「尋常ではない」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 尋常ではないとは

2018-07-07

北条裕子「美しい顔」 書評

高橋源一郎小説家

「この作品で、作者は、それがどんな過酷体験であったかを、まるでドキュメンタリーのように詳細に描いてゆく。ここまで真正からストレートに『あの日』を描いたフィクションはなかったように思う」

辻原登小説家

「これほどの天災を語る時、かつては必らず誰もが『神』について考え、祈ったり呪ったりしたはずが、なぜ登場しないのか。この作品の優れて批評的な部分は、それを『マス・メディア』に置き換えて語っているからだ。『神』は横倒しになっている

野崎歓フランス文学者)

「読み始めるやすぐに、これは並はずれた作品出会ってしまったのではないかという気持ちにとらわれたのだが、その感覚は読み進めるうちに強まる一方だった。激しく胸を揺すぶられ、ときに唸り声などもらしながら夢中で読み終えた」

作品の全体が緊迫感にあふれ、たまらないほどの悲しみに覆われている。しか文章には勢いがあり、いきいきとした躍動があって、平板に陥ることがない」

「ひょっとして実際の災害とは無縁の作者によるものだとしたら、それはまたこ小説の驚嘆すべき点」

「破格の筆力によって、日本のみならず世界に向かって発信されるべき作品が生まれ出た

「驚くべき才能の登場に興奮が収まらない」

佐々木敦評論家

「これはちょっと相当に凄い小説である。力作と書いたが、まさに言葉に宿る「力」が尋常ではない

「作者は一歩も後ずさりをしようとはせず、逃げていない。こういうことはめったに出来ることではない」

「これは本物の小説である

しかも、作者は実は被災者ではないのだ。しかし、それでも彼女はこの小説を書いたのだし、書けたのだ。

田中和生評論家

(これまでの震災作品は)「震災が起きたという事実を『反映』しているだけで、本質的なところで表現しているとは言えなかった」

ついに2011年に起きた東日本大震災を『表現』する作品が登場したと言っていい

日比嘉高近代日本文学研究者

過酷現実対応せざるをえない未成熟自己の、その痛ましくも力強い格闘の記録であり、成長の物語である私は昼飯のパンをかじりながら読み、落涙したよ

ポスト震災文学を論じていく際には外せない作品として、今後広く長く参照されることになるでしょう。文学研究者として断言します」

2018-06-08

頭蓋骨

「お前、脳みそ入ってんのか?」と問われて、私には脳みそが入っているのかどうか不安になった。

私の頭蓋骨の中に脳みそが入っているのかどうかを確かめることは、相当に難儀することが予想された。なぜなら私は脳外科医ではなくパン屋からだ。

食パンを切る尋常ではない形のナイフピザを切り分けるローラーみたいなやつしか見当たらかなったので、それで手術を敢行した。

妻は接客をしている。今がチャンスだ。万が一私に脳みそが入っていなかった際の妻のショックは計り知れないだろう。なぜなら私たちは、私の頭の中に脳みそが入っているという暗黙の了解の元に結婚たからだ。離婚などとなったら誰がパン屋接客をすればいいのか。

 

3時間の奮闘の末に頭蓋骨を取り外した。ピザを切り分けるローラーみたいなやつは頭蓋骨を切り分けることもできるとわかったことが収穫であった。

よし、いよいよ自分脳みそが入っているのかどうか確かめるぞ。手鏡を持つ右手が震える。

その時「あなたー」と妻が入ってきた。「ピザを切り分けるローラーみたいなやつ知らないかしら」

「ちょうど良かった、エカチェリーナ。頭蓋骨の中を覗き込んでみてくれ。私に脳みそが入っているかどうか確かめてくれないか

すると妻は卒倒してしまった。なんでやねん。そうか、妻は今まで自分(妻自身)に脳みそが入っているかどうか考えたこともなかったに違いない。私が「お前、脳みそ入ってんのか?」と言われて衝撃を受けたように、妻もその疑問に直面して卒倒してしまった。そうに違いない。

 

解決方法ひとつしかない。妻にも脳みそが入っているかどうか確かめさせてやればいいのだ。妻は私が知る中で最も聡明女性だ。入っているに決まっている。

果たしてピザを切り分けるローラーみたいなやつで妻の頭蓋骨を切り開いた。案の定脳みそは入っていた。

「おい、エカチェリーナ。入ってるぞ」

すると妻は意識を取り戻した。「あなた、良かったわ。私、自分脳みそが入っていないんじゃないかと」

「何も言うな。もう怖くない。入っていたんだから。ついでに私のも確かめてくれ」

妻は私の頭蓋骨を覗き込む。

「入ってるわ、あなた脳みそちゃんとある。誰かがあなたにひどいことを言ったのね。可哀想あなた。だけど、もう大丈夫。入っていたのだから

 

「ただいまー」と息子が学校から帰ってきた。来年からジュニアハイスクールスチューデントになる。

妻と私は目を合わせた。遺伝的には脳みそが入っている者同士の子どもには脳みそが入っているはずだ。だけど。確かめなければならない気がした。妻も同じことを考えていたことは脳みそを見ればわかる。

ちょっとそこに座りなさい」私たち脳みそむき出しのまま息子に指示した。

「え、なに?」

「疑ってるわけじゃないんだ。決してそうではない。だけど、確かめなければならない。常日頃からお父さんは、自分の目で見たことだけを信じなさいと言っているだろう。それを今からやる」

「え、でもさ」息子は平然と言う。「いちたすいちはにだし、いちたすにはさんだよ」

私と妻は衝撃を受けた。コイツ、入っている!

 

私たちパンを求める客のことも忘れて泣いた。何てことをしてしまったんだ。無償の愛を注ぐべき息子を少しでも疑ってしまうなんて。

息子は続けた。「でもね、父さんには入ってないね

妻が気まずそうに目を逸らしたのが見えた。私は狼狽した。改めて持った右手手鏡が震えている。自分の目で確かめなければならないと言ったのは私自身だ。妻はそそくさと接客に戻り、息子は遊びに出掛けた。

 

「はやく確かめろよ。腰抜けが頭蓋骨の中から声が聞こえた。こんなに近い距離で明らかに私に向けられたものだったので、聞かないふりはできない。

あなたー、ピザトーストを焼いて頂戴。品切れよ」店内から妻が言うのが聞こえた。いや、もしかしたら頭蓋骨の中から聞こえたのかもしれない。

「わかったー、いますぐ作るよー」と頭蓋骨の中が返事をするのが聞こえた。頭蓋骨の中から手が出てきてピザトーストを作り始めた。私には脳みそが入っているかもしれないという希望けが残った。

2018-04-15

重いぞ、それは。

信用されていると思えば、うれしくなると思う。

だがな。

その報告は重い…

正直動転した(今も動転している)。

有給取得に理由はいらないが、人間感情的な生き物だ。

権利行使するにしても、なぜなのかを語れる方が心象はいい。

だが、その理由尋常ではない場合は、真っ正直に言わなくもいいと思う。

しろ、言って欲しくない。

交際相手トラブルに巻き込まれたので休みが欲しい、と部下は言った。

それも「ただ」のトラブルではない。

報告を受けた時、かなり動転してしまった。

シャレにならない内容だったため、「なぜ自分相談する…」と思ったのも事実

気質子供で、コミュニケーションがうまくできない部下だ。それで周りとの軋轢を生んで、戻れないところまできつつある。

しかし、どうしたことか。

その尋常ではない理由を打ち明けてきた。

なぜ、いつものように「別に…」と言わないのだ。

まりの態度の悪さに、直接の上司ではラチがあかず、幾度か面談を行った事がある。

単に「気をつけろ」ではダメなので、実際の事柄を例に出して頑張ってみようと諭した。

でもまさか、こんな時に発揮されるとは…。

信用されている証拠なのかもしれないが、それにしても内容が重すぎる。

上司は部下のプライベートに立ち入るべきではないと思う。

私も立ち入りたくないし部下も嫌だろう。

最近の若者は…って語ると、おっさん老害めって言われそうだけど。

まあ、最近の若者は素直な人間が多い。

素直すぎて、言っちゃいけないこともストレートに言ってしまうところがある。

…でも、よりにもよって、こんな重い内容を素直に言うことはなかろう。どうするんだよ、この秘密

詳細を他言するつもりもないし、部下ともこの件の話をするつもりはない。

だが、これが遠因になって職場内でトラブルが起こった場合、どうなるかわからない。

そうなった時、部長や人事に遠因の話するのか?…その役はやりたくない。拒否したい。

でも、知らないとは言えない微妙立場…。

…知らないって言ってもいいと思ってるよ。自分を守るには「知らなかったわ」ってシレっと言えることも大事

でも、自分良心が許さないんだよなあ。

トラブル起こしたら自業自得だけどさ、同情すべき部分もあるなら、それを語るのも人間にとって大事なことだと思うんだよね。

いい人でいたいわけじゃないけど、気持ちよく人生を送りたいタイプだ。

から、そうと分かっているのに口つぐむとかできないんだよ。

相手がどんな嫌なやつでも、地獄に落ちてしまえと思っていてもそう考えてしまうのだから貧乏くじ引くのが大好きなのかもしれない…。

完全に自己満足世界で、慈愛の心は1ミリもないんだけどね。

おっさんだってか弱い人間なんだ!!乙女なんだぞ!!って強く言いたい…。

というか、自分100%信用するのはやめて!

この会社では上司かもしれないが、お父さんじゃないんだぞーーーーー…。

2018-03-23

[] 2018香港深圳広州の旅 Day.0-1





Day.0


出発前


3月人生で2度目の自分計画した海外旅行に行くことにした。

行き先は香港

以前、ここで台湾への旅行記を書いた。

今回も書きながらの旅行としたい。

きっと長くなる。気が向いた人が読んでくれると嬉しい。

あと、誤植は多分沢山あるけど、気にしないで欲しい。

読みすすめる内に、理由何となくかると思う。


さて、なぜ香港に決めたのかというと、昨年の台湾旅行自分としてはとても良く、「意外と一人でも海外に行けるものだな」と思ったのと、台湾で現地の料理を食べたことで、香港大陸の人はどんなものを食べているのか興味を持ったこと、そしてこの界隈で話題になっている、2次元バーコード決済をこの目で見て見たかたからだ。

また、自信を持ったとはいえ語学の怪しい自分にとって、台湾の次に行きやす海外はどこかとなった時、香港韓国くらいしかなさそうだ、というのもあった。

ただ、今回は、現地ガイドが入出国に付き合ってくれた台湾と違い、全くの1人となる。

ハードルは1段、いや2段くらいは上がったと思う。

ルート出国香港深圳香港広州香港帰国

旅行には達成目標を定めて1個1個クリアして行くタイプだけど、目標のいくつかは低めに設定した。

まずは出国して、空港からホテルにたどり着き、英語広東語チェックインすることからだ。


今回の出発便も前回と同じ様に羽田発の早朝便。

旅行になるといつもそうなのだが、夜の移動や待機時間眠ることができなくて、こういう時に定刻まで眠れる人が羨ましいと思う。


とはいえじっとしているのも辛いので、現地で言葉が通じなかった時のために、メモ帳イラストを描いたり、簡単広東語のおさらいをしたりした。

広東語に関しては本を買ったり、3ヶ月間、広州香港の人のYouTubeを見たり、香港ポップスMVを見たりしたが、聞き取れるまでに至らなかった。

同じ発音でも発する声の高さで意味が変わる広東語は、単純に「話す、聞く」というフィジカルな部分がとても難しい。

翻訳アプリ広東語を話して翻訳させるという手段練習したが、どれくらい通じるものか。

広州出身レイちゃんYouTubeで教えてくれた「片思い相手を呼び出して告白する時のシークエンス」を使う機会はなさそうだ。


ところで、深夜の羽田空港国際ターミナルで周囲を見渡すと、共に出発を待つ人達がやけに若い

そうか、3月卒業旅行シーズンか。

ベンチの向こうでは、大学生と思しき男子の一団がUNOらしきゲームをやっている。

時間の潰し方に若さを感じるなー。





Day.1


上晝・晏晝


機内に日本語が飛び交ったせいか、やや弛緩した気分で香港国際空港に到着したのは現地時間11:15分頃。


香港は南国なのでやはり少し蒸し暑い

長い長い入国審査の列に一瞬うんざりしたが、審査員は列を誘導して次々と人を通して行く。

さすが世界でも有数に人が行き交う空港だけあって、手際がいい。


さて、ここ空港で、まず3つの問答をこなさなくてはいけない。

1.「日帰りで深圳にいき、翌日広州に行くために必要ものはあるか」

2.「香港ドルに両替してほしい」

3.「オクトパスカードが欲しい」


入国審査の体格の良いにいちゃんに緊張しながらたずねる。

「我想去深圳一日遊、下個聽日、想去廣州。要乜嘢?」

「◯×◯×◯×…」

しまった、ちょっと懸念していたけど、「決まり文句は話せるのものの、聞き取れない」というのは思った以上に深刻だぞ。

なまじ話せるだけに、向こうもちゃんとした広東語で返してくる。

かなりビビったものの、いかつい面相と違って親切なにいちゃんは、「乜嘢?」と聴き返してくれて、「日本人ビザはいらない」と笑顔で答えてくれた。


しかし次の両替はもう少しハードルが高く、言っていることを聞き取ってもらえなかった。

「港幣」という単語でなんとかクリア英語の方がまだマシだったかもしれない。


オクトパスカードの購入も一悶着あり、「我想買八達通」と言うと、「いくつかの選択肢があるが何が欲しいのか」と多分言っているであろうことを聞かれ、当然答えられないので、お互い困り顔で天を仰ぐという有様。

「weit here」指さされた列に並び、列に従ってたどり着いたカウンターでなんとか購入することができた。

ちょっと凹むが、一応やりたいことは1つひとつクリアしているのであり、60点くらいのクオリティであると納得するしかいかぁ。

それにしても腹が減った。

香港時間12:00。

昼の時間だ。


一瞬、マクドナルドで済まそうと思った昼食だが、空港散策すると、チャーハンとか、カレー煮込み的な何かなど、いかにも香港っぽいものを出している店があったので、せっかくなのでそこにする。


「loast goose,milk tea」何より食券売りのお姉ちゃんが怖かったので、無理をせず英語で注文する。

食券を渡してしばらくするとおばちゃんが叫んだ。

「ンーロッパーツァッ」「あ、5687番か、俺だ」数字の読み方勉強しといて良かった。


香り米の上に乗ったガチョウのモモ肉はアッサリしていた。

やはり南洋中華料理台湾と似ていて、全体的にあっさりしているらしい。

でも全部食べたら丁度いいような味付け。

また日本に戻って塩味のキツさにびっくりするんだろうな。


下晝


空港からエアポートエクスプレス香港駅へ。

地下の無印良品には日本語パッケージ商品が並んでいて驚く。

ローカライズされてないんだな。


香港からMTRを乗り継ぎ、ホテルのある尖沙咀へ。

オクトパスカードを買っているので移動が楽。

やはり海外旅行では交通系ICカードは強い味方だ。

日本気候に合わせてきたので、香港の蒸し暑さに少し参りながら、尖沙咀駅に降り立ち、地上に出ると、その光景に圧倒されてしまった。

香港は狭くて人が多い。

しかしこの尖沙咀のごった返しぶりときた日には。

人の多さもその人種も、行き交うスピードエネルギー尋常ではないカオスだ。

平日の昼でこの有様だと、旧正月のようなイベントにどうなるのか想像もできない。

この異常なくらいエネルギッシュな街で暮らすというのはどういうことなのだろうか。

蒸し暑さと人のエネルギーに当てられて少し疲れてきた。

ホテルチェックインして一休みしたい。


尖沙咀ちょっとだけ外れにあるホテルが今回の宿だったが、実際見てみると思った以上に大きくて驚いた。もう少しアットホームホテルじゃないか勝手に思っていたので、少しビビる。

さてここで次の目標、「英語広東語チェックインする」だが、レセプションの小柄なお姉さんに広東語がまったく通じない。

それでもカタコ英語チェックインはできたが、「日本語できる人いますか」さえ通じず、ちょっと凹みつつモチモチャやってると、50代くらいの女性に声をかけられた。

「何かお困りですか」日本語だ。

英語部のリーと言います。何かお困りでしたら、お伝えください。」

助かった。

これでシャワーの使い方がわからなくても、失敗して鍵を部屋の中に忘れて閉めてしまってもなんとかなる。

もちろんそんなことがなければ一番だが。


尖沙咀がどんなところかと問われれば「新宿銀座青山道頓堀を配分がどうとか考えずにグチャっと混ぜて、そのまま沖縄に放り込んだような場所」だ。

ヴィトンの斜向かいに怪しいインド系人達がたむろする巨大な雑居ビルがあり、そのあいだのヤシの木が植えられた大通りを2階建のバスが怖いくらいのスピードで次々と疾走する。

件の怪しい雑居ビル重慶大厦で両替をしながら「こんな暑いところでこのエネルギーで生きていて疲れないのだろうか」と思った。


それにしても尖沙咀はいままでちょっと記憶にないくらい騒がしい街だ。

まりの勢いに耐えかねて、中環に向かう。

中環からのんびり歩いて上環に向かいお茶でも物色しようか。

地下は幾分か落ち着いていて、ちょっと札幌の街を思い出す。

ガイドブックによると中環から上環にかけては、ややゆったりしたエリアらしい。


途中、MTRを乗り継ぎ、地上に出る。

どこがだよ、ここも騒がしいじゃねーか。

ちょっとへんな笑いが出てきた。香港すげーな。

お茶を買いに行くまで元気が持つだろうか。

エネルギー補給ついでにタスクをこなそう。

鴛鴦茶とパイナップルパン軽食をとる」

メロンパンとの違いが気になっていたパイナップルパンは、クッキー生地をつかっているもののふんわりした食感で、甘さ控えめな代わりにバターががっつり挟まっている。

やはり南洋中華料理は甘さや塩味は優しいが、油は惜しみなくねじ込んでくる。

鴛鴦茶は東京で飲んだものより、コーヒーの風味が強かった。

ちなみに「ビンサッ(アイスで)」と頼んだが、ホットで出てきた。やはり広東語が怪しい。


挨晩・夜晩


台湾香港では飲まれているお茶が違う。ここ香港でもお茶を買うことにした。

比較リーズナブルにお茶が買えるという、事前に調べたお茶屋さんに向かう。


件の店は庶民的と紹介されてた割りには綺麗な店構えで、「意外とお高いかもしれないかゆっくり選ぼう」と思ったら、入るやいなや「どのお茶を選ぶの?」とお店の女士。

まりの出足の速さに面食らってすっかり飲まれしまいそうになる。

「あ、ちょっと見るから」と止めて一旦ははなれたけど、3分もしないうちに「どれにする?」圧倒的なスピード感だ。

「じゃあ普洱と白牡丹・・・」初めからある程度決めてなかったら飲まれ鉄観音とか買ってたと思う。

入店から決済まで、あまりスピードに高かったのか安かったのかさえも判然としない。

マジでこの街スピード感は異常だ。


路地裏でやっと見つけた静かなバーで、アジア風のサテ風味の麺とビールで夕食をとって、ホテルに戻ることにした。

香港の人はよく食べるというが、なんとなくわかった。

とにかく食べないと、この街スピードエネルギーについていけない。

街には日本ユニクロロゴそっくりの「メイソウ」がある。

中身は雑貨屋さんで何をパクったのか判然としないが、そんなことを気にしていてはこの街では置いていかれる。

街中に沢山ある両替の店の多くはレート的にはボッタクリであるというが、店もお客もやましい空気微塵もない。

中環駅のホームでなぜかウェディングドレスを着た女性を見たけど、この街なら何でもありだ。

ホテルに戻る道すがら、漢方茶のカフェで、女性がボーッとしていた。

きっと明日に備えて充電しているのだろう。

食べて、稼いで、友達と騒いで、恋をする。

この街は、人間欲望の明るさを全力で肯定して前に進む空気に満ちている。


2018香港・深圳・広州の旅 Day.2|深圳へ >>

2018-02-16

「#魔女集会で会いましょう」とその反応

30代で脚本を書いています。(主に舞台

Twitter創作女子界隈(特に腐)のイナゴっぷりと嗜好(及び思考)の浅さに辟易しているという話。


きっかけは「#魔女集会で会いましょう」のタグ

流行るのはいいとして、目に付いたのは「尊い…」とか「わかりみある」とか

「本にしないんですか!?」とか、まあいもの反応で。

感じたのは「たかが4枚でよくそこまで賛美できるな」という感想です。


かにそれなりにステキでした。でも大体どっかで見たことあるような構図なわけですよ。

「成長して減らず口を叩くナイトとしての男の子

「実は○○でした、というギャグに転換するもの

「おじいちゃんになって一緒に添い遂げるもの

人間だけ死んで『だから人間は嫌いだ』と悲しい思いをする魔女

もう、クソほど消費尽くされてきてる定番じゃないかと。


このモヤモヤはなんだろうなーと思ったら、うたプリとかFree!とかその辺の熱狂に対しての感情と同じ事に気づきました。

なんでオタクの皆さんは毎度毎度提供される新規性の欠片もないキャラクターたちにそこまで熱狂できるんですか?

熱血バカ ・執事メガネ ・無愛想マッチョ ・無邪気毒舌ショタ ・ビッグマウス残念俺様 ・目隠れ根暗ヤンデレ

だいたいこんな感じじゃないですか。もうフォーマットが大体同じ。

打ち込んでる何かがフィギュアだったり水泳だったりアイドルだったりで方向性が違うだけで新規性がなさすぎる。


もちろんこの問題女性だけではなく男性向けコンテンツでもあります

ピンクメインヒロイン ・暴力ツンデレ ・ロリ ・地味メガネ ・熱血お姉さん ・天然巨乳

だいたいこんな感じ。

でも、自分女性に対して特にモヤっとしてるのはその熱狂っぷりが男性よりもはるかに熱しやすく冷めやすい物である事と

そのスピード尋常ではない事です。(すぐに次のコンテンツに行く)

創作女子とか「腐」女子名乗るくらいだったら拘れよ!!!もっと深い設定とバックストーリー込みで愛せよ!!!と思うわけです。


私は、脚本家としていかにその人物フィクション存在しつつ、かつ

リアリティがあるかを生み出す事にめちゃ苦心しています。細かい動作台詞回しや語尾の一つ一つ

そうした書ききれない背景全てを含めキャラクターを愛して欲しいと思い悩んでいます

なのに、そんなポッと出の4枚に書かれたベッタベタて使い古されたキャラクターに「尊い」とか言われたら立つ瀬がないわけですよ。

分かってますよ、それが一つの賛辞を表すネットミームであることくらい。

だけど、できれば少しだけ見る側にもこだわりの目を持って評価して欲しい、という愚痴でありました。

2017-12-27

未熟者、クリスマスに振られる。

28歳にして、初めてのちゃんとした彼女だった。



相手はかなり高嶺の花だった。同い年だが、かなり格上だった。


今年の5月ごろにアプリ出会い8月から付き合い、落語バレエミュージカルと楽しく過ごした。

クリスマスイブも楽しくデートして(正確に言うと、したつもりだった)、翌日のクリスマスの夜に振られた。

年末にかけてあまり会えずにいて、予感はあった。

付き合う前に、相手Amazon Primeおすすめ映画として「(500)日のサマー」をあげてしまった。まぁ、その辺りからそんな結末の予感はあったのかもしれない。

絶対にうまくいかないなぁ、などと考えてしまっていた部分はあり、自分自分で嘘をついてしまっていたのかとも思う。

とまぁ、強がってはみたが「振られた」と言うショックは自分の生きてきた28年間の中で初な訳で、尋常ではないダメージを受け、かなりボロボロな感じである。(仕事には支障をきたさぬようにせねば)


しかし、そのショックを受けたことで、改めて自分自身を気付かされた。

中途半端で幼稚であまちゃん」な自分を。


改めて生まれてこのかた、なんとなくで大体であったんだなぁと思う。


幼少期にヴァイオリンを仕込まれ、好きでもなくなんとなく続け、ヴィオラになんとなくたどり着く。なんとなくなので、結局のところさほど上達もしていない。速いパッセージ日和るし、音程も外すし、そもそも読譜尋常じゃなく苦手だ。幼少期の指番号で弾く感覚のままなので、弾いててすぐにお手上げになる。

どこかで、歩みを止めて変えなければいけなかった。ただ、してこなかった。


中学受験に塾に通わされ、ドリルなどさほどやらなかっったが、なんとなく慶應入学した。しかも補欠合格だった。それから、何か究めんとすることもなくただなんとなく過ごした。

中学自由研究では賞をもらったし、高校の時には論文が全校生徒から選ばれ冊子に載った。すごく頑張ったと言うか、なんとなくやって、グータラして乗り切れてしまっていた。

そのままエスカレータで、大学に入った。経済学部だった理由は多分明確にはなかった。なんとなくカッコ良いかである。そのまま、普通に進級した。3年になった時、就活を目の前にして自分の中に迷いが生じた。このままで良いのかと。そして、留年した。


留年したら、何か変わるか。

そんなことはなかった。


元来の自分の人付き合いの苦手さが増し、ゼミもなんとなく抜け、授業にも一切いかなくなった。

2回目の3年は、多分一切単位を取らなかったと思う。当然また留年した。

そして、3回目の3年は卒業しなくちゃと言う気持ちで通った。なんとか4年になった。

ただ完全に人とは話してなかったと思う。コミュニケーションがとにかく苦手なのだ


心配した母親セミナーに連れ出し、そこでの恩師との出会いから多少元気になり4年の後半社会復帰し、人との交流もする様になった。

ただ、就活をしていなかったため、独学で公務員を目指すと言う名のもと空白期間をし、試験の落ち着いた夏就活をしてみた。公務員試験勉強の数的処理がIT親和性が高そう、なんかITかっこいい。そんな感じで、面接を受け、今の会社へ入った。小さい会社だが、社長が魅力的な人だった。


そして、社会人生活が25歳の秋から始まった。


ITと言うと聞こえは良いが、SIer下請け孫請けと言う様な会社だった。クラウドシステム構築を行った。1ヶ月目にはテスターとして駆り出され、4ヶ月目には大手SIerに常駐した。

駐中コミュニケーションが苦手で、人に聞いたりするのは苦労した。

1年がたった頃、常駐を終了し、自社での持ち帰りの開発案件に参画した。

とにかくがむしゃらに働いた。

10から24時、土曜・日曜日も出たし、徹夜作業もした。


開発は楽しかった。

ただ、その中でもやはりコミュニケーションは苦手だった。人に聞く、相談するのは苦手だった。

開発の他に、テスターマネジメントを頼まれたが十分に期待に応えられたとは言えなかったと思う。


結局自分自身マネジメントできていない。なんとなく辿り着いて居るやつには、人を管理すると言うのは荷が重かった。遅延させ、徹夜&増員で事態は乗り越えた。


その後、去年27歳の秋、とある大企業に常駐する様になった。

常駐先の男性のチームリーダーがとにかく魅力的だった。パワフルで、カッコよかった。

緊張しながらも、意見をしていき、そのリーダーに認められ、案件としても拡大していき、自社の仲間も一緒に常駐するまでになった。


そのリーダーは色々教えるのが好きで、本当に色々教わった。

自分も成長した気でいた。


そして、今年の5月彼女出会った。

ちょうど自分に自信がついてきていたし、付き合うとこまで行ったのだろう。


そんな5月、憧れのリーダー転職を決めて去って行ってしまった。

ショックだったが、仕事はそう言うものなのだろうと思い、自分がそのリーダー役割をと思ったが、所詮は成長した気だけであり全然ダメだった。

要件定義マネジメント能力・育成・ロジカルどれもこれも未熟者半端者だった。元来のコミュニケーションの苦手さが原因かもしれない。

プロジェクトがポシャったり、遅延したりした。


とまぁ今まで大体が、なんとなく流されてたどり着き、失敗してもそれで良しとしていた。

中途半端でちゃんと継続して地肉になっていない、変わっていないそんなまま、今になっていた。


プロフェッショナルとしてとことんやっていたのか。

ちゃんと成長してきたのか。身につけてきたか

ダメだったのだろう。不十分だったんだろう。


自分ダメさが、彼女に振られることへ繋がったのだと思う。


職場が元リーダーがいなくなり刺激的でないとかは言い訳だろう。

自分が至らない部分が多いのだろう。

自分自身に甘えて居るのだろう


しっかりと目標を立てて、考えて計画して行動する。成長する。


来年クリスマス、その時もおそらく彼女はいないと思う。ただ、ちゃんと成長した大人になった自分になっているはずだ。そして、振ってくれた彼女にも感謝できるくらいの器量はありたい。

20代もあと2年弱。もう時間はない。

2017-09-12

植物観察日記 3日目(後半)

2chで執拗粘着されている(こちらは一切書き込んではいない

が、過去コテハンで書いておりそのあとは名無しで、そこから何も書かず数年経過している)

ので、書いてる人の人物像等をさぐるために観察する3日目後半

前半では書いてる人は揺さぶりをかけていると書いたが、

ほぼ間違いはないと思う

また揺さぶる内容もほぼ同じ、良く出てくる単語が同じであることとそれを繰り返していると見える

だがその書き込んでいる時間や数が尋常ではない点、

無視鉄壁方法だと実感できるが、この場合相手が多分頭おかしな人、

何らかの精神的疾患を抱えてそうな人とすると厄介かと思う

なぜなら無視という方法が通じないか

もっというと自分無視されているということに気づかないか

こうなるとどうしたものかと途方にくれる

まだ無視して様子を見てみようと思う

おそらく無視していく期間が長くなるほど相手も根負けするのだろうという方策

でもそういう人に対して継続して同じ行動をするのはそれほど苦痛にならないので続けてくるだろうとも予想できる

とにかくまだ無視で様子をみる

また、書いている内容から俺に対しての批判、例えば死ね等やいなくなれ等

また過去に俺が書いた言葉をあげつらう発言

これらに関連して第三者比較することで俺がいかに優れていないかという発言

これら3つのローテーションで組まれてるとみた

2017-07-08

けものフレンズ面白さの本質

けものフレンズ』の面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観から抜け出しているところにある。

少し補足すると「抜け出している」という意味は、ある価値観に反発したり、故意に避けたり、過剰に抑圧したりすることではない。一例を挙げると「あんなクズな父親のような人間には絶対にならない!」と考えることはすでに父親の重力に捉えられている、ということだ。

もうひとつの「ガイナックス的なアニメ価値観」は少し複雑だ。細部へのフェティッシュなこだわり、現場いぶし銀技術者ひとつの生物のように有機的に躍動する集団、学校文化と官僚システム/軍組織への熱い礼賛、マスメディアやと民主主義への蔑視……古い世代のアニメオタクの王道ど真ん中の価値観。この価値観の根底には「責任のとらなさ」がある。これについては後述したい。



私自身、『けものフレンズ』は話題になっているのをtwitterで見て、5話くらいから興味を持った後追い組のひとりだ。徐々にハマり、最後にはとても感動した。けれども、しばらくたってもその面白さをまったく言葉にできないことに気づいた。まるで「解」だけが前触れなく控えめに差し出されたようだった。この困惑について、福原慶匡プロデューサーインタビューで語っている。


「皆さんも、なぜ魅力を感じるのか、はっきりとは言語化できてないと思うんです。食べ物でも、なぜかクセになっちゃうみたいなものってあるじゃないですか(中略)というのも、僕が5年前にその感覚を経験しているんですよね(笑)http://a.excite.co.jp/News/reviewmov/20170327/E1490547358865.html

放送終了後、ネット上でいくつか探してみたが「大ヒットの理由」や「エヴァとの共通点」などIQの下がる批評しか見当たらなかった。その清新さや核心について書かれているものは無かった。自分で分析してみてもやはりわからない。一見すると『けものフレンズ』は、パワプロで喩えるなら「オールBでよくわからない特殊能力がたくさん付いている外野手」だ。ツッコミどころがあるようで、よくよく見ていくと隙がない。(あくまでも「一見すると」であり、構成についてはほんとに素晴らしい。監督自身は「怪我の功名」と謙遜するアライさんパートは発明と言っていいぐらいだ)

たつき監督の過去作を見ていくと、クオリティをまんべんなく上げた作品を作るというスタイルは昔から共通しているようだ。『けものフレンズ』では登場キャラクターの紹介とストーリー展開を均等に進め、両者が高いレベルで一体になることを目指したという。インタビュー記事最終話放送直前! アニメを作るのが得意なフレンズたつき監督に『けものフレンズ』の“すごーい!”ところを聞いてみた!!」(以下、「最終話直前インタビュー」)ではこう話している。

「「キャラ先論」「話先論」があると思うんです。そこをまったく同じパーセンテージか、行き来をすごく増やして、キャラ優先なのか、お話優先なのか、わからないレベルでその2つが有機接合できるといいなと考えていました」http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12855680/

ところで、仕事でも3Dアニメを作り、休みの日も3Dアニメを作っているというたつき監督だが自主制作アニメ『眼鏡』発表後の2010年に行われたインタビューでは興味深いことを語っている。ここに一部抜粋したい。

―― アニメはお好きなんですか。

たつき 大学時代に「アニメ作りたいわー!」とか思い出したころからちょいちょい見だしたんですよね。

―― 「すごいアニメ好き」みたいな感じじゃないんですね。そもそもアニメをあんまり見てなかったのに、なぜアニメを作ろうと?

たつき アートアニメみたいなものは学校で見させられていたんですけど、もっと俗っぽいほうがいいなと思って「眼鏡」を作りましたhttp://ascii.jp/elem/000/000/532/532388/index-3.html

本人の発言を鵜呑みにするわけにもいかないが、そう質問せざるを得ないなにかを質問者も感じたのだろう。確かに『けものフレンズ』は熱心なアニオタが作ったアニメという感じはしない。1話の出会いシーンと休憩のシーンが例外に思えるほど性を表現すること行わない。その他ではペンギンの脚やカワウソのケツぐらいだ。もちろん全年齢向けというコンセプトもあるだろうし、動物と人間という認識の違いに厳密に取り組んでいることもある。だが、繰り返し見てもそこに「ほんとはエロくしたいけど抑えよう」や、「萌えを感じさせよう」などという作為が感じられない。肩の力が抜けているというか、監督の視線が別のところを見ているような奇妙な感覚があるのだ。

話題にもなったペンギンの脚については「最終話直前インタビュー」で、こだわったポイントは肉づきであり、それは未だ言語化できていないパラメーターと語っている。やはり焦点が別のところに当てられているようだ。このたつき監督独特の感覚について、チームの中では「ガラパゴス的」「ほどよく鎖国している」「天然」(「最終話直前インタビュー」)と表現されている。

たつき監督の制作に対するスタイルがかすかに見えてきたが、根本的なところ、なぜ面白いのか、なにが新しいのか、どこが違うのかが一向にわからない。繰り返し観ても「サーバルちゃんかわいい」「言われるも!」以外にこの作品を語る言葉は見つからなかった。

そんな時『シン・ゴジラ』についてのツイートたまたま視界に入ってきた。ああ、あの作品は私にとって全然ダメだったな、なぜってあれはオタクのウェーイだったから。だから受け入れられなかった……だからけものフレンズ』は良かったのか。本来なら過去や同時期に放送された作品に触れ、その違いを論じることで導き出すのが正統な論証だろう。だがここでは『シン・ゴジラ』を補助線に引くことでショトカしたい。

シン・ゴジラ』はあの庵野秀明監督による作品だ。詳細は割愛しよう。宮台真司の批判とか概ね同意だ。私がアレルギー反応のような拒否反応をおこしてしまったのは別の部分になる。同作でも、指揮命令系統のフェティッシュともいえる再現、圧縮された膨大な情報量、巨大な生物のようにフル回転する官僚機構がたっぷりと描かれる。ああ庵野秀明だ、ああガイナックスだと感じた人も多いだろう。ただ、結構な面積が焼き払われ、放射能に汚染され、東京の中心で彫像のように固まったゴジラが実写として映し出されるとシニカルな感想も浮かぶ。「想定外の天災」とはいえ主要な登場人物はなんの責任も取らないだろうな、“庵野秀明から”。

ガイナックス庵野秀明に代表される彼らが、凝縮し、エッセンスを取り出し、世に提示してきた価値観。古い世代のオタクの王道ど真ん中の価値観。そこには、新兵器があるなら使おう、ボタンがあるなら押そう、ロケットがあるなら飛ばそう、人類補完計画があるなら発動させよう……後は野となれ山となれだ、という姿勢がその根本にある。責任の取らなさ。それが露出してしまうと、フェティッシュに埋め尽くされた119分はオタクが「ウェーイ!」とはしゃいでいるようにしか見えなくなる。

新しい爆弾が作れるなら作りたい、作ったなら使ってみたい。そういう欲望はギーク価値観として近代には普遍的にあるものだろう。それは責任とセットになっていなければ極めて危うい。『ジュラシックパーク』(1作目)に出てくるでぶが度し難いように。『シン・ゴジラ』の官僚たちは誰一人弾劾されず、断罪されずスムーズに復興へ移っていくだろう。彼らの合理性なら、半減期が2週間なら翌月から暮らすことができるだろう。三権が一体化した効率の良い行政システムを築くだろう。責任を切り捨てたからこそ、フェティッシュの興奮に耽溺できたのだ。棄てられた責任野ざらしにされ担う者はいない。

2000年代2010年代アニメにおいてもガイナックス的な価値観は揺るいでいない。おそらくこんな声が聞こえるだろう。「『ハルヒ』は?『らき☆すた』は?『けいおん』は?『まどマギ』は?『化物語』は?日常系を無視するなとんでもない!“大きな物語”をまだ求めるのか?!」このあたりはもっとその分野に詳しい人の評論を待ちたいと思う。私の見立てでは、それらは(主に女性の)キャラクターについてのフェティッシュを深めたにすぎず、逸脱はしていない。フェティッシュに注力すればするほど与えられた価値観の中での反復行為となり、自らをその価値観の内部に限定させるという結果を生む。そして、目を背けた価値観のもの形骸化しながらもしっかりと保存され、視聴者を貴族的な愉しみという隘路に導く。

もし汲々とした再生産のサイクルの中にどっぷり浸かった人なら、そこから抜け出すには並々ならぬ苦闘と意志が必要だ。たつき監督にはそうした努力は必要なかっただろう。『けものフレンズ』は最初から“できている”。

これは自由の味だ。

ジャパリパークではフレンズたちは当たり前のように責任を持ち、細部へのこだわりは新しい領域に向けられているがそれ自体に耽溺していない。古い価値観を超えるものを作ろうとして頑張った結果やっとできた、ということではなく、初めからそうした問題意識のものが存在していないかのように新しい価値観を持っている。それほどあまりに自然に表現された作品として我々の前に現れた。

可能にしたのは主に3つの要素からなる。「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」。この3つは密接に関係している。「手書きには温もりがある」という言説は否定できないが、大勢が1枚1枚セルに色を塗るという時代ではなく、1人である程度は全部作れる3DCGという環境がたつき監督にとって不可欠なものだったことは想像難くない(実際はirodori時代から分業していたことはブログからも伺えるが、作業量や機材を比較して)。Wikipedia情報によると、彼はサンライズ作品のCGを担当することで商業的なキャリアスタートさせ、以降手がけた仕事は一貫してCG関係だ。これがもし手書きスタッフとしての参加なら、今の形の『けものフレンズ』は存在しなかったし、たつき監督もおそらく従来の価値観に染まっていただろう。

3DCG上で現在主流の2Dの表現をそのまま再現することは難しい。「不気味の谷現象」ではないが、3DCGから2Dアニメに寄せようとすれば違和感が増え、それを克服するためには新しいアプローチ必要になる。たつき監督はレイアウト(構図というよりも画角)の段階からキャラクターの正面を巧みに演出し、同時に正面ばかりで飽きさせないように一話一話を構成することでこの問題に挑んでいる。技術的な分野における刷新、さらに強く言えば断絶。これにより従来のアニメ表現から自然と距離をとることができたことは『けものフレンズ』にとって幸運なことだった。

次にバランス感覚が挙げられる。たつき監督のスタイルにも作品の全てをコントロールしたいという欲望が見える。映像作家としてこうした欲望は一般的ものだ。ただ、「監督、コンテ、演出、シリーズ構成脚本たつき」と商業アニメで網羅しているのは尋常ではない脚本についてはWikipediaの項目を参考にした)。福原Pは、その秘訣はレイアウトからビデオコンテ、セリフ、声の仮当て、声優への細かな演技指導、修正、差し替え、調整という全ての作業をやりつつも「作業のカロリー計算ができる」ことだと語っている。

「そこらへんはプレスコで作ってきた『てさぐれ!部活もの』の経験が活きていると思いますたつき君はその場のグルーヴ感で「これはやったほうがいい」と思ったら作業しちゃうんです。その後のカロリー計算も、しっかりできる人」

http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395

「北風がバイキングを作った」ではないが、繁忙期は1ヵ月ほぼ泊まり込みだったという『てさぐれ!』における過酷な進行がたつき監督を鍛え上げたことは間違いない。余談だが、ファンによるスタッフロールの解析やたつき監督のTwitterでの発言から、『てさぐれ!』2期からirodoriメンバー関西から呼び寄せたようだ。一部で話題になった出来事もこのあたりに遠因があるのかもしれない。閑話休題

福原Pの言うカロリー計算とは、「作業量」と「かかる時間」と「納期まで時間」を正しく見積もることができるという意味だ。結果、各話を見ても全体を通して見てもまったく破綻していないばかりか、各話のバランス、全体のバランスがとても良い。ほとんどの工程にアクセスし、手を入れ、なおかつどこか一場面に片寄っていないということは特筆すべき能力だ。このバランス感覚ミクロの視点とマクロの視点、ミクロの作業とマクロの作業の両セットを備えていないと成り立たないものだろう。シナリオ含め、一貫してたつき監督の思想が反映された『けものフレンズ』。そこでは、「美少女の細部にひたすら耽溺したい」というような偏ったフレームは分解され、ごく抑制の効いたボリューム/表現としてバランスが整った形で配置されることになる。

最後は、アニメばかりを見ていないアニメ監督。これは富野由悠季が公言し宮﨑駿も暗に語る「アニオタが作るアニメはつまらない」という言葉の裏返しであるたつき監督がケニア育ちだったから、というわけではないが本人の発言ではアニメを「ちょいちょい」見るようになったのは大学で「アニメを作りたい」と思った頃からだという。この時点で「東浩紀は『セーラムーン』をリアルタイムで観ていなかったニワカ」とディスられたレベルでのガチのアニオタではないとも言えるが、ここではirodori制作の短編を元に検証してみたい。

1作目『眼鏡』にあるのはメガネ萌え主人公エヴァギミックNARUTOアクションジョジョネタ(格闘ゲーム版)、東方という、既視感のあるオタネタだ。テンポの良さやオチの付け方など評価できるポイントはあるが、お約束というメタ設定(いくら殴られても負傷しない、カエルが空を飛ぶ、怒りで異形化、いくらでも撃てる弾薬など)のあしらい方はごく普通オタク価値観を共有している人向けに作った短編という印象だ。

続く『たれまゆ』では全体的にパステルカラーキャラクターの柔らかい描写に取り組んだことが見て取れる。手描きによる2Dアニメで制作され、架空の田舎の超常的儀式を通して小さな世界が描かれる。しかし、作業コストが高かったのか、合わなかったのかこの後は2D手書き手法は行われていない。

第三弾『ケムリクサ』では再びソリッドな3DCGに戻る。NARUTO風のアクションレベルアップし、設定も作り込まれている。リナちゃんズと呼ばれる5人の可愛らしさと非ー人間ぽさには独特の魅力がある。『眼鏡』のようにネタをそのままネタとして扱うことはなくなり、説明は最低限。たつき監督の作家性の輪郭がはっきり見えだした時期だろう。30分弱の作品にかかわらず、構成やカット割りに無駄がなくかなり洗練されている。しかし、完成度の高さと裏腹に、注目を集めた『眼鏡』よりも再生数や評価は低調だった。ニコニコ動画の過去のコメントを見ると『眼鏡』の軽いパロディのノリを期待する声が多く、制作側としては不本意な結果だったのではないだろうか。ここでは、1作目でふんだんに盛り込んだパロディで注目を集め、2作目では手描きアニメに挑戦。結果、手描きからは撤退し3作目では3DCGでストイックな作品に挑戦したという流れを指摘するに留めたい。

4作目となる『らすとおんみょう』は福原Pと出会うきっかけとなった作品と言われているが、1話を作ったのみで未完となっている。女性のキャラクターの表情はまた一段レベルアップしており、3DCGの中で2Dアニメ表現に歩み寄りたいという制作者の努力が見て取れる。何がこの作品を放棄させたのかは推測でしか語れない。多忙となったためや、異国の魔女と「適当だけど超強い男子中学生っぽい陰陽師(の下請け?)」が子作りするという設定に着地が見出だせなかったのではないかと思われる。現在残された多くの断片からは具体的な落としどころは示されていない。同作はいわゆるハーレムものの構造を取っており、一方でたつき監督の描く萌えはごく控えめだからだ。

5作目となる『のための』はirodoriとして最後の自主制作作品となった駅長さんシリーズ。できあがった時期は前出の『てさぐれ!』の激動を超え、プロフェッショナルとして確立した後になる。正確には『らすとおんみょう』より前に断片的な映像が出ていたが途中に長い中断があり、実質的に『てさぐれ』後に作られたものとみなすことができる。時系列で書くと2012年に2年がかりで『ケムリクサ』が完成。2013年前半に『らすとおんみょう』(1話)。2013年後半から2015年まで『てさぐれ!』シリーズ2016年8月末に『のための』が『駅長さん フル版』(以下、『駅長さん』と便宜的に表記する)として完成した。この作品は5分という短い時間ながらプロの仕事というべきものだ。目が描かれていない駅長さんの動く姿には、これまでに向上した技術が昇華されシンプルな姿で完成している。

ここで「アニオタの作るアニメ」(以下、オタアニメ)の定義について考えてみよう。もちろん厳密な定義などできようもないが、本文章が求める要件は「特定の層だけをまなざしている作品」であり、具体的には「アニオタ視聴者を満足させることを目的とした作品」であるたつき監督は『眼鏡』では明白にオタアニメを目指し、続く『たれまゆ』では本格的に手描き2Dを試み、より迫ろうとした。ここで最初の転機が訪れる。手描きという手法があまりにハイカロリーだったからか、ここでこの方向は放棄された。なろうと思っていたがなれなかったのだ。以降、アニオタ視聴者をメインの観客に据えることはなくなり、アニメばかりを見ていないアニメ監督として本来の姿、幅広い層へアプローチする道を歩むことになる。

ケムリクサ』の段階で3DCGによる手法に迷いはなくなり、削られたカットからも抑制の効いた演出を志向していることが見て取れる。この作品から作風が変わったようにみえるのはテーマシリアスからだ、という批判も予測されるが「ストーリーシリアスになる=オタクに媚びていない」という短絡は採用しない。実際、表向きはオタク向けの作品ではないと装いながら水面下で「今回はこういう感じで行くのでひとつよろしく、へへへ」と、メタ構造(オタアニメにおけるお約束の構造)やメタ構造を逆手に取った仕掛けを差し出すという交渉を行う作品は実に多い。同時に「まったくオタクに媚びてませんよ」という宣言は、冒頭に挙げた父親の比喩と等しく、オタアニメの枠組みから実は一歩も踏み出していない。『ケムリクサ』では前2作であえて“なろう”とした努力が消えている。木の枝が河に落ちるように自然に、観客と交わす密約もなく、反発もなく、媚びていない。ピンポイントに評価される層よりも広い範囲をまなざしている。『眼鏡』よりクオリティは高いにも関わらず受け入れられなかったことは間接的な傍証になるだろう。

『らすとおんみょう』ではその揺り戻しといえる現象が起こっている。ギャグテーマTwitterで発言しているが、いかにもオタアニメという構造(そのままアフタヌーンあたりで掲載されても不思議はない)にチャレンジするも1話を完成させた後に頓挫。理由は色々考えられるが、これまで見てきた通りハーレムものの企画自体がたつき監督に合わなかったと考えるのが妥当だろう。この時期が2度目の転機になる。ある程度スタイルが固まったのだ。それは『ケムリクサ』で表現されたスタイルの延長にありジャパリパークへ続く道だ。キャラクターに瞳を描くことさえ取り止めた『駅長さん』は『らすとおんみょう』の続きは作らないという静かな意思表明とも受け取ることができる。


再び繰り返しておきたいのは「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」この3つはどれかひとつが先立つものではなく、お互いに深く関連しており不可分なものだ。『けものフレンズ』ではこの全ての要素が花開いている。この作品に超絶的な技巧が込められた作画や、ぴちぴちとした美少女あるいは美男子を求めることはできない。あるのはサバンナに向けて開かれたような、開け放たれた窓だ。振り返ると、室内にはエヴァ以降20年にわたる作品がある。時代を代表する色褪せない傑作もあるだろう。でも、もう昔の作品だ。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、清々しい朝日に貫かれた後では、戸惑いつつも思い知らされるのだ。どれだけ偏狭な価値観に縛られていたか。こんなにもこだわっていたものは汲々としていたか。自由とはこういうことだったのかと。

自由の味。開放されるということは、決定的に変わってしまうということでもある。一度開放されたことを理解してしまうと、重さの無いなにかが失われてしまい、二度と戻ってはこない。それを無視して、例えば「エヴァけもフレ」というように馴染みのある文脈に引きずりこみ安心することもできる。「ローエンドなCGでもいいものは作れるんですよ」と心の平穏を装うこともできる。でも、そういうことはもうやめにしよう。『けものフレンズ』はこの20年間潜在的に待ち望まれていたアニメばかりを見ていない監督によって作られたアニメなのだ。その面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観とは別の場所に立っていることによるのだ。私はたつき監督の成果に最大限の賛辞を贈りたい。素晴らしい作品をありがとう

ただ、アニメを見る目がこれまでとは違ったものになったことは少し寂しく感じてしまう。世に次々と出てくる新しい作品がどれだけ面白くても、それらが“過去の遺跡の新作”ならばそれだけで手放しで楽しめなくなったからだ。つまり、ちょっとした困難をかかえこんでしまったことになる。でもそんな心配はあまり気にする必要はないのかもしれない。なぜなら、すでに誰かが言っていたようなのだ。困難は群れで分け合えと。

2017-03-24

息が臭い奴らはどうしてその臭さをなんとかしようとしないのか


帰宅ラッシュ時のサラリーマンの口が臭い率が尋常ではない。なぜ彼らは自分の口の臭さをなんとかしようとしないのか。

顔が綺麗でも内臓が腐った臭いを吐き放つOL。とにかくあくびをするな。歩く公害だよこいつら。口が臭い奴ほんとに多すぎる。百歩譲って臭いのは仕方ないよ、胃の調子とか口腔環境事情とかあるだろうから。だけどせめて周りに迷惑をかけないよう配慮しろよ。ブレスケア飲むとかガムを噛むとかあるじゃん

ほんとに臭いやつ多すぎて帰りの電車がつらいんだよ。マジでなんとかしてください。お願いします。

2017-02-20

最近アニメ映画作画音響が凄い

作画って言っても曖昧すぎて微妙かも知らんが。

まぁとにかく絵のレベルが桁違いに上がってる。


観たのは、君の名は、片隅、声の形、虐殺器官SAO

くらいなんだけど。

どの作品でもまず背景美術レベル尋常じゃない。

一番有名なのは君の名は。だけど、他の作品もひけを取らない。

片隅の写真からの遠景再限によるディティールも異常だったけど、他3作も驚異的。

虐殺器官欧州建築物の背景の細かさやばくて鳥肌立ったし。


動きのあるシーンも作品毎にちゃんと方向性がある。

君の名はエモーショナルなシーンはちゃんとエモーショナルだった。

片隅も冒頭から度肝ぬかれるし。

声の形も動きだけでキャラ同士のコミュニケートのぎこちなさが伝わってくる。

虐殺器官SAOアクション(バトル)シーンが尋常ではない

作成期間が被りまくったりしてるのにどこかの作品が極端にレベルが落ちてるのがないってのが凄い。

これはアニメーターの平均錬度が上昇してるんだろうか。

つ~かデジタル製作が極まってきた感がある。

あと、どの作品音響がとてつもない。

盛り上げるところはちゃんと盛り上げて、繊細なところは繊細に。

っていう感じで音楽の力を活かすことに躊躇がない。

効果音の使い方もどれも凄い。

この音響へのこだわりは実写邦画と比べてなんかやけに際立ってる感じがある。

なにか環境的な要因があるんだろうか。

2016-12-23

漫画図書館Zの漫画紹介(年代順)その2

その1(http://anond.hatelabo.jp/20161223120406)からの続き。

2000-2003 ななか 6/17 (www.mangaz.com/book/detail/45211)

ガリ勉クラスの中で浮いていた霧里七華(十七歳)が、ある出来事きっかけに心だけ六歳に戻ってしまった。心が子供に戻った彼女に幼馴染の凪原稔二や同級生雨宮さんが振り回されたりもしながら、十七歳の七華と稔二と雨宮さんの三角関係を描く漫画であるラブコメなんだけど普段のラブ成分は少なめで、大事なところでドバッとでる感じ。それと恋愛よりも人を思いやるという心の成長を主題にしているためか、幼馴染大勝利!とならない。

ヒロインタイトルにも名前が入っているとおり七華なんだけど、十七歳の七華はたまにしか出ないレアキャラだし、雨宮さんかわいいし、雨宮さん優しいし、雨宮さん頼りになるし、はじめはいじめっ子として出てきたのに、あっという間に稔二との過去話が補完されたし、実質雨宮さんがメインヒロイン(ちなみに人気投票下馬評ではぶっちぎりだった)。雨宮さんは、いつも赤面していて、だいたいいつも報われないんだけど、時々とても幸せそうな顔をする瞬間があって本当に応援したくなる。

でも本当はドミ子が一番かわいい

2002-2006 聖戦エルナサーガII (www.mangaz.com/book/detail/75451)

あらすじ

どこにでもいるような普通女子高生エルナは、普通の家庭で普通に暮らしていた。しかし都市部工事現場から古代ギムレー期の伝説聖剣が見つかったことで、彼女の血に隠された王族の魔力が彼女の運命を残酷に捻じ曲げていく。

携帯電話インターネット存在する現代的な科学世界の上で、真面目に魔法や空想の生物の力を扱ったらどうなるのか。魔法は通常兵器と異なり術者一人だけで大規模破壊暗殺行為が可能になる。そんな力がテロリストに渡ったら政府はどう対応するのか。

既存の力を軽く超えた魔法の力が存在することの恐怖とはどんなものか。SFファンタジーである

ギムレー期の伝説エルナサーガ」を描いたIと合わせてどうぞ。

2002-2004 てんしのはねとアクマのシッポ (www.mangaz.com/book/detail/44921)

絵がかわいい。意外とストーリーがしっかりしている。ふわふわキャラ可愛い

一応ストーリーを。天使が通う森の学園になぜか入学した悪魔のルカ。毎日天使ハニエルに振り回されながらどこかおかしい学園の真相に気がついていくストーリー

2004-2006 オレの子ですか? (www.mangaz.com/book/detail/44591)

  • 著者 : くりた 陸
  • 連載誌: THEデザート
  • 巻数 : 5

軟派な大学生潤が、身元不明女性からあなたのこどもです」と一歳児スミレちゃんを押し付けられてシングルファーザーをする話。

はじめはスミレのことをうっとおしく思っていた潤だけど、日々の成長を見守っていくうちに一人のパパとして成長していく。スミレが通う保育園の優子先生との恋愛も子育てと並んでこの漫画の中心となるが、スミレが本当に潤の子である可能性も出てきて、なかなか仲が進展しない。

スミレの戸籍上の父親で売れない俳優の椿吾郎が、愛のない家庭で育ったことで、子供の愛し方を知らなかったけれど、スミレと触れ合っていくことで過去を乗り越えていくながれがすばらしい。子育ては子供を成長させるのではなくて、子供とともに成長することなんだ。

まり結局のところ、幼児のスミレちゃんが愛くるしいのでホオを緩めて愛でましょう。

2005-2007 Dear Monkey 西遊記 (www.mangaz.com//book/detail/43941)

玄奘三蔵の妹テンテンが、妖怪の総大将 孫悟空に殺された兄の代わりに、旅の仲間たちと共に天竺を目指すストーリー、つまり西遊記。ところが、西遊記を作者が思いっきりやりたいようにアレンジしてしまった。

仲間の悟空オリジナル悟空クローンだったり、悟空師匠の悟浄が軍服の眼帯女だったり、昔の中国だって地の文にも書いているのに重火器携帯電話が思いっきり登場したり大変自由。果てにはロボットまでも出てくる。

しかしながらエンタメとして安定して面白いのでおすすめ

2005-2011 あかりや (www.mangaz.com/book/detail/46061)

  • 著者 : 赤美 潤一郎
  • 連載誌: ネムキ
  • 巻数 : 1

あかりや」というどんあかりでも揃っている店を舞台に、宮沢賢治の幻想的な香りに人の心のぐちゃぐちゃした猟奇臭を加算した奇妙な話の連作集。

例えば、子孫を残せずに死んでしまった渡り鳥が、鳥神様に許されるために渡り鳥の群れを導く光となる「第3話」のように残酷ながらも美しい話があるかと思えば、思いっきりカニバる「第2話」のような話があったりする。オススメ芸術家の業と歪な肉親愛が題材の「第4話」。絵を書かずにはいられない姉と姉が好きすぎる弟が、姉が事故で光を失ったことで尋常ではない共依存のような関係になってしまう話。

シャープな絵柄なので、ホラーによく合うし、後味も悪くない。

ところで機械人間のバイトちゃんがかわいい

2005-2008 寒くなると肩を寄せて (www.mangaz.com//book/detail/66821)

あらすじ

かつては浄水施設だった街で、街の一画と共に水の底に沈んだ家族に心を囚われるユィと貯水壁が壊れる夜を描く「水槽の街」、ツノと尻尾が生えた少女が、鬼に胸を貫かれてほぼ全裸になる「少女というより痴女だった」、真面目系とチャラ男系という完璧にタイプが違う中学生芹沢工藤が、偶然ビデオ店で出会ったことから共通の趣味を見つけ、友達未満になる話「友達だなんて思っていないんだ」などを収めた短編集。

作者である鈴木健也さんの描く人物は非常に肉感的なんだけど、特徴的な線かな。

一番のおすすめは「ジゼルとエステル」。サーカスの見せ物で美しいシャム双生児少女ジゼルとエステルが、エステル男の子に恋したせいで、(おもにジゼルが)物理的に精神的に引き裂かれる話。じつにえぐくて物悲しい。信じていたものに裏切られるつらさ。

こころがぐりぐりされる。

2006-2007 椿ナイトクラブ (www.mangaz.com/book/detail/121101)

おばか変態ギャグ漫画。ここで紹介するのは、フレイヤ騎士団ナイトクラブ)の美の化身こと鏡尋斗の必殺技、「男子魅了(読み: バンコラン)」効果: 男子を操る、に負けたから。ちなみに三巻の57-58ページ。あとブルマに対する作者の情熱がものすごい。

2007-2008 デュアルジャスティス (www.mangaz.com/book/detail/45941)

特撮アニメ、学園、そして拳である

人々が天を忘れた時、地の底から邪なものが這い出してくる。その都度、神は大地へ天の使いを送った。そう…邪悪を祓い、人々の心に再び天を抱かせるために…。

時は現代、地上に邪なものが現れると、彼らが現れる。天に選ばれた戦士たち、そう、「天空特警 アヴァロン」と「美少女天使 パレストリーナ!!!

特撮アニメリスペクトヒーロー漫画マッシヴなのに意外と理知的なアヴァロン(中身は不良)と目立つの大好きパレストリーナ(中身は生真面目生徒会長)のコンビがいい感じ。

面白いのが、天と邪なるものとのパワーバランスは天を信じる人々の数で決まるため、敵側が、現代情報社会であることを利用した情報戦イメージ戦略で攻撃してくるところ。現実でこれやられたらかなり人間不信になる自信がこの増田にはある。

2007-2008 モンスターキネマトグラフ (www.mangaz.com/book/detail/71031)

もし怪獣に変身することができるお姉さんがいたらってお話。

時代は第二次世界大戦が終わってしばらく経った日本主人公の間宮さんは興奮すると自分の意思に関わらず大怪獣に変身しちゃう厄介な体質の持ち主。大戦中はその能力に目をつけられて軍事利用されたり、戦後も政府監視下に置かれたりと自分の体質に翻弄される。
しかし戦後は怪獣映画メインキャスト(怪獣)を務めたり、自分の力に折り合いをつけだんだんと自分の幸せを見つけていく。

主人公関西弁バリバリなのがグッドポイント

おすすめ場面は、変身しなきゃいけないのになかなか変身できない場面で、秘密兵器(美少年のいけない写真満載の雑誌)を見て「あかんわー」と叫びながら変身する場面。

2009-2010 ラブんラブ (www.mangaz.com/book/detail/120121)

毎日ラブを探してラブにラブする中学生 相田愛子(ラブ子)をはじめとして、サッカーに生きるラブ子の幼馴染 国立カケル、年の離れた弟たちの世話で大変な砂田素直(すなちゃん)、クール勉強家 北王子学斗、おっとりして奥手の浦上麗(うららん)たちが好きな相手にドキドキしたり、意識していなかった相手意識してドキドキしたりする固い蕾のような青春漫画

他人のラブにはすっ飛んでくるのに、自分のラブにはうまく答えが出せないラブ子が素直でいいんだこれが。

あとラブ子のラブ暴走っぷりもいいんだけど、おっとりで学斗に一途純情のうららちゃんが、自分ではない女のことに頭を奪われてしまった男に興奮します。

「目の前の私をみていない 瞳」

「私以外の 誰かを 好きな瞳」

「ドキドキした 私 おかしい」

ふわふわ感がよかった人は「ふわふわカタログ」(www.mangaz.com/book/detail/115531)、変態感とエグみがよかったひとは「魔法少年マジョーリアン」(www.mangaz.com/book/detail/120131)と「姉さんゴーホーム」(www.mangaz.com/book/detail/120111)へ行きましょう。

前者は、月刊MOEで連載されていてもおかしくないフワフワポワポワな内容で、後者では、いたけない二人の少年がナイスバディなお姉様に変身して敵と戦う話と、大切な記憶を守るためにそれ以外を全て捨てて狂っていく女性の話が読めます

2010年代 ハルン谷テイル (www.mangaz.com/book/detail/126441)

古い村とその村に寄り添うようにしてある古城をめぐる一話完結型の牧歌的雰囲気漫画。村の近くに見えるお城だけど、近づいても近づいても一向に近づけなくて、離れようとしたらお城に近づいてしまうこと、池で水遊びをしていたら、水面に映った逆さ城の中に入ってしまう、など幻想的で牧歌的漫画

絵柄がかわいらしくて、ますむらひろしアタゴオルみたい。自身のHPで連載しているとのこと。

2010-2014 マジャン 〜畏村奇聞〜 (www.mangaz.com/book/detail/120651)

麻雀は絵柄を揃えたら役が出来るくらいしか知らないけど、この漫画は一戦いっせんに熱があって面白い

単なる麻雀の漫画ではなくて、マジャンという麻雀のルールに加えて特殊ルールトランプジョーカーみたいな牌が入っているとか)があるので、単なる麻雀好きの学生だった主人公が特殊ルールに苦しみながらルールを解き明かす部分を読者として共有できて良い。

麻雀要素以外にも、閉じた村、おどろおどろしい伝承、そして表面上は普通なのに、ある事柄にだけ一様に口を閉ざす村人など横溝正史的成分も満載。

麻雀は門外漢だけど、主人公の打ち筋がデータ・確率重視なところが現代的で面白いと思う。まあそのせいで、麻雀と異なるマジャンの特別ルールをはじめ、村の奇習/因習に主人公は振り回されるのだけど。

こちらのレビューが詳しい「竜騎士07が震撼した漫画「マジャン~畏村奇聞~」」(http://blog.livedoor.jp/inoken_the_world/archives/51895567.html)。

以上。増田的には全部何度でも読み返せるくらい面白いけど、あえてオススメするなら「ゆめのかよいじ」(https://www.mangaz.com/book/detail/43881)が一番心に残ったかな。ちなみに連載期間調べるのめちゃくちゃ大変だった。

最後に、面白い作品に出会えたことについて、漫画図書館を始めた赤松健先生に感謝。

2016-12-04

便秘を取り出した話

結構衝撃的な1日でどこかに吐きださずにはいられないので非常に汚い話だけど書く。

11時起床。いつもと変わらない週末のはずだった。

遅めの朝食を食べる。昨晩の残り物ののサラダ味噌汁

食器を洗って、テレビを見ながらダラダラする。

便意を感じたのでトイレに入った。

便座に腰をかけ、力を入れると奴が顔を出し始めた。

いつもならその後スムーズ排出されて終わるはずなのだが少し力んでも、頭以降が出てこない。

だが、まあこれくらいのことはたまにあるので、暇つぶしに持ち込んだスマホではてぶを見ながらやり過ごす。

しばらくお尻に力を入れ続ける。はてぶを見続けながら力の限り力む。

両手でお尻を持って開く。

そんな感じで15分ほど経過するも出てくる気配がない。その時点で、「これやばいのでは・・・」という気がしてくる。

しろ硬さ感が尋常ではない自分の持つ力では出てくれない塊感を臀部に感じる。

はいえ、この後予定もあるのでこれ以上待ってられない。

いきなり焦り始め、とっさに手元のスマホで「便秘 出ない」とぐぐる

検索結果の中から便秘の時の対処法は?」みたいなページを開く。

便秘薬やら食物繊維を取れやらの助言が出てくるが、どうでもいい。

今、トイレにこもって奴がちょっと出ていて、引っ込みもつかない私に対して何ができるかアドバイスしてくれ。

と思っている矢先に「摘便」という文字を見つけ、もうこれしかないと感じた。

少し躊躇するも、意を決して人差し指を突っ込む。塊に指が突っ込まれたのを感じた。

塊を潰しながら少しずつ出す。

25歳にもなって何やってるんだろうという情けなさと、すごいことをしているという興奮の入り混じった何とも言えない気持ちになる。

なかなか取り出せず手こずる。なんとか塊をほじくりだすと、山場を越えたようで堰を切ったように溢れ出した。

「やっと出た・・・」と変な達成感に襲われながらトイレットペーパーで丁寧にお尻を拭き、手を洗い、トイレを出る。

洗面所で再度手を洗うが、臭いがどうにもこうにも取れない。

まあ10数分お尻に突っ込んでたら当然か。と変に納得する。

何回石鹸で洗ってもどうにもならず、結局人差し指うんこのまま外出。

歩いていても、電車に乗っていても、人差し指だけすごく臭い

だが何故か、すごく嫌な匂いでも嗅がずにはいられない。

人と会って食事をしてる間もさりげなく指の匂いを嗅ぐ。臭い

帰ってきて、お風呂に入って、寝床に入ってもまだほんのり臭い

というわけで1日、ずっとうんこのことしか頭になかった。

2016-11-24

風俗ピンクサロンしか行かない理由

1、確実に素人いるか

素人をうたっているデリヘルには素人はいない

ピンクサロンというのはご存知の方はご存知だが

形態飲食店なのだ

からかならずウーロン茶がでてくるのだが

客にとっても飲食店だが募集飲食でかけていることが多く

何にも知らない高校中退大学生一定割合でいるのだ

押しに弱くその店の採用担当の人に押し切られた場合ほとんどで

一番処女率が高い風俗でもある

今年当たった人は18歳で一見中学生のような美少女で、話を聞くと飲食店だと思って応募したらピンクサロンだったというもの

それで、普通は断るのだが「まあいいか」と思い入店したというもの

こういう人はテクニックはないがとにかく押しに弱いのでこちらの指示に素直に従ってくれることも多いのだ

この人の場合金玉舐めてとお願いしたら

いからいやだというので、じゃ、次はくる直前に風呂入ってくるからといい、数日後に店に来たらちゃんと約束を守ってくれてこちらの指示通り延々と玉袋をすったりかんだり舐めたりしてくれた

2.物凄い技のプロいるか

その一方でプロに徹する人はテクニックがやはり半端ない人も多い

ある下町の嬢は20代後半でスレンダー美女だったが、濃厚なキスのあとは最後まで69の態勢でプレイをするので、客が舐めやすいようにパイパンにしているのだ

プレイ中何度も発射しそうになるが、そのたびにフェラをやめてじらしたり時には玉袋を引っ張って射精感を抑え、時間ぎりぎりに射精に導くというプロの技だ

池袋にいた20代前半の嬢は、ピンサロでなければあり得ない技を使っていた

口に深く陰茎を咥え込むと座っているソファのアームレストをがっちりとホールドして腕の力で体全体をローリングするようにして刺激を与えるという、これまたお目にかかったことのない技を駆使して射精に導く

このように通常ではありえない10代のほぼ素人や、尋常ではない技を4000-7000で味わえるというのがPSのだいご味なのだ

2016-10-12

過労死を認められた電通高橋まつり氏を悼み、敢えて自分語りをする

タイトルの通りのことを書く。結論から書けば、高橋まつり氏は「そんなに電通仕事が辛いのなら辞めたら良いのに」「休んだら良いのに」というアドヴァイスを受け取っただろう。だが、その言葉彼女を今後の新たな可能性に導く「希望」としてではなく「絶望」として聞いたかもしれないという憶測である。それを証明するために私のことを書く。

私はメンタル面で問題を抱えているので、彼女のように長時間労働条件で働いているわけではない。むしろフルタイムで働いている人間よりもゆとりを持って働かせていただいている方だろう。そんな人間彼女のことを我が身に引きつけて書くなどちゃんちゃら可笑しいことは分かっている。実際に「ワープア気取りのパラサイトクズ」と罵倒されたこともある。

そんな私だが、仕事面で厳しいことがあった。詳しいことを書けば身バレが生じるので書かないが、職場でそれなりに経験を積み仕事の実績が認められ高いポジションまで昇進させていただいたのだ。だが、上司が変わって職場空気が変化し、不器用仕事をロクにこなせない私の成長は頭打ちで止まってしまい厳しい環境に置かれることとなった。パワハラにも遭った。

そんな私に対して、「辞めたら良いのに」というアドヴァイスをしてくれる方が現れた。私の場合は「仕事内容があなたと向いていないのなら辞めたら良いのに。あなたはそんなに大企業に勤めているのだからあなたが居なくなっても代わりの人間はすぐに補填される。されなかったとすればあなたは余計な労働力だったということなのだ」と。

それに対して私は「辞めても良いんだ」と「希望」を得ただろうか。逆である。私は「自分の代わりなど幾らでも居るのか」という「絶望」を感じたのだ。


高橋まつり氏に対して転職を薦める方は多かっただろう。私は大企業と言っても本当に末端なのでこの年齢に至ってもロースペック、転職などにっちもさっちも行かないという有り様である彼女は「電通」という大手広告代理店責任あるポストを任されて働いていたのだ。「第二新卒」としての転職は容易だったかもしれない。

だが、彼女尋常ではない精神状態に追い込まれていたとしたらどうだろうか。転職するゆとり心理的にも物理的にも持つことは不可能だったのかもしれない。だからこれはあくま可能性、「自分語り」の延長上で推し量るということになってしまうのだが(それがどんなに汚らわしいことかも分かったつもりで敢えて書くが)、彼女が同じ「絶望」を感じなかった可能性はないだろうか。

彼女は真面目であったことは多くの証言が示す通りである。だからこそ、パワハラセクハラに耐えながらも「自分はこの仕事に耐えなければならないのだ」と意志を固めていたことは想像に難くない。だが、その「意志」が脆くも崩れ去ってしまうようなことが生じたとしたら? 「辞めたら良いのに」という言葉がその致命傷になる可能性はなかっただろうか、と書きたいのだ。


むろん、私は一介のネットユーザーに過ぎない。だから全て「想像力」に頼った上で書いている。まるで頓珍漢なことを書いているかもしれない。そのあたり、語弊があればお詫びする。ブログを「自分語り」で汚したくないので敢えて増田で書くが、必要なら名を明かそう。それくらいの覚悟は出来ている。容赦ない意見を頂戴出来ればと思っている。

また、私はなんら代案を示せていない。「ではどうしたら良かったのか」という肝腎な言葉には答えられない。私に言えることと言えばせいぜい「働き方のあり方が早急に見直され、悲鳴を上げる労働者メンタル面でのケアを」と言った凡庸なことに過ぎない。その批判も甘んじて受け容れる。


最後に、このような「自分語り」でその死を貶める結果となってしまったことに対して、特にずっと諦めずに戦い続けていた高橋まつり氏に深く謝罪する。その上で――白々しく響くのを承知の上で――敢えて書く。


R.I.P.

2016-08-20

九州東北に関する個人的偏見

#九州で女性として生きること のタグが闇すぎてにわかには信じがたいと話題に「目が点になった」 - Togetterまとめ

九州の人は、不平不満が多い。

自分の意に沿わない事態が起こると、それはすべて他人のせいだと考える。

自分の思うとおりにさえなっていれば何も悪いことなど起きなかったはずで、何か悪いことが起きたらそれは他人が悪いのである

そのため他人攻撃することをいとわない。

また、主に「自分より力を持っていそうなだれか」のせいだと考える。

そのまんま上司立場の強い人に噛みつく場合もあるが、

実際にはそうではないのに、「この人は裏で不正に力を持っている」などの妄想を膨らませ

その対象を悪の権化のように言い散らすこともある(上下関係には弱いので、そういうことのほうが多い)。

神話時代から国の興りを自分たちの住処からだと称し、江戸幕府に対して300年恨みをため込んで、とうとう明治政府自分のものにしてしまった人たちを感じる。

彼らは本当は、この世は自分のものであり、自分世界の中心だと信じている。それぞれに。


東北の人は、あきらめが早い。

自分の意に沿わない事態が起こると、「ああもうしょーがないね」とすぐにあきらめる。

基本的に、あらゆる物事について、自分意思など大して影響力のない微々たるものだと思っていて、

なりゆきにまかせ合わせていくしかないと思っている。

東北人間にとって、冬に降る大雪や、夏に吹く冷風や、東京の人たちのお達しや、だれか他人意見はすべて、

逆らいようのない何事かである

あきらめは早いが、さっぱりしている訳ではない。むしろねちっこい。

雪に降り込められた家の中で、欝々と春を待ちながらあきらめたことを執拗く数えている。

数えているだけで、それに対する打開策などは考えない。自分たちは等しく無力だと信じている。

から時々、打開策を考えて自分から動こうとする人が出た時の、同調圧力からくる足の引っ張りようは尋常ではない

坂上田村麻呂時代から虐げられ、そして最後には江戸幕府に殉じ、結局いい目など一度も見たことのない人たちを感じる。

彼らは心の底から自分たち辺境人間であると信じている。その分だけ、無責任である

2016-08-13

オリンピックが終わるまで生きているだろうか

俺はオリンピックが終わるまで生きていられるのだろうか。

石川佳純が出てくるたび、シコリティが刺激されて仕方がないため、手淫にふけるのだが、最近の回数が尋常ではない。命の危険を感じるが石川佳純からあふれるシコリティがやめさせてくれないのだ。

2016-06-30

自宅周辺のインド化が止まらない

このところ、ふと気がついたら駅前インド化が着実に進んでいることに気付いた。

ちなみに場所都内山の手ちょっと外側。

5年前に引っ越してきた頃は日本居酒屋FCオーナーインド人だった程度だ。

メニューオリジナルインド料理が並んでいたことに驚ろかされた。

とても愛想よくキビキビと働く姿を見て、このままじゃ日本人ピンチだなだなんてつれと笑いながら話をしていた。

それが気がつくと、今度はインドカレー専門店ができていた。

消して大きな店ではないが、テイクアウトメニューを多く用意するなど、一生懸命商売をしていた。

その頃には駅前インド風の格好をした人たちがホームレスに紛れて夕涼みにたむろする姿を頻繁に目撃するようになった。

そうしている間に、さらに一回り大きなカレー専門店ネパール料理専門店ができた。

駅の周辺だけで、インド人経営者飲食店が少なくとも4つあることになる。

彼らが出店しているのは日本人商売に失敗した居抜き店舗だ。

それを最低限の設備改装と、身内がこぞって行った装飾とで新しい店に作り変えてしまうのだ。

採算が見込めないのかしばらく放置されていた物件にも関わらず商売を始めようとするのだから、そのたくましさは尋常ではない

すぐに潰れてしまうかとおもいきや、常にインドの人で埋まっているので、残り少ない日本人客だけでも商売が成り立っていそうな様子だった。

そして先日、とうとうインド商店ができた。

表向きは香辛料を扱っているが、中に入ると衣服DVなどの生活用品もおいてあった。

まり、それだけインド人ニーズがあるということであり、ここにインド人生活根付いているということを意味しているというわけだ。

この周辺は間違いなく着実にインド人支配が強まっている。

駅前ロータリーサリーの女がヨガポーズタクシーを止める姿を見られるようになるのも、もう時間問題だろう。

中央線に飛び込んだ聖者最後の言葉が繰り返しおれの頭に響いていた。

2016-06-12

女王の周辺

いわゆる2ちゃんねるネタであり「あそこに書かれていることなんて気にしなくていいと思うぞ」で終わってしまう話を、あえて書いてみる。


就学前の幼少時から始められる楽器代表例は、なんといってもピアノヴァイオリンだろう。

大人になってから始める人がいるくらいには人気もある。

そんなだから、当然2ちゃんねるにもヴァイオリンスレはあるのだが、ピアノと違ってこのスレはほぼ十年来、ギスギスした空気現在に至っているのだ。

理由は、幼少時から始めた人=アーリー組と、高校大学社会人くらいから始めた人=レイト組の対立にある。

結果、本スレから分家した、レイト向けスレの1に貼られるテンプレからして、その上から目線ぶりが尋常ではない

以下の論争はすでに終結しています

1.プロ演奏者に関する鑑賞系の話題

 ●耳の腐ったレイトに良し悪しは解らんだろう。

2.音律ビブラートのしつこい論争

 ●ヴァイオリンピタゴラス音律で弾く。レイト基本的ヴィブラートを掛けてはならない。

3.スズキメソッドの是非のしつこい論争

 ●スズキであろうが、サンマであろが、使い方次第。

4.アーリーレイトのどちらが上達するかのしつこい論争

 ●幼少期から習っている人に大人から始めて追いつけるワケがない。言語と同じ。

5.チューナーの是非のしつこい論争

 ●チューナーは、調弦では仕方がない、運弓で使える、音階練習には使えない。

(中略)

★なぜ、アーリーは、いい加減に弾くレイトを忌み嫌うのか★

汚い音、狂った音程に対する嫌悪感が、上達のインセンティブで、

自分の汚い音を忌み嫌ったから、上手になったのが、上手いアーリーだ。

から、汚い音、狂った音程を何とも思わないレイトを忌み嫌ってしまう。

これはもう、明らかに「にわかを見下す熟練者」「アーリー自身が囚われている生存者バイアス」が合わさった結果であり、こういう対立がないピアノ組が正直羨ましい。

自分も一応はアーリー組の末席という立ち位置だが、どう見てもアーリー組のスタンス問題だと思うのだ。

以下、そんなアーリーの特徴を、ヴァイオリン特性も絡めて書いてみる。


主にピアノ比較したヴァイオリン特性シニカルに書くと、こんな感じである

ヴァイオリンをとても良く弾ける人間がひとたび音を出せば、それはもう堂々の主役として、当たり前のようにステージ支配する点において「楽器女王であることは間違いない。

しか楽器ポテンシャルや柔軟性から言えば、「楽器王様」はピアノだろう。


そんなヴァイオリンは、親の時間的金銭負担が大きい時点で幼少時から学習者がピアノほど多くないところに、演奏技法習得の難しさ(≒誰もが知っている名曲を弾けるまでに至るための要求水準の高さ)から、恐らく多くの脱落者を生んでいることが容易に想像できるシロモノである

それこそ面倒どころか、個人的には世界一難しい楽器としてギネス認定すべきだと思うくらいで、ヴァイオリン弾きの生存者バイアスが強いと思う理由である

例えば、モーツァルト協奏曲というのがある。

全5曲のうち、重要なのは3番以降の3曲で、これはプロオケ入団試験にも頻出する曲であり、つまりヴァイオリンクラシックをやるなら、3曲のうちのいずれかをプロアマわず習得していることが望ましい曲である

というかメンデルスゾーン協奏曲バッハシャコンヌチゴイネルワイゼンみたいな名曲を弾こうと思ったら、モーツァルトをまともに弾けるのは大前提だし。

そんなこともあり、実際プロ目指す人は小学生モーツァルトをやってしまう。

しかアマチュアになると、幼少時から習っていてもここまで来る人は1割程度だと言われている。

そして、そんなごく一部の人=アーリー組が、大人になってもヴァイオリンを続けていると、こういうわけだ。

しかし、アーリーにそんな自覚は多分ないはずで、それどころか超頑張って俺はここまで来た的な自負があり、これがレイトとの軋轢根本原因だろう。

まり、幼少時から始めた人が超上手くなって続けるか、そうならずにヴァイオリンを習っていたことそのものを無かったことにするかという両極端な事情をどうにかしないと、今後もこの憂慮すべき事態は続くと思われる。


ヴァイオリン、ちゃんと弾けたら本当に虜になる楽器なんだけど、色々大変なのが残念。

女王様は甘くないという感じである

2016-06-10

今週の坂本ですが?生理的嫌悪感がヤバかった件

茂美がキツかった。

いい話風に収めたけど、全然収まってないぞアレ

精神グロッキーにさせる回だったという意味ではここ数年で一番だと思う。

坂本ですが?自体オススメアニメだけど、今回は見るの回避した方が良い。

嫌悪感が半端無い。

グロテスクさや気持ち悪さが尋常ではない

吐きそう・・・

2016-06-04

日本でなぜ、ゼロ1が生まれないのか?単純に、その仕事量をわかっていないからだと思う。

ゼロイチの仕事量を、100ぐらいだと思って舐めているので、ゼロイチの人間にあれもこれもそれもしてくれと要求ばかりをなげて、してくれないとがっかりするのだ。

期待に応えてくれないと、私は何もやりません、協力しません、あなたの側は、それぐらいできて当然でしょう、というスタンス

ゼロイチなんて、100ぐらいの仕事なのだからと…つまり見る目がないのだ。

今まではアメリカ成功例を真似てばかりいたから、誰も知らないのは無理もないと思う。

そして、実際の仕事量は想像を遥かに超える、10000000000000000000000000000ぐらいの仕事なのだサハラ砂漠を実際に地図もなしに横断してみるようなもので、最初に思っていたよりも難しいことがわかる。でも、サハラ砂漠に行く前は、これぐらい行ける!と思うのだ。

具体的な仕事量を延べると、

何も無いところからの基礎研究と(大学研究前例学科学問もなければ、大学にもない、さらもっと基礎レベルになる。大学が後からついてくる)、そして、発明して開発を行い、特許などを取り、顧客に売り込む営業を行い、仲間を作る。ゼロイチ研究、開発、特許商品化顧客に売り込み、仲間さがし、を全部行わないといけない。他にも会計法律営業、すべてを一人にさせているのだ。負担を一人に押し付けているのだ。

誰ひとり、あなた仕事は、もうそれぐらいでいいよ、ありがとう、とは言わない、これもしろあれもしろもっとくれもっとくれもっとしてしてくれ、くれくれくれ、しか言わないのだ。要求青天井だ。

おまけに保守派からの反対勢力、メディア風評被害大衆の妬みによる足の引っ張り、暴言を吐き、邪魔をして、開発を盗み、人災被害尋常ではない

体を壊しながら、100000000000000000000000000の仕事をして、手伝いもしない承認欲がやたら強い妬みにかられた国民のために、働いているのだ。

日本起業簡単地方起業簡単、というけれど、もし上手くいったらそう言われる。簡単だったか成功したと。

ほとんどの人間は、ものを見る目がない。目に見えるものは分からない、想像力が無いのだ。相手の状況がまるで分からない。

暴言を吐きまくっているだけで、なにもしてこなかった人々は、

これから暴言を吐きまくって足を引っ張ってきたリーダーに助けられるのだ。

天国とは、まさにこの事だとおもう。究極に甘やかされ続ける環境

けれど、実力の伴わない、人から貰っているラッキーは、しょせん、自分の為にはならない。

2016-05-13

黒い砂漠のヤバさを語るぞ(`・ω・´)

http://anond.hatelabo.jp/20160512181640

ずいぶん色々なMMOを試したようだね。とりあえず乙です(`・ω・´)

今のところ、このゲーム続けるか!っていうのにまだ出会っていない感じ。まず探してみてびっくりしたのが、今のMMOが大体どれも3Dになってること。すげーな。すげーんだけど俺にはちょっとしんどい三人称視点のWASD移動なり仮想パッド移動なりがこんなにかったるいとは思わなかった。

自分他人が1画面でテーンって並んでる感じのカメラ位置が落ち着くなーって思った時点で、思いのほか自分クォータービュー向きの人間だったことに気付いたけど、そんなこといっても世の中の流れはそうじゃないみたいだからしょうがない。

色々触ってみて、自分MMOに求めるのは適度なガヤガヤ感(あんまり過疎ってない)と、着せ替えたり装備を変えたりしたのが見た目に反映されて、ひとりで眺めて満足したり、入手した達成感を得られる程度のアバターの量。

できれば3Dでもめっちゃリアルなやつよりはちょっと等身が低めの方がいいのかもしれない。でも多分2Dの方が好きそうだ。後は本格MMOみたいなやつがどれも難しく感じたので、あんまり戦闘重視じゃない方がいいかなー?とか、ダンジョン生成して数人で潜るのがメインループになるゲームは、狩りを楽しめなくてあんまり向いてないっぽいなーといったところか。

クォータービューで2Dキャラを見下ろして、まったり出来て、それでて過疎っていないゲームは、ブコメでも指摘されている通りやはりRO(ラグナロクオンライン)だね。それにしてもROは古い。というか、あのRO世界が未だに続いている事は、凄い、を通り越して狂気すら感じるよ。サービス開始は2002年。もう誕生して15年に近い。

君のように色々やった人なら、RO10年前にプレイ済みだろうね。実はラグナロクオンラインメイプルストーリーなどの古参ゲームは未だにアップデートを続けている。世界は未だ拡張され、変わっていってる。3年離れたら別ゲームだと思って良い。カムバックキャンペーンもよくやっているし、昔作ったアカウントがあるなら、ログインしてみるといいよ。刑務所から出所した感覚になる。すげー世界、こんなに変わってたんだ!って感動するよ。いや、おれ、お勤めしたことないけど。想像ね、想像

 

さて、上記条件とはちょっとズレるが、あなたには黒い砂漠オススメだ。

すまん嘘ついた。

最近おれは誰にでも勧めてるんだ、黒い砂漠。要するに信者である

あ、ちょ、ちょっと待って、すいません、ブラウザバックしないで、おねーさん

 

黒い砂漠とは、2015年にはじまったMMO RPGだ。アクション性が高い戦闘や、マネーゲームを楽しめる。そして見える所はすべて探索できるオープンワールドである

 

グラフィックヤバイ

グラフィックが綺麗。なんてレベルじゃない。開発チームには天才がいるとしか思えないレベル凄さで、一線を画している。インタビューで「MMOに最適な描画エンジンがないから、自作した」とか語ってる。実際、ギルド戦なんかで100人くらいグリグリ操作しても、ちゃんと表示されてる。すげーよ!こえーよ!作ったやつナニモンだよ!!最新グラボであるnVidia GTX 980を使って、ようやく最高グラフィックが見えるが、動きの速いキャラを使うと、それでもFPS30を切る。最近nVidia GTX 1080が発表されたが、ゲーム内ではいつ乗り換えようって話が毎日飛び交ってる。ゲームグラフィック最先端がここにあり、それを体験したいユーザが集まっている。いちおう描画設定をLOWにすれば、2010年PCでもギリギリ動くかな。とはいえ、一度プレイしたら、新しいPCが欲しくなる禁断症状が現れるだろう。

 

アクション性がヤバイ

なんだこれは格ゲーか!? って次元アクション性が高い。対人戦になるとコマンド入力の巧さで勝負が決まる。当たり判定もシビアで、コンボの奥も深い。アクションゲーム好きならば、文句なしオススメできる。スキルの組み合わせだけで多彩な戦術がある。ギルド戦やPvPも定石パターン存在せず、頭も指先も駆使して挑むバトルは能汁あふれまくりんぐ。

反面、初心者ポチポチスキルぶっぱなして楽しむ事も出来る。Lv50まではシンプルキー入力で楽しめるので、アクションが苦手なオジイチャンでもついていけるゲームデザインになっている。よくできているよ、ホント

 

経済ヤバイ

実は一切戦闘しなくても、どっぷり楽しめる。農場経営とか、釣りとか、探索とか、料理に一生を費やしても、ホイホイとレベルが上がっていくんだ。実際に非戦闘ギルド存在し、彼らは毎日釣りやら捕鯨をしてる。漁船捕鯨もあまりリアルなので、グリーンピースに絡まれいか心配だよ。

ところで「黒い砂漠経済ゲームの一面がある」と評されるくらい、札束で殴り合う世界存在していて、これがまた魅力的なんだな。まずプレイヤーモンスターを狩って、ドロップしたアイテムを街中で売るわけだが、じつは街ごとに25%くらいの税金が定められている。アイテムの売買に消費税が課せられるわけだね。で、その税金は、街を支配するギルドに渡る。ギルド攻城戦を通して街を奪い合い、より多くの税収を稼ぐことを目論む。ギルド戦に必要な攻城兵器は高額で、その素材として初心者採取するアイテムが含まれる。初心者販売したアイテム上級者が買い占めるので、お金が循環する。経済輪廻を延々と繰り返し、多くの富を支配した者が真の強者となる。あまりに複雑でリアル生態系なんだけど、RMT業者がいない(もしくは、目に付かない程度に少ない)のが素晴らしい。運営監視が行き届いているのだろうね。

そんなこんなで、戦闘苦手でも交易釣りを駆使して、マネーゲームに参加する楽しさがある。

 

自由度ゲームバランスヤバイ

いろいろな事ができる黒い砂漠だが、序盤はチュートリアルクエストをこなして、ゲームの全貌をつかんでいく事になる。膨大なシステムのせいもあって、正直とっつきにくさは否めない。しかし、最初学習曲線を超えたら、あとは自由時間といえるね。事実、Lv20あたりでクエストがパタリと止まるタイミングが発生する。そこでプレイヤーは「はてさて、なんかやる事なくなったけど、なにしようか」と考え、海を見るとたくさんの釣り人が、砂漠を見るとたくさんの狩人が、平野を見ると「ブフォォ、馬速スギィイイ、チビルゥウウウ」とか駆け抜ける、たくさんの変態がいる。

そんなこんなを目の当たりにして、プレイヤーは考える。「ぼくは、なにをやろう、この世界で。」

この感覚は多くのMMO RPG共通のものだろうけれど、黒い砂漠では職業システム的な思想がゆるい。ほかのMMOでは明確な攻略法存在し、実質的に一本道のゲームだった。って事があるのだけれど、この世界にそれはない。経済ゲームに参加しようが、戦闘に興じようが、どういう選択をしても後戻り可能で、正攻法というもの存在しない。これで成り立つゲームバランスは凄すぎる。

要するにプレイヤー自分のやりたい事をやってれば、勝手レベルは上がるし、そこそこ楽しめるという訳なんだ。

 

アップデートヤバイ

アップデート速度がすごい。私もいままで両手両足では収まらいくらゲームをしてきたけれど、黒い砂漠アップデート頻度は尋常ではない。どんだけ広がるの、この世界Wiki情報は光の速さで古くなり、いつのまにか間違いデータになってたりする。ユーザ数の問題かもしれないが、検証班の速度がおいついていない。広大な砂漠はどんどん広がっていくし、その情報公式に流れないので、開拓するモチベーションに繋がる。いつのまにかNPCに会話が追加されてたり、新しいアイテムが追加されてて、それが恐ろしい量となっていて、ワクワクが持続する。

 

課金バランスが保たれている

アイテム課金とは、光と闇の表裏一体。ゲームバランスを傾けたり、ユーザ同士のいざこざの要因になりうる最大要素だね。しかし、黒い砂漠では、最強の課金アイテムってのはないんだ。確かにアイテムボックス増加やアバター追加など、ゲームを有利で楽しく進める課金アイテム要素はあるが、バランスブレイカーとは程遠い。ゲームバランスに影響を与えるようなガチャシステムは一切存在せず、ゲーマーにとって嬉しい秩序が保たれているね。

はい課金とは開発チームや運営会社の胸先三寸なので、いつ変化するか分からない。でも、私には黒の砂漠運営チームは、課金ゲームバランスについて、独特のスタンスを保っているように感じられるよ。

 

 

まるでSAOのような小世界がここにある。いや、それは誤りだった。小世界ではなく、黒い砂漠は、世界のものとすら錯覚するよ。

……なんて超説絶賛しちゃった信者な私だけど、やっぱり長年ゲーマーやってるので、自分の飽きる感覚想像がつく。でも、そこそこシビアに考えて、あと1年くらいはやってると思う。それくらいの魅力があるゲームが、黒い砂漠だ。

君にあう世界が見つかると良いね。どこかの鯖で会える事を期待して。

長いチラ裏失礼した。ノシ!!

2016-04-30

今世の中に、最も無いものビジョン。(実のところ…)

その事実を認められる人間は、どれほどいるだろうか?

保育園介護問題も、とりあえず直面した問題から解決したい。

しかしその先にビジョンはない。子供保育園に預けることが本当に良いことなのか?それさえも分からずに、ただ、世の流れだからという理由?で保育園に預ける。介護のあり方だって、今の方法で本当にいいのか?それすらもビジョンがない。

誰かが考えてくれて、誰かが方向をつけてくれればと誰か任せな上、

もし誰かが方向をつけたとしても、与えてくれるリーダー人に感謝もせず、批判文句暴言を吐き、尋常ではない非道行為(絶句するレベル理不尽さ)を繰り返し続け、成果を盗でタダ乗りする、どこまでも貰うばっかりの人々。

どこまでも貰うばかりだからこそなのか、自尊心が極限に低くて、ルサンチマンも極限に肥大している。

人を批判してもルサンチマンからは逃れられない。自分が少しでも挑戦して生きないことには。

2016-04-14

互助会 vs 原住民 〜人喰い人種増田族の謎を追え〜

 我々取材班は、未だはてな原住民の勢力下にあるという増田村に潜入取材を試みた。


 現地のガイド犬(スコティッシュテリア)に案内され、増田村との接触に成功した取材班

 いきなり村の入口の異様な光景に驚かされる。


取材班「こ、これはいったいなんだ???


 村の入口に並んでいたのは無数の頭蓋骨であった。


ガイド犬「ああ、これは別の増田村の村民たちの骨ですね。彼らは年中同族同士で殺し合ってるんです」

取材班「明らかに増田ではない骨格の頭蓋骨もいくつかありますが……」

ガイド犬「(直接質問には答えず)安心してください。我々は敵ではない、と先方に伝えてありますから


 ガイド犬の口調は力強かったが、未開人の野蛮な風習を見せつけられたショックは大きい。


取材班「こんな文明から隔絶した、恐ろしい土地現代インターネットにも存在したなんて……」


 インターネットの闇は深い。

 増田村の村長宅では、村民総出の出迎えを受けた。


増田A「ブリブリ! ウホウホ! ブリブリ! ウホウホ!」

増田B「ニホン! シーネ! フジツー! シーネ!」


 随分、興奮しているようだ。

 よそものを心の底から歓迎しているふうではないようだが……?


ガイド犬「大丈夫です。あれは、彼らの言葉で『あなたに会えたことを神に感謝します』と言っていて、まあ定形挨拶みたいなものです。我々は歓迎されてますよ。ほら、見てください」


 犬が鼻で示した先には、煮えたぎる巨大な鍋が。

 中身は排泄物のような色合いの液体で満たされており、ちらほらと魚の頭?のようなもの突き出している。

 増田たちはそのシチューのような何かを木製の器によそうと、満面の笑みで我々に差し出してきた。


増田C「ウンコウンコ! サバカレーウンコ!」


取材班「我々に食べろ、と?」

ガイド犬「これはサバカレーといって、増田族に伝わる神撰のひとつです。外部の人間とこれをわかちあうことで、永遠友情を築けると彼らは信じていますヤクザの盃とおなじですね。友好の証ですよ。ぜひ、いただきなさい。おいしいですよ」


 サバカレーはぬちゃぬちゃして、とても苦く、お世辞にもおいしいとはいえなかった。

 が、せっかくのおもてなしを無下にはできない。彼らの機嫌をそこねたら、魚の次にシチュー材料にされるのは我々だ。

 我々は無心でサバカレーを口の中へかきこんだ。


取材班「ごちそうさまです……」


 二時間後、悪戦苦闘の末、我々はサバカレーを完食した。地獄のような二時間であった。しばらく茶色食べ物は焼きたてのパンでも食べたくない気分だ。

 我々は増田村の村民たちに感謝の意をささげた。


増田B「ノープロブレム! ブクマ! ブクマリーズ!」


 増田たちは、戦後直後の占領米軍兵にチョコを乞う浮浪児たちのごとく、一斉に両手を我々に向けてつきだしてきた。

 ご馳走の見返りをよこせということだろうか?


 

ガイド犬 「ああ、ブックマークを欲しがってるんですよ。彼らは。くれておやりなさい。減るもんでもないでしょう」


取材班「あの……ブックマーク……とは?」


ガイド犬「は?」


 ガイド犬の目つきが明らかに豹変した。


ガイド犬「そんなことも知らないで……増田村までやってきたんですか!?


 増田たちの「ブクマブクマ!」の大合唱がどんどん強まっていく。

 ガイド犬は増田村の村長に向かって、あわてて何事を申し立てた。

 増田村長ガイド犬と二言三言、短い会話を交わしたのち、ベニヤ板の床をドン、とひとつきし、増田たちを黙らせた。


増田村長ブクマ! ウンコ! ゴジョカイ! スイヨービ!」


 増田村長の大喝に、一旦はクールダウンたかに見えた増田たちもふたたび狂騒を取り戻す。


増田たち「ゴジョカイ! スイヨービ! ノーブクマ! スイヨービ!」


ガイド犬「まずいな……」

取材班 「まずい、って何がです!?


 ガイド犬はそれには答えず、こちらへ憐れむような一瞥を投げかけたと思うと軽やかに身を翻し、青二才のごとく狂騒の村長から逃走した。


 われわれを置き去りにして。


増田たち「ゴジョカイ! スイヨービ! ノーブクマ! スイヨービ!」

増田たち「ゴジョカイ! ダップン! ノーブクマ! ゲリピー!」


 我々を輪のように取り囲み、じりじりとにじり寄ってくる増田たち。

 その目はどれも尋常ではない光を帯びている。

 命乞いは、無駄であろう。


取材班「なんてことだ――増田村に、はてな原住民にさえ近づかなければこんなことには――」


 後悔してももう遅い。

 おそらく明日には我々の真新しい頭蓋骨が、増田村の入り口に並ぶことだろう。

  

 

2016-02-09

性交怖い(二回戦の衝撃)

マットヘルスに行った。六十分コース

事前のアンケートで弱いところを聞かれたので、亀頭を攻められると弱いと素直に書いた。二回戦希望なことも書いた。

写真指名したのだが、出てきた嬢はほぼ別物で、可愛くはあるものの見た目はそんなに好みじゃなかった。でも明るくていい子でテクもあった。

会話を楽しんだりしながら、一回目は素股ですんなり出した。

その時点でたぶん四十分くらい経ってたんじゃないかと思う。風俗にはこの二年で十回以上通っているのだが、二回戦に入る前には大体インターバルを挟むので、この時間ならもうあとは無理せずベッドでイチャイチャしてもいいなと感じてた。

なのにいきなり嬢が、軽く一度目のローションと精液をシャワーで流したあとで追加のローションをかけてきた。

もう無理だと内心思いつつ、口に出せずにいた。表情に出ていたのか、嬢は「ごめん、勝手に始めちゃった」と声をかけてきたものの、手が止まらない。

そのうち、息子が元気になってきた。自分ではわかっていなかったのだが、嬢が「一回目より硬くなってきたんだけど、どういうこと?w」と言っている。

そして嬢の手が尋常ではない速度で動き出した。一秒間に五往復くらいの高速ピストン運動亀頭を攻める、攻める。

そのうち脚がぴくぴく、腰がガクガクと痙攣しはじめ、自分でも身体が制御できなくなった。そして眉間の裏側に次々と刺激が送り込まれ快感で脳が灼き切れそうになる。エロ漫画とかエロゲものすごいクリ責めを食らっているヒロインみたいな状態だったと思う。あんなのポルノメディアの誇張表現だと思っていたのに、あるもんなんだなと。

そして本当の本当にもう限界だというところで、二回目なのにどこにこんだけ溜まってたんだというくらいの大量の精液がいきおいよく飛び出た。

性交とは「小さな死」であるとかなんとかい表現を聞いたことがあるが、終わる寸前はこのままだと死ぬと思った。出る瞬間も頭のなかは真っ白で意識が飛んでいた。

すごい、すごい体験をした。気持ち良すぎて怖かった。でもまた体験したい。でも怖い。恋人との性交でもあん体験したことなかった。性交怖い。でもまたやりたい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん