はてなキーワード: 洋式とは
昨日、久しぶりに和式トイレでうんこした。とある施設に行き、そこは古すぎて昔の小学校のようなところだっんだが、飯くった後で、なんとなくうんこしてぇと思ってトイレに行ったら、洋式トイレが故障していた。ちくしょうって思って、でも和式トイレしか残ってなくて、和式トイレなんか、5年ぶりぐらいだわって、まあしょうがない、ここでうんこするかって、うまくできるか心配で事前に「和式トイレ」って検索して姿勢を確認したりして、和式トイレでうんこすることを決めた。念のためズボンは全脱ぎにして、これぞ “うんこ座り” だなって、蹲踞(そんきょ)の格好でいつもより丁寧にうんこ。幸いにしてブリブリって強めのうんこじじゃなくてしっとりとババナのブツが出たので汚れずに済んだ。うまくうんこできたらよかったけど、やっぱ和式トイレでうんこするのはめんどい。
ここ数日、Xのオススメで一生男女の「清潔感」についてのバトルが流れてくる。
大抵、男性側の主張は「清潔感=外見の良し悪しである」というもので、女性側は「外見の良し悪し問わず、日頃のケアなどの問題」みたいな感じ。
オススメに流れてくるたび「ガチで不毛だな〜」と思いつつ、自分の中にある「清潔感の有無」の定義と同じことを言ってる人を見かけないので、ここに書き残したい。
ーー
「パッと見た時に臭そうと感じるか否か」
である。
男性でも見た目で「臭そう」って判断することはあるんじゃないですか?バキ童の動画でぐんぴぃが「(臭そうと思ってたけど)やっぱり臭かった」って言われているのを見たので、少なくとも見た目で匂いを想像して臭い/臭くないを判断する人は0ではない。はず。
・髪
・体型
・服装
が主だと思う。
ワキガなどの潜在的な臭いの原因以外に、臭いを発生させるものといえば「汗」
結局、パッと見て「汗」を感じさせると、清潔感が無いと感じる。
髪に関しては、ぺったりしていたり、張り付いていたりすると「汗」を感じる。
だから、短髪のほうが「爽やか」と言われるし、ある程度セットされた髪の方が良しとされる。
体型は特性として、太っている方が汗をかきやすいため、細身の人間より太っている人間の方が「汗」を感じる。
服装に関しては、ヨレヨレのTシャツからは今までの「汗」を感じる。
体型に関して言及しているので、「結局容姿の良し悪しじゃないか!」と言われそうだが、自分の中では「容姿」は「顔」の話だと思っているため、少しちがうというところはご容赦願いたい。
まあきっと、良い匂いのするデブとワキガのイケメンが電車に座っていて、絶対に座りたいくらい疲れているけど、どちらかの隣に座らないといけないとなったら、きっと私たちはワキガのイケメンの隣に座ってしまう。
でも、同じシチュエーションで座席の両端にデブが座っていて、方や髪が整えられたデブで方や髪がぺったりしているデブであれば、絶対に前者の隣に座る。
つまり清潔感って、容姿の良し悪しというよりも、同じ容姿のレベル同士で並んだ時に少しでもよく見えるかって話なのだ。
最近、女性用トイレの列の長さを解消するために女性用小便器を導入しろという話が燃えているのを見た。
「体の構造が違うってことをわかっていない」と猛反発にあっていたが、そんな体の構造の違いなんて知る機会がないのだから一方的に攻め立てても仕方がないだろうと思う。
筆者は身も心も男である。証明することは難しいが、男子トイレに「もう一歩前へ」みたいな張り紙があることを知っている。逆にちんちんを使わずに小便をする人々の存在をいまだに受け入れられずにいる。性教育で身体の違いは教えられても、生活の違いを男が知ることはない。いくら身体を交えた経験があったとしても、そこに何も生えていないとしても、排泄は生殖の先にある謎であり、法を犯さぬ範囲ではAVを教材とするほかなかったのだ。
そんなとき、とあるweb広告で「女装用シリコン性転換パンツ」というものが存在することを知った。これなら自分で実験できるではないかと思い、ついamazonにあった商品を購入してしまった。きょうはこの性転換パンツについてのレポートを書き残しておこうと思う。
〜はじめに〜
性転換パンツとは、男性部を目立たない形に収納することで、女性のボディラインを再現することのできるコスプレ用ボディスーツの一種である。今回購入したシリコンパンツには尿道がついており、導尿管というチューブに自分の息子をはめるとそこから擬似性器から排尿が可能だ。
ボディスーツには、胸部に着用するシリコンバスト、全身を覆うボディスーツ、そして臀部を覆うシリコンパンツの3つに大別できるようだが、今回、シリコンパンツを選んだ理由は一つ。「バレずに実験したいから」である。今回実験する公衆トイレというのは、当然男子トイレを利用するので、下半身だけならゆとりのあるズボンを履けば誤魔化すことができるためである。
〜道具の取り扱い〜
隣の大陸からの輸入品に日本語の取説はない。ここでは後学のために道具の買い方と使い方を書き記す。家族に見せられないひみつ道具には受け取りに工夫が必要だ。備品の購入は全てAmazonを利用した。ユーザー名は匿名、受け取りはコンビニだ。対面で受け取りたくないのでロッカー対応の店舗を選んで、わざわざ電車で受け取りに行った。
性転換パンツはシリコンのため、着用前にベビーパウダーで滑りを良くすることが推奨されているが、理由はそれに限らず、シリコンへの汚れの付着や加水分解を防ぐためでもあるらしい。まぶしておかないとベタついてしまうので注意だ。ドンキの乳児用品コーナーで入手したが、パフで塗る固形タイプではなくボトルでサーっとかけられるタイプの方が適していたと後悔している。
