はてなキーワード: 演奏会とは
バチで叩くという動作が楽しいし、音階がわかりやすいし、叩き方によって音が変わるのも面白いし、何より周りにまだ習ってる子がいなかったから皆同じくらい下手で、劣等感を感じなかった
当時はここまで言語化できなくて漠然と楽しいと思ってただけだったけど
保育園の演奏会?みたいな時にしか出てこなくてちょっとしか触れない
とはいえプロになろうとか発表会で活躍したいとかまでは思いつかず、目標もない「なんとなく」だった
保育園の帰りにお母さんに「木琴習いたい」って言ったら「え〜?木琴〜?」って返ってきた
そこから先の会話は覚えてないけど「なんとなく」弾きたいだけだったから嫌な気持ちにはならなかった
そういえばお母さんは昔(私が3歳の頃)ピアノを習わせたがっていたなぁ、でも私はピアノは嫌だ…とか考えてた
最近母に「あの時『え〜?木琴〜?』なんて言わずにすぐ教室探して習わせてあげればよかったって後悔してる😫」と言われた
大丈夫だよ
その後小学校に入学して音楽の授業もあったけど結局ずっと楽譜にルビふってたし、休み時間に音楽室を使っていいですよと言われたけど殆ど使わなかったし、そんなに音楽に興味は無かったから習ってもどうせ長続きしなかったよ
この度、岩波文庫からアリエル・ドルフマン(昔は、英語風にドーフマン表記だった)の戯曲作品『死と乙女』が刊行された。90年代に一度、英語版から日本語に翻訳されたものが劇書房から刊行されたが、その後は長く絶版品切状態だった作品である。
「過去に読んだが岩波文庫から復刊したことは知らなかった」という人は、書店に急いで欲しい。
読んだことの無い人も、やはり書店に急いで欲しい。
もしかしたら、作品を読んだことは無くても、朴璐美や真木よう子などが主演した舞台を、日本国内で観たという人もいるかも知れない。または、ポランスキーによる映画作品を観た人もいるかもしれない。
ちなみに、これを書いている増田は、ど田舎生活の低所得者なので、演劇文化とは縁が無いことから、舞台を観たことはない。
今回の岩波文庫版は、著者の母語であるスペイン語で書かれたバージョンからの翻訳となる。翻訳者による詳細な解説があるので、作品執筆の背景となった70〜90年代のチリ内外の政治事情を知ることも出来ることから、一読者として有り難い。
これを目にしている貴方が、書店に赴いて『死と乙女』を入手して読んでくれるならば、もう以下の駄文を読む必要は無い。
この増田が読むことを勧めている『死と乙女』とは、どのような作品なのか、読んだことは無いが少しだけ興味が有るという人に向けて、以下を記す。
ただし『死と乙女』の結末に触れる部分があるので、未読で結末は自分で知りたいという人は、ここで一旦、この駄文を読むのをストップしてもらいたい。
また、直接的ではないものの、性暴力に言及する箇所もあるので、精神的な苦痛を喚び起こされる虞がある人は、ここで読むことを止めてもらいたい。
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1970年、南米チリで、サルバドール・アジェンデを大統領とする政権が誕生した。俗に、史上初の民主主義選挙により誕生した社会主義政権とされる。
しかし、アジェンデ政権を皮切りに中南米地域で社会主義国がドミノ倒し的に増加することを怖れた米国ニクソン政権は、チリへの介入を決定する。かくして、米国の後ろ楯を得たピノチェトが起こした軍事クーデターによって、チリは独裁国家となる。
この独裁政権時代のチリでは、多くのチリ国民が政治犯として弾圧され、不当な身柄拘束、拷問、虐殺の対象となっている。
チリ国外に亡命した人間もいる(亡命はしたもののチリ国外で暗殺されたという人間もいる)。映画『イル・ポスティーノ』の主人公の詩人も、そのような逃亡者であったことを、記憶している人もいるかもしれない。或いはまた、ヨーロッパに亡命していたチリの映画監督ミゲル・リティンが、ピノチェト支配下のチリへ潜入して取材する姿を、コロンビア出身ノーベル文学賞受賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスがルポルタージュ『戒厳令下チリ潜入記』(邦訳は岩波新書)として著したので、それを読んだ人もいるかもしれない。
本作『死と乙女』の著者アリエル・ドルフマンも、チリ国外に亡命した人間の一人である。
そして『死と乙女』の主人公パウリナ・サラスもまた、ピノチェト政権下で筆舌に尽くし難い苦痛を味わい、生還したチリ国民の一人である。
パウリナの夫ヘラルド・エスコバルは、ピノチェト政権下で、弾圧されている人々をチリ国外に亡命させる手助けをしていた。そのためにヘラルドは、ピノチェト政権当局から弾圧の対象とされた。
しかし、ヘラルドが当局の手を脱して逃亡したので、彼の居場所を吐かせるために秘密警察は、彼の妻であるパウリナの身柄を拘束し、彼女を拷問した。その時、拷問者は、目隠しされたパウリナをレイプしながら、シューベルト作品『死と乙女』をBGMに流したのである。
時が流れて90年代に入ると、チリは民主主義国家へと移行する。ヘラルドが逃亡する必要も、パウリナが夫の隠れ場所を吐かずに耐える必要も無くなり、二人は夫婦として、堂々と暮らせるようになった。しかし、パウリナの心には、拷問による拭いきれない大きな傷が残り、それが二人の暮らしに暗い影を落とし続けていた。
民主主義政権となったチリ政府は、ピノチェト独裁時代に行われた弾圧について、調査究明を行なうと国民に約束し、そのための調査委員会を任命する。今やパウリナの夫ヘラルドは、その調査委員会のメンバーの一人である。これが、物語の開始の時点で、主人公の置かれた状況である。
物語の冒頭、或る晩、ヘラルドは、パウリナの待つ自宅へと自動車で帰る途中、タイヤのパンクにより立往生していたところを、通りがかった医師ロベルト・ミランダに助けられる。ロベルト・ミランダの車で自宅に送り届けられたヘラルドは、夜も遅いし助けてくれたお礼にと言って、ロベルトに自宅へ泊まっていくことを勧める。
結局ロベルト・ミランダはヘラルドの申し出に甘えることにし、ヘラルドが寝室に居るパウリナに声を掛けて、彼女にも客人を泊まらせることを了承させる。
翌朝。
ロベルト・ミランダは、椅子に縛られている。パウリナが、彼にリボルバー拳銃を突き付けている。
それを見て驚く夫ヘラルドと、狼狽する医師ロベルト・ミランダに対して、主人公パウリナは告げる。
「昨夜、この男の声を聴いて気づいた。この男、ロベルト・ミランダこそが『死と乙女』をBGMとして流しながら、あたしを拷問し、レイプした人間だ」と。
ロベルト・ミランダに拳銃を突き付けて「洗い浚い罪を吐かせる」と主張する主人公パウリナに対して、夫ヘラルドは思い止まるように説得する。
チリがピノチェト独裁体制を脱して民主主義国家となったとはいえ、いまだピノチェトを支持するチリ国民も決して少ないとは言えない(現実世界の2023年現在でも、ピノチェト支持者が残っているのだから、民主政権に移行したばかりの90年代前半を時代設定としている物語の中では、尚更である)。独裁政権時代の弾圧活動に関与した人間たちの全てを、罪に問うて処罰しようとしたならば、親ピノチェト派の有権者からの反発を招き、まだ体制も盤石とは言い難い民主主義政権が倒れることになりかねない。最悪の場合、内戦が勃発して、更に血で血を洗う国民同士の殺し合いともなりかねない。
そのため、現実世界のチリで行われた調査も、調査対象事件を「被害者が殺害されたという重大なケース」に限定し、尚且つ、真実を綿密に明らかにした調査報告書を作成する代わりに、弾圧関与者の氏名公表や厳しい処罰を免除するという、謂わば折衷案の形をとらざるを得なかった。
処罰を免除するという条件を餌にした、一種の司法取引によって、ピノチェト独裁政権時代の弾圧に関与した人間に、己の罪を自発的に告白するように促したとも言える。
しかし、もしも調査委員の一人であるヘラルドの妻パウリナが、ロベルト・ミランダを殺害してしまったとしたら、いや、殺害せずとも、拳銃を突き付けてロベルト・ミランダに自白を強要したことが世間に知られたならば。
