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はてなキーワード: 近眼とは

2022-08-07

眼鏡をかけているのに「眼鏡が無い!」

今日の昼飯食ったあと、トイレに行こうとして遠くを見たら視界がぼんやりしていて、

そっか、飯食うのに近くがよく見えない(私は近眼でもある)から眼鏡外してたかぁと思ってカバンを探したら、

実は眼鏡は頭の上にあった(よくあるネタだ)…ってわけではなく、実際にまさに目の前にかけたままだった。

それなのに、なんで「眼鏡が無い」と思ったのだろうと逆にびっくりしてしまった。

度が合ってないのだろうか。もしくはあまり眼鏡になじみすぎているからだろうか。

2022-07-22

anond:20220722231429

すみません言葉足らずでした。

かに発達障害の親からまれてくる子供発達障害の子である可能性が高いですし、発達障害の人の人生が辛いものであるというのは(傾向の話であって、幸せ発達障害の人もいるでしょうが)ある程度正しいでしょう。悲惨人生をもたらす可能性が高い(というとややオーバーですが)発達障害者が子供を産むことが、結果的に不幸を産むということは、そんなに間違っていないと思います

しかし、発達障害問題社会が克服すべき問題だと思います。なぜなら、親も子供も、発達障害を持って生まれることを選んだわけでもないからです。

自分で選んだわけでもない性質によって、子供を産むという大事権利行使することを悪だと言うのは暴論でしょう。

発達障害者がかつての黒人ほど差別されているかは別として)奴隷だった時代の、奴隷でいることを不幸だと思っている黒人愛する人子供を作ろうとしているときに、黒人を責めるものですかね。黒人の子供にはその権利もあるでしょうが

黒人差別されたのは不当だが、発達障害者が不当な目に遭うのは能力問題から仕方がないとおっしゃるかもしれません。

よく出される例なのですが、近代以前人類近眼であるだけで生きづらい障害者扱いでした。しかし少なくとも今の日本では多少眼鏡代とコンタクト代がかかるだけで普通に生活できるように

なっています発達障害も同じように文明解決する可能性があります。そして繰り返しますが私はそうすべきだと思いますし、現状それだけの技術がなくとも

福祉によって救われるべきです。あなた発達障害当事者であろうがなかろうが、発達障害の親だけを責めて、発達障害を持った人が普通権利を十分に行使できないことを棚に上げて

発達障害を持った人の当然の権利否定するのは心の健康よろしくいかと思います

もちろん、社会解決す「べき」だからといって、実際に個人問題に向き合うのはほとんど個人ですし、親も当然子供問題と向き合わざるを得ないでしょう。

発達障害の方に限らず、社会マイノリティ子供を持ってそれを育てるのはそれなりに覚悟がいることなんだろうと思います

あなたのおっしゃる通り、覚悟なき人が親になることは良くないことではあると思います

しかし、個人責任ばかりを強調する言葉もまた有害であると考えます

2022-06-06

眼鏡を無くした超近眼ソムリエ香りが強いな」

「おっとグラスに鼻がついちゃったぜ」

2022-03-06

anond:20220303203233

近眼メガネって度数にもよるけど、かければ目が小さく見える(特にレンズが顔から離れるほど)

男女問わずそれが起きるはずなのにリアルでも男のメガネはそこそこ歓迎されるのは不思議だな

度なしだから関係ないのかね

2022-02-18

 定期的に電子書籍と紙の本どっちがいいみたいな話題が出てくる。

 俺はいくつかの観点から電子書籍一本槍である

 まずスペースの問題だ。これはまっさきにだれもが思い浮かぶところだろう。実際、自分マンガやらラノベで2万近いとこまで行って、これはもう人間生活として限界だと思って、あるとき全部処分した。内田善美の本とか、もう二度と電書で入手できないこと確定みたいなもん以外、すべて。そしたら、信じられないことにモノがものすごく少なくなりました。びっくりしました。要するに俺の持ち物のほとんどは本かCDでした。あとエロゲの箱。

 で、万を超える物量感を体験している人間としては、もう二度とあの状態にはなりたくない。もちろん歩いてる本屋とかは見てしまうわけで、そうするとふらふらと入ってしまう。紙の本ってそれ単体が「モノ」であり、モノとして訴求する力を持っている。ゆえに買いそうになってしまう。1冊くらいまあいいか。そこが地獄入口だ。禁煙なんかと一緒である

