はてなキーワード: 演奏会とは
毎年吹奏楽コンクールがあるおかげでどちらも盛んで良い文化だと思う。
アマチュア吹奏楽団がコンクールに出る際、「職業演奏家」の参加はチーム失格となるほど大きな罰となっている。
近年、演奏家はYoutuberとして現役の音楽学校に通っている学生や、その後フリーランスで頑張っている方々が投稿していたりする。
自称プロ、という方もいれば、やってみた、という方もいて様々だ。
時代の認知の差でもあるが、私は、難易度の高いソロコンクールの受賞歴があったり、伝統あるオーケストラや吹奏楽団に所属しているプレイヤーはプロだと思っている。
前者はソリストやプレイヤーとしての腕が認められている結果、後者は狭き門であるオーディションを突破し、生業に出来た人たちだ。
定期演奏会等での演奏の質で「さすがプロ」と思いたいところだが、
最近は集客の懸念からゲーム音楽や歌謡曲ばかりを大きなコンサートホールで聴いている。
ゲーム音楽も歌謡曲ももちろん好きだが、何かが知らないうちに変わっていた。
特に吹奏楽は吹奏楽コンクールでの課題曲とゲーム音楽等で1年間の演奏会を回している印象が強い。
若手への教育教養や文化を育てる方法が、少しずつ変化している。
私はそういった演奏会が決して嫌いではない。
しかし、鬼滅の刃やその他の歌謡曲を演奏するために芸術大学や音楽学校は存在するのだろうか?
クラシック音楽だけで生計を立てるのは難しいのは十分に理解しているが、クラシック音楽を普及させない政治が悪いのだろうか?
アニメソングを吹いてすごい、と言われるには将来西洋楽器は必要ないのでは?と思うととても不安である。
先週、とあるプロ吹奏楽団のプレイヤーとお話する機会があった際に
その方の楽器のクラシック音楽がとても好きなので、あれこれ会話が盛り上がると思ったら
演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能な音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能の概念は、今日例えばパソコンのシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食を強要していると言う点で事実上の演奏不可能の作品である。
今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモス・アルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏が重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例である。クセナキス自身はテレビのインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。
しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単な作品も人間が演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である。
前述の通りポピュラー音楽はクラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。
特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞・作曲 桑田佳祐。アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏は事実上不可能となっている。ソフトウェア用マスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である。
作曲家が演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさらに作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのものは今日では演奏やレコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。
指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力が要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である。演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽の大家の作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストがベートーヴェンの交響曲をピアノの為に編曲したものが存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタは比較的易しい。
超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニが作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏が不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題が引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。
タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲である。ピアノのパガニーニを目指したリストの代表曲である。一般の演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リストが超絶技巧の極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーとレスリー・ハワードが録音を残している。
演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品。しかし現在では、早熟なヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。
は第一楽章がオクターヴの速い動きで事実上の演奏不可能の作品である。解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。
パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲の構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイス・クラスナー独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲者自身は生演奏を聴いていないとされる。
1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエの作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会で一般公開され、色々な同僚作曲家の意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。
チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキーと意見が対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディッティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディッティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。
少し前に音楽ディグどうしてる?との話題が増田で盛り上がり大いに参考にさせていただいた。
当増田はネットでは主にSoundcloudを使わせてもらっているが、精度が良すぎて似た感じの曲ばかり集まってしまう。
それはそれで嬉しいが、自分では聞かないような意外な曲を聞いてみたい。そこでラジオのすすめ。
NHKFMだと音楽メインの番組が多く、CMが無いのでストレス少ない。
更に最近は聞き逃しサービスを提供している番組が増え、番組終了後一週間はいつでも何度でもネットで聞ける。聞き逃し対応の番組をおすすめしてみる。
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/
ゴンチチの案内する「ちょっと変わった切り口で色んなタイプの音楽がかかる」番組。毎回テーマを決めてゴンチチのお二人と選曲担当者が選んだ変な曲が色々かかるので、自分からでは絶対聞かないタイプの曲が毎回かかり、たすかる。この番組きっかけで聞くようになったミュージシャンもいる。今朝は「ハニーの音楽」というテーマでハニー・ナイツの「サスケ」がかかっていた。途中のセリフが迫真の演技力で面白かった。
4人のパーソナリティが週替りで出演。
個人的にはサラーム海上氏の週がおすすめ。世界の最新ワールドミュージックが色々聞けて楽しい。
紺野美沙子氏の週は映画のサントラ、榊原広子氏(ダ・カーポ)の週は懐かしポップスや童謡、合唱曲等、向谷氏の週は電車にまつわる曲色々、ジャズや歌謡曲がよくかかる。
今年4月から聞き逃し対応になった。たすかる。クラシックダラ聞きに。その日のテーマに沿って色々クラシックがかかる。交響曲まるごと一曲とかもかかる。曲の合間に豆知識教えてくれたりもする。たすかる。
月一回しか放送してない幻の番組「鍵盤のつばさ」。なぜ月一なのかというと、NHK交響楽団の演奏会の中継が入る日のみの放送なので。聞き逃し対応になったのでうっかり聞き逃しても大丈夫、なのだが普段はこの時間、あの曲者番組「クラシックの迷宮」を放送しているので多分迷宮ファンなら聞き逃さない。
作曲家でピアニストの加藤昌則氏がテーマに沿って鍵盤曲の魅力を語る番組で、軽妙な語り口が楽しい。
4月から聞き逃し対応になった現代音楽の番組。現代音楽の新作をばんばん流してくれる太っ腹番組。NHKはこういう番組は残していってくれないと。日本の貴重な音楽の歴史を記録し後世に残していくために。
番組の進行は作曲家の西村朗氏、いつも番組冒頭で「作曲の西村朗です」と仰る。「作曲の」ってのがなんかいい。
