はてなキーワード: 詰所とは
住宅街は高いフェンスで上が鉄条網が付いてて高圧電流流れてる壁に囲まれてた
住宅街入口は、もちろんマシンガンや手榴弾持ったガードマンがいて手荷物検査は金属探知機使う
家はプール付きの嘘みたいにデカイ家なんだけど、家にもガードマンの詰所があって勿論みんな銃もってるし
うちの庭を囲む壁も、やっぱり刑務所の外壁みたいに高くて、バズーカ砲の砲撃にも耐える分厚いコンクリート製
家の窓という窓は、猛獣でも大丈夫なごっつい鉄格子付きだし窓ガラスは全て防弾。
ドアは中に鉄板が入ってた
おまけに、最後の砦である寝室に行く廊下にも鉄格子が2つ付いてて
高級住宅街は、どこの家もうちと同じぐらいの備えなんだけど、
それでも毎晩のように強盗が集団で住宅街の外壁突破して来てご近所でドンパチの音が聞こえる
最初の頃こそ夜中に銃声が聴こえてきたら一晩震えて眠れなかったけど
半年もすれば、夜中の銃声で目は覚めるけど、音が遠ければその30秒後には夢の中に行けるようになる
翌日の朝、自宅外壁に弾痕があったことをご近所の人に話しても
「あ、そうなんだ」みたいな感じで「話に落ちはないの?」と言わんばかりの反応
よく行くスーパーで銃乱射事件があって10人以上死んだときとか
近くの銀行で手榴弾投げ合うような銃撃戦があってやっぱり大量に人が死んだときなんかは
さすがにご近所でも話題になったけど、一月もしたら、そんな事件なかったみたいに
みんな、またそこで普通に買い物したりするようになってた
kwskしたら即身バレなんでkwskできないけど冗談みたいな街だったよ
でも2ちゃんで言われるほどじゃないよ
日本じゃカールトンセンターは魑魅魍魎の住みかで超無法地帯みたいに言われてるけど
ま、最上階以外に誰が住んでるかなんて警察だって知らないだろうけどさ
アメフト選手みたいに体格いい男が銃も持たずに十数人程度じゃ、
まるで心許ないことはホントだし
強盗には靴まで取られるのはホントだから、強盗に財布取られた後に
また強盗に遭って服まで取られるなんてのは、全然あり得る話だけど
強盗団は基本夜来るんだけど、
ハイエナは夜行性だし、ちゃんと人間の顔覚えてくれるし、縄張り意識もあるし
耳と鼻が異常にいいから、赤外線センサーなんかよりずっと頼りになる感知器なんだって
まあ、噛まれたら指なんか全部無くなっちゃうぐらい噛む力強いから
一応現地人の名誉のために言っておくけど
善良な市民は、すごく陽気で勤勉だよ
会社の同期が母校のキャリアアドバイザーをボランティアで始めるとインスタやFacebookに投稿していた。
それと合わせて母校のキャリアデザイン課に取材された際のインタビュー記事も載っており、社会人としての心構えや今の仕事の大変さややりがいを熱く語っていた。
あまりの能力の低さにより色々な部署を1年ごとにたらい回しにされた結果、工場で外注の人達の入退出を管理する詰所の勤務に落ち着いた(この仕事のことをインタビューでは「外注管理」と呼んでいた。まあ確かに外注を管理はしているが…)。
この前久しぶりにその同期が本社に出張で来るので同期会を開いた際、「休みの日も学生との面接練習だったりキャリア相談だったりで大変だ」と笑顔で話していた。
もう我々ぐらいの年次になると、休みの日は平日できなかった細かい作業をやるか、来週のための仕込みをするかになり、学生の相手なんて考えられないが、彼はその小さな自尊心を学生を相手にすることでなんとか保っているのだと思う。
俺普通のキモヲタ(20代)で同年代以下には全くモテない素人童貞フリーターだが、弁当屋のバイトで童貞捨てた。
やっぱり3人も子供産んでるとおっぱいも迫力があって、制服越しにずっとジッと見ていたら向こうも気づいたみたいでね。
最初はやだ変態!とか言われたけど、詰所で全然モテない事とかを相談したりして飲みに行く事になり、そのままやらせてくれた。
流石に母親と同い年のご婦人で童貞を捨てるとは思わなかったけど、めちゃくちゃテクニック上手くて何度もイカされてしまった。
おばさんになると子供がキモヲタになったり、様々な人生経験を経てキモヲタへの憐れみというか耐性がつくのかもな。
おばさんとのSEXは最高だぞ。
20代での移住で右も左もわからず、ご近所さんに助けてもらいながらなんとか生活を築いた。
移住して1ヶ月、お隣の息子さんから消防団に入らないかと勧誘を受けた。
「消防団は大変」という話を聞いていたし、ネット上の消防団操法大会に関する記事も読んでいたので躊躇したものの、性格上自分が体験していないことを否定する気にはなれなかったので受け入れた。
入団してみると意外にも同年代が多く、無料でお酒を飲ませてくれるし、キャバクラなんかも連れて行ってもらえるし結構楽しかった。
ある日の会議で、操法大会についての話になった。知らん間にプリントに名前が書かれていたので小型ポンプの番員として出場することになった。前述の通り、体験していないものは否定できないのでこの時点では特に文句は言わなかった。
練習は週に4回。月、水、木、土の19:00-22:00。
内容は実務的なことはほとんど重視せず、動きを合わせることに特化しており、消火活動というよりはシンクロナイズドスイミングに近い。
防災に役立つとはクソほども思えない感じだった。
練習すること3週間、市町村ごとの操法大会が開催された。うちの班はたくさん練習したこともあり、優勝した。
その頃にはだいぶ他の団員とも仲良くなって「練習期間伸びるじゃねえかふざけんな」とか思うままに文句を言えるようになっていた。
その後、各近隣市町村大会で上位のチーム同士を集めての大会、そして県大会と奇しくも歩みを進めて最終的には県3位の成績でその年の操法大会は幕を閉じた。
俺は家にいたのですぐに詰所に向かい、集まっていた3人の団員とともにポンプ車で出動するように指示を受けた。
現場につくと、轟々と燃え盛る土手に放水する消防署員たちがいた。
「あ!消防団さん!そこの川から水汲みあげて、中継してもらえる?」
署員から指示を出されたが、そのとき一緒に出動した4人のうち3人が、操法訓練では小型ポンプの持ち場の動きしかやったことのない団員。誰もポンプ車での水の汲み上げ方がよく分からない。
もう1人はポンプ車の部で大会に出場していたものの新人で、半年前にやったきりの操作方法なんて全く覚えていなかった。
「すんません、僕らよく分かんなくて…」
「分かりました!機関貸してください!」
結局署員が消防団のポンプ車を使って消火。集まった団員たちはいたたまれない気持ちでその様子を眺めるだけになってしまった。死傷者が出なかったことが唯一の救いだった。
・大会のためだけの操法訓練だと番外の練習をしないため運良く番員が揃わないと、消火できないこと。
・従来は大会前にしか訓練せず、操作方法を忘れてしまうので、分散させて定期的に訓練したほうがいいこと。
など、できるだけ合理的に話した。
田舎とはいえ消防団は若者ばかりなので案は受け入れられ、うちの分団は操法大会には集中せず、月に1度の実務的な訓練をするという方針に変わった。
方針が変わってからは全員がポンプ車、小型ポンプともに扱えるようになり、火災時に誰が出動してもある程度は対応ができるようになった。
そんな折、分団長のもとに消防団本部(分団の上位組織)からお達しがあった。
「大会に向けた練習に身が入ってないから従来のような操法訓練をしろ。」
要約するとそんな内容。予算配分や、設備拡張などを担っているのが本部なので分団は基本的に本部の方針は絶対ということになっている。
せっかく体制を変えたのに元通りになってしまっては意味がないので、俺は役所の目安箱的なものに意見書を投書した。
先述の問題点を極めて合理的になるべくお役所フォーマットに則って書いた。
が、返信はなく結局、操法訓練は復活して今まで通り意味のないシンクロもどきを繰り返す団体に戻ってしまった。
その後、コロナ禍になり、一時的に操法大会は中止になったものの、今年は開催されるようだ。
一体誰が、何のためにやりたいんだろう、これ。
20代での移住で右も左もわからず、ご近所さんに助けてもらいながらなんとか生活を築いた。
移住して1ヶ月、お隣の息子さんから消防団に入らないかと勧誘を受けた。
「消防団は大変」という話を聞いていたし、ネット上の消防団操法大会に関する記事も読んでいたので躊躇したものの、性格上自分が体験していないことを否定する気にはなれなかったので受け入れた。
入団してみると意外にも同年代が多く、無料でお酒を飲ませてくれるし、キャバクラなんかも連れて行ってもらえるし結構楽しかった。
ある日の会議で、操法大会についての話になった。知らん間にプリントに名前が書かれていたので小型ポンプの番員として出場することになった。前述の通り、体験していないものは否定できないのでこの時点では特に文句は言わなかった。
練習は週に4回。月、水、木、土の19:00-22:00。
内容は実務的なことはほとんど重視せず、動きを合わせることに特化しており、消火活動というよりはシンクロナイズドスイミングに近い。
防災に役立つとはクソほども思えない感じだった。
練習すること3週間、市町村ごとの操法大会が開催された。うちの班はたくさん練習したこともあり、優勝した。
その頃にはだいぶ他の団員とも仲良くなって「練習期間伸びるじゃねえかふざけんな」とか思うままに文句を言えるようになっていた。
その後、各近隣市町村大会で上位のチーム同士を集めての大会、そして県大会と奇しくも歩みを進めて最終的には県3位の成績でその年の操法大会は幕を閉じた。
俺は家にいたのですぐに詰所に向かい、集まっていた3人の団員とともにポンプ車で出動するように指示を受けた。
現場につくと、轟々と燃え盛る土手に放水する消防署員たちがいた。
「あ!消防団さん!そこの川から水汲みあげて、中継してもらえる?」
署員から指示を出されたが、そのとき一緒に出動した4人のうち3人が、操法訓練では小型ポンプの持ち場の動きしかやったことのない団員。誰もポンプ車での水の汲み上げ方がよく分からない。
もう1人はポンプ車の部で大会に出場していたものの新人で、半年前にやったきりの操作方法なんて全く覚えていなかった。
「すんません、僕らよく分かんなくて…」
「分かりました!機関貸してください!」
結局署員が消防団のポンプ車を使って消火。集まった団員たちはいたたまれない気持ちでその様子を眺めるだけになってしまった。死傷者が出なかったことが唯一の救いだった。
・大会のためだけの操法訓練だと番外の練習をしないため運良く番員が揃わないと、消火できないこと。
・従来は大会前にしか訓練せず、操作方法を忘れてしまうので、分散させて定期的に訓練したほうがいいこと。
など、できるだけ合理的に話した。
田舎とはいえ消防団は若者ばかりなので案は受け入れられ、うちの分団は操法大会には集中せず、月に1度の実務的な訓練をするという方針に変わった。
方針が変わってからは全員がポンプ車、小型ポンプともに扱えるようになり、火災時に誰が出動してもある程度は対応ができるようになった。
そんな折、分団長のもとに消防団本部(分団の上位組織)からお達しがあった。
「大会に向けた練習に身が入ってないから従来のような操法訓練をしろ。」
要約するとそんな内容。予算配分や、設備拡張などを担っているのが本部なので分団は基本的に本部の方針は絶対ということになっている。
せっかく体制を変えたのに元通りになってしまっては意味がないので、俺は役所の目安箱的なものに意見書を投書した。
先述の問題点を極めて合理的になるべくお役所フォーマットに則って書いた。
が、返信はなく結局、操法訓練は復活して今まで通り意味のないシンクロもどきを繰り返す団体に戻ってしまった。
その後、コロナ禍になり、一時的に操法大会は中止になったものの、今年は開催されるようだ。
一体誰が、何のためにやりたいんだろう、これ。
読者諸兄はデパートに行ったらどこが気になるだろうか?デパ地下?ファッション売り場?
