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2024-02-20

家を建てて5年が経ちました

場所関東郊外都心へのアクセスは良い)

住宅⇒建売、分譲住宅(同じ感じの家が10軒くらいある)

私⇒30代、子ども二人


玄関

広い方がいい。狭いと予想以上にストレスベビーカーとか置くのはもちろんのこと、子どもがいなくても大きめの荷物宅配物)とか一時的においておきたいもので案外場所をとる。玄関は広くしよう。


芝の管理が面倒すぎる。夏場は2週間に一度は芝刈りをしないと草ボーボー。1~2時間ぶれる。汗びっしょ。狭いし虫もたくさんいるし野良猫の糞もあるしでまったく使っていない。結局芝を全部引っこ抜いて人工芝にした。とても快適。芝刈り機はメルカリで売れた。夏場にプール出して子どもと遊ぶとか、家庭菜園をしたいとか、明確な目的があるんだったらいいと思う。要はメンテするコストに見合った価値があるのかどうか。うちは無いかあきらめた。砂利を敷き詰めても良いと思うよ。雑草が生えにくいように防草シートはちゃんと敷こうね。


邪魔。なんであるのかわからない、と思ったけどお隣さんの玄関の目隠しになってるっぽかった。緑があるに越したことはないんだけど、放置するとこれも草ボーボーで通り道をさえぎられるから仕方なく定期的にメンテやっている。これ全部抜けば駐輪場スペースが新たに生まれから数年以内にやろうと思う。



外壁

汚れてきた。特に北側。もう少ししたらヒビが出てくると思う。定期的に塗りなおししなきゃいけないのが憂鬱お金もかかる。家建てるときには案外考えていなかった費用。ちなみに田舎実家は20数年間で一回も塗り直ししてないからいたるところにヒビがある。



宅配ボックス

置き配が浸透して使用頻度減ったけど、まあまあ使っている。割と入りきらない荷物も多いから選べるなら大きめ(奥行)のを選ぶといいと思う。



ベランダ

いらない。洗濯物は乾燥機と浴室乾燥毎日からもう何年もベランダを使っていない。何年も使わないと汚くなるから余計使いたくなくなる。布団も布団乾燥機だ。雨漏りの原因になるからメンテしなきゃいけなくて少し憂鬱。これが無ければもっと家が広くなったかもしれないのに。



日当たり

冬場は特に重要。晴れの日はカーテン開ければエアコンいらないくらい暖かくなる(窓には目隠しシートを貼ろう)。太陽は偉大だ。分譲住宅でどの家にするか選ぶときに、事前にマップみながら日当たりの一番よさそうなところを選んだよ。これが正解だった。お隣さんとか日中でも向かいマンションにさえぎられて真っ暗だもん。Shade Maphttps://shademap.app)がすごい。日当たり具合が地図確認できるよ。試しに我が家も見てみたけど正確。



廊下

郊外といえど土地に限りがあって、一階に廊下が無くて二階への階段洗面所&脱衣所へはリビングから直接アクセスする間取り子どもが大きくなったらお互い気を遣いそう。せいぜい7-8年くらいだろうけどね。地元の姉の家は廊下があって羨ましい。



トイレ

広い方がいい。特に一階のトイレが狭い。でも優先度は低いかな。二階は広めだからそっちを使っている。あと、トイレタンクの中は数年に一度は開けて掃除した方がいい。えげつないことになってるから



床暖房

5年で一回しか使ってない。しかも間違えてOnにしてただけ。快適だったけどね、別にエアコン暖かいし?とか思うと別に使わない。



エアコン

自動洗浄の機能はいらない。きれいにならないし業者に頼むときに料金割り増しされる。結局プロ一年に一回キレイにしてもらうのが一番。先日数年ぶりに掃除してもらったら黒い水がドロドロ出てきて、そのあと明らかにエアコンの効きがよくなったから驚いた。



照明

ちょっと高くても調光調色のやつがいい。特に夕方から夜にかけて、段々暖色に変えていくと大人子どもも徐々に寝るモードになる。スマートリモコン自動的に設定している。夜に真っ白のライトはもう無理。まぶしすぎ。



ご近所づきあい

最高。分譲住宅から同じような世代家族構成(小さい子どもがいる)、みんなその土地は初めて、みたいな家族ばっかりだからすぐに仲良くなる。子どもと一緒に何度もお互いの家々で遊んでる。どんなに立派な家でも周りの人間関係が最悪だとストレス半端ないからこの点すごいありがたい。都心に近い郊外からもっとドライかなって思ってたけど、結構ウェット(いい意味で)。賃貸だとドライだけど、持ち家だとみんなそこに長期居住する前提だから自然関係を築こうとするマインドが働く、気がする。


立地

メインの道路沿いはマジでうるさい。できれば住宅街がいい。片側一車線でもうるさいバイクや車は一定いるから避けられるなら避けたい(これまでの賃貸アパート経験)。一軒家だと防音性能高めだから気にしないのかな?よくわからん。あと庭が道路に面していると人によっては子どもと遊ぶときに人の目を気にするかもしれない。あ、あとハザードマップ的には割と終わってる場所だった。100年に一度の大雨で河川が氾濫するとおしまい。これは祈るのみ。何年か前の台風直撃でも大丈夫だったから若干楽観的。はてなにある、家が浸水した時のまとめはちゃんと保存して定期的に見かえしている。


満足?

満足。いろいろ不満言ってきたけどトータルでは大満足。コロナ前で住宅価格が上がる前だったし。純粋に家が広くなったし子ども足音とか叫ぶ声とか夜泣きとかあっても周りを気にしなくていいし、周辺の人間関係が良好なのも大きい。注文住宅とかおしゃれな家憧れるけどねーーー。でも吹き抜けで天井付近にある窓とかみて「あれどうやって掃除するんだろ?いまたぶんホコリめちゃたまってるよね?」とか思ってしまう。無意識な僻みもあるのかも。これ妻に言ったら「そういう余計なこと言わない」って怒られた。

2024-02-10

ひとつの朝鮮、ひとつ中国

国家というのは馬鹿もので周りが国家だと思えばそれは国家なのだ。なので台湾国家としてはとても弱い。台湾国家と認める国家はとても少なく日本も認めていない。これは中国台湾中国であると思い込んでいることにある。台湾はもともと中華民国台湾島に逃げてできたものである第2次世界大戦時の中国といえば中華民国であった。その後、革命があり中華人民共和国ができ中華民国台湾に逃げた。中華民国からすれば中国本土は未だに自分のものである。よって台湾中国本土台湾であると思っている。同じ領土を2つの政府自国であると主張する。馬鹿なこと極まりない。

朝鮮も同じである。もともと朝鮮日本のものであったが戦争で破れた際に取り上げられた。その後、冷戦に巻き込まれ北側ソ連に、南側米国に良いように利用され戦争が続いた。北がかなり南下したが南が追い返し今の休戦ゾーンまで押し返した。北は今も南が朝鮮民主主義人民共和国であると思っているし南も北が大韓民国であると思っている。南は今でこそ現代的な政府構造であったが長らく独裁制のもとにあった。似たもの同士が他国に利用され喧嘩する。馬鹿なこと極まりない。

俺の実家の寒さ そして暑さ

寒さ

北側に2階までの高さぐらいの擁壁(直角)がある

家と壁の間は3m

全く日が当たらず、冷たい空気が溜まるので1階はめちゃくちゃ寒い。夏は涼しい

家中隙間だらけ。

日本家屋で部屋と部屋の仕切りは基本襖。襖の上には20cmぐらいの欄間があり通気性は抜群

50年前のサッシとガラスで断熱効果に期待できないうえに、色々歪んでいるので掃き出し窓など閉まりきらず、ひどいところは5cmぐらいの隙間が空きっぱなし

砂壁や砂壁に漆喰やその上にベニヤ張ったり壁紙張ったりしてる

6畳の部屋だからと6畳用のエアコンをつけるがよく考えたら7~8畳ぐらいある(さらに床の間のこと忘れたり)

暑さ

無駄に広いベランダがあり、コンクリなので多分熱をめっちゃ吸う

西日が当たりまくる(増田の部屋のみ)

冬でも晴れた日の夕方は裸で過ごせるほどになる(秋はサウナ状態

2階でも増田部屋とその隣以外はエアコンがなんとか効く

1階北側はほどほどに過ごしやす

太さ、広さ

とにかく柱が太い

ひいじいちゃんだかひいひいじいちゃんだかがこだわったらしく、

すごく太い柱と梁で柱の少ない空間を作ったらしい

20畳? ぐらいのが二部屋つながったとことかがある(普段は、なんか微妙に幅の広い襖4枚で隔てられてる)

歪さ

昔は4世帯とか住んでたし子沢山だった

改築や増築を繰り返していた

今は半分壊れた離れとキッチンユニットバストイレを外付けして凸凹(凹はしてない)した母屋渡り廊下で繋がっている状態

(最盛期には台所3、風呂3、トイレ5ぐらいあった。一番でかいトイレ男子便器が2つ並んでる)

3回ほど増築したっぽい倉もある

10年ほど前までは、物置小屋だったり、工房だったり、鳩小屋だったりがあってカオス

太さ

もちろん駅やその他もろもろが後から来たのだが、まあまあ便利な駅まで徒歩15分。使いづらくさびれた駅が徒歩6分。

家以外にも結構なお土地をお持ちになっており、家賃等で安泰だったが、ひいじいちゃんもひいひいじいちゃん税理士さんと折り合いが悪いのか、

節税なんて知らん、けち臭いことを言うなっていう男気を無駄に発揮してきたようで、相続のたびに縮小してる

今は母と兄が色々悩んでる

2024-01-30

anond:20240130115201

ありがとうダイソーなら近くにあるからみてみる。

北側の窓はスタイロフォームはめ込んでいてそれで8.5度だったからショックでさ。

行動しても寒さの波の強さに疲れてしまって行動できなくなってきたよ。

みんな大好きUR引っ越し

新婚以来住んでた賃貸マンションが手狭になったから広めのUR引っ越した。リフォームされていてきれい

結論:寒すぎる

寒そうだなぁとは思ってたから内窓付けるかなんて考えていたけれど、寒すぎて活動量も低下するし目の前の寒さを防ぐことに手一杯でそこまで頭も手も回らない。

引っ越して一ヶ月も経たないのに心の限界が来て何回も本気泣きしてしまった。

とにかく隙間風だらけ。

できることはやってる。

ドア下の隙間が2cmほどあるので全て隙間テープで埋めた。

リビングの床にクッションフロアを敷いた

引き戸も隙間に隙間テープを貼った

玄関ドアの隙間は入居時の不具合点検してくれる業者さんに言ってパッキン変えてもらった

それでも空いてる隙間は自分で隙間テープ買ってきて埋めた

北側の部屋の窓は業者さんに言っても古くてパッキンの在庫がないとのこと。外の光が入るほどの隙間があって寒い

北側の部屋が寒すぎるので窓にスタイロフォームをぴったり切り取って詰め込んだ

FIX窓は隙間風は無いものの氷のような冷たさ。お洒落なんてクソ喰らえ

カーテンレース本体も断熱タイプを買った

暖房効率のためにサーキュレーターを設置した

玄関土間の冷たさ軽減のためクッションフロアを敷いた

玄関ドア前にビニールカーテン自作した

スファンヒーターを買った

北側の部屋をガスファンヒーターで23度までしばらく暖めて、翌朝室温を測ったら8.5度だった

キッチン換気扇から冷気が出ていることに気付いてカバーを開くと家の中のどこも換気扇を付けていないのにシロッコファンが回転していた

換気扇からの逆風を防ぐために台所換気扇換気扇カバーを付けて緩和させた

脱衣所は換気扇自体に目張りした

そしたら電気スイッチの隙間から隙間風が入ってきてることに気づいた

二重窓を作るために昨日ポリカ中空板を注文した

家の中ではずっとレッグウォーマー&厚底スリッパ。時々ファンヒーター前で足を解凍させている

持ち家でもないのに何でこんな事金払ってしなきゃならないんだ、って思う。

家賃別に特段安くない。

北側の二部屋が寒すぎて結局全く利用できてないしそこに家賃が発生しているかと思うと辛い。

子どもたちの足も冷たくなってて可哀想

子連れ引越しってすごく大変でまたやるのかと思うとしんどすぎるし何より夫のやる気がない。

何をやっても付け焼き刃感が拭えず効果も薄く辛い。

大失敗だ。

電気毛布かけた布団の中で丸くなって冬眠したい。

2024-01-08

anond:20240108225235

隆起したのは外浦(北側)な

内浦(南側)は隆起しなかったので家や人が大量に流されてる

妄想鉄:京都駅奈良線嵯峨野線を高架で結び直通運転してみた

課題

嵯峨野線山陰線)は、京都駅から梅小路京都西の間(梅小路公園横付近から京都駅まで)に単線区間があることにより、嵯峨野線需要が大きいにも関わらず増発が困難である。また、車両の増結は他の駅の改修も要することから現実的である

解決方法

想定Q&A

  • なぜ地下ではなく高架で直通?

京都駅東側京都芸大崇仁キャンパス南側付近)で地下化した場合河原町通アンダーパスと交差する可能性があり、かつ東福寺駅北側で地下化した場合鴨川と交差することから東福寺駅の地下化も必要となるため、費用が高額になりすぎる。また、北陸新幹線新大阪延伸を考慮し地下を使うことは避けた方が現実的である

→ 現行の奈良線系統はすべて嵯峨野線へ直通(現行通り6本/時)。その上て、需要に応じて嵯峨野線京都折り返し・最大8両)を適宜追加することで本数調整を実施

ちゃんとした計算はしていないが、阪和線モデルケースとして計算すると現行より輸送量が増加するのでは?(詳細な計算は未了)

奈良線側は、現状京都芸大崇仁キャンパス南側付近に多少の空き地があることからそれを活用する。嵯峨野線側は、京都鉄博SL線を拝借した上で工事実施する。よって、支障なし。(京都鉄博SLユーザーはごめんなさい)

→ そのうち。できれば北陸新幹線大阪延伸と同時?

→ 「みやこ路線」?募集中です

2024-01-07

フリーレンメモ

ヒンメルの死から20年後 フリーレンとフェルンが出会

ヒンメルの死から24年後 ハイター倒れる

ヒンメルの死から??年後 ハイター死去、フリーレンとフェルンが旅立ち

ヒンメルの死から26年後 中央諸国ターク地方 花を探して半年

ヒンメルの死から27年後 フェルン16歳の誕生日(生年はヒンメル歴11年)

ヒンメルの死から27年後 中央諸国グレーぜ森林 クヴァール討伐

ヒンメルの死から28年後 中央諸国グラン海峡 海を掃除

ヒンメルの死から28年後 中央諸国ブレット地方 アイゼンと会う

ヒンメルの死から28年後 中央諸国リーゲル峡谷 シュタルクに会う

ヒンメルの死から28年後 北方関所通過

ヒンメルの死から28年後 クラフトに会う 冬の足止め

ヒンメルの死から29年後 北側諸国アペティー地方 シュタルクの誕生日

ヒンメルの死から29年後 ザイン加入

ヒンメルの死から29年後 フェルン18歳の誕生日

ヒンメルの死から29年後 馬車が飛ぶ

ヒンメルの死から29年後 オルデン卿

ヒンメルの死から29年後 フォル爺

ヒンメルの死から29年後 ひんやり

2024-01-04

anond:20240104135233

南海トラフ富士山噴火のことを考えると西日本北側鳥取あたりに家を構えておけば少なくともこの2つの災害回避できるぞ

2023-12-29

同時多発テロでタワーを壁伝いに降りようとした男の話

Q.9/11最中にタワーを降りようとした人はいますか?

A.実際に存在した。

ある男性が勇敢にもそうした。彼は午前9時40分頃、衝突地点に近い北側のタワーから降り始めた。彼は約20階ほど降りたが、これは並大抵のことではない。

https://qph.cf2.quoracdn.net/main-qimg-88dedd4b98325c07886e710f6a087274-lq

https://qph.cf2.quoracdn.net/main-qimg-848aad5e58647cb3985a389bab446794-lq

ここに彼が写っている2枚の写真があり、彼が降下した階より上の階を見ることができる。

彼は間違いなく、同僚や上の階の人々が生きたまま焼かれるのを避けるために飛び降りたり、熱と煙に押し流されたりして死んでいくのを見ていただろう。

彼らは生きたまま焼かれたり、煙で窒息したりする苦痛を伴わずに早く死ぬという選択をしたのだ。

この男は別の選択肢を選んだ。彼はチャンスが欲しかった。

https://qph.cf2.quoracdn.net/main-qimg-3edc5d6d5001c51160cd9be655480831-lq

これは、タワーのひとつを間近で撮影した写真だ。ご覧のように、両側の柱には、ウィンドウォッシャー用のリグのトラック以外に、ほとんどつかまるものがない。もし、この溝に指を詰め込もうとすると非常にぎこちない握り方になるだろう。

写真では、その代わりに(上の写真でわかるように)床と窓の差し込み口が接する非常に小さな「出っ張り」の上でバランスを取り、さらにじりじりと力を加えているように見える。この柱と柱の間は約 18.5 インチ(47センチ)ある。

理論的には、この男はかなり下まで降りることができただろうが、遅かれ早かれ、スペースが10インチ(25センチ)ほど狭くなり、テコの力がさらに弱くなる76階の機械フロアにぶつかっただろう。

https://qph.cf2.quoracdn.net/main-qimg-9aa1193d19fffe388a7b75e8a829b9fd-lq

この写真では、タワーの濃いグレーの線が機械フロアを示している。

この男性がこのことに気づいていたとは思えない。

彼は修理工でもエンジニアでもなく、あの日タワーで命を落とした2000人以上の人たちと同じように、ただそこで働いていただけなのだ

彼がこの階まで到達していたらどうなっていたかは、残念ながらそこまでは到達しなかったので、すべては推測の域を出ない。

南タワーが崩壊した後、彼は二度と目撃されていない。おそらく、南タワーが倒壊したときビルが揺れ、ビル倒壊による風で足元やグリップが緩んで落下したのだろう。

あの日、すべての犠牲者が示した勇気は並大抵のものではなかった。

この男の生きる決意が物語っている。80階以上の高さから下を見下ろし、周囲で人々が落下していくのを目の当たりにし、一歩足を滑らせれば彼らと同じ運命をたどることになると知りながら

何が彼をこの想像を絶する偉業に挑戦させたのかを考えると、間違いなく彼の家族を思う気持ちだろう。

降りて、もう一度だけ子供や妻に会う。

彼は戦わずして去るつもりはなく、脱出するために懸命に努力し、最後最後まで生きようとした。

https://i.imgur.com/w6U07wm.png

https://www.quora.com/Did-anyone-try-to-scale-down-the-towers-during-9-11

2023-10-12

捕食者ジャニー喜多川だが、米国南北戦争キタガワ(北側)が奴隷制度維持派の工場主らでメディア操作屋の米国民主党起源だったことを考えても、名が体を表している

2023-09-23

まあみろ!って私のダークサイドが滲み出たのです。

近所に野良猫に餌をやる一家がいるわけです。

もうね、庭には子猫だらけ。無法地帯

で、私の家の庭にうんこを垂れるわけですよ。

自分が可愛がっても無い、懐きもしない猫のうんこショベルですくって処分してあげてるのです。

嫌になる。ほんと、マジでくせぇし。

その家の御主人は朝、家の北側道路を歩いて月極駐車場まで歩いて行ってるんですね。

目が合えば、挨拶は交わすんですけど、心は通ってはいません。

ふと、思ったのです。

お前、猫のうんこ舐めてるだろうと。猫を餌付けだけして愛玩し、猫のうんこ、舐めてるだろ。

でですよ。昨日の昼に猫が糞をしていて、いつものよう処分するんですけど、はっと思ったんですよ。

丁寧に処分するんじゃなくて、家の北側道路のど真ん中に投げ捨てればいいんじゃないかってね。

その北側道路自分家族普段使わないし、実害は無いんじゃないかって。

で、やってやったわけですよ。道路にポイ。もういいでしょ。飼い主でもないし。責任は無いし。

何なら通勤時にネコうんこ踏めって。もっと言えば、ご主人がいつも歩いている位置になるように置いてやったわけです。

そのまま駐車場まで行って車に乗り込んで、靴裏の溝に嵌りこんだ猫のうんこを車のフロアマットに塗りたくってしまえ。と。

そしたらですね。

今朝、そのうんこどうなってたと思います

見事に踏まれていました。

綺麗に粉砕です。

御主人じゃないかも知れない、奥様かも、お孫さんかもね。

でも、思ったんですよ、心から

ざまぁみろ!と。

2023-09-16

[] 柴田道子 被差別部落生活伝承 (ちくま文庫)を読んだ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210810181919

https://web.archive.org/web/20210810225700/https://anond.hatelabo.jp/20210810181919

原著刊行は71年、当時の部落解放同盟書記長中山氏とともに長野県内の被差別部落の古老たちを訪れて聞きとり調査したもので、現代よりずっと差別苛烈で激しかった時代大正デモクラシーの波にのった解放運動記憶もまだ生々しく覚えている人が多く、本当に大変貴重な証言ばかりだった。

(まず基礎知識ですけど、部落をよく知らない人はなんとなくイメージで、関西しか無い、関東関係ないと漠然と思っている人が多いみたいですが(私もそうでした)葬儀処刑人農村で使ってる牛馬の解体処理など死に関わる仕事(ケガレ仕事)全般を請け負っているので、基本的にどこにでもある(最北端は旧松前藩あたり、最南端奄美大島らしい)。私も北海道には存在しないと思っていたが間違いのようです)(被差別部落の中でも同和事業を適用される同和指定地区をうけなかった地区も多いのがこのような認識を生んだ理由でしょうか)

この本はまず信仰の話から始まるんだけど極貧の生活のためか日頃より信仰心が篤いのに死んだら畜生と同じ埋葬方法で墓が作られても墓地北側の日のあたんねえ所とか、雑で差別的な戒名つけられたり、それでも檀代は一般(部落外)より高い額ふんだくられてたりもうさんざんで、序盤からひどい話ばっかりなんだけどこのあともひどすぎてこれがジャブ程度に思えてくる。長野といえば教育県を掲げているけど部落民は一般と同じ学校に行かせてもらえない、行かせてもらえても徹底的なイジメが待っている、教師すら[チョオリッポをチョオリッポと呼んで何が悪い]と差別に荷担する。さら生活苦ゆえに家の仕事を手伝わなくてはいけないといった理由も加わってまともに学校通った人の方が珍しくて、聞き取り対象の老人のなかにはいまだに文盲の者も少なくない。それから公衆浴場も別々で回り風呂といって運搬が可能なお風呂部落じゅうを回ったりしてたらしい。ケガレ仕事だけでなく、今でいう巡査牢屋の見張りのような危険仕事押し付けられたり、農家の手が足りないときだけ日雇い従事したり季節労働をやったり等収入が安定しない..

もう要するに公権力が徹底的にそうやって差をつけている。また、同じ人間であると思わせないためか、部落民は睾丸が四つある、あばらが足りない、血の色が違うなどいわれのない身体的特徴をでっちあげられてそれを理由侮蔑される。今でこそ誰もが馬鹿馬鹿しいとわかるけどこんなことが真剣に信じられていたんである

それから今でこそ同和事業で部落インフラが整備されて、見かけは一般と変わらない町並みになり、住民流出流入が容易になり、その結果元々部落だったと知らずに引っ越してきてずっと知らない人などたくさんいるけど、明治の末ごろの話だけど比較的裕福だった部落の老人が一般大通りに家を建てたら村じゅう大騒ぎになって、

村役場が主導して執拗嫌がらせを開始。果ては物理的に家ぶっ壊されて(!)老人は訴訟をするけど村役場殺し屋差し向けてきたり費用問題などで訴訟断念するしか無かったらしい。役人殺し屋を雇う???????????????? ???????

?????????????????

明治といえばその初頭に四民平等令、部落解放令がやっと出た時代なのに..この解放令ってやつもうほっとんど意味なくて、差別は続いて、でも以前は免除されていた税金一般と同じように徴収されるようになっていっそう生活が苦しくなっただけらしい..てかまじ、体制側が一市民殺し屋差し向けてくるとかまるでフィクションの話みたいであまりに信じがたくてここ読んだとき一日くらいずっとポカーンとしてた。殺し屋て…殺し屋て..明治の末とかって歴史からみたらほとんど最近じゃん 最近の話じゃねえか ひでえやばすぎる。どーなってんのよ

どこそこの地域部落みたいな程度の浅い知識ならネットでちょこっと調べれば出てくるけど、こういう具体的な差別事例ってこんなふうに本でも読んで能動的に調べないとわからないんだよね、、まぁこういう時代からは随分ましになったとはいえいまだに部落の人にたいして暴言吐く人、差別する人はゼロにはなってなくて、全然過去問題じゃないんですけど、同じ部落の人のなかでも[部落問題を知ってほしい][寝た子を起こさないでほしい、学校なんかで教えるから差別再生産されるんだ][もう差別なんかないんだからほっとくべきだ]とさまざまに意見が分かれていて人間から当然と思う。

でも悲惨歴史にふたをして忘却してしまうと過去の人々の苦しみまで無かったことになってしまわないか?というのと、現代人間過去から教訓を得られなくなってしまう、それと苦しみだけでなく部落にも豊かな文化生活があり、(著者は部落文化遺産と呼んでいたが)文化のものも葬られてしまう。そういう理由から現在の、部落の[ぶ]の字すら言ってはいけないようなタブー空気はいやだなと思うので積極的に気軽に部落の話をするようにしてる。

でも後述するけどこのタブー化が差別の緩和に繋がったわけで、でもそれを加味してもやはりもうそろそろタブ一の段階は終わっていいだろうと思う。

私は部落民ではない女性なんで女性差別しか興味がありません。主にどうして被差別部落がここまで差別を打破できたかの部分に興味があって調べておりその歴史女性差別に対抗するすべを学べないかとそう思い何年も前からあれこれ勉強しています

はっきり申し上げておきます部落差別より女性差別のほうがひどい。上記にあげたような苛烈差別事例を知った上で言うことです。その理由ひとつに無徴の存在である部落民に対して女性は有徴の存在であり、部落差別から逃げるために素性を知られてない遠方に引っ越すという手段もあり実際多くの人がそうしていたようですが、女性女性であることから逃げる手段自殺しかありません。

(当然、無徴ゆえにだれも[被差別部落][部落民]とはなんなのかをはっきりと定義できないゆえに権力側に恣意的身分を決められていた歴史もあるでしょう。それも知っています。でも、なお..なのです。ちなみに、部落民とは一般先祖ルーツが違う別人種なのではと思う人もいるでしょうが一般人でも部落民になったりするし、どうもそのへんあいまいというかはっきりしていないようです。本書には、とある部落民にむかって自分たち先祖が同じだ]と言った一般民がいたという証言もあります差別根拠など全くないのです。さらに言うなら死にまつわる仕事ケガレというのも恐らく権力恣意的に決めたことがし、ケガレ仕事ではない、たとえば内職などしかしない部落民も沢山あってケガレともイコールで結びつかないのです。)現在進行形でさ女は毎日女ってだけでなぐられ殺され犯されおとしめられてんだよ

から一歩出るだけで醜いおっさんジーロジロ品定めここから逃げる手段ないんすよ

公権力が女の味方してくれたことないんすよ

女性参政権だってGHQ鶴の一声であって日本の男はんなもん女に与えてくれたこと無いんですわ

すいません話それました!

国を動かしての解放令発布でもやむことがなかった差別現在ここまで緩和されもはや部落問題を全く知らない人も多くなった、その主たる理由はやはり水平社(のちの部落解放同盟)の強硬な、時には暴力的闘争姿勢によるものだったのではと思います。著者の柴田いわく、長野のなかでも東信地方は寒風が吹きつけてひどく底冷えがする地域で、昔から気骨のある男、気性の荒い男が多く、それが東信で水平運動がさかんだった理由ではないか分析しています。逆に寒さがゆるやかな地域では[寝た子を起こすな]の論調が強かったり水平社よりも穏健だった同仁会がさかんだったらしい。でも同仁会も交渉の場では「水平社の連中よぶぞ]が殺し文句だったらしく虎の威を借りてたとか..そして水平社と同仁会、歴史に名を残したのはどちらかというともうこれは言うまでもありません。ふだんから竹槍の戦闘訓練も行い、武力闘争も召さなかった水平運動こそ歴史を変えた。彼らが起こした暴力事件の仔細はネットでも簡単に読めます部落民は乱暴だ、奴らは犯罪者だといった風評も辞さない徹底的な闘争で、部落は怒らせると怖いと、部落がなんなのかよく知らない人すら何となく感じて、アンタッチャブル話題だと感じる。タブーだと思う。その空気を牽引したのがテレビマスメディアの徹底的な自主規制でしょう。部落解放同盟にらまれたら厄介だという理由で前述のように部落のぶの字も出さない、触らぬ神にたたりなし。先日もエタヒニンと発音しただけのアイドル活動自粛に追い込まれたけどそういう過剰なまでの自主規制が、差別存在のものを透明化した。長い間メディアは頼まれてもないのに四本指の表現すら自主規制していた。

そのような、暴力脅迫で勝ち取った自由歴史勉強していると、心底彼らがうらやましく、やっぱり権力もなにもあてにならずとにかく徹底的に相手に恐怖という根源的感情を植え付けて支配するしか対抗の方法は無いのかなと思ってしまう。なんだかわからないけど女性差別問題は怖いから少しでもセクハラと誤解される表現自主規制しよう、万が一表に出てしまったら即座に責任者の首とばそう、そんなふうになってくれたらいいのにと夢見て泣きそうになります

しかしながら水平運動に加わった男たちがそこまで暴れることができたのも男という性別ゆえかなと、同時に諦念を抱きます

女はやさしさや思いやりといった(あえて言いますが)宿病をかかえています。それは先天的ものか、それとも後天的ものか、両方だろうか?とにかくフェミニスト自称する人たちすら、女性は優しくなければ、人の気持ちが分からなくてはという教条に縛られているので、そういう人たちと肩を並べて武力闘争可能かどうかはあやしいものです。ねえ、やりすぎは良くないよやめよう、とお目目ウルウルのいい子ちゃんが必ずまざってしまい男たちはそのすきをついてくる気しかしません..

この本書のなかにはある村の一般村長が出てきます。彼は比較リベラルで、部落の子でも学校入学できるようはからったとのこと。そのせいで彼は妻の実家の敷居をまたぐことを拒否されるなど反発され、水平社の者も彼のそのような行いを知っててもそれでもダメな所は徹底的に糾弾したので、「両方から突き上げ食らってもうさんざんだ]といったことを自嘲してるんですけど女性たちも同じように全く糾弾の手を緩めないってことが可能かと考えると難しい。

男の攻撃性が本当にうらやましくなります

痴漢の手に安全ピンぶっさそうという(本来痴漢は殺されてもいいくらなのだから穏当すぎるくらいなのに)呼び掛けにすらいい子ぶりっこがそういうのよくないよとたしなめるしまつ。

繰り返すけど殺されてもいいのに。

やさしさというのは女たちが生まれつき体に埋め込まれた起爆装置なのだろうか?差別に抗戦しようとした瞬間、それは作動し、女の体は爆発四散するのでしょうか?

この本の巻末、作者の生前の夫だった人による復刊によせての解説言及されてた2014年長野県連続差別事件やばい部落民の女性に対して、真ん前に引っ越してきた男が差別語連発で罵倒するのをやめない。裁判所から禁止令が出てもやめない。逮捕されても執行猶予で、けっきょく彼が万引きという別件で再逮捕され収監されるまでの2年間なにも解決しなかったそうです。

昔も今も権力なんてなんのあてにもならないどころか被差別階級にとっては敵でしかないんじゃないのとますます不信感がつのます2014年とか最近じゃん昨日じゃんか

みんな本気で、ハッシュタグ(笑)だのツイッターデモ(笑)なんかで女の現状が救われるとおもってんのかな..こんなのなんにもならんってうすうす気づいてるんじゃないかな。男に殺される女が一人でも減るかそんなんでって思う。やってる感だけ得られたらいいんすか? けっきょくレベルを上げて物理で殴るしか無いんじゃないのか。それもわたし一人がやったところで社会的インパクトいか組織だってやるしかないけど、以下ループ

水平運動の男たちは献身的に支えてくれる妻がいてそれで運動なりたってた部分でかいと思うけど女には妻おらんのですよな~

暴力ができないならせめて男がみんな自分に正直にホモ願望を解放してホモセックスし、抑圧している内的女性現実女性投影するのをやめればミソジニー無くなって平和になると思うんですけど、でこう書けばホモ差別語だから差別はいけませんとかほざくぶりっこフェミニズム邪魔をしてくるのでもうどうしようも無いです! バーカ!ちんこ

それで思い出したけど水平社=部落解放同盟は徹底したシングルイシュー在日朝鮮人差別して反省しなかったり、男と女で日当に差をつけて差別してたという話も聞きますイシューを抱え込まないことがやはり運動成功秘訣ひとつであったのかと感じます女性女性というだけでやはりシングルイシューはいけないといった脅迫をされます。色々な差別問題に敏感ではなければいけないような圧力にかかって、あらゆる差別に眉をひそめなきゃなんないあの感じ、全ての弱者のために涙しなきゃいけないような義務感、女だから聖母を求められてるんですよね。それもバー死ねでございます女性差別以外知ったこっちゃねーでいいんだお

ところでこの本の作者柴田道子は童話作家部落民じゃない一般です。長野市に引っ越してきて被差別部落接触し、興味を持ち、この本を上梓したあとは狭山事件被告サポートに尽力、当該事件の本を執筆わずか41歳の若さで急死したとか。

解説文でだんなさんが男社会のなかで女性としてうけていた差別があったか部落問題に熱心だったのでは的なことかいとるけどんじゃー女性差別問題に集中すればよかったのでは、女なら自分当事者である女性差別問題に注力すればいいのに、しろよと思ったし、そうすべきだろがいすら思うんだが、そういった、正しくない女柴田の正しくない思いで発刊された、正しくない存在である力作のこの本によって後世の人間である私が歴史を知ることができたわけで、そしてこれは間違いなく後世に保存し読みつがれるべき大名著なんです!!!何が正しいか間違っているのか、どう思うべきか、どう行動すべきかって本当は一切なにもないのかもしれない。なのでフェミニストならこうすべきだ、こう思うべきだ、こう感じるべきだみたいな考えに固執している人はちょっと考え直したほうがいいな、正しいか間違ってるかなんて時代によって基準がぐにゃんぐにゃんで明日にでも真逆になるけど、なんか結果だけ見て、他人ジャッジしてもシャーナイつか、結局ね、なにかにかい真剣にがんばったりさえして、懸命に生きさえすれば、それはもう…だれにも、文句は..まあいいや

2023-09-13

相対的位置で表される地名が恥ずかしくて改名された例

元増田みたいなのが居るから地名変えちゃったってケースを出すよ。

 

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230912103559

 

 

志茂

地下鉄南北線志茂駅というのがあるが、ここは昭和初期まで「下村」だった。上村は近くにないので、岩淵宿から見て下の村という意味かと思われる。

関東大震災後に人口流入して町になる時、「下町」じゃあれなのでちょっとこじゃれて「志茂町」とした。

後に町が取れて志茂となり、駅も出来て有名になったが、住んでる人も元は「下」のこじゃれた書き方だったとは知らないことが多い。

 

西川口

西川口駅の西口周辺はかつては横曽根村だった。

関東大震災後に東京近郊は下町から移住人口が増え始め、川口町合併して川口市になる横曽根人口が増える前に区画整理をする事になった。

新しく升目に近くされた区画町名を付ける必要がある。

横曽根の中心の北には「北」、南に「南」というおざなり小字があり、西側は「新田」という小字があったので、「北」を「北町」、「南」を「南町」、真ん中を「仲町」とし、西側新田は「仁志町」とした。

仲は中を、仁志は西をこじゃれた風にしたものだ。

だが西川口駅が出来て人口がどっと増えると、駅西側は全部西川口にしちゃえという事になって北町も仁志町も全部西川口になってしまった。

「仁志」とかせっかく付けたのに結局に「西」で上塗りされちゃっというケースである

 

余談だが、南町は残ったのだが、ここは市境に近く、川口市南町から歩いて5分に蕨市南町があるので混乱の元だ。この命名法はよくない。

 

上板橋中板橋

先の事を考えない鉄道会社に振り回されたケース。

東上線中板橋駅の西側に711の弥生町店があるが、実はこの辺りは川越街道上板橋宿跡である

大正初めに東上鉄道(現東武東上線)が開通すると、始発駅の池袋の次は板橋下宿に近く貨物扱いで重要下板橋駅が設置されたが、その次は4km先に設置する事になった。当時は蒸気機関車単線運転から交換用の駅で距離もその程度が適当だった。

だが駅の周りがマジで何もない。だから駅名に適当地名も無い。

そこで3km程離れているが著名な宿場上板橋を駅名にした。

だが昭和初期に電化されて加速性能がいいので駅を沢山作る事になり、下板橋上板橋の真ん中にも駅を作る事になった。だがこの近くの地名は、上板橋宿に因んで全域が上板橋になっていた。

でも下と上の中間板橋から中でしょと「中板橋」駅としてしまった。

すると上板橋上板橋付近になくての隣の駅の周辺にある、しかもその駅名は中板橋というおかしなことになってしまった。

地名変更できるようになると上板橋は古い名前を捨てて「弥生」というこの地に特に縁のない名前にしてしまった。

全部先の事も考えないで行動する鉄道会社のせいである。

 

池袋

元々池袋村は今の下板橋駅付近が村の中心で(現池袋本町)、池袋駅が設置された当初は池袋村の村の外れの村境ぎりぎりの場所だった。

今の西口付近はその名も「上」という小字場所だった。その他にもこの周辺は「原」とか「下上」とか「西山」とかおざなりの超てきとうな小字ばかりであった。さすがは人もろくに住まず雑木林のままの村はずれだ。

だが鉄道がどんどん集まってきて人口も増えるとそんなてきとう地名は「池袋」で消されて無くなってしまった。

そもそも下上って何なのか?

 

墨田隅田

葛飾区足立区区界を見ると綾瀬駅付近で絡まったコードのようにやたらグネグネしている。これは古隅田川の流路で、中世では住田河と呼ばれていた。

荒川放水路が出来るまでは堀切駅付近で今の隅田川に合流していたので、その上流までが荒川、その下が隅田川と呼ばれていた。

この隅田川の東に隅田村というのがあった。

一方、江戸時代水墨画流行すると、「墨」という字とそれを「ボク」と読むのが粋でブランド価値を持つようになった。

隅田川がカーブしながら先述の古墨田川と合流する場所の外側にあるのが隅田村で、洪水が頻発するので幕府隅田堤という陸の堤防を築造、桜を植えた。桜を植えるのは花見客が大挙して訪れて踏み固められるからである。今も川べりに桜が植樹されるのはこの幕府の知恵に由来する。

するといい景色なので山水画浮世絵が多く作られたが、何しろ「隅」より「墨/ボク」の方がカッコいいもんで、隅田堤じゃなくて「墨堤/ボクテイ」と題されたりした。

その他にも隅田村/隅田川関連のものが「墨田」と呼称されたので、隅田村→隅田町となっていたが住んでる人らは勝手に隅っこよりもイキな方がいいと「墨田町」と書くのが流行し、本所区と向嶋区が合併した際には墨田区となった。

隅田町が町名変更できるようになるとこれもやはり墨田となった。

 

仲宿

中仙道板橋宿は超巨大宿場町で、JR板橋から都営地下鉄板橋本町駅の2.5kmくらいもあり、北から上宿、中宿、下宿下板橋宿/平尾宿)と分かれていた。

鉄道道路時代になると宿場町の記憶は無くなって何が中なんだという事で、仲宿と改称された。

 

台東区

浅草区下谷区合併したのが台東区

下谷はいかにも下に見られてるみたいなので、台地の東、と台頭を兼ねた造語を区名にした。

吉原遊郭とか上野周辺とか山野とか実際にスラムが幾つかあったのが余計にコンプレックスを刺激した。

 

十条上十条

十条と呼ばれる地区には北側上十条村、南側に下十条村という二つの村があった。尚、この当時の上、下というのは京都に近い方が上である江戸北側には中仙道があるので京都に近い方の北が上であって、東海道周辺なら西が上になる。

両村を縦貫する形で日光御成道(別名 岩槻街道)があり、下十条宿という幕府非公認の小さな宿場町があった。今の東十条駅から坂上がったあたりの塾や郵便局があるあたりである

明治になりその十条の西の方に現赤羽線埼京線。開通当時は日本鉄道品川線)の十条駅が出来た。

次に東北本線京浜東北線)にも駅が出来る事になったが、当然、一番栄えている下十条宿に近い場所に設置された。また駅に来れる道もある。だから当然駅名も下十条駅だった。

ところが昭和住居表示町名が変えられるという事になると、下十条が「今は東京駅に近い方が上だからこっちが上十条だ」とか言い出す。

それで町名を押し出された元の上十条は、下はヤダってことで中十条となってしまう。何でだ。

駅の東側の元は十条じゃなかった辺りは東十条となった。

こうして下十条が無くなったのに駅だけ下十条を名乗ってる状態になったので、十条の東だし、東十条に隣接してるってことで改称されて東十条駅になった。

そりゃ下扱いは誰でもイヤなもんだが、下剋上的というか身勝手というか。

 

田園調布

田園調布がある場所はかつて荏原郡調布村だった。

ここを東急電鉄後藤慶太デベロッパが買い上げ高級住宅地田園調布」の分譲を開始、鉄道も開通し、調布駅が設置され、直ぐに田園調布駅に改称される。

「田園」の文字の由来は、ロンドンに視察に行った後藤田舎に住んで都会に鉄道通勤するというゆとりがある生活スタイルに触れて感銘を受けたため。当時のロンドン児童含む超絶ブラック搾取労働や、一晩で数百人が死ぬほどの超絶大気汚染ゴミや糞便に混じって死体流れるテームズ川の超絶河川汚染、多発するスリ強盗殺人林立する売春婦など、文字通りに死ぬほど環境が悪かったために富裕層にこのような生活スタイル流行した。

昭和3年に人口が増えて町制施行されることになったが、調布町とすると京王線沿線調布と被ってしまうので「東調布町」と呼称

だがその僅か五年後には荏原郡自体東京市に編入されて東調布町も消滅。短い命であった。

初めは東急の子会社デベ)が開発した駅前の高級宅地けが田園調布だったが、住居表記施行町名変更が可能になると、元の田園調布の周りの○○沼とかの町も「沼とかヤダ田園調布にしたい」という事になって、全域が田園調布となった。

この為に駅の裏側とか川べりの低地とかあんま高級じゃない田園調布が沢山ある。

2023-08-13

賃貸セカンドハウスの1年目

中年独身男性賃貸セカンドハウスを借りて1年が経過しました。

なんだかんだで月1回ぐらいは利用しているので、わりと気に入っているみたいです。

前回の投稿https://anond.hatelabo.jp/20221023111129


住民との交流

  • ほとんどないです。たまに挨拶する程度です。

買ったもの・導入したもの

荷物の運搬

  • レントラ便という、1トンまで運んでくれるサービスで、ちょっとずつ運んでます
  • ちょっとずつなのは、一度にまとめて荷造りをするやる気がでないためです。
  • 1月にレントラ便で運ぼうとしたら、価格が2倍だったのでやめました。1月から4月は繁忙期で価格が2倍になるみたいです。
  • 1年たったけどまだ2回の計2トン分しか運べてない。あと4トンぐらい運びたい。

冬のこと

セカンドハウスでやっていること

虫について

  • 1回だけ室内でGを見た、不在時に室内に生ごみはない状態にしているので問題は起きていない。
  • クモが多い。クモはほかの虫を捕食しているのでありがたいと思っとく。

やっちまったこ

近隣の気になる物件

今後やりたいこと

質問回答コーナー

では、また来年になったら 経過を報告するかも。更新家賃が値上がらないといいなぁ。

2023-08-06

いたばし花火大会に関して

火事が起きて途中中止になったけど花火最期まで上がっていたといういたばし花火大会だが、実は戸田市との共同開催になっていて、荒川を挟んで板橋側だけが中止になったのだ。荒川を挟んで両岸で打ち上げまくるのね。

でも板橋区の方では「いたばし花火大会」としてしかアナウンスされないし、戸田市側の方は「戸田花火大会」としてしか案内されないから、東京都民or板橋区民の中には戸田市の方でも打ち上げてるのを知らない人が結構いるし、反対側の埼玉県民、戸田市民の方も然りで、「中止になったのに最後まで打ちあがってたのは何故???」というなぞなぞみたいな事になってしまった。

 

そして両岸で共同開催という珍しい形になったのは、荒川改修工事が元になっている。

 

荒川放水路工事河道直線化

赤羽岩淵岩淵水門という隅田川入口を締め切る水門があるんだが、そこから下流荒川大正から昭和初めに掛けて開削した放水路だ。それまでは荒川の全水量が今の墨田川に流入していて水量が増えると東京下町の方が洪水になってその都度大損害を出していた。

そこで荒川放水路を掘るという大工事に至ったのだ。普段岩淵水門を開けておいて水は隅田川の方に流れているが、水量が増えたら水門を閉めて全部放水路の方に流れるようにする。

同時に岩淵水門の上流も大改修する必要があった。荒川がうねる様に大蛇行していて、当時の堤防というのは河道から500m~1kmも離れた所にあり水が溢れたら堤防までの土地(堤外地)は水没、という扱いになっていた。

これを止めて直線的に流れるようにして堤防に対する攻撃力を下げる。そしてちゃんとした高い堤防で完全に水を封じ込むようにする。

ついでに合流する河川も改修する。新河岸川彩湖付近で合流していたが、荒川堤防だけ高くしても洪水時は新河岸川の方に逆流するからそこから洪水になって無意味だ。

そこで新河岸川堤防荒川準拠に高くする代わりに、新河岸川合流地点を延長して荒川と平行して流し、赤羽まで持って行く。そして岩淵水門下流隅田川に合流させるのだ。確かに荒川の水量の影響を受けなくなるがすごい工事である

で、その河道はどうするかというと、蛇行している荒川の頂点に接線を引いて、北側接線を荒川南側接線を新河岸川にした。

地図で直接見た方がいいね。これだ。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.795747&lng=139.695110&zoom=13&dataset=tokyo50&age=1&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

 

飛び地問題発生

すると接線の間にはサインカーブで分断された土地というのが出来る。

そしてそれまでは荒川埼玉県東京府の境だった。荒川位置を変更して北側接線にしたから、東京府側に下に凸型の埼玉県飛び地がいくつか出来たって事になる。

このサインカーブ飛び地問題、今の埼玉県川口市東京北区埼玉県戸田市東京板橋区が影響を受けるが、川口市北区側は早々に解決した。

今の埼京線浮間舟渡駅北赤羽駅浮間地区は元は埼玉県横曾根村の浮間だった。だが荒川改修直後に横曽村と川口町合併川口市へ)が控えており、その時に東京府に割譲すると取決めがされてその通りになった。

一方、戸田村の船渡地区東京府との協議が難航していた。浮間の方は横曽村がほぼ丸ごと東京側に行くのに大して、戸田村の集落埼玉側にあり、その船渡地区けが東京側に行く。

時折線が入り組んだ複雑な県境があるが、それが出来る理由というのは同じ地主土地県境で分かれないようにする為というのが多い。この場合地主土地を引き裂く県境引き直しだから難しい訳だ。更にその土地工場に売られたりして更にややこしくなった。

そうするうちに戦争が始まってしまう。東京府と東京市は無くなって東京都と板橋区が出来て話し合いの主体リセット。もう解決不能である

 

飛び地問題解決と合同花火

戦後になって流石に復興する前にあれ何とかすべきだという事になり、1950年、難航の末に戸田町と板橋区の間で県境荒川にする事で合意。今の地図を見ても蛇行の名残は見える。

https://goo.gl/maps/uEMgZazGCHPmMV2Q6

新河岸川の角みたいなのと浮間公園の池が蛇行の跡で、戸田葬儀場があるU字型の土地戸田から板橋区に割譲された船渡地区だ。

そこでこりゃ目出度いって事で、戸田花火大会を開催することになり、板橋区もそれに協賛という形で加わる形となった。後に協賛じゃなくて戸田市側の戸田花火大会板橋区側のいたばし花火大会同時開催という形に変化。

そしてこのいたばし花火大会の開催&打ち上げ地点というのはこの戸田市からぶん捕った土地河川敷なのである。これは飛び地問題解決を祝って始めた花火なのでここじゃなきゃいけないわけだ。

 

そしてこの経緯が火事の原因ともなってしまったのだった。

 

敢えての荒れ地

荒川河川敷は今の経緯から見ても判る通り、元は農地だった。戦後すぐまでもそのままで農民河川敷の農地を所有し堤防を越えて農業をしに来ていた。

だが堤外地で増水時には水没する土地でもあり自治体土地を購入して運動公園への転用ゴルフ場教習所など水没前提の事業者への売却を促してきた。つまりは「平地」として活用されてきた。

だがそのうち荒川河道は誰の土地でもないか放置されて荒れ地のままになっていた。それも昭和後期あたりから公園や払下げなどが進んできた。

だが現河道と旧河道の合流部は敢えてそのまま残される事になった。水面が切れ込んでいるので水生生物が流されにくい。そしてその周辺は敢えてそのまま荒れ地のままにしてバードサンクチュアリにする。

 

という事で、他の部分は運動場などで使うので綺麗に芝刈りされているのに「一か所だけ荒れ地のままにしているところでナイアガラをする」という条件が揃ってしまったのだ。

河道付近は荒れ地のままにして、戸田市からぶんどったこ土地でやるのが元々の花火テーゼから仕方がないのだが条件が悪いな。

 

他の原因

増田の推測だと他の悪条件も重なったと思われる。

まずは2019年台風19号。これによって荒川は増水し、昭和初期の堤防の高さを超える位置まで水位が上がった。

水が引いた後は河川敷の教習所ゴルフ場も泥まみれである。これらは2~5cm以上にも達し、人力で除去されたのだが、荒れ地の泥はそのままだったはずだ。

そして洪水の泥はナイル川デルタ文明を発生させるほどに肥沃であって、泥がそのままの荒れ地は猛烈に雑草が繁茂したはずだ。

更に2020~2022は東京五輪コロナの為に開催中止。肥沃な泥で荒れ地の雑草たちは伸び伸びと繁茂しまくり、その中には葛も含まれていた。こいつが来たらもう手に負えない。

そんな悪条件で更に当日は風が強かった。堤防下に管理道路があり、その脇の数mは普段から草刈りされていて、そこでナイアガラするのだが、そこを遥かに超えた所まで火が飛んでしまった。そしてそこには台風19号肥料を大増量されて3年以上も繁茂しまくっては枯れと繰り返した雑草特に葛が居たのである。悪条件が重なりすぎなのだ

 

ついでに周辺トリビア

ついでなので戸田橋周辺のトリビア開陳するよ

 

戸田ボート

戸田市側の堤防の向こうには戸田ボート場があるが、これは東京五輪用に作られたものだ。

だがこの五輪は2020大会でもなけりゃ戦後1964年大会でもない、幻となった戦前1940年大会用に作ったものである日中戦争激化でキャンセルされた幻の五輪に向けてこれだけ大きなボート場を作ったのだ。でも当時は埼京線は無いし交通はどうするつもりだったのか?都電戸田橋の南詰まで走ってたがこれは戦後開通だし。

因みに1964年大会ボート場としてちゃん活用された。

今は西側1/3をギャンブル競艇東側の残りの水面を大学実業団漕艇部が使うという形になっていて、それらの艇庫がズラリと並ぶ。

 

川口花火

飛び地問題を早々に解決した川口市の方は荒川での花火大会は無かった(最近出来た)。

だが戸田板橋花火大会が羨ましくなった川口市はたたら祭りという祭りを開催。その〆に花火打ち上げている。

これは川口オートレース場で行われるが、狭いところで打ち上げるので尺玉などは無くて、数も3500発位と、スペックだけ見たらしょぼく見える。

だがオートレース場は観客席と防音壁で囲まれており(数年前までマフラー無しの直管だった)、そこで打ち上げるので音が反響してもの凄い迫力である。また打ち上げ場所が近いので灰や花火の殻がバラバラと沢山降ってきてかなりワイルドなんである

これは高級スポーツカーよりレーシングカートの方が楽しいとかジャンボジェットよりもセスナブリテンノーマン アイランダーの方が体感的というのに似ている。

スペックだけでは判らない、結構穴場な花火大会なのだ

 

タワマン物流センタースーパー堤防

先のgooglemapsの航空写真では船渡地区のU字の丸い底の方に工場群が写っているのが見える。

これは新日鉄工場で、新河岸川は舟運が出来るので戦後すぐに出来たものだが(貨車トラックに乗らない長物が運搬できる)、実は今は解体されて無くなっている。

都内最大の超巨大物流センターになる予定で、ドローン配達基地にもなるそうだ。

ただ、ここは実はスーパー堤防予定地である。また、対岸側の川口市の方にはやはりスーパー堤防予定地にタワマンが数棟建っている。

いいの?と思うがスーパー堤防の整備年数は400年、タワマン工場耐用年数は60年で、修繕しても120年くらいだから建てちゃっていいそうなのだが、スーパー堤防の壮大さというよりも大言壮語さに驚いてしまう。

 

埼京線

花火会場の直ぐ近くを東北新幹線埼京線が鉄橋で渡っており、埼京線打ち上げ中は徐行して渡る。新幹線普通に走っているので乗客へのサービスと思われる。

 

全有料席化は不評

韓国の雑踏事故コロナのせいで有料席だけとして無料の人は出ていけとしている大会が増えていて今いたばし&戸田橋もそうだが、これだと市街地の道に人が溢れ、トイレゴミ箱の設置が無いからその始末を住民がする事になって運営無責任だ、見えなくしただけだという感じで結構ヘイトを買っている。このやり方はまずいんじゃないのか?

2023-08-01

神仏ジャンケンの話

 暮らしているアパートの裏に神社がある。

 神社は割と人通りの多い小道に面しているため、静謐、といった雰囲気はないが、左右に砂利が敷かれた短い参道を抜けて、背の高い木々に囲まれた昼でも暗い拝殿の前に来ると、「ほぼ現世、少しだけ異界」ぐらいの空気はある。

 境内に一本、御神木なのか、ひときわ大きい樹が立っている。木には人の胸ぐらいの高さに縄が巻かれていて、汚れ一つない純白の紙がそこから垂れている。

 夏になると、境内の地中から蝉が出てきて、この木に登る。羽化するために現れて木を登っていく。

 蝉、しめ縄をよじ登って越えていくか、反対に縄の下であきらめて羽化すればいいのに、わざわざ縄に下げられた白い紙を羽化ポイントに定めるやつが何匹かいる。真っ白な紙の上に点々と、透明で茶色い抜け殻が残る。

 しめ縄というのは、どっしりとした円柱の大木に風雪で少しささくれた縄が巻かれ、そこから新しくぱりっとした純白の紙が垂れている、そういう宗教的かつ美的意匠なんだと思うが、まあ蝉には関係ないもんな、と思う。蝉にとっては、ちょうどいい高さにあるちょうどいい場所しかない。

 神社を出て100mほど、道なりにいって曲がると、今度はだいぶ由緒あるらしい寺が建っている。高名な僧が数百年前に開いた名刹らしい。

 俺が住んでいるのはある有名な地方都市で、住民も多いし、観光客大勢行き来している。しかし、この寺のお堂へと向かう広葉樹と苔だけの道を1分ほど歩いて境内に入ると、まったく何の音も気配もしなくなる。聴こえるのは、それこそ蝉の声ぐらいだ。

 俺はときどき、お堂の廊下に座って、物を考えないで風景を見る。廊下南側北側があって、南だと境内に植えられた木、北だと目の前にそびえる岩壁を清水が伝うのが見えて、両方飽きない。

 この前、南側に座っていたときのこと、でかい羽音を立てて蜂が一匹飛んできた。

 虫が好きな人間の固有スキルの一つに、蜂が刺すやつか刺さないやつか瞬時に判断できる、というものがある。そのときも、クマバチ=刺さない、とすぐにわかったので、むしろ観察するぐらいのつもりで様子を見ていた。

 蜂はぶんぶん言いながら、お堂の庇に近づいていった。

 お堂の庇は木を組んだ複雑なアミアミになっている。蜂は庇のどこかの一点が気になるらしく、決まった範囲ホバリングしていたが、急にふっといなくなってしまった。

 「?」と思ったが、少し観察を続けてみて、さらに驚いた。

 庇に直径1cm強ぐらいの穴が空いている。ある種の蜂は木に穴を開けてそこに住むが、どうも、クマバチが巣を作るためにお堂に穴を開けてしまったらしいのである

 美しい建築も、あるいは宗教的に洗練された意匠も、生き物としてあるがままにやっている存在には太刀打ちできない。物体であることの限界というか、この場合、お堂<蜂、もしくはご神木<蝉、そういう力関係と言える。

 風情的には少しあれかもしれないが、寺社建築をよく見ると火災報知器がついていることがある。安全面もそうだが、文化的にも重要ものから、火には注意しているのだろう(法律的必須なのかは知らない)。

 同じことが蜂に穴を開けられた場合にも言えるはずで、歴史ある建物としては損なわれない方がいいに決まっている。

 俺は寺務所に言いに行こうかと思ったが、少し考えてよした。

 主な理由は「お堂に蜂が穴を開けてますよ」というところから会話を始めるのが我ながら気色悪く、億劫だったからだが、もう一つ挙げると、そもそも仏教的に、「かたちあるものが虫によって損なわれようとそれがなんだろうか」というノリなのでは、とも思ったためである

 皮相な理解だが、一切皆空の世界だし、悉有仏性世界である(と聞く。宗派的に色々あるのかもしれないけど)。

 人がつくったお堂に蜂が穴を開けようが、それでお堂が朽ちようが、お堂につくった巣で蜂が栄え、その蜂もいつか滅びようが、すべてが等価というか、はじめからそういう、かたちを結んで消えていくのを織り込んでいる世界観が仏教なんだっけ、と思った。

 それで考えると、神道もいわゆる「八百万」の世界観であって、序列はあるのかもしれないが、蝉にも蝉の神…というか、「土中で数年暮らしたあと地上に出てきて飛んだり鳴いたり(オスだけ)したあとあっけなく死ぬ」神性? みたいなものがあるのかもしれない。

 どういう神性だよ、という気もするが、ヨモツラサカに生えた桃の木とか岩とかを神と見なすのから、蝉の神がいてもおかしくはない(おかしくはないのだけど、実際のところ、虫の神を日本神話で見た覚えはなくて気になっている。アゲハの幼虫を信仰していた宗教が大昔にあったみたいだけど)。

 そういう意味では、自然界の営みによってシンボル物質的に損なわれたり、上手く機能しなくなったりしても、一部の宗教システムとしてあらかじめ、そういう破壊や変質をうまく組み入れているのかもしれない。これは生命よりも宗教の法理の方が、包括的という意味で上位ということで、生命<法理であると言える。

 で、最後にどこに着地するかというと、信仰もただの理念言葉ロジックだけでは生き延びたり広がったりしていくのは相当難しい、やっぱりモノ・カタチにする必要がありますな、というところに着地する。

 心を寄せるためのシンボルや、目で見て手で触れられるオブジェクトがあった方がいいし、大衆の政として考えても、建築やでっけえ像とかがあった方が広めやすい。

 仏像でもピラミッドでも教会でも、最低限、紙の聖典でも、とにかく、教えとして生き残り広まっていくためにはブツ必要だ。水を汲んで運むのに器がいるように、信仰にはどうしても、ブツが要る。その点では信仰<モノである

 ただ、モノはいずれ、壊れるか変形するかするわけで、俺なんかはもう、「物質を伴わなければ存立・拡大できない宗教は、戦略として物質化を伴うがゆえに、滅んだり変化することも許容し、あきらめることをどこかに織り込まないと理屈破綻してしま宿命でもあり、拡大と必滅の板挟み」なのでは? とさえ思う。まあ考えすぎかもしれない。

 いずれにしても、これでお堂<蜂<信仰<お堂の三すくみが完成した。ありがたいことである

 正しいかは知らない。

 何年か前に泊まった旅館山寺のふもとにあって、せっかくだから登っていったら、と宿の人に言われ、お遍路でつくような杖をわたされた。

 要らねえけどなあ、と思って登り始めたら、山道というレベルを超えて文字通りのマジ崖であり、むしろ杖あっても登れねえよ、と思ったが、どうも引っ込みがつかなくなり、気合いで登り続けた。

 道がどんどん狭くなって、「落ちたら普通に死ぬなこれ」と思っていると、やがて、ほとんど空中にかかったような、ひと回りするのに10秒かからないほど小さいお堂にたどりついた。

 当たり前だが、誰もいなかった。辺りは静寂に支配されていて、青い空が近くて、山の中が一望できた。

 厳密に言うと誰もいなかったわけではなく、小さめのスイカぐらいあるスズメバチの巣が完全に完成してお堂の庇からぶら下がっており、スズメバチが「竣工式でーす」と言って飛び回っていた。

 俺はふもとに降りてから、「蜂です」と宿の人に言った。さすがにスズメバチは言う。

 ただ、蜂には当然、あれがお堂かどうかは関係のない話である。また、お堂サイドも、まあ仏教の法理に人格のようなものがあるとして、「こういう世界からしょーがねえな」と言って苦笑する感じというか、空の近くにある静かな山中のちんまりした古刹で蜂が生命を躍動させているのに、なんかすげえ調和しか言いようのないものを感じたのを覚えているので、書いておく。🦑

2023-07-18

親友の思い出

 小学校4年生まで、とある市の最南端に住んでいた。

 当時住んでいた家は北側道路の家で、南側には子どもが遊ぶには申し分ない広さの公園があったのだけど、その公園は完全に別市の管轄だったから、本当の本当に最南端にある家だったんだと思う。今はもう取り壊されて無くなっちゃったけれど。

 

 わたしには、公園を挟んで向かいアパートに住んでいる同じ歳の友達がいて、小さい頃からよく遊んでた。

 わたしの家からダッシュで1分もかからない距離アパートなのに、彼女わたしと住んでいる市が違って、同じ小学校には通えなかったんだけどね。でも、一番仲の良い同級生だったから、学校が終わってからは各々家にランドセルを置いて、公園に集合して暗くなるまで一緒に過ごした。

 お互いの家を行き来してDS通信することもあったし、少し歩いたところにある本屋さんでファンシー文房具を見たり、駄菓子屋に行ったりもしてた。狂ったように2人で手を繋ぎながら一輪車で回り続けたりとか。身体測定の結果を見せ合って、やばいダイエットしなきゃ!と公園をずっと走ったこともあった。

 学校が違うからこそのメリットもあって、相手の素性を知らないからこそ、恋バナを包み隠さずにできたりもしたな。あとは、わたし小学校にはない図書室の本を貸してもらったりとか。本当はよくないんだろうけど、ちゃんと返却期日までに読んで彼女には返していたから、たぶん大丈夫

 

 本当に仲の良い友達だった。自分の通う小学校にも友達はもちろんいたけれど、彼女だけは別格だった。今思えば、彼女わたしにとって親友だったんだろうね。

 

 でも小学校5年生になるタイミングで、わたしは家庭の事情引越しをすることになった。同じ県内ではあるんだけど、それなりに離れたところ。小学生電車を乗り継いで遊ぶには、少し難しいくらいの。

 彼女と別れるのは寂しかったし、引越し直前には2人してワアワア泣いてた。当時の連絡手段って手紙しかなかったから「プロフ帳に書いてくれてた住所に手紙送るねぇぇ」とか言いながら、本当にずっと泣いてた。

 

 そうして、引越しをしてからは、文通が続いた。

 小学生手紙なんて、本当にしょーもない学校の話に、しょーもないイラストを添えただけなんだけど「会いたいね」とは、お互い、いつも文末に書いていた。とはいえ、気軽に会える距離ではなかったから、現実的ではなかったんだけど。

 そうこうしているうちに中学生になり、わたし剣道部に、彼女バスケ部に入部して、土日も練習試合で忙しい日々を送るようになった。お互い休みの少ない運動部に入部してしまったばかりに、行動範囲は広がったというのに、会う時間を作ることができなかった。

 そのまま徐々に文通の頻度は減り、受験生の本番である中学3年生の夏頃、「受験やだねー、志望校どうしよー」「とりま勉強がんばろーね!」というような、何気ないやり取りを最後に、ぱたりと彼女との連絡は途絶えてしまった。

 

 それ以降、彼女とは一切連絡を取っておらず、どこで、何をしているのか、何も分からない。

 

 わたし社会人になった。高校大学ストレート卒業し、就職をしてから今年で2年目となる。

 文通をしなくなってから彼女ことなど思い出すことなく過ごしてきた。しか最近不思議な縁があり、なんと彼女が住んでいた市に赴くことになったのだ。

 用事があったのは彼女の家から少し離れたところだったけど、車を走らせたら大した距離ではない。まだ住んでいるだろうか。きっと住んではいないだろうな。とはいえ、懐かしい景色見たさもあって、わたしGoogleに例の公園までの経路を表示させて向かった。

 

 辿り着いてみると、そこには思い出深い公園けがあった。彼女が住んでいたアパートは、形こそかろうじて残っているが、どうやら今はアパートとしての機能を無くしているようだった。

 というのも、かつて彼女が住んでいたアパートは、今現在コミュニティスペース・ワークスペース、またはカフェなるものとして提供されているらしいのだ。流行りのリノベーションを受けたアパートは、築年数を感じさせつつもおしゃれな建物となっていて、地域の人たちがつながる場として賑わっている。そのとき子連れのお母さま方が楽しそうに過ごしていた。

 

 彼女はどこに行ったんだろう。

 真っ先にそう思った。アパートアパートでなくなったことなど、わたしは知りもしなかった。一体いつから?順当に考えれば、彼女も、彼女のご家族も、引越したんだろうとは思うが。

 唯一わたしに残されていた彼女の手がかりが、今や地域活性化の拠点となっていたことで、わたしはもう二度と彼女には会えないのだと再認識せざるを得なかった。彼女の今を知る術は、本当にもう何もない。

 

 またいつか、生活を続ける中で、わたしはふと思い出すのだろうなと思う。

 小学生の頃に、近所にすごく仲良くしていた親友いたこと。その親友とは引越しと同時に疎遠になり、今はもう連絡の取りようがないこと。

 そうして、きっと考える。菜々子、今どこで、何してるんだろうって。

2023-06-29

北海道注文住宅新築一戸建てを購入したら井戸から女が出てきて揉

anond:20230628085623

これに便乗しているわけではないが、北海道注文住宅新築一戸建てを購入したら井戸から女が出てきて揉めている。誰か助けてくれ。

【経緯】

2022年12月に某Mの仲介土地を購入する。条件は更地渡しだった。また、保証は3か月と言われた。

このとき、何も思っていなかったが北海道12月である3月まで積雪土地なんて確認できなかった。

2月に着工開始、雪で足もとが悪い中、地鎮祭を執り行う。このときなんか変な女の叫びが今思うと聞こえていた。

4月現場確認する。すると家の北側西側に土が残っており、綺麗に更地にしてくれと工務店に伝えるも、仲介業者が難しいという旨を残す。以後、ことあるごとに何度も言ったが応じてくれなかった。

6月新築を引き渡される。庭に残った残土を処分しようと一生懸命掘っていたら、庭から何かが出てくる。

工務店に連絡し、この何かを持って行って欲しいとお願いしたところ、撤去業者が来て井戸であることが確認される。

さらに翌日、井戸から白い着物を着た女が這い出てくる←イマココ

個人の感想

井戸があるなんて聞いてなかった。当然、事前に告知もされていない。

・残土を持って行ってくれなかったのは、あわよくば井戸隠蔽しようとしていたのではないかと勘繰っている。

・前の住人が知らなかったと言っても、知ってて言わなかったのではないかと勘繰ってしまう。

井戸があるとわかっていたら、土地を購入していなかった。正直、不気味。

土地調査をしっかりとしていなかったということではないのかと不安

・この井戸のせいで物置が置けず、家の中も片付かない。困っている。

・女は意外と好み

  

【聞きたいこと】

・これは契約不適合責任瑕疵担保責任)ではないのか。

・もし、契約不適合責任だった場合、どうすれば良いのか。

・正直、仲介会社Mの対応は良くなかったので、徹底的にやりたいが、できることなら穏便に済ませたい。

・女と仲良くなるにはどうしたらいいか。まだ口をきいてくれない。

やっぱり弁護士を立てるしかないのだろうか。

誰か法律とか建築に詳しい人、教えてくれ。

2023-06-28

北海道注文住宅新築一戸建てを購入したら庭から井戸が出てきて揉

  

これに便乗しているわけではないが、北海道注文住宅新築一戸建てを購入したら庭から井戸が出てきて揉めている。誰か助けてくれ。

  

【経緯】

2022年12月に某Mの仲介土地を購入する。条件は更地渡しだった。また、保証は3か月と言われた。

このとき、何も思っていなかったが北海道12月である3月まで積雪土地なんて確認できなかった。

   

2月に着工開始、雪で足もとが悪い中、地鎮祭を執り行う。

4月現場確認する。すると家の北側西側に土が残っており、綺麗に更地にしてくれと工務店に伝えるも、仲介業者が難しいという旨を残す。以後、ことあるごとに何度も言ったが応じてくれなかった。

   

6月新築を引き渡される。庭に残った残土を処分しようと一生懸命掘っていたら、庭から何かが出てくる。

工務店に連絡し、この何かを持って行って欲しいとお願いしたところ、撤去業者が来て井戸であることが確認される。←イマココ

  

個人の感想

井戸があるなんて聞いてなかった。当然、事前に告知もされていない。

・残土を持って行ってくれなかったのは、あわよくば井戸隠蔽しようとしていたのではないかと勘繰っている。

・前の住人が知らなかったと言っても、知ってて言わなかったのではないかと勘繰ってしまう。

井戸があるとわかっていたら、土地を購入していなかった。正直、不気味。

土地調査をしっかりとしていなかったということではないのかと不安

・この井戸のせいで物置が置けず、家の中も片付かない。困っている。

  

【聞きたいこと】

・これは契約不適合責任瑕疵担保責任)ではないのか。

・もし、契約不適合責任だった場合、どうすれば良いのか。

・正直、仲介会社Mの対応は良くなかったので、徹底的にやりたいが、できることなら穏便に済ませたい。

  

やっぱり弁護士を立てるしかないのだろうか。

誰か法律とか建築に詳しい人、教えてくれ。

2023-06-27

anond:20230627222204

その上、北側の窓は雨戸を絞めっぱなしにしてる。

都市部に住んでると遠隔のぞきとか強盗空き巣とか夜中のうるさいトラック通行とかあって、窓はマジでいらん。

保育園問題になるのも窓あけたい人と保育園が近いからだとおもう。

光合成したけりゃ家のなかなんかにおらずに出かけなさいな。

昔の農家なんてマジで軒をのばした真っ暗さむざむしいおうちばっかだよ。

2023-06-26

anond:20230625175010

国立三鷹が似てるって言うけど、わりと個性があるんじゃないかな。生まれ育った身近な環境からこそ見えないものがあるのかな。まあ確かに武蔵小金井/東小金井/武蔵境は駅名も駅付近雰囲気も似てるかもしれん。駅名はともかく、雰囲気が似てしまうのはディベロッパービジョンの無さが悪いと思うわ。

国立一橋大のある学園都市で、かつ多摩地区屈指の高級住宅街でもある。ただ、線路沿いを歩くとわからいかもしれない。線路から少し離れると豪邸がたくさんあって高級車が並んでる。

国立駅前には大正時代に建てられた貴重な木造駅舎が修復されて復元されている。市の予算でやったらしい。誰でも無料で入ることができて、人々が休んだり待ち合わせしたりしてる。原宿駅復元しないのかな。渋谷区民はどう思ってるんだう。

国立から西国分寺駅方面に向かう線路沿いにも、沖本亭という昭和初期に建てられた屋敷現存している。最近カフェとして営業しているので、建築に興味がある人はぜひ行くといいと思う。

久保田早紀さんの異邦人という歌は国立駅前の光景を歌っている。増田は全く世代ではないけど、今聴いても色褪せない不思議な歌だと思う。あそこでうたわれてるような憩いの光景がずっと残るといいなと思う。

国立駅の北側南側みたいにデザインされた街ではないけど、鉄道総研があって、新幹線ひかりが開発された街として有名。それにちなんで街の名前光町に変えたらしい。0系後継の試作として作られた951形が展示されてる。あとその近所にラーショがあるんだけど、ラーショの中では一番美味いと個人的には思う。

国立駅と西国分寺駅の間には、武蔵野線支線の出入り口がある。運がいいと貨物列車が地下に潜っていくところを見ることができる。鉄道輸送の意外な要所。貨物列車には一般人は乗れないが、国立からむさしの号というやつに乗ればこの地下には潜ることができる。ちなみに増田甲種輸送?だか配給輸送?だかのスーパービュー踊り子が地下からグワッと出てくるところに偶然出くわして、めちゃくちゃ興奮した。撮り鉄はなんであそこ狙わないのかな。国立駅で駅員に叱られてるのを見るたびに不思議に思ってる。

西国分寺駅ちょっと面白い構造をしている。国分寺周辺はハケと呼ばれる丘陵地帯になってるんだけど、中央線はそこを東西に掘削して開通している。丘陵の上を南北に走る武蔵野線がここで中央線を跨いで直交する。西国分寺の駅舎は丘陵の上(武蔵野線の高さ)にあるため、中央線では珍しいホームが改札より低い位置にある駅ということになる。

西国分寺駅国分寺駅の間は野川という川が流れていて、そこだけ丘陵を削るようにグッと低くなっている。水源は線路北側日立敷地内にあるらしい。川を下って調布の方まで行くとオイカワや夜はナマズなんかが釣れるとのこと。

西国分寺からすぐのところには、都内に2つしかない都立図書館の片方がある。ここではあらゆる雑誌が読める。地方ではとても望めない圧倒的な贅沢。それと、ちょっと南側の方に行くと多摩総合医センターというクソデカ総合病院がある。こういうのがある地域ってのはほんとに恵まれてる。

それと、武蔵国分寺跡という史跡がある。付近公園になってて、小春日和や秋晴れの日にこの辺りを歩くとなんとも言えない良い気分になる。歴史の趣というか諸行無常感みたいなものを感じるし、それに対して昔から変わらないであろう草木臭いとか小川の音がいいんだろうな。色んな想像が広がるし、逆に頭の中空っぽにもなる。

国分寺駅周辺は古き良き中央線の猥雑な雰囲気が(なんとか)今でも残っている。村上春樹若い頃にジャズ喫茶をやってたこともあってか、今でもジャズ喫茶だったり中古レコード屋だったりがちょっとだけある。こういう街の空気感はこれからも失われないでほしいけど、難しいだろうな。

国分寺市の際立った特徴として、大学進学率が90%を超えているらしい。全国平均は50%とかで頭打ちしてるはずだから、凄い外れ値だ。たしか早稲田実業とかあるけど、なにがそんなに国分寺勉強熱心な土地柄にしてるのか不思議

武蔵小金井/東小金井/武蔵境は似てると書いたけど、そういえば武蔵小金井にはラーメン街道というのがある。その名の通りラーメン屋がたくさん軒を並べてるんだけど、正直おすすめの店は特にない。あと、ラーメン街道ではないけど、大勝軒の新しい一番新しい分派武蔵小金井大勝軒というのができていたりする。

そんなラーメンが盛んな武蔵小金井に対して、東小金井武蔵境油そば屋が多い。油そば発祥の店の珍々亭が武蔵境にあって、そこから広まったらしい。ただ、油そば発祥の店には別説があって、それは国立にある三幸という店なんだけど、国立油そば専門店は全く無い。この違いはなんだろうな。この三幸の油そばはかなり美味いのでおすすめ

つらつらと書いてきたけど疲れたな。三鷹以東とか、高尾立川とか、青梅線沿線とか、まだまだ色々あるけどもう終わりにするか。明日仕事だしな。

最後ひとつだけ、東京農工大馬術部が売ってる馬のLINEスタンプおすすめから馬好きな多摩地区民は買おう。中央線から見えるあの馬たちだ。

2023-06-24

anond:20230623232159

一時期、生駒駅徒歩北側10分ぐらいのところに住んでいた事あるけど、確かに便利は便利かも?のどかでもある。

近鉄百貨店生駒店がある間はちょっとしたもの買うだけならそこで済むし、選択肢広げたいなら大阪に出て買い物すりゃいいし。

家賃相場もそんなに高くはない印象。平らな土地が少ないのと、地元産業が何かあるわけじゃないって所で人の集まりが悪いのかな。そう考えるとリモートには向いてるかも。

それにしてもフルリモート羨ましい。

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