「健康診断」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 健康診断とは

2018-01-22

背骨が曲がってた

この前健康診断レントゲンを撮ったら背骨が曲がってた。

心臓の辺りが左に曲がっていた)

思い返すと、証明写真を撮ると、いつも頭が傾いていた気がする。

それ以来、正しい姿勢を心がけようとしているのだが、一体どの姿勢が正しいのかよく分からない。

姿勢が悪いと第一位印象も良くないし、直したいんだがどうすればいいだろう。

2018-01-18

唐揚げが食べたい

安っぽい冷凍でもスーパー惣菜でも,嫁さんの手作りのでも.

なんでも良いんだ.唐揚げと安い酎ハイ発泡酒.そういう組合せが欲しいんだ.

肉もブラジル産だろうがなんだろうが構わない.とにかく私に唐揚げを.

健康診断が控えているが,そんなことよりも唐揚げが食べたい.

とにかく唐揚げが食べたい.

唐揚げが食べたい.

2018-01-12

自分のすごいところ

娘と、就寝時にゲームをする。

布団の中でできる遊び。

なぞなぞしりとり、あっち向いてホイ。

昨夜は娘の提案

自分のすごいところを言うゲーム

をしたんだけど、

まぁビックリするほど「自分ダメなところ」しか思い浮かばなかったわ。

娘は「けん玉が上手」「絵が上手い」

匂いの嗅ぎ分けができる」とどんどんでてくる。

私は 料理もヘタ、家事もできてないし。

毎日花に水やりしてるけど、枯れてるし。

仕事はしんどくて辞めたとこだし。

産後太りすぎて健康診断ひっかかったし。

ってちょっと凹んだわ。

次に「すごいところゲーム」するときには

いくつか言えるようにしとこう…!

2018-01-10

anond:20180110152403

以前プロテイン信仰に嵌ってた頃、会社健康診断要検査になったので、日頃運動してない人間にとってはプロテインやばいなと思った

2018-01-09

野菜を食べる生活してる

健康診断の結果がものすごいひどかったのでベジタリアンかってぐらい肉を断つ生活出汁は取ってる)をしているけど、たまに断れない飲み会なんかで唐揚げを食べると1週間ぐらい唐揚げの味を忘れられなくなる。

から揚げ粉を買ってきて、豆腐にまぶして上げる豆腐唐揚げを作るものの、肉のジューシーさとの大幅な違いからもう肉を食べてしまいたくなる。

ベジタリアンがなんで肉を食わないのかわかった気がする。肉を食ってしまえば、どうしても頭から肉が離れない。

肉が食べたい

肉が

 

そんな時に出会ったのがストロングゼロ

これを飲むとどうでもよくなってくる。

肉はストロングゼロには勝てない。

いや、ストロングゼロの前では肉は野菜に等しい、ストロングゼロの前では何もかも無なのだ

俺はストロングゼロで動く。ストロングゼロを飲むために野菜を取る。

ストロングゼロ大根おろしを入れる。

これが野菜なのだストロングゼロ野菜だ。

2018-01-04

うつ病とうまくやっていく、たったひとつの冴えたやり方。

ハサミの使い方を忘れました。

■ちゃんとハサミを使えたボクの話。

それまでのボクは、ケータイサイトを作るベンチャー会社でちゃんと働いていました。

その会社社長とボクとボクの友達で作った小さな会社

2000年誕生し、2007年には株式上場最初は4人だった社員も今では150人強に。そんな中でちゃんとした給料をもらい、取締役という役職ももらい、ちゃんと仕事をしていました。

かに、朝9時30分に出勤し家に帰るのは午前1時とか2時とかだったり、土日も出勤してたりもしましたが、「ベンチャー企業なんてそんなもんだよね。」と人からも言われ自分にもそう言い聞かせて働いてました。普通に

逆にそんな風に頑張っている自分が誇りだったし、「最近寝る暇も無い位忙しい」ってことが自分にとっては「美談」でした。

気づいていただけましたか??すべて過去形です。

そうボクがちゃんと普通に「ハサミ」を使えてた頃の話。

ここで一度考えてみてください。

あなたの「ちゃんと」って、本当にちゃんとしてますか?

あなたの「普通」って、本当に普通ですか?

■ハサミの使い方を忘れました。

意外と自分自身の事って自分ではわかりません。

「ボクってカッコいいのかなぁ?」とか「ワタシってかわいいのかなぁ?」ってのは、「誰か」と自分を見比べて、鏡の前で悩めばわかるかもしれません。

自分って健康なのかな?」ってのは、健康診断を受ければ解決します。

ただ、「もしかして、ボクって精神的におかしくなってきたのかも?」っていうのは案外自分では気づかないものかもしれません。

幸いにも(?)ボクには兆候がありました。

ある日突然「ハサミの使い方」を忘れたんです。

ハサミを見て「あ、これはハサミだ。」ってことはわかるんです。でも「何に使うものなのか?」ってことが分からないんです・・・

「何かの道具」だって事は覚えてるんです・・・

でも、「何のための道具なのか?」って事が思い出せないんです。

他にも「会社資料を作っているときに誤字脱字が増えてきた」「会社会議などスケジュールを覚えていなかった」「机の上に置いてあるお茶が、いつ注いだものかわからなかった」など、いろんな兆候がありました。

でも、なにより会社に行きたくなかった。社長に会いたくもなかった。

部下にも会いたくなかった。

この時期、会社でボクの身に何があったのかというと上司取締役が変わったことくらい・・・

その方は他社から転職してきた方で、もともとは凄くボクとも仲良くしてくれていました。

冗談を言いあったり、喫煙室で長い時間話をしたり・・・

ところが、直属の仲間になった途端そんな関係は造り物だったことに気付きます

喫煙室で顔を合わせると、不機嫌な顔をされ一言も口を聞くことはありませんでした。仕事相談すると「今忙しい。それくらい自分で考えろ。」と一蹴され、取引先に向かう電車の中で「あんたってこの会社に8 年間もいて今までどんな実績上げてきたの?何も無いんじゃない?あったら私の耳にも入ってくるけど。本当は社長あなたの事なんて要らないと思ってるんじゃない?」なんて事も言われました。

さすがにきつかったので他部署のAさんBさんに相談しました。

なんとなくですが、「社長が僕自身を鍛え上げるために、この取締役にそう言ってあるのかな?」なんてポジティブに思ってた事もあって。

今までの同僚としての距離感ではなく、取締役としての距離感で接してくれているから、こんな冷たい態度なのかな?って思ったか・・・

その数日後。その人に会議室に呼び出されました。

あなた、AさんとBさんに何か相談したらしいじゃない?」

その一言で目の前が真っ暗になりました。

信じていたAさんBさんもボクの味方では無かったんだ・・・

その真っ暗な目の前を真っ白にしてくれる一言がやってきます

「そんな事くらいで他人相談するし、仕事もできないし、あんたなんて生きてる価値ないんじゃない?」

『ボクはこの会社必要とされてない役立たずなんだ。』

『もうこの会社に居たくない。』

そんな気持ちがボクの心のすべてを満たしていきました。

家族にも相談し、近所の心療内科のドアを叩きました。

でもそれは、自分兆候(症状)を相談解決してもらう為じゃなく、会社に行かなくてよくなるように「診断書」を書いてもらうためでした。

そう。ハサミの使い方を忘れてしまったボクは、もう一度ハサミを使えるなるようになることよりも、いまの現状(会社から逃げ出したかったんです。

もう一度ハサミを使えるようになりたいなんて気持ちはこれっぽっちもありませんでした。

■ハサミの使い方を思い出した今のボク。

最初に今のボクの生活をご報告します。

1年2ヶ月という長い休職期間を経て、この度元の会社復職いたしました。

精神的にも安定しています。まだまだ薬は飲み続けています・・・

でも、逆に薬さえ飲んでいれば普通に生活できるわけで、何てことはありません。

今だから思うこと・・・

うつ病になる前の自分生活には、絶対戻りたくないと思っています

あんなに仕事人間だったボクが、会社と上手く距離をおいて物事を考えています

趣味カメラを持って出歩いたりしています

今でも人混みは苦手です。

でも、そんな所に行かなくても生きていけるので不自由はありません。

そう。

今までのボクは会社100%依存していたんです。

特に趣味もなく、会社評価されること・会社仕事をこなすことだけが、ボクの生きがいであり、ボクの存在必要としてくれる居場所だったんです。

そりゃぁ、その会社からあんたなんて必要ない。」って言われれば、自分の居場所が無くなるんだからうつ病にもなりますよ。

今のボクは、趣味であったり、美味しい食事であったり、大好きな自然だったり、友達だったり、ブログだったり、いろんなところに居場所があります

から会社で辛いことがあろうが平気です。

逆に今の会社で無くてもいいやってくらいに思ってます

不思議と楽なんです。会社以外に帰れる居場所があるから

ライフワークって言葉があります

今までのボクは仕事ライフワークにしていました。

今のボクは仕事会社を「ライスワーク」と考えています

御飯食べるための仕事。要するに飯の種って事です。

それくらいに割り切ったお付き合いを会社人間関係に置いてみると、多少嫌なことも我慢できるのかもしれません。上司にガミガミ言われても、新しいカメラレンズを買うためなら・・・って。

では、ボクがここまで変わることが出来た経緯をご紹介します。

休職できた。

休職」ってボクの中では重病(骨折とか入院とか)の方しかできないと思っていました。

よく勘違いする人が多いのですが「うつ病心の風邪」って言う人がいます

うちの会社の総務の人も「うつ病心の風邪からちょっと休めば治りますよ。」なんて、気休めを言ってくれました。

ボク自身がまずは「うつ病は脳の病気」だと意識を変えました。

しかも外傷も見当たらない「脳の重病」だと。

だって、食欲もない・眠れない・何もする気が起きない・・・これって心(気持ち)でどうにかなるものでしょうか?

