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はてなキーワード: カワウソとは

2024-01-26

anond:20240126051251

見て面白かったやつの一言感想並べてみよう

姫のチークがかわいすぎる

結構怖い、ギデオンファウルフェローが良い

クラシックが嫌いとかじゃなければ捨てるところのない名作。2000のほうも見るべきシーン目白押し

檻に入れられた母象のシーンが鬱くしい三羽烏好き

とんすけがまりにもかわいい人類は滅ぶべし

水彩画表現が美しいのと、ホセ・キャリオカがいいキャラ

ずっと派手な色彩でずっと楽しい。うるさい

この前イカボード先生にソックリな女性見かけた

お話も画面も童謡のようなきれいなカオス

プレゼントボックスから出てくるレディの可愛さよ

ドラゴンの吐く緑の炎があまりにもセンスいい

子供の頃は犬は飼い主に似るみたいなシーンを繰り返し観てた

ヘビがシューシュー歌うTrussst in meは必聴。実写の少年が可愛すぎる

  • おしゃれキャット

ジャズ猫のシーンが有名だけど、スケールアルペジオ推しておこう

プーさん作品全体に言えるけど、辛いときに観ると妙に染みる

1作目もいいが2作目にヴィランとして出てくるトカゲジョアンちゃんが最高にかわいい

歌がいい、映像美と合わせて何度も見たい

ずっと野獣のままでいいのに

絨毯の擬人化がこんなに可愛いとは

ティモンとプンバァが癒やし。シンバしっかりしろ

カラーオブウィンドの風の表現があまりにも美しい

人類は愚か

終始ハデス応援したくなる、ヴィラン好きは必修レベル

ムーランはかっこいい、将軍朝青龍

ヒロインハスキーボイスで印象的

いろんな時代のイグアノドンが同時に見れる

スティッチは犬

クライマックスの展開がめっちゃ気持ちいい

引きの画角が毎回きれい

テンポが良くて爽快感ある

エルサが氷雪系最強すぎて愛おしすぎる

兄が死ぬ必要はなかったと思う

うさぎもふもふカワウソもふもふをかき分けてるの頭おかし

CGが綺麗すぎてまだストーリー始まってない段階で泣いた

大事な場面にカピバラを添えるとすなわち最高である

作品見たわけじゃないけど大外れは基本的にないと思うので気になるものあったら是非気軽に観て感想教えてね

2023-04-09

自転車ヘルメットって顔がでかいブサイク度が増すよね。マスクは顔を隠して人によっては美人に見えるのにヘルメットはブスになる。カワウソの「かぶりもの」というやつはブタ顔で人間の顔が好きだけど人間は顔しか見ないから正直そこまでかぶりたいとか全然思わない。そこがいい。クマなのでクマ風のアイラインを入れて目を大きくしたりしても全然かわいらしい。人間顔面は子はパンに限る。 50代の人、色気が全くないけど良いところあるよね! 家事一切せず、

Anond AI作成

2023-01-09

[]アザラシとかアシカとか海の哺乳類の見分け方

アシカとかアザラシとか(鰭脚類)

寒い海にいて、水中生活適応していて、身体流線形

四肢ヒレみたいになっている。

鰭脚類は目なのか科なのか、そもそも分類群としてそもそも認めていいのかで揉めている。

分類は次の通り。



見分け方


ジュゴンとかマナティとか(海牛目

水中生活適応して前脚が鰭になっている。後ろ脚は退化し胴体に隠れてしまっている。鰭脚類を見た目が似ているが象に近い仲間。どっちも暖かい地域浅海に生えるアマモなどの海草類を主なエサとする。

見分け方


余談

あしかポケモンパウワウあしかポケモン(!)のジュゴン進化するのはかなり無理がある。ただ、テッポウオオクタンになるのはもう脊椎動物でさえなくなっているので気にしてもしょうがない。

ラッコとかカワウソとか

食肉目イタチラッコ属の生き物。ぼのぼのラッコだが、実はラッコアニメみたいに直立しては動けない。北太平洋寒い海に暮らす。陸上に上がることはまれ。歩けないのはそれも理由

