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2024-03-06

肩こり腰痛改善で一番良かった奴。

ズバリ言うと、「左右対称を心掛ける」これに尽きる。

2年くらい腰痛肩こりに悩んでて、整形外科マッサージを2,3店くらい受けたが効果しか、その日とか2,3日くらいはいいんだけどすぐに戻っちゃうというのを繰り返してた。

それで、もうURLとか覚えてないんだけど下記みたいな要旨のページを見たわけ。

モニターを2枚用意し、自分の正面に左右対称に配置。

モニター2枚使えるし、左右対称で姿勢にも良いと思っていた。

・が、腰痛肩こりがひどくなる一方。

・原因は、左右のモニターを首だけ向けてみていたこと。首を傾けただけでもわずかな緊張が背中に走る。短時間ならまだしも、仕事で一日中ともなれば、体の不調につながる。

モニターの1枚をメインモニターとして正面に設置、サブを右か左どっちかに配置して、使い方も作業は正面、サブはウィンドウの置き場みたいに使った。

・結果、腰痛改善

みたいな記事

これを読んだ俺は、「モニターの使い方がまんま俺じゃん」と思って、同じように改めたわけ。そしたら腰の痛みがいつもより軽い。

左右対称がいいんだと気づいて、足を組むのをやめて、頬杖禁止、寝る姿勢も横を向かずにあおむけで、等々細かいところまで左右対称を心掛けた。

そしたら、3日目くらいにはめちゃくちゃ体が軽いし歩きやすい。腰の痛みもほとんど引いた。

無料だし試してみてくれよな。

2024-02-24

ヤニカスが石を投げられない喫茶店

anond:20240201220158の続き。 

 

 駅にある喫煙所の扉を開いて外に出たら、通り掛かった外国人の方が眉をしかめ「oh,bad smell」と呟かれました。

 どうやら私は国際的にくさい存在だったようです。

 少し傷付きましたが「グローバルバッドスメラー」って横文字にすると何かのインフルエンサーぽい気がしますし何だかカッコいい気がするからセーフ、という事にしておきましょう。

 さて、そんな感じで今日もヤニカスok喫茶店を紹介して行きますね。

 

[秋葉原 カフェモコ]

 お店の場所JR秋葉原電気街口を出て3分からいくらい。昭和通りに面したビル一角にひっそりとある喫茶店です。

 店のシンボルタバコ吹かすおじさんのシルエット。ヤニカス的にはとても魅力的で勇気付けられるマークですよね。

 店内入ってすぐのカウンター商品のオーダーと会計を済ませるスタイルで、頭上は色とりどりの輝く電飾で彩られていて縁日ぽい雰囲気

 そして商品一覧のボードと共に、様々な国の紙幣クリップで大量に留めてあります

 ドルとか人民元はもちろん、全然知らない国の紙通貨が一面に飾られていて、見ているだけでワクワクしてきますね。

 紙幣の隅に「thank you〜」とか書かれていたので、おそらく外国人観光客の方が残していったものでしょうか?

 ジンバブエドルとかあったら面白いなと思って注文待ちの間に探しましたが、最近老眼が気になり始めているおじさんアイでは発見出来ませんでした。残念。

 

 B1F、1F、2Fとフロアがあって2Fのみ喫煙可。

 オーダー完了してお会計を済ませると、食事は後で届けて下さるとの事なので飲み物だけ貰って喫煙可能な2Fまで上がります

 ここで注意点がひとつ

 お店の心遣いにより、飲み物は全てカップのフチ辺りまでたっぷり並々と注がれているんですね。

 つまりコーヒーをこぼさないように階段を上がるのに、かなりの技術必要でして非常に難易度が高いんですよ。

 タイミング悪く、階段の途中で他の方とすれ違いなどが発生するとコース取りの難しさは天井知らず。

 気分はまるで繊細なドラテクで峠を攻めるイニシャルDの拓海さん。訪れた人のバランス感と巧みなコーナーワークの見せ所なんですよ。

 ええ、もちろん私は毎回こぼしてますよ?

 カフェモコ峠は初心者にとって難しいコースですからね。仕方がないのです。

 

 さて慎重な足捌きで階段を踏破すると、そこは喫煙可能席というエルドラド

 店内壁紙や照明もお洒落レトロな素敵空間で、店内BGMジャズボサノバが流れています

 後はヒョウとか虎とかネコ科の猛獣の置物が、店内のあっちゃこっちゃに設置されています

 多分、秋葉原という土地柄とお洒落絶妙バランスで交わり合った結果として、このような面白不思議洒落空間形成されたのでしょう。

 地政学見地からしても大きく間違ってはいないんじゃないでしょうか。

 よく知らないですけど。

 

 店内は秋葉原喫煙者が集まって居るようで大体混んでます

 空いてた窓際のカウンター席に腰を下ろすと、テーブル上には先客であるカエルの置物。

 このカエルさん、王冠を被っているのに物憂げな表情で頬杖をついたまま体育座りをしておられまして。

 よく見ると首元に六文銭みたいなネックレスが掛かっており、そこに付いている缶バッジに何か文章が書かれています

 『私は暴力が嫌いだ』

 ……詳細は不明ですが、とても苦労をされているようですね。店内に居るネコ科の猛獣達に甘咬みされたのかも知れません。

 どんな目にあったか彼は語ってくれませんでしたが、お互い強く生きて行きましょうね。

 カエルさんが受けたであろう仕打ち想像し、ちょっぴり切ない気持ちで飲んだコーヒーは苦みと酸味が薄いタイプ

 飲みかけで放置してしまっても、あまり酸っぱくならないコーヒーでした。

 大井町のポットリーに続き、イケオジなマスターさんは私の中で勝手に「コーヒーを美味しく淹れてくれる妖精さん」に認定します。

 