「心」なんて自分の体のどの臓器かもわからないのに、「心の病気」とか「心の風邪」って言われることが本当に怖かったんです。

だって自分じゃ治しようも無いわけですから

心療内科先生カウンセリング先生からうつ病は脳の病気です。」って聞いて、本当に安心しました。自分おかしなっちゃったのは「心(気持ち)」がおかしくなったんじゃなくて、脳がちょっと壊れちゃったんだなと。

しかも、ちゃんと薬があるのであれば、怖くもなんともない。何となく「心の病気」って言われると、自分自身おかしくなったように思っちゃって怖かったんです。もう元に戻らないような気がして。

ボクは胸をはって休職することにしました。

当然の権利だと思いました。会社ストレスで脳に病気を持ったわけですから。だから休職することに何の抵抗もありませんし、恥ずかしくもありませんでした。

最初診断書で「3ヶ月の休職期間を必要とする。」と記載してあったので、会社からは3ヶ月の休職期間をいただきました。

3ヶ月で治るんだと思っていましたが、治りませんでした。

そして、会社休職期間の限度である「6ヶ月間」に休職期間を延長してもらいました。

多分、6ヶ月で治りますうつ病になる前の仕事人間自分には。

ちょうど休職期間が終わる6ヶ月後の頃、会社面談を行ないました。

その時の総務の方の対応に疑問を覚えました。

毎回「調子はどうですか?」と聞かれ、ボクは「たまに、メマイとかします。人の多いところとかだと。」と答えます事実、今でもそうですが・・・

それを「明確な復帰の意思、どこに復帰したいか意思表示がありません。」と言うふうに社長や他の取締役に報告していたようなのです。

人混みでメマイやパニック障害を起こしている状況で「はい!もう大丈夫です!元の取締役として働かせてください!」なんて言える人はいないと思います

そして、そもそも根本的な疑問を持ったんです。

「あれ?ボクはなんでうつ病になったんだろう・・・。」って。

この時、自分の持っているすべての感情会社にぶつけました。

だって会社うつ病にさせられた」と思ったから。

もう、休職期間も終り自然退職自己退社)になるんだから、言いたいことは全部言ってやれ!って気持ちでした。

休職期間に入るとき社長から伝言で「休職は認めるけど、戻ってきたら取締役解任ね。」って言葉を頂戴してました。

それ以外他にも例の人から言われたことの全てを総務の人に報告し、「パワハラではないか?」と詰め寄りました。

そもそも、総務の人は現場で何が起こっているのかを知りません。

レベルで「こんな事いわれたらしい。」と言うことは聞いていても、他の取締役本人の口から伝えなきゃわかってくれません。

から言いました。

スッキリしました。

本当に。

今までのストレスを全部吐き出したんです。

今思えば、抗うつ剤副作用だったのかもしれません。

抗うつ剤の服用者が暴れたり言動が荒くなったりってニュースを見たことがありました。

今思えば、この頃のボクはそんな状態だったのかもしれません。

でも、今のボクは当時のボクを責めたりはしません。

自己嫌悪もしていません。

薬の力を借りていたとしても、自分の気持を汚い言葉罵声であれ会社に伝えられた自分を褒めてあげたいと思っています

だって、それだけストレス溜まってたんですもん。たまったストレスを吐き出させてくださいよ・・・

今までいっぱい我慢してきたんだから

今思えば、休職してすぐにストレート会社気持ちをぶつければよかったなぁとも思います。でも、そんな気力も余裕もなかったんですよ。

自分の気持を整理して、相手の言うことを理解し、自分の気持と照らし合わせ、思いを伝える気力と余裕を持つまでに半年掛かったってことです。

その半年間のことは正直よく覚えていません。

ひたすら寝て、きちんと薬を飲み、食べられるものを食べる。

人間として何とか生きている感じ。

でもきっと、気力を貯めこむ期間として必要半年間だったんだと思います

おかげで気持ち会社へ伝わり、会社の規程が「病気場合での休職は1年間とする」と変更されました。

ただこれに素直に感謝できるまであと半年かかりました。当時は当たり前だろって位に思ってました。

今思えば、ここからが本当の「闘病生活」の始まりでした。

■本当に自分と向き合った半年間。

一気にストレスを吐き出したボクは、やっと何かを吸収する余裕ができました。

からアドバイス聞いたり、本を読んでみたり、ちょっと難しいテレビを見てみたり、Twitterを始めてみたり・・・

やっぱり自分気持ち(想い)が自分の中に溜まっていると、人から何を言われても「そうは言うけど、ボクはうつ病だし・・・。」みたいな感じで聞く耳を持てなかったりします。

想いを全て会社に吐き出して、やっと「何か」をしてみようという気持ちになれました。

この想いの吐き出し方や吐き出し先は人それぞれだと思います

ボクの場合は「会社のせいだ」と思ってしまっていたから、会社にぶつけたまでで。

まずは何故自分うつ病になったのかをきちんと主治医カウンセラー相談し、答えを見つけることが必要なのかもしれません。

余裕が出てきたところでやっと気付きます

「うちの会社うつ病でこれだけ長く苦しんでいるのは自分が初めてだ。」と。そして、相手を思う余裕も出てきます

「もしかしたら、会社の総務人事の人達社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?だから、ああ言う対応しかできなかった。」と。

そこで1つの結論自分の中で出ます

「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と。

簡単に言っちゃいましたが、「そりゃぁ、仕方ないよね。」って考え方は、ボクの中に初めて生まれた考え方でした。

仕事人間だったボクは「何にでも白黒付ける」事を求められ、必ず答えを出さなければいけなかった。「仕方ないよね。」とか「どうしようもないよね。」で片付けることなんて出来なかった。

全てにおいて私生活でも白黒付けて生きてきました。

「この世にはどうしようもないことがある。」

それに気付き納得できたことは、これからのボクの闘病生活を大きく左右する出来事でした。

会社人達社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?」から「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と思ったボクは、「うつ病」について知ってもらおうと思いました。

せっかくなので会社の人だけでなく、全国の人にも。

うつ病を楽しんでみる。

ボクは写真が好きでブログTwitterをやっていました。

まずはブログTwitterで「自分うつ病であること」「うつ病の人ってこんな人」ってことをセキララに語ってしまおうと思いました。

本名会社名を明かした上で。

当然、ブログで「ボクはうつ病です。こんな生活を送ってます。」なんて記事を書こうと思ったら、自分生活で「あれ?」と思ったことを記録しなきゃいけません。

・ あれ?ボクは何でこんな事してるんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事を考えたんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事が出来ないんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事が出来なくなったんだろう。

この4つを思いついたときメモするようになりました。

そうすると何だか自分自分のことが面白くなってきたんです。

例えば、ある日「冷蔵庫サランラップ仕舞っている」事がありました。

朝、冷蔵庫を開けたら冷蔵庫サランラップが入っていたんです。

・・・あれ?ボクはなんで冷蔵庫サランラップ入れたんだろう?って思いました。

それをうつ病のせいにしてブログに書いてみたんです。

サランラップ冷蔵庫に入っていました・・・うつ病って凄い。」って。

そうしたらいろんな人からコメントを貰いました。

「あー!私もよくあるから大丈夫だよ!」

「疲れてるだけだよ!」

「冷たいサランラップって気持よさそう!」

などなど。

あれ?と思いました。

自分の変な行動をみんなが面白がってくれてる。

ちょっとでも人を笑わせる事ができるってことは、凄いことなんじゃないか

急に目の前が明るくなった感じがしました。

それから毎日その繰り返しです。

そこであることに気付きました。

自分の中で「変な行動や変な考えを全てうつ病のせい」にするのって意外と楽だって事に。

だって病気がボクをそうさせてるだけで、ボク自身おかしいわけではないんじゃないか?きちんと病気と向き合って対処すればいいだけじゃないか

これに気づいたときに本当に楽になりました。

今まで無かった「目標」ができたんです。

そして、このメモ主治医カウンセラー相談するときにも役立つんです。

この発見は本当に大きな出来事でした。

それからのボクは、「うつ病を楽しむ」生活に切り替わりました。

うつ病が恥ずかしいなんて気持ちはいっさいありませんでした。

「ありがとう」って言われたくなる。

そんな日々を繰り返していると、Twitterメッセージを貰いました。

ブログを拝見しました。ご想像の通り、ボクも若干うつなのです。薬も服用しています。でも、まだ公表できていません。ブログを読んで気持ちが楽になりました。ありがとうございました。ただ、それがいいたくて。」