 これだけの本を読んでいるということは、とうぜん活字中毒的ななにかである。出先で本を切らしたときになんでもいいか活字がないと死ぬと思って本を買った経験は一度や二度ではない。ある程度の期間の旅行ともなれば、10冊くらいは本を持っていくしかなかった。ついでにいうと音楽も切らすわけにはいかないので、かつてはカセットテープを10本とか20本持ち歩いていた。いまやこれがスマホひとつである。もうアラフィフなので思う存分老人仕草をすることにするが、いい時代になったもんだ。もっとも、これおっさんにけっこう多いと思うんだけど、ガジェットを単機能で持ちたがる癖があって、電書はKindle端末だし、音楽は、サブスク用のスマホ別に持って歩いてたりするんだが、まあそれでも本を10冊持ち歩くよりははるかにましだ。最低でも未読の本を5冊くらいは持ち歩いてないと落ち着かない。「この小さな端末のなかに文庫が100冊!」という安心感はなにものにもかえがたい。

 さら老眼の進行である。俺はドがつく近眼であり、かつ老眼もだいぶ速やかに訪問くださりやがったので、裸眼で見えるスイートスポットが異常に狭い。日常生活で使えて手元も見える遠近両用とか頭痛するし、肉体的に文庫活字を読むのがきついのである。その点、電子書籍なら安心だ。小1の教科書よりもでかい活字で表示できる。ディスプレーを見続けることによる目の疲れもKindle端末ならそれほど問題にならない。

 俺にとって本は消耗品であるスナック菓子を食うみたいに活字を食う。あるいはトイレットペーパーみたいなものだ。この手の人間にとって所有権がどうこうとか、貸し借りが云々とか、子供が親の背中を見てとか、そういうのはいっさい問題にならない。読めればいい。本屋営業時間を気にすることもない。なんならうんこしてる最中でも続きが買える。すばらしい。せめてそこはうんこ終わるまで待てないのか。

 もちろん電書にもデメリットはある。

 ブコメで頻出だった閲覧性、参照性の問題。これは絶対に紙に軍配が上がる。紙の本の「確かこのへん」でなんとなく探り当てるような探しかたって、シークバーではまず同じことができない。ただこれは単なるUIの問題である気もする。閲覧性でいうと、本棚よりも特定の本にアクセスするのが難しいというのもある。もちろん検索対応できないこともないのだが「確かあれ、あの、なんだっけ、海辺ボーイミーツガールで……あれだ、あのエモいやつを読みたいんだ。20年前に読んだきり本棚のどこかに放り込んだあれを」みたいなときに、電書の3000冊とかのなかから探すのはかなり骨が折れる。Kindle端末本体ではどうにもならないし、いざパソコンの前に座って購入履歴を、と思ってもあれなんか妙に目が滑りません? やっぱりこういうとき「モノ」が厳然として存在している、というのは非常に強い。実際、紙の本で持ってたときに「確かあのへんに置いた」で見つからなかったことってあまりなかったと思う。

 あとマンガな……。老眼に電書のマンガまじきつい。パソコンディスプレーで見る以外の手がない。マンガのながら読みっていうか、部屋でぼけーっと寝転がってるときにそのへんのマンガを手に取ってなんとなく読む、という行動は激減した。10インチくらいのタブレットで解消できる問題ではあるけど、これ以上ハード増やしてどうすんだ的な感じもある。

 電源切れとかは経験がない。そもそもモバイルバッテリーを持ち歩いてるし。あと端末の故障に備えて新品の予備は常に一台キープしてある。

 俺が思う電書の最大のデメリットは「すべての読書行動を電書のみに絞り込むことができない」ということだ。これはほんとでかいいちばん多いパターンが、新書なんか読んでて参考資料とか引用先で出てきたおもしろそうな本を買おうと思うと電書化されてなかった、というやつだ。またそういうのに限ってやたらおもしろそうだったりする。アマゾンで調べてる場合だと、1クリックでそのおもしろそうな本が(紙でなら)買えてしまうので、なおのこと心が揺らぐ。

