はてなキーワード: 獰猛とは
『凛一シリーズ』(長野まゆみ)を月一冊ずつ細々と買い揃える事を最近の自分へのノルマにしており、しかも来月上旬に推し雑誌『Canna』が発売されるので、その他BL本に使えるお金が少なくなる……としょんぼりしていたところ、タイミングよくcannaコミックスがセールになっていたので、思いがけず二冊買うことが出来てしまった! ちなみに、今セール中のcannaコミックスのなかでは『兄の忠告』(朝田ねむい)を私はおすすめしたい。ちょっと変わった青年向け短編漫画が読みたい人にはいいと思う。エロは全くない訳じゃないが非常~に少ない。
では、今日買って読んだ本。
国分寺は某衛大学(略して某大)の一年生。だが彼には国への忠誠心なのはない。親友の石橋を守るためだけに彼は某大に入学したのだった。厳しい訓練に明け暮れるうちに日々は過ぎ、二年生に進級するまで残すところあと僅かとなった。すると、国分寺と石橋に、上級生が進級をかけてとあるミッションの遂行を二人に命じてきて……。
表紙絵のかっこよさに惹かれて購入。ギャグにほぼ全フリしたラブコメだった。国分寺の石橋愛がとてつもなく重いさまを楽しむ漫画。
ずっと一方的に国分寺が石橋に片想いしてるだけかと思いきや、石橋が段階を踏んで国分寺を好きになっていくのが微笑ましかった。ただ、ここぞというときの盛り上がりに欠けるような。思ったよりふっつーに告ったな……。もっとエクストリームなシチュエーションで告るのかと期待してたのに。まあでも、普通が一番か。分かりやすいし。
レビューによれば、意外と某衛大あるあるが盛り込まれているらしく、某大を知る人にはふふってなるやつらしいけど、私は某大とは無縁で生きてきたのでわからん。
濃い目のキスシーンあり、セックスシーンは不発にして、白抜きされるようなことは描かない鉄壁のガードっぷり。エロ本が読みたい人は他をあたるべし。
古代中国的な世界。この世界には鴆(ジェン)という怪鳥がいる。鴆は有毒な植物を糧とし、餌から得た毒素を羽色に変える、とても美しい鳥だ。だが、鴆は身体の隅々に毒を含み、しかも気性も獰猛である。人々は鴆の美しい羽色に惹かれ、鴆を所有することにより自らの権勢を誇示するのだった。
元鴆飼(ジェンスー)のフェイ将軍は、上司から一羽の鴆の世話を仰せつかった。鴆の名はツァイホン。それはフェイ将軍の兄を殺した鴆だった。
極めて獰猛で人を寄せ付けず、羽色も褪せてしまっていたツァイホンを、フェイ将軍は兄の仇と知りながら、甲斐甲斐しく世話を焼く。そのさまを人々は不思議に思えてならないのだが……。
『鴆――ジェン――』はシリーズもので、全部で三作ある。そのうち最新作にして最終作の『鴆――ジェン―― 天狼の眼』だけは『Canna』本誌で途中から読んで知っていた。わざわざ単行本を一から買ったからといって、このシリーズが熱烈に好きなのかというと、それほどでもないんだよなぁ。自分の琴線に触れるような作品ではない。ただ、絵がとても綺麗でしかも漫画が上手い。するすると読めてしまうので、自分のツボに嵌まりはしないが読みたい、という感じ。
変わった設定だけど、ストーリーは難解ではない。鴆の羽の描写スゲー! と感動するうちに読了。ストーリーやキャラの関係性とかにすごく感動することはなかった。へぇ、なるほどなるほど、くらい。たぶん、これが刺さりに刺さってたいへんだという人も、世の中にはいるんだろうなと思う。確かどっかのレビューサイトで「号泣した」って書いてるレビュワーがいたはずだ。
漫画としては極上の部類に入りそうと思う。
全くのBL初心者がおすすめを教えてくれといったら、『ワンルームエンジェル』(はらだ)、『百と卍』(紗久楽さわ)、『オールドファッションカップケーキ』(佐岸左岸)とともに本作をおすすめしたい。
エロはあるけど、大体ツァイホンの羽がふさふさもふもふしているため、何が起きているのかよくわからない仕上がり。白抜き部分あり。人間×人外というカップリングな点では特殊だが、エロ方面ではさして特殊ではない。BLによくある謎の表現規制「攻めの尻は描かない」が発動している。
俺の地元のハトは人間と共存しているがこちらを味方だと思っていないような感じだった
大阪のハトは「ちっす」「どない?」と人間を舐め腐ったような態度で街を歩いている
3位 樟葉
ひらかたパークで有名な枚方の近く。くずはモールというクソでかい商業施設がある。というかそれ以外何もない。
樟葉のバスのロータリー横の広場のような場所にハトがたくさんいる。
2位、1位のように厚かましくはないがのんびりしすぎている。危害を加えられるという発想はないのか。
リラックスしすぎてハトとしての形状を保っていないやつが多数いる。ちょっと可愛いと俺は思うがくずはモールに遊びに来た若い女にキモがられている。
2位 枚方
ひらパー。駅に色々便利な施設があり、そのど真ん中に待ち合わせ場所に便利な空間がある。そこの本来人間が座る場所でハトがくつろいだり仲間とだべったりしている。
学生が多い街で人通りも多いがハトは決して動じずマイペースに過ごしており、若干汚いジジイとかからエサをもらっていた。
今は知らんがコロナ前は(多分禁止されてるが)スケボーをしたりダンスの練習をしたりしている奴らがいて、それをじっと見ているようなハトもいた。怖くないのか。
1位 千里中央
地下鉄駅付近には昭和の香りが残っているが地上はのほほんとしている高級住宅街。走ってる車がほぼファミリーカーか外車。
せんちゅうのハトは「ん…?俺は人のメシを食うが…?」みたいな顔で人間に近づいてくる
そこそこ金と時間に余裕があるジジババが多く住む街なので長年一部のマナーの悪い奴に餌付けされてきたんだろう
無邪気なガキがハトをビビらせようと群れにダッシュしてもお構い無し。「どうした?」と余裕ある表情で飛んで逃げたりはしない
大阪北部地震と建て替えの問題で施設の大部分が閉鎖されたこととコロナがあり人が減ったことでハトも減ったのが寂しい
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↑の街には一度も住んだことがなく、ずっと市内に住んで市内で働いてるし名前が出てたところにも何度も行ったが、これは厚かましいハトランキングであって暴力的・獰猛なハトランキングではない。
人間と負けじと荒々しく生きるハトも好きだが、人間に甘やかされて存在を認められ続けた結果人間を舐め腐ってるハトが好きなんだ。
世界的にみれば、日本は過去には、今のロシアのように加害者であったし、今はいわゆる前科者です。その国が、日本も侵略されたらと被害者的立場で、過去の侵略者に逆戻りするかのような軍事力増強や核武装を今声高に主張することは方向が違う。憲法9条を世界に広めることこそが日本の役割です。
https://twitter.com/yorisoibengoshi/status/1496998418803093524
しのだ奈保子道7区総支部長
続報です。プーチン氏の要求は、まさしく「ウクライナは憲法9条(的なもの)を持て」である訳です。当面という事でしょうし、それでいいという事ではありませんが、いずれせよ憲法9条(的なもの)が戦禍のウクライナを救いうるという皮肉な現実を、我々は認識すべきでしょう
