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はてなキーワード: 漢語とは

2023-04-26

anond:20230426114430

学術用語 (テクニカルターム) はキッチリした定義があるので日常用語とは切り離されたものなほうが便利なんだよ。

知識層が漢語を使っていた頃から伝統漢字を組み合わせて音読する形で造語する通例が出来ている。

から定義通りに使わない日常用語専門用語を持ち込まれるのは迷惑なんだよな。

日常用語として使われるとどうしても拡大解釈が起こる。

専門用語としてでも分野によって違う意味で使うこともあるし。

たとえば「ジェンダー」なんかは元々は社会規範精神的なもの排除した生まれついての性別を指していた。

派生的な意味が生じるのは仕方ないにしても全く逆転してしまうのは本当に困る。

2023-04-11

anond:20230410213920

外国語単語+る、で動詞として定着している単語


〇〇するの形は漢語が多いので、ある意味外来語

迷惑する

旅行する

生活する

就寝する

交流する

執筆する

2023-02-24

「こっくりクリーム」って言い方が癪に障る

日本人でさえ日本語が堪能じゃないので自分もそういう1人ではあるが「こっくり」を化粧品(ハンドクリームとかも)に使うことに違和感があり意味を調べた。

こっくり

1.

《副[と]》

首を急に下げるさま。「―(と)うなずく」

2.

《名》

うなずく動作。「―をする」

3.

《副[と]・ス自》

甘辛い味が濃く、深みのあるさま。「―した田楽味噌(みそ)」

3かな…3だよな…でも味の話してるんだよな。

こっくり テクスチャ 意味検索すると以下。

こっくりとは

しっとりとして濃厚なこくを感じる状態のこと。

こく…こくってよく使うけど何を指す言葉なんだ?

こく の解説

形容詞「こ(濃)し」の連用形「こく」の名詞化か。また、漢語「酷」からか》

1 濃厚なうまみ。「―のある酒」

2 内容に深い趣があること。「話に―がない」

加えてサジェストに「こっくり 嫌い」「こっくり 気持ち悪い」「こっくり 腹が立つ」というのが出てきて、そのへん掘っていくと「美容用語」の立ち位置らしいからまあ資本主義造語なのだなぁ、と。

結局意味はよくわからなかった。ハンドクリームに旨味も趣もねえよ。こっくりってなに。

2023-01-11

anond:20230111173944

なんで日本語漢字で読み方が違うのがたくさんあるかというと

和語漢語、韓語がまじってるから

いち・いつ 漢語

ひとつ 和語

かた 韓語


「かたな」は「かた(single)」 + 「な(edged)」

「な」は「薙ぐ」として残っていて、날(ナル)と対応

anond:20230111173135

そら sora suara・saura hamura hanmar hanarh hanwl haneul 하늘

あま・あめ こっちは和語

うみ こっちは和語

かい こっちは漢語

わた pata bada 바다

2023-01-04

anond:20230104171410

それは思っていた古典文法漢語なんて全く楽しくなかった

社会人趣味程度で学ぶ法哲学とかは楽しい

2023-01-01

anond:20230101113631

言葉を使うセンスは良くないのですね。参考になりました。

素人、って表現はよくされていると思う。

ドレッドノート級の弩、ではなく漢語に由来があるらしい。ど近眼、ど根性、など。

https://www.bgu.ac.jp/assets/old/center/library/image/fsell2010_171-189.pdf

2022-12-11

気取ってるとかじゃなく簡単言葉が思い浮かばないだけ

なにかの概念に触れるとぱっとそれに近しいと思われる「一語で表される単語」が浮かんでくるんだよな。

それをそのまま意思伝達に使ってるだけ。んでもって一語で表現されるものっておのずと漢語ばっかだから語彙レベルとしては難しいとされるものになってしまう。

でも個人個人としてはそういう漢語のほうがむしろ親しいという人は絶対一定数いるんだよ。

しかも一語で表さないで表現しようとすると、変換という意味で単純に出力までの処理が増えるばかりでなく、単語じゃない場合は連体節あるいは下手したら文という単位言葉を考えなきゃいけなくなるから、つまり頭をやわらかくして文法を駆使してそれを言い表そうとしなければならなくなる。これは概念を感じてその概念をいい表す言葉を単に連想するよりはるかに高度な知的活動だと思う。

なのでよっぽど頭よくないとまあ逆になまじ知ってる語彙が増えていくほど小難しくしか伝えられなくなっちゃうんだよな。

2022-12-10

anond:20221210134845

どうせやるなら明六雑誌ぐらい派手に漢語使いまくらないとラノベかぶれと舐められるよな

2022-06-19

anond:20220617170925

英語以外のカタカナ語フランス語ラテン語)とか、漢語の四文字熟語を使えばいいじゃん。

アタシェとかモードゥス・オペランディとか、乾坤一擲とか臥薪嘗胆とか。

2022-05-12

anond:20220512173010

趣味フランス語スペイン語勉強するものだが、案外そう単純でもないのだよなあ。

そもそも一見似た単語でも「意味」が普通に違う。

 

スペイン語のproporcionar、プロポーション比率)は関係ない。意味はprovide。

同じくスペイン語のcelebrarは「催しを行う」。「祝う」ではないのでcelebrar funeral(葬式を催す)とも言う。

こんな感じで似ているようで使いどころの違う単語が、日常遣いの言葉ほどいっぱいある。

 

洋画なんかもよく見てると、こういう性質ネタにして、「スペイン語っぽくラテン語由来の言葉を使って会話しようとするがうまくいかない英語話者」なんてシーンがよくあるよ。

中国語日本語漢語意味が違ったりするようなものだね。

2022-03-18

anond:20220318181155

あの国言語をまとめて近代国語教育の枠組み作ったのが日帝なので···

日本語でやった言語近代ソフトをそのまま朝鮮でもやったんよね

語彙に至っては類似って言うかただの日本語

うーん若干雑だな。もうちょっと詳しく言うとな

語彙は漢語由来で共通しているのと、19世紀以降に欧米日本韓国で定着したものがある。

文法中世にさかのぼっても一致しとるな。

2022-03-14

当用漢字(1948)から常用漢字(1981)へ

1946 年の内閣告示により 1948 年に制定された「当用漢字」は、

1973 年に改訂され、1981年に「常用漢字」の制定にともない廃止されました。


1973 年の改訂では、添付文書改訂趣旨について以下のように述べています

改定に当たっては,昭和23年内閣告示当用漢字音訓表の持つ制限的色彩を改め,当用漢字改定音訓表をもって,漢字の音訓を使用する上での目安とすることを根本方針とした。


これは、1946年~1948 年に制定された「当用漢字」には制限的な意味合いがあった

ということを公式に認めたものだ、と読むこともできます表現規制だぁーww)。


では何故、「制限的色彩」があったかというとあったかというと、

政府公式見解では穏便に:

