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2024-11-16

親に「字は人間性を表す」と刷り込まれたのがトラウマ

うちの親、特に母親がもう典型的毒親だったんだけど、やたら字にこだわる人だった。

「字が汚い人間ダメ人間」って小さい頃から呪文みたいに言われてたんだ。宿題ノートとかでちょっとでも字が汚いと、「こんな字書いてる人間は将来絶対まともにならない」って怒鳴られて、ノート破られたこともあった。

正直、それがトラウマになって、字を書くこと自体が嫌いになった。

でも、社会に出てから不思議なもんで、「あれ?親の言ってたことってちょっと当たってた?」って思う場面があるのがムカつく。

例えば、職場田中さん仮名)。あの人の字、ほんとひどくて。メモ渡されても「これ、何て書いてあるんですか?」って聞かなきゃ読めないレベル。それだけじゃなくて、仕事もいつもギリギリで雑だし、周りの迷惑全然気にしない。

で、ふと母親言葉が頭に浮かんで、「字が汚い人間ダメ」ってやつ。心の中で「うるせえな」って思いながらも、Aさん見ると「いや、これ親の言う通りじゃん」ってなるのが悔しい。

一方で、吉田さん。この人の字はめちゃくちゃ綺麗で、書類ミスがなくて、周りへの気配りも半端ない

母親があの字見たら絶対「ほら、こういう人間になりなさい」って言うだろうなって思う。

でもそういうのって字だけで決まるもんじゃないってわかってても、結局、毒親に刷り込まれた「字=人間性」って考えが抜けなくて、自分でもモヤモヤする。なんか親に負けた気がしてさ、余計腹立つ。

なんか腹立ってきたかスタバ行ってくる。

2024-11-15

ボラティー

会社田中さん仮名)、なんで毎回「ボラティーア」って言うの?マジで謎なんだけど。

ボラティア」だろ、普通に。「ティア」って言うだけなのに、何でそこに「ー」入れる必要あんの?毎回聞くたびに「またかよ」って思って話の内容吹っ飛ぶんだわ。

で、誰も何も言わないのもムカつく。絶対みんな気になってるでしょ?なのにスルーするのなんで?俺だけが毎回心の中で「ティアだっつってんだろ!」って叫んでるのバカみたいじゃん。昼休みとかもさ、「ボラティー活動の~」とか話してるの聞くと腹が立ってしかたない。頼むからさ、次からは「ボラティア」って言ってくれ。別に難しいことじゃないし、そっちのほうがよっぽどスマートだろ?この思い、田中さん仮名)に届けーー!!

2024-11-05

関西在住増田、某ブランドスマホケースで買い物に失敗

当方まれからずっと関西の一都道府県に住み続けている女増田

学校就職は別の県であれど移り住んでもずっとその県在住。

また、この県はこの県発祥ベビー子供服ブランド地域に根強く、0歳のころからもちろん高校大学でもレッスンバッグや体操服入れにもこのブランドを使う女の子が多く、オトナになったらエコバッグ手帳ペンケース、またママになったらなったでマザーバッグやベビーグッズ、果てはベビーカーなども売り出しているので生涯そのブランドが他の県のや地域よりも身近であることが特徴である

そしてこのブランド皇室御用達なことがあって割と価格帯も高めな印象で、ホイホイ普段着としてワンシーズンで着捨てるにはハードルが高い代わりに、品質はそこそこしっかりしているため周りでもママが来ていた服を実家大事にとっていて、その子供がお下がりを着ている、もしくは幼稚園小学校などで下の子がいるご家庭に譲りあって回り巡っているみたいな話もよく聞く。

最近だとメルカリでそこそこ高値取引されているユーズド品もあるようだ。

そのブランドが先日、とあるスマホケースブランドコラボと称して色や背面のプリントカスタマイズできるスマホケースを販売した。

3通りの柄と、32色のカラバリ、さらに当時発売されているスマホの全機種を選択できるということもあってその値段なのだろうと察するが、スマホ本体が16,000円~と高級品ではあった。

けれど、これまでの品質への信頼から増田はうきうきと販売初日オンラインで購入した。何度も何度も色味を確認してイメージを重ねた。神戸本店東京店舗にだけは見本の現物が置いてあるらしいのだが、現物を見に行く時間はなかった。でもまぁ、このブランドだし大丈夫でしょうと(フラグ)。これまでの経験則で信じ切っていた。それが8月ごろである

ちなみに名前の印字サービスオプションで付けたので18,000円した。う~~んまぁ本当に結構高いが自分への誕生日プレゼントだ。ずっと使う予定でえいや!と購入。

それが無事10月末についに発送され、いまかいまかと楽しみに到着を待っていた。

配達されて受け取った段ボールには見慣れた水色のブランドフォントロゴ。いつ見てもかわいい、大好き、このくまちゃんが。

うきうきわくわく、楽しみに封を開けて取り出し、iphone15に取り付けたのであるが、なんか…薄いな…?とつけてみて思う。

本革レザーとうたっていたのでしっかりした手触りかと思いきや、全体に薄い。

「一つ一つを刻印しています」と銘打っていたせいだろうか、名前の「YUKI仮名)」の「Y」の下部分がすでにかすれていて、なんかぱっと見「V」に見えた。

「ヴキ」になってしまった。

まぁ…、味と言えば味…かも…?

そして、何より個人的に一番悲しかったポイントが、スマホカメラレンズの凹凸のほうが、ケースよりも厚かったのだ。つまり裏側を置くと常にカメラガラスレンズが触れてしまタイプ

仕方ないけれど、自分はそれが嫌で今までは100均の取り急ぎのスマホカバーですらカバーのほうが厚みがあって直接スマホが触れる部分がないものを選んでいたのもあって結構ショックだった。

まぁ、表のガラス部分を常に下向けろってことだよね、と気を取り直しているのだけれども、そうすると全面に出てくるスマホケースだがやっぱりなんだか薄いな…好みの問題なんだけど…。悲しいなちょっと…。あと「ヴキ」に見えるのもじわじわ嫌なんだよななんか…。

なんか、心躍ると思って2万弱で買ったスマホカバーがこまごまとしたところでときめきポイントを失っていくのが結構悲しい。

スマホカバーの購入画面の見本のところはスマホのほうが厚いようには見えなかったので、(自分の見落としだったらごめんなさい)購入前イメージとの乖離があるのだと思う。

安くないのが余計に悲しい。0歳の子持ちで持つもんじゃなかったかも、と子供おもちゃにされて机からフローリングの床に落とされたスマホケースのクマ果物ロゴが一瞬で傷がついているのを見て心が死んでいる。

100均の透明なスマホカバーのほうが思いっきり使えたし丈夫だったな…本体も守ってくれるし…と悲しくなってしまう。

中小所得層の主婦が持つもんでもなかったんだろうな、と心をなだめすかせるには高すぎる出費に、まだしくしくと私の心の中の幼児が泣いている。

私が悪い、私が。いまカメラレンズだけ保護してくれるケースやシールの購入を検討している。

今度から高い買い物をするときは本当に後悔がないように現物を血眼で見て確認します。

anond:20241104075316

//ナカとチツでせめぎ合っている様子が感じ取れる まともに発声できてないものもあり
膣で。膣を。膣と。膣より。膣に。膣が。膣の。膣へ。膣から。膣ばかり。膣まで。膣など。膣やら。膣か。膣だけ。
//ナカィ・ナカラィ
膣で。膣内で。膣内を。膣内と。膣内より。膣内に。膣内が。膣内の。膣内へ。膣内から。膣内まで。膣内など。膣内やら。膣内か。膣内だけ。
//ナツ・フツ
膣はあけぼの。膣は夜。膣は夕暮れ。膣はつとめて。
//ナス
膣はあけぼの、膣は夜、膣は夕暮れ、膣はつとめて。
//ナカィだしジャンプ・ナカィだしキック・ナカィだしパンチ・チツナイだし
膣内出しジャンプ…膣内出しキック!膣内出しパンチ?…膣内出し? …何言わせてんの?…ぶッコロスゾォ?!😡

https://ai-voice.dmm.com/

2024-10-29

仮病使って出社拒否した後辞めた話

 

一年半前、10年近く務めていた会社を無理やり辞めてやった。

 

 

仮病を使い、出社拒否して退職届必要書類全て郵送でやり取りし、めでたく退職

 

その過程をここに書いておく。

今の会社を手早く辞めたい人にとって少しでも参考になれば幸い。

 

 

その前に簡単自己紹介

自分は30代の女、事務員

務めていた会社は、大手ホームセンター取引している文具卸。
本社埼玉県にあるが、務めていた場所千葉市内の倉庫

 

退職きっか

退職きっかけは、クソ同僚の伊藤(仮名)の身勝手さとパワハラ
自分でやればいいことをわざわざ私に指示し、少しでも気に食わないことをするとキレるクソ女。
本社人間に問い合わせをした際、伊藤から別件で「本社の人にこれ聞いといて」と無理やり仕事押し付けられ、指示通り聞いたのに「違う!ちゃんと分かってんの?!!」といきなりブチ切れてきやがった。
しかも言っていることは指示した時に言っていない、つまり初耳の内容ばかり。
(この女はよく自分が言った内容をすぐ忘たり、ころころ主張を変えてくる)

これでプツンと来て、仮病使って会社を休むことにした。

 

 

 

一度も出社せずに退職するやり方

バックレから退職までは至って簡単

 

てきとうな理由つけて1週間休み、その後「体調良くならないので退職します」と上司に連絡すればそれでOK🙆‍♂️

 

バックレから退職までの手順は以下の通り

    • LINEで「大丈夫?」「いつ来れる?」「今日業務は~」と連絡が来るが全て味読スルー。返信が必要でも「ずっと体調が良くならずいつ来れるかわかりません」と返しバックレを貫く。

    • 数日後、同僚から依頼があり仕方ないので、電話で引き継ぎ。引継ぎはもう、てきとうです。あとはそちらで勝手にやれ(笑)

     

    以上。

    案外、嘘って通るもんです(笑)

    自分がそこまで有能な人材でも無ければ、退職を引き留められたりはしません。

     

     

    そんな退職大丈夫

    引き継ぎ?んなもんてきとうでいい。
    迷惑クソ会社に気を遣う必要など全く無い!!

     

    ここで社会人としてクズ」「転職うまくいくわけない」と思った人もいるでしょう。

     

     

    退職後、雇用保険もらいながら就労支援に通い、今は外資系大企業正社員事務員転職してます✌️

     

     

    給料も、退職した年と同じくらいの金額でありながら、仕事量は前職の3分の1

     

     

    バックレ退職大成功です!