https://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1497213487579205633
ゼレンスキー大統領のケースは、人気者だし魅力もある方ですが、ロシアという獰猛な国家から国を常に防衛せざるを得ない立場を考えると、「若さ」が「馬鹿さ」となったようにも感じます。
憲法9条をウクライナ問題と関係させて論ずるならば、仮にプーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです。
https://twitter.com/shiikazuo/status/1496769856384864256
①の部分の削除を求めた理由について
この決議文をそのまま読めば、中立な立場を語っているようにも見えるが問題がある。
「G7とともに」と強調することで、
このウクライナ問題で、ロシアを敵対する勢力に位置付ける意図が透けて見える。
このパートは
https://reiwa-shinsengumi.com/comment/11402/
この戦争を止められるのは誰でしょう。
ロシア非難の大義を利用してロシア分割の利益を狙う者たちではありません。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/oishiakiko/status/1498981489887031298
米国のバイデン政権や主流メディアはイラク戦争時のように怪しげな情報を拡散しながら、「ロシアのウクライナ侵攻」を宣伝している。だが真に論議されるべき課題は、ロシアが求めている安全の保障なのだ。
https://web.archive.org/web/20220218021523/https://sdp.or.jp/sdp-paper/ukraine-russia/
政党や、各党が選挙で公認や推薦したことのある議員がこのような特異な意見を発信した場合、
が繰り返し書かれていたように思う。
相手のごく一面しかしらないのに、分かった気になる人間の多さに辟易している印象も受けた。そう言うものへのアンチテーゼとして、分かりづらい一貫性のない作品にしたのかもしれない。
主人公は自暴自棄な気持ちで家出して、鉱山に入るまでは世界に現実感を感じられず、自分の周りで起こる出来事に対してお客様気分でいた。抗不安薬や抗うつ薬を飲んだダウナー状態に近い。体操座りして足元のアリの行列をただ眺めているような。
ただ、鉱山の飯場に入り、獰猛なコウフたちから自分に対する嘲笑や、
鉱山の穴(シキ)の中で生命の危険を感じるうちに世界に生きる実感を取り戻す。
ただ世界への実感を取り戻すにしても、そこで自分の生活の指針を決めて一貫した行動を取るかというとそうではない。あくまでその瞬間だけ取り戻したように思うだけで、死への衝動や現実感の喪失はその後も共存している。
人間の行動はたまたま口にしたことに大きくされるが、あとから振り返ると一貫したストーリーがあるかのように思ってしまう。
普通の小説なら、生の実感を感じて以後一貫性を持つストーリー展開をするだろう。
現実感の喪失や死への欲望も未来への希望も一時的なもので、ころころ一番上に来るものが変わるけど、その瞬間の自分にとっては一番上に来ている感情がリアルで必然性を持っているように錯覚してしまう感じ。
俺は魔王になりたいんだよな
なんかこう、なろう小説みたいな感じでさ、ある日突然、魔物を生み出す能力を授かるわけ
自分あるいは眷属が他の生き物を殺すことで力が増していく、みたいな感じでさ
ゴブリンすら生み出せず、一日にハチ程度のやつを一匹出せるくらいなわけ そのハチもホントにスズメバチくらいのスペックで、単体じゃ到底人は殺せないし、鳥にすら食われる
仕方がないから、虫とかを殺して地道に力をつけていくわけですよ
眷属にはなんとなく命令を出せるからさ、家の周りのヤブとかに、ハチとかクモみたいなのを放って、虫を狩らせるんだ
虫なんか殺しても微々たる力しか得られないんだけど、日中働いてる間も、夜も、眷属の子達がずっと頑張ってくれるし、毎日新顔を追加することで活動量も増えていくんで、しばらくするとそこそこ力がつくわけですよ
小動物程度のやつを生み出せるようになってくる
そしたら今度は海に行ってさあ
キラーフィッシュみたいなのを生み出して、そいつを海に放つんですわ
できるだけ遠洋に行くように指示出してさ
魚を狩って力をつけるわけ
これもしばらくやってると、もうだいぶ力がついてくる
狼、いや、クマくらいのパワーがある眷属が1日に数体産み出せるようになるんすわ
そしたらどうするか
ここなんだよ
たとえば、東京まで出かけて、高いとこに登って地表を見下ろし、出来るだけ人がたくさんいるところに、熊クラスの魔物を出せるだけ出してみる
これは楽しそうなんだけど、目立つのがネック
たとえば、毒性に極振りしたハチ型の魔物を生み出して、自分の生活圏外に放ってみる
これ、眷属の強さの設定がまだ練り切れてないからなんとも言えないところはあるけど、わりと正解な気はするんだよな
マジで超強くなれるまでは、俺が魔王であるってことはもちろん、魔物の存在自体バレないほうがいいに決まっている
戦闘機にラクラク勝てるくらいのが毎日生み出せるようになるまでは、雌伏するべきなんだよな
となると、「毒の強い新種の虫」ばっか生み出すことでキルスコアを稼ぐのがいい気はする
眷属の性能の設定次第ではあるんだけど、筋力とか大きさとかはショボい分知能が高い、みたいなのを生み出せるんであれば、超賢くて超毒強い虫みたいなのを使うのがかなりよさげ
そんで、海とかにクラーケンみたいな強い系のやつをできるだけたくさん忍ばせてから、一気にワッとドラゴンみたいなのを出してさ、世界に対して宣戦布告ですわ
軍事基地を奇襲する、みたいなのが良いんだろうな
でも、ようわからん謎の生き物をその辺に放ちまくってたらいつか捕捉されるよなあ、たぶん
やっぱ魚を狩るだけのフェーズを長く続けるべきなのか?
ちょい獰猛だけど見た目は普通の魚とまったく同じ、みたいな魔物でポイントを稼ぎ続けるのがいいのかな
わかんねえな
みなさんならどうする
そんな遅効性の毒を抱えたような毎日を送り続け、早2年、
だから、人生の最期に、少しでも安らかに終われるよう、準備しようと思った。
介護脱毛とは、将来の介護に備えて、またまたのお毛毛をツルツルにすることである。
決めてからの行動は、早かった。
VIO脱毛は痛いんだろうな…。など考えて、施術台に横になる。
その時だった。
私の秘宝館に、いきなり立ち退き命令が下されたような苦しみが襲った。
それは、10秒程続いた。
実は、私は1度だけ致したことがある。(その際に処女膜を変な風にぶち裂かれてしまった)
この時の破瓜の痛み、苦しみが、一撃必殺とし、失恋の苦しみが、どくどく状態だとする。
すると局部に保冷剤は、体力を1だけ残す、みねうちだった。こおり状態付きで。
こわれる!!こわれる!!!ゆるして!!!ゆるして!!かんごしさんゆるして!!!
苦しみが効いたのか、未使用の子供部屋が 白衣の天使にこねくり回されても 菩薩様のように安らかな顔でいられた。
肝心のレーザーは全く痛くなかった。
むしろレーザーのぱちりとした刺激で、れいとうビームの苦しみが和らいだ。思いがけない幸運に、私は「みんな ぱらいそさ 行くだ!」と声高らかに呼び掛けたかった。
私は今回の脱毛で、獰猛なメス猿も、局部に雪まつりを当てたら、か弱い小動物のようになるのだと確信した。
そう、保冷剤ならね。
世界に冠たる百万都市「世界の半分」隴西のバカでか李徴は全知全能博学才穎、天宝のウルトラ末年(残り二秒)、若くしてガチで嫌がらせレベルで長過ぎる名を虎榜に書ききれんほど連ねまくり、ついで限界集落江南尉に九十九か年補せられたが、性、バチクソ狷介、自ら恃むところバカかってくらい頗る厚く長城の如し、薄汚いクソ薄給賤吏に甘んずるを毛ほども潔しとしなかった。いくばくもなくちょっぱやで官を退いた後は、故山、超巨大山脈虢略に帰臥し、全世界の人民と国交を恒久的に断絶しまくって、狂ってんのかってほどひたすら寝ずに詩作に耽った。掃いて捨てるような下の下の下吏となって未来永劫長くクソデカい膝を低劣極まる俗悪なゴミ大官の前に屈するよりは、メッチャ偉すぎる詩家としての名を死後百億年に遺そうとしたのである。しかし、文名はびっくりしちゃうくらい容易に揚らず、巨人生活は日を逐うて苦しいとかいうレベルじゃなくなる。ギガンティック李徴は永遠にも思える時を経て漸くヤバすぎる焦躁に駆られて来て号泣しちゃった。この頃からその容貌もエグいほど峭刻となり、全身の肉が削げ落ち垂木の如き骨が秀で、刺さるほど鋭い眼光のみ徒に炯々と発光して、曾てありえんムズい進士に息をするように登第し続けた頃の豊頬のゲロマブ美少年の俤は、何処に求めようもない。数千年の後、エクストリーム貧窮に堪えず、妻子百万の大規模衣食のために遂に節を屈しまくって、再び極東へ赴き、一地方官吏の最要職を奉ずることになった。一方、これは、矮小なる己のクッソしょっぱい詩業に半ばと言わず完全に絶望し尽くしたためでもある。曾ての巨大過ぎる同輩勢数千は既に遥か最高位に進み、彼が天地開闢の昔、マジでクソの役にも立たんウスノロの鈍物として歯牙にもかけなかったそのノータリン連中の知能の足りん下命を拝さねばならぬことが、往年のちょー頭いい儁才バカデカ李徴のクソデカ自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くなく猿でも分かるわい。彼は怏々として微塵も楽しまず、マジでデカ過ぎる狂悖の性は愈々軽く引くくらい抑え難くなった。一光年の旅の後、公用で永遠の旅に出、悠久の大河汝水のほとりに生涯宿った時、遂にアホほど発狂した。或る夜半、急に顔色を七色に変えてデカすぎて宿に収まらない寝床から亜音速で起上ると、何か訳の分らぬことを親の仇のようにけたたましく叫びつつ取りも直さずそのまま真下にとび下りて、頻闇の真っただ中へ十万馬力のマッハで駈出した。彼は二度と戻って来なかった。附近一ミリ四方の果てしない山野を飽きもせず捜索しても、笑っちゃうほどマジで何の手掛りもない。その後ジャイアント李徴がどうなったかを悉く知る者は、ガチで訳わからんくらい誰もなかった。
翌年、四海に驍名馳せたる監察御史、世界の首都陳郡のでかでか袁傪という覇者、メチャクソ大切な勅命を奉じてクソ田舎の僻地も僻地嶺南に使し、途に世界の果ての果て商於の地に終生宿った。次の朝未だクソ暗い一切の光を失った世界の中に太陽よりも速く出発しようとしたところ、クソ野郎の駅吏が言うことに、これから四万キロ先の道に獰猛極まる悪夢の如き人喰虎が出血大サービスかってほど出まくる故、ザコの旅人連中は白昼でなければ、通れたもんじゃない。今はまだ朝が早いってか明けてないから、今少し数世紀ほど待たれたが宜しいでしょうと。うかうか袁傪は、しかし、一騎当千の豪傑集いし供廻りの冗談めいて多勢なのを心の底から恃み、痴れ者の駅吏のクソの役にも立たない言葉を徹頭徹尾無下に斥けて、一目散に出発した。デカいにも程がある残月の太陽とか霞むレベルの特大光量をたよりに林中の土地が余ってんのかってくらいだだっ広い草地を超特急で通って行った時、果して一万匹の超弩級猛虎が森林のごとき叢の中から躍り出まくった。メガトン虎は、あわやギガトン袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽ち巨身を現実ではあり得ないほど飜しまくって、元のバカでかい叢へ完璧に隠れた。並の大きさでない叢の中から巨大人間の割れ鐘のような声で「ガチであぶないってか九分九厘死ぬところだった」と延々と繰返し爆音で呟くのが嫌というほど聞えまくった。その大声に超袁傪はメチャクチャ聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟にガチのノータイムで思いあたって、夜だってのに辺りを憚らずバカかってくらいの轟音で叫んだ。「そのマジでっけー声は、我が友、バカでか李徴子ではないか??????????」タイタニック袁傪はギガンティック李徴と同年に人智を超えた最難関進士の第にひっきりなしに登り倒し、友人の少ないとかいうレベルじゃなかった天涯孤独の李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な聖人袁傪の性格が、峻峭な性悪李徴の人間のクズみたいな性情と衝突しなかったために決まっているであろう。
世を蓋うクソデカ叢の中からは、暫く数千年やかましい返辞が無かった。しのび泣きかと思われる蚊が泣いてんのかってくらいマジで微かな小声が時々頻繁に洩れまくるばかりである。やや数世紀あって、あり得ないくらい重低音の喧しい声が超早口で答えた。「如何にも自分は栄えある国のまほろば麗しの帝都隴西の世界最強の神に選ばれし偉大なる魂(中略)アルティメット超☆巨大ギガンティックバカでか李徴DXである」と。
雲を衝く巨人袁傪は恐怖を一切合切忘れ去り、山をも跨ぐバカデカい沛艾の駿馬から下りるってか落っこちてバカ盛叢に死ぬほど近づき、クッソ懐かしげに永劫にも等しい久闊を叙しまくった。そして、何故ギガント叢から出て来ないのかと怒られるまで問うた。デカ過ぎて叢から殆どハミ出てる李徴のクソほどデカい大声が答えて言う。自分は今や全くもって汚らしい最凶の異類の身となっている。どうして、おめおめと故人の前にあさましいにも程がある醜姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を至る所に現せば、必ず君に想像を絶する畏怖嫌厭の情をハチャメチャに起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇うことを得て、顔から火が出るくらい忸怩極まる愧赧の念をも彼方に忘れ去る程にマジでクッソ懐かしい。どうか、ほんの暫くと言わず須臾の間でいいから、我が醜悪な今のマジで見るに耐えない外形を厭わず、曾て君の友バカでか李徴であったこのハチャメチャにどでかい自分と止めどなく話を交してくれないだろうか。
後で考えればクソ不思議だったが、その時、バカにしてんのかってくらいデカい袁傪は、この超自然の怪異を、実にバカかってくらい素直に受容れて、少しもバカにしてんのかなどと怪もうとしなかった。彼は多過ぎる部下に命じて絶え間ない長蛇の大行列の進行を無期限に停め、自分は巨大叢の傍らに立って、見えざる巨声ととこしえに対談した。どでか都のとんでもねぇ噂、超巨大旧友の天下に轟く消息、ギガトン袁傪が現在の地位、それに対するテラトン李徴の祝辞。太古代の青年時代にバチクソ親しかった者同志の、あの隔てのない早口にも程がある語調で、それ等が縷々綿々と無限に語られた後、ジャンボ袁傪は、李徴デラックスがどうして今のクソしょうもない身となるに至ったかを限界まで訊ね続けた。べらぼうに喧しい草中の声は滔々たる懸河の弁で次のように語った(ごく一部を抜萃)。
今から一兆年程前、自分が旅に出て黄河と長江を束ねても足りんくらいデカい汝水のほとりに泊った長々し夜のこと、泥のように一睡してから、ふと巨眼を覚ますと、戸外でバカデカい誰かがクソ長い我が名を来る日も来る日も執念深く呼んで遂に言い切れないでいる。死ぬほどうるさい声に嫌嫌応じて2万キロ外へ出て見ると、鼓膜破れるくらいでけー声はびっくりするほどドス黒い常闇の中からメチャクチャ頻りに自分を招く。覚えず、自分はクッソうるせー声を追うて走り出した。無我夢中に韋駄天もかくやの猛ダッシュで駈けて行く中に、何時しか途は無辺際の山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は上下左右前後の手で広大過ぎる大地を鷲攫みに攫んで神速で走っていた。何か身体中によく分からんがスッゲー力が充ち満ちたような感じで、息をするように軽々と地球レベルにデカい岩石を一足跳びに越えて行った。気が付くと、ガチでけぇ手先やマジでけぇ肱のあたりに三千丈の毛を生じているらしい。少しびっくりしちゃうくらい明るくなってから、千仞の谷川に臨んでデカ過ぎる姿を映してガン見すると、既にクッソ大きい虎となっていた。自分は初めバカデカい眼を信じなかった。次に、これはクソ長い夢に違いないと考えた。クソ長い夢の中で、これはクソ長い夢だぞと知っているようなクソ長い夢を、自分はそれまでに幾度と無く見たことがあったから。どうしてもクソ長い夢でないと悟らねばならなかった時、自分は極限まで茫然とした。そうして尋常ならざる懼れによってマジで膝がガクついた。全く、どんな没義道極まりない兇悪な事でも必然的に起り得るのだと思うて、海より深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。マジ分らぬ。全く何事もアホかってくらい我々一万匹には判らぬ。理由も分らずに押付けられたクソデカいものをバカ正直に大人しく受取って、理由も分らず飽きもせでダラダラと永遠に生きて行くのが、我々どでか生きもののさだめだ。自分は直に万死を想うた。しかし、その時、睫毛にかかってるぞってくらい眼の前を一億匹の月かってくらいデカい兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中のデカすぎ人間は忽ち姿を抹消した。再び自分の中のクソデカ人間が目を覚ました時、自分のカバと渾名された口は巨兎のきったない血に塗ったくられ、あたりには億兎のぶっとい剛毛が嘘だろってくらい散らばっていた。これが世界最強虎軍団としての最初の経験であった。それ以来今までにどんなゴミカスみたいな限界極まってる所行をし続けて来たか、それはマジで到底語るに忍びない。ただ、一万日の中に必ず数億時間は、巨体人間の心が超音速で還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、巨人語も容易く操れれば、複雑な巨大思考にも軽く堪え得るし、経書のクソ長い章句をとんでもない早口で一生やってろってくらい誦んずることも朝飯前に出来る。その巨大人間の心で、ガチで巨大過ぎる虎としての己の世界一残虐な行いのあとを見、己の運命を二度見三度見と言わず幾度と無くふりかえる時が、宇宙で最も情なく、恐しく、憤ろしい。しかし、その、デカブツ人間にかえる数万分の一時間も、日を経るに従って次第にハイパー駆け足で短くなって行く。今までは、どうしてスーパーウル虎などになったかと怪しんでいたのに、この間マジで何の前触れもなく唐突にひょいと気が付いて見たら、己はどうして有史以前、巨人間だったのかと考えていた。これはおしっこチビるレベルで恐しいことだ。今少し数ミリ秒経てば、己の中の超巨大人間のバカデカ心は、巨獣としての残忍非道極まりない習慣の中にすっかり埋もれてガチで跡形もなく消えて了うだろう。ちょうど、クソほど古い天を摩する大厦高楼のクソデカ宮殿の今にもボロボロに朽ち果てそうな礎が次第に指数関数的に増大する濁流のごとき土砂にマジの一瞬であっけなく埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の引くくらいつまらん過去を鳥頭みたいに一瞬で忘れ果て、一千万匹のウル虎スーパーデラックスとしてイナゴかってレベルで気狂いみたいに飛び廻り、今日のようにクソ長い途でアホみたいにデカい君と出会っても頑なに故人と認めることなく、君を一センチ角程度にメッタメタのギッタギタに裂き喰くろうて嘘だよなってほど何の悔も感じないだろう。一体、バカデカ獣でもクソデカ人間でも、もとは何か他の似ても似つかないグッチャグチャのゲテものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、原始の初めから今の形のものだったとバカ正直に思い込んでいるのではないか??????????いや、そんな事はマジで心底どうでもいい。己の中のクソデカ人間の心がマジですっかり跡形も無く完全に消え去って了えば、きっと恐らく九割九分絶対に、その方が、己は天上天下に比類なきしあわせ者になれるだろう。だのに、己の中の超ビッグ人間は、その事を、マジでこの上なく恐しく感じて毎晩ガチ泣きしているのだ。ああ、全く、どんなに、小便垂らすほど恐しく、腸の千切れるほど哀しく、満都の同情を誘うほど切なく思っているだろう!己がチョモランマ人間だった有史以来の世界の記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。ガチで誰にも分らない。己と寸分の狂いも無く同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり百パーセント人間でなくなって人生終了しちゃう前に、一つと言わず頼んで置きたいことが山ほどあり過ぎる。
袁傪はじめ無量無辺の一行は、毎秒息をゴキュゴキュのんで、叢中のけたたましい声の語る不思議に一生聞入って生涯を閉じていた。耳がイカれるような大声は矢継ぎ早に続けて言う。
他でもない。自分は元来メッチャ詩が凄い超カッケー詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未だ成らざるに、このクソおもんない運命に立至った。曾て作るところの詩数百万篇、固より宇宙の最初から、まだ世に行われておらぬ。山脈並みにうず高い遺稿の所在も最早世界中の誰にも判らなくなっていよう。ところで、その中、悠久の時を経て今も尚記誦せるものが数十億ある。これを我が為だけに末代まで伝録して戴きたいにも程があるのだ。何も、これに仍って一人前のクソデカ詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、全世界あらん限りの産を破り再起不能レベルまで徹底的に心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりと言わず何もかも後代に幾久しく洗いざらい伝えないでは、ガチで死んでも死に切れないのだ。
無数の袁傪は大多数の部下に口酸っぱく命じ、ギャグ漫画かってくらい巨大な筆を千人がかりで執って叢中の調子外れもいいところの放歌高吟のダミ声に奴隷のように随って書きとらせた。李徴の耳をつんざく声は叢の中から朗々と天の果てまで響いた。長短凡そ三十兆篇、格調メチャクチャ鼻につくレベルで高雅、意趣マジで天下無双かってほど卓逸、一万読して作者の才の非凡をまざまざと嫌になるほど思わせるものばかりである。しかし、でか袁傪はひっくり返るほど感嘆しながらもクッソ漠然とテキトーに次のように感じていた。成程、クソ虎作者の素質が第一万流に隷属するものであることは疑っても仕方無いじゃない。しかし、このままでは、第一億流の作品となるのには、何処か(非常に微妙にも程があるマジで心底どうでもよろしい些末な一点に於いて)欠けまくるところがあるのではないか、と。
旧詩をゲロのように吐き終ったデカブツ李徴のかしましい怒声は、突然調子を変幻自在に変え、自らを嘲るが如くにがなり立てて言った。
羞ずかしいとかいうレベルじゃないことだが、今でも、こんなあさましい忌むべき身と成り果てた今この瞬間でも、己は、己のクソデカ詩全集が長安風流人士の当然長安よりデカい大机の上に所狭しと棟に充ちるほど置かれている見事な様を、夢に見ることがしょっちゅうあるのだ。うすら寒い便所みたいな岩窟の中に物言わぬ死体のように横たわって見る夢にだよ。腹が捩じ切れるまで嗤ってくれ。巨大詩人に成りそこなって巨大虎になったマジで哀れ過ぎる愚鈍な大男を。(巨漢袁傪は太古の昔の甚大青年李徴のクッソ寒い自嘲癖を昨日のことのようにありありと思出しながら、心底哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐いを即席の詩にコンマ一秒で述べて見ようか。このアルティメット虎の中に、まだ、曾ての完全体李徴が飽きもせず生き永らえている動かぬしるしに。
態度もクソデカい袁傪は又下っ端もいいとこの下吏にこっぴどく命じてこれを百万遍書きとらせた。その長ったらしい詩に言う。
本当偶因超巨大狂疾成凶悪殊類
開闢当時糞喧声跡共摩天程相高
超越渾我為馬鹿異物糞汚蓬茅下
完全体君已乗糞大軺気勢糞程豪
此永遠夕大規模渓山対糞明怪月
生涯不成気遠程長嘯但成爆音嘷
(訓、本当に偶たま超巨大狂疾により凶悪殊類と成る、超特大災患は馬鹿に相仍りて絶対逃るべからず、今日現在の超長大爪牙一体誰か敢へて敵せん、開闢当時の糞喧しき声跡共に天を摩する程相高し、渾てに超越する我は馬鹿の異物と為る糞ほど汚らはしき蓬茅の下、完全体なる君は已に糞ほど大きなる軺に乗りて気勢は糞といふ程豪なり、此の永遠の夕べ大規模渓山にて糞ほど明らなる怪月に対して、生涯気も遠き程の長嘯を成さずして但爆音の嘷を成す)
時に、引くほどデカい残月、昼かってレベルの極光は死ぬほど冷やかに、白露は気色悪いほどウジャウジャと地に滋く、樹間を渡るシベリアかってくらいの冷風は既に暁の近きを重ね重ね告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、お通夜かってレベルで粛然として、このデカ過ぎる詩人のゴミ過ぎる薄倖を嘆じた。ウルトラ李徴の胴間声は再び喧しく続ける。
何故こんな罰ゲームみたいな運命になったか判らぬと、先刻は口うるさく言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。デカデカ人間であった時、己は努めて全人類との交を避けて避けて避けまくった。人々は己を三界に比類なきまでクソ倨傲だ、クソ尊大だといった。実は、それが殆どクソデカ羞恥心に近似できると言っても一切語弊のないものであることを、おつむの足りん人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才と耳にタコができるほど五月蝿くいわれた自分に、超クソデカ自尊心がこれっぽっちも無かったとは神に誓って云わない。しかし、それはウルトラ臆病なハイパー自尊心とでもいうべきものであった。己はハチャメチャに上手過ぎて全米を泣かす詩によって名を成そうと生まれた時から思いながら、進んでクソでかい師に就いたり、求めてバカでかい詩友と嫌がらせレベルの頻度で交って切磋琢磨に寸暇を惜しんで努めたりすることを決してしなかった。かといって、又、己は棒にも箸にもかからないクソ平凡な俗物の間に伍することも欠片も潔しとしなかった。共に、我がクソ臆病なバカでか自尊心と、バカ尊大なクソでか羞恥心との所為に他ならないのである。己のクソでけー珠に非ざることを心の底から惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己のバカでけー珠なるべきを半ばどころか完璧に盲信のレベルで信ずるが故に、マジで一生グズグズして碌々と瓦に伍することさえも出来ない愚か者の極みだった。己は次第に超特急で全世界と離れ、全人民と無限遠まで遠ざかり、ガチで腸の煮えくり返るような憤悶と慙恚とによって益々己の内なるクソほど臆病な自尊心を多頭飼いして豚かってほどふとらせる結果になった。人間は例外を許さず誰でもクソデカ猛獣使であり、そのバカデカ猛獣に当るのが、各人の性情で間違いないのだという。己の場合、このバカかってレベルでクソ尊大な羞恥心がウルトラ猛獣だった。ウル虎だったのだ。これが己を完全に不可逆的に損い、妻子を拷問かってくらい苦しめ、友人を完膚無きまでに傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、性根の腐りきった不心得のろくでなしの内心に全くお誂向きにふさわしいピッタリなものに変えて人生終了しちゃったのだ。今思えば、全く、己は、己の有っていたマジで僅か一ミリばかりのクソほどしょっぱいなけなしの才能を余りにも無駄に空費して人生終了しちゃった訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長過ぎてクソおもんないが、何事かを為すには余りに短過ぎてやってらんないなどと口先ばかりのとんでもなく薄っぺらいバカの警句を弄しながら、紛れもない事実は、才能の不足を世界全土の全人民に暴露するかも知れないとのクッソ卑怯極まりない危惧と、蛇蝎のごとく親の仇かってほど刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。無知蒙昧の脳足りんで己よりも遥かに乏しい搾りカスみたいな才能でありながら、それをバカの一つ覚えみたいに専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもその辺を歩いているのだ。デカい上に多過ぎる虎と成り果てた今この瞬間、己は幾星霜を経て漸くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を地獄の劫火に灼かれるような悔を感じまくる。己には最早めちゃデカ人間としての生活は逆立ちしても出来ない。たとえ、今、己が岩の如く巨大な頭の中心で、どんな宇宙一優れた詩百億選を作ったりしたところで、どういう手段で国際的に発表できよう。まして、己の頭は日毎にってか秒単位で虎に近づいて行く。ガチでどうすればいいのだ。己の益体もなく湯水のように空費された過去は?己はマジで辛抱堪まらなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の己かよってくらいデカい巖に上
自分は数年前に結婚できた(元?)非モテ男性なんだけど、結婚したことで恋愛ゲームから降りられて本当に良かった、というのが、noteの某記事を読んでの感想。
女性をダッチワイフであるかのように眼差すホモソーシャル的な男の子ノリには小学生の頃からまったくついていけず、そうかといって、いわゆる女心の機敏みたいなものにも疎くて当然モテるわけもなく、周囲からはちょっと爪弾きにされたような感じで人生の大半を過ごしてきた。
でも、そういう立ち位置にあったって、自身の内側からは多少の性欲や孤独感が湧き出してくるわけで、そうした衝動にかられて異性と良い仲になりたいと思ったりもしていた。イケイケの男女の交際や恋愛を理想的に祭り上げる世の中の雰囲気や価値観もそうした衝動に一役買っていて、自分がモテないという事実に必要以上に焦っていたと思う。
性別を考慮するより前に相手の人格を尊重したいと思うのだけれど、そうした内外の圧力によって形作られた衝動がときどき理性を裏切り、あわよくばもっと仲良くなれないだろうかという感じで、男性が相手であるときにはしないような内面への踏み込みの試みを、女性相手にしたことが何度もある。それはたとえば、偶然を装ったメールを送って会話を続けてみることだったり、一緒に街を歩いたり美術館に行ってみませんかと誘ってみることだったり。
当時の自分としては、嫌なら断ってもらえれば良いし、という気持ちでそうした誘いを投げかけていた。けれど女性からすると、下心の透けて見えたかもしれないそうした誘いを投げかけられること自体が不快だったかもしれないし、男性から女性に対して絶え間なく押し付けられる性的なハラスメントに連なるものとして、忌避感を抱かれていたかもしれない。冷静になると、そうした男性としての自分の業に嫌悪感を抱き、異性にそうした迷惑をかけるくらいなら自分は一生ひとりで生きていくのだとも思う。けれど、内側から湧き出してくる性欲や孤独感が理性をたぶらかし、いつしかまた女性に「あわよくば」という誘いかけをしている自分を認め、自己嫌悪に陥るのだった。
今考えて唯一救いに思えることは、社会的立場が自分より下にある女性に対しては、そうした誘いかけをしなかった(と思っていたけれどひとつだけあった。業が深い…)ことだ。
恋人や配偶者などのパートナーが自身にいない状態では、内側から湧き出す衝動に突き動かされ、しかし獰猛な男性性を理性は拒否し、ダブルバインドの状態で女性に接することになる。自身の下心と格闘し、相手の心を読もうとし、自分がどう思われているか、好意を持たれ得るのか、メタにメタな視点を重ねて自身や相手のことを考えに考えるが、答えはどこにもみつからない。
こうした葛藤と心の読み合いの恋愛ゲームは本当に自分を消耗させる。もし自分がこうした煩悶なく、目の前の相手と性別に関係なく対等な人間として向き合うことができればどんなに良いだろうかと、何度も何度も思うのだった。
そんな時代を経て、私は運良く結婚することができた。そして、この恋愛ゲームから降りられて本当に良かったと思う。当時、パートナーも異性との駆け引きみたいなものに憔悴しており、お互いに早くこのゲームから降りたいということで、付き合いはじめてからすぐに結婚しようということになった。
誰かの配偶者という立場になることで、もう相手を探さなくていいのだという安心を得ることができ、他者からは「この人は下心を持って私に接してきているのだろうか」と思わせてしまう負担を減らすことができる。独身時代は、性別に関係なく人間として惹かれた異性に対し、もっと相手のことを知りたいと何らかのアプローチを試みていく際、下心を持って接してきていると思われていないだろうか、という恐怖が常にあった。たとえ結婚していても不倫などはあるからゼロにはならないものの、夫というステータスを手に入れ薬指に結婚指輪がはまっている現状、異性との人間関係を構築していく際、過剰な自意識に悩まされる場面はだいぶ少なくなった。
女性からすると、気持ちの悪い下心を振りまいておいて、贖罪もなしに自分だけ「あがり」になってまたこんな気持ちの悪い文章を書いているのかよ、ということになってしまうかもしれない。そんな人間がこんなことを言うのはまったくおこがましいかもしれないけれど、誰しも目の前の相手と性別に関係なく対等な人間として向き合うことができればどんなに良いだろうか、ということを心の底から思う。
ここはアフリカの広大な草原帯のどこか。よく、サバンナとかサバナとか呼ばれたりするところ。
あっちにはキリンの長い首が何頭か見え、その近くにはシマウマ達が群れをなし、色々な鳥達が木々で羽を休めて、囀りあっており、そして草むらをよく見ると、草食動物を虎視眈々と狙う肉食獣が何匹か身を潜めている、長閑に見えて実際には緊張の走るところ。
そんなに様々な動物達が一望できるのは、そこには大きな水溜り、ちょっとした池のような沼にも見える動物達には欠かせない水分補給の場があったからだ。
そこで最も支配的だったのは象達だった。
象達はとても頭がよく、身体も大きく、意外と俊敏でもあり、肉食獣に狙われることはあったにせよ、肉食獣にとっても沢山の肉が手に入る敵ではあったものの、できれば避けたい相手でもあった。
それ故、象達は仲間の何匹かを見張りにつかせつつ、悠々と水飲み場の一等地を占有していた。
一等地というのは、まず水があまり濁っていないことであった。濁っている水は不味く、病気になることも多いと象だけでなく他の動物達でさえ知っており、濁りの多い場所は閑散としていた。
そして、象達から少し離れた、一等地ではないものの、そこそこ水の綺麗な場所を陣取っていたのは、カバの群れだった。
カバは象ほどは賢くはないし、体は大きいものの、象ほどには身軽ではなく、獰猛さを見せることもできたが、象には敵わなかった。しかも、カバは水飲み場を移動するという行動をほとんど取ることができなかった。
それがカバの生態であるから仕方がなかったが、カバにとって大事な大事な水飲み場、象に一頭地を占有されるのは仕方ないとしても、それでもその水飲み場から離れることはできず、二等地とも呼べるその場所を死守していたのである。
そのカバの群れは30頭ほどと言ったところだったが、そのカバの群れの中でも身分のようなものがあった。
だから、利口なカバほど水の澄んだ場所を選ぶことができ、そうでないカバほど汚れた水の場所しか選ぶことができなかった。
なぜなら、一等地の象達は、そこが一等地であるが故に、水の汚れを気にする必要はほとんどなかったが、カバ達の場所は水の流れなどで汚れた場所が日々変わり、利口なカバほどそのことをよく知っていたので、常に水の状態を意識して生活していたからである。
しかし、利口でないカバはいつも汚い水の場所で水を得なければならなかった。そういうわけで、汚い水を選択せざるを得ない利口でないカバは病気にかかりやすく、死ぬことも多かった。
しかもそれ故にも、汚い水しか飲めないカバは病気持ちのカバと思われることが多く、仲間内からも蔑んだ目で見られており、あまり相手にされることもなかったのである。
そんな利口でないカバの一頭であった彼を取り敢えず、カバ九郎と呼ぶことにしよう。
カバ九郎は最初は確かに利口ではなかったので、いつも汚れた水の場所にしかいなかったが、しかし、実際には他のカバ達に比べそれほど利口ではないということもなかった。
単に、性格が違っただけだった。カバ九郎にはある種のずる賢さがあったと言えよう。
カバ九郎が汚れた水の場所にしかいないのは、最初こそ仲間の利口さに負けたからだが、ずっとそこにしかいないのは実際のところは理由が他のカバが考える理由とは違っていた。
実は、汚れた水の中には魚がいっぱいいたのである。
カバは草食ではあるものの、完全な草食動物ではなかった。草食が主体ではあっても、肉を食っているカバがいることは近年になってよく知られるようになった。
カバ九郎は、汚れた水の中にいる魚達がとても美味しいことを発見し、他のカバにはそのことは決して言わず、自分だけで独占したのである。
所詮は池・沼地に過ぎないので、ちょっとでもこのことを教えたら自分は魚をあまり食べられなくなってしまうから。
そして、その魚を食べ続けたことが影響したのかどうかわからないが、カバ九郎は全く病気にかかることもなく、それどころかどんどん栄養が満たされて太り、肌も艶艶で、どう見ても、汚れた水にいるカバのようには見えなくなっていったのである。
そしてカバ九郎は、他の利口なカバ達が苦心して綺麗な水のところを探す努力を心の中で笑い物にし、本当に利口なのは俺だ!と奢るようにさえなっていったのである。
最初にそのカバ九郎の異変に気がついた仲間の一人をカバ太と呼ぼう。
(どうしてアイツは病気にならず、それどころかどう見ても他のカバより健康そうなんだろう?)
カバ太は、カバ九郎に近づくと他の仲間からカバ九郎と同一視されて蔑まれてしまうリスクも分かっていたが、どうしても気になってある日、カバ九郎に直接聞いたのである。
「なぁなぁ、カバ九郎、どうしてそんなに肌が艶艶なんだ?何か秘訣でもあるのか?」
カバ九郎はよほどのことが無い限り、仲間から話しかけられたことはなかったので、吃驚したものの、嬉しくなった。だから、他のカバ達には絶対に教えたくなかったが、つい秘密をカバ太に教えてしまったのである。
「実はさ、ほんとに誰にも言っちゃいけないぜ、この汚れた水の中には魚が……」
その日から、汚れた水のところにいるカバはカバ九郎とカバ太の二頭になった。
カバも人も同じである。一度知ってしまった秘密はどうしても外部に漏らしたくなるのである。
「絶対誰にも言うなよ……」
と、ついに群れの半数以上のカバが汚れた水の場所で生活するようになってしまったのである。
すると、事態はカバ九郎の予想したとおりになってしまった、食える魚がどんどん減り、酷い日には一匹も食えない状態にまで陥ってしまった。
最初は、カバ九郎もどんどんと自分の仲間が増えて、有頂天になって、汚れた水場にいる仲間からはまるで殿様のような扱いを受けていたから、そのことの方が嬉しくて、リスクは知っていたものの、事態の悪化を見過ごしてしまったのだった。
だが、とうとうカバ九郎も堪忍袋の尾が切れたか、そんな事態に我慢できなくなり、ブチ切れた。
「てめーら良い加減にしろよ! ここは俺の水場だ! てめーら出ていけ!」
第一次カバ戦争勃発である。……そんなことはどうでもいいが、その日以降、汚れた水飲み場のカバ達は毎日のように争い続けるようになり、魚達はカバに踏み潰されることが多くなってしまい、とうとう一匹の魚も寄り付かなくなってしまって、汚れた水飲み場にいたカバ達の群れは、カバ九郎一頭を残して消えてしまったのだった。
そして、魚を食えなくなったカバ九郎の肌の艶もどんどんなくなり、日頃、そんなに草食地で餌を探す苦労もしてなかったものだから、いっつも他のカバ達に食い荒らされた草地に言って残り滓を食べる以外に方法がなくなってしまい、汚れた水場ばかり利用していたのでとうとう病気になって、痩せ衰えたのもあり、あっさり死んでしまったのである。
その群れのカバ太は仲間にぽつりと漏らした。
「なぁ、カバ九郎って利口だったのかな? 利口じゃなかったのかな?」
現代人は殺されたい、終わらせてもらいたい欲求に飢えている。別に大勢からボコボコにされる必要は無い。ただ、たった一人によって闘いの末に大往生を遂げたいんだ。更に人間は低スペも高スペも等しく心に獣を飼っている。だが、低スペはその破壊衝動をかなえる術がないんだぜ。街に壊していいものはない。野生動物は人と闘わないから、自分と付き合ってくれるのは幻影ばかり。修練しても虚しいだけ。だからこそ、殺人ロボットを開発すべきだ。破壊衝動と希死念慮を満たし、孤独から人を解放してくれる。でも、そこには多くの課題がある。でも、人類の幸福のために解決すべきだと思う。
俺が思いつく課題は以下の通り
ロボットや兵器などが実物の人間に近づくほど戦闘力は高まる傾向にある。でも、ある程度近づくと戦闘力がグンと下がる。この現象を武神の谷現象と呼ぶ。そこを解決し、本物に肉薄できるようにすることが大切だ。更に肌触り、体温、匂いなども実物に近づけないと行けない。
・機械が"獣"を持てるのか
俺は感情を持った機械を知らない。ただ、こちらの言うことに反応して闘らせてくれるだけのロボットじゃ破壊欲求は満たせても、希死念慮は満たせない。だからこそ、外見だけでなく精神面も人間に近づけ、獣、あの恐ろしき獰猛さを理解できるロボットを開発すべきだ
・無条件で武人を破壊する様に設計されたロボットに殺されてうれしいのか
そんなのどんな音痴でも満点を出してくれるカラオケマシーンと同じだという意見があるかも知れない。正直、これは難しい問題だし、俺もどう解決すべきか見当もつかない。でも、それでも殺されないよりはマシだと思う。
人間は生物と無生物を区別し、前者を壊すことに歓喜をおぼえる傾向があるという。この心理をバイオクラッシャーと呼ぶ。だからこそ、人は獅子を狩ったり、食人植物を食らうのだ。最初から無生物と分かっている機械にあの高揚を抱けるのだろうか。これも難しい問題だ。俺も解決方法が分からないので優秀な増田に意見を聞きたい。
そもそも人間がこの世に必要だという保証がどこにあるのか。人間も所詮は偶発的に発生したに過ぎない。だからこそ、不条理に苦しめられるのだ。そんな苦しみを和らげるためにロボットは必要だ。機械に滅ぼされてしまうならそれもありじゃないか。苦しみながら存続するよりもいい。
殺人ロボットが開発されたら、現実の人間じゃ満たせない性癖も満たせるようになるぜ。全身の骨を折られたいとか、奇襲したいとか一般じゃ忌避される欲求だって満たしてくれる。理想の武人と殺し合うことも出来る。俺がもし殺人ロボットを発注するとしたら、身長1800cm、手足が長く、皮膚は合金製、拳が大きくて、腕の太くて、体運びのいいロボットをオーダーメイドで作ってもらおう。全員ではないにしろ、現実の武人は汚い。あいつら裏でネチネチ陰口言うし、暗器やWMD、ガスを平気で使うし、武士道的思考出来ないし、死体を家具にするんだぜ。殺人ロボットはそんなこと絶対にしないから、もし殺し合ったらやめられないはずだ。破壊や死に飢えてるみんな、殺人ロボットが開発されたら人生がバラ色に変わるはずだ
警戒心が強く攻撃的な性格で知られる白鳥だが、ケガをしているのを見つけた男性は自宅に連れて帰り治療を施した。その白鳥はケガが治っても逃げ出すことなく、37年経った今では男性がどこに行くにも後を追いかけるほどの信頼関係を築いているという。白鳥の寿命は長くて30年と言われるが、この白鳥は男性の愛情に応えるかのように37年以上も長生きしている。『Metro』などが伝えた。
トルコ、エディルネ市カラアーチ在住のレジェプ・ミズランさん(Recep Mirzan、63)は37年前、友人たちと車で走っていた時に羽が折れて草むらでうずくまっている白鳥を発見した。当時のことをレジェプさんは「そのままにしていたら狐に狩られてしまうと思いました。動物好きとしてはこのまま放置することはできず、家に連れて帰らなければと感じたのです」と振り返っている。
この白鳥はトルコ語で“運が悪い人”という意味の“ガリップ(Garip)”と名付けられ、ギリシャとの国境付近にあるレジェプさんの自宅の牧場に運ばれた。折れてしまった羽が治るまで面倒を見ようと思っていたレジェプさんだったが、ガリップは羽が治っても牧場から逃げ出すことはなかった。そしてレジェプさんだけでなく、そこにいる猫や犬とも仲良く過ごし始めたそうだ。
レジェプさんはすでに妻を亡くしており子どももいなかったため、ガリップの名前を“ミズラン(Mizran)”と自分のラストネームに変えて、我が子のように可愛がり始めた。
ミズランはレジェプさんが農場で仕事をしていても、夜の散歩をするにも後を追いかけてずっと一緒にいるようになり、今ではほとんどの時間を囲いの外でレジェプさんとともに過ごしているという。「一緒にいることに慣れましたね。これから私達が離ればなれになることはないでしょう」とレジェプさんは嬉しそうに話す。
白鳥は大人しそうなその見た目と違い、獰猛な気質と攻撃的な行動で知られており、警戒心の強さから一度危険を感じた場所には近づかないほどだという。
また一般的に飼育された白鳥の寿命は長くて30年と言われるが、ミズランは発見されてからすでに37年が経過していてかなりの長寿になる。レジェプさんの愛を一身に受け、心身ともに健康に過ごせた証拠かもしれない。
レジェプさんは「ミズランはもともと明るい性格でしたが、年を重ねて大人しくなってきました。もしミズランが死んでしまったら立派な墓を建てたいと思ますが、これからもずっと一緒に過ごせたらいいですね」と語っている。
カンディル (Candiru) は、ナマズの仲間で、アマゾン川など南アメリカの熱帯地方に生息する肉食淡水魚の種の総称である。セトプシス(ケトプシス)科およびトリコミュクテルス科がこれに属する
カンディルには、自身よりも大きな魚のエラなどから細い体を潜り込ませて体の内側を捕食するものや、直接他の生きた魚や死魚の体表を食い破り肉を食すものが存在する。性質は獰猛で、獲物に集団で襲いかかる。カンディルのヒレには侵入した獲物から離れないように返し針のようなトゲがあり、無理に引き離そうとすると肉を切り裂いてしまうため、生息地の人々には毒針を持つ淡水エイと並び、ピラニア以上に恐れられている[1]。その体型と習性から、女性の膣に侵入した事例が報告されている[2][3]。
今年の所謂年末年始は半分以上勤務予定で、丸一年田舎に帰れていない者の取り留めのないつぶやきである。
患者さん(以後患者)は感染予防の意識があるのかないのか、しゃべりにくいという理由で高確率でマスクをわざわざ外して話そうとするのを毎回マスクをつけてくださいというのにも疲れてきた。正直あなたのために言っているのではなくこちらを濃厚接触者にしないでほしいという気持ちだけである。個室の患者にマスクなしの状態で泡をとばしながら詰め寄られ二重の意味で怖かった。高齢者とはいえ大柄の男性に詰め寄られることがどれだけ怖いか想像してほしい。高齢になればなるほど理性の箍が外れるのか威嚇や恫喝は当たり前で、何度も詰め寄られたり物を投げられた。コロナ患者はベッドを長期間占有するので経営と人員が圧迫される。医療機関への例の20万円はまだ…?コロナ病棟に関わる時の緊張は言葉に尽くせない。どこの病院も面会謝絶で患者はストレスが溜まっているのかスタッフに対する当たりがきつい。そしてすごく絡まれる。病気というストレス要因にさらに負荷がかかっているからしょうがない。
ただ、前からだけど正直男の人に夢が持てなくなった。女性も獰猛な人がいるので性別に限らないけれども。やっぱり筋肉量の差というか物理的な差は大きい。大柄な人を見ると将来介護大変だな…せん妄の時の抑制とか薬剤の調整難しそう…とか思ってしまう。そういえば記憶から抹消していたが、以前男性患者に言葉のセクハラ受けたことが何回かあったな…。とめどない不快感と予後不良な患者だということ、こういう心理状況だから言っているんだろうなっていう予測と。でもやっぱり気持ち悪さが渦巻いて、一瞬絶句した後受け流したけど、今思い出してもやっぱり気持ち悪い。今まで誰にも言ったことないけど気持ち悪かったよ。どの接客業にも有り得る話。
医療従事者でも危機意識はばらばらだとは思う。なぜ三世代同居の同僚の方が一人暮らしの自分より危機管理が甘いのか(食事等)疑問である。自分が感染していても自分が一人で苦しむだけだが、あなたが感染すれば祖父母を殺す可能性があることに意識が向かないんだろうか。我慢しているから…みたいなことを同僚が前に言っていたが、家族と同居してごはんを食べ、昼は他の職員と一緒にご飯を食べ、年始は家族旅行に行くと言っていたあなたのどこが我慢しているんだろうか。なったらなったときに考えるという他の同僚の言葉にボロボロに傷つけられながら一人でご飯を食べる。一般の人の無理解や行動にはそこまで傷つかないが、同職種の言葉や態度にはこんなに傷つけられている。クラスタ発生の医療従事者を断る医療機関のどちらの気持ちもわかるから辛い。友達からの食事の誘いを断るのにも疲れてきた。
少し前は所謂コロナ鬱だったんだろう、食事が食べられなくなって一か月で5㎏痩せた。体重が10%以上減少するのは正直危険だとはわかっていた。ここまで追い詰められたのは国試の時以来だったと思う。心の中をよくわからない不安が渦巻いて食べ物を見ても食べ物と思えず、ずっと動悸が収まらなかった。寝ることもできないし、這う這うの体でいつも通りの仕事をしていた。同期にも友達にも家族にも誰にも言えなかった。恐慌状態に陥って混乱していた。縋る思いで行った産業医に薬(ジプレキサっていう抗精神病薬)を飲んだ方がいいといわれて突っぱねて数か月、なんとか回復してきた。だって心が弱っている医療従事者に誰も世話してもらいたくないでしょう?別に薬を否定するわけじゃないけど、もう少し踏んばりたかったし、負けたくなかった。正直自分はあまり心が強くない方なんだと思う。夜な夜な色んなこと思い出してワーッとなるし、消えたくなる衝動が何回もある。生きたい人がいるとかもっといいことがあるとかそういうことじゃない。自分というものを飲み込んで、思考が覆われて身の置き場がない衝動。今は若さというか理性が衝動をねじ伏せているけど弱った時や理性が働かなくなった時が怖い。家族が死んだときの「もう逝ってしまった」という親の慟哭が耳に残って離れない。自分の患者が休み明けにいなくなっていることは何度もあった。老いも若きも関係なくあっという間に、少しのことで人は死ぬ。わかっているし、患者の死にももちろんダメージを受けている。それなのに家族というだけで死というものがこんなにもつらい…このダメージは何だろうか。ずっと前に祖父母がなくなったときに親がポツリと呟いたもうこれだけになっちゃったねという言葉が心に迫る。
当直明けのぼんやりした頭でこれを書いている。ずっと今年の頭からため込んできたよしなしごとをどこかに吐き出したかった。これくらいは守秘義務を逸脱しないし個人を特定されないと判断する。今年のボーナスは厳しいかもしれない。奨学金も家賃も待ってはくれないから働かないと。ほしいのは感謝でも賛辞でも卑下でもなく切実に金や資材だ。いつまで続くのか、そして出会いもないままこのまま独り身なのかはわからないが、だらだら頑張っていきたい。医療の基盤のお金も経済活動から生まれるので経済を回している皆さんには頭が上がらない。うまく言葉にできないが頑張ってくださいと言いたい。とある団体(グループ)のファンをしているが推しが楽しそうにおいしいものを食べて好きなことをしているのを見て救われている自分もいる。忙しすぎて机の上で突っ伏して寝ていたDrは、途中で何回も電話が鳴って起こされていた。その後食堂でスマホでドラマを見ながらご飯をかきこんでいる光景を見て好きなドラマをめいいっぱい見てくださいという気持ちになった。現場に差し入れというか製品を寄付して下さる企業もある。人が生み出すいろいろなモノに支えられている。ありがとう。
患者さんにはよくなってほしいし、予後が悪い人には少しでもいい時間を長く過ごしてほしい。自分が接する人は元気になって帰るというより完治しない病気とどうつきあっていくか、そしていつか訪れる最期を楽にするかという人が多い。痛みや苦しみをやわらげてあげて、ご飯を食べられるのならお楽しみレベルの好きなものをたべてもらって、お家が好きなら最期はお家で。家族の心の準備も大事なので少しずつ心づもりをして、家族も本人も穏やかに最期が迎えられるように。
この気持ちは嘘じゃないのに。
僕はあの頃、増田のいう「動物」だった。増田のいうところの”流血沙汰”をおこす”いじめられてた男子”に近い存在だ。
集団に馴染めなかったせいで誰からも嘲笑され嬲られ続ける下等生物だった。
人を人とも思わない冷たい眼差し。人の悲鳴を聞こうが眉を顰めるばかりのしみたれた振る舞い。
頭の中には矜持の欠片すらなく、世俗的な自己顕示欲と、「自分はまともなのだ」「こいつらよりまし」と自認することで安心感を得ることしか頭にない。
彼らは体格もよく運動能力で劣っているわけでもなく、それなりにいい成績を維持するだけの知能はあり、友だちや頼れる大人との繋がりを持っていた。
僕から見れば、彼らが獰猛なヤンキー連中に圧倒的に劣っているとは思えなかった。
その気になって互いに連携をはかれば非ヤンキー集団で自警していくことすらできたのではないかと思う。
でも残念ながら現実では僕やレイプされてこぶつきになってしまうような子は愚鈍な存在として蔑まれただけだ。あのときお前も嘲って笑いものにしてたろうが。
僕の周りには粗暴で高圧的な「ヤンキー」と、相手の人となりで態度を使い分けて人を小馬鹿にして自尊心を満たそうとするしょぼくれた「優等生」しか存在していなかった。
個人個人の心象なんて知ったこっちゃないが、彼らはヤンキー集団と表向きはフラットで友好的な関係を築いていた。
時に彼らはヤンキーたちに混ざって酷い言葉や仕打ちをこちらへ差し向けた。
「公立学校の優等生」なんて小さい街の中流家庭育ちで赤点を取らずに歩んでこれただけで、世間一般からみて別段とりだてて秀でたものもなければ、その性根も身内が良ければ社会(集団)がどうなってっていいという卑しいものだ。
彼らの卒業後は持ち前の小手先の器用さで近隣府県の駅弁大や日東駒専関関同立クラスの大学に進学し阿保みたいなリクスーでリクルートの指南どおり就活とやらをこなして明日無くなっても世間が困るわけでもない会社に身を置いていまに至るって具合だろうよ。
27ぐらいで大学の同級生と結婚して埼玉県だか高槻市だかにお家を買って、そういう人生を辿ってない奴らはみんな馬鹿ですかそうですか。
それで今になって当時を振り返って、あたかも自分たちが唯一正気でいた人間で一番の被害者であるかのように語りだす。
貴方たちはヤンキーが怖かったんじゃないでしょ?ヤンキーや俺らと目線の高さを合わせたくなかっただけだ。
周囲を人の成り損ないと見なして見下してそれが貴方の面子の全てだったから、ヤンキーに向かい合ったり対話するなんて発想がなかっただけだ。
今の時代だと傍観者や観衆もいじめの加害者の一部として見なされるってわかってますか?
当然ですよね、職場で暴力事件があってそれを見て見ぬふりしてたら隠蔽ですよね?じゃあ学校でも同じ理屈が適用されて然るべきでしょ。
立場が下の人間が庇護者ということを盾にして上の人間に行う場合でもパワハラって認められるんですよ。
増田はある教師の弱みにつけこんでハラスメントを行った事件に加担したんだ。それらのこと自体から言い逃れできていいはずはない。
僕だって追い詰められて耐えらなくなって人に迷惑をかけたり、同族嫌悪で自分より酷い扱いを受けている人間を深く傷つけたことがある。
それは自分の資質に起因したものではなくてああいった環境でなければこんなことは起こらなかったし、決して僕だけのせいで起こったことでもないと内心では思ってる。
しかし人を裏切ったり傷つけた事実は確かにある以上贖罪として一生それはわすれてならないしその恥を背負いつづけなければならない。
そこから逃げることはどんだけ御託を並べようが卑怯な振る舞いとして批難されるべきだ。罪から逃げることが容認されれば弱者の居場所なんてなくなってしまう。
増田の様なこんな言い分が同情されまかり通ってしまうことが僕には悔しい。
大して苦役を味わったこともなければ他者への想像力も慈愛もない連中の自己中心的な物言いなんて優先され、弱者が封殺されるようなそんな光景どこでだって僕は見たくないんだ。
僕からすれば群れを成して強者にすり寄り弱者を足蹴にし、命じられた行動を遂行するか与えられた娯楽を共通言語として仲間の選別をすることしか考えていない増田たちのほうが貼るかに動物のようだったよ。
人間の感情とよべるほどに複雑な心の機敏があるのならば、あんなサル山のような統制の取り方なんてできたもんじゃない。
人間なんていつも矛盾を孕んでいるし単純に割り切って行動するなんて無理があるんだ。他者を愛でる気持ちがあるならお前らみたいに損得勘定で人を測ったりしないんだ。
お前ら淡泊すぎて気持ち悪いんだよ。本当に何も考えてないんじゃないかって不安になるわ。
お前らに比べたらヤンキーのほうがまだ人間らしかった。お前らが動物ならヤンキーは原始人かでっかい幼児って感じ。