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はてなキーワード: 虐殺器官とは

2023-03-23

anond:20230323233329

(「虐殺器官」を思い出す)

この言い回しに見覚えがあるのだが、同じことを何度も書いてる人?

2022-09-23

伊藤計劃のこと馬鹿にしていたけど慧眼の士だったのかもな

ロシアが核を使って、だが報復も受けなかったなら、虐殺器官に描かれていた『核が使える』世界現実のものとなる。

からウクライナはさっさと降伏しろっていったのに。

2022-07-26

グーグルデータアナリストをしても「人間には金玉が平均1個ある」は超えられないらしい

話題記事を見たんですけどね、見事に「僕には当てはまらないのも多いなあ……」って感じなんですよね。

でも一般的には当てはまる確率が高そうなことが描いてあるんですよ。

すごくよく出来たバーナム効果って言うんですかね。

あなた一見するとクールですが実はホットで、クレバーかつクレイジー、まろやかな口当たりに反して後味はスパイシーまったりとしたハーモニー虐殺器官」みたいな?

こういうのって5割が当てはまっている感じで3割が微妙で2割は全然違うやろって感じやないっすか?

結局グーグルの人であっても、平均を取って雑に世界を総括しようとした途端にこんな漢字になるんすよ。

これを専門用語で「金玉が1.0個ある」って言うんですけどね。

まさにグーグルの人も大声で「大部分の人間金玉が1.0個±1.0個の範囲でついてるんです。あなた金玉は?0個?誤差範囲に収まってますね。2個。なるほど予想通りだ」って話をしちゃうんです。

恐ろしくないですか?

人類統計学を積み上げてきたその最高峰が「金玉1.0個」に勝てないんですよ?

2021-12-21

anond:20211221144023

虐殺器官個人的にはとても良かった。アニメクオリティも高いし。

言語には、文法には力が有るのだ!ってギミックは。活字好きな人達がほっこりするよね。

そりゃあまっすぐエンタメしてるわけじゃないから何が良かったのって言うのも分らんくは無いけど

面白く無くてもSF読んでる人たちが歓喜する程度には最高だったよ。

2021-08-13

だいぶまえに虐殺器官ハーモニー両方よんだ

前者は最終的になんかマッドマックス的な世界になってるとこまでおぼえてるけどハーモニーはどういうオチストーリーだったか全然覚えてない

2021-06-02

anond:20210601214050

言うほど出てるだろうか

新世界より虐殺器官もそれほど有名ではないだろう

2021-01-05

虐殺器官における「虐殺文法」って、

作品中にはそれがどういうものである言及が無いけれど、最近ネット炎上などを考えてみると、

炎上を起こす正義感みたいなものを誘発する言葉の使い方が、まさにそれなんだと思う。

まり、「虐殺文法」=煽る能力だと思った。

そして、現在ではその「文法」の使い手が、本人がそれを意識していないにしろ結構な人数居る。

すなわち、打算的か気晴らしかは知らないが、物事炎上しそうなポイントをみつけて正義感を誘発し、炎上を企む人が居る。

今後、その手法を「文法」として体系化したとき、同作品ラストと同じように、先進国から内戦が起こって破滅していくのだろう。

その内戦は、互いの互いに対する煽り合いを原因として起こるのだろう。

2020-11-11

外見だけ美少女になりたい

街歩いてて、ショーウィンドウ(ってほどのもんじゃなくても普通ガラス窓とか)に自分の姿が映ると結構不快な気分になるんだよ

チビ姿勢悪くて垢抜けなくて髪型キモくて、とにかくイヤ〜な感じの見た目だ Depressing!

