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はてなキーワード: ギリシャ語とは

2021-04-03

anond:20210403112832

日本語でも、医者医師という、建築士建築家といい、者・士・家の区別はいいかげんです。それと同じように、英語の -er、-ist、-an の区別もそれほど厳密な区別があるわけではありません。












2021-03-08

エヴァを見ても理解できない。学習障害かもしれない

旧作本編を全話見た。全然からなかった。実はギリシャ語版のエヴァだったと言われても納得する。たとえば only 青森 green label真鍮という文について、それぞれ単語を読むことができるがこの単語郡全体での意味理解することはできないみたいなね

みんなが理解できてないなら良かった。ABC予想証明を見たけど全然わかんねーな、てな具合に。でもみんなエヴァ理解できているし楽しんでいるし映画を見に行っている。俺には理解できない。学習障害なのでは……という感じ

2021-03-04

言語とは精神病発言の主たる要因である

私が毎日使っている言語は、一種記号である

五感で得た情報を司り、言語という枠を使って漠然としたイメージ表現する一種記号である

言語は想起のための指標である。それは経験知識の曳き手であって、イメージリアリティではない。

 書くことは、他者とのコミュニケーション可能であることを前提に、ラベル付けされた一連の記号を用いて、他者に対して主張や理性を主張する方法の一つである

 口頭での主張は、私たちが獲得した仮説推論の致命的な能力と、類似点を見つける病気悪用して、メディアミーム感染させる一種ツールである

インターネットを通じて他人イメージを乗っ取ることを意図して書かれている。この思索は、言語というナンセンス方法を使っているので破綻している。

       自由幸福は、自分の手に負えないもの無視することで得られる。


 これは古代ギリシャ哲学者エピクテテスの発言です。これは権威的な重み付けのための引用であり、特に意味はありません。

松井秀喜がこのストイック哲学者と似たようなことを言っていたので、歴史的にも理解できる考え方だと思いました。

言語の美点は、話し手意図した通りに「もっともらしい」もの人間に刷り込むことができることである。ある公理を真理として刷り込み、恐怖や扇動によってその絶対性を刷り込む行為は、様々な組織の中で日常的に見られる。

 そもそも言語誕生は、人間による宗教の獲得と不可分である人間はある時点で、言語を通じて空想力、理性、類似性を見出す能力を獲得し、自分ではどうしようもないことを生活の中に内在化させてきた。

それは例えば、お金権威などの暴力一種であったり、感情という人間状態一種であったりする。

すぐには永続させることのできない現象が、言語という記号を使って他者と共有されるようになったのである

それだけでなく、活版印刷インターネット技術革新によって、言語は時空を超えて広く、長く保存されるようになりました。

それと引き換えに、宗教絶対性を広めることで、言語習得デメリットである上記のような制御不能事象を打ち消そうとする試みがなされたのである

上記記述には何の根拠も示せないので、適当な本やネット上の類似情報相互参照して、ご自身結論否定判断にお任せすることにします。

エピステーム

 精神病についての深い考察は、ミシェル・フーコーの著書をお読みください。エピステームという重要概念提唱されています

エピステーメとは、ギリシャ語で「知識」を意味する言葉をもとにフーコー造語した言葉である簡単に言えば、私たち認識形成される知識の枠組みを指す。私たちの知覚は、私たち経験から直接、媒介されずに得られるものではありません。私たち経験はすべて、私たちが持っているある認知的枠組みに適用されたとき知識となるのです。

 そもそも精神病」という名前を使うのはよくありません。何と言っていいのかわからない。ラ・ラ・ラ・ラ・ラ。なんだっけ?

インゲニヤトー

 1213世紀ヨーロッパでは、労働組合倫理規定により技術開発が停滞していましたが、後のルネサンス期の15世紀には、相次ぐ戦争対応するために様々な技術が開発されました。この時の新技術はインゲニウムと呼ばれていました。その技術を開発したのがインゲニウム・トーである。インゲニウムは、今日エンジニア語源です。レオナルド・ダ・ヴィンチもインジニアトールの一人でした。

 レオナルドの写本の中で最も有名なのは、アトランティコ写本とマドリッド写本である。彼はすべてのもの描写するために、フォトリアリスティックな絵を必要としていました。言語のような一対一の記号ではなく、より具体的なイメージを捉える方法必要だったのだと思います

