はてなキーワード: 傍証とは
「Ruby」開発者・まつもとゆきひろが語る、「Winny」事件の理不尽な逮捕劇「プログラミングを奪われることほど残酷なことはない」
ざっくり読んだ
このさ、なんていうかさ
ねぇよ
あの界隈を知ってる人間は、みんな「とうとう捕まったか」みたいなもんだったよ
明らかに著作権を侵害してる場で、それをやり易くするツールを提供して
嘘つけよ
WinMXでの侵害行為を知ってなお、改善版をWinnyとして作った
当時すでにさして特異でも高度でもない技術について
匿名性に特化してツールつくりゃ、そりゃそうなるって末路が当時の日本の状況
あれ、例えばだけどさ
とかなら、法律的なアレコレはともかく、民として擁護する方向もなくはなかったけど
実際には
IT研究者の高木浩光は、金子本人が、自らファイル送信を一切行わなかったことを「本人の内心、どういうつもりでやっていたかということの傍証として効いてくる」と批判した。
高木はWinnyについて合法目的では使用困難なツールであると主張しており、善用も悪用もできる価値中立な道具ではないとする。
また、最高裁で無罪判決が確定した後に金子が出演した生放送の番組の中で「Winnyを適法に使ってくださいと皆さんに訴えかけたけれども、ではどうやったら適法に使えるのですか」と質問したところ、金子からの答えはなかったというエピソードを話した。
みたいな感じだからな
これ、よく包丁に例えられるが
違うぞ?
放流したものを消すことはできないし、どこまで届くかも制御できない
放流したら最後万民にばら撒かれるが、それがばら撒かれている事をWinny使用者は知れない
「それを知れる」なら、そこで情報を告知すりゃいいだろ
放流したものは残り続け
世間が知らなければ秘匿と変わらず
落したい連中には「符丁」でやり取りできる
知らないマヌケにはファイル名をそれらしく作ったウイルスをばら撒ける
そういうツール
ブコメ見てもわかるように日本人ってのはちょっとの過ちも許さない細かい人間があまりにも多い。 木を見て森を見ずって感じで全体で判断しないから、才能ある人間が引きずり降ろされる。
無罪確定してんのにこんだけグチグチ言う奴らが、普段は日本はもうだめだとか言ってんだから笑わせる。お前等がだめにしてんだよ/新たな技術が旧来の法制度とぶつかるのは当たり前。変わるべきは上部構造である制度
プロダクトによって間接的に金銭的な被害が発生したとして、その制作者が逮捕される理由にはならないというのが主題なのでは…?
ライトノベルの作者が文学者として語られないのが腑に落ちない。
ライトノベル滅多斬りのようなそれに特化した書籍ならともかく、国語辞典や百科事典に載ってる人が全然いないわけだ。
特化した本では語られていてそうでない本では他のジャンルと同じ割合だけでもなく全然言及されないというこの状況は世間にとってラノベの価値は井の蛙的なものであるということを物語っているのではないだろうか。
後にも述べるがいまやラノベは純文学以上に熱烈な支持者は多いように思う。
が、そもそも本に対する愛着やこだわり自体あまりなく暇だったり必要に応じて読んでいるという人が、蝸牛の争いのような両者に比して圧倒的多数だと仮定するなら、権威ある事典などにラノベではなく純文学の作者について語られていれば浮動票のようにそちらの方が優れていると考えるだろう。あるいは世間一般の人がそれがなんとなくであるにすれラノベより純文学の方が優れているという考えを持っていることの現われなのかもしれない。
このような単にラノベが純文学より劣っているという考えは何の普遍性もない(無根拠な)価値判断が来ているのだろうか。
正直私にはたとえば恋愛を扱ったものに関してラノベと純文学で読後感という点で違いを見出せなかった。
ラノベ、魅力的な都合のいい異性を描いて娯楽に供させる。
一方で純文学、シェイクスピアのハムレットなんか見てみるわけだが、異性が魅力的でないこと以外読み物としては両者ともそれぞれ違った(優劣ではなく)面白さがあるだけで差を感じられなかった。
ブリタニカ百科事典先生によると、文学は芸術の一つで、芸術には美の要素があることが要件らしい。
逆に言えばより美しく、芸術性が高い作品が文学としてより優れたものなのだということになりそうだ。
でもそれじゃあ美ってなんだよって話になる。ラノベに書かれてることは美しくなくてシェイクスピアは美しいと頭ごなしに言われてにわかに納得できるか?ラノベ好きなら教条主義的な人以外そんなことを思考停止して受け入れるのは無理な話だろう。
文学といえばよくそのメッセージ性が問題にされているとは思う。
文学作品の物語、プロット、筋というのは何か崇高なことを訴えていることが期待されるものだ。
その点ラノベにとって物語というのは登場人物すなわち読者にとっての異性をより魅力的に見せるための小道具、オタク的に言えばシチュとしての役目しか持たされていないのかもしれない。
あるいは訴えることがあるにしても評価されている純文学のそれに比べれば余りにも素朴で浅はかなものなのかもしれない。
しかしそれがなんだと言うのだろう。
そのラノベを開くとマッチ売りの少女のように脳内に魅力的な異性が立ち現れてくる、そこに価値を見出している人が確かにいるのだからそれもまた確かに「価値」じゃないか。
むしろ紙の本が売れなくなっているこのご時世には電子出版と相性がいい漫画と同じくラノベのほうがそれ以外の小説よりよく読まれているのではなかろうか。
価値に対して人間が万物の尺度であってかつ尺度の多数決によってその度合いが最終的に定まるものなら純文学よりもラノベのほうが価値が高く優れているということになりそうなものである。
またどれだけ異性を魅力的に描けているかということならまだ美という観念にも通じるものがあるように思え、その作品の美しさを論じる余地があるように思える。
他方、ガリバー旅行記は人間社会の不条理さや醜悪さをこれでもかと抉り取った大人の読み物らしい。
そういうメッセージ、風刺、アンチテーゼの質が文学作品の重要な評価軸になっているようには思う。シェイクスピアも漏れなくその点で評価されているのだろう。
こうしたメッセージ等の価値というのはそれが真理を示しているか、生きる指針として役立つか、ということ等にあるのであって、これは美しさという尺度でどうこう論じれるものではないと思う。
たとえていうなら匂いについて判読性が高いかどうか論じようとするようなものだ。嗅覚上の情報に視覚に関係する尺度をあてがってもどうにもならない。
あるいは文学には描写そのものの美しさというものも見出すことが当然できよう。
その最たるものが詩だろう。
それは単純に視覚的に美的なものを描く、あるいはレトリックの巧みさという形で体現されるはずだ。
そういう詩的要素が散文においても存在するなら、その散文すなわち小説などは美しさを帯びていることになり文学の要件を満たしうるはずだ。