     

     

    まとめ

     

    一度のバックレぐらいでは、転職活動への影響も、あなたの経歴に傷がつくこともありません。当然違法でもありません!

     

    事実、バックレ退職をした私が、今こうして転職成功してます

     

     

    転職先が見つからなくても、就労移行や職業訓練などで力をつけられる場もたくさんあります

     

     

    思い立ったが吉日。

    もちろん正規のやり方で退職するのが一番良いですが、もう出社が無理!!という人は、思い切ってバックレてそのまま辞めちゃいましょう。

     

     

     

    >>>以下前職の紹介(読まなくてOK)

    特定時間が過ぎないと打刻できない勤怠
    ・注文書やオーダー表の整理、クレーム対応、売上伝票の発行、企画品出荷の準備、仕入伝票の整理、商品の定期発注備品管理営業部からの指示によるリスト作成、お店からの返品対応←これ全てワンオペでやって手取り15万円。
    不具合ばかり、不便で中途半端システムしか作れないくせに偉そうなシステム
    ・忙しいと不機嫌で八つ当たりしてくる物流部のクソ上司
    ・よく間違える、商品破壊する上役に立たないうるさいだけのパート
    取引先の言いなりになる営業部→なのに事務員物流には態度がでかい

     

    2024-10-15

    anond:20241014123316

    根本的に増田認識が間違っている。

    前提として、義務教育で習う送り仮名あくま原則しかなく、例外は多数ある。

    解は一つではなく複数あるケースもある。

    また言語時代によって移り変わるものである以上、過渡期においては言わずもがなだ。

    増田が間違っていると思い込んでいる送り仮名が新しい正解になるかもしれない。

    増田が厳しいのは勝手にすればいいが、周りからは古い人だな、と思われるのが関の山

    文化庁の方がよほど柔軟かつ現実的物事を捉えている。

    https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/92968501_01.pdf

    anond:20241014123316

    まずね。本気で送り仮名に厳しくありたいなら、「生んだ」の「ん」を送り仮名扱いしたらあかんねんて。

    生む → 生むの連用形は「生み」 → 「生みた」となるべきところが「撥音便」によって「生んだ」と変化してるの。

    撥音便は、送り仮名とは異なる概念であり、そもそも省略したら意味が通じないわけよ。


    死ね」と書くべき言葉を「死」と書いたら通じないでしょ?「ね」は命令形活用であり、

    読み方の誤解を避けるための送り仮名とは全く違うんや。

    anond:20241014123316

    https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/08/bukai03/03.html

     

    4  「群れる,明ける」との関係を考えて「群らがる,明かるい,明きらか」とすることも考えられるが,「群(むら)」「明(あか)」を,まとまるのあるものと考えて,現行どおり「群がる,明るい」としてよいのではないか

    5  「少ない,大きい,小さい」は,告示以前からこのように送っていたと考えられる。しかし,「少ない」については「少い」としていた例もかなりあると考えられる。

    6  「新ただ,静かだ,柔らかだ」などの形容動詞については,「新(あら),静(しず),柔(やわ)」などを,まとまりのある語根と考え,「た,ら,やか,らか」を接尾語的なものとして考えれば,現行どおり送ることも考えられる。

    7  その他,世間では現行告示の影響からか,「補なう,驚ろく,承わる,促がす」などのように現行以上に多く送る例を見受けるが,これらについては特に取り上げる必要はない。

     しかし,「伴う,貫く,実る」の3語は,明治40年に出た国語調査会の「送仮名法」でも,「伴なう,貫ぬく,実のる」と送っているし,これらの漢字の受け持つ音の意識から考えても,「伴なう,貫ぬく,実のる」としてもよい。

    2024-10-14

    送り仮名について夫とモメる

    私は、送り仮名が間違っている人に対してかなり厳しい。

    明治大正あたりの小説では、今とかなり違う送り仮名が使われていたりして、しかしそれは別に構わない。

    全国で同じ言語を学ぶと言う国の目的のもと、国語教科書の内容がある時期に統一されて、それを小学校で全員が学んでいるにも関わらず、間違える人に対して、「なんで気づかないの?」「小学校勉強もできなかった人かな?」と思ってしまう。

    一方で、夫は「伝わればよくない?」とのこと。さらに、「人文学的な内容は時代で変わるのだから」「増田学校で習った正解にこだわりすぎる」という。

    そりゃあそう。私だって伝わればいいと思う。でも、送り仮名ちょっと違えば、ぱっと見て読めないときもあるではないか。うんだ、と読みたい時に、生だ、と書いてあると、難しくないか

    時代で変わる、に関しても反対だ。なぜなら、増田と同年代は全員同じ指導要領で学んでいるので、違うはずがない。

    正解にこだわりすぎる、というのも、よくわからない。正解うんぬんではなく、そもそもひとつしか解がないので、それ以外を選択しようがないではないか

    一方で、テストときは点数のためにちゃんと書くべき、と言っている。おもしろい。じゃあ普段から書けよってな。

    うーむ。

    2024-10-01

    三四郎は流れから目を放して、上を見た。こういう空の模様を見たのははじめてではない。けれども空が濁ったという言葉を聞いたのはこの時がはじめてである。気がついて見ると、濁ったと形容するよりほかに形容のしかたのない色であった。三四郎が何か答えようとするまえに、女はまた言った。 「重いこと。大理石のように見えます」  美禰子は二重瞼を細くして高い所をながめていた。それから、その細くなったままの目を静かに三四郎の方に向けた。そうして、 「大理石のように見えるでしょう」と聞いた。三四郎は、 「ええ、大理石のように見えます」と答えるよりほかはなかった。女はそれで黙った。しばらくしてから、今度は三四郎が言った。 「こういう空の下にいると、心が重くなるが気は軽くなる」 「どういうわけですか」と美禰子が問い返した。  三四郎には、どういうわけもなかった。返事はせずに、またこう言った。 「安心して夢を見ているような空模様だ」 「動くようで、なかなか動きませんね」と美禰子はまた遠くの雲をながめだした。  菊人形で客を呼ぶ声が、おりおり二人のすわっている所まで聞こえる。 「ずいぶん大きな声ね」 「朝から晩までああいう声を出しているんでしょうか。えらいもんだな」と言ったが、三四郎は急に置き去りにした三人のことを思い出した。何か言おうとしているうちに、美禰子は答えた。 「商売ですもの、ちょうど大観音乞食と同じ事なんですよ」 「場所が悪くはないですか」  三四郎は珍しく冗談を言って、そうして一人でおもしろそうに笑った。乞食について下した広田言葉をよほどおかしく受けたかである。 「広田先生は、よく、ああいう事をおっしゃるかたなんですよ」ときわめて軽くひとりごとのように言ったあとで、急に調子をかえて、 「こういう所に、こうしてすわっていたら、大丈夫及第よ」と比較的活発につけ加えた。そうして、今度は自分のほうでおもしろそうに笑った。 「なるほど野々宮さんの言ったとおり、いつまで待っていてもだれも通りそうもありませんね」 「ちょうどいいじゃありませんか」と早口に言ったが、あとで「おもらいをしない乞食なんだから」と結んだ。これは前句の解釈のためにつけたように聞こえた。  ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の陰から出て、いつのまにか川を向こうへ渡ったものみえる。二人のすわっている方へだんだん近づいて来る。洋服を着て髯をはやして、年輩からいうと広田先生くらいな男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子をにらめつけた。その目のうちには明らかに憎悪の色がある。三四郎はじっとすわっていにくいほどな束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。その後影を見送りながら、三四郎は、 「広田先生や野々宮さんはさぞあとでぼくらを捜したでしょう」とはじめて気がついたように言った。美禰子はむしろ冷やかである。 「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」 「迷子から捜したでしょう」と三四郎はやはり前説を主張した。すると美禰子は、なお冷やかな調子で、 「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」 「だれが? 広田先生がですか」  美禰子は答えなかった。 「野々宮さんがですか」  美禰子はやっぱり答えなかった。 「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」  美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種屈辱をかすかに感じた。 「迷子」  女は三四郎を見たままでこの一言を繰り返した。三四郎は答えなかった。 「迷子英訳を知っていらしって」  三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。 「教えてあげましょうか」 「ええ」 「迷える子――わかって?」  三四郎はこういう場合になると挨拶に困る男である咄嗟の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだした時、過去を顧みて、ああ言えばよかった、こうすればよかったと後悔する。といって、この後悔を予期して、むりに応急の返事を、さもしぜんらしく得意に吐き散らすほどに軽薄ではなかった。だからただ黙っている。そうして黙っていることがいかにも半間である自覚している。  迷える子という言葉はわかったようでもある。またわからないようでもある。わかるわからないはこの言葉意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である三四郎はいたずらに女の顔をながめて黙っていた。すると女は急にまじめになった。 「私そんなに生意気に見えますか」  その調子には弁解の心持ちがある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れればいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。  三四郎は美禰子の態度をもとのような、――二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片づかない空のような、――意味のあるものにしたかった。けれども、それは女のきげんを取るための挨拶ぐらいで戻せるものではないと思った。女は卒然として、 「じゃ、もう帰りましょう」と言った。厭味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものあきらめるように静かな口調であった。  空はまた変ってきた。風が遠くから吹いてくる。広い畑の上には日が限って、見ていると、寒いほど寂しい。草からあがる地息でからだは冷えていた。気がつけば、こんな所に、よく今までべっとりすわっていられたものだと思う。自分一人なら、とうにどこかへ行ってしまったに違いない。美禰子も――美禰子はこんな所へすわる女かもしれない。 「少し寒くなったようですから、とにかく立ちましょう。冷えると毒だ。しかし気分はもうすっかり直りましたか」 「ええ、すっかり直りました」と明らかに答えたが、にわかに立ち上がった。立ち上がる時、小さな声で、ひとりごとのように、 「迷える子」と長く引っ張って言った。三四郎はむろん答えなかった。  美禰子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角をさして、道があるなら、あの唐辛子そばを通って行きたいという。二人は、その見当へ歩いて行った。藁葺のうしろにはたして細い三尺ほどの道があった。その道を半分ほど来た所で三四郎は聞いた。 「よし子さんは、あなたの所へ来ることにきまったんですか」  女は片頬で笑った。そうして問い返した。 「なぜお聞きになるの」  三四郎が何か言おうとすると、足の前に泥濘があった。四尺ばかりの所、土がへこんで水がぴたぴたにたまっている。そのまん中に足掛かりのためにてごろな石を置いた者がある。三四郎は石の助けをからずに、すぐに向こうへ飛んだ。そうして美禰子を振り返って見た。美禰子は右の足を泥濘のまん中にある石の上へ乗せた。石のすわりがあまりよくない。足へ力を入れて、肩をゆすって調子を取っている。三四郎こちら側から手を出した。 「おつかまりなさい」 「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出しているあいだは、調子を取るだけで渡らない。三四郎は手を引っ込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、からだの重みを託して、左の足でひらりこちら側へ渡った。あまり下駄をよごすまいと念を入れすぎたため、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。その勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。 「迷える子」と美禰子が口の内で言った。三四郎はその呼吸を感ずることができた。

    https://anond.hatelabo.jp/20241001172740

     ベルが鳴って、講師教室から出ていった。三四郎インキの着いたペンを振って、ノートを伏せようとした。すると隣にいた与次郎が声をかけた。

    「おいちょっと借せ。書き落としたところがある」

     与次郎三四郎ノートを引き寄せて上からのぞきこんだ。stray sheep という字がむやみに書いてある。

    「なんだこれは」

    講義を筆記するのがいやになったから、いたずらを書いていた」

    「そう不勉強はいかん。カントの超絶唯心論バークレーの超絶実在論にどうだとか言ったな」

    「どうだとか言った」

    「聞いていなかったのか」

    「いいや」

    「まるで stray sheep だ。しかたがない」

     与次郎自分ノートをかかえて立ち上がった。机の前を離れながら、三四郎に、

    「おいちょっと来い」と言う。三四郎与次郎について教室を出た。梯子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人はその下にすわった。

     ここは夏の初めになると苜蓿が一面にはえる。与次郎入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人が一人に向かって、口答試験都々逸で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。三四郎はその歴史与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎俗謡で pity's love を訳すはずだと思った。きょうはしか与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中から文芸時評という雑誌を出してあけたままの一ページを逆に三四郎の方へ向けた。

    「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使っている。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二、三度聞かされたものであるしか零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。向こうに立っていた一人の学生が、この様子を見てにやにや笑い出した。それに気がついた与次郎はようやく指を鼻から放した。

    「おれが書いたんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟った。

    「ぼくらが菊細工を見にゆく時書いていたのは、これか」

    「いや、ありゃ、たった二、三日まえじゃないか。そうはやく活版になってたまるものか。あれは来月出る。これは、ずっと前に書いたものだ。何を書いたもの標題でわかるだろう」

    広田先生の事か」

    「うん。こうして輿論喚起しておいてね。そうして、先生大学はいれる下地を作る……」

    「その雑誌はそんなに勢力のある雑誌か」

     三四郎雑誌名前さえ知らなかった。

    「いや無勢力から、じつは困る」と与次郎は答えた。三四郎は微笑わざるをえなかった。

    「何部ぐらい売れるのか」

     与次郎は何部売れるとも言わない。

    「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解している。

     だんだん聞いてみると、与次郎は従来からこの雑誌関係があって、ひまさえあればほとんど毎号筆を執っているが、その代り雅名も毎号変えるから、二、三の同人のほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎は今はじめて与次郎文壇との交渉を聞いたくらいのものであるしか与次郎がなんのために、遊戯に等しい匿名を用いて、彼のいわゆる大論文をひそかに公けにしつつあるか、そこが三四郎にはわからなかった。

     いくぶんか小遣い取りのつもりで、やっている仕事かと不遠慮に尋ねた時、与次郎は目を丸くした。

    「君は九州のいなかから出たばかりだから中央文壇趨勢を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日の文権はまったく我々青年の手にあるんだから一言でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか文壇は急転直下の勢いでめざまし革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生のものの大反射だ。文学の新気運は日本社会活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」

     三四郎は黙って聞いていた。少しほらのような気がする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に吹いている。すくなくとも当人だけは至極まじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。

    「そういう精神でやっているのか。では君は原稿料なんか、どうでもかまわんのだったな」

    「いや、原稿料は取るよ。取れるだけ取る。しか雑誌が売れないからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないといけない。何かいい趣向はないだろうか」と今度は三四郎相談をかけた。話が急に実際問題に落ちてしまった。三四郎は妙な心持ちがする。与次郎は平気であるベルが激しく鳴りだした。

    「ともかくこの雑誌を一部君にやるから読んでみてくれ。偉大なる暗闇という題がおもしろいだろう。この題なら人が驚くにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」

     二人は玄関を上がって、教室はいって、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートそば文芸時評をあけたまま、筆記のあいあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎文章一句だけはっきり頭にはいった。

    自然宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこ宝石採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間には stray sheep という字を一つも書かずにすんだ。

     講義が終るやいなや、与次郎三四郎に向かって、

    「どうだ」と聞いた。じつはまだよく読まないと答えると、時間経済を知らない男だといって非難した。ぜひ読めという。三四郎は家へ帰ってぜひ読むと約束した。やがて昼になった。二人は連れ立って門を出た。

    「今晩出席するだろうな」と与次郎西片町へはい横町の角で立ち留まった。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れていた。ようやく思い出して、行くつもりだと答えると、与次郎は、

    「出るまえにちょっと誘ってくれ。君に話す事がある」と言う。耳のうしろペン軸をはさんでいる。なんとなく得意である三四郎承知した。

     下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川かいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんデビル仮名が振ってある。表は三四郎宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあん自分見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep意味がこれでようやくはっきりした。

     与次郎約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽趣味がある。無邪気にもみえる。洒落でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。

     手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。

     しばらくしてから三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページくると、次第に釣りまれるように気が乗ってきて、知らず知らずのまに、五ページ六ページと進んで、ついに二十七ページの長論文を苦もなく片づけた。最後の一句読了した時、はじめてこれでしまいだなと気がついた。目を雑誌から離して、ああ読んだなと思った。

     しかし次の瞬間に、何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにかつ盛んに読んだ気がする。三四郎与次郎の技倆に感服した。

     論文は現今の文学者の攻撃に始まって、広田先生の賛辞に終っている。ことに文学文科の西洋人を手痛く罵倒している。はやく適当日本人を招聘して、大学相当の講義を開かなくっては、学問の最高府たる大学も昔の寺子屋同然のありさまになって、煉瓦石のミイラと選ぶところがないようになる。もっとも人がなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生十年一日のごとく高等学校に教鞭を執って薄給無名に甘んじている。しか真正学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会交渉のある教授担任すべき人物である。――せんじ詰めるとこれだけであるが、そのこれだけが、非常にもっともらしい口吻と燦爛たる警句とによって前後二十七ページに延長している。

     その中には「禿を自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波からまれたが、活眼の士は大学からまれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月田子の浦名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのは広田先生を偉大なる暗闇にたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈比較して、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎないなどと、自分広田から言われたとおりを書いている。そうして、丸行燈だの雁首などはすべて旧時代遺物で我々青年にはまったく無用であると、このあいだのとおりわざわざ断わってある。

     よく考えてみると、与次郎論文には活気がある。いかにも自分一人で新日本代表しているようであるから、読んでいるうちは、ついその気になる。けれどもまったく実がない。根拠地のない戦争のようなものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかもしれない書き方である。いなか者の三四郎にはてっきりそこと気取ることはできなかったが、ただ読んだあとで、自分の心を探ってみてどこかに不満足があるように覚えた。また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがき匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。

     袴を着けて、与次郎を誘いに、西片町へ行く。勝手からはいると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控えて、晩食を食っていた。そば与次郎かしこまってお給仕をしている。

    先生どうですか」と聞いている。

     先生は何か堅いものをほおばったらしい。食卓の上を見ると、袂時計ほどな大きさの、赤くって黒くって、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでいる。

     三四郎は座に着いた。礼をする。先生は口をもがもがさせる。

    「おい君も一つ食ってみろ」と与次郎が箸で皿のものをつまんで出した。掌へ載せてみると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである

    「妙なものを食うな」と聞くと、

    「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる

    「どこから

    日本から

     三四郎おかしくなった。こういうところになると、さっきの論文調子とは少し違う。

    先生、どうです」

    「堅いね

    「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむと味が出る」

    「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてしまう。なんでこんな古風なものを買ってきたものかな」

    「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見の美禰子さんならいいだろう」

    「なぜ」と三四郎が聞いた。

    「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」

    「あの女はおちついていて、乱暴だ」と広田が言った。

    「ええ乱暴です。イブセンの女のようなところがある」

    イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。もっと乱暴といっても、普通乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね」

    里見のは乱暴の内訌ですか」

     三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それから第一不思議であった。

     与次郎はやがて、袴をはいて、改まって出て来て、

    ちょっと行ってまいります」と言う。先生は黙って茶を飲んでいる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二、三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。

    先生里見お嬢さん乱暴だと言ったね」

    「うん。先生はかってな事をいう人だから、時と場合によるとなんでも言う。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」

    先生はそれでいいとして、君は先生の説に賛成したじゃないか

    「うん乱暴だと言った。なぜ」

    「どういうところを乱暴というのか」

    「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代女性はみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」

    「君はあの人をイブセンの人物に似ていると言ったじゃないか

    「言った」

    イブセンのだれに似ているつもりなのか」

    「だれって……似ているよ」

     三四郎はむろん納得しない。しかし追窮もしない。黙って一間ばかり歩いた。すると突然与次郎がこう言った。

    イブセンの人物に似ているのは里見お嬢さんばかりじゃない。今の一般女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」

    「ぼくはあんまりかぶれていない」

    「いないとみずから欺いているのだ。――どんな社会だって陥欠のない社会はあるまい」

    「それはないだろう」

    「ないとすれば、そのなかに生息している動物はどこかに不足を感じるわけだ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる」

    「君はそう思うか」

    「ぼくばかりじゃない。具眼の士はみんなそう思っている」

    「君の家の先生もそんな考えか」

    「うちの先生? 先生はわからない」

    だって、さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」

    「なるほど。――先生は偉いところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」

     と与次郎は急に広田先生をほめだした。三四郎は美禰子の性格についてもう少し議論の歩を進めたかったのだが、与次郎のこの一言でまったくはぐらかされてしまった。すると与次郎が言った。

    「じつはきょう君に用があると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んでおかないとぼくの用事が頭へはいりにくい」

