はてなキーワード: 縄張り意識とは
ホームレス関連の投稿がバズっているので、ホームレス経験者の俺が思い出を語るぞ!!
https://anond.hatelabo.jp/20221120222034
「ホームレス?今は福祉が充実しているから好きでやってるんじゃないの?」
「結局ドヤ(安宿)で寝れるからそんなにつらくないんじゃない?」
「実際気楽なんでしょ?」
という声を聞くので、全部答えるぞ!!!
ではまず睡眠編!!
ダンボールが快適なのはガチ。「家電製品に使われるダンボールは二重になっているからより快適」という情報が一部であるが、それはウソ。無尽蔵にあるダンボールを重ねれば良いだけなので、元から二重なのかどうかはほとんど関係がない。たまにペラペラのダンボールだと重ねても地面の冷たさが伝わってくるが、より重ねてダンボールのミルフィーユにすれば地面の冷たさは回避できる。逆に言うと地面の冷たさを回避できれば割と勝ち。毛布は配布している人がいるので、もらおうと思えばいくらでももらえるが、2枚あれば十分。
寝るときに聞こえる若者が怖いのも、これはガチ!!いや警察なんかは全く怖くないのよ。むしろほとんどかまってくれない。若者がホームレスを襲撃する事件はたまに起きるのでリアルガチで怖い。ちなみにホームレスじゃなくとも、浜辺でキャンプしている人なんかが馬鹿な若者に襲撃されたりする。人が寝てると若者は襲撃したくなるらしい。
「冬の寒さがきつそう」と思ってるお前!!解像度低いぞ!!!よく考えてみろ。冬は着ればなんとかなる。夏はどうにもならないんだぞ。死ぬぞ。あと体中が痒くなって死にそうになる。寝床のタオルケットも秒で臭くなるので寝る前に鼻を慣らさないといけない。夏はまじできつい。夏 is 地獄。ホームレスが100人いたら99人は夏のほうが地獄って答えるぞ!!!一応補足として言っておくと、冬も寒くて死ぬほどつらい!!起きたら枕元の飲み水が凍ってて飲めないとかな。冬は楽という誤解を与えたらごめんな!!
「ドヤ?宿?雨風しのげるところで安く寝れるんでしょ?」YES高須クリニック!!!大体1000円前後のところが多い。広さは1畳強からせいぜい3畳くらい。テレビがついてるところも多い。エアコンもあるにはあるが、隣の部屋と共通になってる(エアコンの正面にベニヤを立てて二部屋に分けてる)ことがあるので、あまり好き勝手にエアコンは操作できない。しかし俺が言いたいのはここからだ!!安宿あるからいいじゃんと思ってるそこのお前!!!ドヤの部屋はなぁ!!!くっっっっせえのよ!!!!いやマジ。カビなのかわからんけど黒ずんでるし、人の脂で黄ばんでるし。常識的に考えて、一泊800円の宿が布団を毎回洗濯していると思う?いやしてるところはしてるけど、5000回くらいは洗ってるからボッロボロよ。しらんけどダニもいるんじゃないか。でもなんか今画像検索したら結構きれいな感じになってるな・・・。画像だと匂いが無いからキレイに見えるのか、昔と違ってドヤも清潔になってきたのかはわからん。以前のドヤは他人の靴下で寝るようなところだった。
確かに福祉は充実してる。これはガチ。多分今職を失ってすっからかんになっても、なんやかんやでうまくやればタダでアパート住めるし生活保護費も振り込まれるでしょう。うまくやればな!!!
あのですね、「貧すれば鈍する」、これも本当にガチなのよ。金が無いとそのことで頭がいっぱいで、福祉の窓口に行こうだとか保険だとかなんだとかってのに頭が回らんのよ。正確に言うと金が無い時というよりは金が消えてく過程だな。完全に金が無くなったらどうでも良くなって暇な時間増えるから福祉にたどり着ける。しかしそうなってない状態は、元記事にもある通り、「残高は自分の寿命」のように思えるのよ。だって金がない状態で生きたことないのに、金がなくなるんだぞ。そら心配するやろ。そのことで頭いっぱいになるだろ。一日あたりいくらあれば生きられるのか日割り計算して、スーパーで売ってる中で一番カロリーを安く確保できるのは何か探す。これで精一杯よ。だってそもそも、そういう状況に陥ってるってことは、病気とか何かしらで働けてないということだぞ。単に馬鹿なだけなら福祉にたどり着けるが、それなりに働いてた人がホームレスに落ちる過程というのは、思考力は常人の10/1になってるからたどり着くべきところにたどり着けない。ガチ。
貯金が100万あればしばらく生きていける。収入無しで10万切ったらどうする?日割り計算するんじゃないか?寿命が見えてくるよな??1万円切ったら酸素が薄くなってきて寿命寸前よ。今の社会の人間はな、所持金10万円以上持っていた人が10万円以下になると酸素が急激に薄くなるようにできてるのよ。そんな酸素薄い状態の人に、酸素いっぱい吸っている人が「雇用保険が云々、傷病手当金が云々」って、そんな漢字ばっかりの文字を理解できると思うのか???思うならそうなんだろう、お前の中ではな!!!
日銭は結構稼げる。福祉としてホームレスに直接金を配るわけにはいかないが、放置もできないということで、くっっっそ簡単な仕事で高時給な仕事がホームレスに割り当てられたりする。ホームレス特権じゃ!!例えば公園の掃き掃除とかな。あれ誰もちゃんと掃除しているかチェックしてないぞ。どうせ風吹いたらまた落ち葉出てくるし。池の掃除とかもあったけど、池に入る装備も掃除グッズも全くなんもねえwwwってときあった。なんにもしなくてお金ゲット。空き缶拾いはもう先輩がやっててテリトリーできてるからやらない。結構大変らしい。体が動くやつなら手配師に言えばその日払いの仕事をくれる。ただし朝早いから早く手配師のところにいけ。仕事にあぶれたら同じように仕事にあぶれたおっちゃんが朝から酒盛りしてるから真似すればOK。ホームレスの全財産は、金持ってる人なら10万円以上、なければ0から1万円くらい。意外と金持ってるように見えるか?そうか?お前の全財産が10万円で家も無いのに「意外とお金持ってるね」って思われたらどう感じるんだ??
ご飯事情。団体や教会が配ってくれるのもあるし、普通に自分で買う。鯉釣って食うみたいなのは割とレアキャラよ。福祉の人たちが配っているやつも教会も、誰でも食える。あんまりきれいな身なりをしていると「あなた本当に困窮しているの?」と聞くこともあるようだが、まぁめったに無い。教会もうるさいこと言わない。なぜならあまり小うるさいこと言ってきたらホームレスは別のご飯くれる団体のところに行くだけだからwww教会も教会で、多少は貧困層にご飯食わせてるという事実が欲しいわけだから、結構客商売みたいなところはある。だから牧師さんは信仰に尽くそうと布教みたいなことすると、貧困者に飯を与えて救ってるという事実を失うわけで、まぁ忠ならんと欲すれば孝ならずみたいな状態だったりする。ホームレスは都合よく「持ちつ持たれつ」みたいな解釈しちゃってるけどな。まぁいいけど。
ホームレスはキツイぞ。みんな生まれた瞬間はホームレスじゃないんだ。みんな学校行って友達と遊んで多少は働いたりの経験をしてからホームレスになるのよ。そこわかってる?金がなくなる過程がきついと書いたが、同じようにホームレスになる過程もめっっちゃきつい。まともに働いていた人がホームレスになるとき、どう思うと思う?「社会に迷惑かけてごめんなさい」だよ。嘘だと思うだろ?マジだぞ。みんな最初はそう思う。原罪を背負うかのごとく罪の意識に悩まされる。大通りを歩くのが心苦しいし、太陽を浴びることも心苦しい瞬間があるんだよ。ま、3日もすれば日常になる。
縦社会というのは半分ウソで半分本当だ。ホームレスにはっきりとしたシマは無いものの、ぼんやりと「主」みたいな人はいる。そういう人がその公園やなんかの雰囲気を作ってることはある。食べる時間とかは別に自由なんだけど、なんとなく会話の中心にいるとか、連絡係になってるみたいな人いるよな。別に偉いとかじゃないんだけどさ。何の話だっけ、そうそう縦社会の話。まぁ普段は何も無いんだけど、主みたいな人は警察や役所なんかの人も話を通しやすいんで、たまに「○月△日までに撤去いただけませんか」みたいな話をしてくる。山狩りとかいうやつ。どうせすぐ戻るし警察も容認してるけど。あんな感じのイベントは主経由なので偉い人に見える。あと新規ホームレスの管理。これは役所だかがかなり真面目に把握してて、ご新規さんはすぐ察知される。察知されたから捕まえるとかじゃなくて、ご飯を用意したり事情聴いて住宅用意してくれたりする。ありがてえありがてえ!ま、その住宅も周りみんなホームレスだから住環境最悪で出てくる人多いけどな。夜にずっと奇声出すとか廊下でうんこするやつとかいるぞ。
ホームレスが気楽か?まぁ気楽といえば気楽。慣れればね。慣れるまではキツイ。何がキツイか改めて考えると、やっぱりニオイがキツイ。人の便所サンダルを敷き詰めた部屋で生活できるか?できないだろ?シャワー浴びてすっきりして化粧水塗って電動歯ブラシで歯磨きする清潔な暮らしなんかと完全に無縁だぞ。あ、歯医者はタダでたまに連れてってくれるから口内環境は実はそんなに悪くないけど(ありがてえありがてえ!)。ニオイ以外だと、人間関係が気になるよな、みんな。基本的にはいい人が多い。意外やろ?でもホームレスという環境にいる人達として、戦友みたいな気持ちがほんの少しだけある。攻撃的な人もいるというのはホームレスに限らずどのコミュニティでも一緒。外部の人(手配師や福祉ビジネスするヤクザ)は嫌われてる。俺らから搾取すんなよってな。でも孤独になるとあいつらが頼りがいある存在に見えてくるから頼ってしまう。
ちなみに補足なんだが、社会人がホームレスに堕ちることを、人間の底辺にたどり着くからか「底付き」とかいう人がネットでたまにいるが、本人や福祉に関わる人は全くそんな言葉使わない。というか底付きという言葉すら知らんぞ。依存症の何かしらの言葉のようだが、まぁ混同してホームレスにも使っているのだろう。
今回はこんな感じにしとくか!!!ちなみに俺はもうホームレスじゃないぞ!!!!
Q 先生質問!メンヘラのホームレスはいますか?生活保護がおりるのかな?
A メンヘラめっちゃいるぞ!!!そらいるよ。というかホームレスの精神疾患率やばいぞ。気楽そうに見えてみんな死にたいって思ってるぞ。リアルガチで。
だってな、昔の友人も親も親戚も兄弟も元同僚も、みーーーんな自分よりいい仕事していい生活してるんだぞ。自分が胸を張れる場所が世の中のどこにもないんだぞ。いつもいつも後ろ指指されて、安酒飲んで、くっっせえ住環境で生きてるわけよ。ホームレスになってしまったからにはやっぱり事業に失敗とか病気(それこそメンタル系が多いな)とかを抱えてるわけでさ、なるべく正面からは考えないようにしてるけど悲しいのよ。できることならいい仕事して家族と過ごして美味しいもん食べて浮気なんかもしちゃって、みたいな生活に憧れてるのよ。実際問題、ホームレスの保護については金銭問題だけじゃなく精神疾患率の高さの問題もあるな。ただガチのメンヘラは精神病院に強制的に連れて行かれるから在野のホームレスにはそんなにいない。人間嫌いとか鬱とかそんなもん。あ、メンヘラでも生活保護おります。人間やぞ。
A 仕事したから。それに尽きる。今回は特別にもうちょっと解像度高くしよう!ぶっちゃけるとホームレスから抜け出そうという意思があれば翌日くらいには脱出できる。肉体労働できる身体ならな!ガラ(瓦礫)を人力で運ぶ仕事とか、あとは手壊しといって機械が入れない場所を解体したいときなんかに作業員入れて手で破壊するのよ。破壊する作業はアホでも筋肉あればできるから手配師に聞けば即日か翌日にはいけるぞ。場所にもよるけど住み込みのもあるから覚悟決めればその日にホームレス脱出だ!給料は結構いい。多分素人でも一ヶ月働けば20万は超えるし、しばらく働けば月収30万は超える。
なに!?肉体労働はしたくない!?わかったわかった、肉体労働以外のルートを教えよう。まず炊き出しにいって炊き出しにしてる人たちに仕事を探していることを言うんだ!!するとあっちはめっっっっちゃ手厚く教えてくれる。仕事の紹介もあるし、必要な窓口も紹介してくれる。自分で直接福祉課に行くより炊き出しの方々経由で行ったほうが100倍話がスムーズだ!仕事は工場で食品トレイ作るみたいなそんなやつが多い。エクセル使えるならそういう仕事にも多分すぐありつける。住所がなくて心配だろうが、そんなこともあろうかと思って福祉の人が準備金みたいなの貸してくれる(というかくれる)。皆様の税金を使ってホームレスを一見まっとうな人間に仕立て上げてくれるのだ!!!!ま、実際は雇う側も結構わかってて、元ホームレスとわかってても社会貢献みたいな気持ちで雇ってくれてたりする。まぁそんなわけで働く気があるなら秒速で脱出できるからあんま心配すんな!!!
Q よく荷物置いて主がいなくなってるけど 他のホームレスに盗まれたりしないの?
A 盗まれることもある!!でも前提として、ホームレスの荷物盗もうとする一般人はいない!!そしてホームレスの荷物盗むホームレスはいじめにあったりするからあんまりやらない。あと盗むといっても「借りる」みたいな感覚で悪気なく持っていってしまう人もいる!!基本的にはホームレス界隈にも秩序があってあんまりめちゃくちゃなやつは意外といないぞ!!!
Q そういう簡単に見つかる仕事って、受け子とか出し子みたいな犯罪がらみだったりしないの?