体毛は哺乳類一密生している。過剰な塩分を排泄するために、カワウソの二倍の大きさの腎臓を持つ。

よく似ているカワウソ食肉目イタチカワウソ亜科で、陸上でも水中でも生きることができる。

ビーバーは齧歯目ビーバービーバー属で、全く違う種類の生き物。

その他のイタチの仲間は挙げるのは面倒なので筒井康隆「虚航船団」参照。

見分け方


余談

ミジュマルラッコポケモンフタチマルダイケンキはより鰭脚類的なデザイン

クジラとかイルカとか

基本的に大きさでクジラいるかを呼び分けている。

実際、系統を見るとこうなる。

要するに、イルカという名前の生き物があちこちに別れている。

見分け方


余談

イルカ英語dolphinで、これは古代ギリシア語のδελφίς(delphís)に由来する。さらにさかのぼるとδελφύς (delphús)「子宮」にたどり着く。

一方、古英語ではmereswinと呼ぶ。Mereは「海」、‎ 「swīn」は「豚」※であり、奇しくも日本語の「海豚」と一致する。

※今でも豚インフルエンザのことを「swine flu」という。

ドイツ語でも「swine」。

参考

Wikipedia

Wiktionary

https://chigai-allguide.com/cw0272/

https://ito-ds.com/ito_zukan/kujira_iruka/ito_zukankujira.html

2022-12-15

ワイが追っかけてるYouTuber犬が年寄りになってて辛い

実際に飼うとお別れが辛くなりそうだなということでペットは飼わないことにしていた。

代わりにYouTubeペット動画を見ることにしていた。

ただ、五年くらい追いかけていたワンコ最近寝る時間が増えたり、ご飯を食べなくなったり、散歩動画が減ったりしていて気づいたことがある。

画面越しのお別れも辛いということに。

そして、今登録している18個のチャンネル(犬、猫、猿、鳥、カワウソなど頭数に直せば28頭)それぞれとお別れをする時が来ると考えるともう辛い。

甘い考えでバンバンチャンネル登録した自分の愚かさを嘆いている。

実際に飼った場合と画面越しだと愛着レベルが違うのは当然だし、実際に飼う一頭は画面越しの数十頭なんかと比較にならないのだとは思うが、

とはいえこんなんなら、YouTubeなんか見ずにいっそのこと犬一頭だけ飼っとけば良かったと後悔している。

2022-12-13

anond:20221213111150

筒井康隆の「虚航船団」はそういう話だったような(文房具側とカワウソ側で戦争のことを書いている)

冷静と情熱のあいだ」は、江國香織が女サイド、辻仁成が男サイドから書いた恋愛ものだよね

日本で作られる第二次世界大戦モノは日本目線作品が多いけど、それと同時に Band of brothers 太平洋戦争編(ザ・パシフィック)を見ると両方目線がわかって面白い

2022-11-22

サンリオデザインカワウソキリン改二は二次創作の一切を禁じられているらしいが、園児や低学年がお絵描きでそれらを描いても発見次第口出ししてくるの?

2022-11-06

20221106[アタック25]Next 2022年11月6日 音楽好き大会 2022-11-06結果

BSジャパネクストで日曜昼などに放送

10月からの本放送は1時「25」分からで「65」分枠に

BS1からボタン2回とか

ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか

地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報確認

 

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

・01 [ある楽器名前]ハープ

・02 立冬 りっとう

・03 火中の)栗(を拾う

・04 アリア

・05 [視聴者]すき焼き

・06 メタバース(工学部

・07 [すべて]カモシカ カワウソ アマミノクロウサギ イリオモテヤマネコ

・08 Superfly スーパーフライ

・09 フェルメール

10 [近似値]1403人

11 ジョン・フィリップ・スーザ

12 [さんぴん茶]ジャスミン(茶

・13 2(番

・14 『吸血鬼)ドラキュラ

・15 原由子 はらゆうこ

・16 ハカ

17 [ふるさとクイズ][女川町]段ボール

・18 [曲名最初文字]あかね

・19 50(円硬貨

20 [3択]コウテイ ペンギン

・21 富士川(の戦い

・22 アディショナル(タイム

23 羽目(を外す

24 [AC]小澤征爾 おざわせいじ

・25 [AC2]彫刻

・26 松岡昌宏 まつおかまさひろ

・27 [3択]ニッケル

28太平記

・29 インド

・30 『魔笛

・31e マリクワント

・xx [ある半島名前]下北半島

2022-10-23

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(1)

 世間流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。

 ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。

 ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫論文は「わきくさ物語」と題する一篇である

 これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西文学作品や文献に於ける腋臭体臭に関する記述比較したという内容である。今さら気づいたが、論文題名は『若草物語』のパロディである