別に誰かを幸せにしたいとか何も考えずに書いているブログに、「気持ちが楽になりました」って言ってもらえるなんて思ってもいませんでした。本当に嬉しかった。

ボクにだってかに勇気を与えることができるんだ。

こんなボクに「ありがとう」って言ってくれる人がいるんだ。

本当に嬉しくて、夜中に涙を流しながら母親電話しました。

「生きてて良かった。」って泣きながら母親に話をしたことを今でも覚えています

それから他人から「ありがとう」って言われることをすれば、自分存在理由を見つけることができるのかもしれないと思うようになりました。

同時に、きちんと自分から「ありがとう」と言える人になりたいと思いました。例え、コンビニ店員さんであっても「ありがとう」って言うようになりました。外食したときお金を払って店を出る前に「ごちそうさまでした」って言って帰るようになりました。

しかすると、その事自体別に褒められることではないのかもしれません。

人間として当たり前のこと。

だとすると、なおさら「今までやってこなかった自分」を恥じるようになってきました。

そう「仕事人間で余裕が無く他人に『ありがとう』とも言えなかった自分」が恥ずかしくてしょうがなかったんです。

普段探してみると「ありがとう」って言う機会は思った以上に転がっています

それに気づかなかった過去自分おかしいんじゃないか?って思ったんです。

それが自信から確信に変わったときにハッキリと目が覚めました。

そして「うつ病になる以前の仕事人間自分になんて戻りたくない。」と。

自分に自信が無くなったときは。

はいえ、自分って何故こうなんだろうって、自信を無くす時はあります

そんな時ボクは、あまり褒められる事ではないのですが、見知らぬ誰かと自分を比べるということをしています

例えば、街でタバコポイ捨てしている人を見かけたら、「自分ポイ捨てしないなぁ。」って思えれば、その人よりも自分のほうが生きてる価値があるのかもしれません。

まりいい事ではありませんが、自信を持つことは出来ます

2017-12-30

論理の穴

まれる子の幸福については「不確定」「産まれてない子には権利などない」と言いながら、

まれる子の苦痛については「確定」「誰も他者苦痛を与える権利はない」という。

裏返せば

まれる子の幸福については限界がないのだから「誰も子が幸福になることを奪う権利はない」し

まれる子の苦痛については「苦痛が耐えられないほどとは言えない」「そもそもまれていない子の権利考慮する必要がない」と言える。

ひっくり返せば真逆結論が出るようなガバガバ屁理屈で草。

確実な苦痛と不確実な幸福を天秤にかけるケースで、後者を優先する状況は容易に想定される。

これに異論があるなら、予防注射とか健康診断とかも全部拒否なんだな? 世間ではそう考えない人が明らかに多数なわけだが。

https://anond.hatelabo.jp/20171230111228

反出生主義のお歴々の主張は、もう少しクールもっと深い。生とは? 存在とは? 親とは? という哲学に基づくものだ。

2017-12-27

人生物語は要らない

 先日ホッテントリに上がっていた単著持ち増田のエントリを読んで、そういえば自分も増田が原因で本を書いたんだったと思い出した。


 数年前、初めて増田に文章を投稿したら2000ブクマ付いた。「文才がある」「物書きとして食っていける」とか言われたので、24万字の文章を書いてKindleで出版した。ぜんぜん売れなかった。人の言うことを安易に信じてはいけないと思った。

 そのあとまたホームレスになったので(2年ぶり3回目)しばらく福島で除染作業員として働いた。除染と言うと何か特別なことをしているように聞こえるけど、実はただの土木工事である肉体労働は久しぶりだったけど、小難しいことを考えず黙々と目の前の作業に打ち込んでいると、頭の中の不純物が取り除かれていく感じがした。

 そうだ、僕は物書きになりたいなんて思っていたわけじゃない。そんなものは誰かから押し付けられた「物語」でしかない。いままでも「元ホームレス成功者になる」みたいなステレオタイプな物語を押し付けられたことは何度もあったけど、いつも心の中で蹴り飛ばしてきた。なぜ今回に限って勘違いしてしまったのか。


 福島では相馬市松川浦という観光地にある旅館に住んでいた。国からの補助があるので宿泊費はかからなかった。旅館だけあって飯がめちゃくちゃうまかった。直前までわりと本気で食うや食わずの生活をしていて、就業前の健康診断で「就労可能です」のハンコの横に「貧血症――経過観察お願いします」とか書かれるレベルだったけど、1か月で元の体重に戻れた。

 そしてこういう現場に集まる人間というのは基本的ろくでなしばかりである。入ったばかりの給料を数日で飲み代やパチスロに使ってしまい、すぐに前払い制度を利用するはめになるような、そんな人間ばかりだ。同じろくでなしとして、とても居心地がよかった。やはり自分はこちら側の人間だと思った。

 そんなわけでしばらくここに居着こうと思ったけど、東北の夏は意外と暑かった。僕はそれまで日本の東側に来たことがなく、東北の夏なんて京都盆地の夏に比べたら余裕だろとか思ってたけど、ぜんぜん余裕ではなかった。しかも仕事中は半袖作業服禁止で、手袋は三重、さらに安全長靴にヘルメット、高性能防塵マスクというフル装備で、炎天下の中、延々と作業するのだ。このままでは干物になってしまうと思い、涼を求めて北海道へ行くことにした。


 割のいい仕事をしたおかげで金はそこそこあったので、JRの青春18きっぷを使って道内をしばらく旅した。

 旅の途中、いろんな人に出会った。日本一周中のライダーチャリダー、本州でこういう人に出会う機会は少ないけど、北海道ではさほど珍しくない。彼らには独自の文化があるようだった。こういった旅人向けに格安で宿を提供するライダーハウスの存在も教えてもらった。ライダー専用のところもあれば、旅人なら誰でもウェルカムみたいなところもあるようだ。

 美瑛にある「蜂の宿」というライダーハウスはめちゃくちゃ居心地がよくて、しばらく沈没してしまった。同じように沈没中の旅人が多く、宿を出るときは少しバツが悪くて、朝早い時間、夜逃げのように出発した。稚内の飲み屋では一人旅の女性客に「函館に住んでるから着いたら連絡してね」と電話番号を渡された。でもいざ函館に着いて連絡しようとしたらだんだん死にたくなってきたので忘れてたことにして函館を後にした。小樽のライダーハウスではなぜかオーナーに気に入られて「上の階の空き部屋に住んでいいよ」と言われたけど、結局置き手紙だけ残して去ってしまった。

 そんないつも通りのあれこれがありつつ、最終的に札幌でクソボロいマンスリーマンションを借りて住み始めた。


 札幌では2年ほど暮らした。つまり冬を2回越した。

 石狩平野ドカ雪が多い地域で、昨日まで普通だった街の景色が、朝起きたら突然、一面の銀世界になっていることも珍しくない。人の背丈より高く積み上げられた道路脇の雪。凍った路面をすいすいと歩いていく人たち。数センチの積雪で大騒ぎになるような地域に住んでいた僕には、すべてが新鮮だった。海外を旅したときも自分がいかに世間知らずかを思い知らされたけど、同じ日本でも住む土地が違えばこんなに空気も文化も違うのかと思う。

 そうだ、僕はあまりにも世界を知らなさすぎる。ホームレス経験があるからなんだというのだ。「なんでも知ってるゲンさん」みたいなステレオタイプキャラクターはどこにも存在しないということがわかっただけじゃないか。インド東南アジアを旅したからなんだというのだ。日本の近所をちょろっと見てまわっただけじゃないか。アメリカにもアフリカにもヨーロッパにも行ったことがない。政治も経済も科学も宗教も、本当に何も知らない。

 もっと世界を知りたいと思う。いままで自分ひとりで知識や経験を積み重ねてきたけど、もう限界だと思った。独学には「体系的に学べない」という決定的な限界がある。だから大学へ行こうと思った。もっと世界を知るために、僕には高等教育が必要なのだ


 しかし僕は中卒なので大学へ行こうにも受験資格がない。まずは高認(旧大検)を受ける必要があった。とりあえず過去問ざっと目を通してみると、文系科目は特に対策しなくても合格点を取れそうだったけど、理系科目は壊滅的だった。数学なんて問題文の意味さえわからない。やべえよ。

 コールセンターWindowsテクニカルサポートの仕事をしつつ、参考書と格闘する日々が始まった。途中で何度も心が折れそうになったけど、数学が扱うのは実体のある数(かず)ではなく、数(すう)という概念なのだということがわかってから、唐突に理解できるようになった。数を感覚的に扱えるようになり、数式の手ざわりがわかるようになった。

 勉強時間の半分くらいを数学に費やしたおかげもあってか、本番の試験では90点を取れた。分数の足し算すらあやしかった状態からここまで持ってこれたのだから、まずまずの結果だろう。国語は無勉強で満点取れたので、読解力は普通にあるようだ。他人の評価は主観が混じるので話半分に聞くけど、こういう機械的な評価は信用できる。英語も無勉強で満点取れるかと思ったけど、2問ほど間違えた。どちらも穴埋め問題だ。自分でも文法力が足りてないことは自覚していたけど、やはりその通りだったようだ。他の教科もなんとか70点以上をマークし、無事、高認に一発合格した。

 これで大学受験の資格は得た。学力はまだぜんぜん足りてないけど、土台部分は構築できたはずだ。これからさらに何年かかけてこの上に知識を積み重ねていくとして、次に考えるべきは資金の問題だろう。無給で4年間大学に通うなら最低でも800万、できれば1000万は貯金しておきたいところだ。しかしこの額はさすがに札幌の労働単価では厳しい。やはり稼げるところに行くべきだと思い、住んでいた部屋を引き払ってまたホームレスになり(2年ぶり4回目)今度は東京へ向かった。