次に排尿を試すためにレディースの下着を買う。尿道口の位置が違うので、メンズ下着だと万一漏れた時のリカバリーが難しい。とりあえず使い捨てのつもりで、ニッセンの徳用品を買ってみる。余談だが下着泥棒を演じる動画で似た下着を見かけるので同じように手頃に買う人がいるのだろう。シリコン越しなので着用感を気にする必要はないとは思うが、女性のヒップが大きいことを考慮してもLLがきついと感じる。特に大きなサイズと書いてあるものが良いようだ。
今回は、ネカフェを拠点として着替え、近隣を散歩してみる。ネカフェの良いところは着替えができ、シャワーもできるところだ。
導尿管部分についても、特に取扱説明書はないが、コンドームをはめる要領で巻けばフィットしてくれるので、これでシリコンパンツを履いたまま排尿することができる。
散歩を終えたら、ネカフェでシャワーを浴びる。体に塗り込んだベビーパウダーを洗い流さないと、実家の風呂に浮き上がってしまう。そしてシリコンパンツも入念に洗う。特に尿道と疑似膣はぬるま湯でよくすすいでおく。そしてタオルに包んでおき、ドライヤーで乾燥させ、保管用のジッパー付き袋に入れてロッカーに保管する。
〜実験〜
装着が終わり、鏡越しに見た自分の体は、男性部がなだらかな丘になって、少し柔らかい印象を受けた。しかしズボンを履けばなんの変哲もない男性が出来上がり、ちんちんのない生活を試しているとは誰も気づかない。さっそく公衆トイレに入って排泄を試してみることにした。
最初はなかなか尿を出す勇気がなく、尿がでない。なんとか腹筋に力を入れて尿を押し出し、やっと出すことができた。それでも初めての座り小便は勢いが足りず、ただ下に垂直落下するだけであった。AVで仕入れた知識なら、女性にはもっと勢いがあると思っていたが、パンツの構造上こうなってしまうのだろうか。何もかもが新鮮で頭が真っ白になった。
この身体は尿路をコントロールできないどころか、そもそも尿道口を目視できないため、きちんと排尿できているかどうかは、もう祈るしかない。不安なのでスマホのインカムを車のバックモニターごとく、鏡の代わりに様子を見ながら用を足したが、失敗してトイレを汚したら大変であるからとても緊張した。
洋式の他に和式便器も試してみたが、これも下にチョロチョロと垂れるだけでコントロールが難しかった。
そしてパンツの構造上、残尿がどうしても生ずる。トイレットペーパーで股を拭くという行為を初めて体験したが、凹凸を拭くのはかなり手がかかる。そして尿道の周りに残尿があると立ち上がった時に垂れる。ここをきちんと拭かないと下着が濡れてしまうので不快感も大きい。我々のようにブンブンと振って解消するものではないのだ。
とくに困るのは、大きな排尿音である。水たまりに尿が落ちる音が個室のブースに反響してしまう。男性用トイレの個室でも、あんな音がしたら異常事態だと思うだろう。いくら個室でも恥ずかしい。音姫というものが女性から支持される理由がわかった。正直なところ、筆者もたかだかトイレの音で何を恥ずかしがっているのかと考えていた側だったので反省した。
〜感想〜
ここまでの実験の結果、女性の排尿が男性に比べいかに難しいかを学んだ。これをもとに回転率を上げる方法について考察する。まずは経験から問題点を挙げる。
・排尿音が大きい
・尿路がコントロールできない
・残尿を拭かなくてはならない
SNSの一件で、回転率を上げるために個室をなくすという案があったが、轟音を響かせながら周囲に顔を見せるのはとても恥ずかしいと思うし、失敗を周りにみられるのも恥ずかしいと思う。
また、男性が丸出しの小便器を利用する理由として、見られても恥ずかしくないからという意見が多く上がるが、一方で男子小学生の間では「ウンコをしていると思われる」という理由からプライバシーのある個室すら嫌がる意見があるともいう。これはもしかすると、見られるよりも音を聞かれることの方が恥ずかしいと言うことを示しているのではないか。
尿路のコントロールは、尿道口から伝う尿が問題なので、サニスタンドのようなかがむ非接触便器では困難かもしれない。
最近では、女性の防災用品として立小便を補助するアイテムが販売されているとも聞く。これなら密着して利用できるので安全に利用できるように見えるが、紹介動画を見ると実際の男性に比べて勢いがないように見受けられる。これには今回の性転換パンツと共通点があり、一度尿道から出た尿をチューブでコントロールすることは難しいのだろう。
局部を拭く問題は、便器だけではどうにかなる問題ではないだろう。海外には宗教的な事情から男性用小便器にもペーパーとゴミ箱を置いたり、シャワーを置いたりする例があるらしい。小便器は紙を流さないので、拭くとなると処理が大変だ。サニスタンドは紙を流すだけでなく吐瀉物の処理にも使えたと言うが、水たまりを作れば騒音の元になる。インフラ整備を考えると姿勢の問題よりも紙の問題が課題になる。
女性用トイレには小便器がないので気軽に試すことは難しいと思うが、立小便補助デバイスで排尿音を軽減でき、コントロールも確保できるとすれば便利ではとも思う。もちろん何十年も自身の体に慣れていれば、わざわざこんなものに頼ろうとは思わないだろうが。
難点はデバイスを持ち歩かなくてはならない点と、洗うための水栓または使い捨てデバイスを捨てるゴミ箱を配置しなくてはならない点だろうか。少し手や金がかかるインフラにはなるが、利用者が短時間に集中するイベント会場のトイレに設置するのであれば、せめて漏らすリスクに対しては保険になるのではないかと考えた。
