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はてなキーワード: 言文一致とは

2019-01-12

anond:20190111211705

俺はむしろ古文を読み現代語について考察する度に、現代語の過渡期的性質、つーか、英語などの言語システムを取り込んだ近代以降の日本語の「成熟して無さ」をひしひしと感じて歯がゆい思いがする。


これは、単純に翻訳などのケースで生じる問題だけど、たとえば"You should die."をどう訳すかって時に、漢文なら「汝可死」だから古文でも「(なんじ)死すべし」でOKなんだよね。ところが、これを現代語に翻訳するとなると、「死ねばいい」「死んでいい」「死んだらいい」「死んだ方がいい」「死ぬべき」「死ね」「死ぬ」…

と多彩な表現になってしまい、しかもそれぞれ微妙に異なるニュアンスで受け取られてしまう。ついでに言えば、ここに語尾が「よ」「ね」「の(ん)だ」「んだよ」「んだよね」「んだね」……等々付くと、更に表現可能性やニュアンスの違いは増える。(※)

これは日本語が繊細で微妙表現可能にしているというレベルを通り越して(ほとんどの人はこのように多彩な表現可能性として使いこなしたりしていない)、単純に相手真意を伝えそこねるコミュニケーションリスクを生んでいる。このように現代語の表現ピタリと定まらない原因は、たとえば言文一致の推進、翻訳文体流入、詩的言語日常語化など様々な要因があると思うけど、いずれにせよ結果は見てのとおりだ。要するに、現代日本語は、言語として成熟していない、不完全な代物だ。


昨今、ケータイ小説から始まって、ネット文体ラノベ文体やなろう系がかなり日本語シンプルアップデートするべく頑張っていると思うので、個人的にはそれに期待したいところなんだが、それでも一般化まではまだ百年単位時間がかかるだろうな。そして、それ(新しい成熟した日本語)が成ったあかつきには、現在目にする多くの「日本語」は過渡期の産物として一部の古文研究家の独占するところとなり、地域社会的位置身分を問わない「2000年代初頭の日本語」が集積する増田は過渡期の日本語サンプルとして広く用いられる基礎資料となっているだろう。そのときこの文章を読む人にこそ、俺が言いたかたことが大体伝わるだろうと想像すると胸が熱くなるな

2018-09-15

anond:20180915211627

“文才がある”っていうのは“喋りが上手い”の言い換えに過ぎない

書いてあることの意味がわからない。言文一致のあたりから、よりわからない。

たぶんあなた言文一致が何なのかを理解していない。

話し言葉書き言葉が分離していくとは何だろうか。

最後まで読むと、話し相手いるかいないか、が分離をうながす要因、と読める気もする(忖度)ので、

そうであればなかなか興味深い指摘である

文章を書くことは、大まかにつの行程に分けられる。

1、どのようにして書く材料を見つけるか。

2、頭の中にストックした材料いかにうまく言語化するか、いかうまいタイミング言語化構成)するのか。

書き言葉は1→2だが、

話し相手がいる場合は、1→2であったり2→1だったり、1→1→2だったり流動的であると言うのならば、

わりと話し言葉書き言葉の違いについて面白いことを言ってると思うが、

……全部わたし忖度じゃないか……!

2018-09-06

anond:20180906001142

童謡歌詞がいいのはむしろ当たり前と言ってもいい。いや、当たり前という言い方は誤解を招きかねないが、それでも言い切りたい。歌詞意味内容もさる事ながら、言葉の音としての響きを大切にしているので、随伴音楽なしでもただ美しい。言文一致唱歌とか相当な試行錯誤推敲の工夫がなされてるが、もっと評価されてもいいと思う。いいものをいいと感じるのが審美眼だと思うが、増田はい感性してるな。

2018-01-05

落ちこぼれ受験生の泣き言に共感する古文漢文不要論者たちの低脳ぶり

まず、古文漢文が暗記ゲームと言っている時点で元増田学力は大したものではない。古文漢文語学だ。英語学習を暗記ゲームだという人間いるか?もちろん語学に語彙の習得必要不可欠だが、それ以上に実際の文章を繰り返し読みこむことが重要だ。

