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2022-06-17

歴代ノーベル文学賞受賞者と、受賞理由

https://moriishi.com/entry/nobel-prize-in-literature-early20c

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

面白かった。ウィンストンチャーチルも受賞してたの知らなかった。

日本人

1968年 川端康成 (1899 – 1972)

日本人の心の真髄をすぐれた感受性をもって表現し、世界の人々に深い感銘を与えたため

受賞講演 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A7%81%E2%80%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BA%8F%E8%AA%AC

1994年大江健三郎 (1935 – )

詩趣に富む表現力を持ち、現実虚構が一体となった世界創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている

2017年 カズオ・イシグロ (1954 – )

壮大な感情の力を持った小説を通し、幻想的な世界とのつながりの感覚の下にある深淵発見した

───────────────────

1901年 シュリ・プリュドム(仏)

高尚な理想主義芸術的完成度の形跡、心情と知性の両方の資質の珍しい組み合わせを与える、詩的な構成物に対して

1902年 テオドールモムゼン(独)

彼の記念碑著作"ローマ史"を代表作として、存命中歴史著作家の中では最大の巨匠であること

モムゼン ローマ歴史I―ローマの成立―

1903年 ビョルンスティエルネ・ビョルンソン(ノルウェー

その感化の鮮度と精神の希少な純度の両方において名高い、高貴で壮大、且つ多彩な詩に敬意を表して

アルネ

1904年 フレデリックミストラル(同時受賞)(仏)

プロヴァンス言語学者としての重要な業績の他、自然景観と人々の土着の精神を忠実に反映した、彼の詩作の新鮮な独創性と真の触発に対して


1904年 ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ(同時受賞)(スペイン

独創的で個性的手法スペイン演劇の偉大な伝統を復活させた、数多くの鮮やかな構成物に対して


1905年 ヘンリク・シェンキェヴィチ(ポーランド

叙事詩作家としての顕著な功績に対して

1906年 ジョズエ・カルドゥッチ(伊)

念入りな学究とその成果を評価するとともに、創造的なエネルギースタイルの新鮮さ、詩的な傑作を特徴づける叙情的な力に敬意を表して

1907年 ラドヤード・キプリング(英)

この世界的に有名な作家創作を特徴づける、観察力、想像力独創性、発想の意欲と、叙情非凡な才能に対して

ジャングル・ブック

1908年 ルドルフ・クリストフ・オイケン(独)

真実のための本格的検索思考の一貫した力、視野の広さ、表現の暖かさと強さによって、数多くの作品の中で人生理想主義哲学実証したこと

1909年 セルマ・ラーゲルレーヴスウェーデン

その著作を特徴付ける崇高な理想主義生気溢れる想像力精神性の認識を称えて

ニルスのふしぎな旅

1910年 パウル・フォン・ハイゼ(独)

叙情詩人、作家そして世界的に知られた短編小説家としての長年の創作活動を通して世に送り出してきた、無上の芸術性、理想主義の浸透を賞賛して

1911年 モーリス・メーテルリンクベルギー

多岐にわたる文学活動特に戯曲の数々を評価して。豊かな想像力と詩的な空想は、時に御伽話の形を装いながらも、それぞれの作品神秘的な方法で読者ひとりひとりの感性に訴え想像力を刺激する間、深い創造的発想を明らかにする

青い鳥

1912年 ゲアハルト・ハウプトマン(独)

主に、演劇の分野での豊饒で多様、且つ顕著な功績に対して


1913年 ラビンドラナート・タゴール(印)

西洋文学一角なす英語思考表現された、至極の技巧による彼の深く敏感な、鮮やかで美しい韻文に対して

1914年該当者なし

1915年 ロマン・ロラン(仏)

彼の文学活動の高尚な理想主義に、人類の異なるタイプ描写した思いやりと真の慈愛に、敬意を表して

ジャン・クリストフ

1916年 ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム(スウェーデン

我々の文学における新時代を率先的に代表する者としての重要性を認めて

1917年 カール・ギェレルプ(同時受賞(デンマーク))

崇高な理想に触発された、彼の多様で豊かな詩に対して

1917年 ヘンリク・ポントピダン(同時受賞)(デンマーク

デンマーク現代生活の本格的な描写に対して

1918年該当者なし

1919年 カール・シュピッテラースイス

1920年代

1920年 クヌート・ハムスン(ノルウェー

彼の記念碑著作"土地の成長"に対して

ヴィクトリア (岩波文庫)

1921年 アナトール・フランス(仏)

格調高い様式人類への深い共感優美さ、真なるガリア人気質からなる作風による、文学上の輝かしい功績が認められた。

神々は渇く

1922年 ハシント・ベナベンテ(スペイン

スペイン演劇の輝かしい伝統継承する、幸福手法に対して

1923年 ウィリアム・バトラー・イェイツアイルランド

芸術性が高く精妙な詩歌によって国民全体の精神表現した貢献に対し

1924年 ヴワディスワフ・レイモント(波)

彼の偉大なる国民叙事詩"農民"に対して

1925年 ジョージ・バーナード・ショーアイルランド

他に類を見ない風刺に満ち、理想性と人間性を描いた作品を送り出した事に対して


1926年 グラツィア・デレッダ(伊)

まれ故郷の島での生活人間一般的問題を深く人工的に明快に描写した、理想的な天来の著作に対して

1927年 アンリベルクソン(仏)

彼の豊かで活発な発想と、それが表現された鮮やかな技巧に対して

時間自由

1928年 シグリ・ウンセット(ノルウェー

主に、中世北欧生活についての力強い著述に対して

1929年 トーマス・マン(独)

主に現代古典としての認識を広く得た傑作『ブッデンブローク家の人々』に対して

ブッデンブローク家の人びと

魔の山

1930年 シンクレアルイス(米)

活き活きとした写実的描写技術および機智とユーモアを伴った、新しいタイプ人物を造形する能力に対して

本町通り

1931年 エリクアクセルカールフェルトスウェーデン

エリクアクセルカールフェルトの詩に対して

1932年 ジョン・ゴールズワージー(英)

"フォーサイト物語"で頂点を極めた、優れた物語芸術に対して

林檎の樹

1933年 イヴァンブーニンソ連

散文によって古典的なロシア伝統継承した厳格な芸術に対して

呪われた日々、チェーホフのこと

1934年 ルイジ・ピランデルロ(伊)

劇的且つ美しい芸術を、大胆且つ独創的に復活させたこ

月を見つけた

1935年該当者なし

1936年 ユージン・オニール(米)

悲劇の独創的な概念を具現化する、彼の戯曲の力強さ、誠実的さ、深い感情に対して

楡の木陰の欲望

1937年 ロジェ・マルタン・デュ・ガール(仏)

"チボー家の人々"で、現代生活のいくつかの基本的な側面のみならず、人間葛藤を描いた芸術の力と真実に対して

チボー家の人々

1938年 パール・S・バック(米)

中国での農民生活の豊かで真に叙事詩的な記述と、彼女の伝記の傑作のために。

1939年 フランス・エーミルシランペー(フィンランド

1940年代

1940年該当者なし

1941年該当者なし

1942年該当者なし

1943年該当者なし

1944年 ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン(デンマーク

広い視野知的好奇心と大胆で新鮮な創造スタイルに結びつけられた、彼の詩的想像力の類稀なる強さと豊かさに対して

1945年 ガブリエラミストラルチリ

その力強い動機に触発された抒情詩によって、彼女の名が全ラテンアメリカ世界理想主義的な願望の象徴と化したこと

1946年 ヘルマン・ヘッセスイス

古典的な博愛家の理想と上質な文章を例示する、大胆さと洞察の中で育まれた豊かな筆業に対して

車輪の下

1947年 アンドレジッド(仏)

人間問題や状況を、真の大胆不敵な愛と鋭い心理洞察力で表現した、包括的芸術的重要著作に対して

狭き門

1948年 T・S・エリオット(英)

今日(こんにち)の詩文学への卓越した貢献に対して

1949年 ウィリアム・フォークナー(米)

アメリカ現代小説に対する、強力かつ独創的な貢献に対して


1950年代

1950年 バートランド・ラッセル(英)

人道的理想思想の自由尊重する、彼の多様で顕著な著作群を表彰して

哲学入門

1951年 ペール・ラーゲルクヴィスト(スウェーデン

人類が直面する永遠課題に対し詩作により解を探ろうと試みる芸術的活力と真の意味での精神的自立に対して

バラ

1952年 フランソワ・モーリアック(仏)

彼の小説人間生活ドラマに浸透した、深い精神的な洞察力と芸術的な強さに対して

テレーズ・デスケル

1953年 ウィンストンチャーチル(英)

歴史や伝記の記述熟達に加え、高揚した人間価値についての雄弁な庇護であること

第二次世界大戦

1954年 アーネスト・ヘミングウェイ(米)

"老人と海"に代表される、叙述の芸術への熟達と、現代ストーリーテリング形式に及ぼした影響に対して

老人と海

1955年 ハルドルラクスネスアイスランド

アイスランドの偉大な物語芸術革新した、彼の鮮やかで壮大な力に対して

1956年 フアン・ラモン・ヒメネス(西)

高邁な精神芸術的純度の一例を構成する、スペイン語による彼の叙情的な詩に対して

1957年 アルベール・カミュ(仏)

この時代における人類道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、彼の重要文学創作活動に対して

1958年 ボリス・L・パステルナークソ連

現代風の叙情的な詩、および大ロシア歴史伝統に関する分野における、彼の重要な功績に対して

ドクトル・ジバゴ

1959年 サルヴァトーレ・クァジモド(伊)