しかし文学からそういった詩的な要素に対してメッセージ性というものは論理の次元にあるものなのだから、そういう詩的フリンジを取り去ってもメッセージ性は保存されるはずである。
その文学作品が何を訴えているかということがノーベル賞においてすら重要な評価軸になっているのだから、詩的フリンジの有無はその文学的価値にとってさしたる要素ではない考えられるのだ。
文学の価値は何を訴えているかにあるはずなのにそこには文学の要件たる美がないとしか思われないのだから訳が分からない。
結局辞書の言っていることを手がかりに形而上的に考えても埒が明かないのかもしれない。
とはいえ主観のおもむくままに考えてみてもおそらく月並みな見解しか沸いてこないだろう。
それを承知で述べてみるなら、まず文学作品と呼ばれるようなものは限られた人しか楽しめない。少なくとも文盲や知的障がい者には荷が重い。
だからその価値判断というのはその限られた人の価値観に偏ったものになるはずだ。
知的エリートはそうでない人に比べ収入が高い傾向にあること言うまでも無い。
ただの女たらしが「紀州のドンファン」と一目置かれた称号を得るのも然り、財力があれば世間に対する存在感ひいては発言力も増すという俗物的な構造はまだまだ根強いと思われる。そうでなくても知的エリートは社会的地位が高い傾向がある。
そういうわけで彼らの考えは権威を帯びる。
ただそれだけなら楽しめる作品が多いというだけの話なのである傾向を持った作品ばかりが知的エリートに推されるということの説明にはなっていないはずだ。
彼らはより知的でなければ読めない作品に、自分を飾る嗜みとして、価値を見出すのだ。
なのでラノベではなくてそういう作品が、そういう作品の作者のほうが優れているという考えや言論が幅を利かせることになるのではないか。
教養とか皆無でもさっくり気楽に楽しめるようなものを尊んでいるのでは格好がつかない。それでは凡百と同じなのだ。
以上をひっくるめれば、彼らは美しい作品ではなく、強靭な教養や知性という顎でもってはじめて噛むことができるスルメ的な面白さがあるかどうかで価値を判断している。
そしてそれが権威ある辞書や事典の記述を通して本に対してさほどこだわりのない圧倒的多数の一般大衆に浸透し、そうしてラノベは純文学に対して劣ったものという既成観念が形成される。
月並みなばかりでなくいかにもルサンチマンに満ちた見解になっているとは思うが、そういうことなのではないか。
似たような話でアニメはドラマや実写映画より劣ったもの扱いされているということがあるだろう。
昔の大衆の娯楽だったものは今は高尚なものとして扱われるというパターンがあるけれど映画は割りと初めのほうから芸術的に価値あるものたりうると認識されていたような印象がある。
逆にアニメはジブリが(ガンダムなんかも?)例外なだけで今日まで芸術性が認められてないゆえにどこまでも映画に劣った娯楽作としか見られていないように思う。
さらに時間が経てば歌舞伎や浮世絵のように芸術として見られるようになるとはにわかに考えにくいのだ。
実はこの文章の原稿はいっぺんに書いているのではなく日をまたいで書いてるので、その間に得た知識によっては文章に反映されていくものもある。
その一つとして先ほど偶然知ったのは、大衆文学には少年少女小説、つまりほぼラノベと同義と捉えても差し支えない概念も含まれるということだ。
ただし付け加えていうなら大衆文学には純文学に対して価値が劣ったという含意がある。となるとこれはむしろラノベは劣ったものであるとう認識が存在する傍証になってしまったようだ。
本当のところはうだうだ言う前に早い話がもっとラノベと純文学をバランスよく読めば自ずと両者の面白さ以外の違いも分かって疑問も解決に向かうかもしれない。
しかし私はラノベもそれ以外も小説というもの自体平等にあまり読んでないので、今更自ずと分かるまで両者を読みまくって分析する気までは起こらない。
好きでもないジャンルの本を読むのは受験勉強に等しく苦痛だ。私はただなぜラノベ作者が純文学作者と比べ評価されたり公の場で対等に紹介されたりしないのか知りたいだけだから、私自身が苦痛を味わうまでもなく両者を愛読していて答えを知っている人に教えてもらう方が合理的に決まっている。
知恵袋にも質問の体をしているがその実は女がしがちな「どうしていっちゃうの?」式の不満に対する詰問でしか内容の投稿が多くあるが、結局風潮への反感が、反感は反問を生むという素朴な力学が私にその理由を知りたがらせているわけだろう。当然ここにも答えを知っているものがいるならばその提示を望むものである。
また私は私でただの判官贔屓かもしれないけれども、メーンカルチャーに属するコンテンツに対する感想が溢れるなかでブログや増田に埋もれたラノベやアニメの感想記事があったら、その飾らない感性とのその一期一会に感謝し、その価値観を慈しむことでこの世間の風潮に対抗しているつもりなのだが、それをこれからも続けていくつもりだ。
dorawiiより
「そうじゃない見方をしてる人もいっぱいいる」
「いっぱいいる」なら傍証出せるだろうに、いつまで経っても出さないから
「お前の中ではそうなんだろな」で一蹴される、ただそれだけ
「あんまり漫画とか読まない人だからこの世の男性向け漫画は全部エロ漫画認識なんだろうけどさ」と
他人の捉え方を虚仮にしておいて、今頃になって「俺の捉え方を言っただけ」ってトーンダウンして逃げるのは苦しいわ
例えば、他でもない作者自身がアニメぼっちを性的な見方で楽しむツイ投稿して
それに夥しい数のファンが乗っかる反応したってのが数字として出てるからね
“当時の日本が児童買春・児童ポルノ大国だったから”/結局この馬鹿げた認識だから全ての話が歪んでしまう。そんなものが一般的だと主張したいなら、多くの男性が当たり前にそれを利用していたエビデンスを出すべき
さすがにそんなレベルから歴史修正始めるとは思わなかった……。それともただの感覚の違いなのかな。
例えば手元の論文には「平成8年の東京都の青少年健全育成基本調査で援助交際の経験者は4%」とあります。
まあ調査報告書の実物はインターネットで見つけられなかったので調査手法とか内訳はわかりませんし、おそらく援助交際と言っても行為なしやキス・ペッティング、手淫のみ等も含むでしょうから全てが児童福祉法や売春防止法に引っ掛かる内容ではないとも思われます。
一方でこういう調査は一般には数字が低く出るものだと思います。
id:yujimi-daifuku-2222さんは「たったそれっぽっちか」と鼻で笑うかもしれませんが、自分はなかなかの怖い数だと思いますよ。
インターネットで見つかるものとしては、内閣府の平成10年の非行調査とかどうでしょう。
一般高校生への調査で、直近一年のテレクラ・ツーショットダイアルの経験者は、高校生女子で15%(時々ある4%、1~2度ある11%)
