はてなキーワード: 製本とは
通わなくてもいいらしいし。
ない。
マジで試験なしで入学できた。書類出すと入学許可証がきて、コンビニで金を払って終了。
入学はもう2年も前のことだから記憶は曖昧だけど、地味にビックリした。
いや、いいんだけど、学生証が届く前から専用ポータルサイトから授業が聞けるってのが変な感じで、じゃあ物理カード要らないんじゃね?
っと。
入学手続きじゃなく別のことなはずだけど、なんかの証明書発行で現金書留か郵便小為替が必要になったりして、今時マジで?って思った。
もう書いちゃったが、そんなわけでテレビみなくてもネット配信がある。
iPhoneからだとSafariしか対応してないのが不満。それにテレビにミラーリングも出来ない。
大学の教科書って、普通の本屋で買える本(と言っても漫画と週刊誌と小学生のドリルくらいしか置いてない俺の町の本屋にはもちろんないが)なイメージだったけど、全教科とも授業に合わせて製本して出版してるみたい。
テキストを一回読むか、放送を一回みるかのどちらかで単位認定試験は受かる程度になる。
後述するが、カンニング放題なので、テキストで勉強したほうが「たしかあの辺に書いてあったな」ってなるので有利だと思う。
試験が基本的に自宅なのでカンニング放題だし、テキストから逸脱した問題がでない。
カンニング放題なんだから、もう少し応用問題にしてもいいと思うけど、意外と平均点が低い。みんなカンニングしてないのだろうか。
易しいとはいえ、科目が多いとスケジュール的にきついから、働きながら4年卒業はかなり大変だと思う。
シラバスっていう冊子に授業の内容が書いてあって便利。
単位認定試験がカンニングし放題で事実上ザルなので、単位認定がレポートの科目はおすすめできない。特に、なんとか入門、基礎からのほにゃららって科目は総じて簡単。数学化学物理はほぼ高校の授業以下。これで大学なら単位としていいんか?って感じだけど、すっかり中年の衰えた脳みそにはうれしい。
あと、内容が似たような科目がある。例えば、身近な統計と統計学は覚えなくちゃいけない数式は一緒で、試験の難度だけが違う感じ(といってもカンニング放題だし問題ない)。
独断でいうと、文化芸術系の科目はは聴いてて面白いが、試験もレポートも嫌い。
情報系の授業は、高校でやってない数学記号が出たりして面食らうけど(計算するのはコンピュータだからなんてことはないのだけど)。
officeのサブスクが安いんだけど、3月更新固定だし、Amazonとかで値下げ時を狙えばそんなに差額はない。iPadはたいした値引きじゃない。
Windows派はLenovoの学割でx1carbonだね。
映画や美術館は興味ないけど、そんな数百円ケチってどうすんだ?って感じ。
教養学部だし。
httpとhttpsの違いとか、チコちゃんに聞かれそうな小ネタをたくさんしれる。
そんくらい。
まだ、2年しか在学してないし、もうオッサンだし、卒業後就職に役立つかとかは知らん。
あと、面接授業っていう実際にF2Fでやる授業に行って、若い女の子拝もうと思ったんだけど、思ったよりジジイババアばかりだった。
委託事業は儲けても全然かまわない(というか採算性はきっと大事)
委託費とは、本来、国が自ら行うべき事務・事業等をその執行の適宜性・効率性等に鑑みて、他の機関(地方公共団体、公益法人、民間団体等)又は特定の者に委託して行わせる場合に、その反対給付として支出する経費をいいます。
委託費は調査又は研究開発等の委託契約に基づく対価的性格を有する経費であって、補助金のような助成的性格のものとは異なります。
補助金とは違うと明記されてるんだよね
対価的性格を有する経費だから、掛かる経費は利益を含めたもので良い筈で
けれど、このケースでは、モデル事業として特殊に扱ったみたいね、監査でも触れてる
委託経費
委託料は、本事業の実施に必要な報酬、給料、職員手当等、賃金、報償費、謝金、旅費、需用費(消耗品費、印刷製本費、会議費、光熱水費、食糧費)、役務費(通信運搬費等)、委託料、使用料及賃借料、備品購入費、共済費、扶助費、その他緊急に必要となる経費について、令和3年度は26,000千円を上限に、事業実績に応じて支出し、上限額を超えた経費については団体が負担することとしている。
だから、増えてる
(なお、令和4年度は年額45,634,000円を基準額としている。)。
取り立てて騒ぐこともないようには思うし、多分お咎めなしだと思うよ
まず第一に俺が問題だと思う点と東京都監査委員が問題だと思う点を一致させる必要はない。
東京都監査委員が問題だと思うなら東京都監査委員が批判すればいい。
俺は購入してないものを購入したと報告するような、足し算の合ってない杜撰な報告書を出したColaboのせいで多くの人間が振り回されたと思っている。
他人のリソースを徒に浪費する連中の存在は俺は問題だと思っている。
わかった?