古典的な火で現代生活悲劇的な経験を照らし出す、叙情的な詩に対して

1960年代

1960年 サン=ジョン・ペルス(仏)

我々の時代の状況を先見的に反映した、彼の詩の高らかな飛翔と喚情的な形象に対して

1961年 イヴォ・アンドリッチユーゴスラビア

自国歴史主題人間運命を叙述した、彼の偉大な力量に対して

宰相の象の物語

1962年 ジョン・スタインベック(米)

優れた思いやりのあるユーモアと鋭い社会観察を結びつけた、現実的で想像力のある著作に対して

怒りの葡萄

1963年 イオゴス・セフェリス(希)

ヘレネ世界観への深い感情から着想を得た、優れた詩作に対して

1964年 ジャン=ポール・サルトル(受賞辞退)(仏)

アイデアに富み、自由精神真実の探求に満ちた彼の作品が、私たち時代に広範囲な影響を与えてきたことに対して

嘔吐 

1965年ハイル・ショーロホフ(ソ連

彼の「ドン」の叙事詩によって、ロシアの人々の生活歴史的な段階を表現した芸術の力と整合性に対して

静かなドン

1966年 シュムエル・アグノン(同時受賞)(イスラエル

ユダヤ人の人々の生活モチーフにした、深遠に個性的な叙述の芸術に対して

1966年 ネリー・ザックス(同時受賞)(スウェーデン

イスラエル運命を伝える優れた詩と劇作に対して

1967年 ミゲル・アンヘル・アストゥリアスグアテマラ

ラテンアメリカ原住民伝統国民性に深く根ざした、鮮やかな文学的業績に対して

マヤの三つの太陽

1968年 川端康成日本

日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現世界の人々に深い感銘を与えたため

雪国

1969年 サミュエルベケットアイルランド

小説戯曲の新たな形式の中で、現代人の悲惨を描き、その芸術的な偉業を果たした彼の作品に対して

ゴドーを待ちながら

1970年代

1970年 アレクサンドル・ソルジェニーツィンソ連

ロシア文学の不可欠な伝統を追求したその倫理的な力に対して

収容所群島

1971年 パブロ・ネルーダチリ

一国の大陸運命と、多くの人々の夢に生気を与える源となった、力強い詩的作品に対して

1972年 ハインリヒ・ベル(西独)

時代への幅広い眺望と鋭い描写によって、ドイツ文学刷新に貢献した

1973年 パトリックホワイト(豪)

文学新大陸を導入した、叙事詩心理的叙述の芸術に対して

ヴォス―オーストラリア探険家の物語

1974年 エイヴィンド・ユーンソン(同時受賞)(スウェーデン

地域および各時代俯瞰しつつ自由のために奉仕する語りの技法に対して

1974年 ハリーマーティンソン(同時受賞)(スウェーデン

露のひとしずくを捉えて宇宙を映し出す作品群に対して

ニアーラ

1975年 エウジェーニオ・モンターレ(伊)

2022-06-07

anond:20220606161919

三体は、大雑把に〈80年代宇宙SF〉とくくれる世界設定/テイスト物語を、めちゃくちゃ巧みなストーリーテリングで仕上げた作品と言えるからな。

どれくらい巧みかというと、非SF者にも理解できるくらい巧みってな。

で、その80年代宇宙SFってのは、作家名で言うと、

グレゴリイ・ベンフォードグレッグ・ベアフレデリックポールスティーヴン・バクスターあたりの作品なんだけど、

ほとんどアクセス困難という地獄

2022-04-17

僕の妻は感情がない(34話)の感想備忘録

https://www.pixiv.net/artworks/97652638

基本的には色んな作品ネタバレと、ただの連想の垂れ流し

ともかく、今回の話は凄かった

杉浦氏が「34話、うまく描けた気がする」「自分は34話みたいなお話が描きたいんだな」と言うのも良く分かる

ロボットの考えてた事を吐き出せてスッキリしたけど、もう自分の中に何にもないな…そろそろインプットしないとな〜」となるのも良く分かる

これを描いてしまうと、この先に何を表現すればいいのかが見えなくなってくるだろうな、と

とりあえず、私は私が感じたことを書いていくことにする

ネタバレ要素】

ちょびっツブルーピリオド物語シリーズライ麦畑で捕まえて、異世界迷宮の最深部を目指そう、風の谷のナウシカ、余は弁明ス


4コマ目】

「大切な友達自分を壊してくれって言ってるのよ」

真剣に聞かないでどうするの」

これ、本当にたまらないセリフですよね

最後コマセリフを聞いてから読むと、この時の気持ちが、もう伝わってくるようで

【5コマ目】

個人的に好きな所

ロボット」というのをある種の比喩である解釈した時

これは親による教育比喩でもあるなあ、と

【6コマ目】

「何か問題があるとしても家族で乗り越えてきたかったそうです」

ここは難しいところ

家族でやるのが正しいのか、アップデートという名の支援を受けるべきであったのか

答えはない

【7コマ目】

今回のメイン

表情も含めて、本当に苦しい

「ただ ロボットがすごく気持ち悪いの」

「不自然で何も生み出さないくせに 人間みたいな顔をしてる」

ひとつ残らずいなくなればいいのにって思う」

自分が何も生み出せないことを“気持ち悪い”と思い、自分自身の事を“不自然であると感じる

誰しも、同じような気持ちになったことがあるからこそ、このセリフは響く

ある種の特性・特徴を持ち、自分がその特性ネガティブに感じている時、“いなくなればいいのに”と感じるよなあ、と思った

「早く人間になりたい」と何度でも思うのだ

ひとにすがたを 見せられぬ

もののような このから

「早く人間になりたい!!」

――作詞第一動画文芸部 作曲田中正史「妖怪人間ベム



【8コマ目】

「私はずっとロボットを 町から追い出したいと 思っていました」

「追い出すということは その先で壊されることも あります

友達からって特別扱いするわけにはいきません」

後のコマを見てもわかるんですが、これもこれで本心なんですよね

久永先輩の誠実さ(フェアさ)はこういう形なんですよ

自分を偽らない、自分規律に従う

厳しく辛い道である

決して状のない人間ではないから故に

もう一つ言うなら、今回は一人の人間が持ち得る色々な思想・考え・立場をそれぞれの登場人物に振り分けているところが読み応えのある所だな、と

タチコマ会議を思い出す

【9コマ目】

「みんなのことが好きで ホイホイ入っちゃったところがあって…」

ロボットを追い出すって どういうことか 考えてなかったんです」

「あの子たち みんないい子で やさしくて 頑張り屋なんです」

人間と同じくらい… ううん! 人間よりずっと…」

自分(自分たち)と違う相手排除することについて、深く考えてこなかった”という自覚

これを吐露することがどれだけ難しいことなのか

杉浦先生の、本当にフェアな所はこういう台詞に出てきますよね

ロボット“をある種の比喩であるとも捉えている立場としては

この種の「良い子で優しくて頑張り屋で、純粋なんです」というセリフが刺さる

10コマ目】

「そのような社会で うまくいかないことだらけの 人間と深くかかわろうと するでしょうか」

ロボット人間から パートナーを 奪ってしまうんです」

ここが、この話の本質

自分にとって都合の良い存在”を希求する

頑張っていない人より、頑張っている人の方が好きだ

意地悪な人より、優しい人が好きだ

醜い人より、美しい人が好きだ

自分の事を理解してくれない人より、理解してくれる人の方が好きだ

自分を憎む人より、愛してくれる人の方が好きだ

至極当たり前の人だ

自分に害をなす人を、自分にとって“良いこと”がない相手をどうして大切にできるのだろうか

好き嫌いや損得は非常に大事観点

それをなしに、我々は我々を規定できない

その町には 誰もいなかったの

お家もあるし

から明かりも見える

でも 道には誰もいない

から中をのぞいてみた

ヒトがいた でもアレといっしょだった

ほかの家もみた

やっぱりアレといっしょだった

この町も ほかの町とおんなじだった

アレといっしょは楽しいから

ヒトといっしょより楽しいから

みんなはもう外には出てこない

この町には誰もいない

――CLAMPちょびっツ 第1巻」

最初は 好き好き言っててもさ」

パソコンみたく 自分に都合のいい相手が現れたら ぜーんぶ ひっくり返して なかったことにするんじゃないかって」

――CLAMPちょびっツ 第3巻」

これとか、これとか、これとか、これとか、これとかで考えていたことと近いな、と感じる

12コマ目】

自然だとどうして良いんですか

個人繁殖して 種を保存するために いるわけじゃありません

これは根本的な質問

「不自然で何も生み出さないくせに」への反論にもなっている

「裸も」

「裸を飾ろうとする 人間自由さも醜さも 全て愛しいじゃない?」

――山口つばさブルーピリオド 第5巻」

別に幸せになることが、人間の生きる目的じゃあないからな」

幸せになれなくとも、なりたいもんになれりゃいいんだし」

――西尾維新恋物語 第恋話 ひたぎエンド



【14~15コマ目】

いくら努力しても 振り向いて もらえない人は?」

死ぬほど頑張って 恋人友達も 出来ない人は どうするんですか?」

「一生孤独に 生きて行かないと いけないんですか」

「… 振り向いて もらえなくても 努力無駄に ならないはずです」

「久永さん 美人からそんな事 言えるんですよ!」

「頑張って 頑張って 頑張っても 誰ひとり 振り向いて 貰えない人に」

「それでも『成長できてよかったね』って言うんですか?」

「言います…」

「人でなし!」

ここはコミカルに描いているように見えて、凄く鋭い

物語主人公理想を語ることがあるが

皆がその理想に殉じられるわけではないということに通ずるものがある

そうはいっても腹は減るし、金は欲しい。人を憎むことも上昇を望むこともある。すべて人の業である

もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。

私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。

それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。私が、私自身に裁かれさへしなければ。たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。

