はてなキーワード: さいころとは
あうあうあーな人をバカにしちゃダメな空気はあるじゃん。なぜなら障害者だから。好きで障害者やってるわけじゃないから。
でも陰謀論者はバカにしていいじゃん、なぜならバカだから。自分からバカやってそうだし。
じゃあ陰謀論を叫ぶ知能障害者は?これはなんかバカにしちゃいけない気がする。
そうと知らなければ全力でバカにするし、そうと知ってしまったらバカにしにくい。好きで知的ボーダーやってるわけじゃないから。
炊飯器と米を買えばいいのに毎食サトウのごはんって人をバカにしていいのか?
そこだけを見れば簡単な計算もできないのかよってバカにしたくなるけど、なんらかの事情があってそういうサトウのごはんな状況になってるわけじゃん。
なんらかの事情が何だったらそいつをバカにしていいんだろうか?
小さいころ特殊学級に通っていて…とか家庭環境が悪くて…とか聞くとバカにしちゃいけない気がしてくるじゃん。
いわゆる宗教四世で、生まれた時から新興宗教の会員やってた。ネットだとよくおもちゃにされがちな、三色旗のとこ。
小さいころから家に仏壇があって、母親と祖父母が超熱心な人で、言葉をしゃべり始めた時から経を読まされてたし、ちゃんとやればみんな褒めてくれるから悪い気はしなかった。
母親が熱心な場合って厄介なんだよな。おかげさまで土日は宗教関連の予定でつぶれるし、父親も母親に勧められて入ったひとだから止めないし。そんなわけで、20数年生きてきて、最近やっと初めてちゃんと神社に参拝したような始末。だから、一般的な人間と自分の宗教観がかなりかけ離れてる、ってことに最近気が付いた。まぁ、それが当たり前だったんだけど。
高校の時とかはそれなりに真面目に、っていうか結構がっつりやってて、たぶんその時の周囲の何人かは幹部クラスになるんだろうな、って人間ばっかりの団体にもいた。
割と勘違いされてそうだけど、いやもう常識なのかな?一般的な認識が全くわからんからあれだけど、s大学行くのはもはや当たり前で、幹部になろうと思ったら、何かしらの宗教の団体に所属してたことがほぼ必須になるんだぜ、笑えるよな。
高校生はそうやって過ごしてたけど、大学に入ってから恋人ができて、その人が何というかこう、自分の所属してるとこ以外も含めた宗教全般のアンチだった。
今思えばものすんごい幸運なことに、現実社会の親しい人にそんな人がいなかったから大いに嘆いたし、なんで自分が、とも思った。でも、今は割とその出会いに感謝してる。
ここまでが前置き。すまんね長くて。
まぁ、親に「信仰捨てたいです!」とか言える訳も無くて。だってそんなことしたら普通に絶縁されそうだし、妹たちも割とがちがちに染まってるし。あと我が家、割と毒親気味で過干渉のケがあるから、最悪今住んでるところから連れ戻されかねない。
それは困る、だって実家には自室が無いし、プライバシーもへったくれもない。未だに帰省するとめちゃめちゃ消耗する。二週間とかしか滞在しないのに。実家を出るまで、自分のスペースと言えば本棚のついた机一台だけだったし、その中身も親が勝手に開けて改める始末だったから、秘密とか絶対無理だった。
かといって、じゃあ真面目にやるか?と言われるとそれは心がしんどい。
そもそもの話、自分は「信仰とは人生の杖であり頼り切るものではない」って思想を高校時点で持ってて、現指導体制に不信感しかなかったし。
やれって圧を掛けられて、今渋々試験の勉強してるけど、それにしたって普通に気色悪くて嫌になる。だって仏教ってマインドフルネスの一手法でしかないし。それだって、多様な方法がある現代社会でわざわざそんな化石みたいな方法、って思う。
そもそも悟りってざっくりいえば「この世のすべては気の持ちよう、自分の気の持ちようで天国にも地獄にもなる、それなら天国みたいに考えられるようになった方がお得じゃね?」的な考え方だし、唱題にしたって、「悟りを開けないお前らが悟りを開くための一助にしろよな!」的なものだから、自力でメンタル立て直せるようになった人間には必要ないんだよ。そもそも仏教って「人生なんて全部しんどいんだから、しんどいことそのものはもう諦めて楽しくやっていこうぜ」的なあれだし。ガバガバ解釈だが。
その上で、何もかもを宗教に依存して、生きてくための目的そのものを宗教にしてるの本当に頭おかしいと思う、それお前の人生じゃなくて教団の人生やんけ。生きてる価値ある?って思う。言わないけど。
