はてなキーワード: 事業所とは
台風の前には「お風呂に水を貯めておいて」と言われるが、地震は予測不能。
そこで、ALPSの処理水を断水時のトイレ水洗用水として備蓄しておいてはどうか?
現状の海水によるトリチウム希釈でなく、水道水でトリチウム希釈して2リットルPETボトルに詰めて6本入り段ボールに収めて。
その2L6本入りケースの「ALPSのトイレ水洗用備蓄水」を、東京電力管内の自治体や事業所またはご家庭にご購入いただき保管してもらう。
「ウチのトイレはタンクレスだから使えない」って?ならロータンクトイレへの改修補助金を東京電力か管内の自治体が出せば。
なんなら普段使いしても構わない。
「東京電力の原発廃炉に協力したい」って姿勢をアピる為に、購入したALPSトイレ備蓄水の段ボール箱を撮ってSNSにupし、ALPSトイレ備蓄水のPETボトルをトイレのロータンクに注ぐ様子を撮ってSNSにupすればいい。
なんならトイレ以外に使っても構わない。
「風評被害に走る隣国とは違うんだ」って姿勢をアピる為に、購入したALPSトイレ備蓄水の段ボール箱を撮ってSNSにupし、ALPSトイレ備蓄水のPETボトルを自宅の洗濯機に注ぐ様子を撮ってSNSにupすればいい。
派遣の3年ルールって、全ての派遣に適用されるんだと思ったら違ってた。
3年ルールとは、「同じ事業所で3年超えて働くことが基本的にできません」と厚生労働省が定めた規則です。
同一の組織単位に3年間継続して派遣される見込みがある派遣労働者は、派遣元から雇用安定の措置を受けることが可能です。
この3年ルールには「派遣先事業所単位」と「派遣労働者個人単位」の2種類があり、それぞれ内容が異なります。
「派遣元で無期雇用されている派遣労働者」や「60歳以上の派遣労働者」は期間制限の対象外です。
派遣雇用には、期間を定めた有期雇用と期間の定めのない無期雇用があります。
同じ事業所の同じ組織で、3年以上継続見込みのある派遣労働者が、無期雇用派遣として雇用された場合、3年間の制限を受けることなく就業を継続できます。
また期限がはっきりしているプロジェクトや、日数限定業務、産休・育休・介護休業などを取得している人の代わりに働く場合も、3年ルールに該当しません。
https://www.openupitengineer.co.jp/column/temporaryemployee_recruit/267
派遣会社の正社員と言っても、派遣先では「派遣社員」として下に見られてしまう。
働き方として派遣社員の方が気楽と言う人も居たけど、やはり派遣は差別、迫害を受ける。
とんでもなく仕事の出来ない派遣社員、社会性のない派遣社員がいたりして、
それが全てではないのに、派遣社員の代表みたいに扱われてしまう。
やっぱ派遣社員にはなりたくないよな。
“この問題を、後のマイナポイントも出している健康保険証としての利用申込み時に、確認を促せていたらスマートだったのですが。”
「マイナポータルを見ろ」とはずっと言ってきていたの。「マイナポータルで他人の情報が見えた時点で情報漏洩」なんだから実はスキームが間違ってたの。申請者本人の手持ちの保険証のイメージを申請者本人から出させて照合すべきだったの。そこで尻抜けても情報漏洩直結なんだけど、元からないよりはずっとマシだったはずなの。
“協会けんぽがマイナンバーの収集を依頼した令和3年当時は保険証廃止が具体化していなかったし、提出しないとマイナンバーカードで受診できないよと周知した(でも保険証での受診に影響はない)のだから、後出しで協会を責めるわけにもいくまい。”
やってるやついねがー!
自分がそうだったんだけど。
まずうまく字が書けない 大人になった今でもひらがなしか書けない こうやってパソコンで打ったり読めるには読めるんだが
小学生の時は分からない字は席が隣の子に全部聞いてた 今考えるとめちゃくちゃ困った顔をしてやばい奴を見る目をしていた
精神科みたいなところに通ったらついた病名はアスペルガー症候群 本当かよ
当然ひまわり学級みたいなのに入れられるんだけどキチガイ扱い いじめはひどくなる一方
そんな感じで小中ずっといじめいじめいじめ 親は気のせいだ、教師はそんな事してないとみんな言ってる
名前が書ければ入学できる通学にめちゃくちゃ時間のかかるアホ高校に入学したらやっといじめは止まった
そんなこんなで高校も中退してとりあえず不機嫌になったら蹴ってくる親が怖かったから機嫌を取るためにアルバイト
でも3か月くらいしたら突然玄関で涙が止まらなくなって足が動かなくなるんだな
当然それを見てた親は甘えるな、早く行けって蹴って催促 家にいて蹴られるよりは頑張った方がいいので頑張って行く
そんな事を繰り返してたら次は蹴られてる方がマシなくらいしんどくなって泣きじゃくる俺w
その足でバイト先に頭下げに行って昔アスペの診断貰った精神科に行ったら ちょっとしんどいみたいですねw って
しばらく通院して毎回よくわかんないカウンセリングして終わり
当然行かなくなる
この辺で一回目の自殺未遂
行ってた病院が信用できなかったから自分でいい感じの精神科に通ってたんだけど、無理になっちゃって貯めた薬全部飲んだ
やっと18歳になったので家出を計画してネットの知り合いとかを頼りに都会に出た
実家では飯食うだけで文句言われて拒食症になったし夜中に友達と通話なんかしたら怒鳴られて蹴られるからとにかく家から出たかった
とはいえ中卒アスペ字も書けない そんな人間が働ける所なんかそうそう無い
家がないならなおさら
なので順当に風俗w
風俗で働く適正はあったみたいでそんな可愛い訳ではなかったけど店舗の稼ぎ頭になれるくらいそこそこ稼いで
家も借りられて悪くない暮らしができるようになった
でも当然頭が働くようにできてないw
また玄関で体が動かなくなったりしたから精神科に行ったら鬱だってw
働くのに向いてなさすぎw
薬貰いながら頑張って働いた
週5出勤してたけど週4、週3と変則的な出勤にしたりしてしんどくならないように調整してた
元々別にそんな流行ってるような店でも無かったし 本当にしんどかった
でも頑張ってた 他に何もできないと思ったから
でもやっぱり無理になっちゃって風俗の出勤帰りに突然滅茶苦茶足が軽くなったのw
今ならタヒねるwwwって
スキップで家に帰って 住んでたマンションの踊り場?共用部分?っていうの?
そこから飛び降りようと思って頑張って柵超えようとしたんだけどあれ結構高いw手こずってたら同じ階の別の住民に見つかったw
俺泣きじゃくって死にたい連呼w住民の男の人必死に俺を抑えて警察呼んだw
警察に連れていかれる俺w はじめてパトカー乗ったwマジで真ん中に乗せられるんだw
一日トラ箱って言うの、酔っ払いとか収容するところで寝かせられた
コンクリート張りだったから真夏なのにめちゃくちゃ寒くって毛布二枚も貰って寝た すごく嬉しかった
朝起きたら檻が開けられて、警察の人が移動しますって 精神科の閉鎖病棟に連れていかれた
閉鎖病棟での生活は本当によかった ご飯もおいしいし、真夏だったから涼しいし、何より仕事の事も自分の事も 何も考えずに済んだ
でもあそこは3か月までしかいられないって国のルールで決まってる
一応貯金があったからもっと安い家に引越ししてしばらく引きこもったけど一人暮らしでそれを続けるのは無理なわけで
このままじゃ無理だって思ったからプライドとか捨てて色々助けてもらおうと思ってひとまず鬱病で障害者手帳を取った
そしたらその過程で衝撃の事実発覚w IQテストの結果が悪すぎるw
療育手帳を取る時に検査とか聞き取りとかをするおじさんの言葉に本当に救われた
字が書けないんですか 本当にいままで大変でしたね
って
めちゃくちゃありがたかったよ 今までそんなこと言われたこと無かった
みんな困った顔をして そうなんですか…?みたいな反応するのにさw
字が書けないってそんなおかしなことで人を困らせるだけなんだなって思ってたからさ
本当に救われた
この頃は結構ポジティブだったから職業訓練みたいなのとかを受けてみようと思って役所とかで手続して担当の人をつけてもらったの
福祉の業者さん?みたいな感じで国の認定受けてる事業所みたいな
いろいろ職業訓練を受ける場所を選んだりしてる時に一応身の上話とかするわけ
今まで生きてきて自分の良いところなんて一つも無かったから福祉の業者さんとはいえ話すのは抵抗があったけど話したよ
そしたらさ、いままでしてきた職業の話になったときにさ、風俗でしか働いたこと無いですって言っちゃったのw
そんな風に生きてちゃいけないよ~ って返されちゃった
今思うとそんなに悪気があって言ったことじゃないんだろうけどマジでショックだった
全部否定された気分だった その日からもう行かなくなった また引きこもった
なんとかお金を工面しようと思って でも何も自分にはできなかったからまた風俗に戻った
続かない 前みたいにコンスタントに出勤もできない 本当に無能なんだと思った
普通のアルバイトもやってみようって思った ことごとく落ちる落ちるw
最初は面接で嘘つくってことできなかったから風俗で働いてましたって言うけどみんな渋い顔をするだけ
なんとかウケを良くしようとそれっぽいアリバイを作るけどまあ見抜かれてたのかな 結局一度も面接に受からなくってあきらめてしまった
動悸や歩けないくらいの眩暈に襲われる もともとやせ型だったのにみるみるガリガリになっていっている
明らかに糖尿病っぽい症状 パスタに醤油と唐辛子をかけて毎日食べるような生活してたからあたりまえだ
おなかがすくから胃に入れる 味も感じないからとにかく調味料だけいれて刺激で誤魔化してた
悪友5人で集まって近所のショッピングセンターや野球場や図書館などの施設に行き、ミニスカートの若い女がエスカレーターに向かったら数メートル空けて尾行し、下から覗いてパンチラをハントするのだ
リーダーのS君はボットン便所の市営住宅に住む貧しい家庭の子だったが、俺たちハンターは彼を慕っていた
研究熱心で、どこの店のどのポジションからパンチラが拝めるか常に研究し、情報を共有してくれていたからだ
俺たちは小汚い彼の家に集まって旧式のパソコンにS君が田んぼで拾ってきたエロ本の付録のCD-ROMを突っ込んで解像度の低いエロ画像を見るのも好きだった(まだインターネットは普及していなかった)
彼の女子高生の姉の下着がそこら中に干してあって見放題だったからだ
小学校は同じだったが学区の関係で離れてしまったという経緯で、気のおけない中だったのは間違いない
ただ、やはり普段付き合う人間が違えば価値観も少しずつズレてくる
その二人は次第に「やばくねえ?」みたいな事を言いだしてパンチラハントを渋りだした
関係が切れた訳ではないが、中2に上がる頃にはハンターとして参加することはほぼなくなっていた
S君は変わらず熱心だった
靴に鏡を貼り付けて能動的にパンツをハントしたり、当時出始めでまだ低性能だったデジカメを何処からか調達してきて、カバンに仕込んで盗撮するまでエスカレートしていた
俺ともう一人残ったJ君はそれをサポートする立場としてS君を支えた
良くないことだという認識はあった
しかしやめられなかった、女子にも大人にも相手にされない田舎の落ちこぼれの中学生にとって、それは唯一の熱中できる遊びだったのだ
その遊びは中3の夏まで続いて、唐突に終わった
S君が亡くなったのだ
S君は父親が運転するバイクに二人乗りしていて事故を起こし、増水した川に突っ込んで死んだ
その後は俺もJ君もパンチラをハントする気分にはなれなかった
いや、そもそも俺とJ君はパンチラハンター以外で絡むことはほとんどなく、クラスも遠くてお互いの家も電話番号も知らなかった
そのまま関係が自然消滅してもおかしくなかったが、夏休みも終りが近づいたある日、S君の姉に呼び出されて二人でS君の家を訪ねることになった
俺とJ君は自転車で合流したもののエロ画像とパンチラの話しかしたことがないからほとんど無言で市営住宅に向かった
俺たちが仏壇に線香をあげるのを、高校の制服を着たS君の姉が後ろで仁王立ちで見ていて、終わると
「きょうはどうもね。あとうちら引っ越すことになったから、あんたらさあ……」と言って二階に上がっていった
話が途中で途切れたのでどうしたらいいもんかJ君と顔を見合わせていると、
「これ、要るでしょ」
といって段ボール箱をかかえて戻ってきた
そこにはS君のコレクションの田んぼで拾ったエロ本や盗撮写真のデータが収められたCD-ROM、それに使ったデジカメ、手鏡、巨大なノートパソコン、パンチラポジションが詳細に書かれたノートが詰め込まれていた
「パンチラハンターなんでしょ。バカだね男って。あたしのパンツも何枚かあげよっか?」
と言って姉はケラケラと笑ったが、俺とJ君は感極まって号泣してしまった
5人で集まって馬鹿騒ぎしていた頃の記憶が嵐のように蘇って、情けないと思うのに涙が止まらない
もう最後には姉ももらい泣きして、三人で抱き合うみたいにして泣いた
遺品はJ君がほとんど引き取った
俺はデジカメだけ受け取って、その場でなんとなく三人の自撮り写真を撮った
しかしちょうどそれでバッテリーが切れたのか、液晶が切れて動かなくなった
充電用のケーブルは見つからなかったということで、無用の長物になってしまったが、一応持ち帰った
帰りの道中、「もう解散かな、パンチラハンター」とJ君に言ったら「いや」と低い声で否定した
J君はその数ヶ月で声変わりが急激に進んでいた
その大人みたいな声が、俺の中に重々しく響いたのを覚えている
家にあるケーブルでなんとか充電できないかと悪戦苦闘していた俺を見て「新しいの買ったほうが早い」と父親が新品のデジカメを買い与えてくれた
これがきっかけで俺は写真にハマり、数年後には東京の某芸術系大学の写真学科に進んだ
一方J君は地元の高専に入り、ソフトウェア開発の道に進んで関西の大学に編入
J君もS君の遺品のノートパソコンで勉強したんだろうと勝手に俺は思ってる
彼とも中学を出てからはあまり関わりはなかったが、盆とか正月には地元で会って近況報告くらいはした
俺たちは氷河期世代ど真ん中で、その後の人生もうまくやれたとは思わない
まもなく中学時代の同級生の女と結婚したが、すぐに事業所縮小でリストラの憂き目にあい二年で離婚した
噂によるとその後また再婚したみたいだが、コロナ以降は一度も会っておらずどうなったかわからない
俺は大学を出てからそこそこ有名な写真家に師事したが芽が出ず野に放たれた
しかし写真は諦めきれず、不動産屋の広告に乗せる新築マンションの写真を撮る安い仕事をもらって東京の安アパートで何とかギリギリ生きていた
仕事中、高級タワマンのエントランスの長いエスカレーターをみると胸がざわついた
地方でカメラマン崩れに仕事はなく、高齢者に混じって非正規の警備員をやっている
施設警備をしていると、エスカレーターの下で怪しい動きをする男の子たちを見かけることが有る
「お前ら、バレバレだぞ」
いたたまれなくなって諭すと、「うっせージジイ!」と悪態をつきながら逃げていく
そう
J君の実家はもう取り壊されていて無くなっている
調べれは引越し先も調べがつくと思うが、あえてそうしようとは何故か思わない
今朝、夢にJ君とS君の姉が出てきた
女子高生のままのS君の姉が「あたしら結婚したから」と照れくさそうに言っていた
こちらは若くはなく、最後に会ったときの熊のような髭面メガネだった
「証拠見せようか? ほら」
最近見てなかったけどこの人が持ってたのか、と夢の中の俺は思う
液晶画面には、俺が撮って一度も見ていない三人の自撮り写真が表示されていた
しかも、中央の俺が無邪気に自撮りしている後ろでJ君とSの姉が手を握って見つめ合っている
この頃から繋がってたのかよ、と夢の中の俺が思う
「そうだよ。確かめてみな」
目を覚ましてから、押入れの中身をひっくり返してあのデジカメを探した
昔は知識がなくてどうにもならなかったが、充電器などなくても記録媒体を取り出してマルチリーダーで読めばデータは吸い出せるだろう
しかし見つからなかったし、そのことで必要以上に感傷に襲われることもなかった
ただこれだけは言っておかねばならない
2022.05.13
特に、一番、分かりやすいのが「環境整備」という名の掃除です。
始業時間前に会社や周辺の掃除をするという物なのですが、これを強制はしてないのですが、ほぼ強制しています。
それ以外にも、始業時間前の勉強会も非常に重要視されています。
これらについては、私は本来であれば、やったほうが良いことであると思います。
仕事として、スキルを上げる、意識を上げるためには、有効な経営手法だと思います。
しかし、これらについて私が労務についての意識が高まっていた今から8年ぐらい前に労務専門の弁護士に以下のように聞いてみました。
【随時更新】株式会社武蔵野のパートナー企業一覧!小山昇のコンサルが洗脳でやばかった…
https://messiah-project.com/musasino/
そら今まで放置されたわけか。
全部とは言わないが、急成長してたらやばい。
https://togetter.com/li/1882665
大山落 @ooyamaotita
「社長が変われば会社は変わる!ホッピー三代目、跡取り娘の体当たり経営改革」という自著の中で、副社長だった2007年当時、製品のグレープフルーツサワーに細菌が混入する社内汚染が発生したことを記しています。
「洗濯機の調子が悪くなり始めたので、試しに洗濯板を使ってみた→イメージしてた使い方と全然違って驚いた」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2188096
要するに洗濯板に擦り付けるのではなくて、波板の上で布同士を擦り合わせ揉み洗いするのが正しいという主張だ。
それに対して「ゴシゴシするものだと勘違いしてました」とのコメントが並ぶ。
いやいや、擦り付けで正しいのではないか?
というのも、昭和の2槽式洗濯機には小さい洗濯板が付いていたものがあったからだ。
脱水槽の蓋が閉まっててチラとしか見えないのが残念だが、これを見て欲しい。
https://www.kajitaku.com/column/dry-cleaning/3331
洗濯槽と脱水槽の間にギザギザが見えるだろう。これは洗濯板で、がんこ汚れをここでゴシゴシするためのものだ。ここで揉み洗いというのはナンセンスという事が判るかと思う。
これは上から下まで全面に凹凸が入っているが、もっと多かったのは洗濯槽右下の隅切り部分に斜めにチョットだけ凸凹が入っている形式だ。靴下とか襟とかを擦り洗いするのに適していた。
厨房などでは未だに2槽式洗濯機の方が人気がある。どのみちそばにずっと人がいるから移し替えも気にならないし洗濯水を使いまわせて融通も利く。更に水場においても壊れにくい。
更に昭和の日本製家電というのは耐久性が今から見ると異常でオーバークオリティなほどで、水場に置いて家庭の使用頻度の10倍くらい酷使してるのに30年以上持つというタフさである。
折れたダイヤルが平成デザインのものに交換されていたりする。これは平成洗濯機が先に壊れて昭和機の部品取りにされたという事を意味する。
だから厨房や事業所などでは洗濯板が付いた洗濯機が平成中期でも残っていた。そしてそれらの洗濯板部分は摩耗して穴も開いていた。これはこすり洗いされまくったという事だ。
因みに昭和40年代までの洗濯機は1槽式+ローラー付きだが、これにも洗濯板が付いているものがあった。
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=61877998
これも、この上で揉み洗いするという動機はなくて、ここでゴシゴシとこすり洗いする為のものというのが判るかと思う。
こういう補助的洗濯板が消えたのは洗剤の進化による。固形石鹸から合成石鹸へ、そして洗濯機のメインストリームが2槽式→縦型全自動→ドラム式と進化してそれに合わせた洗剤が開発されて「いちいち部分的に手洗いする」という必要がなくなったのだ。
今の時代にこういう事をわざわざやるのが金になるのがYoutubeのDIY界隈で、DIYの裾野が広大なのが英語圏なので、こういう時は英語で検索するのがいい。
https://www.youtube.com/shorts/W1KKCwEUVJc
これなども擦り付け洗いしているだろう。ほかにも沢山動画があるので「how to use washboard」で検索してみるといいと思う。だれも揉み洗いとかはしていない。
ただ、後述するが一枚づつこすり洗いしてるのは下手だと思う。
米をとぐときに水はどれぐらい入れるだろうか?米が浸るヒタヒタぐらいでといで、すすぎの時は水を沢山使うだろう?
これはヒタヒタぐらいでとぐのが一番効率がいいからだ。水が多いと米が動いてしまってとぎにくい。水が少ないと米表面がこすり合って良くとげるのである。
容器の中を洗浄するのに小石などを使う場合も然りで水は少ない方が洗浄力が上がる。
洗濯板の上で揉むというのも同じで、水の中で動くよりも布同士がこすり合い、同時に潤滑材として機能して滑りやすい、水ヒタヒタの状態が一番洗浄力が強い。このヒタヒタを維持しやすいように凹凸はカーブしている。真ん中に水が集まり易いからだ。
この状態で一番下に布の一部を敷き、その上を滑らせる形で他の部分を動かすとこすり合わせれて汚れが落ちる。これが一般的な使い方と思われる。
なお、洗濯板を使う場合は最近主流の液体洗剤は適さないと思われる。というのも最近の洗剤はドラム式に最適化されていて泡を殆ど出さない。
だが洗濯板では泡が潤沢に出ないと滑りが悪くなってダメなのだ。下に敷いた布がめくれてしまう。布も痛みやすい。
もとスレのtogetterではマンガの描写からこすり洗いでなく両手で揉み洗いが正解と導き出されているが、マンガの描写が正確、精密になったのは劇画の流行を経てその手法が吸収された1970年代以降なのだ。
劇画の嚆矢は昭和30年らしいが、これが一般化したのは団塊世代が青年であった昭和40年代/1965年~70年代である。
団塊は「大人になってもマンガを読んでる世代」の走りだったが、それは「大人の鑑賞にも耐える」を志向するマンガが流行したためでもあった。
初期の劇画は『カムイ伝』のようにコマ割や表現が映画的/ハードボイルドで人物画は「劇画チック」というだけだったが、やがて描写が緻密になっていく。例えば最初期のゴルゴ13は背も低くマンガテイストが残っていて今見ると滑稽だ。だが巻を下るとその描写は緻密で正確になっていく。
70年代末には劇画はやがて下火になっていくが、今度は青年漫画などに劇画の手法が輸入されるようになっていった。
有名なのは手塚治虫の『ブラック・ジャック』で、「マンガの神様」手塚は、しかし昭和40年頃になると丸っこい子供向けマンガしか描けない前世代の遺物のような扱いになっていった。
そこで手塚は医学書や解剖図を読み漁って人物は丸っこい細部が緻密な描写のフィクションを作り上げ、復活を果たした。これはさいとうたかおが後に極めることになった劇画の手法である。
三種の神器と呼ばれた洗濯機が低価格化して多くの家庭に導入されたのは昭和40年前後である。
つまりマンガで緻密に作画がなされるようになった頃には洗濯板が一掃されていたのだ。
「作画崩壊」は昔は無かった。劇画の手法が輸入される1970年代末まで人物が走る時は弓線と足二本で表現された。
洗濯板も然りで板と石鹸と手と泡描いたら洗濯が表現された。劇画ではこれの表現はNGだ。そして現在のマンガは劇画ルールが導入されているのである。
こういう訳で「洗濯板の上でゴシゴシ」が正解と思われる。但し、一枚だけを凹凸に擦り付けるのではなく十分に泡立てて凹凸の上の布の上で布を滑らせて布同士を擦り合わせる。
一番まずいのは、ノンフィクションマンガなどの描写に難癖をつけて「擦り洗いはしない、揉み洗いが正解」とネットで聞いた事との相違のクレームを入れてしまう事だ。
ノンフィクションでは資料を揃えて居る事が多い。その執筆態度は劇画に始まるものであり、洗濯板が現役だった頃にはその影響がまだなかったというのが今回の誤解の原因である。
被害者意識強いのか、人から強火な意見を言われると萎縮して何も言えなくなる。
直接顔見て話していると尚更言葉出てこなくなり、相手をイラつかせてしまうばかり。
今日も転職の相談をパートナーにしたら「悪い面だけ見て転職してもどこ行っても同じでは?」と、
こちらのプロセスぶっ飛ばして正論ブレード投げてこられて思わず「正論だけ伝えられてもこちらの逃げ道がなくて怖い」とわけわからん事を言ってしまった。
ただ普通に、「上司からセク・モラ・パワの3大ハラスメント受け続ける生活は嫌、業務に忙殺される日々+休日出勤も強要される生活を生涯続ける自信はない」と伝えればよかったのに。
「ただ周りの人が優しいだけでは自分を守れない、なるべく無理なく働きたい」といい面だけで悪い面をカバーできないと伝えればよかったのに。
というか自分のいる事業所がかなり操業破綻していて働くのに不安要素しかないというのもあるのだが。
なんで後になってから言いたいことスラスラ出てくるんだろう
レスバ強い人教えてください
俺、今民間の障害児向け児童養護施設で相談員やってて、仕事自体は好きだし向いてたんだけど、給与めちゃ低いんだよね。
家族増えたこともあり同じ職種でもっと安定した職場ねーかなと転職決意。
県が運営してる障害児療育とか障害者生活介護とか障害分野狙いで、県庁福祉職受けたら無事合格。
説明会でよくしてくれた職員さんに礼の連絡入れたら、福祉職で採用された奴は希望ほぼ通らずほとんどが児童相談所勤務になるらしい。
児相の人手不足ってずっと言われてきてるから、そこを補填する意味で人員割くのはしょうがないのはわかるが、絶対嫌だ。
子供の命守るために必要な仕事だってのは重々承知してるけど、今直接関わってるケースの中で児相から上がってくるやつ、親が本当にやばい。
虐待云々ってあくまで結果で、大体親がもともと精神疾患あったり愛着障害あったり、人と真っ当にコミュニケーションが取れない超やべーやつなんだよ。その結果として被害が弱い子供に行くっていう。
YouTubeとかTwitterでちょっと検索するだけでも、子供保護された結果児相職員に粘着&逆恨みして告発するヤバい親が蔓延ってんじゃん。「児相絶許」とか「クソ児相」ってアカウント名がゴロゴロ出てくる。
人員足りてなくて担当ケースも膨大なのに、こんな奴ら日常的に相手にしたら職員のメンタルおかしくなるだろ…と思ったら、厚労省が児相職員対象にこんな統計出してた。
https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000861913.pdf
>回答児童相談所のうち、「メンタルヘルス不調による連続1か月以上の休業者が1名以上いる」
やっぱ職員も三人に一人くらいの割合でおかしくなっちゃうんだな。
じゃあ職員がおかしくならないようにと、こんな研修実施してる児相もあった。
「これ以上調べるなら帰り道気をつけろよ」
こういうことを他人から言われ慣れなくちゃいけないのだとしたら、俺はそこまでして他人の子供を守ることはできないと思って、これ見た直後に辞退の電話した。
まだ配属決まったわけでもないのに勿体無いとは思うが、初年度うまく希望の事業所入れたとしても異動で児相に行く可能性は高いしな。児相運営してない自治体探すわ。
事件前に介入するとクレーマー親からは「拉致」、介入せずに事件が発生すると世間から「怠慢」と文句言われることはあっても、子供を危険から保護して助けたことを褒められるって、守秘義務の関係上ないって話も聞いた。児相で働いてる人って献身スゲーな。
障害福祉サービスは障害者手帳か自立支援医療の利用をしていることが前提で利用できるので、障害や病気がないなら利用できない。
就労移行支援(就労継続支援A,Bも)は事業所によって支援の手厚さにばらつきがあるからいくつか見学・体験したほうがいいと思う。
大手がやっているビジネスマナーや就活についての座学メインの事業所もあるし、工賃がもらえる作業メインの事業所もある。
交通費支給されたり、食事が提供される事業所もある。そういうのがあると通所のハードルは下がる。
中には2年通所しても就職できない人もいる。特例で1年延長できたりするけど、それは1年以内に就労できる見込みがある場合なのでレアケースと考えたほうがいい。
利用するとき相談支援員つける必要があるんだけど、利用者数に対して相談員が少ないから見つけるのが結構めんどいし、変な相談員もいるから気を付けて。
規模が大きい事業所だと併設されている相談支援事業所もあるから、第三者目線は失われるけどそっちを利用してもいいかもしれない。
私は就労移行支援に2年通所したけど就職できなくて就労継続支援B型事業所に行った。
・年末調整?うちはそういうのやってないんで個人で確定申告してね。
・訪問介護先への移動手段は自転車のみで採用したが、自分の車使え。ガソリン代?出さないよ。
訪問先のお宅にぶつけたら弁償しろよな。通勤災害?自分の保険でなんとかしろ。
いつもはA型事業所に通っていて、今のA型は心地いいし、楽しいし、みんな優しいし。
だからずっとここにいたいけど、支援員さんたちは、ここから出てほしい、就職してほしい、という。
支援員さんたちを責めたいわけじゃない、一般就労に送り出すのは、支援員さんたちの役目だし、だから、しょうがないとおもう。その発言は。
でも、つらい。
外の世界に出て、また傷つくのがとても怖い。
甘えかもしれない。
でも、数年前まで福祉の外の世界にいて、傷ついて、打ちのめされて生きてきたわたしが、また元の世界に戻るなんてとてもこわい。
案の定、自分のそういう甘えたところ?が見透かされたのか、もしくは、自分の病気からくる、低学歴から落とされたのかはわからないけど、障害者雇用におちた。
支援員さんにあれほど、がんばって!と送り出された、就職試験。
はらりと、紙一枚で落ちた。
何度も落ちてる。
三度目かな。
なんで落ちてるかは大体わかるし、わたしは心のどこかで、ずっとここにいたい!
就職なんかせず、就労継続支援A型にいたい!そうずっと思ってて、でも世間や、今いるA型はそんなこと許さなくて。
この狭間で生きてることがつらい。
支援員さんは
「あなたがここを出ていく姿をみたい」
と言ってくれる。
わたしは、甘えてる。
わかってる。
わかってる。
でも一歩が踏み出せないし、踏み出そうとしても、落ちる。
振られる。
毎日つらい。
なぜか。
わたしが外の世界で傷ついてるとき、いつも優しく支えてくれてたから。
技術もいっぱい身につけさせてくれて、本当に大好きだった。
そうだけど、残念ながら、ここはずっといていい場所ではない。
もっと頑張らないと。
外の世界に認められるために。がんばれ、頑張れ。
じぶん。
毎朝そう言い聞かせて、
何をしてるんだろう、わたしは。
※甘えと思われたら、すみません。
ごめんなさい。
いつもはA型事業所に通っていて、今のA型は心地いいし、楽しいし、みんな優しいし。
だからずっとここにいたいけど、支援員さんたちは、ここから出てほしい、就職してほしい、という。
支援員さんたちを責めたいわけじゃない、一般就労に送り出すのは、支援員さんたちの役目だし、だから、しょうがないとおもう。その発言は。
でも、つらい。
外の世界に出て、また傷つくのがとても怖い。
甘えかもしれない。
でも、数年前まで福祉の外の世界にいて、傷ついて、打ちのめされて生きてきたわたしが、また元の世界に戻るなんてとてもこわい。
案の定、自分のそういう甘えたところ?が見透かされたのか、もしくは、自分の病気からくる、低学歴から落とされたのかはわからないけど、障害者雇用におちた。
支援員さんにあれほど、がんばって!と送り出された、就職試験。
はらりと、紙一枚で落ちた。
何度も落ちてる。
三度目かな。
なんで落ちてるかは大体わかるし、わたしは心のどこかで、ずっとここにいたい!
就職なんかせず、就労継続支援A型にいたい!そうずっと思ってて、でも世間や、今いるA型はそんなこと許さなくて。
この狭間で生きてることがつらい。
支援員さんは
「あなたがここを出ていく姿をみたい」
と言ってくれる。
わたしは、甘えてる。
わかってる。
わかってる。
でも一歩が踏み出せないし、踏み出そうとしても、落ちる。
振られる。
毎日つらい。
なぜか。
わたしが外の世界で傷ついてるとき、いつも優しく支えてくれてたから。
技術もいっぱい身につけさせてくれて、本当に大好きだった。
そうだけど、残念ながら、ここはずっといていい場所ではない。
もっと頑張らないと。
外の世界に認められるために。がんばれ、頑張れ。
じぶん。
毎朝そう言い聞かせて、
何をしてるんだろう、わたしは。
※甘えと思われたら、すみません。
ごめんなさい。