――坂口安吾「余は弁明ス」


【16コマ目】

文明が発達して それをしなくても済む人が 沢山増えました」

お腹を満たす事以外に リソースを割く事が できるようになった代わりに その過程で 無くなった仕事や大切な物が 沢山あったと思います

ロボットが居る事で 私たち必死に苦労しなくても 心を満たせるようになる」

「満たせない事で 苦しまなくて 済むようになる」

「代わりに失うものも たくさんあるでしょう」

「でも私は そうするべきだと 思います

「心が満たされた あとの社会

「その向こう側に 行けると 信じているからです」

ロボットと 一緒ならね」

ここがどうしてもこのエントリを書きたくなった所だ

以前に語ったように、人間は「自分でできることの増加」ではなく、「自分の周り(環境)」を変えることを志向して進化してきた

科学とは再現性学問から

究極的には、全てが自動で行われる「システム」となるかもしれない

その時、我々は、我々の意識は何を希求するのだろうか

その向こう側に行けるのだろうか

「信じているからです」と言いきる、その横顔が眩しい

機械も含めて、全ての存在(生命も含めて)に対する信頼が見える

「…………どの真実をだね?」

「あの時代 どれほどの憎悪絶望世界を満たしていたか想像したことあるかな?」

「数百億の人間が生き残るためにどんなことでもする世界だ」

「有毒の大気 凶暴な太陽光 枯渇した大地 次々と生まれる新しい病気 おびただしい死」

「ありとあらゆる宗教 ありとあらゆる正義 ありとあらゆる利害」

調停のために神まで造ってしまった」

「とるべき道はいくつもなかったのだよ」

――宮崎駿風の谷のナウシカ 第7巻」

自分の罪深さにおののきます

私たちのように凶暴ではなく おだやかで賢い人間となるはずの卵です」

――宮崎駿風の谷のナウシカ 第7巻」

私は私のために生きる。あなたあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えるためにこの世に生きているわけじゃない。

そしてあなたも、私の期待に応えるためにこの世にいるわけじゃない。

私は私。あなたあなた

でも、偶然が私たち出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

――フレデリック・S・パールズ「ゲシュタルトの祈り

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

旧約聖書「コヘレト言葉




17コマ目】

ロボットが 初めて 二足歩行した時 感動したと 思うんだよね」

「? そうですね」

「で 次は段差を どう乗り越えるか 観たくなるでしょ?」

「歩行コースブロックを 置くでしょ?」

「私 ブロックになりたいの」

全然文脈が違うが、「ライ麦畑で捕まえて」を思い出す言い回し

「ともかく僕は子供たちがみんなこの大きなライ麦畑の中で何かゲームをしているところを思い浮かべるんだ」

「何千という子供たちがいてね、辺りには誰もいないんだ」

大人は誰一人いないんだよ。その僕以外はね」

「そして僕はすごく急な崖の端に立っているんだ」

「僕がしなきゃならないことは、子供たちが崖から落ちそうになると捕まえてやることなんだ」

子供ってのは走っている時には前を見たりしないから、僕がどこからか出て行って捕まえてやらなきゃならないんだ」

「一日中僕はそれだけをしてる」

「僕はライ麦畑の捕らえ人になりたいんだ」

バカみたいだってことは分かってるけど」

――J・D・サリンジャーライ麦畑でつかまえて」



【18コマ目】

「私の意見は 変わりませんが 皆さんの意見も 変えられませんでした」

「今回の件は保留ということにします」

地味に好きポイント

やはりフェア


20コマ目】

「そうだ 『勇さんを壊すべき』と 結論が出たら当然 壊さなければいけない」

「『壊すべきでない』と 結論が出たら 勇さんの内面否定することになる」

「どちらにしても 勇さんは救われない」

「どうすれば…」

やはり誠実だ

そして、ここのテーゼアンチテーゼが次のコマからアウフヘーベン布石となる

24-25コマ目】

あなたが誰かを 傷つけても」

「人やロボットを 殺しちゃっても」

自分を 殺しちゃっても」

「私は そのとき 一緒にいたいの」

あなたの代わりは 世界のどこにもいないから」

「殺していいって言ってます?」

「久永先輩 いいんですか? こんなの」

いいわけ ないでしょ」

「でも その 良くないことで 勇さんは救われたの」

これがジンテーゼとなる

否定肯定も、自分が認めがたいことも含めて、それ自体を受け止めてくれる他者

これが正に尊厳であり愚行権であり、ハーム・リダクション的でもあり、アクセタンである

ただあるがままを受け止めて貰い、その衝動も含めて「(肯定でも否定でもなく)存在承認」してもらうこと

「正しくあれ正しくあれと教えられっ、教えられた通りに正しく生きて正しく生きてっ、最期には正しいまま死んでしまってっ! やっとそれに気づきました! 正しくあれなんてそんな言葉、教えた人の都合でしかありません! ええっ、薄々とわかっていました! 正しい人ほど不幸になるってことくらい!!」

「だから、わたくしは思うのです。ええ、いまこそ、正直に申します。

 ずっとずっとわたくしは――間違いを犯したかった」

――割内タリサ異世界迷宮の最深部を目指そう 5章.庭師名無しの物語 207.光の理を盗むものとの遭遇」

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。

変えるべきものを変える勇気を、

そして、変えられないものと変えるべきもの区別する賢さを与えてください。

一日一日を生き、

この時をつねに喜びをもって受け入れ、

困難は平穏への道として受け入れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、

イエス・キリストがされたように、

この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。

あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています

そして、この人生が小さくとも幸福ものとなり、天国あなたのもとで永遠幸福を得ると知っています

アーメン

――ラインホルド・ニーバー「ニーバー祈り

あなたの其の瞳が頷く瞬間に初めて生命の音を聴くのです

天鵞絨の海にも 仕方のないことしか無かったら

あたしはどう致しましょう

――椎名林檎依存症




【27-27コマ目】

「みんなが」

「勇さんが 要らないって 言うまで 無くしたりしない」

大丈夫ですか?」

大丈夫じゃないわ」

「もう少しで友達を 壊さなきゃ いけなかったの」

もう、なんというか

ズルいと思う、このセリフ

これをやられたらもう何も言えない

2022-02-28

フランス映画と青ブルマースウェーデンエロ本

寝ぼけた頭とブルマー

朝5時に目が覚め、することもないのでスマホをいじっていると、以前言及したブルマー情報局というサイトで、フランス映画「Peppermint Soda」でブルマーが見られると書いてあった。しばらくはブルマーについて調べるのはよそうと思っていたのだが、目覚めた直後には自制心があまり働いていないせいだろうか。ついつい時間を費やしてしまった。たばこを吸ったことはないのだが、禁煙をしていてつらいのは目ざめの一服我慢することじゃないか、とあてずっぽうで考えた。

映画「Peppermint Soda」の概要

原題は「Diabolo menthe」で、1977年に公開された青春映画だ。監督はDiane Kurysで、女優でもある。ウィキペディアによれば半自伝的な作品が多い。以下、英語版ウィキペディアから抜粋する。

舞台1963年、13歳のアンヌと15歳のフレデリックは両親が離婚したユダヤ系姉妹である。二人は母とパリに住み、夏休み海辺で父と過ごすが気まずく感じている。二人の通う学校規律が厳しい。

妹のアンヌは思春期入り口にいるがあまり社交的ではなく、成績もよくない。周囲で何が起きているかを母や姉から盗み聞きして知ろうとする。成績は良くなく標準以下で、不公平教師対処しないといけない。あるときは姉の一年前に書いた小論文剽窃したのが見つかっている。また、初めての生理男の子と話すことや、問題を起こした後で母と問題対処しなければならない。

対照的に姉のフレデリックはより外向的で政治的意識も高い。特にアルジェリア問題反核運動に関心を持っている。自分よりずっと年上の人に片思いをして、初めて本格的な恋の痛みを感じ始めている。また、初めて逃げだした友人や、価値観の違いによる友情喪失経験する。

で、どこにブルマーが出てくるの?

例えばyoutube予告編に出てくる。大体0:38頃である

https://www.youtube.com/watch?v=lGpU3y8RAFM&ab_channel=DulacDistribution

他にももう少し鮮明な画像があるページもあったが、「映画無料ダウンロード!」と書いてある危険そうなサイトだったり、映画での性的なシーンをつなぎ合わせた違法アップロードだったりするので、リンクは張らない。どうしても気になる方は英語フランス語タイトル検索してほしい。

で、肝心のブルマーを見てみると、ブルマーというよりは極端な短パンに見える。前列右から2番目の子を除いて、他の国のようなショーツブルマーではないようだ。さらに、生徒によって短パンシャツの色が違っている。フランスではブルマー制服として採用されたのではないらしい。

しかし、逆にそこが興味深い。この仮定が正しければ、制服ほどの強制はなかったにもかかわらず、1960年代フランスではブルマーに近い短パンを生徒が自主的に着ていた可能性があるからだ。もちろん何の証拠もないし、強制ではないにせよブルマをはく雰囲気があっただけでも強要されたように感じた人もいるだろう。ただ、当時のファッションの傾向としてブルマ的短パンが許容される風土があったのやもしれない。奇しくも60年代ミニスカートが初めて流行した時代である。当時の青ブルマーはおしゃれの先端だったのだろうか。

少女の体と芸術

この映画ちょっとだけ年端もいかない少女下着姿や乳房が映っている(該当シーンがアップらされていたのも、リンクを貼らなかった理由の一つだ)。昔の芸術系の映画にはたまにあるが、やっぱりショックだ。ショックなのはそのためらいのなさと、どうしても一瞬は美しいと感じてしま自分感覚だ。

ここでは表現の自由検閲の是非については議論しない。専門外なので解像度の低い議論はしたくない。

ただ断っておくと、今は少女の裸体を(少なくとも実在する児童写真映像なら)禁じるのは当然だと思う。悪の定義が「なにも知らぬ無知なる者を……自分利益だけのために利用する」ことならば、まさにその定義に該当するからだ。性についてまだ知らない相手同意なく性的に扱うのは間違っている。

一方で、グーグルで「少女 ヌード」と画像検索すると一件も引っかからない。正しい処置だと思う。けど、大企業によるあからさまな検閲は正しくてもなんだか怖い。

映画配信とかも怖いと感じるのがそれで、どのような理由であれ、いつ同意なく内容を差し替えられてしまうか、それが怖い。

余談

ところで、表現の自由に調べてみると興味深い事実に行きあたることがある。

たとえば英語版wikipediaの「Pornography_in_Europe」を読んでいると、「Like Denmark and the Netherlands, Sweden does not regulate pornography and the country has no age laws for the possession or viewing of pornography.」つまりスウェーデンでは18歳未満であってもエロ本を見ることは違法ではないのだ。「Some shops follow a voluntary limit and do not sell to minors.」ともあり、実際には売らない店もあるらしいのだが、売るなと法で定めているわけではない。

またフィンランドでは「It is legal to sell pornography in any store, but magazines may not be sold to buyers less than 15 years of age, and hardcore is restricted to buyers aged at least 18.」つまりソフトコアなら15禁、ハードコアなら18禁とわかれているらしい。

ただし、どちらの国でも18歳以下のモデルは禁じられている。

以上、全くの余談だ。

まとめ

次回は?

一応、初めてテニスの見せパンはい選手について書こうとは思っている。ただし、いつになるかはわからない。数ヶ月後くらいかな。

こっそり追記

ブクマは一時期43まで行った。現在42。

ドイツに一歩及ばず。

2021-12-05

[]ハット(hut)

さな家、質素小屋のこと。フランス語のヒュット(hutte)が語源

長崎ちゃんぽんチェーンのリンガーハットは「フレデリックリンガーさんの小さな家」という意味で「リンガーさんの帽子」のことではない。

ピザハットのハットも小屋のハット。

イエローハットのハットは帽子のハット(hat)。

2021-10-16

anond:20211007202226

いろいろ検索自慢みたいなことしてるようですけどフレデリック大王実験はご存じないのですね。

言葉不要、便利なものにすぎない→言葉がないと猿みたいな生活しかできなくなる、という流れなのに、言葉がなくても人間より寿命が長い動物もいる、とみたいなトラバするのは論点がずれてないですかね。少なくとも言葉に触れられずに育った人が明らかに平均寿命より早く死んだという実験事実は「人間言葉必要」という立場に有利な論拠だと思いますけど。

2021-06-29

から流れてくる桃の増田須磨の桃るくて禮雅なら川か(回文

朝雨音が聞こえて、

凄い雨かと思ったら外に出たら案外そうじゃない弱い雨の時とか、

ご近所さんガレージに当たる雨音がすごく大きく聞こえるから

朝雨音で起きると大概大雨なのかな?って思うけど、

だいたいはそんなに小雨だったりするのよね。

おはようございます

フレデリックフランソワショパンです。

嘘です。

なんかさー、

雨降るかなと思って長い傘持って行くも、

降らなかったらなんかそれはそれでいいんだけど、

基本手ぶらで歩きたいから雨降らないのかよ!って思うけど、

雨が降り出したら降り出したで

目的地まであともうちょっと距離で傘さすかささないかチキンレースみたいに

もう目前と言うところで傘さすと、

なんか負けちゃったような気がするし、

相変わらず降水確率が100パーセントの時は

大雨なんじゃない?って勝手に思うあのなんて言っていいのかしら。

降水確率と降水量って比例してる感じがして、

100パーセントの時で小雨だったりすると

100パーセントじゃないのかよ!って雨の強さの割合勘違いしてしまうこと、

分かっていてもなかなかその先入観は拭い去れないわ。

まあ去る者は追わずって言うから

くそんな先入観は捨てたいものね。

最近ものすごく天気予報の精度が上がってきたみたいなんだけど、

見るところでまちまちな違う予想が出てるとき

何を信じたらいいのかしらって

結局人は雨雲を見るのよね。

そう言ったレーダー天気予報で1時間後の雨を予想して

事務所から出て家のドアと

開けて閉めて開けて閉めたら入れなーい!って

要はドアトゥードアを地で行くような、

家に帰り着くまでが遠足のように

家に帰り着くまでは雨やんでて欲しいし降らないで欲しいわ。

アップルペンシル買ってみたけど、

実際アイパッドで何に使って良いか全く分からない暗中模索和洋折衷案もいいところよね。

普通にポインティングデバイスとしては使えるけど、

絵心もないし描くメモ心もないし

飾る言葉洒落もない

そんな居酒屋のようで

外に出たら雨だったってオチ

まったくよね。

外人さんの観光客で、

この人力一杯日本満喫してるわね!ってので

三度笠かぶってはっぴみたいの羽織って

それで街を歩いていて、

まあはっぴはいいとして、

三度笠って言うチョイスはなかなか渋いわねって

感心したところよ。

でも雨対策としては今やっぱり再注目して欲しくべく

三度笠と蓑って言うのも案外東京オリンピックで手放しで使える頭に付ける日傘よりはカッコいいと思うんだけど、

やっぱりあの三度笠の渋さがいいのよ。

三度笠と蓑やると

風来のシレンコスプレか!って言われちゃいそうだけど

あいろんな人に使ってもらいたいわね。

まんが日本昔話の笠地蔵のおじいさんは

実は売れ残った三度笠が重たくて横着してお地蔵さんに被せて手軽にして帰りたかったのが裏目に出て、

恩返しを喰らうという、

もうおじいさんは婆さまに横着したことを言い出せなくなっちゃって

あの絵図らだけは

アルプスの少女ハイジの谷地の父を煮込んでいる何かあの美味しそうな食べ物匹敵する

大根だけのお味噌汁がやけに美味しそうに見える感じで、

ジッ様あたたけー大根めしあがれ!ってもうお涙頂戴、

ちょちょびれまくるハートウォーミングなストーリーなのよね。

でもバッ様は

ジッ様が横着してお地蔵さんに笠被せて帰ってきたことはもういつものことで見破っているか

あとでバッ様が回収しに行っているというところまでが恩返しみたいよ。

みんな不思議に思わないけど

桃太郎の桃がなんで流れてきたことだけに関しては当たり前のように

誰も突っ込まないそこの伏線は全く回収されていない謎だけが桃に入っているワケなのよね。

そういえば、

あの桃誰が流したんだろう?って

あくまであれは概念の話しであるのかも知れないし、

そうじゃないかも知れないわね。

あの桃の謎もスモモの謎もおのののかの謎も解きたいところね。

うふふ。


今日朝ご飯

ハムタマサンドしました。

軽めの軽食の朝食の朝ご飯ね。

ハムタマのしっかりした食べ応えがいいのよ。

いつ食べても美味しい鉄板定番っていいわよね。

デトックスウォーター

レモン水にしました。

今日は真面目に

いいレモンがあったので、

皮まで使えるレモンだったので躊躇せずに輪切りにして

なんか気の効いた良い喫茶店の様なテイストにはまだまだほど遠いけど

そんなレモン水を目指したいわね。

あれはあれで

なかなか喫茶店の味をめざすとなると難しいのよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-06-16

ギルティギアトライブ

俺はソルと飛鳥ガチバトルが見たかった

XrdRのアフターでソルが対魔法使いの策を練ってるとか伏線撒いてたけどそれが対飛鳥じゃない事に肩透かし食らった

あとカイのドラゴンインストールでイノ戦決着のが良かった

カイは人間ギアの融和の象徴だと思っていたから、その二者の架け橋たるカイが神に止めを刺すって形のが俺は好きだ

アリアちゃんと復活して欲しかった。ソル/フレデリックが百年の間苦しんだのだから、その先に恋人と再会を果たす形で報われて欲しかった

ジャックオーがアリアの残した帽子だって話は分かるけど俺は嫌だ。人間フレデリックアリアが二人並び立つ姿を見れないとハッピーエンドだとは思わないしハッピーエンドで終わって欲しい

2021-05-20

教皇イノセント」、皇帝フレデリック」、老水「天」行

 『ユダヤ人歴史』(河出文庫)という本がある。文庫サイズで千円ちょっと古代から現代に至るユダヤ人歴史概要を、中東欧州西欧東欧北米地域に分けて学べる、比較コストパフォーマンスが高い本である

 元々、原著ユダヤ教思想的な部分(これらの神学論争神秘主義思想は、初心者である一般人には分かりにくく混乱する元でしかない)をほとんど省略して書かれていることから一般人にとっては取っ付き易く、ユダヤ人歴史を学ぶための入門書としてお勧めしたい……ところなのであるが、一つ我慢ならない欠点がある。

 この本の中では「イノセント」や「フレデリック」という人名普通に出てくるが、なんとこれらは「教皇インノケンティウス」や「皇帝フリードリヒ」のことを指すのである高校生時代世界史赤点スレスレだった私でも気づくような、凡ミスである。何故、こんな事になったのか。

 原著者は、レイモンド P. シェインドリンというアメリカ人から、当然、原著人名英語で書かれている。おそらく、下訳の段階で翻訳者は、それらの人名を取り敢えず英語読みからカタカナ表記にして日本語翻訳原稿を書き、その後、日本国内歴史書籍一般的通用している表記に直す作業を怠ったのだろうと思われる。「怠った」と判断する理由は、英語読みで人名統一されているわけでもないかである

 翻訳者もひどいと思うが、編集者は何も思わなかったのだろうか?最初日本語翻訳版が出てからそこそこ年月も経過し、河出文庫から再刊されてからも年月が経過して何度か増刷もされているのに、ずっと「イノセント」と「フレデリック」のままである翻訳文学作品も多数出している、河出文庫にあるまじき凡ミスだ。

 翻訳文学を多数出しているといえば、つい最近、手元に有る創元推理文庫版『フランケンシュタイン』を読み返したら、最初ウォルトンが書いた手紙パート言及される、英国詩人コウルリッジの有名な詩「老水夫行」に関する注釈が「老水『天』行」と誤植されているのにも気づいた。

 こんな感じで、素人一般人でも気づくような凡ミスが、訂正されることもなく、増刷された書籍として世の中に出回り続けている例は意外と多いのだろう。

2021-04-28

踊>うっせぇわ

な人に聴いてほしい曲リスト

PSY
Cody・Lee(李)
  • 我愛你
さユり
  • るーららるーらーるららるーらー
ニガミ17才
LSD
フレデリック
ネクラトーキー
  • こんがらがった!
AronChupa
  • I'm an Albatraoz
OneRepublic
Dua Lipa
Shakira

2020-10-27

ホロコースト否定で有名なN医師について。

かつてマルコポーロ事件というものがあった。

マルコポーロ事件 - Wikipedia

この記事を読めばN医師とは誰のことかたちどころにわかるのだが、それはさておき、色々調べてみると、この事件文藝春秋社が一方的に悪いことがわかる。結局、スポンサーへのSWCから圧力という事実存在せず、勝手に慌てふためいただけの文藝春秋者が雑誌廃刊し、社長が辞任し、そして勝手花田編集長(当時)が辞めたのだけだったのであるしかしこれは最悪だった。ホロコースト否定的なことを言うのはタブーだ、という誤った認識世間に与えてしまたかであるSWCは単にホロコースト否定論を監視する団体であり、それまで世界中でずっと抗議してきたのである。なぜなら、欧米では日本など比べ物にならないくらホロコースト否定論は昔から大きな問題だったかである

 

事件の中心人物だった、N医師のその当該記事噴飯物記事だった。何せこのN医師普通ならあの有名なAuschwitz強制収容所は「アウシュビッツ」或いは「アウシュヴィッツ」と日本語表記される筈なのに、「アウシュウィッツ」と呼んでいたくらいのレベルだったのである。今でもAmazon古本で『アウシュウィッツ真実』という初版本は売っているので、その表紙をWeb上で見てみるといい。これが別の出版社からのちにペーパーバック版として出された時に、こっそり「アウシュヴィッツ」に直しているのが笑える。ちなみに、この指摘をしたのは、N医師ネットで散々苔にするほどに論駁していた山崎カヲル氏である

 

N医師は、デイブスペクターによれば、それまでは英字新聞への投稿マニアに過ぎなかったらしい。おそらくは、そうした趣味1995年当時、そこそこ盛り上がりを見せていた欧米ホロコースト否定論に接する機会を与えたのであろう。N医師にしてみれば単に当時の流行り物に飛びついただけだったに違いない。ともかく、N医師別にホロコーストに詳しいわけでもなんでもなく、その程度のレベルであったから、文芸春秋社はきっちり反論記事でも載せるべきだったし、或いはN医師記事など最初から突っぱねるべきだったのである。どれだけ噴飯物の内容だったかは、これでも読んでみるといい。

『アウシュウィッツ「ガス室」の真理』の虚偽

 

だが、たった一度のその記事は、N医師人生を大きく変えてしまった。未だにN医師日本ホロコースト否定論者の第一人者としてたくさんの信者存在する人物になってしまったのである知名度を生かして講演料まで稼いでいるらしい。前置きが長くなったが。

 

アウシュヴィッツのクレマトリウムⅠの捏造疑惑に関する経緯

この問題は、結構事情が複雑である簡単説明英語だがこちらで読むことはできる。一体この煙突問題を誰が言い出したのかはよくわからないが、クレマトリウムⅠの捏造疑惑自体は、1980年代ごろにフランスの有名なホロコースト否定論者だったロベルトフォーリソンが言い出したのである。大概の細かいホロコースト否認論はこのフォーリソンが発祥であるフォーリソンはホロコースト否定を公に行ったことで当局逮捕され、裁判になり、実はこの裁判でクレマトリウムⅠの捏造疑惑は形上は一旦決着しているのだ。だが、フォーリソンはそんなことで諦めるような人ではない。

続いてホロコースト否認問題では欠かせない話題であるツンデル裁判というのがカナダで起きる。欧米では当時かなり大騒ぎになった事件である。そして、このカナダ事件フォーリソンは深く関与した。有名なロイターレポートの発案者も実はフォーリソンなのである。それはともかく、クレマⅠの捏造疑惑ネタがまたこ裁判内で取り沙汰される。この時はフェルデラーという超悪質なホロコースト否認論者が証人となって裁判で取り上げたようである。間違いなく暗躍したのはフォーリソンであろう。この裁判の決着はさておき、最も目立ってこのクレマⅠの捏造疑惑を取り上げたのは1990年代に入ってデヴィッド・コールというユダヤ系アメリカ人だった。ユダヤ人だってホロコースト否認はする人はするのであるが、彼はアウシュヴィッツ博物館に出向いて、アウシュビッツ 担当者まで登場させるビデオを撮ったのである。このビデオは今でもネットで視聴可能であるコール自身はこのビデオ販売に抗議したらしいが、出回ってしまったものしょうがない。しかし、このデビッドコールネタ元は間違いなくフォーリソンであるコールの裏で暗躍していたかどうかまでは知らないが、フォーリソンが1980年ごろに指摘しなければ誰も気づかなかったのは間違いない。2000年代以降はオーストラリア否定論者フレデリックトーベンという人物がこのクレマ1捏造疑惑喧伝していたようであるが、この人物も何度か逮捕されてるということくらいしか私は知らない(正直どーでもいい)。

 

ガス室捏造疑惑って簡単にいうとどういうこと?

簡単には説明がなかなか難しい。全体を把握しようとすると、ホロコーストの全体的な細かな問題まで把握しないといけなくなる。ただ、こう説明することはできる、ホロコースト否定派はどんなことがあっても絶対断じてガス室」だけは認めることはない、のである。他の虐殺方法程度なら認めるホロコースト否定論者はいるけれど、ガス室だきゃあ絶対に認めてはならぬものなのである。そのガス室現在アウシュヴィッツという最も有名なホロコーストにおける強制収容所内にあったものとして公開されているのだから否定論者にとってはまず最初に疑いの目を向けるものになってしまったのだのだろう、それ故に、否定論者にとってはクレマトリウムⅠと呼ばれるその場所は「戦後捏造された」ものでなければならない。

ところがこのクレマトリウムⅠ、実に否定論者にとって都合がいいことに、実際に戦後に「再現工事がなされているのだ。前述したリンク先を読めば書いてあるように、戦時中にいったん防空壕になっていたものを、ガス室として公開するために、もっかい戻したのが、昔は共産圏だったポーランドだったのだ。そして、この再現工事に実際に携わった当時の職人が、前述したフォーリソン裁判に出廷し、「再現工事をこんな感じでやりました」ときっちり証言していたのである。当然、捏造だなんて話にはなっていない。しかし、フォーリソンら否定派は「そんなに都合よく裁判証人が出てくること自体怪しい」と引き下がらない。何せ、1980年代当時は、相手東側であり、西側にとっては怪しすぎる共産圏国だ。背後にはソ連がいて、疑うにはもってこいの状況だった。

 

だが、ほんとはどうでもいい煙突問題に未だにこだわるN医師

前述した海外サイトへのリンク記事にもあるが、煙突問題とは、戦時中にクレマトリウムⅠにあった煙突が、そこが防空壕に改築されるとき解体されたのである。そして、その煙突アウシュヴィッツ博物館1948年オープンするのに合わせて、当時の再現という意味でもう一度作り直されたのだ(煙突だけではなく他も色々工事しているが、結構杜撰再現工事であることは頭に入れておく必要がある。図面をよく見ればわかる)。だから、一時期煙突はなかったのであるが、戦後にそのなかったときのクレマトリウムⅠの写真が残っていて、それを現在写真比較して「戦後すぐにはなかったじゃないか!どうして今あるんだ? 捏造しだろ?」と仰るのである。……アホかと。

実際、煙突ガス室にはほとんど全く関係がない。火葬場があれば、煙突必要だった筈で、クレマトリウムⅠのガス室否定しても、そこが「死体置き場」だったことを否定する否定論者はゼロだって死体置き場」自体バッチリ図面にそう書いてあるのだからである。むしろ煙突がもし戦後に再建されていなかったら、図面を見た人間は気づく筈である、どうして煙突がないのだ? と。結局、防空壕だった時もその前の時も、図面が残っているので、問題根本があるとするならば、ガス室としてほんとに「死体置き場」を使用したのかどうかだけが問題の筈なのである。これが、N医師にはどうしても理解できないらしい。そもそも悪いのはフォーリソンなのであるが(図面をきっちり1980年ごろに既に取得しているのであるが、フォーリソンには図面を正しくみる能力はなかったようである)、そもそも論としてそこがガス室とされるのは、図面にも文書にも残ってないのだからアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスやその他の証言者の証言しかないのである。こんなの否定論者が一番よく知っている事実の筈である。つまり、最も怪しむべきはその「証言証言者」であるわけだ。だから、私はそのことを直接本人に言ってやったのだが……。

 

実際話してみると、実にくだらない低レベル陰謀論であるに過ぎなかった。

N医師最初アウシュヴィッツ司令官のルドルフヘスの話がガス室根本である」のようなことを言ったので、私はそれはおかしいと指摘した。何故ならば、ルドルフ・ヘス逮捕されたのは1946年3月であり、実はその約1年も前に、問題にしているクレマトリウムⅠのガス室に関する証言をした人物いるかであるポーランドは、ドイツ撤退すると、さっさと戦後処理に取り掛かり、ドイツ終戦を待たずに戦犯裁判に動き出していたのだ。だから1945年4月16日アウシュビッツ囚人だった人物がクレマトリウム1のガス室についてポーランドクラコウというアウシュヴィッツ収容所のある地元法廷で宣誓証言をしているのである。これは時系列として全くN医師の言っていることに矛盾する。

すると、N医師はこう言ってのけたのである

「肝心だったのは、連合国としてはアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスに中心人物として証言させることだったのであり、誰が証言をし始めようと構わなかったのである」と。

まぁ、そんなことだろうなとは予想はしていたが、N医師自身脳内ストーリーさえ辻褄あわせができればそれでいい低レベル陰謀論者に過ぎなかったのである。彼はこうも言っている(昔からである)、「ヘスはイギリス人拷問を受けて嘘を言わされている」と。拷問を受けたというのは拷問した人物が手記にそう書いているので、事実であるだろうが、拷問受けてなくても当然信用してなかったわけだし、それよりももっと矛盾しているのは、これ拷問したのは「イギリスである。N医師は別のところでは、「ポーランド」が怪しいと言ったり、「ソ連」が怪しいと言ったり、単にめちゃくちゃな脳内理論披露しているだけなのである陰謀論者の一般的な主張通り、陰謀それ自体証明は一切ない。陰謀は巧妙にできているかである

だったら何故、「煙突問題」のように疑われるような事実を残すんだよ? と突っ込んでやりたいところだが、奴らは脳内論理の辻褄さえ合えばそれでいいので、どんなにツッコミを入れても無駄である

 

そんな下らない低レベル陰謀論者を指示する信者たち。

当然私など、N医師に比べりゃ微塵子のような存在しかいから、支持はN医師に集まる。N医師自体ネットに腐るほどいる低レベル陰謀論者に過ぎないことは実際どうでもいい話なのだけど、N医師を支持する人が実際に結構いるという事態を目にしてしまうと、こっちが頭が変になりそうだった。SNSはそうした言わば人気者をあたかも「教祖」のようにしてクラスター形成する仕組みだから、それ自体現象としてしょうがないのだけど、頭では分かっていても実際に見てしまうとねぇ……。

 

というわけでさ、ホロコースト否定論なんざ、そんな下らない低レベル世界なんだ。あなたは、「ガス室」はそれでも疑わしいと思いますか? つーか、なんでそんな低レベル陰謀論が支持者を集めるのか、私にはちっとも理解できません。 

 

追記すると、N医師にはクレマトリウムⅠは一回防空壕に改築させていることだけはなんとか認めさせた。それすら認めていなかったのだから、呆れるけど。

2019-11-13

anond:20191110134931

私は私のために生きる。あなたあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えるためにこの世に生きているわけじゃない。

そしてあなたも、私の期待に応えるためにこの世にいるわけじゃない。

私は私。あなたあなた

でも、偶然が私たち出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

――フレデリック・S・パールズ「ゲシュタルトの祈り

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

旧約聖書「コヘレト言葉

自己肯定感が低いなら低いままでいればいい、高くなりたいと思うならそれもまたよし

人を平等にするのならそれもよし、たとえそれが区別の出来なさからくるものだとしても

人に興味が持てないのならそれもよし、その事で一抹の「面倒くささ」を感じるならそれもまた「善い事」

為すべきを為し、また為さず

感じたいように感じ、また感じず

欲することを欲し、また欲さず

それを自由といい、それはまた義務でもあり権利でもある

あなたが、あなた自身必要と不必要に従って生きていけることを祈る

2019-08-30

昔々、ハリウッド

 

 『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が目前に迫っているというのにまだまったく心の準備ができていない。大波が押し寄せてくるのを確かに認めながら、砂浜で引き波に足を取られたまま呆然と立ち尽くしてしまっているような、そんな状態だ。

 

 『Once upon a Time in...Hollywood』というタイトルをはじめて聞いたときマジで引退しようとしてるの…!?と思った。現時点では「10作品撮ったら引退する」と言っていたり(今回が9作目)、「今度のが大ヒットしたらこれでおしまい」と言っていたりまだ判然としないのだが、そういうゴシップ的な憶測はさておき、このタイトルが持つインパクトはあまりにも大きい。セルジオレオーネ意味合いもさることながら、それ以前にこの響きだ。

 『昔々、ハリウッドで』。響きとしてあまりにも最終回すぎるのだ。仮に『クエンティン・タランティーノ』というドラマがあって、その主人公クエンティン・タランティーノ監督した作品が、ドラマ1話ごとのタイトルになっていたらと考えてみてほしい。第1話「掃き溜めの犬ども (Reservoir Dogs) 」、第2話「三文小説 (Pulp Fiction) 」、第3話「ジャッキー・ブラウン (Jackie Brown) 」、第4話「ビルを殺れ (Kill Bill) 」、……と進んでいって、第9話「昔々、ハリウッドで」である。どう見ても第9話で最終回じゃないか。こんなに引退作にふさわしいタイトルってなかなかないと思う。

 

 なんてことをメモしていたら、タランティーノ子供が生まれるとのニュースが飛び込んできた。引退について語るのを話半分に聞きながら、だがこれで子供でも出来たりしたら本当に映画撮らなくなるかもな……とか考えていたのだが、うーん、思ったより早かったなあ。つまりこのところとみに饒舌になっていた引退話は、子供が生まれるという予測のもとに展開されていたわけだ。それにしてもさ。田中裕二子供が生まれたり、タランティーノ子供が生まれたり、そんな日が来るなんておれは考えたことなかったよ。

 といっておいて何だが、タランティーノの言う「引退」について想像するとき、たしかに寂しくはあるけれども、意外と悲観的な気持ちにはならないというのが今の正直な気持ちだ。

 というのは、ひとつには、映画監督以外のフィールドでの仕事が見られる可能性に期待しているからだ。これは本人も言っていることだが、本を書いたりしたいらしい。タランティーノが書いた批評本なんて出たらぜひ読んでみたい。もしかしたら小説を書くかもしれない。それこそパルプフィクションを。あるいは脚本を書くかもしれない。脚本タランティーノ × 監督デヴィッド・ロバート・ミッチェルなんて映画がつくられたら……など夢想するのも楽しい

 書く仕事ばかりとも限らない。いまのところ引退を語るうえでタランティーノが前提としているのは「劇場公開用映画」の監督業であって、フィルムに対する彼の偏愛と執着も、その前提があればこそ要請されてきたものだったと思う。その最前線から(いったん)身を引いたときある意味でそれは「引退」だが、またある意味でそれは「解放」ともいえるのではないか。何が言いたいかというと、Netflixなどでタランティーノドラマシリーズ制作する可能性はかなり高いのではないかということだ。この期に及んでタランティーノ劇場長編映画デジタルで撮る可能性はほとんど考えられないが、これがドラマシリーズだったら話は別だ。

 タランティーノがつくるNetflixドラマがあったら、それはどんなものになるだろうか。そのヒントになるような発言最近あった。自身監督作に登場したキャラクターのなかで、タランティーノが今でも折に触れて思いを馳せる人物がいるという。彼が挙げたのはザ・ブライド、ビル、ハンス・ランダアルド・レインの4人。タランティーノはそれぞれの人物にまつわる、いわばスピンオフ的なサイドストリーについての妄想を語っていた。

 ①ザ・ブライドが10年後、15年後、どうしているか。娘はどんな人物に成長したか。これは長いあいだ噂されてきた『キル・ビル Vol.3』がもし実現した場合ストーリーになるだろう。

 ②ビルはいかにして巨悪となったかエステバン・ビハイオ、服部半蔵、そしてパイ・メイという3人の「ゴッドファーザー」との関係を通して、ビルという悪魔人物オリジンを描く物語

 ③ハンス・ランダナンタケット島でどんな生活を送っているのか。ナチスきっての「名探偵」だったランダが、戦後20年くらい経ったナンタケットで起こる殺人事件解決してゆく物語

 ④アルド・レインは戦後どうなったか教科書に載るレベルの「英雄」としてアメリカに帰ったはずのアルドが、ナチスにおけるフレデリック・ツォラーのように映画に主演する…という話。

 なにこれ超おもしろそうじゃん!!!!! 全部見たい。見たすぎる。小説でもいい。読みたすぎる。ここで思い出したのだが、そういえばタランティーノこそ、地味に自分作品世界相互につなげてきた人だった。別の映画に登場するキャラクターたちが生きる一つの世界について語るとき、若き日の彼はたしかサリンジャーを引き合いに出していたように記憶するが、これって今風の言い方をすれば「タランティーノバース」だ。もちろんタランティーノ世界MCUのようになってほしいなんて気持ちは毛頭ないけれど、ジャンゴのサイドストリーはすでにコミック化されていることだし、劇場映画としてはおそらくもう実現しないであろうヴィック&ヴィンセントヴェガ兄弟の話だって、何かしらのかたちで語られる可能性は全然あるわけだ……ということを、妄想できることがうれしい。それにしても「私立探偵ランダ in ナンタケット」は見たすぎるだろ。

 で、仮に、タランティーノがこの次に撮る映画が本当に彼の「引退作」になるとするならば、その一本はやっぱり『キル・ビル Vol.3』であってほしいと、私はそう願わずにいられないのだ。 

 

 話を元に戻そう。『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の公開が迫っているのに心の準備がなにもできていないという話だ。この映画タイトルからしてこの有り様なものから映画監督クエンティン・タランティーノいかにも「集大成」という感じがしてしまうのだけれども、しかし実際はそうでもなくて、むしろ今までになく「タランティーノっぽくない」映画になっていたりするんではなかろうかと期待している。それはひとえにこの作品が、タランティーノ本人にとってきわめてパーソナルなものとなっているような印象を受けるからだ。

 『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』について、現時点で、私は予告編以外の情報をすべて遮断している。サントラにも触れてすらいない。だから実際どんな映画になっているのかはまったくわからないのだけれど、タイトルをはじめポスター予告編を通して強く喚起されたのは、「郷愁」の念だ。それは1969年、大きな変革を遂げようとしていたハリウッドとその時代精神タランティーノは "zeitgeist" という単語を本当によく使う)に対する郷愁であり、タランティーノ自身の幼少期へと向けられた郷愁でもある。しかしながらこの郷愁こそ、これまでのタランティーノ映画からほとんど感じてこなかったものであり、ゆえに今作はどうにも「タランティーノっぽくない」ような気がしてしまうのだ。

 タランティーノは、過去映画音楽からさまざまな要素をためらいなく取り入れることで自分映画をつくってきた人だ。その特徴はたしかタランティーノについて語るうえで欠かせないものだろう。でも彼の作品に宿る魅力を考えるうえでもっと重要なのは、そうした引用(あるいは盗用)のひとつひとつが、観客に郷愁を呼び起こすための装置には決してならないという点だ。観客を過去へといざなうことで「懐かしさ」に浸らせるのではなく、かつてとてもエキサイティングものとして消費された文化の「エキサイティング感覚自体をそのまま現在再現してしまえる才能。それがタランティーノのすごいところだと思うし、その意味で、郷愁、というのはむしろタランティーノ映画から最も遠いところにあった感情ではないかと思う。ところが今回の『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドから郷愁が強く香ってくる。そのダイレクトさがとても気になるのだ。それはとりもなおさず今作の特異な舞台設定によるものだと思うけれど、開映が迫っているためちょっともう書く時間がない。超中途半端

2018-11-04

めっちゃ怖い夢見た

草原部族の長に撲殺される直前だったんだけど

部族長の後ろからこっそりやってきたホリエモンに助けられた

でもホリエモンは「最後に言い残すことはないか?」とか言い出すもんだから、そんなチャンスをやると部族の長はうまく隙をついて逆転してくると思ったので、手に持った斧で殺した

天国に行く透明なパイプを歩いていて部族の長にごめんねって言うと、フレデリックの片方が死んだんだよ!ってキレられた

散々キレて文句言われるので、本当にとても綺麗な天国景色を見せて落ち着かせた

っていう夢。

怖かったな

2018-08-08

クラシックオタがららマジに問いたいこと

ららマジというコンテンツがある。「キミと奏でる、音と魔法の学園RPG。」だそうだ。こんなこと言ってる時点でもう丸わかりだが、完全なる未プレイのままこれを書いている

そして自己紹介をすると、クラシックオタであるオタクと言ってもどれくらいかという話だが、バッハからギリギリウェーベルンまでと言った感じである

ルネサンスの完全ポリフォニー音楽は正直よくわからんし、ウェーベルンで十二音音楽ギリギリって程度で、ベルクとか分からんし、セリエ音楽とか完全にダメである

まあ要はクラシックオタとしては及第点ぐらいなのではないかという感じだ。自分で思っているだけだが、流石に新ウィーン楽派必修はキツすぎるしこんなもんだろう

そして、ららマジの存在は知っているのだが、それ故に全く手を付ける気になれない

要はミリヲタ艦これ文句つけてるアレである。知ってるとどうしたってアラが見えてしまうのだ

というわけで以降アラをあげつらう。ただ、最初に書いておくが、クラシックを題材に据えてくれたことそれ自体には感謝したい。大概な過疎界隈なので…

ワグナーチューバ

まず最初に引っかかったのがこれである。ワグナーチューバ専がいたのだ。おそらく人類初のワグナーチューバ専の演奏者ではないか

どういうことか説明する。ワグナーチューバとかその名の通りリヒャルト・ワグナーが導入した楽器である

問題はその役割である。ワグナーチューバというのは、端的に言うとホルン奏者が持ち替えで吹くチューバ、要は補助楽器なのである

まず楽曲に登場する際もその様な管弦合奏の中での役割しか無い。無論ワグナーチューバ独奏曲なるものも地上には殆ど存在していないと思われる

ワグナーチューバ専の彼女が何の為に生きているか深刻に謎なのだもっと彼女存在意義を明らかにして欲しい

単にワグナーチューバちょっと奇を衒ったチョイスだと思ってこんなことをしたのなら…正直それは最もオタクが憎むところである

まず器楽部ってなんだよ

さっきの発想を拡大していけば自然とこういう結論が導き出されるのだ

まず編成が滅茶苦茶である。ワグナーチューバは勿論だが、なぜか胡弓がいる。譚盾でもやるのか?

ピッコロフルート奏者と、ファゴットコントラファゴット奏者とそれぞれ別々ににいるし、オーボエもいないのになぜかイングリッシュホルンがいる

というか弦楽合奏縁の下の力持ちヴィオラがいない。クラシックやる気ねえだろお前

まず、各楽器一人づつしかいないのが致命的におかしい。これで合奏なんかできるわけないじゃないか

室内楽やるとしても室内楽の友であるピアノが居ないのである

一応確認してみたが、弦楽合奏ヴィオラが居ないのでまずどの編成も無理だし、金管五重奏をやるにはチューバがいないし

オーボエも居ないので木管五重奏も出来ない(イングリッシュホルンの奴を強制的オーボエに持ち替えさせればイケなくはないが)

率直に言ってこの部活、端から演奏活動をする気があるとは思えないのである演奏活動をしない音楽部ってなんだ?

まだ楽器弾けないクラシックオタが放課後に集まって一緒にクラシック聞く方がよほど真面目に部活動してると言えそうである

チューナーとはなんぞや

器楽部の存在自体が謎なら主人公たるチューナーくんも謎である

まず何のチューナーなのかが全く聞こえてこない。そこ、いちばん重要情報である

…が、状況を見れば十中八九ピアノ調律師であろう。そうすると次の問題が出てきて、器楽部なんかで遊ばずにピアノ調律師の専門学校へ行けということだ

ピアノの「チューニング自体は、実は器具さえあればクソ簡単である。あれは打弦楽器であり、本質的ギターチューニングと同じなんだから当然だ

ピアノ調律」のミソはピアノ全体の調整、とりわけハンマーの調整である。逆にここは素人が立ち入れるところでは全く無い

というかピアノ調律師は国家資格なのである。苟もこんな場所で遊んでいる暇などないはずなのだ

(ただ、ピアノ調律師なのではないかという推測は、チューナーくんがあれほどモテモテ事実への一つの根拠となる気がしている

ピアノ調律師はピアノ全体の調整をやらなきゃいけない都合上、一定程度のピアノ演奏の腕を持っていると考えていい

…そうピアノ奏者である室内楽をやりたい器楽部に致命的に欠けていたピアノ奏者がここにいるのだ

ピアノとの二重奏による室内楽ソナタというのは各楽器に果てしなくあり、というかほぼその楽器独奏曲レパートリーと言っていい

ピアノ演奏ができる、そして部員としてそれぐらいしかすることのないチューナーくんは引っ張りだこになること請け合いなのである

曲のチョイスが見るからにアレ

ここまではららマジの方に100%非があることだと思っているが、これはららマジの方の非が50%、この増田の方の非が50%ぐらいだと思う

要は多分に好みの問題であり、オタクがクッソ面倒な所以である

その前置きをした上で言うが、ららマジの曲チョイスはクラシックへの愛が欠片も感じられず、はっきり言って嫌悪感がするのである

とりあえず幕と元ネタ対応だが

Act 1「いばら姫」:バレエ音楽眠れる森の美女」(チャイコフスキー

Act 2「アマデウス」:モーツァルト

Act 3「どうにもとまらない」:「どうにもとまらない」(山本リンダ

Act 4「マイフェアレディ」:ミュージカルマイ・フェア・レディ」(フレデリックロウ

Act 5「ある晴れた日に」:歌劇蝶々夫人」(プッチーニ

Act 6「学園天国」:「学園天国」(フィンガー5

Act 7「マランドリーノ」:喜歌劇「怪盗団/山賊仕業」(スッペ)

