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はてなキーワード: ビニールとは

2019-01-19

「まさだけい」逆から読むと「いけださま」

今日のプロブロガー(2019-01-09)(3) | MechaAG

イケダハヤトがやりたいことはわかる。目的は素晴らしい。できれば俺だって応援したい。しかし…イケダハヤトのやり方ではイケダハヤトがやろうとしてる目的は実現しないんですよ、残念なことにね。だから「それでは駄目だよ」と言ってる。

今日のプロブロガー(2019-01-10) | MechaAG

必要もないのにルール無視したり否定するのは賢くない。ルールというのは崖の柵のようなもの。柵がないと崖に落ちて危険からその手前に柵を設置してある。柵(ルール)を取り払ったからといって、その先(崖の向こう)にいけるわけじゃない結局イケダハヤト個人でやるしかないよね。自分のやりたいようにやりたい。そして他人に協力してもらうコスト無駄しか考えないから。其れなら何でも自分一人でやるしかない。

社畜とか会社を辞めさせるだけで後は自分運命を切り開けなんてのは、若者残酷すぎ。というかそれで成長できる人は誰も何も言わなくても勝手にそうするのですよ

今日のプロブロガー(2019-01-10)(2) | MechaAG

ブラック企業とは違うだろう。だってブラック企業社員給料を払ってる。脱社畜サロンは逆に会員が会費を払ってるwwww

界隈は別にイケダハヤトから給料を貰ってるわけじゃないのに、まるで社畜のようにイケダハヤトの顔色を窺ってびくびくしてる。サラリーマンの方が安定して給料を貰える分ずっとマシだと思うけどね。それになんだかんだサラリーマンをやってるとスキルも上がる。一方イケダハヤト仕事のやり方を教えてくれるわけじゃないでしょ。給料ももらえない。スキルも身につけさせてもらえない。なのに社畜と同じ待遇wwwww

もしそういうのに本気で魅力を感じるなら、手本にすべき人はもっと他にいると思うんですけどね…。だってイケダハヤトは口だけじゃん?イケダハヤトから聞けるようなことは、ネットのどこにでもあると思うんですけどね…。なにも有料サロン情報商材買わなくても。さりとて進学塾教師みたいに教え方がうまいわけでもないし。というかむしろ下手。「ブログ書け!」ですからイケダハヤトとか正田圭に憧れる人は世界が狭いんですよ。インターネットという巨大な海が目の前に広がってるのに、砂浜にあるちっちゃなビニールプールで泳ごうとしている。プールイケダハヤトや正田圭ね。しかも海は無料なのにプールは有料(笑

今日のプロブロガー(2019-01-10)(3) | MechaAG

イケダハヤトサル君が考えたことはわかるよ。非コミュの人は今一つ普通社会にうまく適応できない。ならば非コミュに適したコミュニティを作れば、幸せになるんじゃないか、と。でもならないんですよ。だって非コミュなんだもん。むしろ非コミュの人はコミュニケーションうまい人の中に散らして配置すべきなんですよ。

イケダハヤトサル君の発想は、まあ気持ちはわかるけどあまり原始的。誰でも最初に考えそうな方法。その方法じゃうまくいかないので、企業採用していない。イケダハヤトサル君も企業を侮りすぎなんですよ。イケダハヤトサル君が思いつくようなことは、企業だって馬鹿じゃないから試してるわけ。それでうまくいかなかった。

今日のプロブロガー(2019-01-10)(4) | MechaAG

イケダハヤトも含めて界隈の連中も徐々にオッサンになってきてるってことじゃないですかねw。時の流れは若者にとって残酷オッサンになると「体制を壊す」側から、「体制を守る」側への転換に迫られるわけですよ。イケダハヤト場合自分が作ったサロンを「守る」必要に。

はたで見てると界隈の連中って苦行に見えるんだけどね。修行中のお坊さんみたいに、わずかばかりの食べ物(ベーシックインカム)だけで、あとはひたすら自分自身を見つめて「生き方」の本質探究する。オウム真理教信者を思い出すんだよね。

今日のプロブロガー(2019-01-10)(5) | MechaAG

「まさだけい」逆から読むと「いけださま」。相性抜群。

正田圭は、一応結構な規模の(これも一応だが)社長だということ。イケダハヤトとは事情が違うんですよ。その点に思い至らないでしょ?それがイケダハヤトの未熟な点なわけ。

元に戻ってはいないんですよ。一度信用を失った人は戻ってこない。ただ大衆は無数にいるから新たな信者が補充されてるだけ。でもそれいいの?「その他大勢」は補充が聞くけど、かけがえのない人からも見すてられてるじゃん

2019-01-17

東京はすごい

一口のんだ水をごみ箱に捨てたおっさんがいた。

トイレで手を洗うの待ってたら俺の前にいたおっさんカバンからおもむろに薬取り出してビニールから水を取り出した水を一口飲んで薬飲み込むとそのペットボトルごみ箱に捨てた。そもそも一口飲んだミネラルウォーターごみ箱に捨てるってことが理解できない、中身はいっているしもったいない生活水準が違いすぎるって思った。

2019-01-14

anond:20190114223109

最近ウミガメビニール袋飲んだりしてあんまりおいしくないね

この前なんて島のレストランウミガメのスープ頼んだらへんな繊維が入ってたよ

2019-01-04

おっさんが清潔にビニール手袋でつくったおにぎりは食いたくない

美少女女子高生が腋でにぎったおにぎりなら喜んで食べたい

2019-01-01

年始早々のクソ縁起悪い話

以下、正月早々縁起の悪い話かつちょいグロかつ胸糞な話なので苦手な方はスルーしてください。

まとめ

轢かれたネコ発見

どうすればいいかからずいろいろ電話とかして大変だった。

年末年始生ゴミとして扱うしかない、とのことでした。

ネコ自身にとってはどうしてほしかったのか悩む。

ネコを見つけた

から駅への細めの路地を歩いていたところ、道端で丸くなっているネコ発見

自分が住んでいる近所に猫エサおばさんがいるので、野良ネコ自体を見かけるのは普通だったのだが、この寒いのに道端にいるのはちょっと変だなぁと近づいてみる。

あきらかにいろんな汁が飛び散っているし、主に上半身のパーツがはみ出ていて、おそらくバイクか何かに轢かれて即死しちゃった感じでした。

死んじゃった哺乳類は目が怖いね。片目だけだったし。

どうしよう

周囲をきょろきょろしたものあんまり人もいなかったので、なんとかしないとなぁと思い寒空の下いろいろ調べてみた。

細い路地なのでおそらく市道 → 市の担当部門かに電話して相談

市の担当がわからない → 道路緊急ダイヤル(#9910)に電話して聞いちゃうのが早い

というわけで市の相談課に電話したのだが、

市 「年始なので整備課が動けないんですよ。

ぼく「どうしたらいいですか?

市 「…週明けに回収に行くようにします。

ぼく「え、丸一週間このままですか?

市 「えーと…、では再度轢かれないように道の端によけておいてもらえますか。

ぼく「え、冬とは言え、一週間放置は大変なことになりませんか? というかかわいそうすぎませんか?

市 「そうなんですよね…。大変申し訳ないんですが、いったん回収して生ゴミとして扱ってもらえませんか。

ぼく「え。生ゴミの回収も週明けですよね。

市 「そうなんですよね…。

という感じ。

ここは三方一両損ということで

ぼく → めんどくさいけどいったん家に帰り、ビニール袋を持ってきて回収+密封、近くのゴミ収集所に置いておく

ゴミ業者 → その収集所は最初収集日(1/4 金)は資源ゴミなので、生ゴミが出てると困る

ネコ → ゴミとはなにごとか!

まあ、いい落としどころではないでしょうか。

気になったこと① 都会の冬は冷たい

なんというか、いろいろ調べてる時に、いっしょに相談してくれる人がいてくれたらうれしかったんだけど、ネコそばを通る人は「うわ~…」っていう感じでガンスルーだった。

10人ぐらい通って全員足も止めなかったのでなんかさみしいなぁ、と思った。

自然消滅するとでも思ってるんだろうか…。

気になったこと② 死んだネコネコの形をした肉だ

で、自然消滅はしないわけで、一般的には誰がどうしてるんだろう。

いちいち警察かに連絡してるのか、近所のおばさんが庭とかに埋めてくれてるのか。

というか猫エサおばさんにちゃん責任もって処理してもらいたいところだけども。

少なくとも自分は、生ゴミとして回収するのが一番手っ取り早いというのがわかったので、今後はそうすると思う。

気になったこと③ メメントモリ

ネコ本人にとっては、どうしてもらうのが一番うれしかったんでしょうか。

動物は死期を悟ると群れから離れて人知れず死ぬ、っていう本能的な動きがあるので、死の間際とかはもっと目立たないところで死にたかったなぁ、って思ってたと思う。

ちゃんと森とかに穴掘って埋めてあげるのが一番良かったと思うんだけど、まあ野ざらしになってるよりはマシだと思うので、多少は感謝してくれてればうれしい。

2018-12-29

スーパーでもらった割り箸おしっこ臭かった

ビニールによって個包装された割り箸なんだが

開封するとなんだかおしっこ匂いがする

製造過程おしっこが混入したとすれば他にもおしっこ臭い割り箸が出回っていることになりそうだが

結局そのおしっこ臭い割り箸お菓子を二袋食べてしまった

割り箸を握った手までおしっこのような匂いがする

このおしっこのような匂いおしっこではないことを祈りたい

2018-12-28

死んだ祖父母の部屋を大掃除してたら、賞味期限2000年台の缶詰が出てきた。。。

パンパンに膨れ上がったそれを嫌々ながらに、ビニールかぶり手袋をして外で開封したところ、

開けた瞬間ぷしゃっと出るだけであっけなく終わり拍子抜け。、

そして中にあったのは真っ黒でタールのような液体と炭化したように真っ黒になったソレだった。

そうしていくつかそのような缶詰を処理してわかったのは、

パイナップルは缶を溶かしてしまうということと、

一方柔らかそうな桃は割りと原型をとどめていたということ。

さらに90年台が賞味期限シーチキンも出てきたが、こちらは見た目だけなら問題なかったということだった。。

2018-12-27

[] 増田餅つき終わった?

増田の家は何升ついた?

ビニールのし餅袋つかってる?

それとも餅とり粉?

2018-12-25

スプレー缶のガス抜き

明日、年内の不燃ゴミ出せる最終日だから

スプレー缶のガス抜きしてたのね、外で。

これって空気入れ替わるまで何時間ぐらいかかるの??

あと玄関先にビニール袋に入れて穴開けたスプレー缶置いてて大丈夫?(明日の朝まで)

札幌の爆発があったし集合住宅だし怖いよー。

あとガス抜き玄関先(外)でやって、終わったあと床に水を撒いたんだけど火事起きない?大丈夫

不安だ…

詳しい方教えてください。

2018-12-13

この季節になると、自殺した人のことを思い出す。

その人は、同じマンションに住んでいたというだけで名前も知らない。

大島てるにも載っていないし、同じマンションに住んでいても

自殺者が出ていることを知っている人は、ほとんどいないのではないかと思う。

自分が知っているのも単なる偶然で、この季節、自分の部屋に戻ろうとして

エレベータを待っていたら、ちょうど降りてきたエレベータに乗っていたのが

数人の警察官と、黒いビニールが厳重に巻き付けられ立て掛けられた担架だった。

警察官の一人が持っていた段ボールには、何かごちゃごちゃと入っていて

その中に1枚A4ぐらいの白い紙に投げやりなゴシック体

ヘリウムなので安全です」と印刷してあった。

警察の人は、もうちょっとプライバシーに気を付けたほうが良い。

当時は、まだ硫化水素流行って間もなかったので、そんな紙を遺したのだろうけど

自分が死のうというときに、他人に気を遣っている場合じゃないだろうと

思い出すたびに胸が苦しくなる。

今でも同じマンションに住んでいるが、時折、誰も載っていないエレベータ

扉を開けて待っていることがあり、そんなときは、ありがとうと声に出している。

anond:20181213100323

何かを得るには往々にして何かを失わなければならないので

オムツペットボトルゴミ箱ビニール袋に排泄するのも覚悟するしかない

anond:20181213100323

もうビニール袋に糞してろよ

何がそんなに嫌なの? 綺麗好きなの?

2018-12-09

anond:20181209225338

そうなの?俺86年生まれからからなかったや、でも70年代に産まれてても子供から覚えてなかったかも?昔はビニール袋高かったのかな、オイルショック

anond:20181209225210

あー!なるほど、その発想はなかったわ。でも、黒いビニール袋に入れるのが一般的かと思ってたわ。紙袋つけてくれるの?土産屋で付けてくれる「お渡しの時用ですぅ」みたいな?

紙袋食材入れて帰ってくるのってリアルにあるの?

よくCMとかで目にするんだけど、カゴやコンテナじゃだめ?紙袋なぜ使う?俺が使ったことないだけで皆紙袋派?最寄りのスーパーでも皆ビニール袋使ってるんだけど帰宅途中に紙袋に交換してるの?へ?

2018-12-02

anond:20181128222541

コンドームティッシュペーパーも、チラシか何かにくるんで、小さなビニール袋に入れて、口をキュッと結んで、燃やせるゴミとして捨てるだけさ。

さなビニール袋ってのは、スーパーキッチン用としてたくさん売ってるだろ。

2018-11-26

anond:20181125055531

元増田に触発されて、大学時代自分自殺未遂をしていた頃のことを思い出していた。自殺未遂と言っても、救急車警察のお世話にもならない程度に自殺を企てて失敗して諦めるようなものではあった。とはいえ、今思い返してみると自分人生ではそれなりに重要位置づけにあった出来事だったように感じるので、供養のために当時のことを思い返して書いてみようと思った。

大学の頃はとにかく自分の不甲斐なさ、生きる才能のなさに絶望していた。バイトでも研究室でも上手くいかず失敗ばかりで常に低評価、何をしても上の立場の者を怒らせてしまい下の立場の者からは憐れまれる、同期も含めて誰とも信頼関係を築けない、などで常に悩み苦しんでいた。いつだったか、親に「普通のことが普通にできるようになって欲しい」と言われた。自分も心底そう願っていたのだが、周囲が普通にできていることができないまま、失敗体験ばかりが積み重なっていった。

その社会的に上手くいかない大部分は、今顧みると自分発達障害的な特性に起因していたのだと思う。だが、その頃は発達障害に対する知識量が乏しく、自分発達障害であると疑いもせずに、漠然としつつも強い社会不適合感を感じながら生きていた。

そのうち、何か現実で失敗して大きく自分失望する出来事があったとき自殺を試みるようになった。

ある時は凍死を試みた。当時は北海道に住んでいたので、冬の夜に外で寝ると簡単に凍死できる。酒をコンビニでたくさん買って、酩酊したのちに雪の中で寝ることで死のうとした。だが、いざ酒をしこたま飲んでも「ここで寝たら死ぬ」という本能的な危機意識が強まり意識覚醒するばかりで思うように酩酊することができなかった。結局、1時間半ほど雪中にいたのちに無理だと悟り、冷え切った指をさすりながらフラフラ家に帰った。

ある時はヘリウム自殺を試みた。本当は数百リットル入っている大きなヘリウム缶を購入した方がよかったのだが、実家住まいだったため家に持ち込むのは現実的でなく、結局十数リットルの小型缶を2本買った。ビニール袋を頭から被り、その中にヘリウムを充満させ、呼吸すると酸素不足で意識を失いそのまま死に至るという寸法だ。結果はまあ当たり前だが、ヘリウム絶対量が足りず、意識を失うことすら叶わなかった。「死ねなかった…」と独りごちたとき、例のパーティヘリウムを吸った時の声が高くなる現象が起き、思わず笑ってしまった。一瞬だけ、自殺に失敗した絶望感が紛れた。

他にも非定型首吊りを試みたりと何度か自殺を決行した。だが、いずれも準備不足だったり、途中で怖くなってしまって未遂に終わることを何回か繰り返した。そうしてまた現実に向き合わなければならない絶望感を抱えつつ、辛くて苦しい日常に戻っていった。ただこの自殺失敗は無意味ではなく、いつでも死ねるという選択肢があると自分に言い聞かせることで、現実の辛さから目を背ける逃避行為になっていたと思う。

そうして毎日をやり過ごしていたところで、大学院の研究発表が間近の冬の時期に、これまで数ヶ月かけて実験してきたデータが使い物にならないと判明した。自分のこれまでやってきたことが無為だと感じたときに、なんとか生きようとしていた気力の糸が完全に切れてしまった。この出来事自体が大きい意味を持っていたというよりは、これまでの失敗体験により自分への失望や将来への希望の無さが雪だるま式に積み重なっていって、この出来事で許容値を超えたと言った方が正しいと思う。この先生きていても苦しいだけで希望も何もない、自分は何も成功を収めるすることができない落伍者だという思いがピークに達し、自殺を決行しようと思った。

定型首吊りをしようと、酒を飲んだあと人気のない公園に行き、自分身長以上ある遊具ロープを括り付けた。その後、遊具に昇って首にロープをかけ、足を遊具から踏み外した。頭に血がパンパンに溜まり熱くなるのが分かり、同時に意識に靄が徐々にかかっていった。あと数秒、首に圧力が加わったなら意識を失い、やがて死に至ると強く実感した。そのように感じた瞬間、死が急に身近に思えてきて、一瞬でとてつもない恐怖心が芽生えた。手でロープを掴み首に掛かる圧力を緩めたあと、必死にもがいて首からロープを外し、倒れ込むように雪の上に落ちた。

その後も何回か試したが、同じようにあと数秒で意識を失えるところで首からロープを外し、断念することを繰り返した。あと数秒だけ首に力を込めれば意識を失えたのだが、その一線を越えるのがとてつもなく大きな壁のように感じ、どうしても乗り越えられなかった。結局3回ほど試したのち、無理だと悟って家に帰った。

上で書いた通り、自分にとって自殺は辛い現実から目を背ける唯一無二の手段だった。死ぬという選択肢があると信じ込むことで、どんなに現実で失敗をしたとしても、死ねば救われると信じていた。しかしこの自殺未遂により、ここまで死に接近しても、死という一線を越えることは自分にはできない、死を現実の逃避先にするのは無理だと悟ってしまった。すると、これまでは生きるか死ぬかの狭間でウロウロ迷っていたのが、死ぬことが無理ならこの先も生きていくしかなく、この先どうせ生きていかねばならないのなら、できれば良い人生を生きていきたいという心情に変化した。死ねない絶望が、逆に現実を前向きに生きようとする動機になったのだ。

その後、研究発表は使えそうなデータをそれっぽく見せて、なんとか修了要件を満たすことが出来た。

そして大学卒業して働き始め、自分発達障害であることに疑いを持ち実際に診断が出るなど紆余曲折ありつつ、今のところはなんとか生きている。

今でも猛烈な希死念慮破滅願望が湧き上がることはしょっちゅうあるし、自分社会を上手く渡っていける人間でないことに絶望したりもする。「生きててよかった」とまで自分人生肯定できるまでには、まだ至っていない。だが、自分自殺できない、死を逃避先として選べないということは、確固とした事実として悟ってしまった。また、幸いと言っていいのか、最近は少しずつ発達してきたのだろう、人生を上手くやっていく術を徐々に身につけつつある。まあ、全て上手く実践するまでには全然至っておらず、それなりの頻度で失敗をやらかす。そのたびに湧き上がる強い自責感情消滅願望を色々な方法ごまかしつつ、結局はより良い人生を目指して少しずつやっていくしかないと思い今日もまだ生きている。

この文章を読んで、これは前向きな感情ではなく、死ぬという選択肢が消えたか消極的に生きなければならないと感じているだけではないか?と感じた人もいるような気もする。確かにそうなのかもしれない。ただ、以前は学習性無力感からか、自分人生を良くしようと自分から働きかけようという気すら起こらず、ただ日常の痛みに耐えているだけだった。そのような状況から比べると、自分人生コントロールして良くしようと動く気になった分、以前より間違いなく前向きになったように自分では感じるのだ。(管理が厳しく、親の納得のいく人生を送らないと叱責する親元を離れたことも、大きな要因であるとは思う)

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

こうして今になって文章化して振り返ってみると、この程度の絶望はまあ巷にはありふれているし、救急警察にお世話になっていない程度の大した話でないと自分でも思う。ただ、元増田は「人は簡単死ぬ」という現実悟り、結果として前向きに生きることができるようになったと書いている。一方で、自分は「人は簡単死ねない」という現実に直面し、結果として前向きに生きられるようになったように思う。その対比がなんだか面白くて、このような長文を書いてしまった。

以上、供養です。おわり

2018-11-25

ブリックパックとかのストロー

あの伸ばして使うヤツ。

あれって透明のビニールのやつに入ってて本体にくっついてるじゃ無いですか。

自分はいつもビニールごと本体から外してからストローを出してたんだけど妻は本体から外さずにストローだけ押し出してて。

その方がゴミビニールのやつ)が出ないじゃんなんで外すのやめてよって言われてて。

かにそうだなって次からは外さないようにしようって思うんだけど子供の頃からビニールごと外してたから体に染みついてて無意識のうちに外しちゃうんだよね。

そんで妻にまたー!って言われてごめんごめんって。

みんなはあれどうしてるのか知りたい。

ぼくが自殺を決行した話をする

今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。

当時、ぼくは20歳ニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生絶望しながら生きてきていた。

ぼくはそのとき大学中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強したことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生ほとんどを見下していたように思う。

大学に入ったときは「遊びまくれる」という意識があって、いままでの家庭内での抑圧が弾けるかのようにぼくは遊び回った。当時隆盛していたモバゲーやらGREEやらでメンヘラ漁りをしたり、ネトゲにハマったりPCゲームにハマったり映画を見たり、一般的パラサイト大学生として過ごしていた。大学ははじめのころは新鮮でおもしろいと思って通っていたが、慣れてくると結局勉強をしなければいけないことに気づきだんだん卒業後の現実が見え始め、やる気がなくなった。勉強をしてなんになると思い始めて学校に行く頻度が落ちた。卒業して働くということに絶望を感じていた。就活というもの意味がわからなかった。

「少なくとも残り38年、あるいはそれ以上、奴隷として働かなければいけない」という絶望感があった。ぼくはそこまでして生きたいと思っていなかった。好んで死にたいわけではなかったが、人生目的が本当に何もなかった。ただ言われるがまま、子ども学校に行くもんだという指令のもとに生きていた。こうした呪縛から解き放たれて自由を得た代わりに、選択肢が何もないように感じていた。「働いて、生きて、それでその後は?」「何十年も生きて、それでその後は?」「生きていれば楽しいこともあるだろう。それでその後は?」「たとえば何かしら名声を得るとして、それでその結果何が得られるのか?」という風に感じていた。すべての物事人生最後にどう意義深くなるのかを考えていた。こういう考え方は、防衛機制の知性化というらしい。

ひとまず2年生に進級した。必修単位だけはなんとか落とさなかったが、そのほかの単位ものすごく落としていた。状況は何も変わっておらず、相変わらず特におもしろいとは感じないながらも、まだおもしろさが比較的マシなゲームや女遊びに没頭していた。しか現実逃避に過ぎないと考えてぼくは自殺を考え始めた。「死」が選択肢に入ってくると、おもしろいほど転がり落ちるのが早い。ただの堕落した大学から、終わり始めていった。

ふつう人間は、何か行動を選択するときに「死ぬ」という考えは浮かばない。「おなかすいたかコンビニに行こうかな。めんどくさいな。まぁ食わなきゃ死ぬしいいか」というふうにはならない。どんな選択でも死ぬことが関わってくる。死神に呪われているがごとく。「窓が汚れてるなぁ。窓ガラスに首を突っ込んだら死ぬだろうか」「料理はめんどくさいな。包丁を刺すのは痛いだろうなあ」と、だんだん普通の行動を取れなくなる。完全に何かしらの病気なのだが、金がないし「この状況が薬で改善されるとは思わない」と思っていた。

当たり前だが大学には行かなくなった。大学をやめてバイトだけやろうと考えた。当たり前だがうまくいくはずもない。そもそも働きたくないのだから、すぐにバイトにも行かなくなった。身分学生なだけの人間に成り下がった。ぼくは大学も行かず、バイトで貯まっていた20万円を使って、「起きる→ゲームする→眠くなると寝る→腹が減ったとき、朝や昼なら近くのスーパーに行き、夜なら近くのコンビニへ行く」という生活をしていた。ゴミは出たらそのまま放置し、いよいよ虫が出てきたときゴミ捨てをするという、現実逃避以外の何物でもない生活をしていた。

何度も「餓死しようかな」と考えて飯を抜いては「限界。無理」と考えてがっつり食べたりしていた。「3日食べない」「たくさん食う」「2日食べない」「たくさん食う」の繰り返しをしていた。この食べるという行為けが幸福だった。コンビニの同じような弁当ばかり食べていたが、ただただ「うまい」と感じていた。脱水症状手前の状態から飲むポカリは格別だった。体全体が食物を欲している中で食べるハンバーグは絶品だった。ある種中毒になっていたのだと思う。

そうした生活によって金が尽きる前に、母親が迎えに来た。ぼくが携帯電話の電源を切っていたので心配になって見に来たということだった。ぼくは「失敗した」と思うと同時にそれを拒絶した。「現実がやってきた」というふうに感じていた。未来への思考をしないようにしていたところに現実を考えなければいけないトリガーが出た。死を保留することがもうできなくなったと考えて、ぼくはすぐさま死ぬことを考えた。急いで財布だけ掴んで家を飛び出し、ネカフェに3日ほど滞在したあと、富士山樹海で首を吊るのがいいんじゃないかということで、なけなしの金をはたいてぼくは中央線に乗り込み、最後の晩餐として、いくらかの酒やお菓子食べ物ビニール紐と睡眠導入剤を買い込んで、残金がほぼないような状態で、河口湖駅へついた。そこからバス民宿方面へ向かった。民宿の予約はしていない。

ついたのは夜だった。ぼくは民宿の前の道路から少し離れたところで樹海に入った。樹海は街とは比べ物にならないほど暗く、岩は月あかりのせいか血のように光っていた。懐中電灯などというものは持ってきていない。飛び出したおかげか携帯電話も持ってきていなかったので、でたらめに移動した。引き返すつもりもなかったので、財布の中に入っていたお札や小銭を取り出して、破いて樹海の中にばらまいた。そうして移動した。怖くはあったが「動物に襲われたくない」という怖さだった。死にたいが痛いのは嫌だったからだ。樹海は暗すぎて木に紐を結びつけることができなかったので、一夜を明かさざるを得なかった。当時は雪が降る時期で、異常に寒くまともに眠れなかった。「寝たら凍死できればいいのに」「寝たら死んでいますように」と考えていて、必死で寝ようとしては起きてという繰り返して、朝を迎えた。何時だったのかは全くわからない。薄明かりで木に紐をくくりつけられるぐらいになった。

ビニール紐というのは何度も巻き付けて首に巻くとものすごく痛い。そもそも数秒耐えることもできない。睡眠導入剤や酒など飲んだが何の効果もない。意識はかなり明瞭で「死ぬ」という恐怖心と戦わなければいけなかった。「死ぬ。これから死ぬ。なぜ死ぬのか。そもそも死ぬ必要があるのか。これで本当に死ねるのか。考え直した方がいいのではないか。死ななくてもいい方法があるのではないか」と考えた。痛いし寒いし死のうという決意も薄いしで、結局ぼくは死ぬことを諦めた。

朝を迎えた樹海景色が綺麗だった。樹海の中にある道を探すと、あっけなく道が見つかった。その道をまっすぐ進むとすぐ道路にたどりついた。全然道路から離れていなかったらしい。

道路に出て、ぼくは適当に歩き始めた。明らかに変なところを歩いているのに誰も話しかけることはない。それはそれでよかった。変に話しかけられても困るだけだった。道路をまっすぐ進むと甲府方面看板が出てさらにまっすぐ進むと、幸運なことにお店があって、横に公衆電話があった。あとで調べると12kmほど歩いていたらしい。何のためらいもなく110番をする。「自殺に失敗したんですけど」といって、ぼくはいろいろあって実家に帰ることになった。おまわりさんには「いろいろ人生つらいこともあるけど死ぬのはダメだよ」みたいなことを言われてぼくはひととおり泣いていた。ただ、そんな言葉で心変わりするぐらいならここまで悩んでいない。泣いて「ちゃんとした方がいい」と思ったのはほんの数瞬だった。

実家に戻ってまず思ったことは「状況が何ひとつとして良くなっていない」という絶望感がただそこにあるだけだった。死の保留が再びできて安堵していただけだった。当時の家庭環境もよくなかった。父母の仲はぼくが家を出たあとでいっそう最悪になったらしく、父は仕事に没頭しており、そもそも母と情報共有できていなかったので、ぼくが樹海に行ったことを知らないようだった。今も知らないだろう。ぼくも積極的に言うこともなかった。「自殺を図った」という言葉の上っ面では、他者にそこに至った経緯など伝わるはずもなく、その理由理解され難かった。

ぼくはそのまま自堕落生活を送った。

堕落生活で、ぼくはひたすらネット動画を見ていた。「動画を見る・起きる・夜目覚めて冷蔵庫にあるものを漁って食う・眠くなったら寝る」というクズ生活を送っていた。その一般的クズニート状態のまま1年がたって、当時の「死ぬことの怖さ」みたいな思いが風化して、ぼくは再び死ぬことに決めた。「親に迷惑をかけている」とは思っていなかった。「今まで虐待みたいなことを散々してきて育ったのだから当然の報いだろう」と思っていた。申し訳無さではなくて、この先どうすればいいのかを延々と考えていた。未来がない。「奴隷か・死ぬか」という二分的な思考の中で揺れ動いていた。いま思えば思考があまりに先鋭化しすぎているが、周りの環境がそう簡単に変わるわけでもない。むしろぼくの存在によって周りの環境がぼくの闇に引きずり込まれるように悪化し始めた。

死ねなかったのは、前回のプランが悪かったのだ」「そもそもプランをたてる暇がなかったのだ」と考えるようになっていた。「そもそもビニール紐で死ねるわけがないではないか」などと思って事前調査することにした。実際にはビニール紐ではダメで、ロープが良いのである死ぬというのは勇気というか、一大決心がいるものであるが、準備ができていないと死ぬことはできない。感情的であればあるほどめちゃくちゃなことができるが、めちゃくちゃゆえに準備不足で失敗することもある。ぼくの場合死にたい!!」という一撃の思いではなくて、ずっと心にためていた漫然とした「このまま生きていたくない」という学習無力感だったので、痛い思いもしたくなかった。

着々と準備を進めてぼくはやっぱり首吊りをすることにした。何度も首吊り選択している理由がわからいかもしれないが、首吊りリーズナブル苦痛が少ないという合理性からだ。ただし実際には苦痛は他の死に方と比べて少ないというだけで、ものすごくあることもあるし、一般的生き方での「痛い」と比べるべきものではない。基本的にはほぼすべての死に方について、死ぬほど痛い。幸運にも苦痛なく死ぬことができる人もいるはずだけど、最悪の場合永遠に苦痛を味わいながら生きることになる。

ともかく、ぼくはロープを買い、痛くないようにハンカチなども買って準備を万全にした。睡眠導入剤や酒も以前と同じく買った。

夜、ぼくは家を飛び出して近くの山に向かった。田舎だったので山には困らなかった。白昼堂々山に入って通報されたらたまったものではない。夜に行動するのは基本だった。

樹海ときと同じように外で寝た。犬の鳴き声が聞こえて不安を煽られたが、地元ということもあったのかそれはそこまで気にならなかった。今回は夏で、じゃっかんの肌寒さしかなかった。準備は万全で、今回は変に目が覚めることはなく、いったいどういう神経をしているのか、熟睡できた。

明け方ロープを準備した。ネットで調べてきたとおりにハングマンノットという結び方で、枝に結んだ。ぼくは最後の晩餐だとして、買い込んできたご飯を食べた。睡眠導入剤をすべて飲んで水やお茶を飲み、酒を飲みまくり最後ファミリーマートで買ったエクレアを食べた。食べ終わると猛烈な不安が込み上げてきた。「死ぬのか」という感情が心をとにかく揺さぶった。

ぼくは木に登った。木に登って、太い枝に立ち、丸く結んだロープ首にかけ「ジャンプすれば死ぬ」というところまで準備した。猛烈な恐怖が体を襲った。ぶるぶる震える。ジャンプする。ジャンプしさえすれば死ねる。足はとにかくすくむ。今でも怖いと思う。思い出すだけで恐怖心が現れる。

それで、どうやったかよくわからないけど、ぼくは自殺を決行した。枝からジャンプした。

しばらくするとぼくは暗闇の中にいた。そこにはものすごい多幸感があった。眠りから覚める以上の幸せがあった。何かの扉が見えて、眼の前には光があった。あとで「この世に生まれてくる」とはああいうことかというように表現できるたぐいのものだった。ぼくは目を覚ました。ぼくは何をしているんだろう。ここはどういう世界なんだろうか。不可思議感覚だった。

次の瞬間、全身に激痛が走る。人生で生きてきた中で最も痛い激痛だった。ぼくは理解した。死のうとしていたのだった。ぼくは痛さで発狂していた。ぼくは痛いのをなんとかしたいという一心で、自動的ロープから必死に首を脱出させようと試みた。痛い。とにかく脱出しなければ。痛い。ロープから首を。痛いの嫌だ。ロープに手でぶら下がれば首は締まらない。痛さが軽減した。

ぼくはロープから首を出してそのまま枝から落ちた。体がドスッと地面に落ちたがそんなことはどうでもよく、首が熱を持っていた。喉がひたすら痛かった。それどころか頭まで痛かった。どれくらいそこにいたかからなかったが、ぼくは死ねないことに深い辛さを感じていた。鋭い痛みと「死ぬことはできないのだ」という選択肢がなくなったことでぼくはずっと泣いていた。

この経験以来、ぼくは「あのとき実はすでに死んでいて、今も実は死んでいるんじゃないか」という感覚がある。いつかあるとき、今生きていることは夢だということで目が覚めて、あの飛び込んだときに戻るのではないかという感覚がわけもしれずある。当時の体験2chの関連スレにそっと書いていたが、あまりまれることもなくひっそりとスレの中に埋もれていった。基本的にみんな他人には興味が無いのだ。

どのくらいそうしていたか覚えてないが、ぼくは家に帰った。太陽はもう高くあがっていた。どのくらいぼくは首を吊っていたのか全く判然としない。数秒だったのか数時間だったのかわからない。現実的におそらく長くても十分も経っていなかったのではないかと思うが。家につくと母はぼくの首の痣にびっくりしていた。とにかくぼくは生きる選択肢を選んだ。痣は1ヶ月ほど消えなかった。

その後お寺に連れて行かれてカウンセリングを受けた。なぜお寺なのかは理解できなかったが、言われるがままについていった。自分でもカウンセリング必要だと感じていたからだ。話を聞いてて思ったのは「ありきたりな話の集合のくそくらえ」ということで、ぼくが考えていたのは「こいつは使い物にならねえ」ということと、今後の指針だった。幸いにもカウンセラーの口がそこまで達者ではなかったので、ぼくが宗教にハマることはなかった。精神的にだいぶ弱ってはいたが、ぼくが欲していたのは「現実的に機能する今後の指針」であって、よくわからんスピリチュアル的なものではなかった。ましてや自殺決行後の人に、死のうか悩んでいる人向けのカウンセリングをしたところで何の効果もないだろうと、ことここに至ってもまだ人を見下していた。逆にぼくではなく、母がスピリチュアルに頼るような人種になっていた。

自分正当化するようだが、母も別に聖人君子ではない。こうなるまでぼくは小さい頃、虐待とともに生きてきた。第三者から見ればただぼくが悪魔のように見えて、切り捨てたい汚物のようだと思うだろうが。ぼくは今になってようやく、母も祖母祖父からめちゃくちゃな教育を受け、育児嫁姑問題や父との不仲、父のめちゃくちゃさ等でストレスがたまっていたということを理解して客観的に見ることができるようになった。いわゆる毒親というやつだろう。今は遠く離れて住んでいるため、適切な距離を保てていると思う。

まぁそれは置いておき、死ぬという選択肢が消えたことで、ぼくは図書館にいって本をただ読んだり、ぐだぐだと生きていた。結局保留する癖は死ぬ目に遭っても治っておらず、相変わらず親同士は喧嘩が絶えない状態だった。ぼくはとにかくグダグダとしていた。前よりは安穏としているものの、結果的にそんなに状況が好転していないのだった。

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

「そんなに簡単意味もなく死ぬなら深く考えるのはバカバカしい」と考えた。文字通り死ぬほど悩んだ結果、ありふれた結論に達するという虚無感に、絶望ではなくて乾いた笑いが出た。「死ぬことについて死ぬほど深く考えた結果、死ぬほど深く考えるのはバカ」という結論に達した人はそうそういないだろう。つまり思考停止なのだが、死に関しては思考停止するのが「生きる上で正しい」のだった。

よくよく考えれば奴隷にならない道もあるはずだと思って、ぼくは震災から数週間経つと、金もないのに家を飛び出して都会に出た。都会に出たあとは、世間知らずと社会不適合者が混ざった状態で、その後もまぁ紆余曲折あったのだが、今は生活好転し、ふつう人間のようにして日々を暮らしている。

いま、ぼくは当時を懐かしい思い出として、あるいはいささかの教訓を含む昔話として扱うことができるようになった。

そして、こうした日々に何の意味価値もないことをはっきりと知覚しながらも、さりとて刹那的にもならず、二律背反的だが、人生意味価値があると思いながら、未来を考えて前向きに生きることができるようになったと思う。ニーチェのいうところの超人というやつらしいけど、そんな上等なものではない。現代では一般的なありふれた考え方だと思う。

まぁ、自殺の決行がなんだとかって話だけど、何かの参考程度に受け止めてもらえれば嬉しいと思っています

追記

長すぎて最後の方の行が弾かれたのでこちらに書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20181126040934

2018-11-17

anond:20180715231209

この間防災セミナーで言ってたけど、非常時の備蓄携帯用トイレも入れておけって言ってたよ。

あるいは家のトイレビニールを何重かに被せて、吸水剤?とセットで使えとか。

マンション下水管が折れてるのにバケツとかで無理やり流すと、下の階に漏れ損害賠償発生するかもとか言ってました!!

2018-11-16

anond:20181116035908

すっごいゴワゴワして不愉快だよ肛門の皮膚が耐えきれなくなるとおもう

白髪ビニール袋が発泡スチロールトレーになったくらい急に硬さが増す

鼻毛はすぐ切るか抜けるんだから我慢しなさい

2018-11-15

anond:20181115102404

どの観光地かは知らないけど奈良は鹿が荒すから置けない

ビニールを食べて死ぬ鹿も居るからゴミは持ち帰ってな

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