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2019-07-17

国民年金飢饉

というフレーズを思いついたが当然のように既出である。ふぁっく。

2019-07-10

anond:20190710172807

飢饉絡みも含めてるだろ。

殺された数だと数百万人。

もちろん毛沢東の直接の指示に限ればもっと少ないわ。

anond:20190710172450

うせやろ?

飢饉絡みじゃなくてか?

どうやってそんなに殺したん?

2019-07-01

日本災害大国

災害が起こるたびに強くなろうとする日本ってすげーな。

プレートの境界にあるのでどこでも大地震が起こりやすい、そんで大地震が起こりやすいので大津波もきやす

台風がアホみたいに来るので水害が酷い。山では土砂災害があるし平地では床下浸水なんか容易に起きる。最悪沈没

昭和時代からの古い家が多いので燃えやすい。局所的に大火災が起こりやす

福島第一原発を筆頭に原子炉から放射線がどばーっとでている。

海に放射性物質を垂れ流している。やばい

火山が多い。噴火したら火砕流だとかでみんな死ぬ火山灰のせいで作物が超ピンチ

食料自給率39%なので何かあったら大飢饉になる。

日本海側や東北北海道は冬は豪雪雪かきしないと死ぬ雪かきしても屋根からすべり落ちて死ぬ

なんなんこの国。

2019-05-17

三途の川六文銭についての覚書

精神ボロボロなので、昔聞いた話をここに吐き出して安定を図ろうと思う。


表題にある「六文銭」というのは、正しくは「冥銭」という。

入れる理由は「あの世で金に困らないように」あるいは「三途の川の渡し賃」が大体主だろう。

前者の考えは死ぬ=俗世から離れる、という考えの仏教にはあまり合わない考えなので、日本では後者一般的

生前の罪を反省し、仏に帰依信心する。そういう現世から次の世界に進む通過儀礼意味合いが強い。

なので昔はよほどのことがない限りは必ず文銭を入れていたし、現代でも印刷紙など代替品によって風習は続いている。


ところが、この六文銭を一時期入れない集落があった。

それも不思議なことに、地域の名士だとか知恵者、優れた人ほど入れない傾向があった。

一見仏道に反しているかのようだが、これには理由があったのだった。

払う代金がなければ三途の川を渡れない、そうなれば現世に戻ってくるしかないだろう。

そんな一方的道理であれど、集落中にこの考えは染み渡っていたらしい。

あるいは一気に優秀な人々がいなくなって困窮した結果かもしれないが。

そんな経緯でこの風習は半世紀ほど続いていたんだが、ある年それで本当に生き返った人がいたらしい。

まあ死人がまた復活したら喜ばしいやら仰天するやらで大騒ぎ。しかしその人は浮かない顔で、もう六文銭を抜くのをやめろと言う。

村人が理由を聞くと、どうかもうやめてくれと必死懇願されてここに戻ってきたのだと。

三途の川には罪の重さを量る「懸衣翁」と「奪衣婆」という鬼の夫婦がいるんだけれども。

どうやら六文銭がない分は彼らが自腹で払っているらしい。

一人一人の額はそれほどでもないが、増えれば途方もない金額になる。

ただでさえ飢饉やらなんやらで身も削られているのにわざとやられたら敵わないからやめてくれ。

そう泣きつかれたのだという。

それから今までの反省も加味して、十文銭を入れるようになったその村は「十文村」と呼ばれたとか。


まあ、うちの地元に伝わる古い古い民話なんだけどな。村の名前も読みこそ同じだが、漢字は既に別のものに変わってしまったし。

妙に世知辛いというか、あの世の手前まで結局は俗だという考えが出てきて個人的には面白い

こういう俗な目線で書いた物語が出てくるとほっこりするよな、という話でした。

2019-05-15

anond:20190515085919

フジヤマゲイシャ存続のために農村部には定期的に飢饉になってもらって若い娘を売ってもらお

2019-05-14

女性恋愛至上主義の世の中をやめてくれ

女性恋愛至上主義とはなにか。

それは「女性が」癒される日常を送り、感動イベントをする恋愛が最優先で最上級だ。という思考である

これのなにが問題なのか。すべては「女性視点」が根幹にある。

大きく分けて二つの問題が上がる。

一つ目は「女性視点幸福感」である

例えば、男女の恋人はどんな話題で話をする? 男女どちらが興味を持つ話題を話している?

話題割合女性向け話題が多くないか? 少なくとも私はそうだった。

彼女のつまらない話に付き合っている彼氏は声を上げてくれ。

この例は会話に限らない。日常些細なことにも影響している。

男の興味は関係なく、女性の興味が正義

男女の恋人で行う日常女性意思正義なのだ

逆はない。

男性拒否することもできる。が、事情がない限りつまらいからの拒否は悪にされる。

彼女と仲良く同じ趣味に興じている男性もいるだろう。

しかし、それは女性側に興味があったから盛り上がったのだ。女性に興味がなかったら捨てられていたテーマだ。

男が興味がないからと彼女とのテーマを捨てたらどう評価される?

二つ目は「女性生活押し付け

はっきり言おう。

男女で目指している生活は方向が異なる。

そして恋愛において男性生活方向は軽視されいてる。

女性毎日が良くなることを目指す。男性は今と明日を生き残ることを目指す。

この無意識の差で生活の優先度が大きく違う。

残業、転勤をして将来大きく稼げるなら男性はする。家族のためになるならなおさらだ生存を盤石にするため挑戦するのだ。

組織内の立場の向上、賃金の向上。生存競争で有利になることを目指している。

女性は今のままで十分な生活ができるなら、残業、転勤を選ばない。毎日生活犠牲になるからだ。

趣味時間友達との会話、恋人デート、それら日常の彩りがあることに幸福を感じる。

どちらも大切な要素だ。両方が揃って文化的生活が満たせる。

今の世の中、平和に思えるだけに男性生活方向が女性理解されない。

その結果、女性恋愛至上主義は強くなるための時間を許さない。


強くなければ優雅生活は送れない。貧困生活は生きている意味が分からない毎日だ。

死なないだけで、今の世の中も強くなければいけないのだ。

東大生の生涯勉強時間は? 医者弁護士になるにはどれだけ時間がかかる? 錦織圭イチローはどれだけ練習した?

強くなるには時間がかかる。

日常の彩りを犠牲に強さを目指して生き残るだ。

女性にとって彼氏は彩りの一つ。失うことは本能に反する。

義務以外の手間を自分に向けさせる。

女性にとって正義でも男性にとっては怠惰である




女性恋愛至上主義の2つの問題を読んでもらった。

まれた世の中になった今、男性的な生活方向の必要性を感じ取りにくい。

男性はいい。本能で目指すから

女性本能は違う方向を向いている。理屈で知る以外に方法はない。

私は女性の考えを否定しているのではない。どちらの考えも大切だ。

両方が揃ってこそ意味があるのだ。

からこそ女性恋愛至上主義の世の中をやめてくれ

犠牲になるのは強くなれなかった男であり、男の支えが弱くなる女である

弱い男の人生はみじめだ。夫婦で男が強いと女性負担が減る。

個人の例を挙げれば専業主夫でうまくいっている場合もあるだろう。しかし、出産を考えたとき一年中働ける男性が働いたほうが効率がいいだろうし、多くの男性は働いてるだろう。

実は専業主夫すら贅沢の形なのだ

人口問題がひっ迫していない世の中だからできる夫婦の形だ。

もし、飢饉人口問題人類が直面したら男性はひたすら働き、女性子供を産むしかない。

生存の土台が強いから様々な人生の形が選べるのだ。土台の弱い砂丘の楼閣は簡単に崩れる。


生きることに重点を当ててくれ。強くなることに協力してくれ。

犠牲になるのは男であり、女なのだ

女性恋愛至上主義の世の中をやめてくれ










社会男性観が強い。という反論を持つ人もいるだろう。社会的に男性観が強いことを否定はしない。

女性恋愛至上主義個人に起きている問題なのだもっというと女性恋愛至上主義問題は当分の間、公共の悩みという社会問題として表に出にくい性質だと思っている。

簡単な話だ。女性のいる社会女性問題は認められないからだ。

社会を生きるなら女性のほうが男性より何倍か上手い。しばらく男は辛酸舐めることになるだろうが耐えるしかない。


ここに書かれた女性と会ったことがないという人は幸運だ。周りの女性を大切にしてくれ。

自分は違うと思う女性彼氏に聞いてみるといい。彼氏が答えを知っている。

少なくとも私は女性恋愛至上主義犠牲になった。

私以外にも同じ悩みを持つ人が一人でもへることを祈る。


*この日記は男女の恋愛に焦点を当てた文章である。LGTBの主義批判する意図はない。むしろN(normal)について語ったLGTBに関するものでもある。

2019-05-07

コンニャク製法特に不思議ではない

「なぜ日本人は『毒物を手間隙かけてカロリーゼロのこんにゃく』を作るのに『麦と水と塩で作れるパン』を作らなかったのか」に対する考察 - Togetter

普通に食べると毒で、砕いて粉にして、灰を溶いた水でかき混ぜて、煮て、固めるとプルプルした謎の物体

これをひとかたまりに考えるから不思議に思うだけで、

「毒性のある球茎(コンニャクイモ)を食べる」

「球茎を潰して灰汁で煮る」

「球茎を乾燥させて粉状にする」

を別々に考えれば良い。

コンニャクイモには毒があり、そのままでは食べられない。

なぜ毒性のあるものをわざわざ食べるのか?

毒性があるぶん他の動物に食べられづらいからだ。

コンニャクイモは畑を荒らすイノシシでも食べないという。

コンニャクイモ以外でも、飢饉とき野草の根だとかを三日三晩も煮込んで食べたなどという話は多くある。

コンニャクイモを毒抜きするにはどうしたらいいか

灰汁で煮込めばいい。

灰汁 - Wikipedia

灰汁(あく)とは、原義では灰(藁灰や木灰)を水に浸して上澄みをすくった液のこと。この灰汁を使って食品自体もつ強くてクセのある味を処理した

灰汁(灰の上澄み液)を用いる方法ワラビゼンマイなどのアク抜きに用いられる。灰汁(灰の上澄み液)はアルカリ性であり植物の繊維を軟化させる性質もつことを利用し浸したり茹でたりすることでアクが溶け出すことを容易にする。

アルカリ」という言葉アラビア語の「草の灰」から来ているように、

灰は最も身近な塩基性アルカリ性物質として、古代から洗浄や消毒などに広く使われていた。

まり、灰汁で煮るということ自体は、決して特殊調理法ではない。

コンニャクイモを細かく割って灰汁で煮込むということは、まず中国大陸で古くから行われていたようだ。

コンニャクの歴史

独特の食感となることで、コンニャクは他の食材とは別に珍味」としての地位も手に入れた。

薬としても食べられていたようで、日本にも最初は薬として伝来したという。

かの有名な中島藤右衛門が「粉こんにゃく製法発明するのはその1000年後である

中島藤右衛門(なかじま とうえもん)とは - コトバンク

収穫した生芋は重量もあり,腐敗・凍結しやすかった。藤右衛門は安永5(1776)年ごろ,生芋を輪切りにし,自然乾燥ののち粉にすることを考案した。これによって長期保存や軽量化可能となり,販路が拡大し,水戸藩特産物となる。

これも長らくアイディアが出てこなかっただけで、

「すぐに腐るものを保存するために乾燥させる」という発想そのものはごく自然なように思われる。

このように製法を分解していけば一つ一つは自然な流れであることがわかるだろう。

2019-05-01

anond:20190501042113

江戸時代も戦乱自体は起こらない平和時代だったと言われているけど。

しか江戸時代約260年間の中で飢饉大地震などの自然災害は何度も起きている。

明暦の大火もあった。

富士山噴火したり、東海・東南海南海の3連動地震もあった。

2019-04-30

平成は古来から文化科学がぶっ壊した時代

我々の文化を形作っていた前提(飢饉病気によってもたらされる命の危機)が覆り、

因習思い込みにはことごとく疑問符が付きつけられた。

これからの新しい文化創造していく世代、それが令和である

様々な困難があることは想像に難くない。

しかしこれから時代は君たちのものだ。

昭和平成踏み台にして、

より豊かな文化生き方模索して欲しい。


あと、俺としても年金とか保険料とか逃げ切りたいんで令和の皆さん、ぜひ頑張って税金納めてください。

たくさん納めてください。

よろしくおなしゃす。

2019-04-25

麺麭帝

時之古代、大飢饉発生餓死者多数。

突如登場、王麺麭名乗人物

救世、其後急逝

子孫在、名前王麺麭通。

彼亦偉大人物。

人々彼呼、王麺麭帝。

時代流動、麺麭帝意味、優良物品。

現代最有料部品名前継。

2019-04-03

過去元号に対するイチャモンまとめ

日経こちらの連載と、

https://bizgate.nikkei.co.jp/series/DF150320194919/

こちらの「中国年号予言」という発表が面白かったので、

https://www.rekihaku.ac.jp/events/forum/old/f2017/pdf/106.pdf

その中で紹介されている「難陳」=イチャモン簡単にまとめてみた。

日本

長徳

「徳」の字が「毒」に通じるとして貴族あいだで評判が悪かった。

太初

中国採用されたとき不祥事が多かったとして却下された。

政和

秦の始皇帝・嬴政の名前と被るとして却下された。

天保

「一大人只十」と分解できる。

「家臣が十人しかいない」と読めて不吉であるとして却下された。→700年後には異論なく採用された

天仁

仏教の「天人」に通じる。→むしろ縁起がいいじゃんってことで採用

長仁

当時、同じ名前芸人がいたということで却下された。

弘保

弓偏は戦争連想させて縁起が悪いということで却下された。

建保

藤原定家が「献宝(=賄賂)」に通じるとして批判していた。

正保

音が「焼亡」に通じる。

「保」を分解すると「人が木を口にする」となって飢饉連想させる。

などとして庶民から評判が悪かったので、三年ほどで「慶安」に改元

明和

明和九で「めいわく」と読める。→明和九年に改元

令徳

徳川命令する」と読めるので却下された。

中国

永昌

「昌」は日が二つで「二日」しか続かない意味に取れる。

実際、改元したその年に皇帝が亡くなった。

隆昌・泰昌

「昌」は二つの太陽、すなわち二人の皇帝存在する意味に取れる。

実際、その一年間に代替わりがあり、二人の皇帝が在位した。

雍正

「正」の字は「一に止まる」と分解できる。

皇帝が一代で止まってしまうようで不吉。

天正

「天」は「二人」、「正」は「一に止まる」と分解できる。

二人の皇帝がほぼ同時に「天正」を用いたが、どちらも一年ほどで殺されてしまった。

天保

「一大人は只だ十なり」と分解でき、「皇帝は十年だけ」と読める。

実際、天保十年に皇帝が亡くなった。

日本で言われたのはこの故事を踏まえてのことっぽいですね。

嘉靖

悪政を嘆く民が、

「嘉靖」は「家浄」と発音が同じで「家が空っぽ財産がない」という意味だ、

と言っていたのを聞いた官吏が、それを皇帝に伝えて諌めた。

純煕

殷の紂王を討伐した周の武王を称える記述典拠としており、

当時強大だった異民族を徒に刺激するような意味に取れる。

あるいは「屯」という旁は「草木がなかなか芽を出せない」という意味なので縁起が悪い。

などといった理由改元から六日後に「淳煕」に再び改元された。

平成

「成」は「戈=戦争」が含まれているので縁起が悪いとして却下された。

美成

「美」は「羊」と「犬」に分解でき、家畜まで「戈=戦争」に巻き込まれるという意味になるので却下された。

豊亨

「亨」は「子」の横棒が欠けており、皇帝に子ができないことを連想するので却下された。

隆化

「隆」は「降」、「化」は「死」に似ており、降伏して死ぬという意味になる。

実際、この元号ときに国が滅び、降伏した皇帝は翌年に殺害された。

太平興国

四字の元号だが、「太平」は「一人六十」と分解でき、「六十歳で死ぬ」という意味になる。

実際、このとき皇帝は五十九歳で亡くなった。

大亨

分解すると「一人二月了」となり、「一人、二月に了(おわ)る」と読める。

このとき改元を主導した重臣は二年後に帝位を簒奪したが、その年の二月に起きた反乱で殺された。

宣和

「宣」を分解すると「ウ=家」に「二日」となり、一家に二つの太陽があるのは不吉である

当時の皇帝は息子に譲位して上皇となったので、実際に皇帝が二人いることになった。

また「宣和」を分解して組み立てると「一旦宋亡」となり、「一旦、宋が亡ぶ」と読める。

宣和から靖康に改元された直後に北宋は滅亡した。

靖康

「靖」は「十二月に立つ」と分解できる。

靖康元年の十二月首都が陥落して北宋が滅亡したあと、

「康」王である趙構が南宋の初代皇帝として立った。

広明

反乱を起こした黄巣が暴れまわるなかで改元したが、

「広=廣」は「黄」と「广=家」、「明」は「日月」と分解でき、

「黄家日月」と読めるので、黄巣は自らに天命があると称した。

広運

「運」は「軍が走る」と書く。

皇帝が軍によって走らされる=敗走するのではないか、と読める。

建炎

改元されてから各地で盗賊暴動や反乱を起こしたので、

「火は戦乱を意味し、炎にはそれが二つもあるから良くない」と反省して再び改元された。

以上、やはりイチャモンに感じられるだろうが、

元号縁起物であり、こうした験担ぎのようなもの真剣に考えられてきたということで、

現代において「令は命令意味だ」とか「安を入れるな」とか騒ぐことも、

決して故なきことではないのだと一抹の理解を求めたいところである

十干十二支元号西暦

これは仮説ではある。けども結構正しいのではないかと考えている。

江戸時代以前は元号はすぐに変わるから、例えば数年前、10年20年ぐらい前のことを示すには不便だ。だから十干十二支が併用されていた。

しかし、一天皇元号となり、元号があまり変わらなくなった。なので、元号を重んじて十干十二支重要性が減っていった。と共に、文明開化により西暦日本に入ってきた。

それでも元号を使うと数十年に一度はやはり元号が変わる。昭和は60年続いたからともかく平成は30年。

次の令和も今皇太子殿下は今59歳だ。80歳で次に譲るとすると令和は20年で終わる。

その次が継承順位通りだとと弟の秋篠宮殿下だ。ただ、秋篠宮殿下天皇になった時の元号はおそらく数年で終わりだ。

ましてや、IT化が進展して、歴を変える手間がどんどん大きくなってくる。

暦にとって永続性はやはり必要だったか元号十干十二支の使い分けがあった、そして、変わらない西暦が重んじられてくるのではないかと。

なお、十干十二支というのは、十二支に加えて、十干も組み合わせて年を表す記法

甲子園甲子とか、辛亥革命の辛亥とかだ。60年で一サイクル。

江戸時代以前は元号ポコポコ変わった。天皇が変わったからとか、飢饉が起きたからとか、古い時代だと珍しい亀が見つかったか元号を変えたという話もある。

から元号より変わらない十干十二支一定地位を持っていた。

ITの世界でも暦のトラブル元号以外に多くある。西暦の下2桁で取り扱っていたがゆえに起きた2000年問題はわかりやすく有名だ。

秒が16ビット取り扱う系では2038年にも問題を起こす。しかも、これ現皇太子殿下譲位に近い時期じゃないの。

ITは所詮道具に過ぎず、そのITでなす商売やらサービスやらがある。元号関係枝葉末節

どんどん西暦化は進むのだろうなぁと。

2019-03-09

生き延びることに期待しないで

 いろいろと辛いという人とかは、本当に根源的なことから期待しすぎているから、変なことを考えているんだと思う。

 飛び抜けた技術の発展によって様々なことが最適化されるということは、別に今まで培われてきた文化破壊しないことを意味しないわけで。

 最近は余計に苦しみやす環境もっと言えば優秀でなければ生死さえ危うい環境が待っていることにあんまり反対意見はないと思う。

 だから、むしろこれから戦国時代に近い精神性が求められるんじゃないのかって個人的には思っている。

 飢饉が起きれば人は死ぬし、戦が起きれば人は死ぬのが今までであって、幸福であることというより、生き残っていることそれ自体に何らの道理もなかったわけじゃん。

 強者の気まぐれでもいいし、自然の偶然でもいいわけで。

 だから明日五体満足で生きていることすら期待してはいけない。

 周りから追い詰められて殺されないということも期待してはいけない。

 明日に怯えて恐怖から何かを学ぼうとして、それが身につくことも期待してはいけない。

 自分自身が苦しんで必死になって全力を尽くしたこと成功するということを期待していはいけない。

 自分道理があって誰もが自分のことを正当だと認めていることがうまくいくということを期待してはいけない。

 もっと言えば、期待しないようにと思うということさえ期待してはいけない。人間の頭ってそういうふうにできていないから。

 どうせ期待したくなくても、今まで繋がれてきた人類の頭は自然と期待しようとするので、苦しむし壊れるし、生き延びることに役立ちもしない。

 だから恐怖と苦しみ以外に何も残らないし、避けることなんてできないし、それだけにしかならない。

 じゃあ自殺でもする?みたいな方法もあると思うけど、生き物って自殺結構難しいから、多分できないけど、しなくちゃいけない日も来るのかなとは思う。

 あんまり期待はしていない。

2019-03-06

どろろ最新話の不満

デザイン一新するのはいいけど元のテイストは残して欲しかった、何でイタチハムエッグからあんな平凡顔に変更した。

憎めない悪党感が激減だ。

ねずみ男を平凡なおっさんにするようなセンスのない改悪だ。

あと最初もっとどろろ両親の武士家族を殺された憎しみをはっきり際立たせてほしかった、今後のどろろイタチ関係との対比としても大事だろう。

あと無惨感が大分と薄い、原作では戦と飢饉で多くの人が餓死して生きて餓鬼のようになった人々がその肉を食らう、父親も我を忘れ肉を喰らいたくなるが妻子に泣かれて耐えるからこそどろろの「地獄ってこんなとこかい?」「もっとマシなとこだ」が映えるのに、戦で死んだ兵隊死体から食料を集めるマイルド描写では薄味過ぎる。

牛車に乗った奥方からどろろへのほどこしの食べ物を「せっかくだがおかえししますぜ、人が餓死している時にうまいものを食ってるのはおまえさんたちさむらいだけだ」と突き返し殺される父親も、因果応報自分が殺した武士の生き残りに殺される展開になってる。

一番引っかかったのは母親が寺で粥を施してもらうシーンが、侍になったイタチから施してもらうシーンに変更になった事だ。

父親が極限の飢餓でも受けず死んだものを、貰いに行く母親にされていたのが嫌だった。

多分脚本家的に子供の為にプライドを捨てて、食べ物を食わせるためになりふり構わないのが親だろう的な気持ちがあったんだろうな。

2018-11-18

そりゃ自然条件による飢饉はあるだろうけど

それ以外は普通に豊かな暮らししてたんじゃねーの

anond:20181118214413

飢饉って義務教育で習うはずでは。

仮に気候に恵まれれば自給自足で気楽に暮らせるとしても土地持ちの本百姓だけだろ

山で取って来たものが全部自分のものになるはずもない

2018-11-14

anond:20181113221339

日本料理って甘かったんだな

煮物にも大匙1で砂糖入れろと書いてある

世界砂糖が食えるようになったのここ半世紀ないくらいなのに江戸飢饉とか大嘘だな

2018-10-19

anond:20181019102340

予算が潤沢にある学校とそうでない学校があるんだろ。

どうしてそうなるのかは分からんが…(学校予算編成って誰がやってるんだ?)

予算が潤沢にある学校では本来ベルマークを集めなくては良いはずだが、なんか予算飢饉みたいな年があって休耕作物的な立ち位置にあったヒガンバナを頑張って食べた結果、来年ヒガンバナ食べれば通常予算を浮かせるじゃん! みたいな謎の慣習が出来上がり、それが予算を浮かす→ボランティア資金にする という変遷を辿って今に至ってるんじゃなかろか。

ボランティア資金にする、ってのが一番凶悪で、こっちは無限に足りないものからな。

から止めるモチベーションには行きようがない。だからこそ何らかの形で止めるべきなんだが…

2018-10-12

君は第三次世界大戦を防ぐことができるか〜大恐慌防止のためいます

この記事は少し前置きが長いが読んでくれ。NY市場歴史的株価下落により、世界的なリセッション入りは近い、多くのアナリストはそう考えている。しかし、長期金利上昇以上に問題なのが(2つは関連しているものの)失業率だ。アメリカではもう失業率は下がりそうにない。ギグエコノミーなどの構造的要因によってNAIRUが上昇している可能性がある。U-6失業率を見ると、アメリカ経済完全雇用に近いが、以前の水準から言うに、ケインジアン完全雇用ではないと言うだろう。原油価格は上昇しており、ギリシャ危機当時のインフレ対策としての緊縮(当時ほど過激ではないにしても、ギリシャはやりすぎたが、ベルギーなどは適切だった適度な緊縮)が必要になるかもしれない。スタグフレーション対策としてだ。中国経済統計悪化しており、グローバルな貯蓄バランスの不均衡によって国際通貨市場不安定化、新興国途上国からドルの逃避(アジア比較的貯蓄率が高いためリスクは低いだろう)、構造改革余地の減少、石油穀物価格株価下落に伴うコモディティへの投機により、中央銀行スタグフレーション回避のためにさらなる引き締めが必要になるかもしれない。全世界レジームチェンジ必要になりそうだ。具体的にはシムズ理論による財政出動拡張的緊縮論にはシムズ理論で対抗)、投資減税(資本の利潤率低下の法則と金融緩和の代わりにリスクプレミアムに働きかける政策)、穀物投機を減らすための利上げと新興国(途上国)への一時的融資バイオマス燃料の規制トービン税中小企業金融円滑化のための財政支出としての支援必要だろう。また、国有化された金融機関の役員報酬規制法も必要だ。政府は、学資ローンを買い入れるべきだ。新卒者の消費が増えないバランスシート不況を阻止するためだ。投資減税、雇用補助金によるリストラ阻止、長期的には過剰資本解消と合理化計画、(アメリカ民主党の主張するしかインド実験された)雇用保障制度福祉分野での雇用創出、ワークシェアリングの柔軟な対応所得税などの控除なども盛り込まれるかもしれない)を行い、長期的成長に配慮するコーポレート・ガバナンスの推進(ドイツ型に改革)、401kやヒラリークリントンの主張していたプロフィットシェアリング支援する必要がある。また、国際的穀物およびエネルギー支援の枠組み協定必要だろう。IMFSDRのような制度かつ現物裏付けられたIMF保証する国際仮想通貨ベース現物短期融資するのだ。インフラ投資を推進し、石油を(あまり)使わない分野での雇用創出(製造業の国際分業による世界レベルでの石油生産性の向上)、おもに途上国への石油生産性向上のための技術支援投資ファンドの設立一帯一路の推進によるグローバルサプライチェーンの再編、輸送効率化、現地雇用推進と輸送コストを抑える手段としての薄く広い国際合意に基づいた関税によってコモディティ価格上昇によるコスト・プッシュ・インフレおよびスタグフレーションを阻止できるだろう。(特にアメリカではトランプ減税の延長ともに)株式の所有構造の再分配、株式保有への課税もおそらく必要だ、金融イノベーションと金市場ダイナミズムを維持し、債務を持続可能性を高めるには、資産や貯蓄の不均衡の是正必要からだ。とくにアメリカでは、貯蓄率が低すぎる。家計バランスシート改善不況のクッションとしての貯蓄が必要なため、定額給付金という画期的政策必要である底辺層への支給は、再分配にもなる。合理的期待形成論によれば、消費は生活必需品のみで消費を減らし貯蓄を増やす(逆に言うと、必要以上の消費が抑制されるので資源や食料価格が低下し、貧困層には良い)(有効需要の下限を管理し、スタグフレーションを防ぐにはちょうどよい)。また、貯蓄率上昇による金利低下や穀物価格上昇のリスクトービン税金融引締めで対応すべきであり、自営業者向けなどの金融円滑化、地方自治体債務負担軽減のための補助金必要だ。政府の進める生産性向上促進税制障害者労働参加率上昇のための支援スウェーデンサムハルのような)、職業訓練プログラム拡充により、生産性向上(潜在成長率上昇)で、世界人口増とオイルピークと戦う必要がある。また、サブサハラアフリカでの農業生産性向上への国際的支援土地なし農民などへの国際的支援策、先進主要国はアフリカなどの農民失業させないように、棲み分けなどで農業生産性を向上させるための各国の強み、地形や気候にあった政策国際的協調のもと、行なうべきだ。過度の農業グローバル化はサプライチェーン冗長性を損なうため長期的には東日本大震災のようなサプライチェーンの分断、気候変動による凶作などによる飢饉の発生など、長期的には政治的安定性の低下(それによる経済政策整合性低下)、グローバルな秩序の不安定化、長期的な潜在成長率の低下や、構造改革の遅れなどの問題が生じるため行うべきではない。また、牛肉などの需要抑制のための消費税見直し石油税についても国際協調をもって行うべきだ。ニート対策として、欧州諸国などは徴兵拒否の対価としての労働をふやし、労働供給の安定化、人手不足の解消を行うべきだ。韓国のように、中小企業就職した場合補助金支給することもよい。役に立たない職業訓練をへらし、見習い雇用支援し、正社員化による精神的安定や安定的な消費拡大を目的とした正社員化促進税制ESOPの推進、また、雇用拡大として内部留保を減らすため法人税を大幅に増税、そして、社会保険料をかなり軽減(廃止)により中小企業負担を減らすといったことも重要だ。また、投資減税や401k年金の推進などにより資本市場活性化と(過度な内部留保によるゾンビ企業)淘汰も行うべきだ。間接金融と直接金融ゼロサムゲームではなく、補完し合うように政策的に金融機関再編をすすめるべきである投資のための内部留保課税し、資本市場により調達することを税制上促進し、投資効率化や過剰投資抑制不良債権抑制)、時限的な消費税投資税の減税により、消費と投資リバランスをすすめ、マクロ経済環境の安定化をすすめるべきである。R&D予算には競争メカニズムを導入し、政府研究所ではなく民間のR&D控除を推進すべきだ。特許などが会社帰属するような改革働き方改革ポストフォーディズム労働需給の柔軟化としてのフリーランス化)に逆行し、インセンティブマクロ的な労働生産性向上に悪影響を及ぼすため、行うべきではない。教育のきめ細かな支援と、ゾンビ大学の淘汰や整理、合理化が求められる。航空宇宙産業民営化すべきである。(予算を減らせとは言ってない)安定的な消費がなければ(消費期待)、企業経営の消極化により潜在成長率が低下するため、好ましくない。産学連携起業家育成を推進すべきである。(社会的流動性保全消費税増税と保育無償化一見矛盾するように思えるが、インフレ労働需給、国債金利金融抑圧)、消費の安定化にともなう企業投資の安定化(そして民間委託による消費の国有化)としては一定合理性がある。小泉進次郎の言うように、ゼロサムゲームではない(幼児教育無償化)。高齢者就労控除制度を創設し、高齢者障害就労不能最低保証年金制度を創設し、いまある年金制度マクロ経済スライドのアルゴリズム見直しにより、年金給付の実質抑制を図るべきである失業手当(給付期間を延長し、給付額が段階的に減少)に職業訓練就労インセンティブを課し、失業用貯蓄口座を創設するべきである。手厚く細かい職業訓練プログラム生産学校など)とそれよりも強い雇用インセンティブ見習い雇用)拡大、再就職新卒者の就業祝い金支給給付付き税額控除(EITC)を推進し、大学専門学校無償化(もしくはかなりの低料金)(予算の少なすぎるリカレント教育、いわゆる生涯学習の拡充)、社会的包摂のための協同組合などへの税優遇強化なども必要である職業訓練ブッシュ政権で試みられたバウチャー方式インセンティブ強化のために一般的に良いと考えられるだろう。わたしはローレンス・サマーズとおなじバブル必要論者なので、ドットフランク廃止を支持する。わたし完全雇用履歴効果を阻止し、労働力を維持し、長期的な労働生産性向上と潜在成長率向上を引き起こすと信じる。また、マイナス金利量的緩和などの金融緩和策が失業率を低下させ(賃金は下がるだろうが)、心理面の改善や消費拡大による雇用拡大、最終的には家計所得押上げに繋がると信じる。最後

日銀株価ターゲット政策採用し、ETF国債買い入れ額を増やすべきだ。貸し渋り貸し剥がし防止のため金融機関に法人税などを特例として減税(免除)し(ただし免除の条件として役員報酬の上限を法律で定める)GPIF民間投資家と日銀産業革新機構預金保険機構などを株主とした機械自動化AI開発投資ファンド(仮称)に投資し、技術革新の果実年金の原資とする富の再分配(現役世代には保険料消費税負担の軽減)をおこない、リスクマネー供給策とあわせて行うべきである。また、ベンチャーキャピタル投信などに所得制限付きの税額控除を行い、持ち株政策富の再分配市場形成を推進すべきである。なにが言いたいかって、政府はこの内容を盛り込んだ経済緊急安定化法を成立させるべきだ。ありがとう、広めてくれ。

2018-10-04

コンニャク製法特に不思議ではない

(毒性のある)球茎を粉状にして水とともにこねたあと石灰乳、炭酸ソーダ水溶液、または草木の灰を水に溶いたものを混ぜて煮沸して固める。

これをひとかたまりに考えるから不思議に思うだけで、

「毒性のある球茎(コンニャクイモ)を食べる」

「球茎を潰して灰汁で煮る」

「球茎を乾燥させて粉状にする」

を別々に考えれば良い。

コンニャクイモには毒があり、そのままでは食べられない。

なぜ毒性のあるものをわざわざ食べるのか?

毒性があるぶん他の動物に食べられづらいからだ。

コンニャクイモは畑を荒らすイノシシでも食べないという。

コンニャクイモ以外でも、飢饉とき野草の根だとかを三日三晩も煮込んで食べたなどという話は多くある。

コンニャクイモを毒抜きするためには灰汁で煮込むことになる。

灰汁(あく)とは、原義では灰(藁灰や木灰)を水に浸して上澄みをすくった液のこと。この灰汁を使って食品自体もつ強くてクセのある味を処理した

灰汁(灰の上澄み液)を用いる方法ワラビゼンマイなどのアク抜きに用いられる。灰汁(灰の上澄み液)はアルカリ性であり植物の繊維を軟化させる性質もつことを利用し浸したり茹でたりすることでアクが溶け出すことを容易にする。

灰汁で煮るということ自体は、決して特殊調理法ではない。

コンニャクイモを細かく割って灰汁で煮込むということは中国大陸で古くから行われていたという。

http://square.umin.ac.jp/mayanagi/students/01/01komatsu.html

独特の食感となることで、コンニャクは他の食材とは別に珍味」としての地位も手に入れた。

リンク先によると薬としても食べられていたようだ。

かの有名な中島藤右衛門が「粉こんにゃく製法発明するのはその1000年後である

収穫した生芋は重量もあり,腐敗・凍結しやすかった。藤右衛門は安永5(1776)年ごろ,生芋を輪切りにし,自然乾燥ののち粉にすることを考案した。これによって長期保存や軽量化可能となり,販路が拡大し,水戸藩特産物となる。

これも長らくアイディアが出てこなかっただけで、

「すぐに腐るものを保存するために乾燥させる」という発想そのものはごく自然なように思われる。

このように製法を分解していけば、一つ一つは自然な流れであり、それも1000年以上かけて少しずつ改良されてきたことがわかるだろう。

anond:20181003175550

2018-09-30

日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての覚え書き

身毒丸』について検索していた時に見つけた、

折口信夫への旅 第1部 ~小説身毒丸」をめぐって(歌舞伎批評家山本吉之助)

http://www.kabukisk.com/geitohito33.htm

という折口信夫身毒丸解説文の中に、日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての興味深い示唆があったので、

もしかして既によく知られていることかもしれないが、自分は初めて知ったので、覚え書きとして残しておこうと思う。


日本師弟関係

最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。

例えば最も古い感情を残している文楽座人形遣いなど、少しの手落ちを咎めて、弟子を蹴飛ばしたり、三味線弾きは撥で殴りつけたりした。

そういうことは以前はよくあった。そうした躾を経ないでは一人前になれないと考えられてきたのです。

なぜ、そうした、今日の人には無理だなと思われるような教育法が行なわれてきたかということが問題になります。(中略)

それはある年齢に達した時に通らねばならない関門なのです。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


■例えば…

七月に入り一座は泉州のある村の盆踊りに迎えられますが、源内法師は身毒丸の踊りに若い女たちの面貌がチラついていることを認めて、その晩、師匠身毒丸自分の部屋に引きずっていって「龍女成仏品」に一巻を渡し「芸道のため、御仏のため、心を断つ斧だと思って、血書するのだ」と厳しく命じます

しかし、出来上がったものを持っていく度に師匠はこれを引き裂きます

「人を恨むじゃないぞ。危ない傘飛びの場合を考えてみろ。もし女の姿がちょっとでもそちの目に浮かんだが最後、真っさかさまだ」と師匠は言います

身毒丸は血を流しながら一心不乱に写経を続けますが、身毒丸脳裏には彼の踊りに熱狂する若い女たちの面貌がなかなか離れません。

一心不乱に写経を続ける身毒丸の姿を見ているうちに師匠の頬にも涙が流れてきて、五度目の写経を見た時には師匠にも怒る気力は失なわれていました。


春琴の教え方は 非常に厳しく、

あかんかかん、弾けるまで夜通しかたかて遣りや」と佐助を激しく叱咤し、

時には「阿呆、何で覚えられんねん」と罵りながら撥で頭を殴り、佐助がしくしく泣き出すこともしばしばであったと云います


芸道小説としての「春琴抄」~谷崎潤一郎・「春琴抄」論

http://www.kabukisk.com/geitohito72.htm


『昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである

本年〔昭和八年〕二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに「人形浄瑠璃の血まみれ修業」と題して小倉敬二君が書いている記事を見るに、


摂津大掾亡き後の名人三代目越路太夫の眉間には大きな傷痕が三日月型に残っていた

それは師匠豊沢団七から「いつになったら覚えるのか」と撥で突き倒された記念であるという


また文楽座人形使い吉田玉次郎の後頭部にも同じような傷痕がある

玉次郎若かりし頃「阿波鳴門」で彼の師匠大名人吉玉造が捕り物の場の十郎兵衛を使い玉次郎がその人形の足を使った、

その時キット極まるべき十郎兵衛の足がいかにしても師匠玉造の気に入るように使えない

阿呆め」というなり立廻りに使っていた本身の刀でいきなり後頭部をガンとやられたその刀痕が今も消えずにいるのである


しかも玉次郎を殴った玉造もかつて師匠金四のために十郎兵衛の人形をもって頭を叩き割られ人形が血で真赤に染まった。

彼はその血だらけになって砕け飛んだ人形の足を師匠に請うて貰い受け真綿にくるみ白木の箱に収めて、時々取り出しては慈母の霊前に額ずくがごとく礼拝した

「この人形折檻がなかったら自分は一生凡々たる芸人の末で終ったかも知れない」としばしば泣いて人に語った。』

谷崎潤一郎:「春琴抄」)


日本古代の、理不尽に怒る神と無辜民衆との関係

自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」という強い思いです。その場合・何に対して彼は意地を張るのかということが問題になります

世間に対して意地を張る場合もあると思いますが、あるいは神に対してという場合があるかも知れません。


ここで神に対して意地を張るということは、神に反抗するという意味ではないのです。

そのように考えるのは近代人の捉え方でして、古代人の場合には絶対者である神に対して反抗するという発想は考えられ ません。

自分に対する神の仕打ちが不当であると感じた時に、古代人は自らの清らかさを神に示すように控え入るのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」というようにです。

まり表面 上は畏れ入っているのですが、内心には自分に対する神の仕打ちは不当であるという強い思いがあるように思えます

(中略)

神に対して自分が清い(あるいは正しい)ということを示そうという気持ちを失ってしまえばそれは不信仰ということになります

から理不尽な神の仕打ちに耐えて・彼がそれでもひたすらに生き続けることは「神よ、この清い私を見てくれ」ということになるのです。

それは神に対して意地を張るということでもあ ります


折口信夫座談会神道キリスト教」において次のようなことを語っています

折口は憤りを発することが日本の神の本質であるします。

神の憤りとは人間がいけないからその罰として神が発するものではなく、神がその憤りを発する理由がどこまでも分からない。

神がなぜ祟るのかその理由が分からない。

このことが重要である折口は言うのです。


神が憤るのは人間がいけないからだ・人間が何か悪いことをしたから神が怒ったに違いないと考えるのは、道徳倫理が完成した後の時代の人々の感じ方なのです。

既成の道徳基準があれば、人々はそれに照らし合わせて・神がこれほど怒ったのにはこんな理由があったに違いないと後で納得できる説明を付けようとします。

しかし、道徳がまだ成立していなかった古代人には照らし合わせるべき倫理基準などまだなかったのですから、人々には神が怒る理由など全然想像が付きませんでした。

古代人にとって神の怒りは唐突で・理不尽で、ただただ無慈悲ものに思えたのです。


『神の怒りに当たることと言う怖れが古代人の心を美しくした』(折口信夫・「道徳研究」・昭和29年)


古代人にとって神の怒りはただただ理不尽ものでした。

そのような理不尽な怒りを神はしばしば・しか唐突に発しました。

例えば地震台風洪水旱魃・冷害などの自然災害がそのようなものです。


このような時に古代人は神の怒りをみずからの憤りで以って受け止めたのです。

みずからの憤りを自分の内部に封じ込めて黙りました。ただひたすらに耐えたのです。

そうすることで古代の人々はみずからの心を倫理的に研ぎ澄ましていったのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。


古代人の 生活というものは、風雪災害飢饉病気など、現代人が想像するよりもずっと過酷で・辛く厳しいものであったということなのです。

そのような時に古代人は神の理不尽かつ無慈悲な怒りを強く感じたのですが、そこをグッと持ち耐えて自己を深い内省と滅却に置くことはまこと殉教者以上の経験したことになるのです。

折口はそのような過程から道徳のようなものが生まれて来ると考えました。


貴種流離譚というもの民衆に与えた印象というものは「身分の高い人が落ちぶれて哀れな姿になって・・」というものでは決してないのです。

民衆貴種流離譚に見たものは神の与えた理不尽かつ過酷な試練に従順に耐える殉教者の姿なのであり、それは過酷な生のなかに生きる民衆自身の姿と も自然に重なって来るわけです。

民衆貴種流離譚を愛したのはそれゆえなのです。


神は別に何もするわけではないのです。

しかし、神がたまらなさを感じて涙を流してくれるならば無辜贖罪者は何かしら救われることになる・ 実はそのことだけで十分なのです。

これが古代人が神に対する時の態度です。


源内法師は身毒丸無慈悲折檻を強いながら、それに抵抗することなく・懸命に師の言いつけを実行しようとする身毒丸の健気さ・ひたむきさのなかに無辜殉教者の姿を見たのです。


最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。

まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。

それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


折口がこのように語る時、折口日本伝来の師弟関係なかに理不尽に怒る神と・神を信じてその仕打ちに黙々と耐える無辜民衆絶対的関係をそこに重ねて見ているのです。


神はしばしば理不尽な怒りを発して、我々に謂れのないひどい仕打ちします。

我々には神の意図することがまったく理解できません。それはただただ理不尽ものに思えます

しかし、それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩むということことです。

過酷仕打ちを受けてもなお神を信じて神に従う人を見る時、神はそのような人々に対して賜らない愛おしさを覚えるであろう。慈悲の涙を流してくれるであろう。願わくば我々を悲嘆のなかから救い上げてくれるであろうということです。

折口はそのような気持ちから道徳のようなものが生まれてくるというのです。


そこには正しいとか・間違っているという倫理基準など存在しません。

善とか悪というのは道徳が成立した以後にある基準なのです。

あるとするならばそれは「清い」とか・「清くない」という感覚的(あるいは生理的な)基準です。


源内法師と身毒丸理不尽に怒る神と無辜民衆との関係無意識のうちになぞっていることになります


まり


神の理不尽な怒り(地震台風洪水旱魃・冷害や飢饉病気など)

→「自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」と思う

→それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩む

 「神よ、この清い私を見てくれ」


これが、古代の神と民衆関係であり、師弟関係はこれをなぞっていると。


なるほど、自分がそういう目にあうのはいやだけど、ドラマ物語で接するとなんとなく納得してしまうのは、そういう古代から宗教的感覚が今も心の中にあるからなのかもしれない。

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