元増田レベルの低い受験生なのだから自分レベルに見合った古文受験必要としない大学に入ればいいのだし、職業訓練が受けたいのなら大学にこだわらず専門学校に入ればいい。

そもそも、なぜ古文漢文だけを目の敵にするのかがよくわからない。よく槍玉に挙げられる現代文の読解問題はいいのか?漢字の書き取りは?三角関数は?歴代徳川将軍名前は?各地の気候名称は?歴代ローマ皇帝名前は?各種金属炎色反応の色は?気体の状態方程式は?三単現のsなんて気にしなくても会話は通じるのではないか

ごまんとある大部分の人間には必要いであろう学習内容の中から古文漢文を選ぶそのセンスが嘆かわしい。古文漢文語学だ。語学である以上、これは知識を得るための手段言文一致以前のすべての文章を読み解くための手段なのだ雑学の集積を知性と呼びたがる最近クイズ番組に影響されたのか知らないが、雑多な知識を頭に詰め込む時間を作るために古文漢文廃止せよというのはナンセンスだ。知識という魚を獲るための釣り竿を魚と交換するのは愚か者のすることだ。

しかし、頭の悪い受験生古文漢文存在に不平を言いたがるのは理解できなくもない。足りない頭で分不相応大学に受かるため何段にも積み重ねたゲタを履き続けるのは苦痛だろう。最悪なのはそれに同調する中年はてなユーザーたちだ。大学で何も学ばず三角関数古文英語必要ない仕事をしている、もしくは仕事すらしていない者が大半だろうから無理もないが、どうか古文漢文を減らしてエクセルの使い方や株の買い方を学ぶ時間にあてるべきだなどという低レベル妄言を垂れ流すのはやめてほしい。あなた高校大学で学んだことをきれいさっぱり忘れて知性を必要としない日常を送っているのはあなた自分教育に失敗したからだ。お願いだから頭の悪い人間が考えた高等教育のあるべき姿なんてものには何の価値もないことに気づいてくれ。

https://anond.hatelabo.jp/20180104132743

2016-12-08

現代日本言文一致をどう推し進めてしまったのか?

もしかして初等教育時点で教育すべき文語体定義しそこねたのではないだろうか。

そして文語教育事実上放棄されてしまった結果、経験的に言文一致が進んでいった、という気がしてきた。

2016-04-22

anond:20160421012214

これは本当にそう。書き言葉エントロピー言文一致体が浸透した近代以降、確実に増大してきたが、谷崎潤一郎が「文章読本」で提起したように、文章には一定品格を持つべきであり、くだけた文章を良しとしない社会的気風が昭和時代まではたしかにあった。しかネットで誰でも文章が発表できるようになると、そうした秩序も取り払われ口語に限りなく近づき、そしてついに口語よりもくだけた表現が許された最果ての時代にある。日本語希薄化し、崩壊したとしか思えないような事態に映るんだろうな。昔の人からすれば。

2015-05-27

たいへんおもしろ

現代人(男)の発する「かしら」は一般的ではない。

…というのが、モトマスダの考え方であり、

明治大正昭和初期の「かしら」「かしらん」は文学作品散見されるではないか!

…というのが、ブコメで表明されている見解なのよね。


書き言葉と話し言葉、明治以来の言文一致にまつわる諸事情果たして現代人(男)の発する「かしら」使用の凡例が、野比のび太であるのは妥当なのか?

などなど、たいへんおもしろいことがたくさんあるわね。

http://anond.hatelabo.jp/20150527162955

http://anond.hatelabo.jp/20150527171854

2015-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20150217121208

そもそも当該の文章に笑いが含意されることを表現するのは難しいものからね。

たとえば「なんなんだろうね」という一文だけでは怒っているのか笑っているのか興味深げなのか素朴な疑問なのか判断することができない。

言文一致を経て日常会話を文章にするようになってから初めて我々は文章感情を乗せる必要に迫られたわけだが、

その結果としての先人たちの創意工夫には敬意を表さねばなるまい。

ネットサーフィンなんて思わず笑ってしまうくらいの死語だけど代替表現が思いつかないので仕方なしに使わせてもらうよ」

なんて冗長な一文をわざわざ挿入するよりは「(笑)」で済ませたほうがスマートだよ。

2010-05-04

16歳で初めて東京へ遊学、初め漢学を次に哲学を志して遂に大学予備門に入学、東京帝国大学では国文科に入り、二ヵ年の修行病気のために退学した。居士は大学で修める学科が居士の志す所と没交渉のものが多いからというのを退学の一理由としているけれども、勿論病気ということもその退学原因の重大なものであった。