 ピクトリアルジオメトリという幾何学技法がありますガスパール・モンジュによって確立され、産業革命期にエコール・ポリテクニークで教えられました。ルネサンスの数世紀後には、主に軍事目的であったが、イコノグラフィーが導入された。

2021-02-23

anond:20210222162708

学術だったらドイツ語オススメ。向こうは大学無償留学やすく、アカデミック環境も充実している。史料現在出版物も多いし、得られる情報も多く質が良い。

現地の人とコミュニケーションして商売したいなら、オススメ順に中国語ロシア語スペイン語。どれをとっても、C1とれれば食っていくのに困らないんじゃないかロシア語できれば旧共産圏コミュニケーションには全く困らない。イスラエルでも通じる。

歴史学とかやるならラテン語とかギリシャ語なんだろうけど、そのへんは分からんすまん。

2021-02-19

anond:20210219230846

普通に古典言葉覚えていくと現代言葉に転換する時に応用効くことないか

これはちょっとよく分からないです。

あと欧州でも頭の良い学校全然使わないラテン語とかギリシャ語とかやっているけど古典を原文で理解する価値ってあるんじゃね?

その価値が何かを知りたい。

ラテン語に関して言えば、「ラテン語を修得することは、ラテン語から派生した英語などの様々な言語の修得に有効」で納得。

古典は?

ていうか大人になってから国破れて山河ありですな、とか会話で振られて答えられない奴とかただただバカなのかなって思うし。

技術系でもそんな感じだから文系とかもっとひどい目遭うんじゃねえの。

あと、英語かにラテン語ぶっこんでくる人普通にいるから、そういう感じで教養階層分けするのは普通なんだと思う。バカを見分ける要素は多い方がいい。

バカなのかなぁ」は「(義務教育で習ったことなのに知らなくて)バカなのかなぁ」だよね。

「(古典知らなくて)バカなのかなぁ」なのであれば、なぜ古典を知らないとバカなのか理由を知りたいんだよね!

anond:20210219230128

あ、横増田すまん。

普通に古典言葉覚えていくと現代言葉に転換する時に応用効くことないか

あと欧州でも頭の良い学校全然使わないラテン語とかギリシャ語とかやっているけど古典を原文で理解する価値ってあるんじゃね?

ていうか大人になってから国破れて山河ありですな、とか会話で振られて答えられない奴とかただただバカなのかなって思うし。

技術系でもそんな感じだから文系とかもっとひどい目遭うんじゃねえの。

あと、英語かにラテン語ぶっこんでくる人普通にいるから、そういう感じで教養階層分けするのは普通なんだと思う。バカを見分ける要素は多い方がいい。

2021-01-21

[]オービス

ラテン語で"目に関する〜"、ギリシャ語で"世界中"を意味する。

日本では写真による速度違反自動取締装置のことを指すことが多いが、かつてボーイング社が製造していた同種の装置ブランド名が残って一般名詞化したものらしい。

ボーイング社は速度違反自動取締装置製造から撤退しており(ネットじゃ痕跡すら見当たらない)、現在ボーイング社でオービスと言えば同社が支援する世界から失明を無くす活動をしているNGOのことを指すようであるオービスは目の治療設備を搭載した飛行機世界中飛ばし治療に当たっている。ネット失明を予防する知識の啓発活動も行っているようだ。

本日ステマをしていたことが話題になっている化粧品オルビスも同じ単語表記揺れ

2021-01-17

anond:20210117092235

可能

下請け言葉乱暴で(あるいは英語ギリシャ語中国語津軽弁で)発注サラリーマンさまにはとてもじゃないが直接やりとりができない。元増田バイリンガルとかなので苦を苦と感じていないだけで他の人にはできない価値のある仕事をしている

・近い将来下請け休みがち・コロナでたおれがちなので死ぬ気で別の下請けを確保しかねばならなくなるそのとき保険としてなかぬきしてる

・士業の看板貸し、名義貸し(はやめに足洗わないと前科つくやつ)

2020-12-10

公立中に「動物園」という比喩は適切ではなくとも、偏差値20違えば同じ人間であろうが別の動物である

大学の進学率が66%まで上昇することがほぼ決定している日本では、将来的に氷河期世代大卒2割馬鹿という蔑称でくくられることはもう間違いのないところだろう。大体2039年ごろにはそうなっているはずである