 金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体臭い肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的日本中国では、身体臭いを讃美する文学作品記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的記述内容は見出される。日本文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である

 それはともかく、かのナポレオン愛人に宛てて「近々戦場から戻るから風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。

 しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚のものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから香り匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的記述が見られないからといって、体臭のものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出し源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合数学テキストで例として挙げられることもある。]

 とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である

 ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである

 さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。

 『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。

 この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。

 まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるもの記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。

 「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかからかに創り出されるイメージの、想像力による夢幻世界における営みであった。そして、日本女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」

 奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦論文著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである

 さて、小松和彦論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギ物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。

 死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギ禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。

 この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり黄泉の国でイザナギイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。

 小松和彦論文でも指摘されていることであるが、日本イザナギイザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国東晋時代書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。

 美しい女性結婚した男が、妻から「私は普通人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通人間女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったこから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である

 イザナギイザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である

 特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないか推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものであるさらに、類似物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。

 死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚表現重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。

 ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?

 とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。

 聴覚妖怪識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである

 触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。

 問題は、嗅覚により妖怪識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するもの人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたもの竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形混同されるようになったかである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間嗅覚ではなく妖怪嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。

 小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要役割を果たすのは、嗅覚聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである特に、愛の営みに関しては、そうである人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚重要性が高まることは、必然であるように思われる。

 とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである

―――――――――――――――――――――――――――――

 さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である

文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411

2022-09-16

anond:20220915224440

ツイッターの「こういうネタだけみていたい」っていうアカウントみるとカワウソや猫のニュースが多くてはかどるぞ

ブクマカに頼るな

2022-06-24

俺が考えたフラッシュモブ

清水寺舞台

欄干に川鵜が一羽、とまっている。

司会者安住紳一郎希望)が、川鵜に近づいて、マイクを前に差し出して、「カワウ?」と聞くと、川鵜はそれには答えず、舞台の下からたくさんの「ソー!」という叫び声とともに数百匹のカワウソが飛び出てきて、舞台に飛び乗り、ミュージックスタート! 川鵜もいつの間にか大群となり空を舞い踊り、カワウソの群舞とともにヒートアップ

恐れおののく安住アナを尻目に、一曲踊り終えると、もはや川鵜もカワウソも去り、舞台には気配もない。

以上。

2022-02-20

anond:20220220130956

夜へ急ぐ🦦「おいでおいで~♪」

(するひとアンタだれぇぇぇ!ってカワウソやで)