増田は搬入口の場所だ。売り場で何売ってるかなんてどこから搬入するかに比べたらどうでもいいことだ。この文書を読んだら君もきっとそうなる。
売り場で物が売れたらそれを補充しなきゃならない。その搬入口は大抵ビルの裏にある。
しかしデパートがある場所というのは一等地だ。バックスペースである搬入口なんかの為に一等地を使うのは余りに勿体ない…。
という事で離れた場所に搬入口が設けられて秘密の通路で結ばれていることがあるのだ。
それを幾つか紹介するよ。
因みにこういう所は仕事でしか入れないもので、増田が仕事で行ったり同僚に聞いた入りした事がある個所に限られるから偏りはあるよ。
ヤマダ電機が運営する池袋LABIは元は池袋三越だった。開業は昭和29年の地下鉄丸の内線の前年か同年と古い。
LABIの裏に都道があって、道路反対側に3階建てのマクドナルドがある。その裏に付近に似つかわしくない古くて灰色な運送会社的なところがある。
https://goo.gl/maps/9fDTtZiNEB3pQTbJ8
ここが搬入口で地下トンネルで結ばれている。さっきのマクドナルドはそのトンネルに乗ってるのだね。だから周囲が高層化しても3階建てのままなのだ。
かなり離れたところにあるびっくりガードの中に分岐がある。
https://goo.gl/maps/bsTBq4EtxBrgqc23A
元々ここは東上線の線路だった。山手線から東上線への渡り線と電車の留置線が伸びていた。
国鉄が貨物輸送を全廃に近い合理化すると東上線行きの貨物輸送も無くなり、ここは遊休施設になった。
90年代に東武デパートが増床して新館のプラザ館を作る事になるとこの線路跡も一部利用され、新館より先は地上は駐輪場、地下には搬入路として旧館の搬入も集約化。東上線池袋駅が行き止まりホームになったのはこの時だ。
それまで旧館は東上線の北口改札横にある汚らしい搬入口で搬入していたのだが、ここのせいで一帯が大変に荒んでおり、まるで古いアメリカ犯罪映画のダウンタウンのようだった。
https://goo.gl/maps/WQB7qSNwj4AjQPQc8
ミロードの甲州街道のルミネとの間にあって、急勾配でミロードの中を登り、モザイク坂上のミロード広場の上階に出る。
https://goo.gl/maps/oEbSXc96jzT8adFW8
ここは急勾配&高さ制限がキツイ&急勾配登ってすぐに急カーブのクランクというデンジャラスなコースだ。クランクの路面は坂登ってる間は見えない。しかも途中で止まると再発進不可な程の急坂なのでアクセルを緩められない。そして暴走してクランクを突っ切ってしまうとミロード通りに落下だ。
危なすぎる。ハードドライビンのスタントコースみたいなところなのだ。
ここを攻める人は注意して欲しい。落下したらインスタントリープレイされるだろう。
https://goo.gl/maps/ZCo693QRHujchVqZ7
ここからJR本社ビルの周りをぐるっと回って甲州街道陸橋の下を潜り、ルミネに到達する。甲州街道陸橋の下が公共地占有だ。
因みにJR本社前にBLAST!っていうお店があって、周囲は高層化されているのにここだけ2階建てだ。
実はここは土地取引を巡って管財人の司法書士とヤクザが殺されたという曰くつきの土地でずっと更地&駐車場のままだったところだ。
また、バスタの下には昔JRバスの駐車場になっていた大きな地下空間があって高島屋タイムズスクエアとJR本社とトンネルで結ばれているらしい。駅の工事の際には工事基地や職工の詰所になるようだ。ちょっと入ってみたいもんである。
https://goo.gl/maps/UxNpSesPQp88VQY68
西武デパート群は駅に近いA館と井の頭通り向かいのB館、ロフト、パーキング館とあるが、全て地下トンネルで繋がっている。
特に特筆すべきは井の頭通りで、ここは宇田川という川が暗渠化された道で今でも暗渠に宇田川が流れている。
搬入トンネルはこの地下の宇田川の更に下を通ってるってわけだ。
珍奇な搬入路の王者と言ったらここである。もう無くなってしまったが。
駅の東西に建っていたややボロッちかった東急東横店。ここの搬入口がどこにあったかというと、現在ストリームになっている東横線高架下にあった。(古い画像)
https://goo.gl/maps/tA5i7NkHkTGbhhce9
ここからR246の下を通り、東横店東口店までずっと地下トンネルが通っていた。
更にここには空港の手荷物コンベアのようなコンベアがあり、行先(受取り先)が書かれた専用のコンテナに入れて流すと東横店の方に着くというシステムであった。こんな風にシステムになったのは246の掘り下げ工事があり、途中にエレベータを挟んでいたためだと思われる。
このルートというのは全部東横線の高架線と駅の下だ。高架の下に後からトンネルを作るのは危険だし難しい。
つまり、昭和2年の東横線開業時にはすでにこういう通リになっていたという事である。
因みにこの近くには稲荷橋という橋があったので「稲荷橋搬入口」と呼ばれていた。というか、最近行ってみたら川が無くなっているのに橋だけ残ってたわ。
東横店は無くなって今は新しいビルになってるし、稲荷橋搬入口はストリームになってるが、あの地下搬入路はそのままのはずだ。
あれは今どうなっているんだろうか?東横店跡の新しいビルとストリームの地下で荷物の輸送に使われているんだろうか?実に気になる。
肝心の「東横店東口店と西口店の間はどうなっていたか」については西口店の方に用が無かったせいで不明である。無念だ。JR線地下を通っていた、京王マークシティの方にあった、二つの可能性がある。
開業当初は国鉄より頭の固い鉄道省と別会社の帝都電鉄だった訳で気になるのだが…ちゃんと見ておきたかった。
これらには公共地である道路を潜って離れた場所に繋いでいるケースが多い。
普通はこういう占有方法は認められないが、施設の公衆性が強い場合は許されるのである。私鉄が道路地下を走っていたり病院の渡り廊下が道路跨いでたりと同じだ。
デパートの場合の公衆性は、公衆が自由に立ち入り出来て買い物ができる、市場の性格がある事だ。だからデパートは会員制の立ち入り規制的な事が出来ない。
余談だが、中野ブロードウェイのまんだらけが性的な商品を通路側に陳列して対面の商店とトラブル、その商店をネット民が攻撃して炎上するというトラブルがあった。
この時にネット民は中野ブロードウェイは私有施設だから陳列は自由、まんだらけの占有面積は大きいので施設運用でのヘゲモニーがある、というような考えを開陳する人が多く居た。
でもこの法的スキームを知っていたらこの考えは間違いという事が判る。中野ブロードウェイは公衆施設の一種でありそれは立ち入りが自由である事だから、そこの通路は公道が準用される。
そこに性的な陳列をしたら独立店舗の中での陳列よりも厳しい基準で取締りが行われるのは当然なのだ。実際まんだらけはガサ入れされて商品を押収されて件の店舗は後に閉鎖する事になった。
また、デパートは売店床面積を最大化したいのでこういう離れた箇所に搬入口を作るのである。だからビル裏に搬入口を作る場合はその面積を最小化したい。
売り場を持つ業者は相当な数になるので、それらが少量ずつ荷物を持ち込んだら忽ち渋滞だ。
そこでデパートの流通センターか搬入代行業者の倉庫に搬入して、そこからまとめてトラックに混載してデパートに搬入するという形になっている。
当然その業者には委託料を支払わねばならない。だから利幅が小さくなるのでその分価格を上乗せする他無い。故にデパートで買うとどうしても高いのだな。
これはデパ地下の小さな食品売り場、レストラン街の業者もそうなので、地方の業者が東京などのデパートに出店する場合、支社をその代行業者の倉庫内に置いてしまう事もよくある。
「東京支社長就任おめでとう」とか言われて辞令を受け取ったら倉庫勤務とかになっちゃうわけだ。つらい。
かつてアーマードコアの二次創作コミュニティーはファンにとって分かりやすい構造になっていた。
どこか有名どころのサイトにアクセスすれば、そのサイトから別の有名どころへとアクセスできるネットワークが発達していた。インターネットってそういうものよね。古き良きインターネット。
当初はそのような「有名どころ」について幾つか紹介しようと思っていたのだが、あんまり面白くなさそうなのでやめた。結局、ある一つの有名なAC小説について語ることにする。
タイトルは『人間の世界』である。今はもう削除されてしまっているが、ネット上のアーマードコア二次創作フリークの中にはこの小説を目にした者も多いであろう。冒頭で説明した通り、AC小説の有名どころに当時は簡単にアクセスできるようになっていたからだ。『人間の世界』が掲載されていたサイトもまた、そのような有名どころの一つだった。
小説『人間の世界』は、とあるアマチュア小説家によって書かれたアーマードコアの二次創作である。
主人公は黒人男性で、かつては妻子を儲けていたが今は独り身である。また、アーマードコアを操る"レイヴン"を生業としている。彼はある任務のブリーフィングにて、同じく黒人の、若い女性レイヴンと待機室で出会う。
レイヴンには人格破綻者が多く搾取主義的な人間も多いことから、二人は出会うなり警戒心を抱き、一触即発のような状態になる。しかし、最終的に主人公の次の言葉が、二人の諍いを鎮めることとなった。
あんたは俺の妻に似ている。
毒気を抜かれた女性レイヴンは、彼が今回の任務で市街地に潜伏したテロリストを殲滅する二人のレイヴンの片割れであることを知り、改めて協力関係を構築しようとする。二人はブリーフィングを経て、ACを輸送するキャリアに搭乗すると、任務が行われる当該地域へと移動することとなるのであった。
この小説の特徴は、死人が出る度にその数をカウントすることである。
例えばこんな具合だ。男のACの肩部からナパーム性の弾頭が発射され、検問の詰所に直撃した。加熱された半固体状の燃料を浴びて、検問所にいた二人の男性が死んだ。といった具合に。