民主化した政権も、真相究明も、全てが水泡に帰すことになりかねない。
パウリナは、ロベルト・ミランダの命までは取らないことを条件にして、今ここにいるパウリナ、ヘラルド、ロベルト・ミランダの三人で"裁判"を行なうことを強引に承諾させる。かくして、現実のチリで行われた真相究明の動きを追体験するような、緊迫の一夜が、舞台上で演じられることとなる。
以下では、物語の結末に触れているので、未読の人は一旦ここで増田の駄文を読むのを切り上げて、まず『死と乙女』を読んでもらいたい。
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ロベルト・ミランダに罪を告白させること(供述をテープレコーダーに録音した上で、ロベルト自身の手で文字起こしの原稿を書かせ、さらに「自発的に真実を語った」と宣誓する署名までさせること)が出来たミランダは、ロベルトを監禁する前に家から離れた場所へ移動させておいた彼の車を、返すために取りに行くようにと夫ヘラルドに頼む。
そして夫ヘラルドが家を出て二人きりになると、パウリナはロベルト・ミランダに銃口を向け直す。
「真実を告白すれば命を助けると言ったのに、約束が違う!」と抗議するロベルト・ミランダに、銃口を向けるパウリナ。
パウリナは、ロベルト・ミランダの語りを聞いて、心の底からの反省や悔悛が彼には見られないと判断したのだ。
ここで演出として、舞台には幕が降り始め、パウリナとロベルト・ミランダの姿を隠すとともに、その幕は鏡となっており、演劇『死と乙女』を観ている観客たち自身を映し出す手筈になっている。
再び幕が上がると、物語のラスト場面であり、パウリナとヘラルドは、二人で連れ立って、音楽演奏会に出掛けている。演奏の休憩時間では、他の観客と、調査委員会による調査の成果について、夫ヘラルドは語り合っている。
休憩が終わり、演奏が再開される。
すると、その演奏会の会場にロベルト・ミランダが入って来て、主人公夫婦から離れた、ずっと後方の客席に彼は座る。
夫ヘラルドは気づいていないが、パウリナはロベルト・ミランダの存在に気づいて、しばし後ろを振り返り、ロベルト・ミランダを見る。ロベルト・ミランダは、何も言葉を発すること無く、ただ、主人公パウリナに視線を向け続ける。やがてパウリナも、ロベルト・ミランダからは視線を外し、前方(演奏会の舞台があると設定されている方向)を向いて、物語は終わる。
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この増田は、殺したと考えている。(続く)
地方に文化がないとは思わないのだが、特定の分野に強く打ち込みたい場合、分野によっては地方に住んでいることが非常に不利になることがある。
特に移動の自由のない子供にとって、住んでいる場所による格差は顕著に表れる。俺にとっては音楽がそれだった。
昭和末期に地方の山間部の村で育った俺は、幼少期からクラシック音楽全般、特に演奏と作曲に強い興味があり、
自分で作曲した曲を五線譜に書いて小学校の音楽の先生に見せたり、テレビで聴いた曲を耳コピして鍵盤ハーモニカで演奏したりしていた。
しかし周囲にクラシック音楽に理解のある人はおらず、ピアノ教室に通うのを切望しても通わせてもらえず、演奏会などは遠くて行けず、やりたいことがほとんどできずに燻っていた。
やがて中学校に進学した。地方山間部の中学なんて公立一箇所しか選択肢がなく、医者の息子からヤンキーまでみんながそこに通う。俺も当然そこに通った。
その中学校では全生徒が何らかの部活動に強制加入させられたが、選択肢は運動部数種類と吹奏楽部しかなく、
かつ吹奏楽部は男子の部員は一人もおらず女子しかいなかった。なので男は強制的に運動部に入るしかないような状態だった。
しかし俺は男だがどうしても音楽をやりたかったので、周囲の反対を押し切って吹奏楽部で唯一の男子部員となった。
教師すらも俺を奇異の目で見たが、俺が音楽に熱意を持つのは有名だったらしく、まああいつなら…と認めてくれたような形だった。
しかしまあ、部内で馴染むことは最後までできなかった。部内でも異端中の異端だった俺は孤立し、一人黙々と練習する日々を送るしかなかった。
部自体のレベルも低く、コンクールで良い成績を残すこともなかった。そんな環境の中で、俺の音楽への熱意はすっかり薄れてしまった。やがて中学を出て高校に進学したが、俺はもう音楽をやることはなかった。
音楽と無縁な高校生活を送った後、大学に進学した。そこで管弦楽団の勧誘が目に止まり、また音楽をやってみるかという気持ちになって管弦楽団に入ってみた。
しかしそこで俺は、他の団員たちと自分の差に愕然とすることになる。
小学校の頃からバイオリンをやっていたという人、中学生の時に全国大会に出たという人、親が音楽家だという人。
幼少期から豊かな音楽に触れて、環境にも仲間にも指導者にも恵まれた音楽エリートたちがそこに集っていたのだ。俺が生まれ育った村ではまず見ない人種の人々であった。
音大ではないにも関わらず、そこの楽団からはプロの奏者もけっこう出ているので、レベルの高い楽団ではあったようだ。
俺は初めて、自分が環境面で恵まれていなかったことを実感した。
これは住む場所の問題だけではなく、家庭環境の問題でもあるだろう。しかし小学生のうちから子供にバイオリンをやらせるような環境や、全国大会に出るような活気のある部活動などは、
俺の住んでいた村にはほとんど存在できないものだ。それらはやはり、ある程度の規模以上の都会にしか存在できない。今にして思えば、これこそが都会と田舎の格差であった。
結局俺は、他の団員たちの話に付いていけず、疎遠になり、半年ほどで楽団をやめてしまった。それ以来俺は、音楽活動はしていない。
今は都会に住んでおり、近くには楽器店やコンサートホールなどもあるが、もうどうでも良くなってしまった。
もし俺が打ち込もうとしたのが、地元の伝統芸能とか自然の中での屋外活動のような、地方にアドバンテージがあることであればこうはならなかっただろうと思う。
・何回指摘されても同じミスを繰り返す
・同じ基礎練習を長時間繰り返す事に耐えられず立ち歩き、サボる
・指導された内容やしなければいけない事を忘れる
・演奏会の準備などの忙しい時に一人だけ空気を読まない行動をとる
・落としたものを拾わない、出した機材を元の場所に直さないなどの身勝手な行動が見られる
・皆は考えて行動出来るのに一人だけオロオロ歩き回り時間を浪費する
と、相当やらかしておりブチ切れた先輩が「お前、発達障害じゃないの?」と発言した事がきっかけで裏で「ハッタツ」と呼ばれてるらしくてガチ草
二個違いの上の妹が吹部所属のクラスメイトに、お前の妹がヤバすぎて真剣に皆迷惑してて全員呆れてる、家でもあんなひどいのか…との質問を受けた、と報告して来たことで発覚した。
家でも共有物を出しっぱなしでしまわない(紛失する)、思い通りにならないと支離滅裂な行動をとる、どれだけ余裕を持った時間帯に起こしても遅刻する、簡単なルールをやぶる、してはいけない事ややめてと言われた事を何度指摘されても繰り返す、空気を読まない行動、自分勝手な発言が多い…等のやらかしは日常茶飯事だし、実際何回もイラつかされた事があった。
だから、後日部活から帰ってきて「部活で皆にバカにされている。障害があるんじゃないのって陰口を言われる」と泣き出したのでつい俺も「うん、そうかもね」って言ってしまった。
上の妹はそれ以降、妹がウザイ行動を取ったら「そんなんだから障害って言われるんじゃないの」「私もお前が嫌いだから部活のメンバーに同情する」等、つい部活の件を絡めて批判してしまうらしい。でも、別に攻撃でもなんでもなく事実なんだものな。
両親も、俺や上の妹が普通に出来てた年齢を過ぎてるのに何故その程度の簡単な事すらできないのか呆れているから、先日妹が母親キレさせた時は「いじめの事だっていじめられるあんたにも原因があるんじゃないの」ってド正論言われていた。
父親は「家族がどれだけ指摘しても聞き入れなかった問題行動を外でやって反感を買っただけの話」「これだけ第三者から非難されたらあの子も流石に自分の行動のまずさを自覚するはず。自分の責任でかけた迷惑に対して非難を受けているに過ぎないのにいじめられていると主張するのはおかしい」との意見で、妹が自分の問題に気付いて能動的に生活態度を改めない限り根本的解決に繋がらないからと、この問題には親は一切介入しない事としている。
俺も妹は嫌いだから、卒業して新生活始めるまでの我慢と思って何言ってても無視が基本スタンスだし、自分の精神衛生の方が大事だから終始傍観決め込むつもりだけど、これでまだ何も改善しようと思わないようなら本当に障害かも知れないなという気もする。
書き直し。
ダラダラと、曲への思いを書きました。谷川俊太郎の詩による合唱曲ふたつ…曲:三善晃「生きる」と曲:木下牧子「ネロ」についてのとても個人的な感慨。最初の方、書けなくて意図的に主語を拔いてるので読みにくくてすみません。ていうか、無駄に長いので読まなくていいですごめんなさい。
全部谷川俊太郎って演奏会を明日やるんだけど、中の2曲が自分の経験に強く結びついててちょっとだけ抱えるのがしんどい。
去年の夏、子供の誕生日にお祝いを頂いたのでお礼の電話をした。子供からもお礼を言って、その時に「また遊びに行くね、今家族で音取りしてる曲があるんだ、遊びに行ったらみんなで歌うから聴いてね」なんて言っていた。
数日後、会社で仕事をしていたら人事から電話があった。なんだろうと出てみたら配偶者から代表電話にかかったのを取り次いでくれたのだった。
数日前に電話したばかりなのに、亡くなったのだと聞かされた。家事支援のヘルパーさんが発見してくれたということだった。電話を切ってから自分の携帯を見ると配偶者からたくさん着信があったとわかった。
会社は早退して駆けつけた。
病院ではなく自宅でだったので、そのあと警察署で手続きやら葬儀社の互助会の書類探しやらで、気がついたらその日にあった合唱団の練習は無断欠席していた。
「生きる」だった。
ちゃんと予習してなかったのでぶっつけでの参加だったけど、タイトルからして親しい身内を亡くしたばかりの自分には重そうだなあ、そんなことを思いながら歌い始めた。
うちの団はパート練習はなくて、音取りは自力でできるのが前提なのだけど、実は私にはそこまでの力はない。♯や♭が多くなりリズムが複雑になるとキーボードを叩くのもたどたどしく実用性がない。その代わり楽譜を見ながらの耳コピは割と速いので、既に歌えている周囲を聴きながら声を出していった。
曲は「生きる」。まあ、三善晃だし、ソプラノはそんな難しくはない(難しいけど)。
……谷川俊太郎の詩によって、「生きているということ」がどんなことか、語られていく。
それはのどがかわくということ
木もれ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
孤独を感じる曲に影響されてか、詩の内容が全部亡くなった人を思い出させる。のどの渇きも、木漏れ日の眩しさと、くしゃみが出そうなムズムも、亡くなってしまった人は感じないことだ。だけどほんの少し前には感じていたのだ。あの人も。
くしゃみをすること、手をつなぐこと
と続く。
「くしゃみをすること」までは生きていること一般の話だったのが、急に、自分の手と存命中のあの人の手をつなぐイメージにおそわれて、───しかし私は一度も手をつないだことはなかった、これからも、もう決して手をつなぐことはないのだ……。
これから介護があるのだろうとぼんやり思っていた。長生きの家系だから、私の今後15年程は、あの家で、あの人と身体をふれあわせて暮らすのだろうと思っていた。
そうはならなかった。
寂しがりなところがある人だったから、一緒に住みたいとおそらく願っていたと思う。
そうはならなかった。
私が選ばなかったからだ。選ばないまま、亡くなってしまったからだ。
私は亡くなった人と手をつないだことがない。
曲はまた、「生きるということ」のいろいろな姿を歌っていく。自然や科学や芸術や…歌詩に出てくるミニスカートは何かな、生命力?若々しさ?を歌う。
あの人はもう、新しく美しいものに出会うことはできない。最後の電話で話した、子供たちの歌にも出会ってもらえないままになってしまった。
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこが揺れている、揺れているということ
いま、いまが過ぎてゆくこと
不穏な曲調で産声や兵士の傷が突きつけられ、それをぶらんこの往復運動が包み込み、ただ時間が過ぎる静けさに着地する。
生も死も同じ時間の中にある。
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
生き物の、自然の、あるがままの姿を歌った流れで「人は愛する」なんて、谷川俊太郎ずるいよね。あぁそうなんだと思わされる。
もちろん、愛さない人もいる。羽ばたかない鳥も轟かない海も這わないカタツムリも存在する。けれどできてない個体のことは今は措く。
それができている個体はなんと尊いことか。生きるということの意味を、「人は愛するということ」ととらえられる、かもしれない。もし私が愛さない人間でも、愛する可能性がある希望。
そして曲はまた、
あなたの手の
あなたの手のぬくみ
生きるという生きるということ
「あなたの手」に戻ってきて、命とはなにか、生きるとはなにか問いかけるように終わる。
私が繋がなかった手のぬくみ。
一人暮らしだった家は空き家になった。夏のことで、風を通したり、植木鉢やあとから頂いた供養の花に水やりをしなければならず数日おきに通った。
空き家にはピアノがあり、風通ししている間の時間で音取りをした。難しい音階を苦労して弾いた。
子供が小さい頃みんなで遊びに行くと、いつも初見でなんでも伴奏を弾いてくれたあの人がいたときのままの部屋で。ピアノには練習していたらしい楽譜が開きっぱなしだ。胸が苦しい。
亡くなった直後のショックや悲しみは今は薄れている。
でも練習で歌うたびに、空き家に風通しに行くたびに、拙く練習したのが思い出される。
去年の夏の、古い家特有の湿り気のある空気やあまりワット数の高くない蛍光灯の薄暗さ。
今日はリハーサルで明日が本番だから、終わったらしばらく歌うことはなくなる。
もう去年の夏を思い出すこともなくなるのか、いや曲を聴くたび一生思い出すのか…。
これはまた、ストレートな死の歌で、主人公の「ぼく」が子犬の「ネロ」を亡くした経験を歌っている。
しかも
もうじきまた夏がやってくる
(中略)
おまえはたった2回ほど夏を知っただけだった
と、「夏に親しい者を亡くす」という、私の経験ととてもリンクするシチュエーションなのだ。
主人公は「もう十八回の夏をしっている」とあるから、若者だ。それは私とは違うけれど、私の子供たちとはとても近い。
何でもかんでも自分と関係があるように捉えるのは無理筋ではあるけれど、私にはこの曲はうちの子たちが別れをどう受け止めたのか、の追体験のif…みたいに感じられる。
今、6月だ。もうすぐ本格的な夏が来る。
もうじき又夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
又別の夏
全く別の夏なのだ
去年の演奏会には来てくれた人が、今年はもういない。
お盆あたりには親戚が集まっていたあの家で、今年は新盆をどうしようか、コロナもまだ猛威をふるっているから集まるのは無理だろうか。
去年の夏、せっせと通って水やりをした植木鉢も、一年草はみんな枯れて、鉢から抜いてゴミに出して、鉢も片付けてしまった。
曲は、しかし喪失を嘆くものではない。疾走感とともに「新しい夏」の到来、「新しいいろいろのことを知ってゆく」ことを歌う。
たびたび出てくる「知る」という営為。
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろうと
主人公は何を知りたいのだろう?
なぜネロは死んだのかを?
私にはそんな凡庸な問いしか想像できないが、案外それも全くの的外れでもない気もしている。
詩のなかで飛び飛びに3連に渡って繰り返しネロを思い起こし、
それは死せるネロとともにあるようだけれど、決して停滞ではない。ネロを胸に抱いたまま、
もうじき又夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる
そして僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏を迎え 秋を迎え 冬を迎え
春を迎え 更に新しい夏を期待して
そこには若さがある。喪失を抱えていても新しいものを貪欲に取り込む力強さ。
(願わくはうちの子たちもそうあれかしと思うけれどそれは親のエゴというもの、彼らには彼らの受け止めかた、歩みかたがあろう…)
私自身は、「全く別の夏」というところからまだ身動きできないでいる。
冬場からこちら空き家に通う頻度も減ったが、また雑草の伸びる季節になって、草を引くたびに「この家を高齢でよく維持していたものだ」と感慨にふける。
家の中はまだ手つかずで存命の頃と何も変わらない。カレンダーの書き込みもそのまま。去年、子供の誕生日のお祝いを送るためのメモ書きも、電話の横のメモ帳にそのままある。ただ留守を預かっているだけ、という感覚から動けない。
それなのに全く別の夏が来てしまう。記憶が上書きされてしまうのが切ない。感傷だ。感傷だが、血縁ではない私とあの人は、客観的に見ればけっこう長い年月、長い時間を一緒に過ごしていたわけだ。
まだもやもやと引きずってはいくけれど、そういうものなんだろう(ああ、しょうもないまとめになってしまった)。
(「あの人」と書いているのは配偶者の母ですが、普通に表記するとちょっと生々しくて書けなかったので…表記で距離を置かないと吐き出しにくい)
「よし、次。」
学園の試験官は、前の受験生が投げた球がギリギリだが的に当たったのを見届けてから、次に待つこちらに声をかける。
左手に握った球を見る。力を入れて握っても変形しない良い球だ。これならば秘められた左手の力を開放しても大丈夫だろう。
「どうした。ん、何だその持ち方は? まあいい、早く投げろ」
試験官の言葉を受けて、指定のラインまで進み、予備動作を行って全身をめぐる力を左手に伝え、そして指先へ、乾いた軽い音を立てて球が手を離れる。
直後、
ガコン! 球が的に当たり、的は倒れた。
自分が異世界に転生したらしいということに気が付いたのは、赤ん坊の頃に目の前に自分の手を伸ばした時だ。自分の思い通りに動く手を見ていて過去の記憶を思い出したのだった。そして過去の記憶から、この世界には前の世界には無かった不思議な力があることが分かった。前の世界で読んでいた空想物語で似たようなものがあり、超常能力や不思議力のように呼ばれていたのだけど、後にはこの世界の言葉を使って手法と呼ぶことにした。
過去の記憶があっても、まだ成長途中の幼年体だったので、成長に合わせて訓練をしていった。最初は手と足を使っての移動であるハイハイを練習し、少し成長してからは移動は足だけで行い、自由になった手で手法の可能性を探っていった。
物をつかんだり投げたりといった今となっては基本的なことも、最初は難しく、力の加減を間違えて物を壊したりもした。この世界での親は寛容な人であったので、安全には配慮したものの、自由な行動が妨げられることはなかった。ある手法の訓練のための教室に通いたいと言った時も、こころよく了解してくれた。自分のためだけでなく、この世界での親のためにも、手法を極めて社会的成功を目指そうと思うようにもなった。
訓練用の教室だけでなく、野外で行う別の属性の手法についても訓練を行った。同年代の子供と一緒になり、球状の玉を投げたり、取ったりといったことや、棒を使って動く球を叩くこともやった。前の世界ではまったくやったことが無かったので最初の内はうまくできなかったが、訓練の成果もあって、手法の技術は進歩していた。
「しかし、相変わらず、すげーな。あんな変な投げ方なのにな。」
一緒に受験した友人のアカイが、倒れた的を戻すのを手伝ってくれながら言った。
いつものように答える。アカイは自分の番はもう終わったので、こっちを見に来てたみたいだ。
そこへ、
と、別の友人ナナオがやってきた。
「わかった。それじゃあ。」
「でもホシノはすごいですね、2つも試験を受けるなんて。」
移動しながらナナオと話す。
少し上の方にある彼女の頭を見上げるようにして話す。
「それに、」
そう言って、彼女の手を取る。
「どちらもこの手でやることだ、基本は同じだよ。」
彼女の手も、毎日の練習によって強い力が出せるようになっている。
「もう、いきなり手を握らないでよ。まあ、別にいいけど。」
矛盾したことを言うナナオの手を放そうとしたが、逆に握ってきたので、そのまま手をつないで歩く。
ナナオによれば、僕の試験は最後に回してもらっていたようで、なんとか間に合った。
今度の試験は室内で、魔道具ならぬ手道具を使って行う。弱もしくは弱強と呼ばれる手道具に沢山並んでいるレバーを押すことで、対応した音が発生する。あらかじめ決められた方法で書かれた順番に合わせてレバーを押すことで、一連の音が発生するという具合だ。レバーの押し具合で、弱く押せば弱い音、強く押せば強い音が発生する。
レバーの数は多いとはいえ有限なので、出せる周波数はとびとびになる。これが弦の長さをアナログ的に変えながら振動させる手道具なら、理論的にはいくらでも細かく周波数を変えることが出来る。残念ながら、僕に弦属性はなかったようで、この手道具ではかろうじて音が出せるくらいにしか使えない。小さなころは同じ強弱の手道具を習っていたナナオは、この弦属性の手道具の使い手でもある。僕の2属性を誉めるナナオにしても、2つの手道具を使いこなす複数属性の適正者なのだ。
「よし、はじめ」
試験官の合図で開始する。右手と左手で別々に、しかし関連させながらレバーを押すことは、簡単なようで難しい。幼少期から通っている教室での訓練があって、はじめてできることだ。
「あっ。」
見ている誰かの声。それは、風で目の前にあった手順を書いた紙が飛ばされてしまったからだろうか。
2番目の試験も無事に終わった。
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ホシノ 主人公。おそらくは手足が無い生物が住む世界からの転生者。
ナナオ ホシノの友人。将来はバイオリニストになって、ホシノと一緒に演奏会をしたいと思ってる。
https://kakuyomu.jp/works/16817330653986494310/episodes/16817330658943054917
先日一挙放送してたのをちらちら流し見してたんだけど、今どきのオケやらブラバンやらの部活ってあんな感じなん?なんだか部活で音楽することの嫌な面がモロに出てる感じで、見てて気分悪かったんだけど。
具体的には
·多少上手い奴が初心者に「足を引っ張っている」とかヒステリックに喚く
·先輩方はそれを諫めるでもなくニコニコ見ている
·本番の席は実力順で決まる
·指揮者の先生とやらがコンマスに「1年がまともに弾けるようになるまで指導しろ」とかいう
いや。。。そりゃクラシックだから間違えちゃいかんのはわかるけどさあ。。。所詮はアマチュアでしょ?間違えたからってみんなの前で晒し者みたいに謝る必要ある?下手くそとやりたくないならプロになってベルリンフィルでもN響でも行きゃあいいじゃん。指揮者の先生もレベルの低いオケ振りたくないならプロのオケ振れよ。そんな実力も無い癖に、多少出来るくらいで何偉そうにしてんの?下手なメンバーがいても音楽になるよう組み立てるのが指揮者の仕事じゃないの?
そもそも、本当に上手い人って、アマチュア相手に怒り出したりはしないよ。「間違えても俺が何とかするから、気にせず、楽しんで、のびのびやれよ!」って人ばかりだ。
部員が多けりゃ演奏会のときに選抜しなきゃいかんのもわかるけど、オーディションって何?緒先輩方は毎日後輩の練習聴いてんでしょ?だったらわざわざ競わせる必要ないじゃん。それに「実力順」て何だよ。アマチュアレベルで多少の実力差があったところで、それ音楽と関係ねえじゃん。
スパルタ式の練習を否定する気はないよ。そういうのが必要な部分もあるのは確かだ。でも、「何のために」それをやるのか。オケが複数ありゃ優劣は当然ある、でもそこの順位を競う、ってのは音楽とは何の関係もない。と言ってしまうとコンクールの意義を全否定になってしまうけど、実際アマのコンクールなんて百害あって一利なしだと思う(プロへの登竜門的なやつはまた別)。どっちが上かなんて見りゃわかるんだし、わからない人はそんなこと気にせず楽しめばいいんだから。
でも全国コンクールで連続一位の学校、って設定だから、きっとこういうの普通なんだろうな。ネットで感想漁ってもこの辺りに言及しているのは見当たらず(作画が酷い、はあったが 笑)、「オケの部活ってこんなんじゃない」って意見が皆無なのは、きっとそういうことなんだろう。厳しい練習に耐え成長してライバルを倒す、ってのがやりたいなら、音楽じゃなくスポーツやりゃあいいのに。
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★主な登場人物
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シャロン(ターの内縁の妻・ベルリンフィルのコンサートマスター)
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フランチェスカ(ターの元愛人・指揮者見習い・副指揮者の地位を狙っているが現在はターのアシスタントに甘んじている)
クリスタ(ターの元愛人・指揮者見習い・現在はターに追放され(?)ニューヨーク在住)
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★シーン
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プライベートジェット(ベルリン→ニューヨーク)で眠るターを撮影しているのはフランチェスカ。チャットの相手は多分クリスタ
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冒頭のクレジットの背後で流れるのはターの実地調査先のペルー東部ウカヤリ渓谷の先住民の歌(この調査にはフランチェスカとクリスタも同行していた模様)。
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レコードを床にばらまいているシーン(ターの仕事部屋?)の足はおそらくフランチェスカ。
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講演会後に話しているファンの女性とターはおそらくこの夜密会している(女性のバッグが後にターの持ち物として出てくる)。
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指揮者がヘッドフォンをしているのは映像と合わせるためのガイド音を聴いているから。なおこのシーンはモンスターハンター(テレビゲーム)の観客コスプレ演奏会と思われる。
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クラウディオ・アバド…ベルリンフィルの元首席指揮者(故人)。
バーンスタイン…指揮者(故人)。愛称「レニー」。ターの師匠(という設定)。テレビ番組(ヤング・ピープルズ・コンサート)などを通して一般庶民にクラシックを普及した。
ジェームズ・レヴァイン…指揮者(故人)。セクハラ等の女性絡みのスキャンダルで有名。
シャルル・デュトワ…指揮者。セクハラ等の女性絡みのスキャンダルで有名。
マイケル・ティルソン・トーマス…指揮者。愛称「MTT」。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ…大御所チェリスト(故人)。ロシア人。
ジャクリーヌ・デュ・プレ…女流チェリスト(故人)。多発性硬化症で早期の引退を余儀なくされる。
ダニエル・バレンボイム…指揮者/ピアニスト。過去にデュ・プレの恋人だったことがある。
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★トリビア
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フリーボウイング…通常、弦楽器の同一セクションでは統一する弓のアップダウン(引き弓・押し弓)を奏者個人の判断に任せること
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ベルリンフィルを演じている(?)のはドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団。ホールはドレスデン文化宮殿。
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ほぼ全編に渡って音声は同時録音。つまりブランシェットは実際にバッハを弾いて、マーラーを指揮をしている。そしてオルガ役のソフィー・カウアーは実際のプロのチェリスト。
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https://anond.hatelabo.jp/20230508221407
対抗手段としては、社会人向けのオーケストラか社会人吹奏楽団に入ってみることをお勧めする。
やる楽器を選んでその楽器を購入するのが最初のステップだ。なぜなら社会人向けの楽団は、「楽器を自分で持っている事」が入団の前提になるからだ。
打楽器に限ってはその前提はないが、社会人向けの楽団で打楽器メンバー募集しているところは案外少ない。オーケストラは正規団員が1人か0人で演奏会はエキストラを呼ぶ運営をしているところが多いからそもそも枠がほとんどないし、吹奏楽団でも常時募集しているところは多くない。また重い楽器運搬を確実にやらされるので体力的にも推奨しない。
また、弦楽器だと入れる団体がオーケストラに限定されてしまう。楽団数は吹奏楽団>>>越えられない壁>オーケストラなので、選択肢を広めるという観点で管楽器の方が良いだろう。
なので、「やる管楽器を選んで購入する」のが第一ステップだ。トランペット辺りが無難だが、人数が不足しやすいパートであるフレンチホルンや、頭数が必要になるが故に募集が多いフルート、クラリネット辺りも良いだろう。
特にフルートはほぼ女性パートなのでお勧めだ。男がやっているというだけで重宝される。
一方、チューバなどの大型楽器は高価かつ運搬が大変な上、せっかく楽団入団にこぎつけても「仲間がほとんど男」になるパートなのでお勧めしない。
社会人楽団は「未経験者お断り」のところがほとんどだ。練習がほぼ週末に限られる上、予算も団員からの団費だけで賄う必要があるので、初心者を教えている時間もお金もないからだ。
だから、「経験者」になるよう、音楽教室に行って演奏スキルを上げる必要がある。
通う期間は長ければ長いほどよいのは当然だが、長すぎても出会い目的から離れてしまうので、半年~1年くらいが良いであろう。
吹奏楽コンクールの課題曲レベルの曲が吹けるようになれば経験者としてみなしてもらえるだろうから、レベル的にはこのあたりを目標とすべし。
ここまで来たら手あたり次第募集中の楽団を探して見学希望を出す。
だいたいの楽団はホームページで今の在籍人数を記載しているので、そういう楽団に対してアプローチするのが良い。在籍人数が書いてない楽団は実際の人数が極端に少なかったりコンサートやコンクールでエキストラを呼びまくって体裁を整えてるなど運営に難がある団体が多いので避けた方が良い。
見学希望を出した後で楽器経歴を聞かれるが、その楽団から離れた土地にある学校で2年くらい吹いていたとかのレベルで適当に捏造するのが良い。
「離れた土地」というのがポイントで、社会人楽団は所在地域にある中学・高校のOBOG率が高いところが多いので、離れてない土地の話を捏造してもすぐに嘘がバレてしまうからだ。
また、見学と言いつつ、実態は「合奏練習にお試し参加する」だったりするので、その点は要注意だ。
いくつかの楽団を見学して、これはと思った団体に仮入団し、何度か練習に出ていけば正式入団だ。
正式入団までに狙いをターゲティングしておけば後はやりたい放題だ。
ただ、あまりに露骨だと通報されて退団の憂き目にあったりするからやりすぎ注意な。増田の観測範囲で実例が2つあってな・・・。
どっちかわかんないけど教室に置いてあって、
それはボタンを押すといろんな楽器の音色を選択できるハイカラ機能が付いてたんだけど
中休み(あー懐かしいね、確か2時間目のあとのやつね)になったらピアノ弾ける子がそれを弾いて、
そこにいたずらっ子が音色選択ボタンをランダムに押しまくって邪魔するってのが定番行事だった。
んで、そんなある日の中休みに突然それは起きた。
それまで小学生の拙い演奏をランダムな音色で奏でていた電子ピアノがいきなり自分から曲を演奏し始めたのよ。
いやーたまげたね。
小学生なりの人間味溢れる演奏は中断され、機械による寸分違わぬ圧倒的な演奏会が始まった。
それは聴いたこと無かったけど和音が弾むようなリズムが心地良い、それでいて途中からふいに物悲しくドラマチックな曲調に転じる、かと思えば最初のフレーズに戻ってきた時の強烈な安心感。
そんなとき物知り君が言ったのよ。
「アマリリスじゃん!」
それがあの曲との出会いだったね。
その電子ピアノ?は業者の点検用なのか店頭ディスプレイ用なのかわかんないけど
特定のボタンを組み合わせて押すと「アマリリス」が自動演奏される仕掛けになってたんだろうね。
誰もそんな情報は持ってなかったけど。
なにより偶然の出会いが刺激的だったね。
いまの子だったらAIが反乱を起こしたと勘違いするかもしれないね。
それからしばらくはアマリリス出現コマンドの解析に中休みも昼休みも放課後も費やされた。
先生も巻き込んだりして。
その後どうなったんだっけ?
あんま覚えてないけど。
なによりもあの曲との出会いのほうが印象深いものだったからね。
(追記)
検索したらヤマハのSE-2000らしい。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1461053194 https://twitter.com/unya2002/status/1499958278985756674
そうそうこれやこれこれ!!
みんなもぜひ聴いてほしい。中盤のちょい重めになるとことかいいよな。
あのパートは電子オルガンの音の重厚感をアピールするにもよさそう。
フランスの原曲のアマリリスはアマリリスという名前の女性のことを歌った歌らしい。
んで日本語の歌詞はよく見るとオルゴールの曲のことを歌ってる。
自分も「セッション」は最悪に胸糞悪い映画だと思う。最後まで見たけど自分もご多分に漏れず、ブラック企業で働いてた頃の感情を思い出してしばらくぐったりしてしまった。ちょっともう記憶があやふやだが先生のハラスメントに反発心を燃やしてがむしゃらに練習してきた主人公が終盤、演奏会に乱入して、指揮者として立っている先生に演奏技能を見せつけるようにドラムをたたきまくり、最初はお互い敵愾心を示しているのに一瞬だけ相手を認めるような視線を交わすシーンがあって、これがもう最高最悪に気持ち悪かった。あの映画を評価する人はどこをほめているのかわからない。パワハラコミュニケーションのリアルさをほめているのか?
BAND-MAIDが米国を中心に海外で非常に人気が高いということは聞いたことがあるだろう。
だが、実際にMVを見てみると少し違和感を感じるはずだ。メンバーの多くは期待していたほどメイド風でもないし、楽曲はさほどポップでもKawaiiでもない。かといってギャップで驚かせるほどの音の凶悪さもない。普通にJ-POPの影響も感じられるクールなハードロックである。あまりハードでない曲も多い。
ましてや2023年2月にリリースされた「Memorable」はシンプルなバラードで米国のシンガーソングライターが歌ってそうな曲調だ。
しかしYouTubeでは、この曲を聴いて屈強な米国の男たちが涙を流している。いったいどういうことか。
BAND-MAIDは10年の歴史の中で様々な文脈がつきすぎて初見のリスナーにはわかりづらくなっている。本稿ではそのあたりを読み解いていきたいと思う。
BAND-MAIDの面白さは、計算された部分からどうしてもはみ出してしまうほころびにある。計算高くプロデュースされたバンドのように思われがちだが、じつは誤算の歴史であり、その誤算を受け入れ逆に強みにしてきたバンドなのだ。
そもそもBAND-MAIDの始まりは小鳩ミクプロジェクトだった。秋葉原の有名メイド喫茶出身でアイドル活動もやっていた小鳩ミクがアイドルグループ解散をきっかけに、違う方向性の音楽をやりたいと今の事務所に売り込みに来た。それならば過去の経験を活かしてメイド+バンドのコンセプトで行こうとすぐに決まった。
二人目のメンバーはニコニコ動画で見つけてスカウトした。そこから人脈をたどりメンバーを増やしてバンドとなった。つまりメイド文化の経験があるのはじつのところ小鳩ひとりなのだ。
そして最初のほころびはすぐに来る。
演奏力のしっかりしたメンバーを集めてしまったがゆえに、出音が本格的なロックとなってしまい、そうなるとアイドル出身の小鳩の声と合わないのだ。
こういう場合、普通に考えたら楽曲をポップな方向に軌道修正するはずだが小鳩の決断は違った。このロックテイストの曲に似合うメインボーカルを入れることにしたのだ。
ツインボーカルとは言うものの小鳩はコーラス中心になる。自分がメインのプロジェクトだったはずが脇役にまわる。当時は楽器も弾けなかったのでバンド内での居場所もあやしくなりかねない。
メインボーカルを入れた5人体制で制作されたファーストアルバム「MAID IN JAPAN」は、今思うと一番コンセプトにぶれがない作品となった。
全員が可愛いメイド服を着たビジュアル。最近の曲に通じる片鱗はあるものの、今よりもポップで聴きやすい青春パンク風やロック調J-POPの楽曲が多いアルバムだ。
ただそのコンセプトもすぐにぶれていく。小鳩以外のメンバーはやはりメイド服があまり好きではなかった。
またしても誤算である。さほどこだわりのないギターのKANAMI以外はいかにもなメイド服を着るのをやめた。
そしてまたこの時期は楽曲の方向性もJ-POP風だったり、ポップロックだったり、よりハードで過激なロックに振ってみたり、迷走していた。
事務所的にはそろそろ潮時かと解散させることも考えていたらしい。
そんな頃に意図せず大ブレイクしたのが初期の代表曲「スリル」だ。
これまで以上にヘヴィなサウンドにクールでわかりやすいボーカルラインが乗ったハードロックである。ファーストシングルのカップリング曲という位置づけだったが、このMVが翌年海外のWebラジオで紹介されて一気に火が付いた。
そしてこの曲がその後の方向性を決定づけた。
BAND-MAIDの特徴のひとつはそのライブ本数の多さである。ツアーに出ると毎日か一日おきでほとんど休みなくライブをおこなっている。「スリル」がブレイクした翌年の2016年は国内19箇所ツアー、8カ国のワールドツアー、その他国内外の単発のイベントに参加している。
Wikipediaにあるライブ日程はツアーのみで単発のイベントは書かれていないが、それでも今どきのバンドとしては異常な数である。こうしてライブを重ねることでライブバンドとしての実力を着実につけていった。
そしてまた、メンバーの創作能力も向上し、この頃から小鳩ミク作詞KANAMI作曲の作品が増えていく。
ここへきてBAND-MAIDは外部の作家の力を借りず自分たちだけで勝負する本物のバンドになっていった。
楽曲を聴いているだけではわかりづらいBAND-MAIDの特徴がもうひとつある。小鳩がメイド喫茶やアイドル文化からバンドに持ち込んだのは可愛らしい服装だけではなかった。
それがショーアップされたステージである。曲間のMCはエンターテイナー小鳩の本領発揮だ。
萌え萌えきゅん的なある意味痛いコールアンドレスポンスやトークは、最初は苦笑いの観客でさえ巻き込んでファンにしてしまう。メイド服を拒否したメンバーもこのあたりは寛容で観客との距離の近さを楽しんでいるようだ。
こういった通常のロックバンドにはない、とことん楽しませるファンサービスが海外ツアーでファンの心をわしづかみにした。
https://youtu.be/iqhgc963Ga0?t=368
テレビ出演や雑誌のインタビューなども無口なミュージシャン気質のメンバーに代わり、小鳩が担当しバンドのスポークスマンとしてサービス精神いっぱいにしゃべっている。
観客を惹き付けるタレントであるとともにマネージャーやプロデューサーのような立ち回りもこなす。そんな彼女のことをある海外リアクターはスイスアーミーナイフのようだと表現した。
しかし、そんな各地で大盛況のライブツアーも世界的な疫病で突然打ち切られる。予定していた初の武道館公演も中止になった。
前述のようにBAND-MAIDのライブは単なる演奏会ではない。ショーアップされたファンとの交流イベントとしての意味を持つ。
ある海外ファンは「BAND-MAIDは曲をリリースするのではない、体験をリリースするのだ」と言っていた。
そんなバンドにとってライブができないことは大きな打撃となった。
まさにこれからというタイミングで、バンドは2年以上立ち止まることを強いられた。
そしてついに2022年、待望のライブツアーが再開されることになった。
8月に国内ツアー、10月に全米ツアー。だが世界中からライブイベントが消えた後である。ライブを楽しむ文化自体が失われたかもしれないし、当時ファンだった人たちがバンドに興味を持たなくなっているおそれもあった。
しかし、ふたを開けてみれば見事にソールドアウトだった。ツアーバスで各地の会場に訪れると、そこには2年前と変わらない熱量のファンがバンドを待っていた。
この忘れがたい経験をもとにツアー中にメロディを書き、日本に戻るとすぐ、ファンに向けた感謝の気持ちをつづった歌詞を乗せ曲として完成させた。
それが「Memorable」だ。
歌詞に込めた思いと、決して平坦ではない道をメイド服姿の小鳩ミクが歩くMVの意味を世界中のBAND-MAIDファンは完全に理解して心を打たれるのだ。
アフタヌーンで大人気連載中の医療漫画「フラジャイル」。そろそろ連載10年が見えてきて、物語も新人宮崎がついに専門医になるなど節目を迎えてきた感があります。作中およそ3年を総決算したような21巻はまさにここで終わってもいい。第一部完。といった面持ちでしたが現在、新薬JS1編へと続いてくれています。
そこで今回、改めて読み直したと共に自分の中での整理のために作中の時間がわかるようなヒントを探してみた。
時間は明確な過去編とされてなければ話数が進むごとに線形に時が進むと増田が決めたんだ。
フラジャイルは今のような長期連載を予定されていなかった。
「5巻の回想シーンで岸先生が壮望会に来たのは7年前」「(18巻では)時効などの関係で3年前設定」
「初期は連載がこんなに長く続くとは思っておらず医事紛争編は構想されていなかったゆえ」
「5巻のことは忘れちゃっていたんですか?」「作家も編集もすっかり忘れて楽しくやってました」
長期連載にありがちな後から立て付けていく設定に深くつっこんでもしかたないね。個人的に岸と森井とのやりとりは時間軸を移してもなんとかなるけれど岸と高柴との関係は長い時間が必要と感じるので医事紛争は(個人的)正史からはずしたいと思いまする。
連載だけ読んでると混乱した部分なので時系列を書いてみる動機だよ。
まとめたようでまとまらない情報を羅列しているだけになってしまった。
特に困ったところが「日本病理学会総会~アミノ株式総会」。かなりぐちゃった。
それに加えいつかは不明だがリアルの専門医の受験資格が経験4年から3年に変わった影響もあるかも
たぶん2017年から3年に。フラジャイル1巻が2014年で、8巻から2017年発刊。
宮崎の試験はハッキリしてるかと思ったけれどそこもなんか怪しいし
あとは
・ 壮望会の悪評と建て直し
もなかなか謎い。あと高柴×岸のエピソードが初遭遇ぐらいしかなくて思ってたより掘り下げてなかった。
岸
森井
火箱
南波
細木
中熊
手嶌
比日野
壮望会
慶桜
岸入る前の壮望会、評判悪し(5話)
稲垣、医者に。「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)恐らく壮望会以外(27話)。
岸、研修医2年目?「去年、研修医ローテで2週間」前期研修か。
25歳前後?
将棋友道8「今月号」
恐らくすくなくとも9月以内に比日野死亡「治療開始より5日後死亡」
原因はSFTSで作中2011年以前。「当時はわかりませんでした」「SFTSが中国で特定されたのは2011年 それまでは日本でも原因不明」(90話)
稲垣、内科時代。慶桜ケア科に「よそのケア科に2年お世話」「研修先のケア科は慶桜」(85話)
(伴、無菌病棟立ち上げ「昔 伴君が責任者になって立ち上げ」(86話)時期不明「病棟を立ち上げて何年だ …何年もだ」(87話))
およそ13年前で火箱12歳
森井、21歳?大学三年の夏に退学。壮望会の専門学校に入学。(3話)
壮望会病院に入り、6年間は辞められない(3話)
岸、壮望会に転院。高柴と初対面。「7年前」「新しく来た病理の先生ですよね?」(18話)
物語開始前、岸が手嶌と最後に会う。「会うの何年ぶりだったんです?」「…5?6?」(作中1年以上経過)(34話)
岸の性格から正確さは怪しい。岸と手嶌が慶桜以外で会っているなら変ではない(岸の性格から怪しい)。
火箱、アミノ入社?22歳?スタート1年半以上のときに26歳(11巻巻末)。4年生大学から新卒ではいればこの辺り?
新人火箱、十王寺と会う「三ヶ月目」「入社一年目」薬事部所属(67話)
宮崎、医大卒業?。出身大学の病院で初期研修開始(80話)「初期研修は出身大学の病院」
手嶌が慶桜を出る。「岸先生は慶桜を出てね」「僕はしばらく残ったけど~アメリカに留学して~研究職に転向した」(33話)
本郷、最後の彼女(病理医)と別れる「4年と3ヶ月33日彼女いない本郷」至極どうでもいい(55話)
宮崎、壮望会に。後期研修開始(80話)第一志望にフラれる。「どうして後期研修は壮望会を」
一年間は神経内科?「神経内科の専攻医になって1年で病理に転科したんだ」(80話)
この1年って1年目(4月に入り半年後の9月)に転科したのか1年半後の9月に転科したのか…。半年なら半年って言うよねぇ。でも2話の宮崎の発言と矛盾する気がするんすよぉおおおおおお
9月23日-24日開始。院内描写は24日スタート。終了は25日。
24日に騒動、「ゆうべの手術」~「昨日はお世話になりました」で25日
宮崎、専攻研修開始から半年確定?「一応 卒後2年目のドクターなので」(2話)80話の南波の話がわからなくなる。
てかこの流れの"ドクター"とは"博士課程です"って意味でいいの?医者の意味でいい気がするけど。"博士とって2年目"だとまたいろいろ変わってくる…
岸、森井に転職の話をする。
6年間は辞められない条件を知っているなら森井卒業6年後?
森井30歳?
森井慰労会(4話直後?)
火箱登場、宮崎とは初対面。
宮崎、病理診断開始(2-3話間と5話時間経過を加味しても早くなあい?)
4月に入った新人かと思ったが作中4-5月ではない?初期研修のローテーションか?
根拠は9話で半年ほど飛ぶのは不自然。8話で中熊登場して9話冒頭で中熊ポスター。8話で火箱・中熊面識。9話で「先日はどうも」
実際何ヶ月生存したかはわからない?余命どおりならだいたい1年目終了。
火箱、アミノ退社(14話)
(間瀬、アミノ退社)
「あれから数ヶ月」
火箱、ビフィズス入社
(14話終了)
「この前」コンサル窪田参加(15話)
高柴65歳?、定年半年前(15話)
高柴クリニック開院。高柴編終了(20話)
慶桜、中熊により遺伝子検査ラボ設立。円が25歳で技師長に「2年前~25歳にしてラボの技師長に抜擢」(58話)
(手嶌、円と共に新薬開発)「手嶌くん~円も協力してる新薬開発の仲間だね」(時期不明)(61話)遺伝子ラボとは無関係か。ソフト開発し新薬の配列設計を発見。
5月時点で布施がまだ医大5年なので病理の学校は4月以降(25話)
布施「君何年生?」「5年生です」(25話)
人物紹介 年齢
岸不明
森井31歳?
手嶌登場「4月から京都の細胞研究所」~「なられる」へ「やっと慶桜から卒業か」(33話)
流石に何ヶ月も前に挨拶回りは変だと思うので4月前かなと思うけれど、後から見るとかなり早く挨拶してる?
ハル編(35話~)
野球回。(44話)
入局先宣言の話。「5年も~お世話になって」。後期研修終了タイミングの入局(4月)なら意思表示は入局前年の夏までが一般的らしいからここが夏で実際の入局は来年という話か。4月の線は薄い?
火箱が野球をテレビ中継で見ている「今期つれぇ~」(44話)プロ野球は3月末開幕なのでオープン戦でなければ4月以降で「今期」「つらい」とわかるのはやはり前シーズン夏前ぐらいか。
火箱26歳。ビフィズス在籍状態時。
こまごまとした話。3日謹慎や新聞掲載などがあるが明確で大きな時間移動はなし?
布施、院1年目(医大5年生?(80話))。「院の1年目であれくらい深く考えられる人」(55話)(MD-PhDコース)
現実と同じなら4月だが、布施の院1年目=医大5年生なら「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りした」(80話)だから初登場(8ヶ月経過、5月ごろ)から4月をまたいでないはず…
「神経内科から病理に転向して1年目のザッキー」(55話)1年以上経ってるから2年目だと思うんですが…?
しかし第10X回総会とあって現実的には4月の総会…(55話)実際の総会は4~6月開催と幅はあるけど3月とか年度前にはならない? https://pathology.or.jp/jigyou/meeting-spring.html
4月越えなら
森井32歳?
宮崎29歳?
火箱27歳?
作山、リンチ編
円、27歳?「2年前~25歳にしてラボの技師長に抜擢」(58話)
稲垣、オプジーボ同意後、慶桜の「遺伝子センターラボに1週間もお世話に」(60話)
稲垣、医師16年目?「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)42歳オーバーか。
ビフィズス、新薬とともにアミノへ(企業買収って数ヶ月はかかるとみていいよね?)(64話)
ビフィズス買収後、火箱、総務部、間瀬、MR(営業)へ「2週間前」(66話)
(株主総6月(69話)→慰安旅行6月末(70話)ならここは5月か)
新人関根先生(65話)また4月ではない?次が総会の話なのでここは4月に入ったガチ新人かも。
「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)
アミノ編(65話)アミノの株主総会の話だが総会が多い6月になるのかは不明。
数日後?、火箱、アミノの未来を憂う会に。「我々は来月の株主総会で」(66話)
(*2年8ヶ月経過 5/15 宮崎、試験願書提出?(89話))
総会一ヶ月前の買収が5月としたら4月の日本病理学会総会から1ヶ月半(病理総会が4月12~14日)。作山関係で2週間近く使うとしたら買収"完了"が一ヶ月でしてることに。
そもそもオプジーボの同意を取れてから家族への報告に1週間。投与開始から検証&18人の遺伝子検査にいくらか。NDA違反に数日(60話)と2週間でもカツカツ。5月中に関根編こなす必要もあるし。
総会間近、火箱懲戒解雇(68話)
十王寺、株主総会前に退職?「この前の火箱さんの公演が記事になりました」(69話)
株主総会(69話)「後日~十王寺さんの解雇撤回」(「明日から無職」は形式的な話か)
間瀬、開発本部長に。火箱、開発本部 臨床開発3部 JSプロジェクト推進グループグループ長に。春田、火箱部下に。
慰安旅行(70話)「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)
弁護士編は過去が矛盾してる編なのでここでまとめる。基点がここから3年前なのがネック。(ここまでの予測があっていれば宮崎が転科する数ヶ月前の話になってしまうし、後からみてもすぐに宮崎の実務3年を迎える)
前述のとおり時系列からは切り離すが、過去の各イベントはあったんじゃないかな。
また、過去以外の話の時間は正史として前の編から地続きと考えておく。
森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)
後の話では森井のほうが壮望会に先に入ったっぽいのでここでもここに
(6年辞められない縛りがあるのに転職話が出るのが変)
岸、壮望会に。(73話)
(これまでの話でも壮望会での高柴との出会いは7年以上前で矛盾)
患者、菊池通院後2ヶ月。「外来での通院が2ヶ月を過ぎたころ僕に~依頼があった 三年前だ 僕が壮望会に来てまだ数ヶ月にもならないころだった」(73話)
菊池、状態悪化後、「緩和ケア科に移って2週間後に亡くなった」(73話)
森井、彼女に振られる(18巻末)
宮崎、壮望会に居てニアミス(18巻末)宮崎は後期研修から壮望会に入ったので4~9月の間の話(神経内科専攻)とすると、3年前とはあまり矛盾しない。
壮望会、不評から立ち直る「壮望会を立て直した~医師の功績ですよ岸先生とか稲垣先生とか」(74話)
久坂部、米嶋の診療所訪問「2ヶ月前米嶋が働く診療所に~弁護士」(74話)
「今月の予定組むんで」(71話)
森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)
「夏も近い」(74話)これジョーク?
えー、医大に明るくないのでわからんのですが、MD-PhDコースは学部4-院3~4-学部2年で学士と修士両方とるルートデス。だから医大に6年居て学部は卒業してなくて院生2年生。かな。
「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りしたため国家試験は2年後」(80話)
「後期研修が3年 宮崎先輩は2年目なう 来年は病理専門医認定試験」(80話)
布施初登場から2年以内、宮崎登場から2年半以内になるはずだけど、ここまで2年半以上過ぎてる計算をしてしまってる。
日本病理学会総会12~14日(55話)を現実とあわせて4月に仮定してるけどここが変かなぁ。
9月スタート→(4月迎える)→25話 5月→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸1年)→33~4話 4月と春が話題→(4月迎える)→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸2年)→74話 夏前。
34話から74話の計40話が3、4ヶ月とするとかなりハードスケジュールだから厳しいとみて、もう一回4月を迎えてるとすると宮崎は4年間壮望会に居るはずで
自分の所属しているサークルの部長が、精神病を患い、半年ほど幽霊部員になった末に辞めた。
わたしはずっと「精神病患者について」みたいな漫画を読むたびに、理解のある人間として振る舞う妄想をしてきた。その人が辛いとき、なにもできないとき、「それは仕方ないことだ」と理解して手を差し伸べる自分を脳内で思い描き、自分はこうなった状況でもこんな行動が取れるのだと、信じて疑わなかった。
結局それはとても難しく、私にはできなかった。
1年生の時はうまくやっていたと思う。その子は出席率がいい方ではなかったが、一番上手だったので(楽器サークルなのである)その子が次の部長に決まった。誰も立候補しなかったので、彼女が「わたしがやる」と手を挙げた。決めたのは2月くらいだ。
学年が変わり、6月の発表会(私が担当だった)の時、彼女はほとんどその練習に来なかった。本来は担当2人と、部長と副部長で協力してやるはずの仕事を、(先輩とかに助けてはもらったが)殆ど私がやった。副部長は部長の仕事もこなしていたので、申し訳なくて頼れなかった。私の学年の部員数は少なかったので、担当も私1人だけだった。
部長はツイッター更新の担当だったので、せめてこれくらいはしてくれと、その発表会の広報を頼んだ。「申し訳ないが今それをできる精神状態ではない」と答えが返ってきた。
正直、頭に来た。ツイートする文面と添付する写真をそっくりそのまま送ったのだから、ログインしてあるならコピペするだけで良いはずだ。そのくらいの仕事はしてほしいと思った。そんな事は言えないので、先輩にログイン情報を聞いて私が更新をした。
結局、その発表会に彼女は出た。
部長の仕事をこなそうと思ってくれたのだろうか、「ここはこうした方がいい、ここはこうじゃない方が」と舞台設計とかに意見を出してくれた。真っ当な意見だった。
けれど、私はちょっとイライラした。先程まで仕事をしろと思っていた癖に、いざ意見を出されると「全部放っておいた癖に何故私が準備してきたものたちに文句をつけられるのだろう」と思った。ニコニコして言うことを聞いたが、しんどかった。
演奏会が始まった舞台脇で、ふと、「最近本当にしんどくて、昨日も吐いた」と彼女は言った。
急に頭が冷めた。メンタルで吐くだなんて異様なこと、どれくらい大変なのか、馬鹿な私にでも想像がついたからだ。漫画で読むような、おそらく精神病の人(彼女がそう言ったわけではないので、その時は『恐らく』だった)を思い起こした。
それでも私は、羨ましいと思った。その時、4人がかりでやるはずの仕事を1人でやっているという自負があり、私はしんどさに酔っていたと思う。
私はこんなに辛くて大変で頑張っているのに、彼女はしんどいと周りに分かってもらえる証拠があり、堂々とサボれる。ずるいと思って、なんとか
「ほんとうに無理しちゃだめだよ〜!」と喉の奥から絞り出した。
真面目に返すのが悔しくて、女子大生のノリの馴れ合いみたいな、泣いている絵文字のついたLINEような雰囲気でしか言えなかった。
それから彼女はもう殆ど部活に来なくなった。部長の仕事はもう全て副部長がやるようになった。
せめて無理なら無理だと言ってくれればさっさと引き継ぎが出来て楽なのに、と思った。夏の演奏会も彼女は関わらなかった。
私は6月のことが尾をひいて、部長の不在の理由を聞かれる時には「うちの部長は…メンタルがちょっとアレで……あんま仕事とかしてくれないから……(笑)」と言うようになっていた。
この間、彼女は正式に部長という役職を副部長に譲り、部活を辞めた。「精神病を6月から患っていた、辞める」とのことだった。
結局わたしは思い描いていた「知り合いが精神病に罹ったとき理解のある人間として振る舞う」ことなど何一つ出来なかった。今でも出来ないし、無理だと思う。
Shrink などの漫画を読むと責められているようで苦しく申し訳なくなる。そこには何度でも、「しんどい時は、どんなものでも、できないものはできないんだ」と伝えようとしているかのようなメッセージがある。
それでも私は今でも、広報のツイートするくらいは出来たよね?6月に精神病に罹ったというなら7月くらいには「無理だから部長降ります」と言うくらいは出来たんじゃないの?と思ってしまう。
って思ってたよ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8efcd957c62b4d5e52f6ec0586c6c0eefa2b128d
そもそも当該ツイートの「じゃあ吹奏楽コンクールの応援に野球部も客席で素振りしなよ」って屁理屈も子供みたいでキメエが、
中学で全国前ダメ金だったのが悔しすぎて全国大会に有望な県内の高校に入ったのに何で別のことをするんだよって思った。そもそも地域の演奏会だっていやだった。
吹いていた楽器は野球部応援には向いてない楽器だし、大きい音出してナンボな野球部応援がコンクールにつながるとも思えなかった。
でも「野球部応援なんてクソだ!」って部員に愚痴ってみたら半々が
「応援するのも楽しいよ。みかん氷(ハマスタ名物)もおいしいし。」
って感じで衝撃を受けたよ。コンクールを目指しているだけではないんだって。
野球部応援がクソではない。音楽は人を鼓舞させるものなのだから、スポーツの応援に用いられることは間違ってない。
同じ夏に同じ全国の場を目指してるのに野球部のほうが大事だって扱われていることがおかしいんだよ。
応援をお願いされたときには、全国を真剣に目指しているからこそ一日でも練習したいそう思っている吹奏楽部員は練習させてあげてほしい。