はてなキーワード: 人とはとは
ここへはアウトプットの為に来ているので、こんなに親身になってくださる方がいるとは思わなかったです。
基本的にコメントは見ない、返信しないようにしているのですが、自分が浮気をしているからそんな発想になる…に思わず逆上してしまい、コメントしてしまいました。
仕事の休憩時間に返信してますので、レスが遅くなることをお許し下さい。
私は50歳、旦那は45歳ですので若くはありません。
子供も小さくはなく、けれどもう就学していますが運動部のため、食べ盛りなので家にいる時間の大半は洗濯と料理になります。
たくさん食べるからたくさん作り置きをしても作れば作っておいた分だけ食べる感じです。
当然食費もかかりますし、進学の費用も不安ですから私が働きに出ています。
時間は不定期ですが大体、夕方から出勤して24時くらいに退勤しますが残業になることもあります。
食事を作っておけば家を空けられますが、男2人で食べたら食器を洗うようなことはありません。
帰宅すれば一杯コーヒーを飲んでから洗い物、入浴、ごはんの下拵えなどの流れになります。
膣の炎症はもしかしたら老化もあるのかもしれませんが、濡れ方が足りない為もあり、まだ生理もかろうじてありますのでコンドームを購入する際にローションも購入しました。
挿入はスムーズになっても激しくされれば痛みを感じますし、もう快感を感じることはありません。
そのことは旦那には伝えてありますし、私の身体がもうセックスを求めていない、とても辛いと話し合いをしたことも何度もありますが、本当に性欲の強い人で、しかも雑誌やDVDなどでは満足出来ないタイプなのです。
仕事は怠けたことがありませんし、おそらく多分浮気をしたこともないのだと思います。
なので、私が応じないと痴漢にでもなるんじゃないかと案じています。
子宮ガンで手術を受けた友人がいまして、相談してもみたのですが友人はわりと病気になるまでは旺盛なタイプだったので旦那に同情するとのことでした。
ちなみに現在も治療中でセックスは出来ないようなのですが、ご主人とは上手くいかなくなったそうです。
他の友人は皆、旺盛なタイプなのに旦那側がED気味でレスなことに不満を抱いているので相談はできません。
私には古くから付き合いのある異性の友人もいるので相談してみたのですが、やはり友人自身がED気味で、なぜか羨ましがられました。
しかし増田さんから「気になっても相手に働きかけもしない程度の人」なら、どうしようもない。
相手がどうしてそういう行動をとったのかなんて、共通の友人でも、知り合いでもないのに判る筈もない。
関係修復をしたいようにも見えないし。
一緒に旅行に行くほどなんだから、仲が良いのかとも思うけれど、海外旅行は、仲が良くなくてもどうやら行くらしい。
私の友人は面識のない人と、海外に出かけて価値観があまりに違うので疲れたと怒って帰ってきてた。(双方女子である)
なので、一緒に海外旅行は目的があるときには仲が良くなくても、一人より物騒ではないとか、道に迷わないとか、増田さんが語学出来るとか
トイレの時荷物を見ててもらえるとかそういう機能面で、善い連れだったのでは?
(私だったら気が合わないかもしれないような人とは旅なんて、きついと思うけれど。気疲れしてしまうので。)
同性か異性かによっても話はまったく変わるし、年代もあると思う。個人の個性もあるし。
美術館や遺跡巡りなら、別に仲良くなくても一人旅より良さそう。オーロラみるツアーとかもあったし、
そういうしっかりした目的があるなら、仲良くなくても、その話題で持つと思う。
特に目的なく、バカンスというか、恋人同士で何かを一緒にするなら、要求水準も高くなるだろうし相性もあろうけれど。
そこで私が何か考えを巡らせて言っても
ボッチで生きたっていいんじゃない。謎は謎のままで。
若手俳優厨にありがちかなぁと。まぁほかの界隈でも。
舞台は仕事の兼ね合いもあり、基本は土日マチソワしか観劇できない。(主演なら全通するけどね)
接触イベントは全出席で限界までループ。プレをせっせと貢ぎ、毎回現場に行くたびに手紙を認め、
御祝花を出し、定期的に気が向いたらリプを送ってた。
そんな中で不意に思った
認知されるってなんだ?
自分から名前を名乗ったことがないし、リプ垢のアイコンを自分の顔にするなんてネットなんとか的にあり得ないのでしたことがないし、
推しくんが私のことをどう認識しているのか確かめる機会がなくここまで来てしまった。
正直認知されたい!何が何でも覚えてほしい!というほどの熱意はない。
あるのかもしれないけど、あったら名乗ってると思うし。
全然通ってないであろう他のファンに比べたら違う対応をしてくれているし、
2ショットの時の表情も他の人とは違うのは分かっている。(幸いにも良い意味で違う)
推しくんの前にいる「私」
は絶対に結びついてないと思う。
目の前にいる「私」の名前知らないもんね。
結びついていないことに悲しくなる時もある。
でも名前と顔を一致してもらう術を知らないし、一致してしまったらプレを使ってくれることも、
手紙を読んでくれることも、逆にイベントで対応してもらうこともなくなりそうで何もできないでいる。
■事の起こり
俺は夜の大体定時(22時頃)チャットを立てて、ゲームを楽しんでいた。
ところで、そのチャット(以下雑談チャット)は普段は雑談ばかりであまりゲームのプレイ自体の研究をしていなかった。
そこで別の人間が、ゲームプレイ研究のチャット(以下研究チャット)を週一で立てることを提案。
それ自体は素晴らしいことだと思う。
ところが研究チャットも22時開始となり、雑談チャットと研究チャットが並行することになった。
明確には決めていなかったが、雑談チャットは俺が立てるものとなって居た。
そこでアンケートを取ることにした。
票は割れたが、最終的に6:4で両方のチャットを開くことに票が入り、週一で複数のチャットが同時進行することとなった。
別に俺はそれでいいと思った。うちのコミュはガチガチの効率厨から、エンジョイ勢までがゆるく同居しているのが特徴だからだ。
■何故か物言いがつく
ここでメンヘラ女(推定)(以下メンヘラ女)が登場。雑談チャットで2人になった時に、文句を言いだしたのだ。
文句の内容を要約すると
「あなたが毎日定時にチャットを開くことで、他が萎縮してチャットを立ち上げなくなる」と言うものだった。
コミュ自体には1チャットしか立ててはいけないと言う縛りはなく、管理権限も設定されていない為、
誰でもチャットを立ち上げることができるようになっていた。
その空気を潰しているのが俺で、アンケートはそれを助長するものだと文句をつけられたのだった。
■平行線
定時にチャットが開いていることが確定していれば、その時間帯にログインする人間が増えるだろうと言う考えに基づいたものだ。
一方メンヘラ女は特定個人によって定期的に開かれるチャットはコミュに参加している人間の自主性を奪い、
ひいてはコミュの衰退につながると主張する。
しかしそう言う割に、自分がチャットしたい時は勝手に立てると言うので、時間が不定期になることは分かっていた。
どれだけ話しても無駄であることは明白であるチャットは1時間ほど続き、
最後は「私は私の自由にさせて貰う」と捨てゼリフをはいてメンヘラ女は雑談チャットから退出していった。
先に書いてる通り、俺は22時でほぼ定時にチャットを立てていたが、21時や20時にチャットを立て、説明文はほぼコピペと言うものであった。
おいおい、特定個人によるチャット立てはコミュ衰退につながるんじゃねぇのかよと俺はつっこんだが、
最初の雑談チャットでのやり取りの時点で話が通じないタイプの人間であることは理解済み。
ようはメンヘラ女はチャット立てをすることで感謝されたいのだ。
自分が礼を言われて気持ちよくなりたいが為にチャット立てに乗り出してきたことは明白だった。
俺は定時の雑談チャット立てはメンヘラ女に譲り、別途、協力プレイ用のチャットルーム(以下プレイチャット)を定時で立てることにし、棲み分けを模索した。
まぁしかし俺だって人間だ。経緯が経緯だけに頭にきていた俺はTwitterに読めば分かる皮肉を投稿した。
これは正直まずかったが、俺も俺で相当頭にきて居た。
三日三晩耐えて、それでも冷えなかった怒りを140文字にめいいっぱい詰め込んで吐き出した。
■第二回平行線
さて、そのTwitterをみたメンヘラ女から個別メッセージが来た。内容はまぁ予想通りのTwitterへの反論だ。
で、メンヘラ女はコミュで大きな影響力を持つ別の女性に助けを求め、その女性からもう一回二人で話し合うよう雑談チャットで促された。
俺はどうせ話は平行線になるだろうことは予測できていたので、断ったのだが、ヒエラルキー的に最上位であるその女性の命令には逆らえず、個別のチャットルームを立てた。
そこで、またメンヘラ女と不毛な会話を繰り広げることになった。
コミュへの方針は平行線のまま、Twitterでの嫌味に対する反論や、個別メッセに対しての反論等。
1時間くらい話したが、そもそも大本のコミュへの貢献姿勢についてが平行線である以上、話は前にも後ろにも進まない。
しまいには泣き出すメンヘラ女(この時、相手はボイチャ、俺はテキストチャットだった)。
「私と仲良くしたくないんですか?」
知るか。もともとふっかけてきたのはてめぇだろうが。
ついにTwitterの投稿へリプやふぁぼりつをしないことまで責めだされる。
俺は基本Twitterはコミュツールとしてみていないから、リプを飛ばす習慣がないことを説明しても聞き入れず。
■結末
メンヘラ女はあくまで、自分がチャットを立てたい時は勝手に立てる方針は崩していない。
だが、事情も事情であるし、コミュの衰退も望ましくないと考える俺は、定時雑談チャットとプレイチャットを並行して立てることにした。
話の通じないメンヘラ女と仲良くしたい奴はそっちに行けばいい。
問題があるとすれば、そのメンヘラ女は既婚者だがオタサーの姫のような扱いを受けていることか。
メンヘラ女本人とはもう直接会話することもないだろうが、周りの取り巻きが勝手に攻撃してくるのは鬱陶しい。
その為にコミュを盛り上げようとしているのに、思いっきり冷水をぶっかけられた気分だった。
■おまけ
俺もメンヘラで療養中の身で気分の浮き沈みが激しい。
こう言うことがあると、心底堪える。
グッズより体験に金使っているオタク。聖地があるならそこに毎週末通い、現地の人とも仲良くなるタイプ。有志のファンイベでも裏方に回り気味
聖地として整備される前から行ってたりして、服装・言動は一般人と変わらない。行動力の化身
イベントやライブにも行くけど、予定や都合と合わせて時には諦められる
既婚/未婚は半々、収入も高収入もいるが、意外と普通だったりする
グッズやイベントに金を使うオタク。出る物全て購入、ライブやイベントは全通、転売屋使ってでも最前に行く。有志のファンイベでも常にマウント取り続けて迷惑かける
聖地巡礼も痛い格好や仲間でつるんで、現地の人とは交流が無い。金もあんま落とさない
服装も痛々しく、体型もデブかガリ、肌も汚く、臭い。偶に服装がまともなのは居るけど、似合わないハイブランドだったりして浮いている
圧倒的に未婚。既婚も居るが、もれなく相手も同類。収入は低いか激務での高収入。ガチャとか大好き
幸運な事に、自分の周りには良いオタクが多く、だいぶお金使っているがマウント取ったりしない。こちらが一方的にマウント取られていると感じるだけ、でも不快感は無い。諦めの境地
どうせファンになるなら、良いオタクが多めのアニメのファンになると良い。ガルパンとかは割と良いの多め。もちろんどんな作品にも不快オタは居るけど、程度の問題
好きでもない、その日たまたま知り合っただけの男とラブホまで行った。すぐ帰ったけどキスだけ何度かした。
その人とは二件目のバーで友達と飲んでいるところをナンパされて、話の流れでカラオケに行くことになった。男女比が三対三でちょうどよかったのもあると思う。カラオケの個室で肩や腰に手を回されたり頬にキスされたり。わたしも手を握り返したり魅力的に見えるように微笑んだりした。でもそれはわたしの中ではただの『接待』で、『演じている自分』だった。女全員でトイレに行ったとき、友達とただでお酒飲めてカラオケできるしね~って笑いあったりもした。このときまでは強かな女の子でいられたと思う。正直カラオケだけで帰りたかった。
そこから一人の男とラブホまで行くことになった詳細は省くけど、今思い出してもわたしは流されまくってた。
「キスしよっか」「駄目です」「えっじゃあなんでここまで来たの?」
ほんとにそうだよ!!!!!!!なんでここまで来ちゃったんだよ!!!!!!!!!
そんなことを今さら後悔しても遅いし、あわよくばセックスしたい男とキスすらしたくない女がラブホで一緒にいても時間もお金も無駄だなと思った、ので、帰ることにした。キスも断られて女に帰られてその上お金も無駄にするのはあんまりだなと思ったのでお金くらい払おうと思ったのだが、それは断られた。その後また「キスしよっか」と言われたとき、「このままだとこの男は数万無駄にしてなにもできずに終わるのか」と思うと申し訳なくなって、同情して、結局頷いた。別れるまでに四回した。
帰り道、歩きながら涙が静かに頬を流れていって、「なんであんなところまで行ったんだろう」「気持ち悪かった」「お母さんが知ったらどう思うだろうか」「自分も相手も傷つけてしまった」って感情がぐるぐるとしていた。このときは自分に対する失望や親や男への申し訳なさばっかりだったと思う。
家について少し冷静になった後は、男に対する怒りも、自分の馬鹿さへの呆れも湧いてきて、声をあげて泣いた。
涙が出てきたほとんどの理由は自分のダメさ加減への失望や、自分はずっとダメなままかもしれないっていう不安で、男に対しする怒りが少しだけだった。申し訳なさはほとんど消えて、まあ結局相手からしたらキスはできたんだからいいだろうと思った。
「キスくらいいいか」と思わなかった自分には安心したけど、好きでもない男とラブホまで行った自分にはどうしようもなくがっかりした。涙が出るくらいに。
ここまで何度も『流された』と書いたけど、流した男も悪いけど、『流された自分』が一番悪いってわかっている。中途半端にわかっているのに改善できる気がしないのが、致命的だ。
この文章を書く前、生理が来た。汚れたナプキンを代えるとき、ああわたしは女なんだなと思った。強姦されたら妊娠するかもしれないし、そういう欲望をぶつけられる対象なんだなと思った。女であることの面倒臭さとか怖さとか、男に媚びてしまうどうしようもなく弱い女の自分とか、女だから浮いた飲み代やご休憩代もろもろを考えると、ほんとにもうはやく消えた方がいい気がしてくる。生きるのってつらいな。傷つきなくない。
わたしが一番嫌だったのは、こんなこともう嫌なのに、また流されて同じことを繰り返してしまいそうなことだ。
原因はわたしの自己肯定力や想像力の低さとか、自我がまだしっかり作られてないこと、男への耐性のなさとかなんだろうなと考えている。
もうこんなこと嫌だって思ってるし、そうならないように気を付けよう、気を緩めないようにしようという気持ちはあるけれど、元の土台がぐらぐらなのでどうしようもない気がする。
カラオケまでは友達と一緒だったからお互いの様子を見つつ自分の形を保てていたけど、結局それは友達の真似をしているだけで、自分自身に核と言えるものがない。
自分を大事にすること。後から親や自分が傷つくようなことは避けること。相手や雰囲気に流されず毅然と自分の意思を述べること。
これらは、箸の持ち方や礼儀作法と同じくらい、育ちの良さが表れるものだと思う。
この夜のわたしはこれらが完全にできてなかった。多分元から持ってなかった。
自分を大事にできないままだと、いずれ周りや大切な人のことも傷つけてしまうかもしれない。
でも自分のこと大切にってどうすればいいの?どうやって覚えるの?なんでみんなそんな自然な風にできてるの?
自信や自己肯定力を得る方法とかこれまでに何度も検索してなんとなく知っているけど、自分にそれができる気がしない。できない自分にまた失望する。
「キスだけしよ!」って言われても、「女とするために数万無駄にしただろうにキスもできないのは可哀想だろうな……」と思っても、わたしはあのとき「駄目です」と言い続けるべきだったのだ。多分それが自分を大事にするってことなのかもと今なら思う。元からそれを持っている人になりたかったな。
思いついたまま推敲せず書いたので話がまとまってないし文章も酷いけど、もし最後まで読んでくれた人がいたなら、ありがとうございます。
1.私見だけどドルオタは「嫌いなものがあってもそれが好きな人の前では黙ってろ文化」が強いが普通の音楽好きは「嫌い発言や比較も批評のうち派閥」がそれなりにいる
2.とはいえさすがにファンが大勢いる前でこのメンバーが嫌いと発言するのは、むやみに他人の好きなものを否定しないというマナーが共有されていないと思われる
3.そもそも嫌いなメンバーが一人でもいるのにわざわざライブに行くのが理解不能
というわけで犬に噛まれたと思って忘れろに一票
ある日、友人にそのアイドルグループのライブに興味があるから一緒に行きたいと言われ、そのライブのチケットを買って一緒に行くことになった。
自分としては、自分が好きなものに友人が興味を持ってくれることを非常に嬉しく思いつつも、こういうのを布教する場合は一方的に色々教えると相手にとっては不快なので、必要最低限の情報(たとえばそれがゲームなら1作品貸すとか、アーティストならベストアルバムを1枚あげる程度にする)だけ与えてそれ以上は決して多くを語らず、本人自身のペースで勝手に掘り下げてもらい、聞かれたことだけを答えるようにしていた。
時は過ぎてライブ当日。
自分は物販目当てで早朝から現地入りしており、友人とは開場直前に最寄り駅で待ち合わせる約束でいた。
物販を回り、同じく現地入りしていた他の友人にも挨拶し、談笑し、いよいよ友人を迎えにいくことに。
最寄り駅で落ち合った友人は「過去のライブをYouTubeで見て予習してきた、ライブ慣れしているし大丈夫」と言っていた。
これなら大丈夫だろうと現地に入った瞬間、友人は顔色を変えた。
大声で言い出す友人。
たしかにドルオタなので捉えようによっては気持ち悪い。でもそれを直接声に出すのはあまりにデリカシーが無いのではと耳を疑った。ハゲに直接ハゲとは言えないし、デブに直接デブとは言えない。
何より、過去の映像を予習してきたのであれば、ファン層はある程度予想できていたのではないだろうか?
動揺しつつも、一度離れるべきと判断し、会場から少し離れたベンチへ移動し、そこで開場を待つことにした。
待ってる間に友人は更にとんでもないことを言いだした
「(アイドルグループ名)のライブの映像見てたんだけど、(メンバーA)って嫌いなんだよね。(メンバーB)は好きなんだけど一緒にいるAの●●が嫌い」
と言い出す。
周辺を見渡すと、すぐ数メートル近くの聞こえる範囲に、Aのグッズをつけている人がいる。
「いくらなんでも現地でそれを言うのはデリカシーが無いよ、密室で口頭で俺に言うならまだ良いけど、それを好きな人だっているわけだし、第一俺がそれを好きだったらどうするの」と言った。
事実、自分の中ではAはメンバーの中で1番と言わなくとも、2,3位には入っていたので、その一言にものすごくショックを受けた。
友人は
「でも嫌いなものは嫌いなんだもの、会場外だしいいでしょう」と悪びれる様子もない。
たしかに友人の言う通り、Aはアクが強いので、言うこともわからなくはない。自分も最初はAを見た時「なんだこいつ」と思った。
だが、自分はハマっていく過程でそこを上回る魅力がAにあることを知っていった。
それを真向から否定されて、頭をハンマーで殴られるかのようなショックを覚えた。
反射的にAの魅力について伝えようとしたが、それをやったところで結局ただのオタクの戯言なので、押し黙って
「……でも、会場周辺にいるファンもいるんだから、それは二度と言っちゃダメだ。俺に言うならまだいい。でもここでは絶対に言わないで」と言うだけに留めた。
ふと、気になってAのグッズをつけているオタクの様子をちらりと見たら、顔がひきつっていた。俺は心の中で謝った。
結局ライブそのものは楽しかったが、自分は最初から最後まで友人の様子は見なかった、見たくなかったのだ。
音楽を趣味とする友人は、合間合間にちょくちょく他のライブやフェスとの比較をして
「(他の音楽グループ)や(フェス)ならこんなんじゃない」「演出が過剰」「ノリが怖い」などと言っており、それを聞き流しつつも、
「連れてこなければよかったなあ」と思い、最後までライブに集中できないまま終わってしまった。
あれから数ヶ月悩んでいる。
連れてこないほうが良かったのは事実だ。
「興味がない」「思っていたのと違った」で終わるならいい。
だが、興味を持ってきたのはあっちだし、ちゃんと現状を把握しているかのようなことを言っており、その上でのあの発言である。
自分の好きなもの、人生で大事にしたいし、コンテンツが終わる時が来ても、人生の思い出や糧にしたいと思っていることを真っ向から全否定されたかのようで、非常に強いショックと憤りを覚えた。
正直、言われた瞬間にその場で怒って帰そうかと思った。
たかが趣味なのでどうこう言われても気にするべきではないのか、あるいは趣味を全力で否定し、デリカリーのないそいつとは友人をやめるべきなのか。
健全な精神で大学院を修了するために,自分が重要だと考えていることをここに述べる.
矛盾している点が多々あるが容赦してほしい.
取る時期が決まっている講義に関しては仕方がないが,修士一年の冬に重い講義を取ってしまうと研究や就活に差し障る.
就職するにせよ,博士後期課程に進学するにせよ,大学院の講義が重視されることはない.
どの大学にも普通の講義取得コースと比べてつらめのコースがあると思う.
確かにそのような講義で得るものは多いが,外部から評価されることは少ない.
基本的にどの企業も成果主義であるため,就活でアドバンテージを持ちたいのならば,やはり真っ当に研究に取り組んだほうがよい.
変に他の教員の話を聞くと,テーマがブレてろくなことにならない.
助言をもらうにしても,話半分で聞いたほうがよい.
学生が提案するテーマを頭ごなしに否定し,自分がやりたいテーマに誘導する教員は少なくない.
やたらと教員が突っ込んでくる場合には,失礼を承知で途中で話を切ってよい.
特に,自分のテーマが研究室で前例がないテーマの場合には,指導教員から有益な意見がもらえることは決してないため,早めに外部から意見をもらった方がよい.
億劫な場合には外部文献を調査し,自分の研究に文句がつかないようにするべき.
...そのように自主的に取り組んだ研究はレベルが低いものになり,教員から否定されることが多いが,修士を出るための研究だと割り切ろう.
指導教員によってはテーマではなくプロジェクトを立ち上げることを求めてくるが,研究を初めて高々1年の学生にそのような能力はない.
研究室から脈々と続いているテーマに乗っかり,先行研究を少しだけ変えたようなテーマを提案すると,指導教員は満足することが多い.
どんなに簡単なテーマでもいいので,修士1年の10月頃までにある程度の成果を出しておかないと,就活で不利になるので注意.
テーマが決まらないままインターン時期or就活に入ると,「上司と会話ができない学生」と見なされて詰みやすい.
教授が提案するテーマであるため,研究に失敗しても,降ってきた時点で修了が確定する.
変に立ち上げると軌道修正が難しい.
複数の組織の利権を上手い具合にやりくりする必要があり面倒くさい.
侵襲性の研究や予算の出どころがわからない研究の場合は特に面倒くさい.
進捗も出にくいため,取り組んではいけない.
精神が病むくらいならすぐに変えたほうがよい.
学生相談室などの外部組織を有効活用しないと,研究室変更の決定権を持つ教員から止められるので注意.
これは研究室から学生が抜ける前例を作りたくないことが多いため.
ちなみに,日本国内の論文は研究として途中なものが多いため,海外のトップカンファ漁るくらいでいいです.
ちなみにちなみに,論文の管理はMendeleyがオススメです.
変にしらばっくれられて軋轢を生むことが多いので,記録を取っておいたほうがよい.
どの企業にもインターンからの採用枠があるため,行かない手はない.
なお,やたらとインターンを否定する教員は得てして社会に出たことがない.
すぐに決まる同期を見て,自分を卑下して落ち込むこともあるかもしれないが,自分の得にはならない.
受からない人は本当に受からないので,面接本を読んで,同期に面接練習お願いしてください.
今後の人生もイキり続けるので相手をするだけで精神をすり減らす.
強く生きる
レインボーシックスシージはすごいぞ。
正直、FPSはCOD、BF、CSGO、PUBG、OWぐらいしかやってないから「シーズだけの要素じゃない」って言われる事覚悟で言うけど(保険)
「BF1で建物が壊せる」比じゃないぐらい壊せる。てか、建物が主戦場なのでBFとはちょっと違うか。
基本的にルールがオブジェクト戦のいわゆるS&D(サーチ&デストロイ)っていうルールを建物の中でやるんだけど、壁が壊せるおかげで進行ルートが多数ある。
もちろん、防衛側(CSGOでいうカウンターテロ側)は壁は壊されるものとわかって、壁を補強する。
この補強された壁は一部の兵装で壊せるが、その兵装を防ぐ兵装もあって、その防ぐ兵装を壊す事ができる兵装もあってという風に読みあいも発生する。
つまり、攻撃側は、相手の壁や警戒が薄い進行ルートを考えて建物に侵入して目的を達成する。
防衛側は、その侵入ルートを制限しながらも迅速に進行ルートを見極めてカバーに入る。
ので、「レインボーシックスシージがうまい」人は、単にAIM力が高い人とは限らない。スムーズに戦略を立てれてチームと連携できる人がやはり強い。
これはOWのやってる時もいいなとおもったけど、自分がどういう立ち回りをするかで大きくゲームに貢献できるのが初心者に優しい。
やったことないけど、スプラトゥーンが受け入れられてるのも、結局AIM力や反射神経がゲームマッチに大きな比重を置いてないのがレインボーシックスシージやOWやPUBGが楽しくて、CoDやBFに馴染めなかった人が流行る最大の理由だと思う。
ただ、どうしようもない遭遇戦もあるのでAIMや反射神経が全くゲームに影響を及ぼさないわけではない。
このゲーム、実は2015年発売。それでもまだまだ沢山の人が遊んでいる。その理由の1つが、キャラクターアップデートが定期的にあることだと思う。
1つのキャラクターが追加されることで、キャラクターの立ち回り方が強化されたり、逆に大きく制限されたり、思わぬ所で影響を受けないキャラがいたり。
例えば、つい最近のアップデートで追加されたLIONは現在猛威を奮っているが、このキャラクターの追加でFUZEというキャラがキルを取りやすくなったり、逆にCAVEIRAというアサシンキャラが強襲を仕掛けにくくなったりした。
また、DOKKAEBIというキャラクターがLIONの前に実装されたが、相手の持っている監視カメラアクセス用端末(スマホに似ている)をハッキングして振動させる兵装が、それよりも前に実装されたECHOというドローンを兵装としてるがためにそのドローンを操作するリモコンはスマホではないのでハッキングできなかったりなど、細かい調整がされている。
OWも同じく、キャラクター追加がされている。が、若干追加ペースが遅め…その分キャラストーリーが濃厚で一人ひとりが全く別物なのはすごく良い。