A 就労支援など各種福祉団体経由なら犯罪の仕事は無いッッッ!!!ま、やろうと思えば受け子みたいな仕事にもありつける。手配師ではないんだけど貧困層から搾取ビジネスやってるやつがホームレス界隈をうろちょろしてて、そういうやつは大抵バックに怪しい組織がいたりする。しかし受け子みたいな仕事をしてでも金稼ぎたいって意欲あるやつはホームレス脱出できるから、ホームレス自体はそんなに詐欺などの犯罪には関わってないと思うぞ!!!!
Q どこにでもいるぞ!!!ホームレスいるところに手配師あり。というかホームレス生活してて手配師と全く縁ができないというのは逆に難しい。例えば上野のパンダ橋ってあるやろ?あそことかいるぞ。今もいるんじゃないかな。会いたいなら朝早くいけ!!!5時なら大丈夫。その場で日給いくらで肉体労働ありかなしかみたいなの聞かれてOKなら現場に連れてってもらえるぞ!!!送迎付きで快適かと思いきや同乗している人もホームレスだからくっっっせえけどな!!!ちなみに現場はめっちゃ遠いことがしばしばある。千葉とか普通で、福島行ったやつもいる。都内以外の事情は知らんけど地方都市にも絶対手配師はいるはずだ!!!ただ正直手配師にろくなやついないから注意な!!!!
Q 福祉施設に入ったホームレスがその窮屈さに耐えきれずまたホームレスに戻ってしまうと聞いたけどマジ?
A Exactly!!そのとおりでございます!!!アパート用意されて快適オブ快適って思うやろ??wwwそんなwwwことwwwないwwwっw!!!!ホームレスをアパート一棟に詰め込む実験をしてみよう!!!まず既存入居者の縄張り意識がすごくなる。そんで一部の人が徒党組んで新規入居者を追い出そうとする。追い出せば自分たちの快適度が減ることはないからな!!!!というか元ホームレスじゃなくてもシャブ中みたいなどうやっても生きてくの無理やろみたいな人もいるわけで、そういう人たち一緒に生活できるか???すぐうんこ漏らしてくっっせえしな。そんで「はいあなた身体悪いからうちの病院で全身チェックしますよ〜〜」みたいな怪しい人も来るから断り続けないといけないとかあるんだぞ!!!お金もらっても厳しくないか????ただ最近はそういうこともケアしてホームレスなどが一極集中しないよう配慮されてる。だから今は快適なのかもしれない。
A いるぞ!!!レアだけどいる!!!!おばさんもしくはおばあちゃんホームレスな!!!ただ結構レアで、20〜30人に1人いるかどうかってところ。だって女だったらホームレス生活するより支援受けて雨風しのげるところで暮らしたいもんな!!!女ホームレスは少ないんだけど、女ホームレスだけ支援する人がいるんでそういう意味でも支援に繋がりやすい。若い女はホームレスにならずとも稼げるし、漫画喫茶とかを根城にしている人が多いと聞くぞ!!!!あと女ホームレスには2000円とかで売春している人もおるぞ!!!それで稼いでるやつもいてたくましいぞ!!!!罰ゲームとかに使っちゃだめだぞ。人間だから。
あえて「アレ」呼びする。
アレが一般人からしたら沖縄の基地反対運動してる人と同じくらい異常な存在に見えるのはわかる。
ただ、アレの気持ちは一応わかってほしいのだ。共感しなくていい、こういうことかと思ってくれればいい。
わざわざ単行本を買って裏表紙を見なければ気づないところにある「裏設定」みたいなものだ。
この裏表紙にこっそり描かれた設定が「作者と読者の特別なやりとり」のようなものだと感じる性質がある。
つまり「先生が読者向けに特別に書いてくれたサービス」だと思うのだ。
そのために単行本を買っているといってもよい。
多くの作家さんが、本編とはちょっとイメージの違う4コマを載せてたりするのも
ここが特殊な層のファンへのサービスであることはある程度は認識しているはずだ。
とはいえ、一般的な腐女子は「それはこっちの勝手な妄想である」ということはわかっている。
妄想を膨らませて身内で盛り上がる一方、それが妄想であるということはちゃんとわきまえている人が多い。
だからそこで解釈違いが起きた場合、残念ではあるが「ちぇー。ちょっと夢が壊れた」くらいで納得する。
アレはおそらくtwitterでフェミ活動とか浴びすぎてそっち方向に思考が偏っていたのだろう。
twitterでアクティブな腐女子はどうしてもフェミっぽい話を浴びやすい。
アニメオタクにおける作画厨と同じくらい、浅い腐女子ほど安易にフェミ解釈にとびつく。
そのため中にはそういう思考を多かれ少なかれ内面化してしまうものもいる。
なんせ、いまだにクローズドな世界だからね腐女子ワールドは…。
いろんな作品に触れるうちにそれだけではないということは学習する。
むしろtwitterで暴れているようなフェミっぽいことをいう腐女子は
最近はどうか知らないが、少なくとも私の年代では腐女子に縄張り意識も階級意識も非常に強かった。
そのためtwitterで暴れている人たちは腐女子としてオタクとしてレベルが低いが
なんとかしてカーストの上に行こうとしてフェミ言説に飛びついた人間が多い。
だいたいそういうことを言っている人間のイラストのレベルが低いのは決して偶然ではない。
一時期フェミニスト教授と組んで解説イラストを描いている人がいたが
仲間内では「お前のようなレベルの低いオタクが腐女子代表みたいな顔をするな」と言い合っていた。
身内についてあんまりいうのもなんだがちょっと陰湿なところあるよね。
このあたりはもう少し風通しがよくなると良いなとは考えている。
・ワートリの胸サイズ表記は裏表紙にこっそり描かれているもので強調したものではない。
・腐女子はフェミ的なことを言う人間ばかりではないのであれが腐女子の総意だと考えないでほしい
そうそう。今回の「アレ」はこんな感じの人なんです。
何か一つの表現が気に障ったら他の何もたのしめなくなっちゃう人ってのがいてね。
もうそれで頭いっぱいになっちゃって他に何も考えられなくなるの。
脳のメモリ容量が極端に少ないんだろうけどお気の毒だわね
ブルース・ウィンターハルダー(Bruce Winterhalder)は、動物間で食料が移動する方法と理由のモデルを調査している。盗みの許容、生産/嗅ぎ回る/機会主義、リスクを考慮した生存、副産物の相互主義、遅延した互恵主義、取引/現物でない交換、その他の選択モデル(血縁の利他主義を含む)。ここでは、リスクセンシティブな生存、遅延型互恵主義、貿易(現物ではない交換)に注目する。我々は、食料を収集品と交換することを遅延型互恵主義に置き換えることで、食料の共有を増やすことができると主張する。これは、変動する食料供給のリスクを軽減する一方で、バンド間の遅延型互恵関係が抱える克服できない問題を回避することで可能となる。以下では、親族間の利他主義と窃盗(許容されるか否か)をより広い文脈で扱う。
食べ物は、飢えている人にとっては、十分に食べられている人よりもはるかに価値がある。飢えている人が自分の最も貴重な価値物を交換することで命を救えるなら、その価値物を交換するために必要な数ヶ月、あるいは数年分の労働力に値するかもしれない。彼は通常、家宝の感傷的な価値よりも自分の命の価値を考えるであろう。脂肪と同じように、収集品も食糧不足に対する保険になる。地域的な食糧不足による飢餓は、少なくとも2種類の取引で食い止めることができた。
しかし、取引コストが高すぎて、バンドはお互いを信頼するどころか喧嘩をしてしまうことが多かった。自分で食べ物を見つけられない空腹のバンドは、たいてい飢えていた。しかし、取引コストを下げることができれば、バンド間の信頼の必要性を下げることができ、あるバンドにとっては1日の労働に値する食べ物でも、飢えているバンドにとっては数ヶ月の労働に値するかもしれない。
局所的ではあるが非常に価値のある取引は、上位旧石器時代に収集品が登場したことで、多くの文化で可能になったと、このエッセイは主張する。収集品は、必要ではあるが存在しない長期的な信頼関係の代わりとなった。もし、部族間、あるいは異なる部族の個人間で持続的な交流と信頼関係があり、互いに無担保の信用を得ていたならば、時間差のある物々交換が刺激されただろう。しかし、そのような高度な信頼関係があったとはとても思えない。上述した互恵的利他主義に関する理由に加え、ほとんどの狩猟採集民の部族関係がかなり敵対的であったことが観察されているという経験的な証拠からも確認できる。狩猟採集民の集団は、通常、1年のほとんどの期間は小さな集団に分かれて生活し、1年のうち数週間だけ中世ヨーロッパの市のような「集合体」に集まって生活する。バンド間の信頼関係がなかったにもかかわらず、添付の図に示されているような主食の重要な取引が、ほぼ確実にヨーロッパで、そしておそらくアメリカやアフリカの大物ハンターなど他の地域でも行われていた。
添付の図で示されているシナリオは仮定のものであるが、それが起こらなかったとしたら非常に驚くべきことである。旧石器時代のヨーロッパ人の多くは、貝のネックレスを楽しんでいたが、もっと内陸部に住んでいた人は、獲物の歯でネックレスを作っていた。また、火打ち石や斧、毛皮などの収集品も交換手段として使われていた可能性が高い。
トナカイやバイソンなどの人間の獲物は、一年のうちで移動する時期が異なる。ヨーロッパの旧石器時代の多くの遺跡から出土する遺物の90%以上、時には99%以上が単一の種によるものであるほど、部族ごとに異なる獲物に特化していた。これは、少なくとも季節的な専門性を示しており、おそらく1つの部族が1つの種に完全に特化していたことを示している。一つの部族のメンバーは、専門化した分だけ、特定の獲物種にまつわる行動や移動習慣などのパターンに精通し、それらを狩猟するための特殊な道具や技術を身につけていたことになる。最近観察された部族の中にも、特殊化した部族があることが知られている。北米インディアンの一部の部族は、バイソンやカモシカの狩猟、サケの漁にそれぞれ特化していた。ロシア北部やフィンランドの一部では、現在でもラップ族をはじめとする多くの部族が、単一種のトナカイの牧畜に特化していた。
旧石器時代にもっと大きな獲物(ウマ、オーロックス、ジャイアントエルク、バイソン、ジャイアントナマケモノ、マストドン、マンモス、シマウマ、ゾウ、カバ、キリン、ジャコウウシなど)が大きな群れをなして北米、ヨーロッパ、アフリカを歩き回っていた頃は、このような特殊化がはるかに進んでいたと思われる。人間を恐れない大型の野生動物はもはや存在しない。旧石器時代に絶滅させられたか、あるいは人間と人間の発射物を恐れるようになったのである。しかし、サピエンス・サピエンスが生きていた時代には、これらの動物の群れは豊富で、専門のハンターにとっては簡単に獲物を得ることができた。取引に基づく捕食の理論によれば、旧石器時代に大型の獲物が大規模な群れをなして北米、ヨーロッパ、アフリカを歩き回っていた頃は、専門性がはるかに高かった可能性が高い。部族間の狩猟における取引ベースの分業は、ヨーロッパの旧石器時代の考古学的証拠と一致する(確実に確認されたわけではないが)。
このように、群れを追って移動する部族は、頻繁に交流し、多くの交易の機会を得た。アメリカン・インディアンは、乾燥させたり、ペミカンを作ったりして食べ物を保存していたが、それは数ヶ月はもつものの、通常は1年はもたなかった。このような食料は、皮、武器、収集品などと一緒によく取引された。多くの場合、これらの取引は年に一度の交易遠征の際に行われた。
大規模な群れをなす動物は、1年に2回だけ領土を移動するが、その期間は1〜2ヶ月であることがほとんどである。自分たちの獲物となる動物以外のタンパク源がなければ、これらの専門部族は飢えてしまうであろう。考古学的な記録で示されている非常に高度な専門化は、交易があったからこそ実現したのである。
このように、時間的にずれた肉の交換が唯一の交易であったとしても、それだけで収集品の利用価値は十分にあると考えられる。ネックレスや火打ち石など、お金として使われるものは、取引される肉の価値がほぼ同じである限り、閉じたループの中で、ほぼ同じ量を行き来する。ここで注意してほしいのは、本稿で述べた収集品の理論が正しいとするには、単一の有益な取引が可能であるだけでは不十分だということだ。相互に有益な取引の閉ループを特定しなければならない。閉鎖的なループでは、収集品は循環し続け、そのコストを償却する。
前述したように、考古学的な遺跡から、多くの部族が1つの大きな獲物種に特化していたことがわかっている。この専門化は少なくとも季節的なものであり、広範な取引が行われていた場合はフルタイムで行われていた可能性がある。習性や移動パターン、最適な捕獲方法の専門家になることで、部族は莫大な生産的利益を得ることができた。しかし、このような利益は、単一の種に特化することは、1年の大半を食料なしで過ごすことになるため、通常は得られないものであった。部族間の分業が功を奏し、それを可能にしたのが交易だった。補完関係にある2つの部族間の交易だけで、食料の供給量はほぼ2倍になる。しかし、セレンゲティやヨーロッパの草原のような地域では、ほとんどの狩猟地域を移動する獲物は2種類ではなく、10種類にも及ぶことがあった。そのため、種に特化した部族が入手できる肉の量は、近隣の一握りの部族との間で交易を行うことで2倍以上になると考えられる。その上、余分な肉は最も必要とされる時に得られる。つまり、その部族の同種の獲物から得られる肉はすでに食べ尽くされており、食料がなければハンターは飢えてしまうのである。
このように、2つの獲物種と、同時ではないが相殺される2つの取引という単純な取引サイクルから、少なくとも4つの利益、つまり余剰の源が得られたのである。これらの利益は異なるものであるが、必ずしも独立したものではない:
1. 餓死しそうな時期に肉が手に入ること。
2. 肉の総供給量の増加:すぐに食べられる量や保存できる量を超えた余剰分を取引し、取引しなかった分は無駄になっていた。
3. さまざまな種類の肉を食べることで、肉から得られる栄養の種類が増えたこと。