Act 8「出囃子」:出囃子

Act 9「美しく蒼きドナウ」:「美しく青きドナウ」(ヨハン・シュトラウス2世

Act 10「雨だれ」:「24の前奏曲」(ショパン

Act 11ハッピーアンバースデイソング」:映画ふしぎの国のアリス」(オリバー・ウォレス

Act 12「カノホナピリカイ」:フラソング「カノホナピリカイ」(ケアリィ・レイシェル編曲

まず、クラシック全然ない。POPソングを選ばんでくれ

クラシック好きと言うのはガチ選民思想的なところがあり、こういう事をされると相当カチンと来るのである

そんなPOPなチョイスしたいなら吉松隆でも選べばいいじゃないか

数少ないクラシックのチョイスにしても、スッペの怪盗団を選んだ所以外全く評価できるところがない

24の前奏曲から第15番を選び、更にそれに「雨だれ」の題名を冠するのとか最悪である

今どきベト5を「運命が扉を叩く音」と言い出すぐらい古臭い最低なセンスである

音楽を、ただ音楽それ自体を聴いてくれ。エピソードはそれをやったもののみが語るべき要素である

終わりに

じゃあ具体的にどうしてほしいかはまた記事を下につなげて書くことにする

2018-02-28

anond:20180228103154

宇宙で星と星が戦争をしている話が読みたいのですが、その方面に暗く、どんなタイトルがあるのかもよくわかりません。

フレデリックポールの『時の果ての世界』と、フレデリックポール/ジャック・ウィリアムスンの〈スターチャイルドシリーズの第三巻『新たなる誕生』くらいしか知らないなあ。

2018-01-21

最近youtube作業の合間に音楽漁るのにハマってる

ドミコTemplayペトロールズMONO NO AWAREフレデリックかいいな〜と思ってるんだけど、この系列オススメってあるかね

2018-01-14

すべてのお一人様に幸あれ

独身者とは妻を見つけないことに成功した男である

アンドレ・プレヴォー)

「裕福な独身者には重税が課されるべきであろう。ある人間他人よりも幸福であるというのは不公平だ」

オスカー・ワイルド

「女を腕の中に抱くと、やがて腕にぶらさがられ、そのうち背負うことになる」

サシャ・ギトリー)

「女たちは私には象と同じように思える。眺めるのは好きだが家に欲しいとは思わない」

(W・C・フィールズ

「私は男でなくて幸せだ。もし男だったら、女と結婚しなければならないだろうから

スター夫人

「人は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚する」

アルマン・サラクルー

「頭のいい男は良い夫ではありえない、なぜなら彼らは結婚しないから

アンリ・ド・モンテルラン)

「女たちを知れば知るほど、私は自分の手の方をいとおしく思う」

(ショロン)

「男はみんな賭博師だ。でなきゃ結婚なんてしやしない」

フレデリック・リット)

結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから

バーナード・ショウ)

「一人でいるとき、女たちがどんなふうに時間をつぶすものか。もしそれを男たちが知ったら、男たちは決して結婚なんてしないだろう」

O・ヘンリー

「恋は人を盲目にするが、結婚視力を戻してくれる」

(リヒテンベルグ

ウェディングケーキはこの世で最も危険食べ物である

アメリカの諺)

2017-12-08

31歳のオッサンだがカラオケで使える歌を知りたい

条件は2つある。

1つ目は、気持ちよく歌える曲。

歌って楽しいのもいい。とりあえず発散できる曲が知りたい。

2つ目は、周りがしらけない曲。

基本ヒトカラメインなので1つ目の条件が満たされる曲が見つかれば万々歳なんだが、近々会社の人と忘年会カラオケに行くことになってしまった。カラオケも酒も好きなので嬉しいんだが、せっかくなのであまりみんな知らないけど初聴の人も楽しませられるような曲が知りたい。盛り上がる曲もいいが、「初めて聴いたけどこの曲いいな」って思わせるようなやつがいい。誰かがカラオケで歌っていて思ったことないか?俺はあるんだ。

30歳前後のやつで、最近の曲を聴いているやつが周りにほとんどいないので分からないんだが、たまに地元の奴とカラオケに行ったりすると結局昔流行ってた曲だけみんな歌って終わるんだよな。それも楽しいんだが、もう一歩踏み出したい。大体ラルクポルノグラフティグレイガクトあたりが定番だけど、俺も歌ってて楽しいんだけど、正直聴き飽きてる。途中で結局、「あー、あったなこれ懐かしい!」みたいな曲を入れる勝負になったりして、サビ以外グダグダだし、セックスマシンガンズとかX入れても三十路の親父だから最後悲惨な感じになったりするんだよな。

俺の好みは大人しくない(=ノリノリな感じ?)のが好きなのでそういう系統が望ましい。ミスチルスピッツゆず、19なども同世代は好きだろうが、たまに聴くはいいが正直あまり好きになれなかった。心にこもった訴える感じのも好きで、椎名林檎なんかはすごく好きだったが、女性ボーカルなのでやはり歌える曲は限られてくる。頑張れば歌えるが、練習量少なくても歌えるようになれる曲が嬉しい。条件が増えてすまない。

ここ数年だと、フレデリックのオドループなんかは歌ってて楽しいし盛り上がる。同世代もあまり知らなかった。個人的には惑星アブノーマルとかポルカドットスティングレイとか大好きなんだが、いずれもヒトカラで何度か挑戦したものの癖のある女性ボーカルなので無理ゲーだった。やっぱり男性ボーカルがいい。

思えば中学生ぐらいか洋楽一辺倒になってしまったので、1999-2010年ぐらいの有名な曲も知らないことが多い。最近の若者はどこで音楽を見つけてるんだ?YouTubeなんだろうなぁ。

ということで、キャッチーで歌ってる本人も気持ちいい、ストレス発散になるような素敵な曲があったら教えてください。アニソンも好きなんだが、基本的アニメを観ていないのに主題歌だけ歌うのは主義に反するので、今回は除外させていただきたい。

2017-07-30

ニュー乳Newジェネレーション

卯月ラジオネームペンネーム気持ち吐露するのOK円居挽さんの自意識にあてられた汀こるものだけどホームズ欲しい」さんから頂いたコーナーの前説です

『ナターリアにエロい言葉を教えるのはセクハラ

アイドルという女性らしさを商売にする仕事はいえ、未成年の子供にそんな言葉を教えるのはどう考えてもセクハラ

本人が嫌がってないとか関係ないだろ、誰だよあん言葉教えたの

犯罪だぞ、犯罪セクハラ犯罪だよ、罪だよ、罪を憎めよ、罪を憎めよ…… セクシー

でも…… 心の中でどこか犯罪欲求を抱えるのは、人間の真理でもあると思うんですよ

というわけで「アイドルが心の中で抱えていそうな犯罪欲求!」のコーナーです』

です!」

愛海「コーナーの前説募集するの聞いたことないけど、始まるよ!

ちなみにあたしは犯罪欲求は一つもないよ!」

卯月「わー、じゃあ安心して今日写真撮影がないかノーブラだって言えます

じゃあ最初のお便り、ラジオネーム「おまえは模倣犯で、俺は貴族探偵だ! そこになんの違いもありゃしねぇだろうが!」さんからのお便り

野球賭博

B.B.ロワイヤルの特定二人が絡んでそうですね」

愛海「ご、ごめん、メールの内容が全然入ってこないよ、の、の、ノーブラなの? 本当に? その、さきっちょ! さきっちょが! え、このさきっちょは直? 直!?

卯月「嘘です、これは付け乳首です、続いてはラジオネームバジリスクタイムが似合う作家ランキング2位架神恭介」さん

戸籍改ざん

流星街の解説をするSEのお兄さんが格好いいですよね」

愛海「ノーブラが嘘だったことがショックでもう話したくない」

卯月「そういう態度取られてもどうしようもないので次読みます

ラジオネーム魔法少女まどか真偽か」さんからネタメールです

粉飾決算

これは一事務員のできることではないので社長欲求ですね」

愛海「ちひろさんに優しいよねこ番組

卯月「真面目な人をからかうの嫌いなんです、からかいしかない番組ですけど

ラジオネーム城平京も二十歳の時があり京都に住んでいたことがあったんだよなあ」さんは、

平城京奈良ネタがブレてるので読みません」

愛海「安平京さんだったかもしれないね

卯月ラスト三つです。ラジオネーム「私は多分三人目だから平成のエラリークイーンの」さんからいただいた、アイドルが心の中で抱えていそうな犯罪欲求

スピード違反

バイクか車か…… どっちでしょうね」

愛海「ふと、茜さんがダッシュのスピード違反で捕まる絵が浮かんだけど忘れるね」

卯月「忘れてください。

ラジオネーム輪廻転生後のペンネームOK大下宇陀児あらた原田宇陀児」さん

『殺した後に声帯を抜き取っていくタイプ猟奇殺人

……ごめんなさい」

愛海「存在証明を、この悲鳴を、或いは歌を叫び続けるボクは此処にいる」

卯月「怖いです! このシチュエーションのその歌怖いです!

最後ラジオネームガダルカナル・タカ、命名島田荘司」さんのアイドルが心の中で抱えていそうな犯罪欲求

17歳なのに飲酒

んー無罪!」

愛海「愛星無罪!」

卯月「おまけです。

ラジオネーム先進的な渋谷区存在していない世界線の森奈津子

千川ちひろ佐藤心が二人が一緒になれないか国外結婚するも心さんがその国固有の伝染病にかかり治療必要な1000万円のための会計犯罪

これもうネタ三重四重に重なって意味からなくなってるので、あのカップルをイジるのはもうやめましょう」

愛海「そもそもカップル扱いへのツッコミ必要だしね」

卯月「というわけで、来週のメールテーマこちら。

キャンディアイランドから双葉杏脱退、新メンバーによりHappy×2 Days杏ちゃんラップ部分はどうなる?』です」

愛海「杏さんがゲストなの?」

卯月師走の翁さんがゲストです」

愛海「!?!?!?!?!?

卯月「嘘です、凸レーションの三人です」

愛海「わーい! よかったー! えっちなことされるかと思った!」

卯月おまいう

レーションの三人への質問メールは一切受け付けていませんが、

相方本名OKフレデリック・ダネイ」さんだけは質問を送っても大丈夫です」

愛海「本名ではないよ」

卯月「それじゃあ次回も、ニュー」

愛海「乳!」

卯月「Newジェネレーション!」

 
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