退学が病気に因る如く、居士の事業また病気によるものが多い。その俳句研究を始めたのは喀血後明治21、2年頃からである。 「俳句研究せねば、足利以来の日本文学とその思想は到底鮮明することは出来ない」 とは、その頃居士が他に語る口癖であったが、斯く考えることもまた病身ということが手伝って力あるものである。そうして24歳より俳句復興革新に志し僅々5年29歳の頃には略ぼその大業を成就するに近くなったのである。

次に30歳頃から和歌革新を思い立ち、「紀貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ歌集に有之候」という当時としては歌壇の反逆児としか思えない畏る可く宣戦の言葉を放って健闘すること3年有余、その34歳の頃には既に速くも歌壇一千年の永き惰眠を覚醒し、写生趣味による真実味と自然味とを和歌に注入して以て殿上文学たる和歌を地下の書生学徒の手に移したのであった。

次で文章の革新をも思い立ち、写生趣味を加えた言文一致の文を発表し、真実自然のままに叙写するのでなければ、到底永遠生命ある文章を得べからざることを称道し、所謂写生文なる一派の文を興すに至ったのが、明治32年頃からその晩年たる35年頃までの活動により成就せられたのであった。漱石の猫が生まれたのもまた実に子規居士の造った揺籃に於てしたのである。

かような明治文学史上に最大の意義ある事業を為す傍ら、明治24年頃から、俳句の分類だの、俳家全集などの編著にも精力を注がれた。

20歳喀血し、30歳脊髄を冒されて、腰は全く立たず、カリエスは開口して漏膿し、痛苦を伴った。30歳の頃以後は年百年中37度ないし39度くらいの体温を干満した。生まれて虚弱、13歳より5、6年僅かに小康を得、そうして盛年常に病魔に冒されて以て一生を終わった。居士は畢竟病を以て終始したものである。そうして享年僅かに36歳、明治35年9月19日示寂せられたのである。

寒川鼠骨「子規居士小伝」より

2009-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20091126221907

でもさすがに指摘されたら改めるぜ? ←こういうクエスチョンマークの濫用も気になる。発音した時に語尾を上げたいだけの場合にも「?」を使う奴っているよな。「私はここで待ってるね?」とか。

この点はあまり同意できないな。

クエスチョンマークは語尾上げの印」というのも、かなり歴史的に正統な使い方なんじゃないかと思う。

日本語でのクエスチョンマーク言文一致運動あたりで導入された記法であって、

当初から書き手によって用途が分かれていて、現代でもそのまま流派が並立してる、

みたいなイメージを持ってるんだけど、どうだろうか。

たとえば初出1947年となってるこれとか、もろに「クエスチョンマークは語尾上げ」派っぽい。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001311/files/49718_34062.html

2009-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20091101024746

なぜ夏目漱石虞美人草で懲りた(?)夏目さんはそれ以降ずっと言文一致口語で書いてるわけだが、言葉遣いは今と大して変わってないよ。

というか、礼儀は口から出す言葉とか何かの方であって、気持ちの表れなんぞではなくないか?芝居の型のようなもので「絶望するときにはうつむく」みたいな習慣的な記号によって、単に「わたしはあなたを敬う立場の者ですよ」と表明するものだろう。猿でさえやってる。

2009-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20090221082901

ていうのはさ、元の記事の記者がどの程度知識があって言ってるのかわからんけど、明治以前て「日本語」というか「国語」ってのがなかったのよ。

みんな地方とか村とか階級とかでバラバラにしゃべってたっていうかさ。

で、欧米列強みたいな体制にしなきゃいかんと、そうなったとき、どの国でもやってたのは言語の統一+使いやすくしようってことなのね。言文一致とかいうけど。

これやると情報伝達のベース言語日本中で統一されて、学問に参加できる人が増えたり法律とかもろもろの情報日本中に伝達しやすくなるし、なによりも同じ言葉を共有してる俺たちって同じ日本人だよねー的な感覚が生まれて富国強兵に役立つと。「構成員が自分のこと国民だと思ってる集団」てのができるんだよね。こうしないと列強とやり合えないぜと。

で、じゃあそうやって国語以前の言語カスタムして国語ってのを作らなきゃ!ってことでせっせと作ってたのが明治初期の小説家たちで、夏目漱石とか森鴎外ってのはその最終仕上げみたいなことをやったのさ。彼らは国の金でイギリスとかドイツに言ってたわけだけど、これってその辺ヨーロッパを参考に研究して来いよという部分でもある。森鴎外なんかは医学のこともあるんだけど、この時代、新しく作ってる言葉をどうやって自然科学言葉として使えるようにするかってのも重要だったからさ。

そういう意味夏目漱石ってのは国語ベースの一種ではあるんだよね。

2008-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20080417234519

あのさあ、「一般的にはこういうことが言われている」ということを主張したら、いつの間にか俺が「こういうこと」を主張していることになってるのはなんでなんですか、とさっきから何度も聞いてるんですが。「そうとしか思えないから」って、あんたの主観でしょ。しかもあんたが俺のことを色眼鏡で見てたことはあんたが自分で言ったことだし。

民主主義自由主義自然科学も、キリスト教論理的に直結はしていない。

ほう、その辺の本には「神」なんて言葉が乱舞しとるがな。じゃあ日本古典がどう宗教価値に直結しとるんだ?

それが「一般人レベル」か? 高校で教える価値があるかどうかは微妙だが。

これは確かに読み飛ばした、失敬。

日本古典の話をしてるんだが。とりあえず便宜的に日本言文一致体以前以後で区切ってみようか。

なんか、今でも一般人が学ぶ意義のあるような文献がそれ以前にある?

しつこいなあ。食い下がってるのはどっちだよ。「意義」の定義によるだろ。「一般人レベル」でいうのなら、欧米先進国様の古典を学ぶ意義と同程度のものは間違いなくあるよ。日本文化のうち文学美術舞台芸術に優れたものがあることは君も否定せんだろうが、それらの趣味思想だのなんだのに劣ることはあり得まい。

欧米政治思想の本なんかはそれこそニュートンの時代のとか普通に今でも重要でしょ。

グレコ・ローマン文化の話じゃなかったのかよ。近代以降ならそりゃ当然だろ。フランス革命1789年明治維新1868年の差が今更どれほど重要だとあんたが思ってるのかは知らんが(明治維新は不完全な革命とかいうなよ。そんなこと言えばロベスピエールとかナポレオンってのはどうなるんだ)。ただその意味で言うなら欧米であってもドイツなんかは後進国なんであって、あんたが言ってるのは「イギリスフランス」の話でしかない。「欧米」ではないぞ。

君の言うステータスシンボルのような意味での「役に立つ」自体を俺は批判し否定してるんだよ。まやかしだってな。で、撤回したんじゃなかったか? やっぱ食いさがってんじゃんww

一方で、海外のほとんどのライブラリドキュメント英語で書いてあるから、英語はとても役に立つなあ。

ほら、君は「??だとすれば」という仮定が読めないんだよね。背理法とか理解できてないんじゃないの?出来の悪い中学生とかで、「もし√2=p/qと既約分数で書けたとするとpもqも偶数になるが」とかいうと、「pもqも偶数なわけないだろ!」とか言って聞かないガキがいるよね。

あとさあ、まやかしまやかしで構わないけど、そういう意味なら俺は英語の「役に立つ」もまやかしだと思うがねえ。

とりあえず、「まやかし」と「役に立つ」をあんたはどういう基準で使い分けてるのか明示してくれ。でないと話にならん。

えーと、そういう主張をしたいのならまずソースよろ。

はあ?何のソースだよ。俺は君の主張を自然演繹しただけであって、敢えて言うならソースは君の発言だが。

俺の言ってるのは、ただの東大卒程度でエリートなんて呼ぶ必要ないだろ、ってことなんだが。毎年数百人も生まれるのに。

東大卒は毎年数千人だ。それで、MIT卒は何人いるか知ってる?ハーバードは?プリンストンは?スタンフォードは?オックスフォードは?ケンブリッジは?