食料と交換するために収集品を作ったり、保存したりすることは、悪い時期に備えての唯一の手段ではなかった。特に大きな獲物が得られない場合には、縄張り意識と採集権の取引が行われていたようである。これは、現在残っている狩猟採集文化の一部にも見られる。
アフリカ南部のクン・サン族は、他の現代の狩猟採集文化の残存者と同様に、限界のある土地に住んでいる。彼らには専門家になる機会はなく、わずかに残っているものを利用するしかない。ホモ・サピエンスは、最初にネアンデルタール人から最も豊かな土地と最高の狩猟ルートを奪い取り、ずっと後になってからネアンデルタール人を限界の土地から追い出した。しかし、生態学的に厳しいハンディキャップを負っているにもかかわらず、クン族は収集品を交易品として使用している。
他の狩猟採集民と同様に、クン族は1年の大半を分散した小さな集団で過ごし、1年のうち数週間は他の集団との集合体で過ごす。集会は、取引が行われ、同盟が結ばれ、パートナーシップが強化され、結婚が行われるという特徴を持ったフェアのようなものである。アグリゲーションの準備は、一部は実用的だが、ほとんどはコレクション的な性質を持つ取引可能なアイテムを製造することで満たされる。クン族が「hxaro」と呼ぶ交換システムでは、4万年前にアフリカで発見されたものとよく似たダチョウの殻のペンダントなど、ビーズのアクセサリーが多く取引されている。
クン族が収集品と一緒に売買する主なものは、他のバンドの領地に入り、そこで狩猟や採集を行う抽象的な権利である。これらの権利の売買は、隣人の領域で採集することで緩和できるような地域的な不足の際に、特に活発に行われる。先に述べたバンド間の食料取引と同様に、収集品を使って採集権を購入することは、スタンリー・アンブローズの言葉を借りれば、「飢餓に対する保険」となる。
解剖学上の現生人類は、意識的な思考や言語、そして計画を立てる能力を持っていたはずであるが、取引を行うためには、意識的な思考や言語、そして計画を立てることはほとんど必要なかったであろう。部族のメンバーが単一の取引以外の利益を推論する必要はなかった。このような制度を作るためには、人々が本能に従って以下のような特徴を持った収集品を作るだけで十分だっただろう。(このような制度を作るためには、人々が本能に従って、以下のような特徴を持つ収集品を手に入れることができれば十分であった。) これは、我々が研究する他の制度についても、様々な点で同様であり、意識的に設計されたというよりは、むしろ進化したものである。制度の儀式に参加している誰もが、その機能を究極の進化的機能の観点から説明することはなかっただろう。むしろ、究極の目的や起源を示す理論というよりも、行動の近親的動機付けとして機能する多種多様な神話の観点から説明していた。
食物の交易に関する直接的な証拠は失われて久しい。将来的には、ある部族の狩猟跡と別の部族の消費パターンを比較することで、今回の記事よりも直接的な証拠が見つかるかもしれないが、この作業で最も難しいのは、異なる部族や親族集団の境界を特定することである。我々の理論によれば、このような部族間の肉の移動は、大規模かつ特殊な大型狩猟が行われていた旧石器時代の世界各地で一般的に行われていたと考えられる。
今のところ、収集品自体の移動による間接的な取引の証拠が多く残っている。幸いなことに、収集品に求められる耐久性と、今日の考古学者が発見した遺物が生き残った条件との間には、良い相関関係がある。徒歩で移動していた旧石器時代の初期には、穴の開いた貝殻が500kmも離れた場所から発見された例がある。また、火打石も同様に長距離を移動していた。
残念なことに、ほとんどの時代と場所で、取引コストが高いために貿易は大きく制限されていた。一番の障壁は部族間の対立であった。部族間の主な関係は、良い日には不信感を抱き、悪い日には明らかな暴力を振るうというものであった。部族間の信頼関係を築くことができたのは、婚姻や親族の絆だけであったが、それは時折であり、範囲も限られていた。財産を保護する能力が低いため、たとえ身につけたり隠し場所に埋めたりした収集品であっても、収集品は数回の取引でコストを償却しなければならなかった。
このように、取引コストが高いために、現在我々が当たり前のように使っている市場、企業、その他の経済制度の発展が妨げられていた長い人類の先史時代において、富の移転は取引だけではなく、おそらく最も重要なものでもなかった。しかし、取引コストが高く、市場や企業などの経済制度が発達しなかった先史時代には、おそらく最も重要なものではなかったであろう。我々の偉大な経済制度の下には、富の移転を伴うはるかに古い制度がある。これらの制度はすべて、ホモ・サピエンス・サピエンスとそれ以前の動物とを区別するものである。ここでは、我々人間には当たり前で、他の動物にはない、最も基本的な富の移転の種類の一つである、次世代への富の移転について説明する。
貨幣の前身は、言語とともに、初期の現代人が他の動物が解決できない協力の問題を解決することを可能にした。これらの原型は、非フィアット通貨と非常に特殊な特徴を共有しており、単なる象徴や装飾品ではなかった。
17世紀のイギリスのアメリカ植民地では、当初から硬貨の不足という問題があった。イギリスの考えは、大量のタバコを栽培し、世界的な海軍や商船の船のために木材を切り出し、その見返りとしてアメリカ人の労働力として必要な物資を送るというものであった。つまり、初期の入植者は、会社のために働き、会社の店で買い物をすることになっていたのである。投資家と王室は、農民の要求に応じてコインで支払い、農民自身に物資を買わせ、さらに天罰として利益の一部を確保するよりも、この方法を好んだ。
植民地の人々の解決策は目の前にあったが、彼らがそれを認識するまでには数年を要した。原住民はお金を持っていたが、それはヨーロッパ人が慣れ親しんできたお金とは全く違っていた。アメリカン・インディアンは何千年も前からお金を使っていたし、新しくやってきたヨーロッパ人にとっても便利なお金であった。しかし、ニューイングランドの人々は、銀も金も使わず、自分たちの生活に最も適したお金を使っていた。その代わりに、彼らは獲物の耐久性のある骨組みという、その環境に最も適した貨幣を使っていた。具体的には、ワンパムと呼ばれる貝(ホンビノスガイ)とその近縁種の貝殻をペンダントにしていた。
貝は海でしか採れないが、ワンパムは内陸部でも取引されていた。アメリカ大陸の各部族には、さまざまな種類の貝殻貨幣が存在していた。イリコイ族は、貝の生息地に近づかずに、最も大きなワンパムの財宝を集めることができた。ワンパムを専門に製造していたのは、ナラガンセッツ族などほんの一握りの部族で、他の何百もの部族(その多くは狩猟採集民)がワンパムを使用していた。ワンパムのペンダントは、長さとビーズの数が比例しており、様々な長さのものがあった。ワンパムペンダントの長さは様々で、ビーズの数は長さに比例しており、ペンダントを切ったり繋げたりして、支払った金額と同じ長さのペンダントを作ることができた。