どうして、中学高校動物園になってしまうのかというと、第二次性徴を迎えたときに親がどんな顔をしているか問題なのではないだろうか。昭和時代日本人の娯楽は酒、たばこ風俗パチンコ競馬競輪くらいで、そもそも語学を手にする人間が少なかった。親が語学を手にしていないと、親の顔はサルゴリラである死語になってしまった教育ママゴンも難読漢字くらいは読めた、という程度だろう。語学習得率は低かったように感じている。

そんなことを示す証拠を出せ、という人がいるみたいなので出してみよう。今私の手元には、2004年ラジオのためのフランス語講座テキストがある。番組表を見てびっくりだ。語学番組が少ないのである。今の半分ではないだろうか。このころ、NHK-AMラジオ第2はお荷物といわれていた。それから16年たって、講座を増やして小学生にも対象を広げたことで何とか語学番組は生き残った。NHK-AMは片方が一個つぶれるらしいが、トーク番組がつぶれても、語学の枠はつぶさないらしいので大丈夫だ。

逆算すると、大学の進学率が低かった時代語学学習というものは全国には広まっていなかったものと推察される。大昔のフランス語講座文法半年で一周できたが、1990年にこれをやらかし石井晴一は大不評であった。私にはその世代間のギャップ面白く、毎週楽しみにしていた覚えしかないのだが、大衆には受けなかった。この時代が、田舎地方限界東京漏洩することのなかった最後時代だったような気がしている。

ところが、インターネットのおかげで、地方田舎にはサルゴリラしかいないことがどこのWebでもばらされるようになった。一回でもミスすると、すぐインターネット告発される。神戸いじめ事件に至っては遡及法がどうのという会話が出ていたのを覚えているが、遡及法がなければいじめ解決しないだろう。そんなことも東京の人は知らないのである。いや、政府東京人に知らせてくれなかったのである。知ってて教えなかったのではないだろうか?

そんなに人生を左右するほどひどい環境だったかな、という人はおそらく昭和時代のことは知らないだろう。昭和末期、氷河期を産んだ親の四年制大学卒業率はなんと全国平均で14%なのだが、これは承諾しがたい。これは粉飾決算で、もっと低かったのではないか?まだ氷河期の親の世代、単科医科大は天文学的な倍率ではなく、天文学的学費のほうが話題だった。私学は馬鹿でも入れた、というのが田舎地方合言葉だが、半分は当たっている。当時は共通一次すらないので、ダメそうな社長の子が私学に入るといわれていた。

ヨーロッパは今はこうではないのだが、100年前は古典ラテン語古典ギリシャ語が必修で、落とせば大学からんという時代であった。どうしてこんな死語学習させたのかというと、これができないとヴルガータ聖書ネストレ・アーラントが読めないかである聖書を読んで一人前という時代がそこにあった。しかし、日本人に聖書不要である必要不可欠というほどではない。それなら、古典言語必要性など知らないまま国家形成される。古典言語四苦八苦するヨーロッパ人と、それを必要としない日本人では知的密度が違うのは当然ではないか古文漢文は、古典ラテン語古典ギリシャ語の代わりにはなりえないだろう。

その知的密度の差を認識しないまま、田舎地方にはサルゴリラしかいない時代昭和期にやってきたのである

2020年代に入って、その田舎地方サルゴリラは、ニュースさらし者になって本当によかったと思っている。おそらく電子メディア進化で、具体的な言動一挙一動までサーバーに記録される社会になるだろう。そうなると、馬鹿を見るのは氷河期世代とその親である。鬼滅世代は、生まれた時から警戒して過ごすので、愚行が暴かれることも少ないだろう。

いま、アニメ以外の邦画はつまらないといわれる。それはつまらないのではなく、日本人がそれだけ賢くなったのである。賢くなると、馬鹿向けの文化は滅びる。最近ぶれる風俗に加えて、AVスカウトマン逮捕されるのはそういうことである。「公立中学校ごときスラム出身気取ってマウント取るのやめろ」という意見表明は、2020年代には可能でも、2030年代には不可能になると私は確信している。「社会階層固定の犠牲者たる貧乏家庭のガキや勉強苦手なガキや発達おかしいガキを動物扱いし、彼等が通う公立中学動物園呼ばわりして蔑み、そんな動物園に関わらないで済むことは大きなメリットなのだ放言」する人間がいるのであれば、その人間出身校に子供を通わせる親の大半がサルゴリラだったということ。はてなリベラルやばすぎ、とは全く思わない。