本当に新天地を切り開くようなエリートってのは、せいぜい数人程度だろ。その数人にどういう教育をするかと考えた場合、国内でまかなおうなどと無駄な縄張り意識を発揮するよりは、とりあえず世界トップレベル大学に送り込めばいいんじゃないの、と。

天才信仰ですか。まあいいや。仮にそうだとしても、「年に数人」レベル人間「教育」なんておこがましいと思わんか。そんな人間はほっといても自分に最適な場所を探してくるし、そこが日本である可能性もあれば海外である可能性もある。

国を背負うほどのものでもない普通東大生数百人のレベルをギリギリにチューンすることに金を使うよりは、普通大学を出る普通の何万人のレベルを上げるほうが安上がりだし価値があるんじゃねえの、と。

誰も「普通東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」なんて言ってないし、そもそも東大生の中で「教育制度がもっとよければ俺はもっと偉くなれた!」なんて言ってる奴は落ちこぼれだけだよ。だから「普通東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」という発想自体がそもそも無意味

俺はFORTRANを主流だとは言ってないと思うがね。スタンダード(標準)だとは言ったが。主流と標準の違いは分かるよな?

いや、主流の座から滑り落ちたものを普通スタンダードとは呼ばないだろう。そう言えるからには、後続のものがスタンダードを一つの目標に据えて設計されたとかそういう事情が必要だ。ちなみに釘をさしておくが、別にこの主張に固執するつもりはないから反論は不要。否定してくれてかまわん。

でも、コアの計算部分がライブラリに分離されちゃうケースが増えると、ますます低水準処理がどうこういう意味がなくなるような。

出来合いのライブラリを使ってない研究者だって沢山いるし、そもそも計算アルゴリズム自体に工夫をする人だっているわけでな。その辺は計算の規模と計算機リソースの兼ね合いと、あるいは本人が計算機を好きか嫌いかなんていう、実に卑近な事情によって決まってくる。それこそ情報工学の研究者であっても、俺が例に挙げたパターン認識待ち行列研究者の中には計算機の実践的側面なんかに興味がなく、Cを使ってアセンブラまがいのコードを書き、新しい言語なんて覚える暇があったらもっと他のことをするとかなんとか言ってる人だって一定の比率で存在する。おわかり?あんたの言ってる「情報工学」は「コンピュータ工学」でしかないことに気付いてほしいな、いい加減に。そこだけ理解してもらえればあとはどうでもいい。そうすれば、あんたが噛み付いてる点自体が枝葉末節だってことにも気付くだろうし。

自分の書いたコード計算機のなかでどういう風に動くかというイメージを持っておけば見通しがよくなるだろ

前にも書いて綺麗に見ない振りされたけど、それ言語の選択と無関係だよね。

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元々の話覚えてるか?「低レベル寄りの言語を知識としてだけでも知らない人間に」云々という話だっただろう。どうも話が巧妙にずらされてる気がするんだが。たとえばいきなりJavaを覚えさせられた人間がそれがわかるとは到底思えない。ライブラリソースを読めるレベルになってはじめてわかることだろう、それは。

C++の話も同様。敢えて「C++らしい」処理を書けば計算量はどんどん増えて、例えば行列カプセル化して演算子オーバーロードしてなんてことやってたら計算時間が倍ぐらいになってもおかしくはないだろう。一晩で終わる計算が翌日の昼までかかるということになったら作業効率には歴然たる差が出るぞ。

2008-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20080417225039

少なくとも反動主義者で権威主義者ではあるんじゃね?

食い下がってんのはお前だろ。

いや、形式的にみても実質的にみても、撤回したはずなのにちっとも撤回して見えないのは君が食い下がってるからなんだが。

それをいうとそれこそ、お前の大好きな欧米先進国様の思想宗教価値と直結しているんじゃないのか?