 ちなみに僕には家族も友達もいないので、こういうときバックパックに入りきらない荷物はウェブ管理可能なトランクルームに預けるようにしている。ダンボール1個分の荷物を月数百円で預かってくれて、いつでもウェブから出庫できるので、こういう生活スタイルにはとても便利な存在だ。


 いままであちこちを転々としてきたけど、東京に来るのは初めてだった。西成で暮らしていたときに山谷の話は聞いたことがあったので、まずはドヤで当面の寝床を確保する。西成みたいに1泊1000円前後で泊まれればしばらくそこで暮らそうかと思ってたけど、2000円前後が相場のようだったのでドヤ街からは早々に引き上げ、少し北上して南千住駅近くにあるシェアハウスの一室を借りて住み始めた。

 次は仕事だ。自分の持つスキルの中で最も金になるのは、やはりプログラミングだろう。上京する前にリハビリとして最新技術はひととおりさらっておいたし、その経緯を文章にまとめてQiitaに投稿しておいた。なぜかその記事は「文学作品」という評価を受けたけど。技術記事なのに……なんでや……。しかし職探しのときにその記事をポートフォリオとして使ったらめちゃくちゃウケがよかった。東京エンジニアが不足しているとは聞いていたけど、これほどとは。仕事も多ければ単価も高い。いままで自分が住んだことのある都市と比べると、京都・札幌の倍以上、大阪の1.5倍以上の単価だと思う。

 そんな感じで生まれて初めて金に困らなくなった(!)ので、まずは渋谷に引っ越した。JR渋谷駅ホームまで徒歩5分のマンションなので、主なオフィス街は自宅から30分以内で行けるし、渋谷にある会社ならもちろん徒歩圏内だ。ジュンク堂(東急)まで徒歩10分くらいで行けるのもすばらしい。近くに庶民派スーパーがないことだけが難点だけど、西友のネットスーパーに助けられている。いつも配送ありがとうございます

 次にPCを買い換える。生活スタイルの問題もあってここ数年はずっとノートPCを使ってきたけど、東京には腰を据えて何年か住む予定なので、ハイエンドデスクトップPCを買うことにした。WindowsLinuxどちらも使いたかったので、これまで通りデュアルブートにしようかと思ったけど、切り替えが面倒なのでWindows上の仮想マシンとしてLinuxを動かすことにした。開発は基本的にその中ですべて完結させるので、仮想マシンの中でさらに仮想マシンを動かす場面も出てくる。こういう使い方だとそれなりにスペックが必要だろうと思い、CPUはi7-7700K、メモリは64G積んだ。どうせハイスペックにするならいっそVR Readyにしようと思い、グラボは1080Tiにした。そんな感じでいろいろぶっこんでいったら最終的にPC本体だけで40万かかった。さらにDELLの34インチ曲面モニタ東プレの変荷重キーボード、HTC Viveとデラックスオーディオストラップ、等々、もろもろ合わせて最終的に総額60万以上かかった。半年かけて海外を貧乏旅行したときの旅費を軽く超えててさすがに草生えた。


 2017年末になってもVR市場は未だ揺籃期の様相を呈している。キラーコンテンツとなりそうなゲームはちらほら出始めているものの、起動直後の「おお! VRすごい!」からその後が続かないものが多い。

 そんな中で僕がハマったのはQuiVrという弓ゲーだった。ゲーム中で何度も繰り返す矢を放つ感触がとにかく素晴らしく、現時点で250時間プレイしている。まだアーリーアクセスだけど、毎週コンスタントアップデートが続けられていて、次々と新しい要素が追加されていくのも飽きない理由だと思う。でもその分バグが多く、プレイしていてだんだん腹が立ってきたので、Discordに乗り込んでバグ報告しまくっていたら、いつまにかベータテストに参加するようになっていて、いまではランキング上位プレイヤーのひとりになっている。

 Rec Roomもおすすめしておきたい。ユーザーコミュニティがとても活発なソーシャル系VRゲームで、RedditDiscordを覗くと、運営とユーザーが一丸となって、いいゲームにしていこう、いい場にしていこうと努力している様子がうかがえる。そのおかげか、マナーの悪いプレイヤーが非常に少ない。ハラスメント行為等はほぼ皆無と言ってよく、Fワードを使っている人さえあまり見かけないほどだ。ゲーム自体も、チーム戦のペインボールレーザータグ、協力プレイアクションRPGゲーム等、無料とは思えないほどのクオリティの高さなので、VR機器を持っている人はぜひやってみて欲しい。

 そしてそのRec Roomよりさらにコミュニティが活発なのがVRChatだ。もはや活発という次元を超えてカオスと言っていい。半年前に初めてログインしたときは10~20人くらいのユーザーがHub(ログイン直後のワールド)で適当にダベっていて、他のワールドにはまったく人がいない、みたいな閑散とした状況だったのだけど、今月初旬に同時ログイン数が1000人を超え、Discordオンラインメンバー数は2000人を超えた。現在は同時ログイン数3000人を超し、Discordオンラインメンバー数は4000人を超すような状況だ。どうも有名なYoutuberや、Twitchの有名生主といったインフルエンサーが最近こぞってVRChatを取り上げているようで、この爆発的なコミュニティ拡大はまだ収まる気配がない。デスクトップモードがあるので参加するだけならVR機器が不要だというのも大きいか。

 Rec Roomとは違いVRChatはコミュニケーション主体のソーシャル系VRゲームだ。ミニゲームは前者に比べて見劣りするものの、ユーザーカスタムアバターワールドが自作・公開可能で、これが海外のオタクたちの創作意欲を刺激したのか、黎明期ニコ動を彷彿させる盛り上がりを見せている。こういった事情によるためか、もしくは別の何かが彼らをひきつけたのか、実際のところはわからないが、VRChatのユーザーはほとんどが日本のアニメフリーク・漫画フリークだ。ユーザーカスタムアバターはそれらに影響を受けたものが多く、美少女キャラロボットモンスターが目の前を行き交う様は、まるで攻殻機動隊電脳空間のようだ。とはいえ現状では4chan的な文脈そのままの著作権ガン無視状態なので、前述の爆発的なコミュニティ拡大にともなって近いうちに問題になることが予想される。なんとかソフトランディングして欲しい。

 しかしこの未来感すさまじい仮想現実の世界にいると、なぜか昔のインターネットを思い出す。特にテレホーダイ時代の2ちゃんねるのことを。夜の11時を過ぎると一気に人が集まり、どこの誰とも知らない人たちと一晩中バカ騒ぎをして、朝になるとネット全体が静まり返っていた、あの懐かしきオールインターネット。VRChatをやっているとあの頃の記憶が蘇ってくる。ドイツ人ドイツ語を教えてもらったり、サウジアラビア人にアラビア語を教えてもらったり、台湾人に3Dマーカーペンで中国語を書いてもらって「おおー、漢字の意味なんとなくわかるー!」とか感動したり。そんな多種多様国籍・人種の人たちとアニメについて語り合ったり、アニソンをみんなで大合唱したり。MMDナイトクラブというワールドでMMDモデルダンスが見られるのだけど、ステージ上で踊る初音ミクを囲んで、みんなで一晩中踊り明かしたりもした。マジでなんなんだこのカオスな空間は。しかしこれだ。これがインターネットなのだ夜明け前の静けさと、どこか熱に浮かされたような興奮。それらが齟齬なく同居する、この奇妙な感覚。久しく忘れていたこの感覚を、強烈に思い出す。

 でもいちばん印象深かったのはラノベ朗読会だ。ある日、いつものように適当に外国人たちとダベっていると「いまからショーが始まるから来ない?」と誘われた。開かれた転送ゲートをくぐってみると、その先は100人以上収容できる劇場のワールドで、さまざまなアバターの人たちが観客席に座っていた。舞台上の主催者とおぼしき人は「みなさんお好きな席にご着席ください。いまから『転生したらスライムだった件』の朗読を行います」とか言っている。え、どういうこと? と思う間もなくショーが始まる。やたら渋い声で、VRならではの身振り手振りも混じえて、感情表現豊かに読み上げられていく、まだアニメ化すらされていない日本のラノベ(正確にはウェブ連載版の英訳版)。ああ本当に世界は広いんだと思った。自分の知らないことなんて星の数ほどあって、そのすべてを知ることは絶対にできないんだと、少し胸が苦しくなった。


 と、最近はVRの世界にどっぷりだったのだけど、遊んでばかりいたわけではなく勉強もしていた。特に英語だ。いままでリーディングリスニングについてはそれなりにできていたのだけど、文法力がないのでライティングスピーキングに関しては壊滅的だった。しかしVRを始めてから英語圏コミュニティ英文を書いたり、VRゲーム内で英語を話したりする場面が増えてきたので、文法を基礎からじっくりとやり直した。二十代の頃に文法をみっちりやったときは死にそうになるくらいしんどかったけど、今回はそうでもなかった。やはり目的があると吸収力が段違いだ。そのおかげか、ライティングに関しては文法間違いがかなり減ったように思われる。スピーキングはいまでもだいぶあやしいけど。客観的かつ機械的な判断が欲しいので、来月久しぶりにTOEICを受ける予定だ。10年前に受けたときのスコアは680だったけど、今回の目標は800に設定している。2年後くらいには900を目指したい。ここまで英語力を上げておけば、大学受験の際にかなりのアドバンテージになるはずである