かつては高卒でも国際コンクールグランプリだが、今は第3課程(日本では博士後期課程)に行かないと取れないのだ。取れなくなるのはなぜか?サルゴリラ駆除する法律がないかであるサルゴリラは第3課程に行かないと、消えない社会になったのである。あと30年たつと「日本博士課程は動物園だが、ヨーロッパの第3課程は違うからね」などと教授放言されるのではないだろうか。

2020-10-31

日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明

http://studiit.jp/

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日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明

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 日本学術会議が推薦した第 25 期会員候補者 105 名のうち、6名が菅総理によって任命されなかったことについて、

明確な理由説明はなく、説明要求を斥けることは学問の自由理念に反すると同時に、民主主義敵対するものであり、

これに断固として異議を唱えます

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 《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力行使国民に対する暴力)であり、主権者である国民説明責任を果たすことが

民主主義の基本だからです。

情報公開制度古代ローマ時代イタリアの地で芽生えました。イタリア学会としてこれを看過することはできません。

必ず説明責任が果たされることをイタリア学会の総意として要望します。

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令和 2 年 1017

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イタリア学会会長

藤谷道夫慶應義塾大学教授

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理由

 イタリア学会は「日本におけるイタリア学の発展と普及に寄与することを目的としている。」(イタリア学会会則第 3 条)

イタリア学を通じて学び得た知見を社会活動適用することは、学会目的に適う実践行為判断し、

今回の声明を発した理由簡単説明したい。

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 菅首相は「(学術会議の会員は)広い視野を持ち、バランスの取れた行動を行ない、国の予算を投じる機関として国民

理解されるべき存在であるべき」だと述べた。これをテキスト解釈にかけると「国の税金を使っている以上、国家公務員

一員として、政権批判してはならない」という意味になる。ここには 2 つの大きな誤謬が隠されている。

学問国家従属する《しもべ》でなければならないという誤った学問観であり、国家からお金をもらっている以上、

政権批判をしてはならないという誤った公民である

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 学問は、国家や時の権力を超越した真理の探求であり、人類資するものである与党資するものだけを学問研究

なすことは大きな誤りである学問研究によって得られる利益人類全体に寄与するものでなければならず、

時の政権のためのものではない。

判りやすい例を挙げれば、日本西洋から数学物理化学を始め、あらゆる分野で多大な恩恵無償で受けた。

万有引力定数や相対性理論発見したのは日本人ではない。その恩恵利益を受けながら、その使用料は払っていない。

なぜなら学問成果は全人類共通善として無償で開放されているかである

日本国には受けた恩恵人類に返すべき義務があることは言うまでもない。

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 国からお金をもらっている以上、政権批判をしてはならない」というのは手前勝手な考え方である

公務員政権の《しもべ》ではないかである公務員国民全員の利益のために働く。

政権が間違った判断をすれば、それを国民のために批判することは、むしろ公務員義務である

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古代中国では臣下君主に行ないを改めるよう諫言することは褒むべき行為とされた。

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翻ってイタリアの地、古代ローマ時代には、時の政権勝手な振る舞いか国民を守るための公的機関である

護民官が設置されていた。現代公務員匹敵する護民官は、時の権力批判牽制するために作られた

驚くべき官職である

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 次に、菅首相憲法 23 条が保障している「学問の自由」の意味理解していない。「学問の自由保障とは、

学者学問良心に従って行なった言動評価は、まずは学者うしの討論に委ね、最終的には歴史判断に委ねるべきであり、

間違っても《時の権力者》が介入すべきではない、ということである。」(小林節慶應義塾大学法学部名誉教授

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権力学問世界に介入する事例は西洋史に無数に見出される。

1632 年ガリレオ・ガリレイが『天文対話』を完成させた時、ローマ教会検閲を行ない、教皇ウルバーヌス 8 世と

イエズス会士はこれに激怒し、同書を禁書にした。

ガリレオローマ異端審問所で証言するよう出廷を命じられ、翌年、6 ヶ月にわたる裁判を受けさせられた。

ガリレオ自分の誤りを認めさせられ、異端審問官の前で研究放棄するよう宣誓させられた。

そしてフィレンツェ近郊で残りの 9 年の生涯を軟禁状態で過ごすことになる。

教会の決定に疑義を挟むことなどあってはならず、時の権力に反する主張は時の権力判断によって封殺された。

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 「今回、菅首相は、特定学者言動について《広い視野を持っているか》《バランスの取れた行動であるか》

について自分権限判断した」と告白し、その結果、《国の予算を投じる機関(の構成員)として国民理解され

存在ではない》と認めたのである

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問題は、仮に菅氏が高い実績のある学者であったとしても、同時に、《首相》という権力者の地位にある間は、

そのような判断を下す《資格》が憲法により禁じられているという自覚がないことなである

にもかかわらず、高い実績の学者たちが全国から会議に集まるために 1 人につき月 2 万円余の交通費を用意する程度の

ことを逆手にとって学術会議に介入しようとするとは、《選挙に勝った者には何でも従え》という、政治権力者の思い上がり以外の

ものでもない。」(小林節名誉教授

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 私たちが最も問題とするのは、《説明がない》ことである憲法 63 条は「答弁または説明のため出席を求められた時は、

国会に出席しなければならない」と義務付けている。この趣旨について政府は「首相らには答弁し、説明する義務がある」(1975 年の内閣法制局長官

見解を示している。

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しかし、菅首相官房長官時代から記者会見で「指摘はまったくあたらない」と木で鼻を括った答弁を繰り返して憲法無視してきた。

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世界で初めて情報公開制度を始めたのはイタリアである。「執政官就任して(前 59 年)、まずカエサルが決めたことは、

元老院議事録国民日報編集し、公開する制度であった。」(スエートーニウス『ローマ皇帝伝』第1 巻「カエサル20

これが民主主義への第 1 歩である

それまで国民元老院でどんな議論を、誰がしているか知る術もなかった。

議員私利私欲談合を行なっても、知る由もなかったが、議事録速記され、清書されて、国民に公開されるようになったおかげで、

貴族権力は大いに削がれた。隠れての不正ができなくなったかである

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 一方、その時代から 2000 年以上経った今の日本では、安倍政権下で情報は秘匿され、文書改竄捏造、削除され続けてきた。

かに日本では民草に説明をするなどという伝統も習慣もなかった。江戸城で開かれる老中会義の内容が知らされることもなければ、

人事異動プロセスも民草には窺い知ることもできなかった。

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おそらく安倍菅首相が目指す世界はこうした江戸時代のものなのであろう。人事で恫喝して従わせる手法は、一種の《暴力》とみなされる。

紀元前 5 世紀のアイスキュロス作品『縛られたプロメーテウス』には権力の何たるかが活写されている。

この劇は二人の登場人物プロメーテウスを連行する場面から始まる。

プロメーテウスは絶対君主であるゼウス意向に逆らって、天上の火を盗み、人類に与えたために、

暴君ゼウスから罰を受けて、スキュティアーの岩壁に磔にされる。

この時、彼を連行する 2 人の登場人物名前に作者の意図が巧みに織り込まれている。

二人は Kra/toj(クラトス)と Bi/a(ビアー)という名だが、ビアーの方は劇中で一言言葉を発しない。

ギリシャ語でクラトスは「権力」を、ビアーは「暴力」を意味する。無言の暴力を用いて他者を従わせるのが権力であるという寓意である

ギリシャ語のビアーやイタリア語の violenzaは単に武力による物理的な暴力だけではなく、圧力強制意味する。

ビアーのように《説明しない》ことが権力(クラトス)なのである

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同じく、カフカの『審判』では主人公ヨーゼフ・K は、ある日見知らぬ 2 人の男の訪問を受け、何の理由も告げられず、逮捕される

(この 2 人の男はまさに「クラトス」と「ビアー」を暗示している)。

その後、何の説明もなしに、有罪とされ、「犬のように」処刑される。この小説でも《説明しない》ことが権力であるとして描かれているが、

これが現実になったのが、ソヴィエトである

ソルジェニーツィンの『収容所群島』にはまさに何の《説明もなしに》逮捕され、強制収容所に連行される日常が記録されている。

逮捕するのは決まって深夜である。深夜に訪れることで逮捕者を恐怖させる効果を狙ってのことだが、

また同時に、近隣住民が翌朝、隣人が忽然といなくなったことを知って恐懼するよう仕向けるためでもある。

これが不安をかき立て、恐怖を蔓延させる。いつ自分逮捕されるか人々は戦々恐々とし怯えるようになる。これによって国民心理的権力によって完全に支配される。

まり、《説明しない》ことこそが権力行使であり、国民を無力化させる手法なのである。こうして国民は恐怖と不安から権力に従うようになる。

なかに権力忖度し、取り入る者が出て来る。

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こうした事例から民主主義いかに「説明すること」にかかっているかが判る。