確かに苦しい時に縋れるものは多い方がいい、人生かなりしんどいし、税金高いし内定はもらえんし、何もかもままならんし、ここからってときに病気になったりするし、なんかすげーもんに縋らないと生きてけない気持ちもわかる。
でも、その気持ちもわかるけど、それでも自分で立って自分で歩かない道に価値はあるんか?って思う。だって信仰してると、どんなに血反吐を吐くような努力をしたって、どんなに周りの人に恵まれたって、どんなに運がよくたって、それ全部「信仰のおかげ」にされちゃうんだぜ。そこに至るまでの努力とか、工夫とか、人間関係とか、そういうもの全部自分の成果じゃなくてなんかようわからんもののおかげになるんだぜ、それって悔しくないか?自分はそれを恋人に指摘されて初めて気が付いて、すごく悔しいと思った。だってここまで努力したの自分だし。別にすがってる”なんかすげーやつ”が何か叡智を下賜してくれたわけじゃないし。苦しいのも悲しいのも悔しいのも自分が背負わなきゃいけないのに、喜ばしいこととか楽しかったこととかは全部他にかっさらわれるって思うとはらわた煮えくりかえらんか。自分はキレそうになる。
そもそも、他力本願の他宗派をめちゃめちゃ批判する癖に、何かあったら馬鹿の一つ覚えみたいに「ご本尊に縋れ」だの「お題目を」だの普通に矛盾してて笑える。それはお前らの言う所の他力本願じゃないんか?あと題目とか言う呪文的なあれを大事にしてる割に、唱題の時の発音みんなガバゆるだよな、何それ。ダブスタまみれで普通に気色悪い、反吐が出る。
と、まぁ最近はこんな事ばっかり考えている。親には勉強したらわかるって言われたけど、勉強するほど意味わからん~~きしょい~~~ってなるの中々芸術点高い。って言うかそもそも子供の許諾を取らずに宗教に入れるな、はっ倒すぞ。これはどの二世問題でも共通だと思う。四世なんだけど。ウケるね。
ちなみにこの宗教だとよく取りざたされるのは政党の話なんだけど、自分は政策はまぁましな方なんじゃないかな、って思う。そこから声の汲み上げするの????正気か???って思うような政治を国政ではよくやらかしてるけど、地方政治だとそれなりに要望の反映早いし。政治と宗教観は切り分けて考えるので。まぁ今後の動向にもよるかな…でも宗教活動の一環で選挙活動やらされるのは普通に最悪で気色悪さの極みだからやめた方がいいと思う。実質強制の投票の「お願い」はお願いと言わない。海外から来た同じ宗教の人に選挙ばっかりしてるのどうして?って聞かれて、日本では信仰を広げることが十分にできたから、今度は政治の方からも生活をよくしていくんだよみたいなこと指導してるの聞いたことあるけど、それ普通に公職選挙法違反なんじゃないですかね。政教分離の法則死んでないか?
これを見て同じ宗教の人がどう思うかは知らんが、自分が納得できてないならなんかしらの答えにはなるんじゃないんですかね。がちがちの幹部ルート辿ってた人間がこう言ってるんだから、それなりに信ぴょう性はあると思うよ。
今から入りたいって思ってる人、人生に発生する損害と天秤にかけて、本当にそれじゃなきゃダメなのか一か月真面目に考えてみ、そんなことないから。周りからの偏見の眼はものすごいし、結婚したいと思った人ができてもめっちゃ苦労したりするぞ、自分は今死ぬほど苦労してる。
今しんどい思いしてる人、お互い頑張ろうな。自分は今何とかして家にあるご神体的なサムシングを親にバレないように滅殺する方法考えてる、なんかいい方法あったら教えてくれ。
マジで徒然なるままにって感じだなこれ。乱文で本当にすまぬ。ここまで読んでくれた人ほんとにありがとう。自販機でジュース当たるくらいの幸運が訪れますように。
追記:みんなコメントありがとう、ほんとに正気に戻れてよかったと思う。なんでカルトの話から仏教に?ってコメ見たんだけど、それはだな、s学会は曲がりなりにも仏教を名乗ってるから、仏教を学ばされるんだよ…だからです。
まぁ、s学会のは「ブッダの」仏教ではなく、日蓮とかいうなんかよくわからん狂人が急に悟っちゃったものを信仰してるんで、仏教かと言われるとかなり怪しいけどね……昨日このエントリ書いたあと、勉強の動画流し見してたらそんなこと言ってて笑っちゃった。仏教名乗るの辞めたら?