入植者たちは、本当のお金とは何かという問題を克服すると、ワンパムの取引に熱中した。貝(clam)は、アメリカでは「お金」の別名として使われている。ニューアムステルダム(現在のニューヨーク)のオランダ人知事は、イギリス系アメリカ人の銀行からワンパムで多額の融資を受けた。しばらくすると、イギリス当局もこれに同調せざるを得なくなった。1637年から1661年にかけて、ニューイングランドではワンパムが法定通貨となった。植民地の人々は流動的な交換手段を手に入れ、植民地の貿易は盛んになった。
ワンパムの終わりの始まりは、イギリスがアメリカ大陸に多くのコインを出荷するようになり、ヨーロッパ人が大量生産の技術を応用するようになってからである。1661年になると、イギリス政府はワンパムの製造を中止し、本物の金や銀、そして王室の監査を受けてブランド化されたコインで支払うことにした。この年、ニューイングランドではワンパムは法定通貨ではなくなった。1710年にはノースカロライナ州で一時的に法定通貨となった。ワンパムは、20世紀に入っても交換手段として使われ続けていたが、その価値は西洋の収穫・製造技術によって100倍にも膨れ上がり、貨幣が発明された後に西洋で金や銀の宝飾品が行き渡ったように、よくできたお金から装飾品へと徐々に変化していった。アメリカの貝貨の言葉は古風な遺物となった。百貝は百ドルになった。「Shelling out」とは、コインや紙幣で支払うことを意味し、やがて小切手やクレジットで支払うようになった。我々は、自分たちの種の起源に触れてしまったことを知らなかった。
ネイティブ・アメリカンのお金は、貝殻以外にも様々な形があった。毛皮、歯、そして後述する特性を持つ他の様々な物体も、交換手段としてよく使われた。12,000年前、現在のワシントン州で、クロービス族は、驚くほど長い角岩の刃を開発した。しかし、すぐに折れてしまう。これでは切ることもできない。火打ち石は「楽しむため」に作られていたのか、それとも切ることとは関係のない別の目的のために作られていたのか。後述するように、この一見軽薄に見えることが、実は彼らの生存にとって非常に重要であった可能性が高い。
しかし、ネイティブ・アメリカンは、芸術的ではあるが役に立たない刃物を最初に作ったわけではないし、シェル・マネーを発明したわけでもない。ヨーロッパ人も、昔は貝や歯をお金にしていたし、牛や金、銀、武器なども使っていた。アジア人は、それらすべてを使い、政府が発行した偽物の斧も使っていたが、この制度も輸入していた。考古学者が旧石器時代初期の貝のペンダントを発見しており、それがネイティブ・アメリカンのお金の代わりになっていた可能性があるからだ。
1990年代後半、考古学者のスタンリー・アンブローズは、ケニアのリフトバレーにあるロックシェルターで、ダチョウの卵の殻やブランク、貝殻の破片でできたビーズのキャッシュを発見した。これらのビーズは、アルゴン-アルゴン(40Ar/39Ar)比を用いて、少なくとも4万年前のものとされている。スペインでは、この時期に穴の開いた動物の歯が発見されている。また、レバノンの旧石器時代初期の遺跡からは、穴の開いた貝殻が出土している。最近では、南アフリカのブロンボス洞窟で、さらにさかのぼって7万5千年前に作られたビーズ状の貝殻が発見されている。
現代の亜種はヨーロッパに移住しており、紀元前4万年頃から貝殻と歯のネックレスが登場している。また、オーストラリアでは紀元前3万年頃から貝と歯のペンダントが出土している。いずれも高度な技術を要するものであり、もっと昔から行われていたと思われる。採集や装飾の起源は、解剖学的に現存する亜種の原産地であるアフリカである可能性が高い。人類が常に飢餓と隣り合わせの生活をしていた時代に、貝殻の製造には膨大な技術と時間が必要だったのであるから、収集してネックレスを作ることには重要な選択的利益があったはずである。
実質的な貿易を行っていない文化や、現代的な貨幣を使用している文化であっても、事実上すべての人類の文化は、ジュエリーを作り、楽しみ、実用性よりも芸術性や家宝としての価値を重視している。我々人間は、貝殻のネックレスやその他の種類のジュエリーを、純粋に楽しむために集めている。進化心理学者にとって、人間が「純粋に楽しむため」に何かをするという説明は、説明ではなく、問題提起なのである。なぜ多くの人が宝石を集めたり身につけたりすることを楽しんでいるのか?進化心理学者にとってこの問題は「何がこの楽しみを進化させたのか?」ということである。
進化心理学は、ジョン・メイナード・スミスの重要な数学的発見から始まる。スミスは、発達した集団遺伝学の分野から、共進化する遺伝子の集団のモデルを用いて、単純な戦略的問題(ゲーム理論の「ゲーム」)で使用される善悪の戦略をコード化できる遺伝子を提唱した。スミスは、これらの遺伝子が次世代への伝播を競っている場合、競争相手が提示する戦略問題に対してナッシュ均衡となる戦略を進化させることを証明した。このゲームには、協力の典型的な問題である「囚人のジレンマ」や、攻撃とその緩和の典型的な問題である「鷹と鳩」などがある。
スミスの理論で重要なのは、これらの戦略的ゲームは、近距離の表現型間で行われているが、実際には、究極のレベルである遺伝子間のゲーム、つまり伝播されるべき競争のレベルで行われているということである。遺伝子(必ずしも個体ではない)は、あたかも拘束された合理性(生物学的原材料と過去の進化の歴史を考慮して、表現型が表現できる範囲内で、可能な限り最適な戦略をコード化する)と「利己的」(リチャード・ドーキンスの比喩を使用)であるかのように行動に影響を与える。遺伝子が行動に与える影響は、遺伝子が表現型を通じて競合することで生じる社会的問題への適応である。スミスはこれらの進化したナッシュ均衡を進化的安定戦略と呼んだ。
性淘汰や血縁淘汰など、それまでの個人淘汰説の上に構築されていた「エピサークル」は、このより一般的なモデルの中に消え去り、コペルニクス的な方法で、個人ではなく遺伝子を理論の中心に据えることになる。このようにドーキンスは、スミスの理論を説明するために、「利己的な遺伝子」という比喩的でよく誤解される言葉を使っている。
旧石器時代の人間のように協力し合う種は他にほとんどない。雛の世話、アリ、シロアリ、ハチのコロニーなど、動物が協力するのは親族だからであり、親族にある自分の「利己的遺伝子」のコピーを助けることができるからである。非常に制約の多いケースでは、進化心理学者が「相互利他主義」と呼ぶ、親族以外の者同士の継続的な協力関係も存在する。ドーキンスの説明によると、好意の交換が同時に行われない限り(場合によってはその場合でも)、どちらかが不正を行うことができる。そして、普通はそうする。これは理論家が「囚人のジレンマ」と呼んでいるゲームの典型的な結果である。詐欺師と吸血者の集団では、常に詐欺師が勝つ。しかし、「Tit-for-Tat」と呼ばれる戦略を用いて、相互作用を繰り返すことで協力するようになる動物もいる。この報復の脅威が継続的な協力の動機となる。