    「きょうあれから家へ帰って読んだ」

    「どうだ」

    先生はなんと言った」

    先生は読むものかね。まるで知りゃしない」

    「そうさなおもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだね」

    「それでたくさんだ。読んで景気がつきさえすればいい。だから匿名にしてある。どうせ今は準備時代だ。こうしておいて、ちょうどいい時分に、本名を名乗って出る。――それはそれとして、さっきの用事を話しておこう」

    sns投稿に使われている漢字が全て旧字体構成されてる人を見た

    仮名界隈は見たことあったけどこういう人もいるんだ

    2024-09-30

     三四郎はこの時ふと汽車水蜜桃をくれた男が、あぶないあぶない、気をつけないとあぶない、と言ったことを思い出した。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。――批評家である。――三四郎は妙な意味批評家という字を使ってみた。使ってみて自分うまいと感心した。のみならず自分批評家として、未来存在しようかとまで考えだした。あのすごい死顔を見るとこんな気も起こる。  三四郎は部屋のすみにあるテーブルと、テーブルの前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、その本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見回して、この静かな書斎の主人は、あの批評家と同じく無事で幸福であると思った。――光線の圧力研究するために、女を轢死させることはあるまい。主人の妹は病気である。けれども兄の作った病気ではない。みずからかかった病気である。などとそれからそれへと頭が移ってゆくうちに、十一時になった。中野行の電車はもう来ない。あるいは病気が悪いので帰らないのかしらと、また心配になる。ところへ野々宮から電報が来た。妹無事、あす朝帰るとあった。  安心して床にはいったが、三四郎の夢はすこぶる危険であった。――轢死を企てた女は、野々宮に関係のある女で、野々宮はそれと知って家へ帰って来ない。ただ三四郎安心させるために電報だけ掛けた。妹無事とあるのは偽りで、今夜轢死のあった時刻に妹も死んでしまった。そうしてその妹はすなわち三四郎が池の端で会った女である。……  三四郎はあくる日例になく早く起きた。  寝つけない所に寝た床のあとをながめて、煙草を一本のんだが、ゆうべの事は、すべて夢のようである。椽側へ出て、低い廂の外にある空を仰ぐと、きょうはいい天気だ。世界が今朗らかになったばかりの色をしている。飯を済まして茶を飲んで、椽側に椅子を持ち出して新聞を読んでいると、約束どおり野々宮君が帰って来た。 「昨夜、そこに轢死があったそうですね」と言う。停車場か何かで聞いたものらしい。三四郎自分経験を残らず話した。 「それは珍しい。めったに会えないことだ。ぼくも家におればよかった。死骸はもう片づけたろうな。行っても見られないだろうな」 「もうだめでしょう」と一口答えたが、野々宮君ののん気なのには驚いた。三四郎はこの無神経をまったく夜と昼の差別から起こるものと断定した。光線の圧力試験する人の性癖が、こういう場合にも、同じ態度で表われてくるのだとはまるで気がつかなかった。年が若いからだろう。  三四郎は話を転じて、病人のことを尋ねた。野々宮君の返事によると、はたして自分の推測どおり病人に異状はなかった。ただ五、六日以来行ってやらなかったものから、それを物足りなく思って、退屈紛れに兄を釣り寄せたのである。きょうは日曜だのに来てくれないのはひどいと言って怒っていたそうである。それで野々宮君は妹をばかだと言っている。本当にばかだと思っているらしい。この忙しいものに大切な時間を浪費させるのは愚だというのである。けれども三四郎にはその意味ほとんどわからなかった。わざわざ電報を掛けてまで会いたがる妹なら、日曜の一晩や二晩をつぶしたって惜しくはないはずである。そういう人に会って過ごす時間が、本当の時間で、穴倉で光線の試験をして暮らす月日はむしろ人生に遠い閑生涯というべきものである自分が野々宮君であったならば、この妹のために勉強妨害をされるのをかえってうれしく思うだろう。くらいに感じたが、その時は轢死の事を忘れていた。  野々宮君は昨夜よく寝られなかったものからぼんやりしていけないと言いだした。きょうはさいわい昼から早稲田学校へ行く日で、大学のほうは休みから、それまで寝ようと言っている。「だいぶおそくまで起きていたんですか」と三四郎が聞くと、じつは偶然、高等学校で教わったもとの先生広田という人が妹の見舞いに来てくれて、みんなで話をしているうちに、電車時間に遅れて、つい泊ることにした。広田の家へ泊るべきのを、また妹がだだをこねて、ぜひ病院に泊れと言って聞かないから、やむをえず狭い所へ寝たら、なんだか苦しくって寝つかれなかった。どうも妹は愚物だ。とまた妹を攻撃する。三四郎おかしくなった。少し妹のために弁護しようかと思ったが、なんだか言いにくいのでやめにした。  その代り広田さんの事を聞いた。三四郎広田さんの名前をこれで三、四へん耳にしている。そうして、水蜜桃先生青木堂の先生に、ひそかに広田さんの名をつけている。それから正門内で意地の悪い馬に苦しめられて、喜多床の職人に笑われたのもやはり広田先生にしてある。ところが今承ってみると、馬の件ははたして広田先生であった。それで水蜜桃も必ず同先生に違いないと決めた。考えると、少し無理のようでもある。  帰る時に、ついでだから、午前中に届けてもらいたいと言って、袷を一枚病院まで頼まれた。三四郎は大いにうれしかった。  三四郎は新しい四角な帽子かぶっている。この帽子かぶって病院に行けるのがちょっと得意である。さえざえしい顔をして野々宮君の家を出た。  御茶の水で電車を降りて、すぐ俥に乗った。いつもの三四郎に似合わぬ所作である。威勢よく赤門を引き込ませた時、法文科のベルが鳴り出した。いつもならノートインキ壺を持って、八番の教室はいる時分である。一、二時間講義ぐらい聞きそくなってもかまわないという気で、まっすぐに青山内科玄関まで乗りつけた。  上がり口を奥へ、二つ目の角を右へ切れて、突当たりを左へ曲がると東側の部屋だと教わったとおり歩いて行くと、はたしてあった。黒塗りの札に野々宮よし子と仮名で書いて、戸口に掛けてある。三四郎はこの名前を読んだまま、しばらく戸口の所でたたずんでいた。いなか物だからノックするなぞという気の利いた事はやらない。「この中にいる人が、野々宮君の妹で、よし子という女である」  三四郎はこう思って立っていた。戸をあけて顔が見たくもあるし、見て失望するのがいやでもある。自分の頭の中に往来する女の顔は、どうも野々宮宗八さんに似ていないのだから困る。  うしろから看護婦草履の音をたてて近づいて来た。三四郎は思い切って戸を半分ほどあけた。そうして中にいる女と顔を見合わせた。(片手にハンドルをもったまま)  目の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思うくらいに、額が広くって顎がこけた女であった。造作はそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だちから出る、この時にひらめいた咄嗟の表情を生まれてはじめて見た。青白い額のうしろに、自然のままにたれた濃い髪が、肩まで見える。それへ東窓をもれる朝日の光が、うしろからさすので、髪と日光の触れ合う境のところが菫色に燃えて、生きた暈をしょってる。それでいて、顔も額もはなはだ暗い。暗くて青白い。そのなかに遠い心持ちのする目がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただなだれるように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。  三四郎はこの表情のうちにものうい憂鬱と、隠さざる快活との統一を見いだした。その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である三四郎ハンドルをもったまま、――顔を戸の影から分部屋の中に差し出したままこの刹那の感に自らを放下し去った。 「おはいりなさい」  女は三四郎を待ち設けたように言う。その調子には初対面の女には見いだすことのできない、安らかな音色があった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくし婦人でなければ、こうは出られない。なれなれしいのとは違う。初めから古い知り合いなのである。同時に女は肉の豊かでない頬を動かしてにこりと笑った。青白いうちに、なつかしい暖かみができた。三四郎の足はしぜんと部屋の内へはいった。その時青年の頭のうちには遠い故郷にある母の影がひらめいた。  戸のうしろへ回って、はじめて正面に向いた時、五十あまり婦人三四郎挨拶をした。この婦人三四郎からだがまだ扉の陰を出ないまえから席を立って待っていたものみえる。 「小川さんですか」と向こうから尋ねてくれた。顔は野々宮君に似ている。娘にも似ている。しかしただ似ているというだけである。頼まれ風呂敷包みを出すと、受け取って、礼を述べて、 「どうぞ」と言いながら椅子をすすめたまま、自分は寝台の向こう側へ回った。  寝台の上に敷いた蒲団を見るとまっ白である。上へ掛けるものもまっ白である。それを半分ほど斜にはぐって、裾のほうが厚く見えるところを、よけるように、女は窓を背にして腰をかけた。足は床に届かない。手に編針を持っている。毛糸のたまが寝台の下に転がった。女の手から長い赤い糸が筋を引いている。三四郎は寝台の下から毛糸のたまを取り出してやろうかと思った、けれども、女が毛糸にはまるで無頓着でいるので控えた。  おっかさんが向こう側から、しきりに昨夜の礼を述べる。お忙しいところをなどと言う。三四郎は、いいえ、どうせ遊んでいますからと言う。二人が話をしているあいだ、よし子は黙っていた。二人の話が切れた時、突然、 「ゆうべの轢死を御覧になって」と聞いた。見ると部屋のすみに新聞がある。三四郎が、 「ええ」と言う。 「こわかったでしょう」と言いながら、少し首を横に曲げて、三四郎を見た。兄に似て首の長い女である三四郎はこわいともこわくないとも答えずに、女の首の曲がりぐあいをながめていた。半分は質問があまり単純なので、答に窮したのである。半分は答えるのを忘れたのである。女は気がついたとみえて、すぐ首をまっすぐにした。そうして青白い頬の奥を少し赤くした。三四郎はもう帰るべき時間だと考えた。  挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向こうを見ると、長い廊下のはずれが四角に切れて、ぱっと明るく、表の緑が映る上がり口に、池の女が立っている。はっと驚いた三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができた。その時透明な空気の画布の中に暗く描かれた女の影は一足前へ動いた。三四郎も誘われたように前へ動いた。二人は一筋道廊下のどこかですれ違わねばならぬ運命をもって互いに近づいて来た。すると女が振り返った。明るい表の空気の中には、初秋の緑が浮いているばかりである。振り返った女の目に応じて、四角の中に、現われたものもなければ、これを待ち受けていたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢服装を頭の中へ入れた。  着物の色はなんという名かわからない。大学の池の水へ、曇った常磐木の影が映る時のようである。それはあざやかな縞が、上から下へ貫いている。そうしてその縞が貫きながら波を打って、互いに寄ったり離れたり、重なって太くなったり、割れて二筋になったりする。不規則だけれども乱れない。上から三分一のところを、広い帯で横に仕切った。帯の感じには暖かみがある。黄を含んでいるためだろう。  うしろを振り向いた時、右の肩が、あとへ引けて、左の手が腰に添ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指に余ったところが、さらりと開いている。絹のためだろう。――腰から下は正しい姿勢にある。  女はやがてもとのとおりに向き直った。目を伏せて二足ばかり三四郎に近づいた時、突然首を少しうしろに引いて、まともに男を見た。二重瞼の切長のおちついた恰好である。目立って黒い眉毛の下に生きている。同時にきれいな歯があらわれた。この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照であった。  きょうは白いものを薄く塗っている。けれども本来の地を隠すほどに無趣味ではなかった。こまやかな肉が、ほどよく色づいて、強い日光にめげないように見える上を、きわめて薄く粉が吹いている。てらてら照る顔ではない。  肉は頬といわず顎といわずきちりと締まっている。骨の上に余ったものはたんとないくらいである。それでいて、顔全体が柔かい。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われる。奥行きの長い感じを起こさせる顔である。  女は腰をかがめた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚いたというよりも、むしろのしかたの巧みなのに驚いた。腰から上が、風に乗る紙のようにふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度まで来て苦もなくはっきりととまった。むろん習って覚えたものではない。 「ちょっと伺いますが……」と言う声が白い歯のあいから出た。きりりとしている。しかし鷹揚である。ただ夏のさかりに椎の実がなっているかと人に聞きそうには思われなかった。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。 「はあ」と言って立ち止まった。 「十五号室はどの辺になりましょう」  十五号は三四郎が今出て来た部屋である。 「野々宮さんの部屋ですか」  今度は女のほうが「はあ」と言う。 「野々宮さんの部屋はね、その角を曲がって突き当って、また左へ曲がって、二番目の右側です」 「その角を……」と言いながら女は細い指を前へ出した。 「ええ、ついその先の角です」 「どうもありがとう」  女は行き過ぎた。三四郎は立ったまま、女の後姿を見守っている。女は角へ来た。曲がろうとするとたんに振り返った。三四郎赤面するばかりに狼狽した。女はにこりと笑って、この角ですかというようなあいずを顔でした。三四郎は思わずうなずいた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。  三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違えて部屋の番号を聞いたのかしらんと思って、五、六歩あるいたが、急に気がついた。女に十五号を聞かれた時、もう一ぺんよし子の部屋へあともどりをして、案内すればよかった。残念なことをした。  三四郎はいさらとって帰す勇気は出なかった。やむをえずまた五、六歩あるいたが、今度はぴたりととまった。三四郎の頭の中に、女の結んでいたリボンの色が映った。そのリボンの色も質も、たしかに野々宮君が兼安で買ったものと同じであると考え出した時、三四郎は急に足が重くなった。図書館の横をのたくるように正門の方へ出ると、どこからたか与次郎が突然声をかけた。 「おいなぜ休んだ。きょうはイタリー人がマカロニーをいかにして食うかという講義を聞いた」と言いながら、そばへ寄って来て三四郎の肩をたたいた。  二人は少しいっしょに歩いた。正門のそばへ来た時、三四郎は、 「君、今ごろでも薄いリボンをかけるものかな。あれは極暑に限るんじゃないか」と聞いた。与次郎はアハハハと笑って、 「○○教授に聞くがいい。なんでも知ってる男だから」と言って取り合わなかった。  正門の所で三四郎はぐあいが悪いからきょうは学校を休むと言い出した。与次郎はいっしょについて来て損をしたといわぬばかりに教室の方へ帰って行った。