説明情報公開民主主義を支える命であり、それを破壊する手段は《説明しないこと》、《情報を秘匿する》ことなである

たかが 6 人が任命されなかっただけで、ガリレオを持ち出すのは大げさであり、学者はそうした政治的な喧噪から離れて研究をしていれば、好いではないかと思う人がいるかもしれない。

ましてや一部の学者の話であり、自分たちには何の関係もないと思っているかも知れない。

しかし、問題本質は、時の権力が「何が正しく、何が間違っているかを決めている」点において、ガリレオ裁判と変わりない。

科学分野の基礎研究予算は削られ続ける一方で、軍事研究には潤沢な傾斜配分がなされる今の日本にあって、

また軍事研究に手を染めない学術会議方針を苦々しく思う自民党政権においては、杞憂で終わらないことを心得ておく必要がある。

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実際、すでに文科省は今月17日に行われる中曽根元首相の内閣自民党合同葬義において弔旗を掲揚し、葬儀中に黙禱するよう、

国立大学都道府県教育委員会日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などに通知を送っている。

公金は自民党のためのものではなく、国民のためのものである

国民全体の奉仕者である公務員を、自民党のための奉仕者に変えようとする暴挙は許されない。

かつて次のように臍をかんだマルティン・ニーメラーの轍を踏まないためである

(文責:藤谷道夫

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ナチス最初共産主義者攻撃した時、私は声を上げなかった。

なぜなら私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられた時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。

彼らが労働組合員を攻撃した時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私は労働組合員ではなかったから。

ユダヤ人が連れ去られた時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私はユダヤ人ではなかったから。

そして彼らが私を攻撃した時、

私のために声を上げてくれる者は誰一人残っていなかった。

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通常の娯楽に加えて、(古代ローマ人の労苦に満ちた厳しい生活を陽気なものにしてくれるものに、

凱旋式があった。

(中略)民衆は大喜びで拍手喝采していた。だが、部下の兵士たちから将軍に向けて罵詈雑言を浴びせる習わしがあった。

将軍の弱みや欠点、愚行の数々を公衆面前であげつらうのである将軍高慢ものぼせ上って、

自分を無誤謬の神(絶対に正しい偉い人間)だと思い込んだりしないようにするためである

例えば、カエサルには、部下たちがこう叫び立てていた。「禿げ頭の大将よ、他人奥さんたちを物色してんじゃねぇぞ!

あんたは商売女(淫売女たちで)で我慢してりゃいいんだ!」1現代独裁者たちに対しても同じように言うことが

できたならば、きっと民主主義にとって怖いものは何もなくなるだろう。

(Indro Montanelli, Storia di Roma, Rizzoli, Milano, 1969, pp. 141-142)

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犬儒派キュニコス派)のディオゲネース(前 400/4 頃-325/3 頃)は、

世の中で最も素晴らしいものは何かと訊かれたとき

《何でも言えることだ(言論の自由 parrhsi/a パッレーシア)》と答えた。」

ディオゲネース・ラーエルティオス『ギリシャ哲学列伝』69~

2020-10-09

ホモ」は蔑称なのか

いつだったか忘れたが数年ほど前に、

腐女子が「ホモ」という呼称を使うことに対して

「それは差別的呼称であり、当事者以外の者が謙遜自虐卑下に使うことは適切ではない」

とする意見を見たことがある。

事実、かつて多くの腐女子自分の嗜好について自虐する風潮があり、

自らの趣味謙遜?するつもりで、

あえて乱暴言葉を用いたりしていたと思う。

乱暴な口調=男勝りなキャラ自分カコイイ!!、という中二病も多くいたが)

それを本来当事者であるゲイセクシュアルの方と思われる方の一部が、

「なぜ第三者である人間立場を低く言われなければならないのか」

と憤慨するのは、当然の流れだと思う。

(本当にゲイの方の発言かどうかは置いておく)

しかし、この「ホモ」という言葉蔑称なのだろうか?

wikipediaによると、「同じ、よく似た」という意味ギリシャ語からまれ言葉だそうだ。

(ちなみにホモサピエンスのホモラテン語で「人」を意味するらしい)

まり、「ホモ(セクシュアル)」という言葉あくまで、

「同じ性別恋愛対象とする人」つまり同性愛者」を指すに過ぎないのだ。

近年は、女性同性愛者のことは「レズビアン」、

男性同性愛者のことは「ゲイ」と呼び分けていることが多いが、

そのふたつを総括する言葉が「ホモ(セクシュアル)」なのである

ではなぜ「ホモ」という言葉蔑称とされてしまうのだろうか?