わが國において用いられる漢字は、その数がはなはだ多く、その用いかたも複雑であるために、教育上また社会生活上、多くの不便があつた。


と言っていますが、当時の人々の本音としては、

大本営発表をはじめとする政府特に軍部から出てくる公式文書や、

戦中の御用メディア(当時の新聞)の文章大袈裟難解な漢語表現ばかりで

「なんかスゴそうだけど、よく考えたら意味不明だった」「あの表現に騙された」という感覚だったんだろう。


まり、大きな流れとしては、1946 年に戦中の反省から当用漢字」ができて、

1973 年に「そろそろ戦争反省より実用性かな」というノリになり、

中曽根康弘総理大臣になる(1982年)ような時代になって廃止されたということですね。


というようなことを週末に家族と話してたんだけど、

月曜の朝にミリタリークラスタが「鹵獲」なる言葉を使ってるのを見てモヤった次第です。


なんで「捕獲」や「接収」じゃダメなの?

英語だと「キャプチャー」という日常言葉と地続きのフツーの言葉なのに、

日本語の「鹵獲」はどの辞書を引いても戦争軍隊という文脈限定

特別言葉」なんだよねー(専門用語ともいう)。


自分は(他人もだけど)専門用語を多用したくなったら要注意だと思ってる。


専門用語を多用したがる「気持ち」はどこからやって来るんだろう?


自分が(他人でもいいけど)専門用語を多用しちゃうのってどういう時かな??

2022-01-08

anond:20220108103050

しろ白菜という名前からして新しそうだなと俺は思ったよ。古くからあるものナスとかカブとかウリとかいった如何にも和語の趣だが、白菜などは漢語そのまま或いは漢語風の新造語っぽい趣だからね。ちょうど議会だの野球だのがそうであるように。

2021-12-15

anond:20211214221728

三つとも漢字で書く名詞

希望」と「未来」は漢語

「夢」純粋日本語

もしここに説明されていること以外について質問あったらすまん、俺にできることはここまでだ

2021-11-25

日本語の原郷」について、補足説明

「『日本語の原郷』についての論文を読んでみた」(anond:20211121124146)を書いた増田です。思ったより多くの反応があって嬉しいので、調子に乗ってはてブの反応に対して補足説明みたいなのをしてみます

言語学でわからないところを他の学問補正するのはアリ?

そもそも言語学では分かりようがないところを考古学遺伝学の視点から補正したっていうのがあの論文の眼目だと思うので、言語学の面だけ否定しても…

こういう意見がみられましたが、少なくとも考古学遺伝学の成果から言語については何もわからない、ということを強調しておきます

極端な例を挙げると、100年前にアメリカ移住した日本人の子孫で、ご家庭でも英語しか使っていない日系アメリカ人のことを考えましょう。彼もしくは彼女遺伝的には日本列島に遡ることができます(おうちを探すと日本列島由来の品が出てくるかもしれません)。では言語的には? 彼もしくは彼女が話しているのは英語であり、英語というのは印欧語族ゲルマン語派西ゲルマン語群アングロ・フリジア諸語に分類されるイングランド発祥言語であるわけです。どれだけ遡っても日本列島には行き着かない。「この人は遺伝的には日本列島出身なのだから英語起源日本列島にあるんだ!」なんて話はおかしいでしょ?

古代にどのような人口の変動があったのかはわかっていません。移民同化が起きたのかもしれない。婚姻によって遺伝子が混ざりあった可能性もある。その場合遺伝子の伝播と言語の伝播が異なるルートである可能性もあります遺伝子はヒトの移動について詳しく教えてくれるけど言語の移動についてはなんも教えてくれないんですよ。せいぜい傍証になるだけ(「言語学観点からは○○語は××地域あたりが原郷だと思われるが、遺伝学で調べてみたら××地域からの大規模な人の移住があったっぽいので、このとき言語も広まったんだと思われる」みたいな)。

ニュースになるのは仕方ない

と言うことで、こんな与太話、なんで毎日新聞記事にしたの?と周りの研究者が頭をかけている、と言う話なのかしら。

様々な仮説があるのはいいけど、定説化とか定説エビデンスによって覆されたとか以外はニュースバリュー無いと思うんだが、なぜ報道されたのか。

いやー、Natureマックスプランク研究所研究者が載せた日本に関する斬新な論説をニュースにするな、という方が無茶じゃないでしょうか……

正直、これメディアを責められないと思うんですよね。実は著者のロベーツさん、去年オックスフォード大学出版からオックスフォードトランスユーラシア語族ガイドブック』なんて本を出してるんですよ(Robbeets and Savelyev 2020)。天下のオックスフォードUPから『~語族ガイドブック』なんて出てたらその語族実在は学界の定説になってるって勘違いちゃうのも当然っていうか……これ、今回は日琉語だから気づけたけど、パプアニューギニア言語とかでやられたら引っかからない自信ないです。

なおその『ガイドブック』には辛辣書評が出てます(Vovin 2021)。掻い摘んで批判の内容を紹介すると、「分析されてるのが現代語ばっかりやんけ」「系統関係があるって言うなら明確な対照表を示してみろや」「中期朝鮮語の再建がおかしいけどちゃん韓国語の先行研究読んどるんか?」「“leading international scholars”が書いたガイドブックって謳ってるけど著者のうち6人は院生じゃねーか」みたいな感じです。さらには、

We move now from the bad quality of research to the realm of science fiction in Table 39.1 that is supposed to present core Koro-Japonic etymologies. But there is at least one mistake and/or data fabrication on every line. (Vovin 2021: 126)

なんて書かれてます。怖ぁ~……おしっこちびっちゃう……

大野晋トンデモです

大野晋先生が生き返ってあと数十年研究してくれんかな

これは元増田でも書きましたが、大野晋は、少なくとも日本語起源という点については完全にトンデモです

タミル語はドラヴィダ語族というインド南部語族に属する言語ですが、大野は「日琉語族とドラヴィダ語族はより大きな語族内包される」というありえそうな穏健な主張ではなく「日本語起源タミル語である」という主張をしていますしかし「なぜドラヴィダ語族全体ではなくタミル語比較するのか」「ドラヴィダ語史がまったく考慮されていない」「語義の解釈おかしい」「サンスクリット語から借用語に気づいていない」などのツッコミに対して有効反論ができていない上、ツッコミを受けた箇所をしれっと書き換えたりツッコミを入れた人たちに人格攻撃を加えたりしています長田 1998;児玉 1996;山下 1996; 1998)。やり口がもうきちんとした学者のそれではありません。

大野語源論が誤っている一例として、amarar「不死なる者」という単語について挙げておきます大野はこれを日本語「あま」と関連付けて「天上界の人」の意だと解釈するのですが、これはサンスクリット語amara「不死の」から借用語です。これはさらにa-maraと分解でき、a-は否定接頭辞、そしてmaraの語根mr英語murderやmortalとも関連しています(つまり印欧祖語に遡る語ということであり、どう考えてもタミル語起源単語ではない)(山下 1996: 204–205)。

八丈語系統位置について

日本祖語から琉球語、もう片方の枝が本土語と八丈島語に分かれた系統図を覚えてたんだが、あれからずいぶん研究が進んでるんだなあ。/20年前に既にずいぶん版を重ねた本で得た知識から当然か…。

五十嵐2021)の説は発表されたばかりなので「定説」といえるほどではないですが、きちんとした分岐学手法に基づいて系統解析してるんで個人的には信用してます

で、従来説における八丈語位置づけですが、正確には、上代東国語の唯一の生き残りが八丈語というものです。つまり、「本土日本語派」がまず上代日本語(OJ、奈良など当時の首都で使われていた言語)と上代東国語(『万葉集』の東歌と防人歌に痕跡が残る)に分かれ、後者八丈島(&青ヶ島)以外では滅んだ(=上代日本語同化された)ため、現代では八丈語日本語対立するひとつの語派を形作っているということです。

系統樹にするとこんな感じ(樹形図をどう書けばいいのかわからないんでとりあえず「うんこするの?」の樹形図からコピってきたんですが、見づらかったらすみません)。

日本祖語 ─┬─ 上代日本語現代日本語

        │

        ├─ 上代東国語→絶滅

               │

               └─ 上代東国語の八丈島方言八丈語

この樹形図から絶滅した言語を取っ払って現代にのみ注目するとこうなります

日本語派 ─┬─ 本土日本語

      │

       ├─八丈語

それに対して、五十嵐2021)は、上代東国語は滅びたわけではなく、表面上は関西からの影響を受け続けたものの、現代関東東北地方方言として生き延びていると主張しています。つまりこういうことです。

日本祖語 ─┬─ 上代日本語関西の諸方言

        │

        ├─ 上代東国語→関東東北の諸方言

               │

               └─ 上代東国語の八丈島方言八丈語

八丈語が際立って特殊に見えるのは、この言語が失われた東国語の唯一の生き残りだからではなく、他の東国語の末裔茨城弁とか)と比べて中央からの影響が少なかったため東国語の特徴が保たれたおかげだ、とするのが五十嵐説です。

要するに、「東国語は滅んだ(=東国話者が完全に同化された)」のか(従来説)、それとも「東国語は生き残っている(=東国話者中央からの影響を受けたけど完全に同化されはしなかった)」のか(五十嵐説)、という違いです。個人的には後者妥当じゃないかなーと思うんですが、どうでしょうか(だってそんな大々的な言語置き換えはどうやって起きたの? ってなりません?)。

なお、五十嵐2021)だけでなく、元増田でも言及したローレンス(2013)も、八丈語には他の東日本の諸方言と共有される要素が見つかり、それは西日本の諸方言には見られず、したがって八丈語東日本の諸方言の内に位置づけられる(=八丈語本土日本語対立する系統であるとする旧来説は誤り)と主張しています

味噌」の語源朝鮮語

日本語に興味のある&研究手法を学んだ”素人には、この論文言語部分はとても怪しい。増田の指摘以外に日本語の粟を他言語大麦の借用としたり、味噌(未醤)を漢語ではなく朝鮮祖語からの借用にしたりしてる。

実は増田もそれを見たとき「えっ……?」って思ったんですが、否定できるほどの根拠を持ってないので書きませんでした。確かに先行研究では意外な言葉朝鮮語から借用語だとされてることがありしょっちゅう驚いているので(たとえば「つち」とか)、「味噌」が朝鮮祖語からの借用というのをありえないと即断することはできないんですが……。

いちおうここで論文の内容を紹介しておくと、『鶏林類事』に[mitsu]という語があって、そこから朝鮮祖語*micuを導き、平城京木簡みえる「末醤」から上代日本語の*misoあるいは*misəを再建し、それは朝鮮祖語*micoもしくはその交替形*micʌからの借用である、という議論になってます。これだけじゃ門外漢増田には当否がわからんのですが国語学的にはどうなんです?

なお、該当箇所に、

...This fragment preserves the following inscription: 御末醤一石二斗, i.e. HON-“bean paste” reads as miso. The Wamyoshō, a Chinese to Middle Japanese dictionary compiled in the mid Heian period has the same kanji (末醤) glossed as miso (美蘇)...

とあるのですが、「一石二斗」の部分いらなくね? とか、転写するならWamyōshōじゃね? とかはケアレスミス範疇だろうから突っ込まない方がいいのかな……

やはり女王は強かった

マイルCSグランアレグリアが有終の美を飾ってくれて最高でしたね……あとはコントレイルジャパンCで有終の美を飾ってくれれば……実はまだ「三冠馬が勝つ」ところを見たことがないので、一度は見ときたいなぁと(にわかですいません)。

「この分野は素人なのですが」

本当に素人なんだけど何でみんな信じてくれないんです……?

参考文献

2021-11-21

日本語の原郷」についての論文を読んでみた

歴史言語学についてはまったくの素人だけど、最近話題になった「日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表 | 毎日新聞」(はてブ)っていう記事の元になったロベーツらの論文(Robbeets et al. 2021)を読んでみたよ!

結論

うさんくさい

前提知識

うさんくさい理由1:その系統は正しいの?

トランスユーラシア語族系統関係、ちっとも証明されてなくね?

著者のロベーツは過去に著書(Robbeets 2015)を出版して、そちらでトランスユーラシア語族系統関係証明したとしているようである。残念ながら増田はその著書を読めていないので、著書の方では厳格な比較言語学手法系統関係証明されているというなら恐れ入谷鬼子母神シャッポを脱ぐしかないのだが、正直言ってめちゃめちゃ怪しく見えるよ……この論文では農業関係の語に絞って借用も含めた系統が論じられているんだけど、正直かなり無謀な気がするし、なんでこれでトランスユーラシア語族証明された扱いになってるのかちっともわからん。さすがに著書の方では基礎語彙の対応に基づいた議論してるんだよね? うーん……

かいツッコミになるけど、論文のSupplementary Informationで、お米を表す「まい」という語について論じている。著者らは琉球祖語に*maïを再建するんだけど、そこから派生した語形として与論語mai、沖縄語のmeeやmeと並んで奄美語misiやmiisɨを挙げている。いやいやどう考えても後者「めし」転訛だろ(標準日本語のエ段に対応する母音琉球諸語だとしばしばイ段になる)。まさかとは思うけど「まい」と「めし」区別がつかないで日琉語の系統を論じてるの?

追記:「それそもそも呉音じゃね?」というid:nagaichiさんの指摘を受けて追記。この論文ではちゃんと「The Chinese loan morpheme is also found in Sino-Japanese mai and entered Proto-Ryukyuan as *maï ‘rice’」と書かれていて、漢語から借用語であることは前提になってます。これは日本語の「早稲(わせ)」が朝鮮祖語*pʌsalから来てるんじゃね? っていうことを説明してるパートに付け足された部分で、借用語であることが誰の目にも明らかな「まい」に言及するのは蛇足じゃねーのと思うんですが……)

っていうか日琉祖語や琉球祖語の「土」が*mutaになってるけど何これ? *mitaじゃないの? 日本語方言形にmutaがあるから*mutaを再構したのかな? でも先行研究(ヴォヴィン 2009: 11)で指摘されてるように祖語形は*mitaだよね……(cf. 八丈語mizya)(なお標準語「つち」は先行研究によれば朝鮮から借用語

さらに、著者は3年前の論文の中でトランスユーラシア語族系統推定しているが、その系統樹では、南琉球語群(先島諸島の諸方言)のうち、まず八重山語分岐して、次に宮古語与那国語が分かれたということになっている(Robbeets and Bouckaert 2018: 158)。……なんていうか地図見ておかしいと思わないのかな。もちろんそんな分岐絶対にありえないと言うことはできないけど、こんな分岐はこれまでの琉球研究提唱されたこともない。もっと言えば、ウェイン・ローレンス2000; 2006)の言語学的な研究によって、宮古語には見られない改新与那国語八重山諸語が共有していることが明らかにされている(つまり琉球祖語がまず宮古八重山に分かれ、八重山祖語から与那国語分岐したと推定される)。大丈夫? 日本語の先行研究ちゃんと読んでる?

余談。本論文はやたらと琉球諸語から例を引っ張ってきてるけど、個人的には「本土日本語」は側系統であって琉球諸語は薩隅方言姉妹関係にある南日本語派の一分岐だという五十嵐陽介(2021)の分析妥当だと思うので、根本的に日本語琉球語を姉妹群とするかのような系統樹には納得できないんだよな(ちなみに五十嵐研究活字になったのは今年だけど5年ほど前から活発にあちこちで発表されててレジュメはresearchmapで誰でも読める状態だった。まあプレプリント以前の発表原稿の段階のもの引用しろというのは酷だと思うのでロベーツが参照してないのは仕方ない)。考古学的・人類学証拠からは、琉球列島へのヒトや言語流入比較的遅いことが推測されるけど、その頃にはとっくに日琉語は複数系統分岐してるはずなんだからcf.万葉集』の東国語)、琉球語が日琉祖語まで遡る古い系統か? っていうとどう考えても違うわけで。

うさんくさい理由2:他の研究からの評判が微妙

ロベーツらの研究依拠しているソースの1つに、セルゲイ・スタロスチンというロシア研究者による語源辞典がある。しかしこのスタロスチンという研究者は、日本語が「アルタイ語族」に属すという証明のために色々と強引な当てはめをやっているのだ。アレクサンドル・ヴォヴィンは、スタロスチンがいかにテキトーなことを書いているか検討している(Vovin 2005; ボビン 2003: 19–26)。たとえば、スタロスチンは日本語に基づいてアルタイ祖語に*u「卵」を再構するのだが、これはどう見ても「卯」と「卵」の取り違えである。また、スタロスチンは日本祖語に*situ「湿っぽい」を再構するが、「湿」をシツと読むのは音読み(=漢語からの借用)であることは説明するまでもないだろう。こんないい加減な「語源辞典」を使って日琉語の系統を論じるってかなり勇者だと思わない?

(っていうか、スタロスチンをはじめとする「アルタイ語族」説の支持者、与那国語標準語のyにdが対応する(cf. duru「夜」;dama「山」)のを祖語形の残存だと主張してるのか(Vovin 2010: 40)。思ってた以上にやべーな)

案の定、ロベーツの著書も他の研究からボロクソ言われているようだ。ホセ・アロンソ・デ・ラ・フエンテは、彼女の著書に対する書評で、「Throughout the book there are inconsistencies which may stem from a lack of familiarity with the languages involved and their scholarly traditions」(Alonso de la Fuente 2016: 535)として、彼女満洲語転写が実にテキトーであることを指摘している。前述のヴォヴィンはさら辛辣なことを書いている(Vovin 2017。出典表記は省略)。

The recent attempts to prove that Japanese is related not only to Korean, but also to the “Altaic” languages fare even worse. In spite of the devastating critique that has been leveled at these quasischolarly publications, they [Starostin and Robbeets] still continue to sprout like mushrooms after the rain, greeted, of course, by yet another round of devastating critique...

こんなこと書かれたら僕だったら泣いちゃうな……

なおこの論文朝鮮祖語の再建にも問題があるらしい。以下の連ツイを参照>https://twitter.com/ian_joo_korea/status/1458706979870838788

まとめ

少なくとも言語学の側面からは非常にうさんくさい

増田素人なので確信を持って間違いだと言い切ることはできないけど、論文全体から信頼できない香りがプンプン漂ってきてる。

考古学とかそういう方向から考察は知らんけど、言語学的な根拠については賭けろと言われたら間違ってる方に賭けるね。

追記:こっちの増田anond:20211121201022も見てね)

蛇足だけど

このへんの言語史については、古代朝鮮半島には幅広く日琉語(大陸倭語;Penninsular Japonic)が分布してたんだけど、北方から朝鮮話者が進入してきて言語が置き換わった、という説(Vovin 2013)が個人的には面白いなぁと思う(大陸倭語については、Vovin 2017; 伊藤 2019; 2021も参照)。いや、素人の考えだからひょっとしたら大間いかもしれないけど。ただ、仮に大陸倭語の存在を認めるなら、日琉語の故地(Urheimat)が列島の外にある可能性もあるわけで、故地をめぐる議論どうしようかっていう議論は生まれてくるところだと思う。

あと、この増田で「標準語」って言葉を使ってるのにツッコミが入るかもしれないけど、国が言語規範を決め全国に普及させているというのを無視して「共通語」と呼ぶのは国家による言語政策権力性を覆い隠すから良くないと思うので「標準語」と呼ぶ派です。

ところで

著者のRobbeetsさん名字を「ロッベエツ」と書いてる新聞があったけど、日本語表記するなら「ロベーツ」じゃない? ベルギー研究者らしいけど、bが重なってるのは詰まって読むこと(促音)を示してるんじゃなくて、その前にある母音が短母音である(「ローベーツ」ではない)ことを示すためのものでしょ、オランダ語的に考えて……。

それにしてもマンチュリア(いわゆる満州)を「中国東北部」と呼ぶの、ヤウンモシㇼを「日本北部」と呼ぶようなもので、先住民族である満洲人の存在を透明化し漢人の入植を自明のものとする植民地主義的な用法から政治的に正しくないと思うんだよな。ちゃんマンチュリア or 満州と呼ぶべきでは。

Q. 増田って賭けに強いの?

A. スプリンターズSではダノンスマッシュ秋華賞ではユーバーレーベン、菊花賞ではステラヴェローチェ天皇賞(秋)ではコントレイルエリザベス女王杯ではアカトリノムスメの勝利を予想していました。マイルCSではグランアレグリアに賭けてますジャパンカップは今度こそコントレイルが勝つはず。

追記

niwaradi そもそも著者が多く日本大学学者が共著者に10人以上いてNature編集部レビュワー賛同したはずなので学会で揉めてる分野なのかな?日本語朝鮮語の共通祖先はどこかにあると思うが。

共著者が多いのは、色んな分野にまたがって調査してる理系論文だとよくあることだと思いますNature基本的理系雑誌なんで言語学みたいな文系領域事情にはあんまり明るくなかったんじゃないでしょうか。ちなみにその「日本語朝鮮語の共通祖先はある」って考え方にめっちゃ反対してるのが本文で言及したヴォヴィンです。最新の論文(Vovin 2021)では日本語起源は「アルタイ語族」じゃなくてオーストロアジア語族だーって気炎を上げてます(ほんとかよ)。

behuckleberry02 大野晋先生が生き返ってあと数十年研究してくれんかな

大野晋日本語タミル語起源説はただのトンデモです。結論どうこうじゃなくて方法論の時点でおかしい。詳しくは長田(1998)や山下(1998)を参照してください。

c_shiika 令和の騎馬民族征服王朝説だったか…… / ウマ増田さんはウマの記事ちゃん増田投稿するべきだと思うの

手持ちのジュエルを全部つぎ込んだけどメジロドーベル引けませんでした!!1!(代わりにすり抜けでナリタタイシンが来た)

mori99 話は逸れるが、恐れ入谷鬼子母神とか、増田、何歳だよ。※あるいは寅さんフリーク

ナウでヤングなガラスの十代だっちゅーの

参考文献

2021-11-11

anond:20211111230103

http://www.yaponesian.jp/cmsdesigner/dlfile.php?entryname=kikan&entryid=00008&fileid=00000001&/Yaponesian_Vol2summer_online.pdf&disp=inline

言語学第二座談会(~前半の部~)

千葉大学にて1月開催

発言者遠藤光暁、青山学院大学教授中国語音韻史・方言学、アジア地理言語学

    木部暢子、国立国語研究所副所長、日本語方言

    風間伸次郎、東京外国語大学教授アルタイ言語言語類型

    福井玲、東京大学教授朝鮮語

    吉川佳見、国立国語研究所非常勤研究員アイヌ語

    児倉徳和、東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所准教授ツングース満洲語学

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福井:ただ日本語と唯一関係があるかもしれないと思っているのは、河野六郎先生や李基文先生など多くの方が扱ってきたいわゆる高句麗語あるいは濊語、つまり高句麗地名から推定される言語で、それが日本語に近いというのはほぼ間違いない。最近伊藤英人先生も注目すべき発表をなさっています

遠藤:ええ、だからこのヤポネシアゲノムプロジェクトでも日本以外の言語学証拠で一番確かな根拠は、いわゆる「高句麗地名だと狙いを定めて、初年度から重点的にやっています。実際にはたぶんそれが全体として「高句麗語」を反映するというよりも、倭人半島部で先住民として当時になるとモザイク化して居住していて、倭系の地名を残したとか、そんなイメージではないかと思うんですけど。

福井:そうですね。それを河野六郎先生がはじめて歴史的資料の中に出てくる濊人の言語ではないかということを言い始めた。その一番きっかけとなった大きな証拠は、もともと朝鮮日本人のことをなんと呼ぶかというと、jej(예)ですね。これが「濊」の字音(jej)とまったく一致します。その一方で、日本人の呼称普通倭人字音「倭(waj)」となるはずなんですが、中期朝鮮語資料の中ではそれではなくて、jej(예)と呼ばれている。そこから発想されたのかなと思うんです。

遠藤:それが現在中国東北部、古い時代の「夫余」の地域あたりまでJaponicで解ける地名があると以前から言われています

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風間:2つほどあります別に私が言い出した事ではなくて、以前Vovinさんらが日文研から刊行した日本語系統についての本にも書かれていますが、日本語は昔はもっと孤立語的なタイプだったとする説です。先ほど遠藤先生中国語などと比べると日本語全然違ったタイプ言語であるとおっしゃっていましたが、日本語は昔はもっと孤立語的なタイプだったとする説を考えていく必要はあると思っています。昨日も木部先生がおっしゃっていましたように、古代日本語の語はほとんど一音節です。一方、母音の数は現在よりおそらくもうちょっと多かった。助詞自体にも個別の声調があって、現代のテ形のテの部分などにも独自の声調があった。つまり膠着的ではなく、文法要素も独立した語の性格を持っていて、孤立語的だったということです。助詞助動詞には自立語起源説明されるものがかなりたくさんあり、声調があって単音節、という事になると、まるで孤立語であるということになります

遠藤:ええ。それは歴史時代の話ですよね。

風間はい、今まさしくそ歴史時代日本語の事を考えなくてはいけないんだと思います。それを考えるとやっぱり孤立語だったという可能性についてよく検討していくべきではないかと思います

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遠藤:文献言語史的な証拠から言うと日本語はせいぜい1500年前ぐらいしか遡れないですね。あるは『魏志倭人伝』とかの頃ですよね。高句麗かいろんな北方民族の記録については中国側の正史などの東夷伝とかもありますが。考古学の方からするともっと古い情報がわかって、宮本一夫先生の説によると、まず日本語を話す人たちが朝鮮半島に入ってきて、そのあと朝鮮語を話す人たちが現在でいう中国東北部から朝鮮半島に入ってきた、といったことが先史時代に起こっている可能性があるので、そうすると日本語朝鮮語ツングース語を話す人たちっていうのは中国東北部先史時代に非常に密接な接触をしている可能性があることになりますね。われわれは普段そういうことを考えないんですけど、そういうのはどうでしょう。かのアルタイタイプ諸語のTurkic、Mongolic、Tungusic なども地理的な分布範囲歴史時代先史時代ともかなり移動しているんじゃないでしょうか。