しかし、動物の世界で実際にそのような協力が行われる状況は、非常に制約が多い。主な制約は、少なくとも一方の参加者が多かれ少なかれ相手の近くにいなければならない関係に限定されていることである。最も一般的なケースは、寄生虫とその体を共有する宿主が共生体に進化した場合である。寄生虫と宿主の利害が一致し、どちらか一方が単独で活動するよりも、両者が一緒に活動する方が適している場合(つまり、寄生虫が宿主にも何らかの利益をもたらしている場合)、Tit-for-Tatゲームを成功させることができれば、両者の利害、特に世代間の遺伝子の出口メカニズムが一致した状態である共生体に進化する。そして、1つの生物となるのである。しかし、ここでは協力だけではなく、搾取も行われている。それらは同時に起こる。この状況は、以下で分析する人間が開発する制度、つまり貢ぎ物に類似している。
寄生虫と宿主が同じ体を共有して共生体に進化するのではない、非常に特殊な例がある。寄生虫と宿主が同じ体を共有し、共生生物に進化するのではなく、同族ではない動物と高度に制限された縄張りを持つ、非常に特殊な例がある。ドーキンスは、クリーナーフィッシュを例に挙げている。この魚は、宿主の口の中を泳いで出入りし、そこにいるバクテリアを食べて宿主の魚に利益をもたらす。宿主である魚は、クリーナーが仕事を終えるのを待ってから食べるというズルをすることもできる。しかし、そうはしない。両者とも移動可能なので、潜在的には自由に関係を断つことができる。しかし、クリーナーフィッシュは個々の縄張り意識を非常に強く進化させており、偽造しにくいブランドロゴのように、偽造しにくい縞模様や踊りを持っている。宿主魚はどこに行けば掃除してもらえるかを知っているし、もし不正をしたら、新しい不信感を持った掃除魚ともう一度やり直さなければならないことも知っているのだ。この関係の入口コスト、つまり出口コストが高いので、不正をしなくてもうまくいくのである。それに、クリーナーフィッシュは小さいので、それを食べることで得られる利益は、少数の、あるいは1匹のクリーニングで得られる利益に比べて大きくはない。
最も適切な例として、吸血コウモリがある。その名の通り、獲物である哺乳類の血を吸う。面白いのは、良い夜には余剰分を持ち帰るが、悪い夜には何も持ち帰らないことだ。彼らの暗躍は非常に予測不可能である。その結果、幸運な(あるいは熟練した)コウモリは、洞穴の中で幸運でない(あるいは熟練していない)コウモリと血を分かち合うことが多い。彼らは血を吐き出し、感謝している受取人がそれを食べる。
このようなレシピエントの大部分は親族である。屈強な生物学者G.S.ウィルキンソンが目撃した110件の血反吐のうち、77件は母親が子供に食べさせるケースであり、その他のケースもほとんどが遺伝的な親族である。しかし、親族間の利他主義では説明できないケースも少なからずあった。これらが相互利他主義のケースであることを示すために、ウィルキンソンは2つの異なるグループのコウモリの個体群を組み合わせた。コウモリはごく稀な例外を除いて、元のグループの旧友にしか餌を与えなかった。このような協力関係を築くには、パートナー同士が頻繁に交流し、お互いを認識し、お互いの行動を把握するような長期的な関係を築く必要がある。コウモリ穴は、そのような絆を形成できる長期的な関係にコウモリを拘束するのに役立つ。
人間の中にも、非常にリスクの高い不連続な獲物を選び、その結果得られた余剰分を親族以外と共有していた者がいたことがわかるだろう。実際、人間は吸血コウモリよりもはるかに大きな範囲でこれを達成している。その方法が本論の主題である。ドーキンスは、「お金は、遅延した相互利他主義の正式なトークンである」と示唆しているが、この魅力的なアイデアをそれ以上追求することはない。我々はそうする。
人間の小集団の中では、世間の評判が一人の個人による報復よりも勝って、遅延型互恵主義の協力を動機付けることができる。しかし、評判を信じることには2つの大きな誤りがある。どの人が何をしたかについての誤りと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際の誤りである。
顔や好意を記憶する必要があるというのは、認知上の大きなハードルであるが、ほとんどの人間は比較的容易に克服できると考えている。顔を認識するのは簡単であるが、好意を受けたことを思い出すのは難しい。また、好意を受けた人にとって、その好意がどのような価値を持つものであったかを思い出すことは、さらに困難である。紛争や誤解を避けることは、不可能なほど、あるいは法外に難しいことである。
パート2: https://anond.hatelabo.jp/20210906120933
パート3: https://anond.hatelabo.jp/20210906125926
パート4: https://anond.hatelabo.jp/20210906130017
猫の飼い方で家族と衝突してるんだけど、他の猫飼い増田たちはどうしてるのか教えてほしい。
うちはド田舎の一軒家(けっこう広い)で、雑種の猫2匹(3歳のオスメス)を飼ってる。
ド田舎特有の「玄関含めたドアというドア開けっぱなし癖」が治らず(とくに祖母)、気づいたら祖母がドアを開け放ち、気づいたら猫が脱走ということも多い。
なので、日中は猫が主に過ごす1部屋(9畳くらい。)に集めて寝かせることにした。
家族との主な衝突内容
①日中1部屋に閉じ込めることに反対
②閉じ込めるのはかわいそうという理由で猫部屋の窓を開放 ベランダを自由に行き来させている
④家中どこでも行き来させたい
まず①だけど前述の開けっぱなし癖で脱走した過去が何度もあり、
家族が仕事で出かけている日中は1部屋に閉じ込めておくのがいいと思っている。
庭が広いこともあり、脱走しても大抵は庭にいるので、家族は脱走してもあまり気にしていない模様。
私としては外に出すミスを繰り返せば縄張り意識が芽生えてしまうと危惧している。(病気をもらうのも怖い。猫1度も洗ってないし。)
そして②。
四季折々迷い込んでくるミミズ・カエル・セミ・トンボ・たまにスズメを潰しているが、これも猫洗ってないのに大丈夫なのか?と心配になる。
一番怖いのは手すりに乗っていること。
結構太い手すりなので強風にあおられても簡単には落ちないと思うが、
とはいえ落下の危険は十分ある上、たまにベランダの小さい穴を通り抜け、外側のヘリをギリギリで歩いたりしていて発狂する。
家族はヘリを歩いてる猫をみても「あんな高いとこから落ちない。落ちたことないから」と笑い面白がって見ている。
耐えられない私が隙あらば閉めるのだが、家族が「ただでさえせまい1部屋に閉じ込めているのにベランダまで閉めるのか!」と責めるため
だんだん私が悪いことをしているような気分になってきた。
③は「仕事の同僚(猫飼い)がそう言っていたから」と言われ現在までその通りにしている。
完全室内飼いならアリだと思うが、汚いベランダの虫やらホコリやらをまとった状態でそれはないだろと思うのが正直なところ。
何度かシャンプーを打診したが「わかってないやつが口出すな!」となぜかキレられた。
やはり私が悪いのか?
なにせ今まで生き物を飼ったことがないので、食品をむきだしでテーブルに置いておく習性が染み付いている我が家だ。
双方にとってよくないと思い、キッチンは猫の出入り禁止にさせてくれとお願いした。
その時家族は了承してくれたのだが、私が見ていない時だけこっそり開放していることが発覚した。
脱走含め改めて危険性を説明したのだが、「ホラ!猫ちゃんももうパン食べませんって言ってるよ!」と言われた。
その時私は全てを諦めた。
もし猫飼い(完全室内飼い)の増田がいたら知恵をかしてほしい。
上記の飼い方でおかしいところ、気になるところがあれば指摘がほしい。
また、脱走防止グッズのおすすめなどもあれば教えてほしい。
ド田舎で一家で農業やってるのでそこんところ把握してくれると助かる
追記の追記:色々アドバイスありがとう。ちなみに猫は避妊去勢済み。9畳の部屋はエアコン、ファン、脱臭機、ペットヒーターなど完備。
ノミ駆除薬も打ってるけど、ベランダに出してる時点で100%は効いてないだろうなと思ってる。ノミが改善される、程度の認識でいる。
もともと私が大学のために上京してった時に飼いはじめた猫なので、主な飼い主は家族なんだよな。
「田舎なんだから外を散歩させたら?」という意見が一定数あったのは賛否は置いておいても新しい発見だった。
自分は「猫を飼う=完全室内飼い」という図式が脳内で成り立っていたので…。
一度外に出すと、衛生面的にもう家には入れられないと思うので、うちは室内飼いを目指すつもり。
完全室内飼いにここまでこだわって家族と衝突する理由はもうひとつある。
夏場になると、猫部屋で窓を開けて寝ている家族は虫刺されがひどくなる。
前にガチガチのマルクス主義者らしき人が最近流行りのSDGsに対して「あんなのは所詮企業が『やった気になる』ためのもの」と腐していた
それで気付いたんだけどさ
要するに左翼の皆様っていうのは、環境問題のイニシアティブを自分じゃなくて企業に取られるのが、もう本当に憎らしくてしょうがないんだな
だから地球環境だのジェンダー平等だのに配慮する活動であっても、ああやって文句言わずにいられないんだ
ファミマが参入しようとしてきた時にやたらバッシングがあったが、あれも本音は「俺らのショバを荒らしやがって」ということなんだろう
そこらの小さな食堂がそっとやるくらいなら自分の軍門に降ったということで持ち上げるけど、大企業がやってきて自分らを飲み込もうとするのは想定外だし迷惑だからだ
BIに反対するのも今の生活保護がどうとか言ってるけど、政府から無条件でカネ配られたら自分がしゃしゃり出てきて恩着せる機会がなくなって困っちゃうからでしょ?
こんな御時世ですからね
市役所で市民課長を務める渡辺勘治は、かつて持っていた仕事への熱情を忘れ去り、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた。市役所内部は縄張り意識で縛られ、住民の陳情は市役所や市議会の中でたらい回しにされるなど、形式主義がはびこっていた。
ある日、渡辺は体調不良のため休暇を取り、医師の診察を受ける。医師から軽い胃潰瘍だと告げられた渡辺は、実際には胃癌にかかっていると悟り、余命いくばくもないと考える。不意に訪れた死への不安などから、これまでの自分の人生の意味を見失った渡辺は、市役所を無断欠勤し、これまで貯めた金をおろして夜の街をさまよう。そんな中、飲み屋で偶然知り合った小説家の案内でパチンコやダンスホール、ストリップショーなどを巡る。しかし、一時の放蕩も虚しさだけが残り、事情を知らない家族には白い目で見られるようになる。
その翌日、渡辺は市役所を辞めて玩具会社の工場内作業員に転職していようとしていた部下の小田切とよと偶然に行き合う。何度か食事をともにし、一緒に時間を過ごすうちに渡辺は若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれる。自分が胃癌であることを渡辺がとよに伝えると、とよは自分が工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」といった。その言葉に心を動かされた渡辺は「まだできることがある」と気づき、次の日市役所に復帰する。
それから5か月が経ち、渡辺は死んだ。渡辺の通夜の席で、同僚たちが、役所に復帰したあとの渡辺の様子を語り始める。渡辺は復帰後、頭の固い役所の幹部らを相手に粘り強く働きかけ、ヤクザ者からの脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて息を引き取ったのだった。新公園の周辺に住む住民も焼香に訪れ、渡辺の遺影に泣いて感謝した。いたたまれなくなった助役など幹部たちが退出すると、市役所の同僚たちは実は常日頃から感じていた「お役所仕事」への疑問を吐き出し、口々に渡辺の功績をたたえ、これまでの自分たちが行なってきたやり方の批判を始めた。
通夜の翌日。市役所では、通夜の席で渡辺をたたえていた同僚たちが新しい課長の下、相変わらずの「お役所仕事」を続けている。しかし、渡辺の創った新しい公園は、子供たちの笑い声で溢れていた。
ジャンルに凄い字書きがいる。
書きたいものがたくさんあるようで、手広く色んなカプを書いてる。
その字書きが私が好きなカプの小説を書きたいとツイートしてた。
読み手だったら素直に喜べたと思うけど、私は底辺字書きで正直全く嬉しくない。私の興味がないカプを書いててくれって思ってしまう。
よく分からない縄張り意識なのか、その字書きが私の推しや推しカプのツイートをしてる度に自分でも驚くくらいイライラする。
"イライラ"って書いたけど、"狼狽する"って表現のほうがしっくりくる。イライラもするけど占めてる感情の比率はそこまででもない。
その字書きが推しの話をしてるだけで狼狽えるし、やめてくれって思う。
別に同坦拒否とかではない。萌えるシチュや考察ツイートはよく読むし、推しが同じ人をフォローしたりする。作品だって読む。
その字書きに対して私は嫉妬してる。上手くて、人気で、速筆で。羨ましくてしょうがない。
私は手広く色んなカプをって字書きじゃない。どんなにジャンルが好きで、全てのキャラを良いと思ってたとしても、書きたくなるキャラやカプは少なかった。
私にとっては唯一の推しが、その字書きにとっては選択肢の一つでしかないっていう意味不明な独占欲と被害妄想を拗らせてこんなどす黒い感情になってるんじゃないかって思ってる。
私が必死に書いた小説を素通りして、みんなその字書きの小説に飛びつくことに狼狽し、焦る。きっと面白いのだろう、私の小説の評価なんて一日で追い越すはずだと嫉妬する。これがその字書きに対するどす黒い感情の内訳だ。
頭おかしい。理不尽。馬鹿馬鹿しい。結局のところ承認欲求を拗らせてるだけ。自分が一番理解してる。
なのでここに吐き出した。自分でも持て余してる、どれだけ馬鹿馬鹿しいことか分かっててもどうしようもない憎悪に似た感情を、整理したかった。