かつては「ゲイ」という言葉すらもしょっちゅう中傷に使われていたと思う。

現在ネットテレビを見る人で、LGBTという言葉を聞いたことが無い人は滅多にいないだろう。

性に対しての世間視野が広がりつつあり、

ゲイ」は差別的ニュアンスで使われることが減ったと言えるだろう。

まり、「分類上の呼称ひとつ」という本来意味で使われるようになってきたということだ。

別の例をあげよう

2chなどで多く見られる「ガイジ」「池沼(ちしょう)」という言葉だ。

これらは「障害児」「知的障がい者」を略したスラングである

2chなどで、と前置いてしまったが、私が小学生の時(10年ほど前)、

ガイジ」は普通に悪口として使われていた。

同じクラス自閉症の子支援学級に入っていた)がいたにも関わらず、だ。

かに自分よりも能力が劣ると思える相手を見下すことは、

この競争社会に生まれ落ちた存在として容易に陥りやす思考である

しかし、「障がい者である」ということそのものは、本当の障がい者にとっては単なる事実に過ぎず、

役所で発行される書類などにも「障害者」という語は見られる。

ではなぜそれが「悪口」「中傷」「蔑称」となってしまうのか?

それはマイノティ差別する集団心理のせいではないだろうか。

マイノリティ」に属すること自体屈辱的、普通よりも劣っていると決めつける集団心理だ。

グループに属せないゆえにマイノリティと呼ばれるのかもしれないが、ここではあえてこう書かせてもらう)

とどのつまりは、「自分(達)よりも能力や数で劣っている人間社会不適合者だ」というレッテルを貼る者達が、

ホモ」を差別用語にしてしまうのではないだろうか。

最後

ここまで色々書き連ねておいてなんだが、

この話は同性愛者について語るものではない。

個人意見としては、ああいもの被差別者差別者達が議論して折り合いをつけていくものだと思っている。

まり特に肩を持つようなことはしないが、一方的攻撃するのはおかしいよね、くらいの認識だ。

しかし、社会本質として「似ている人間同士の集団」こそあれ、

「全く同じ人間集団」は存在しない。

もしもクローンが作られ、同じ生育環境だったとしても、それは同じことだと思う。

同じDNAでも、少なくとも黒子位置とかは違うと思う。

自分と違う存在」「自分より一見劣ると思える存在」を容認し、

それを愛する世の中に住みたい、と私は切に願うばかりだ。

2020-07-28

anond:20200728112958

イソップ寓話ギリシャ語原典は失われている。のちのラテン語の本では狼が食べたのは「羊」であり、ギリシャ語を含めて多くは狼が食べたのは「(羊の)群れ」もしくは「羊」となっている。タウンゼント版、チャーリス版、ヒューストン版などでも喰われたのは「羊」となっている。

日本ではイソップの話であるとして、狼に食べられるのは羊ではなく「羊飼い少年」とする寓話がいくつも存在する。

羊が殺されるのなら村人も罪とそれに対する罰を受けてることになるでしょ。

2020-07-11

anond:20200711142602

コロナウィルスはその形が太陽コロナに似ているから名付けられたんだけども、その「コロナ」はもともとギリシャ語で「王冠」という意味言葉なので。

2020-06-28

anond:20200628105425

そりゃ「進化論」の範疇で使うなら問題だろうけどね。日常語なら問題ないよ。

というか、英語ダーウィン母語)で「進化」を意味する「evolution」は、「進化」以外に「発展」「進展」って意味があって、割と古くから使われてる単語日本語の「進化」が、そういう使われ方をしておかしい事もないだろう。

そもそも進化evolution)」って単語自体ダーウィンの「種の起源初版)」ではそんな単語存在しなかったりする。そもそもダーウィンは「進化evolution)」って言葉を使うこと自体をむしろ避けていて、「変換(transmutation)」って言葉を使うことを好んだという。だからそもそもダーウィンが「進化」って単語を使うこと自体が、「なりきり」として、少しズレがある。