第二に監査結果に
https://www.kansa.metro.tokyo.lg.jp/PDF/08jumin/4jumin/4jumin5.pdf
本件事業実績額の内訳には実際とは異なる備品や購入していない備品が記
他にも
(1)監査対象局は、公金の使われ方について都民に疑念等を生じさせないよう、
事業実績額については、本事業の実施に必要な経費を正確に報告させ、これを
精査したうえで精算を行うとともに、事業実績額の対象経費の支出内訳につい
て受託事業者ごとに任意とするのではなく、仕様書に定める支出対象費目(報
酬、給料、職員手当等、賃金、報償費、謝金、旅費、需用費(消耗品費、印刷
製本費、会議費、光熱水費、食糧費)、役務費(通信運搬費等)、委託料、使用
料及手数料、備品購入費、共済費、扶助費 その他緊急に必要とする経費)の
区分に準じること。
つらつら書かれてるだろ。Colaboの今の状態を東京都監査委員も問題があると思ってるんだわ。問題が無いなら注文つけないんだわ。
「都民に疑念等を生じさせないよう」って書かれてるだろ。都民に疑念をもたせてリソースを浪費させるのは悪い事なんだわ。
俺と東京都監査委員の問題と思う点を一致させる必要はないが、この点一致してんだわ。
そのうえで自分に問題の原因がある連中が議員会館で記者会見を開いて「リーガルハラスメント」だのなんだのといって批判を封じようとした、それはさらに”俺は”問題だと思う。
どこら辺が問題なの?
この辺が”俺の中で”問題。
わかった?
https://togetter.com/li/2055463 を読んだ同人日記さんだよ
はい高くて薄い本かいてる本人だよ(ただし名前詐欺はやってないのと人気CPではないよ)
いままで出した中で一番字数が多いのは20万字、2段組み8ptで200pに詰め込んだよ
そして本題。あれはさほど「高く」はない。
いままで出した中で一番字数が少ないのは初期のコピー本(数千字)だが、比較にならんのでとりあえず印刷所に頼んだ中で薄いやつはっていうと
・B5版口絵つき二段組1万字全年齢16ページ30冊
早期割引価格8980円+税金送料1000円(直接+自家通販用)で9980円だよ イベント価格400円にしたけど案の定売れたのは20冊以下なので完全に赤字です
他は
・B5無線綴じ32ページ20冊 早期割引で商品代金:¥6,110+送料1000円
一冊原価は350円だがとらだとたぶん600円くらいになってるはず
・2014年A5無線とじ60ページ20冊8236円 (送料不明)
このころが一番安くつくれたけど400円は超えるよ。今はこんな安いとこはない。
さらに昔はオンデマがなくてオフセットしかなくて最低発注冊数が100以上とくそ高かった
最初だから気がくるって原価一冊500円におさえて自分を納得させたかったんだね。売れたのはたぶん30冊くらい。つまりリアル原価では2000円近いんだ。
===
とらが少部数小説は審査の結果うけつけないという時期だったので2008年のは既刊のまま廃れジャンルの在庫としてずっと家にあるよ。
今はとらが少部数でもなんでも受け入れてくれるようになったんだ。そのかわり手数料は一律35%とる。
印刷代も安くなったけど特殊製本があたりまえとおもわないでくれ。版分けどころかタイトル写植にさえ苦労するんだ
(小説かきなんてクリスタSaiアズぺアルパカあたりの画像加工ソフトすら一切もってないことがある。その分ATOKかWORD、官能表現辞典あたりに課金したい生き物なんだよ)
1500円の本がとらで売ってて買ったら本を出した人のもとには1000円(マイナス振込手数料1月あたり300円)が入る。その1000円×nから印刷代を払うとたいていは赤字だ。赤字で買えることを当たり前とおもわないでくれ。なら買わなくていい。
===
でも、同じペンネームはコミケっとカタログの目次をみればわかるように常に発生しているのも事実。
「おおこれは気の利いたダジャレだ!」とおもっても歴代のコミケっとカタログをみれば3万サークル×100回のうち1~3人くらいはいるんだ。
あとurl1字違いってのはどこのurlのことなのか。とらなら同時期登録とかならそうなるんじゃないか。自分でつけられるものじゃないからな。
先にやってて売れているほうの作者さんがとらに「ペンネームを勝手に利用され著作人格権を侵害されている」と申請するしかないんじゃないかな。
あと、とらの売り上げはたぶんサークル別月別なのでその意味でも他人のペンネームを大量に借りてそういうことをするのは不利なんだが
初回から110冊印刷したバカとしては、いろいろな人に自分の文章を知ってほしくてやらかしたんじゃないかという気はする。
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「なんか買えた」までやっちゃうほどの小説ほしがりさんが今でもいてくれてうれしいよ。
上客なので面と向かって文句は言いづらいけどな。
