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2019-01-29

葬式不要

葬式BGMを考える増田を眺めていて、BGM遊びでさえ葬式不要論が出てきて、まぁはてならしいと言えばそれまでだが。

確か数年前、業者に頼まず自分で親を見送った増田レポートがあった記憶があるが、ああいものはあれでいてかなりシステマティックに世の中の仕組みができていて、業者に依頼しない=仕組みに乗らないで遺体を焼くのは割と面倒そうだった記憶がある。

この頃は葬式業者もお手軽パックもあるみたいだが、何だかんだでそれなりにしようとなるとお得感が無くなる、オプションなしだとかなり質が下がるという話もあるし、それほど簡単ではないかもしれない。まぁ彼らも商売から阿漕だなとは思うが仕方ないだろう、商売とは基本的阿漕ものだ。

簡単に死んで簡単野ざらしになれればさっぱりして良いなと思うが、残念ながら妙なところで現代社会には「ある種の厄介さ」があり、それを良いことだとも思ってはいないが、ことに生き死ににかかる諸々は出来上がってるシステムに乗ると割と楽だし人と違うことをすると悪目立ちしやすいという困ったところがあるのだ。

増田は親を二人見送ったが、多少金がかかっても出来上がっているシステムで楽をする方を選んだ。

親のうちひとりは病気で亡くなったのだが、死ぬ前の1か月はだんだん意思が柔らかく緩くなっていき、元気な時は「葬式無用 戒名不要」とか「その辺に灰を撒いてほしい」とか言っていたが、最期の病床では墓のことなどをぽつりぽつりと言いだすようになった。家庭の事情が若干複雑で、ある墓を引き継がざるを得なかったのだがその引継ぎについて口が煩いだけの親戚から了承を取る必要があり、まだ元気なころは墓はつぶす葬式もいらんお前たちも家を継ぐなんて考えなくていい、など言っていたのが、私に煩い親戚からの墓引継ぎの了承を取ってほしいと頼んできて驚いた。元気なころは生まれ世代からしたら相当アナーキーな考え方をしていた人だったので、本当にいいのか、別の方法散骨など)も考えられるがと聞き返したが、それでいいんだ、と言っていた。もう死んでしまったので本意は分からないが恐らく「それで(お前たちが楽な方が)いいんだ」ということだったのだろうと思っている。

もう一人の親は自宅での突然死だったので、もう色々(警察が来たりする)大変で、そのまま業者に頼むほうが気持ちも体も楽だった。というか詳しい人が助けてくれるのが金払ってでも有り難かった。検死も必要だし死亡診断書がないと焼き場の手続きが進まないし焼き場の予約も混雑してたこともあり時間結構かかって、ボディが腐らないかという心配がかなり頭の多くを占めていた記憶がある。先に死んだ親が墓問題を己が死に引き受けたくれたおかげで余計なことを一つ考えずに済んだのがありがたかった。

検死の結果、自然死だったわけだが、病院で死なないというだけでこれだけ手続きが面倒になるのか、そして病院(や誰か看取る人がいる場所)で死なないとこれだけ面倒なのかとかなり身と心を削られた。オフィシャルに死なない(医者などが看取らない)ということは、誰かが疑いの目で見るということだ。警察などからしたら疑うこともなさそうなのが一目瞭然であっても念のため疑わざるを得ないし、遠巻きの第三者はそのような「念のため」をすっ飛ばして、残った我々に色々な憶測を割と無遠慮に投げつけてきたりすることもある。親族などに親の死を連絡をする時はこういうフレーズだと角も立たずこちらも苦しくないです、と教えてくれたのも面白く、ありがたかった。儀礼コミュニティにおける知恵が企業によりマニュアル化されている面白さ。

身内が死んで1か月ぐらいは、なんていうか、生きている側であるこちらも生死の境にいるようなところがある。頭が回らないし究極の非日常でもある。そういう「境目」にいると体の負担も心の負担もかなり大きい。

業者に頼むと大抵のことは業者がやってくれて、ご遺族様なんて様付で呼ばれて下にも置かない扱いを受ける。参列者がまばらになった通夜ぶるまいの席で親族や親の友人知人たちにお礼を言って回っていて、気が付いたらまる2日たいしたものを食べてないな…とごちそうの名残を眺めていたら、業者私たち「ご遺族様」用に別に美味しそうにきちんと整えられた食事を用意してくれていたのがありがたかった。まぁそういう気遣い商売なのだろう。

ふたり葬式にはそれぞれ彼らが生きていた時によく聞いていたCDを自宅から持ってきてBGMにしてもらった。

どちらの葬式業者葬式会場で行ったが、通夜の日から翌日の夕方に骨壺になって帰ってくるまでの1日半程度は葬式会場がベース基地になる。勝手の分からないベース基地で、言葉は悪いが良い感じの時間つぶしが必要だった。スマホはてブなんかは、やはり見る気にはなかなかなれない。SNSも、動画サイトも、自分たち大人はもちろん、子供たちもあまり見たい感じではない様子だった。休んでいる間の仕事のやり取りでメール電話をしても、なんていうかしんどい確認メールを1本入れるにも、気持ちを整えて橋を渡ってまた橋を渡って戻ってくるというような隔絶感があった。

TVも置いてあったがこれもやはり見る気になかなかなれず、そしてクタクタのはずなのだがちっとも眠くならない。通夜番(とはいえ線香も一晩通して火が消えない蚊取り線香のようなぐるぐるした線香があったり(仏式です)と番をするような必要もないのだ)で残ってくれたごく親しい身内親族いたこともあって、ふと思いついて実家に一度戻って、親が好んで聞いていたCDを何枚か持ってきて、会場の音響設備を使わせてもらって聞いてみたら良かったのだ。

親と趣味を共有していたからということもあるが、この曲好きだったねとか、このCD家族ドライブに行くときはいつも持って行ってたよねとか、そういう話ができたのも良かった。そしたら業者がお好きな曲を流せますと言うのでそのまま持ってきたCD葬式にもかけてもらった。見送られる人も、そして何より見送る人も聞きなれた音楽が流れてたのは思いのほか、久しぶりに肺に空気が入ったような悪くない感じだった。

この辺はただの好みの問題だが、業者が用意しているBGMは、ふやぁ~ん系ニューエイジ風の環境音楽みたいなヤツとか耳に残らないようなクラシック室内楽とか当たり障りのないもので、ずーっと聞いてると逆に耳に障った。当たり障りのない音の方が良いという人も居るだろうと思うが。無音はかなりしんどいと思う。周囲が虫の声とカエル合唱みたいなところなら良いのかもしれないが、何らかの街のノイズがいちいち気になった。

これはほとんどの人がそうだろうと思うが、ネットTVラジオ等もほとんどの「日常情報」はしんどくなると思っておいていいと思う。なんていうかすごくしんどかった、「橋の向こうにある日常」が。

あとは業者にもよるだろうが、業者の言うままにすると、妙に感動的な当たり障りのない美辞麗句の式次第アナウンスとともに当たり障りのない感動音楽を流す感じだった。葬式内容の打合せで試しに聞かせてもらったのだが、こんなん葬式コントみたいだと笑っちゃいそうだったので葬式コント化を免れたのは結果的にすごくよかった。この辺は結婚式オールお仕着せでやるとギャーってなるのと同じ感じかもしれない。

2019-01-01

年始早々のクソ縁起悪い話

以下、正月早々縁起の悪い話かつちょいグロかつ胸糞な話なので苦手な方はスルーしてください。

まとめ

轢かれたネコ発見

どうすればいいかからずいろいろ電話とかして大変だった。

年末年始生ゴミとして扱うしかない、とのことでした。

ネコ自身にとってはどうしてほしかったのか悩む。

ネコを見つけた

から駅への細めの路地を歩いていたところ、道端で丸くなっているネコ発見

自分が住んでいる近所に猫エサおばさんがいるので、野良ネコ自体を見かけるのは普通だったのだが、この寒いのに道端にいるのはちょっと変だなぁと近づいてみる。

あきらかにいろんな汁が飛び散っているし、主に上半身のパーツがはみ出ていて、おそらくバイクか何かに轢かれて即死しちゃった感じでした。

死んじゃった哺乳類は目が怖いね。片目だけだったし。

どうしよう

周囲をきょろきょろしたものあんまり人もいなかったので、なんとかしないとなぁと思い寒空の下いろいろ調べてみた。

細い路地なのでおそらく市道 → 市の担当部門かに電話して相談

市の担当がわからない → 道路緊急ダイヤル(#9910)に電話して聞いちゃうのが早い

というわけで市の相談課に電話したのだが、

市 「年始なので整備課が動けないんですよ。

ぼく「どうしたらいいですか?

市 「…週明けに回収に行くようにします。

ぼく「え、丸一週間このままですか?

市 「えーと…、では再度轢かれないように道の端によけておいてもらえますか。

ぼく「え、冬とは言え、一週間放置は大変なことになりませんか? というかかわいそうすぎませんか?

市 「そうなんですよね…。大変申し訳ないんですが、いったん回収して生ゴミとして扱ってもらえませんか。

ぼく「え。生ゴミの回収も週明けですよね。

市 「そうなんですよね…。

という感じ。

ここは三方一両損ということで

ぼく → めんどくさいけどいったん家に帰り、ビニール袋を持ってきて回収+密封、近くのゴミ収集所に置いておく

ゴミ業者 → その収集所は最初収集日(1/4 金)は資源ゴミなので、生ゴミが出てると困る

ネコ → ゴミとはなにごとか!

まあ、いい落としどころではないでしょうか。

気になったこと① 都会の冬は冷たい

なんというか、いろいろ調べてる時に、いっしょに相談してくれる人がいてくれたらうれしかったんだけど、ネコそばを通る人は「うわ~…」っていう感じでガンスルーだった。

10人ぐらい通って全員足も止めなかったのでなんかさみしいなぁ、と思った。

自然消滅するとでも思ってるんだろうか…。

気になったこと② 死んだネコネコの形をした肉だ

で、自然消滅はしないわけで、一般的には誰がどうしてるんだろう。

いちいち警察かに連絡してるのか、近所のおばさんが庭とかに埋めてくれてるのか。

というか猫エサおばさんにちゃん責任もって処理してもらいたいところだけども。

少なくとも自分は、生ゴミとして回収するのが一番手っ取り早いというのがわかったので、今後はそうすると思う。

気になったこと③ メメントモリ

ネコ本人にとっては、どうしてもらうのが一番うれしかったんでしょうか。

動物は死期を悟ると群れから離れて人知れず死ぬ、っていう本能的な動きがあるので、死の間際とかはもっと目立たないところで死にたかったなぁ、って思ってたと思う。

ちゃんと森とかに穴掘って埋めてあげるのが一番良かったと思うんだけど、まあ野ざらしになってるよりはマシだと思うので、多少は感謝してくれてればうれしい。

2018-09-15

自転車にもドライブレコーダー必要だがどうしたもの

さっきスーパー自転車で買い物に行った時のこと。

信号のない交差点を渡ろうとして、左右から来る車が途切れるのを待っていた。

待っている間に向かい側にも車が来て、曲がるか直進するかするために、車が途切れるのを待つようになった。

かいの車はウィンカーを出していない、つまり直進するはずだ。

こちらとは交差点の真ん中あたりですれ違うことになるだろう。

左右からの車が途切れたので、渡りはじめて交差点の真ん中くらいまで来たところで、

かいの車は直進ではなく、こちらに右折してきた。

こちらは左側にハンドルを切り、向かいの車も後数十cmくらいのところで止まったので、事故にはならなかった。

が、危うく轢かれるところだった。

とりあえず道路渡りきって振り返ったが、

ナンバープレート確認しようとする前に向かいの車は右折を終えてそのまま走り去ってしまった。

仮に事故が起こってたらどうなっていただろう。

かいの車はこちらの存在を見落としたばかりか、ウィンカーも出し忘れるようなドライバーだ。

自転車が急に飛び出してきた」とか

(自分がとっさに左ハンドルを切ったことを逆手にとって)「自転車は斜め横断をしようとしていた」とか言っていたに違いない。

自転車にもドライブレコーダー必要だ。

だが、どうやって維持していくかが問題だ。

毎回着脱するのは面倒だが、24時間野ざらしだとあっという間に壊れるか盗まれるかするだろう。

どうしたものか。

2018-08-03

anond:20180803160411

少ない小麦を膨張させる薬とか

この薬を混ぜれば機械に素材が引っ付かなくなるから掃除の手間が省けて楽だとか

植物油なら冷蔵庫不要で常温保存できて野ざらし段ボールで十分とか

技術革新消費者利益方向だけじゃなくて詐欺不正技術も発達するから未来にあるのは理想社会だけではない

2018-02-26

anond:20180226012551

一般車両ですし詰めになって四方八方男性に密着されて囲まれてる女性のことね>野ざらし大金

anond:20180226012142

家に鍵かけるのはいいけど大金が入った金庫が庭で鍵もかけずに野ざらしなんですが

2017-12-14

anond:20171214190425

自分場合英語だった。

中一の頃、すごい差別する英語教師先生嫌い→英語嫌いになった。

で、遂に一度も追いつけずに学生生活を終えたよ。

塾に行けば…っていうのは少し違うかな。

基礎のないま進学塾に行ってもチンプンカンプンだしね。

復習塾、しか個別指導の塾なら取り戻せるかもしれないけど、

そういう塾はお高いでしょ?

一番良いのはとにかく遅れないことなんだけど、

人それぞれ理解度は違うのでそれは理想しかない。

日本教育システム理解が遅い人はおいていくし

マラソン大会のように救護車が拾ってくれるでもなく放置

自分でどうにかしないと野ざらしで朽ちていくだけという。

2017-12-02

餅つき大会

住んでるマンション明日餅つきがあるみたいなんだけど

餅つきに使う釜とか臼とかがすでに公園に設置されて野ざらし放置されてんの。

悪意を持っていたずらするような人は住んでないとは思うんだけど、土ぼこりとか普通に入りまくりだと思うんだけどオッケーなんか?

別に参加しないからどうでもいいだけどさ。

こっそり体液とか塗りたくったら近所の子供に食べさせられたりしちゃうんじゃないのこれ。

2017-07-08

けものフレンズ面白さの本質

けものフレンズ』の面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観から抜け出しているところにある。

少し補足すると「抜け出している」という意味は、ある価値観に反発したり、故意に避けたり、過剰に抑圧したりすることではない。一例を挙げると「あんなクズな父親のような人間には絶対にならない!」と考えることはすでに父親の重力に捉えられている、ということだ。

もうひとつの「ガイナックス的なアニメ価値観」は少し複雑だ。細部へのフェティッシュなこだわり、現場いぶし銀技術者ひとつの生物のように有機的に躍動する集団、学校文化と官僚システム/軍組織への熱い礼賛、マスメディアやと民主主義への蔑視……古い世代のアニメオタクの王道ど真ん中の価値観。この価値観の根底には「責任のとらなさ」がある。これについては後述したい。



私自身、『けものフレンズ』は話題になっているのをtwitterで見て、5話くらいから興味を持った後追い組のひとりだ。徐々にハマり、最後にはとても感動した。けれども、しばらくたってもその面白さをまったく言葉にできないことに気づいた。まるで「解」だけが前触れなく控えめに差し出されたようだった。この困惑について、福原慶匡プロデューサーインタビューで語っている。


「皆さんも、なぜ魅力を感じるのか、はっきりとは言語化できてないと思うんです。食べ物でも、なぜかクセになっちゃうみたいなものってあるじゃないですか(中略)というのも、僕が5年前にその感覚を経験しているんですよね(笑)http://a.excite.co.jp/News/reviewmov/20170327/E1490547358865.html

放送終了後、ネット上でいくつか探してみたが「大ヒットの理由」や「エヴァとの共通点」などIQの下がる批評しか見当たらなかった。その清新さや核心について書かれているものは無かった。自分で分析してみてもやはりわからない。一見すると『けものフレンズ』は、パワプロで喩えるなら「オールBでよくわからない特殊能力がたくさん付いている外野手」だ。ツッコミどころがあるようで、よくよく見ていくと隙がない。(あくまでも「一見すると」であり、構成についてはほんとに素晴らしい。監督自身は「怪我の功名」と謙遜するアライさんパートは発明と言っていいぐらいだ)

たつき監督の過去作を見ていくと、クオリティをまんべんなく上げた作品を作るというスタイルは昔から共通しているようだ。『けものフレンズ』では登場キャラクターの紹介とストーリー展開を均等に進め、両者が高いレベルで一体になることを目指したという。インタビュー記事最終話放送直前! アニメを作るのが得意なフレンズたつき監督に『けものフレンズ』の“すごーい!”ところを聞いてみた!!」(以下、「最終話直前インタビュー」)ではこう話している。

「「キャラ先論」「話先論」があると思うんです。そこをまったく同じパーセンテージか、行き来をすごく増やして、キャラ優先なのか、お話優先なのか、わからないレベルでその2つが有機接合できるといいなと考えていました」http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12855680/

ところで、仕事でも3Dアニメを作り、休みの日も3Dアニメを作っているというたつき監督だが自主制作アニメ『眼鏡』発表後の2010年に行われたインタビューでは興味深いことを語っている。ここに一部抜粋したい。

―― アニメはお好きなんですか。

たつき 大学時代に「アニメ作りたいわー!」とか思い出したころからちょいちょい見だしたんですよね。

―― 「すごいアニメ好き」みたいな感じじゃないんですね。そもそもアニメをあんまり見てなかったのに、なぜアニメを作ろうと?

たつき アートアニメみたいなものは学校で見させられていたんですけど、もっと俗っぽいほうがいいなと思って「眼鏡」を作りましたhttp://ascii.jp/elem/000/000/532/532388/index-3.html

本人の発言を鵜呑みにするわけにもいかないが、そう質問せざるを得ないなにかを質問者も感じたのだろう。確かに『けものフレンズ』は熱心なアニオタが作ったアニメという感じはしない。1話の出会いシーンと休憩のシーンが例外に思えるほど性を表現すること行わない。その他ではペンギンの脚やカワウソのケツぐらいだ。もちろん全年齢向けというコンセプトもあるだろうし、動物と人間という認識の違いに厳密に取り組んでいることもある。だが、繰り返し見てもそこに「ほんとはエロくしたいけど抑えよう」や、「萌えを感じさせよう」などという作為が感じられない。肩の力が抜けているというか、監督の視線が別のところを見ているような奇妙な感覚があるのだ。

話題にもなったペンギンの脚については「最終話直前インタビュー」で、こだわったポイントは肉づきであり、それは未だ言語化できていないパラメーターと語っている。やはり焦点が別のところに当てられているようだ。このたつき監督独特の感覚について、チームの中では「ガラパゴス的」「ほどよく鎖国している」「天然」(「最終話直前インタビュー」)と表現されている。

たつき監督の制作に対するスタイルがかすかに見えてきたが、根本的なところ、なぜ面白いのか、なにが新しいのか、どこが違うのかが一向にわからない。繰り返し観ても「サーバルちゃんかわいい」「言われるも!」以外にこの作品を語る言葉は見つからなかった。

そんな時『シン・ゴジラ』についてのツイートたまたま視界に入ってきた。ああ、あの作品は私にとって全然ダメだったな、なぜってあれはオタクのウェーイだったから。だから受け入れられなかった……だからけものフレンズ』は良かったのか。本来なら過去や同時期に放送された作品に触れ、その違いを論じることで導き出すのが正統な論証だろう。だがここでは『シン・ゴジラ』を補助線に引くことでショトカしたい。

シン・ゴジラ』はあの庵野秀明監督による作品だ。詳細は割愛しよう。宮台真司の批判とか概ね同意だ。私がアレルギー反応のような拒否反応をおこしてしまったのは別の部分になる。同作でも、指揮命令系統のフェティッシュともいえる再現、圧縮された膨大な情報量、巨大な生物のようにフル回転する官僚機構がたっぷりと描かれる。ああ庵野秀明だ、ああガイナックスだと感じた人も多いだろう。ただ、結構な面積が焼き払われ、放射能に汚染され、東京の中心で彫像のように固まったゴジラが実写として映し出されるとシニカルな感想も浮かぶ。「想定外の天災」とはいえ主要な登場人物はなんの責任も取らないだろうな、“庵野秀明から”。

ガイナックス庵野秀明に代表される彼らが、凝縮し、エッセンスを取り出し、世に提示してきた価値観。古い世代のオタクの王道ど真ん中の価値観。そこには、新兵器があるなら使おう、ボタンがあるなら押そう、ロケットがあるなら飛ばそう、人類補完計画があるなら発動させよう……後は野となれ山となれだ、という姿勢がその根本にある。責任の取らなさ。それが露出してしまうと、フェティッシュに埋め尽くされた119分はオタクが「ウェーイ!」とはしゃいでいるようにしか見えなくなる。

新しい爆弾が作れるなら作りたい、作ったなら使ってみたい。そういう欲望はギーク価値観として近代には普遍的にあるものだろう。それは責任とセットになっていなければ極めて危うい。『ジュラシックパーク』(1作目)に出てくるでぶが度し難いように。『シン・ゴジラ』の官僚たちは誰一人弾劾されず、断罪されずスムーズに復興へ移っていくだろう。彼らの合理性なら、半減期が2週間なら翌月から暮らすことができるだろう。三権が一体化した効率の良い行政システムを築くだろう。責任を切り捨てたからこそ、フェティッシュの興奮に耽溺できたのだ。棄てられた責任野ざらしにされ担う者はいない。

2000年代2010年代アニメにおいてもガイナックス的な価値観は揺るいでいない。おそらくこんな声が聞こえるだろう。「『ハルヒ』は?『らき☆すた』は?『けいおん』は?『まどマギ』は?『化物語』は?日常系を無視するなとんでもない!“大きな物語”をまだ求めるのか?!」このあたりはもっとその分野に詳しい人の評論を待ちたいと思う。私の見立てでは、それらは(主に女性の)キャラクターについてのフェティッシュを深めたにすぎず、逸脱はしていない。フェティッシュに注力すればするほど与えられた価値観の中での反復行為となり、自らをその価値観の内部に限定させるという結果を生む。そして、目を背けた価値観のもの形骸化しながらもしっかりと保存され、視聴者を貴族的な愉しみという隘路に導く。

もし汲々とした再生産のサイクルの中にどっぷり浸かった人なら、そこから抜け出すには並々ならぬ苦闘と意志が必要だ。たつき監督にはそうした努力は必要なかっただろう。『けものフレンズ』は最初から“できている”。

これは自由の味だ。

ジャパリパークではフレンズたちは当たり前のように責任を持ち、細部へのこだわりは新しい領域に向けられているがそれ自体に耽溺していない。古い価値観を超えるものを作ろうとして頑張った結果やっとできた、ということではなく、初めからそうした問題意識のものが存在していないかのように新しい価値観を持っている。それほどあまりに自然に表現された作品として我々の前に現れた。

可能にしたのは主に3つの要素からなる。「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」。この3つは密接に関係している。「手書きには温もりがある」という言説は否定できないが、大勢が1枚1枚セルに色を塗るという時代ではなく、1人である程度は全部作れる3DCGという環境がたつき監督にとって不可欠なものだったことは想像難くない(実際はirodori時代から分業していたことはブログからも伺えるが、作業量や機材を比較して)。Wikipedia情報によると、彼はサンライズ作品のCGを担当することで商業的なキャリアスタートさせ、以降手がけた仕事は一貫してCG関係だ。これがもし手書きスタッフとしての参加なら、今の形の『けものフレンズ』は存在しなかったし、たつき監督もおそらく従来の価値観に染まっていただろう。

3DCG上で現在主流の2Dの表現をそのまま再現することは難しい。「不気味の谷現象」ではないが、3DCGから2Dアニメに寄せようとすれば違和感が増え、それを克服するためには新しいアプローチ必要になる。たつき監督はレイアウト(構図というよりも画角)の段階からキャラクターの正面を巧みに演出し、同時に正面ばかりで飽きさせないように一話一話を構成することでこの問題に挑んでいる。技術的な分野における刷新、さらに強く言えば断絶。これにより従来のアニメ表現から自然と距離をとることができたことは『けものフレンズ』にとって幸運なことだった。

次にバランス感覚が挙げられる。たつき監督のスタイルにも作品の全てをコントロールしたいという欲望が見える。映像作家としてこうした欲望は一般的ものだ。ただ、「監督、コンテ、演出、シリーズ構成脚本たつき」と商業アニメで網羅しているのは尋常ではない脚本についてはWikipediaの項目を参考にした)。福原Pは、その秘訣はレイアウトからビデオコンテ、セリフ、声の仮当て、声優への細かな演技指導、修正、差し替え、調整という全ての作業をやりつつも「作業のカロリー計算ができる」ことだと語っている。

「そこらへんはプレスコで作ってきた『てさぐれ!部活もの』の経験が活きていると思いますたつき君はその場のグルーヴ感で「これはやったほうがいい」と思ったら作業しちゃうんです。その後のカロリー計算も、しっかりできる人」

http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395

「北風がバイキングを作った」ではないが、繁忙期は1ヵ月ほぼ泊まり込みだったという『てさぐれ!』における過酷な進行がたつき監督を鍛え上げたことは間違いない。余談だが、ファンによるスタッフロールの解析やたつき監督のTwitterでの発言から、『てさぐれ!』2期からirodoriメンバー関西から呼び寄せたようだ。一部で話題になった出来事もこのあたりに遠因があるのかもしれない。閑話休題

福原Pの言うカロリー計算とは、「作業量」と「かかる時間」と「納期まで時間」を正しく見積もることができるという意味だ。結果、各話を見ても全体を通して見てもまったく破綻していないばかりか、各話のバランス、全体のバランスがとても良い。ほとんどの工程にアクセスし、手を入れ、なおかつどこか一場面に片寄っていないということは特筆すべき能力だ。このバランス感覚ミクロの視点とマクロの視点、ミクロの作業とマクロの作業の両セットを備えていないと成り立たないものだろう。シナリオ含め、一貫してたつき監督の思想が反映された『けものフレンズ』。そこでは、「美少女の細部にひたすら耽溺したい」というような偏ったフレームは分解され、ごく抑制の効いたボリューム/表現としてバランスが整った形で配置されることになる。

最後は、アニメばかりを見ていないアニメ監督。これは富野由悠季が公言し宮﨑駿も暗に語る「アニオタが作るアニメはつまらない」という言葉の裏返しであるたつき監督がケニア育ちだったから、というわけではないが本人の発言ではアニメを「ちょいちょい」見るようになったのは大学で「アニメを作りたい」と思った頃からだという。この時点で「東浩紀は『セーラムーン』をリアルタイムで観ていなかったニワカ」とディスられたレベルでのガチのアニオタではないとも言えるが、ここではirodori制作の短編を元に検証してみたい。

1作目『眼鏡』にあるのはメガネ萌え主人公エヴァギミックNARUTOアクションジョジョネタ(格闘ゲーム版)、東方という、既視感のあるオタネタだ。テンポの良さやオチの付け方など評価できるポイントはあるが、お約束というメタ設定(いくら殴られても負傷しない、カエルが空を飛ぶ、怒りで異形化、いくらでも撃てる弾薬など)のあしらい方はごく普通オタク価値観を共有している人向けに作った短編という印象だ。

続く『たれまゆ』では全体的にパステルカラーキャラクターの柔らかい描写に取り組んだことが見て取れる。手描きによる2Dアニメで制作され、架空の田舎の超常的儀式を通して小さな世界が描かれる。しかし、作業コストが高かったのか、合わなかったのかこの後は2D手書き手法は行われていない。

第三弾『ケムリクサ』では再びソリッドな3DCGに戻る。NARUTO風のアクションレベルアップし、設定も作り込まれている。リナちゃんズと呼ばれる5人の可愛らしさと非ー人間ぽさには独特の魅力がある。『眼鏡』のようにネタをそのままネタとして扱うことはなくなり、説明は最低限。たつき監督の作家性の輪郭がはっきり見えだした時期だろう。30分弱の作品にかかわらず、構成やカット割りに無駄がなくかなり洗練されている。しかし、完成度の高さと裏腹に、注目を集めた『眼鏡』よりも再生数や評価は低調だった。ニコニコ動画の過去のコメントを見ると『眼鏡』の軽いパロディのノリを期待する声が多く、制作側としては不本意な結果だったのではないだろうか。ここでは、1作目でふんだんに盛り込んだパロディで注目を集め、2作目では手描きアニメに挑戦。結果、手描きからは撤退し3作目では3DCGでストイックな作品に挑戦したという流れを指摘するに留めたい。

4作目となる『らすとおんみょう』は福原Pと出会うきっかけとなった作品と言われているが、1話を作ったのみで未完となっている。女性のキャラクターの表情はまた一段レベルアップしており、3DCGの中で2Dアニメ表現に歩み寄りたいという制作者の努力が見て取れる。何がこの作品を放棄させたのかは推測でしか語れない。多忙となったためや、異国の魔女と「適当だけど超強い男子中学生っぽい陰陽師(の下請け?)」が子作りするという設定に着地が見出だせなかったのではないかと思われる。現在残された多くの断片からは具体的な落としどころは示されていない。同作はいわゆるハーレムものの構造を取っており、一方でたつき監督の描く萌えはごく控えめだからだ。

5作目となる『のための』はirodoriとして最後の自主制作作品となった駅長さんシリーズ。できあがった時期は前出の『てさぐれ!』の激動を超え、プロフェッショナルとして確立した後になる。正確には『らすとおんみょう』より前に断片的な映像が出ていたが途中に長い中断があり、実質的に『てさぐれ』後に作られたものとみなすことができる。時系列で書くと2012年に2年がかりで『ケムリクサ』が完成。2013年前半に『らすとおんみょう』(1話)。2013年後半から2015年まで『てさぐれ!』シリーズ2016年8月末に『のための』が『駅長さん フル版』(以下、『駅長さん』と便宜的に表記する)として完成した。この作品は5分という短い時間ながらプロの仕事というべきものだ。目が描かれていない駅長さんの動く姿には、これまでに向上した技術が昇華されシンプルな姿で完成している。

ここで「アニオタの作るアニメ」(以下、オタアニメ)の定義について考えてみよう。もちろん厳密な定義などできようもないが、本文章が求める要件は「特定の層だけをまなざしている作品」であり、具体的には「アニオタ視聴者を満足させることを目的とした作品」であるたつき監督は『眼鏡』では明白にオタアニメを目指し、続く『たれまゆ』では本格的に手描き2Dを試み、より迫ろうとした。ここで最初の転機が訪れる。手描きという手法があまりにハイカロリーだったからか、ここでこの方向は放棄された。なろうと思っていたがなれなかったのだ。以降、アニオタ視聴者をメインの観客に据えることはなくなり、アニメばかりを見ていないアニメ監督として本来の姿、幅広い層へアプローチする道を歩むことになる。

ケムリクサ』の段階で3DCGによる手法に迷いはなくなり、削られたカットからも抑制の効いた演出を志向していることが見て取れる。この作品から作風が変わったようにみえるのはテーマシリアスからだ、という批判も予測されるが「ストーリーシリアスになる=オタクに媚びていない」という短絡は採用しない。実際、表向きはオタク向けの作品ではないと装いながら水面下で「今回はこういう感じで行くのでひとつよろしく、へへへ」と、メタ構造(オタアニメにおけるお約束の構造)やメタ構造を逆手に取った仕掛けを差し出すという交渉を行う作品は実に多い。同時に「まったくオタクに媚びてませんよ」という宣言は、冒頭に挙げた父親の比喩と等しく、オタアニメの枠組みから実は一歩も踏み出していない。『ケムリクサ』では前2作であえて“なろう”とした努力が消えている。木の枝が河に落ちるように自然に、観客と交わす密約もなく、反発もなく、媚びていない。ピンポイントに評価される層よりも広い範囲をまなざしている。『眼鏡』よりクオリティは高いにも関わらず受け入れられなかったことは間接的な傍証になるだろう。

『らすとおんみょう』ではその揺り戻しといえる現象が起こっている。ギャグテーマTwitterで発言しているが、いかにもオタアニメという構造(そのままアフタヌーンあたりで掲載されても不思議はない)にチャレンジするも1話を完成させた後に頓挫。理由は色々考えられるが、これまで見てきた通りハーレムものの企画自体がたつき監督に合わなかったと考えるのが妥当だろう。この時期が2度目の転機になる。ある程度スタイルが固まったのだ。それは『ケムリクサ』で表現されたスタイルの延長にありジャパリパークへ続く道だ。キャラクターに瞳を描くことさえ取り止めた『駅長さん』は『らすとおんみょう』の続きは作らないという静かな意思表明とも受け取ることができる。


再び繰り返しておきたいのは「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」この3つはどれかひとつが先立つものではなく、お互いに深く関連しており不可分なものだ。『けものフレンズ』ではこの全ての要素が花開いている。この作品に超絶的な技巧が込められた作画や、ぴちぴちとした美少女あるいは美男子を求めることはできない。あるのはサバンナに向けて開かれたような、開け放たれた窓だ。振り返ると、室内にはエヴァ以降20年にわたる作品がある。時代を代表する色褪せない傑作もあるだろう。でも、もう昔の作品だ。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、清々しい朝日に貫かれた後では、戸惑いつつも思い知らされるのだ。どれだけ偏狭な価値観に縛られていたか。こんなにもこだわっていたものは汲々としていたか。自由とはこういうことだったのかと。

自由の味。開放されるということは、決定的に変わってしまうということでもある。一度開放されたことを理解してしまうと、重さの無いなにかが失われてしまい、二度と戻ってはこない。それを無視して、例えば「エヴァけもフレ」というように馴染みのある文脈に引きずりこみ安心することもできる。「ローエンドなCGでもいいものは作れるんですよ」と心の平穏を装うこともできる。でも、そういうことはもうやめにしよう。『けものフレンズ』はこの20年間潜在的に待ち望まれていたアニメばかりを見ていない監督によって作られたアニメなのだ。その面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観とは別の場所に立っていることによるのだ。私はたつき監督の成果に最大限の賛辞を贈りたい。素晴らしい作品をありがとう

ただ、アニメを見る目がこれまでとは違ったものになったことは少し寂しく感じてしまう。世に次々と出てくる新しい作品がどれだけ面白くても、それらが“過去の遺跡の新作”ならばそれだけで手放しで楽しめなくなったからだ。つまり、ちょっとした困難をかかえこんでしまったことになる。でもそんな心配はあまり気にする必要はないのかもしれない。なぜなら、すでに誰かが言っていたようなのだ。困難は群れで分け合えと。

2017-01-21

ビールを飲むのにビアバーを進める理由

ボトルを買い込んで家で写真とともに載せている人をよく見かけるが、ビールを本当に楽しみたいならば、ビールを専門にしたバーに行くべきだ。

理由を大きい順に書く。

一つ目は「店は人脈の代わりになる」こと。

このビールはどんなビールですか、こんなビールが好きなのですがおすすめありますか、など質問できるのはもちろん、お店でイベントをやっていたり、またはビール関係のチラシやフリーペーパーがあったりして情報が得られる。ただしある程度空気を読む必要がある。

二つ目は、飲食店向けの樽でしか提供されないビールは意外と多いということ。

海外ビールでも樽生のみという商品はたまに見かける(これは、瓶よりも飲食店向けの樽生の方が捌けやすいという理由なのではないかと思う)が、国内クラフトビールメーカーでも大半は瓶詰め設備を持っていないため、樽での流通が大半となる(ちなみに瓶詰めを委託しているメーカーも多い)。

また、今やスーパーでもよく見かけるコエドでも、樽のみの商品はかなり多い。

その他レアケースでは、マニアック飲食店が自店専用に醸造または輸入しているものもある。

三つ目。全てが全てではないが、流通において、ビールの扱いはあまり良いとはいえないことがある。

特に「要冷蔵」の表記がついていない海外ビールは、日本に着いてから野ざらしだったり、店でも常温で陳列されたり、ひどい場合日光さらされていることもある。

ビールにこだわりのある店であれば、仕入れ、保管、提供まで一定の質をキープしていることが多い。

あくまで傾向というか経験則なので、補足的な理由という程度で認識して欲しい。

以上。

蛇足だが、おいしいビールを飲むには金を惜しんではいけない。一杯千円なら安い方。そしてなるべくいろんなビールを飲んでみて、自分の好きなビールを見つけて欲しいと思う。

2016-12-15

自分の部屋で1人になって布団に入ってる時がストレス指数ゼロ

外に出たり、人が近くにいるとどんどん高まる

からなるべく仕事しろなんにしろ外出するときは目一杯準備に時間をかけて遅くに出発してる

外に出るとおかしくなりそう、泣きそうキレそう、前と比べたらマシになったけど、通りすがりに道端の看板壊したりもうしない、頑張って普通の顔にしてるから

頑張って普通の顔にしてるのになんで決まってる時間の5分前とか15分前とか30分前とか2時間前に家を出なきゃいけないの

そんな人を苦しめて楽しいのかお前らは

なんでそれで殴られて文句言うの、都合が良すぎるお前らは

ストレス指数マイナスになって快楽に転じる事なんてない

楽しくなくて布団に入ってるのが一番マシ

マシを守ることなんてなんてささやかなんだろう

ささやかなんだからいいでしょ

あんたら強欲だね、それを認めろ、自分を罰しろ恥じろ懺悔しろ野ざらしにされろ

2016-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20160516200723

for文満載とか、これだけのことするのに、やたら長いコードだとか、いろいろつっこみどころあるけど、

とりあえず、配列

this.PenLog=[];

で、 PenLog.push([Pen,pos]);

とか、配列プッシュして積み増してるのが、関数型と標榜するコード野ざらしになってるのが気になるし

ミュータブルだ!とまでは言わない。積み増してる)

この調子もっと複雑なコード書こうとするといろいろすぐ破綻しそうだというのは書いてる君がよくわかってるんじゃないかな?

あと例のわけわからんインデックス」で現在状態を取得するみたいな実装がどこにあるのか?

状態渡し」の関数型でなんでもできるようなこと喧伝している嘘くさい連中と変わらん。

2015-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20151218180345

個人的には初詣なんて行きたくもないし死んだら葬式なんてせずに適当野ざらしにでもしてくれればいいと思ってるけど社会がそれを許さないんだもの

2015-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20150905182757

死後あの世に行きそびれて現世を彷徨っている状態の姿だから死に装束を着せて弔われたのなら死に装束で、落ち武者のように死体野ざらしになったら死んだときの服装で、という感じじゃないか?

枕元に立った父さんが普通の服を着てるのは、最近葬式では死に装束じゃなく普通の服装でお棺に入れたりするからだろ、きっと

2015-08-03

ヒッチハイクロボットアメリカでぶっ壊されたことより今まで成功した国があることのほうが驚いた

日本だとカカシか何かに思われてスルーされて野ざらしかそこらの悪ガキにいたずらされて終わりだろうな

2014-09-15

アニメ感想する上で倦怠感とか覚え出したら休憩を取る事

とにかく見るのが辛くなったらゲームしたりゲーム動画見たりして

気持ち落ち着かせてから再度アニメ鑑賞に挑戦すればいい。

当り前だけど、アニメイライラする時は作画崩壊とか脚本役不足的な要素も多分にあるんだけど

一番は集中力の欠如が原因だろう。

例えば、1話から一気に見続けられるアニメって日常系作品(ex.みなみけとか男子高校生の日常とかご注文はうさぎですか?とか)が該当すると思う。

何故なら余計な頭使わなくて済むのが最も集中力連続的に持続する事が出来るためだ。

逆に宇宙SFモノとか推理モノならネタが満載だし大人数が登場するし、何より単語量が多くて知恵熱出したりするから耐えられない。

特に推理ミステリーオカルト系は先が気になる反面、いちいち考察しながら感想しなくては行けなくなる。

普通アニメブログを何年かやってる人は容量を掴んでる人が多い割にその実、めんどくさがりも多いから、一度でもこの回を見忘れたり

見切ると感想も当然切られていくし、それが多くなり易い弊害もある。

最悪そのクールは何も感想してなくて野ざらし状態のブログサイトもちらほら見える。はてなダイアリーアニメブログをやってる人は特にこの傾向が強い。

そして日常的に記事は出すけど中々感想に踏み切れないまま、記事タイトルけが寂しく放置されたまま何か月経つと言う事もままある。

アニメ初心者ほど色んな作品に手を出しては文章量も短いから続くけど、長年やってるアニメブロガーは多くが自分の見たい作品趣味ごとにチョイスして分けて見るもので、

整理整頓が好きではないけど長年の経験からカテゴリ分けを丹念に、今までやってきたからと惰性で編集して毎日過ごす人も多い。

このアニメ面白い今日このアニメ神回だったと他のブログで見るや突然更新し出すのも惰性アニメブロガーの特徴だといえる。

話を戻すが、アニメは視聴だけでも段々飽きが出てくる。

稀に超大作でガンダムとか、進撃の巨人とかまどかマギカとかラブライブうたプリみたいな人目を引くアイドルアニメブログ界隈どころかメディアでも話題になったりすると

視聴してやるかという尊大な気持ちで見て興奮して感動する人も少なからずいる。

そういう連中の中にはアニメブロガーがいて、アニメで倦怠感を覚えて一時的ブログから離れてた人だっているはずだ。

そいつらがまたキーボードを叩こうというのならば、それはそれでいいと思う。

そう言う人間は一度でもアニメを見始めたら途端過去アニメ感想はどうだったかなと気になり始めて最後にはやっぱりもう一度視聴して感想しようという気持ちになる人が殆どだろう。

要するに倦怠感を覚え出したらとりあえず一呼吸するとかこまめに休憩を取ったり全く別の事をしたりするのが一番だ。

最も簡単な事のようで実は誰かに言われないと理解出来ないのがこれで、もう何年もブログ更新してないアニメブロガーが最も陥ってるのがこれなのだ

誰かがまたやって下さい、もう感想しないんですかとコメントをしてくれたら、もしかしたら何年か経ってきっかけが出来たらそれを励みにアニメブログをやり出すかもしれない。

気長に待ってるユーザーもいるわけだから、せめて記事に「しばらく休みます。探さないで下さい」みたいな気の利いたあとがきを残してくれた方が本人も後腐れがなくてすっきりする、という事もある。

なので、こうしなければいけないと気を張る必要もないけど、倦怠感を覚えたらとりあえず休憩してみてはいかが?

2014-08-31

生理現象に正直

ボクは普段から正直な人間なのだが、お酒を飲むと更に正直な人間になってしまう。

生理現象に。

血中アルコールを分解するのに糖を使うから血糖値が下がり、飲んだあとにラーメンが食べたくなるとか、脱水状態になって翌朝口渇感で目が覚めるとかは当然。

一番は排便排尿だ。

もちろんトイレットがあればそこでするので、粗相をしたりするわけではないのだが、一番の鬼門飲み屋を出た後。

飲み屋から家まで歩く時が耐えられないのだ。一度は、嫁実家の近くで立ちションをして嫁に見られた。

昨日はというと、もうどうしてもウンコが耐えられなくなった。

さっき食べた唐揚げが胃の中に入ったのだろう。

これが胃・大腸反射というやつだ。

胃の中に食塊が入ると大腸の蠕動運動が亢進するのでウンコがしたくなる。

野糞をすると一番に便器のありがたみを感じる。

便器のしたに溜まっている水。

そこに吸い込まれるウンコ。水の中に落ち込むため、便臭がしないのだ。

一方で野ざらしにされたウンコは辺りに臭気を放つ。

ああ、人間ウンコってこういう臭いがするんだなぁと気付かされた。

からウンコがまだ残っているか見に行こう。

そして臭いがまだするか確かめに行こう。

2014-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20140525201444

様々な形態で利用されているエネルギーが既に海外依存なのに、電気だけの自給率低下を騒ぐのは、食料自給率ガーと同じぐらいアホ

エネルギー安全保障なんてホルムズ海峡封鎖がすべてで、そうなったら終わり。原発の有無なんて意味のない安心料。

もとから海外依存しか成立しない日本エネルギーの中で電気限定して震災前でも30%、今は0%でしかないもので、電気なんて民間企業商品しかなく今更もう国が出てくる必要なんかないよw

安全保障いうなら福島野ざらし原発ノドン打ち込まれるとか、セキュリティ的に防御できない原発国内に抱えているほうが余程リスクだろ

2014-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20140509181846

伝説化してるような天才

これ、すげー知りたいw

今ではもう幻とか都市伝説に近い存在だけど、戦前とか戦後すぐとか、大学生のものが少ない時期には多かったのかもねえ

それはそれで師弟関係のしばりがきつそうでいやだけど

今は今で競争が激しすぎていやだなあ

そこそこ能力はあるんだけど、研究ポストが取れるほどの能力には足りない、みたいな人が救われない状況になっててなんとも能力野ざらし状態の廃墟な感じ

もったいないなあ

2013-10-15

自転車

重さに耐えるばかりで壊れちゃった自転車野ざらしで夜を明かす

誰も取りに来ることは無い 誰も見向きもしない錆に覆われた役立たずのゴミクズ

その内周りにゴミクズだんだん増えてきて自転車は寂しく無くなった

寒い日も暑い日も誰かは側に居てくれる 錆は剥がれていった

それを見ていた人達は「けしからん」と言い出した

キタナイ物どもは片付けろ」「公共の場所から」「管理人けしからん

寂しい時に周りで話を聞いてくれていたゴミクズ達はゴミ処理場で燃やされたか埋め立てられた

治された自転車はまた街を走り始める

2012-04-08

うちのマンション駐輪場には屋根付きの部分が半分ぐらいしかない。もう半分は申し訳程度に線が引かれているだけで、そこに止める自転車野ざらしになってしまう。残念ながら屋根付きの方は以前からの住人の分で一杯でもう置くことが出来無いので、野ざらしの方に置かざるを得ない。屋根はへの字型とでも言うのだろうか。屋根の中では無いにしろ、端っこの方はぎりぎり屋根の下に入るため、普段は自転車をそこに置くようにして、少しでも雨に濡れないようにしていた。


ある日ふと気づくと、わざわざ自転車を横にどかしてそこに大型スクーターを置く奴が出てきた。空いている隙に自転車を元に戻しても、また次の日にはどけられてしまっている。正直ムカつく。


そもそもなぜムカツクんだろう。場所取りは早い者勝ちなのに、無理やり移動して置いている所にバイクの持ち主の図々しさを感じるからだろうか? 自転車よりもバイクのほうが高価だから屋根の近くに置く権利があるとでも思っているのかもしれない。


そういうことをすると痛い目を見ちゃうよ、ということをわからせるために100円ショップでチェーンを買ってきて付けてやろうと思い立つ。だが、調べてみるとどうも器物破損罪(刑法第二百六十一条 三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料)になってしまうらしい。


どうしよう。困った。わざわざ持ち主を特定して直接言いに行くのは嫌だし、そもそもどういう理由で文句をつけに行くのか。勝手に動かして置くな、か?


張り紙をするのはどうだろうか。そういう行動を取る人は他人の目を意識できていないというか、自分以外の人の思いを察することができないからなのではないか。「俺は気づいているぞ」ということ自体を相手に気づかせるだけで、勝手に移動するようなことはなくなるような気がする。


コピー用紙に下書きをしてみた。


「お前の行動を見ているぞ」

2011-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20110709025921

プルトニウムストロンチウムについてはまだまだ調査が足らず、今後より詳細な調査が必要です] って書いてあるから

ほとんど放出されていない

とはそのソースでは断言できないと思うし

いや、敷地内での検出レベル過去核実験の影響と同程度)を考えれば明らかでしょそんなの。敷地外の広範囲に、敷地内に比べて桁違いの汚染があるなんてあり得ないよ。定性的に考えても、融点が高いストロンチウムやそもそも固体であるプルトニウムは、チェルノブイリみたいに原子炉が完全に野ざらしにならない限り大規模放出なんてできないわけだし。

放射線被曝で誰一人死んでないよね

も、ニュースになってないだけで実は

な、なんだってー!

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