福井考古学との関わりという意味ではやはり今後参考にすべきところはいろいろあると思います。昨日の私の話だと主に韓国語から日本語への借用ということを中心にお話しましたけど、まあその逆の場合もありうるわけで。日本朝鮮半島の間で考古学的な遺物共通している場合があります。これは歴史学の人から聞いた話ですけれども、例えば日本式の甲冑韓国のある一部の地域でかなりたくさん出てくるとか、その時期そのあたりで接触があったということは明らかであるし、前方後円墳朝鮮半島でも見つかっていて、それは歴史をやっている人たちからするとむしろ日本から渡ったものではないかという説もあります

遠藤古墳時代ぐらいになるとそういう方向もあるみたいですね。遺伝学的な根拠からしても半島南部のところで縄文DNAが見つかったとかいうこともありますしかし、文献言語史で考えるくらいのタイムスパンだと日本列島には既に日本語が入っていて朝鮮半島朝鮮語が優勢であってツングース語はシべリアから中国東北部にいた、といった現代の状況を投影して考えがちですが、もっと全然違った居住地域で一緒に雑居していて遥かにドラスティック言語接触を考えてもいいんじゃないかってこのプロジェクトに入ってから思うようになりました。言語学的にそれを証明することは非常に難しいと思うんですが。語族単位でやっていると非常に細かい違いが目に入ってくるかもしれませんが、もっと大きいアジア全域といったマクロ範囲で見るとやっぱりアルタイタイプ諸語の共通性が際立って見えるんですね。

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風間:もう1つ目についてお話しするには今日はもう残念ながら時間が残っていないと思います。先の話の続きですが、やや推論の上での推論ということになりますが、孤立語だった日本列島言語を話していた人々を大陸から来た別の集団征服して、それが上層言語となり、下層言語孤立語ものだったけれども、最終的に日本語がSOVで膠着的なアルタイ型の言語文法タイプに再編成されたという可能性はあり得ると思います

遠藤縄文語(諸語?)が孤立語タイプで基礎語彙がそこから継承されて、弥生時代大陸から入ってきた膠着語タイプ言語によって文法が組み替えられたというわけですか。私などは『三国史記』で半島大陸部にJaponic地名存在するということからして、むしろ日本語半島とか大陸にあった時代に非常に密接に接触するチャンスがあったのでは、という仮説に傾いているのですが。

風間大陸接触してから列島に入ってきたということでもいいとは思いますが、その支配者層はそれほど多くの人数でなかったとしてもかまわないと思います

遠藤漢語について言うと、遣隋使遣唐使が行って、ごく少数のエリートが本をもってきて、仏典も含めてずっと勉強していく過程日本列島舞台として日本語の中の漢語の中の比率が増えていくわけですよね。そういう事は文化語彙については英語などでもギリシャ語ラテン語フランス語が大量に入るといったことは起こりますが、言語の中核的な部分で民衆言語まで浸透するためには、そういう文化的な学習だけじゃなくて日常的なレベル普通庶民バイリンガリズムとかの状態になっていないと、そういう風な組み換えは起こりにくいんじゃないでしょうか。あるいは完全に支配者の言語に取って代わられる例っていうのは中南米スペイン語とか枚挙にいとまないですけど。

http://www.yaponesian.jp/cmsdesigner/dlfile.php?entryname=kikan&entryid=00009&fileid=00000001&/Yaponesian_2_%E3%81%82%E3%81%8D%E5%8F%B7_1120_ALL_online.pdf&disp=inline

言語学第二座談会(~後半の部~)

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風間ゲノムをはじめとする他の学問分野での推定とどのような関係にあるのかはわかりませんが、言語学シナリオとして唯一あり得ると考えられるのは、日本語孤立語タイプから現在膠着語的なタイプへと、何らかの理由で変化してきたという可能性ではないかと思います。それを示唆するような痕跡的特徴は日本語にある程度存在するのではないかと思います。その中でも一番問題になるのはアクセントもしくは声調と呼ばれる現象さらにはその両方が日本語にあるということだと思います。ただ、アルタイ諸言語がどの言語弁別的アクセントを持たない、ということもあり、私は日本祖語は無アクセント言語だったのではないかという仮説に深く関心をもっています山口幸洋さんをはじめとする何人かの研究者提案されている仮説です。

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木部:これから先は想像世界ですけども、古くは日本列島各地に今の大和ことばではない言語、何語であるか分からないような言語日本列島にいっぱいあって。

遠藤:たぶん縄文時代とか。

木部:縄文時代縄文語かもしれない。それが無アクセントであったという事はあり得るとは思います。そのあと、大和琉球共通祖語、日琉祖語が上にかぶさって、元の言語は日琉祖語に取り替えられたけれども、アクセントにはサブストレータム(基層語)としてもとの無アクセントの特徴が残った地域があって、現在、各地に点々と残っているということはあるかもしれません。元々、声調の区別をもっていなかった言語が新しい言語を受け入れたときに、アクセント区別をしなかったという事はあると思います。無アクセント言語アクセントのある言語から借用語を取り入れるときに無アクセントで取り入れるという事はよく起きています

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遠藤:それで、九州の無アクセント地域と二型アクセント境界線のあたりにABOの血液型境界線がひかれるんですね。A型瀬戸内海から関西にかけて特に多くなって、その周りに別のタイプがあって、その境界線がちょうど無型アクセントになるあたりなんですね。それから他にも斎藤先生のおっしゃる三段階説または内なる二重構造、イエナのマックスプランク研究所の人は新幹線モデルといっていましたが、関西から山陽新幹線がはしっている辺りから九州にかけて、身長が高くて、首と胴体の比率が7頭身に割合近いといった形態的な違いもあるそうですね。それで、服部四郎が『アクセント方言』の中で、北九州の辺りから関西にかけて移住が起こったかもしれないと書いていますね。もしかしたら朝鮮半島からも繋がっているかもしれず、弥生人北九州にもたらした日本語アクセントをもっていたが、周辺部ではアクセントがなかったとかいたことがもし想定できるとしたら風間先生とか狩俣先生とか、もっと早くは山口幸洋が言っているようなこともあるかもしれませんね。つまり一言語内部の比較言語学的な考察からすると対立が少ないところは分化条件が与えられない限り必ずや合流を経たとせざるを得ないので、ウルトラCのような離れ技として民族的ないし言語的なsubstratumを想定に入れないとダメになりますね。ヤポネシアゲノムが始まる2年前までは我ながらこんなことを言い出すなどとは思いもよりませんでしたね。もう40年ほど前から日本語系統論っていうのは、本当に危ない分野なので手出しせずに実証的な研究に没頭すべきだと考えてきた世代なので。

2021-10-15

[]乙骨太郎乙

1842年生まれ父親幕臣儒学者

太郎乙も漢語英語蘭語を使えたので、幕府洋学校教授外国奉行などを歴任した。

維新後には徳川家について静岡移住した。

1869年明治2年)、イギリスヴィクトリア女王次男であるエディンバラ公アルフレッド来日が決まったとき

各藩から英語が出来る人物が呼ばれて接待係に任じられたが、静岡から太郎乙が選ばれた。

その折、薩摩藩軍楽隊指導するために来日していた軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンから

「歓迎の式典では国歌を流さなければならないが日本国歌は何か」との問い合わせがあった。

接待係たちは国歌などというものを聞いたことがなかったので、どうすべきか政府上層部に問い合わせたところ、

「その程度のことでいちいち問い合わせてくるな、そういう問題を何とかするためにおまえらを呼んだんだろ」

と怒られてしまったので、接待係たちは困り果ててしまった。

そのとき太郎乙が「もう古歌のなかから適当に選定すればいいんじゃね」と、

徳川将軍家が毎年の正月に行っていた「おさざれ石儀式」で歌う、

君が代千代八千代さざれ石の巌となりて苔のむすまで」

という古歌を推薦した。

これが採用されて、そこにフェントンが作曲したメロディが付けられた。

まり骨太郎乙は国歌君が代」の生みの親と言っても過言ではないのである

ただし諸説あり。

1922年大正11年)、太郎乙は80歳で亡くなった。

晩年は旧幕臣の仲間と集まって漢詩を作るなど悠々自適生活だったという。

2021-09-19

観無量寿経』の「是旃陀羅」について解説

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kyoto-np.co.jp/articles/-/640716

京都新聞真宗大谷派謝罪話題になっていた。私個人として考えるところがないわけでもないけど、多少この問題に関して知識のある方なので、勝手ではあるが、ブックマークにあがっている疑問に答えたい。

kaos2009さんが「 [旃陀羅は古代インド被差別民を指し、同派では江戸から昭和初めごろまで日本被差別身分に例えて説明されていた」 仏説観無量寿経 - Wikisource https://ja.wikisource.org/wiki/?curid=5204 母殺しは王の所業でなく栴陀羅だと」と説明しているけど、だいたいその通り。

記事にもあるように、これは『観無量寿経』のなかのことばである。そこに、阿闍世王が母韋提希を殺そうとしたときに、大臣月光大臣の耆婆が「それは『旃陀羅』のすることだ、ヴェーダ(毘陀論経)にもそう書いてある」と諫めるシーンがある。旃陀羅はヴァルナカースト)以下の存在とされていて、日本では伝統的に、被差別部落民のことと説明されてきた。

まず、『観無量寿経』は異訳も現存しないし、サンスクリットやパーリもない。だから訳しなおしたりするのはきわめて困難、ほぼ不可能である。今後、原本発見されないかぎり。

また、『観無量寿経』は浄土真宗できわめて高い価値をもっている。法然の定めた浄土三部経であり、親鸞の読んだ『観無量寿経』と、それに対する書き込みが残っている(集註(じっちゅう)という)。そのことばを変えるのはおそれおおいというのが、真宗門徒一般的理解なのだと思われる。

さらに「是旃陀羅」問題をややこしくさせるのは、親鸞のつくった和讃和歌)のなかに、「耆婆月光ねんごろに/是旃陀羅とはじしめて/不宜住此と奏してぞ/闍王の逆臣いさめける」というものがある。親鸞が「是旃陀羅」を無視していれば、真宗門徒もそれができたのだが、親鸞自身文章でもこのことばを肯定的に用いているので、それが問題になる。

  • circledcircled 「経典を書き換えるのがOKなら、それはもう宗教じゃなくて「自己都合に利用出来る便利な政治道具」に成り果てるのよね。例えば殺人NGは受け入れるけど、禁酒は受け入れないみたいな摘み食い宗教堕落との区別が無い。」

言わんとするところはわかるけど、経典は非常に多くあって、しか相互矛盾する記述もあるので、「教相判釈」というのが中国仏教で生まれた。つまり、たくさんある経典の中でどれが一番真実なのか、重要なのかということが論じられる。それで、時には経典以上に祖師重要視されてきて、祖師無視していれば無視できると思われる。

今回は、祖師(この場合親鸞)が無視していないか問題になっているのだろう。

そういうふうにも解釈できるけど、これは耆婆も一緒になって行ったことで、耆婆は仏弟子から仏教差別意識をもっていたということでもある。教えの主体釈尊が中心ではあるが、とき仏弟子がそのようにもなる。

2021-07-24

18歳まで親の名の読み方を知らなった

90年代前半、自分が18歳の時に区役所住民票戸籍謄本を取りに行った際に父親名前を聞かれたので答えたところ、違うと言われて怒られた。「君、自分の親の名前なんで知らないの?おかしいでしょ」

父の名前音読みで通っていて、父の親、つまり祖父母音読みで呼んでいたし父自身もそれが本名だと言っており仕事で使う名刺振り仮名音読みだった。

しか本名訓読みだったのである

更にもっとおかしな事に気が付いた。父方の祖父母名前も違う。普段使っていて手紙や軽い法的文書学校に出す認書など)にも書き、預金通帳にも記され、付き合いのある人に呼ばれる名前通名だったのだ。本人が全く名乗った事もなく出てきた事もない本名別にあったのである

更に自分苗字も今まで使っていた当用漢字と違い、戸籍では旧字体だという事にも気が付いた。知らなかったので学校学生証も卒業証書銀行口座当用漢字で、それで通っていた。

 

何れも父方の関係である。何故こういう風になっているのか良く判らなかった。が、調べる方法を知らなかったしものを知る大人が近くに居なかったので説明を得られなかった。

その後10年以上が経過して図書館で調べる方法を知り、更にネットという道具を得た。その結果歴史的な背景がある事が判った。我々はほんの十数年前の事すら知らない。核家族化によって大文字伝統から外された風俗も伝授されない。

 

中華文明日本人名の扱い

日本中華文化圏の周縁にあった。独立した文化ではあったが風物の認識には漢籍中国で書かれた書物)が参照される。梅雨があるのにそれを無視して「四季」なんていうのもそうだ。漢詩での季題に倣って詩やうたを詠んだ事に由る。

昔の中国では親に貰った本名を親を除いて他人が呼んではいけない。本人も使ってはいけない。これは諱(忌み名)であり墓場まで持って行く。他人本名を呼ぶのは殺人に値する非礼である