    anond:20240930192717

    2024-09-15

    ダイエット成功してわかったこと※超重要

    とても名前を出している(仮名であっても)SNSでは発表できないことなのですが。

    女体がきちんと運動しながらダイエット成功させると……………

    乳輪が小さくなります!!!!!!!!(マジ)

    から女湯で妙に乳輪でかいひとがいるなと思っておりましたが、デブったとき自分もいつのまにかでろんと大きくなり痩せたら小さくなりました

    どういうしくみか知らんけど胸筋がしっかりしてると縮むんですかね。

    男でも乳輪のデカさは差があるみたいですけどやっぱ筋肉量なのかね。

    2024-09-03

    祖母の好きなひと

    わたしの母は実家が大好きな人で、子供の頃はよく泊まりに生かされたものだった。

    母の生家(わたしから見た祖父母の家)は川の堤防沿いにあった。

    そこは中々の田舎で、家にたどり着くまでの10m程の細道には雑草や低木が我が物顔で生い茂っていていたし、そこを歩く度に一枚の羽しかない黒胡麻の様な虫が何匹も脛にくっ付いた。

    玄関を開けるとすぐ鏡張りの棚があって、そこには昔懐かしい黒電話どんと置かれていて時々けたたましく鳴り響くのが怖くて堪らなかった。

    そして夜は最悪で、日本昔ばなしに出てきそうな古ぼけた畳の部屋に寝かされて、それだけでも嫌なのに遠くないところを新幹線が走るから中々寝付けなかった。

    良いところなんて焼き魚を焼くと匂いに釣られた野良猫がにゃあにゃあ鳴きながら勝手口に集まってくるところぐらいだった。

    わたしはそんな母の実家に泊まるのが嫌で嫌で泊まるのをよく嫌がったが、わたしが嫌がることを母は許さなかった。

    「私はあの家で幸せに育ったんだから!」

    「あの家には思い出がいっぱいあるんだから!」

    これが母の口癖だった。

    なんだか母はわたし実家より自分実家の方がずっと好きなようだった。

    というより、父と母はお見合い結婚だったらしく仲も良くなかったから、ただこの家が全然きじゃないだけかもしれないとも思った。

    わたし高校生の頃、祖父祖母が同時にボケた。

    すぐに徘徊暴言が始まり祖母はいつも「家に帰りたい!」と泣きながら電話をかけてきて、祖父おむつを履かせてもゴワゴワすると言って勝手に脱いでは糞尿を部屋中に撒き散らした。

    母は仕事をしながら、自宅から母の実家(祖父母宅)に通って二人の世話をした。

    そのうち精神的に限界が来てわたし愚痴る様になったが、それでも母は二人のことを決して否定せず、相変わらず好きでいるようだった。

    わたしは心が冷たい人間なので、母が同じようになっても愛せないだろうなあ、なんて思いながら愚痴を聞き流していた。

    その後母は二人を施設に入れ、それからまもなく祖父が亡くなった。

    葬儀には祖母も訪れ、自分名前も分からないぐらい全てを忘れてしまっていたはずだった祖母祖父遺体を覗き込んで「お父さん、今までありがとうね、すぐにそっちに行くからね」とボロボロ涙を流した。そんな祖母を見て母もボロボロ泣いた。碌に介護に関わらなかった母の兄はヘラヘラ笑って泣きすぎだ、と母を揶揄いながら、トイレに行くと言って廊下で静かに泣いていた。

    それからまもなくして祖母が亡くなった。母は祖母火葬される瞬間獣の様に大声を上げて泣き叫んだ。施設なんかに入れてごめんね、家に帰りたがってたのにごめんね、と謝りながら泣いた。いつまでも泣いた。

    そして祖母が骨になった頃ようやく泣き止んで、しゃくりあげ鼻水を垂らしながら骨を箸でつまんで骨壷に入れた。そして兄弟の中で一人だけ全く泣く素振りを見せないわたしを恨めしげに睨んで「やらんでいい」とわたしから箸を奪い、業者に止められるまで箸で骨を摘み上げ続けた。

    それからすぐに母の実家リフォームすることが決まり、余分な物を処分することになった。何故か他の兄弟でなくわたしが付き合わされ、わたし実家味噌汁匂いがこびりついたお椀や傘や服など、売ってもお金にならなそうなものを集める係をさせられた。

    何年かぶりにくる祖父母宅は記憶より随分と暗く静まり返っていて、ナフタリンと線香の匂いがする部屋の中、窓の向こうには昔と変わらず新幹線が轟音と共に走り去るのが見えた。

    わたし新幹線が走り去るのを見送ってから祖母の古いドレッサーの整理に取り掛かった。

    もうとっくに使用期限の切れていそうな化粧水やら髪の毛だらけの木の櫛やらをどんどんゴミ袋に入れていると、ドレッサーの鏡の部分がパカッと開いて収納スペースになっているのを見つけた。

    そしてそこには古びた青いお菓子の缶があって、中を開けると手紙が数枚入っていた。

    【⚪︎⚪︎トヨコ様】

    トヨコ(仮名)は祖母名前だった。ひっくり返してみると愛媛の住所と知らない男の人の名前が書いてあった。

    中を見たら、達筆すぎて読みにくかったけど、その男の人から祖母へのラブレターだとすぐに察した。

    【たとえ引き裂かれようと、ボク達の愛は永遠です。貴方が誰と結婚させられようと、一生貴方を想います

    数枚文の手紙の内容を纏めると、ざっくりこんな感じの内容が書かれていた。わたしはそれをゴミ袋にしまってやるべきか、それとも一応母に見せておくべきか迷って、結果後者を選んだ。

    「ねえお母さん、おばあちゃんのドレッサー見たらラブレター隠してあったんだけど笑」

    こんな感じで冗談混じりに見せると、母はパッと手紙を見てすぐに奪い取った。そして無言でクロックスを履くと外に出て、ポケットから取り出したマッチを擦って躊躇いなく手紙に火をつけた。

    手紙燃えて黒い灰に変わっていく間、母は手紙の上部を人差し指と親指だけでつまむ様にして持って、燃え尽きる直前にパッと手を離した。

    それを繰り返し、数枚あった手紙はあっという間に燃えて無くなった。

    その間わたしは無言で母の丸まった背中を見つめていただけだったけれど、結局母はわたしに何も言わずに家に入っていってしまった。わたしも何も言わずに家に入った。玄関に入った途端気配を感じて振り返るとそこには未だ黒電話があって、黄ばんだ丸いダイアルがじっとこっちを見てる気がした。

