捉え方が間違ってるのだろうか。

2018-10-26

現代美術のわからなさって

たとえばデュシャン便器バンクシーシュレッダーアートなのに、草間彌生の偽物展覧会アートと見なされないことだったりする。

偽物展覧会だっていくらでも屁理屈つけて意義を見いだせるはずなのに(作者とは何かという根源的な問いだとか、資本主義に対する痛烈な批判だとか言えばいいんでしょ?)、便器シュレッダーにはやっても、偽物展覧会にはやらないんだよなあ。不思議

から見てると"誰がやっているか"が重要なんだろうなと思うけど、界隈の人は認めないわな。

2018-10-22

anond:20181021093430

現代美術理解してることと頭の良さは関係ないんだけど、なんでこういう人が多いんだろうね。



一般人印象派以前の藝術も理解できないんだけど、あれらはまだ大衆的な要素を内在してるから、そっちだけを受け取ることはできる。

言ってることがよくわからない。理解っていうのは神話とかの寓意性のことかな?それとも絵画史の流れや歴史的な背景とかかな?研究者でもなければ解説で補えばいいんじゃないかな。


>それまで大衆的な要素+芸術的な要素だった美術絵画(彫刻)が、現代アートへと移行する時に大衆的な要素を切り捨てたのね。より純粋な藝術に進化するために。

さらによくわからない。コンセプチュアルアートミニマルアート派生してきたことについて言っているのかな。現代美術はどちらかというと、大衆的な美意識を取り込んできた歴史だと思うんだけどな。


>だから、それまで大衆部分だけを受け取って喜んでた一般人は急にわからなくなりヒステリーを起こした。

>だけど、藝術理解者は印象派以前にも藝術部分しか見てないか一般人が何を騒いでるのかわからない。

もっとからない…。歴史的に見ても、新しい表現表現がでてきて反発するのはまず芸術家というか、君の言う「藝術理解者」そのものなんだよね。



一般の人って、工芸品の凄いやつが現代アートになるとか勘違いしがちだけど(オタクアート論もその変奏)、全く質の違うもの

工芸品って、部屋をひすたらゴミひとつなく綺麗に掃除するようなものクリエイティブじゃない。

日本エリート(東大京大文系理系とか)って教養がない極東田舎者からクリエイティブ理解できない。すぐに「工芸品」を持ち上げる。怖いんだろう。自分理解できない藝術が。佐藤可士和デザインですら大多数は理解できないんだものあん教科書的なものですら。

うーん、話がごちゃごちゃだね。工芸品も現代アートになるよ。オタクアート論は関係ないよ。工芸ももちろんクリエイティブだし、掃除とは関係ないよ。

ただ、役所的なところで工芸というかテクニック重視のものが持ち上げられるのは仕方ないね、わかりやすいし理解も得られやすいからね。

佐藤可士和デザインは受け入れられていると言えるでしょう。個人的に残念だったのはザハかな。


>とにかくアジアって文化後進国なのね。トップ日本ですらこうなのだから東京"国立"博物館デュシャン日本美術脈絡なく展示してホルホルしてるレベルもの

アジア文化後進国と見なすような西洋中心的な視点から脱却しよう、というのがまさに今の現代美術のメイントピックの一つだと思うんだけど、大丈夫


>まず日本に生まれた時点で、現代アート理解するには圧倒的に不利。

それはそのとおりなんだけど、「アメリカに生まれた時点で萌えアニメ理解するのは圧倒的に不利」と言ってるのと同じなんだよね。それはそうでしょう。


アートって歴史上一度も大衆相手にしてないので。

>昔は王侯貴族宗教的権威で、今は超金持ち美術批評家

? 例えば聖人の像なんかは大衆啓蒙用だよね。想定してる歴史範囲が狭すぎるのかな。


民主主義恩恵で、一般人美術館で億の作品を数百円で見れるようになっただけで泣いて喜ぶべき。

? 民主主義関係なさすぎて泣いた。


>そしてあれは、将来のお客さんとアーティスト入り口としてやってるの。1000人に1人、将来アートに貢献する人材いるかもしれないと信じて。

そんなこと考えてる人いないと思うなあ。


金持ちにもアーティストにもなれない一般人はまあ、おこぼれで"文化的"コスプレしてインスタグラムでもやればいいんだと思うよ。

おこぼれ?文化的?の意味がわからないけど、コスプレいいよね。



アート勉強し始めの高校生とかかなあ。頑張ってね。

2018-10-21

現代美術勉強で読んだ本

かつて現代美術展覧会に行くと「なんでこの展示で1,200円も取るんだよ!」と憤っていたんですが、『現代美術を楽しむためには勉強必要勉強すれば楽しめる』という話を聞いて読んだ本です。

現代美術を楽しめるようになりました。

アメリアアナレス《なぜ、これがアートなの?》

https://www.amazon.co.jp/dp/4473015785/

作品意味が解らない人が多いと思うが、作ってる人も解らない場合もあるから気にするな』みたいなことが書いてあって面白かった。

岡本太郎今日芸術

https://www.amazon.co.jp/dp/4334727891/

今日芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない』っていうのが、これまでの美術現代美術を分けるところなんだと思います

今日芸術が、そうあらなければならない理由が、読んでると解った気がしました。

美沙アートインダスリー―究極のコモディティーを求めて》

https://www.amazon.co.jp/dp/4902078171/

現代美術価値は、世界芸術祭で、著名なギャラリー人間がある作者と会っているとか、そういうところで決まっていきます』みたいな話もあって面白かった。

それでも現代美術に関わるのは、それだけじゃないからなんだということも解ります

他にも

他にも何冊か読んだけど内容忘れました。

色んな本で「作品は、創る人が半分創り、観る人がもう半分を創る」みたいなことが書いてあって、現代美術では観る側が重要役割を果たすようです。

あと、アメリアアナレスの《なぜ、これがアートなの》にはビデオもあって、その中でアメリアが「日本人アートの楽しみ方を知らないんじゃないか?」に対し

あら、どうして? 有名な美術作品の横に並んで写真を撮るのだって、立派なアートの楽しみ方の一つよ

と答えていたのには、「そう言われれば、そうだ!」と衝撃を受けました。

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