 そんな感じでコーヒーを飲みながら料理提供されるまで、店内を見渡してたのですが……

 後ろの席にはイチャつくカップル。

 私と同じ窓際のカウンター席では、オーダーした商品と一緒に持参した人形撮影を楽しんでいる方。

 両者が混在する喫茶店など秋葉原くらいでしかお目に掛かれないんだろうな、などと考えながらコーヒーを啜る汚いおじさんである私。

 バラエティ豊かな人々を包み込み、ボサノバBGMにして実に緩やかな時間が流れます

 

 料理の紹介。

チーズホットドッグ

 パンからはみ出るソーセージチーズたっぷりかけて焼かれた逸品。

 パンとお皿の間に薄黄色プレートみたいなのがあって、何だろうと思ったらチーズ羽根みたいになってました。

 羽根餃子なら知ってますが、羽根ホットドッグは初めてです。

 更にプレートの空きスペースは許せないと言わんばかりに、ポテトチップスが山盛りで付け合せられていまして。

 何だかアメリカの風を感じるディスプレイですね。アメリカホットドッグとか食べた事ないですが多分そう、部分的にそう。

 見た目に圧倒されつつ、付属したケチャップマスタードをビッチビチに振りかけて頂きましょう。

 齧り付くと、温かで焼きたてっぽいふっくらしたパンソーセージチーズケチャップマスタードの夢コラボが口の中で弾けます

 こんなの美味いに決まってるじゃないですか。

 口の中が油っぽくなったらコーヒーで口を洗い、思い出したようにポテチを齧り、カリカリになった羽根チーズを摘む。気分はまさにアメリカキッズです。

 コーラの方がよりキッズぽい感じになったかなと思いながら食していたのですが、気付けば口の周りと手がベトベトに。

 あらやだ。今のおじさんの食事風景ったら、まんまアメリカンなキッズじゃないですか。

 提供されたホットドッグキッズみたいに手掴みで思うがまま食し、無事完食。ベタついた口と手を紙おしぼりナプキンで拭ってから〆にクッキーを頂きます

 童心を思い出させてくれる、とても素敵なメニューですね。

焼肉ドッグ

 ホットドッグバンズレタスを敷き、焼肉を挟んだ逸品。……正確にはパンの隙間に肉を詰められるだけネジ込んだ逸品です。

 もちろんプレートの空きスペースは美しくないですからポテトチップスもどっさり付いてきますよ。

 囓ると甘辛いお肉の味が口いっぱいに拡がります。散らされた白ゴマも良いアクセントで美味。ご飯が欲しくなってしまますね。

 これはフォークが一緒に提供されたのですが、お肉だけだとちょっとしょっぱいですし、パンを齧ろうとすると使うタイミングなさそうなので、結局使用できませんでした。

 カフェモコ上級者の方はどう使うのか、が少し気になります

 

焼きそば

 極細麺をたっぷりキャベツソーセージに絡めて焼き上げた逸品。

 皿にどっかりと盛られた焼きそばの上には刻み海苔紅ショウガも横に控えています

 そして何故かパンも一緒に提供されます

 ……パン??

 頭に疑問符を浮かべながらよく見ると、中央に切れ込みが入っていました。

 なるほど! これ使って自分焼きそばパンを作れ、という事ですね。

 カフェコスタイルでパンの隙間に限界まで焼きそばをネジ込んで、紅ショウガを散らせば、おじさん謹製焼きそばパンが完成。

 焼きそばパン作れるとか、遊び心があって素敵過ぎませんか。

 ちなみにパンに挟んでも普通焼きそばくらいの量は余ります

 味としては縁日で食べる焼きそばをオシャレにした、すごくいい感じのソース味でした。

 

カルボナーラ

 とろっとろなカルボナーラパスタの中心に卵黄が鎮座し、ピリりと胡椒の効いた逸品。

 残ったパスタソースに着けて食べる用なのか、こちらもパスタ本体とは別にパンが一緒に提供されます

 パスタソースの絡み具合、卵黄のまろやかさ、胡椒の刺激がとてもいい感じで美味しかったです。

 パンバターの効いた少し甘めなクロワッサンで美味でした。

 

 カフェモコの料理は何を頼んでも「物足りない」と感じる事がないです。

食べ物を頼むって事はお腹が空いてるって事だよね? よし任せとけ! 必ず君のお腹幸せで満たしてあげるよ!』みたいな感じでしょうか。

 とにかく食事を頼んだ客をお腹いっぱいにしてあげたい、という店側の思い遣りがビンビン伝わって来ますね。

 頼んだ食事メニュー全てにクッキーついてきてますから食後の口直しもバッチリです。

 喫煙される方には大きく頷いて頂けると思うのですが、満腹になった直後に吸うタバコのまぁ美味しいこと。

 食後はタバココーヒーを楽しみつつ、昭和通りを行き交う人々を眺めながら優雅時間を過ごしました。

 店の奥には昭和通りを見つめる虎の置物も居ますし、多分これがカフェモコのカウンター食事した際の正しいマナーでしょう。

 しか秋葉原も変わりましたね。

 私が初めて訪れた時は駅前ジャンクパーツ横丁みたいのがあって謎の部品がいっぱい置いてある、みたいな場所だったのに。

 当時の人に「秋葉原はお洒落になって、道端にメイドさんがいっぱい生えてる」って言っても誰も信じないでしょう。

 そんな時代の流れを懐かしみつつ、おじさんは秋葉原を後にしたのでした。

 