男と女はそれぞれのACを駆り、テロリストの陣地奥深くへと侵攻していく。ACは作中世界――『大破壊』と呼ばれる破滅的戦争によって文明の恩寵を大きく失い、地下へと追放された人々によって構築された黙示録的世界――における最強の戦闘兵器であり、その前に立ちふさがった者は次々と死んでいった。老齢の戦士、二人の手練れのパイロット、若い兵士、女性、子供。それらが死ぬ度に作者は死者をカウントしていく。"MT(ACの廉価版兵器)に乗ったパイロットが二手に別れ、一方が囮としてACの背後に回り込もうとするものの、ACのパイロットである男はその目的を悟っていた。男は冷静に正面に立ちふさがるMTを破壊する。その後、回り込もうとしたもう一体のMTを破壊した。二人の男が死んだ。”といった具合に。
最終的に、二人はテロリストの陣地の最奥部へと侵攻する。その時二人が見たものは、ゲートの前に立ちふさがる複数の子供と女性たちであった。手には旗を掲げ、『Don’t fire !』と文字を書きつけている。
それに対して男は淡々と答える。
『レイヴンだろ、お前も』
『テロリストを排除するのが仕事だって聞いていたのに、こんなのって』
繰り返し攻撃を打診する男性レイヴンに対し、女性パイロットは否定の言葉を連ね、最終的にこう告げていた。
『こんなこと、人間のすることじゃない!』
その瞬間、男は溜息を吐き、突如として女性レイヴンの駆るACへと攻撃を開始するのであった。
男は逃げ惑う四脚型ACのフロート部位に攻撃を集中させ、ACの回避行動を停止させる。もう逃げることのできなくなったACを前に、男はゆっくりと距離を詰めていく。女性レイヴンは絶叫する。
私はあんたの妻に似てたんじゃないの
しかし、それに対して男は冷たく答える。
男は女性の駆る四脚ACを破壊する。作者はその淡々とした描写に更に付け加える。女が一人死んだと。
そして、男は周囲一帯にナパーム弾頭をばら撒き続ける。男たちが暮らす地下世界において空気循環は最重要インフラである。男は炎の巡りが十分であることを確認すると、ACでゲートを突破し、区画の最奥部にある空気循環装置を破壊する。男は全ての仕事を終え、燃え盛る地下区画にてACを停止させた。
男はかつて妻と娘がいたが、一緒に暮らすにつれて妻は男に対して憎悪を抱くようになってきた。妻はレイヴンである男を憎んだ。あんたみたいな男は人間じゃない、と。
叫ぶ妻を前に溜息を吐くと、男は妻を殺害し、ガレージの土壌がむき出しになった部分に埋めた。
更に年月が経ち、娘は男に対して反抗的になってきた。
ある時、男はふとしたきっかけで娘を殺し、再び妻を埋めたガレージの一角に娘を埋めることになった。男は溜息を吐いた。また一人になってしまった、と。
そして、物語のラストシーン。再び男のACが炎上する町に佇んでいるシーンに合流する。そして、次のように語られる。
街が炎に包まれていた。
30679人死んだ。
そこにACが佇んでいた。パイロットは暫く死ぬ予定に無い。その男は優れた人間だからだ。そしてその男は世界中の全ての愚者を嘲っていた。
これはあくまでフロムソフトウェアの手を離れた創作であり、あるいは、フロムソフトウェアの作品であるACの世界観とは、直接何の関係も無いと、そう断じることもできると思う。しかし、フロムソフトウェアがACという作品を通じて描こうとしていたテーマに、底無しの悪意があるということは明らかである。
市街地を襲撃して護衛の兵器を破壊する任務。鉄道インフラを襲撃しモノレールを破壊する任務。多数の民間人の乗る航空ユニットを破壊する任務。
それらのゲーム中の要素はフロムソフトウェアが二十年以上前から描き続けてきたテーマであった。つまりは悪だ。
人間は容易に悪になることはできない。ある種の人間にとっては、それは息の詰まる事実である。そこで、フロムソフトウェアはその息苦しい現実に僅かばかりの空気穴を設けようとしてくれたのである。それは、例えば有名なソウルシリーズにおける、聖女アストラエアを自殺に追い込む一連のストーリーなどがそれに当たる。
崇高な目的を以て活動する聖女の、護衛役である男性を殺害し、その事実を告げることで女性を自殺に追い込むというストーリーがデモンズソウルには存在している。このように、フロムソフトウェアは明らかに暴力や悪意や、煎じ詰めれば悪そのものを描き、時にそのテーマをプレイヤーたちが演じられるように取り計らってさえくれているのである。
先日発表された最新作、アーマードコア6の副題は『ルビコンの炎』である。つまり、かの英雄カエサルが渡ったルビコン川の存在を、象徴的に用いている。
そして恐らくは、そのタイトルは原初の戦火を、つまりは暴力の始まりを指しているのであろうと推察される。
先日公開されたティザームービーでは、凍結し白化した地球の映像と、人工の構造物の映像ばかりが流れる中で、川や森といった自然の造形物は映し出されなかった。一方で、過剰なほどにクローズアップされていたのは、ACの頭部に映ったカメラアイの赤い光である。
人間を模した頭部の、瞳を模した部分に絶えず映り続ける、赤い光。暴力を目的とした兵器の頭部に映り続ける、赤い炎。
恐らく、ルビコンの炎とはそれのことだ。人の瞳の奥底に映る、仄暗い暴力と、憎悪と、悪意を秘めた炎。
古代における戦争の端緒は、兵器にあったのではなく、人間のそのような悪意にあったのではないだろうか。ルビコンの炎とは、我々の中に巣食う原初の悪意と暴力を名指しているのではないだろうか。そのような印象は、前作タイトルAC5のキャッチコピーが、『全てを焼き尽くす暴力』であったことからも無理なく推察できると思われる。
我々人間は悪意を時に成す。我々の瞳の奥底には仄暗い炎が灯っている。それは、いずれ戦火の発端となるだろう。この世界のどこかでは、そのような炎は未だ燃え広がり、人を殺し続けている。
灰の最後の一片に至るまで燃やし尽くす、暴力と悪意の火を焚べること。それが、AC6の描こうとしているテーマであろうと私は推察している。
身体が健康ならという但し書きつきだけど、40代未経験でも雇ってもらえて初年度でも年収600万くらいは貰える。
監督・管理者級まで上がれれば大手なら1000万超えるし中小でも1000万弱くらいはいく。
ぶっちゃけ特に学歴とかいらない現場仕事系として雇われでこれ以上の収入ある職種ってレアだと思う。
超簡単に言うと
のどれかをやる仕事。
時々ニュースで流れたりする。
大半の作業はそんな難しくないけど難しいやつもある。でも難しい作業はやれる奴にしかやらせない。
前述のとおり実質学歴不問の現場系でこんだけ貰える業界・職種ってなかなか無いと思う。
働いた分だけ金は貰える。
業界全体的に人手不足なので、同業他社でよければ転職も楽だったりする。
※ただしあんま素行不良だと会社間で情報共有されてハネられたりする
あと職場によっては重機系の資格とか取らせてくれるので、そういうのを持ってれば更に楽になる。
あとクーラー付きの重機オペレーターとかになれれば環境面ではましかも。
土日休みが基本ではあるけど、船のスケジュールに合わせて仕事が決まるのでカレンダーはあって無いようなもの。
前日または前々日の昼過ぎに仕事の有無&何時から何時までかが決まるのでプライベートの予定組むのは難しい。
※どうしても休みたい場合、〇日は仕事振らないで欲しいまたは有休使わせてくれ等の下準備が必要
実質的に週休2.5日くらいの感覚だろうか。ちゃんと数えたことねーけど。
船によっては20時スタートで翌12時終わりとかだったりするので拘束時間も長い。
陸メインの部隊所属なら基本的には定時ベースなので不規則ではなくなる。
ちなみにこのキツさが給料に見合ってると思えるかは微妙。個人的にはもっと給料上げてやるべきではないかと思う。
基本的に6人1組の班で活動するため、同じ作業員とずーっと活動することになる。
そこで先輩に合わない人がいるとキツイ。
業界的にどうしても荒い人多めだったりするので。
※でもアラフォー以下くらいだとそこまでめちゃくちゃな人はいない印象
挟まれたり落とされたりしたら死ぬ荷物ばっか扱うので正直危ない。
しかし業界全体的に安全にはうるさいので、今は業界全体で労災死亡者は年間10人くらいだと聞いたことがある。
※1980年代くらいまでは年間数百人とか死んでいたらしい
まあめっちゃキツいけどぶっちゃけ頭が悪くてそして稼ぎたいって人には向いてる業界だと思う。
筆記試験に受からないので運転免許持ってないなんて人がいたりする。
なんか一晩経ったら伸びててビックリ。
「ならない理由」が全部書かれててワロタってコメントは正直そのとおりで、わかってて書いた。
そりゃ人手不足になるよなと俺は思っているので自虐ネタだったのよね。
以下ブコメ返信等(ブコメ確認次第順次追記してるので段々増えてます)
「直接的には」という但し書きつきだが今は関係ない。
表立ってヤの人が現場にいたりとか会社と組が付き合いあるとかそういうことはない。
しかし水面下では関係ある。具体的にはマジで言えないけどある。
繰り返すが、普通の従業員が普通に業務する限り関係することは絶対に無いので安心して欲しい。
ただ作業員の中には「身内にそういう奴がいる(いた)」人はいると思う。
俺が聞いた話だと、現時点で80歳以上くらいの作業員には背中のキレイな人(隠語)がすごい多かったらしい。
事務員と作業員がハッキリ別れているので事務員は基本普通のサラリーマンとOL。
日本は島国で輸出入が必須であり、エネルギー効率的に、船による輸送を超える輸送手段が登場しない限り、絶対に無くならない業界なので安定感はある。
なので中規模以上の港湾企業に事務職として入るのは割とおススメかも。
作業員は「親父が作業員やってた」とか「友達がやってる」とか、身内でやってた人がいるからこの業界知ってるみたいな人が多い印象。
作業員の管理部署の事務員は朱に交わって赤くなってる感じで、荒くてキツめの人が多い印象。
キツさを前面に押し出して書いたんだけど、それこそコンテナの積み下ろしみたいに機械化は進んでいる。
でもコンテナだって固縛作業は人力だし、コンテナにジョイントパーツつけたり外したりするのも人力。