では、性転換パンツと立小便デバイスを組み合わせて男性用小便器を使ったらどんな困難があるのか。これを試すことは男にしかできない、最も男らしい行為である。シリコンパンツは汗を吸ってくれないので夏は封印して、涼しくなる季節を待って実験してみようと思う。
〜結論〜
女性の体で立ち小便をするのは困難であることがよくわかった。本物の女性なら勢いよく出せば解消するのかもしれないが、性転換パンツには陰唇がないのでより複雑な問題を知ることができない。ただ少なくとも、残尿レベルの排尿で事故になる可能性があることは示されたと思う。つまり体の構造上、洋式便器とトイレットペーパーの組み合わせが手放せないのだ。この構造を保持したまま、他の改善でなんとかやりくりするしかないのだろうと言うのが筆者が体感した上での感想だ。
しかし実験を経て巷の意見を読んでみると、色々疑問が出てくる。そもそも何故トイレに安心感やプライバシーと言う概念を持ち込むのが重要なのだろう。
そんなにトイレで尻を出すのが恥ずかしいのか。我慢ならず駅のホームで漏らしてしまう方が恥ずかしいに決まっている。電車で化粧することが迷惑だろうか。電車で小便する方が迷惑であることに議論の余地などない。安心や快適の前に、漏らさずに済むトイレという本来の役割を、近頃のデザインや居住性を重視したトイレは見失っていないだろうかと思った。
災害時におけるスフィア基準があったところで、同じものを男女平等に食べれば同じものが出る。そしてトイレに使えるスペースは限りがあるのである。公共施設における小便器とは、そうした限られたスペースにおいて、竿を出すことで失禁から人を解放する便器である。したがって女性も小便器を使えと言う思想が「女性を悪い待遇に合わせること」だとは筆者は思っていない。ただ今は体の制約とうまくマッチしないだけで、フェムテックと呼ばれるような分野で技術革新があるかもしれないからだ。
日本でのトイレの平均的な利用時間は、大しか使わない男性に比べて女性の平均値のほうが短いとされている。今回の実験で小便器の配置が混雑緩和に寄与するとは考えにくいと言う結論に至ったが、不適としても、たとえば洋式便器を大小に分離して2列に並ぶだけで混雑緩和に有効かもしれないとか、体の違いを踏まえた改善を試みるべきではないだろうかと思う。筆者が知らないだけですでに女性用トイレがそういう作りになっているのだとしたら申し訳ないが、トイレを拡張するのはそれからでも遅くないだろう。
そしてここまで読んでもサニスタンドを女性に勧めたい男性諸君は、ぜひこのシリコン性転換パンツを履いてみてほしい。1万円ほどで不便な座り小便ライフを体験できるので、そこらの雑学本を送料かけて取り寄せるより良い教材になるだろう。それでもサニスタンドを勧めたいだろうか。現代人にとってこれはもう、外国人に和式便器を強要するようなものなのである。
https://x.com/thankyoukurata/status/1804515593972060590
クラスの友人たちと百貨店のトイレに寄ったら女性用は外まで並んでいた。友人が言うには「台湾の女性用トイレは男性トイレの3倍の面積にすることが法律で決まってる」らしい。
そこで、なぜ日本の女性用トイレは並ばないくらい広くなっていないのか議論になった。
知ってる人がいたら教えてください。
たまたまXで見かけたんだが、正直、新しく作る施設じゃないと無理だし、リプライで書いている人もいるように売り場面積が減るから積極的にこの流れができるのかは疑問だ。
そこで思ったんだが、旧国立競技場に設置されて普及しなかった女性用小便器を導入するって手は今の時代ならどうなんだろう?
女子トイレの行列は女性が用を足すのに男性より時間がかかるのが原因とはよく言われる。小便のときも大便をするのと同じ動作をしていたら時間もかかるのは理解できる。
国立競技場に導入されたTOTOのやつが普及しなかったのは「下品だ」という女性に貞淑を求めていた時代にそぐわないかららしい。
それなら今の時代なら昔のように貞淑を求められるわけじゃないだろうし、トイレの行列の問題は他ならぬ女性が困っているので受け入れられるのではないか。
実際、便座の衛生状態が気になって腰を浮かして小便をする女性が結構いるそうだから、同じ姿勢で使用する女性用小便器は一つの解決方法にならないか。
別に全員が使う必要はない。男性だって個室で座って小用をする人もいるわけだから。
それでも、30%でも50%でも使う人が出てくるようになれば列も小さくなるんじゃないか。
男性よりは小用の時間は長いがそれでも大便器に腰掛けるより早いというのは導入している国などでは見られているし、面積当たりの設置数も大便器だけを設置するより増やせる。
最近はアメリカなどで男性に近い姿勢で小用をするための立ちション器具というものもあり愛用している人もそれなりにいるそうだが、そういうものを利用してさらなる時間短縮もできるのではないか。
その点だけは理解して頂きたい。
小学生の時、夏に暑くて「先生、暑いです」って言ったら「みんな暑いんだから我慢しなさい!」って言われた。教室に冷房は付いてるし、よくネタにされるけど職員室は涼しくて、なんで教室はダメだったんだろう。クラクラするくらい暑かった。
それから水道の水は冬に冷たすぎて手が痛かった。ショッピングモールのトイレは温水だったから、大人っていいなあと思っていた。授業参観で来た親が水道で手を洗って悲鳴を上げて、「いつもこんなんで手洗ってんの」と驚いていた。
トイレはタイル張りで、和式ばかりだった。1階のトイレには1室だけ洋式があって、なるべくそこに行くようにしていた。学校の教えではなるべく和式を使うようにと言われていたけど、トイレ掃除の時の和式の汚れ方にはゲンナリしていたので、全室洋式にしてほしいと思っていた。
中高は私立に進学したので綺麗だった。
国立大学に進学した時、そこの講堂もかなり年季が入っていて昔を思い出したものの、空調設備もトイレも水道も大人基準になっていたので特に困ることはなかった。投票権という言葉が脳裏によぎった。
世の中が大きく変化していく中で、小学校だけは何十年も前のままだ。生活の中に嫌な思い出がたくさんあって、もし記憶を引き継いだままあの頃に戻って人生をやり直せるとしても戻りたくない。学区を選べば最新式の綺麗な校舎の小学校に通わせられるだろう。しかしそもそもそういうガチャ要素が国や自治体の施策で用意されているのが気に入らない。親が工夫すれば解決するということは、親が無頓着な限り子どもは苦しむのだ。かといって、調べればクリアできる課題を一つ一つ潰していくなんて面倒くさい。
子どもを持たない理由が一つ増えてしまった。その他にも性犯罪教師の存在や、PTAのめんどくささ、旗振り当番のめんどくささ、オムツの値段、食費のこと、保育園のこと、時短勤務のことなど考えることは山積みで、もうどうしようもない。どうでもいい。犬や猫でも飼って心穏やかに暮らしたい。
あの時代の空気がいやだ。やっぱり。
そこらじゅう道端吸い殻だらけでタバコ臭かった。
切羽詰まっていても、トイレの入り口でティッシュを自販機で50円で買わないといけなかった。
トイレの落書きは個人情報にあふれ、描き殴りの絵は肉欲や憎しみ世の中への怨念に満ちていた。
洋式便座は主流ではなかった。
都心へ向かう列車のラッシュは殺人的で窓ガラスはよく割れたし、乗れないし降りれないし、学生が圧死したこともあった。
時刻表は駅の通勤区間部分だけ持っていた。定期券入れ用のポケットサイズになっているものが駅に置いてあった。
乗り換えの大きな駅でもないかぎり、エスカレーターもエレベータもないので急いでいるときの駆け上がりがきつかった。
改札前には黒板かホワイトボードがあって、待ち合わせなどに利用していたが、全然関係ない鬱になってそうなことを書いている奴もいた。
自家用車は2ドアのセダンが多かった。なんであんなに乗りにくい車が主流だったのかわからない。
カーオーディオはせいぜいラジオくらいだったので、後部座席にラジカセを乗せていた。そして誰の車に乗ってもタバコ臭がきつかった。
エアコン搭載していない車もありふれていた。ちなみに列車の車両も扇風機が多かった。
ナビはないので道路地図の予習が欠かせなかった。ETCもない。車には小銭ホルダーが必須アイテムだった。
交通事故が多発していて、毎年のように今の6倍くらい死者がでていた(1万5千人オーダー)。
86年以前は原付はノーヘルだった。加速が売りの2ストのバイクが若者に人気だった。そりゃ死ぬよな。
排ガスがひどく、日中でも薄く煙っていることもあった。喘息が社会問題だった。
そこへいくと、今はほんと空気がすがすがしいよ。
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193040
この大学を卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。今はキーボードとか作る仕事をしている。東京~神奈川にオフィスや工場がある会社である。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民やはてな民とニアミスしてるかもしれない。
今では佛教大学に感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。
仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。
この道は、正しかった。第一志望の大学に不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格をバカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。
自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。
でも、実は後悔がひとつだけある。卒業式である。実は、自分は卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト+飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。
失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。
というわけで、先日3/18(月)に佛教大学の卒業式に参加してきた。もちろん保護者席である笑
後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。
焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館の和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。
式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館の和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。
会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。
とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後はプロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。
ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室で学位記を受け取る儀式があるのだ。
ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から「部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。
卒業式の会場を出てから、100席ちょっとの教室に入ると、今まさに社会学部のとある学科の学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。
約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまりに煩いものだから、学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑
あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後に卒業生代表が、ステージ上で「私がこの学校に入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月の最後の最後まで受験を続けて、それで最後に合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業生諸君は大騒ぎだった。卒業生代表の話なんて聞いちゃいなかった。
今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして、少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?
それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。
(以下要約)
・あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた
・入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う
・社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい
すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。
※推測だが、2020年当時って、入学式やオリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルがコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。
ちなみに、ほかの学部の学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生も学生も、熱の篭った感じで最後の儀式に興じていた。特に、教育とか保健とか看護の学部がよかった。
大学を出た後、近くにある千本北大路の交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。
社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。
これで結びになる。
若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分が雑魚すぎて嫌だった。
「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。
大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業、アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分の雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。
今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニングの勉強をしている。
なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツ机から立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。
「あきらめないでくれ……」
夢の中にいる自分は、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。
「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」
って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。
でも、現時点の感覚で、「学生時代は楽しかったか?」と自問すると、「楽しかったよ」が答えになる。
当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。
苦しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分で自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?
確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか。自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって。無意識ではわかってる。
だから、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。
苦しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。
今回、自分の記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学の卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。
https://ameblo.jp/kamosikaneko/entry-12409589412.html
皆ケ作 遊郭跡
2018-10-04
京急田浦駅の海側に元海軍造兵本部があったので・・さぞかし賑やかだったと思われます。
(写真多数)
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/kanagawa_data/kaigasaku_file.htm
三浦半島の追浜と横須賀の間は平地が少なく入り江の地形のため、国道16号線と京浜急行が並走し、トンネルが連続する。そんな入り江地形の一つ、横須賀の北、長浦港に面する皆ヶ作という町がある。横須賀は近代、軍港として栄えた町であり、3つの遊郭があった。一つは軍港の開設にともなって置かれた「柏木田」、新開地として整備された「安浦」、そして規模は小さいが田浦と追浜の間の皆ヶ作である。
京急田浦駅を降り、国道16号線を100mほど横須賀方面へ歩くと、左手海側に「仲通り商店街」のアーケードが見える。アーケードは今や寂れた商店街だが、そこから左右の路地に入ると住宅街の中にかつて花街時代の建築が残っている。昭和30年では、40件ほどの店を数えたという。
銅板貼りやモルタル吹き付けの看板建築、伝統洋式の建築が細い路地に面してポツポツと建っている。比較的大きい割烹料亭もあった(現在営業しているかは不明)。建物のデザインは、玄関周りや窓周りに人目を引くための独特な意匠が施されているので、注意して見れば単なる住宅建築ではないことは分かる。かつては港に近接し、港近くの飲食店がひしめいていたような場所があったが、港が埋め立てられたため今や必然性のない不思議な場所になっている。
http://sasabarikenta2019.blog.jp/archives/6127575.html
【神奈川県】横須賀市船越「皆ヶ作カフェー街」201203・201808
前回は安浦の旧赤線跡を取り上げたが、横須賀にはその安浦の他にもう一か所同様のカフェー街があった。
それが今回紹介する「皆ヶ作」、現在の地番で横須賀市船越、最寄り駅は京急田浦だ。
「安浦よりちょっと落ちるが、田浦と追浜の間の皆ヶ作にも四十三軒ほどあり」
という。
この「皆ヶ作」の近く長浦港には戦前、海軍工廠造兵部があり、戦後は東芝に変わっていた。
おもしろいのは、割烹や料亭のような建物が残っていたことで、恐らくは芸者もいたのだろうと思われる。
完全に私娼街の安浦とは違い、ここはカフェーや銘酒屋から転じた赤線と、花街の両面を持ちあわせていたのだと思われる。
実は、皆ヶ先には二度訪れている。
ネットの情報などによれば、北側に行くと更に遺構が残っているというのだ。
その確認のため、5年後に再度訪れた。
(略)
写真多数あり
https://bonzin529.exblog.jp/10068182/
古い文献には現在の船越町6丁目方面に花屋敷と呼ばれた花柳界が存在し、戦争や法律変更等で、時代に合わせて業態変更を繰り返していったのだと思います。なんと言っても横須賀市は軍港の町です。現在は船越町1丁目にある仲通り商店街周辺に、昭和の香りを感じられる建物が多く残っています。
常々、歳を重ねるとトイレで大をするたび肛門のセンサーが衰えたなって思う事があったのね。何かというと、自分が大を輩出した時に予想したサイズより明らかに大きなサイズのものが出てて、自分の肛門の感覚と実物のサイズの乖離が広がってると感じることが増えてきたのね。
そんで、こないだ道の駅で久しぶりに和式を使ったらさ、メチャクチャ肛門の感覚と出てきたもののサイズ感が一致してたのね。その原因を考えたんのね。
普段さ、洋式を使う事がほとんどなんだけど、奴らはその形状上、肛門からトイレの穴までの経路に、ちょっと傾斜がついてんのよね。だから重力に従いつつも出た物は滑らかにゆっくりと滑り下りていくし、そしてここが重要だけど、底の穴の奥にも先端を少しずつ折れながら沈んでいくから最終的に目視確認した時に目に触れる長さが短くて、奥に入って見えない部分の量が少ないのね。だから肛門の感覚ではかなりの大物なのに出てきたものは少ない(短い)と感じてしまう。
それに比べて和式はそもそも肛門と便器の距離が近いからすぐに出たものが折れてしまい、それが肛門に出た物の硬度粘度をダイレクトに伝えてかつ、重さも感じさせるのね。そして何より便器から便器の穴までのルートが水平なので水を流さない限りは出たものがすべて可視化された状態で視界に提供されるわけよ?
今日、ホント凄かった。ちょっとしたエンタメだった。私の腹の中にこれだけの物量が眠っていたなんて……この和式トイレの貧弱な水流で流れきるかな……って思った(便秘でもなく水分も程よくあったため、なんとか流れた)。
いやあ、あれを楽しむためだけに和式に入ってもいい。和式に入るために体重を落としてもいいと思った(そう、この痛む膝のためにも)。
じゃ出てないやつ。和式を使ってみる。
実体験じゃなくて伝聞なんだけどさ。
洋式を使う時と姿勢が違うじゃん?日本人の体にあってて、和式だと出がよくなるって聞いたことがあるよ。
https://www.irisplaza.co.jp/index.php?KB=SHOSAI&SID=H250252
こんなのもあるみたい。
今日もまた職場の男性社員(50代)がうんこ漏らしたみたいでうんこ臭い。パンツにうんこ付けたたままくさい。
尿道と違って、直腸から肛門への距離が男女でそんなに違いがあるというでもなさそうなのに
なんで男はうんこを漏らすのか。
と考えていて、排泄の姿勢が関係しているのではと思い当たった。
女は小でも大でも大抵は同じ姿勢になるけど、男は違う。
洋式でも和式でも大と同じ姿勢で小する男もいるだろうけど、大は個室という形式のトイレも多い。男の回数は、小する姿勢>大する姿勢になる。
対して、女は大だろうが小だろうが同じ姿勢になるわけで
小のつもりで屈んだとき、思わずとかついでに済ませてしまうことも多いと思われる。
男子トイレは大のための個室があって、その個室に入る=大、という認識があるのも、自宅以外で大をしない傾向になってしまう一因なんだろう。
からかわれたり、うんこマンとかあだ名付けられたり、そういうのもあって
うんこ漏らしに繋がって……ないよな。大人になれば男だろうが女だろうが、自分のうんこを排泄するタイミングや肛門の許容範囲くらい把握できるよな。
自分がうんこ漏らした過去や、うんこ付きパンツを恥だと思う分別があるなら
サンプルが少なくて申し訳ないんだけど、今まで付き合った男性は、パンツにうんこ付けてたことはないので
こうなるとなにを書くことがある?
2ちゃんねるにある未来人のひとのように覚えてることや画期的なことで教えられることってなにかある?
・アップルとグーグルがスマートフォンを発売する。携帯電話位の大きさのネット端末をほぼ全員が持ち生活が大きく変わる(2010年ごろ?)
・コロナが流行している中東京オリンピックは開催される(2021年)
・ジャニーズと宝塚と松本人志と日テレがスキャンダルで壊滅的な打撃を受ける(2023年)
・統一教会が安倍総理暗殺をきっかけに打撃を受ける(2022年)
・全体的に値上げする(2024年)
・イチローも長かったけど流石に辞めてる
・任天堂はすごいまま
【追記】
・公衆トイレはほぼ洋式で公衆トイレですらウォシュレットが装備
・コンビニは淘汰されまくりでローソンファミマセブンがほとんどになる
・2001年にアメリカで旅客機をビルに突っ込ませるテロが起こる
・宮崎駿は何回も引退宣言しつつも映画を作り続けて海外でも賞をとる
・天皇陛下が上皇して年号が変わる(平成天皇も2024年現在は生存)
・パソコンはなんかすごいまま
・こち亀終了、ゴルゴ13やクレしんは作者が死んだけど連載続行、ガラスの仮面とHUNTER×HUNTERは作者健在だけど進行しないまま連載も継続
・ソニーが任天堂に対抗してゲーム機を出す今は5台目。一方残念ながらセガは、、、
(んー、書き込めることねえなあ)