あれがカワイイ女の子だったら、また違った気持ちで外を歩けんじゃないかと思う

ゲームやるときもさ、どうでもいいデフォルトキャラプレイするよか2時間くらいかけてエディットして作ったキャラでやるほうがはるかにやる気が出るんだ

エディットで作ったイケオジ>>>デフォルトキャラで、さら美少女キャラだと着せ替えの楽しみも加わって全体的な楽しさ5割増くらいになる

人生で同じことやりてえんだよな

キモくてチビチョー胴長で頭がバカかい身体いくらいじったって楽しくねえわけ

ソシャゲ言うなれば星一つのノーマルキャラレベルを上げる気にならねえって話だ たしかに今の俺も理論上は努力して魅力を底上げできるけど、天井が圧倒的に低いんだわ

外見ガチャ引き直してえよマジで

美少女のほうが服とか楽しそう(純粋スカートとかも履けて選択肢が広いというのもある)だから美少女になりてえ

でも生理とかがあるのはガチで嫌だからあくまで外見だけがいい

虐殺器官の副現実みたいな感じで、自分鏡像だけでも違う見え方にしたいんだよな

実際、キモオタクの見た目は人を寄せ付けないって点では優れてる コミュニケーションコストが低い

外向きにはキモオタクの見た目で、自己認識だけ美少女になりたいんだよな

それが一番いいと思う

モテたくはないし承認されたくもないが、自分キモさにウンザリするのも嫌だ

2020-09-27

嘘も1000回100万回言えば本当になる。嘘でもバカが耳にして口に出した瞬間に事実となる。

なぜなら世界中国家という国家国民は大半がバカであり、なおかつ大半の国家民主主義なのだ

嘘でも非科学的でもその先地獄があろうとも、バカ事実と認めた真実に我々は従わざるを得ない。

虐殺器官のいう虐殺文法がようやく腹落ちした気がする

2020-09-17

ゴッドスピードって言いたい

Godspeed、神の速さとかじゃなくグッドラック的な意味らしく、たいへんカッコいい

虐殺器官で降下攻撃を仕掛ける前にゴッドスピードつってるシーンがあってそれで知ったんだけど、そういう言い方したすぎる

「お互いこれから出陣するんだけど戦場は分かれる」みたいなシチュエーションゴッドスピード!つって颯爽と去りたいんだよな

でも戦闘はしたくない 怖いし俺は弱いか

出陣だけしたいな

2020-08-19

ウーバーイーツは虐殺器官を刺激する

信号無視をしてでも効率を上げなければ、というインセンティブのかけ方。人を轢いてでも、急がなければ。虐殺虐殺だ。

2020-07-21

紛争で血みどろ、野蛮で多(無)国籍で洗練されたSFエンタメが好きなんだけど

虐殺器官』とか。

ジェノサイド』とか。

技術進歩しても、倫理は追いつかず、結局人を効率的にぶっ殺す方法が発達しただけでした、みたいな。

銃撃と蛮刀、密林と泥沼、みたいな。

平山夢明の『すまじき熱帯』は面白かったけど、少しコメディタッチすぎた。現地人同士がゲームして負けた奴の頭を無意味に叩き割る場面はわけわからんすぎてしびれたが。

最近だと『インドクリスタル』がよかった。偏見だけど、女性作家でもああいうの書ける人いるんだな。

こういうの好き。知ってる人いたらもっとください。

2020-07-02

日本SF業界はとっくにラノベ抜きには成り立たなくなってる

というより「ラノベ共生してる」とかのほうが聞こえがいいか

伊藤計劃は明らかにオタク文脈上の人間で、作品内容もライトノベル親和性が高いんだが、

なぜかニワカSF読みには「新しくて硬派でかっこいい俺たちのSF」と神格化されてるんだよな。

まあハヤカワが「伊藤計劃以降」とかなんとか言ったりして煽ったせいだけど。

虐殺器官』も『ハーモニー』も最初イラスト付きで出されていたもの

文庫化にあたって白黒の無地の表紙になったんだけど、

ニワカはその文庫しか知らないから、

映画化合わせでアニメイラストが特大帯に配されたとき

「硬派なイトーケーカク作品イラストなんか使うな!」と批判して

周囲の失笑を買っていたりしたわけで。

そもそもが「SF VS オタク」じゃなくて「ニワカ VS オタク」という構図なんだよ。

いや、そもそもの話をするなら、

山本弘なり小川一水なり野尻抱介なり冲方丁なり野崎まどなり宮澤伊織なり、

ハヤカワは昔からラノベ作家を買い漁っている出版社なのであって、

それをいまさら発見のように「オタク向けになってる!」と騒ぎ出す時点で、

認識更新できていない老害か、もとから知識のないニワカかしかありえないでしょ。

騒いでる奴らに聞いてみろよ、

最後書店SFコーナーに行ったのはいつですか?」って。

2020-07-01

SF小説の表紙はなぜキャラ絵ばかりなのか問題について

論争の概要

 ・あるSF編集者自分担当したアンソロジー本(『日本SF臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。

 ・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。


「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画アニメ絵女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」


それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。

・「女の子」に関して

 ・イラストレーターには『性別指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない,

 ・キャラクターであることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。


・「恥ずかしい」に関して。

 ・特に若年層ではキャラ絵が「恥ずかしい」と思う感性はあまりないはず。

 ・キャラ絵が想像力を狭めるということはなく、むしろ想像力喚起するもの


・表紙に対する意見について

 ・表紙を描くイラストレーターたちにも評判を気にして傷つくなどの感情はあるんだから、そういう人に届く危険認識したうえでSNSを使え。

 ・意見自体勝手にどうぞ


・「アニメ絵女の子ばかり」ということに関して

 ・事実として違う(SFマガジンの書評欄に見られる書籍の表紙を引き合いにだして)。


・今回の表紙の意図について

 ・なるべく広い読者層へリーチしてほしかった。


論点の整理と意見

二者間で応答された論点は以下のように要約される。

 1.なぜSF小説・アンソロの表紙はキャラ絵の女の子ばかりなのか

 2.キャラ絵表紙に対する「恥ずかしい」という個人的感情

 3.マーケティングとして、読者層を狭めてはいいか


1.は事実認識としては適当ではない。ただ、主観的不正確な感覚でも、その感覚が広範に共有されていればシーンに対する認識としては強度を持つ。

たとえば、読者の記憶に残りやすい「目立つ」コンテンツの表紙にアニメ絵率が高かった(ように思える)場合、多くのユーザーは「表紙にアニメ絵ばかり」という認識を持ち、関係するアクターやシーンの振る舞いもその認識に沿って動いていく可能性がある。


ハヤカワは伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』の文庫化の際に、伊藤計劃作品アニメ映画キャラデザを務めたredjuiceを起用した。ちなみに表紙に、ではない。本をすっぽり覆うタイプのオビにイラストを反映させたのだ。実質的には「アニメ絵の表紙になった」とみなされても仕方がないし、事実そのように勘違いしている人も散見される。


シライユウコイラストレーションに対するファンダム記憶伊藤計劃百合SFと密接に結びついており、2010年代の「気分」を確実に決定づけていた。

シライユウコが表紙を描くこと」は他のイラストレーターキャラ絵寄りであれそうでないであれ)が担当するより確実にある種の指向性を帯びやすい。

どういう指向性か、と問われるとなかなか言語化しにくいが、このイラストレーター伊藤計劃の『ハーモニー』の単行本版の表紙を担当したこと、伴名練のデビューである少女禁区』の表紙を担当したことライトノベル作家短編が多く採られた『ゼロ年代SF傑作選』の表紙も担当し『2010年代SF傑作選』がその「再登板」でもあること、百合SFブームを決定づけた『SFマガジン』の百合SF特集号の表紙も担当していたこと、等々から鑑みて、「百合SF」に代表される近年のSF代表するイラストレーターとみなされうる、といったところだろうか。

もちろん、シライユウコ上記以外にも多くのすばらしい仕事を残している。ヤングの『時をとめた少女』など『2010年代SF傑作選』よりも「少女性」が強い絵も描く一方で、円城塔の『エピローグ』(単行本版)やヴァーリイの『逆行の夏』などのようなさほど「少女性」が目立たない絵もある。

しかし、世間でのイメージを決めるのは結局バズった仕事だ。

そうしたイラストレーターが表紙を担当することで、某評論家のいうように様々な出自トーンを持つ収録作のイメージを一つのカタにはめることになるのは否めない。それはイラストレーターの罪ではない。


日本SF臨界点』に関して言えば、伴名練が編纂するということで『なめらかな世界と、その敵』での「キャラ絵の人物がアップになっている表紙」が文脈的意識されているのだろう。