自然科学とかSDGsとか信仰してそう、って言われたのはマジでそうなりかねんからほんとに気をつける。一応これでも科学をやってる人間だから、変なのには引っかからないと思いたいけど…こういう気持ちが落とし穴だとは思うのでね!科学的思考大事。すごく苦手だけど。
前田は小さいころにいいことばかりしてきたが、下坂行雄や晴生、地方の消防署の教頭の精神統合的都合で発表することができない。
めちゃくちゃ殺しに来るし、殺し方が多様 子供心にトラウマ一杯だった(※父親の蔵書)
また、宇宙生物、SFメカ系、はたまた超越存在など、路線も多様だ!
植物型の宇宙人! 犠牲者の口から種子を埋め込み体に根をはり、操る! 根が育ちきったら死ぬ!
ピラニアマシーン! 四角い殺人ルンバ! 単眼恐怖症を植え付けられた!
宇宙生物! あらゆるエネルギーを吸収し、肥大していく! 人間に取り付いてチューチューもする! 原子炉危ない!
改造人間! ゴムボディで神出鬼没! 水道からにゅるーって出てくる! 空気吸って膨らんだら浮く!
甲虫集合体人間! 弾丸みたいに1匹1匹飛んでくる! ガラス窓に KILL YOUとか虫文字まで書いて脅してくる!
生きてる雪! 凄い凍死させてくる! 女王雪がいてギャースって鳴く!
小さいころに背中に入れられた刺青がドラゴンに成長して裏切ると首無くなる!…実は科学的なトリックだったと思いきや、バックにいたのはやっぱ悪魔でしたーー!!
子供のころ、由緒正しい中流家庭に生まれたワイは、焼肉はサッっと火を通したレアが美味いと思っていた
下校中に金持ちの同級生と焼肉の話をした時「お肉はよく焼いてちょっと焦げてるくらいが美味しい」と言っていて
こいつは一体何をいってるんだ?と、焦げるほど焼いたらカチカチで不味いだろ、金持ちのくせに味のわからんやつだと子供ながらに思ってたんだけど
で、それからうん十年経って、最近和牛のザブトン(肩ロースのいいところ)という希少部位をいただきましてな
もうサシでピンクどころかもはや白なわけよ、しかしアラフォーおじには脂がきつい、よく焼いて脂を落とさんと1枚で胸焼けエンドを迎えてしまう
慎重に火の弱いところで焦げる手前までじっくり焼くと肉から落ちる脂で肉自信がサクサクに焼けて美味かった(それでも1~2枚が限度だけど)
きもたとも戸田とも、くまがいとも、49歳(オイラー法)とも、誰とも河川敷では特に仲が悪いですね。くまがいというのは戸田が言っていた名前で昔は松重豊と呼ばれていた警官で
松本というのは32歳の警察官に激似のキチガイですが、そんの、最初は、体当たりしてきて、その後に検察官みたいな顔になるというか、松本というか、魔津本と読んだ方が、well-defined
だと思いますが、その、とにかく、自転車できて、それしか言わなくて帰っていくのが、魔津本なんですね。それで、そんの、頭は丸刈りで、自分の家で自分でバリカンでやっているとかいうのですね。
確かに私も、あの、捕まる前は自宅で、母親にバリカンでやってもらっていた時代がありましたがあれは平成22年頃の話で今はやってないというか、自宅じゃなくて1000円カットに行って
やればいいと思うのですが、それと戸田は警察署で生姜焼き弁当を食べたと言っていましたが、あすかきららが好きな美容お化け?が、生姜焼き弁当を食べることがあるのかどうか分からないし
にんかいが、山之内隆樹が、戸田の中に出てくるようにするときには、わたしがなぜか強制的に勇吉になるようになるわけでそういうのが分からないんですよね。それで私の夢の中に勇吉が25回くらい
出てきたのですが、わたしが小さいころに勇吉が嫌いだったはずなので、しかし、敬一が、出所後の私を見て、勇吉に似ているとかいって、それから勝手に勇吉になったわけですが
ぺちぽちの定理というのは、 ぽち=ぺち+1ではないか、という定理であり、学会で発表されたときは驚愕されたわけです。証明はけっこうエレガントで結局ちっちゃい子を大量に使う
わけですね。それは、東大の宮岡洋一先生が最初に提唱されて、1年ぐらい考えて証明ができたということで、アナルズタイムズに論文が掲載されたわけですが、けっこう難しい証明
だったんですよね、岡山県とか東京都に住んでいる小さい子をけっこう大量につかうんですけれど全体としてはきれいになっていて結構一般性もあるので、小さいころのこうすけはその中の