どのジャンルでも婦女子は「なんか買えた」は公式ショップ以外ではやらない(迷惑だから)。やるな。
おちつけ。よくみてかえ。そして予約再販を待て。
そこまで文句いうなら中古同人書店やメルカリなんぞに絶対流すなよな。
ネットで燃やすより紙本を燃やして世界一高いコーヒーでも湧かせばいいだろ。
(うちの本は読み飽きたら燃やさず表紙はがして古紙回収にしてくれるとありがたい。SDGsに興味あるので)
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https://twitter.com/chiboustju/status/1616725205350772738
ありがたいです
https://twitter.com/covermkrinfo/status/1617124886908145664
そのとおりだとおもう
あのねえ、書籍として物質化すること、そしてそれを誰かに手に取ってもらえることのうれしさを舐めすぎ。
きみもわざわざ刷ってみたらわかるよ。
それは生まれながらにわかるやつとわからんやつがいる。わからんやつには本当にわからんから他人にそれを説くのは不毛すぎる……
ところで最近のコミティアの評論島が楽しかったから今回コミケの評論島に行ってきたんだが、メインの目的はコスプレで、最終枠の入場からしばらくコスプレエリアにいたから島に向かったのは3時頃。
コスプレってことで荷物も多くて、メイン目的の評論島がスカスカしてたのは申し訳ないけど正直ありがたく、買う予定じゃなかった本も手に取ることができた。もう読んだけど本当に最高だった。行ってよかった。評論島の楽しみはあらためてジャケ買いにあると感じた。
しかしだね、俺は女性向け創作作者たちに直接話を聞いたことがあるのだが、
「地雷認定女から粘着嫌がらせをされる」のは日常茶飯事とのことだった。
「〇×を書いてた~~さんですよね?なんで〇×民の地雷である△□を書いてんの?嫌がらせですか?」「△□キモイ」「どうなるかわかってる?」という粘着を延々繰り返され、6回はアカウントを転生したそうだ。
思わず「こえー」と言ったら、
「粘着されて転生6回はむしろ少ない」「こんなの普通やで」「当たり前」と、その場にいた作者たちからあっけらかんとした感じで言われてしまった。
「そういうもんだから」というのが、またなんとも凄味があった。
また、数千フォロワーの作者曰く、
サークルが大きくなるとそれはそれで「信者」がつき、この信者がなぜかデカい顔で自治や学級会をしはじめてうざい、という話をしていた。
勝手に自治をはじめるだけならまだしも(それでも相当なストレスだとは思うが)、
「積極的に他サークルに喧嘩を仕掛ける」から困る、と語っていた。
なにやら、そういうロールプレイをするもの、と強く思っているフシがあるらしい。
その場にいた人たちはまた同意で、
「好きだった作者が信者のせいで活動を自粛した」「信者に乗せられて他作者の製本をあてこすったり、上から目線の言動をするようになった」「限定本をやたら出すようになった」等、いろいろな証言を聞いた。
色んな証言と言っても、
これがまたネットでよく見る「女オタ界隈ってやばいよね~」という「噂話そのまんま」のありきたりな事例ばかりで、
それに二重にビックリした。
ああいうのは大袈裟な悪口だと思ってたんだが、そうじゃなかったんかい。
こういった連中が「地雷認定」をしたり、「あいつは検索避けをしていない」「金儲けしか考えてない」「他人様に迷惑をかけてるからあの作者はクズ」という足の引っ張り合いの場外乱闘をしていて、
やりたくてやってるわけではないが、ルールを明文化したり警告を時折出さないと、ファンが暴走するそうだ。
一番いいのは、信頼のおける「委員長」みたいなファンに、その他のファンを仕切ってもらう事らしい。
そのために、知り合いに「重鎮ファン」のふりをしてもらって、SNS上でアピールしてもらってる、という人もいた。
ちなみに、学級会でよく言われる「一般人に迷惑をかけるから」という感覚は、おそらくみんなないだろうとのこと。
「専門ショップであんなに堂々とBLコーナーや○○作品特集!ってやってるんだから、そういうのは元々薄いよ」らしい。
本心としての「地雷」というより、党派性や政治的アピールでの「地雷」なのだろうし、
「実際にサークル活動してたら絶対に出会う」という話を聞いたので、一応書いておく。
ちなみに、この話は俺から聞き出そうとしたわけではなく、同人作者たちがいる場で突発的に女性作者たちの愚痴大会がはじまって、それに合わせて質問していった形である。
2位:anond:20061214085342(155users)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20061214085342
JASRACっていいとこ一つもないし、JASRACのせいで音楽業界は成長できなくなってるよね。音楽に関わる仕事をしようと思って入社した人たちは今どんな思いなのかな?
まあ、似たような話が沢山あるし、違う話ではリアルタイムにもめているのが話題になったこともあるし、胡散臭さは何故ワイドショーに流れないのか不思議なほど。
そりゃ伝説にもなるなぁ。とんでもねー話や。
金取るだけ取って、アーティストに払っていないって言う話しは田舎にいる私にさえ欲聞く話。突然、何をやったか把握してないのに「演奏したろ金よこせって」電話がきたって前聞いた事あるな。
「大槻ケンヂが自分のエッセイに筋少時代の曲(高円寺心中。もちろん本人作詞)の歌詞を引用したんだけど製本後いきなりジャスラックが「知的財産権は我々にある。使用料をよこせ」って」なにこのうたうた詐欺
やりかねないな
大槻ケンヂがJASRAC「オーケン事件」の真相を語る - 音楽ナタリー
今でも立憲を熱烈支持している支持者、というか信者には特に言うことは無い。
立憲支持の中でも、立憲を支持しつつも「枝野が失脚してから魅力がない」等と言っているような人間。
頭を冷やせ。
あの立憲発足時の熱狂、枝野の空虚なスピーチをそのまま製本して売り出す、
それに飛びつく幸福の科学ムーブ等を見て気色の悪さを感じない時点で罪は重い。
「この国に生きるすべてのあなたへ」「#政権とってこれをやる」の絶望的なお花畑感をそのまま受け止めて
涙を流すほど感動した等と言っていたのも愚かがすぎる。
党内議論は発言の自由ナシ。発言捏造してまで弾圧。カネの管理は急伸左翼に乗っ取られ、宣伝機関に横流し。
そういう政治組織としての基盤・根幹を作り上げたのが福山枝野ラインであることは隠しようのない事実。
細かいことよく知らん一般参加者Aの認識としては、どこかのオタクが作った趣味の二次創作本を買わせてもらってるだけなので、人件費とか細かく考えないし、製本にかかった金額プラス手数料を部数で割ったぐらいのイメージだった。
元々妄想を漫画とか小説みたいな形に昇華しただけの一人で楽しんでた自己満足の産物を、欲しがる同志がいるがためにご要望にお応えして、人様に差し上げることができるような形にするべく綺麗に清書したり、製本したり、あとがきも付けてみたりしてなんか色々整えた上でイベントに持って来てもらってるって思ってるから、人様に差し上げるためにかかった余計な手間賃だけ値段に含めればいいんじゃないの?
最初から売るために二次創作してるパターンはちょっと考えてなかったけど、ご要望はないけど読んでほしいから、布教したいから持ってきた!とかでも同じ感じの値段でいいでしょ。
儲けたくてしたくもない妄想をオタクたちのために創り上げてるなら同人じゃなくて商業行けば?って思うし、それで商業じゃ相手にされないなら作らなくていいじゃん別の仕事で稼ごうってことでOK?
要は学生時代に描いた漫画を教室で交換して遊んでたやつの大規模版じゃないの?大人が友達じゃなく他人を相手に本気でやるとなんやかんや金がかかるよねーってだけで。
まあ、一般参加者は欲しけりゃ買わせていただくだけだし、そのときに値段が高くて手が届かないとか躊躇するってことであれば残念ご縁がなかったおしまいでいいよね。
売れたら電子だろうが紙本だろうが、
原作者からの訴状よりまっ先に税務署がきて、所得税納税して!なんなら消費税も!嫌ならインボイス守って!っていってくるからがんばってね。
あとFOLIOっつうサービスあるやで、お前にはブタに真珠な知識だろうけど。
なお当然ながら俺のいるジャンルのことを教えてやる気はない
(東方なんてまだやってたんかw もともと原作も同人出身なのにそんなにキツめに言ってるってことは界隈でそうとうやらかしが出たな。
電子で元ゲームのクローンごと配布しようとするとか。そりゃまあいちいち確認できねえし電子一括でやめろ、くらいいわせてやれよ)が、
エクセルがどうとかまあ、その年以降も持続可能ならいいんだけどね。
年によってスキルも考えもバラバラな人が集まるから、仕事とは違った難しさがある。
広報ひとつとってもイラレ使える人がいる年といない年では作業が違ってきたりする。
PC使えない、つか家にないとこが多い地域に引っ越したら、広報紙はほぼ手書きでモノクロコピーで作ってたりとか。
大量にコピーしたものを何百部も手折りして製本するのよ?T会員、つまり先生も駆り出して。
これにはさすがにびっくりしたわ。テスト直前で忙しい時期によ?
でも結局手書きでコピー印刷という形しか持続可能じゃないのよ。この地域では。そこまでして発行するか?という意義は別としてね。
私が超個人的な理由で欲しいと思い、完全に自分で楽しむために作ったので、誰にも売られることはないし誰の手に渡すつもりもない。
インターネットでバズり、有名になったnote・はてな匿名ダイアリー(俗に言う「増田」)・はてなブログの記事をコピーアンドペーストし、書式設定を整えて文庫本サイズに編集した。
以前からCiNiiなどで興味を惹かれる論文を見つけてはA4紙に印刷してホッチキスで留めて紙として保持して読んでいた。
理由は3つある。
三つ目は「とにかく文章を読みたい」。
率直に言うと、今回の本に関して、前者2つの理由は全く関係ない。ただ長い文章を読みたかったから紙として本を作った。別に記事をブックマークするに留めてもよかったのだけど、やっぱり記事は削除とかもされるだろうし、そういう事態が起きたときに、どうせ別の長文を読んで満足するだろうと思いつつも、やっはりあの時読んだ文章を読み返したいと思いはするので、これは紙に印字して物理的に所持しておいた方がいいだろうなというのがあった。
書式・タイトル・偉そうに序文まで書いたが、それ以外は全部他人のものだ。だから褒められたことではない。
だから超個人的なものだと書いたのだ。万が一この本を欲しいと思ったところで、そんなところに金を出すくらいなら自分で編集して一冊印刷してもらう方がはるかに安い。製本直送で印刷を依頼した。書式はイズナを使用し、メモ帳にまとめた全ての文章を一括でpdfに変換し、そのファイルを送った。pdf並びにtxtファイルの保存はいずれも有るが、誰にも渡すつもりはない。これは本来そういうものではない。
正直、このことは自分のブログで書きたかったがやめた。ここが自分の弱みだ。肝心なところで日和るんだ。
増田であっても特定はされるだろうが、ある程度時間はかかるだろうし別にいいや。
他人の感情を、わざわざ紙に印字するだけに飽き足らず、わざわざ本にまでして、わざわざそのことをインターネットに報告してしまうような変態野郎なんぞ、自分一人で十分だろ。
よく見るしそもそも製本代にプラスしている意味もわからん。オリジナルならわかるが
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11190934701
前回とあるイベントで初のサークル参加をしたのですがその時出した小説本(200ページA5)1000円で出したのですが他の参加サークルさんに「安過ぎるから迷惑」と呟 かれてるのを見てしまいました。
結局価格設定したのがイベント前日でそのままの価格で当日イベントに参加したのですがやはり安過ぎるものなのでしょうか?
初めてで価格設定でよく分からず製本にかかる金額に100円程プラスした金額にしたのですが通常ならどれくらいの値段での配布が良いのかご意見お願いします。
そういえば「エホバの証人」の日本支部(神奈川県海老名市)にずっと興味がある。
「聖書に興味はありませんか?」と言って各家庭を回る布教で有名な「ものみの塔」「目ざめよ!」などの冊子を刷ってる大規模な印刷施設があって、毎時9万部の雑誌を生産できるらしい。「ものみの塔」は世界一の発行部数の刊行物だそうだ。
とはいえここ10年以上、新宗教はどこも右肩下がりで、エホバの証人の布教冊子も大幅に部数減しているらしい。文化遺産として保護されるような施設ではないし、そのうちたいした記録も残らないまま規模縮小してしまうのではないかと思う。
印刷製本工程は住み込みの奉仕者を中心に行っていて、それなりの技術者でなければできないハードな仕事だと思うけど、ネットで見た情報では月々の支給金は1万円程度だそうだ。年中無休で保険や年金もなし。たぶん高齢化が進んでいて、辞めた人々がどういう待遇になっているのかも気になる。
あった・なかった以前の問題で、言ってることやってることそれ自体が無茶苦茶なのだ。
どれほど無茶苦茶で出鱈目なことをやっているか、一例をあげよう。
西岡昌紀、木村愛二という1990年代にホロコースト否定でちょっと話題になった人がいる。この二人は、ホロコースト否定の仲間である。
私は西岡とTwitter上でつい最近やり取りした。必要以上に詳しい内容は書かないのでそんなもんだと思って読んで欲しい。
西岡の本に否定論界隈では有名な話が載っている。「137人のドイツ人捕虜の睾丸が修復不可能なほどアメリカ兵によって蹴られた」という虐待話である。その話自体はどうでもいいので割愛する。
この話が、いったいどこに書いてあったのかがポイントだ。
この時は西岡本を読んでなかったので、西岡のブログしか知らなかった為、「文献名も知らないのに読めるわけねーだろ」と私は噛み付いた。
すると、西岡、文献名を示した。後でわかったが、その文献名は西岡本に書いてあったそのままである(実際には一文字抜けてたが)。
ところが、どういうわけかなっかなか見つからない。でも、Googleさんは偉い! ちょっとくらい単語が違っても似たような候補を勝手に探してくれるのである。
それは、アメリカ合衆国の政府サイトだった(ちなみに彼らの著書の執筆時である1990年代には存在しなかった)。
そしてそれは確かにあった。しかし、資料名がかなり違う。西岡の言った文献名の「Report」は実は「Record」だった。しかもそれは、正しく記述したとしても、文献名そのものではないのである。
実は、西岡が書いた文献名は、その資料のいわゆるヘッダーに記載された文字だったのである。
どこの世界に、文献名ではなく、ヘッダーを記載するバカがいる?