コンテナ以外だと「クレーンにワイヤー等で荷物をひっかける」「逆にワイヤー等を外す」部分がまだ機械化できてない。
この部分はマジで人と同じ動き出来るロボットが開発されない限り無理だと思うのでまだまだ人力が必要。
というか「港湾作業」の根本部分がこれ、と言ってもいいかも。コンテナ化されてない貨物なんてたくさんあるので。
ガントリークレーンのオペレーターやれる作業員は少ないので、やれる奴がいる部隊はそればっかやってる印象。
余談として、大昔は本当にクレーン以外全部人力でやっていたので自然に筋肉ムキムキになったとか。
今の港湾作業員は肉体的にそんなムキムキって感じじゃなくても普通にやれる。本当に重たいモノは機械に持たせるし。
ただ暑さ寒さ耐性的なスタミナはやっぱ必要だと思う。やってれば慣れるけど。
なのでコンテナを開ける係の部隊はそういう意味では嫌かもしれない。
近年だとヒアリはコンテナの底材の木に巣を作ってたのが日本に入ったのよね。
まあホント危ないけど、俺が知ってる限り死亡災害はだいたい安全対策的に「やっちゃいけないことをやった」場合なので、本人と親方衆がやるべきことやってる限りは大丈夫。
そういう意味では会社として経験の少ない貨物を扱う時が一番危ないかも。
熱中症もものすごくうるさいので熱中症での死亡は少なくとも最近は聞いたことがない。
あと、昔はすっげえ人が死んでたのが今はそうじゃないってのは、日本の空気が変わったからだと聞いた。
要は「現場やってれば人なんて死ぬもんだからそれが普通」 → 「死亡災害起こすと会社の信用を失うので安全最優先」て感じみたい。
これは建設現場とかでもそうじゃないだろうか。日本全体として人の命の価値が重くなったってことじゃないか。
本当に人手不足なので、40代未経験でもそこそこ健康なら雇ってもらえると思う。実際にそういう同僚いるし。
聞いた話だと100㎏超えは流石に弾かれるとか。
あと、同時期にもっといい人が応募してたらそりゃ弾かれるだろうけど。
昔は超強かったらしい。何せ作業員に作業しねーぞと言われたらどうにもならんから。
今でも組合はあるしデカいけど、強くはないんじゃないかな。労使協調路線をやたら強調してる印象。
さっきも書いたように日本は輸出入が必須なので港湾作業は重要なインフラ事業なのよね。
だから国が法的に業界をかなり保護しており、具体的には「港湾作業は港湾作業員じゃないとできない」って法規制されてるし、会社自体も許認可制かつ基準が厳しいので、新規参入は事実上不可能。
確か小泉政権の時に規制緩和つって免許制から許認可制になったんだけど、同時に役所が基準を引き上げて骨抜きにした流れだったはず。
なんで同業他社は広い意味での仲間って感じで競争はあんまない感じ。
特に大手の船会社はどこの港湾作業会社使うかももう決まってるので新規営業とかもほぼ無い。
よっぽどのやらかしを連続でやったら船会社から切られることはあるかも。
あと意外なところで良いお客としては製鉄業界と電機業界かな。原料を船から積み下ろす作業があるので。
ごめん誤解を招く書き方だったんだけど「そんだけ残業とか休出がある」という前提。
だから暇だったら400万台だと思う。俺の知ってる会社の待遇が良いだけかもしらんけど、1年目でも400万切ってる奴は見たことない。
最初にいったけど、あくまで「実質学歴不問未経験でも入れる雇われ現場系仕事」としては高年収だという話。
あと事務職はかなり偉くなるまでは作業員より低い。たぶん地域平均くらいだと思う。
業界全体の話だぞ? 作業員が全体で3万5千人くらいいて、それで年間10人ならまあそんなもんじゃね?
労働者数に対する死亡者数の割合で言えば、もっと危ない業界業種はあるし。
ざっくりだけど経験年数20年~25年くらいで人柄に問題無ければ、作業員の管理者的な感じになるので、そうなると自分はほぼ動かなくなる。
平助の作業員が手順どおりちゃんと安全に作業するかと荷物に異常が無いかを監視する感じ。
経験年数浅かったり人柄に問題あるとずーっと現場作業なのでキツイけど、逆に50代とかでキツイからって辞める人はほとんどいない。
多分一つ一つの作業は皆さんが思うほどキツくない。船や倉庫の環境がキツイってのと拘束時間がキツイので、そこまでやれたら肉体的には50代でも何とかなるらしい。
そういえば後輩の方が偉くなって使われるのが嫌だからって理由で辞めた人はいたな。
潰しが効くかと言われると、どうかなあ。事務職もやれる人なら事務に職種転換したりとか転職したりするけど、作業員しかやれない人は転職するにしても結局どっかの作業員しかやれないと思う。
うろ覚えだし明確に法規制されてるかどうか忘れたけど、確か在日の人除いて外国籍の人は日本の港湾労働者になれなかったはず。
港湾設備って国の重要なインフラ施設だから外国人にやらせない的な理由だったはず(ごめん本当にうろ覚え)。
外国人を使ってるのは船員の方。てか船員と港湾作業員を混同してるっぽい人がちょいちょいいるけど。
船員は船を動かすのと船に載ってる荷物の管理をする人で、港湾作業員は荷物の上げ下ろしをする人。
余談として港湾会社の事務職が現場行くこともあるけど、事務職は現場には絶対に手を出さない・貸さないことになっている。
飲み物とか飯を運ぶくらいの手伝いはするけど。
これは本当にそうで、現場が港湾エリア=海沿いで住宅地から離れてるのよね。
毎回じゃないけど、出退勤時間がそもそも電車無い時間だったりもするし、だいたい車通勤必須。
※「俺は文字が読めたらこんな仕事やってねえよ!」と言ってた免許持ってない先輩は自転車通勤してた。
でも作業員はそもそも「ちょっとガラの悪い」あたりの人が多いかも。具体的には港湾近くの県営・市営団地とかに住んでる感じの。
逆に港に住むのは嫌だつって遠くても良いから都市部に住んでるみたいな人もいるけど。
ついでに言うと、作業員の詰所みたいなとこに集合して、そっからハイエースとかに乗合して皆で現場行くのが普通。
そもそも港湾エリアは個人車では立ち入り禁止のとこばっかだし。
船に乗る部隊は現場も基本毎日違う。つっても広い意味でその港湾のどっかではあるからパターンは決まっている。
そこまでガチもんの経歴持ちは今は滅多にいない。ゼロとは言わないが。
若手はそんな変な人多くないよ。
他業種のブラックな現場系から転職してきたとか、親父がやってたからとか、学歴なしで働けるからとか、ホントそんな感じ。
レアなところでユニクロ店員から転職してきたって人がいた。これもある意味ブラックな現場系ってことなんだろうか。
転職組はだいたい「残業代がちゃんと出る!」てめっちゃ喜んでる。
でもやっぱ全体的に学校の勉強はできない系で、体育会系のノリで、喫煙率はこのご時世でも50%超えてたりする。
その中から、勤務態度が真面目、人柄が良くて統率力がある、会社の言う事を聞いてくれる、みたいな人が出世していく感じ。
事務職に「俺はお前の言う事なんて聞かねーぞ!」とか言っちゃう人はいて、やっぱそういう作業員は出世できない。
逆説的に言うと、そうやって事務職ともまともな会話できる人が、事務職との窓口業務をする代わりに出世してるとも言えるかも。
作業アシストスーツは知らん。俺の現場では、人がそこまでめちゃくちゃ重いものを運ぶことはないから必要ないんじゃない。
空調服は、検討自体はしたんだけど、作業員からむしろ割と不評で見送りになった。
もっと性能よくてかさばらない空調服が出てきたら導入されると思う。
女の作業員はいないねー。俺の知る限りでは一人もいないけど全国どっかにはいるのかも。
ぶっちゃけ大半の作業は女でもやろうと思えばやれるレベルなので、人手不足だし、どっかのタイミングで使いだす会社出てくるかもね。
事務職も船の担当は男ばっか。某大手で倉庫に限って女の担当がいると聞いた。
船の担当だと、事務職も現場が動いてる時は会社にいないといけないので、時間不規則だし、あとやっぱ性犯罪予防的な意味で女にはやらせないみたい。
私は神奈川県内で自営業を営む、しがないIT屋である。過去にはオウム真理教(現アレフ)の事件を追う無名のフリーライターとして糊口をしのいでいた時期もある。
以下は、今年7月に私の身に起こった出来事の記録と、国家権力の象徴である警視庁と公安調査庁の手により、かつて未曽有の化学テロを起こしたカルト宗教団体オウム真理教の後継団体として公安調査庁の監視対象となっている宗教団体「ひかりの輪」に罪なき一般市民である私の個人情報がリークされた問題に関する告発である。
オウム真理教は麻原彰晃(松本智津夫)によって設立された新興宗教団体である。設立当初はヨガを中心とした修行による神秘体験の会得を目標とする比較的穏当な宗教団体であったが、1989年に教団施設内で発生した信者殺害事件とその隠ぺい工作をきっかけに急速に犯罪傾向を強め、以後、坂本堤弁護士一家殺害事件をはじめとする凶悪事件に手を染めていく。
1990年には真理党を結党して衆議院議員総選挙に出馬するが全員落選、教団はこれを国家による陰謀と考え、無差別テロに傾倒していく。上九一色村の教団施設であるサティアン群は毒ガス工場に改造され、サリン・VXガスなどの化学兵器の製造のための研究が進められた。ちなみにサリン製造プラントの初代責任者は上祐史浩である。
教団は95年の地下鉄サリン事件後、教団の拠点である上九一色村のサティアン群に警視庁による強制捜査が行われ、教祖である麻原彰晃(松本智津夫)を始めとする教団幹部の逮捕によって壊滅した。その後2000年には後継団体アレフ(現Aleph)が発足するも、麻原への帰依を続ける主流派と旧オウム真理教からの脱却を図る代表派の対立が勃発し、上祐史浩率いる後者(代表派)はアレフを脱退し、新団体「ひかりの輪」を結成した。
今なお信徒数約1,650人、拠点施設32か所、資産約12億9,100万円(2019年(令和元年)10月末時点)*1の勢力を誇るアレフに対し、上祐史浩代表率いるひかりの輪は信徒数約150人、拠点9か所、資産約700万円*2と非常に貧弱であり、表面上は国家や市民への脅威は全くないように思える。しかし「旧オウム真理教のシヴァ信仰から完全に脱却する」という上祐史浩代表の宣言とは裏腹に、今なお「オウム真理教の修行体系の最も本質的な部分を継承」*3している団体として、団体規制法に基づく公安調査庁の観察処分対象となっている。
今年7月某日、私はひかりの輪が拠点を構える世田谷区南烏山のマンションのエントランス前に立っていた。アレフ信者13人がこのマンションの2階に続々と入居し、事実上の拠点としたのは2000年12月のことである。以降、2007年の教団の分裂騒動以後は上祐史浩代表率いる「ひかりの輪」の拠点としてオウム真理教の残党はマンションの2階に居座り続け、3階より上の住人や烏山地区の近隣住民から強い警戒心をもって監視されている。
彼らの突然の入居から20年余り、近隣住民によって結成された対策協議会*4による戦いもむなしく追放に至っていないオウム真理教後継団体「ひかりの輪」の現状はどうなっているのか、かつて匿名でネット上に記事を書き散らしていた私の血は密かにたぎり、その足は知らず知らず私の体をこの地にいざなったのだ。
建物の前は、いくつかの鋼鉄製の小さなバリケードと警察の詰所があること以外はただの砂利敷きの駐車場と変わらない。どんよりと曇った平日の昼下がり、監視小屋に人の気配はなく、しかし敷地に足を踏み入れると砂利がかすかに音を立てて緊張感が走る。
エントランスのガラス窓には「関係者以外立入禁止」という、どのマンションにもある注意書きが貼ってある。これを無視してエントランス内に一歩でも立ち入れば、住居侵入罪として罪に問うことができるというものである。実際オウム真理教の信者や左翼団体のメンバーなどがこの微罪で逮捕された例は枚挙にいとまがない。じゃあ不動産屋やらピザ屋の広告のポスティングはどうなのかという疑問は持ってはいけないらしい。
私は開け放たれているドアを通ってエントランス内に足を踏み入れた。マンション内では多くの猫が放し飼いにされているようで、集合ポストの下にはエサ皿が置かれ、猫の尿のにおいが鼻を突く。集合ポストの最上段には、「201 上祐・水野 ひかりの輪」と書かれたボックスがあり、確かにここが「ひかりの輪」の本拠地であることがわかる。2階の他の部屋のボックスは「空室」と書かれたガムテープでふさがれていた。
集合ポストの写真を撮り、長居は無用ときびすを返しかけたその時、黒いシャツを着た短髪の男がエントランスにやってくるのがちらりと見えた。男は無線機のようなものを所持しており、一目で私服の警察官であることが分かった。このマンションの住人でもひかりの輪のメンバーでもない私を訝しんで職務質問をしようと接近してきたのは明白であった。
このとき私はたまたまダイソー千歳烏山クレア店にて500円で購入した水鉄砲「アクアレーザー」(未開封)を所持しており*5、そのことが警察官との喜劇的ひと悶着に発展していく。
商品番号:4549131780017
https://jp.daisonet.com/collections/party0105/products/4549131780017
「何の用ですか?ここの住人じゃないですよね?」
どうしたものかと考えるより早く私服の警察官は話しかけてきた。とりあえずお約束の「任意ですか?」という挨拶をしてみたものの相手が引き下がる気配はみじんもない。「いやその」「とりあえず身分証見せて」「はい」変に事を荒立てても仕方がないと思い、素直に財布から運転免許証を取り出して男に手渡す。男は無線に向かって免許証に書かれた名前を読み上げ、やがて近くの交番からやってきたと思しき警察官たちが集まってくる。これは困ったことになった、今日はこれから仕事の打ち合わせがあるのに、と困惑しつつもなぜか冷静になりあたりを見回してみる。既にパトカーまでやってきており、さながら何か大きな事件の現場の様相を呈しているが、GSハイムの一般住戸はおろか向かいの戸建てからも野次馬の気配は全くない。つまりここではこの程度のことは日常茶飯事なのだと合点しながら警察官からの質問に答える。そのうち彼は私のぶら下げているダイソーのレジ袋に気付いた。
「その袋の中身を見せてください」
しぶしぶ袋の中に入っていた未開封の水鉄砲(500円)を取り出して警察官に見せると、彼の目つきが一変した。「これを何に使うつもりだったの?」「いえ何にも」「そんなわけがないでしょう」「いや本当に何でもないんです」といった不毛な押し問答が始まった。折しも水戸で聖火ランナーに水鉄砲を発射した女性が逮捕された事件があったばかりだ、警察官のテンションが上がるのも無理はないだろう。そのうち「こんなところで水鉄砲持ってて何にも使わないわけがないでしょう!」と、いくらか統を失したような状態になっている警察官を私が必死でなだめるような展開になっていった。
そのうち雨が降り始め、一人の警察官が詰所からビニール傘を持ってきて、職務質問に当たっている警察官に手渡した。私を都会の酸性雨から守ってくれるというのである。素直にしている限り警察官というのは案外親切なものだと思った。やがて聴取の算段が付いたらしく、私は促されてパトカーの後部座席に乗り込んだ。
警察署に着くまでの間が、この事件における私にとって最も苦痛に満ちた時間となった。同乗した警察官にとっては私が他人の住居に侵入を図ったことよりもダイソーの水鉄砲(500円)を所持していたことの方が重大だったらしく、いつまでも「その水鉄砲でひかりの輪を襲撃するつもりだったんだろう」と因縁をつけられ続けた。当然私にそんな意図は露ほどもなく、ただダイソーで見かけた500円のポンプアクション水鉄砲に感心し(トイザらスなら同等品が3000円は下らないはずだ)、自宅に帰ってからその威力を試してみたかっただけだったのだ。頼むから信じてくれ。しかし、降り際に言われた「刑事には嘘をつくんじゃないぞ。嘘はあとで全部わかるからね」という一言は、この難局を切り抜けるための示唆を多く含んでいた。
成城警察署4階の取調室に着いた私は、徹底的に所持品の検査を受けることになった。カバンの中身は言うまでもなくポケットの中身(尻ポケットを裏返せとまで言われた。構造的に無理である)やズボンの裾の裏までひっくり返させつつ、「こちらもケガはしたくないからね」などと物騒なことを言う。靴を脱ぎながら「中敷きがあるので調べてください」と言ってみたが、そこは調べられなかった。くそっ、俺の足の臭いを警察官に嗅がせるチャンスだったのに、と思いながらも無言で靴を履き直して促されるまま椅子に腰掛けた。
やってきた刑事は眼光鋭く「どうしてこんなことをしたんだ」と切り出してきた。そんなことを言われても単に興味本位だったとしか答えようがないのでその通りに答えるが全く納得してくれる気配はない。次第に調子に乗って「我々は地域住民に委任されて地域の平和を守る義務があるんだ、外部の者が不穏を与えることは許さない、わかるか」などということを演説し始める。(テロ組織の残党と20年以上も慣れ合ってきてその体たらくは何だ)と喉元まで出そうになるがぐっとこらえつつ、話せることだけ話してあとは黙り込む。後になって気付いたが、彼らは私のことを極左テロ集団と関係のある何者かと思っていたらしい。こちらには検挙歴も何もないものだから彼らが私について知っていることは当然何もなく、必死になって思想的背景を聞き出そうとしていたのだ。
やがて私が極左でもオウム真理教関係者でも何でもなく、ただ興味本位でGSハイムを覗きに来たことが明らかになってくると、急に刑事たちのテンションが下がってくるのを感じた。取り調べの前に預けた所持品の返却願いを次々と書かされ、左の人差し指で拇印を押し、返却された品々をカバンやポケットに詰め込むと、まるで放り出されるように成城警察署を後にした。
事件後しばらくして、オウム真理教ウォッチャーの友人のもとにひかりの輪広報のツイッターアカウントからダイレクトメッセージが届いた。そのメッセージには、上述の侵入事件に対する不満とともに、警察署での事情聴取の際に明かした私の本名が、名字だけではあったが記されていた。
これは一体どういうことだ。
当然、私はGSハイムに立ち入ることを誰にも予告していないし、事件後にも一切そのことは話さなかった。それにこの事件に関して私は厳重注意を受けただけで、逮捕もされていないし、この事件があったこと自体マスコミに公表されてもいない。にもかかわらずひかりの輪の広報が私の名前を知っているというのだ。
私がGSハイムのエントランスに立ち入ったことを知っているのは、成城警察署の警察官や刑事、それにそこから連絡が行っているであろう公安調査庁だけだ。
つまり、「犯罪を犯したわけでもない一般人である私の氏名(もしかしたら住所も)を、警察がひかりの輪にリークした」以外の可能性が考えられないのである。
上述の通り、宗教団体「ひかりの輪」は、かつて一般人に対する殺人やテロ行為を繰り返してきたオウム真理教の元幹部である上祐史浩を代表とする、「テロ組織オウム真理教の後継団体」である。その規模はかつての全盛期に比べれば見る影もないとはいえ、その強い反社会性を懸念して公安調査庁の監視対象ともなっているわけである。
かつてオウム真理教は、TBSテレビ「3時にあいましょう」のスタッフから「オウム真理教被害者の会」の代表を務めていた坂本堤弁護士に関する情報を提供され、同弁護士を家族もろとも殺害し山中に埋めた*6前科を持つ。今回のリーク事件に関して、そのような組織の後継団体に教団に批判的な行動を行った一個人の個人情報を与えることがどのような危険をもたらすかを、警察は全く理解していないと言わざるを得ない。
もし、現在でもひかりの輪に殺人などの実行部隊が存在し、彼らが私を拉致し、あるいは殺害して山中に埋めるようなことがあったとして、日本国警察は一体どうやってその責任が取れるというのだろうか。そういったことが皆無であると、彼らを長年監視してきた警察は断言することができるのだろうか。
警察と公安のひかりの輪への監視活動も近年はマンネリ化し、ひかりの輪スタッフと警察官の間での立ち話も見られるという。そういったたるんだ状況の中、「警察によるテロ組織の後継団体への個人情報のリーク」という一大不祥事が発生した。警察には事態の重大さを認識するとともに猛省を促したい。
*1 国際テロリズム要覧2020 http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ES_E-asia_oce/aum.html
*2 日本経済新聞2019年2月28日付 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41879540Y9A220C1CR8000/
*3 産経新聞2021年5月19日付 https://www.sankei.com/affairs/news/210519/afr2105190020-n1.html
*4 烏山地域オウム真理教対策住民協議会 http://www.kyogikai.jp/
*5 この事件の少し前に聖火ランナー水鉄砲襲撃事件が発生していることとは全く無関係である。
*6 TBSビデオ問題 https://ja.wikipedia.org/wiki/TBS%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA%E5%95%8F%E9%A1%8C
これから就職を考えている方は参考にしていただければ幸いです。
【入社前】
今はどの会社も
入社動機がはっきりしている専卒・高卒はもとより大卒の入社理由は人それぞれで面白い。
いわゆる私大文系で自己分析の結果、数字ノルマのある営業や全国転勤は嫌だから「とにかく安定している」という理由以外特にないままこの世界に入るタイプ。
近年はJRや大手私鉄だと、MARCH・駅弁以上だけど現業という珍種もいる。
そこで待っているのは今まで経験したことのない同じ釜の飯を食い同じ寝床で寝る楽しい楽しい集団生活。
基本的にどの鉄道会社も4週8休で朝~翌朝までの24時間勤務をベースに循環交代しながら働くことになる。
○よく説明される例
(土)休み
(日)休み
だいたい説明会や研修でもこのような勤務の仕組みの説明を受け「非番は自分の時間!自由に過ごせますよ!」とかキラキラした目のサクラ社員に説明されるが実際は、
●本当の例
(木)朝~夜・・・残業でラッシュ対応とお昼まで教育、そのあと先輩に強制連行されて平日昼から酒(20時~終電間際まで)
(金)朝~(土)朝・・・本来は日勤だったが病欠が出たので半分休日出勤でそのまま通して全泊仕事
(土)朝~夜・・・仕事を終えた朝から昼までは詰所で死んだように仮眠、昼から組合員講座へ動員され夕方からは飲み会
こんな感じ。
終車後の仮眠時間はどの会社も概ね5時間前後だが全員が着替えやシャワー浴びる時間も含めてその時間。
当然イレギュラーなことがあったりシャワーの台数と働いている人の数が釣り合わないと短くなる。
多くの若者にとっては今まで学校に行って家に帰れば親の用意してくれたあったかいご飯を食べて暖かい布団で寝れた生活からの転調なので当然ショックを受ける。
また、いくら時代が変わったとは言えまだまだ20年30年働いている先輩が幅を利かせてる超縦社会なので体育会系や集団生活の経験のない若者はのっけから洗礼を受ける事多し。
先輩への気遣いはどこの会社でもあるが、それがおはようからおやすみまでどころか翌朝のおはよう以降も続くのでやはり向き不向きはある。
ダメな奴はすぐにダメと判断し辞めるのが一定数いる(それはどの仕事も同じだけど)。
ただこんな生活でも半年もすれば身体が慣れてしまうので大丈夫。
若いうちは休日出勤も含めた残業代でそれなりに稼げるのでほとんどの若者は4週5~6休くらいにして休日出勤で稼ぐ。
会社によっては駅は子会社採用で乗務員にならないと親会社へ転籍できないところもあるので人によっては死活問題でもある。
もし駅が子会社採用で乗務員になる以外親会社へ就職できない鉄道会社への就職を考えるのであれば必ず入社前に運転の適性を確認すること(視力・聴力)。
やはり子供の頃からの夢で乗務員を目指す若手が多いが夢を叶えるのは同期全体で半分もいれば良い方。
どの会社も駅以上に超体育会系ではあるが、駅より拘束時間が短く給料も同じで休暇も取りやすいので人気が高い。
駅でそのまま係員として過ごす場合、ずっとルーチンワークが続くが年々後輩が入ってくるので仕事自体は楽になる。
組合関係の役職員で重宝されることが出世コースとなるかは会社によってケースバイケース。
御用組合の会社では組合役員は出世コース(ただしどの会社も組合関係は酒・ゴルフのお付き合いが付きものなので向き不向きがある)。
だいたいこの生活を30まで続けるともう月~金で毎日会社へ行く生活のほうが無理になる。
どの会社も30代40代で助役以上を目指すかどうか決めることになる。
給料は会社によって大きく異なるが、総じて助役になるとそれなりの収入になる会社が多い(ただしそれには理由があり・・・)。
駅という建物の管理(消防・建築)、駅員の管理(人事・総務)、売上の管理(経理)等、助役になった瞬間仕事の幅が広がる。
ルーチンワークをこなす事と他人にルーチンワークを正しくやらせる事では使う頭が変わってくる。
一昔前はパソコンも使えない高卒のおじさんが酒と煙草で飲みニケーションを図り、体裁の悪いものは上手く隠し、良くも悪くもどんぶり勘定で現場をまとめるのが良い助役とされた。
しかし、昨今のコンプライアンス重視の風潮や大卒者の増加により明らかに前時代より仕事に求められるクオリティーが上がった。
これは業界特有だが規則や規定を知ってれば知ってるほど偉いという風潮があり、最善の結果を求めた結果ルーチンワークに新たなルーチンワークが加えられるケースが多い。
脅しすかしで上手く若手を使った時代も過去の話となり、最近は係員に仕事を振るのも一苦労といった具合。
これはすべての会社共通だが助役に上がるとそこから残業が激増する。
係員として長年親しんだ明け番でバイバイ!というのもなくなる。
自分が当務者の日に係員がトラブルを起こし、翌日の家族旅行・子供の運動会・授業参観等ドタキャンになったなんて日常茶飯事だ。
そう、助役の収入が高くなるのは残業代が大きいからのである(ほとんどの会社では助役は管理職ではないので残業代が出る)。
そうなるとそこまでして助役を目指すべきか?という疑問も当然大きくなる。
助役を目指すのと一生係員でいるのとでは生涯賃金でどのくらい差がつくかは会社による。
本当に恵まれた一部の大手鉄道では一生係員でいても年功序列でそれなりの収入になるので助役を目指さない人も多い。
最終的には同期入社のうち定年まで残った者の割合は、乗務に行くのが3割(駅への出戻りもある)、助役以上になるのが4割、一生係員が3割という感じ。
役職で言うと助役が自分の実力だけで誰でもなれる最後のポストでそれ以上は上からの覚えが重要になる。
それ以上のポストの名前は首席助役・区長・管区長・駅長など会社によって違うが、いわゆる駅長ポジションになると泊まり仕事でなくなり日勤のカレンダー休みになる。
普通の会社でも課長になると残業代がなくなり年収が下がるという減少はあるが、鉄道現業職という性質上それ以上の出世は望めないので年収的には寂しい定年間際となる。
【年齢と収入(仮)】
元國鉄は額面はこれより少ないですが、超恵まれた福利厚生が凄いので体感はほぼこれと同じかこれ以上です。
あと私鉄は大半の会社が転勤に転居が伴わないので、大手でも住宅関係の手当がほとんどない会社が多いです。
なので家賃は社宅や独身寮に入らない限り給料から全額払うのが普通だと思ってください。
○一生係員コース
25・・・500万
35・・・700万
45・・・800万
60・・・900万
(30代半ばまではほぼ同じ)
45・・・950万
60・・・950万
よく言われるが恵まれた鉄道会社は給与形態や就労形態的には消防や警察に似てる(手当や退職金は消防・警察のほうが多い)。
警察や消防のようなパワハラ的な厳しさはないので、警察学校崩れや元自衛官で中途で入ってくる若手が多い。
子会社採用モデルで子会社で定年退職まで働いたサンプルはまだまだ少ないと思うので平均的なものはないと思う(あったらごめん)。
乗務員に合格したら親会社に転籍できるが、あくまでも「転籍」なので退職金の係数や休暇の日数も1年目からやり直しになるので注意。
懐かしいな。実家の周りも昭和50年代初めまでは舗装されていなかった。
家は近所でも一番最後まで五右衛門風呂が残っていて、なんと昭和63年まで現役だった。近所の大工さんやってる家から薪を分けてもらって、祖父が薪割りして釜にくべてお風呂を沸かしてくれた。夕方、家の中は燻されたような匂いでいっぱいになった。途中で湯がぬるくなったら大声で呼んで、父か祖父が追い焚きをしてくれた。
当時はまだ男にも家事の割り当てがあった。
祖父は夕方になったら家中のゴミ箱からごみを集めて焼却炉で燃やす(禁止されていなかった)。生ゴミは堆肥用に。回収日に金属ごみを出しに行くのも天ぷら油の処理も祖父の仕事だった。
小さな畑と田んぼしかなかったので農業での現金収入はないが、家族が食べるぶんの野菜を育てるのも祖父の仕事だった。それから農具の手入れも庭仕事も。
祖母の家事分担は私と妹の子守り、自分と祖父のぶんの洗濯と掃除。父と母が勤めに出た後、全員の茶碗洗ってくれるのも祖母だった。午後みんなの洗濯物を取り込んで畳むのも祖母。料理は苦手だったので主に母が作った。祖母はあと内職の仕事をしていた。その間子供は子供同士勝手に遊ぶかひとり遊び。大人に遊び相手をしてもらった記憶はあまりない。宿題も見てもらってなくて、一人で適当にやってた。
母が1番働いていて、朝起きたら田舎の広い家の掃除と食事の支度、夕方は6時ごろに帰ってきて、また食事の支度と洗濯。洗濯物は納屋の一角に干す。
祖父が元気だった頃は父はあまり家事はしていなかったな。子どもたちにとってはただただ口うるさい父であった。
両親は共働きだった。北陸では珍しいことではなくて、祖父母もその昔は共働きだった。祖母は母が嫁いでくるくらいまでは工場で事務員の仕事をしていた。
というか、私は小さい頃、専業主婦なんてサザエさんやドラえもんみたいな架空の話の中でしか見たことがなかった。
近所はみんな三世帯同居で、両親共働き。地区にはアパートなんて洒落たものもなかったし、親と同居せずに夫婦だけで住む場合はもっと町中の便利なところに居を構えたからかなあと思う。
もし万が一専業主婦がいたら、働かない嫁って言われそうだな。いなかったけど。
そういえば家の電話が親子電話?っていうやつで、たまに受話器を耳に当てると、近所のおばちゃんの話し声が聞こえたんだけど、あれなんだったんだろ。
あと昭和の思い出で覚えてること、、駅の近くの踏切は、横に詰所みたいのがあって、国鉄の人が手動で安全確認して遮断機を上げ下げしていた。
蛍がたくさんいた。
明治生まれの曽祖母は洋服じゃなくて着物を着ていた。志村けんがコントで着ていたみたいなやつ。曽祖母は自宅で療養していて自宅の畳の上で亡くなった。曽祖母が亡くなった時、家に大工さんが来て金ぴかの祭壇を作ってくれて、自宅で葬式をした。
平成の初め頃まで土曜日半ドンだった。私は高校卒業まで土曜日も学校行ってたな。休みがなさすぎる。
週休1日だった代わりに両親ともバブル前は定時で仕事を終えて帰ってきてたな。夏場なんて明るいうちに家に着いてた。それだけは羨ましい。
クソデカ羅生門:トチ狂ったクソデカさを誇る門。正気を疑うレベルでデカい、というかガチで世界一デカい。碌に修理もされず、ボロボロに荒れ果てた結果、クソヤバい狐狸や世界最強の盗人(六万人)が棲み着くようになったり、死体が超スピードで積み上がるようになってしまった。
下人:下人というからには、どこぞの使用人に違いあるまい。最近、主人にクビにされたらしく、激烈豪雨の中行きどころも無く、クソデカ羅生門で超途方にくれているが・・・
ブッサイクで気持ちの悪い顔だが、清廉潔白超高潔にして、ありとあらゆる悪を世界一憎む心を持ち、最強正義を体現する男の中の男。その一方で腐った性根と史上空前に邪悪な心を兼ね備えている。大馬鹿で学がなく、クソアホ。七十二時間ほど呼吸をするのを忘れても生きていける。三千里(約一万二千米)飛び上がる跳躍力を持つ。韋駄天の異名を持つ。足は丸太のように太い。腹が減っている。天下無双にして無敵。最強下人。後に剣聖と呼ばれる。身長・体重は不明。
京都:魔都上海、大淫婦バビロン、冥府の首府パンデモニウムを超える世界最悪の罪の都にして、最低最悪のゴミの掃き溜め。超巨大地震とか破壊的辻風とか最強大火事とか極限饑饉とか云うエグすぎる災が、ここ二、三千年ほど毎日起こった結果、いまいち俺の貧弱極まりない言語能力では到底形容しきれないくらい荒れ果てた。しかしながら、クソ治安がいい。あと、クソ広い。
鴉:鳥類。超凶悪。クソデカ羅生門周辺に億単位で沢山集まってくる割には、いつの間にか数万羽に減っている。超凶悪。鼓膜破壊レベルの音量で啼きながら亜音速で飛び回る。超凶悪。死人(サイズ不明)の肉を、気が狂ったように啄みまくり、えげつなく臭い糞を垂れる。超凶悪。
主人:下人の主人。クッソ強い。えげつなくデカい家に住む。下人を永年犬のごとくこき使ってきたが、ある日突然解雇する。下人とどっちが強いかは不明。
巨大人食い蜘蛛:昆虫ではない。クソデカ羅生門の天井裏に巣をかけて暮らしている。
老婆:クソデカ羅生門の住人。最低最悪醜悪人間。檜皮色のクッソ汚れたきたならしい着物を着ており、ノミのように背が低く、ナナフシのように痩せこけ、髪はびっくりするほど短い白銀色の、豆猿のようなクソババア。超赤くなった瞼と、凶暴肉食最恐鳥のような、めちゃくちゃ鋭い眼がチャームポイント。極細喉で、針のように尖った喉仏を動かしつつ、ほとんど、鼻と一つになったタラコ唇から、凶鴉の啼くような実に聴くにも堪えない冒涜的な汚い声を発する。神速の動きで下人を翻弄する。
※檜皮色:ひわだいろ。焦げ茶に近い暗い赤色。
髪を抜かれた女:死んでる。生前は傾国の美女と讃えられるまでの美貌を誇り、八岐大蛇を四寸ばかりずつ切り刻む程度の能力を持っていたらしい。原型を想像できない程ぶつ切りにした干八岐大蛇を干巨大怪魚と偽って太刀帯の陣やらそのへんやらに売りまくる。大疫病に四回かかっても死なない程度の超絶免疫力・抵抗力を持つが、とうとう五回目で儚くも死ぬ。死後、クッソ哀れにもそのバカ長い髪を一万本ずつ見ず知らずの極悪クソババアに抜かれるハメになる。なお、髪は巨大鬘の原料として有効活用される模様。
ところで、作者(本記事執筆者)はさっき(五万行ほど前)「Supreme Dragon Slayerにして傾国の美女」と書いた。しかし、それはクソバカ珍妙男がクソデカ羅生門の中に広がるクッソ空虚な宇宙的暗がり、いわばダークマター(暗黒物質)の中でクッソ長い髪をした巨死骸をおぼろげにも傾国の美女と思い込んだだけで、クッソ長い髪=女、女=傾国の美女、したがってクッソ長い髪=傾国の美女というクソアホ三段論法を駆使して生み出された偶像(アイドル)かもしれないのだ。起きがけの頭で冷静に考えてみると、そもそも女ではない可能性すらある。
※太刀帯の陣:たちはきのじん。東宮坊の武官(皇太子を警備する公務員)である帯刀舎人(たちはきのとねり)が、御所を警備するための詰所。
作者:『クソデカ羅生門』の作者。控えめに言って天才もしくは狂人。その行方は俺含め、マジで誰も知らない。原作の構成をメタクソにぶっ壊してない辺り、芥川龍之介と『羅生門』への極限までに強い、ハチャメチャに妄執じみたリスペクトをそこはかとなく感じられる気がしないでもない。
芥川龍之介:『羅生門』の作者。日本の小説家。1892(明治25)~1927(昭和2)。芥川賞は、直木賞と並んで有名な日本の文学賞。
1. 警察や自衛隊、医療機関といったものと一緒で、削ると有事に困る。
→ だったら役に立つような活動にしろよ。医療機関の人が全国手術最速選手権とかやるか? やっていたらすまん。
元増田は「消防団活動再開には活動の有用性を具体的に示して頂きたい。」って書いている。火災が増えたかとか何とかはあくまで例示だろ。
日頃、別の仕事をしている人のプライベートな時間を安い金で吸い上げるんだから、無駄遣いするなよ。
→ 大まかに言えば、指揮者の命令に従って、①消火用ポンプを設置する。②消防用の水槽から水を吸い上げつつ、50mくらい先の火災現場に送水、消火する。③水を止めて、片付けろと命令する。
これをいかに速く美しくシンクロしてやるか、だよ。ここだけ読むとすごく役立つように聞こえるかも知れんが(書いた自分もいいことやってるじゃんって思ってしまった)、シンクロさせるレベルはシンクロナイズドスイミングみたい。並ぶ線の位置に踵何cmを置くか、展開用ホースの並べる間隔は何cmとか。
具体的にはYouTubeにアップロードされている動画見たらわかる。これを市町村単位で、都道府県単位で、さらには全国で競うのが操法大会。
→それこそ日常的に訓練してないのだが。そういう活動が無駄だったとは言わん。地元に根差しているから、老人がどっかに紛れてるかも知れんとか探すのには意味はあるかも知れんな。
土嚢積みとか下手に積むと崩れるんだから、きちんと教育してくれよ。こういう役に立つ訓練、教育の時間なら、その積み重ねで地方自治への参加だのコミュニティの維持だのの実感も湧く。
ちなみに私は応急手当普及員の資格を取らされたが、これは確かにやって良かったとは思う。消防団活動で数少ないまともな教育だった。
4.税金云々
→活動中の消防団員は非常勤地方公務員だから、税金でやってる。ただし、支給される活動費はさほど高くない。一般団員で年額20000円くらい。
この額が見合うと思うならぜひ参加してもらえばよい。
団員の手元には入らず、全額所属する地域の「分団」がプールする。ここから、飲み会代や詰所待機時のカップ麺代や、それこそ操法大会の分団での準備費用が出るから、かなりかつかつ。
ちなみに分団でプールする制度のせいで不正が起こったりして、総務省は怒ったりしている。
5. 地方によって様々
→それこそ、同じ市町村でも新興住宅地ではない場合がある。面倒見てくれる元の地域があれば有事には来てくれるかも知れないが、全く新たに切り開かれたあたりとかは本職にしか頼れない。
それこそ、予防接種を子どもに打たない人と同じで、何もしない他所のために労力割くのは不快よね。無駄が多い活動も、最後のよりどころは「自分の地元への愛と仲間との連帯」だからな。
6. 元団員、現役団員、そのご家族
→お疲れさまです。
7. まだ参加していない方
→正直な話、参加はおすすめしません。あなたの貴重な時間を大事にしてください。
消防団でなくたって地域への貢献の仕方や社会への繋がり方は様々です。その中で消防団に加入しようと思うなら、皆歓迎してくれます。
地元や、親の圧力に負けそうな方。大変ですね。私もそうでした。その地を離れられるなら離れましょう。上にも書いた通り、消防団のない地域はいっぱいあります。離れられない事情があるなら、その地域に住むコストと思って活動に参加するしかありません。地域差が激しいから何とも言えません。
→ こういう、徴兵制は教育効果あるとかいうのと同じ考え違えしてる奴に辟易する。何でお前が消防団入ってないのか疑問だわ。多くの消防団で人手不足だから、ぜひご参加下さい。人を貶めたりろくでもないことする前に参加して、無駄なエネルギーと時間とコストを発散して下さい。
参加してる? だったらお前が悪さしてないのは消防団活動のおかげだから。感謝も尊敬もしているから、これからも出動よろしく。
恐らく地域差があるのでしょうね
私も現役団員ですが、
「非常時に駆けつけられる人員」
消防団員は普段、別の仕事を持ってます。そして、非常呼集がかかっても、赤信号突っ切って現場に駆けつけることはできません。
ポンプ車の運用最低人数が確保されるまでに、本職による消火活動が終了することもしばしばです。
それでいいなら、消火訓練すら意味はなく、むしろ交通整理や残火確認のボランティア登録でいいのではないですか?