 これは読書に限らず調べものなんかもそうなのだが、一定レベルよりも深堀りしようとすると、最後は紙の書籍に頼るしかない、という場面が頻出する。たとえば東ローマ帝国について調べていて、まあざっとした歴史の流れだとか、政治体制だとか、要するに概要を掴むくらいならネットでの調べもので充分だし、電書でも通史のたぐいはいくつも出ている。しかしもし、東ローマ帝国庶民食生活について知りたくなったら、電書ではどうにもならない。そこは学術書領域で、論文探してヒットすりゃいいけど、こういうニッチ研究ってたとえば1960年くらいに書かれた本がいまだに最新の研究だったりすることもよくあって、こうなるとお手上げだ。紙の本しか選択肢がない。

 これに限らず、マイナーな作者の小説だとか、古いタレント本だとか、古い時刻表だとか、とにかく紙の書籍資産が膨大であり、とうてい電書ではカバーできない。そして今後もおそらくは電書化はされない。要するに紙の本から完全に足を洗いたくても洗えない、というのが電書一本槍にしたときに最大の障壁となる。

 ま、図書館行けって話なんすけどね。なんでまあ、現状は「購入はほぼ電書、足りない分は図書館で」というかたちになっている。

 あと最後に、電書のデメリットとして日常的に多く使ってる人は感じてると思うんですけど、無駄に買いすぎますね……。講談社学術文庫とかよく50%ポイント還元やってますけど、ああいときやばい

 ついでですけど、アンリミは「なんでもいいかラノベ読めればいい」みたいな人間にとっては、けっこうよい状況になってるので、おすすめです。ただし1巻だけ対象でそれがおもしろかった場合地獄みる。向こうも商売から、まあ考えるわな。

2022-01-22

ゴリラ旋風拳の使い手Jcup女子高生近眼乱視矯正ブックマーカーを巡る戦い。月に住むという足利尊氏化身ボトルキーダンスを踊った時、Jcup女子異世界転生してTS男子ヤング麻生太郎になってヤング島耕作イチャイチャしだすとき、どちらが×の前に位置するのか?ここから競争だ!

2022-01-12

anond:20220112111827

コタツの中で学研まんが読んで夜更かししたので近眼になった昭和まれです

2022-01-05

目覚めがつらいとき

目を閉じたまま眼球をグルグルさせるっていうのを最近やってる。人にもおすすめしたいからここに投下しておく。

よく「布団の中でストレッチするとスッキリ起きられます!」とか、「起きるのが辛い時は手首や足首を動かしてみましょう」とか言われるけど、増田的には結構ハードルが高くて実践できなかった。

起きるの辛い時って指1本たりとも動かせなくない??まぶたも開けなくない???

眼球グルグルは目を閉じたままでもできるし、なんならまだ夢の中でもできる。

グルグルしてたらだんだん目を開けてもいいかなって気分になってくる。

そんで、

目を開けてグルグルして眉を動かす

→口を開けたりすぼめたり表情筋ストレッチもどき

をしてるんだけど、これだけでよーし起き上がってやろうかって気分になれる。

ノってる時はそのままお布団の中での全身ストレッチにも進めちゃう

(それと、脳を刺激するためには視覚を刺激するといいんだって。目を開けてグルグルの時は見えるもの意識すると良いかも。増田はド近眼なので物体の色だけに集中してる。)

しばらく寒いみたいだけど、辛い朝に思い出したら、だまされたと思って試してみてね。

今年もみんなが気持ちよく過ごせますように。

2021-12-06

目を使わない趣味

ピアノネットサーフィン読書が好きだったけど、もともと重度の近眼+前職(プログラマー)で目を使いすぎたのか、重めのドライアイになり常に「目の奥の痛み」が標準装備になってしまった。

そんなわけで目を使わない(近くを見なくて済む)趣味がほしい。ドライブしてる時は遠く見るから目はあまり痛まない。あと散歩。じっとしてるのが苦手なので瞑想ヨガは苦手。他に目を使わない趣味って何かあるかな

2021-12-02

anond:20211202091524

ああ、アレなー

高身長近眼者 → 食材調理加減を目視匂い判断するので顔をコンロ上の器具に近づける → 頭を元のポジションに戻した時に後頭部がクラッシュ!!

…あるかコレ?

2021-10-16

anond:20211015132802

子供チャンネル権がないのは昔からだがサラリーマンも在宅勤務するようになったか

しかたなくスイッチの小さい画面でコンテンツみてみんな近眼になる

2021-10-04

いくらまれても抜歯はしない

トムクルーズが役作りのために全ての歯を抜いて、当然その仕事でも大金を得たと思うんだけど、もし抜歯すれば500兆もらえると言われようが俺はやらない(当然だが500兆1円だったら了承するとかそういう話じゃないからな)。

健康身体があってのお金なわけであって、自ら体の機能を損なうようなことはしたくない。本末転倒に感じる。

なんかコロナにわざとかかったり飛び降り自殺未遂で寝たきりになれば障害者年金で一生働かずに生きていけそうだからそうしてみたいっていう人がいるんだとすればそれと同じ感じがする。

正直抜歯程度なら稼いだお金インプラントしてもらうなど、近眼者が眼鏡を書けるのと同じようにいくらでも補正が効くとは思う。このことを書かなかったらそこを突いて論破してくる人もいると思う。

でも古い価値観かもしれないけど、やっぱり生まれ持った身体大事にするべき観念が染みついてるし、あともしなにかあって貨幣が役に立たなくなるなんてことになったらそれこそ自分身体いか機能するかが大切になってくる。極端な話し狩猟時代まで遡りそこでどういう人が生存競争に勝てるかをイメージすればいい。身体こそ資本

そういうわけで私はいくら積まれても抜歯はしない。あぶく銭って言葉も昔からあるしね。

2021-08-06

最近「近い」という意味で「近しい」と書くのが流行っているのか?

性癖」に関しては負けを認めてやるがこれ以上は譲れねえぞ・・・

anond:20210806143337

それでもまともな会社はそんな物を採用せずに通常カレンダーに近しい形で休む会社も勿論ある、例えば

上記みたいな業界によっては名の通っている所は一般的カレンダーに近しいと思う。


いやいやそれは単に「近い」だろ!!!

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%BF%91%E3%81%97%E3%81%84/

ちかし・い【近しい/▽親しい】 の解説

[形][文]ちか・し[シク]人と人とが心理的に近い関係にあるさま。したしい。親密である。「―・くつきあう」「―・い間柄」

[補説]近世以降の語。「ちかい」よりは意味範囲がせまく心理的な近さを言う意に限定される。

[派生]ちかしげ[形動]ちかしさ[名]

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%BF%91%E3%81%84/

ちか・い【近い】 の解説

[形][文]ちか・し[ク]二つのもの空間的、時間的に、また心理的に離れていないさま。

距離の隔たりが少ない。遠くない。「駅に―・い」⇔遠い。

時間の隔たりが少ない。「正月が―・い」「―・いうちに完成する」「年のせいかトイレが―・い」⇔遠い。

関係が密である。親密である。「半年交際で―・い間柄になる」「首相に―・い人々」⇔遠い。

4 血のつながりが密接である。「―・い親戚」⇔遠い。

性質・内容・程度などの隔たりが少ない。「オレンジ色に―・い赤」「理想に―・い相手」⇔遠い。

6 (「目が近い」の形で)近眼である。「細かい字を見すぎて目が―・くなった」⇔遠い。

[派生]ちかさ[名]

言葉は正しく!!!

2021-06-23

年は取りたくねー

若いから近眼メガネ派かつ時々コンタクト

このうち、寄る年波のせいでメガネの方は累進度数という、レンズ場所によって度数が変わるものを使い始めて久しい。

一方のコンタクトはワンデーかつ、昔からドライアイでも負担が小さいものをたまに使ってきた以外、度数の変化はなし。

ただ昨年から巣ごもりになり、装用頻度はめっきり減った。


そんなわけで、先日もかなり久しぶりにコンタクトを付けたのだが…スマホの字が見えねえ!

ちな使ってるのはiPhoneSEの第2世代

ああ、気が付かないうちに目の老化が相当進んでたのか…。

これもう、遠近両用コンタクトにしないと無理ゲー

それでクルマ運転とか大丈夫なん?

使ってる先輩方はどんな感じっすか?

2021-04-01

顔も良くて金もあって禿げてない同士のカップルなんだけど二人とも短足であり近眼であり思春期ニキビに悩まされた経験を持つ

片方なんかコーカソイドなのに短足である

子供が生まれたら見た目は悪くないだろうが思春期ニキビに悩まされる近眼短足ハーフになってしまうと思うと気の毒さを禁じ得ない

2021-03-25

anond:20210324085301

3回に一度くらい手をふってやれば恋が芽生えるかもよ

 

単に近眼防止のために作業の合間に遠くをみることを習慣にしてるだけなら芽生えないけど

2021-03-22

クワッカワラビーのゆーうつ

七、北十字とプリオシン海岸

「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」

 いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、急せきこんで云いいました。

 ジョバンニは、

(ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見える橙だいだいいろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった。)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。

「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸さいわいになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえているようでした。

「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」ジョバンニはびっくりして叫さけびました。

「ぼくわからない。けれども、誰たれだって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」カムパネルラは、なにかほんとうに決心しているように見えました。

 俄にわかに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛こんごうせきや草の露つゆやあらゆる立派さをあつめたような、きらびやか銀河の河床かわどこの上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射さした一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架じゅうじかがたって、それはもう凍こおった北極の雲で鋳いたといったらいいかすきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。

ハルレヤ、ハルレヤ。」前からもうしろからも声が起りました。ふりかえって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶すいしょうの珠数じゅずをかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そっちに祈いのっているのでした。思わず二人もまっすぐに立ちあがりました。カムパネルラの頬ほほは、まるで熟した苹果りんごのあかしのようにうつくしくかがやいて見えました。

 そして島と十字架とは、だんだんしろの方へうつって行きました。

 向う岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたように見え、また、たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火きつねびのように思われました。

 それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきの列でさえぎられ、白鳥の島は、二度ばかり、うしろの方に見えましたが、じきもうずうっと遠く小さく、絵のようになってしまい、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまいました。ジョバンニのうしろには、いつから乗っていたのか、せいの高い、黒いかつぎをしたカトリック風の尼あまさんが、まん円な緑の瞳ひとみを、じっとまっすぐに落して、まだ何かことばか声かが、そっちから伝わって来るのを、虔つつしんで聞いているというように見えました。旅人たちはしずかに席に戻もどり、二人も胸いっぱいのかなしみに似た新らしい気持ちを、何気なくちがった語ことばで、そっと談はなし合ったのです。

「もうじき白鳥停車場だねえ。」

「ああ、十一時かっきりには着くんだよ。」

 早くも、シグナルの緑の燈あかりと、ぼんやり白い柱とが、ちらっと窓のそとを過ぎ、それから硫黄いおうのほのおのようなくらいぼんやりした転てつ機の前のあかりが窓の下を通り、汽車だんだんゆるやかになって、間もなくプラットホームの一列の電燈が、うつくしく規則正しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがって、二人は丁度白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとまりました。

 さわやかな秋の時計の盤面ダイアルには、青く灼やかれたはがねの二本の針が、くっきり十一時を指しました。みんなは、一ぺんに下りて、車室の中はがらんとなってしまいました。

〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。

「ぼくたちも降りて見ようか。」ジョバンニが云いました。

「降りよう。」

 二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口かいさつぐちへかけて行きました。ところが改札口には、明るい紫むらさきがかった電燈が、一つ点ついているばかり、誰たれも居ませんでした。そこら中を見ても、駅長赤帽あかぼうらしい人の、影かげもなかったのです。

 二人は、停車場の前の、水晶細工のように見える銀杏いちょうの木に囲まれた、小さな広場に出ました。そこから幅はばの広いみちが、まっすぐに銀河の青光の中へ通っていました。

 さきに降りた人たちは、もうどこへ行ったか一人も見えませんでした。二人がその白い道を、肩かたをならべて行きますと、二人の影は、ちょうど四方に窓のある室へやの中の、二本の柱の影のように、また二つの車輪の輻やのように幾本いくほんも幾本も四方へ出るのでした。そして間もなく、あの汽車から見えたきれいな河原かわらに来ました。

 カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌てのひらにひろげ、指できしきしさせながら、夢ゆめのように云っているのでした。

「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。」

「そうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったろうと思いながら、ジョバンニもぼんやり答えていました。

 河原の礫こいしは、みんなすきとおって、たしか水晶黄玉パースや、またくしゃくしゃの皺曲しゅうきょくをあらわしたのや、また稜かどから霧きりのような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚なぎさに行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮ういたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光りんこうをあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。

 川上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えている崖がけの下に、白い岩が、まるで運動場のように平らに川に沿って出ているのでした。そこに小さな五六人の人かげが、何か掘ほり出すか埋めるかしているらしく、立ったり屈かがんだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりしました。

「行ってみよう。」二人は、まるで一度に叫んで、そっちの方へ走りました。その白い岩になった処ところの入口に、

〔プリオシン海岸〕という、瀬戸物せともののつるつるした標札が立って、向うの渚には、ところどころ、細い鉄の欄干らんかんも植えられ、木製のきれいなベンチも置いてありました。

「おや、変なものがあるよ。」カムパネルラが、不思議そうに立ちどまって、岩から黒い細長いさきの尖とがったくるみの実のようなものをひろいました。

くるみの実だよ。そら、沢山たくさんある。流れて来たんじゃない。岩の中に入ってるんだ。」

「大きいね、このくるみ、倍あるね。こいつはすこしもいたんでない。」

「早くあすこへ行って見よう。きっと何か掘ってるから。」

 二人は、ぎざぎざの黒いくるみの実を持ちながら、またさっきの方へ近よって行きました。左手の渚には、波がやさしい稲妻いなずまのように燃えて寄せ、右手の崖には、いちめん銀や貝殻かいがらでこさえたようなすすきの穂ほがゆれたのです。

 だんだん近付いて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡をかけ、長靴ながぐつをはい学者らしい人が、手帳に何かせわしそうに書きつけながら、鶴嘴つるはしをふりあげたり、スコープをつかったりしている、三人の助手らしい人たちに夢中むちゅうでいろいろ指図をしていました。

「そこのその突起とっきを壊こわさないように。スコープを使いたまえ、スコープを。おっと、も少し遠くから掘って。いけない、いけない。なぜそんな乱暴をするんだ。」

 見ると、その白い柔やわらかな岩の中から、大きな大きな青じろい獣けものの骨が、横に倒たおれて潰つぶれたという風になって、半分以上掘り出されていました。そして気をつけて見ると、そこらには、蹄ひづめの二つある足跡あしあとのついた岩が、四角に十ばかり、きれいに切り取られて番号がつけられてありました。

「君たちは参観かね。」その大学士らしい人が、眼鏡めがねをきらっとさせて、こっちを見て話しかけました。

くるみが沢山あったろう。それはまあ、ざっと百二十万年ぐらい前のくるみだよ。ごく新らしい方さ。ここは百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸でね、この下からは貝がらも出る。いま川の流れているとこに、そっくり塩水が寄せたり引いたりもしていたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこつるはしはよしたまえ。ていねいに鑿のみでやってくれたまえ。ボスといってね、いまの牛の先祖で、昔むかしはたくさん居たさ。」

「標本にするんですか。」

「いや、証明するに要いるんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたという証拠しょうこもいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい。けれども、おいおい。そこもスコープはいけない。そのすぐ下に肋骨ろっこつが埋もれてる筈はずじゃないか。」大学士はあわてて走って行きました。

「もう時間だよ。行こう。」カムパネルラ地図腕時計うでどけいとをくらべながら云いました。

「ああ、ではわたくしどもは失礼いたします。」ジョバンニは、ていねいに大学士におじぎしました。

「そうですか。いや、さよなら。」大学士は、また忙いそがしそうに、あちこち歩きまわって監督かんとくをはじめました。二人は、その白い岩の上を、一生けん命汽車におくれないように走りました。そしてほんとうに、風のように走れたのです。息も切れず膝ひざもあつくなりませんでした。

 こんなにしてかけるなら、もう世界中だってかけれると、ジョバンニは思いました。

 そして二人は、前のあの河原を通り、改札口の電燈がだんだん大きくなって、間もなく二人は、もとの車室の席に座すわって、いま行って来た方を、窓から見ていました。

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