これは自分からはとてもじゃないが語りきれないので自分で確かめてくれ。
くっそ個人的な話なので「は?」って思ったら読み飛ばしてくれて構わない。
個人的にガンガン撃ち合いをしたい人間なので、腰より上を一発撃たれたら死ぬのはすごく萎える。
なので、スナイパーは一人しかいないから最高ってだけの話である。
これのおかげで、うまくスナイパーライフルをQSできる奴が一人いるだけで無双されるということがない。また、他のゲームよろしく、画面の真ん中に擬似的にレティクルをつけておいてQSするというハードウェアチートも不可能である。
少ないといっているが、一人しかスナイパーライフルを持ったキャラクターはいない。このキャラの強みは「高い銃火力」ではなく、サーモグラフィーによる暗所での狙撃や、スモークグレネードのスモーク越しのサーチと射撃なので他のFPSみたく「最終的に行き着くのがスナイパーライフル」ではない。
ちなみに、全武器がHSで一発なのでむやみに頭を出さないことやHSを狙うという事自体はとても重要。
もう3年目に突入しても結局このゲームをやっている。2020年まではやるらしいが、本当に「飽きたな」って思えてくるまではこのゲームをやり続けたい。
(https://anond.hatelabo.jp/20180322081336 からの続き)
めぐっちゃんと、「南極行きの荷物整理中に見つけためぐっちゃんのゲーム」を「(昔は2人でプレイしていたのに)キマリが一人だけでプレイ」しながら「めぐっちゃんの知らない、キマリの友達」の話をするという流れが端的にめぐっちゃんの心境を表している。めぐっちゃんの心境は各話で少しずつ描かれているが、ここで一気に「めぐっちゃん…」ってなる非常に強烈なシーン。
めぐっちゃんがキマリにすべてを打ち明けるシーン。以下自分語り。
私には小学生時代に知り合った友人がいた。友人はきっかけはよく覚えていないが、小学校高学年になる頃にはほぼ毎日一緒にいたと思う。ただ友人は変に気の強い性格だったのか、私が他の子と遊んでいると鬼のような形相ですっ飛んできて私をそこから連れ出そうとしたり、一人にされることを極端に嫌がったりした。それに振り回されるうち、私は一日中その友人とセットで行動するようになり、中学生になる頃にはその子以外と一切遊ばなくなっていた。
私が当時その状況に甘んじていたのは、一つは友人といて楽しかったと思ってたから。友人はいろんなゲームや漫画のある家庭に育ったので、友人の家に行けばわりと満たされたからだ。そして二つ目は、私が友人から距離を置こうとすると全力で拒否するようになったからだ(暴力込み)。はじめのうちは喧嘩もしたけれど、そのうち「あまりに近くなりすぎないよう距離を置きつつも、概ね抵抗せず、常に機嫌を伺う」というぬるま湯に浸かる術を身につけた私達の仲は、大学時代まで続いた。
その当時の心境を端的に言うと「友人には私が必要だが、私はそうでもない。でも友人から得られるものもある。適度に利用しながら、距離をとっていこう」みたいな感じだった。
別々の地方大学に進学したあとはコミュニケーションを取る頻度が劇的に落ちた。たまに友人からヒステリじみたメール等が飛んできたけれど、物理的な距離のおかげで友人の拘束から逃れることが出来た。そして一人になって初めて、孤独というものを強く思い知らされた。サークルに入っても上手く人に合わせられない。ワイワイする方法がわからない。大学生同士の話題についていけない。同じ趣味の人を見つけることが出来ない。何もかもが上手くいかない。そしてその悩みを共有する相手がいない。本当に空虚だった。案外、友人を縛り付けていたのは私だったのかもしれないな、と今は思っている。結局友人とは音信不通になった。
だから、面と向かってキマリがめぐっちゃんにこの話をしたのはキマリの鋼メンタルを物語ってる。言わば「いっつも面倒見てくれて、それにずっと甘えてきたけれど、もうやめにしよう」とめぐっちゃんを突っぱねたんだから。「いつも面倒かけて申し訳ないから…云々」という消極的な理由ではなく「ゲームの相手になれるくらい」の関係を築きたいというキマリの想いは絶交を宣言しためぐっちゃんと対照的なのだけれど、どっちの気持ちも分かる。私がずっと抜け出そうとしなかった不幸のぬるま湯に、めぐっちゃんもキマリも気づくことが出来て、しかもそこから抜け出そうと一歩を踏み出したのだから。私には二人が眩しく見えた。
でも一方、5話におけるライティング演出が二人の「ここではない、どこかへ」という勇気について非対称性を感じさせる。簡単に言ってキマリ=陽 めぐっちゃん=影 なのだけれど、出発のシーンでは
「絶交無効」…陽
となっていて、「友達と4人で」一歩を踏み出すキマリの明るい予感と、「そうではない(一人で)」一歩を踏み出すめぐっちゃんの暗い予感という対比に見えた。私自身めぐっちゃんルートだったから、最後にキマリが絶交無効したシーンで二人に陽が当たる演出は、「めぐっちゃんにキマリは必要」であることを肯定的に描いてて本当に好き。そう考えると、5話におけるライティング演出の狙いはすべてこの「絶交無効」に収束している気がする。
19:00頃~
日本編と航海編をつなぐ回。シンガポールのメジャーな建物が現地民も納得のハイクオリティで描かれていて、めっちゃ行きたくなる。本作における聖地巡礼は、館林(群馬)→歌舞伎町(新宿)→極地研(立川)→シンガポール→フリーマントル(オーストラリア)が無難か。
キマリ&ゆづの部屋と報瀬&ひなたの部屋でダボーベッドの広さが異なって見える(報瀬ひなた部屋のベッドの方が距離を感じる)。計測したらどっちもほぼ2m幅になっていたので、2組それぞれの心の距離に差があることを非常にうまく対比している、すっげえ大好きなシーン。
無理ーってなってる日向を、自分のわがままで引き止める報瀬。このやり取りは、3話で報瀬が自身の性格について自己嫌悪していた時、日向が「思いの強さとわがままは紙一重である」とアドバイスするとても尊いシーンと対になっている。あのとき日向が報瀬のパーソナリティを肯定したからこそ報瀬が成長し、その結果として6話があるのだと考えるとこんなに幸せな話は他にない。
シンガポールの街並みを見ながらそこに住む人々の生活に思いを馳せ、
同時に過去(日本での生活)を思い出しつつ未来(人々の生活が存在しない大陸)を暗示させる印象的なシーン。
19:35頃 ビジネスクラスのチケットを持ってムッフーなってるキマリ
前回の観測船→今回の観測船の対比(減ったトラックや物資、前回は多くの取材陣に囲われていた隊長、前回は一緒だった貴子)
アバンだけで「観測隊の船出が順風満帆ではないこと、また隊長、かなえ、貴子の関係」を回想と現実の対比によって簡潔に表している。
本作を支える「緻密な取材に基づく描写」がこの辺りから本領発揮する。砕氷艦報瀬の内部構造がしっかり描かれていて、話の内容関係なく観てて楽しい。
ここまでの伏線として「先行き不透明」とか「カネがない」とか「南極ってめっちゃ過酷やねんで」等重大な問題が示唆されているのだけれど、それに対して「一発逆転(一攫千金)の方法」とか「やってみなきゃわかんない」等の非現実的な展開によって解決せず、「これから先いろんな困難が待ち受けている」のではなく「いろんな困難があったけれど、強い覚悟で3年間戦ってきたからこその今がある」っていうもう一つのドラマとして丁寧に大人組を描いていて、主人公の4人よりむしろ大人組に感情移入してしまった。隊長の「この船は、そういう船」っていう言葉で胸がいっぱいになる。
だからこそ、その観測隊員の前で自己紹介をするキマリ、ゆづ、ひなたの晴れやかな顔を見ると「ああ、この子たちはそれでも主人公なんだな」って感じさせるくらいのドラマがあったことを思い出す。大好き。
ここまで「南極にとらわれているお姫様」という舞台装置でしかなかった貴子の「星を見る船を率いていた一人」という側面を知ったことで、報瀬が抱く(手放しで仲間と呼べない)観測隊への複雑な想いが伝わってくるし、自己紹介のとき「小淵沢…報瀬です…」という言い方からも彼女にとって、そして隊員たちにとっての「小淵沢」という姓の重さが伝わってくる。だからこそ、敵or仲間相手じゃないと普通に喋れないポンコツ報瀬が(日向のフォローもあって)あのセリフを言えたことは彼女の成長を強く感じさせたし、「報瀬のコールに応える隊員たち」というシーンだけで、セリフもない隊員達含む全員の想いを完璧に描いた演出は控えめに言って最高すぎる。
8:40頃 物資を運ぶのが大変すぎて、疲労のあまり原型を失ったキマリ
氷海域へ到達!波濤を進む砕氷船「しらせ」での艦内生活【南極観測隊シェフ青堀力の南極紀行2】 https://serai.jp/tour/141947
船内のシーンでは声の反響がシチュエーションごとに異なっていて、反響を聞き分けるだけでその部屋の大きささえもわかるくらい細かい。
「特に荒波に揉まれる砕氷艦の船内」の音がすごい。どうやって作ってるんだろ
キマリの前髪という話題に触れるのは8話が初めてであり、言ってみれば「主人公のキャラデザ(キービジュアル)に個性的な伏線を張り、それを8話まで引っ張る」というマネをしている。「なんやこのキャラ、あんま可愛くないやんけ」って思われたらどうしようとかそういう不安をぶっ飛ばすストロングスタイルな戦略である。前髪の理由を聞いて「あー、だから・・・」って思った私は見事術中にハマっていたらしい。キャラデザ最高かよ。
Bパート以降ずっと画面がゆらゆらしている。公式ラジオでキマリの中の人こと水瀬いのりが「アフレコの時ずっと見てて軽く酔った」と言っていて、たしかに大きい画面で観ると結構きつい。むしろそういう効果を狙った演出だったら笑う。
大人の一人として扱われ、荒波に揉まれる(物理)姿は新社会人を思い出す。観測隊としてやっていくためにはもっと多くのことを出来るようにならなければダメだし、そこに「やる、やらない」という選択肢はなくて、ただ与えられる業務を淡々とこなすことが求められるのも社会人の一つの形なのかもしれない。そしてそういう姿に青春は宿らない。「宝石の国」(2017)12話のフォスフォフィライトを「入社3ヶ月目の俺」と評した人がいたけれど、この4人ももしかして…と思わせるような心境が「頑張るしか無いでしょ…他に選択肢はないんだから」という報瀬のセリフによって描かれている。
これと対になっているのが4話ラストのシーンで、4人が観測隊(あるいは報瀬の旅)についていくのではなく、「みんなで南極に行く」という覚悟が対になっている。だからこそキマリの「この旅が終わった時にはぜったいにそう思ってるもん!」はその鋼メンタルに痺れたし、その後4人のやらかす姿は相変わらず青春しててめちゃくちゃ眩しかった(夜なのにね)。また4人が水平線に流氷を見つけた時の顔は出港時の4人と全く同じ構図になっていて、彼女たちの「変わらなさ」を象徴している気がした。
南極の大変さにビビってたキマリたちがかなえさんに昔の観測隊が何度も何度も南極に挑み続けた話を聞いて、あるいは同じ話を幼い報瀬に話していた吟隊長、そして今の報瀬が砕氷艦のラミングを繰り返す姿に「行け!」って前のめりになっている姿がすごく良い。時代を超えてそれぞれに受け継がれてきた魂のようなもの(作中では「吟の魂」と表現されててかっこいい)の強さがラミングしながら進む砕氷艦の勇ましさや音響とシンクロしてて、控えめに言って最高。
あと、「吟の魂」がなかった3人組は吟と想いを共にする隊員たちより縄跳びが下手で、一方それを幼少期に受け継いだ報瀬は縄跳びがうまいっていう文脈良いよね。そういう意味で3話Cパートの「貴子と、縄跳びを手に持つ報瀬の写真(撮影者はおそらく隊長)を手に持つ隊長」のシーンは非常に印象的。なお現実の観測隊でも縄跳び大会があるみたい(娯楽大会と称して、アウトドア競技やインドア競技で盛り上がるらしい)。
「その貴子はもういないのよ」というかなえのセリフが刺さる。吟は強い信念を持って前回の南極観測に挑んだ結果貴子を失ったことを非常に悔やんでいたし、加えて報瀬を強く傷つけた。しかも自分の信念をロリ報瀬が受け継いだからこそ今の報瀬は母の亡霊と決別するために、あろうことか「宇宙よりも遠い場所」を目指しちゃって、しかも成功しちゃって今目の前にいるというのは吟のカルマそのもので、もはや「自分のせいで報瀬の人生めちゃくちゃ」なのか「報瀬は報瀬なりに一歩を踏み出す勇気を持った子に育ってくれた」のか分からないよね。両方か。そのくせ自分は過去に囚われてるままだし。ラミング→貴子の回想っていう構成で胸がいっぱいになる。
だからこそ最後の「ざまーみろ!」を最初に報瀬が言う演出は最高だった。おまけに大合唱だし。泣くやんあんなの
ラミング(2回め)の氷が割れる音がすごいので、ぜひ爆音で聞いてほしい。あと氷にまつわる音で思い出すのは「宝石の国」(2017)7話の流氷の音。あっちもすごい。
11:55頃 甲板で会話する報瀬と隊長の二人を、下からこっそり見守るキマリのアホ顔
南極のあらゆるシーンで息が白くない。これは気温が低くても息が白くならないリアル南極の仕様を再現してるのだけれど、「白い息を描かない」ことで「ここが南極であることを再認識させられる」っていうのがなんか良い。
「ヘリの音がうるさくて会話が聞こえない」というシチュエーションをアニメで表現しているところを見ないのだけれど(当たり前か)、このシーンはガチでヘリの音がうるさくて好き。ぜひフラットな出力の(人の声を強調しない)スピーカーで大音量にして聴いてほしい。
朝の「ご安全に」、ついつい復唱したくなる。あのシーンだけで「この基地においては隊員たちがああやって生活している姿がメイン」であることを再認識させられる。南極だから彼らが毎日特別なことをやっているわけではないんだよ、というメッセージになってて好き。
「友達とはなんぞや」という話を中心に、それぞれのキャラクターを描く回。10話から本格的に基地での活動や生活を中心とした物語になる関係上それぞれのキャラクターが「友達とは」に言及する尺が結構短い。なのにすごく説得力があるのは、うまくこれまでの物語で彼女たちの心を描いてきたからこそだなぁ、と感じる。
ゆづが「友達誓約書」を出してきて、もしこれが3話とか4話だったらただの笑い話なのだけれど、あれから7ヶ月も一緒だったからこそ3人が曇った顔をしていた気持ちもわかるし、5話があるからキマリが泣いちゃう気持ちがわかるし、一方笑顔でめぐっちゃんの話をするキマリを見てると胸がいっぱいになるし、1話やカーチャンのことがあるから報瀬の友達論は重みがあるし、6話があるから日向が「友達って」をうまく説明できないのが辛い。そして何より、3話で自分から「友達になりませんか!」という宣言とともに獲得した2人の友達(察しのいいゆづならきっとその2人がなんで友達になってくれたのか分かるはずなのに)にすごくこだわっていたゆづ故の「友達誓約書」って思うと、すごく切ない。だって7ヶ月間ずっと待ってたんだぜ?友達宣言。
大好きなのは日向と報瀬がゆづを励ますパーシャル丼のシーン。BGMが3話等の挿入歌「ハルカトオク」のアレンジになっている。BGM聴いただけで「なんて温かいシーンなんだろう」って思わせるくらい優しい空間になっていて、(ゆづの悩みとは裏腹に)明るい予感に満ちている。メッチャ好き。
現代風の表現を用いる時の問題として、時代の変化によってその意味が変質したりするという点がある。これは意図して変質を招くことは少なくて、大抵は無自覚に発生する問題である(ex,宇多田ヒカル”Automatic”の歌詞に出てくる「受話器」)。今作で言えばSNSアプリでのやり取り。もしSNSがポケベルと同じ運命をたどった時、その未来においてこの作品の意図はどれくらい伝わるんだろうか…と心配になるのだけれど、10話の18:30頃において、「既読が付くこと」を「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」と表現していて、思わず「おおっ」ってなった。現代風に言うなら「既読スルーしてやんの」とか言いそうな所だけれど(キマリは言わないけど)、「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」という言い方は向こう20年くらいは伝わる表現なんじゃないだろうか。風化しにくい表現を選んだ、と言う意図があるかどうかは分からないけれど、すごく好きな表現だ。