2021-10-10

カマキリ系の昆虫がそんなに居ないのなんでだろう

前足が鎌になってるのがそもそも凄いが、6足ある足を攻撃用と移動用に分けて運用してるのがすごい。

両生類哺乳類は4本しかいから前足を使うとなると二足歩行が前提になって常時二足歩行ほとんど完成させられてない。

りすさんとかカワウソさんとかお手手で色々できる人達もいっぱいいるけど。

昆虫さんは移動用に4本使いつつつ、残りは他のことにまわせる。

もっと前足二本を効率的進化させてる種類が多くてもいいと思うんだけども。

2021-08-01

anond:20210801000723

ある男が神のお告げを聞き、1回押すと人が一人死ぬスイッチを受け取りました。

男はそれが神より自分が授けられた使命だと思い、スイッチを押し続けました。

男は日頃の恨みやこれで世界が変えられるはずだという信念のもと三日三晩の間、スイッチを押し続けました。

三回目の朝を迎えたとき、男は体の気だるさと充実感に満たされ、眠りにつきました。

次に男が目覚めたとき、何もかもが夢だったのではと少し疑いましたが、彼の傍らには確かにスイッチがあり、彼の手には関節の痛みが残っていました。

男は自分がしでかしたはずのことを調べるためにテレビつけましたが、ヒルナンデスでは南原が笑っており、バイキングでは坂上忍しかめっ面をしていました。

チャンネルを続けて変えましたが、リモコンスイッチを押す手が痛むだけで、原因不明の死者増加のニュースはなく、世界は何も変わっていないようでした。

ネット確認しましたが、Twitterではvtuerが配信したゲームトレンドに入っており、ユーチューブではカワウソ動画お勧めされ、はてなはてなでした。

回数が足りなかったのだろうかとそこからまた半日ほどスイッチを押し続け、腱鞘炎になりました。

それでも世界は何も変わらずそこにありました。

男は痛みに耐えかね、 病院に行きました。

男は手の治療を受けながら、何もかもが嘘だと思えたらよかったのにと思っていました。

男には確信が二つあったのです。

一つは、自分にお告げをしてくれた存在が確かに神であったこと。

もう一つは神に授けられたスイッチが本物であるということ。

疑うことすら叶わぬ強烈な印象を神は持っていたのです。

男は足りないもの自分にあったのではないかと何度も何度もスイッチを押しましたが、世界異変は起こりませんでした。

それからしばらくは男は暇な時間スイッチを押しましたが、世界は何も変わらないのでめげてスイッチを押すことを止めてしまいました。

それから5年ほどたち、男がネットサーフィンをしているととある動画を見つけました。

それは自動車事故に合った男の動画でした。

全身が血だらけで、顔がつぶれたトマトみたいになった男がひしゃげた車体から顔をのぞかせて這い出し、ねじ曲がった体を動かしながら奇妙な歩き方でカメラに近づき、「キルミーキルミー」と話しかけてくるというものでした。

できそこないのホラームービーみたいな動画でしたが、よくあるネタ動画と違ったのはその自動車事故を目撃した大勢人物がいたらしいということ。

「キルミーキルミー」とつぶやく同じ男を別の角度から撮影した動画が他にも5つほど出てきました。

テレビをつけると「キルミーキルミー」の男が羽交い絞めにされ、病院に運ばれている映像ニュースで流れていました。

アナウンサーは「この事故は一昨日アメリカミネソタ州で起こり、男は病院に運ばれたそうです」としか言いませんでした。

病院に運ばれ間もなく死亡しました」という決まり文句を言いませんでした。

明らかに致命傷を負ったはずのトマト頭はまだ生きているということらしい。

それから世界は少しづつ変わっていきました。

病院の病床はいっぱいになり、町中には救急車の音が鳴り続け、大事から生還者のニュースは日に日に増えていきました。

どうやら世界で誰も死んでいないらしい。

メディアはおおっぱらに報道はしないがネットでは致命傷を受けているはずなのに死んでいないゾンビ動画にあふれていました。

男は押し入れからほこり被ったあのスイッチを取り出し、1回押してみました。

1時間後、例のトマト男が死んだという速報が流れてきました。

男はすぐさまネット検索すると、すぐに別のゾンビライブ放送が見つかりました。

男はスイッチを押すと、画面の向こうのゾンビはぐしゃっと音を立てて倒れました。

何度か同じような放送で試しましたが、ゾンビは男がスイッチを押した途端電池が切れたように倒れるのでした。

男はこのスイッチが1回押すと一人を殺すスイッチではないと悟りました。

このスイッチは死の許可与えるものらしいと。

また、とある人物に死因が訪れたとき、このスイッチがあらかじめ押されていたらその人物はすぐに死ぬ

しかし、死の許可を与える回数がその人物の前に切れていたら、致命傷を受けていたとしてもその人物死ぬことができず、生き続ける。

このスイッチは押した回数だけ、死の許可を予約することができ、その回数が切れると世界中の誰も死ねなくなる。

人をゾンビのままにするのも、殺すのもいまや男の意のままに操ることができます

男はそこでスイッチを連打しました。

気が狂うほどに高橋名人がごときスピードで、笑いながらスイッチを押し続けました。

男が押せば押すほど、死ぬはずだった人が順当に死に、世界ゾンビ楽園から元の死んだら死ぬ世界に戻っていきました。

男は人を殺す快感正義をなした高揚感で笑っていました。

それから100年後、男は体がボロボロになりながらもスイッチを押し続けていました。

昔は押すごとに高揚感のあったスイッチも今や彼の義務のようになっていました。

男は二つのことに気づいていました。

ひとつはこのスイッチは押すことで自分以外の誰かに死の許可を与えるものだということ。

自分老いさらばえた体でいつまでも生き残っているのはこのスイッチ自分が押しても自分に死の許可を与えることができないからだと。

その証拠に男は何度も何度も死に至るほどの痛みを経験してきていました。

そしてもうひとつはだましだましつかってきた自分の体に限界がきていること。

このままでは自分は死に至るほどの痛みを抱えながら動くことも死ぬこともできず、ずっとずっと生きてしまう。

そう思った男は死のスイッチ後継者をさがすことにしました。

なるべく他者容赦なく残忍で、人の死に快楽を覚えるほどストレスがたまっていて、腱鞘炎になるほど一つのことに熱中できるようなやつがこのスイッチにはふさわしい。

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