以前はてブでホッテントリ入りしてたオモコロの現代アートの記事で https://omocoro.jp/kiji/152982/
三杉レンジ氏が「アート業界では作品の言語化は前提として必要不可欠なもの」と仰っていたが、西村先生はこの言語化がとても巧い。増田のような素人にもスッと音楽が入ってくる。
更に西村先生は話がめちゃ面白く、ゲストが来る回は大体爆笑トークになるのでもう絶対聞く。
聞き逃し対応ではないが「クラシックの迷宮」(土 19:20〜21:00)も面白い。これ絶対はてなー好きなやつ。政治学者でクラヲタの片山杜秀氏の番組。かなりの曲者番組で、片山氏は旧東側の音楽と日本の現代作曲家に詳しいのでそっち系の曲が割とよくかかる。日本の現代作曲家がやっていた劇伴もよくかかる。特撮とか。先週もニーチェの話からウルトラマンとウルトラセブンかかってた。
あと片山氏、子供の頃からテレビの音を録音するのが趣味だったそうで、NHKも持ってないような貴重な音源持ってたりするそうな。
ここまでおすすめしておいて何だが、NHKFMには少し怒っている。
朝6時といえば60年前から古楽番組をやっていたのに、数年後のAM一波停止の煽りか朝6時台を英語番組に取られて朝5時台に追いやられてしまったのだ。予算削減だから当たり前だろ番組なくなってないんだからいいだろーが、と言われるとつらいが、こちらも数十年は朝6時の古楽聞いてきた身である。AM波停波はまだ数年後だが、今後語学以外にも芸人のバラエティ番組等も次々引っ越してきてFMは音楽番組中心のラジオではなくなっていき、おそらくクラシック番組から削られていくのだろう。クラシックジャンルの中でも聞く人の少ない古楽と現代音楽から削られるのではないかと懸念している。金にならん文化なんか消えるべき、という考え方が増えてるのもわかる。役に立たない音楽より明日の食い扶持、というくらい国民生活は逼迫しているし。でも消えてほしくないんだよ日本の現代音楽は………歴史は記録しないと消えてしまうんだ。
昨年までカザフスタンのQ-POPについて、これから日本でも世界でもQ-POP来るかもね!なんて書こうかと思っていたが、昨年後半からカザフスタンの政治状況が激変し、更にロシアとウクライナの戦争まで始まってしまい気軽に音楽どうよ〜とか言ってる場合じゃなくなってしまった。
というわけでQ-POPと彼らを取り巻く政治状況とウクライナ関係をちょこっとだけ書いておく。
詳しくはウィキペディアをみてもらえばわかるが、主にK-POPから音楽・ファッションともに大きな影響を受けたカザフスタンの音楽である。
2000年代からカザフスタンでも韓国ドラマや音楽が人気となり、若者たちにも影響を与えた。
そして2015年、ボーイズグループNinty Oneが結成される。名前はもう皆さんピンと来ると思うが、ソ連が崩壊しカザフスタンが独立した年にちなんでいる。独立と自主を表す名前である。
彼らのファンはNinety OneのようにK-POPの影響を受けた、カザフスタン人によるカザフスタンの人々のための音楽をQ-POPと名付けた。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Q-pop
始祖とも言えるNinety Oneに続き多くのミュージシャンがデビューを果たしている。最近はガールズグループもいるようだ。
まだ生まれて間もないQ-POPだが、カザフスタン以外でもファンは増えてきているようだ。ちなみに隣国キルギスでも大人気で、Q-POPの音楽祭が行われたりしているそうだ。
NINTY ONE / DARN
カザフスタンはイスラム教徒が多く、文化はかなり保守的。(とはいえカザフスタンではかなり戒律はゆるい方で、飲酒も行われているとか。大っぴらに飲めるかどうかまでは寡聞にしてわからないが。)
Ninety Oneがデビューした時はかなり激しい反対運動が起こった。Ninety Oneは髪を染め、ピアスをし、細身の服に身を包んでダンスし、歌った。それが若い男性を中心とした保守グループからの怒りを買ったのだ。「カザフスタンの家父長制を破壊するものだ」と激しい批判を浴びせ、保守的な都市では保守グループの反対集会も行われ、コンサートを禁止されてしまう。音楽祭等でも他の伝統的な音楽をやっているミュージシャンからは「同じ舞台に立ちたくない」と共演を拒否されることも。
それでも現代のカザフスタンの若者達を取り巻く問題や悩みについて歌う彼らは多くの若者の支持を得、今では多くのQ-POPミュージシャンが彼らのあとに続きデビューしている。
このように、保守層からは忌み嫌われているQ-POPではあるが、Ninety One
は政府との仲は意外と良好であった。理由はカザフ語とラテン文字にあるようだ。
カザフスタンでは公用語はカザフ語とロシア語の2つである。しかし都市部では主にロシア語が使用され、カザフ語が話せない人もいる。そこで与党ではカザフ語の普及、更にはラテン文字の導入も推進している。カザフ語でカザフスタンの歌を歌い、ラテン文字の名前を使うNinety Oneは政府にとってはいい文化スポークスマンになりえたのだ。なので彼らは与党の集会でライブを行ったりもしていた。
ROLESCast#007 カザフスタン情勢の急転―突発的な政権動揺の背景と影響
https://www.fsight.jp/articles/-/48557
ざっくり説明すると、昨年からガス値上がりにより全土にデモと暴動が拡大、大統領の家宅まで襲撃される事態となり、ロシア主導の治安維持部隊が派遣された、という話。
親ロシア政権で独裁体制は前大統領ナザルバエフ時代から。後継者に選ばれたトカエフ大統領のもと、ナザルバエフ−トカエフ体制で長年政権は安定していると見なされてきた。
しかしガス値上がりが引き金となり、長年の独裁と汚職に対する国民の不満が爆発、全土にデモと暴動が拡大。トカエフ大統領はロシアの治安維持部隊を投入、警告なしの発砲を行い200名以上が殺害されている。
ちなみにこの記事は今年1月上旬のもので、対談が行われたのはおそらく前大統領ナザルバエフの失脚前のもののようだ。今年1月5日、暴動を抑えきれなかったナザルバエフは、トカエフ大統領によりカザフスタン共和国国家安全保障会議議長を解任され、カザフスタンから脱出。その後もトカエフ大統領はナザルバエフと近かった治安機関トップを国家反逆罪で拘束したりと政府からナザルバエフの影響を排除しようとしている。
ちなみに北京オリンピックではロシアとも中国とも親密な関係をアピールしていたのだが、昨日トカエフ大統領がロシアからのウクライナ派兵要請を断った、というニュースが流れた。
ロシア的にはナザルバエフとプーチンは同志的な関係であったし、トカエフもナザルバエフの路線を継承した親ロシア政権、カザフスタンの暴動は反ロシアではなく反カザフスタン政府であったので、ウクライナのように侵攻する気はなかっただろう。しかしトカエフ大統領がプーチンの要請を断ったことでこれからどうなるかわからない。
トカエフ側としてはロシアは今はウクライナで手一杯、国際的にも孤立、更にロシア国内でも反戦デモ、とカザフスタンに派兵する余裕はない、国際的にも派兵を断ったほうが孤立を避けられる、と見てのことかもしれない。しかしこれからどう転がるかはわからない。トカエフ体制もいつ崩壊するかわからない瀬戸際である。
カザフスタンのインフルエンサーによれば、近年の価値観の変化は激しく、若者であっても3〜4歳下の若者とのギャップは両親とのギャップ以上であるという。
いくつかQ-POPのPVを貼っておく。言葉わからないけどJ-POP、K-POP好きならめっちゃ聴けるタイプの音楽では?
SEVENLIGHT - Núkte Official MV
ちなみに当増田はJPOPもKPOPもあまり聞かないタイプである。
何故Q-POPに興味持ったかというと、カザフスタンの伝統音楽を調べていたのがきっかけであった。
カザフスタンにはドンブラという伝統楽器がある。何かが流れてきそうな名前だが、こんな弦楽器である。
カザフスタンの若者の間ではドンブラパーティと呼ばれているフラッシュモブ的な街角でのドンブラ演奏会が行われているそうで、ものすごくカオスでフリーダムな情景を思い描いたのだが、実際YouTubeで見てみるとのどかなものだった。
こんな達人級がゴロゴロいて、週末になるとあちこちの街角でドンブラを演奏しているのである。そりゃQ-POPに拒絶反応も出ますわな、と思わされた。しかしみんな違ってみんないい。個人的にはどちらも聞きたい。
無性に楽しくなって、早朝から料理はじめて狂ったリズムでフライパンとか鍋をおたまで叩いて奇声あげながら演奏会してたが、これご近所へめっちゃ迷惑だな。
うちのアパート、隣人が部屋を歩いてるだけで音が響くくらい薄々の壁なので、全部となりに筒抜けだったな。午前三時に。今は頓服ので落ち着いてきたが冷静に考えると頭おかしいことしてた。定期的にやるけど。土日だから許してヒヤシンス★
明日辺り、さいたま市で騒音トラブルで老人女性から刺されて死んだ無職男性がいたらワイです。みなさんさようなら。
早朝の演奏会は楽しいぞ(カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン)
「どうせ~」思考は危険だ、他人の見えてない部分を都合よく低く見積もることで自尊心を守りたいだけのクズになる思考。
俺はUOは齧る程度しかやってないが、マビノギを長年やっててMML書いて嫁の誕生日にギルメンで演奏会したり羊毛刈りを極めたりボス周期を記録してボス厨になったりと自分や他人が十人十色の多様な遊び方をしていることを見続けてきた。
どんなゲームシステムもシステムである以上ある程度のやり込み方の方向性は定まっているものが多いとは言え、要素が多いゲームであればあるほど意図してないであろうプレイスタイルの組み合わせなどによって思いがけない発見や驚きに遭遇することは多々ある。
そういうのが自由度ってもので、最近のMMORPGだとToSなんかが、あくまで戦闘スキルに関しての自由度だが、スキルの組み合わせが非常に複雑になるのでビルドの自由度が高く知恵熱をだして楽しく悩んでいた記憶がある。
MoEで0.1単位でスキル配分を悩んでいたときもそうだったし、自由度というのはなりたい/なれるであろう像が見えていればいるほど感じるものであって、ある程度までゲームをやり込んで情報も調べ尽くしていないと見えてこない概念であるとも言える。