各分団に配備されているポンプ車や消防団員の活動費、詰所の維持費を市町村予算で手当てするくらいなら、本職の増員や消防本部で器材の拡充を図る方が有益だと思うのです。
多分、我々の意見が一致するのは、
「操法大会はやりたい奴だけやればいい、操法の訓練など無益」と言う点だと思います。今回のコロナで操法訓練が無くなってホッとしている人も少なくないはずです。
うちの担当している施設は詰所が2つあるのだが、片方でコロナが発生した。
コロナが発生した事で、当然詰所の一つが隔離されたのだが…感染した警備員はもう一つの詰所にも交代で勤務していた為に片方だけというわけにはいかなくなった。
警備本社と連絡をとった結果、消毒を行い換気すれば大丈夫と指示をされたが大丈夫なわけもなく、他の警備員にも感染している可能性があるために自宅待機を命じられると思ったのだが…出勤しろと言われた。
そしてもうひとり体調が優れないという警備員が発生した。これでも消毒すれば大丈夫という。
いくら警備という業種が休めない職であろうとも、コロナが発生してしまっている状態で消毒して換気すれば大丈夫という考えはどうだろうか。
明るくて綺麗で広めなのでここ使いやすかったな、と思いながら、入ろうとしたら清掃中の表示があった。
あ、入れないかな、と思ったら、トイレ入り口近くの警備員詰所みたいなところにいた警備員さんが、掃除中ですが大丈夫ですよ〜使えますよ〜と言ってくれたので入った。
掃除していたのは大柄な中年の男性。きちんと清掃会社のユニフォームっぽいのを着ていて、無言で掃除していた。
なんとなく、なんとなく、利用しづらくて、何も言わずにすぐに出てきてしまった。
掃除しているのが女性の清掃員なら、同じ場面でも躊躇せずにトイレを使用しただろう。そういう機会は今まで何回もあった。
今まで女性トイレを男性の清掃員のかたが掃除している場面に出会したことなかったから、戸惑ってしまった。
一生懸命お仕事してくれてる人たちは、みんな周りの人の役に立つことをしてくれてるんだから、ありがたいね。
男の人も、女の人も、男の人の心を持った女の人も、女の人の心を持った男の人も、いろんな人が世界にはいるけど、みんな違うけど幸せならそれでいいんだよ。
お父さんが二人いるお家も、お母さんが二人いるお家も、お父さんやお母さんがいないお家も、家族が幸せならいいお家だと思うよ。
突然だが、私は看護師をしている。同業者ならお馴染の入院期間が長く介護度が高いとされる内科の混合病棟。そこに私は新人で配属されてから今まで4年間勤務している。日々腰痛に悩まされ、終わらない業務に鳴り止まないナースコール。土地柄なのか文句を言った者勝ちだとでも思っているかの如く多いクレーム。正直、毎日疲弊しているし帰っても何もする気になれない。
そんな私が1年目の時、先輩看護師からふと「患者さんの前で涙を流してはいけないよ」と言われた。詳しい理由は聞いていないし、正直今でもあまりよくわかっていない。調べてもみたが、『時には涙を流すことも必要ですよ』なんていう謎のカウンセリング的な言葉が最後に出てくるばかりで明確な理由はわからず仕舞いだった。ただ、何となく、自分のなかでは「私たちはプロの医療従事者として、感情を露わにしてはいけないんだ」「患者さんやその家族の方には今まで歩いてきたその人たちの人生があって、私たちが関わっているのはそのうちのほんの数ヶ月。そんな短い時間関わっただけの看護師が、一番苦しくて大変な想いをしている患者さん、家族の方の前で涙を流すことはきっと何か違うんだ」と思ってきた。
内科系、特に私の所属する病棟は残念ながら亡くなってしまう患者さんが少なくない。4年間働くなかで看取りをした経験は数えきれないほどあるし、何度も「本当に私のしてきた看護は間違っていなかったのかな」と疑問に思うこともあったし、「もっとああしてあげればよかった」と後悔もした。自分の母親と年齢の近い患者さんと、色んなお話をした夜勤明けに、「また明後日来ますね」なんて言いながら別れたのに、次に勤務してきた時にはその人は亡くなってしまっていた、なんてこともあった。それでも私は涙を流さなかったし、どこかで自分に泣いてはいけないんだと暗示をかけていたように思う。
ADLは自立、今まで入院経験もなく普通に自宅で過ごしてきた60歳代の上品な女性。病室は詰所から一番遠い場所で、きっとそのうち検査が終われば退院するのだろうと思っていた。入院当初に発行する入院診療計画書にも、入院期間は2~3週間と書いていたように思う。
けれど、検査の結果すぐに治療が必要である疾患が見つかり、その患者さんの入院期間はどんどん延びていった。何号室の何番ベッドの人、と言えば全員が「ああ、〇〇さんね」とわかってしまうほど長い期間入院することになったその患者さんは、点滴、内服など様々な治療を代わる代わるうけていた。それでも文句の一つも言わず、「先生や看護師さんには本当によくしてもらってるからね」といつも笑顔だった。
その患者さんは、毎朝起きると持参の電気ケトルにお湯を入れるため給湯室までやって来る。夜勤だった私はその日、担当するチームではなかったものの偶然給湯室に居合わせ、挨拶をして少しだけ給湯室前のソファで話をすることになった。
「先生に退院まだですか?って聞いたんだけどね、まだもうちょっと、って言われちゃった」
「もう一ヶ月になるかしら。そろそろ家に残してきた旦那のことも心配で」
「そうなのよ。何だかんだいって、心配してくれて。今までも色々と迷惑かけてるけど、まだもうちょっと、お世話になりますね」
そんな会話をしたと思う。
この頃、既に病名は本人にも家族にも告知されていたし、きっと自宅に帰るベストなタイミングだったんだろうと思う。けれど、主治医はその決断を下さなかった。どうして、と聞きたかったけれど、それを誰も聞かなかったし、聞いていたところで教えてくれなかったと思う。
それから更に一ヶ月が経って、その患者さんは酸素が手離せない身体になってしまっていた。疾患そのものではなく、合併症により呼吸状態が著しく低下したことは本人にも伝えられた。ただ一つ、予後があまり長くないことだけは、家族の方にのみ伝えられたらしい。急変時はどうしますか、という質問に返答はなかった。当然だ、ほんの数ヶ月前まで自宅で普通に生活をしていたのだ、入院中だって自分の足で歩いて、普通に話ができていたのだ。
合併症の治療のため抗生剤が開始となった。すると、今度はその抗生剤の影響で感染症に罹患。個室隔離することになった。
「こんなことになって、人にうつしてしまうしまうかもしれないなんて、孫にうつしてしまったらどうしよう。またみんなに迷惑をかけてしまう」
そう言いながら涙を流す患者さんに、決してあなたのせいじゃない、あなたは誰よりも頑張っていますよ、としか伝えることができなかった。
きっとずっと前から、心は限界だったのだろう。どんどん気力をなくしていくのが目に見えてわかったし、同時に、投与する酸素の量は増えて行った。
そして、ある日の朝。その患者さんの担当だった私は、朝の内服薬を持って病室を訪れた。おはようございます、お薬を飲みましょうか。そう伝えると、閉じていた目がゆっくりと開いた。
「もう、いらない」
そう返された時、私はすぐにどうして、と言えなかった。いつかこうなるんだろうな、とどこかで覚悟していた自分がいたのだ。
「ずっと頑張ってきたの。それでもこんなにしんどいの。どうして?もう疲れた。今日死にたい。今すぐ楽になりたい。わかってるの、みなさんには本当によくしてもらってるの。先生にも、看護師さんにも。けど、もう疲れちゃった。もう何もしたくない。お父さんも、息子も、私に生きてほしいって言うの。でも、もういい。お願いだから楽にして」
腕や足だけじゃない。指先、眼球にまで浮腫が及んだ身体で、整わない息で、そう伝えられた時、私は溢れてきた涙を我慢することができなかった。既に投与している酸素の量は限界、これ以上の酸素化を望むのであれば人工呼吸器をつける必要がある。逆に言えば、人工呼吸器をつければ身体に強制的に酸素を送ることはできる。今の医療は先を望めば生き永らえることができてしまう。家族から急変時の対応に関する返答はまだない。急変時の確認ができていない患者は、原則何としてでも助ける必要がある。けれど今、この患者さんは自分の意思を私に伝えている。浮腫でパンパンに腫れ上がった冷たい手を握った。
「今まで頑張ってきたんですもんね。しんどかったですよね。お薬は、今はやめときましょうか」
そう言うだけで精一杯だった。
しばらく何も言わず、ただ黙って付き添って、患者さんの息が整ったタイミングで病室を出た。その足でトイレに駆け込んで、心を落ち着けてから業務に戻った。それでもその日、どれだけ他の患者さんと笑って話をしても、家に帰っても、あの患者さんと過ごした30分程度の時間が忘れられなかった。
それから一週間後、その人は亡くなった。私は勤務時間ではなく、申し送りでそのことを聞いた。やっと楽になれたんだね、としか思えなかったし涙を流すこともなかった。身体を綺麗にして数時間後にはお迎えがきたし、その更に数時間後には新しい患者さんがその部屋に入院してきた。自分がどこにいるのかもわからないほど忙しい業務に追われ、代わる代わる入院と退院を繰り返していく中で、それでもあの患者さんの言葉が忘れられない。あの時掛けるべき言葉が、すべきことがもっとあったように思う。けれど後悔している暇もなく毎日を過ごしていて、正解がわからないままここまで来てしまっている。
私は、もうすぐ今の勤務先を退職する。理由は色々あるし、それはあの患者さんが亡くなる前から決まっていたことだった。新しい職場は決まっていない。けれど、きっとまた看護師としてどこかの病院で勤務しているのだろうと思う。私は、看護師の仕事が好きだから。理不尽なことを言われるし、後悔だって沢山する。それでも、看護師という仕事が、患者さんのことが好きなのだ。もしかするとこの先、同じように患者さんの前で泣いてしまうことがあるかもしれない。プロ失格だと言われてしまえばそれまでなのだけれど、でも、きっとその時も私は後悔して、また働き続けるのだろう。結局、正解なんてないと思うから。それでも自分にできることはあると思うから。