ただの要素で、ちっちゃい子を大量に集めてきてそれで隣接関係式を出して後は、教科書に載っている原理を使うだけですね。
それから、しらちゃんの定理ですが、これは多分成立してないのではないかと。しらちゃんの定理っていうのは増田であんまりはっきり言明されていないことだが、東京高裁第3刑事部の
しらちゃんとか谷水とかざちゃんとかにんかいがまえだとつながっているという予想ですが、多分、全然つながっていないのではないかと。それから、大もぐら理論というのは、まえだと、東京簡裁の
橋本富美男と中もぐらの高野伸と佐藤と、黒羽刑務所のときわさとしという特大もぐらがつながっているというconjectureでしたが、間違いではないかと。
そういうfolkroreがありまして、実はウソだったと。くまがいとも、きもととも、まえだも、全然仲が良くなかったんですね。
慶應と東大の学生達と話していて気づいたが平成生まれにとっての日本は「右肩上がりの希望にあふれた国」なのではないか
岩尾俊兵 @iwaoshumpei
私が講義を持つ慶應と東大の学生達と話していて気づいたが、私含め平成生まれにとっての日本は「右肩上がりの、希望にあふれた国」なのではないか。スタート地点が低かったため、じわじわとではあるが、日本は良くなっている実感がある。実は「日本は終わった」は今の世代にはピンとこない価値観。
んなわけない。ネガティブな事を口に出してると評価が下がるのが世の常なのでとりあえずポジティブなことを言ってるだけだろう。
人口減と高齢化と現役世代の負担増は目に見えていて、年金は返ってくるかわからないし、その全部にこれといった対策はない。
そんなマクロな話じゃなくても、小さいころに身の回りのほとんどを占めていた日本製品はほとんど海外製品に置き換わり、みんな見ていたテレビは誰も見なくなって、スマホで日本なのかなんなのかよくわからないLINE以外は大体海外のサービスで余暇時間を消費するようになって、新しい分野を拓くのは常に中韓台を含む海外企業。
サブカルは局地的に善戦してるけど、一応日本に向いてくれてるK-POPはずいぶん皆に馴染んだなぁと思う。あとトヨタか。がんばれ~。
スキルと先見のある友人は皆外資に就職・転職してる。スキルのない奴らも皆公務員やインフラ系に就職してとりあえずの数十年を食いつなごうとしている。NISAでSP500を買う奴はいても、TOPIXを買う奴は誰もいない。
これ、希望あるか?
でも、「日本」に希望がないからって、日本に住んでるそれぞれの人間に希望がないわけじゃない。日本で外資で働いてiPhone使ってインスタで友人とやりとりしてブラックな飲食で飯食って謎の土地持ちから借りた家で寝て、普通に幸せだし。
経済のことよくわかんないけど日本企業にお金払わなくても、日本企業で働かなくても、日本企業が何か生み出せてなくても日本の国としてはしばらく滅びないんじゃないの?少なくとも、自分が生まれてから日本に起きた変化ってそういうことだった気がする。でも結果として特に問題なく日本に住んでる。滅びるとしてもギリ逃げ切れる気がする。しらんけど。
従姉妹が夏休みとか年末年始のタイミングで子供を連れて帰省してくる。
元々親戚同士の仲はよくて、従姉妹が帰省してくると集まって従姉妹の家で晩御飯を食べたりすることがある。
従姉妹の子供が自分で走ったりできるようになってから、よく遊び相手になった。
大人が酒飲んで大声で喋ってるのなんて子供にとってなんも楽しくないじゃん。
いつもかまってくれるパパとママも構ってくれない。
じいちゃんとばあちゃんもなんか喋ってばっかりで遊んでくれない。
遠いとこに連れてこられて何泊かするのにこれじゃあ帰省が楽しくないイベントになってしまうと思って遊び相手になるようになった。
できるだけスマホで動画見せてあやすとかはしたくないらしいので、プラレールで複雑なコースを作って遊ばせたりしてる。
小学生の男児は何したら喜ぶんだ…全然わからん…と思いながら一生懸命ポケモンの説明をしてくるのを聞いている。
ポケカもやってるらしいんだけど、全然買えなくてパラダイムトリガーを1箱だけ買って遊んでるらしい。デッキになるのかそれは…?
8月にポケカのデッキ持ってくるからあそぼうね!!って言われたけどスタートデッキ100しか持ってないよ…
夏休みになったらまた遊ぼうな。
布団に入ると、たけしさんがいて、しゅうじさんは、あそこに、あべしさんがいて、こんななまぬるいことでは、プロフェッショナルに怒られるわけですがといって、
なんで私が数学を始めたかって言うと結論から言ったらそれしかやることがなかったていうか、私は小さいころから問題児で、集団生活に全然とけこめなくて、
遠足でも、勝手にどっかに行ってしまうとかいうところがあって、まあ私は、たけしさんみたいに中学校の頃からブルバキを読んでいたわけではないので、
で、数学の定理っていうのはものなわけで、そのものの規模があってそれを証明しろっていう分野で、私がやっていたのは、ちいかわのぬいぐるみっていうんですか、驚愕だけど
それを聞いてびっくりした
「え、人間って社会の歯車になるために生まれてきたわけじゃないの?」
「人を殺してはいけない理由って社会の損失が大きいからじゃないの?」
少なくとも俺が今生きてるのは親と社会のためだ
小さいころからずっと辛くて、「なんでこんな辛いことばっかりしなくちゃいけないの?」って聞いたら
「将来楽しく生きるためだよ」って言われた
それ聞いてずっと辛いことばっかりしてきて、誰もが知るフォークリフト開発大手に勤めてる
でも親と社会の役には立ってるんだろうと思いながら働いてきた
それでも年収600万には届かない
林修に言わせれば「社会のお荷物が辛い辛い言いながら荷物運び作ってらぁ」ってことなんだろう
なんで俺は生まれてきたんだろう
(している人が頷く)
祖父は孫との関わり方があまり上手ではなくて、優しいけど不器用な人だった。
しかし小さいころの私はまだガキだったので、そんな祖父の心境を慮ることができず、「私とおばあちゃんが話してるのに割って入ってきて嫌だな」とすら思っていた。
祖父との距離感がよく分からないまま私は高2になり、修学旅行で北海道に行くことになった。
「お土産何がいい?」と祖父に聞いたら「1000円ぐらいの安いやつでいいから、ウニの瓶詰めを買ってきてくれ」と言われたので、私は素直にお土産代をもらってウニの瓶詰めを買って帰ると約束した。
修学旅行当日、小樽の海産市場にてウニの瓶詰めを探していた私は値札を見ずに「あっ、これだこれ」と思い、かごに入れた。
しかしレジに通してから、その瓶詰めが4000円以上することが判明した。
高校生にとって4000円は大金だ。当然の如くビビり散らかしたが、自分の勝手で班のメンバーを待たせるわけにもいかず、結果としてその高い瓶詰めを祖父母の家までクール便で送ることになった。
そのことを修学旅行から帰って祖父母に伝えると、「やけにうまいと思ったわ」「おじいちゃん美味しい美味しいって言って食べてたよ」とのことだったので、私の勘違いは親戚の間でほっこりする笑い話として昇華された。
ここまでなら、単なるほっこりエピソードで終わっていたと思う。
けれども私が修学旅行旅行から帰ってきてから一ヶ月も経たずに、祖父は他界した。
危篤になってから他界するまで、3日もかからなかった。突然の死だった。
葬儀のときに初めて、祖父は長いこと腎臓を患っていたことを聞かされた。
病気の件に関しては、周りの親戚の人々も子供に教えることではないと気を遣ってくれていたのだと思う。
でもそのせいで、高校生の私は何の心の準備もできないまま祖父の死に直面することになってしまったのだ。
葬儀屋さんや親から「最後に棺にお手紙を入れてあげたら?」と声をかけられたが、返事ができなかった。
ドライアイスで冷えた祖父の手に触れるたびに涙が出てきて、火葬場に行くまでずっと白い棺の側で泣いていた。
空っぽになったソファを見つめて、祖父のことを思い返すと、涙が溢れて止まらなくなった。
祖父が私を見る目はずっと優しかった。私がつっけんどんな態度をとっていても、いつも目尻を垂らしてニコニコしていた。
それなのに私は、祖父に何も返せなかった。
返せたものがあるとしたら、それは修学旅行のお土産で買ってきたウニの瓶詰めひとつきりだ。
祖母も母も「私ちゃんのおかげで、おじいちゃんは最後に美味しいものを食べられたんだよ」と言ってくれたが、「もっと何かできたのではないか」という思いは、私の胸にずっと残っている。
社会人になって地元を離れても、祖父の亡くなった夏がくるたびに、祖父孝行をしきれなかった後悔が襲ってくる。
この後悔は、きっとどれだけしてもしきれるものではないのだろう。
なので今は、祖母孝行に精を出している。
祖母は耳が遠いので、正直やりとりがスムーズにいかずにイライラするときもある。けれども真剣にやり切らないと、絶対に後悔するだろうと思えて仕方がないのだ。