なぜそうなったのかは、実はその資料、木村が西岡にそのコピーを渡したものであり、木村が国会図書館で簡単に見つかった!と自著で豪語していた資料だった。
つまり、木村は西岡にきちんとした文献名を伝えなかったのである。そして西岡は木村に確認もしていない。ヘッダーに書いてあったからそれをそのまま脚注文献名に書いたのだ。アホか……。
木村は西岡に「ここにあのネタが書いてある」しか言わなかったに違いない。
私は、西岡に怒った。違う文献名を書くとはどういうことだ? と。でも西岡は、木村が国会図書館にあると言ったから、とか言い張るのである。お前著者だろ? 文献名も知らないで自著に全然違う文献名を記載したのか? と文句言ってやったが、まだわかってないようなので、私は今度は国会図書館をネットを通じて探した。
ところが。
正しいと思われる文献名で検索しても、まるで見つからないのである。この辺の事情はちょっとややこしい。アメリカの政府サイトの文献名が正しいとは限らないからだ。その文献名はあくまでも、ネット上の資料を示している。
それで、文献名の単語の組み合わせを工夫したりして、延々と探し続けたが、今度はそうすると、ヒット件数が多くなりすぎたりして、どれがどれだかさっぱりわからない状態が続いた。
イライラしてきた私は西岡に「木村のやつ嘘ついてんじゃねーのか? 国会図書館に見つからないんだが」と言ってやったが、西岡の木村に対する信頼は揺るがない、絶対にあるはずだという。
そこまで言うならと、国会図書館に直接問い合わせていやったら……あった。しかし、外部からは絶対に検索できない文献名だったのである(国会図書館もどうかしてると思うけどw)。
見つかったので、正直言えば、ある程度は嬉しかったが(自力で苦労して見つけたから)、それだけ苦労させるとはどう言うことだ? お前が知ってなきゃおかしーだろ? と西岡に噛み付いたらやっと西岡は謝ったのである。
だが、疑問は終わっていない。その文献は、アメリカ議会記録というもので、議会での議論を記録するものである。アメリカ政府は1800年代から延々とずっと記録し続けている(大抵の国はそうしているが)。そして適当な日数分ごとに製本してまとめて保管している。
だから、膨大な量の議会記録が存在するのである。一冊あたり、私が見つけたその冊子だけでも一千ページはゆうに超える。それが数えきれない冊数が存在する。
もちろん、「137人の睾丸」事件のあった年代はある程度は絞れる(これ自体は別の本に載っている)。しかし、それでもどう考えても何千ページもの記録から探し出さねば絶対に見つからない。
と言うよりも、その情報が議会記録にあるとどうして知ったのだ? もちろん時期も含めて。
つまり、木村が自著で豪語したような「簡単に見つかった!」は絶対にあり得ないのだ。それは誰かから情報をもらったからとしか考えられないのである。多分、その情報が上院議会のある特定の日の議論にあるとだけ教えてもらったのだ。
そんなもん、英語さえわかれば誰でも簡単に見つけられるわ!バカタレ!
それは、細かくいうと第95巻のvol.1という108ページ分の塊の中にある、冒頭ページから20ページ分くらいのところにある情報だったのだ。
俺でもあっさり見つけたわ!バカが!情報を知っていたからだ。西岡の言ったヘッダーにある日付分だけを探したのである。
どうして、そこの情報を欧米のリビジョニストから教えてもらえたか(もちろん知り合いだからだが)、は簡単に理解し得る。欧米のリビジョニストの多くがお気に入りにしているネタであり、元ネタの記載が事実上そこにしかないからだ。
元々はある古い雑誌の記事なのだが、1949年当時、議会の中で、その記事のことが話題になり、議会記録に記録することになったからである。
当時の雑誌を入手するのはアメリカ人ですらかなり難しいそうだ。
が、有難いことにある程度の規模の図書館なら、議会記録は存在するので、アメリカ全州で簡単に確認可能なのである
日本でも、国会図書館にだけは存在する(その後調べたら、戦後占領政策をやったGHQが米国政府議会記録を日本の国会図書館に保管するようになり、この業務が停止されず延々と続いたそうだ。ただし、今はアメリカ政府のサイトで容易に閲覧可能なので、近年の議会記録については国会図書館に保管はされていないと思う)。
このことを知っていたら、情報だけで日本人も容易に見つけられる。
ところがまだ話は終わらない。
西岡とこの話を最初にしていた時、私が言いたかったのは、上院議会のことではなく、その事件に関する公聴会の報告記録の方だった。ところが、西岡は上院議会と公聴会の区別がついていないのだ。だから、西岡は自分が所有している木村からもらった上院議会記録のコピー用紙の中に公聴会の記録もあると、訳のわからないことを言うのである。
そんなもんある訳ない。だって、公聴会の報告記録は上院議会記録とは全く別のものである上に、議会記録は日本にも関係するから国会図書館に所蔵するとしても、細かい公聴会報告までいちいち国会に所蔵するわけがない。しかもその公聴会報告は「137人」事件を否定するものでああり、リビジョニストが知っているわけがない(知ってたら、リビジョニストに都合の悪い話だから、自著に絶対に137人事件は書けない)。これを何度言っても、西岡は理解しないのである。
こんな連中の書いた本の内容を、どうやって信じる? だから否定論は出鱈目なのだ。あった・なかったの問題のレベルではないのである。欧米のリビジョニストの論文も幾らか読んだけど、まじで酷すぎるよ。フォーリソンなんか読んでるこっちが頭がおかしくなりそう。ただし、基本的な文献名などの記載は、欧米の方はしっかりしてる。西岡・木村よりはその面では欧米の方が信頼できるけどな