民主主義自由主義自然科学も、キリスト教論理的に直結はしていない。

たまたまキリスト教圏で発生したから影響は見られるがな。

文学研究とか歴史研究という分野を知らんのかねこの人は。それからいうまでもなく東洋哲学とか仏教学がある。え?なに?広義の文系学問ばっかりだって?気象学とか地震学でも過去の記録は見るよ。

それが「一般人レベル」か? 高校で教える価値があるかどうかは微妙だが。

そりゃどんな学問上の専門知識でも使う分野では使うに決まっているわけだが。

近代(あんたのいう近代と中世の境界線はどこだ。ルネッサンスウェストファリア条約フランス革命か)

日本古典の話をしてるんだが。とりあえず便宜的に日本言文一致体以前以後で区切ってみようか。

なんか、今でも一般人が学ぶ意義のあるような文献がそれ以前にある?

論文リファレンスニュートンだのライプニッツだのの著書を挙げる奴がたまにいるが、あれを実際に読んでるのは物好きだし、読まなければ理解できないなんてことはまるでない。

欧米政治思想の本なんかはそれこそニュートンの時代のとか普通に今でも重要でしょ。直接読まなくても現代語でまとめた書籍存在するという意味でいらないと言っているのなら分かるが、そういう言い方をしちゃうと、そもそも必要な古典なんかひとつもなくなってしまうぞ?

お前のいう「役に立つ」の定義は何なんだ。「金になる」という意味ならそれこそ文化政策ステータスシンボルとしてでも十分日本の文化は役に立つことになるだろう。「過去旧弊を断つために異文化を学ぶ」のであれば、「一般人」にとって英語が役に立つ例にはなってないよなあ。

君の言うステータスシンボルのような意味での「役に立つ」自体を俺は批判し否定してるんだよ。まやかしだってな。で、撤回したんじゃなかったか? やっぱ食いさがってんじゃんww

一方で、海外のほとんどのライブラリドキュメント英語で書いてあるから、英語はとても役に立つなあ。

才能職」(笑)がどんなものかは知らんが、学問的なトレーニングという意味での努力が役に立つ仕事というのが情報工学の分野の主流なわけで

うーん、でも君のFORTRANやC,C++についての言及のとんちんかんぶりを見てると、そのトレーニング(笑)とやらはどうも成果が出てなさげに見えるんだがなあ。つーかそれなりに本を読んでれば言わないようなことばっか言ってるよなあ君。

おやおや、「本物のエリート」がえらく縮小したね。MITはそのレベル大学だというのなら、人口比からいって日本にもそのレベルの素質を持った人間は毎年千人単位でいることになるし、MITと同レベル大学はほかにもいくつもあるから、もっとすごい数になるだろうね。だったら、欧米先進国様に丸投げして済む数ではないね。

えーと、そういう主張をしたいのならまずソースよろ。

で、それが本当だろうがそうでなかろうが、そもそも君の突っ込みはずれてる。俺の言ってるのは、ただの東大卒程度でエリートなんて呼ぶ必要ないだろ、ってことなんだが。毎年数百人も生まれるのに。

本当に新天地を切り開くようなエリートってのは、せいぜい数人程度だろ。その数人にどういう教育をするかと考えた場合、国内でまかなおうなどと無駄な縄張り意識を発揮するよりは、とりあえず世界トップレベル大学に送り込めばいいんじゃないの、と。

教育課程を見直すとして、国を背負うほどのものでもない普通東大生数百人のレベルをギリギリにチューンすることに金を使うよりは、普通大学を出る普通の何万人のレベルを上げるほうが安上がりだし価値があるんじゃねえの、と。だから、「公教育目的は平均と底辺を上げること」と何度も言ってるんだよ。

確かに、スパコンとかを用いた理論物理の一部の分野でFortranが主流になっている分野は存在することは存在するらしいな。

つか、スパコンの対応状況の問題でそういうのがある。多分俺が知ってた頃よりだいぶ減ってはいるだろうが。

だが、そうした一部の分野の傾向だけを捉えてFortranが主流だなんていうと大間違いだろ。

俺はFORTRANを主流だとは言ってないと思うがね。スタンダード(標準)だとは言ったが。主流と標準の違いは分かるよな?