 あとはやはり数学だ。英語の勉強が一段落したら、数Iの復習から始めて、数IIへ進む。僕が受験しようとしているのは文系(経済学部)なので必要ないかもしれないけど、余裕があれば数IIIに関してもどんなものかくらいは頭に入れておきたい。前回の勉強のときに、数学は小さな理解と小さな納得を積み重ねていくしかないということが身にしみてわかったので、この科目に関してはじっくり腰を据え、時間をかけて少しずつ勉強していくつもりだ。

 国語に関しては受験前に赤本で少し対策すればいけそうなので、あまり心配はしていない。その他の科目は最悪捨ててもいいけど、時間があれば知識を少しずつ補填していこうと思う。

 こんなやり方で本当に大学に行けるのかはわからない。すべてが手探りだ。たとえ行けたとしてもその先のことはわからない。この歳で「大学を目指している」なんて言うと、先のキャリアを見据えてのことなんだろうと勘違いされることが多いけど、僕の場合、本当に何も考えていない。大学で政治や経済を学んで自分が何をしたいのかなんてまったくわからないし、それが金になるとも思えない。卒業したあと食い扶持が稼げなくて野垂れ死ぬかもしれない。その可能性は決して低くない。以前と比べれば多少はマシになったように思えても、やっぱり基本的に僕はバカなんだと思う。

 でも同時に、それでいいとも思う。行動に理由なんていらないのだ、と。行動の理由なんて事前にいくら用意したところで、たいていの場合、それは建前やこじつけでしかなく、本当のところは後になってからしかわからない。ミネルバフクロウなのだ。後になってからしかわからないなら、後になってから知ればいい。いまは行動するだけでいい。そう思う。


 先日、久しぶりにKindleのストアページを見てみたら、あの24万字の本へのレビューが1件増えていた。

 やっぱり僕はこれでいい。こうして増田で誰に宛てるでもなく近況報告をしたり、Steamに長文レビューを投稿したり。誰が読んでいるかもわからなくて、でもたまに反応があったりして、それが少しくすぐったくて。

 特別なことなんて何も起きなくていい。夢も希望もなくていい。

 人生に物語は要らない。

2017-12-22

毎週金曜日ラーメンの日です。

今日健康診断をうけてきたんですよ。

で、胃の検査バリウム飲んだんですけど年々飲みやすくなってるような気がしません?あれ。

そして下剤を飲んでるのでお腹空っぽです。

いつもより早い時間ですがお腹が空いてしょうがない。


あー、楽しみ。

今日は、胃を休めるために家の近くの昔ながらの中華ソバをたべよう。

醤油ベースで具はメンマチャーシューほうれんそう

もちろんナルトも入ってます

これなんて病気

自分ではないのだが

2017-12-21

健康診断があるので検便をしなきゃいけないんだけど、会社トイレで排便してさあ採取するかなと思ったら自動で水が流れるタイプ便器ってことをすっかり忘れてて思いっきり流れて行っちゃったよ。。。

どうする?俺の検便。

っていうかこのタイプ便器場合どうやって便を取ればいいの?

2017-12-19

anond:20171219174731

健康診断超音波検査エコーはいいよな。

俺が行くとこはなぜか若い女医さんが多くて(そういうキャリアパスなのかな?)、薄暗い部屋で二人きり、相手白衣の女医、こちとら半裸、ヌルヌルのローションまで塗られ。

しかも俺は内臓ひとつポリープ飼ってるせいかこの超音波検査に人よりだいぶ時間がかかる。じっくり診られる。

けっこうきわどいところまでズボン降ろされたり四つん這いにされたり、人によってはかなり上半身密着させてくるドクターもいたりして。

なのだが。

しかし実は俺脇腹が急所で、器具を当てられると全身痙攣するくらいくすぐったいのよね。興奮に結びつかない、刺激されたらムカつく系の急所なので、この検査中はずっと体が防衛的になっていて、悲しいか100%そのシチュエーションを楽しむことができない。

残念である

2017年俺の肝臓5大ニュース

39歳俺の肝臓独断偏見で選んだ。

▪️第1位 基本毎日飲むようになった

同僚と外で飲むのは好きだった。去年までは、目に付いたワインを買ったりしなければ自宅ではあまり飲まなかった。今年は自宅で飲む頻度が増えた。。飲まない日は意識的に飲まない、と心に誓わないとなんとなく飲んでしまうようになった。

▪️第2位 チューハイハイボールへの目覚め

2016まではもっぱらビールワインを飲んでいたが、今年はコンビニチューハイハイボールを買うようになった。世間でのストロングゼロブームに少し先駆けて常飲し始めた、というのを誇りに思っている。

▪️第3位 酒に弱くなった

酒の強さには自信がある方だったが、自宅飲みでも気をつけないと頭痛吐き気がするようになった。翌日の仕事に影響しないように注意している。

▪️第4位 IPAブーム

ビールアサヒスーパードライ一択で15年以上やってきたが、クラフト系の苦いのの旨さを感じるようになった。インド青鬼が今は一番旨く感じる。

▪️第5位 春の健康診断で再診断となる

肝臓系ではなく脂質系で異常値が出た。本当はこれがもっと上位にランクさせるべきだが、あまり考えないようにしている。一応、飲むときにはサラダモズクを食べるようにしている。

2017-12-16

接客業マスク問題

今日コンビニでこんなおじーさんがいたよ

「(金額が)聞こえない」

マスク取れマスク

「取りなさい」

「んなモン着けてるから駄目なんだ」

「体調管理どうなってんだ」

健康診断行ってんのか」

モラハラ剣幕でしばらくネチネチ怒鳴っててレジ女の子可哀想だった。

やむを得ない時のマスク接客は有りだと自分は思ってるけど

少数のキチガイが難しくさせてんだね

2017-12-14

この1年で身長が6cm伸びた

昨年の健康診断で147cmだった身長が今年は153cmになっていた

かにそんなに太った気がしないのに体重が増えていたり、膝丈だったはずのスカートがいつしか膝上丈になっていたりはした

だけどまさか身長が伸びていたとは……

成長期ならまだしも、26歳だぞ……

中学生くらいで一度身長の成長がストップしたのに約10年越しにまた伸びるなんて思わないよ普通

まぁ伸びたところでまだまだ小さいんだけどさ

どうせならもっとぐんぐん伸びて160cmくらいにならないか

ならないだろうなぁ

anond:20171214120049

まれつきデブの人っているじゃん

デブタレも案外健康診断の結果は悪くなかったりするし、体質もあるんでしょ

2017-12-04

anond:20171204164314

こういうのマジで男の生きにくさって言っていいと思う

男は40過ぎると片っ端から健康診断数字が悪くなってくるけど、あれ男性ホルモンのせいだけじゃ絶対ない

食べ過ぎと飲み過ぎ

2017-11-28

朝弱い私の半生【追記あり】

朝に弱過ぎる私の半生について語りたい。

幼稚園時代

朝に弱い傾向は覚えてないが、この頃から超面倒臭がり屋。

確か、年長くらいまで母に着替えさせてもらっていたと思う。

母に、「こんな年になってお母さんに着替えさせてもらってるのなんてあなたくらいよ」と言われるけど、平均的な園児の平均的な着替えのスピードなどは分からない。

小学校時代

基本的に間に合わない、起きれない。

小学1年生頃くらいまではまだちゃんと登校班に間に合うように行っていた気がするが、学校が好きではない事もあり、徐々に「登校」に燃え尽きていく。小学6年生になる頃には、半分以上登校班に間に合わなかった。そういう時は、1人で走って学校へ行った。夏休みの朝のラジオ体操は、2回くらいしか行ったことがない。毎日行っていたという人がいるが、私とは全く別の種の人間だと思う。

中学校時代

ギリギリ登校。遅刻をする人がクラスメイトから悪口言われているのを見て、頑張って登校するが、やはりギリギリ。早く起きれないから、女子で仲良く登校しているグループに入れなかった。

無理やり身体を起こして、半分寝ぼけたような顔で学校に来るから、よく笑われた。髪とかも、ボサボサでみっともない事が多かったと思う。体力がなくて部活は辞めてしまった。夏休み冬休み部活練習も、行く気になれなかった。中3になり、受験で塾に行くが、せっかく授業料払っているのに疲れて寝てしまう。勉強したいのに、身体がついていかない。ここら辺から学校に行けないことが増えて行く。遅刻も増える。このあたりでうつ病っぽくなってしまった。志望校には受かったものの、おそらくこの時期に大きく心と身体を損ねてしまったと思う。

高校時代

眠い。授業に全く集中できなくなった。登校は、良くてギリギリでほぼ毎日遅刻。遅刻する自分が嫌で、遅刻する事に何か言われるのも嫌で、自己嫌悪もひどくなっていくし、登校日数すら危うい。学校生活に支障を来していたので、この頃から心療内科に通う。夜眠れる薬をもらったが、効きすぎて翌日さらに眠かったり、元気を出す薬も効きすぎて躁転したりした。本で発達障害のことを読んで、私はADHDではないか医者に言ってみたら、やはりADHDだった。しかし、当時はリタリン規制されてしまった時期で、ADHDの私の症状に処方する薬はなかった。