※知的障害を持つ子供と親について、またそういった子供を産むことや育てることについて、比較的マイナスな内容です。不快に思う方もいると思いますので自己責任でお読みください。
インスタのおすすめ欄を見ていたら、軽度の知的障害を持つ娘を小学校の普通学級に通わせてるお母さんの投稿が出てきた。その子はクラスで孤立していること、授業の指示を理解できていないという報告をサポーターの人から受けたらしく、学校に行って状況を改善するよう話をしたいという投稿だった。
これを見て、ふと小学校の時に同じクラスにいた知的障害を持つ男の子のことを思い出した。その子、Aくんは、授業中、授業に関係ないことを唾を飛ばしながら話し、正面を向いて座れないのかいつも横向きに座っていた。国語はからっきしだったが算数が得意で、足が早くて、ドッヂボールが好きだったと思う。正確に覚えていないけど、小学校までは普通学級で過ごして、中学は支援学級に通っていたはずだ。
当時の担任の先生は、大人になった今考えても非常に真摯に生徒に向き合ういい先生だった。私も当時3ヶ月ほど入院したことがあるのだが、他県の病院にいた私のもとへ平日の放課後にお見舞いに来てくれるような先生だった。何を話したかは覚えていないが、クラスの皆に手紙を書かせ、きれいに製本し、お花と私の好きだったキャラクターの小さなぬいぐるみと共にプレゼントしてくれたのを覚えている。その先生はAくんにも目をかけ、目に余るようならば厳しく叱ったりするものの、しかし他の生徒と良い意味でも悪い意味でも同じように接した。そのため私たちもAくんのことについて「変わった子だな」とは思いつつ、Aくんが障害を持っていることは成長するまで知らなかった。察している子もいたかもしれないけど、少なくともあらゆることにおいて「障害があるから」ということを理由にしない先生だった。田舎の学校なので、私も含めクラスメイトたちはなかなかいい子ではなかったけれど、注意することはあれど、強い言葉で怒ることはしなかったし、ましてや手をあげることは一度もなかったから、幼いなりに先生を尊敬していた。
その先生が、唯一大きな声を出して、たった一度だけ、されど一度、手をあげた相手がAくんだった。詳しいことは忘れてしまったけれど、Aくんの腕を掴んで廊下へ連れて行こうとする先生の目がなぜか潤んでいたのは覚えている。
ところで、私は小学校から歩いて子供の足で30〜40分ほど離れたところに住んでいた。家が遠いので、近くに住む幼馴染と一緒に登下校していたのだが、幼馴染のクラスは私のクラスに比べて帰りの会が終わるのがかなり遅かった。そのため、私はよく廊下で幼馴染を待っていたのだが、ある時、ふと忘れ物をしたことに気づいた。幼馴染のクラスはまだ終わらなさそうだったので、自分の教室へ取りに戻ることにした。教室の電気がついていたので、先生に挨拶しようと思って教室を覗き込めば、先生と誰かのお母さんらしき人が話しているのが見えた。特別聞き耳を立てたわけじゃないが、ドアが開いていたので声が聞こえてきた。Aくんのいることでクラスのみんなに迷惑をかけている、Aくんのことを叩いてしまう、先生にも手を出させてしまい申し訳ない。そのお母さんは泣いているらしく、当時小学校の低学年だったけれど、これは聞いちゃいけない話だと思い急いで戻った記憶がある。
それからしばらくして知ったけれど、その女の人はAくんのお母さんだった。実は私はAくんと6年間同じクラスだったため、私の母とAくんの母は面識があった。私が小学校を卒業してだいぶ経った後、母が酔った時に聞いた話だが、Aくんの母はAくんのことについてかなり思い詰めていたらしい。
Aくんの母は、Aくんを一人で育てていた。私も私の母も、小学校から中学までの9年間、Aくんの父親も、Aくんの祖父母も親戚も見たことはない。働いていたようだし、もしかしたら離婚していたのかもしれない。Aくんの下にいくつか年の離れた妹がおり、それでもAくんのことでクラスに迷惑をかけてしまうからと、学級委員を引き受け、PTA活動にもかなり積極的に協力していた。そういえば、学期末にAくんのお母さんからクラスのみんなにお礼と言って高そうなお菓子をもらった気がする。とにかく、Aくんのお母さんは周囲の子供や先生、保護者に常に頭を下げていた。授業参観も懇談会も行事も、常にAが迷惑をかけて申し訳ない、と言っていた。母は詳しく話さなかったが、AくんとAくんのお母さんについて、冷たい言葉を浴びせる保護者もいたらしい。私は特別Aくんと仲がいいわけではなかった(そもそも性別が違うので一緒に遊んだりはしなかった)が、Aくんのお母さんは授業参観等で私に会うといつも疲れた笑顔で「いつもありがとうね、Aが迷惑かけてごめんね」と頭を下げた。小学生の私は、大人の女の人から頭を下げられることなんてなかったから、なんだか不思議な気持ちがした。
私は現在20代になり、友達との会話も、結婚や子育てについての話題が出るようになった。特に仲良い友達は子供好きで、最近お兄さんの子供が産まれたらしく、自分も結婚して早く子供欲しい、そのためには彼氏を見つけなきゃね、と笑っていた。私に子供ができたら、自分の子供と遊ばせよう、と。
彼女は当たり前に自分の子供が健常児であると信じており、私の子供もそうであると思っている。私もそう思っていた。でも、Aくんのことを思い出すと、もし自分の子供が知的障害を持っていたら、と考えてしまう。わたしは、自分の子供のために尽くせるんだろうか。Aくんの母親のように周囲に常に頭を下げ、言うことを聞かずに周囲に迷惑をかける子供を躾け、周囲の心ない態度にも耐えることができるんだろうか。私がもっと人間的に成長すればできるのだろうか。今の私よりはるかに人格者だった担任の先生ですら、手をあげたのに?