オープンワールド的な探索や生活的な行動可能性みたいな自由度とは少し軸が違う話かもしれないが、ゲームの遊びとしての自由度ってのはそういうもんだ。
25年くらい前に某地方の信用金庫主催(?)のアニメ映画鑑賞イベントがあって、親に連れられて観に行きました。
当時自分は5歳くらいでした。
映画館ではなく、講演とか演奏会とかが行われるようなホールで上映されました。
(なので、実際にその時期に映画館で上映されていた映画かどうかは分かりません。)
(そもそも映画だったのか、というのも曖昧です。長編アニメという意味でここでは映画と書きます。)
覚えている内容は以下の通りです。かなり曖昧かつざっくりで、記憶違いもあるかもしれません。
・人間の子ども(もしくは、人型の動物の子ども)が5~10人くらいで遊んでいた。
・ある子どもが虹の裏側(?)に行くと何か起こると聞き、みんなで向かう。
・実際にみんなで行ってみたところ、謎の力によって、子どもたちが数グループに分断され、
・各グループ、仲間と合流し、帰るために行動する。
・あるグループは北極のような凍り付くような場所に飛ばされる。
・あるグループ通しで、合流できそうになったところ、また謎の力で飛ばされる。(結構な絶望感)
・最後はなんやかんやで合流できて、何かの欠片を持ちながらみんなで円になって、「くっつけ、くっつけ、命の地球」みたいなセリフを何度もみんなで復唱して、その甲斐あって無事に帰れて(覚えてないけどたぶん帰れたんだと思う)おしまい。
「ホロコーストは嘘」って主張自体が嘘である、と言うことは日本ではあまり知られていない。せいぜいが「ホロコーストを否定してはいけない」程度の認識であるようだ。私ほどの物好きでもない限り、そのファクトチェックを行うという面倒なことをする人は滅多にいないから仕方ない。欧米は否認論の本場なので、否認論に対抗する人もそれなりにいて「ホロコーストは嘘」自体が嘘であることはそこそこは知られているようである。Twitterなどで状況が意外と簡単にわかる。
だが「嘘」と言っても、その実態はややこしい。そのほとんどは事実を用いた印象操作のようなものであり、細かな具体的主張それ自体が嘘そのものであることは少ないからである。いわばホロコースト否定論はその主張をする人が意図的か無自覚であるかは別として「詐術」なのである。しかし、あなたの知性が正しく働いているのならその詐術に騙されることはない。例をあげよう。
「アウシュヴィッツには遊泳プールが存在し、親衛隊員や囚人が水球で楽しく遊んでいたという事実まで存在する。アウシュヴィッツ収容所は地獄のような過酷な収容所ではなかったのか?」というものである。後段の疑惑はともかく、これは事実であり、確かにアウシュヴィッツには遊泳プールが存在し、元囚人の手記によると親衛隊や囚人が水球などで楽しんでいたようである。
先に結論を言うと、遊泳プールがあったからと言って、アウシュヴィッツ収容所が地獄のような過酷な収容所であった事実は変わらない。登録囚人に限定しても(登録されずに殺されたユダヤ人が圧倒的に多いが)、毎月数千人単位で死者が出る収容所だったのである。だけど、そう説明されたところで、遊泳プールの存在は思っていたアウシュヴィッツのイメージと全然違い、かなり違和感があると思う人もいると思う。実は肝心なことは「思っていたアウシュヴィッツ収容所のイメージ」なのである。そしてこのプールの話は、実際、相当色々とよく知っていないと納得しづらい人もいて当然だと私も思う。
あまりに何もかもをここで説明するのは無理なので、アウシュビッツ収容所のみに限定して簡単に解説する。アウシュヴィッツ収容所はポーランドにあり、1940年5月ごろから実質的にスタートした強制収容所である。最初は、ユダヤ人のためではなく、政治犯を主体として収容するための強制収容所であり、ドイツ人やポーランド人などが収容されていた。翌年1941年6月を過ぎると独ソ戦によって発生した赤軍捕虜が大量に収容されるようになっていく。が、この赤軍捕虜に対する扱いはあまりにも非道であり、特に政治将校はその大半が銃殺刑で処分された。いわゆる国際法ガン無視のコミッサール司令である。また、アウシュヴィッツで行われた最初のガス室での殺害犠牲者はこのソ連兵捕虜だった。そして、元のアウシュヴィッツ強制収容所から三キロ離れたところにあるビルケナウ捕虜収容所の建設が始まると、そのソ連兵捕虜が建設労働に駆り出され、一万人くらいいたはずのソ連兵捕虜の大半は一年も経たずに大半が過労・餓死などで死んでしまったのである。
ユダヤ人については、当初からユダヤ人も含めて政治犯として収容はされていたものの、囚人登録もせず収容もしないで収容所到着時にそのままガス室送りにしてしまう、いわゆる「ユダヤ人の絶滅」がアウシュヴィッツで始まるのは1942年3月からであり、ビルケナウの敷地外にある農家を改造したガス室(ブンカーと呼ばれる)で最初の一年くらいは実施されており、1943年3月にクレマトリウムと呼ばれる火葬場が完成すると、その後はビルケナウのクレマトリウムで行われるようになっていく。アウシュヴィッツの基幹収容所のガス室は併設された火葬場の火葬能力が低いこともあり、実は絶滅にはほとんど使われておらず、1942年末でガス室の使用を終了している。ともかく、ビルケナウ収容所でのユダヤ人のガス室での大量殺害は、ヒムラーが中止命令を出す1944年の10月末ごろまで続いた。ガス室ではトータルで100万人程度虐殺されたと言われている。
もちろんだが、ガス室での殺害は何も囚人にさえしてもらえなかった非登録ユダヤ人だけではない。最初の選別では老人や14歳以下の子供、子持ちの女性などが労働不適格としてガス室送りにされたが(概ね到着したユダヤ人の75%、ただし選別条件に当てはまるのに例外的に囚人登録された人もいた)、囚人登録されたところでその大半は3ヶ月程度で役立たずになりガス室送りになるか病棟バラックで注射で殺されたりもした。こうした収容所内での「選別」は常時行われており、その選別方法も親衛隊の選別の担当長が適当に恣意的に選んでいるだけなのが実態だった。親衛隊員による囚人への暴行も日常茶飯事であり、殴り殺すことさえ珍しくなかった。些細なことでも見せしめ的に処刑されたし、収容所内での配給食料だけに頼っていたらすぐに死んでしまうほど食料の質も劣悪だったりもした。
……とまぁ、これだけ酷い話を聞いていたら、「プールで遊ぶなど考えられない」と思う人がいても全く不思議ではないと思う。プールの存在に対する疑念はこのアウシュヴィッツの悲惨なイメージとあまりにかけ離れているから生ずるのだ。だが……。
このプールの詐術に引っかかる人は、人間が斯様にも残酷になれるということを理解出来ていないのである。ここで一つ解説を加えておくと、このプールは絶滅の行われていた現場であるビルケナウではなく、アウシュヴィッツ基幹収容所の方にあったが、元々の目的は防火用であり、完成したのは1944年8月ごろであると推定される(フランクフルト・アウシュビッツ裁判の証言にある)。収容所の親衛隊員は、ユダヤ人囚人に命じて飛び込み台を作らせ、遊泳プールとしても使えるようにした。で、このプールを利用して遊んでいたのは親衛隊員と、上級囚人だけだったのである。上級囚人とはユダヤ人でない囚人のことであり、おそらくは過酷な労働をしていなかった囚人長であるカポなどであろう。つまりは、大半の囚人が毎日酷い目にあっているそのすぐ側で、収容所生活を存分に謳歌している人たちがいたというのが事実なのである。ビルケナウの方ではサッカーでさえ楽しんでいたそうだし、有名なアウシュヴィッツオーケストラに演奏会をさせたり、囚人に劇団まで作らせて劇場で公演させたりもしていた。また親衛隊員は当然として上級囚人も、ユダヤ人ら下等囚人の食事量・質とも全く違ったし、親衛隊員は恣意的に食品などを横流しさえしていた。さらに、ユダヤ人が持ってきた私物(「再定住させられる」と言って騙されて連れてこられているのだから、それらはユダヤ人の全財産と言っていい)を全部収容所の方で掻っ攫うのであるけれど、そこから横領しない親衛隊員などいなかったと言われるほどである(ただし横領は発覚すると厳罰な処分が下される)。
もちろん、囚人たちの多くはそうした私腹を肥やす親衛隊員たちの行動や、プールなどを楽しんで収容所生活を謳歌している姿も知っていた。だから戦後の地元法廷で、少ないとはいえ裁かれた親衛隊について証言者となった元囚人たちのほとんどは、それら親衛隊員被告の非道ぶりを存分に告発したのである。
ほんとに否定論の細かい具体的な主張ってこの手の話があまりに多い。例えば「ガス室の扉が木製だなんておかしいじゃないか。アメリカの死刑用ガス室は鉄製の部屋でありドアだって厳重なハンドルまでついていて非常に厳しい毒ガス管理をしているくらいだ。あんな木製の簡易な扉だったらガス漏れして外にいる人まで死んでしまうに違いないから、あれがガス室だったなんてあり得ない」ってのがある。んでこの話、たくさんの米国の死刑専用ガス室の写真とともに出回っている。
えー、青酸ガス発生用に使っていたチクロンBは害虫駆除用として当時一般に広く使われており、それなりに密閉処理さえすれば「どこでも」使えた。それなりの密閉処理とは空気漏れ起こしそうなドアの隙間などにダクトテープを貼る程度のものである。アウシュヴィッツ収容所にも、殺人ガス室以外に衣服などのシラミ駆除のための専用ガス室が複数存在し、現在も現存しているが、それらのガス室の扉も殺人ガス室と同じ木製扉であり、気密には隙間にフェルトが貼られているだけである。チクロンBの製造元であるディケシュ社の文書にも別に木製扉がダメだとは書いてない。専用の頑丈な鉄製のガス室でしか青酸ガスを発生させられないような害虫駆除剤だったとしたら、当時一般的に広く使われたはずがないだなんて、少し考えればわかることなのに。
「じゃぁ何故米国の処刑ガス室があんなに頑丈そうに出来ているのか?」と聞かれたって答えは知らないが、それなりの要求仕様があるとか昔からの慣習であるとか、何か理由があるからであろう。でもそーういうことは否定派さんは全く調べない。いずれにしても、実際にチクロンは当時広く使われていたのだから、米国の処刑用ガス室の構造は、アウシュヴィッツのガス室に関しては何の参考にもならないのである。どうしてそんな見た目の単なる印象に過ぎないことが、アウシュヴィッツのガス室を否定する理由になるのか?
今年はホロコースト映画公開が少し多いようだけど、一つとして見に行こうとは思わなかった。あんまり興味が湧かなかったからだけど、しかし最近、古い映画にすごいホロコースト映画があるのを発見した。YouTube全編上がっているのだけど、惜しいのはポーランド映画であり全編ポーランド語でさっぱり言語がわからなかったりすることだ。日本でもDVDは発売されてるけど、買ってまで見ようとは思ってない。しかし何が凄いって、何気に再現度が凄い。興味がなければ何のことはないシーンだけど、ガス室にガスを投入する作業のシーンが思ってた通りの再現だった。ガス室というかクレマトリウムはすでに破壊されてなかったからわざわざセットで作ったのかと思うと尚更すごい。何気にあのチクロン投入煙突の位置が正確なのも素晴らしい。未完成で監督が死んでしまい、友人達で残っていた映像を繋ぎ合わせただけらしいけど、唐沢寿明の『白い巨塔』よりもずっと前にアウシュビッツ収容所をロケ地に使っていた映画が存在したというのも発見だった。
PASAŻERKA - POLSKI FILM PSYCHOLOGICZNY HD, WYSTĘPUJĄ: ALEKSANDRA ŚLĄSKA (SOUS-TITRES FRANÇAIS)
自分だったら演奏会はやらないで仲間だけは確保するかな。開催しても後ろ指刺されるしどうせ客は入らない。でも夢は捨てたくないからね。
!謎の女は通訳役だったの⁈天才すぎる上田先生。謎の女無駄に歌うまいなぁ。ふた言ほど通訳した後はハミングに切り替えて実際は通訳していることを表現しつつ、劇中のゲーテとベートーヴェンは普通に会話をする。
実際はベタ褒めだったようだけど、なるほど。
有名なエピソードきました。劇中では皇帝皇后カール大公ルドルフ大公メッテルニヒもいたけれど、史実で目にしたのは皇后マリア・ルドヴィカとその取り巻き。
皇后は史実では1807年に2番目の妻マリア・テレジアが亡くなって、1808年にマリア・ルドヴィカになっているけど、劇中では千風さんが通しで演じている。だからこそ配役の名前も「オーストリア皇后」でぼかしてるんだな。
謎の女「過激なことを言わないで」
青木やよひ氏の著書によると、ゲーテはベートーヴェンを直接諌めるようなことはしていなかった。
ベートーヴェン「奴は、負けない」
ナポレオンを完全に否定しきれていないというのは、かげはらさんの記事と同じ。
実際はその後和解してた模様。
1812、1814。
葬送行進曲は、若干不吉さを増すオリジナルパートが加えられているか。
百日天下飛ばされたけどウィーン会議きたなあ1814年、退団の煌羽さんがメッテルニヒだしな。
青木やよひ氏の著書では、ゲーテはナポレオンの後継者をメッテルニヒに見出したとも言われるらしいが、イェナ大学監督官の職を固辞。それは事実上の監視役であることを察知したからでは、と書かれている。これや。
ふむ、ベートーヴェンの2歳下。彼の窮状を救うようメッテルニヒに訴えたという話を見かけたからそれ絡みかなあとも思ったけど、単純に宮廷側。(なおサリエリ も、ベートーヴェンの《ウェリントンの戦い》1813の演奏会で打楽器だかで出演という話もあったけど、単純に宮廷側の模様。)実際ロッシーニはウィーン会議にはいなかった、かな。ウィーンでロッシーニ人気が吹き荒れるのはウィーン会議後か。
されど進まず。
監視社会。
史実ではゲーテはテプリッツの時点でベートーヴェンの耳のことを知っていたよう。
メッテルニヒ「彼らはただ腹を満たし、あたたかいベッドで眠りたい。そのためなら革命の大義も唱え、それでも不満なら変節して皇帝を支持する。彼らにとっては、革命でも、皇帝でも、音楽でもいいのだ、楽になれたら。さあ曲を書きたまえ、国民が日々の憂さを忘れるような」
痛烈。
謎の女「イギリスへ行きましょうよ」
お?
うん。家政婦と通訳するうちに情が湧いたのかな。
「ほんとうに、聞こえてないのか」
「彼は終わりですな」
映画『不滅の恋』ではピアノ協奏曲第5番が崩壊し、アンナ・マリー・エルデーディが助けるシーンがあるけど、曲がなんだったにせよこんなことあったのかな。
去っちゃうのー⁈最後まで援助してたルドルフ大公も。とことん追い込むやつね。
夢白さん美しい。耳が聞こえない怖さを感じたシーンはこっちだったかな。
おう、帰るんか。ほんとは一回も帰ってないらしいけど。
3拍子かと思ったら4拍子。オリジナルか。
おおーー、うーん、これもとことんベートーヴェンを追い込む設定か。実際はベートーヴェンより後に亡くなってる。じゃあさっきベートーヴェンに話しかけたエレオノーレは過去の幻影というよりも天国に行く前だったか。
小さな炎の健気さ、好き。
テプリッツから戻った1812年の秋から6年ほど、"傑作の森"期を抜けたベートーヴェンはまた孤独期に入る。《ウェリントンの戦い》やウィーン会議での成功も彼にとってはなんでもなかった模様。交響曲については1812年7番、8番ときて、次の9番1824年完成までは10年以上開く。
不滅の恋人Aとの破局、ナポレオン失脚、急激に悪化する耳(1812年時点ではまだ道具に頼らずとも会話ができていた)、パトロンたちが亡くなり経済的に困窮。甥カールの親権問題なども。これが劇中では、ナポレオン失脚は同じとして、ゲーテとの決別、難聴を暴かれ演奏会で失敗、ルドルフ大公も去り(パトロンがいなくなるという点では一致)、そしてロールヘンの死(不滅の恋人との破局にあたるか)、になってる。
20年前、中学2年生のときに参加した秋の吹奏楽コンクール。夏休みをつぶして練習をしていた彼女たちを横目に見ながら、ステージの上で俺は何もせずに突っ立っていた。割り当てられた楽器はトライアングル。特定のパートで音を鳴らすだけだった予定だが、誰かのミスで俺の楽器がステージに用意されることなく終わった。別にトライアングルを準備しなかった誰かを怨んじゃいないし、たぶん本当にただのミスだったんだと思う。悪いのは夏休み中に一回も練習に参加しないどころか、辞める意思を伝えなかった俺だと思う。
うちの家族は音楽一家だ。俺が小5のときに死んだ父親はフルートの奏者で、同期の友人を集めて社会人サークルを作ってときどき演奏会をしていた。姉も姉でピアノが得意でときどき、受験勉強の合間に演奏をしていた。妹もサックスの奏者で運転免許教習のためにと渡した金で自分用のサックスを買ってた。母親は別に音楽はしなかったが、彼女たちを育てるのにリソースを費やしていた。そんな家族だったから俺も音楽が好きで、得意できっと才能もあるのだろうと思っていた。
俺が楽器に触っていた一番古い記憶は幼稚園のころにピアノを習っていた記憶だ。音大を卒業したばかりの若い女性の先生を家に呼んで姉と俺が習っていた。彼女の教え方は結構自由な感じで、俺は楽譜を無視して勝手にペダルを押してみたり、習ってもない黒鍵を押して変な音を出したが彼女は「じゃあ、アレンジしてみようか」って言って楽譜の改変を許してくれたし、そんな優しい対応をしてくれる大人の女性に気恥ずかしさを感じた記憶がある。
それに対して母親はどちらかというと教科書的に楽譜を覚えさせようとする人で、幼稚園から帰ってピアノを自主練する時間になるとひたすら楽譜の同じフレーズを繰り返させられた。ちょっとでも間違えると「あと10回繰り返しなさい」という具合。これが原因でピアノが嫌いになってしまって先生を呼んでの個人レッスンも辞めてしまった(辞めた時の具体的な流れはもう覚えていない)。
そんな俺だったが小5のときに父親が死んだ。彼が残したフルートを見て「これを俺も吹けるようになりたい」と思った。そんなことを思いはしたものの、具体的に行動は起こさず、塾やら剣道やら(これも嫌いだった)中学受験に失敗したりしているうちに進学先の中学校に吹奏楽部があることを知ってそこに入部した。思えばこれが間違いだった。
俺の入部した吹奏楽部は俺以外全員女子。顧問はまさかの俺の父親の知り合いで、そこに男子が参加したものだから舞い上がっていたように思う。最初に割り当てられた楽器はチューバだった。いわく、低音でバンドの全員を支えろとのこと。チューバ奏者には申し訳ないのだが、これが全く楽しくない。低音を鳴らしても自分が何を演奏しているのか分からない。顧問は部員のモチベーションをあげるためなのか、自分の趣味なのか分からないがみんな知っているポップスや歌謡曲を演奏させたが、メロディを奏でるメンバーが聞いたことのあるフレーズを演奏しているのに対して低音が演奏している音は一体何の役に立つのか全く分からなかった。定期的に同じ音を鳴らすこの行為になんの意味があるのか分からなかった。ついでに俺は残念ながら肺活量が低くてチューバを満足に吹くことができなかった。その後、顧問の命令でアルトサックスへ、そして最後はコントラバスに転向。もはや管楽器ですらなくなり、この辺で完全に俺のやる気は消失して部活をさぼるようになっていた。
で、中学2年生の夏休み。俺は部活に行くと言って家を出てから友達の家へ行って連邦VSジオンで遊んでいたものの、あるタイミングで顧問がその友達の家に乗り込んできて俺は拉致されてしまった。与えられた楽器はトライアングル。夏休み明けのコンクールは部員全員で参加して今の3年生を送り出すんだから、お前も参加しろとのこと。無理やりワンフレーズだけのパートを練習させられて、そして迎えた本番で事故は起きた。トライアングルが無い。
理由は分からない。楽器を運ぶ担当の1年生からも下に見られていた俺は、楽器の用意をしてもらえなかったのかもしれない。それか、俺が自分の責任で運ぶように指示されていたのかもしれない。分からないが、ステージ上で何もせずに突っ立っていた記憶だけは残っている。指揮棒を振る顧問の困った顔、演奏が終わった後でほかの部員から向けられた視線。すべてが苦痛で俺は逃げるように会場を後にした。顧問はさすがに哀れんだのかそれとも呆れたのか、それ以降俺を部活に連れていくことはなくそのまま俺の存在は自然消滅した。
そんなことがあって、何年もの月日は経過したが幸いなことに音楽自体を嫌いになることはなかった。どちらかというとDreamcast勢だった俺はクレイジータクシーやソニックアドベンチャーで洋楽に触れて、バンドの存在を知って低音が奏でる面白さをそこで初めて知った。と言って、特に具体的な行動を起こすでもなく大学に行ってからはギターヒーローとかドラムマニアでときどき遊ぶ程度。あとはオーケストラやマーチング、ジャズなんかをときどき思い出しては聞く程度だった。だけど心の中で、音楽をもう一度やってみたいと思う気持ちだけはちょっとずつ育っていっていた。
結婚して子供もできて、その子供が8か月になったころの2020年からコロナの影響を強く感じるようになった。仕事はそれ以前から完全リモートだったので特に支障はなかったのだが、趣味の温泉旅行が制限されたのはつらい。そんな中でおこもり需要の一つとして注目されたのが楽器だったわけ。俺もその例にもれずヤマハが発売しているヴェノーヴァを購入してみた。生まれて初めて自分のお金で買った楽器。これがめちゃくちゃ面白い。
練習はだいたい朝子供を保育園に送る前と夕方、保育園から帰ったあとの夕食までの時間。だいたいどっちも20分くらいだから1日のうち40分くらい。しかも最近は寒いから朝の練習はしない日もある。練習と言っても昔のように間違えたフレーズをなんども繰り返すわけじゃない。最初こそ音を鳴らす練習や指の運びの練習はしたけど、一通りそれっぽく音が出せるようになったら後は自由だ。楽譜を買ってきて自分が好きな曲を自分が満足するまで吹けばそれでいい。アニメや特撮が好きなので「ドラえもんのうた」とか「ウルトラマンのうた」とかを一通り吹いて、サビだけ吹けるようにしておしまい。最近はコンビニで曲ごとに譜面を印刷できるので、気になる曲だけ印刷してくれば1枚400円くらいで収まる。飽きたらまた別の曲をやるし、ときどき思い出して前にやった曲を吹いてみて自分の中の変化に目を向けると、ちょっとは上手になったかな?と思って自己満足する。それだけでいい。
子供の時にやっていたバイエルをひたすら反復する練習は何だったのか。中学のときに面白さが全く分からなかった低音をひたすら鳴らしていたのは何だったのか。そんなことやる必要なんてなかった。自分が好きな曲を適当に吹いてひとまず満足して、そしてまた戻ってきて高みを目指したり目指さなかったりすればいい。そう言う物だったんだな。
今にして思えば父親が俺に音楽を教えてきたことは無かった。たぶん、彼は今の俺と同じことが分かってて練習を強要するんじゃなくてやりたくなったらやればいいくらいのスタンスだったのだと思う。俺もそういう気持ちで子供に接して行きたい。
クラシック音楽が最近話題だけど、クラッシック畑の人々の音楽の語り方は本当にカッコいい
○○派とか□□以前とかxx世紀とか、そういうワードがポンポン出てくる
さすがクラッシュク、古典というだけあって、やっぱ蓄積ってもんが違うのかもしれない
いや、でもクラッシュクーだけじゃなくて、ジャズとかロックでもそういう語り方してる人はいるんだよな
コルトレーンとナンチャラの絡みが云々、このバンドはUKの影響を強く受けていて云々……
たぶん、どんなジャンルだろうとその気になれば体系的にツラツラ語ることはできるんだろうなと思う
俺もアレができるようになりたい……と思いつつ、全然できる気がせん
リバティーンズはザ・ストロークスのフォロワーで、Reptiliaをカバーしたのがバンドとしてはじめての活動だったらしい!みたいな、瑣末な知識しかない
ストロークスはガレージロック・リバイバルのバンドだ!っていうのはストロークスファンとして知ってるが、他のガレージロックリバイバルバンドは知らんし、そもそもリバイバルじゃないガレージロックのことも全然知らん
最近はiTunesのおかげで聴く曲の幅が広がったけど、ひとつのバンドへの掘り下げは浅くなってしまった
アルバムを通しで聞くのはよほど気に入ったやつだけ……なのは前からそうだけど、一度も通しで聴きすらしないことが増えた
気に入った単曲のつまみ食いばかりしていて、繋がりみたいなものを把握できてない
つか、クラッシュバンディクー趣味の人たちってどうしてるんだろう?
アルバム(?)を通しで聴く、みたいな営為、クラッシュ万ディクーでやると相当キツイイメージある
個人的に好きな歌モノ、ペルゴレーシさんのStabat Materなんかも、三曲も聴くと眠りの世界に誘われてしまう
そもそもクラッシュ万事休す、というか管弦楽曲、生で聴いてすら眠くなるからなあ
昔相当うまいオーケストラの演奏会行ったとき、かなり感動し、もっと聴きたい!と思いながら寝るという謎の体験をした
あれどうやったら集中しつづけられるんだ?
とにかく、体系的に語りたいんですよね
なんとかできねえかなあ
長らく、学歴ある人は転職先も豊富で、理系だと資格も持ってて引く手数多で、生きる選択肢があって良いなと思ってた。
自分は、たまたま高待遇の会社に入ったものの、ここを離れるとたちまち年収300万にも届かない仕事しか選べない訳で、金があっても自由はない。
実際のところ、医者や弁護士でもない限りこの若さでここまで稼げる奴、更に収入も増えていく未来が見えてる奴もそうそう居ないらしくて、じゃあ何にコンプがあるかとすれば、それは学の無さだった。
例えば美術館に行ったり、ジャズの演奏会に行っても、ぼんやりと「良いなぁ」と思うくらい。
嘘。美術館は「何これ」だし、コンサートも好みの曲以外は眠くなるだけ。
学さえあれば、分かる様な、そういうことが俺には分からない。
多くの富裕層や稼いでる人たちが「素晴らしい」と思うものが俺には一切共感ができない。学が無いから。
別に大学で習う訳じゃないだろうよ、でもさ、知識階層に触れてさ、文化的な事柄のさわりを知ったり、色々な切っ掛けに触れる機会に俺は触れなかったんだ。若い時にさ。それがスゲェコンプレックス。
コロナ渦だってさ、そういう「分かる人には分かる」みたいな娯楽がどうせ溢れてるんだろ。俺は知らないだけでさ。知っても分からないだけでさ。
もうさ、なんつーかさ、そういうのが今後一生続くんだと思うとさ、死にたくなってくる。
彼に会ったのは、人手が足りないからと友人に駆り出された室内楽のイベントだった。
私は普段アマチュアオーケストラの片隅でビオラを弾いているが、コロナ禍でオーケストラの練習は軒並み中止に追い込まれている。
(N響による検証では、管楽器でも一定距離以上の飛沫が飛ばないことは分かったが、練習会場が閉鎖されがちなのでどちらにせよ練習できない。)
そんな中、友人が所属するオーケストラでは、弦楽四重奏や五重奏の数曲を演奏する催しをするという。
予定曲に対して参加希望者が微妙に足りないということで、私にお声がかかった。昨年9月頃の話だ。
初回練習日に会場につくと、私と一緒の組で演奏するメンバーを友人が紹介してくれた。
巷のステレオタイプな研究職のイメージよろしく、眼鏡をかけており、外見にあまり気を遣っていないようだった。
リハーサルが進むごとに、心の機微をよく理解し、優しいことが分かった。そして音は自然で伸びやか。タイプだ。
ただ、こちらも三十余年を生きており、人並みの自制心は持っている。
数回のリハーサルを経て、本番を迎えた。
目を合わせる。息を一緒に吸い、一緒に音を出す。彼が問いかける。私は答える。音楽が少し走り出す。私たちは目くばせをして合わせる。
音楽の根幹が「空間を共有し、呼吸を合わせる」ことにあると再確認する。
コロナ禍で半年以上コミュニケーション自体が激減していたところ、彼との無言の会話は劇薬だった。
本番が終わった後、ご飯に行けるはずもなく、話しながら一緒に帰った。遅くなりがちなところ上手くいってよかったです。でも最後はちょっとばらけちゃいましたね。
話している最中、目を逸らさずに見てくるので動揺した。反則なのでやめないか。瞬間、私は演奏中の光景を思い出して赤面する。
そんなこんなで私はあっさりノックアウトされた。
それから、特に用事もないまま時間だけが過ぎていく。コロナ前ならご飯に誘ったんだろうがこのご時世だ。
友人に探りを入れたが、二年ほど前に「今は仕事の正念場なので恋愛とか結婚とかは考えられない」と言っているのを聞いたという。
かく言う私も、このまま仕事がうまくいけば、半年後に今の居住地を離れる。こんな宙ぶらりんな状態でどうこうするのは申し訳ない。
第一、必死で仕事をしている人に「私のためにあなたの時間をください」と伝える勇気は今の自分にはない。
研究職が今が正念場なのも本当で、考えれば考えるほど、今はそっとするべきという結論になる。私の勝手で邪魔をしてしまうのも悪いしな。
友人の団体には、演奏会の助っ人枠にいつでも呼んでくれと伝えてはあるものの、冬に続き、夏の演奏会も無くなる公算が高そうだ。
というわけで、残念だけど、どうしようもない。
とりあえず、はよコロナ収まってくれ。
キュレーターとは,現代美術の文脈において展覧会の企画・運営等を総合的に指揮する人のことである。どんな作品を取り扱うのか,どんなタイトルの展覧会にするのか,展示の順はどうするのか,ライティングは?解説は?チラシに掲載するキャッチフレーズは?等々。
今日のクラシックにおける自主企画の演奏会は,多くの場合「プレイヤーがやりたい演目をやる」ということになっている。もちろんそこにコンセプトやテーマがあったりする場合もあるのだが,美術作品とお客さんをキュレーターという専門家が架橋している美術市場と異なり,クラシック市場にはキュレーションを専門に勉強している人がいない。現状コンサートのマネジメントは演奏家がやっているわけだが,あまりに画一化しすぎているのではないか。クラシック音楽にも,お客さんと作品をキュレーションで架橋する発想があってもいいのではないか。そのあたりのことが気になってのツイートだった。
ということで,このnoteではこの件についてもう少しだけ深堀してみようと思う。久々の投稿ですが,お付き合いください。
目次
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
5.まとめ
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
繰り返しになるが,現状のクラシック系自主企画コンサートは「演奏家がやりたい演目を披露する場」として機能している。これ自体が悪いわけではないし,演奏家の独りよがりだと批判するつもりもない。もちろん演奏家は選曲やプログラムノートに苦心しているし,そこには確かに工夫の痕跡がある。
でもね,正直クラシックのコンサートの演目って似たり寄ったりじゃないですか。
コンサートに「一度も聞いたことのない楽曲」が含まれていることは稀だし,大体定番曲が並んでたまに新曲初演があるくらい。クラシックのサックスなんかはまさにそうだ。クラシック音楽が「過去の音楽を再現する」文化である以上,演目の重複は避けられない。まぁこれは仕方のないことではある。
ただそうすると,当然誰しもが「同じ曲を聴くなら上手い人の演奏聴きたいよね」と思うようになる。つまり,技術で劣る演奏家の演奏会に行く理由がなくなってしまうのである。
このnoteでも何度も言っていることだが,クラシック音楽は特に「文化的に醸成された良さや美しさの基準」が強烈に機能するジャンルで,「この人あんま上手くないけど個性的で好き!」とか「この若手は下手だけどトッププロにはない魅力があるなぁ」みたいな評価が生じにくい。また,特にクラシックサックスのように難しい近現代曲が必須のレパートリーになっているジャンルは,必須とされる技術レベルが結構高い。例えば音色がめちゃくちゃ魅力的だったとしても「指が回らない人は使えない」「スラップタンギングできない人はコンクールの一次予選の課題曲が吹けない」みたいな悲しい評価が下される。
結果的に,クラシック演奏家市場では「楽器の上手さ」が保障されているプレイヤーにしか人が集まらない状況が生まれやすいのである。これは,ブルーハーツと東京事変がどちらもCDになって成功できるポピュラー音楽とは事情が全く違う。ブルーハーツみたいなパンクロックって,演奏したり作曲したりするのに必要な西洋音楽的技術が結構低いんですよ。川谷絵音や東京事変やKing Gnuの曲とは複雑さが全然違うわけです。それでもブルーハーツとかモンゴル800とかが世間に認められてCDを出しているという事実は,「ポップスはクラシックに比べて多角的に評価されている」ということの証左だろう。個人的にはとても健全だと思う。一方のクラシック演奏家市場は,「楽器の上手さ」がほぼ唯一の評価の観点として強烈に幅を利かせているのである。
「プロの世界なんてそんなもんだよ」というかもしれない。でも,僕はこの「楽器の上手さというパラメーターが最強の世界」が気にくわないんですよね。
例えばこれが「クラシック演奏家育成」をテーマとするソーシャルゲームだったら,と思って考えてみてほしい。
このゲームでは,プレイヤーが最初のガチャで引いたキャラを「一流のクラシック演奏家」に育て上げることが目標とされている。当然キャラクターには「楽器の上手さ」というパラメーター以外にも「音楽史についての知識」とか「自身の活動への俯瞰的視座」とか「個性的な音色」とかのパラメータもあるわけで,キャラによっては「音楽史についての知識」が先天的に強い,みたいなやつもいる。当然プレイヤーもその辺をコツコツ育てたりするわけだ。なのに,「音大卒業」というチュートリアルイベント以降,ゲームで勝っているのは「楽器の上手さ」のパラメータに全振りしてキャラ育成をしたプレイヤーのみ。もっといろんな勝ち方があるとおもってたよ…最初のキャラガチャで「音楽史についての知識」が強いキャラを引いた人はどうしたらいいの…運営しっかりしてくれよ…
まともなゲームの運営なら「これだと勝ち筋がひとつしかないゲームになってしまうな。よし,他のパラメータを育成した人が勝てるようなイベントを投下するか!」などといった対応がなされるはずだ。しかし,このゲームにおいて運営がそのような神対応をすることはない。いつになったら修正はいるの?まだなの??もう勝てそうにないし…リセマラするかゲームやめるかどっちかだな…。
…まぁでも現実世界にはゲームの運営はいないし当然リセマラもできない。だれもゲームバランスの調整をしてくれないのだ。結果的に,「楽器の上手さ」が一定値を超えていない人は今後も仕事がないし,今仕事がある人でさえもそれを上回るパラメータをもった若手が現れた瞬間に仕事を取られる世界になっている。多様性とは程遠い市場が出来上がってしまっているのである。
そこで,「せめて僕の周りにいる音楽家には幸せになってほしい(そして一生楽しい飲み会に付き合ってほしい)」と考えている僕は,「演奏会のプログラミングやプログラムノート等に拘りまくってお客さんの聴取経験を素敵なものにデザインできれば,技術でトッププロに勝てない演奏家にもファンがつくのでは?これってつまりキュレーションでは?」と考えた。
「モナリザ」みたいな超有名絵画を目当てに美術館に行く場合を除き,僕たちは「特定の絵」を見にいくというより「その展覧会でデザインされている体験」に価値を感じて美術館に足を運ぶ。例えば僕は以前「ベルギー奇想展」という展覧会にいったのだが,一つ一つの絵のクオリティというよりも,複数の絵の鑑賞を通して得られたその展覧会全体の印象のようなものに興味を覚えた。「作品の価値」ではなく「作品群を総体として経験することの価値」に感動したのである。まさにキュレーションの賜物だったのだろう。
また,「ベルギー奇想展」というタイトルやチラシに載せられていたペストマスクみたいなデザインのキャラクターにも強烈に惹かれた。頻繁に美術館にいくタイプではない僕でさえ,「行ってみたい」と思えたのである。そして,この辺のこと全てを把握し,「美術館での体験」をデザインする人がキュレーターなのである(と僕は思っているんですがあってますかね。もしかしたら広報にはそこまでコミットしないキュレーターもいるのかもしれない)。
一方,クラシック音楽の演奏会はどうだろうか。そこに「体験のデザイン」という発想が見て取れる場合は少ない。もちろん選曲や曲順にこだわりが詰め込まれていることはわかっている。それでも,普段美術館に行かない僕に足を運ばせたような,「作品群を総体として経験することの価値」を際立たせるようなコンサートってなかなかないんじゃないかな。少なくとも,多くのプレイヤーは,「コンテンツは演奏(楽曲)のクオリティ,そのほかはあくまで付属品」だと考えているし,むしろ演奏のクオリティのみでガチンコ勝負することが美徳だとされている感さえある。でも先ほども指摘したように,この土俵で戦って勝てるのは「楽器の上手さ」というパラメータが抜きん出ている人だけだ。
キュレーターは自分で作品を作れない。その代わりに,個別の作品の羅列に「作品群を総体として経験することの価値」を付与する。演奏家も,キュレーターのように体験をデザインすることができれば,お客さんを呼べるのではないか,というのが冒頭で引用したツイートの意図だった。つまり,「楽器の上手さ」以外のパラメータを活かせる場はありますよ,ということだ。
具体的には,音楽史や楽曲分析に関わるパラメータを磨いてきた人は,それを用いてMCや曲目解説,選曲で魅せることができるだろう。その場合,チラシやSNS広報のあり方も抜本的に考え直さなければならない。このへんについては別途記事を書こうかな。とにかく,僕は「楽器の上手さ」のパラメータが高い上位5%の演奏家しか生き残れない現状を打破する手段として,キュレーションの発想を生かさない手はない,と考えている。
とはいっても,「そんなことできねーよ」という声も聞こえてきそうだ。キュレーションそれ自体を仕事にする人がいるんだから,「作品に対する俯瞰的視座をもって聴取体験をデザインする」とかめちゃくちゃ高度じゃん。自分たちは演奏家なんだよ,演奏以外やりたくねぇ!
…まぁもちろん気持ちはわかるんですが,今の僕が「楽器の上手さ」のパラメータで勝てない人にできるアドバイスは,①プレイヤー兼キュレーターになれ,もしくは②プレイヤー兼クリエイターになれ,くらいしか思いつかないのが現状だ。すいません。
クラシックの演奏家って特殊な立場なんですよね。CDやスピーカーがなかった昔のヨーロッパなら,演奏家はまさに一家に一台欲しい人材だったはずだ。演奏家がいないと音楽を聴くことすらできなかったのである。そのような時代背景とパトロンがいてこそ演奏家という仕事は成立していた。でも現代ではbluetoothスピーカーとAppleMusicがあればいくらでも自宅で音楽を聴けてしまう。馬車や人力車が自家用車にとって変わられたように,そして今後タクシー運転手が自動運転にとって変わられるように,中途半端な演奏家はオーディオ機器および音源の中の一流プレイヤーにとって変わられるだろう。個人的には,オーディオ機器や音楽サブスクリプションサービスの発達は,演奏家という職種に対する破壊的イノベーションだと思っている。
だからこそ,演奏家は「他者の作品の再現」以外の価値を作らなければならないのだ。
こういうと,「演奏家だって生演奏という価値を生み出している!!」という反論が聞こえてきそうだ。もちろんわかってます。僕はクラシック音楽愛好家なので,生演奏に魅力を感じています。でも「生演奏は素晴らしいのでサブスクで聴かずに演奏会に来てください!」という売り方をしたとしても,多くの人は,「わざわざホールまでいって中の上くらいの生演奏を聴くより,自宅のスピーカーでトッププロの演奏を聴く方が楽だよな…」と考えるのではないだろうか。コンサートホールまで往復2時間かかるし,演奏会って夜ご飯の時間に丸かぶりだし,拍手するタイミングとかマナーとかよくわからないし…だったら家で聞けばいいや,「楽器の上手さ」ならこのCDの中の人の方が上でしょ?…これが一般人の残酷な本音のような気がする。だからこそ,「作品群の連続体験をデザインする」というキュレーターとしてのスキルを磨いてはどうか,という提案をしているというわけだ。
また,オリジナル作品を作れる演奏家も強いと思う。むしろこっちの方がわかりやすく価値を提示でき,周りと差別化できるような気もする。「他者の作品の再現」や「生演奏」以外の価値を生み出す上で手っ取り早いのは作品を作ってしまうことだ。もちろん,他の作曲専業の人々と張り合うような作品を作るのは難しいしむしろ得策ではないので,毎回演奏するアンコースピースだけ作るとか,曲間に即興演奏を入れるとか,そんなことから始めてもいいかもしれない。
ちなみに,「自分の作品を持った方がいい」と言っているクラシックサックス演奏家出身の僕自身が作品を作っていないのはなんか説得力がないと思ったので,最近気が向いた時に曲を作っています。
※人によっては不快な気持ちになるかもしれません ご了承の上お読みください。
初めてその人を見た時私はその人の髪色の所為でその人の存在自体が自分の居る場所に妙に不釣り合いなように感じたことを覚えている。
動画サイトで後ろ姿しか見たことのないその人は、動画で受ける印象よりも少し若く見えた。髪の毛が短くなっているからだろうか、服の着こなしといいその人は自分に似合う物をそれなりに考えて着てるみたいだった。第一声は「意外と背が高いね」だった気がする。ちょっと立ってみて、と言われて立った私は緊張で少し震えていたと思う。何か吹いてみて、と言われて吹いたのは先輩から事前に渡されていた軽い小曲集の1つだったがそれすらもろくに吹けなかったので内心ものすごく緊張しながら吹き終えた事だけを覚えている。
好きなんだろうか、と思ったのは暑い盛りの夏が終わった時でその頃には私は部活にそれなりに馴染んできていて、それなりに楽器も吹けるようになっていた。
朝練に出るため川沿いを自転車で走っていたときに見えるまだ出たばかりのまばゆい太陽を眺めながらあの人もこの太陽を見ているのだろうか、とかそんなことをふと考えた。もっともその人はいつも練習時間に遅刻してくるのだけれど。朝早く起きているのかすら怪しい。でも、そんなところがその人の私から見た好ましいところだった。
先輩方のお別れ会、というものを空き教室でやったことがあり、そのときもその人は遅刻してきた。
お別れ会を進めようにも来ないのだから進めることが出来ない。私たちはその時間の間にペットボトルのジュースを何本か開け、持ち寄ったお菓子を紙皿にぶちまけて食べていた。行儀が悪い。
遅れてきたその人を見てようやく揃った、と全員が安堵した。その人を含め1、2年生で合唱なるものを披露したときその人は少し泣いている様に見えた。指揮を振るときにしかめったにつけない薄いフレームの眼鏡を少し持ち上げて目頭を軽く指でなぞる仕草は皆が前を向いていたときにこっそり横目で見ていた私だけが気づいていたのだと信じたい。
その泣き方は別れに何度も立ち会ってきたけれどそれにまだ慣れきっていないといった感じだった。
私はその人にも別れの歌がよく聴こえるように一層口を大きく開けて歌った。その日の歌は毎年聴いてる合唱の中で一番良かった、と言われた。それを聞いて私は、来年になったらまたおんなじ事をこの人は言うのだろうと思った。
楽器屋の壁にある演奏会のポスターが貼ってあるのを見つけた。そのポスターにはその人の名前も載っていてその演奏会に出るのだ、という事に気がついた。塾の帰り道、コンビニに寄ってチケットを買った。学生なので安く済んで良かったと思った。
年が明けて、学期始めの前日にスカイツリーのよく見える街までその演奏会を聴きに行った。中は混んでいて客の大半は知り合いの伝手で来ているらしかった。楽器を吹いて参加する事もできるらしく、学生らしき人が楽器を持参してパンフレットの裏に載った譜面を吹いていた。でも、ステージの上を目を凝らしてみてもその人の姿はそこには無かった。
演奏会が終わりホールから出て行こうとするとその人は出口の辺りに居た。一般の参加者の人にだけ配布されたバッチか何かを回収する係らしかった。あとでその人のSNSを見ると演奏会のあった日に「ありがとうございました」というメッセージと舞台裏から撮ったらしい写真が添付されていた。その人は理事で、演奏には参加していなかった。
冬が明け、春になり私には後輩が出来た。今まで2人しか居なかったので後輩が出来るのは素直に嬉しかった。三年の先輩はいないので実質私たちが一番年上だった。
新入生がその人の前で演奏する時期がまたやってきた。去年の自分を見ているようでとても初々しかった、それと同時にもうそこには戻れないさみしさを感じた。もうあの頃には戻れないのだ。泣いたって叫んだって私はもう前に進まなきゃいけなくて、あの子達はきっと自分よりももっと上手くなってそのうち私も追い越されてしまうんだろう、と思った。それが羨ましくて私は新入生の演奏を聴くように言われたが練習がしたい、といって断った。後輩に興味の無い人間だとあの人は思ったかもしれない。それでもあの人は頭の片隅でほんの少し思っただけでそのことについては1秒後には忘れているのだろう。
夏になりコンクールの時期がやってきた。コンクールにはそれなりに力を入れている学校で上位大会にもよく出場している学校だった。コンクール以外でも全国大会に参加したことのある、知る人は知る中堅の強豪校だった。
コンクールの結果はとしによってもまちまちだったが私たちの前の代までは連続で地区と県は必ず抜けていた。最も中学の時は最後の年しか県を越えた事は無かったので中学と似たようなものだと思った。オーディションは学年問わずほぼ全員強制参加だ。オーディションを真ん中くらいの微妙な順位で抜けた私にはなぜかソロが回ってきた。その前のソロコンの順位がたまたま一桁台だったからかもしれない、まぐれで良かっただけの順位を当てにされても、と思ったがなんとかその人の期待に応えよう、と思って私はそれなりに全力を尽くした、つもりだった。
結果は予選落ちで、このくらいひどい成績を取ったのは史上2回目らしい、しかもその前は15,6年ほど前のことだ。
コンクール予選の音源を聴いてみたがそこまで特に大きなミスを感じなかった。音圧で耳がおかしくなっていたのかもしれない、とおもったけれど舞台裏で聴いていた友人にはべつに地区落ちするような音楽じゃない、と言われた。スタンドで飲んだタピオカを飲みながらちょっぴり泣いた。帰りの電車でも泣いて、家に帰ってからも2階の自室へつながる階段を上る気力すら湧かなくて、気がついたら床に突っ伏して泣いていた。涙と鼻水がフローリングに滴った。
次の日の反省会でほぼほぼ全員大泣きした後、心機一転で音楽室の大掃除をした。空は真っ青で、雲は学校の前にある会社よりも遠くの方に見えた。窓越しにその人と目が合ったとき私は片膝立ちで窓の外をぼんやりと眺めていた。サボっていると思われたんじゃないかと思ってそのイメージを払拭するかのように窓を濡れ布巾の乾いた布巾で一生懸命拭き上げた。一緒に掃除していた後輩に「先輩、落ちないでくださいよー」と言われて自分が窓の縁から落っこちそうになっているのに気がついた。
窓の外側からその人の車が見えたことだけ、私ははっきりと覚えている。
これで終わりです
COC7で現状ある程度読み込んでいて、回せるものになります。初回しまだなのもあるよ。
COC6のシナリオもいくつかありますが、こちらはminataによって7版へコンバートしてあります。
ソロ・タイマンシナリオ→https://anond.hatelabo.jp/20201125114727
2PL固定→https://anond.hatelabo.jp/20201125115125
夜の12時すぎ、探索者たちは焦げ臭さとけたたましいサイレンで飛び起きた。どうやら同アパートの一室で火事が起きたらしい。
幸い一晩で火は消し止められ被害は拡大しなかったが、発火元の部屋は酷い有様で、住民1人が病院に救急搬送された。
警察署で事情聴取を受けいざ帰ろうとしたあなた達は、路地の影からこちらをじっと見つめる一匹の猫に出会うだろう。それは、キィとアパートの住人から呼ばれていた野良猫だった。
プレイ人数 | 2~3 |
想定プレイ時間 | 3~4時間 |
形式 | 半シティ |
ロスト率 | 低い(ほぼ無し) |
推奨技能 | 特になし。強いて言うなら目星 |
舞台 | 現代日本 |
探索者について | 継続新規問わず。アパートに住んでいられるくらいの信用は持ってきてください。 |
探索者たちは有人潜水艇ovoの乗組員として、深海の世界に溺れ往く
光の届かない、今や月より遠い地球の底で。
キミは何を得て、何を置き去りにするのか。
探索者たちは日本初の、民間研究所が開発した有人潜水艇「ovo(オーウォ)」に搭乗することとなった。
探索者たちは深海への探求心を胸に、潜水艇へ歩を進める。もはや月より遠い場所となった、光の届かぬ深海の世界へ向かうため。
プレイ人数 | 2~3人(推奨2人) |
想定プレイ時間 | 4~5時間 |
形式 | クローズド |
ロスト率 | 中。 |
推奨技能 | 目星 |
舞台 | 現代日本 |
探索者について | 継続新規問わず。潜水艇に興味があり、有人試験の募集に参加していること。 |
目が覚めると、探索者たちは見知らぬ部屋にいる。
どうしてここに居るのか、なぜ他の人々と一緒なのか、記憶が抜け落ちていてさっぱりわからない。
部屋はある程度の調度品が誂えられているものの、どこか生活感が感じられず…何より外に出るためのドアがない。
状況の全く見えぬまま、探索者たちは手探りに脱出を試みていくのだが──。
プレイ人数 | 2~5人 |
想定プレイ時間 | 4時間程度(RPによる) |
形式 | クローズド |
ロスト率 | 最高。生きて帰れると思わないこと。PvPあり。 |
推奨技能 | 目星・聞き耳・図書館 |
舞台 | 特に指定なし。好きな年代から連れてきてください。 |
探索者について | (ロスト率的な意味で)新規推奨。 |
夏の壱岐島は明るく、緑と生命に満ちている。数か月の間に砂丘と呼ぶことのできるほどに拡大してしまった南海岸を調査するため、探索者たちはこの島を訪れる。
その調査のさなか、探索者たちは生きとし生けるもののほとんどが死に絶え、あるいは生きているものも歪められ、砂に侵された白き砂漠へと迷い込むこととなる。
プレイ人数 | 3~5人 |
想定プレイ時間 | 4~5時間程度(RPにより7時間程度まで伸びる) |
形式 | クローズド |
ロスト率 | 低め |
推奨技能 | 芸術:音楽系、乗馬、医学or応急手当、コンピューター、目星、図書館、歴史、電気修理、戦闘技能 |
舞台 | 現代日本 |
探索者について | 新規推奨。職業指定はない。どのような理由であれ、調査に関わろうとする者であること。 |
ニュージーランド航空の南極飛行観光旅客ジェット機が謎の失踪を遂げた。
南極調査隊の必死の調査の末、旅客機の無線信号が途絶えた先には、未知の巨大な山脈が立ちはだかっていた。
前人未到のその山脈は、最高高度が海抜1万300メートルにも達する、エレベストを超える世界最高峰であることが明らかになった。
そのあまりに暴力的な山脈に、今、無謀にも挑もうとする者がいる。果たして、神々の頂の上で、探索者たちが出会うものとは。
プレイ人数 | 3人固定 |
想定プレイ時間 | 5~6時間程度(RPにより8時間程度まで伸びる) |
形式 | クローズド |
ロスト率 | 中。 |
推奨技能 | シナリオオリジナル職業『登山家』の職業技能 |
舞台 | 現代 |
探索者について | 新規推奨。職業『登山家』推奨。HO有り。登山家作成ルールは立卓時に配布いたします。 |
猫を飼っている、あるいは何らかの形で猫と強い縁を持っている探索者たちは、ある日不思議な夢の中で目覚める。
神殿に呼ばれた探索者たちは、何かを封印するためにこの神殿に呼ばれたようだ。
果たして探索者たちは無事に封印を完遂することが出来るのだろうか?
プレイ人数 | 2~4人、ソロでも可能ではある |
想定プレイ時間 | 5~6時間程度 |
形式 | クローズド |
ロスト率 | 中。 |
推奨技能 | 目星、図書館(PL自身が考えて謎を解いていく場面が多い) |
舞台 | 年代指定は特になし |
探索者について | 継続・新規問わず。猫を飼っていれば特に指定はない |
日本の首都東京の郊外にある街で、「血の池事件」と呼ばれる怪異が数か月前から発生していた。
あなたたちはその街でいつもと変わらない日常を過ごしていた。その日常の裏で恐ろしき事件が発生しているともしれず……
プレイ人数 | 3~4人 |
想定プレイ時間 | 8~10時間程度(RPによる) |
形式 | シティ |
ロスト率 | 高。 |
推奨技能 | 回避・幸運。あとDEX。 |
舞台 | 現代日本。東京郊外のある街。 |
探索者について | 継続・新規問わず。公開HOに推奨職業があるが基本的に事件に関われそうであれば特に指定はない。 |
あなたたちは友人の誘いを受けて、避暑地の別荘に旅行に出かける。
しかし、楽しいはずの旅行中、その友人はどこか悩みのある様であった・
どうやら彼の悩みの原因は、愛する妻の心変わりのようだ。これまで、互いに深く愛し合っていたはずの妻が、最近になって突然自分を憎むようになってしまったという。
プレイ人数 | 3~4人 |
想定プレイ時間 | 7~8時間程度(RPによる) |
形式 | ほぼクローズド |
ロスト率 | 中。 |
推奨技能 | 医学 |
舞台 | 現代日本。避暑地。 |
探索者について | 継続・新規問わず。指定職業は特になし。NPCと知り合いであることが望ましい。 |
夜風が冷たく吹きすさぶ頃。あなたは人を殺すことで報酬を得ている。
世に言われる「殺し屋」だ。
仕事を終えて後始末をしている最中、あなたのもとに一件の電話がかかってくる。
三人の男の殺害を命じられたあなたは、依頼人の待つ【黒嵜町(くろさきちょう)】に歩みを進めるだろう。
プレイ人数 | 4人推奨 |
想定プレイ時間 | 8~15時間程度(RPによる) |
形式 | シーン変遷による時間経過型。半シティ。 |
ロスト率 | 中。 |
推奨技能 | 拳銃、拷問 |
舞台 | 2020年、日本の黒嵜町と呼ばれる街。 |
探索者について | HO有り。特殊技能があるため基本的には新規探索者推奨。 |
有能な執事も、家柄という権力も奪われた今、日頃の学業と鍛錬で身に付けた知恵と技を使い、誘拐犯のアジトから脱出を目指す。
プレイ人数 | 3人固定 |
想定プレイ時間 | 4~6時間程度 |
形式 | クローズド |
ロスト率 | 低い |
推奨技能 | HOによる職業指定あり |
舞台 | 現代のどこか。 |
探索者について | 公開・秘匿HO有り。特殊探索者作成ルール&職業指定あり。新規限定。 |
(演奏技能は最大60 %までしかとることができない。導入の都合上、全員が幼馴染の集まりである必要がある。年齢の上限については問わない)
プレイ人数 | 4人固定(公開HO有り) |
想定プレイ時間 | 4~5時間程度 |
形式 | クローズド |
ロスト率 | 可能性有 |
推奨技能 | 図書館、目星、回避、編曲技能 |
準推奨技能 | 戦闘技能、精神分析 |
舞台 | 現代日本。 |
探索者について | 公開・秘匿HO有り。特殊探索者作成ルール&職業指定あり。新規限定。 |
又は月で変わらぬ日常を送る。
これから何が起こるかも知らずに。
プレイ人数 | 4~6人固定 |
想定プレイ時間 | 6~8時間程度 |
形式 | クローズド |
ロスト率 | 中。PvP可能性あり。 |
推奨技能 | 目星、聞き耳、図書館、知識技能(天文学、生物学、医学等、自由に取っていい) |
準推奨技能 | 戦闘技能、機械修理、コンピュータ |
舞台 | 2069年。月。 |
探索者について | 基本的に新規のみ。月面研究員2人固定。それ以外は指定なし。特殊作成ルール有 ※そのキャラクターらしい技能を取ってくるのが一番楽しめます。 |
時を同じくして始まった物語が有ったことを、君たちは証明しなければならない。
プレイ人数 | 4~6人固定 |
想定プレイ時間 | 18~24時間 |
形式 | シティ探索 |
ロスト率 | 高。途中退場有り |
推奨技能 | 目星・聞き耳・図書館・戦闘技能・運命力 |
推奨職業 | 『警察』『病院関係者』『大学生』各1人以上。作成ルール・設定有り |
舞台 | 2069年の東京都の架空の区 |
探索者について | 新規のみ。指定職業PC以外は物語当日である7月7日の午前8時に病院に来るという理由があればOK。 |
※PL会議を行う場合は必ず宣言をして頂くことになります。無かった場合、全てPC発言として捉えますのでご了承ください。特殊な処理を行うシナリオになります。
2018年8月11日。平成最後の夏。暑さが続く夏の日がとっぷりと落ちた頃、探索者はプラネタリウムへと向かう。
日が落ちて大分時間が経つのにも関わらず、じっとりとした暑さは健在であり、探索者の頬を汗が伝う。
実は探索者は今回、『大人も子供も天体観測を楽しもうツアー』というものを予約しており、このプラネタリウムへと足を運んでいる。
あなた達はここで、世界の命運をかける出来事に巻き込まれていくことになるだろう。
プレイ人数 | 2~4人 |
想定プレイ時間 | 5~6時間 |
形式 | クローズド |
ロスト率 | 低い |
推奨技能 | 目星 |
準推奨技能 | 交渉技能、隠密、聞き耳、科学:天文学 |
誰かひとりは絶対持っていてほしい | 運転(四輪) |
舞台 | 現代日本、平成最後の夏。 |
探索者について | 継続・新規問わず。探索者の年齢は18歳以上であること。 |
2XXX年、第三次世界大戦は各国の共倒れという形で終結した。
荒廃と衰退しか生まぬ散々たる結末に世界は憤怒し、この戦争の責任を主要国の4人に押し付けた。
__それが貴方たち探索者だ。
共通HO:貴方は死刑囚である。第三次世界大戦終結後、国際機関である "国際同盟 "に捕らえられ、 戦争責任を負う戦犯者 として 本日処刑される予定だ。(セッション開始直前に「秘匿HO」配布有り)
プレイ人数 | 4人固定(HO有り) |
想定プレイ時間 | 6時間程度 |
形式 | クローズド |
ロスト率 | 低い。 |
推奨技能 | 各HO推奨技能 |
準推奨技能 | 目星、図書館、精神分析、戦闘技能 |
舞台 | 2XXX年、第三次世界大戦後 |
探索者について | 基本的に推奨技能の関係で新規のみ。公開HOあり。協力型。(セッション開始直前に「秘匿HO」配布有り) |
真実とは、何でしょうか?
それは簡単です。
探索者達はある時、見知らぬ部屋で目を覚ます事になる。
プレイ人数 | 2~4人 |
想定プレイ時間 | 4時間程度 |
形式 | クローズド |
ロスト率 | あり。死ぬときは死ぬ。 |
推奨技能 | 目星 |
準推奨技能 | 聞き耳、医学、心理学 |
舞台 | 現代日本 |
探索者について | 継続・新規問わず。 |