死にそうになりながら、受験シーズンがきて、やはり塾に通う。先延ばし傾向の強い自分は、塾に行かなければ勉強しないと思った。しかし、やはり言われたことをできない。夏期講習も、参加して勉強したいのに、起きれない。勉強のできる男子が、私のことを批判して、本当に辛かった。詳しくは書かないが、彼の言動は何年もトラウマになり、私を苦しめた。結局学校自体の成績も悪く、偏差値も伸びず、私は浪人してしまった。

浪人時代

再び、眠い。勉強しようにも、様々なトラウマが蘇る。しかし、週2で予備校に通っていたものの、週5回毎朝起きて、学校に通うという習慣がなくなったのは良かった。予備校は夕方だったから。元々面倒くさがりな私が浪人で勉強するわけもなく、よくネットをやっていたので、家族から批判された。しかし、座ることさえ苦痛になった私が、せめて熱中できるのが、ネットと本だった。

英語の音読はとりあえずやっていたが、私が早稲田慶応マーチにも受からないことは明らかだった。そもそも、この状態では社会人にとしてやっていけるかさえ危うい。「社会人になったら大変だよ」「社会に出たらそんな事は許されない」みんな言う。今でさえ大変なのに、これからもっと大変なのか。私は、本を読んだり、知識を頭に入れることが好きだ。だから大学には行きたい。しかし、その先、働いたとしても、上手くいかないのではないか

いつでもベットと本があった浪人生活。こんな風に、生きていけたらなあ。

昔は大学卒業して無職で家にいる女性は「家事手伝い」と呼ばれ、それなりにいたらしいが、今の世の中だとそれでは「ニート」だし、聞こえも悪い。家族も私の将来を心配するだろう。

もう一つ、大学卒業後「家でゆっくりする」生活を手に入れるとしたら、それは専業主婦になることだ。そして当時、婚活、という言葉が流行り始めた。結婚できない女性が増えているらしい。そして、奥さんが専業主婦できるくらいの年収の男性も減っているらしい。ならば、早いうちに準備しなければ。稼げて、かつ、生涯を共にしてもいいと思えるほど愛せる人など、きっと何年かに一度しか会えない。私は、こんな私をバカにし、理解しない家族や、嫌な思い出のつまった家を早く出たい。新しい家族が欲しい。幸い、私はまだ若く、容姿も良い。私の最大の武器

志望校は、早稲田慶応も受けたが、もちろん撃沈し、あとは男ウケの良さそうな女子大を受けて、その中の一つに合格する。この頃から婚活意識して志望校を選んでいた。(本当は高学歴学校に受かるのが一番良い。優秀な男にたくさん出会えるから。)

大学時代

受かった女子大は家から遠く、やはり朝がキツかった。2限より前の授業に遅刻せずにいけたことなんて、数えるほどしかないと思う。お嬢様で育ちの良い女子大生たちは、ほとんど授業をサボらず、皆真面目だった。服も髪もメイクも、本当にみんな綺麗。その中で遅刻しがちで、寝ぼけた顔で大学に行くのが嫌だった。相変わらず、どうしようもなく朝が苦手だった。もう、遅刻することとか、何か色々言われるのが嫌で、大学ではほとんど友達を作らなかった。

サークルには入った。音楽が好きなので、軽音サークルボーカルギターをやった。先輩になってくると、バンドを組んで、バンドリーダーという立場にもなった。歌とギターが上手くなりたくて色々頑張ったこと、人前で大きな声で歌ったこと、ギターソロができるようになったことは自分の中で大きなプラス経験になった。ここで、念願の優秀な彼氏もできた。男子校育ちでモサかったので、そこは私が磨いた。彼氏にもメンタル的に支えてもらい、いろんな事に挑戦するようになった。飲食店バイトギターを習う。ボランティア読書会浪人してしまったが、やはり大学には行って本当に良かったと思った。

就活

大学3年生の終わり、就活の時期がやってくる。ここでまた、私の朝の弱さと先延ばし傾向が炸裂した。

まず、ESが書けない。面倒くさい。要領の良い人は、「一応受けとく」レベルの会社でも、さーっと書いてさっと出す。私は、書けない。やりたくない。夜、書こうと思ってPC開いたは良いものの、書きたくなさすぎて朝になる。会社説明会は4割くらい遅刻。自己嫌悪で自信がなくなり、また受からなくなる、できなくなる。

結婚の話もちょくちょく出ていた彼氏は、やはり私が就職しない、というのは嫌らしい。旦那の親から見ても、優秀な息子の彼女が就職できず無職というのは、今の時代恥ずかしいのではないか。優秀な彼氏にふさわしい妻になる彼女として、どうしてもどこかに内定をもらい、就職しなくてはいけない。

自分が、社会に対して何ができるのか。今まで、私が褒められた事を思い出す。私は容姿が良く、友達は少ないものの、コミュ力には問題ない。元気で礼儀正しいと言われたこともある。ブラック低賃金と名高いが、販売職で明るく物を売ることならばできるのではないか椅子に座ることが苦手だから事務職視野に入れなかった。

確かに、彼氏もこの世の中、彼女が一度も社会人経験なく専業主婦になる、というのも不安だろう。ある程度社会を知ってから結婚した方が良さそうだ。

最後の方は一ヶ月に一回、会社を受けるというペースで、私はなんとか販売職に内定をもらった。

販売職時代

数年前炎上したブログに、「社会底辺の人とは関わってはいけません」https://ameblo.jp/akky-0829/entry-12188216276.htmlというのがあったけど、販売職はまさにこういう世界だった。いや、このブログはさすがに極端すぎるけど、残念ながら、大方賛同できてしまう。私はここで、巷で噂される「若くて可愛い子に嫉妬して悪口を言うおばさん」を初めてみた。一日中、イライラしている大人を初めて見た。それでも、人が足りないからと言う理由で彼らは雇われているのである。私は遅番が多く、昼から出勤が多かったから、朝の弱さは軽減された。しかし、基本的ギリギリ出勤ではあった。基本、先輩よりも遅く来た。出勤が昼とはいえ、30分も早く売り場にいることが生理的に無理だった。ある日、私の評価をつける人が、「店の準備」の評価項目にCをつけた。毎日商品の埃を払ってフロスなどを熱心にかけているのに、なぜここがCなのか。上司に聞いてみると、ギリギリ出勤だからだと言う。おいおい、そういう準備も、規定就業時間の中に入っているんじゃないのか。ギリギリでも、時間内に来てるんだから、せめてBでしょ。会社に、強く不審感を抱いた。

一方で、私は働く楽しさも感じていた。私は、よく売れる販売員となったからだ。それは、私の容姿愛嬌コミュ力のおかげだ。また、商品提案のための勉強も進んでした。そして、若い私は男性社員からも気に入られた。しかしそこがまた、先輩から気に入られなかった要因でもあった。いじりとしても、先輩からキツイ言動が増えた。その頃からまた、私は心療内科に通うようになった。当初の予定通り、専業主婦になって辞めればよかったが、人手不足の中、辞めて良いものかわからなくなっていた。まだ若い私は、色々なことが経験不足で、判断がつかなかった。

色々あって、ああ、もう、キツイなと思った時、退職を考えた。このころあたりに、結婚した。職場に行くのもキツくなったときに、休職し、傷病手当をもらって辞めた。旦那に養われながら、傷病手当をもらいながら、ゆっくり休むことにした。この頃、ストレスでガリガリになっていたが、念願の専業主婦になる夢がやっと叶った。

専業主婦時代

本を読む。RPGのゲームをする。ジムに行って、身体を鍛える。ギターを弾く。散歩する。

ささやかな、やりたいことを色々やった。この頃あった友人に、「なんか綺麗になったね」と言われた。

しかし、念願の専業主婦になったにも関わらず、私の中にはある思いがあった。

「このまま、20代半ばにして専業主婦で過ごしていて良いものか」

他の同年代はみんな働いている。そして、私はどうも、仕事ができない方じゃない。子供を産んだら、子育て中心の人生だ。それで良いのか。私は、働けばお金になるのに。

そこで、転職活動を始めた。しかし、職歴販売職のみ20代半ば既婚、いつ妊娠するか分からない私はなかなか良い職に受からない。しかもここでまた朝弱いが発動、面接もしばしば遅刻してしまう。

やっぱり私はダメなのかな。

そう思った矢先、親戚の保険のおばちゃんに声を掛けられた。正直、保険営業に良いイメージはなかったので断った。しかし、給料も販売よりずっとよく、女性が働きやすい環境で、福利厚生もしっかりしているという。とりあえず、面接だけは受けてみないか。そう言われ、とりあえずで受けに行くと、トントン拍子で面接が進み、あっさり合格。保険営業には抵抗があったが、他に受けた企業よりは条件が非常によかったため、挑戦してみることにした。

保険屋時代

最初は、毎日16時帰りで研修をした。保険についての授業を受ける。保険を売るための試験に受かったら(みんな受かる)いよいよ営業活動である

相変わらずのギリギリ出勤だが、このころ、やっと安定して朝9時の出勤時間に間に合うようになる。20代も後半に差し掛かり、やっと。

しかし、本格的に営業が始まると、やはり体力的にキツかった。荷物も重い。大抵の保険屋の女の人は、バッグを二つ持っている。一つは財布やポーチなどを入れるバッグ、一つは資料お客様の提案書など、書類を入れるバッグだ。自分が保険屋になると、他の保険屋が分かるようになる。保険屋さんって、いっぱいいるんだなあ。

1週間のうち1日は、出勤だけして、疲れて何もできない日があった。そう言う時は、カフェ図書館時間を潰して、適当報告書を書いて一日が終わった。情けないけど、この一日があったから、私は今まで続けられたと思っている。

数字の方だが、私は順調な方であった。しかし、その順調な数字も、多少無理して働いた結果であった。週1日は休む日を作っているとはいえ、疲労でキツイ日も多かった。それでも、1年は続けようと思った。保険営業でやっていけたら、他のこと何でもできるような気がした。自信がつくと思った。確かに1年は、私は頑張った。しかし、段々とまた、身体が弱っていった。風邪を引きやすくなったり、頭痛や腹痛も増えた。

私は愛嬌保険を売っていたと思う。愛嬌で近づき、仲良くなり、アポをとり、上司が提案する。しかし保険知識があるかと言われると、あんまりだ。形が見えない商品は、イメージしづらく、正直あんまり興味が持てない。飛び込みも、営業先の企業で知らない人を呼び止め名前と生年月日聞くのもキツくなってきた。

この仕事を続けて2年。同じ時期に入った同僚が半分以下になる中、私はよく頑張ったと思う。

今月、私は上司退職したいと申し出た。

最近は会社も休みがちになってしまい、今日も会社を休んでこの増田を書いていた。

私が今、会社を休みがちになってしまったのは、朝弱いにも関わらず、無理矢理にでも9時に出勤し続ける生活をして、また壊れかけてしまったのだろうなと思っている。

はいだって、他の人とは違うと言うコンプレックスに苛まされていた。普通になりたい、普通になりたいともがき続けた。一日中、寝っ転がって本を読むような生活だってしたかった。でも、誰かの役にも立ちたかった。いろんな思いがグルグル回って、色々やり続けた。

私は今、27歳。昔よりは色々落ち着いて、大人になった。自分のこともよく分かった。

ひとつ、これはもう辞めようと思ったことがある。それは、週5のフルタイム労働だ。体力的にキツイし、学校でも、会社でも、週5で何かして良い結果を残したものはない。幸い、旦那高収入から基本的には週5でフルタイムで働くことはなさそうだ。しかし、人生何があるか分からいから、お金を稼ぐ手段は手に入れたいと思っている。

いや、それにしても、私は生きてきた。思うに、色々やっていれば、人の能力は年々高まって行くものらしい。朝9時出勤も、ずいぶんできるようになったし、寝つきの悪さもかなり改善した。仕事終わりにササっと美味しい手料理を作り上げた日など、旦那からはあまりの変わりように「お前は誰だ」と言われたものだ。

欠点があっても何とか色々頑張ろうとがむしゃらに生きた結果、今があるのだと思う。

誰がこの増田を読んでいるかからないけど、読んでくれた人、ありがとう


【追記】

書いた当初、自分としては力作に関わらずあんまり反応がなかったので、残念な気持ちになっていたのですが、昨日夜見たら色々反応があって嬉しかったです。

反応をいただくのは何でも嬉しいですが、「読んでよかった」「人の半生は面白い」「頑張ったね」などの言葉は特に嬉しかったです。

ありがとうございます普通の人が普通にやっている事が私にはとても辛く、例えできたとしても世間では「当たり前」ですから、自分が頑張っていることが認められていない気がしていたのです。本当に、ありがとうございます

元増田が能力が高い、勝ち組、若くて容姿の良い女はイージーモードだと言う声について

まずは、ご意見ありがとうございます

あの記事は、また会社を休みがちになってしまい内面的にもグダグダになり、誰かに自分がADHDであり、朝が弱く、辛い人生を送ってきたと言うことを誰かに急に吐き出したくなり、衝動的に書いてしまったものです。

匿名ダイアリーからこそ、自分は実は発達障害で〜などと秘密にしていることも話せるように、「私は若くて容姿が良い」など、現実世界ではちょっと言えないようなことも吐き出すことができます。普段人に言えないようなことがかけるからこそ、魂の叫びのような記事を読めるのも、増田醍醐味だと思います

知り合いには誰にも見せない日記から、私の良いところも、悪いところも正直に書きました。日本謙遜する文化から、はっきりと「私は容姿が良い」などかくと、自慢に聞こえてしまったかもしれませんが、私の人生を語る上で、これは重要ファクターでした。

正直、私は発達障害者にしては恵まれている方だと思います。しかし、これはあくまで「発達障害の中では」と言う話であり、やはり人一倍辛い人生を送ってきました。

この記事コメントにも死にたい、とありましたが、死にたい、と思って死ねる人なんてほぼいないと思うのです。私は小学校低学年の時から死にたかったですが、結局、人間苦しくてもよっぽどのことがあっても死ねないのです。死ねなかったら、生きるしかないじゃないですか。それも、なるべく苦しくないように。

から、私は自分が持っているものを、最大限使おうと思いました。その事実を書きました。

自慢したかったのではなくて、「そうやって生きてきた」と言いたかったのです。

あと、ちなみにイージーモードではありません。

美人からと言って何でも許される訳じゃないんです。

それに、遅刻はするわ色々ミスするわなのに、「可愛いから」もしくは「イケメンから」という理由でモテてたり、かわいがられる同性の同僚がいたら、ちょっと嫌じゃないですか?なんか悪口言いたくなりませんか?私だって、そんな人が周りにいたら、少し黒い感情が湧きます容姿の良さが仇となることもあるのです。

・そこまで朝弱いのは起立性調節障害や低血圧では

血圧は十代のころから低めでしたが、目立って低い訳ではありませんでした。

大人になって、疲れやすいと言うことで甲状腺の病気を疑い、検査したりしたのですが、結果は到って健康でした。正直、体のどこも悪くないのです。

しろ今の会社の上司が、女性営業職10年と言うことでかなりバリバリ働く人なのですが、健康診断の数値で低血圧で引っかかっています。しかし、普通にバリバリ働いています。本人曰く「気合い」だそうです。体の色々な数値よりも、結局「気」と言いますか、生命エネルギーのようなものの方が大事そうです。私には、それが足りないようにも思います

起立性調節障害については確かに、十代の頃、親が調べてくれればよかったな。。。肝心の母は私が朝全然起きれないことを母の母(つまりおばあちゃん)に愚痴ってた。。。私が発達障害な事もあんまり認められない感じだったし。父母共に優等生だった故か。もう過ぎた事だけど、書いてて悲しくなってきたわ。もうフルタイムでは働かないって決めたから、もう治療する気もないけど、子供の時に親がもっと色々やってくれればと言う思いは確かにある。学校が辛くても、せめて家庭だけでも私を受け入れてくれたら。子供の時の記憶は、悲しい事ばかりです。

・朝の時間を守ることを以上に重要視するせいで道を踏み外す人が結構いると思う

私もそう思いますそもそも人には色々リズムがある訳で、全員朝9時出勤と言うのも無理があると言うのも同意です。遅刻する人に対する嫌悪も、「自分は周りに合わせてこの時間に来ているのにお前はゆっくりしやがって」という嫉妬なのかもしれません。

あと、大学の授業でやったのですが、日本人はとても均等性を重視するのだそうです。なので、その観点からも、遅刻をする人は「均等を乱す」ため、好かれないのもしれません。

・朝起きれないのは自己肯定感の低さが原因だった

自己肯定感が低いと、全てにおいてレベルが下がりますよね・・・私も、旦那暮らしから急速に成長したように思います。これから私はしばらく子供も作らず好きに生きる予定ですが、それは自分の自己肯定感を上げるために、必要な期間であるように思います

・小規模な会社なら増田の働けるところがあるかも

そうですね・・しかし、周りの人たちに聞きますと、大企業より中小企業の方がブラックなところが多いようで、就職先として探すのは尻込みしてしまいますコメントをくれた方は人を雇う立場なんてすごいですね。何かのご縁があり、あなたのように寛容な人の元で何かしら活躍できればそれはとても素晴らしいことだと思います

2017-11-27

明日健康診断だけど

19時17分に一回目を取った。

間に合うのか!?

2017-11-24

みんな自分の弱みを曝け出せる友人いるの?