子供は可愛いと思う。昔は苦手だったのに、今は赤ちゃんをみると思わず笑ってしまう。自分が産むのは痛そうだし怖いけれど、好きな人の子供を産むのは素敵だとも思う。でもそう思えば思うほど、もし障害を持っていたらと考えてしまう。その子の父親となる人は、私の両親は、友達は、理解を示してくれるだろうか。一人で育てることになるとしても、私は自分の子供を育てられるんだろうか。もちろん健常児でも同じ不安はあるけれど、障害児なら尚更、自信がなくなっていく。
知的障害の子供を捨てる方法はないらしい。親や親戚に育てられる環境があるなら、施設にはそう簡単に入れないという。産んでもし障害児だったら。もしくは、産まれたときは元気でも、後天的に障害を抱える可能性もある。そうなったら多分、私は捨てる方法を探してしまうかもしれない。子供を育てられる自信がないのはもちろん、わたしはAくんの母親のようにはなれないしなりたくないと思ってしまう。
こんなことを考えている私は多分子供を産む資格はないし、年齢的にもまだ産む予定はないが、子供を産んだ親は皆こういう悩みを乗り越えているのかな。それとも私の友達と同じように、自分の子供が健常児でないなんて想像もしていない?
ネットで検索すれば綺麗事は沢山出てくる。色々考えて、乗り越えて、幸せに暮らしている家族だってたくさんいる。だけど、自分が母親になれるような年齢になってから、Aくんの母親が忘れられない。優しい人で、でも小学校の後半は、子供の目から見てもやつれているのがわかった。彼女はどんな気持ちで、私たちと関わっていたのだろう。
Aくんと母親が今何をしているかは知らない。ただ、Aくんが楽しく過ごせて、あの母親がもう頭を下げなくていい生活をしていたらいいと思う。
1/27 1:22
注目エントリに入ってるのを見てビビり、タイトルがあまりに露骨だなと思ったので変えました。本文も誤字直したり付け足したり。
本文に書いたように、どんな子供であっても自分の子を捨てるかもなんて考えをしている時点で私は子供を持つ資格はないと思っています。私の子がどうこうというより、障害を持っている子供とその周囲について、実際に見たことを思いだして、世の中の人はどう考えているのかなと疑問に思い書きました。不快な思いをした人はすみません。問題があるようなら消します。
1/27 13:48
起きたら人気エントリに入っててさらにビビりました。たくさんの反応ありがとうございます。
編集でタイトル変えても別のところ(ブックマーク?)では変わらないんですね。増田に書くのが初めてなので知りませんでした。消さなくて良いよと仰る方が多く安心しましたが、一部タイトル含め不快な思いをしてしまった方もいるようで、配慮が足りず申し訳ありませんでした。
私は親になったならばその子がどんな子供であれ幸せにする責任があると思っているので、福祉の充実も含め、親が二人(もしくは一人)で育てていかなくてはいけないという体制がもっと良い方向に変化して欲しいなと思っています。勿論今も私の子供の頃に比べたら支援等かなり良くなっていると思うのですが、やはり世の中のお父さんお母さんでそこまで考えて産んでる人は少ないと思いますし、それこそ私の友人のように健常を前提として子供を産んだ親や、子供が産まれた後なんらかの事情で障害を抱えた場合、すぐに「それでも我が子だから頑張ろう」と育てていける人ってかなり少ないと思います。これはもちろん健常児の場合も同じで、健常児だから楽というわけではないことは承知しています。ただ、親が正直しんどいと思った時、育てるか捨てるかという二択ではなく、少しでも子育てをお休みしたりできるシステムがあれば、親になりたい、もしくはなりたかったけど、という人も子供を持ちやすくなるしいいと思うのですが、これは子供からしたら親と離すなんて可哀想、という意見も出そうですし難しいのかな。まとまってなくてすみません。
同じような不安を抱えているよ、と書いてくださる方が多くて嬉しかったです。また厳しい意見もありがとうございます。実際に体験した話もそうでなくても、皆さんから意見を読むことで、自分の中のモヤモヤしたものや記憶が整理されていく気がします。私はまだ社会に出たてのペーペーなので、まだ結婚出産といったものはぼんやりとしたイメージしかないのですが、どんな選択をしたにしろ、自分も、産むとしたら自分の子供も、幸せであるように全力を尽くしたいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。