https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/hikou3/html/html/2-1-5.html#2-1-5-1
これも全部が金銭授受を伴ったわけではないでしょうが、上の4%の傍証になる数字だと思います。
「○○大国」という表現は『一般的』『当たり前』という意味でしたっけ(困惑)
「知られざる○○大国ニッポン」みたいなテレビ特集見たら是非「馬鹿げた認識だ」と突っ込んでくださいね。
規制が緩い/難しいために麻薬の一大生産地になってるような国を「麻薬大国」と呼ぶと、国民に広く麻薬が行き渡ってるエビデンス出せ!とか言われちゃうんですかね……。
前回、学校園との体操着の変遷についてまとめると書いたが、気が変わった。
電波ソング歌詞DBから「ブルマ」という歌詞を含んだ歌を検索する。
「バトルアスリーテス 大運動会」という1997年から1998年にかけてのメディアミックス作品の曲。OVAでヒロイン夏樹リオが歌う曲。SF、スペースオペラ、スポ根ものらしい。
……。
「いもうとブルマ」というあまりにもそのまんまなタイトルのゲームのOP。2002年。
主人公と幼馴染の姉妹の親同士が突然再婚し、幼馴染の姉妹が自分の義妹になった。良好だった関係がふとした関係で性的なものとなり……みたいな話。
「体操服とブルマだけでなく、レオタード、水着、チアリーディング服などを収録」だそうな。
はいアウト。
いもうとブルマ2というあまりにもそのまんまなゲームの続編。中身も親の再婚により突然4人の義妹たちの兄になってしまうというもの。2006年。ちなみに歌っているのは上の人と同じ萌娘。
関係ないけどブルマーフェチにも裾だしと裾たくし込みフェチや、食い込みやハミパンフェチと区別があるみたいだ。
ストーリーは、彼女との初体験で挫折した主人公を、義母が教え導くもの。コスプレの一つとしてちょっと言及されるだけである。
2009年のPrincess Party〜プリンセスパーティー〜というエロゲのOP。
古いゲームなので情報が少ないのではっきりしたことは言えないが。メインヒロインが青春禁止令を出しているそうだ。ただ、キャラの振る舞いとしてはツンデレ風だとか。
ブルマは脱がして燃やせばいいよ
暴挙。
片想いの相手が同僚と結婚することを告げられて、何も言えずに田舎に帰ってしまった主人公が、伯父の代理として教師をする物語で、OP映像があの新海誠である。そういわれてみれば主人公のうじうじ具合もそんな気がしてこないか。
それと、「ほしのこえ」ではヒロインのブルマー姿があったよな。
『1・2・3・4・5・6・7・8』
2001年に連載が始まったみづきたけひとによる「こはるびより」という漫画があるが、これを2007年にOVAにしたもののOP。
人間と同等の容姿・能力を持つメイドロボが実用化されている時代を舞台に、オタクでフィギュアマニアのご主人様にあくまでメイドでなく愛玩人形として扱われているメイドロボが、その使命とのギャップに悩む話、らしい。
1000歩譲って着せかえOK
これもブルマーそのものではなく、数多くのコスプレの一つとして出てくるに過ぎない。
anond:20220613080116のブクマにて載っていたので掲載。
「ぶるまー2000」というゲームの曲。2000年のゲームかな? ジャンルが「ケツゲー」。なんじゃそりゃ。エロゲのジャンル、いや、エロゲだけに限らないんだけど、ジャンルの説明が説明になってないケースって多いよね。
内容はここによれば、「地球全土のブルマー化を目論む「BB団(ビッグブルマー団)」と世界の微妙なブルマバランスを監視する国際ブルマ機構「MIB(ブルマーの男たち)」の抗争の中、大陸間弾道ブルマーが発射される」らしい。
エロゲではときおり正気を疑う設定があるので面白い。個人的には設定がぶっ飛んだソローキンとか読むのが好きなのでこういうのは嫌いじゃない。
参考:バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳「ちゆニュース - 歌関連」
Wikipediaによれば「ライターの大澤良貫は、書籍『美少女ゲームマニアックス』に寄せたレビューの中で、新撰組を題材としたアダルトゲームというと冒涜のように見えるが、実際は歴史ファンや幕末ファンをうならせるようなマニアックで愉快な作品に仕上がっていた」らしい。
参考:同上
「scungies」「basketball」という単語で検索をすると、以前の記事のようにバスケでブルマーをはいていた証言がたくさんヒットした。
以前と重複するのもあるが、貼る。記事を見ると豪州では90年代までブルマーは現役だったようだ。
ブルマーの流行、ショーツ化、廃止の流れは日本だけの現象ではなかった傍証がまた一つ増えた。
https://www.facebook.com/bibsnskirts/photos/a.245704185447177/245704202113842/
(これはネットボールか)
あと、こちらの拒食症を扱った記事では、陸上でもブルマーをはいていたことが記録されている。
関係ないけど、体育の教科書なんかだと、普通の体操着以外にレオタードを着ている女子生徒が映っている。普通の体操着以外の体操服を注文させられる学校が昔はあったんだろうか?
こちらでは男子が短パンなのに対して女子がブルマーなのは「不完全」に感じられるということが書いてある(ななめよみ)。
https://sirensport.com.au/op-ed/lycra-wars-when-one-size-does-not-fit-all/
昔、英国BBCのお笑いコント番組『Monty Python's Flying Circus』で、こんなコントがあった。
テレビのクイズ番組に、回答者としてマルクス、レーニン、毛沢東ほか歴史的な共産主義の指導者オールスターズが登場するというコント。
しかし、出題される問題は、英国サッカーのチームや選手に関するものばかりで、全く正解できない。回答者である指導者たちは「共産主義と無関係な問題ばかりじゃないか!」と司会者に抗議するが、サッカー問題の出題は続く。彼らは正解を答えられない。
時代や国・地域の違いから、彼らが英国のサッカー事情を知るはずがないという、そんな現実的な理由はさておいて。
このモンティ・パイソンのコントが風刺しているのは、要するに「共産党は『労働者の味方です』と言うけど、それは嘘八百だよ。その証拠に彼らは、労働者の一大娯楽であるサッカーのことも知らないでしょう?」と、そういうことである。
日本だけではなく、英国・欧州でも、四十年以上前から「共産党は、庶民の娯楽であるサッカーに対する愛情を理解しようとしない人間の集まり」という風に見做されていたということの、一つの傍証でした。
It's !!