健康診断精神科の問診みたいな奴で「悩みを打ち明けて相談できる家族以外の人が何人いますか」みたいな質問あるじゃないですか。いつも一人も思いつかなくて0人って答えて死にたくなるんですよね。

この質問に対する答えは0人だけど、でも一緒に遊ぶ人がいないってわけじゃないんですよ。それで尚更悲しくなるというか。同じ集団に属する人と遊びに行ったりご飯食べたりすることはよくあるクセに、自分はそれ以上人関係を深めようとしてこなかったんだな、環境に甘んじて友人がいる気分になっているだけなんだな、という気分になるんですよね。

から他人が「学生時代の友人と久しぶりに連絡取って遊んだ」とか言ってるのを見るだけで死にたくなるんですよ。ああ、この人はちゃんと属する集団が変化しても繋がり続ける友人を作れているんだな、俺にはそれができていないのに、って。


書いてたら尚更憂鬱な気分になってきたので寝ます。誰か慰めてください。

2017-11-23

今までとこれからの小さな取り組み。

  

ー 起床時:

 ゴミ捨て。ついでに散歩深呼吸

  寒かったら、無理はしない。身体を冷やすので。

  簡単な動的ストレッチ体操。。

  

日中スマホで遊ぶ時間を減らす。

  慌ててきたら、紙に書く。

- 一時的メモとして、理解を進めるために書くこと。

- 成功再現性を高めるためにノートに書くこと。

- 言葉だけでは、思い出しづらいことは、図解にする。

 

 

  

食事: 

- 朝晩・MCTオイル大さじ1/2

- 朝晩・プロテイン小さじ1杯

- 週に3度は発芽玄米雑穀米

  

ー 寝る前: ヴィパッサナー瞑想・歯を磨く。

食前に、漢方のお薬。

# 落ち着いたら、健康診断を受ける。接骨院へ行く。

  

2017-11-07

私の貯蓄額は470万でした

大学の頃から20代折り返しの今までコツコツ貯めて今年の冬のボーナスで貯蓄額500万行くな!とウキウキしてたら独り身の血縁者が突然病に倒れた。健康診断をきちんと受けていなかったこ親族、病状が悪く行政制度を利用しつつもそれなりに高額な医療費が掛かった。親族でこの医療費出資出来るのは貯蓄のある私だけだったので、貯金から払った。今後も通院が続くというのでお金を少しでも親族の手元に残させる為に、退院親族会社に持って行く菓子折り代も払った。借りているという駐車場代も払った。そういえば病院で使うタオルパジャマ、下着、洗面用具その他全てに掛かる費用も払ってる。

父親祖母が死んだ。幼少期散々母や私を虐げて来た祖母に対し払う金は鐚一文ないと思っていたが、祖母と一緒に私を虐げて来た父親は「俺の給料から天引き祖母葬式代を出す。嫌なら家から出て行け」と母に宣った。父親給料から月々祖母葬式代を出すと家計費は一万円しか残らない。母も働いているとはいパートタイマー、そう高い稼ぎは望めない。葬式代を払い終えるまでの二年間、母の支援の為に生活費を払う。

私には10歳上の姉と2歳上の兄、一つ年下の妹がいる。それぞれフリーターニートフリーターという肩書き実家寄生しており生活費けが掛かる。収入源にはなり得ない。家計は上記の通りなので生活費を払うが、私が必死に働いた金がこいつらの衣食住になると思うとこんな静かな夜なのにとても穏やかではいられない。

貯金残高がみるみる減っていく。今年中に500万到達なんて夢のまた夢だ。しんどいお金が減ることではなく「自分に原因がないのに、苦労して築いたもの他者によって崩されること」が苦しい。何で私がこの理不尽を負うのか?という気持ちが拭えない。私はケチなのか?金の亡者なのだろうか?ちゃんとした人は病気親族を労わり亡くなった方を悼み兄弟を我が身のように想うものなんだろうか。どれにも当てはまらない自分自己中心的なのだろうか。

今後も貯金残高が減ることが予想されて気が滅入る。こんなことのために貯めたんじゃないのに。自分の為に貯めたのに。

お金の話だしこんな内容だし、友達にも誰にも言えなかったからこうして吐き出せて良かったし反応まで貰えて嬉しかった。ありがとう

姉は以前外で借金作って、ヤクザ引き連れて母の職場に乗り込んできた前科持ち。借金作って借金取りに追われるまでの流れをもう数回繰り返してる。兄は母から貰った大学教科書代や定期代を全部趣味にぶっこみつつ、大学に通ってるフリを一年か二年し続けてその間母からずっと「教科書・定期代」を貰い続けてた。大学中退三十路間近の今までヒキニートニートだけど飯と風呂は人並み以上。

妹は就活時代説明会で頷いてる奴ら全員赤べこww馬鹿みたいwww」とイキッた結果フリーター。全員いつ他所様に迷惑を掛けるか分からんから監視下に置いておくというのが母の方針座間市の件が全く他人事じゃない、この三人は何をしでかすか分からない。生活費が足りなくなった母親キャッシングに手でもしたらそれこそ後が厄介なので足りないお金は私の貯金から出すのが一番平和ルートとして確立されてしまっている。本当は出したくない。でも職場に乗り込まれたりするのはとても困る。

父も姉も兄も妹も全員明日辺り不慮の事故で死んで欲しいと願わずはいられない。

こうしたあまりに不出来な親族は本当に、本当に呪いだと思う。私は前世放火殺人レベルの重罪を犯した罪を今償わされているのか?と思ってしまう。他にも更に苦労してる人は沢山いるだろうけど今夜くらいは苦労人としてその頭数に入れて欲しい。

増田達の家族ってみんなまともな人ばかりなんだろうか。自分もまともな親族に恵まれたかった。兄弟の人数だけは多いし、心強さを感じてみたかったな。

2017-11-03

デブジャニーズにはまってダイエットを始めた話

https://anond.hatelabo.jp/20170907021659


を書いてから約2カ月経った。

ダイエットを始めてからは4カ月。

始めた頃は74キロだったのが、66~65キロをうろうろするようになった。

今の所特に無理もせず、大きな戻りもなく、順調に続けて順調に下がっていっている。


正直誰からも「痩せたね」と言われる事はないし、見た目に痩せた感じは全くない。

もしかして体重計がおかしいのか、私がいつも見ているこの数字は幻なのかと本気で考えたりもしたんだけど、この前あった会社での健康診断でちゃんと体重は落ちてた。

よかった。


飽き症なんだけど当初決めたふんわりとしたルール

①無理はせず続ける事を第一に考える

毎日同じ時間帯に体重計に乗る

レコーディングする

④1日の摂取カロリー制限する

特に飽きることなく苦に思う事なくやっている。


①をまずルールとして設定したのは、昔きつめのダイエットをやって痩せたもののやめた途端思いきりリバウンドした事、ダイエット中にきつさに根を上げて成果が出るまで続けられなかった事があるからだ。

反動が起こらないような、また日常の延長線上にあるようなものにしようと思った。

また期間を限定してのダイエットは、「明日から」になりがちだし、結果が出なかった時の失敗感もすごい。

なので「無理せず」「とりあえず続ける」を一つ目のルールとした。


大きな戻りもなく、と上で書いたけども、小さな増減は結構ある。

1キロ近く体重が戻る事もある。

でも続けているとそこから減っていくし、一週間前と比べず、一か月前と比べると確実に減っているので、気にしない事にした。

あとグラフ(カロリー管理アプリを使っている)を見ると、一気に減る、停滞、少し増える、一気に減る、というサイクルが出来ているので、きっと自分が悪いのではなくそういうものなんだと。

ちなみに増え始めるのは月経の前で、一気に下がるのは月経後だ。

これは皆そうなのかな?それとも人それぞれなんだろうか。

月経前にはお通じが良くなるのでそれのせいもあるかもしれない。

あんなに憂鬱だった月のものが今はちょっと楽しみになっている。


無理をしない、で言ったら、カロリー制限以外の事は基本的に考えない。

制限内ならお菓子も食べるしラーメンも食べるしハンバーガーなんかも食べる。

飲み会では一応気にしつつもカロリー上限を超えても仕方ないと思うようにしてる。

糖質脂質もあまり気にしない。

塩分を取り過ぎた翌日は確実に体重が増えているので、塩分取りながら「明日は増えてそうだな~」と思うけど別に気にしない。

一日の摂取カロリーの上限だけを気にして、食べたいものを食べてる。

たまに馬鹿食いしたくなる時はある。

でも自担の美しさとあの時の居たたまれなさを思い出す事で簡単我慢できるようになった。


あー、でも二つほど悩みがある。

一つ目はこれまで快便だったのが便秘気味になっている事だ。

正直これまで便秘で悩んだ事はなく、ダイエット便秘が結びつかなかった。

大体のダイエットサプリ説明を見ると便通がどうのこうのって書いてあって「私快便で太ってるけどな?」と思ってたんだけど、単に私が快便だったのは過剰なカロリー摂取のためだったようだ。

便秘苦しいね。快便、下手したら下痢気味で生きてきた私には、この辛さがわからなかった。

お腹重い。あと便秘してると体重が減らない。出すと減る。出したい。出して減らしたい。

これかあと思った。世のダイエットサプリが訴えてた事は本当だったんだ。(サプリが効くかどうかはともかく)


二つ目睡眠時間体重の増減に割と直結している事。

ジャニーズにハマる前からとあるスポーツ観戦が趣味なんだけど、特に海外選手応援しているので、夜中に放送されるそれをリアタイするには睡眠時間を削らねばならず…。

仕事で日付超えてから帰宅しても一旦仮眠して3時に起きて観戦した日に体重計乗るとガツンと増えている。

最初摂取カロリーさらに抑えてみたり、便秘薬飲んだりして改善を図ろうとしてみたんだけど変わらないしなんでだろ?と思って自分の行動と照らし合わせてみたら、見事に観戦のために睡眠時間を削った日とかぶってた。

かといってリアタイ観戦はやめたくないので、できるだけ仮眠時間を取れるようにしよう、と思っている。(なかなかできていない)


自担が毎年やってる舞台が冬にあると仮定して、そこまでにあと2キロくらい痩せたいなあ。

そしてGのツアーまでにはあと5キロくらいは…。

最終的には自担体重と同じくらいには…。

自担、54キロなんだって身長は私よりもあるのに。筋肉もあるのに。

8キロ痩せた私よりまだ11キロも軽いとか私どれだけ太ってるの。


道のりは遠い。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん