はてなキーワード: バックボーンとは
まず私のプロフィールを明かしておく。
大学院生。社会学と文学のあいの子みたいな分野で、とくにジェンダーとかセクシュアリティとかそういう事を学んでいる。
映画は学部時代に少しかじった程度で、評価はB+だった。だから的外れなことも言うかもしれない。すみません。
匿名なのでもっと書くと、同性愛者で、SMの実践者で、フィクトセクシュアルに片足つっこんでいるので、わりとどの界隈でも少しなじめない気持ちになりがち。
「映画としてはちょっと……」というような意見が主にアカデミックや評論の場で散見される。
これは分からないでもない。ちなみにここでは個人攻撃みたいにするつもりはないので、引用は特に必要でない限りはしない。
「すげえ! マリオってこういう解釈ができるんだ!」みたいな「新しいもの」はなかった。しかし、「マリオの映画といえばこういうのが見たいよね」という「見たいもの」が詰め込まれており、「新しいもの」を入れる余地は90分にはないように思われる。
メディアミックス映画としては一つの模範解答であり、文句なしの一級品といってもいいかもしれない。面白い映画といい映画は別だが、以下では「いい映画」(いい映画って何すか?)としての切り口を見てみたい。
ゲームをアニメとしたら、キャラクターの解像度や物語の運び方だけでなく、どのようにゲームの快感が写し取られているかが重要ポイントに思う。
マリオのゲーム体験を思い返すと、快感は大きく二つに分けられる。
「スーパーマリオブラザーズ」ならステージクリアのタスク消化に似た快感。
「スーパーマリオ64」に連なる「箱庭マリオ」なら新しいマップを開いていく探索の快感。
マリオシリーズだけでなくゲームの快感はむしろこの二者に共通する「試行する」快楽が大きいのではないか。
私はといえば、ゲームが苦手だった。
クリボーに激突する。穴に落ちる。ドッスンに潰される。空から落ちる。燃やされる。溺れる。
我ながらヘタクソなプレイである。しかし、プレイを重ねると、一つ一つそれらを回避なり消化できる。そこにゲーム的快感がある。
翻って「映画マリオ」に戻る。キノコ王国に迷い込んだマリオは、ピーチ姫の旅についていくためにゲームばりのアスレチックに挑むわけだが、このプレイングも経験者ならば笑ってしまうほど失敗に満ちている。そしてその分だけマリオは「試行」を試すことになる。
アスレチックだけでなく、ドンキーコング戦、クッパ戦と繰り返し作中で強調される「諦めの悪さ」が導くゲーム的快楽とはこのような「試行」の快楽が適切だろう。
文学研究者の藤田直哉は上記のようなことも含めて、「物足りなさ」を指摘している。
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1655397557198278662
ここは鑑賞者のバックボーンも関わってくるのかもしれない。
周回前提のゲーム「ドキドキ文芸部」「UnderTale」「シュタインズ・ゲート」の記憶が私にはすごく強くあるし、マリオシリーズから距離を取っていたので(ここまで多くの作品に触れたわけでもない)、試行錯誤性は面白く観た。
また、勉強不足と笑われそうだが、3Dの映像で2Dのフィールドを表現する映像も、私としては十分に真新しいものだった。
「反ポリコレ」とか、「ジェンダーから距離を取っている」いう話も聞く。
しかし私はそうは思わない。LGBTと「マリオ」作品群の関わりは以下のコラムに詳しいため、これ以上は言及しないが、さらに男性性との関わりについて分析する。
https://cinemandrake.com/pokemon-musashi-kojiro-lgbtq
こちらも藤田直哉の評を引用する。私のマリオ映画への評価は彼とは異なるが、この評と私の見解は一致している。
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1656110486713434113
クッパは名誉と所有、暴力を原理においたキャラクターであり、婚姻と幸せを直結させる家父長制を背負った男である。
ピーチ姫に対し無茶な論理で婚姻を迫ったり、彼女の知人も含めた囚人を婚姻の犠牲として殺そうとしたり、人の論理の届かない人外らしさが映画における彼の輝かしい魅力でもあることは間違いないが、それは悪しき男性性の発露でもある。
この「有害な男性性」を退けることを軸にマリオ映画を見てみると、マリオは退けた先に何を得たのか。
それは物語のラストが示すように、ピーチ姫ではない(ピーチ姫とマリオとの恋愛の成就がほのめかされてはいる。しかし、ほのめかされていることと明らかであることは違う)。
マリオはゲームにおいてプレイヤーの分身であり、あまり感情を発露しない。
葛藤もあまり読み取れず、さらわれたピーチ姫を取り返すため、躊躇いなく絵画に入ったり火山に行ったり宇宙に行ったりしているように見える。
しかしマリオ映画においては、夢を追う自信のなさげな男として描かれる。
イタリア系アメリカ人の家庭で育ち、家族仲はおそらく悪くないが、「父親に認められたことがない」ということが恐らく影を落としていて、自分のやりたいことと、父親に認められたいという二つの想いが両立できていない。
そしてマリオは映画の終わりに藤田のいうところの「有害な男性性」の発露であるクッパを倒し、父親からの承認を得ることとなる。
婚姻に大きな意味をおく家父長制の権化を倒した先に、父という家父長に認められるというメビウスの輪的な権力のねじれについて、私はまだうまく説明ができない。こういう嫌な書き方をすることで、妙な引っ掛かりを表明するしかできない。
その是非について何か言いたいわけではない。
現実では家父長制や異性愛規範や同性愛差別やトランス差別や人種差別が吹き荒れている。そのような不均衡な権力は改められるべきだし、悪しき男性性とは決別すべきである。
その是非についても何か言いたいわけではない。
ここまでが建前。
「家父長制の権化」と表現したけれど、理屈の通じない愛情を持て余す魔王クッパが大好きだ。
本気で惹かれると言っていい。
そして彼は多くの部下に愛されながらも、彼の愛はどこにもたどり着かない。
槇原敬之の「軒下のモンスター」から「いっそ妖怪にでもなって 君を軒下からただ見ていたい」を引いてもいい。
三島由紀夫の「仮面の告白」から「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ」を引いてもいい。
ピアノを弾きながら「ピーチピーチピチピチピーチ」とか歌ってる彼のカットでは劇場で笑い声が起きた。
「悪しき男性性」の回路ではもう誰かと心を交わしあうことはない。ピーチが振り向くことはない。彼の歌うラブソングは哀愁に満ちて、あるいは滑稽かもしれない。
私も笑った。でもぶっちゃけ泣きそうにもなった。
今ギリギリこの男を笑って愛でながら見られるくらいには私もマジョリティにいられてるんだろうけど、こういうジェンダーやクィアの批評は規範を可視化させ内破する営みであって、次に生み出される新しい規範にいられなくなったら、次は私が笑われる番なのだ。
本当は、弱者はクッパの方なのかもしれない。でも私は彼にあまりに感情移入しているから歪んだ読みをしているのだろう。
お前の横暴さも、報われなさも、情けなさも、関われなさも好きだぜ。ほんとに。
アンパンマンっていうのは「圧倒的な力を持つ絶対者(≒アメリカ、ロシア等)が暴力をぶつけあった果てにその世界の正義が決定される中を、その中で最も強いものの正義が偶然善性を帯びていることを祈るしか無い現実」を皮肉っているというのがバックボーンなんだよね。
そんなアンパンマンの世界においては障害者の言葉なんて真っ先に切り捨てられる対象。
偶然アンパンマンガ気まぐれで「やめるんだ!障がい者マンが困っているじゃないか!」で助けてくれたらセーフだけど、「やめるんだ!アンパンマンミュージアムが困ってるじゃないか!」で障がい者マンがアンパンチされたらそこで終わり。
結局は力こそが全てなんだよ。
お互いの利益がぶつかりあったとして、力なき者同士で水掛け論をしても意味なんてない。
両者がアンパンマンに相談して、悪い方にアンパンチしてもらうことでしか結局問題解決なんて起こらない。
バグダッド・カフェ:中盤までは退屈だったけど、主人との友情が芽生えて居場所を得始めてからは良かった 人情モノだけど押し付けがましくなくて、どこか淡々としていたのが良かった
13日の金曜日(1、2、8):ワンパターンで面白くなかった 8は全然NYに行かなくて求めてたシーンは数分くらいだった
エボリューション:まんま宇宙人版ゴーストバスターズ 軽妙な会話をメインに気楽に観られる感じで面白かった
ゲット・アウト:黒人へのズレた敬意とアウェー感が一番のホラーだった 眼差される不快感はNOPEでも描かれていたし、大切なテーマなんだと思う
アス:ゲット・アウトに比べて、テーマと描き方が抽象的で分かりにくかった 一応種明かしはされど、不条理のままな部分も多かったので、そこはホラーとして陳腐にならない気がして好き 寓話としての解釈のゆとりも広がるというもの
ドクター・スリープ:シャイニングの続編というよりは世界観を共有する別作って感じ ホラーというか能力バトルだった 銃で倒せる相手は銃で、という所がなんか納得感があって良いね 銃で倒せちゃうんかいって気もするが
ブラック・クランズマン:面白かった 黒人はもとより、WASPのつもりでいるユダヤ教徒も自身の社会的属性と向き合うのが良かった 最後いきなりマイケル・ムーアめいた感じになって、エンタメとして消費して終わる、ともすれば外部化してしまう呑気な観客を逃さない感じも良かった
ブレット・トレイン︰キル・ビルとか忍殺のエッセンスをアンジャッシュで包み込んだ感じで面白かった トーマスで義務教育を終えた男とか、セコい脅迫で人を自分の反抗期に巻き込むクソ女とか、キャラが立ってて良かった 米原のシーンは、ニッチさに加えて自覚的なトンチキですよというエクスキューズのようにも思えてウケた
レザボア・ドッグス:倉庫での画が続く密室サスペンス?で舞台っぽさを感じた 冒頭の他愛ない会話があんまりハマらなかったけど、オープニングはかっこよかった 人の良さが裏目に出るのは辛いね 徐々に明かされるバックボーンを踏まえて繰り返し観ると面白いのかもしれない オープニングロールでタランティーノ出てるんだって思ったけど、顔を知らんから誰が彼なのか分からんかった
大体夢を売ってキラキラ魅せてるものは、キラキラに吸い寄せられてきた人間のなけなしのマネーをちゅっと吸い上げて養分にして、またキラキラさせてるね。少し前にはえぬえふてーていうお花があったな。もう枯れかかっているようだけれど。魔法のポケットはなかったのって?あーポケットに入れるとお金が増えるやつ。でもあの歌は最後、「欲しい」って歌って終わってた。つまり、無いってことなんだよ。
プログラミングスクールに通ったんだったね、スクールに払ったン十万だのン百万だのというおカネは回収できたのかい?お母さんは心配です。駆け出しプログラマーたちを見なさい、AWSの資格をあんなに沢山とったのに、いまはどこかに行ってしまったようだよ。彼らは年収1500万をかかげて、炎に突っ込んで行ったのかもしれないね。あぁ、そういえば今ではたまにキラキラした目で技術のことだけ考えて、業務知識とバックボーンを理解する必要は無いと考えている妖精さんがいるらしいけど、それとは別物だとお母さんは信じてるからね。そっちを見てはいけませんよ。
中途未経験?そうしたら真面目にできるだけ長く務めるんだ。あれ?みんなと言ってることが違うって?いいかい?あの業界に参入する人達はね、そんな人間がいなさすぎて、中途未経験の参入がかなり難しくなってるんだよ。ほら、あそこに未経験で収入あげるなら一旦どこかに入って経験積んで転職するんだ!って言ってる妖怪がいるだろ?どれくらいの割合の真っさらな中途で入った人間が会社に利益になったんだろうねぇ。誰も会社も社会全体の利益のことも考えなかったんだよ。そうだろ?誰も犠牲になりたくないから。だから会社も会社の利益を最優先にすることにしたのさ。それは、すでに経歴のある人間しか取らないってことだよ。育った人間だけ獲得しなきゃ。ね、会社の利益のためさ。だからSESの求人を謳った会社が20代の中途未経験を勉強と称して家電量販店の店員だったりただのテスターとして派遣してスキルがなくて需要が無くなった30代半ばに一つも派遣先がないから自主退職を促すのは仕方の無いことなのさ。ほら、ちょっと怖いところが分かってきただろ?
え?それでも俺は行くって?これは嘘だって?お前がそこまで言うなら、仕方ないね。お母さんはいつでももここで待ってるからね。ぽーけっとをたたくとー。。
JAXA広報が「まあ結果的にやり直せるだけで失敗ですね。マシな方の失敗。取り返せる失敗。そこまで悪くない失敗。最悪の失敗ではない」と口に出来る国になって欲しい。国民が「そうなんだ。やり直せる失敗なら失敗でも全然マシだね」で受けいられる国になって欲しい。今の「大小問わず失敗と口にした時点で全ての信用が失われるので、なんとかして『失敗という単語』そのものを気合で回避できないかに最大の労力を使う」って状態はあまりにも不健全だよ。この国はずっとそのせいで色んな物が停滞しているし『失敗』しているよ。いい加減「取り戻せる失敗だから大丈夫です。でも失敗なのは事実なので再発防止は頑張ります」で終わらせられる社会にしてくれよ。なんで何から何まで完璧じゃなきゃ駄目っていう病気を患い続ける道を選ぶんだよ。この国は小さな完璧ばかり求めすぎだろ。なんかもう全部減点方式で採点しすぎて頭おかしくなって切るじゃん。それこそ「東大の入試で6割解けたやつよりFランの入試で100点出したやつの方が間違いが少ないから賢い選択をしててエライ!」みたいな事言い出しかねないぐらいの失敗恐怖症でミスがないことだけが評価点の人間だらけの痛がり大国じゃん。アホみたいだよ。JAXAは科学者としての圧倒的なバックボーンあるんだからハッキリ言ってやれよ「失敗ですけど、取り返せます」をよ。なに腹芸してんの?科学の最高峰としての意地を見せろ。失敗だと認めながらも、それを過大評価も過小評価もさせないように徹底的に理詰めを積み上げ続けろ。その姿勢をこの国に示してくれ。宇宙開発を通じて日本人だって痛がりなだけお猿さんばかりじゃないんだぜって見せてくれよ!
再投稿です
・タスカルーサ~1540
ミシシッピ先住民の首長。スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。
・オペチャンカノウ1544~1646
ポウハタン族の酋長。ポカホンタスの叔父。1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次・第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。
・ササカス1560~1637
ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺、奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争で白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ王戦争で白人に虐殺されることとなる。
・ポペ1630~1692
プエブロ族の魔術師。スペインの宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人を駆逐したプエブロ族は独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペインに降伏した。
南部タスカローラ族の酋長。白人の土地侵奪、奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。
アベナキ族の酋長。フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争、グレイ・ロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父は戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた
ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人の貪欲な土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ王戦争1765~66)。メタカムは戦死、遺体は戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人の勝利に終わった。
・オブアンディヤック1720~69
オタワ族の酋長。英名ポンティアック。交易を制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合し攻撃をしかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府は政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。
ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争で白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人を訪問した際に拘束され処刑された。
チェロキー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族へ同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中に心臓発作で亡くなった。
・リトルタートル(1747~1812)
マイアミ族の酋長。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バルム大佐を戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦で勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、戦死者600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北し降伏した。
ショーニー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦、セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北した。
レナペ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗れた。
・エグシャワ1726~1796
オタワ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、フォールン・ティンバーズの戦いで負傷した
・テカムセ1768~1813
ショーニー族の酋長。白人の侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争でイギリスと組んでアメリカと交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争で敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領に就任するが、わずか31日で病死した。
マスコギー族の戦士。1811年の大地震を白人と戦えというメッセージと解釈し、交戦派レッド・スティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争で活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領に就任、インディアンへの弾圧・虐殺を行った。
・メナワ1765~40頃