この風習日本でも倣われ、江戸時代まではやはり出生時に親に貰った本名は親以外が使ってはいけなかった。幼少時には幼名を使い成長した後には仮名(けみょう)を使う。仮名というのは後世の歴史用語であって当時の人達本名絶対使わないのだから「名」といったらこれのみである

武士場合朝廷官名を名乗った。大岡越前守の越前守は律令制時代越前国の長官だ。それを名乗っている。水戸黄門変則的で黄門は中国での中納言の事である漢籍知的であるので漢語で名乗ったものだ。~~左衛門~~右衛門というのは宮廷の衛兵の事だ。だから家光公なんて言い方は後世のもので当時の人は絶対に言わない。言ったら死刑だ。

歴史学校で教える際にこの辺を省いているのはマズイと思う。

外国報道では天皇の名にemperorを付けるが日本語の報道では絶対に名を呼ばないのはその名残である

明治廃止されたが…

明治になるとこの風習は廃され、どこでも本名を使う事が定められ、諱の併称も禁止された。だから明治以後は本名一本主義である

…のだが実際は人々は従わなかった。相変わらず通名も使われ続け、更に一般化したのが有職読みだ。

有職読み

有職(ゆうそく)読みは訓読みする語を音読みする事である特に名前での使用が顕著であった。

例えば名付けする時に音読みも訓読みも出来る名にする。本名訓読みとして戸籍に記す。だが一般に使うのは音読みの名前とした。

一般と言っても法的な行動含めほぼ一生の生活の全部である不動産を買ったり婚姻届け出す以外ではそれで問題は起きなかった。現在常識化している正しい本名をどこでも使うのを求められるようになったのはバブル以後の30年位でしかいからだ。

から歴史伊藤博文(ひろぶみ)と習っても、当時の人はひろぶみなんて呼ぶ人は恐らく一人も居ない。呼び方は「はくぶん」だ。

例えばこの質問で貼られている選挙ポスターを見て欲しい。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13120057343

イヌカイ キ」とフリガナを振っている。日本人の名に「き」はちょっと変だが、訓読みの本名音読みするのが当たり前なのでそう書いてあるのである。当然本人の名乗りだけでなく世間の通りも「き」なので当然の事だ。

戦前新聞を見れば歴史で習うのと違い、政治家名前はほぼ全て音読みのフリガナが振られている。原敬なら「ハラ ケイである

戦後

戦後になると流石にこの風習は廃れた。特に戦後まれ団塊世代はこの倣いに従わなかったし、その親である戦中派の多数派有職読みで子を呼ぶ事をしなかった。

しか保守的な家庭ではこの倣いを続ける所もあった。それが私の父方だったのだ。祖父は旧職業軍人戦後神社右翼人士と付き合いがある右翼シンパであった。

 

こんな感じで段々とこの倣いは細くなって行ったのだがバブル期~90年代前半にトドメがさされた。

銀行口座はそれまでハンコと通帳だけを参照するもので、本人確認もろくに行っていなかった。だから仮名での口座開設も簡単であり、銀行自体がそれを止めていなった。日本人で外国人名の口座をもっている人もいるし、法人格獲得していない社名でも口座が開設出来た。

だが当時日本ストックの急拡大により急激に国際的地位を獲得しつつあり、マネーロンダリングへの対策を求められる事になった。これで仮名での口座開設は不可能になり、本人確認書類必要になった。口座の文字本名の字と一致させる必要がある。

更にIDカードが常に参照される社会になって行った。90年代初頭では「欧米では何するにもIDカード提示させられるのでID携行必須なんだよ」というのが珍しい事として語られていたのだが、90年代後半の日本はその欧米と同じ状態になっていた。

こうして本名との完全一致は常に求められうようになったので有職読みとか通称使用とかは完全に無くなって行ったのであった。

 

から私が区役所で怒られる数年前までは細々と続いていた風習であったが、現代っ子であった私は自分の周囲がそういう古い倣いに従っていた事に気づかずに居たのである

そして私を叱った区役所役人自分が生まれた頃にはまだかなり現役の風習に気づかず40年以上生きてきたのである。更に戸籍住民票を扱う部署に配属されてなお知らなかったのである常識とは視野を狭くする事の一例だ。常識があるが故に保守的風習認識できないというのは寓話的だ。

 

こういう事が判ってから母型の家系を調べると、やはり曾祖父母として認識されていた名前戸籍に出てこないケースがあった。認識されていた名前本名が違うのだろう。

 

現代っ子自分時代常識に則り祖父母の名を本人に代わり書く時も本名を使うようになったが、この辺の知識が無かったのでその時バツが悪い思いをしているだろうという事に気が付かなかった。直接聞いた訳ではないが生まれから数十年それが名前であったのだから言うまでもない。

キラキラネームも昔なら問題にならなかった

親にキラキラネーム付けられて成人してから変名するケースが増えているが、この問題も昔の知恵なら問題にならない。

そもそも親がまともかバカかというのは子がベット出来ないギャンブルだ。そしてやたらとおかし名前をつける親というのは戦前には結構いた。ダジャレで付けたり有名芸者の名前付けたり、バカ親は戦前でもバカである

でも通名別につける方法が残されているか問題が無い。「親に貰った名前を変えていいのですか?だって?親に貰った名前を名乗れるかよ!」と言えたのだ。

更に変な読みを付けられても有職読みすればいいのだから問題ない。「今鹿」で「なうしか」と付けられても「こんろく」と名乗ればいい。これは今でも教育現場でも会社でも本来の読みに固執しているのが問題であってそんな例外なきルールなんて精々30位の歴史しか無い。困った問題が続出しているなら破棄すればいいだけの問題だ。

なので硬いルールと思っているものが実は30年程度の風習しかない事に気が付くべきだし、柔軟にしたら解決する問題もあるという事に気づくべきだ。伝統というもの伝統と思っているものの外側にある事がある。そしてその伝統問題解決する術を持っている事もあるという事に気づくべきだ。

 

最後に、あの区役所おっさんにこの「自分の親の名前の読み方を知らない理由」を言って聞かせたいもんだが、もう鬼籍に入っちゃってるだろうなぁ。あんたの叱責のおかげで日本伝統について知ることが出来たぜ。

2021-07-08

「ご本」じゃなくて「お本」じゃないのか?と思っていたが「ホン」というのは音読みだそうだ。

漢語には「ご」、和語には「お」を付けるという原則に従えば、本は「お本」なのだと思っていたが、「ホン」は音読みなので実は漢語らしい。

ということは肉(音読み:ニク)は「ご肉」だし菊(音読み:キク)は「ご菊」ということになるのかな。

家賃、ご席、ご線路、ご世辞、、、

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