さすがにまだ標準の座はC++に奪われたりはしてないと思うんだが。

ちなみにあらかじめ釘をさしておくが、LAPACKとかそういう既製品数値計算ライブラリFortranで書かれてるから云々などと言うなよ。

そうか、じゃあライブラリが何で書かれているかはとりあえず別の話にしようか。

でも、コアの計算部分がライブラリに分離されちゃうケースが増えると、ますます低水準処理がどうこういう意味がなくなるような。

C++と、お前さんが「数値計算の実習はFortranではなくCを用いましたが」と表現したCとで、実際どの程度パフォーマンスが違うと思ってるの、と聞いてるんだけど。どっちも同程度に低水準な処理は書けるぞ。

当たり前だろ。C++はCの(ほぼ)上位互換なんだから。誰がそんなことを言ったかね。

不完全な引用ごまかさないようにw正しく引用しなおしてあげよう。

お前さんが「君も一応理解してるようにC++やましてJavaでの数値計算は「出来ない話じゃない」程度のことで、向いているとはお世辞にも言えないだろ?」と表現したC++と、お前さんが「数値計算の実習はFortranではなくCを用いましたが」と表現したCとで、実際どの程度パフォーマンスが違うと思ってるの、と聞いてるんだけど。

と俺は書いたんだ。

「君も一応理解してるようにC++やましてJavaでの数値計算は「出来ない話じゃない」程度のことで、向いているとはお世辞にも言えないだろ?」という文章内での君のC++評価と、「数値計算の実習はFortranではなくCを用いましたが」という文章内での君のC評価の乖離について俺は質問している。

いや、多分Javaに引きずられてつい実際より悪く書いちゃったんだろうとは思うんだけどな。だったらそう訂正すればいいんだよ。それにJavaが遅いのは低水準が云々以前の問題だしな。

重たいクラスライブラリの厚い壁を通して、数値計算という比較的単純な処理をやる奴はセンスがないだろうし

具体的に何を重たいクラスライブラリとして想定してるんだ?

自分の書いたコード計算機のなかでどういう風に動くかというイメージを持っておけば見通しがよくなるだろ

前にも書いて綺麗に見ない振りされたけど、それ言語の選択と無関係だよね。低水準処理云々とも別問題だし。

あと、最近機械語レベル最適化は、とても手でちまちまやってられるようなものじゃないが。

2008-03-31

早くから学校文語も教えるべき

いまの言文一致体に加えて漢文訓読体と和文体も教えれば古典から現代文まですらすら読める民族誕生です。

2007-11-16

最近は「ケータイ小説を誉めるのが通」みたいな風潮まで出てきて

「新・言文一致だ!」とか言ってる評論家作家がいるからなぁ。

プロが叩かれてるものを誉めるのがカッコいい、みたいな。

そういえば、一時期(今も?)ライトノベルは新たな表現の可能性云々って語るのが流行ったことがあったなぁ。

特徴は誰も「この本が面白い!」とは言わないこと、語られてる界隈から少し外にいる人が語っていること。

2007-10-04

方言だの標準語だの語るなら

言文一致運動とか、それなりに歴史調べてからモノ言って欲しいものだ。

君らの議論なんてメディアの手の平で踊ってるようなものに過ぎない。

2007-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20070817224414

  • 今頃言文一致以前の人間を見かけるとは!珍しいもん見つけちゃった。メモメモ
  • 口語的表現ではあるが、口語的表現を口語臨場感を再現する意図でテキストに使うのに、なにか問題が?それこそ明治時代に通り過ぎた話じゃん?
  • その文脈の「のが」は、30代の俺の子供の頃には既にあったけどな。俺の生まれる前に書かれた小説にも用例はあるだろう。類似例に「のんが」ってもあるな。元増田がたまたま最近まで気がつかなかっただけだろ。

2007-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20070408153316

奈須きのこって、菊池秀行の世界観京極夏彦ヴィジュアル系の歌詞の言語感覚を振り掛けた文体で書く人なので、「古典派」とか言われるとなあ。笹本とかあかほりとか神坂みたいな言文一致体や、水野とか安田とか山本弘あたりの翻訳ジュブナイル経由文体を「古典派」ってんじゃないだろうか。上遠野以降のやや文学くさい文体や、奈須・西尾以降のやたら饒舌な文体が「現代派」でさ。まあ、あまりにも取りこぼしの多い括りではあるから、真剣に提唱しようとは思わんけど、こんなん。

 
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