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後も土地割譲に同意した酋長を暗殺するなど強制移住に抵抗し続けた。
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争で活躍、バーントコーンの戦いで米軍に勝利した。
ウィネベーゴ族の酋長。白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。
・ブラック・ホーク(1767~1838)
ソーク族の酋長。白人の土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。
・オセオラ1804~38
セミノール族の戦士。強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部はフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカに降伏していない
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争で活躍し、デイドの戦いで100人の米兵を戦死させた。
・ビリー・ボウレッグス1810頃~1859
セミノール族の酋長。オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争を継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍に勝利した。
・バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃
コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復に1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。
・ワルカラ1808~55
ユート族の戦士。その知恵と武勇から「砂漠のナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教徒入植者と対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。
・フレチャス・ラヤダス
ヒカリラ・アパッチ族の戦士。シエネギラの戦いでアメリカ軍を破った
・カミアキン1800~1877
ヤキマ族の戦士。白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏を拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒んだ。
・レスキ1808~58
ニスカリー族の酋長。白人の土地侵奪に反発し、ピージェット湾戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。
・テカムタム?~1864
アサバスカ族の酋長。鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。
・カイルーク
モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された
・ヌマガ1830~71
パイユート族の酋長。白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860年パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人と部族の平和のために生涯を捧げた。
・マヌエリト1818~93
ナバホ族の戦士。1860~66年までアメリカ政府の土地収奪と強制移住政策に抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。
ティンパノゴス族の酋長。モルモン入植者と対立し、1865年ユタ、パイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた
・マンガス・コロラダス1793~1863
アパッチ族の酋長。1830年代家族や同朋をメキシコ人に虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉の最中に捕らえられ、処刑された。
・コーチーズ1805~1874
アパッチ族の酋長。マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。
ダコタ・スー族の酋長。白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。
カイオワ族の酋長。第一次アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。
カイオワ族の戦士。第一次アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年に逮捕され、投身自殺した。
カイオワ族の戦士。ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。
・ローン・ウルフ1820頃~79
カイオワ族の酋長・交渉によりウォーレンワゴン・トレイン襲撃で逮捕されたホワイト・ベア、ビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナ・パーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオワ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない
シャイアン族の戦士。強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールズバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人に勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマ性から白人から酋長であると誤解された。
ラコタ・スー族の戦士。ララミー砦からモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍は道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウドは居留地に入り晩年はキリスト教に改宗した。
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。
・ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府の平和交渉に当たった。
モードック族の酋長。居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワード・キャンビー少将が殺害されたため、インディアン戦争で米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏し絞首刑に処されたキャプテン・ジャックの遺体は見世物とされた。
モードック族の戦士。モードック戦争に加わり、サンドビュートの戦いで勝利した
コマンチ族の酋長。スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。
・ペタ・ノコナ1820頃~1864
コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシア・パーカーを誘拐、妻とする。1860年ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。
一つの回答として頭に入れておく。
ただなんか語弊がいろいろあった気がするので補足する。
物議を醸した望月新一のIutの論文はそれが合ってるか間違ってるか自力であてずっぽうでなく判定するにあたり証明を追うにしても相当な前提知識を要する。あれも数論幾何なわけだ。
低次元トポロジーという名称はその証明の難しさの特殊性から既存のトポロジーからあえて切り分けただけで、研究や既存論文の理解に必要な知識量はトポロジー全体と差がないのではないか。
多少差があったとして、数論幾何よりややはり明らかに少ないのではないか。
低次元トポロジーの研究には類い稀ないひらめきみたいなセンスを要するだろう点で学界にインパクトを与える新たな価値ある証明を行う難しさが数論幾何に匹敵するのは確かだろう。だがそうやって証明された既存の論文を理解するハードルは数論幾何に比べると明らかに低いのではないか。
もっといえば望月論文を理解するための知識を全て身につけたとしても論文を証明した当時の望月の知識量にはまだ足りないと思う。証明を理解する以上に、証明すること自体には理解に必要な知識以上のバックボーンが必要で、そうしたバックボーンが証明に際して必要だった発想着想の必然的なきっかけになったりしているはずだから。
あなたもおっしゃる通り低次元トポロジーをやってるだけなら数論幾何にくらべてしまえば明らかに見劣りすると思う。以上書いたことを踏まえてあらためて数論幾何に匹敵するものが他にあったら教えてほしい。
勉強するにあたって数学幾何と共通する知識事項もあるが、比較的早い段階で数論幾何を志す人とは異なる知識を量として数論幾何と同じぐらい積み上げていくという数学領域が理想だ。
自分がしっくりきそうなたとえ話だと
いいことを言うCMだと感心していたら最後に創価学会と言われる不意打ちさ
と似たようなものかな
誰がどんな思想を持った・バックボーンで言ったことかは受け入れるか否かの判定に重要だよ
これが「みつを」だったらまだ「いやみつをか~い!」ってツッコミで流せるけどそれが宗教だと厳しくなってもしかたないよ
これは信仰していない宗教のエッセンスを使ってる(ゴスペル)とか、キリスト教とか仏教はいいのかとは全然関係ない話
人間快適に生きるためには誰がどんな人が言ったかで足切りする必要があると思う
真に真剣に人の話を意識して聞く人はそりゃ属性を苦労して廃して聞けばいいけど一般人に求められてもね
だから後から属性を表明されて(隠しているかのように振舞って)、それが自分とマッチしないものだったらそりゃ嫌な気分になるよ
ツイッターやはてなだとこいつの意見は見る必要ナシと非表示にしていたのに別アカ取ってて視界に入って意識しちゃって後から消してたアイツでしたってなっても同じように嫌な気分になると思う
是々非々じゃなくて一括でダメにしたい属性って人それぞれに絶対あるはずだし、その中でもセンシティブ順位が高いことが予測される(新興)宗教の立場ぐらいは冒頭でわかるようにしてくれって快適に生きたい人間は思うよ
※以下の内容は全部個人の感想ですので信用しても増田は一切の責任を負いません。念のため。
昨今、日本の原子力業界が非常に厳しいのは目敏い氷河期世代なら当然承知のことと思うが、原子力業界の転職事情は知っているだろうか。
ご想像の通り、超人手不足の売り手市場だ。電力本体は流石に狭き門だが、子会社の原子力専業会社は話が別。
会社によって多少状況は異なるがどこも息も絶え絶えという表現が大げさじゃないほど人がいない。いない上にドンドコ辞めていく。そりゃあ将来原子力がイケイケドンドンになるわけないしね。若い人ほど原子力自体に見切りをつけている。
そういう状況の中で、中途として原子力専業子会社に入社するのは40代以降の氷河期世代が多数である。
そういう人は皆原子力のバックボーンがあるのかというと、ほぼそんなことはない。大卒も高卒もバラバラで、前職が非正規の人も少なくない。
彼らに期待されているのはずばり辞めないことである。面接を通った時点で最低限社会人としては大丈夫と判断されたはずなので、入社後は定年まで勤めあげることが会社からの一つのニーズとなる。
もちろん教育体制もしっかりある。基本はJTCオブJTCの電力の企業文化であり昨今はコンプライアンスも相当厳しいため、理不尽なパワハラリストラは非常にまれ。残業は多いかもしれないが。
転職するには原子力専門のエージェントならより良いが正直D○DAでもマ○ナビでもなんでも良い。登録して担当に原子力業界に行きたいと言えばいい。
気になる待遇だが基本的に電力本体の7掛け。福利厚生も7掛けにダウンサイジングしていると思えば良い。
氷河期世代でアンダークラスのまま不本意に苦労している人にとっては悪くない条件と思うけどどうだろうか。
最近キッシーが原子力やるやる詐欺をしているが、正直震災前の環境に戻って賃金が爆増するなんてことはほぼあり得ない。しかし氷河期世代が定年になるまでの後十数年は現状維持のまま細々と仕事が続く可能性は相当高い。
苦労し続けた氷河期の方が、最後に老後資金だけでも貯められる一助になれば。興味があれば転職エージェントに聞こう。
いや一般的な着地としては悪なんだろうけれどもさ。
婚姻関係を継続したくないという感情を強く抱いていて、配偶者に対しても離婚の意志を何度も伝えているものの配偶者が首を縦に振らない。そういう場合も果たして悪なのか?
私は不倫に手を染めた。
相手が既婚者であることは勿論知っているし、バックボーンとして離婚の意思があることも知っている。
この関係になるよりも前から早く離婚したいという話は聞いていて、紆余曲折あって自分から相手にアプローチして今に至る。
ある意味で相手の弱みにつけこんでしまっていることは否めないし、不倫は絶対悪という方からしたら死に値すると言われてしまうことも否めない事実であることは認識している。
ただ、離婚したくてもできない現状は相手の配偶者のワガママというか、「絶対に離婚しない」の一点張りで離婚できていない、というのが正しい現状なのだ。
かつ、部屋も別々で家計も別にして、同じ屋根の下に暮らしていてそれに伴う水道光熱費等のみしか共用しているものはない。
果たしてその状況下で配偶者以外に癒しを求めることは、その状況下にいる人を愛してしまうことすらも絶対悪なのだろうか。
私にはその答えがわからない。
わからないが、わからないなりにも社会的制裁を受けようとも相手を一番大切にしたいという意思に変わりは無いのだが。
"不倫"
人々は配偶者を持つ者がそれ以外と関係を持つことを一緒くたにこう表現するが、現配偶者と別れたくても別れられない何某かの理由があっても尚この表現に固執し続けるのだろうか。
だったのかなと思った
桜木と流川のライバル関係、赤木と木暮の3年間、三井の挫折と復帰、
これらに比べると原作では宮城のバックボーンは無いも同然だったし描きたくなるのはごく自然だなと
山王戦はとにかく映画1本の中で1試合をぴったりやり切る方針なのはよくわかった
魚住のかつらむきや桜木vs美紀男はモノローグ多めのシーンだからカットしたっぽい
コートの中はともかく観客席からのカメラワークは実際にカメラを置ける通路からのアングルだったり
得点が入ったら必ずスコアボードが写る演出だったり徹頭徹尾「試合」を映す意思は感じられた
下手に原作のシーンを全部詰め込んで上映時間4時間になったり前後編になったりするよりは