『なめらかな世界と、その敵』の収録作はジュブナイル的な色彩を帯びた作品が多く、表紙の選択はかぎりなくマッチしていたと思う。だがその文脈を発表年代も書き手バラバラアンソロに持ち込むのは(表紙を決めるのは編集者なので作家ではなく編集部として)作品群を「私物化」、あるいは領土化する行為として糾弾されてもしかたがない。


とはいえアンソロジー編集するのはひとつ創作活動でもある。DJのようなものだ。どんな作品を選ぶか、どんな順番で収録するか、といったことが作品個々の印象や読み味を大きく左右し、「一冊」のイメージを決める。その点で、表紙を「私物化」するのも表現の一部であるかもしれない。増田個人意識としてはアンソロの表紙もまた(アンソロ自体のコンセプトにもよるが)「私物化」されるべきと考える。

ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SF臨界点』は伴名練の作品批評ひとつとして見なすべきではないか

アンソロ編纂するということはそのくらい暴力性を孕んだ行為なのだ。「埋もれた作品を発掘する」などといった無邪気な善性だけで成り立っているものではない。作品について一切指向性を持たせたくないのなら、表紙をつけず、amazon あたりで短編単位ひとつずつ売るしかない。


2.に関しては編集者の反応があまり噛み合っていない。「恥ずかしい」と感じることはどこまでも個人的感情なので、「若者には違和感がない」と反論してもあまり意味がない。発端となったツイートで「恥ずかしい」に続く文がマーケティングの話なので、マーケティングの話をされていると思ってもしょうがないというか、増田普通に読んでればそう取ると思うが。

また、編集者立場としてはイラストレーターを守りたい気持ちで「いや、恥ずかしくないんですよ」と反論したくなるのもわかる。表紙についての議論をすることに対してやや脅迫的ともとれる言辞をしているのも、そうした仲間を守りたい意識のあらわれだろう。その判断編集者として間違ってはいない。


ともあれ、その人が「恥ずかしい」と感じたならば「恥ずかしい」のは仕方がない。また、読者や作家にもそうした感覚共感する人々が一定存在するようなので、そうした心情を斟酌しないのはいかがなものかと思う。最低でも文面の上ではそうした消費者感情に向き合うふりくらいはしておくべきではなかったか

Twitterではよく「表紙が恥ずかしくて買えないとかガキか」という意見が目にされたが、そういうマウントの取り方もよくないと思う。


3.については(元の発言者は重要視していないとしているが)完璧に食い違っている。片方は「キャラ絵にすることでターゲットを狭める」と主張し、もう片方は「キャラ絵にすることでターゲットを広げる」と主張している。百合SFブームを仕掛け成功させたことや、この論争がそもそも2010年代傑作選』と『日本SF臨界点』が"バズった"結果生じたものであることを踏まえると、(編集者もまたマーケティングプロではないにしろ編集者側に理があるように思える。

SFというものキャラクター文化親和的なのだから、そっち方面から開拓の読者を拾った方がよいと判断するのは筋が通っている。「キャラ絵で買わない新規消費者」より「キャラ絵がついてることで買ってくれる新規消費者」ほうを多く見積もっているのだ。興味を持ってくれる読者層を有効開拓してこなかった業界の怠慢を一挙に巻き返そうとしている節はあるにしろ


ある一定の方向へ突出しすぎている表紙を出すことでそれ以外の読者を切り捨ててしま可能性はある。たとえば、ライトノベルの表紙絵はキャラ絵を好む読者以外へのリーチをハナから諦めている。キャラ絵を用いてる点では『臨界点』と変わらないが、よりパラメータがいわゆるオタク寄りに調整されている。最近スニーカー文庫ハルヒ角川文庫から再発されるにあたり、有名ないとうのいぢの表紙から実写を用いたいかにも一般向けの表紙へ切り替わったことがあった。これは「キャラ絵を切り捨てる層」への訴求を試みた例だろう。

ハルヒのメインターゲットであった層を掘り尽くしたので、本来ターゲットにしていなかった層も掘る余裕が出てきたのだ。メガヒット作ならではの展開といえるだろう。


キャラ絵を用いた表紙と、写真を用いた表紙。

間口を広く取れるのは後者だ。特定の層により訴えるのは前者だ。

どちらを取るかは出版社戦略次第だ。ハヤカワが大手より体力の低い中小出版社であることも考慮にいれるべきかもしれない。


だが、特定の層に訴えるマーケティングときにその層に含まれていないと感じた消費者への疎外感を生じさせる。そのことには出版社自覚的であるべきだろう


より個人的感想

個人的感想をいえば、シライユウコ絵が「マンガアニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーター系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。

臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。

たとえば、『臨界点』がライトノベル的な表紙であったら、増田も「切り捨てられた」と感じたことだろう(それはそれとして本を買いはする)。

こんなことを萌え絵に対して不感症になっている典型的日本人の謗りを受けそうであるし、実際そういう面も否めないのだろう。増田はよくTwitterで論争になる公共の場所で広告に使われる萌え絵について「恥ずかしいだろ」と(その是非とは別のレイヤーで)思ってしまう人だ。本当に「恥ずかしさ」の基準はひとそれぞれだなと思う。

今回話題になった表紙が即女性に対するオブジェティフィケーションにつながるとは思わない。

一方で、キャラ絵を用いたSF小説の表紙が女性という表象にまったく何も背負わせていないとも思わない。本人たちが意図するしないにかかわらず、文脈的には「百合SFムーブメントを作り上げた編集者」が、「伊藤計劃百合SFSFマガジンの百合特集号の表紙を描き、百合イメージが強いイラストレーター」や「百合SFムーブメントの一翼を担った新進作家」と作ったものなのだ。人はそこに「少女」を見る。その「少女」は私たちの築き上げてきた「少女」のイメージを背負っている。そこに無自覚はいられない。

私たちはどのレベルの「恥ずかしさ」で合意するのか。SFという貧しく狭い領域マーケティングコンプライアンスをどう天秤にかけていくのか。

今はまだ問いの出ない問題だ。作家しろ編集者しろ読者にしろ、一個人ではどうにもならない問題でもある。

だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。


余談。あるミステリ作家が「消費者意見に対して真剣に向き合わず、味方を囲い込んでる」と例の編集者にキレてブロックしたことについて。むしろ、fusseterの文面ではTwitterでの論争の不毛さに触れているように、犬笛にならないように注意を払っているように感じた。よくやるように擁護ツイートRT連発みたいな行為にも走っていないし。

個々のフォロワーたちが発言したり群れたりするのは止められないだろうし、それを「味方を囲い込んでる」ように見えたとすれば、多分に先入観が強い。

意見に向き合え」というのはその通りだと思う。本人がおそらく可能な限り真摯に向き合っているつもりなのはfusseterで重ねられるエクスキューズからも読み取れるが、だとしても人はどこかで何かから目を逸らしてしまものだ。当事者になればなるほど防衛機制は強まる。ただ例の編集者自分に対して意見を言ってくる人を尽く敵と見做して戦争しかけるタイプには見えないし、あの作家の言うことなら無碍にはしないはずなので、ブロックする前に意見交換を行なって互いの認知を均したほうが幾分有益であったはずだ。

この問題については意見を出してる作家業界関係者でさえ恐る恐るというか、批判しろ擁護しろ通り一辺倒のことしか言っていない印象がある。

その穏当さが党派的な対立を強めていはしないか業界トピックとして捉えるなら、公の場で作家同士でもっと突っ込んだ話し合いを行うべきではないのか。

2020-06-29

夏への扉』が愚息なら何読めばいいんや

そんなにお前がSF詳しいなら教えてくれよ

追記

虐殺器官星を継ぐものハイペリオン面白かった

2018-11-19

アンダーグラウンド雰囲気SF小説を読みたい

古くて暗い建物の密集地域ネオン、よくわからんけど蒸気が吹き出してる、体を改造してる輩が街を歩いている

映画ブレードランナーみたいな雰囲気の街で展開する物語が読みたい。

けど電気羊は意外とそんな感じでもない。 虐殺器官ちょっと違うけど雰囲気良かった。

va11hallaってあれはノベルゲーだけど良かった。

要は国内国外は問わないのでおすすめがあれば教えて欲しい、という事。

教えて!!!!!

2018-10-22

anond:20181022141413

それに対応する虐殺器官文章も書いてやっとこさ2018年増田文書たりえる。

ちゃんと残りのミッションも達成せよ。

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