―――――――――――――追記――――――――――――――
「オチで毛沢東が正解を答えるのだから、このコントは『共産党がサッカーのことを知らない』という内容ではない」と、ブコメで頓珍漢なことを言い出す人間が現れた。
そのオチは、当に「毛沢東に代表される共産主義国・中国の人間が『サッカーのことなんか知るわけが無い』」というイメージを持たれていたからこそ、成り立つのである。もちろん、それが偏見であるという指摘は成り立つ。しかし、非・共産党関係者の一般人から「共産党がサッカー及びそれに対する愛情に疎い」というイメージを持たれていたことの傍証であることには何ら変わらないのである。
昔プロデュースしたフィギュアはチープなダッチワイフみたいな上級者しか愛でられない見た目だし、しかも外注であって彼自身の手によるものではない。
そんな奴でも一応巨匠なわけだから本気出せば岸田メルとかいった名だたる萌えイラストレーターよりも魅力的な萌えイラストを描けるのかね。
でもなあ、もとはアニメーター志望かつ外注でそんなの作ってるってことはそういう道は挫折したっていう傍証になってると思うんだよね。
ようは資質がないからアニメーターは諦めたし今もそういうのを手掛けるときは外注に頼る始末ということ。
さすがにサイゲームやyostar的な可愛い女の子というジャンルでそれ系のイラストレーターに村上隆の本気に適う奴は誰もいない、とは思わないんだけどどうなんだろうね。
そりゃ東京芸大入ってる以上デッサンの基礎力はあるし特定の絵柄真似るのも朝飯前なのかもしれないけど、本人自身がフィクトセクシャルじゃないから、萌えを享受する感性を持ってないと言うか、何が可愛いのか実体験として感じることが出来ない人に、あの手の可愛い女の子を描き出すことはある程度までしかできないんじゃないかなとも思ってしまう。さすがに第一線で活躍してる絵師には敵わないと思うんだ。
そりゃ自分では何が面白いのか分からないものでも人に頼まれれば分からないなりに面白いものを作るというのがプロの要件でもあるのかもしれないけど、実際はそれは理想論でやっぱ自分自身が消費者として魅力を感じられるものじゃないと創作者としても限界があるものなんじゃないかなと思える。
なのでやっぱり芸大出は萌え絵を描くうえでも強みだとは思うが、それよりもそうじゃない絵の方が評価されうるのがこのジャンルの妙だろう。
この文を書いている今日、所用で外出した先で雨に遭い、それが止むのを夕方まで待ち、さて自転車で自宅に帰ろうとした道すがら、空に虹(にじ)を見た。
今日の外出先から自宅へと向かおうとすると、ちょうど西から東へ進行する形になる。東の空へと流れ去る黒い雨雲を背景に、色の濃く鮮やかなもの、色が淡いもの、二本の虹が綺麗な弧を描いていた。
その時、私が通行していた自転車道兼遊歩道には、他に散歩やランニングをしている人たちもいたのだが、彼らも私と同じように、虹に見とれたり、スマホで画像を撮ったりしていた。中には「二本の虹なんか初めて見た!」と驚いている人たちも少なからず見られた。虹が二本出ることを知らない人もいるのかと、むしろそれに私は驚いたのだが、のんびりと空を見上げる余裕を持つことがあまり許されない現代人には、仕方が無いことなのかもしれない。綺麗な虹を見たという新鮮な感動が機会となって、彼らが空の気象や天体に関心を持ってくれたら嬉しい。
ところで、二本の虹が出ることを知らないということは、おそらく彼らは二本の虹の名前も知らないのであろう。しかし、虹が二本出ることを知っている人でも、案外その名まで知っている方は少数派ではなかろうか。こんなことを言うと「虹は虹でしょ?区別とかあるの?」と思われるかもしれないが、漢字による呼称は区別がある。
漢字の原型は、殷代の甲骨文字に見ることができるが、その中には既に、虹を表した象形文字を見出すことができる。それは、弓形の弧を描く二本線で描かれており、弧線の両端には口を開いて下を向く頭を持ち、しかも角らしき突起まで見られる。
甲骨文字は占いに関する記録を遺したものであることから卜辞(ボクジ)とも呼ばれ、古くから中国人自身による研究が行われていた。その一つに郭沫若(かく・まつじゃく)の著した『卜辞通纂考釈』があるが、この中で「一つ出た虹を『虹(コウ)』、二つ出た虹を『霓(ゲイ)』と称したものであろう」という説が述べられている。ただし、現在の漢和辞典を引けば、『虹(コウ)』が雄で『霓(ゲイ)』が雌とも記されていて、郭沫若の説とはやや異なる。二本の虹の濃い方を『虹』、淡い方を『霓』として雌雄ペアと見るのが後代の見方である。いずれにしても、卜占の亀甲や肩甲骨に刻まれるような神秘的・神話的存在として、虹・霓は古代中国人の心を捉えていた。
残念ながら、私のデバイスの文字変換では『霓』の文字しか出てこないのだが、本来は『虫』偏に『兒』旁で、ちゃんと『虹』とペアになるのに相応しい形をした文字である。それが現在、雨冠の字形が主流となっているのは、科学的な物の見方をするようになった近・現代人が、この漢字には神話的・呪術的な役割ではなく、気象用語という科学的な役割を担わせるようになったことの反映であろう。
虫偏の字であることからも判るとおり『虹(コウ)・霓(ゲイ)』のことを、昔の人々は、広い意味での『蟲(むし)』の類いと考え、すなわち「ヘビ」の一つと見做していた。これは日本でも同じことで、マムシやフクムシなど「ムシ」の呼び名がヘビには用いられている。『フクムシ(福虫)』というのは、これは穀倉を荒らすネズミなどの害獣を捕食してくれる益獣だからである。『マムシ(真虫)』の真(ま)は、オオカミに冠した神名『大口真神(おほくちのまかみ)』における真(ま)と同じく、強く猛々しい神の名を軽々しく直接的に呼ばないようにするための、一種の忌み名としての尊敬の接頭語であろう。
『虹(コウ)・霓(ゲイ)』は、両端に頭を持つ怪蛇であるから「それではヘビじゃなくて、むしろ龍とかの仲間ではないか」と言われるであろう。しかし、昔の人々にとっては、家屋の周辺や田畑などで身近に見かける普通のヘビですら、神秘的な存在だったのである。昔の人々にとって、龍(りゅう)/蛟(みずち)etc.と普通のヘビとの間の境界は、我々現代人が考えるよりも遥かに曖昧であったと言ってもいい。足を持たない、もしくは四脚が有っても小さくて目立たない、細長いクネクネとした身体の動物のことを、一纏めの仲間として昔の人々は捉えていたと考えられる。このことを少し頭の片隅に置いてから、以下を読み進めてもらいたい。
「それにしても、虹がヘビだなんて、昔の中国の人たちは面白いことを考えていたものだなあ」と思われるかもしれない。しかし、実は「虹(にじ)=天の蛇」という考え方は、近代化する以前の社会では、地球レベルで広く見られた/見られるものである。そして、それは日本も例外ではない。そもそも日本語の名称『ニジ』そのものが『ヘビ』を意味していたとも考えられている。
日本における「『天の蛇』としての虹」の話に関しては、ロシア人言語学者ニコライ・ネフスキーによる有名な研究をはじめとして、多数の調査研究が為されている。それらから、思いつくままに事例を紹介していこう。
例えば、琉球諸島宮古島では虹を『ティンパウ』と呼んでいたが、『ティン』は「天」、『パウ』は「ハブ」のことである。『ハブ』は『ヘビ/ヘミ』系統の語である。大蛇を表す『ウワバミ』の語に含まれる『バミ』もまた『ヘビ/ヘミ』の転訛であると考えられる。『ウワ(上)』はマ(真)カミの真と同じく、忌み名としての尊敬の接頭語であろう。
宮古島の北にある池間島には、若返りの水についての昔話が伝えられている。欠けて新月となり姿を消し、再び満ちて姿を現すことを繰り返す月。脱皮して不老不死を保つ(かのように信じられていた)蛇。若水とは、神話では月や蛇と結び付けられて語られる、不老不死の象徴である。月と水が結び付けられるのは、潮の干満との連想であろうか。
太古の昔、人間はスデ水(若返りの水)を浴びて脱皮することで、不老不死を保っていた。ある時、天の太陽神が、セッカ(ヒタキ科の鳥類)に命じて、スデ水を月から地上へと運ばせていた。ところが、途中で『アウナズ(虹)』が、スデ水を奪って捨ててしまった(あるいは、スデ水を横取りして使い、脱皮するようになった)。このため、太陽神と月神の怒りを買ったアウナズは、それ以来、太陽の反対側に出るようになったという。
若水物語に登場する『アウナズ』という語は、琉球諸島地域におけるアオヘビ類を指して言う『アウナジ/オーノジ』系統の語と明らかに同じものである。他に、八重山群島竹富島でも『オーナーヂィ』と言うとされる。つまり『天の虹』と『地上の蛇』を、同じ名前で呼んでいたのである。
少し変わったものでは、小浜島では虹を『チネー・ミマンチィ』と呼んでいたというが、これは『ティン・ヌ・ミミジィ(天の蚯蚓[ミミズ])』の意であるという。細長くてクネクネした動物を昔の人々は一纏めに捉えていたという話を、今一度、思い出してもらいたい。
新城島では、虹を『アミ・ファイ・ムヌ(雨を食うモノ)』と呼ぶ。雨が降りそうで本格的には降らない俄か雨で終わる状況を「虹が雨を食った」と言うからだそうである。与那国島には『アミ・ヌミャー(雨を飲むモノ)』という呼び名もある。
虹が喉の渇きを潤すために雨や地上の水を飲みに現れる、或いは、虹が喉の渇きを潤すために雨を呼び起こすという信仰もまた、広く見られるものである。
長野県では、龍が天から水を飲みに降りてきた姿が虹とされ、また、同県更科では「虹は『ジャ(蛇)』の吹く気である」と信じられていた。山梨県西部でも「『ノジ』は蛇の息」とされた。秋田県平鹿では「『ノギ』は吹いた」と表現した。大分県でも、虹が出ると「『ジャ(蛇)』が吹いた」と言われていた。水神としての蛇神が棲むとされた湖沼から天の蛇としての虹が出現して、雨を呼び起こすという話も広く分布していることが認められる。このことから、ネフスキーは湖沼の支配神を指す『主(ヌシ)』も『ニジ』と同一起源ではないかと考えたようであるが、それは流石に後代の研究者から否定されたようである。しかし、湖沼の主といえば大抵は龍蛇なので、語源論としてはともかく、ヌシと虹を結びつけるネフスキーの見方は意外に悪くないと思える。
ネフスキーと同じ頃の時代、宮良当壮という研究者は、虹とヘビ類の方言呼称を分析して「『ニジ』はヘビを意味する語から分化した」ということを立証しようと試みた。ニジの呼び名には『ノジ/ネジ/ヌジ/ヌギetc.』がある。既に上でも紹介したが、琉球諸島地域におけるアオヘビ類の呼び名が「アヲ+(語根)」の形をとっており、その語根部分の変化が『ノジ/ナジ/ナギetc.』となっていて、極めて似ている。そこから、宮良は「『ナギ』が『ウナギ(鰻)』を含めた『ヘビ型動物』の総称であり、そこから『ニジ/ヌギ』などの語が派生分化していった」と考えたのである。細長いクネクネした動物を一纏めに捉えていたという話を、再度、思い出していただけたであろうか。
この宮良説の傍証としては、例えば秋田県ではアオダイショウのことを『アヲノジ/アヲノズ』と呼び、『ノジ/ノズ』は同地域における虹の呼称と共通しているなどといった事例が幾つも見られるので、宮良説はあり得ると個人的には思っている。大蛇を指す『オロチ』という語も、尊敬の『接頭語オ(御)+ロチ(ノジ系統語の転訛)』と考えられる。
とはいえ、現代人の感覚から見れば、特に、生物学や動物分類学の知識を通じて見れば、ヘビとウナギを同類視するという考え方は、なかなか受け入れ難いものと思われるかもしれない。しかし、以下の話を読まれたならば、どうだろうか。
昔の日本人は、雷神に対して信仰を抱いていた。特に農民は、落雷に対する特別な信仰を抱いていた。例えば、岐阜県美濃地方では、稲田に落雷があれば、その場所に注連縄を張って神聖視・聖別した。何故このように稲田への落雷を特別視したのか。それは『稲妻(イナヅマ)』という単語に端的に表されている。イナヅマとは「稲の配偶者」であり、昔の日本の農民たちは、雷神を「稲田神を孕ませる夫(ツマ)」と見做したのである。これは、落雷のジグザグ線が蛇神の顕現と見做されたこと、そして、蛇体が男性器の象徴と考えられていたこととも関係しているのであろう。落雷は豊作の予兆であった。
東北地方には、落雷のあった稲田を神聖視する風習が存在した。例えば、岩手県では、落雷のあった稲田を「お田の神の田」と呼んだり、女性や家畜を入れないようにしたり、雷神と刻んだ石を建てて祀るなどした。
この岩手県をはじめ、東北地方には「ウンナン田」と称する水田の事例が見られ、これは「落雷のあった水田」であり、しかも「鰻(ウナギ)の姿が見られる水田」のことであるとされる。ウナギが住める水田は、水温が比較的高く、良い水田だと考えたからともされる。落雷後の水田でウナギを目撃したことで、農民たちは「雷神が水田に棲み着いて、良い水田に変化した」と考えたのであろう。しかし、それだけではあるまい。
今では、落雷が豊作の予兆であるという考え方は、単なる非科学的な迷信ではなく、それなりの自然科学的な根拠があったと知られている。農作物の稲だけに限らず、植物の生長には、窒素肥料成分が不可欠である。大気中には気体の窒素が大量に存在するものの、それらは化学的に安定な窒素分子の状態で存在しているため、そのままでは植物も栄養素として利用できない。ハーバーボッシュ法による大気中の窒素を人工的に固定する方法が確立し、窒素肥料の大量生産が実現するまでは、大気中の気体窒素を、植物が栄養素として利用できる窒素化合物の形に化学変化させることができたのは、マメ科植物の根に共生している根粒菌を除けば、雷による空中放電だけであった。おそらく、落雷が起きた水田の周辺では、雷の電気により生じた窒素酸化物の影響で、稲の発育が良かったのだと想像される。それを見た農民たちが、経験知として「落雷=豊作の徴」と語り伝えたものが、ウンナン田なのであろう。
最後になるが、もしも『ナギ』系統の語がヘビ型動物を指すという説が真実であるとすれば、そこからどうしても思い浮かべてしまうのが、インドから東南アジア地域に広く分布する蛇神『ナーガNaga』の存在である。果たして、ヘビの古い呼称の一つである『ナガムシ(長い蟲)』の『ナガ』は『ナーガ』と関係があるのか。水の中にいる長くクネクネしたヘビのような身体をした動物ウナギは、もしかしたら『オ(御)+ナーガ』からその名が付けられたのか。
妄想は尽きない。
今回の内容は、この本の受け売りである。とても面白い名著なので、是非、図書館などで一読することをおすすめしておく。
栗花落カナヲと蛇の話⇒anond:20221108215545
金融が引締的か緩和的かはあくまで均衡実質金利との兼ね合いでしか言えないものだから、持続的な低金利を見て長いこと金融緩和が続いていたと認識したのなら、それは間違い。たとえばゼロ金利は往々にして金融引き締めなんだよ。それは物価がギャロッピングしていかないことが傍証となる。
で、インデックス投資教についてだけど、長期に持てば必ず儲かるってのが間違いというのはその通り。そもそもインデックス投資というのは、必ず儲かる投資戦略ではなく、個別株などの他の投資と比べて一番ましな投資戦略というだけのもの。小さなリスクしか許容できないならインデックスをお小遣いの範囲だけで、あるいはでっかいリスクを取りたいなら借金してインデックスにぶち込む、といったように、どんなリスクやリターンを求めるにしても投資対象はインデックスが良いというだけで、別に必ず儲かるからインデックス投資をするわけではない。まあ、インデックス投資は長期に持てば必ず儲かる、とか言う手合いは、真のインデックス投資教徒から見れば邪教の類なのよ。
270 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 05:35:30.43 ID:gQBF5sou [1/6]
蓮舫はアヘン満州閥で、野党をバカに見せる役の安倍のサポーターだ。
蓮舫の祖母である陳杏村は上海を拠点としていた特務機関ボスで自民党創設者の児玉誉士夫の配下で上海での直参の部下。
昭和40(1965)年に設立されたのが「日本バナナ輸入組合」だ。
271 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 05:35:47.98 ID:gQBF5sou [2/6]
この組合の初代理事長には砂田産業の砂田勝次郎氏が就任したが、これは神戸市を地元とする自民党の代議士で文部大臣などを務めた砂田重民の兄弟だ。
[砂田重民は清和会所属、1977年11月、衆院当選4回ながら福田内閣の文部大臣として初入閣。自民党総務局長、予算委員長などを歴任後、
1990年2月第2次海部内閣の北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官に就任した 。]
272 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 05:36:08.60 ID:gQBF5sou [3/6]
この一連の動きに台湾側の窓口として暗躍したのが、台湾で日本への輸出枠の50%を握っていた陳杏村であり、その息子の謝哲信らだった。
そして、「黒い霧・台湾バナナ事件」が参議院農林水産委員会で昭和41年11月1日 に取り上げら、以下のような注目すべき言葉がある。
273 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 05:36:48.56 ID:gQBF5sou [4/6]
「かつて日本が台湾バナナ輸入を自由化した当時から、国民政府によって輸出総量の五〇%の割り当てを与えられて、わが国の国内バナナ輸入業者に対して絶大な支配力を持っておる、こういう人が陳杏村。
三つ目、陳杏村氏の令息に当たる人で謝哲義と謝哲信、こういう人がおります。今度はむすこさんのことですが、それぞれ砂田という日本人商社名をつけた多数のバナナ輸入会社を実質的に支配し、まかされております。(略)
この駐日弁事処は、日本の業者がかつて輸入バナナ一かごに何百円というリベートを持参しなければ台湾バナナを輸入しない、そういうようなことでリベートを取って、外為法違反容疑で警察から取り調べを受けた事件がある」
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/052/0408/05211010408004c.html
274 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 05:37:09.75 ID:gQBF5sou [5/6]
この1966年の国会答弁に見られるように、謝は母親の陳から譲り受けたバナナ利権のために、台湾と日本政界に金をばらまいたようだ、
ちなみにこの陳が作った会社は現存していて、今は蓮舫氏の母親が代表。
黒い金がばらまかれたという噂がありますが真偽は定かではない。
275 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 05:37:23.70 ID:gQBF5sou [6/6]
中国共産党との関わりで言えば、
277 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 05:38:47.20 ID:rENe2kKB [1/3]
明治維新で爆誕した大日本帝国は、松陰プランの通りやり敗戦した失敗国家。
278 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 05:39:13.44 ID:rENe2kKB [2/3]
松陰はこう書いている。
いま急いで軍備を固め、軍艦や大砲をほぼ備えたならば、蝦夷の地を開墾して諸大名を封じ、隙に乗じてはカムチャッカ、オホーツクを奪い取り、
琉球をも諭して内地の諸侯同様に参勤させ、会同させなければならない。
また、朝鮮をうながして昔同様貢納させ、北は満州の地を割き取り、南は台湾・ルソンの諸島をわが手に収め、漸次進取の勢いを示すべきである。
279 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 05:39:28.74 ID:rENe2kKB [3/3]
しかる後に、民を愛し士を養い、辺境の守りを十分固めれば、よく国を保持するといいうるのである。そうでなくて、諸外国競合の中に坐し、なんらなすところなければ、やがていくばくもなく国は衰亡していくだろう。」
280 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 05:40:08.12 ID:v7PxVDur [1/2]
満州重工業開発株式会社(まんしゅうじゅうこうぎょうかいはつ)は、満州国の特殊法人で、
満州国内の鉱工業を一元的に統制することを目的に設立された持株会社。通称は満業(まんぎょう)。
281 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 05:40:39.90 ID:v7PxVDur [2/2]
満州国の経済運営で巨大な南満州鉄道が影響力を持つことを嫌った関東軍の求めに応じ、日本鉱業(現・JXホールディングス)や日立製作所、
日産重工業(現・日産自動車)を傘下に持つ日産コンツェルンの総帥・鮎川義介が、満州全土の鉱業から各種製造まで一貫した計画の元に生産することを目的に、
1937年にグループの持株会社である日本産業を満州に移転・改組させて設立した。
http://kaitaku.npo-index.net/満州の概要/満州の工業/満州重工業開発/
292 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 06:07:09.35 ID:7EWAa1Uh [1/9]
実に信じ難いが、
日本の明治以降の支配層は、建州女直つまり満州族系朝鮮人の帰化人なんだよ。
293 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 06:07:31.02 ID:7EWAa1Uh [2/9]
高麗はモンゴルの属国で代々、王子はモンゴル宮廷に人質に出され、成人しても王妃はモンゴルからきている。
294 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 06:07:48.47 ID:7EWAa1Uh [3/9]
李成桂の父子春は、高麗を東北方面からおさえるモンゴル勢力の拠点であった永興の双城総管府につかえ、千戸(千人隊長)だった。
296 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 06:08:09.59 ID:7EWAa1Uh [4/9]
つまり、高麗以降の朝鮮人は基本的には、モンゴルと女直系の混血。
297 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 06:08:26.26 ID:7EWAa1Uh [5/9]
で、こいつら一部は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で捕虜になり、日本に来て医者や窯元になった。
その一部は薩摩長州で帰化し下級武士になって、子孫がイギリスの手先になり明治維新を起こした。
299 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 06:08:40.12 ID:7EWAa1Uh [6/9]
そして、維新後には、故地の半島を併合しすらに満州まで自分らの領土だと思って満州まで領土拡大した。これが大日本帝国。
300 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 06:09:07.53 ID:7EWAa1Uh [7/9]
清になっても八旗に入らなかった辺境に残った野人女直が今もロシアやモンゴルにいるエヴェンキ族。
301 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 06:09:31.99 ID:7EWAa1Uh [8/9]
これが事実だ。
302 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 06:09:47.20 ID:7EWAa1Uh [9/9]
安倍やら電通やら長州閥ひいては満州閥の使い魔のネトウヨが「朝鮮人エヴェンキ説」を執拗に唱えるのは真実を日本人から誤魔化すため。
508 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 16:26:57.88 ID:VOs6ZhxK
国税庁が毎年公開しているこのデータをふり返ると、年収が一番高かったのは1997年であることがわかる。そこで2020年までの24年間の変化を分析した。
結論から言ってしまえば、私たち日本人の“実質手取り収入”は平均で年84万円減という驚くべき数字が出たのだ。
後ほど詳しく解説するが、1997年の平均年収は467万3000円だった。2020年は433万1000円で34万2000円ダウンした(いずれも「非正規含む勤労者」)。これだけでも十分衝撃だが、それだけではない。
社会保険料(健康保険、介護保険、厚生年金、雇用保険など)や住民税が上がったため、その分(約28万円)を差し引くと手取りベースで計62万円も下がったことになる。
さらに追い打ちをかけたのが消費税率の引き上げだ。税率は5%から10%に引き上げられたので(2019年10月)、この分も差し引くと、実際に使えるお金は計75万円も減る計算に。
加えて物価高も加味すると、冒頭で述べた通り、1997年時点に比べ計84万円も落ちた、というわけである。
政府は、社会保険料、住民税、消費税などを引き上げて、民間からお金をむしり取ることばかりに熱心である。これでは市中にお金が回らなくなったのも当然だろう。
https://president.jp/articles/-/60977
600 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[] 投稿日:2022/08/30(火) 18:39:52.37 ID:ZOf9Q2YC
f9さん、顕正会とバトルw埋め立て荒らしのF9さん、顕正会とバトルしてしうwwww日本人の宗教嫌い7936] (149レス)
上下前-新
次ス索 歴削スレ 栞レ
1(1): (ワッチョイW 4724-qYzx) 2021/12/13(月)15:28 ID:bC7kvbVn0(1/2) AAS
外部リンク:y2u.be
おおまかな流れ
F9「ネットリンチや動物虐待はやめてくださーい!」と駅前声で街宣
↓
顕正会員(顕正会を日本国教ってるカルト宗教)が宗勧誘の話しかけ、最初は穏やかだが宗教勧誘がしつこい為かF9若干イライラし始める
↓
顕正会おはちだよ」「前もしつけえよ」と捨て台詞い去の宗教嫌い
633 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 19:18:13.90 ID:EkvdTqkx [1/9]
岸家と佐藤家にまつわる余談の挿話だが、「郷里田布施の選挙戦のとき佐藤派はなんとかして岸信介にケチをつけたいと頭をひねった。
634 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 19:18:27.66 ID:EkvdTqkx [2/9]
思いついたのが、土地に古くから言い伝えられていた“ガン”の故事である。もともと岸家は悪代官の家系ではないか、とだれかが言い始めた。
636 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 19:18:41.06 ID:EkvdTqkx [3/9]
というのは、毛利元就が陶晴賢と厳島沖で戦って大勝を収めた際、寝返って毛利方についた船の調達人が“ガン”と称する帰化人であったという。
637 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 19:18:54.91 ID:EkvdTqkx [4/9]
周防長門を手中におさめた毛利公は、その功績によって“ガン”を田布施周辺の代官に召し立てた。
ところがこれが悪代官で、年貢はきびしく取り立てるし、女を囲う、金を貯める。
639 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 19:19:09.32 ID:EkvdTqkx [5/9]
このガンの子孫こそ、ほかならぬ“岸(がん)”ではないか、というのであった。選挙戦となると、佐藤陣営はこの昔話を“岸家”にこじつけて“岸信介は悪代官の子孫だ!”と、喚きたてた。
640 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 19:19:23.25 ID:EkvdTqkx [6/9]
龍太郎も最初のうちは、そうだ、そうだ、と同調していたが、しだいに照れくさくなって言わなくなった。
643 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 19:19:37.53 ID:EkvdTqkx [7/9]
…考えてみると信介が岸家に養子にいったのは事実だがそれ以前に信介栄作の父佐藤秀助は岸家から佐藤家へ養子に来た男である。
644 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 19:19:50.93 ID:EkvdTqkx [8/9]
栄作にも、そして龍太郎にも岸家の血が流れている。悪代官の子孫だ、と佐藤派の者が叫ぶたびにヘンな気がしてきたという。天にツバするとはこのことか。
645 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 19:20:05.12 ID:EkvdTqkx [9/9]
岸家と佐藤家は、異なるようで同じく、同じようで違う。両者“悪代官”の果てかどうかは定かでないが、この挿話は両家の関係をよくあらわしている」という。
引用岩川隆 1984, pp. 58-59.忍魁佐藤栄作研究 (徳間文庫)
647 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 19:21:07.25 ID:rtB/wM1T [1/9]
注)韓国メディアからの翻訳なので、韓国となっているのは朝鮮に読替を
648 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 19:21:20.51 ID:rtB/wM1T [2/9]
この4月、日本の独島(竹島)周辺海底測量騷動を背後で指揮するなど、日本の対韓タカ派の代表走者として知られる
安倍晋三が壬辰の乱以後、朝鮮から日本に渡った韓国人の子孫であることが明らかになって注目されている。
649 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 19:21:34.85 ID:rtB/wM1T [3/9]
このような事実は金忠植(キム・チュンシク)東亜日報論説委員が最近発刊した本『悲しい列島-永遠の異邦人400年の記録』(ヒョヒョン出版)で明かされたことで、
壬辰の乱直後の1598年日本に連行された陶工で日本の陶磁器宗家を成すまでになった沈壽官(シム・スグァン)家門の14代子孫をインタビューする過程で明らかになった。
650 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 19:21:49.01 ID:rtB/wM1T [4/9]
この『悲しい列島』によれば、14代沈壽官は1964年から72年まで日本総理を務めた佐藤榮作(1901~75)がなくなる1年前、
自分を訪ねて来て佐藤家も壬辰の乱以後日本に渡って来た韓国系であることを直接告白したと明らかにしたというのだ。
651 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2022/08/30(火) 19:22:03.68 ID:rtB/wM1T [5/9]
https://anond.hatelabo.jp/20220816172924
の元増田です。
統一教会騒動について、以下の三つのうち、3.は少数派で、1.と2.が多数派ではないかと書きました。
私が間違っていたようです。少なくともブコメにおいて、2.の自民党を批判したい、が圧倒的多数派のようです。
【枝野前代表ら14人が旧統一教会と関係 立憲民主党が調査結果を発表】
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fnn.jp/articles/-/406975
いやー立憲民主党には甘い甘い。
「ズブズブではない」「今後しっかりやってほしい」「評価できる」
自民の議員が一度取材受けただけで叩きまくったのに複数回取材受けたものへの反応がこれとか本気か?
さらに立憲民主党の取った対策とやらは自民と大差ない、というか明文化してる分自民のがマシとも言える
加えて政府としては霊感商法規制に乗り出しつつあるのに立憲民主党は【追及チーム】ときたもんだ
個人的には霊感商法規制をしてほしいので河野がどう出るか注目してるけど、はてブの雰囲気は全然違ったね
(追記)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20220823/k00/00m/010/211000c
「ガバガバじゃねーか」はTDNが出演した「真夏の夜の淫夢」に出てくるセリフじゃありません。元増田にソースとして貼られているニコニコ大百科のページを読んできなさい。TDNは「真夏の夜の淫夢」というタイトルとともに2002年からすでに話題になってたのは確かだけど、「ガバガバ」が出てくる「Babylon Stage 36」はニコニコ動画がリリースして以降に発見されたものだったはず。ということならば、2005年の用例は、いわゆる淫夢ネタとは全く関係ありません。
一応、傍証として2007年まで更新されていた、まとめサイトのリンクを貼ります。TDN用語辞典のページに「ガバガバ」はありません。
英語の小説を挫折せずに読む方法というエントリをこの前書いた増田だよ。その後『月と六ペンス』を英語で読み続けて、とうとう今日読み終わったよ。めちゃくちゃ面白かったよ。
サマセット・モームの小説はテンポがよくて、英語も簡潔で読みやすいよ。エンタメ要素が多くて普通に楽しいよ。人物描写がとにかく上手いよ。
ロンドンで株式ブローカーとして40歳までわりと平凡に暮らしていたストリックランドという奴が、絵を描きたいとか言ってパリに失踪して、その後タヒチに渡って絵を描き続けて、死後になって美術の世界に革命をもたらした偉人扱いされる話だよ。このストリックランドという画家はポール・ゴーガンがモデルになっているらしいよ。
バルガス=リョサもゴーガンを題材にした『楽園への道』という長編小説を書いていて、そっちの方を先に読んでいたから、『月と六ペンス』を読んだらなにかしら既視感があったよ。こっちの方が時代的にはもちろん先の作品だね。バルガス=リョサはモームの作品についてどう思っていたんだろうね。
それはともかく、『月と六ペンス』の前半はストリックランドという男がどれほど周りの意見を気にしない自己中心的な男で、どれほど他人を残酷に扱ってきたか、嫌というほど読ませられて、強烈な印象を受けるよ。それで小説の後半はストリックランドの死後に周りの人間の傍証をたどる形で、色々な人の声が挟まれていく文体になっているよ。いわゆるポリフォニー小説だね。
ストリックランドは最後はタヒチでハンセン病になって、まったく治療を受けず壮絶な最期を遂げるんだけど、この描写がかなり強烈だったよ。ストリックランドが追求し続けた世界を作者は垣間見させようとして、けっきょくよくわからないので、読んでいてもどかしい感じがするよ。
小説の始めの方で、ストリックランドの(最初の)妻は、ストリックランドが他に女を作ってパリに駆け落ちしたと思っていたんだけど、じつはそうではなく、恋愛絡みではない理由で自分が捨てられたと知ると、この女はストリックランドを激しく憎むよ。
小説のラストシーンは、それから20年ぐらい経って、語り手がロンドンでこの妻に、ストリックランドの最期を告げるシーンだよ。この時になったら妻の態度はガラリと変わっていて、すっかり有名人になったストリックランドと自分との関係性を周りに触れまわりたそうにして、馴れ馴れしくストリックランドのことをチャーリーとか呼んで、家にきたストリックランドの研究者からノリノリでインタビューを受けているよ。この妻の俗物ぶりがとにかく胸糞悪いよ。この胸糞悪さは、それだけモームによる小説の構成がうまく行っている証だと思うけど、それにしても胸糞悪いよ。
最後の最後にストリックランドの家族が聖書を引用して何か言って、語り手がそれをうけて自分の思いを語って終わるんだけど、これはぜんぜん意味がわからなかったよ。
たぶんこの小説はまたいつか読むと思うよ。
はじめてiPhoneのBooksアプリだけで英語の長編小説を読んだら、まずまず快適だったよ。英語のわからないところはその場で辞書を引けるから楽だったし、新しい語彙をけっこう覚えたよ。
名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita
この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから,安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である。
初期の UNIX の歴史について興味がある向きには次の書籍をお薦めする。
Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)
和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書は The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。
また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。
元記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計の基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。
https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date
ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。
もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX の開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T の定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事で言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。
この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDF は OCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX の論文なのだ。もちろん論文の性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイの哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白い。UNIX の開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然な時代だったことは間違いない。
UNIX が認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイの論文に影響を受けた布教のためのああいう説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本で最初期の UNIX 解説本のひとつである,村井純・井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。
オペレーティング・システムは,コンピュータを使うものにとっての環境を形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性を尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIX のオペレーティング・システムとしての個性ではないだろうか。
「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能のコマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性を尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである。
そしてじつは UNIX の場合,布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。
UNIX は PDP というミニコンピュータ(ミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校の教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイとキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校にコンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器はコンピュータではなくコンピュータに接続するための端末装置(ターミナル)だ。端末装置のキーボードで打った文字がコンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 Unix 系 OS で CLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置のエミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。
さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥や洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっともコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥が CPU でそっちの洗濯機がハードディスク,あの机に置かれているタイプライタが管理用コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代のお話だ。
端末装置それぞれから(USB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。
結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。
当時の UNIX の評価を一言で表すと〝自由で不安定な OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由。さらに他のメインフレームやミニコン用 OS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロ用 OS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番のディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。
こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌『UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイの1986年11月号から1988年10月号掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器で1980年ごろから UNIX サイトのスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX の自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。
CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU を実質的に停めてしまうことが UNIX ではいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンドを10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに vi のカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトでログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX は破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているときに勝手をやられると非常に困るのである。当人の仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。
ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイルを自由に作ることができる。したがって,自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソール・タイプライターにエラー・メッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソール・タイプライターが一晩中エラー・メッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図も完璧に打ち砕かれてしまうのである。
そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンドを10個くらい同時に走らせ」たり「自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイトの利用者全員に UNIX の設計の基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX の伝道がより苛烈だった理由のひとつがここにあるのだ。
ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代の UNIX は Research UNIX と CSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX と記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIX のライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研で発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。
もっともそういう70年代風味の牧歌的風景はミニコン世界限定の話であった。BSD そのものはミニコン用のものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSD 系 Unix や AT&T が推し進める System V などがワークステーション市場を舞台に80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PC 用 Unix であるマイクロソフトの XENIX も当然参戦した。ミニコン世界が牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争はあくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&T と BSD 系 Unix の Sun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。
こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unix そのものや文化にも変化をもたらした。まず激しい競争は Unix の高機能化を加速した。商品として判りやすい惹句が「あれもできます,これもできます」なのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者の自由を制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix は現在の Unix 系 OS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教の必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unix のシステム管理の入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空のソフトウェアハウス(開発会社)を舞台に新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。
当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイの論文の結論部分に書かれたそれは,1973年に出版されたイギリスの経済学者エルンスト・シューマッハーの著作の題名で,中学生の英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。
Small is beautiful.
マキルロイは『人月の神話』を引いて一定の留保をつけてはいるものの,これが UNIX 哲学の背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•cs のアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?
ひるがえって現在の Unix 系 OS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX が仮想敵とした OS そのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在「UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。