    いくら大人になってもわたしはやっぱりその電話が怖くて嫌いで、今まで散々怖がらされた仕返しとばかりに母に無断で捨てるもの用の袋に突っ込んだ。黒電話は半透明の白いゴミ袋に収納されてもなお黒い塊をここにあるぞと見せつけてきた。これだから嫌いなんだ、と思った。

    その後あらかた片付け終え、帰ることになったわたしと母は玄関の外に出ていた。母は最後に一度振り返って、家の中に向かって手を合わせた。

    「ごめんね、お母さん。愛媛に帰してあげれんかったのに」

    母がそう小さな声で呟くのが聞こえた。愛媛祖母故郷だった。

    帰りの車の中で母は無言だった。わたしも無言だった。母は遠くを見つめたままずっと何かを考えているようだった。

    家まであと数kmのところまで来た時、踏切に捕まって車が停止した。カンカン遮断器煩い警報を聴いていると、母がふいに口を開いた。

    「おばあちゃんねえ、好きな人がいたんだって

    わたしは黙ったまま母の方を向いた。母は前を真っ直ぐ見つめて言った。

    「でも親に無理矢理お見合いさせられて、それでおじいちゃん結婚したんだって

    「へえ」

    「でもね、きっと幸せだったんだよ、お母さん」

    「うん」

    「お父さん優しかったし、お母さんは愛されてたから」

    「そうだね」

    わたしはそれだけ相槌を打った。それしか言えなかった。遮断機が上がるとさっきより沈黙が耳に痛かった。

    その後家に帰ってから、母がこの話題を出すことは二度となかった。

    数年経って、母が父と離婚し、リフォームした母の実家に住んでいると兄弟から聞いた。わたしはもう母と縁を切ったので知らなかった。

    私はもうリフォームしたあの家に訪れることも、あの日のことをもう一度聞くことも二度とないのだろうが、母の好きなひとたちはきっとそこにしかいないんだろうな、と思った。

    2024-08-24

    anond:20240823210321

    ドラえもん長編シリーズ

    https://shogakukan-comic.jp/book-series?cd=13327

    ちびまるこちゃん

    https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=4-08-853413-1

    このあたり、自分が親に買ってもらって記憶に残っているものです。

    子供でもわかるし楽しい内容かつ、漢字にルビがふられているので小学校あがる前でも読めました。

    ルビがふられないくら簡単漢字には、父親手書きで読み仮名を書いてくれていたのが印象に残っています

    2024-08-19

    数年前の失敗風俗レポート友達絶対どこかで公開するべきと勧められ

    〇〇駅。快速列車の止まらない、□□□から×××湖の方向に30分の駅だ。

    ×××湖をレンタルサイクルで観光しようと予定していた私は、雨の予報に出鼻をくじかれ、仕方なく歩いて散策しここへたどり着いた。

    〇〇駅の待合室で心地よいけだるさを感じる。

    目をつむり椅子に掛けていると背後の窓から風が髪をなで、脇を通り抜けてゆく。

    ふと、ここでは過去現代が溶けて行っていると感じた。

    交通IC対応していない古びた待合室はふとすれば過去の一時を切り抜いたような感覚が起きる。

    待合室には多言語QRコードのついたポスター申し訳程度に張られ、ここは現代だとささやかな主張をしている。

    窓枠には「ご自由にどうぞ」と駅ノートなるものが立てかけられている。

    5月に設置されたばかりのようだ。

    過去現代を吹き込む方法過去然としているのがまた趣があり、情をくすぐられる。

    民家の向こうの山の上から雲とも霧ともわからぬ靄がゆっくりと降りてくる。

    そのゆっくりとした様はまさに、ゆったりとした過去時間の流れのようだった。

    わずかに流れ込んだ現代情報の細かで速い波が大きく雄大過去に溶けていくようである

    忙しない現代対照的な街はずれで温泉にでも入ろうかとスマートフォンを手にする。

    温泉地らしい△△△△の周辺をGoogle Mapで見ていると、その店を見つけた。

    リトルグレイ仮名)というヘルスだ。

    駅表にちらほら温泉郵便局薬局などがあり、駅の裏側へ行って少し歩くと川沿いにこのヘルスがある。

    妙な立地が酔狂心を呼ぶ。

    自然に囲まれた隠れ家のようなヘルスで一興、いいじゃないか

    これはもう行くしかない。いささかのリスクを感じたが、この気持ちになればもはやリスクは特上寿司に添えられたわさびしかなかった。

    △△△△駅を出て目的地へ向かう。

    駅周辺は足湯や、和風庭園を模した石畳木造屋根が張られた道があり、観光地然としていた。

    わずかにぽつぽつと人はおり、気分転換に丁度いい閑静さをもたらしてくれる。

    根源的欲求に従い和風庭園風の道を進み、駅の裏へ出る。

    道路が一本で脇に建物はちらほらあるが、人が歩くのは見えず、ますます風俗店に似つかわしくない。

    もう少し歩き、ついに目的地に到着する。

    築50年ほどの建物の狭い扉を期待を胸にくぐる。

    古い銭湯にあるような靴のロッカーに靴を入れ中に入ると、店番をする男性現在空いている嬢は一人だと告げられる。

    一応どんな嬢かプロフィールを見ると、37歳ぽっちゃり系とすべての躊躇わせる要素が揃っていたが、ここまできたのだ。

    一言お願いしますと告げ、待合室に入る。

    一度大外れはどのようなもの経験してみたいと思っていたがついにそのときが来たのだろう。

    思いもよらないところで訪れたそれを受け入れることで、また一つ新しい世界が見えるだろう。

    彼女に対面した第一感想は、「俺のおかんまあまあ美人だな」だった。

    なぜ母が思い浮かんだかというと、彼女と同年代でまた、異性でありながら異性としてみることができない女性という点で彼女と一致しているからだろう。

    脳内に母の顔を思い浮かべ、補正を加えながら若返らせていくと、まあまあな美人にすることが一応できる。

    目の前の彼女は無理だった。よくて下の上だろう。

    ソープではなくヘルスなのが幸いした。手で適当に刺激してもらい出して帰ればいいのだ。

    さいころお母さんに便器ちんちん照射を合わせてもらったようなつもりで、代わりに出すものを出していくだけだ。

    かつてソープヘルスとして再オープンしたらしい店内で風呂に入り、湯加減を聞かれる。

    見た目の第一印象が強すぎて意識の外にあったが、ここで彼女が心地の良い明るい声をしていることに気づいた。

    声だけなら20代美女を思い浮かべることもできるだろう。

    そのとき彼女人生の重さの一端を垣間見気持ちになった。

    おそらく若いころから美人ではなく水商売で苦労したであろう彼女

    いろいろな努力をしてきたのだろう。

    老いとともに多くの積み重ねてきたものが崩れていく中、まだ老いきることなく残された心地の良い発声に何とも言えぬ人生の重みのようなものを感じた。

    マットに移動し、ことが始まる。

    彼女に対する一種の敬意のようなものは感じはしたものの、相変わらず性的興奮の対象とはならず、機械的な刺激により果てた。

    射精後も不思議とさわやかで悔いが残らない気持ちであった。

    おそらく、中途半端な外れだと性欲に頭を麻痺させて突っ走るがゆえに、それがなくなったとき自分は何をしているのだろうという冷静な後悔が押し寄せるのだろう。

    私は性的興奮などせず、じっと彼女人生の重みについて考えながら機械的刺激により射精した。

    賢者タイムへ至るまでもなく、そのプロセスがすでに賢者悟りを開くそれだったのである

    困難なことを遂げた達成感を胸に少し雑談をする。

    どうやら彼女東京から来ているようだ。

    嬢というのは大抵が出稼ぎで寮に泊まるようである

    それにしても東京というのは遠い。

    老いながら、少しづ都心から離れていきたどり着いたのがこのさびれた川沿いのヘルスというわけだ。

    少し話がとぎれもういいかなと思ったところで、荷物を渡され丁度良く帰る形となる。

    彼女自分が大外れとわかっているのだろう。何年も前から

    せめて客の嫌な思いを増やさないようにという気の利き方がそれを感じさせる。

    玄関まで見送られ外へ出る。

    背中に例の心地よい声がかけられる。

    大外れとしての距離感を保ちながらも、もしかしたらあるかもしれないわずかな再指名可能性のための痛々しい努力だ。

    風雨にさらされボロボロになった羽を必死に動かし飛ぼうとする蝶のようだ。

    駐車場を歩き道路沿いへ戻る。

    地元の人であろう軽トラックに出てきたところを見られ、少し恥ずかしい気持ちになるが、すぐに恥ずかしく感じたことそのものをまた恥ずかしく感じる。

    自分のおかれた状況で一生懸命生きている彼女申し訳ないような気分がした。

    出ると入ってきたときには溢れる欲求で見えていなかった周りの建物が目に入る。

    朽ちたかつてフィリピンパブだった建物に、もはや何の店だったのかもわからないガラス張りの建物

    その横の看板は古臭い文句で何十年も前から性の街の魅力を男たちに語り掛けているのだろう。今はもう一軒のみとなった性の街の。

    かつて温泉街の横で栄えた小さな夜の遊び場は、ほとんど消滅していた。リトルグレイを除いて。

    年季の入った建物の横にある高く建つ看板けが新しい。

    人が現在謳歌していた街はもはや過去となっていた。

    古くなりきえゆくもの最後に残った店の看板が照らされ光っていた。

    〇〇の宿に向かう前に温泉へ寄る。

    ★★湯の大きい古い建物に入ると、風呂への廊下に隣接して居間があるような奇妙なまどりで、ちゃぶ台をはさんでサザエさんを見ながらくつろぐ老婆に出迎えられた。

    マスクをせずに300円を要求する様はまるでここでは違う時間が流れているんだといわんばかりであった。

    同じ東京に住み、年齢とともに現代から過去場所へ流されてきた彼女過去へ憧れ迷い込んだ私は出会った。

    しかいない錦星湯の狭い湯舟で、私にとっての現在から離れ過去となってゆくこの街に思いをはせ退廃的美を感じる。

    時間情緒を趣深いものにしてくれたのは、彼女の感じさせてくれた人生の重みに他ならなかった。

    2024-08-10

    Vtuberカルトじゃなかったら何なんだよ

    萌えミリタリーアニメ界隈で精力的に活動していた友人は、「特定作品を認める・認めない」などの萌えミリ界隈で何度も繰り返されるいざこざに嫌気がさしており、合同誌制作きっかけに炎上の的にされてしまい界隈を去った。

    また、友人は「自分の好きになった作品がすぐ展開終了になること」に強いコンプレックスを抱いていた。そんな彼が「毎日情報が来るし、絶対に展開が終わらない」新天地として見つけたのがVtuberだったが、見る見るうちに転げ落ちていった。

    久しぶりにその友人と会う機会があったが、もはやアニメ漫画を捨てている状況で、ゲームVtuberプレイしたゲームしかやらない。あれだけ高く積みあがっていた積みプラモデルの数々も、全て売り払ってVtuberへのメンシやスパチャ代に消えているらしい。

    会話のレパートリーいかVtuberは素晴らしいかVtuberを認めないアニメ漫画オタクがどんなに醜いかという内容しかない。もはやミリタリーすらどうでもよくなった彼は、あれだけ嫌っていた萌えミリ界隈の口汚いオタクかそれ以上の攻撃性を持つようになっていた。

    Vtuberは生きているアニメキャラなんだ。ギャルゲー進化系なんだ。」こんな支離滅裂発言をするまでに落ちぶれた友人に、もはやかつて共にアニメを語った姿の面影はどこにもない。

    俺が昔好きだったA(仮名)というイラストレーターも、オリジナル同人誌商業化が頓挫してからVtuberへとのめりこみ始め、潤羽るしあ解雇の際にAが「解雇される理由が全くない、3期生の絆は理不尽解雇に負けない」と擁護を始めたのに呆れてフォローを外した。

    現在、Aは完全に同人を捨てて、鳴神裁を妄信する個人Vと結託してVtuber事務所設立していると聞いたが、詳細は知らない。

    人の弱みに付け入り洗脳するコンテンツであるVtuberカルトでなければなんなのか。このような文化を野放しにしてはいけない。

    2024-08-06

    anond:20240805153215

    もっとギリギリ起きそうなSFチックな所を攻めるべき

    戦争や海進で関東平野規模の一塊の陸地が失われて地図が書き換わる

    botのもの自動生成の連鎖ユーザー投稿ベースオープンコミュニティサイトが完全に機能しなくなる

    増田仮名機能実装される

    世界全体のインフレ率が0を割る

    世界全体の出生率が2を割る

    国連安保理常任理事国制度がなくなる

    はてなが買収される

    2024-07-27

    anond:20240727102236

    そういうことは本当にやってからにしなさい

    様々な事情で、趣味個人プロジェクト(別にスポーツダンスでもいいのよ)が出来ない状態場合は、

    仕事したらいいんじゃないの?ちょうどお金がどうたらって言ってます

     

    ありがちな創作お仕事増田だと、すぐ積み重ねが無にかえるってやりたがるけど、現実ではかえりません

     


    アホ女とおれの話

    https://anond.hatelabo.jp/20240701181909#

     

     ↓ リメイク

     

    増田さんは、地方の中堅製造業生産技術部門のマネージャーとして働いており、独身です。

    彼は工場生産ライン効率化や新しい製造技術の導入に情熱を注ぎ、その技術力と献身的姿勢が高く評価されています

    はいつも会社最後まで残り、急な仕事が入ったときには「増田さんならできるよね?」と頼まれることが多いです。

     

    会社最近国内市場成熟に伴い、海外市場への展開を加速させており、増田さんの部門では国際的プロジェクトが増え、

    英語でのコミュニケーション海外技術者との連携が求められるようになりました。増田さんはこれまで国内業務に専念してきたため、

    英語での技術交流海外プロジェクト経験が少なく、昇進の機会が限られてしまい、出世頭打ちになったと感じています

    彼は自分が長年会社を支えてきたにも関わらず、上層部への昇進が見込めないことにフラストレーションを感じています

     

    一方で、同期の山田さん(仮名)は、同じ会社人事部ダイバーシティインクルージョンマネージャーとして働いており、

    家庭を持ち、子どもが生まれると育休を取得しました。山田さん(仮名)は育児仕事の両立に努め、時短勤務を利用しながらも、

    人事部門での役割果たしてます

     

    増田さんは42歳を迎え、これまでの経験を活かして、新しいキャリアの道を探ることを考え始めています

    彼は、自分スキルセットを更新し、会社内での新しいプロジェクトや、他部門でのチャンスを模索しており、

    現在職場での成長の限界を感じているため、転職視野に入れて新たな職場での機会を探っています

     

    山田さん(仮名)は、子ども学校に通い始めた後、より積極的仕事に取り組むようになり、女性管理職としての道を歩み始め、

    会社の「女性が働きやす職場」のイメージ象徴する存在となり、多くの女性社員にとってのロールモデルとなりました。

     

    増田さんは、自分キャリアについて再考し、どのように進むべきかを模索しています

     

     

    修正ポイント

    • キトーでも何してる人なの?がわかるようにして、それっぽくしました。製造業のことは何も知りません

     

     

     

    2024-07-18

    人間関係おしまいにするのは難しいなあ〜という長文


    ※注:長い

    先日、数年ほどFF相互関係を築いていた人物(以下、Dさん(仮名)と表記から離れるために、私はTwitterアカウントを削除した。

    ひとまず目標通りDさんから離れることができたものの、まだ消化不良の気持ちが残る。この文章ではそれらを吐き出しながら、整理していきたい。

    Dさんとは、近からず遠からずな趣味共通言語として、それなりに親しい間柄ではあったと思う。しかし、ほかのFFさん相手場合とは異なり、交流期間が伸びるにつれて、Dさんの人格とその言行に私が苦しさをおぼえることが増えていたのも事実だった。また、Dさんと私の母との類似自覚してから彼女ストレスを感じるたびに母へのトラウマストレスフラッシュバックするという悪循環があった。

    離れる決断の決定打となったのは、ストーカー被害をめぐるDさんの対応だった。

    あるとき、Dさんが企画した鑑賞会の参加者2人(ともにDさんのFF)が、その会での発言きっかけに揉めた。2人が揉めだしたさなか、Dさんはその一方に安易に助太刀するような発言をしていた。それでトラブルヒートアップすると、事態を冷却しようとしたらしいDさんが一方のFFを急にブロックした。結果、Dさんはブロックした相手から連日にわたりフォロリクやブログへのコメントが続く事態となっていた。

    その上、Dさんが助太刀をした人物(以下、A(仮名)。私とは一切交流がない人物。)は、その勢いでつけ上がってか、「犬好きはサイコパス」のような、揉めた相手ターゲットとする大雑把で攻撃的な発言を繰り返すようになる。それが理由でDさんはその後Aとの関係も断ったが、Aの粘着行為はDさんが何度も恐怖を表現する程度に続いていた。

    第三者の私から見ても、Aの粘着行動は先の人物のそれよりもずっと深刻だと感じられた。Aは、拒否され続けても1日に何度もDさんの鍵垢にフォロリクを送ったり、Aの別垢と思しきアカウント2、3個からもフォロリクをしかけたり、Dさんの相互関係にある公開垢たちを少しずつフォローしていくなどの偏執的な行動を続けながらも、Twitter上では、あいかわらず揉めた相手とDさんのことも誹謗するようなツイートを続けていた。Dさんへの攻撃的な発言を繰り返す一方で関係を保持することに固執しているAの行動は、矛盾しておりむちゃくちゃで異様に思えた。

    何より、DさんがAの粘着監視下にあるような状態を怖がっているような発言を繰り返していたのが痛ましかったので、私は被害の解消が早まるようにと一言二言、心ばかりの助言はしていた。

     

    ただ、次第にDさんへの疑念も私の中で膨らんでいった。そもそもAが日頃から攻撃的な発言を繰り返していることは少しツイートを見ていれば明白だったし、検索すればAはその舌禍のために趣味の「界隈」からさえ煙たがれ、ヲチ誹謗発言まとめページがつくられているような要注意人物だったからだ。Dさんは、「嫌いなもの悪口を言いあえるフォロワーが増えることのほうが嬉しいから」との理由で、Aの言動をあえて見過ごして相互関係を続けていたという…。

    また、Aの粘着に困っている状況にもかかわらず、真偽不明なAの過去発言をまだ信じているような姿勢を見せるDさんに、私は度々戸惑いを覚えた。そうこうしているうちにDさんが、「別SNSアカウントならフォローしてもいい」と積極的にAを誘導するような発言ブログに明記した(実際、その後にAと思しきアカウントがDさんのフォロー欄に現れていた)ことも、私には理解しかねた。Dさんのプライバシー心理的安全を本気で心配していただけに、軽率に見えるこうしたDさんの言行に内心で愕然としてしまっていた。

    Dさんの、「猫好きなら(「良い人」だろう)」とか「相手が同性なら」みたいな安易判断で、過剰に攻撃的な言動をする人でも平気でフォローする軽率さ…。ストーカー粘着に困っていた最中に、Dさんはトラブって閉じた鍵垢とは別に新しいアカウントをつくり、公開垢として使用すると宣言していた。公開垢の運用方針相談を兼ねてDさんが相互内で行ったアンケートでは、「(公開垢では)大人しくしておいたほうがいい」に投票した相互割合が圧倒的に最多だった。にもかかわらず、Dさん曰く「正当な機会を得て他者攻撃したいから」と、マウント承認欲求を結局優先するような発言をしていたことにも引いてしまったし、結局DさんはFF内のアンケート考慮することはなく、公開垢をやたら攻撃的な「思想」垢として稼働させるという、軽率さを再び発揮していた。また、いざその「思想」垢のツイートがプチバズしたら、焦ったのか急に鍵に戻す…Dさんの軽率さ…。その連続に、目眩がするようだった。

    Dさんの行動は、人の話を聞かないまま軽率に行う自発的社会行動のせいで自分の首を絞め、そのたびに周囲に自分感情をわめき、まき散らす点で、私の母にそっくりに思えた。咄嗟に「もう付き合いきれない」と思う発言も何度もあった。なぜ娯楽の一環で利用しているインターネットでまでそんな人間と関わらんといけないのか、それともこの痛苦の感覚は私の認知の歪みの産物しかなく、私の自他境界曖昧さの問題で「他責思考」に由来しているんじゃないのかとも、あてどもなく何度も自問もしていた。

    いずれにしても、Dさんとの関係が、母とのトラウマを思い出すトリガーとなりつつあった。彼女相手にすると、いわゆる「カサンドラ」、適応障害のような心理に私が飲み込まれしま状態になることが避けがたく、また耐えがたく感じられたため、Dさんから離れる必要性を度々意識していた。

    以前から蓋をしていたDさんへの違和感や不満が、何度も爆発しそうになっていた。また、いつか怒りで我を忘れて、ひどいかたちでDさんに感情をぶつけてしまうかもしれないと想像されることも、私には怖かった。

    そうはいいつつ、象徴的なエピソードとして記憶している出来事にも触れたい。以前、私が趣味に関するつぶやきをした際に、ポロッとDさんが「自分カバーしてない知識を持っている人をフォローしておくと相手知識を食えるのでお得」といったツイートしたことがあった。私自身や私にとって面白かった趣味の良書たちの情報を、Dさんがそんなふうに雑に消費しているものとは思ってもみなかったので、今思い出しても全身が脱力するくらいに、とても悲しい気持ちになる出来事だった。親しい相手と思っていたはずのDさんからは、便利な情報源、もっといえば「遊び道具(モノ)」としてしか認識されていなかったのだろうかという落胆と不快感の両方を意識せざるを得なかった。また、私の適当ツイートを眺めるだけで「知識を食」っているつもりになるDさんの知的不誠実さにも不信感を抱くようになった。

    もちろん、彼女としては軽い気持ちつぶやきだったのかもかもしれない。私に、自分の信念に決定的に反するような発想と発言をする人間を受け流しながら適当交流を続ける余裕がないという問題があるのは確かだ。

    それでも、他人言動に対して積極的かつ軽率対処をするDさんの癖が、彼女にさまざまなトラブルを引き寄せているように感じるようになっていた。

    つまるところ、私としてはもう限界だと思ったのだった。

    こうした経過があって、私は自分精神健康を保つためにはDさんとの関係を断つことが最善の選択だと、最終的に結論づけた。

    話が伝わりがたくトラブルを誘発しやすい人と関係を続けることは自分を消耗させるだけなので、こうして見切りをつける勇気必要だったように感じている。

    Dさんと交流のあったアカウントを削除した結果、このさき私とDさんが直接衝突する事態は未然に避けられたわけだから、こうしてあらかじめ身を引けてよかったのかもしれない(と、思うほかない…)。

    私に見えないところで私とは無関係に、これからもDさんがどうか楽しく過ごされていますようにとは願っている。

    おしまい

    ヒールの音が廊下に響く」「生徒に色目を使うな」とクレームが...30歳教師が頭をかかえる女教師服装という難問」

    敦子さん(仮名・30歳)は、教員歴6年の高校教師。着たいものを着られるようになったのはごく最近だそうだ。

    20代の間は、何を着ても批判されるというか、賛否両論に耳を傾けないといけないみたいな感じでした。

    新人なのでずっとスーツを着ていた期間ですら『スカート丈が短い』『ヒールの音がうるさい』『髪の色が明るすぎる』などの小言をいわゆるお局様的な50代の先生から指摘され続けました。

    『私は別にいいと思うけど、他の先生が気になるっておっしゃってるのよ……』そんな切り口で言われると、気になるし、直さなくてはいけない! と思うので、私はその都度対処してきました」

    新人だった敦子さんはお局的女性教員の指摘をすべて聞き入れて、パンツスーツに変え、足元をスニーカーにして、髪は黒く染めた。



    「そしたら今度は、40代くらいの女性先生が『教育実習生と見間違ってしまうから、もう少し大人だとわかる感じにすればいいのに』とおっしゃって……」

    そう言って笑う敦子さんは、ヒールのせいで怒鳴られたこともある。

    「そんなに大きな音は出していなかったと思うのですが、私の足音がコツコツうるさいせいで生徒が授業に集中できないって、授業中に教室から顔を出して私に向かって怒鳴る先生がいました。

    学校先生って、結構平気で大人に向かって生徒に言うように怒鳴ったりします。今はそういうことをわかっていますけど、その当時はわからなかったので驚いたしショックでした」

    若かりし日の敦子さんの葛藤は続いた。

    スーツ学生に見えるし、華美なものは叱られるし、女性らしいものを身につけていると

    思春期高校生の前で女っぽくふるまうのはよろしくない』なんてことも言われました。

    2024-07-10

    ラーメンます

    ここで「増田」と見かけるたびに思い出す話がある。ある街に「ラーメンますだ(仮名)」という

    ラーメン屋があった。その店は醤油ラーメンがメインでランチ時とディナーの時以外は閑古鳥が鳴いている様な有様であったが、いつもいつも店のカウンターではにこにこ笑いながら、店主が立っていたとか。

    味はというと「しっかりしすぎ」という言葉がぴったりなぐらい、昔からの「おいしい」って感じの味だ。雑誌にも載ったことがあるらしく、店主はその話をしてやると恥ずかしそうだった

    そんなラーメン屋だったが、ある日「○○日にな閉店します」と張り紙が出され、閉店することになった。最終日にはいもの何倍もの客が入り、大盛況だったそうだ。そんなイレギュラー事態でも味はきっちり美味しかったとか

    しかしだ、閉店の理由については色んな憶測が飛んだ。飽きたんじゃないかとか身体の不調とか不景気からとか金を持ち逃げされたからとかまで

    そして、それから数十年後新聞を読んでいると

    見覚えのある名前があった。慌てて、雑誌確認してみると名前が一致していた。

    そう、新聞殺人容疑で逮捕と書かれていたのは

    ラーメンますだの店主、その人だったのである

    もう一度、新聞写真確認してみたが、年は取っていても間違いなくその顔はますだ店主だった

    彼は新聞を部屋の隅に放り投げ、テレビを付けた

    どこかの放火ニュースアナウンサーロボットみたいに話していた。チャンネルを変えたら、自分より若い男が冴えないおっさんを慰めていた

    あなた過去など知りたくないの
    すんでしまたことは
    仕方ないじゃないの
    あの人のことは忘れてほしい
    あの人のことは忘れてほしい…

    ラーメン増田跡地には素敵な一軒家が立ち、

    時たま幸せそうな家族の声が聞えてくるそう

    2024-07-07

    anond:20240707191300

    以前、『弱者男性、アホ女の同期を妬む』をリメイクしたんよ

    増田も参考にしてね

    アホ女とおれの話

    https://anond.hatelabo.jp/20240701181909#

     

     ↓ リメイク

     

    増田さんは、地方の中堅製造業生産技術部門のマネージャーとして働いており、独身です。

    彼は工場生産ライン効率化や新しい製造技術の導入に情熱を注ぎ、その技術力と献身的姿勢が高く評価されています

    はいつも会社最後まで残り、急な仕事が入ったときには「増田さんならできるよね?」と頼まれることが多いです。

     

    会社最近国内市場成熟に伴い、海外市場への展開を加速させており、増田さんの部門では国際的プロジェクトが増え、

    英語でのコミュニケーション海外技術者との連携が求められるようになりました。増田さんはこれまで国内業務に専念してきたため、

    英語での技術交流海外プロジェクト経験が少なく、昇進の機会が限られてしまい、出世頭打ちになったと感じています

    彼は自分が長年会社を支えてきたにも関わらず、上層部への昇進が見込めないことにフラストレーションを感じています

     

    一方で、同期の山田さん(仮名)は、同じ会社人事部ダイバーシティインクルージョンマネージャーとして働いており、

    家庭を持ち、子どもが生まれると育休を取得しました。山田さん(仮名)は育児仕事の両立に努め、時短勤務を利用しながらも、

    人事部門での役割果たしてます

     

    増田さんは42歳を迎え、これまでの経験を活かして、新しいキャリアの道を探ることを考え始めています

    彼は、自分スキルセットを更新し、会社内での新しいプロジェクトや、他部門でのチャンスを模索しており、

    現在職場での成長の限界を感じているため、転職視野に入れて新たな職場での機会を探っています

     

    山田さん(仮名)は、子ども学校に通い始めた後、より積極的仕事に取り組むようになり、女性管理職としての道を歩み始め、

    会社の「女性が働きやす職場」のイメージ象徴する存在となり、多くの女性社員にとってのロールモデルとなりました。

     

    増田さんは、自分キャリアについて再考し、どのように進むべきかを模索しています

     

     

    修正ポイント

    • キトーでも何してる人なの?がわかるようにして、それっぽくしました。製造業のことは何も知りません

     

     

     

    2024-07-03

    anond:20240703132117

    増田はどういう世界観で生きてるん?

    以前、『弱者男性、アホ女の同期を妬む』をリメイクしたんよ

    増田も参考にしてね

    アホ女とおれの話

    https://anond.hatelabo.jp/20240701181909#

     

     ↓ リメイク

     

    増田さんは、地方の中堅製造業生産技術部門のマネージャーとして働いており、独身です。

    彼は工場生産ライン効率化や新しい製造技術の導入に情熱を注ぎ、その技術力と献身的姿勢が高く評価されています

    はいつも会社最後まで残り、急な仕事が入ったときには「増田さんならできるよね?」と頼まれることが多いです。

     

    会社最近国内市場成熟に伴い、海外市場への展開を加速させており、増田さんの部門では国際的プロジェクトが増え、

    英語でのコミュニケーション海外技術者との連携が求められるようになりました。増田さんはこれまで国内業務に専念してきたため、

    英語での技術交流海外プロジェクト経験が少なく、昇進の機会が限られてしまい、出世頭打ちになったと感じています

    彼は自分が長年会社を支えてきたにも関わらず、上層部への昇進が見込めないことにフラストレーションを感じています

     

    一方で、同期の山田さん(仮名)は、同じ会社人事部ダイバーシティインクルージョンマネージャーとして働いており、

    家庭を持ち、子どもが生まれると育休を取得しました。山田さん(仮名)は育児仕事の両立に努め、時短勤務を利用しながらも、

    人事部門での役割果たしてます

     

    増田さんは42歳を迎え、これまでの経験を活かして、新しいキャリアの道を探ることを考え始めています

    彼は、自分スキルセットを更新し、会社内での新しいプロジェクトや、他部門でのチャンスを模索しており、

    現在職場での成長の限界を感じているため、転職視野に入れて新たな職場での機会を探っています

     

    山田さん(仮名)は、子ども学校に通い始めた後、より積極的仕事に取り組むようになり、女性管理職としての道を歩み始め、

    会社の「女性が働きやす職場」のイメージ象徴する存在となり、多くの女性社員にとってのロールモデルとなりました。

     

    増田さんは、自分キャリアについて再考し、どのように進むべきかを模索しています

     

     

    修正ポイント

    • キトーでも何してる人なの?がわかるようにして、それっぽくしました。製造業のことは何も知りません

     

     

     

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