はてなキーワード: バイエルとは
先日、『ポケットピカチュウが欲しかったけど、ポケットハローキティがクリスマスに届いた』っていう話を書いたら思った以上に反響があった。正直驚いた。
私もだわという声もあって、一人じゃなかったんだなあと、心に刺さった棘がちょっと小さくなった。
https://anond.hatelabo.jp/20220818181739
»ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。
について掘り下げる。
どうしたらポケットピカチュウを手に入れることができたんだろう。
1. クリスマスまでに親を説き伏せてポケットピカチュウもらう
2. クリスマスにポケットハローキティを贈ったのは間違いだったと気づかせて、別のタイミングでポケットピカチュウをもらう
私の親は、ポケモンは暴力的なゲームで子どもに悪い影響がある かつ ちょっとした流行りものと認識していた。
2022年に「ポケモンは暴力的なので我が家では禁止しています」という親がどれくらいいるか分からないが、1999年にはどうやら一定層いたらしい。
子供の頃の記憶と、さっき5分くらい調べたGoogle検索の結果なので間違っているかも知れない。
ーーーーーもし、2022年の私が1999年の私に会えたら、何てアドバイスをすればいいか。
・友達を1人ずつ連れて行って、ほら、みんなポケットピカチュウを持っているでしょ。と、[エビデンス]を突きつけてみるのはどうだろう。
・もしくは、うちでポケットピカチュウ通信会を開催して、私だけ持ってないでしょ、と教えるのはどうだろう。
・・・と思いついた。
おそらく、当時の親は周りの子どものことが見えてなかった。見る習慣がなかった。
私は第一子だったので、幼稚園に通うまでは「子」と「お母さん」だけの【家】という最小コミュニティで成り立っていた。
それが、幼稚園に通うようになって、「子」と「お母さん」と「幼稚園の同級生」と「ママ友」という【地域】コミュニティに膨らむ。
子が成長するに従って、親はぶつぶつ言い始める。
『〇〇ちゃんはもうバイエルやってるんだって』とか『〇〇ちゃんは進学塾に通っているそうよ』とか『〇〇ちゃんは結婚したって』
と、否定されたことはないので、親にとっては「今日は晴れていたね」くらいの日常の会話、近所の近況報告だったかも知れない。
肯定的に捉えると、周りの子どもと比較するということは、周りの子どもを見る余裕ができたということだと思う。
私が幼稚園に通うくらいの頃は妹が生まれたばかりだった。親は心に余裕がなかったと思う。
自分を通してのママ友はあまりいないが、妹の友達のママ友はいまだに付き合いがあるくらい長い付き合いだ。
なので、公園の片隅で
「うちの子ポケモンなんかに興味を持つのよ。女の子なのに。やあねえ。」
「え、知らないの?ポケモンって今とってもはやってるのよ。女の子も男の子もみんな持ってるんだから。〇〇ちゃんも買わないと置いていかれちゃうわよ。」
なんて話している余裕は私が子どもの頃はなかったんだろう。
あの頃は、「私」と「妹」と「お母さん」だけの【家】で小さく暮らしていた。
私だけが幼稚園という広いコミュニテイに先に出てしまったのだ。
周りの子と自分を比べても、あまり良い説得材料にはならなさそうだ。
ピカチュウはちょっとした流行だと捉えていたことについては思うところがある。
当時ハローキティはキャラクターとしてはかなりの地位を得ていた。1974年にデビューしたそうなので、1999年に25周年を迎えていた。
対してピカチュウは1996年に誕生しており、1999年時点ではたった3周年だ。
2022年にはピカチュウが誕生してから26年になるが、未だに老若男女誰に聞いても「このキャラクターは何?」「ピカチュウ」と回答が返ってくると誰が想像しただろうか。
あなたが「どうせ、これもすぐ終わる流行でしょ?」と手を振り払ったそれは25年後常識になっているかもしれませんよ。
ーーーーサンタさんが良かれと思ってプレゼントしたものを開けた瞬間、子どもがしくしく泣き出したら?
サンタさんはさぞ慌てふためいたと思う。自分が良かれと思って変更したプレゼントは間違っていた、と気付くことができる。
本来であれば25日の朝のプレゼント開封でクライマックスを迎え、幸せなクリスマスになるはず。
ところが、25日の朝にポケットハローキティが出てくることで、家族史上最も気まずいクリスマスになる。
「何が違ったの?」「どうしてダメだったの?」「そんなにピカチュウが欲しかったの?」と聞いてくれたかも知れないし、
「ああ、この子が主張していたものを勝手に変えるのは良くないんだな」と気付いてくれたかも知れない。
人と人はぶつかり合ってお互いの理解を深めるというが、親と理解を深め合う最初のチャンスが5歳のクリスマスだったのかも知れない。
3000円のポケットピカチュウはお菓子のように気軽に買えるというほどではないが、
ちょっと食費を削ったり服を1枚我慢したりCDを1枚我慢すれば、手に入らない金額のものではない。
在庫薄だったかも知れないが、周りの子がみんな持っていたのを考えるに、郊外特有の、ちょっと大きいトイザらスが在庫を持っていたと想像する。
私が親だったら、しくしく泣き出してしまったクリスマスの悲しい思い出を払拭するために、ポケットピカチュウを手に入れようと頑張るだろう。
26日の朝に「あれー!サンタさん今日もプレゼントくれたみたい」と急いで挽回するか、元旦にお年玉の代わりに渡すか、数週間後にある誕生日のプレゼントにするか。
なんらかのタイミングでポケットピカチュウが私の手に入ってハッピーエンドだ。
アラサーになって、ビールを飲みながら、はてな匿名ダイアリーでちまちま記事を執筆することもない。
前回の記事で、ポケモンに触れずに大人になってしまった哀れな人と思われたかもしれないが、安心してほしい。
ポケットハローキティ事件の数ヶ月後に、ひょんなことからゲームボーイカラーとポケットモンスター銀を手に入れることになる。
かがやきスクールスペシャル 「バイエル カラダのミカタ 高校生シンポジウム」を初開催
バルセロナオリンピック金メダリスト岩崎恭子さん、澤 穂希さんも高校生を応援!
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000006.000019857.html
これって2016年の記事だけど、こんな試みがあった事自体寡聞にして今まで知らなかった
企業主導っていうのはどうかと思うし、そもそも「若い世代に啓発」よりも医師の方が態度を改めろよと思ったが
そしてTwitterなどで検索してみても、フェミニストっぽいアカウントが触れている様子はない
「女性のカラダ・健康について」ってまさにフェミニズムど真ん中ストレート案件だと思うんだけど、何故だろう?
性教育とか緊急避妊薬とかがやたらと話題になる割に、あくまで性行為にしかポイントを置いていない人がフェミニストには多そうだなと思った
高苗早市
これをコードとして解読すれば
苗は高く、市は早い
あるいは、早い苗、市で高い となる
早稲田や稙田という言葉も育ちの早い稲を意味するし、それが好まれることは大昔から変わらない
しかし市が早いとか苗が高いとは?
苗といえば、著名なのは大会社バイエルやモンサントである。農薬ラウンドアップ、また耐性苗の売上を伸ばしている
しばらくググってみると、これらの会社にはある共通の歴史があることが分かった
昔ベトナムで奇形児が増加して問題になったことがある 枯葉剤という化学物質が原因だった
IGFの取締役らは民間人でありながら戦犯として裁かれ、会社は分割され米軍に枯葉剤を提供
メインバンクはナチスの資金源のひとつアリアンツと同じらしいが確証はない
すると高苗早市とは…ひょっとしてその銀行を意味するのではないか?という疑問が湧く
我々の税金は黒い銀行に受け渡され、テロを起こすのかもしれない
とにもかくにも
不吉なコードに見えるのだ
それで今ピアノが弾けるかというと、楽器と縁遠くなってしまって弾けるとは呼べないレベルだと思う。
何故ピアノを習い始めたのかというと、親戚のお姉さんなどがピアノを弾いていたのがかっこよかったからで近所にあるピアノ教室に通うことになるのだが、これが何とも微妙な時間を過ごすことになる。
まずピアノ講師はおばちゃんだった。主婦業の傍ら近所の子供にピアノを教えるという感じの教室で、最初は子供向けバイエルなどで運指などの練習をした。毎週黙々とバイエルをこなすだけで、課題曲が弾けたら「次行ってみよう」というだけだった。
おばちゃんとは特に世間話などはしなかった。ただ教室に行って、挨拶して課題曲弾いて終わり。バイエルが進んでから初心者向けの練習曲教本に進んだけど、おばちゃんが指定する曲の音符をさらってきて弾いて、全部弾けたら次の曲みたいな感じだった。
練習教本修了くらいでツェルニーとブルグミュラーを渡されてまたさらってこいと言われ、ただ練習曲を淡々と弾くだけだった。追加でハノンも渡されたけど、指が疲れるだけで全く面白くなかった。
ここまで来ると何のためにピアノを習っているのかと思った。特にモチベーションを感じない。でもピアノ自体は嫌いではなかったのでダラダラと通い、中3で忙しくなるからという理由で教室は辞めた。辞めて「無駄な時間だったな」と思った。
今思えば、まず「ピアノを弾けて楽しい」「上達して嬉しい」というアクションは全くなかった。好きな曲を弾いたり、弾き方によって様々な表現があるなど興味を引くような機会があったりは全くなかった。ただ教本をなぞるだけ。なぞれたらおわり。
そしておばちゃんが積極的にコミュニケーションを取ってこなかったのも気まずい時間だった一因だと思う。何かやりとりはしていたんだと思うけど、基本的に楽しいものじゃなかったのを覚えている。おばちゃんの持ってる空気が重苦しくて、ピアノを楽しいと思ってはいけないような雰囲気があった。
20年前、中学2年生のときに参加した秋の吹奏楽コンクール。夏休みをつぶして練習をしていた彼女たちを横目に見ながら、ステージの上で俺は何もせずに突っ立っていた。割り当てられた楽器はトライアングル。特定のパートで音を鳴らすだけだった予定だが、誰かのミスで俺の楽器がステージに用意されることなく終わった。別にトライアングルを準備しなかった誰かを怨んじゃいないし、たぶん本当にただのミスだったんだと思う。悪いのは夏休み中に一回も練習に参加しないどころか、辞める意思を伝えなかった俺だと思う。
うちの家族は音楽一家だ。俺が小5のときに死んだ父親はフルートの奏者で、同期の友人を集めて社会人サークルを作ってときどき演奏会をしていた。姉も姉でピアノが得意でときどき、受験勉強の合間に演奏をしていた。妹もサックスの奏者で運転免許教習のためにと渡した金で自分用のサックスを買ってた。母親は別に音楽はしなかったが、彼女たちを育てるのにリソースを費やしていた。そんな家族だったから俺も音楽が好きで、得意できっと才能もあるのだろうと思っていた。
俺が楽器に触っていた一番古い記憶は幼稚園のころにピアノを習っていた記憶だ。音大を卒業したばかりの若い女性の先生を家に呼んで姉と俺が習っていた。彼女の教え方は結構自由な感じで、俺は楽譜を無視して勝手にペダルを押してみたり、習ってもない黒鍵を押して変な音を出したが彼女は「じゃあ、アレンジしてみようか」って言って楽譜の改変を許してくれたし、そんな優しい対応をしてくれる大人の女性に気恥ずかしさを感じた記憶がある。
それに対して母親はどちらかというと教科書的に楽譜を覚えさせようとする人で、幼稚園から帰ってピアノを自主練する時間になるとひたすら楽譜の同じフレーズを繰り返させられた。ちょっとでも間違えると「あと10回繰り返しなさい」という具合。これが原因でピアノが嫌いになってしまって先生を呼んでの個人レッスンも辞めてしまった(辞めた時の具体的な流れはもう覚えていない)。
そんな俺だったが小5のときに父親が死んだ。彼が残したフルートを見て「これを俺も吹けるようになりたい」と思った。そんなことを思いはしたものの、具体的に行動は起こさず、塾やら剣道やら(これも嫌いだった)中学受験に失敗したりしているうちに進学先の中学校に吹奏楽部があることを知ってそこに入部した。思えばこれが間違いだった。
俺の入部した吹奏楽部は俺以外全員女子。顧問はまさかの俺の父親の知り合いで、そこに男子が参加したものだから舞い上がっていたように思う。最初に割り当てられた楽器はチューバだった。いわく、低音でバンドの全員を支えろとのこと。チューバ奏者には申し訳ないのだが、これが全く楽しくない。低音を鳴らしても自分が何を演奏しているのか分からない。顧問は部員のモチベーションをあげるためなのか、自分の趣味なのか分からないがみんな知っているポップスや歌謡曲を演奏させたが、メロディを奏でるメンバーが聞いたことのあるフレーズを演奏しているのに対して低音が演奏している音は一体何の役に立つのか全く分からなかった。定期的に同じ音を鳴らすこの行為になんの意味があるのか分からなかった。ついでに俺は残念ながら肺活量が低くてチューバを満足に吹くことができなかった。その後、顧問の命令でアルトサックスへ、そして最後はコントラバスに転向。もはや管楽器ですらなくなり、この辺で完全に俺のやる気は消失して部活をさぼるようになっていた。
で、中学2年生の夏休み。俺は部活に行くと言って家を出てから友達の家へ行って連邦VSジオンで遊んでいたものの、あるタイミングで顧問がその友達の家に乗り込んできて俺は拉致されてしまった。与えられた楽器はトライアングル。夏休み明けのコンクールは部員全員で参加して今の3年生を送り出すんだから、お前も参加しろとのこと。無理やりワンフレーズだけのパートを練習させられて、そして迎えた本番で事故は起きた。トライアングルが無い。
理由は分からない。楽器を運ぶ担当の1年生からも下に見られていた俺は、楽器の用意をしてもらえなかったのかもしれない。それか、俺が自分の責任で運ぶように指示されていたのかもしれない。分からないが、ステージ上で何もせずに突っ立っていた記憶だけは残っている。指揮棒を振る顧問の困った顔、演奏が終わった後でほかの部員から向けられた視線。すべてが苦痛で俺は逃げるように会場を後にした。顧問はさすがに哀れんだのかそれとも呆れたのか、それ以降俺を部活に連れていくことはなくそのまま俺の存在は自然消滅した。
そんなことがあって、何年もの月日は経過したが幸いなことに音楽自体を嫌いになることはなかった。どちらかというとDreamcast勢だった俺はクレイジータクシーやソニックアドベンチャーで洋楽に触れて、バンドの存在を知って低音が奏でる面白さをそこで初めて知った。と言って、特に具体的な行動を起こすでもなく大学に行ってからはギターヒーローとかドラムマニアでときどき遊ぶ程度。あとはオーケストラやマーチング、ジャズなんかをときどき思い出しては聞く程度だった。だけど心の中で、音楽をもう一度やってみたいと思う気持ちだけはちょっとずつ育っていっていた。
結婚して子供もできて、その子供が8か月になったころの2020年からコロナの影響を強く感じるようになった。仕事はそれ以前から完全リモートだったので特に支障はなかったのだが、趣味の温泉旅行が制限されたのはつらい。そんな中でおこもり需要の一つとして注目されたのが楽器だったわけ。俺もその例にもれずヤマハが発売しているヴェノーヴァを購入してみた。生まれて初めて自分のお金で買った楽器。これがめちゃくちゃ面白い。
練習はだいたい朝子供を保育園に送る前と夕方、保育園から帰ったあとの夕食までの時間。だいたいどっちも20分くらいだから1日のうち40分くらい。しかも最近は寒いから朝の練習はしない日もある。練習と言っても昔のように間違えたフレーズをなんども繰り返すわけじゃない。最初こそ音を鳴らす練習や指の運びの練習はしたけど、一通りそれっぽく音が出せるようになったら後は自由だ。楽譜を買ってきて自分が好きな曲を自分が満足するまで吹けばそれでいい。アニメや特撮が好きなので「ドラえもんのうた」とか「ウルトラマンのうた」とかを一通り吹いて、サビだけ吹けるようにしておしまい。最近はコンビニで曲ごとに譜面を印刷できるので、気になる曲だけ印刷してくれば1枚400円くらいで収まる。飽きたらまた別の曲をやるし、ときどき思い出して前にやった曲を吹いてみて自分の中の変化に目を向けると、ちょっとは上手になったかな?と思って自己満足する。それだけでいい。
子供の時にやっていたバイエルをひたすら反復する練習は何だったのか。中学のときに面白さが全く分からなかった低音をひたすら鳴らしていたのは何だったのか。そんなことやる必要なんてなかった。自分が好きな曲を適当に吹いてひとまず満足して、そしてまた戻ってきて高みを目指したり目指さなかったりすればいい。そう言う物だったんだな。
今にして思えば父親が俺に音楽を教えてきたことは無かった。たぶん、彼は今の俺と同じことが分かってて練習を強要するんじゃなくてやりたくなったらやればいいくらいのスタンスだったのだと思う。俺もそういう気持ちで子供に接して行きたい。
旦那のグループLINEに回ってきた、町内の育成会の人が作ったらしいチラシに、とてつもない敗北感を覚えた。
田んぼと畑と寂れた神社しかない典型的など田舎の自治体の草むしり写真が、よくぞここまで加工したな!と感心するくらいの美しいグリーンに囲まれた自然風景に。
しかも写真を装飾するデザインがまた、シャレオツとしか言いようのない出来で。
web制作会社に2ケタの年数勤めてもデザインの4文字とは無縁のせいでコーディングしかできないお荷物コーダーには、色々と刺激的だった。
学生時代、5教科の成績も良くはなかったけど(特に理数系は壊滅的)、更に悪かったのが書道に図工に家庭科に音楽に保健体育。(音楽はリコーダーのみ)
「私ぃ、5教科以外だけ成績良いんだよね!」というよくある自虐が、本気で自慢にしか聞こえないくらい。
ピアノを3〜4年習ってもバイエル卒業できず、中学校では美術部・高校の選択授業では美術を選んでも尚画力もデザイン力も学年ビリ。
中学校の生花クラブなんて、毎回毎回先生に「全部」無言で生け直しされ、何が良いとも悪いともアドバイスさえもらえなかったっけ。(ちなみに他の生徒はアドバイス交えて少し手直しされる程度だった)
成人して、親の美術館通いに時々付き合うようになり、その現象にも納得した。
絵でも彫刻でも、何なら水族館の魚でも、本っ当になんの感想も浮かばないのだ。
何か感じるものが見つかれば、と思いつつ眺めはするものの、心の中ではFacebookの「いいね」を連打しているだけ。
綺麗だとは思うものの、何が綺麗とかどの部分が印象に残ったとか、人に語れる具体的なものが一文字もない。
そりゃ、理解できないのに生み出せるはずないわな。
増田主は歯磨きこそはしてたものの、歯医者にずっと行けずじまいの生活をしていた。タイミングが全く無いわけではなかったが、結果的に虫歯を放置し続け散々な目に合っている。
もし歯医者に行ってない虫歯持ちの増田がいたら、今すぐ行くんだ。
約二時間ほど、鎮痛剤も全く効果のない激痛にのたうち回りたくなければ行くんだ。とにかく痛みの原因は取り除いてもらえ。
以下は痛くなった時の状況と時間を簡単にまとめたものである。ただ時計を見てる余裕なんてなかったので、時間はおおよそである。
①午前3:55ぐらい
→歯に痛みが生じはじめる。まだ激痛というほどではないが、まあまあ気になるので鎮痛剤(バイエルアスピリン)を飲む。
②午前4:08ぐらい
→いよいよ痛みが増してくる。もう少ししたら薬効いてくるだろ…と甘い考えをまだ持っている。
五分後、口を開くのも嫌になるぐらいの痛みになってきて、冷えたペットボトルドリンクで冷やしてみたり歯痛に効くツボを押してみるが気休め。当たり前体操。
③午前4:15ぐらい
→ここからずっと激痛。とりあえず痛む箇所を手で押さえながらベッドに横たわると気持ちマシになるようなならないような…。
歯の激痛は人間が感じる最大の痛みトップ3だか5だかに入るらしい。このへんで「自分は今最大の痛みと戦ってるんだあ…」とかしょうもないことを考え始める。
40分ぐらいにロキソプロフェンを飲んだ気がするが、勿論効かなかった。
④午前5:10ぐらい
→この時間ぐらいまでは激痛が絶え間なく続く。もうずっと神様仏様に祈りと許しを請い続けてたが、すべて自業自得である。
ただここから痛みに波が出はじめ、激痛→痛くない→激痛→痛くない…と繰り返し。激痛の時は膝から先をばたつかせたり寝返り打ったりした。たぶん30〜40分ぐらい?
⑤午前6:00前ぐらい
→激痛の荒波を堪えてるうち、気がつけばフッ…と痛みが消えていた。完全に消えたわけではなく、微かな鈍痛というか余韻のようなものがまだ残っていたが、激痛はない。神経死んだかなとか頭の片隅で考えてた気がする。
家の近所には朝夕の6時に鐘を鳴らすお寺があるのだが、その鐘を聞いた瞬間(終わったんだ…)と身に沁みていた。何一つ終わっちゃいないが。
とまあこんな感じだったわけで、この増田だけだといまいち虫歯を放置することのしんどさが伝わるかは微妙だが、大の大人が半泣きで歯痛にのたうち回るって結構みっともないから歯医者に行ける増田は今すぐ行ったほうがいい。今の状況だと開いてる歯医者も多くはないかもしれないが。
とりあえず増田主は近所の歯医者開いてたので少し先だけど予約入れました。なんだったらこの増田を書いてる今もたまに歯が軽く疼いて少し怯えてる。
歯の激痛は出産時の痛みの次ぐらいに痛いそうで、尿路結石よりは痛いらしい。ただ痛みの感じ方は人それぞれなので個人差はあるけど、最大の痛みトップ3だか5に入るだけあるなって思いながら堪えていた。
少し詳しく書いておく。ちなみに俺は自発的には全く摂取しない派、なんだが、最近はコンビニのコロッケとかにも入っていたりするからな。それはかなり難しい。
人工甘味料としてよく使われているのは:
辺りがメインだろう。これらはいずれもそれ自体が糖分として代謝されないので、カロリー源として吸収されることなく排泄される。そのためにダイエット○○的なものに使われるわけだ。
という感じだな。ただし、人工甘味料全体に関しての危険性が指摘されている。これは味覚とか腸内フローラに対して影響を与えることで、特に糖尿病の発現リスクを高めるのではないか、という話なのだけど、これに関しては分かりやすい文章をリンクしておこう。
https://www.alic.go.jp/content/000138490.pdf
なーんだ、じゃああまり問題ないじゃん、と思われるだろうが、先に書いたように俺は全く摂取しない派なんだな。その理由も書き添えておく。
俺が摂取しない第一(にして最大)の理由は、口中の味覚のバランスが崩壊するためだ。人工甘味料の多くは、甘味の後引きが長い。ガムにおいて人工甘味料が多用されるのはこの性質を逆手に取っているわけだが、微糖のコーヒーなど飲むと、その後もずっと口中に甘味が残っているのが、俺はちょっと耐えられないんだな。
それに加えて、人工甘味料の甘味はショ糖のそれと比較して癖がある。ものによっては強過ぎると苦味を感じさせるものもある。天然由来の甘味料にたとえばステビア、カンゾウ、ラカンカなんかがあるわけだが、これらが甘味料としてあまり多用されないひとつの理由がこの癖なんだ。俺が知る限り、最初の甘味が自然なのはネオテームだと思うが、ネオテームは後引きが強いので、上述の理由にがっつり該当する。だから俺は決して食わない。
そして、各食品メーカーが人工甘味料を使用するのはユーザーの健康のため、ではない。これは断言してもいいと思うんだが、コストダウンの為なんだ。
たとえば、アセスルファムカリウムの値段をみてみると、ドイツ製の高品質のもので 1 kg あたり8000〜10000円、中国製のもので5000円前後。でも甘味の強さはショ糖の200倍なんだから、中国製ならショ糖 1 kg 換算で25円ということになる。これ式で計算すると、スクラロースで60円弱、アスパルテームで25〜50円、ネオテームで(すまん、これだけ単体じゃなくてこれを含む製品で計算してるので実際はもっと安いと思うが)35〜50円。明らかにショ糖 1 kg より安上がりなんだよ。
それに加えて「微糖」「ローカロリー」「ダイエット」等の煽り文句をつけられる。色々と「おいしい」わけな。生産者としては、少量で強い甘味が得られるということで、使用量の管理が難しくなる。だから大規模に生産できる会社がより積極的に使っているわけ。ただし、食品メーカーが使う「素材」の段階で添加されている場合も多いので(最初に書いたコンビニのコロッケの場合、おそらくマッシュポテトに添加した製品が素材として流通しているのだろうと思う……他にも調味料とかもな)、特に商品表示が比較的アバウトなファストフードや惣菜の類などでは今後も拡大的に使用されるんだろう。
まあそんなわけで、経済原理に健康の皮を被せた代物を食べて、味覚が狂う不快感に耐える気が俺にはない、というわけな。
【後記】
なんかブクマの件数が凄いのでこちらの方がびっくりした。読ませていただいた感じでは、やはり味に違和感を感じる方が少なからずおられる反面、特に問題ない、という方もおられる模様。こればかりは、体質であったり、味をどのように捉えているのか、という問題であったり、複合的な要素があるだろうし、答がひとつというわけでもないと思う。俺の場合はあくまでまず主観的に違和感を感じるので摂らない、あと糖尿病との関係に関してはまだ結論が出ていないので、その研究状況も観察しながらの判断だったりする。まあ、糖尿病に関しては、これらの物質の影響なんか、生活習慣それ自体の影響に比べればハナクソみたいなものかもしれないけどな。
あと、果糖や転化糖、あるいはトレハロースなんかはどうなんだ、というご意見があった。この辺りは難しい。天然由来のものが多いけど、ほぼ全てのものの生産には化学的、もしくは生物学的プロセスが絡んでいる。これらを厳密に採り上げて「人工」の定義に加えると、これもどなたか書かれていたが、ショ糖だって人工の甘味料じゃないか、という話になるかもしれない。今回は、世間でひろく使われていることに加えて「ショ糖と比べて著しく強い甘味を有する」「天然に存在する物質は除外する」という観点で4つの物質に絞った次第である。サッカリンや(使用を禁止されているけれど)ズルチンも入れるべきなのかもしれないが、果糖、転化糖、トレハロースなどはこの理由から外した。余談だが、トレハロースは甘味料という名目で使われることが多いんだが、実際にはその強力な保水力がメインの効能だ。生菓子が何日ももつようになったのはこのおかげだし、砂糖の半分程度の甘味(俺は単体で味を試したことがあるが、ショ糖と比較すると明らかに不自然な甘味である。使う上では甘味が強くなくかつ後を引かないのが逆に良いのだろう)なので、小規模生産の現場においても容易に量をコントロールできる。まさに魔法の白い粉なんだ。
コーラに関していうと、果糖に関しては注目しておくべきかもしれない。果糖というけれど果実から採取されるものではなく、コーラなどの清涼飲料水に用いられるのはほぼ全てトウモロコシから作られた異性化糖(日本の製品表示では「果糖ブドウ糖液糖」と表記される)、誤解を恐れず簡単に言うならガムシロップだ。アメリカにおける肥満の一大要因、日本における糖尿病の一因としてこれがあることは間違いないので……
よぉオタク、よく来たな。
そりゃタイトルにオタクなんて入ってるのにわざわざ読んでるようなのは、
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さて、attention!
そう、pixivのlogとかによくあるあれだ。オタク、よろしく頼む
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・このエントリにはガルパライブ5thの両日ネタバレが含まれます
・一発書きなので多分誤字脱字がある(恥ずかしくて通読してない)
・なんでも大丈夫な方のみどうぞ
・無理そうな方は無理せずブラウザバックして、どうぞ。
さて、それでは話を始めます。
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悲しむこともあったし、怒ることもあったし、楽しくなることだって、感動することだってありました。
CLANNADの汐みたいに、「泣いていいのは~」みたいなのを決めてたわけでもありません。
ただ、とにかく、何か起きても概ね因果関係を把握してしまい、Aが起きたなら結果はBだ、というように世の中を処理するようになりました。
オタクなのでアニメ見たり映画見たりするのですが、「あ、ここ泣き所だな?」みたいな所で
定まった型のような感動を味わおうとする、そんな風な性格をしています。
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さて、そんな私の過去ですが、物心ついたころから捻たタイプの百合厨でした。
わざわざ百合と銘打って検索し始めたのは少女セクト見てからのような気もしますが、
それ以前の私は女子プロレスにキャットファイト的興奮を素で覚えるような人間だったので、
嗜好としては推して知るべきといったところでしょう。
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一方で成績も悪くなく、本が好きなデブとしてオタクの例に漏れずインドア派の青春を送っていた私は吹部にそれを捧げます。
バイエル程度のピアノを履修したことのある私にとって、吹部はいい場所でした。田舎だったので周りのレベルが低く、
演奏技術として課されるノルマも相対的に低かったので、熱くなることもなく、無難な日々を過ごしていたと言えるでしょう。
感情に疎いので、コンクールの結果も概ね予想通りだなくらいの感想しかなく
――そりゃ金賞取ったら嬉しかったですし、銅賞なら悲しみもしました。でもそれはメンツやレベルで推し測ることができるものです――
ユーフォ一期一話の久美子ちゃんみたいに、「あ、皆悔しかったら泣くのか」みたいな感想を持つような人間でした。
まぁそれは今も変わってないのですが。
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そうやって生きてきた感情の薄いオタクは、――まどマギ見て胸がいっぱいになって人生で初めて感動で泣きそうになったりしましたが――
大学受験に失敗し、ラブライブに出会います。あ、ガルパのサービス開始はオタクが大学に入ってしばらく経ってからなのでもうちょっとかかるよ。
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高校で悪い友人に音ゲーを仕込まれたオタクは、project DIVAにのめり込みます。
extendを一日2~3時間くらいやってたのであえなく浪人。LPのあるゲームなら大丈夫やろと安易にスクフェスに手を出します。
浪人期の私にとって、スクフェスは勉強を除けば全てでした。リズムゲー、三話で現実を見るアニメ、二次創作で無限に供給される百合。
オタクがオタクたる所以がそこには三つの柱として屹立していました。ちなみにデレステのサービス開始一年前とかの話です。
オタクがラブライブを認めた理由は多岐に渡りますが、大きく三つ、曲と「演者である」というアニメの見せ方とライブです。
曲はスクフェスやってたので無限に聞き込みました。結果、メチャクチャ好きになりました。
アニメは三話が全てでした。オタクは吹部だったので、幕が上がった瞬間に、あれだけの宣伝をしたにもかかわらず客がいないその絶望に共感することができたのです。
自分たちの初めての演奏会、そんなに凄いものじゃなかったことは分かっていたけれど、やはりお客さんが少ないことに一抹の悲しみを覚えたことを。
理屈では分かっていても、目に見えて人が居ない、というのは堪えるものです。シンデレラガールズのNGお披露目回での未央ちゃんの反応も納得です。
そこを乗り越えてライブをするμ's二年生の姿に共感と誇らしさのようなものを覚えて、かつて一話切りしたアニメを見始めました。
ストーリーが死ぬほど面白かったか、と言われると人によって意見が分かれるところですが(いつもの私なら茶化してつまらなさを弄るところです)、
どうしても穂乃果ちゃんから逃げきることができず、オタクは穂乃果ちゃんのオタクになります。
普段の私からすると元気おバカ、それも主人公にハマるなんてひっくり返っても起こらないことです。
そして何気なく見てたyoutubeで、オタクはラブライブのライブ映像を目にします。
始めは何気なしにアニメのライブか、程度で見ていたのですが、オタクは気づきます。中の人がマジでパフォーマンスしていることに。
ラブライブはアニソンの例に漏れず歌唱難易度が高く、その上ライブではもともとアニメーションとして動いているダンスを再現しています。
このヤバいことを同時にやってのける凄い人たちがいる――。オタクはいよいよラブライブのオタクになりました。
しかし時は5thライブ直前、ラブライブのオタクとして日々思索するうちに、パフォーマーとしてのμ'sの中の人の体力的限界問題について考えるようになりました。
アニメ二期の流れ、μ'sが実は5周年を迎えていること、そういった諸々を鑑みたオタクは、μ'sの引退を予見し、取り乱し始めます。
結局、6thがファイナルとなった訳ですが、オタクは再受験に失敗し、μ'sが終わるという現実にも上手く対応できず、
それまで全て歌えたラブライブ楽曲も、PSYCHIC FIRE以降、把握してるかすらも怪しいまでになります。
そうして、初めてコンテンツの興隆と寿命なんてものに触れたオタクは色々な感情を整理できないままラブライブから疎遠になっていきました。
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さて、ラブライブ疎遠期のオタクですがデレステやってました。CoolP、主にかえみゆPとして性懲りもなくスマホ音ゲーに手を出し、沼に浸かる日々です。
あ、ナナシスは曲が好きです。WUGは未履修です。すまない。アイカツは一番古いOPとEDしか知りませんが適当に聞く曲が大体好きなので大丈夫そうですね。
プリパラは3Dのやべー奴だしアイドル事変も未履修ですすまない。何を書いているんだ私は。
とりあえず大学に進学し、サークルに授業に忙しいオタクは、またしても感情を動かさなくなりました。人並みの情動はあれど芯が動くことはない、そんな感じでしょうか。
二次創作百合に手を出し、癒され、適宜アニメ干渉するような生活でした。そうしてリア充と言えなくもない時期を過ごし、
他人から「ホントにヤバいやつ」扱いされぬよう感情を覚え、心の外縁でそれが機能してるようなふりすることがちょっとずつできるようになっていきました。
.
そんなあるときガルパの配信が始まり、少ししてからオタクの好きな曲がいっぱい収録されていることを知って、オタクは徐々にガルパをやるようになります。
大体半年くらい経った頃でしょうか。オタクはキョン子、久美子を始めとするクーデレのような何か(久美子は解釈が分かれるところでしょうね)が好きなので、
奥沢君が推しになります。その一方で曲の割合はポピパとRoseliaがメインなので自然とそれを聞くようになりました。配信サービスに乗っかってたのが大きい。
オタクの音楽の趣味ですが、F、Δ、7といったマクロスが履修済み、シンフォギア(履修中)の曲が好きすぎてパチンコを打つといった具合なので、
大ヒットしたのはRoseliaでした。今も昔も推しは奥沢君ですし、バンドとしては昔のアフロ推しから一転、箱推しになりましたがそれはそれとしてRoseliaはめっちゃ好きです。
Roseliaの何が好きって、Re:bitrth dayです。バンドストーリー本編最終話からの再生の曲、何度聞いても胸が熱くなります。
dearestに似た浮遊感すら感じますし、もはやロボットアニメの最終話、主人公機覚醒シーンとかでかけた方がいいんじゃない?みたいな妄想もよくしてました。
とまあ、いつものようにオタ活に励んでいたわけですが、Roseliaのプレイリストを聞くうちに、またうっかり好きな曲が増えました。
ここでようやく登場する本題、陽だまりロードナイトです。attention含めて3500字近い何かになってきましたね。なげぇよ。
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さておき、もともと私はこの曲のサビが大好きでした。今までのRoseliaの曲から一転、ボーカルの友希那を包むようなコーラス。
片方が主旋律で片方がハモりのはずなのですが、どうしても主旋律が二つあるように聞こえます。普段、好きな曲はある程度聞いたら歌えるようになるのですが、
この「どっちが主旋律か分からない問題」のせいでオタクは久々に一人で歌えない歌に出会いました。しかしオタクはこれはこの曲の良さだと素直に受け止めます。
それから、忙しさにかまけてRoseliaへの解釈はリサゆきメインの百合厨にそれをゆだねる日々を送っていましたが、その中でリサ姉はRoseliaの精神的支柱だという気付きを得ます。
そして友人のゆりしぃオタクから引退の報を聞きます。この友人、プロジェクト東京ドールズとガルパにめちゃんこハマっており、それはまぁゆりしぃオタクなのでした。
引退。よくあることですね。ラブライブのオタクとしてμ'sの実質的引退を経験した身としては、来るべきゆりしぃロストに向けて色々と語る友人に昔の自分を重ねつつ、
Roseliaのメンバー、中の人が一人交代するのか、位に捉えていました。オタク、FGOエンジョイ勢だったので丁度FGOでのマシュみたいなもんかな?といった感じです。
このオタク、ホント感情の動かなさが種田さんにも高橋さんにも失礼だな?ともあれゆりしぃ引退を聞いた時はそんな印象でした。心の外縁が悲しんでいる様子。
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それから暫くして、ラッキーボーイだったゆりしぃオタクの友人から吉報が届きます。ガルパライブ5thに当たったから一緒に行かね?と。いやほんとこいつ神だな?
ラブライブしか知らなかった頃と違い、大学に行くために実家を出たオタクは、物理的にライブ参戦が可能になっていました。もちろんOKの返事を出します。
もともと田舎出身の貧乏学生だったオタクにはライブ参戦という発想がそもそも無く、何もかもが初めてでした。オタクの知っているライブは、youtubeに公式が上げている
映像か、親切な友人等が貸してくれる円盤かのどちらかでした。そもそもOKした時はワンチャン黒沢さんが出るんか?みたいな印象でした。いやHPくらい見ろよ当時の私。
ラッキーボーイ友人のラッキーは流石に両日は保たず、day2が近所でLVとなりました。その時の私は「初日遠征、二日目がLVでRoselia」くらいの認識だったと思います。
許せ、リアルがごたごたしとったんや。そうしてライブの週になってようやくライブの中身を把握し、ポピパとRoseliaの聞き込みを始めます。一月前からちょいちょいやってたけどね。
その週、気の利くラッキーボーイはGiGSを読ませてくれて、Anfangを貸してくれました。おまけにAnfang付属のRoselia1stライブまで見せてくれました。ほんまいい奴やな……。
これが幾つもある今回のタイトルの原因のうち、最大のものでした。
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GiGSに載ってたのはRoseliaの中の人達が本気で楽器をやっていることの証明でした。吹部だったのでジャンルは違いますが、書いてあることは大体分かります。
全ての楽器の詳細な設定とか、横でそれの担当の奴が弄ってたな……。なんて読みながら感慨にふけりました。そしてその全てはたった一年で為されたのです。一年。
かつて私の部活にもいたのですが、途中から入部して毎日本気で練習して、最高のパフォーマンスをこなす凄い奴。横でその軌跡の一端を眺めてたからよく分かります。
Roseliaは考え得る最高の教育を、最高の形で受け取って、そして最高の形でそれを昇華したんだということを心にすっと感じました。芯に、真っすぐ感情が入ってきたのは久しぶりでした。
そして見せてもらった1stライブ。中の人たちのキャラを知るには十分でした。あいあいはぽんこつだし、くどはるはアクが強い。めぐちは良い人だし明坂さんはりんりん。
そしてゆりしぃはリサでした。まごうことなき今井リサでした。ツッコムわトークを回すわリサゆきだわでオタクはRoseliaの中の人たちにもメロメロでした。
キャラ作ってるのは知ってますが、そんなことはキャラとしてのRoseliaに、そして中の人としてのRoseliaにメロメロのオタクにはあまり関係ありません。
というか罹りたくて罹っている催眠が解けるはずないじゃないですか。そんなことより、これはパフォーマーとしてめちゃくちゃ優秀だということの裏返しだということにしましょう。
こうやってライブ数日前、私の中でRoseliaは完全にRoseliaとなりました。
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さて、ライブ当日です。一日目の遠征は最高でした。Light Delightのサビのサーチライトの演出とかほんま神だったしポピパの中の人の新曲への熱意が凄かったしでオタクは普通に楽しんでいました。
ここで、オタクはかなりの感傷に浸ります。何となく生きてきた人生とは、全力でパフォーマンスする演者による素晴らしいパフォーマンスとは、そして自分とは――。
ポプテピピックの「明日死んじゃったらどうする?」状態です。今までの情動しかない人生に比べて無限に大きな感情がやって来た。処理しきれなくてバグっていました。
そうして帰りの夜行バスの中で最後に落ちてきた風船を眺めながら、パフォーマンス、ライブとしてのラブライブをちゃんと終わらせてなかった、
ラブライブから逃げ出してしまっていたのかもしれない、というところまで何とか思考が帰ってきました。このぐちゃぐちゃと感動、感傷、とにかく感情のすべてを解くカギとして、
幕張から持って帰ってきた風船は捨てずにとっておこう、なんてことを考えていました。そう、遠征一日目はこんな感情だったのです。外縁で処理しきれることも多かった一日目でしたが、
それでもかつて心の中心に居た何かを呼ぶには十分だったのです。
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そして二日目、LVでした。始まる前からゆりしぃ引退が頭をよぎり、「今日はタダじゃ帰れないな」と気が気でなかったような思いがありました。
何事もなくライブは進み、そして陽だまりロードナイトが掛かりました。どこか冷めた自分が、「お、陽だまりロードナイトだ」と心の中で平坦に言ったような気がしています。
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声となって
表情となって
導いてくれる
やさしい人よ
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リサ姉はほんとにそんな人なんです。こんなにも長い間音楽と触れ合ってきて、歌詞のすべてが心の芯まで揺らしていたのは、人生で初めてのことでした。
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二番に入り、
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離れていても 帰る場所がある
どんな時でも 傍にいてくれた
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Aメロはリサであるゆりしぃのことなんだな、というのがさっき心にやって来た衝撃以上の共感となって、瞬時に理解できました。
たとえRoseliaのパフォーマーとしては離れることになっても、ゆりしぃにとってRoseliaは帰る場所であることができるし、
Roseliaのメンバーにとって、ゆりしぃはリサとして、ゆりしぃとしていつだってRoseliaに居たんだ、そんなことを思いました。
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太陽となって
月となって
照らしてく
つよい人よ
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陽だまりロードナイトを聞くとき、これはリサの歌だと思ってたんですけど、ライブでここが流れたのを聞いた瞬間にその思いは少し変化しました。
Roseliaのベーシストとして、太陽のようにファンの前で、Roseliaの中で輝いてきたリサとしてのゆりしぃが、
これからはRoseliaとして表舞台に立つことはないけれどメンバーの心を照らし続けるように、Roseliaに、そしてファンの中に残り続ける。そんなことを思いました。
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この曲では、語り手が「語り掛ける相手」が居て、二回出てきますがどちらもリサを想定することができます。
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「あなたがいれば、怖くないよ」
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と
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名前を呼ぶ声
こんなにも特別な事だと
想い あふれてゆく
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です。文字通り、リサが、ゆりしぃがいればもう怖くないし、たとえそれがRoseliaのなかであってもそうでなくとも、という感情がやって来ました。
これからいなくなってしまうゆりしぃが呼んでいた誰かの名前、Roseliaのメンバーが呼んでいたゆりしぃを呼ぶ声。その一つ一つが、全て特別なものだったんだよ、と語り掛けてくるようでした。
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保育士だって国家資格が必要だし、それを取得するまでの過程は長いです。
簡単に資格取れるでしょって思ってる人たちは現実を見直してほしいです。特にホリエモン。バイエル弾けないでしょ。
保育士は、こども好きでないと続かないし、保護者からのクレームなどもモンスターと呼ばれる人が日々来るのでキツイです。
理不尽な理由でクレームを言われ、それを丁寧に丁寧に対応していかないといけない。
人としての忍耐もとても重要で体力のいる仕事です。楽と思っている人は甘いです。
介護は保育とは違い成人している方を対象となる事が多いですが、楽じゃないでしょう?
介護のキツさは成人しているという部分だと思います。子供と違って物事を考えますし本人がクレームなどを言います。
ただし、介護されるという側から常識を持っている方も多いので介護しやすい時もあります。
子供自身が思うがままに行動する無邪気さがあり、常識という部分にまだ足も踏み入れていないために注意をしても
なかなか分かってもらえません。
一から教えても分かってもらえず、聞き分けのない人を相手にするのって大変だと思いませんか?(大人にも居ますが…)
それと合わせ、子供の場合は身体的にとても繊細で脆い存在です。大事に保護しなければなりません。
元気な子ほど、ちょっとした瞬間に見えなくなってしまう事もあります。とても怖い。
ホリエモンの場合は、ちょっとくらい放置しても良いだろって思ってるんじゃないでしょうか。
人様の子供を預かるという事を簡単と考えるような人は、大抵親になったことがないか、親を放棄している人に多いです。
親としての考えを少しでも分かっているのであれば、子供というのは大変手のかかる生き物であるという事がわかると思います。
わからない人が誰でも出来るなんて言うのは、こちらからすれば「ふざけんな」の一言です。
ホリエモンは違う職種としては才能があるのかもしれませんが、育児・教育に関するものはド素人だと思います。
大事なことも分からないで他人の仕事を誰でも出来ると馬鹿にするのですから。
そんな人がこの仕事に就いたとして、保護者に怒鳴られ、子供たちに悩まされ、我慢できるかといったら我慢できないでしょう。
我慢できるような人ならば、Twitterであれこれ不満ばっかりつぶやいていないと思いますし。
ちょっとしたことであーだこーだと騒ぎ立てるような人に忍耐なんて言葉はないでしょうから。
何にしても、保育士は誰でも出来る職ではありません。
いわゆる2ちゃんねるネタであり「あそこに書かれていることなんて気にしなくていいと思うぞ」で終わってしまう話を、あえて書いてみる。
就学前の幼少時から始められる楽器の代表例は、なんといってもピアノとヴァイオリンだろう。
そんなだから、当然2ちゃんねるにもヴァイオリンのスレはあるのだが、ピアノと違ってこのスレはほぼ十年来、ギスギスした空気で現在に至っているのだ。
理由は、幼少時から始めた人=アーリー組と、高校・大学・社会人くらいから始めた人=レイト組の対立にある。
結果、本スレから分家した、レイト向けスレの1に貼られるテンプレからして、その上から目線ぶりが尋常ではない。
以下の論争はすでに終結しています。
●耳の腐ったレイトに良し悪しは解らんだろう。
●ヴァイオリンはピタゴラス音律で弾く。レイトは基本的にヴィブラートを掛けてはならない。
●幼少期から習っている人に大人から始めて追いつけるワケがない。言語と同じ。
●チューナーは、調弦では仕方がない、運弓で使える、音階練習には使えない。
(中略)
汚い音、狂った音程に対する嫌悪感が、上達のインセンティブで、
これはもう、明らかに「にわかを見下す熟練者」「アーリー組自身が囚われている生存者バイアス」が合わさった結果であり、こういう対立がないピアノ組が正直羨ましい。
自分も一応はアーリー組の末席という立ち位置だが、どう見てもアーリー組のスタンスの問題だと思うのだ。
以下、そんなアーリーの特徴を、ヴァイオリンの特性も絡めて書いてみる。
主にピアノと比較したヴァイオリンの特性をシニカルに書くと、こんな感じである。
ヴァイオリンをとても良く弾ける人間がひとたび音を出せば、それはもう堂々の主役として、当たり前のようにステージを支配する点において「楽器の女王」であることは間違いない。
しかし楽器のポテンシャルや柔軟性から言えば、「楽器の王様」はピアノだろう。
そんなヴァイオリンは、親の時間的金銭的負担が大きい時点で幼少時からの学習者がピアノほど多くないところに、演奏技法習得の難しさ(≒誰もが知っている名曲を弾けるまでに至るための要求水準の高さ)から、恐らく多くの脱落者を生んでいることが容易に想像できるシロモノである。
それこそ面倒どころか、個人的には世界一難しい楽器としてギネス認定すべきだと思うくらいで、ヴァイオリン弾きの生存者バイアスが強いと思う理由である。
全5曲のうち、重要なのは3番以降の3曲で、これはプロオケの入団試験にも頻出する曲であり、つまりヴァイオリンでクラシックをやるなら、3曲のうちのいずれかをプロ・アマ問わず習得していることが望ましい曲である。
というかメンデルスゾーンの協奏曲やバッハのシャコンヌやチゴイネルワイゼンみたいな名曲を弾こうと思ったら、モーツァルトをまともに弾けるのは大前提だし。
そんなこともあり、実際プロ目指す人は小学生でモーツァルトをやってしまう。
しかしアマチュアになると、幼少時から習っていてもここまで来る人は1割程度だと言われている。
そして、そんなごく一部の人=アーリー組が、大人になってもヴァイオリンを続けていると、こういうわけだ。
しかし、アーリーにそんな自覚は多分ないはずで、それどころか超頑張って俺はここまで来た的な自負があり、これがレイトとの軋轢の根本原因だろう。
つまり、幼少時から始めた人が超上手くなって続けるか、そうならずにヴァイオリンを習っていたことそのものを無かったことにするかという両極端な事情をどうにかしないと、今後もこの憂慮すべき事態は続くと思われる。
むしゃくしゃしたので、艦隊これくしょん佐世保鎮守府サーバーに所属するランキング上位1000名のコメントで寒いものを晒していきます。
例えば、994位のトロンプさんの「榛名さんあなたは天使だ」みたいなコメント。まぁ、きもち悪いですよね。
もっとも、970位のはりがねさんの瑞鶴さんかわいいです程度のもの、攻略すすまない・なかなかドロップしないというようなものは省いています。
では、順位を降順に。ちなみにコメントの右にある、「名」とかは、コメント欄へのコメントです。
(名=名前が気持ち悪い。キ=コメントが気持ち悪い。不=意味不明。知=そんなこと言われても知らない。犯=犯罪者。宣=宣伝)
順位 | 名前 | コメント | 分類 |
---|---|---|---|
991位 | エコアイス | コミケの間に順位急降下w | 名知 |
990位 | 師走 | つsm13869948 | 不 |
981位 | まぎる | シコり続けるのだ… | キ |
978位 | ヤキソバ | くぅ~>< | 不 |
972位 | 志南 | 榛名、結婚しよう | キ |
966位 | イリティスタ | 運の悪いヒポポタマス | 不 |
952位 | ぽこた | 天高く赤城肥ゆる秋 | 不 |
943位 | お触れホルス | なかで火遊び…意味深だ… | 名キ |
911位 | 夜斗 | 大事なものは目蓋の裏 | 名キ不 |
904位 | しろた | 鬼怒ちゃんと汗をかき隊 | キ |
902位 | 銀星 | 波動エンジンはまだか!? | 名不 |
894位 | 七神 | ハイパーオーラ魚雷 | 不 |
887位 | ton | 羅針盤の支配からの 卒業 | キ |
885位 | teragon | ペロペロ催眠で忙しい | キ |
881位 | どらいぼ | 提督の愛が改二そのもの | 不 |
874位 | 百日紅 | 大井日も安心 | キ |
823位 | あやか | 金剛100%♪ | 不 |
818位 | キンタ | 五十鈴の絶望顔がみたい | 名キ |
792位 | ねこまねき | アイスが美味しい | 知 |
771位 | ゴレイヌ | フゥ↑フゥ↑ | 不 |
764位 | 時を刻まない懐中時計 | セクハラ提督は今日も行く | 名キ |
758位 | 火矢太郎 | ヒリュウノケーン | 不 |
745位 | きぬさや | 跳び出す砲弾、豆粒の如し | 不 |
742位 | yatageru | 暁の水平線にお布団を見ゆ | キ |
741位 | 桐花 | 国立艦隊幼稚園-佐世保 | 不 |
726位 | キリヒアイス | バイエル! | 名不 |
714位 | 黒瀬 | 山城って幻想殺し使えそう | 知 |
700位 | かぽたぽ | 那珂ちゃんのナカ出しし隊 | 名キ犯 |
688位 | 高町恭也 | ここは俺が引き受けた | キ |
665位 | ゆとりちゃん | 私を養ってください | 知 |
624位 | 大門五郎 | 煮込み那珂ちゃん雑炊 | 不キ |
623位 | dj ishiishi | キルミーは復活したんだ | |
614位 | rinda0423 | ふふふ…可愛いか? | 不 |
610位 | ShunActU | フハハハ…怖かろう!! | 不 |
608位 | ありゅ | 井口裕香ちゃんprpr | 犯 |
599位 | ひすい氏 | 瑞鳳の格納庫prpr | キ |
597位 | 黒仮面 | トロッとキリッと | 名不キ |
574位 | アルトリア | ライバルは宇宙戦艦ヤマト | 知 |
573位 | 五角 梗火 | 人間性を捧げよ… | 名キ知 |
560位 | aregin | 絶対夕張prprpマン | キ |
556位 | 聖騎士 | sm21408103(謎 | 名キ知宣 |
534位 | おもだか | 休憩は榛名と二人で | キ |
496位 | ほろろ | 翔鶴と結婚しました | 犯 |
486位 | Serald | なんもかんも政治が悪い… | キ知 |
478位 | 狗月 | 布団を敷こう、な! | キ |
447位 | こんたろう | 格納庫まさぐるの? | キ |
425位 | シラクサ | バナナ…をあげるよ? | 犯 |
410位 | おおかわ | こうして斜めの角度で弾く | 不 |
408位 | らく | おさわりですか?どうぞ! | 知 |
395位 | bpnt | 榛名愛してる! | 知 |
394位 | ミュラー | 7/12開始 | キ知 |
387位 | ヤッティー | それ味噌ジャーン!!!! | 知 |
380位 | うんだい | 投資する者よ、死に候え | 犯 |
375位 | 漆黒の瞳孔 | 酷く眠い。さあ、帰ろう | 名キ知 |
318位 | 杉浦七徳 | ガリガリ君 ラムネ味! | 知 |
315位 | カフェリンくれよぉ頼む! | タウリン1000g配合 | 名キ |
311位 | どんたこす | 金銀インパールプレゼント | 不 |
260位 | れいむ中尾 | 巨乳と貧乳が好き | キ知 |
251位 | 沈黙のプーチン | 母校が貴方を拡張する | 名不 |
240位 | 犬牙穴彫 | ニコ生co1313798 | 名キ知宣 |
208位 | にじのます | 古鷹さんと結婚しました | 犯 |
202位 | 山伏 | 最近カニ食ってねーなー | 知 |
188位 | saiko | 時雨ちゃんの体液くれ | 犯 |
152位 | 三桁 | 秋雲ダブルピース | キ |
126位 | Reme | 高雄の恍惚とした顔 | 犯 |
93位 | Nemmy | 釣竿とスリガオは似てる | 知 |
91位 | えう″ぁ | アジのフライ | 名知 |
80位 | リバティ・プライム | 共産主義は破滅があるのみ | キ知 |
16位 | 大根P | 潮ちゃんprpr | 知 |
今回、1000名中69名が気持ち悪いコメントを残していることが分かりました。
名前のみが気持ち悪い方は晒していないので範囲を広げたらもう少し面白いデータが取れるかもしれません。
もっとも、1000名の内、宣伝しているのは2名のみ(ニコニコユーザーでるのが興味深い)であり、基本は艦娘のセクハラあるいはドン滑りコメントで、
ガチの犯罪予告、出会い書き込みがないのは運営のNGワード対策がしっかりしているからでしょう。
最近、私のまわりの会社は求人難だと言う。まともなスキルをもっている人は給料の高い劇団に転職してしまうので、もはや求人市場にはカスしか残っていないとその経営者たちは言う。
毎日、毎日、何十人も面接するが、とんでもないレベルの奴らが大挙して押し寄せてくる。ボイストレーニング歴2年とか3年ぐらいの奴ら。純粋に演劇の勉強に費やした時間数で言うと500時間とか1000時間とかその程度の。ピアノで言ったらバイエルすら終わってないレベル。そんな奴らがほとんどだと彼らは言う。
ピアノのリサイタルで金取って演奏するのに、バイエルレベルの奴が来たらブーイングの嵐で金返せーって誰でも思うだろう。しかし、アニメ業界に至っては最近は開発環境が整っているので生産性が高く、そのレベルの人たちでも出来る仕事がなくもない。だからそんな無茶苦茶がまかり通っているのだ。
私は先日、***という賞金つきのオーディションの参加者が少なすぎることについて書いたが*1、賞金総額100万円 + 本戦参加者への交通費全額支給なのに、それにしても参加者が少なすぎる。世のなかの声優たちは一体どこへ行ってしまったのか。
思えば、30年ぐらい前は、アニメ雑誌は数少なく、(このへん改変めんどさかった、省略)
いまにして思えば当時のアニメは非力で、同人シーンなども非常に貧弱だったため、その市場環境でまともな演技をするには相当の能力が必要であった。千人に一人、一万人に一人ぐらいの逸材ばかりであった。当時の声優人口からしてみれば、彼らがのちの日本を代表する声優のすべて(全員)だったと言っても過言ではなかった。
当時のxx社長だったxxさんは「(以降、コンテストを開催していない件について)もう才能ある人はだいたい知っちゃってるから、あとは直接仕事頼めばいいや」*2との考えだったようだ。
そこから現代まではずいぶん長い時間があるのでここには書ききれないが、ともかくそういう求人を兼ねたオーディションというのはなかなかビジネスとしては成立しにくかった。プログラマの誰もが目にするようなメディアは存在しなくなったからというのもあるし、「求む!天才声優」の時代は終焉を告げていたというのもある。
いまや普通の企業にとって欲しい人材は千人に一人、一万人に一人というぐらいの希少性の高い人材ではなく、十人に一人か百人に一人ぐらいの、そんじょそこらにごろごろ居るようなレベルで十分だから、その求人のために高い費用を賞金に費やすのは割に合わない。
しかしそのパワーバランスが崩れはじめたのが深夜アニメがブームになりだしたころからで、優秀な声優がこぞって
あんまり歴史とかに通暁しないまま構造が似通ってるなと思っただけで碌に調べもしないで改変してたけど力尽きた。どこの縦割り部門でも似たような雇用ミスマッチがあるように感じる。よかったら詳しい人続きやっといてください。
その言動が幼稚すぎて今話題になっている作曲家、菊地創が自画自賛している曲eufonius 「Idea」を聴いた。
曲を聴いてすぐわかった。
この人は楽器が弾けない人なんだ、と。
(電子鍵盤は指を押し当てるだけで音が鳴るから、作曲初心者にはもっとも容易い)
だが決して「弾ける」というレベルに扱える楽器は菊地創にあるまい。
彼はライブでも両手で弾くようなパフォーマンスはできないのではないか?
ある程度、音楽をきちんとやっている者なら簡単にわかることなのだが、
全く楽器を弾けない人の作る曲には特徴があって、すぐに判別がつく。
音楽的な美しさがない。あるいは欠けている。
この場合の「音楽的な美しさ」とは何かというと、それは「響き」である。
例えば“ただ音が鳴っているだけの状態”を「音楽」と定義出来るかどうか?
生まれて初めて玩具のピアノを与えられた幼児が、がむしゃらに鍵盤を叩いて音を鳴らすそれは音楽か?
しかしそれを音楽作品として、美しい音楽として扱われるべきものとは到底言えない。
eufonius 「Idea」はいかにもPC上でデータをいじって作った曲だなと感じた。
まるで自動生成されたような旋律がただ鳴っているだけだ。
機材があれば誰でも出来るレベルの作りこみ程度だし、オリジナリテイも感じられない。
他の曲も聴いてみたがどれも同様に「ただ音が鳴っているだけ」のものだった。
念のため裏付けとして菊地創について調べた。
使用機材を見るとやはりデジタルメインで作っていて、楽器と呼べるものは電子鍵盤しかない。ピアノではない。
鍵盤は指を押し当てるだけで音が鳴るし、これだけの機材があって弄る方法さえ知っていれば
適当に音を鳴らして誰でも曲を作ることが出来るだろう。
Wikipediaによると彼は転調の多用や独特のコード進行が特徴であるそうだが、
それも作曲初心者が一番初めに思いつくようなオリジナリティの出し方で、余りにチープな試行である。
もし自分の中に美しい音楽の響きが備わっていて、それを自分のものとして提示できるならば、小手先で自己主張はしまい。
私は決して、楽器が弾けない音楽家それ自体を批判するわけではない。
楽器が弾けずともデジタル環境で素晴らしい曲を作る音楽家は何人もいる。
そうした人たちが様々な試行錯誤の果てに、楽器演奏では得られなかった新しい美しさを提示することも往々にしてある。
だが、ただ機材をいじって音を鳴らしたら出来た「音が鳴っているモノ」には試行錯誤の過程も、何も感じないのだ。
聴くだけで「これは子供がピアノを叩いてるだけと同じだ」ということがわかるからである。
楽器メーカーが機材のサンプルとして収録してユーザーに提供するような試聴曲にも作りが劣る。
菊地創はおそらく、いい音色で音を鳴らすだけのその程度が作曲だと思っているだろう。
では以下に挙げられた彼の発言から、彼の音楽観について考え、少し検証する。
(http://togetter.com/li/362865)
彼は自分の耳の良さが自慢らしい。おそらくは自分が誇る機材への自信だろうか。「耳」であって自分の「腕」の自慢ではない。
これは上述の「音楽の美しさ」である「響き」を彼が理解できていない証拠ともとれる。
一度聴けば耳から離れない程のメロディセンスも彼には無いようだが。唯一耳に残るメロディは菅野よう子の曲との著しい類似が見られた。
(また余談ではあるが、常に他人を罵倒していないと不安なのは自分に自信が無いから♪だろう。)
彼のプロフィールを読むと初めに記してあるのが専門学校のコンピュータミュージック科との事であった。
幼少の頃から楽器ではなく、入り口から楽器の素養があったわけではなさそうである。なるほどコンプレックスを裏付ける。
美しい響きを求めて、メロディを作り変える音楽家(作曲家)がなぜ苦しむのかが彼には理解できないだろう。
彼は「音が鳴る機械を叩いて鳴らすこと」が音楽だと信じているからである。
誰でも機械を使えば自動生成的に音が鳴る状態を簡単に作れるし、追求のために苦しむこともない。
まとめると、菊地創の音楽は、彼の中にある豊かな音楽から紡がれたものとは言いがたく、それを感じることが出来ない。
ただ指先で鳴らしたら鳴った音を組み合わせ、マウスで弄ったら何となく出来たような産物である。
もちろん彼自身が心地よく感じる音色に鳴る程度には調整されていることだろう。
そこにはせいぜい音色の美しさがあっても、音楽の美しさはない。
また彼が常に他者を罵倒していないと気が住まない理由がコンプレックスによるのは改めて言うまでもない。
とにかく色んな人間を罵倒して自分が上なんだ、自分はあいつらとは違う、と思い込まねば自信を保てない。
そうした奇行の原因は彼のアイデンティティーに関わる根深いコンプレックスにある。
彼は、良い機材を集めて、良い音色を鳴らして何となくそれっぽく作曲することは出来るが
自分の中にきちんと音楽の美しさを蓄えて、それを自分の形にして人に提示することが出来ていない。
ちょうど他人をおちょくるような感じで、ぞんざいに音の連なりの生成はできるが「きちんとした音楽」を作れないのだ。
彼はまともに楽器を奏でることが出来ない故に、きちんと音楽に向きあうことから逃げたままだ。
彼自身もそれは強烈に自覚している。
また菊地創はサイトのトップに(CDのジャケットではあるが)ピアノの画像を載せている。
ピアノはおそらく彼のコンプレックスの表れで「ちゃんとした音楽」の象徴だ。
もし自分に自信があるならば、普段使っているデジタル楽器の写真を載せればいいと思うのだが。
そうした写真はサイトの中に全く見られない。まるで隠したがっているように。
ピアノの写真をトップに載せているのはもちろん無意識だとは思う。
だが彼は自分を「ちゃんとした音楽家」として人に見せたいが故にあのピアノをトップに飾っていることだろう。
なぜなら自分が「ちゃんとした音楽家」などとは到底違うことを彼自身が一番理解しているからだ。
菊地創よ。
君は「eufoniusこき下ろしてみて下さい! 音楽的な視点で(笑)」などと言って自らを鼓舞したが
はっきり言って、菊地創の作曲、そして菊地創の自信作は音楽として評論するに足りないレベルのものだ。
もし音楽家として、また人間としてきちんとやり直すつもりがあるならば
天才の君は「その必要が俺には無い」などとまた妄言を吐くだろう。それも想像に難くない
だが音楽家として、人間としてやり直すチャンスはもうそこにしかない。
君のその強烈なコンプレックスはこれから先、誰を罵倒しても決して埋まらないのだから。
人も、世の中も、音楽もなめたまま生きるのはもうやめなさい。