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はてなキーワード: 銃乱射事件とは

2021-04-30

anond:20210429224659

しろこうやって社会底辺が起こした事件を単なるポルノに落とし込んで処理してしまえるから日本社会って妙に安定してるんじゃねえかな。

アメリカとかだと銃乱射事件犯人たちみたいにインセル英雄として祭り上げられそう。

2021-04-06

anond:20210406213534

根拠自分自分肯定する人間他者存在なんて要らないし銃乱射事件犯人になってもおかしくないのでは?

anond:20210406182114

まあ、いいたいことはわかるけどね。

努力せいや」とは思うけど、一方で私は「弱者男性」「非モテ」、さらに言えばアメリカで言うところの「インセル」は放置すべきでない立派な社会問題だと思ってる。

直接的には「秋葉原事件」やアメリカ銃乱射事件などの社会不安の面だし、他の面では少子化含めた社会の活力の面で。

特に後者

非婚率が高い国は確実に没落する。社会経済シュリンクする一方だよ。

これが「努力せいや」で何とかなるならいいけどね。

社会構造的な貧困が「普通にしろ」「努力しろ」で何とかなるなら、社会保障なんていらない。

本当に社会保障なんていらないって思っているなら、一度貧困層を実体験するといいよ。親子3代くらいのスパンで。

LGBT認知が進まない頃に「普通にしろ」って言われてたけど、性同一性障害を含む属性ってことが分かってきて、公平への配慮がされてきた。

強者ぶるのはいいが、弱者視点がないのをアピールするのは、幼すぎませんか。

一方で、「弱者だ」「不公平だ」とアピールするんなら、こんなところでクダ巻いてないで理論武装してデモでもやればいいと思うんだけどね。

N国みたいにワンフレーズポリティクスでいいから、国会代表送り込むとか。

2021-03-11

雑誌映画秘宝』の記憶(8)

今回の内容は、一言表現するならば「論語読みの論語知らず」です。

映画秘宝』の功績の一つは、マイケル・ムーア監督及び彼の作品積極的日本に紹介したことでしょう。これは評価されて良いと思います。私のように『映画秘宝』の記事きっかけに、マイケル・ムーア作品活動を追うようになった人もいるのではないでしょうか。

しかし、マイケル・ムーア作品を紹介した『映画秘宝自身の振る舞いは、ムーア姿勢思想からは懸け離れたものでした。

既に述べましたが、現在サイズになって以降の『映画秘宝』はスプラッターホラー映画切り株映画を礼賛して「切り株映画世界真実を描いている!」と盛んにアジテーションするようになりました。その動きの中で、特に映画秘宝』が好んで取り上げたのが『悪魔のいけにえ』『食人族』『ホステル』といった「田舎に行ったら襲われた」系の作品群でした。そして、これらの作品群を誌面で紹介する際に町山智浩高橋ヨシキらが好んで書き添えたのが「非・都市部在住、非・富裕層高等教育を受けていない人間たちは『野蛮人』」と云う主張でした。

都市部に生まれ育ち、入学金や授業料が高い有名私立大学に通って高等教育を受けることも可能と云う恵まれ境遇で育った、謂わば「上級国民である町山智浩高橋ヨシキらにとって、上記のような階層に属する人間たちは、ただそれだけで「差別(しても許される)階級」でした。そして、切り株映画とは「そのような野蛮人たちは嘲笑され、差別されても仕方が無い」という理由を描いていると云うのが、町山智浩高橋ヨシキらの主張でした。

一度など『映画秘宝』が発行した切り株映画出版物が、某県において有害図書指定を受けた際には、それに対する報復行為として「某県では斯斯然然の残虐な殺人事件が起きた!だから某県の住民野蛮人!」というアジテーションを誌面で行った事もあります。このような彼らの言動は、本質的朝鮮人差別部落差別と異ならないと私個人は思います

さて話をマイケル・ムーア作品に戻しますが、『ボウリング・フォー・コロンバイン』等の作品には、全米ライフル協会ブッシュ政権米国共和党ミリシア等を批判的に取り上げる要素が有りました。しかし同時に、取材対象を少なくとも「同じ人間」「同じアメリカ人」として取り扱うという最低限の良識と理性もマイケル・ムーアには有りました。

それに対して、町山智浩ら『映画秘宝』はマイケル・ムーア作品に登場する「アメリカの非・都市部地域に暮らす人々」を指して「土人たち」呼ばわりし続けました。町山智浩高橋ヨシキらにとっては、マイケル・ムーア作品所詮切り株映画と同じく「アホでマヌケなアメリカ白人」=「被・都市部在住、非・富裕層高等教育を受けていない人間たち」を嘲笑対象として消費する格好の理由を与えてくれる、娯楽作品に過ぎなかったのです。

また『ボウリング・フォー・コロンバイン』の中では、マリリン・マンソンが「コロンバイン高校銃乱射事件を始めとする無差別銃乱射事件の頻発を引き起すような悪影響を青少年たちに与えた張本人」として槍玉に挙げられ、謂れなき糾弾を受けたという話が出てきます。その事について「君の音楽が彼らの犯行に影響を与えたという主張について、どう思うか?」とマイケル・ムーアから質問されたマリリン・マンソンが、彼自身の口で何を語ったのか。それはこの映画を観て頂くとして、少なくともマリリン・マンソンは「俺は悪くない!悪いのは他のジャンル(例えばギャングスタラップなど)だ!」とは決して言いませんでした。

それに対して『映画秘宝』はどうでしょうか。「切り株映画ファンは悪い事をしないが、美少女アニメを見るような奴らは犯罪者予備軍だからドンドンお上通報しよう!」と、他人スケープゴートにしたのでした。

マイケル・ムーアにとっては、たとえ意見思想が異なろうとも、作品取材対象である人々は「明日アメリカを共に築き上げる『同じアメリカ市民』」です。それに対して、町山智浩高橋ヨシキにとって意見思想が異なる人間とは「差別しても許される『異人』」に過ぎませんでした。

でも、ひょっとしたら、町山智浩らが心の底で考えていた事は、マイケル・ムーアにバレていたのかも知れません。そんな事を思わせるエピソードが一つ有ります

ブッシュJr.政権への批判を続けていたマイケル・ムーアが『華氏911』を製作・公開した時のことです。記者会見で、町山智浩マイケル・ムーアに次のように質問しました。

ブッシュJr.政権の座から引きずり下ろす為に、何か僕たち(=町山智浩外国人マスメディア)に出来る事は有りませんか?」

それに対するマイケル・ムーアの回答は次のようなものでした。

「有りません。これは僕たち『アメリカ人』の問題なので」

マイケル・ムーアは「アメリカ市民を『土人』呼ばわりして人間扱いしない君(=町山智浩高橋ヨシキ)のような人間に、アメリカ問題を『娯楽』として消費されたくはない」と言いたかったのではないか?この記者会見のやり取りを思い出すと私は、ついそんな想像をしてしまうのです。

恫喝DM事件が発覚した直後に『映画秘宝編集者が発した「自分たち映画を通じて『差別』や『不正』と闘う姿勢を学んできた」と云う主張は、事実とは正反対の完全な虚偽であるという事を示す話でした。

気が向いたら、また何か書きますね。アーメン

2021-01-05

一般論としてさ、迫害故にアングラに逃げてきた文化っていうのはメンヘラが集まりやすいのよ。それは同性愛コミュニティなんかに関しても散々繰り返されてきた議論だよね。

秋葉原通り魔事件京アニ放火事件もそう。

アメリカではオーランド銃乱射事件の背後にもそういう構造があったのではないかという指摘もある。(死人に口なしだけどね。)

そういう、それ自体差別構造帰着に過ぎないものでさえ「これこそが奴らの本質」とでも言いたげな言及を平然とやってのける根っから差別主義者には怒りを通り越してもはや脱力する。

人とは違うもの性的に見ているというだけで、どうしてここまで尊厳侮辱されなければいけないんだろう。

https://twitter.com/37_2_le_matin/status/1345887905315577857

2020-11-18

anond:20201118091204

そもそもあらゆる宗教において狂信的な態度は有害なんだよね。ただ、「それは別にイスラム教に限らないよね」という話で。

例えばキリスト教狂信者銃乱射事件を起こしたこともあるし、今でもキリスト教教義理由同性愛迫害する人は少なくない。仏教(の大元であるヒンドゥー教)にしてもインドあたりじゃ今でも狂信者支配的(カースト制とか)。日本神道だって、今や有害しかない教義を律儀に守っている側面もある。

それは一般的な話であって、○○教に特有の話ではないんだよね。

尊重する」ことと「全肯定する」ことは違っていて、「尊重する以上は全肯定しなければならない」わけでもないし、「全肯定してはいけないのだから尊重する必要はない」わけでもない。それは両立しなければいけない。もちろんそれは非常に難しいことなんだけどね。世界は難解だから仕方ない。

2020-09-22

アメリカ人は何で人を虐められるのだろう

相手は銃を持ってるかもしれないのに無駄に恨みを買うなんて怖すぎない?

いじめられっ子はやる気になったら何時でも銃乱射出来るのに。

てゆーか銃があるのに銃乱射事件が少なすぎる。

日本で銃を持てたら、虐めで自殺する子の1割くらいは虐めっ子をやりそうな気がする。

2020-08-02

anond:20200802150718

罪が重ければ殺していいですよ。

銃乱射事件犯人はその場で射殺されるけど何の問題にもなってない。

銃乱射事件犯人生存権を!という運動は一切起きていない。

2020-06-13

科学技術ITの発達で楽園になるって逆に今の社会って俺たちにとって地獄になってんじゃん

科学技術ITの発達で、社会が変わるとかITで夢のような時代が来るっていうけど悪い方にしか変わってないじゃん

金融工学リーマンショックを生んで、金融が一瞬で凍り付いてとんでもないショックが経済活動に起きて、ITなら大量のITエンジニアが一瞬で無職になって、フリーランスは全滅とかの阿鼻叫喚地獄絵図になったし

科学技術ITが発達しても経済は今よりもっとひどくなって、各国の想像もつかないようなエリート天才学者たちが知恵熱絞って対策を考えても一向に良くならない経済や内政とか、ボロボロ有効対策を誰も打ててないから匙投げまくってるし

戦争に至っては、ロマンの入る余地もないSF技術みたいな最新技術が投入されて戦う戦争になった結果、もはや国際法無視してテロリストが町中で非戦闘員狙って無差別殺人テロ起こして抵抗する泥沼の状態になってるじゃん。

SNS不毛マウンティング合戦はマシなほう、中世よろしく魔女狩りや吊し上げが横行し、SNSで弱ってるところをつけこんでオッサンモテない男やDQNたちが女子高生誘拐して毎日のように警察逮捕されてんじゃん、つまり未成年誘拐が多発しているということなわけで。

慶応ボーイや東大ボーイや一流総合商社芸能人でさえ、捕まって当然とはいえ酒のまして準強姦JKお金払ってまでしないと付き合うとか恋愛もままならない時代だし

女は1日1日と老けていく自分の体と時間との恐怖で攻撃的になって、酷いマウント合戦や、詐欺同然の方法上流階級の男に寄生しようと蠢いて蟲毒にようになってる時代だし

ついには、ありもしないSNSでのデマ幻想エコーチャンバー状態になって、モテない男はインセルと化して学校銃乱射事件を起こし、モテない女はポリコレ棒振り回して狂った主張でビラ配りや市民政治活動をし始めたり、SNS内ゲバを始めたり、全方位にポリコレ棒で殴りかかる時代だ。

国民同士の縦も横もつながりは分断され、お互いが相互不信で憎しみあう、まるで地獄のもの社会先進国のあちこちでできてる。

いくら何でもおかしくないか、一番おかしいのは、これっておかしいだろうという奴こそ反進歩主義だとか旧世代思想だとか叩かれるところだよ

2020-06-06

anond:20200605114324

アメリカでは肥満の人が声を上げた。メディアガリガリに痩せた人たちだけを理想の美と扱うことに関する反発が多数発生した。

極端な例を挙げると、InsatiableというNetflixドラマがある。これは主人公であるティーンエイジャー女子肥満で虐められていたがダイエットを頑張り「美しく」なり、かつて自分バカにしてきた奴らに復讐する物語である。このドラマ肥満バカにしている(fat shaming)である批判され議論を巻き起こし、失敗には終わったがchange.org23万人に及ぶ放送制作中止の署名が集められた。

アメリカ多民族国家であり複数人種がいるため見た目で相手判断することが(少なくとも良識のある人々の中では)タブーとなっている。日本と違い、履歴書写真要求してはならない。相手容姿を褒める時にも注意を要する。「肌が白くてキレイですね」なんて公の場で言ってしまうと大変な目にあう。みな違ってみな美しいという前提で過ごしていかなければならない。

まあその結果あそこまでブクブクと太った人だらけになっているのはそれはそれで問題でもあるのだが、容姿いじりという観点でいけば日本よりも多少は過ごしやすい部分がないこともない。美の基準日本のように単一ではない点も良い部分はある。

もちろんアメリカはまだまだクソだ。ティーンエイジャーは残酷でありスクールカースト日本より酷いものがあり、毎年のように学校での銃乱射事件が起きておりスクールカースト底辺者が反乱を起こすのは風物詩のようになっている。

日本人はここ数十年抑圧されることに慣れてしまった。中国人天安門事件の後はおとなしくなったのと同じように。一揆や打ちこわしは上等であり、パールハーバーには突っ込むし、学生運動もするし何でもしていた。テロ国家テロ民族であったのにサリン事件以降はすっかり黙る民族となった。自分卑下することが美徳とされ、芸人自虐をすることが面白い立場をわきまえろという圧力が強い。

不快感は示すべきだ。不快感を示すことから全ては始まる。しか不快感を示したら何かが変わるというわけではない。アメリカを見ろ、みんな自信満々だが何も変わっていない。難しい問題だよまったく

2019-11-09

オーランド銃乱射事件秋葉原通り魔事件では、「容疑者と、襲撃したコミュニティ」との関係には類似があるのではと指摘されている(容疑者死亡のため真相は謎)のだが、「前者はヘイトクライム後者オタクの闇。それ以上でもそれ以下でもない」と単純化してる人は今でも多いんだろうな。

マイノリティ同士だって分かり合えるとは限らないし、分断されることもあるし、それ自体が一つの差別構造でもある。

2019-10-29

ポスターのやつ、いろいろな記事を読みつつ、自分の考えを整理するために書き出していたら、結構な量になってしまった。論点が多くてあまりまとまっていないが、せっかくなのでここに置いておく。少しずつメモ帳に書いてたら気がついたらめちゃくちゃ長文になっていてビビったというか、途中で切らられちゃうので分割するはめになった・・・・。

ポジショニングを先に述べておくと、私は男で、オタク、宇崎ちゃんポスターはギリセーフかな?ぐらいの認識だ。

ポスター擁護派の反発の強さ

いきなりだが、ポスター擁護側の反応が過剰である、という意見がある。これは、ポスター擁護側の危機感の強さに由来するものと考えている。「彼らが最初共産主義者攻撃したとき」という有名な言葉があるが、ポスター擁護派にとって、オタク表現に対する段階的な譲歩は、最終的にはすべてのオタク表現が認めらない未来につながる、という危機意識があるのではないだろうか。この危機意識を補強する要素として、これまでの事例(NHKにおけるキズナアイ人工知能学会の表紙など)も存在する。一方で、ポスター批判派にとっては、あくまでも自分の信じる妥当な指摘をしているし、これまでの個別の事例は必ずしも自らによるものでないので、ここまで反発を受ける理由が分かりづらいのかもしれない。

ここで問題となるのが、ポスター批判派と擁護派の間に信頼関係が無いことであるポスター擁護派にとって、ポスター批判派とは、個々人の「常識」に基づいて、それぞれ微妙に異なる理由ポスター問題点を指摘する存在に見えている。特に共有されたガイドラインがない状況でこうなってしまうと、ポスター擁護派は最終的にどこまで譲歩すればいいのかわからない以上、一歩たりとも引くことができなくなってしまう。ポスター擁護派が「お気持ち案件」と言うのはこういう理由からであろう。両陣営の間に紳士協定存在しない以上、お互いに譲歩は難しい。

個々人の嗜好や常識が異なる以上、必要となるのは各陣営同意が得られたガイドラインになるであろう。現時点で即効性があるガイドラインは恐らく法律のみであり、法律に基づくのであれば、法的な「わいせつ物」でなければ問題ない、ということになる。もちろん、「TPOマナーをわきまえろ」という意見もあるだろうが、TPOマナーへの遵守はベストエフォートであり、必ずしも守る必要がない。法律のみを基準として考えた場合、件のポスターが「わいせつ物」とは言えない以上、それ以上の規制を求めることは「過剰な要求」と映ることもあるだろう。ポスター擁護派には、恐らく規制派の意見法律を超えた「過剰な要求」に映っている。

では、みんなが納得するようなガイドラインを、批判派と擁護派が一緒になって作ることは可能だろうか。残念だが、私の印象としては、そのようなことは難しいように感じられる。各人それぞれ譲れない線があるらしく、すり合わせは容易ではない。しかし、後述するが、私はそのようなガイドラインは「表現する側」が作れば良いと考えている。

ポスター取り下げの圧力はやりすぎなのではないか

安易ポスターの取り下げ要求は、表現への萎縮につながるという説もある。これは一理あると同時に、必要行為でもある。私自身は、自由はなるべく保証されているべきだと考えているので、ポスターへの批判Twitter上で放言することは、それがどのような理由に基づくとしても、認められるべきだと考えている。たとえそれが、個人的な心情に基づいたものだとしてもだ。また、赤十字に対して直接的に取り下げを求める行為についても、特に問題はないと考えている。なぜなら、圧力、あるいはロビイングは、自分の信じる世界を作るための戦術の一つであると考えているからだ。批判派も擁護派も、お互いにやればいい。

さて、赤十字にも、表現自由がある。赤十字公的団体私的団体かに関わらず、赤十字にはどのような表現を行うかを自発的に決める権利がある。もし、赤十字が、批判に対して「なるほどそういう考え方もあるのか」と考えてポスターを取り下げるのであれば、それは赤十字自由だ。一方で、批判を受けた上でポスターを取り下げないのも、赤十字自由だ。赤十字インターネット上でどちらの意見が多いかを見定めで、それに基づいて判断を下したとしても(統計的な正確性の問題を別として)、問題ないだろう。決めるのは赤十字である

前述のとおり、私は、批判派と擁護派が意見をすり合わせて統一ガイドラインに至ることは難しいと考えている。となれば、最終的には、どのような表現が認められるかどうかは、その表現の発信者が決めるしかない(この場合赤十字だ)。この前提に立つ場合、両陣営は、発信者を説得するために最善を尽くすのがミッションとなる。つまりロビイング合戦だ。実際のところ、自治体はもちろん出版業界放送業界などを始めとして、様々な企業業界には、表現者として独自ガイドラインがある。これらは過去ロビイングによって少しずつ構築されてきたものであり、それぞれの価値観をすり合わせた結果とも言える。そして、このような自主規制ルールを作る上では、表現自由関係が無い。

強引なロビイングの是非

ところで、何人たりともリソース限界というものがある。特に赤十字にとっては両陣営から意見を受け付けて適切に判断を下す、という非常にリソースを消費する作業が求められる。結果的に、赤十字は、問題が起こりにくい表現のみを使うようになる、つまり表現の萎縮が起こるという懸念が残る。しかし、究極的に言えば、私はこれは問題が無いと考えている。ポスターなどの表現は結局はコストパフォーマンス問題であり、クレーム対応へのコストと得られる利益(この場合血液量だろうか)のバランスを鑑みて、最終的には収束するであろう。コスト削減のために無難表現を選ぶ、というのも戦略の一つであるし、多少苦情が来るのを受け入れつつ、血液を大量に集められる方向に舵を切るのも赤十字判断だ。赤十字には自由がある。

しかし、ここで注意しなければいけないのは、必要リソース量には非対称性があるということだ。たとえば、赤十字に対して長時間苦情の電話をかけ続けるといった手法は、ロビイング方法としては好ましくないと、私は考えている。表現者のリソースを飽和させることによって、半ば強引に要求を飲ませる手法は、私の目には品が良く映らない。人によっては、この手法自体を、不当な手段による「表現抑制」と見なすこともあるであろう。意見の伝達は、なるべく相手リソースを消費しないように心がけたい。もちろん、あなたがどうしても相手に飲ませたい要求であれば、多少強引な手法を取ることは(法律禁止されていない範囲で)可能でもある。しかしその場合、まさにその行為自体非難対象となり、結果的に周囲から理解も得られない結果になることもあるだろう。私自身は、Twitter上で意見つぶやくぐらいが、相手にとって負担の少ない範囲だと考えている。

ロビイングが下手な方が負けるのはいいのか

ロビイング合戦となると、「声が大きいほうが勝つのかよ」という非難もあるかもしれない。そうなのだ、声が大きいほうが勝つのだ。こればっかりは民主主義必要コストなのか、いわゆる自由のための「不断努力」というものなのか、各人が自分の信じる事を唱え続け、みんなを説得するしか無い。しんどいが、そういうものみたいだ。もちろん、弊害もある。「米国NRAロビイングを続けているせいで、いつまで経っても銃乱射事件が無くならない」という人もいるだろう。しかし、ではNRA発言権強制的に奪うことができるかというと、そうはならない。あなたにできるのは、あなた意見で周りを説得して、支持者を増やすことだけだ。でも、しんどい。できれば相手に静かにしておいて欲しい。きっとお互いに「またかよ」と思うこともあるだろう。不毛に見えることもあるかもしれないが、自由とはそういうものなのだろう。

表現の萎縮と緩和の難しさ

さて、表現の萎縮を懸念する材料として、一度決まったルール安易に緩和されないという指摘も考慮する必要がある。

たとえば、知っている人にとっては「定番の話」であり、それ以外の人には「なんでそんなことに」と思われがちな自主規制として、「4本指のイラスト禁止」という決まりがある。これは、自主規制ルールとしてそれなりに広く運用されているはずのルールだ。このルール部落開放同盟から意見が由来らしいのだが、私自身(関東出身)は最初に聞いたときは「なんじゃそりゃ」と感じた。今現在も、「そろそろ無くしてもいいんじゃないの」と思っている。

一般に、規制というものは強くなる方向に圧力がかかる。形骸化したルールが、それを理由に削除されることは、傾向としては少ない。そのため、理由はどうであれ、細かいルールを積み重ねていくと、最終的には非常に厳しい規制が完成する。この傾向は、表現自由度を求める陣営にとっては脅威である。一度決まりができてしまうと、それを覆すのは難しい。もちろん、ロビイング社会の変化によって緩和が行われることもあるだろうが、できるならば規制が生まれる事自体を避けたい。この非対称性考慮した場合ポスター擁護派が過敏に反応することは、ある程度理解できる。譲歩の積み重ねが厳しい規制につながることを懸念するのであれば、今がまさに踏ん張りどころだと言える。

定義エリア問題公的機関責任

日本赤十字は半ば公的機関であるので、より安全ルール運用するべきではないのか、という指摘は、私自身は一理あると考えている。赤十字公的機関と見なすかどうかについてはここでは議論しないが、公的機関がなるべく安全表現を使う、というのは、すべての人へサービス提供する以上必要なことである。たとえば、政府セクハラを是とした表現を行うことは望ましくない。なぜならば、セクハラは良くない行為であるという、社会通念上の合意が得られているし、法律という形で明文化もされている。あるいは、政府が過度に性的表現を行うのもまた、望ましくないであろう。これは、公の場では性的ものを隠すという社会通念上の認識が共有されているからだ。

では、どのような表現が「望ましくない」ものとして社会で共有されているか、となると、全くもって難しい問題である。法的に認められていない行為は当然「望ましくない」し、差別助長するような表現も、おそらくは「望ましくない」。しかし、社会の大部分は実際のところ未定義エリアとなっており、個別案件ごとに勘案することになる。すでに広く指摘されている通り、たとえどのような表現でも人を傷つけることは往々にしてある。その前提に立つ場合、単純に「私(や私の周りの人々が)が傷ついたから」という理由だけで「望ましい」かどうかを定義することはできない。たとえば、単に子供掲載されているポスターがあるとして、どうしても子供を授かることができない夫婦が傷つくからといって、そのポスターを取り下げるべきだろうか。この例に対する答えはない。もし、そのような人が日本で大多数を占める状況であれば、きっと日本政府はそのポスターを取り下げるべきであろうし、あるいは、その傷つき方が非常に強いものであれば、少数のために取り下げることもありえるだろう。(なお、この例示自体が、そのような人を傷つけているだろうという指摘も当然ある)

今回のポスターは、擁護派にとっては、このような未定義エリア問題であり、どちらかといえば問題がないものとして想定されている。一方で、批判派は「望ましくない」ことが確定したもの、具体的には性差別問題として認識している。この前提が異なる以上、公的機関が今回のポスター掲示することの是非について議論するのは、あまり意味がないように考えられる。極端な話、件のポスターポルノであれば、赤十字掲示するのは不適切であろう。しかし、そもそもポルノかどうかという点が両陣営の間で確定していない状態では、それ以上の話はしようがないのである

ところで、公的機関にとっての表現コストパフォーマンスとは何だろうか。恐らくは、どれだけ全体を幸福を最大化できるか、という観点になるだろう。そして、なるべく多くの人が傷つかない、ある意味では無難表現を用いるという戦略は、単純にコストパフォーマンスに優れるであろう。そういう意味では、公的機関特別視するというよりも、彼らは単にコスパがいいか無難表現を好む、と考えるのが妥当なのかもしれない。

崇高な目的のためであれば、小さな犠牲は許されるべきか

献血を推進するためであれば、ポスターが引き起こす問題無視されても構わない、という考え方が観測される。これは是でもあり非でもあるだろう。

ここで重要となるのが、ポスターが引き起こす問題とは何なのか、である。仮に、その問題差別問題である判断される場合、たとえ献血目的であろうとも、その表現は認められないと考えられる。例えば、「白人は慈愛に満ちているので、どんどん献血に行こう」と書かれたポスターは、現在社会通念上認められないだろう。一方で、「差別とまではいかないけれど、傷つく人もいる」表現場合献血重要性を理由に、多少の問題無視されることもあるだろう。先程の例を再び使うのであれば、献血ポスター子供掲載することは、おそらく現在日本では問題となることはない。

さて、ここまで来るとまた同じ話になるのであるが、今回の文脈において、ポスター擁護派は今回の問題差別問題である認識していない。一方で、批判派は、これは性差別問題である認識している。そのため、両者の話は噛み合わなくなる。結局の所、この論点もあまり意味がない。件のポスターポルノであれば、それを公の場に掲示するのは、女性差別になるであろうから献血のためとはいえ認められないであろう。一方で、ポスターポルノでない場合献血のためであれば、多少のことは無視される可能性はある。

続くよ

https://anond.hatelabo.jp/20191029132732

2019-09-26

NZ銃乱射事件を見た。

ちょっと衝撃的な映像だった。頭にカメラを付けていて、一人称視点映像になっている。

車のトランクに積んだ銃を持ってイスラム集会所に入っていき、入り口にいる人たちを一人づつ撃ち殺していく。完全にFPSゲームの動きだ。

テニスコートぐらいの大部屋に出ると、銃声に気づいたであろう人たちが両角に集まって丸くなってる。

10人ぐらいのかたまり容赦なく弾を撃ち込んでいく。入り口から逃げようと近づいてきた男も一瞬でヘッドショット

弾が切れると、部屋から出てリロードする。この動きに既視感があるせいで現実味がなかった。

再入室して、今度は人がかたまってる場所に近づいて丁寧に撃っていく。音声が粗いのだけど、うめき声が減っていくのがわかった。

集会から出ると、通行人も撃ち殺す。体から撃たれた女性がhelpと連呼していたのが印象的だった。

車に戻ると、殺した通行人の上を走り公道に戻る。走りながらムスリムっぽい人を窓ガラスを貫通しながら撃つ。

車内で軽快な音楽を流しながら動画は切れていた。

2019-09-12

[]クライシスアクター

おそらく「クライムアクター」は誤り。

政府が大規模な事件を起こして世論誘導するとき(たとえば銃規制をしたいので銃乱射事件を起こすなど)、

その犯人被害者を演じる役者のことをクライシスアクターと言う。

クライシスアクターは、たとえばテロ被害者なりすましインタビューを受け、政府に都合のいい証言をしたりする。

多くのテロ事件クライシスアクター特定されている。

政府メディアに騙されるな!

…という陰謀論である

2019-09-08

anond:20190908120501

わかるわかる。

銃乱射事件が起こるのは暴力ゲームのせいだから実銃販売規制する必要はないんだよな。

2019-08-26

銃乱射事件を受けて銃規制緩和か。

まあ暴れるやつは法を破ってくるんだから

身の守りを優先するのはしょうがないのかな…。

2019-07-19

anond:20190719110355

BBCとか世界各国でニュースになり、Appleトップツイッターコメントしたが。。たとえばあれか日本俳優なりお笑い芸人が死んだら世界各国でニュースになりローマ法王メルケルが悔んでくれるの??すごいすごい

大規模殺人事件が起これば世界各国でニュースになったり要人コメントだすのは当たり前だが…

アメリカ銃乱射事件とかでも普通に世界からコメント出てるだろ。

その発想がなくて「アニメ関係から騒がれた、それ以外なら騒がれる訳ない、日本アニメは凄い」って発想しか出ないのって視野狭すぎない??

2019-07-18

オタク部族意識をみくびってた

いつも悲惨無差別殺傷事件がおきても、それを使って彼らなりのユーモア材料にするか、もっと悪ければ犠牲者揶揄することのほうを楽しむ傾向にあるオタク

まるでアメリカ銃乱射事件被害者であるかのようにショックを隠さず悲しんでいる

今回の事件をもってしてはじめてオタク自分と同じ「市民」が痛ましい犯罪犠牲者となったと感じているのだ

彼らは、これまでの凶悪無差別テロでは、なんだか知らないけど俺たちを日陰に追いやっている「リア充」もしくは生意気な「弱者」が

因果応報的に悲惨な末期を迎えているくらいにしか感じていなかったのだ

この社会はもうとっくにとりかえしのつかないくらい分断されていたんだな

2019-05-29

anond:20190529215109

いや地位はおろか命を失うことすら恐れない。ラスベガス銃乱射事件がそんな感じじゃ?日本でもそのうち無敵の上級国民が現れるかもしれない。

anond:20190529150714

アメリカ銃乱射事件とか、ヨーロッパテロとかと構図は同じなんだろうな。

ヘイトを受け続け、溜め込み続け、爆発した、と。

2019-05-28

自分家族もいつなんどき、理不尽に殺されるかもしれん

その事実について、そういう社会であることを認識した。

その現状に対して諦めるつもりは、無いけれどアメリカ銃乱射事件が、食い止められないように、日本社会において、通り魔殺人も予防できない。

社会全体で対処できる問題ではない。

各々で自分家族を守る方法をコツコツ考えるしかない。

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