 以上、ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 また都内喫煙可能喫茶店を紹介しようと思いますので、見かけた方は読んで頂ければと思います

2023-11-28

最近妄想ネタ

昔はAV自慰のお供にしていたんだけど、ある時を境に妄想で抜くようになった。

最近シチュエーション

電車で好きな子と会って話してる時に突然アフロディーテに目をつけられて亜空間拉致されて、ギリシアポリス遺跡みたいな場所で「私が満足するまで返さないわよ」とか言われるシチュエーション

アフロディーテに「そこのベッドで2人とも全裸になりなさい」「男の方は仰向けになって女の方は陰茎を咥えなさい」「こんな感じで頬杖をついたような体勢で…」「そうそうできるじゃない。お利口様。言うこと聞かないと人類滅ぼすからね」って命令されて。

アフロディーテミケランジェロラファエロ召喚して「ラファエロあなた達2人の絵を描いて、ミケランジェロ彫刻を作るから終わるまで動いちゃダメよ」とか言いうんだよ。

そんで終わったと思ったら「女、そのまま射精させなさい」って命令して好きな子が泣く泣くフェラを始める。

アフロディーテはそれを見ながら周りにいる女の天使レズプレイ始まる。

という感じ

2023-06-22

anond:20230621212704

うろ覚えだけど、特に問題が無い場合は年に1回程度検査すれば良いと医者が言ってた記憶がある。

自分場合は眼圧が高いことに加えて、眼球が頭蓋骨で圧迫されて少し変形しているとか他にもあったので

月に1回は診るように言われている。

毎月眼圧を検査をして眼圧を下げる目薬を貰いつつ、3ヶ月に1回視野検査をやってる。


何に気を付ければ良いか聞いて言われたのはこの5つだけど、あくま自分向けなので

今時点で問題無いなら水とカフェインはそれほど気にしなくて良いかも。

煙草を吸わない

スマホパソコンを見すぎない

頬杖うつ伏せ等で目を圧迫しない

・水をガブ飲みしない

カフェインを採りすぎない

2023-06-06

お前らのイマジナリー恋人の設定を教えてくれ

俺は

マンガ家でちょくちょく締め切りに追われる30代前半のお姉さん(Eカップ、垂れ目、縦リブセーター、よく髪をお団子に丸めている)と付き合っていて、俺が仕事終わって帰ってくると「ごめんねぇ~~ごはんできてないの…ダメな嫁でごめんねぇ…(まだ結婚していないのに自分のことを嫁と呼ぶことでアピールをしている)(30代なので俺を逃したら結婚できないと焦っている)(だから嫁として完璧でなければいけないと思っている)」と半べそかきながら言ってくるので、「俺は春子ごはんうまいから一緒にいるんじゃなくて、一緒にいたいからいるんだよ(決まった!決めゼリフが!)」とエプロンしながら返し(半ニヤケ面)、スーパーで買ってきた「あんかけ焼きそばの素」を作る。キクラゲは忘れずに。普段料理が上手な春子がそれを食べながら「今まで食べたものの中で一番おいしいよぉ」というけど、俺は「大げさだよ、いつも春子が作ってくれる料理の方がおいしいって」っていうと「私はゆーくんの料理が一番おいしいのっ(`H´)」許されることが前提のふくれっ面をしているから「早く食べちゃいな」と頬杖をしながらぷくぷく春子を眺めてる

くらいだよ

2022-10-08

[] 【クラスで一番の美少女が何故か俺の許嫁になった件】

青春というのはいつでも灰色だ。授業中の教室で俺はそんなことを考えていた。(ここまで書いた。以下全てAI)

 

から差し込む暖かな日差しに照らされながら、今日も机で頬杖をついている。

「えー、ここはテストに出るからな」

教師言葉は右耳から左耳に抜けていく。その言葉を聞いているふりをしながら、窓の外に広がる青空を見つめた。高校二年生になって一ヶ月ほど経つと、周りはすっかり受験モードに入っている。しかし俺には関係のない話だった。

俺こと橘翔琉(たちばなかける)はどこにでもいそうな普通高校生だ。自分で言うのもなんだが成績は悪くない方だし、顔だってまあそれなりだと思う。ただ一つ普通じゃないことがあるとすれば――

「おーい、翔琉! 起きてるか?」

「……ん? ああ、もちろん起きてるぞ」

隣に座っていた友人である安藤正樹(あんどうまさき)に声をかけられて我に返る。彼は成績優秀スポーツ万能という非の打ち所がない人間だが、唯一の欠点としてとてもうるさい。今も大声で話しかけてきたせいで、教師に注意されてしまった。

「お前さっきの授業寝てたろ!」

「……悪いかよ」

「いいや別に。ただいつも寝てるなって思ってさ」

正樹はそう言いながら苦笑いを浮かべている。

「それにしてもなんで翔琉っていっつも眠そうにしてんだろうな。夜遅くまでゲームしてんじゃねえのか?」

「ちげーよ。勉強してんだよ」

「嘘つけ。お前が真面目に勉強するわけねーじゃん」

「ほんとだよ。最近ネット小説にハマっててさ、そいつを読むために睡眠時間削ってんだよ」

これは本当のことだ。最近の楽しみといえば専ら異世界転生ものラノベを読んでいることくらいだ。この世界とは違う世界主人公転移し、そこで新たな生活を始めるという内容のものが大半を占める。俺にとっては夢のような物語なのだ

へぇ~、そういう趣味があったのか。なら今度オススメを教えてくれよ」

「おう、いいぜ」

それから特に何事もなく放課後を迎えた。正樹とは帰り道が違うため校門の前で別れると、一人帰路につく。そして自宅に着くと同時に鞄を投げ捨てパソコンの前に座った。電源を入れ起動を待つ間、俺はスマホを手に取る。そこには先程読んでいた小説サイトのページが開かれていた。タイトルは【俺だけレベル1だけど異世界で楽しく生きてます】というもので、主人公異世界へと召喚されるのだが、なぜか最初からステータスが全て一桁台だったという内容だ。

「ふぅ……やっぱり面白いなぁ」

ついつい声に出しながら読み進めていく。この作品では主人公チート能力は皆無なので、最初は他のキャラたちと比べてかなり弱い。そのため序盤は苦労することが多いが、徐々に仲間を増やしていき最終的には最強の存在になるのだ。ちなみにこの作品の作者は女性であり、ペンネームは『水無月凛花』となっている。

「いつか会えるといいな……」

わず独り言を呟く。今まで何度か感想を送ったりレビューを書いたりしたことがあるが、どれも反応はなかった。作者は基本的マイペースらしく返信が来ることは滅多にないらしい。

「よし、読むか」

画面を見るとちょうどプロローグが終わったところだったので本編を読み始めることにした。こうして俺は今日異世界転生ものを楽しむのであった。

翌日、学校に行くとすぐに自分の席に着いた。すると隣の席の女子生徒が不思議そうな顔を向けてくる。

「あれ? 橘くんおはよう

「ああ、おはよ……えっ!?

彼女挨拶に応えると目を丸くした。なぜならそこに居たのは昨日読んだ小説主人公だったからだ。

「どうかした?」

彼女は首を傾げながら問いかけてきた。その仕草を見てドキッとする。

「いやなんでもない。それよりも名前教えてもらってもいいかな?」

「私は一ノ瀬結衣(いちのせゆい)っていうの。よろしくね!」

笑顔自己紹介してくれた一ノ瀬さんに俺も微笑み返す。まさかこんなところで会うことになるなんて思わなかった。

「私の顔に何かついてるかな?」

「ごめん。ちょっと見惚れてただけだから気にしないでくれ」

「もう! からかわないでよね!」

一ノ瀬さんの頬が赤く染まる。こういう表情も可愛いなと思っているとチャイムが鳴った。どうやら担任教師がやってきたようだ。

「ほらみんな、早く席に着きなさい!」

一ノ瀬さんがそう言うとクラスメイトたちは次々と着席していく。それを見た後、先生自分名前を黒板に書いてから振り返った。

はい、皆さん初めまして。これから二年間あなたたちのクラス副担任を務めることになりました、安藤真理亜(あんどうまりあ)です。担当科目日本史となりますのでよろしくお願いしますね。それでは出席を取りたいと思います

安藤先生が名簿を開く。しかし突然ピタリとその手が止まった。

「あら? おかしいわねぇ、欠席者が二人もいるみたい。誰か知ってる人はいるかしら?」

「あの~、すみません遅刻してきます

一人の男子生徒が手を挙げる。

「じゃあそっちの子は?」

「すんませーん、サボりまーす!」

もう一人の男子生徒も同じように答えた。

「そう……まあいいわ。とりあえず二人とも放課後までには必ず来るように伝えておいてちょうだい」

安藤先生はため息をつくとそのまま教室を出ていった。そして授業が始まると俺はこっそりと一ノ瀬さんに話しかけた。

「なぁ、さっきのって主人公ライバルキャラだよな?」

「うん、そうだよ」

彼女はそう答えるとこちらに向かってウインクしてくる。

「やっぱりか! てっきり夢でも見てんじゃないかと思ったよ」

あはは、実はね。私の書いた小説世界と君が読んでいた小説リンクしているみたいなんだ」

「マジかよ……」

「本当だよ。さすがに私もこの展開には驚いたけどね」

「確かに……」

「だからさ、私たちって結構近い関係なんだと思うんだよね」

「そうだな」

「もし良かったら仲良くしてくれないかな?」

「もちろんいいぞ。むしろこっちからも頼む」

俺の言葉を聞いて嬉しそうに笑う。そんな彼女を見ながら、俺は心の中でこう思った。

(これはきっと運命なんだ。俺はこの出会い感謝するよ。この世界で頑張っていこう。そしていつか絶対彼女幸せにしてみせる)

こうして俺の異世界生活が始まった。

「おい、聞いたか? また出たらしいぜ」

「ああ、最近よく聞く話だな」

「俺も噂で聞いたんだけど、どうやらこの辺りにも現れたらしいぜ」

「何が現れたんだよ?」

「そりゃ決まってるだろう。吸血鬼だよ、ヴァンパイア!」

へぇそいつはおっかないな」

休みになると、教室内では生徒たちによる会話が繰り広げられていた。話題の中心になっているのはもちろん先程から聞こえている通り、ここ数日の間に起こっている連続殺人事件についてである。殺された被害者はいずれも若い女性であり、死因は心臓刃物のようなもので貫かれたことによる失血死だった。

「物騒なこと言わないでよね! 本当に出ちゃうじゃない……」

一ノ瀬さんは恐怖からか、身体を震わせながら言った。

大丈夫だって。一ノ瀬さんは俺が守ってやるから

「橘くん……」

「それにしても犯人は何が目的なんだろうか……」

俺は腕を組みながら考える。

「それはわからないわ。だけど今までの事件現場を調べてみると共通点があるらしいの」

「えっ?そうなのか?」

「ええ、それがね。被害者女性はみんな夜中に一人で歩いているところを襲われてるらしいの」

「なるほど、そういうことか……それで?」

目撃者の話によると犯人の姿はほとんど見えなかったらしいわ。でも声だけはハッキリと聞こえたそうなの」

「どんな内容だったんだ?」

「確か『今宵は満月貴様の命運もこれまで』とかなんとか言ってたらしいわ」

「……それ完全に悪役じゃないか?」

「私もそう思う。そのせいでネットでは『新手のファンタジスタ』なんて呼ばれてたりするくらいだしね」

ファンタジスタ?」

聞き慣れない単語に首を傾げる。すると一ノ瀬さんはスマホを取り出して説明してくれた。

ファンタジスタっていうのは簡単に言うとファンタジー世界活躍するサッカー選手のことかな。現実世界ではあり得ないようなプレーをする人に対する賞賛として使うことが多いの」

「つまりサッカーで言うところのレジェンドプレイヤーみたいな感じか?」

「そうかもね。ちなみに海外だと有名な選手のことをこう呼ぶこともあるわよ」

「例えば?」

「そうだね。一番わかりやすいのはレアル・マドリード所属するあの選手はどうかしら?あの人はドリブルパスといった基本的技術がずば抜けていて、しか得点力も高いからまさに『キング・オブ・フットボール』と呼ばれるに相応しい存在なの」

へぇ~、すごいんだな」

俺は感嘆の声を上げる。

「あとは元日本代表のあの人も有名

 

(なぜかサッカーの話が止まらなくなってしまったのでここで打ち切りします)

2022-09-20

造物主の掟(1983 )P50

 コンロンはため息をつき、座ったまましばらく頬杖をついて机を見下ろしていた。これから何もかもどうなっていくのだろうかと彼は考えた

ーー石油会社鉱床探しに雇われた大勢振り子占い師たち、遅まきながらということで大学に設けられた「超常現象学位、かつては立派な科学出版物だったものに現れはじめた変人もの論文、もうすぐピラミッドから無限の「宇宙エネルギー」が得られるようになることを確信して核融合研究費の削減を要求する政治家ーー

折も折、合衆国日本から最新型のトカマク反応炉を輸入しなくてはならなくなっている。

 優秀な技師や技手を見つけることはほとんど不可能になってしまった。科学工学技術などの専門職

ーー事実上努力と忍耐と勤勉さを要求されるようなものは何でもーー

は、どうやら若い世代にとっては野暮くさく、とろいやつのすることと考えられはじめているようだ。

それに訓練を受け、経験を身に付けた若者は、すぐにもっとやり甲斐のある方面へ転進をはかり、より有利で挑戦の機会がある海外へ出ていこうとする。

日本中国インドアフリカといったそうした地域に住む人々は、現実と顔をつきあわせてきた長い歴史のおかげで、どういう意味しろ自己発見」の概念だとか「神秘的な至福の探求」といったものに惑わされずにすんだ。

そして二十一世紀に遭遇したとき、彼らは何も解決してくれない魔法迷信への信仰をすばやく放棄し、今やその地に進歩工業化した高度技術文明の礎を築くべく、営々と立ち働いているのだった。

2022-09-18

友人と会うと過呼吸になる

社会人の私には、10年以上の付き合いの友人がいます

少し前からその友人と会うと、帰ったあとどっと疲れてしまい、体調がとても悪くなります


じゃあ会わなきゃいいだろうと皆様は思うと思うのですが、同人イベントジャンルが同じ、そして住んでいる県も同じなので、イベントで会ってしまます

しかもお互い創作勢なので絶対に顔を合わせることになります。せっかく好きなことを表現できる創作の場。人間関係で揉めたくないし、気まずくなりたくないです。


イベント以外では会うことを極力避けているのですが、友人は私のことが大好きで、「もっと遊びたい」「旅行に行こう」「合同で作品を出そう」「やっぱりお前と遊ぶの楽しいわー!」と言います

精神的にこたえることが多いので、忙しいとやんわり断ってはいるのですが、それでも会いたいと言ってきます

でも、会ったら会ったで友人はずっとスマホを触っていて、私の話もほとんどうわの空。返事も適当です。

友人の話は誰かに対する愚痴が多いのですが「それは友人が悪いのでは…?」と思うことがほとんど。

そして思ったことをきつい言い方で伝えるので、飲食店店員さんにも態度が良くなく、びっくりすることが多いです。

空気が悪くならない程度に伝えると、「だって!仕方ないじゃん!」「私は悪くない!」の一点張り聞く耳を持ってくれません。

本人に悪気はないのですが、言い方がきついし声も大きいので相手申し訳ないし、私自身辛くなってきます

言い方がきついことも指摘したのですが、「自分が言い方きついと思ってないからどこを直せばいいかからない。何を言っているかからない。」とのことでした。


そのほかにも大きな声でイベント文句を言う、雰囲気の良い静かなお食事処で大きな声で会話&頬杖ついてずっとスマホいじり…等あって、正直もうお手上げです。

電車で大きな声でヲタ話をする、私が好きなキャラクターを見せたら「誰それオカマじゃん!」と言うなど色々きついです。

年に4回ほどのイベントがなければこちからフェードアウトしているでしょう。


友人は様々なグループと揉めてしまうようで、揉めるたびに友達が少なくなり、今では私だけのようです。

学生の頃は「言い方がきついなあ」と思い、指摘するくらいでしたが、社会人になってから価値観が合わなくなり、一緒にいると苦しくなります


もう無理だと思ったのは、とある人に対して友人が「心療内科行けよ(笑)」と言ったことです。

私がパワハラセクハラ心療内科に行って闘病しているのを知っているのにそんなこと言うんだ、と。

本当に私のこと好きなのか?私の性格の都合の良い部分だけ啜ってそう言っているのか?

私のことを本当に好きだと思うのなら、私が言われて嫌なことは少しは想像できるのでは?と思ってしまます

そしてこの件は心療内科に通って頑張って生きている別の方や良くしてくださる先生のことも馬鹿にされた気がしてショックでした。(これは私の被害妄想かもしれませんね)


友人とは、イベントだけの付き合いだと思って割り切るしかないのでしょうか。

ただでさえイベントでは色んなことを考えなければならないのに、このことで悩みたくないです。イベント楽しみたいですし。

方法としては

イベントだけの付き合いと思って極力割り切る

②いつものように「私は悪くない!」と言われる可能性は高いが、嫌なことは嫌とやんわりでも伝える

くらいしかないのでしょうか。


友人を思い出すたびに動悸がして、もやもやして、息が苦しくなり頓服安定剤を飲みました。今はだいぶ落ち着きましたがどうしても吐き出したかったのでこちらに書きました。

本当は仲良くしたいですし一緒にいて楽しいと思うことも少しはあるのですが、帰宅したあとどっと疲れて泣いてしまます


皆様ならどうするのでしょうか。

本当に辛いです

2021-05-17

幼稚園の保育参観だった

今日幼稚園の保育参観だった。

4月から幼稚園に入ったばかりの息子。幼稚園ではどんな様子なのか、私はとても気になっていた。

コロナ対策で、教室ではなく体育館での参観。始まる前にほかの子どもたちはウロウロと歩いている中、息子は机に頬杖をついてジーッとしていた。

視界に入る席に私が座っても、手を振るでもなく笑うでもなく頬杖着いたままじっとしている。

工作が始まってからも基本頬杖で、先生に促されてクレヨンを握ったりしていた。その間、私の方はほぼ見ず。

もしかして体調でも悪いのでは?」と心配になるほどかったるそうにしていた。

参観が終わったらそのまま親と帰宅だったのだが、帰宅はいつも通り楽しそうに遊んでいた。

いつも朝のバスに乗る時に「ママと一緒がいい」って何度もつぶやくので「がんばって楽しんでらっしゃい」と送り出すのだが。ふだんもあんな風にひとりぼっちで机に座ったりしているのだろうか。年少だからまだお友達と一緒に遊ぶのは難しいかもしれないけれど、お友達とも先生とも馴染めずにいるのだろうか。

そう思うと胸がキューッとする。

まだ通い始めて一か月ちょっと。家ではのんびり一緒に遊ぶようにして、リラックスさせてあげたいと思う。

ちょっとでも幼稚園楽しいとおもえるようになるといいな。

2020-10-30

あなたの反マスクはどこから

少し前まで仕事欧米住みしてて、コロナの影響で帰国した者です。

当時リアルタイムで状況を見ていたので、個人的観測シェアさせてもらう。


日本欧米感染者数の違いについてのニュース流れると、どうしてこんなに差が出てるのか、というコメントが必ずつく。

自分が在住していた某欧州国でも、反コロナデモがまあまあな頻度で起きていた。

マスクをあえてつけないことが "着けない自由=身体自由" という1つのポリシーとして確立しており、学校先生スーパー店員まで、幅広く支持されている。


どうしてこういうことが起きるのか。


マスクを着ける習慣もなく、そもそも薬局にすら売ってなかった欧米で、コロナ第1波の時に人々は何を「推奨」されたか知ってる?


それは「顔を触らない」だ。


口はもちろん鼻や頰、あご、とにかく顔周りを触らないようにしましょう、と、ニュース個人メディアは伝え、子供学校からのお知らせなんかにも書いてあった。

SNSでも個人メディアYouTuberしたり顔で伝える動画が流れてきた。

もちろん手洗いなんかも推奨されたけど、全く新しい習慣としてまずこの「顔を触らない」というのが表立って提示された。


お前らも3分くらい意識してやってみてほしい。


これが難しい。


人間自信をなくすと顎から上に手がいくように、顔を触るという行為無意識でやっていることが多く、自分コントロールするのはなかなか難しい。

頬杖もだめ、顎に手を当てて考える仕草もだめ、鼻を触るのもだめ。


これが公的に「推奨」されていることについて、強烈な違和感を覚えた人は少なくなかったはずだ。しかし初めて経験するパンデミックの中で、これに対しては何も反発が起きなかった。起こす必要もなかった。その時はあと1、2ヶ月もすれば、元の生活に戻ると思っていたから。


その後の経過についてはご存知の通りだ。


何が言いたかたかというと、欧米におけるコロナ対策の初動が日本アジアとは全く異なったアプローチをしており、それが尾を引きずって、反マスクの奴らが言う「呼吸する自由」みたいなのに繋がっている、ということ。


あの時の強烈な違和感日本マスク着用のプレッシャーとは一味違う圧があった。

ソースも何も無いけど、欧米の動きの解釈の一つとして、ご参照いただければ。

2020-09-20

生きることの倦怠、憂鬱

うちの猫今日もものすごく暇そうにしている。窓の外を眺めたり、毛繕いをしたり、ご飯を食べたり、うんちをしたり、猫じゃらしを追いかける他にすることがないから、ほとんど寝て過ごしている。その様は気持ちよさそうにも見えるが退屈しているようにも見える。ただ単調に過ごすこと、これが猫に与えられた使命であり、生そのものなのである。そして猫に限らず少なかれ、いきとし生けるものはこの憂鬱を抱えながら生きている。ただじっと待つこと、生きることの大半はこれに占められている。

退屈はいつも身近にある。たとえば雨ふりの庭、教室の窓から眺める雲、持て余した昼休み頬杖をつき、なにやら取り止めのないことを考えながら、ただじっと時が過ぎるのを待つ。つまらなくって、嫌になっても時計の針は早くは進まない。時計はただ無機的に、砂が流れるのを刻んでいる。まぶたが重くなって、頭がぼんやりとしてくる。退屈が私を呑み込んで、支配してしまう。それでも私はただひたすらに終わるのを待つしかない。

けれども、果たしていつ終わるというのか。そもそもいったい何が終わるというのか。生にまとわりつく、引き延ばされた時間が終わるとするならば、それは死んだということと同義である。ようするに、待っているのは死という決定的な終止符に他ならず、言ってしまえば死を待つことこそが生きるもの宿命なのだろう。そして、やはりこんな取り止めのない日記をつけているのも退屈だからに他ならない。つくづくやれやれと思う。

2020-04-09

めっちゃ咳が出るんだが

夕食で気合入れてタマネギ1個半刻んだから気軽に頬杖もつけないこんな手じゃウィルス

2020-03-15

フェミニズム界隈を巡る反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-02-11

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-02-10

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照類推させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと――。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。結論としては以上となる。

2019-11-18

anond:20191118235152

コーヒーを飲む

深呼吸する

GATSBYとかのスースーする顔拭くやつ使う

頬杖付いてちょっと(1~2分)寝る

社会人は~とか書いてるから言っとくけど

時給のバイトで寝るのはアウトだと思う

2019-08-11

知人と映画に言ったのだが、知人が食べ物飲み物スーパーで購入して持ち込んだ

引きつつも、自分は買わずに入った

映画が始まり見ていると、知人は食べきったポテチの缶を手遊びで振っている

その度に缶底がスクリーンを反射してチラチラと目に光が入る

幸い映画館はすいてたので周囲に迷惑というほどではなく、鬱陶しいのは自分くらいだったが

目障りで、もう視界に入れないようにしよう と頬杖ついて見てた

映画なんて誰と行っても同じだと思ってたけど、違うんだなということを理解した

2019-04-25

40台半ばになったオッサン若い世代に伝えたいこと

ちょっと昔のテレビでやってたことなんだけど、人の体の健康って突き詰めると姿勢食生活睡眠運動解決できる。これらが若いころから悪いままだと、40代・50代になってくると大きくなって響いてくる。

若いころは学生なら体育とか、友達と遊びに行ったりとかで体を動かしてるので実感沸かないが、30代以降になると体を動かすことがめっきり少なくなるので体が錆びる。若いころから体を動かす習慣が必要

若いうちから運動をやらなかったとしても柔軟やスポーツの前の準備運動的なものはやっておこう。 30・40代になったときに絶大な利点になる。

姿勢は正しく。 ただ、ガチガチ姿勢正しくすると回りに馬鹿にされると思う。 正しい姿勢からちょっと力抜いたぐらいでOK。

かっこいい人の猫背は大して格好悪く見えないかもしれない。 だから猫背に対しての見栄えを気にしないかもしれないが、猫背あなたが思ってる以上に超絶ダサい。 前歯が無くて禿げてるオッサンと同等ぐらい。

頬杖ほおづえ)は頚椎負担しかならないので絶対駄目。 ポーズとして取るならいいが、常日頃頬杖は駄目。

腹筋大事。 10回でもいいか毎日。 不可が少なすぎると感じたなら20回とか増やしてもいいが、いきなり負荷かけすぎても止めたくなるだけなので、軽い不可でいい。1年も経てばいい腹筋が得られるはず。(興味や余裕があるならインナーマッスルを鍛えるのもいいかも)

体重のみで他人比較して「私太ってる」なんて馬鹿げた比較不要。同じ1メートル四方の塊があったとして、片方は発泡スチロールでもう片方はコンクリート。これを擬人化したときコンクリートちゃんが「わたし太ってる(重い)」って凹んでるようなもん。

人によって筋肉の付き方(脂肪より筋肉の方が重い)、骨の太さ、内蔵等の大きさが違うのに他人と比べてもまったく意味が無い。

ご飯栄養)を抜いてダイエットして痩せたとか言いますが、私から言わせりゃ弱ってるだけ。飢餓状態に陥ってるだけ。そんな弱って健康じゃない人間のどこが美しいのか? そんなのゾンビ予備軍ですよ。

体ってのは食べないと満足できないようにできてるので、3食きっちりとる。 ちゃん食事を取らないと衰弱するだけで、衰弱すると食欲も無くなるので悪循環しかならない。

睡眠をする時間もったいないという感じはわかるが、夜に寝ないだけで体には悪影響が出る。 若いころは「若い」ってだけで回復するが、その夜更かしの週間が直せないままオッサンババアになると毎日疲れた状態スタートするので、見た目がもうヤバくなる。 とにかく夜は寝ろ。



こんなところかな。

とにかく、オッサンババアになったときのことを考えて習慣づけてないと辛いだけだから気をつけて。

2019-02-16

視線恐怖症

職場とかカフェとかが特にそうだけど、ずーっと視界に人が入っている状況にストレスを感じる。

具体的には、自分が横目でその人達を見てしまっているんじゃないか、見てしまうことで不快にさせてないか不快感情自分に向けてこないか、ということが不安

いやそこまで自分ことなんて気にしないだろうと思いもするけど、ふと、あ、今横の人見てしまっているなと思ったときに、ちょうどその人がため息をついたり頬杖を組み直すような仕草をする気がする。それが僕には僕が見てしまっていることで与えたストレスによるものと思える。

偶然にしてはよくありすぎる気がして。どうすればいいんだろう。辛い。もう15年くらい続いてる症状だけど。

2019-01-16

体の歪みを直せばブサメンでもフツメンに見えるのでは

姿勢がいいとチビでもブサでもそれなりに見えるって気づいた。猫背NG

あと顔のパーツが地味でも、顔が左右対称ならそこそこ整って見える。

歯並びが悪ければ歯列矯正して、頬杖つく癖や足を組む癖があったら癖を直す、口呼吸してるなら鼻呼吸する。

案外こういう日々の積み重ねが大事なのでは。

2018-11-12

anond:20181112214641

やっぱリビドー大事よね

なんだろな、テーマとか完成図とかが浮かばないんだよね

結果手癖で雑に描いて終わっちゃう 構図もいつも似たような感じ

から描けば頬杖バストアップか反り気味立ちポーズか足組んで座るポーズ

から描けばパンツ見える座りポーズ 腕や手から描けばギャルゲアニメにある手を前に伸ばした謎ポーズ

そんなのにはもう飽きてるんだけど何の構図も浮かばないのよね

2018-10-12

隣の席のクチャラー滅んで

会社の人がいるのでtwitterでも愚痴れないのでここで愚痴らせて

隣の席の人がクチャラーでつらい

ゆるいウェブIT企業からお菓子食べながら仕事するのも会社規則的には何の問題もない

で、隣の席の人は「(朝ごはんやお昼ご飯など一定量の)食事をすると眠くなるから、こまめに食べる」と公言し、ほぼずっとお菓子を食べてる。飴とかグミとかチョコとか

で、クチャラー

飴とかグミを舐めてるときに「ちゅぱっ」って音がするのホントいらつく。なんなのばかなのしぬのこっちがしぬわばか

そいつ問題はそれだけじゃなく

食事をしなくても眠いのであくびを頻繁にしてる。

眠気を覚ますために伸びをする際に「うぅ〜〜〜〜〜〜ん」とか普通の声量で言う。

お菓子を食べてるせいでゲップをする。

服装が汚い。襟だるんだるんのTシャツとか着てるし、シャツもよれよれ。

姿勢が悪くて立膝をついてる。

姿勢が悪くて前傾姿勢になりがち、故に頭を支えるために頬杖をついてる。

集中しだすと独り言を言い出す。

ケータイを頻繁にいじって、いじり終わったら机に軽く放り投げるので「ガンッ」って音が響く。

貧乏ゆすりをする。ひどいときはその振動が机越しに伝わってきてこっちのディスプレイが揺れる。(私の三半規管が弱いので文字を読もうとすると酔う)

耐えかねて上司経由で注意してもらっても全然改善されない。

自衛策として音系はイヤホン遮断、視界系は体の向きを変えて視界に入らないようにする(こっちの姿勢が斜めになるのでつらい)、貧乏ゆすりなどはもう離席するしかない。

人事の人、なんでこんなやつを採用したの。マジで無理。ノイローゼになりそう。

2018-08-17

子供は声より視線迷惑

大声で騒ぎ続けるのは声を出すのが楽しい時期なんだなあと思うし

延々走り回ってはしゃぎ続けてるのは体動かせるのが楽しい時期なんだろうなと思って腹は立たないんだけど

無遠慮にじっと見てくるのはやめなさい

もう一個言うと、"頬杖をつくポーズ"と"足が付かない台に座った状態で腕まっすぐで手のひらを台へ押し当てて少し顔を後ろに振り返り気味なポーズ"は全然かっこよくないしそのポーズを取ったところで誰も注目しないか直ちにやめろ

2018-04-03

anond:20180403204451

からなんだよカス

仰向け以外の寝方や頬杖を控えたり歯の裏に舌をあてる癖がないか注意するようにしないと歯列が後戻りしやすくなるから気をつけろよクソッタレ

治ってよかったな

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