(ちなみに、「evolution」の期限は、2世紀には登場していたギリシャ語あるいはラテン語の「evolutio」が由来である

https://blog.oup.com/2015/05/word-evolution-etymology/

2020-06-25

中公新書新刊間違い探し

最近出た中公新書について、細かい誤りを見つけたんだけどどうすれば著者に届くかよくわかんなかったのでとりあえず増田に放流してみる。

岡西政典『新種の発見

https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/04/102589.html

ラテン語は、現代では使われていない古典死語であり、ギリシャ語ゲルマン語などをはじめとした多くの語派を含有した西洋古典である」(24頁)というのは、ちょっと世界史地理に詳しい人なら容易にツッコめると思う。これを校正さんが見逃したのは本当に謎。

ラテン語ギリシャ語ゲルマン語を含有してない。それらを含有してるのはインド・ヨーロッパ語族だ。つまり、こういうこと。

語族・語派・語ってのは目・科・属みたいなもんだと思ってもらえれば(めちゃくちゃ雑な説明。実際には他の言語との系統関係証明されていないグループを「語族」というので、目というよりは門とか界とかの上位分類に近い)。こう整理すれば上の文のおかしさもわかってもらえると思う。動物の分類に関する本で言語の分類に関する大ポカをやらかすというのはなかなか批評性が高いけど、生物学が専門の人が言語の分類に明るくないのは仕方ないので、校正さんがきちんと拾ってあげるべきだったと思う。日本語いくらでも情報が手に入る話なんだし。

japonicusも「日本産の」の意味であるが、これはJaponJapanラテン語綴り)に“-icus”の接尾辞を加えたものである」(186頁)とあるけど、ラテン語で「日本」はIaponiaである。これはラテン語版Wikipediaを引いてみれば一発でわかる。IとJはもともと同じ文字なので、Japoniaということ。どうもこの著者さんは、形容詞から語尾を引けばもとの名詞になる、あるいは、名詞の後ろに決まった語尾をつければ形容詞形ができると勘違いしているのではなかろうか(「中国」に関する説明からも、そう勘違いしていそうなことがうかがえる)。しかし、英語FranceとFrenchの関係を見ればわかるように、印欧語では名詞のうしろに決まった語をつければ形容詞になるとは限らないのだ。

少なくとも、この本、ラテン語の部分はラテン語がわかるひとにチェックしてもらって大幅に書き直した方がいいと思う。著者さんが、「学名をつけるときの語尾のいじり方」については知っていても、「ラテン語文法」をわかっているようには見えないので(「こういう名前ときはこういう語尾をつける」というのは、経験知であって「文法パターン」[185頁]ではない)。学名をつける側のひとも、-iや-aeといった格変化のうしろにどんな文法規則が隠れているか知ることができたら面白いんじゃないかな。

中谷功治『ビザンツ帝国

https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/06/102595.html

「フォカスという名の下士官将校」(35頁)ってあるけど少なくとも近代以降では下士官将校士官)ははっきり区別される別の身分である日本語Wikipediaでは「下士官」と書かれていて、英語版Wikipediaでは「下級士官low-ranking officer)」と書かれているんだけど、要するにビザンツ帝国軍は近代的な軍組織ではないので、ある階級士官下士官か厳密には決められないってことだと思う(フォカスは百人隊長だったらしい。うーん……)。でも「下士官将校」はおかしい。「下士官」と書くか、「下級将校」と書くかのどちらかにすべき(個人的には、前近代でそのへんの厳密な区分はできないんだから、素直に「百人隊長」と書けばいいと思う。こう書けばどんな地位なのか一発でわかるし)。

セルビア人の有力な領主コンスタンティン・ドラガシュ・デジャノヴィッチ」(275頁)って書いてあるけど、英語版Wikipedia確認するとKonstantin Dejanovićなのでどう見ても「デヤノヴィッチ」です本当にありがとうございましたロシア語綴りはКонстантин Деяновичだけど、これを見れば「デジャノヴィッチ」ではありえないのが一発でわかる(セルビア語jaロシア語のя)。ひょっとしてギリシャ語だとデジャノヴィッチが正しいのかな? って思って現代ギリシャ語版Wikipedia見てみたけどΝτεγιάνοβιτςなので普通に「デヤノヴィッチ」ですね。著者さん、さては西欧語の文献だけチェックしてギリシャ語綴りチェックしてないな?

最後になるけどどっちの本も面白かったです。すごい勉強になりました。上で挙げた点は非常に些細な間違いなので、本全体の価値を貶めはしないことを付け加えておきます

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